もしあの駅名が改称されなかったら/近畿

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滋賀

西大津駅(現・大津京駅)

  1. 歴史学者の「「大津京」という表現は学問的におかしい」という抗議により改称が撤回されていた。
  2. その後も駅名改称の提案はあるが特急停車廃止などによりだんだん下火になってきた。
    • 折衷案として近江宮・大津宮が出る。
  3. 京阪の皇子山駅は2018年3月になって「京阪西大津」駅に改称されていた。

錦織駅(現・近江神宮前駅)

  1. 錦織車庫の最寄り駅だということが現実よりもよく知られていた。
    • その反面近江神宮への最寄り駅であるということはあまり知られていなかったかも。
  2. 正式な読み方は「にしごおり」だが「にしきおり」「にしこり」と誤読する人も多かっただろう。
    • 特に現在はテニスの某選手のおかげで「にしこり」と読まれてしまうことが多い。
  3. 副駅名に「近江神宮前」がつく。

叡山駅(現・比叡山坂本駅)

  1. 新快速の停車はなかったか、史実より遅れていた。
  2. 地域を代表する駅という認識は史実より低いままだった。
    • 今でも坂本の駅と言えば、京阪の坂本駅。
      • 京阪の坂本駅が史実通りに坂本比叡山口に改称された場合はどうなってたことやら?。

京都

神足駅(現・長岡京駅)

  1. JR屈指の難読駅として注目を浴びる。
    • 艫作、及位、特牛などの存在を踏まえるとそれは大袈裟。
  2. 幻の都長岡京が史実よりも無名だったかもしれない。
    • 日本史の教科書に載っていることを考えるとそこまでとは言い切れないと思う。
  3. 長岡町が市政を施行した時に「長岡京市」を名乗れなかったら多分こうなっていた。
    • 原因は向日市(長岡宮跡所在地)などからのクレーム。

八幡町駅(現・石清水八幡宮駅)

  1. 同じ京都府内にある向日町駅と同様、市制を施行したにも関わらず駅名は「町」のままということになっていた。
  2. 急行は通過するようになっていたかも(但し正月を除く)。
  3. 八幡市の玄関口となる駅は樟葉駅となっていた。

嵯峨野駅(現・有栖川駅)

  1. 現在も京都ビギナーの誤下車が後を絶たない。
    • 一応アナウンスなどで注意喚起はされている。
  2. 京都ファンの間では「嵯峨野へ行く時に嵐電の嵯峨野駅で降りてはいけない」というのが鉄則の一つに。
  3. 07年に「嵯峨野有栖川」あたりに改名されていた可能性あり。

京阪神京都駅(現・大宮駅)

  1. 京阪が京阪神急行から独立した以上、改称されない場合は京阪京都ではなくこちらの駅名が存続していたと思われる。
    • いずれにせよ途中で「阪急京都」になっていた。
  2. 阪急神戸以上に誤乗が目立つことになる。
    • ましてや終点がここではないので、非沿線民に訝しまれることになる。
      • 「京都駅へ行く際は隣の烏丸駅から地下鉄をご利用ください」という掲示が間違いなくあった。
    • 特急の停車が取りやめになった時点である程度は落ち着きそう。
  3. 河原町駅の改名が検討された際にこちらも「四条大宮」にすべきだという意見が出ていた。

田辺駅(現・京田辺駅)

  1. 京田辺市在住の人が自分の住所を言うような場合「田辺」というケースが現実よりも増えていた。
  2. 2つ木津寄りにある「JR三山木」駅も「上田辺」駅のままだったかも。
  3. 和歌山県田辺市に用事のある人が間違ってこの駅で降りてしまうトラブルが年間に数件程度発生していた。

舞鶴駅(現・西舞鶴駅)

  1. 西舞鶴と東舞鶴の歴史を踏まえるとこうなっていてもあまり不思議ではない気がする。
  2. 観光客などの誤認防止のため旧東舞鶴市は「東舞鶴」を前面に押し出してPRしていた。
    • そもそも鎮守府が「東舞鶴鎮守府」になっていた可能性もある。
  3. 舞鶴市役所はこの駅の近くに置かれていた。

山端駅(現・宝ヶ池駅)

  1. 難読駅名として知られていた。
  2. 「宝ヶ池」と言えば専ら国立京都国際会館のある場所のことを指していた。
    • 地下鉄烏丸線の国際会館駅が「宝ヶ池」駅を名乗っていたかも。
      • その場合も副駅名として(京都国際会館前)と表記される。

八瀬駅(現・八瀬比叡山口駅)

  • ここでは八瀬→八瀬遊園の駅名改称がなかったものとします。
  1. スポーツバレー京都閉園に伴う八瀬比叡山口への駅名改称もなかったかも。

伏見駅(現・伏見桃山駅)

  1. 駅名からして伏見区の中心部にあることがわかるようになっていた。
  2. 近鉄京都線の伏見駅は「棒鼻」駅を名乗っていたかも。
  3. 伏見稲荷大社の最寄駅だと間違って降りる人が減っていたかも。

京阪稲荷駅(現・龍谷大前深草駅)

  • 深草駅は開業から8ヶ月くらい稲荷駅を名乗っていました。
  1. 京阪における伏見稲荷大社への表玄関はこの駅となっていた。
    • 急行も停車していただろう。
      • 京阪間通しの急行が終日運転されていた頃は緩急接続も行われていた。
  2. 現実の伏見稲荷駅は「稲荷新道」のままか「稲荷北口」を名乗っていた。
  3. 「深草」の駅名は現実の藤森駅が名乗っていたかも。
  4. 「龍谷大学前」の副駅名がつくのは現実通り。
    • 2019年10月に正式に「龍谷大学前」に改称され、隣の稲荷新道(あるいは稲荷北口)がこの時点で「伏見稲荷」駅になっていた。

城南宮前駅(現・竹田駅)

  1. 城南宮への参拝・観光客が増えていた。
    • 駅名の割に城南宮まで遠いと言われていた。
      • そのため、地下鉄烏丸線開通を機に駅名改称が検討されるようになっていたかも。
  2. JR播但線の竹田駅との駅名重複はなかった。
  3. それでも京都市営地下鉄の車両基地の名称は「竹田車両基地」になっていた。

石清水八幡宮前駅(現・八幡市駅→石清水八幡宮駅)

1939年~1948年までこの駅名でした。(2019年石清水八幡宮駅に改称予定)

  1. 京都にある八幡市の影が薄くなっていた。
    • 福岡にあった方か滋賀県にある方を思い出す人が多かった。
    • 八幡町が市制を施行するにあたり「石清水市」になっていたかもしれない。
  2. ケーブルカーで上らないといけないのに八幡宮前は詐欺ではないかと言われたかも。
    • 史実より早く通称が石清水八幡宮参道ケーブルになった。
    • そのため後に「石清水八幡宮口」に改称されていた可能性もある。

大阪

新門真駅(現・門真市駅)

  1. 少なくとも大阪モノレールの開業時に改名が提案されていた。
  2. 旧門真駅の廃止経緯はもう少し知れ渡っていた。

茨木駅(現・宇野辺駅)

  1. JRと乗り換えられない趣旨の掲示が大きく貼られていた。
    • 逆にJR茨木駅側にも同様の表示が貼られている。
    • あるいはマイカル茨木(現・イオンモール茨木)開業後はJRへの乗り換えはここを経由するような掲示が行われていた。

大阪ドーム前千代崎駅(現・ドーム前千代崎駅)

  1. 大阪ドームのネーミングライツ売却がなければそのままだった。
  2. 阪神なんば線のドーム前駅も「大阪ドーム前駅」として開業していた。

湊町駅(現・JR難波駅)

  1. その後のJR○○駅の乱立はなかった。
    • 存在したとしても史実よりは少なかった。
  2. いまだに湊町駅が難波に隣接していることを知らない人も多かったと思われる。
    • 利用客数も現実よりも少なかった。
  3. 移転により伝統的な「湊町」から離れたため一部から「僭称」という批判を受ける。
  4. 遅くとも阪神なんば線延伸時に「大阪難波駅」に改称した可能性は高い。
    • 早い間に近鉄線と統合して大阪難波になっていたかも。
    • 「難波湊町」という駅名になっていたかも。
  5. 日本の駅名にアルファベットを入れることや、駅名の接頭語として「JR」を冠することは未だ禁忌と見なされていた。
  6. 現実以上に「湊町」を「港町」と間違える人が多くなりそう。

池田駅(現・川西池田駅)

  1. 海老名市にある厚木駅などと同様、池田市ではなく川西市にある池田駅として話題になっていた。
    • それどころか駅所在地は池田市のある大阪府内ですらなく兵庫県。
  2. 阪急池田駅の駅名は現実通りだっただろう。
  3. 能勢電の池田駅前駅が川西国鉄前駅に改称されることもなかった。
  4. 乗車券には北海道の池田駅と区別するため「(福)池田」と書かれている。

道頓堀駅(現・汐見橋駅)

  1. 大阪を代表する繁華街道頓堀の最寄駅と勘違いする客が後を絶たなかった(実際には難波駅)。
  2. 書籍などでこの駅が紹介される際には名称のイメージと実態のギャップに言及されることも恒例になっていた。

蒲生駅(現・京橋駅)

  1. 梅田駅-大阪駅、大阪阿部野橋駅-天王寺駅と同様、乗換駅にも関わらず駅名が異なるという状態になっていた。
  2. 果たして地下鉄長堀鶴見緑地線の駅名は京橋・蒲生のどちらになっていたのだろうか?
    • 駅付近の地名が「蒲生」と認識されていれば間違いなく後者。
    • この場合グランシャトーのCMでも「蒲生はええとこだっせ~♪」と歌われていた。
    • 地下鉄の駅は所在地の地名である「東野田町」になっていたかもしれない。ちなみに付近にあったかつての大阪市電の停留所の名前も東野田町だった。

金岡駅(現・堺市駅)

  1. 恐らく快速停車駅にはなっていなかった。
    • 逆に三国ヶ丘駅への快速停車が早まっていた。
    • 伝説の短命特急「あすか」の停車もなかった。
  2. 南海高野線の金剛駅と混同する人もいただろう。
  3. 他地域の人がここが堺市の中心駅だと誤解することはなかっただろう。
    • 時刻表における中心駅の扱いも早くに南海の堺あるいは堺東駅となっていた。
  4. 地下鉄御堂筋線の新金岡駅はこの駅があったせいで駅名に「新」がついたと思われていた(実際には駅所在地の地名が新金岡)。
  5. JR化後に「JR堺」への改称が検討される。

深江駅(現・布施駅)

  1. 阪神電鉄にも同名の深江駅があるので、阪神なんば線が開業して阪神と相互直通するようになるとややこしくなっていた。
    • どちらかの駅名が改称されていたと思われる。
    • 恐らく駅名は「東大阪市」もしくは「東大阪深江」に改称されていたと思われる。
  2. 布施市が合併して東大阪市になってからは「布施」の知名度がかなり低くなっていた。

片江駅(現・近鉄今里駅)

  1. 現在でも付近の町名に「片江」が残っていた。
  2. 地下鉄の今里駅と紛らわしくなることはなかった。

桜井ノ駅駅(現・水無瀬駅)

  1. 全国でも有数の珍駅名として注目される。
    • 同様に「駅駅」だった例としては近鉄の「橿原神宮駅駅」があったが、恐らくそれ以上と思われる。向こうは「橿原神宮」駅と省略できたため。
    • 場合によっては「桜井ノ」駅と勘違いされる。
  2. 箕面線に桜井駅があるので紛らわしくなっていた。
  3. 水無瀬神宮の知名度が現実以上に低かった。
  4. 太平洋戦争で日本が勝っていれば改名されなかった可能性大。
    • 桜井ノ駅は楠木正成と息子が最後の別れをした場所として戦前にはよく知られていた。

土生郷駅(現・東岸和田駅)

  1. 難読駅名として知られていた。
    • とはいえ、因島にも「土生」という地名があるのである程度の人は読めるかも。
  2. 快速は停車しなかった。

泉ヶ丘駅(現・東佐野駅)

  1. 泉北高速鉄道の泉ヶ丘駅は別の駅名になっていた。
    • こちらは「泉北」駅になってたかな。

大小路駅(現・堺東駅)

  1. 阪堺電気軌道の大小路電停は別の名前になっていた。
  2. 南海本線の堺駅を堺市の表玄関だと誤解する人が現実よりも多かった。

葛葉駅(現・高石駅)

  1. 正式な読み方は「くずのは」だが「くずは」と読み違える人も多かっただろう。
    • 何かと京阪の樟葉駅と比較される。
  2. 高石市の中心駅は急行が停車する羽衣駅だと思う人が多くなっていた。
  3. 「葛」の正式な表記を巡って多少揉めていた。
    • おそらく中に「人」が入っている字が正式とされていた。

助松駅(現・松ノ浜駅)

  1. 「助松駅がないのにどうして北助松駅があるの?」と疑問に思う人はいなくなっていた。

長野駅(現・河内長野駅)

  1. 近鉄だけでなく南海も「長野行き」という行き先表示を出すことになっていた。
    • 何も知らない人はやはり「長野県に行くのか?」と勘違いすることになっていた。
  2. それでも市制施行後の市名は「河内長野市」となっていた。
  3. 大阪狭山市を狭山と呼ぶように、河内長野市を長野と呼ぶ人が現実以上に多くなっていた。

龍神駅(現・堺駅)

  1. 和歌山県龍神村(現田辺市)と勘違いする人もいたかも。
    • 逆に龍神温泉が堺市内にあると勘違いする人も出ていた。
    • 対策として「堺龍神駅」などへの改称が検討されていたかも。
  2. 高野線の堺東駅の方が堺駅に駅名改称していた可能性もある。
    • その場合、堺駅=堺市の都心にある、ということになっていたので現実よりもわかりやすかった。

南海住吉公園駅(現・住吉大社駅)

  1. 住吉大社の最寄駅であることの知名度が若干下がっていた。
    • 住吉大社へは阪堺電車で行く人が現実以上に多くなっていた。
    • 逆に住吉公園の知名度は現実よりも上がっていた。
  2. 阪堺電気軌道の住吉公園駅とはすぐ隣にあるのに駅名が違う、ということにはならなかった。

人ノ道駅(現・河内永和駅)

  1. 全国有数の珍駅名として有名になっていた。
  2. 後に開業したJRおおさか東線のJR河内永和駅も「JR人ノ道駅」となっていた。
    • あるいはそちらだけが「河内永和駅」に。
  3. PL教団がかつて「ひとのみち教団」と呼ばれていたことが現実よりは知られるようになっていた。
    • 「旧名称をそのまま使い宗教弾圧の歴史を語り継ぎたい」という教団の意向によりそのままの名称で存置されたことになっている。
    • まさか「パーフェクトリバティー駅」とはならないか。
      • まだ「PL駅」のほうが可能性が高そう。特にPL学園全盛期の時代ならば。
  4. 戦時中には大軌→近鉄の本社にこの駅の改称を求め特高、憲兵、民間右翼などがたびたび来ていた。

ラグビー場前駅(現・東花園駅)

  1. カタカナと漢字を合わせて6文字の長い駅名となっていた。
    • 加えてここ発着の電車もあるので、行き先表示がごちゃごちゃとした感じになっていた。
  2. 駅名と裏腹に花園ラグビー場まで少し距離があると言われるようになっていた。
  3. 隣の河内花園駅がラグビー場の最寄駅と勘違いされることはなかった。

枚方東口駅(現・枚方市駅)

  1. 恐らく現実の枚方公園駅が枚方→枚方市駅となっていた。
    • ひらかたパークの玄関口となっているのは現実通り。
  2. それでも枚方市の中心駅は枚方東口駅ということになり、特急も停車していた。

大阪天王寺駅(現・大阪阿部野橋駅)

  1. JRや地下鉄の天王寺駅とほぼ同じ駅名だったのでよそ者にもわかりやすかった。
    • 後に改称で大阪が消えて天王寺駅か近鉄天王寺駅になっていたかもしれない。
  2. 「阿倍野」の地名は区名になっているのである程度の知名度はあるものの、現実ほど高くはなかった。
    • ましてや「阿部野」表記の方はほとんど知られていなかった。
    • 天王寺駅南側の繁華街を指すのではなく、阪堺上町線東天下茶屋駅周辺(こちらが本来の阿倍野)のことを指していた。
    • 史実の地下鉄阿倍野駅は「阿倍野筋」駅、阪堺上町線阿倍野駅は「斎場前」駅を名乗り、史実の東天下茶屋駅が「阿倍野」の駅名を名乗っていた。
  3. 「あべのハルカス」は「天王寺ハルカス」となっていた。
  4. 近鉄難波は最初から大阪難波駅として開業していた。

信濃橋駅・難波元町駅(現・四つ橋線本町・なんば駅)

  1. 四ツ橋駅-心斎橋駅と同様、他路線の本町・なんば駅と改札内で繋がっているのに別の駅名ということになっていた。
    • 四つ橋線の駅が御堂筋線と離れていることが駅名からもわかるようになっていた。
  2. 信濃橋の知名度が上がっていた。
    • 同様に大阪にも「元町」があることがよく知られていた。
  3. 難波元町駅は案内上「なんば元町」となっている。
  4. 国鉄(JR)の湊町駅の駅名改称も「JR難波」ではなく「難波元町」になっていた。時期は1973年10月の関西本線奈良電化の時だった可能性も。

天保山駅(現・桜島駅)

  1. 海遊館の最寄り駅だと勘違いする人が後を絶たなかった(実際には地下鉄中央線大阪港駅)。
    • 本当の天保山までは渡船が運航されているので、そちらの利用客も増えていた。
    • 駅には「海遊館へは渡し船を利用して下さい」という貼り紙がなされている。
  2. 「桜島線」は「天保山線」となっていた。
  3. USJの開業に伴い現実通り駅も移設されるが、これと同時に駅名改称の話も出てきたかもしれない。

地下鉄関目駅(現・関目高殿駅)

  • ここでは地下鉄谷町線の関目駅について述べます。
  1. それでも関目(高殿)と副駅名付きで呼ばれるようになっている。
  2. 今里筋線の関目成育駅が開業するときに駅名改称の話が出るようになっていたかもしれない。
    • あるいは谷町線と今里筋線が地下でつながり、改札内で乗り換えできるようになるかも?

佃駅(現・千船駅)

  1. 大阪にも「佃」という地名があることがよく知られていた。
    • それと同時に東京の「佃」の元になった地名であることも現実より広く知られていた。
    • 逆に「千船」の表記はあまり知られていなかったかもしれない(地名表記は「千舟」のため)。

駒川駅(現・今川駅)

  1. 駒川商店街の最寄駅だと勘違いする人が多くなっていた(実際には針中野駅)。

阪和浜寺駅(現・東羽衣駅)

  1. 南海時代に「山手羽衣」に改称されているので、この改称が無かったか国有化後に元に戻す形で存続していた。
  2. 阪和線が私鉄だった頃の名残にはなっているのだが、路線名と被っているので鉄道ファン以外はほとんど知らない状態になっている。
    • 実例を挙げるとすれば名鉄の碧海古井駅の様な感じ。
  3. 支線の名前自体が「浜寺支線」のままだった可能性大。
  4. 南海浜寺公園駅に「当駅では阪和線に乗り換えられません」と言う掲示がある。
  5. JR西日本発足後に「JR浜寺」か「JR羽衣」に改称する案が浮上する。

吹田町駅(現・相川駅)

  1. 吹田市ではなく大阪市にあるのに「吹田町駅」を名乗っていることが話題になっていた。
    • さすがに「吹田市」駅にはならないと思われる。
  2. 千里線の吹田駅は別の駅名を名乗っていた。
    • おそらく「吹田市役所前」か「吹田中央」になっていた。
  3. 歌手の相川七瀬は別の芸名を名乗っていた。

森小路駅(現・千林駅)

  1. 現・森小路駅は「新森小路」か「新森」駅を名乗っていた。
  2. 森小路の知名度が千林を上回っていた。
    • 千林商店街も森小路商店街を名乗っていた。
    • 谷町線の千林大宮駅の駅名も変わっていたかも。
  3. 3代目おけいはんの名前も「千林けい子」になっていた。

西村駅(現・初芝駅)

  1. それでもかつてロッテにいた西村徳文選手は相手チームのファンに野次られなかっただろう。
    • 「西村」という苗字は「初芝」と違い比較的ありふれているので。
    • どっちみちロッテファンの聖地になっていたかも。
  2. 全国の「西村」さんの聖地になっていたかも。

奈良

橿原神宮駅駅(現・橿原神宮前駅)

  1. 日本有数の珍駅名として鉄道ファンに広く知られていた。
  2. 地図などで正式名表記が行われることはまずない。
    • 方向幕でも「橿原神宮」と表記されている。
  3. 駅名改称で困った際に「~駅駅」という案が候補に挙がることがたまにあった。
  4. この駅名を見て誤植だと勘違いする人も多かっただろう。

丹波市駅(現・天理駅)

  1. 兵庫県氷上郡の自治体が合併してできた市は「丹波市」にならなかった。
    • 「丹波市」が誕生してしまった場合は京都駅などからの誤乗車が少なくなかった。
  2. 駅名と市名が揃わない理由として旧国鉄と天理教の対立が噂される。

鵄邑駅(現・富雄駅)

  1. 近鉄では一番の難読駅名となっていた。
    • 近鉄どころか、全国でも有数の難読駅名だろう。
  2. あまりにも読み方が難しすぎるため、駅名改称を求める動きもでてくるだろう。
    • 一方「難しい駅名の方が情緒があっていいじゃないか」という意見が強ければこのままだったかもしれない。

橘寺駅(現・飛鳥駅)

  1. 高松塚古墳の壁画発見以降に明日香村当局などがたびたび改称を求めていた。
    • 近年では世界遺産登録運動とも結び付いている。
  2. 駅名の由来になった橘寺の拝観者はもう少し増えていたはず。

兵庫

ポートアイランド南駅(現・計算科学センター駅)

  1. スーパーコンピューター「京」がここになければ間違いなく駅名はそのままだった。
    • あったとしてもイメージ戦略がそれほどなければ改称されていない。
      • 場合によっては「蓮舫のせいで改称案が没になった」と勝手に揶揄される。
  2. ポートアイランドの開発が進んだ時点で改めて改称を公募するかもしれない。
    • 現状でも副駅名として使われている「神戸どうぶつ王国」になっているかもしれない。

野村駅(現・西脇市駅)

  1. つまり「鍛冶屋線の西脇までの区間が残った場合」。
    • もしくは西脇市の新しい代表駅が新西脇駅になっている。
  2. みどりの窓口など置かれたことはない。

阪急神戸駅(現・阪急神戸三宮駅)

  1. ここでは阪急神戸駅が神戸高速鉄道開業時に三宮駅に改称されなかったというのが前提。
  2. 地元人はともかく、他地域の人にとってはJR神戸駅と紛らわしくなっていた。
  3. 高速神戸駅は別の駅名となっていた。
    • 建前上は別会社だから案外そのままな気がしなくもない。
  4. 高速神戸以西から来る場合、「三宮」といえば阪神三宮駅のことを指していた。
  5. それでも現実と同時期に阪神三宮駅とともに「神戸三宮」への駅名改称が行われる。
    • それ以前に副駅名か何かで三宮の名前が付けられていたのは確実だろう。

阪急西灘駅(現・王子公園駅)

  1. それほど王子動物園の最寄駅として認識されていないだろう。
    • 一時期特急が臨時停車したこともなかった。
  2. 阪神本線に西灘駅が存在するため、もちろん駅名標は「阪急にしなだ」と表記されていた。
  3. 駅構内がパンダだらけになることもなかった。
  4. それでも副駅名に(王子動物園前)と書かれるかもしれない。

六甲登山口駅(現・神鉄六甲駅)

  1. 阪急六甲駅と紛らわしくなることはなかった。
  2. 裏六甲側からの六甲山への登山ルートの起点であることが現実よりもよく知られていた。
    • ここからのハイキング客も現実より多かったかも。

神崎駅(現・JR尼崎駅)

神崎
かんざき Kanzaki
かしま/つかもと
Kashima/ Tsukamoto
つかぐち/たちばな
Tsukaguchi/Tachibana
  1. 「尼崎駅」といえば100%阪神尼崎駅のことになっていた。
    • 尼崎の中心市街地もこちらにあるので、わかりやすかった。
  2. 神崎川の名前の由来が現実よりも知られていた。
  3. 駅前にある阪神百貨店も「あまがさき阪神」ではなく「かんざき阪神」になっていた。
    • 阪神尼崎駅前にあると誤解する人は皆無になっていた。
  4. 尼崎港線の尼崎港駅は廃止されるまで「尼ヶ崎」駅だった。
  5. 佐賀の神埼駅は肥前神埼駅のまま。
  6. 下総神崎駅の読みが「しもうさかんざき」に間違えられる確率が上がる。

魚住駅(現・山陽魚住駅)

  1. 旧国鉄が魚住駅を開業させる際山陽電鉄側が駅名変更を拒否したとします。
  2. 国鉄→JR魚住駅は「新魚住」とかいう駅名になっていた。

篠山駅(現・篠山口駅)

  1. 史実の篠山線篠山駅は「本篠山」か「篠山町」と名乗っていた。
  2. 橋上化の際に武家屋敷を意識したデザインの駅舎が作られていた。
  3. 篠山市誕生以前は所在地の丹南町が駅名に「丹南」を入れるよう求めていた。

山田駅(現・西舞子駅)

  1. 1973年に開業した阪急千里線の山田駅は別の駅名を名乗っていたかも(阪急と山陽の両山田駅は改札内で行き来できる上連絡切符も発売しているので)。
    • もしこちらも山田駅で開業した場合、「山田」→「山田」の切符を買うことができた。
      • 定期券の場合「(急)山田」「(山)山田」と区別していた。

有馬口駅(現・生瀬駅)

  1. 神戸電鉄の有馬口駅は別の駅名になっていた可能性が高い。
    • 唐櫃駅か、一時期名乗っていた有馬温泉口になっていただろう。
      • 前者の場合隣の唐櫃台駅の駅名も現実と違っていたかも。
  2. 有馬温泉に行く観光客がここで阪急バスに乗り継ぐケースが現実よりも多くなっていた。
  3. 「生瀬」自体は俳優の生瀬勝久で初めて目にする人が多くなっていた。

和歌山

白浜口駅(現・白浜駅)

  1. 白浜の中心部まで少し離れていてバス連絡が必要なことが駅名からもわかるようになっていた。

和歌山駅(現・紀和駅)

  1. 東和歌山駅(現・和歌山駅)の駅名もそのままだった。
    • その東和歌山駅も関西空港開業を期に和歌山中央駅に改称される。
  2. 現実のように無人駅にはならなかった。
  3. 和歌山線の田井ノ瀬~和歌山の線路は現存し、和歌山線及び紀勢本線のローカル列車は和歌山市駅に発着していた。
    • 逆に和歌山線から東和歌山駅への列車は運行されず、阪和線との乗り換えは紀伊中ノ島駅で行われていた。
  4. 阪和線から紀勢本線に直通する列車は東和歌山駅に停車。
  5. 和歌山市駅前は現実ほど衰退しなかった。
  6. 確実にネット内でしょぼい県庁所在地の駅として取り上げられていた。
    • 東和歌山駅や和歌山市駅と比較されていた。
  7. 南海電鉄貴志川線は当駅発だった・・・・のか。
    • 史実でも東和歌山駅の改称前(むしろ開業と同時)に起点を中ノ島駅(現・紀和駅に隣接)から東和歌山駅に変更しているため、あるならば東和歌山駅から国鉄に乗り入れて和歌山市駅まで直通。