ページ「偽漫画家の特徴/な・は行」と「もしあの鉄道路線が別の年に開業していたら/関東」の間の差分

< 偽漫画家の特徴(ページ間の差分)
ナビゲーションに移動 検索に移動
 
(「烏山線」追加)
 
1行目: 1行目:
==JR==
===山手線===
*ここでは営業上の山手線(環状運転区間)について扱います。
;1890年代
#東京駅ではなく丸ノ内駅と名乗っていたかも。
#*現実ほど巨大な駅舎になったかどうか怪しい。
#都制化になる物も早まっていた?
#*都制は「大東亜戦争」という非常時だから反対を無視して実現できたという側面があるのでそれはない。
#場合によっては赤羽駅まで通っていた可能性も。


*新規項目の追加は五十音順でお願いします。
;1910年代
#秋葉原駅ではなく万世橋駅に通っていたかも。
#*この場合秋葉原駅は貨物駅のままだったかもしれない。


==あ行==
;1940年代
===偽蒼樹うめの特徴===
#恐らく戦災復興都市計画として開業だろう。
#劇画タッチ。
#*環状化の構想は関東大震災後の帝都復興計画などにも盛り込まれていたが諸般の事情により実現が大幅にずれ込んでいた。
#シャフトとは無関係。
#*逆に京アニとは縁が深い。
#電撃萌王に連載している。


===偽青木雄二の特徴===
;1960年代
#自民党の支持者だ。
#こうなると東京オリンピックの再開発の一つになっていた。
#漫画家になる前はニートだった。
#この時期に開通した区間は間違いなく地下線。
#最終学歴は大卒。


===偽青山剛昌の特徴===
===川越線===
#「名探偵コナン」なんてほとんどの人が知らないマイナーな作品だ。
;1890年代
#鳥取県とは何の関係も無い。
#史実の停車駅だと少ないので、秩父まで開業していた可能性も。
#高山みなみと離婚していない。
#*停車駅は大宮、川越、高麗、秩父大宮かも。<!--日本鉄道時代-->
#**高麗から秩父に抜ける工事がかなりの難事業になりそうだが・・・
#**高麗ではなく飯能に通っていたかも。
#*川越線ではなく秩父線になっていた。
#*もちろん西武秩父線は開業していない。秩父鉄道は微妙。
#電化はもう少し早かった可能性も。
#秩父の観光開発は史実通り行っていただろうか?
#位置づけは「商都川越と現在の東北本線を結ぶ路線」。
#*戦時色が強くなり東京を迂回するルートの必要が出てくるまでは大宮-川越のみ。
#西武大宮線など存在しなかった。
#川越駅は現在の本川越駅あたりになっていた。


===偽赤塚不二夫の特徴===
;1980年代
#お酒は飲まない
#開業当時から電化していた。
#ネタを人任せにしない
#大宮駅-川越駅間の路線が埼京線になっていた。
#お金を大事にする
#もともとは東京に用がない貨物列車を東京都心に入れないための路線のつもりだった。
#全裸で尻に火のついたろうそくを立てて雪山をそりで滑ったりしない
#*この場合は複線化もされているはず。
#作品を人任せにしない
#*となると史実の武蔵野線がさらに遠くにいったということか。東武野田線もJRに編入され、八高南線・相模線もセットになっていた。
#これで良いのだ、で終らせない
#[[架空の学校#バカ田大学|バカ田大学]]を創立。
#作品はギャグ漫画一辺倒。
#*女の子向けの漫画なんてない。
#2人いる。
#富山県出身。
#代表作は「天才タモさん」。


===偽赤松健の特徴===
===京浜東北線===
#京都出身。
;1880年代
#畑健二郎の師匠。
#運営は日本鉄道?
#久米田康治とは無関係。
#停車駅は上野-日暮里-田端-王子-赤羽-川口-蕨-浦和-与野-大宮か?(場合によっては上尾まで)
#[[東京大学]]卒。
#*川口駅は「武蔵川口駅」に。
#女の裸を描くなんてご法度。
#神奈川方面延長は国有化後。
#*むしろコミックスで乳首を書き足す。
#江川達也と藤島康介のアシスタントの経験あり。
#週刊少年サンデーで連載している。
#例え背景が白くなっても、休載なんてもってのほか。
#*夕日に照らされているわけでもないのに人物にわざわざ影をつけたりしない。
#*1話18ページをきっかり6日で書き上げる。
#アニメ化作品に堀江由衣が出演したことがない。
#*桑谷夏子も。


===偽秋本治の特徴===
===八高線===
#通称「休載の神」。
;1890年代
#自分の作品が全く続かない。1年余りで即連載終了。
#八王子-飯能-越生-小川-寄居-児玉-藤岡-高崎になっていたかも。
#既に引退済み。
#八高北線は電化されていたか?
#神田出身。
#どう考えても貨物輸送がメイン。
#*浅草だろ。
#*主に上州の繭を絹織物産業が盛んだった八王子へ運ぶため。
#実は複数の人間がこの名前を名乗っている。
#**[[横浜線]]との間にスイッチバックなしで直通できる短絡線が建設される。
#*ちなみに現在連載しているのは5代目。
#女性キャラが貧乳でブスばかり。
#よくみたら志村けんだ。
#亀有駅前に自分の銅像を作ってしまった。
#山止たつひこなんて知らない。
#「川の流れのように」の作詞を担当。
#*AKB48の総合プロデューサー。


===偽浅田弘幸の特徴===
===埼京線===
#見た目も39歳そのもの。
;1890年代
#停車駅は品川-大崎-目黒-恵比寿-渋谷-新宿-目白-池袋-板橋-赤羽-蕨-浦和-大宮かな。
#*つまり上野駅がターミナルではなかったってこと?
#*要は高崎線が品川支線のルートで開業ってことか?
#赤羽線は存在しない可能性も。
#2chの殺人予告の「埼京線の上野駅」が実在していた可能性も。
#そもそもこの場合だと名実ともに東北本線になっている気がする。


===偽麻宮騎亜の特徴===
;1940年代
#菊池道隆は赤の他人。
#当然当時は新幹線は無いので新幹線併設在来線という言葉は無い。
#特撮と無縁だ。
#*東北本線の別線にはなっていない。あえて付けるとしたら「戸田線」とかか。
#『宇宙戦艦ヤマト2199』のキャラクターデザインを担当。
#*戸田駅が「武蔵戸田駅」になっていた。
#川越線と直通するかは微妙な所。
#私鉄による建設。
#*あくまで東京-大宮・浦和で省線に対抗するため。
#*沿線地域は昭和30年代でも農村ばかりだった。
#**私鉄なら開発も積極的になされているのでは。
#*後々都営三田線への乗り入れ構想が浮上する。
#*要するに[[もしあの鉄道路線が開業していたら/関東#東京大宮電気鉄道|この計画が実現していた場合]]である。


===偽麻生周一の特徴===
;1960年代
#基本短編は描かない。
#東京五輪の競艇場アクセスに活躍。
#過去作品のキャラクターは基本登場させない。
#車両は山手線や総武線から流れてきた旧型国電でスタート。
#松井優征とは無関係。
#*1970年代に新性能化されるが、おそらくラインカラーは現実と異なる。
#彼が描く漫画は基本的にヒットする。
#あるいは五方面作戦の一環(赤羽〜大宮間線増)として建設され、東北・高崎線の一部列車がここを経由したかも。
#*が、斉木楠雄のΨ難は大コケした。
#*武蔵野線開業後、前橋~沼津間の普通列車が廃止されず、この路線を経由。
#口癖は「あっそう」
#**おそらく8両編成以下(板橋・十条駅の当時のホーム長を考慮)。
#よく見たら「麻'''布'''周一」だった。
#新幹線の(予定)用地も同時に確保された。


===偽あだち充の特徴===
===武蔵野線===
#女性キャラの描き分けが上手い。
;1890年代
#*特に見た目に派手な女性が多い。
#路線名は「府中線」か「船橋線」辺りになっていた。
#巨人ファンのアンチヤクルト。
#停車駅は府中-所沢-志久-浦和-越ヶ谷-松戸-船橋辺りになっていたかも。
#キャラの表情がわかりやすいと好評。
#*志久ではなく志木では?
#兄は漫画家ではない。
#軍事上の必要性がかなり表に出されていた。
#*沿線に相当する地域にそこまでの旅客需要があったようには到底思えない。
#現実より地平区間が多い。
#*車両にA基準が求められたり、水害で駅が崩壊することはなかった。
#川越線は無かった(武蔵野線が東北本線と中央本線のバイパスとなったため。)
#*その代わり国分寺ー所沢ー川越ー大宮の私設鉄道路線が開業していた。
#**その後西武鉄道に買収され、西武大宮線として名づけられていた。
#武蔵野線の開通に合わせて都市開発が進んでいったため、史実より市街地の位置が大幅に変わっていた。
#*後発で開通した路線もそれに合わせていた。
#国分寺で中央線、浦和で高崎宇都宮線、松戸で常磐線、船橋で総武線とそれぞれ直通していた。
#その後南武線が府中~川崎で開通。むろんダイレクトで直通していた。
#武蔵野操車場はハンプヤードになっていなかった。


===偽荒川弘の特徴===
;1990年代
#名前通り、男性だ。
#JRではなく首都圏新都市鉄道の一路線として開通していた。
#実家は町工場。
#ルートは史実と違っていた可能性大。
#農業と三国志が大嫌い。
#下河原線は南武線の一支線として現在も残存していた。ただし東京競馬場駅は廃止になっていたかも。


===偽荒木飛呂彦の特徴===
===京葉線===
#年相応に老けてる。
;1890年代
#特徴のない、ありがちな絵。
#日本鉄道運営か?
#キャラクターが女々しい
#*むしろ行徳や浦安の有力者が誘致した軽便鉄道では。
#SOUL'd OUTやPerfumeとは特に仲が良いわけではない。
#**この場合は総武鉄道の東京府内の駅と船橋を結ぶ路線だった。
#原哲夫の元アシスタント。
#**沿線で獲れた海産物の輸送も盛んだった。
#*当時の東京-千葉間に鉄道が2本も必要だったとは考えにくい。
#ルートは史実の東西線に近いルートになっていた。
#なので史実の京葉線はりんかい線として開業していた可能性も。
#*都市政策案通り有楽町線が幕張まで伸びていたのでは。
#1890年代だと京葉間の埋め立てが早くないと無理じゃないの?
#*夢の島がまだないからね……京葉貨物線まであるとすると、お台場に軍港が作られ、海軍の専用線として巨大な橋梁が並んでいた可能性
#東武亀戸線の起点が越中島だったかもしれない。
#千葉港駅の読み仮名が「ちばこう」だったかもしれない。


===偽ありま猛の特徴===
;1970年代
#あだち勉とは無関係。
#内房線・外房線直通の優等列車は新宿発着以外こちらに移行。
#植田まさしの元アシスタント。
#総武線の複々線化は津田沼止まりだった。
#ギャンブルが大嫌いで、ギャンブル漫画の連載オファーをすべて断った。
#越中島や千葉みなとあたりに貨物ターミナルが開設された。
#登場人物は聖人ばかり。
#*むしろ新木場〜東京間は建設されず、新木場以西は史実のりんかい線と同じルートだった(但し大崎ではなく大井に向かう)。


===偽安西信行の特徴===
;1990年代
#パクリが嫌い。
#りんかい線の一部として開業していた?
#*Y遊H書のパクリなんてもってのほか。
#*一部として開業していたら第3期の東京駅-新木場駅間が開業した時になんか動きがあったかもしれない。
#赤松健や和月伸宏とは仲が悪い。
#この路線ができるまで東京ディズニーランド周辺では渋滞が深刻だった。
#冨樫義博の弟子。
#開業が遅れたとなると、幕張まで千葉都市モノレールが伸びていた可能性もゼロではない。
#藤田和日郎とは無関係。 
#千葉みなと駅は最初からこの表記だった。


===偽諫山創の特徴===
;1980年代に全線開業していたら
#『進撃の巨人』はほとんどの人が知らないマイナーな作品だ。
#内子線とともに国鉄最後の新線開業として注目された。
#デビュー前から絵が上手かった。
#東京ディズニーランドへのアクセスがより便利になっていた。
#週刊少年ジャンプでの連載が叶った。


===偽石黒正数の特徴===
===成田新幹線===
#仕事は少年画報社でしかしないと決めている。
;2010年
#佐藤ショウジの名を騙って評判を下げ、佐藤を少年画報社から追い出すことに成功した。
#成田スカイアクセスは存在しない。
#都心部や空港周辺の用地買収をやり直す羽目になる。
#*上野起点だったかもしれない。


===偽石ノ森章太郎の特徴===
;2020年代
#「サイボーグ009」を自らの手で完結させていた。
#通常鉄道かリニア方式かで揉める。
#1号からJまでの仮面ライダーシリーズすべての漫画版を執筆した。
#*後者ならJR東海管轄で起点も品川に。
#嫌煙家だ。
#東北新幹線・[[リニア中央新幹線]]のいずれかと直通運転。
#本名も「石森章太郎」。
#史実より地下区間が多く、起終点駅も深い位置にある。


===偽伊東岳彦の特徴===
===成田線(空港支線)===
#アウトロースターはとっくに完結している。
;1970年代
#2021年現在も執筆活動を続けている。
{{駅名標/国鉄|name=成田空港|ruby=なりたくうこう|roma=NARITA AIRPORT|back=なりた|back2=NARITA|next=|next2=}}
#リューナイトがスパロボに参戦したことを受け、ゲームオリジナルのリューを描き下ろした。
#成田新幹線の計画があるので特急は乗り入れず、普通列車で運行。
#幡池裕行は赤の他人。
#*暫定的に特急は走らせていたと思う。但し使われるのは183系。
#本数は日2往復程度しかなく、空港関係者向けの輸送が中心。
#空港第2ビル駅は後に開業。
#*その代わり佐原方面の分岐点付近に土屋仮乗降場が存在した。
#**こちらも民営化直前に駅に昇格する。
#乗務員の中に空港反対派がいるのか?
#*国鉄時代は度々ストライキが発生していた。
#*三里塚空港廃港とゲバ字で書かれた113系アジ電が入線して大顰蹙
#*浅草橋焼き討ち事件は史実より10年くらい早く起きてしまう
#113系0番台初期車が幕張電車区に転入しなかった。


===偽糸杉柾宏の特徴===
===吾妻線(嬬恋線区間)===
#代表作は百合漫画。
;1920年代
#近親{{あきまへん}}を題材とした漫画を描いたことがない。
#[http://yamaiga.com/tunnel/naganohara/main.html 上信鉱業専用軽便線]という名前で開通していた。
#仕事は秋田書店でしかしないと決めている。
#戦後嬬恋線、または三原線としていた。
#*したがって、「うわこい」の出版社は少年画報社ではなく秋田書店。
#草軽電鉄と乗り入れをしていた。
#基本的に父親キャラは聖人。
#結局現ルートで改軌電化が行われる。
#あるいは草軽電鉄に譲渡されていた。
#1940年代に戦時下の突貫工事で事故起こしまくりながら温泉のど真ん中掘ってさらに延伸、全通し長電と相互直通運転してしまう。


===偽井上雄彦の特徴===
===上野東京ライン===
#バスケットボールが大嫌い。
;1890年代
#*代表作はサッカーの漫画。
#山手線・赤羽線は開業しなかった。
#仕事は集英社でしかしないと決めている。
#史実とは違い、国鉄は直通運転に積極的だったかもしれない。
#*当然、「バガボンド」の出版社は講談社ではなく集英社。
#秋葉原駅、日暮里駅に高崎線・宇都宮線の列車が止まっていた。
#声優で山岡士郎などの声を担当。
#上野駅に地平ホームはなかったか、荷物・貨物専用として使われた。
#著作権問題にうるさくない。
#「上野東京ライン」の愛称はなく「東北線」と呼ばれる。
#*自分の漫画がインスパイアされても何とも思わない。
#北条司が嫌い。
#作画に筆なんてまったく使わない。
#人物画が絶望的にヘタ。
#『かってに改蔵』作中でネタにされたことに激怒し、久米田を当時の担当編集共々呼び出して説教したことがある。


===偽板垣恵介の特徴===
;1990年代
#本物の格闘家だ。
#そもそも上野東京ラインなんて名前にはなっていない。
#*または、地上最強の漫画家だ。
#*単に「常磐線直通」「東北(→宇都宮)線直通」「高崎線直通」「東海道線直通」と案内される。
#原稿を車や交通機関に頼らず、全力疾走で運ぶ。
#あさまに東京発着が存在していたか。
#高校卒業後、海上自衛隊に入隊した。
#京浜東北線の快速運転は実施されない。そのあおりで山手線が減便。
#*山手線は11両化されなかったかも。
#これでも高崎線・宇都宮線の新宿発着実施は史実通り。
#バブルの時代だから上野駅の地平ホームはつぶされて再開発される。
#東北新幹線東京延伸と同時に開通していた。
#当然、211系も上野東京ラインに乗り入れしてた。
#*415系電車も乗り入れていたかもしれない。
#交通博物館で上野東京ラインの開業イベントが行われ、史実より入場者数は増えていたかもしれない


===偽今賀俊の特徴===
;2000年代
#コロコロコミックの作品なんて手掛けない。
#651系電車が乗り入れていたのは当然ながら、E653系電車も乗り入れていた。
#*小学館とは縁がない。
#*E657系電車の登場は史実通り。
#コミックボンボンの作品を手掛けたいと思っている。
#**場合によっては、史実よりも早く登場していたかもしれない。
#相鉄・JR直通線の開業は2015年頃に早まっていたかもしれない。
#*その場合、相鉄・東急直通線の開業は2019年頃に早まっていた。
#品川~上野~いわき~仙台間を結ぶ特急「ひたち」が運行されていた。
#2011年の東日本大震災の影響により、同年4月までに運休となっていた。
#*その代わりに、工事の方では、震災の影響を受けることはなかったので、工期は1年程短縮していたかもしれない。(史実では、開業までに7年の工期を費やした。)
#211系電車が2019年3月頃までに当路線に乗り入れていたかもしれない。
#2010年代には、特急「あかぎ」が品川までに乗り入れていたかもしれない。


===偽うえやまとちの特徴===
;2013年or2014年
#数多くの作品を描き、色々な雑誌に連載をされている。
当初の開業目標としていた年です。
#登場人物は悪人ばかり。
#E657系電車が史実より多く増備されていた。
#もちろん東京に住んでいる。
#*651系電車による代走はなかった。
#常磐線直通列車の増備が2017年3月のダイヤ改正で実施されていた。


===偽臼井儀人の特徴===
;1980年頃
#『クレヨンしんちゃん』は殆どの人が知らないマイナーな作品だ。
#東京-上野間を通る中電の先頭・後方の行先種別表示器に「東海道線-常磐線」「東海道線-東北線」「東海道線-高崎線」と表示される。
#クレヨンしんちゃん以外にも多数の連載を持っている。
#*常磐線・成田線成田~我孫子間発着の通勤電車は行先のみ表示される。
#山より海が好き。
#**「SM分離」と同時期に開通したため「横須賀線-総武線」と比較される。
#藤子不二雄が大嫌い。
#***「上野東京ライン」の愛称はなく「東北線」と呼ばれる。
#*当初「浜松発黒磯行き(片道約420km)」などの長距離列車が存在した。
#**「大垣夜行」の走行距離よりも少し長いため[[鉄道ファン]]からネタにされた。
#***中には全区間乗り通すファンもいた。
#*東海道・常磐・東北・高崎線中電の側面方向幕使用開始が1970年代後半だった。
#神田付近は先に上部の列車線を建設しその後下部の新幹線の高架を建設したため史実ほど難工事にならなかった。
#*場合によっては'85年3月改正で東北・上越新幹線東京~大宮間が開通した(上野駅新幹線ホームも同時に設置)。
#**それでも東海道~東北・上越新幹線の直通は実現しなかった。
#東海道-東北・高崎線直通の中電は基本11両編成(グリーン車連結)+付属4両編成の組成、115系使用としたため[[もしあの鉄道車両が実用化されていたら/国鉄/電車#サロ115形|サロ115が実現]]している。
#*115系1000代を東海道-東北・高崎線直通運用向けに多く投入する必要が生じ横須賀・総武線系統への新車導入数を減らしたため[[もしあの鉄道車両が実用化されていたら/国鉄/電車#113系1000番台初期車の総武快速・横須賀地下線乗り入れ|初期113系1000代の総武・横須賀地下線乗り入れが実現]]した。
#**クハ115の新製数は史実より少ないはず。
#***静岡所の115系4連は東海道-東北・高崎線直通運用に入ることも多かった。
#*東海道線東京口運用の113系の多くは80系などの置き換え用に地方転用された。
#*211系の東海道-東北・高崎線直通運用編成は基本10両編成(G車連結)+付属5両編成に組成され付属5両編成はクモハ211が連結(将来の地方転用考慮)された。
#**おそらく1000・3000代で0代は中京圏向けのみだった。
#***むしろ首都圏向けに暖地向け211系が投入されたのでは(下記横須賀線ー総武線用の多く)?
#*クハ115の新製数は史実より多いのでは(113系を東海道線東京口から追い出し115系統一を図るため)?
#*常磐線中電の直通増加が[[Wikipedia:ja:国際科学技術博覧会|つくば万博]]に合わせて実施された。
#**同線通勤電車の15両運行開始時期も早まっている。
#*横須賀線ー総武線中電の車両更新時期が早まっているの思われるので[[もしあの鉄道車両が実用化されていたら/国鉄/電車#211系・213系電車総武快速・横須賀線用|横須賀線ー総武線用211・213系]]が実現している。
#*静岡所115系4連は1984年2月改正で御殿場線運用を分離しJR化後先頭車へのATS-P設置やブレーキ力向上が行われ改番が実施され2006年頃まで活躍。
#*209系6ドア車はサハ208-951のみでE231系編入と共に廃形式に。
#**勿論京浜東北線の6ドア車はなかった。
#***上野→御徒町間が日本一の最混雑区間にならなかった。
#*湘南新宿ラインは運行開始から全列車グリーン車連結だった(遅延防止と上述から211系グリーン車連結編成が2001年当時史実以上存在したと考えられるため115・215系の定期運用はなかった)。
#**E217系の湘南新宿ライン定期運用と国府津へ転属する編成はなかった。
#*E231系1000代基本編成は当初からG車連結だった。
#**E531系導入時から基本編成はG車連結だった。
#*215系は導入当初から「ニートレイン」と呼ばれたかも(恐らく快速「アクティー」は東北・高崎線直通、日中の運用が少なかったと考えられるため)。
#*211系幕張転属車は存在せず(基本編成は当初からG車連結済)115系幕張転属車は2000年代前半に増加し(その間老朽113系を置き換えた)209系2000・2100代に置き換えられるまで運用された。
#**史実の211系幕張転属車はサハ・サロを廃車後直接長野に転属している。
#*営団→東京メトロ半蔵門線と東武伊勢崎線の相互直通開始・TX開業前は常磐線直通(特急以外)の混雑が激しかった。
#**<span style='color:#f9f9f9;background-color:#00b4a2;'>下記のE501系増備・朝のピーク時上野以南発着の全列車投入はこの対策</span>。
#*211系サロにクハ210・クモハ211を挟む編成は存在しなかった<span style='color:#00000b1;background-color:#b4f800;'>(基本編成は当初からG車連結の為)</span>。
#**高崎ローカル転用後の6連中間のクハ210・クモハ211も。
#**もしかしたら高崎ローカル4連水上方先頭車はクハ210だったかも。
#*[[もしあの鉄道路線が別の年に開業していたら/関東#つくばエクスプレス|<span style='color:#0000b1;background-color:#f9f9f9;'>TXの開業</span>]]は<span style='color:#e8e2f9;background-color:#0000b3;'>当初の予定通り2000年</span>だった可能性も。
#常磐・東北・高崎線方面の電車急行・電車特急、常磐線方面の普通・快速に当初から品川発着の列車が存在した(一部は復活)。
#*当初103・115・165・169・181・183・189・401・403・415・451・453・455・483・485・583系が営業列車で乗り入れた。
#*その後185・211・E501・651・E653系も営業列車で乗り入れた。
#*むしろ当初の計画通りに東京発着となり、2015年3月のダイヤ改正で品川発着となっていた。
#**東京折り返し本数を減らし上記通り「つくば万博」に合わせ常磐線中電の直通増加を実現させるため品川駅の配線改良が'84年までに実施され品川発着の列車が多く設定されたかも。
#***その場合下記の常磐線取手以北の沿線開発はそれより速いペースで進む。
#***[[もしあの駅が廃止されなかったら/関東#万博中央駅(常磐線)|万博中央駅は閉幕後も存続]]したかも。
#*国鉄はテコ入れのために上野発着の寝台特急と寝台急行が東京までに延長していた。
#**583系でないと難しいのでは?
#***そのため東京発着の寝台特急・寝台急行は583系使用に。
#****大阪~東京~東北を結ぶ電車寝台特急が存在したか?
#*クハ415-1901連結の編成は上野以南の営業運用に入らなかった。
#*上記の寝台急行・寝台特急は廃止まで電車運転だった。
#**「北斗星」「エルム」「カシオペア」は史実と同じ。
#'89年の「[[Wikipedia:ja:横浜博覧会|横浜博]]」に合わせて、日中常磐線から上野・東京経由で横浜まで乗り入れる列車が多かった(「横浜博アドベンチャー」号は上野・東京経由で運行)。
#*「つくば万博」へのアクセスのため「エキスポライナー」に神奈川県内発着の便が存在した。
#*横浜博は[[もしあのイベントが○○だったら#横浜博覧会|大成功]]した可能性も。
#常磐線取手以北・東北線大宮以北・高崎線の沿線開発がバブル期にかなり進む。
#*E501系の増備は2000年頃まで継続し403・415系0代(0'代ではない)を置き換えた。
#**増備途上で国産メーカー製IGBT-VVVF採用や1・10・11号車への車椅子対応トイレ設置、一部号車へのボックスシート配置が行われた。
#***初期車も機器更新時に上記の内容通りの改造が行われた。
#*この場合E531系導入数が少し減っている。
#**増備完了からE531系導入開始まで朝のピーク時に上野以南発着の全列車に入った。
#***土浦以北・水戸線転用は史実と同じ。
#*「ホームライナー鴻巣」「ホームライナー古河」は東京発着だった。
#**「ホームライナー土浦」を忘れずに。
#*白岡・鷲宮・栗橋町は2000年までに市制施行、[[もしあの市町村があの地域を編入しなかったら/関東#菖蒲町(現久喜市)|菖蒲町は久喜市と合併しなかった]]。
#*藤代町は取手市と合併せず単独で市制したかも。


===偽楳図かずおの特徴===
===根岸線===
#実は「梅津かずお」だ。
;1880年代
#自宅建設にあたり周辺住民から大歓迎を受けた。
#東海道本線の一部になっていた。
#*その自宅とは黒と白の縦ストライプだ。
#*横浜駅(初代)でのスイッチバックはなかった。
#戸塚経由のルートは貨物線として建設。
#*品鶴線と同時、遅くとも戦時中には開業していた。


===偽江川達也の特徴===
;1920年代
#赤松健は元アシスタント。
#建設動機は関東大震災からの復興と京浜工業地帯の振興か。
#藤島康介は天敵。
#桜木町事故は起きなかった。
#[[東京大学|東大]]卒。
#山手線の読み仮名はずっと「やまのてせん」のままだった。
#阪神ファンから昔「地獄に堕ちろ、江川」と野次られていた。
#メディア出演は希だが、その時は「貧乏ネタ」で笑いを取っている。


===偽蛭子能収の特徴===
===湘南新宿ライン===
#[[長崎]]生まれの[[熊本/天草|天草]]育ち。
;1960年代
#美術大学卒業。
#路線案内では「山手線経由」と案内していた。
#絵はとても上手。
#赤羽線は山手線各駅停車に乗り入れていた。
#性格は聖人そのもの。
#武蔵野線開業前なので貨物列車が多く本数は多くない。
#テレビには一切出ない。
#品川発着・新宿経由の列車も運転していた。
#東横線の特急誕生が40年早かった。
#*東急初代5000系のカットボディは特急のサボ付きで展示されていた。


===偽大暮維人の特徴===
;1973年
#絵がボロクソに下手で遅筆。落書きレベル。
#東京-上野間回送線の廃止代替も兼ねて旅客化。前橋-沼津の普通列車は新宿経由で存続。
#*その変わり、話作りは一流。
#*サロ115が1968年頃に登場,以降115系の大量生産に切り替わる(111系・113系の多くは大阪万博輸送に備えて西日本地区へ転属)。111系・113系・153系から改造されたサロ115も多い。
#エロ・下ネタが嫌い。
#新川崎駅がこのとき開業。上記列車の名残で北側は高崎線,南側は東海道線へ多く乗り入れるが,国鉄時代は日中の運転本数が少ない。
#東京急行は対抗し東横線の特急運行を30年早める。国鉄との差別化のため,1本/毎時は営団日比谷線に乗り入れ。
#73年に起きた上尾事件と多く結びつけられる。
#上野駅を発着する急行の多くが新宿駅発着に移行。急行「日光」は同時に特急に格上げ,新宿発着に変更。2020年現在も存続。185系は存在せず,貫通路付きクハ183の生産が早期に再開される。183系が「新幹線リレー号」の多くに使用された。


===偽尾田栄一郎の特徴===
;1990年代
#「ONE PIECE」なんて殆どの人が知らないマイナーな作品だ。
*ちなみに史実では、1988年に池袋駅までに乗り入れ、1995年に新宿駅までに乗り入れました。
#ONE PIECE以外の作品も手掛けている。
#早くても、1998年に開業していた。
#鳥山明とはお互いに尊敬していない。 
#E231系電車の登場が史実より早まっていた。
#真島ヒロは従弟にあたる。
#2000年代には史実より多く増発され、高崎線の(籠原駅 - 高崎駅間)も15両編成で運行されていた。


===偽小畑健の特徴===
===鹿島線===
#自分の作品で世の中が影響する事はない。
;1930年代
#*「ヒカルの碁」「デスノート」効果もイマイチだった。
#私鉄での開業後、戦時買収で国鉄線編入。
#ストーリーもちゃんと自分で考える。
#*社名には「神宮」とか「参宮」などがついていた。
#事件などで疑われる事もない健全な人間だ。
#*当時の法人格は現在の関東鉄道に吸収された。
#絵がボロクソに下手。
#*おそらく[[もしあの鉄道が国有化されていたら/関東#鹿島参宮鉄道|参宮鉄道が国有化]]されたか。
#囲碁をすぐ覚えられた。
#鹿島神宮から鉾田まで開通できたかもしれない。
#「おばた けん」だ。
#*大洗・水戸方面も国鉄工事凍結寸前に駆け込みで開業できたかもしれない
#鉄道利用が定着し、極端にバス利用に傾かず特急あやめが存続している…わけないと思う。


==か行==
===相模線===
===偽KAORUKOの特徴===
;1890年代
#1982年デビューアイドルの中では一番出遅れた。
#最初は人車だったはず。
#*しかしヒット曲を連発し年末賞を総ナメ。
#[[偽モーニング娘。の特徴|モー娘。]]の振付指導をしている。
#城戸真亜子を徹底的に嫌っている。
#[[偽阪神タイガースの特徴|阪神]]の[[偽プロ野球選手の特徴/セ・リーグ#偽新井貴浩の特徴|新井貴浩]]と[[偽プロ野球選手の特徴/セ・リーグ#偽新井良太の特徴|新井良太]]は弟。


===偽カイマコトの特徴===
;1940年頃
#パクリが大嫌い。
#国が川越線同様東京の迂回路で建設した。
#*DBのパクリなんてもっての外。
#*同時期に[[もし総武鉄道が東武に併合されなかったら#国鉄→JR東日本|<span style='color:#f300ff;background-color:#19ff00; '>2代目総武鉄道が国有化された</span>]]かも。
#衰退期のコミックボンボンを立て直した功労者だ。


===偽かきふらいの特徴===
===烏山線===
#その名の通りカキ好きである。
;1930年代
#「けいおん!」以外の連載作品も描いてる。
#仁井田以東は現実より線形が良かった。


===偽方倉陽二の特徴===
==大手私鉄==
#藤子不二雄のアシスタントを務めない。
===京急空港線===
#ギャグ描写が大嫌い。
;1960年代前半
#大学入試に合格して進学した。
#書類上はかつての休止区間の復活。
#*羽田空港駅と初代穴守駅が同一駅ということにされた。
#開業時期は東京五輪が近づいてきた1963年11月1日。
#*史実ではこの日路線名が「穴守線」から「空港線」に変更された。
#国際空港への路線ということで京急のショーウインドーとされた。
#*新車はまずこの路線へ真っ先に導入される。
#**[[都営地下鉄浅草線|地下鉄1号線]]は東京五輪までに泉岳寺まで完成した。同時に京浜急行本線泉岳寺-品川間も完成。押上-(普通)-泉岳寺-(急行)-京浜蒲田(のち京急蒲田)-(急行)-羽田空港の運転系統ができる。当初1時間に3本設定された。
#横浜方面からの列車も設定された。
#*京急蒲田駅の構造が史実とはやや異なっていたかもしれない。
#**最低でも2面4線になっている。間違っても2010年までのように2面3線で3番線1つで空港線発着列車をすべて捌くなんていう無理がある構造にはならない。
#**その代わり10両編成以上で停車するのは,高架化の後にずれた。高架化自体が1990年頃だったかもしれない。
#400形・500形は大師線で引退していた。
#「蒲田とばし」は特に問題にならなかったかもしれない。
#東京モノレールが大打撃を受けていた。
#*下手したら廃線になって90年代まで橋桁が残っていたかもしれない。
#**生き残れたとしても,途中駅の設置が早かったかもしれない。


===偽梶原一騎の特徴===
===京王相模原線===
#週刊少年ジャンプに多数の連載を持っていた。
;1910年代
#*マガジンに連載を持ったのはたった1作。
#史実の多摩川支線が最初から対岸に伸びた形で開業していた。
#暴力沙汰とは無縁だ。
#*周辺状況を考えるとおそらく稲城までが初期開業区間になる。
#赤塚不二夫の影響でギャグ漫画も手掛けた。
#*稲田堤で南武鉄道と接続していた。
#京王よみうりランド駅は矢野口駅(南武線の駅とは別)から改称される形で開業していた。
#多摩ニュータウンの開発が始まるまでは全電車が調布駅で折り返し運転をしていたか、新宿からの乗り入れがあったとしても各駅停車のみだった。
#*その後1970年代に調布駅は全面改修され、地下化ではなく高架化されていた。
#最初から橋本まで延びていた場合は多摩ニュータウンの構想自体が大幅に変わっていた。
#*史実では未成に終わった城山延伸も実現していた。


===偽桂正和の特徴===
;1960年代後半
#女性を描くのが絶望的に苦手。
#京王が「多摩高速鉄道」といった子会社を設立し、そこが京王多摩川以西の建設主体になった。
#*エロくするなんて事もない。
#*開業直前に京王に合併された。
#洋服の描写に質感がない。
#*最初の延伸区間は京王多摩川~稲城間に。
#作品の舞台は[[下町]]が多い。
#**この区間で、京王は独自に住宅開発を行った。
#現在でも顔出ししている。
#*多摩センターまで延びたのは結局現実と同じ時期に。


===偽ガモウひろしの特徴===
===東武鉄道===
#絵が非常に上手い。
====東武野田線====
#大場つぐみとは無関係。
;1890年代
#*もしくは同一人物と言われたことがない。
#運営は東武鉄道ではなかった。
#*当初は「北総鉄道」とも「総武鉄道」とも異なる社名を名乗っていた。
#県庁所在地にならなかった岩槻市の圧力と見なされていた。


===偽雁屋哲の特徴===
====東武東上線(東上鉄道)====
#極右。
;1890年代
#*安倍政権大好き。
#予定通り長岡駅…いや新潟駅まで伸びていた可能性もある。
#オーストラリア移住なんてしない。
#*そうなると国有化されてこの路線が名実ともに上越線になる。
#*もしくは移住したのはオーストリアだ。
#川越線の電化も少し早まっていたか?
#SAPIOに連載している。
#川越鉄道(国分寺〜本川越)はなかった。
#*西武新宿線の高田馬場〜小平を開通させたのは多摩湖鉄道だった。


===偽河下水希の特徴===
====東武熊谷線====
#[[Wikipediaファン|ウィキペディアン]]に叩かれる事が無い。
;1900年代
#ラブコメは書かない。
#「熊谷と妻沼の連絡」が建設動機か。
#桃栗みかんは赤の他人。
#*社名は「妻沼鉄道」。
#BL漫画で人気。
#北武鉄道ともども秩父鉄道に合併され同社の「妻沼線」になっていた。
#*女装少年との恋愛を描いた作品が代表作。
#*そして電化。
#男性キャラはみんなイケメン。
;1920年代
#ブラジャーの描写に命を賭けている。
#東武鉄道の本線系と東上線を接続するための路線として着工される。
#*てか実際にそうかもしれん(汗)
#*東松山から西小泉まであまり間隔を置かずに全通していた。
#元アナウンサーだ。
#開業当初から電化されている。


===偽貴島煉瓦の特徴===
===東急電鉄===
#ポンバシ系少女を描いた作品を書いている。
====東急田園都市線====
#町田とラーメン屋と麺類となのはさんとガンダムが大嫌い。
;1930年代
#作中に女子高生の裸を描くなどもっての外だ。
#[[もしあの路線が普通鉄道規格で開業していたら#東急玉川線・砧線|もし玉川電気鉄道が普通鉄道として開通していたら]]そのまま西に延伸していた。
#本当に煉瓦職人だ。
#*南町田は「玉電鶴間」駅として開業。
#同人よりも商業に力を入れている。 
#*「新玉川線」という路線名はない。
#史実通り玉電が軌道線だった場合は目黒蒲田電鉄が建設したかもしれない。
#*溝の口以西も「大井町線」となる。
#中央林間都市の構想に影響を与えていた。
#大東急時代に[[小田急小田原線|小田原線]]のいずれかの駅まで延長される。
#渋谷~二子玉川間は地下ではなく地上線になっていた。
#*半蔵門線とは三軒茶屋あたりで合流。もしくは渋谷を通らないルートになっていた。


===偽岸本斉史の特徴===
====渋谷-二子玉川園(旧新玉川線区間)====
#『NARUTO』執筆のきっかけとなった作品は『烈火の炎』だ。
;1964年
#鳥山明を尊敬していない。
#同年の東京五輪に合わせて建設された。
#弟は漫画家ではない。
#*開通当初の東急側の車両は、[[Wikipedia:ja:営団2000形電車|営団2000形]]ベースの、オールステンレス車だった(もちろん東急車輌製)。
#要するに[[もしあの路線の直通運転が行われていたら/関東#東急新玉川線・営団地下鉄銀座線|こういう事]]か。


===偽木多康昭の特徴===
====東急新横浜線====
#今も集英社で描いている。
;1930年代
#萌え系の画風だ。
#建設目的は「神中鉄道の合併」辺りだった。
#実在の人物をパロディに使ったりしない。
#大倉山で分岐。


===偽キューライスの特徴===
;1964年
#萌え系の画風。
#開業時「夢の超特急」との連絡を唄い何かしらの宣伝がされた。
#*まんがタイムきららとコミック百合姫に連載を持っている。
#新横浜への「ひかり」「のぞみ」(全)停車が早まったかも。
#本名∶九米友介
#日比谷線直通電車が新横浜発着になっていた。
#*PNの由来は「九米」から。
#*旧7000系が現実より多く造られた。
#ジブリ作品が大嫌い。
#**その置き換えで1000系も。
#とっくに結婚している。
#*営団→メトロ3000・03系も乗り入れていた。
#*目黒線日吉延伸が2000年くらいに実現したかも。
#**この時点で実質的に「目黒線」の一部に。
#*新3000・メトロ9000・SR2000系・都営6300形が現実より多く造られる。
#**その代わり現実の5080・3020系は存在しない。
#**同じく都営6500形登場が遅れたかも。
#*早期に全8両化されたかも。
#**下記のように(営団→メトロ副都心線~)東横線との乗り入れは想定されなかったためか。
#*基本的に日吉・菊名発着の日比谷線直通電車はなかったか少数だった。
#上記のように大倉山で分岐。
#*目蒲線の分離や東横線多摩川(園~)小杉~菊名間高架化が早まったかも。
#**「目黒線」復活後(副都心線~)東横線との乗り入れは想定されず実質その一部になったか。


===偽久保帯人の特徴===
;1970年代
#洋楽なんて興味ねぇよ。
#上記のように「ひかり」「のぞみ」新横浜(全)停車が早まったかも。
#オサレなんて興味ねぇよ。
#8000系列が現実より多く造られる。
#フランス語なんて興味ねぇよ。
#*その置き換えで新5000系列も。
#西村健太朗?関係ねぇよ。
#*新3000・メトロ9000・SR2000系・都営6300形も現実より多く造られる。
#実はAKBなどの衣装を手掛けるデザイン企業を運営している。
#**その代わり現実の5080・3020系は存在せず都営6500形登場が遅れたか。
#本名は、雲と龍が三つずつ使われている一文字の「たいと」と読む漢字である。
#*上記のように早期に全8両化されたかも。
#'''本当に'''{{あきまへん}}なビデオに出演したことがある。
#**下記のように(営団→メトロ副都心線~)東横線との乗り入れは想定されなかったためか。
#若者受けを狙って'''「KBTIT」'''に改名した。
#目蒲線の分離や東横線多摩川(園~)小杉~日吉間高架化が早まる。
#*もしかしたら大倉山分岐になり菊名まで史実より早く高架化されたかも。
#*「目黒線」復活後(副都心線~)東横線との乗り入れは想定されず実質その一部になったか。


===偽久保ミツロウの特徴===
;1980年代
#「5時に夢中!」の出演をOKしたことがある。
#おそらく菊名駅を起点として、新横浜を経由して西谷(または二俣川)までの路線になっている。
#タモリが嫌い。
#菊名駅は東横線が緩急接続するため東横線とは別のホームになり、同一ホームでは乗り換えできない。
#仁支川峰子と大の仲良し。
#*二層式になってる。
#速筆。
#*ただ東横線沿線から東急の運賃のみで新横浜に行ける便利な路線になっていた。
#複々線が菊名まで延伸され目黒線と直通するようになっていた。
#相鉄との直通は当初は行われなかった。
#*00年代くらいにスタートしている。
#横浜線快速は現在でも菊名は通過。
#2001年3月の東横特急新設まで存在した菊名駅の「横浜線、新幹線ご利用の方はお乗り換えです」という自動放送はなかった。
#*その代わり「新横浜線、横浜線はお乗り換え」という似た路線名2つの案内になって少しややこしくなる。
#**路線名が変わっていたか?
#新横浜駅にのぞみが停まるのが遅くなっていた?


===偽久米田康治の特徴===
;1990年代前半
#他人をネタにするなんてご法度。
#上記の目蒲線の分離や東横線多摩川(園~)小杉~日吉間高架化も早まる。
#赤松健や畑健二郎とは無関係。
#*途中駅ホームは8両分しかなく(営団→メトロ副都心線~)東横線との乗り入れは想定されず「目黒線」と案内される。
#仕事は小学館しかしないと決めている。
#9000系列に南北・三田線直通対応車が登場。
#*当然「さよなら絶望先生」は週刊少年マガジンではなく週刊少年サンデーの漫画。
#*メトロ9000・SR2000系・都営6300形が現実より多く造られる。
#一度も打ち切りになったことはない。
#**その代わり都営6500形登場が遅れたかも。
#*自らの手で打ち切ったことならある。
#*新3000系が増発用で登場。
#あるあるネタが嫌い。
#**その代わり現実の5080・3020系は存在しない。
#ものすごいポジティブ。
#*早期に全8両化。
#過去は振り返らない。
#新横浜への「のぞみ」全停車が早まった。
#一回死にかけたのがトラウマになってる。
#横浜線快速の菊名停車はなかった。


===偽くらはしかんの特徴===
;1998年
#大の巨人ファンで、スポーツ報知に4コマを掲載。
#同年の[[Wikipedia:ja:第53回国民体育大会|<span style='color:#00ffb4;background-color:#c00032;'>神奈川国体</span>]]に合わせる形だった。
#ネタに使用する選手のキャラクターは実像を尊重する。
#*開業が前年に早まったかも。
#オヤジギャグを徹底的に嫌う。
#上記の目蒲線の分離や東横線小杉~日吉間高架化も早まる。
#やくみつるに気に入られている。
#*同じく途中駅ホームは8両分しかなく(営団→メトロ副都心線~)東横線との乗り入れは想定されず「目黒線」と案内される。
#*同じく新3000・メトロ9000・SR2000系・都営6300形が現実より多く造られる。
#**その代わり都営6500形登場が遅れたかも。
#*新3000系が2年程早く登場。
#**現実より多く造られる代わり5080系はあまり造られず3020系は登場しない。
#*2000年代に全8両化。
#上記のように「のぞみ」新横浜全停車が早まったかも。
#上記の横浜線快速は現在も菊名に止まらない。


===偽CLAMPの特徴===
;2001年
#一番影の薄い漫画家グループ。
#翌年の[[FIFAワールドカップ/21世紀#日本・韓国(2002年)|<span style='color:#fbfaff;background-color:#ff0041;'>日</span><span style='color:#fbfaff;background-color:#30f;'>韓</span><span style='color:#ff0041;background-color:#ffe100;'>W杯</span>]]に合わせる形だった。
#他の作品のキャラをパクったりしない。
#*[[埼玉高速鉄道|<span style='color:#fbfaff;background-color:#345caa;'>SR</span>]]開業とも重なっていた。
#連載中の作品を中断してまで新しい作品を始めない。
#新綱島駅ホームは8両分しかなく(メトロ副都心線~)東横線からの乗り入れはなく「目黒線」と案内される。
#全員本名で活動している。
#新3000系・営団→メトロ9000系・都営6300形が現実より多く造られる。
#[[カードキャプターさくらファン|カードキャプターさくら]]」なんて知っている人は全然いないコアな作品。
#*その代わり5080系はあまり造られず3020系は登場しない。
#メンバーは全員北海道出身なのに何故か阪神ファン。
#*都営6500形登場が遅れたかも。
#*2000年代に全8両化される。
#*SR2000系忘れてないか?
#新横浜への「のぞみ」全停車が[[愛知万博|<span style='color:#009343;background-color:#fbfaff;'>愛・地球博</span>]]までに実現したかも。
#横浜線菊名快速停車はなかった。


===偽車田正美の特徴===
;2008年
#デビュー当時から鎧モノしか描いてない。
#[[もしあの年の夏季オリンピック開催地が別の都市になっていたら#横浜|<span style='color:#30f;background-color:#00ffb4;'>横浜オリンピックが実現していたら</span>]]あり得た。
#『鎧伝サムライトルーパー』、『天空戦記シュラト』のキャラクター原案を担当。
#史実の目黒線小杉~日吉延伸と同時だった。
#仕事は集英社でしかしないと決めている。
#上記同様新綱島駅ホームは8両分しかなく(メトロ副都心線~)東横線からの乗り入れはなく「目黒線」と案内される。
#目黒線8連化が早まる。
#*5080系が現実より多く造られ3020系は登場しない。
#*メトロ9000系6次車が2007年登場。
#相鉄20000系と都営6500形登場が早まったかも。


===偽けらえいこの特徴===
;2019年
#えらけいこだ。
*当初は4月開業予定
#赤旗に連載している。
#同年の[[スポーツ大会#ラグビーワールドカップ|<span style='color:#4fff00;background-color:#009343;'>ラグビーW杯</span>]]と重なる。
#「あたしンち」に飲んだくれの父、虐待をする母、ヤンキーの弟が登場する。
#上記同様目黒線8連化が早まる。
#*姉は引きこもり。
#*東急3020系・相鉄20000系が2017年登場。
#**相鉄側は創立100周年の意味合いもある為。
#*上記の都営6500形登場も早まったかも。


===偽こしたてつひろの特徴===
===西武秩父線===
#ドッジボールとは無縁。
;昭和初期
#*ミニ四駆とも無縁。
#池袋線との境界は吾野ではなく飯能だったかも。
#*通称「吾野線(飯能~吾野間)」を秩父に延長した後「秩父線」に改名。
#現実よりトンネルが少ない。
#武州鉄道汚職事件はなかった。
#ED60の西武バージョンが登場する。
#武蔵野鉄道デハ5500形(開通時)の新製数が多い。
#*デハ5550形・サハ5650形・サハニ5753形の事か。
#開通時から秩父鉄道と直通している。
#戦後小鹿野町経由で軽井沢に延伸。
#西武5000系は601系ベース(電磁直通ブレーキと空気バネ台車を全車装備)で1963~64年に登場。
#*801系は1970年代まで大量生産された。


===偽吾峠呼世晴の特徴===
;1989年
#『鬼滅の刃』はほとんどの人が知らないマイナー作品だ。
#ライオンズの選手が開業記念イベントに登場した。
#男性。
#貨物列車は運行されなかったか、史実より本数が少なかった。
#「カメ先生」のあだ名で呼ばれている。
#ジャンプ作品全般が嫌い。
#*逆に赤松健や真島ヒロなど、マガジンの作家をリスペクトしている。


===偽小林よしのりの特徴===
===京成成田空港線===
#CRゴー宣登場。リーチがかかると以下のセリフが鳴り響く。
;1990年代
#*拉致被害者はいない。
#=当初から成田新幹線代替のルートが北総線延伸案を採択した場合。
#*南京大虐殺30万人。
#*JRや京成本線は成田空港に乗り入れていない。
#*従軍慰安婦に補償しろ。
#**一部ではJRの労組の組合員が三里塚闘争のシンパだったので建設させたくなかったという陰謀論がささやかれる。
#口癖は『拷問かましてよかですか』。
#**京成本線との連絡線は史実通り開業していたんじゃないだろうか(船橋とか津田沼からのアクセスもあるし)。どのみち旧来の成田空港駅は東成田に改称されてそのまま放置。
#ネットサヨより右翼に魂を売り渡したと非難されだした。
#北総鉄道の運営になっていた。
#ももいろクローバーZのファン。
#*当時はまだ小室以西を都市基盤整備公団が保有していたので、その辺りの調整に若干手間取っていたかもしれない。
#*AKB48で好きなメンバーは(卒業してしまったが)前田敦子。
#当初の最高速度は100km程度か。
#おかあさんといっしょの体操のお兄さんである。
#*今はブンバボーンという体操をしている。
#**2013年まではぱわわぷたいそうだった。
#北海道札幌市生まれ。


==さ行==
;2000年
===偽西岸良平の特徴===
#JRと京成本線の乗り入れは暫定的に開業していた。
#[[新宿#新宿二丁目の噂|新宿]]のゲイバーを描いた『二丁目の夕日』が代表作。
#2002年10月のダイヤ改正でエアポート快特が快速に格下げされて、京成成田で打ち切られることもなかった。
#雪国の生活を描いた『かまくら物語』が代表作。
#京成3700形電車と住宅・都市整備公団9100形電車が史実よりも多く増備されていた。
#[[バスファン|バスヲタ]]である。
#AE100形電車は2000年までにリニューアル化され、増備されて、スカイライナーとして、運行されていた。
#*作品には[[神奈川中央交通|神奈中]]や[[関東バス|トロピカル]]や[[川崎市#川崎鶴見臨港バス|臨港バス]]の暴走シーンが多数出てくる。
#*AE形電車 (2代)の登場が史実よりも遅れて登場していた。
#苗字の読みは「にしぎし」である。
#北総鉄道の印西牧の原~印旛日本医大間の開業と同時に開業していた。
#*「にしがん」だろ?
#成田ニュータウンの整備が史実よりも進んでいた。


===偽さいとうたかをの特徴===
===相鉄いずみ野線(いずみ野~湘南台)===
#描き分けの上手さに定評がある。
;1970年代
#著作権に関して寛容。
#その場合、1976年と同時に開業していたか、1978年~1980年あたりに開業していた。
#アシスタントを全く使わないため、基本的に画が雑。
#1990年に香川駅まで開業し、1999年に平塚駅まで開業していた。
#慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスの開設も史実より早まっていたかもしれない。
#相模鉄道は1970年代もしくは、1980年代に大手私鉄としての認定を受けていた。
#横浜市泉区の人口が史実より多くなっていた。
#1990年代には、相鉄本線とともに特急が運行されていた。(史実では、2014年に運行され始めた。)


===偽西原理恵子の特徴===
;1990年
#苗字の読みは「にしはら」である。
#1999年に慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス周辺までに延伸開業していた。
#代表作は「おれんち」「毎日とうさん」など。
#*その際、「藤沢遠藤」駅になっていた。
#高須院長が大嫌いだ。
#無論、横浜市泉区の人口が史実よりも多くなっていた。
#*やなせたかしも大嫌い。
#相鉄の湘南台駅は高架駅になっていたかもしれない。
#**自分の漫画にアンパンマンを登場させるなんてもってのほかだ。
#*松本ぷりっつも(ry


===偽さくらももこの特徴===
===相鉄・JR直通線===
#劇画タッチ。
*史実では、2019年11月30日に開業しました。
#完全なフィクションしか描かない。
;国鉄時代
#お笑い芸人から漫画家に転身した。
#国鉄205系電車が乗り入れていた。
#新横浜駅~羽沢横浜国大間の開業も史実よりも早まり、東急新横浜線の開業も早まっていた。


===偽佐藤ショウジの特徴===
;1990年代
#佐藤大輔や六道神士、ヒラコーとは一切関係ない。
#池袋駅まで運行していた。
#女性キャラは貧乳ばかり。
#相鉄8000系電車が乗り入れ対応になっていた。
#平松伸二と赤松健のアシスタント経験あり。
#湘南新宿ラインの横須賀線直通か東海道線直通のどちらかが代わりに相鉄線直通になっていたかもしれない。


===偽さとうふみやの特徴===
;2000年代
#もちろん男性。
#湘南新宿ラインの開業が史実よりも早まっていたら、あり得た。
#現在は国会議員になっている。
#東急新横浜線も2019年頃に開業していた。
#*後で、計画が加わってできたものなので、史実通りに、2022年頃に開業していた可能性もあり得る。
#2009年3月頃に開業していた場合、相鉄11000系電車が埼京線に乗り入れていた。
#*12000系電車の登場は史実通りだが、20000系電車の登場は史実よりも遅れて、登場していたかもしれない。
#*国鉄205系電車が相鉄線を走行する光景を見ることができた。
#*埼京線のE233系の導入は中央線と同じく2006年頃になっていたかもしれない。


===偽椎名高志の特徴===
;2010年
#久米田康治が嫌い。
#相鉄11000系電車が埼京線に乗り入れ、史実よりも多く増備されていた。
#スポーツ漫画が売り。
#2010年12月のダイヤ改正で開業していた。
#翌年の東日本大震災の影響で一時的に直通運転を取りやめていた。
#2014年3月のダイヤ改正or2015年3月のダイヤ改正で増発され、いずみ野線にも乗り入れていた。
#*その際に相鉄12000系電車が登場していた。
#後は2000年代に開業した場合と同じ。


===偽しげの秀一の特徴===
;2015年
#群馬県出身。
#12000系電車の登場が史実よりも早まっていた。
#モータースポーツが嫌いだ。
#2017年3月or10月のダイヤ改正で増発していた。
#自動運転車に対して肯定的。
#*いずみ野線にも乗り入れていた。
#*埼京線新宿以北・川越線への乗り入れが日中でも実施していたどうかは怪しい。
#東急新横浜線が2019年頃に開業していた。
#*2019年のラグビーワールドカップの開催に合わせて、開業していた可能性が高い。
#*もしくは、予定通りに2022年頃に開業していた可能性もあり得る。
#首都圏にとって、上野東京ラインの開通とともに、重大な出来事として注目されていた。
#相鉄沿線の地価が高騰化していた可能性が高い。


===偽篠原健太の特徴===
;2017年
#今でも現役のサラリーマン。
#相模鉄道が創立100周年という記念すべき年と重なって開業していた。
#空知より年下だ。
#相鉄12000系電車の登場が史実よりも早まっていた。
#本名は「中江慎太郎」だ。
#2017年3月か10月のダイヤ改正で開業していた。
#*檜原円太だったりする。
#自分の作品に出た事が無い。
#実は篠原涼子の旦那。


===偽柴田亜美の特徴===
;2019年3月の場合
#高い所が好き。
#横浜国立大学へ通う学生にとって、便利になっていた。
#猫が好き。
#酒が飲めない。
#料理が出来ない。
#プロレスとゲームに興味が無い。
#好きになった男性と結婚したとき、婚姻届を役所に出した。


===偽柴田ヨクサルの特徴===
===小田急電鉄===
#シンプルな作風だ。
====小田急多摩線====
#囲碁が得意。
;1940年頃
#終点が陸軍造兵廠だった。


===偽島袋光年の特徴===
==地下鉄==
#本物の美食家だ。
===東京メトロ副都心線===
#援助交際とは無関係。
;1960年代
#西武の乗り入れはなかった。
#*箱根や軽井沢の開発競争を見ると絶対にあり得ない。
#*さらに渋谷駅周辺の西武百貨店は西武鉄道とは全くの別会社のため。
#東武の電車は全て渋谷止まり。東急の電車は全て池袋止まり。
#東急の主張で車両は18m。
#*日比谷線同様東急の先見のなさとして語り継がれる。
#**でも日比谷線ほどカーブがキツい訳ではないからあっさり20m化対応をしていたと思う。
#*この場合東武は有楽町線開業時に直通を打ち切ったか。
#池袋東急が現存している。池袋東武が史実通りならば東急ハンズの位置に移転かもしれない。池袋丸物は池袋近鉄ではなく史実通りパルコになる。


===偽島本和彦の特徴===
;1990年代
#石ノ森章太郎が嫌いだ。
*ちなみに有楽町新線(現副都心線小竹向原-池袋間)の開業は1994年である。
#アニメイトとは無関係。
#東急9000系の乗り入れがあった。
#*当初から東武・西武両線乗り入れを考慮している。
#発車音はブザーのみ。
#*池袋以南の壁面デザインも営団タイプのものになっていた。
#**初期の駅名標は南北線と同様のデザインになっていた。
#池袋駅が「新線池袋」と呼ばれることはなかった。
#要町・千川では最初から客扱いを行っていた。
#埼京線の渋谷駅が[[もしあの駅が○○だったら#渋谷駅|山手線ホームに隣接していた]]。
#森林公園始発や飯能始発などの桜木町行きが存在した。
#*当時の東急東横線のホーム有効長を考慮し、東武9050系(現実より多く製作されたと思われる)と西武6000系前期車に、8両固定編成が存在していた。
#東武東上線の地上車完全10両編成化は行われない。
#E231系500番代の6ドア車は存在しなかった。
#*無論600・4600番代も同様。
#*山手線は2005年頃に全駅ホームゲート設置を完了している。


===偽東海林さだおの特徴===
;2000年代前半
#メディアミックスに積極的。
#みなとみらい線開業と同時期に開業していた。
#漫画では日常だけを描いた作品が主体。
#*同時に東急東横線・みなとみらい線に直通運転していた。
#*サラリーマンに偏重することなく作品のバラエティに富んでいる。
#ダイヤに関しては現実とあまり変わらない。
#エッセイでは時事ネタを多く取り上げる。
#営団地下鉄としては最後の新規路線となった。
#オチの1コマは他のコマと同じだ。
#1990年代と同じ東急9000系の乗り入れがあった。
#連載作品は短期間で打ち切られることが多い。
#*時期によっては東急3000系も。
#この頃になると発車メロディもそれぞれの駅につけられるようになった。
#Fライナーも2006年頃には存在した。


===偽新沢基栄の特徴===
===東京メトロ丸ノ内線===
#「新鱈墓栄」だ。
;昭和10年代
#*当然原稿は手抜きだ。
#車両の大きさは銀座線と全く同じ。
#デビューから絶え間なく新しい作品を描き続けている。
#池袋ではなく大塚が終点になっていたかもしれない。
#作品にはう○こやち○こが頻繁に登場する。
#営業列車でも銀座線直通があった。
#特技は筋肉大移動で、締め切り前になると全身の横紋筋が利き腕に集中する。
#車両は史実ほど派手な塗装ではない。
#一部区間は防空壕としての使用も想定される。
#東京高速鉄道の計画通りにこちらが「新宿線」を名乗った可能性もある。


===偽鈴木信也の特徴===
===東京メトロ南北線===
#作品中のギャグは極力避ける。
;1980年代
#*そしてストーリーが進んで行く故にギャグ漫画化してしまう。
#当初の答申通りなら有楽町線や半蔵門線より先に開業していた。
#ピンボール漫画を描いていた。
#ホームドア設置、ワンマン運転はなかった。
#同じ[[埼玉|地元]]の作品である[[クレヨンしんちゃん|あれ]]や[[らき☆すたファン|これ]]に勝っている。
#*21世紀に入ってゲートタイプのホームドアが設置されワンマン化していた。
#*[[月刊アフタヌーンファン#おおきく振りかぶってファン|これ]]にも。
#*1984年以降開業なら最初からあったかもしれない。
#開業時の車両は千代田線の6000系に準じた7000系だった。
#*21世紀に入って07系が導入される。
#*有楽町線車両は8000系・08系、半蔵門線車両は9000系・09系になっていた。
#[[#埼玉高速鉄道|埼玉高速鉄道]]ももっと早く開業していた。


===偽鈴木央の特徴===
===都営地下鉄大江戸線===
#フィギュアスケートが嫌い。
;1980年代
#仕事はアシ任せ。嫁に任せるなんて論外。
#20m車8両編成で運転されていた。
#仕事は集英社でしかやらないと決めている。
#*その分東京都交通局への負債も増加する。
#*当然、「ブリザードアクセル」や「金剛番長」は週刊少年サンデーではなく週刊少年ジャンプの漫画。
#*浅草線ではなく三田線と規格を共通化していたかもしれない。
#かなりの遅筆。
#放射部よりも環状部が優先的に建設される。
#一つの大罪~六つの大罪は黒歴史。
#*下手をすると新宿以西は別路線か浅草線の泉岳寺-西馬込間のような状態になっていた。
#**もしかしたら江古田から地上に出て西武池袋線に乗り入れをしていたのかもしれない。
#ほぼ間違いなく「大江戸線」という路線名にはなっていない。
#*「内都心線」だったりして。
#1989年に練馬~光が丘間が開業した場合、当路線が日本初の鉄輪式リニアモーターミニ地下鉄になっていた。
#*1996年末までに練馬~新宿間が開業していた。
;1990年代前半
*1991年に練馬〜光が丘間で12号線として開業しましたが、もし同時期に全線開通していたら…
#12-000形の白い塗装車は現実より遥かに多くなっていた。
#*1990年代後半ぐらいに増発された場合、非塗装車が製造されても現実より非塗装車の影は薄かった。
#*2008〜2009年頃には既に12-600形が存在し、2019年度内に12-000形は全部廃車になっていた。
#*あるいは12-000形を大規模改造していた。
#汐留駅も遅くとも1998〜1999年頃には開業していた。
#*その場合、東新橋駅とかになっていたかもしれない。
#*そのため、ゆりかもめの汐留駅も現実よりも早く開業していた。
#浅草線のエアポート快特も最初から大門も停車していた。
#「大江戸線」という名前になっていたかどうかは微妙。
#一部の駅の名前が違ってたかもしれない。


===偽スルメロックの特徴===
===埼玉高速鉄道===
#東方や銀英伝が嫌い。
*関連項目:[[もし武州鉄道が廃止されなかったら]]
#プロレスに関してはにわか。
;1980年代
#やたらと長ったらしいセリフは書かない。
#バブル時代なので一気に蓮田駅まで開業していた。
#「悪い女は{{あきまへん}}しよう」発言なんてもってのほか。
#*今頃、羽生駅延長も計画していただろう。
#浦和美園の開発も早まる。
#*浦和美園ではなく新浦和と名乗っていた可能性もゼロではない。
#**ゼロでしょ。浦和から遠すぎるし・・・
#**むしろ浦和市内に浦和が付かない駅が出来ていた可能性が高い。
#赤羽岩淵ではなく王子か池袋あたりが起点となっていた。
#*後者の場合は副都心線との直通を行っていた。
#*逆に営団が東川口まで造り、以北が埼玉高速鉄道という可能性もある。


===偽瀬口たかひろの特徴===
;1990年代
#連載作品が軒並みアニメ化された。
#早くても、1992年頃に開業していた。
#赤松健の元アシスタント。
#*1991年11月に営団南北線(駒込~赤羽岩淵間)と同時に開業していた可能性が高い。
#仕事は秋田書店でしかしないと決めている。
#2001年に岩槻まで延伸開業していたかもしれない。
#*2002年のFIFAワールドカップに控え、埼玉スタジアム付近までに開業していた可能性もあり得る。
#浦和美園駅周辺の開発は史実よりも進んでいた。
#開業を機に、営団南北線は6両編成で運行されていた。
#埼玉高速鉄道2000系電車は史実よりも多く製造されていた。


===偽曽山一寿の特徴===
===東葉高速鉄道===
#当初はコミックボンボンで書いていた。
;1960年代
#*ボンボン休刊後は週刊少年マガジンに移籍。
*営団地下鉄(東京メトロ)東西線と同時期に開通していたら?
#機械系の絵がとても上手い。
#営団地下鉄(東京メトロ)勝田台線として開通を果たし、今のような高額運賃になることはなかった。
#イナズマイレブンが嫌い。
#京成電鉄のバイパス線としての役割を果たせていただろう。


===偽空知英秋の特徴===
;1970年代後半
#やっぱり[[北海道|地元]]とは一切縁が無い。
#開業当時の車両は営団7000系の車体構造・走行機器類、京成3500形の内装を組み合わせた車両だった。
#下ネタが大嫌い。
#運賃は現実よりわずかに安い。
#作品中に風俗店を出したりネット用語を使ったりしない。
#自画像はイケメンだ。
#*下品な行動なんてしていない。


==た・な行==
;1990年代前半
===偽高橋和希の特徴===
*当初の開業予定は1993年春に開業する予定でした。
#週刊少年ジャンプでデビューした。
#バブル期と重なっていたので、沿線における開発が史実よりも進んでいた。
#'''本当に'''荒木飛呂彦のアシスタントを経験している。
#東葉高速鉄道1000形電車の運用が史実よりも若干長く運用されていた。
#デュエマやバトスピの漫画も描いている。


===偽高橋留美子の特徴===
===横浜高速鉄道みなとみらい線===
#少女漫画家。
;1980年代
#貧乳。
#1985年以降に開業していた。
#巨人ファンのアンチ阪神。
#1989年に開催された横浜博覧会を機に、臨時列車が運行されていた。
#ラブコメを描いていない。
#駅名は開業当時に「高島駅」「みなとみらい中央駅」「北仲駅」「県庁前駅」「元町駅」になっていた。
#*各駅のホームは、20m車10両分設置可能な空間が、建設時から確保される。
#*みなとみらい中央以南は横浜ベイブリッジ開通後に建設。
#**横浜市営地下鉄3号線関内~山下町間建設(史実では中止)は、'73年9月に変更された予定ルートの本町通りが、横浜港へのトラックが多く通行し、3号線建設工事による渋滞が懸念され、ベイブリッジ開通まで着工が延期されたため。
#*遅くても1999年(横浜開港140周年)までに本牧まで延伸。
#東急東横線菊名~横浜間は、みなとみらい線の開業と同時に保安装置がATCに移行。
#*みなとみらい線の保安装置は開業当初からATC。
#*東急8090系は当初から先頭車に貫通扉が設置された(当初からATCの搭載を考慮)、8590系は存在しない。
#*8500系の後期車は8090系と同じ構造に。
#*開業当初自社保有の車両はそれと同型だった。
#東急東横線ではなく、JR横浜線と直通運転をしていたかもしれない。
#*もしくはJR京浜東北線。


===偽武井宏之の特徴===
;1990年代
#武井咲は娘で武井壮は弟。
#駅名と路線名は史実通り。
#週刊少年マガジンでデビューした。
#横浜高速鉄道Y500系電車と東急5000系電車の登場が史実より早まっていた。
#*現在はヤンマガで連載している。
#*田園都市線への5000系電車の投入は予定通り250両となっていた。
#**田園都市線には、5050系電車が投入していた。
#*その代わりに、2020系電車の投入はなかったか、もしくは、史実より遅れていた。
#*東急3000系は史実の300系が名乗った。
#1998年までに開業した場合、横浜ベイスターズの日本一で祝賀列車が運行されていた。
#みなとみらい線の各駅は、当初からユニバーサルデザインを考慮している。
#横浜駅の横須賀線、湘南新宿ラインホームの拡張工事の完成が史実よりも早まっていた。
#*東急東横線の跡地に遊歩道が史実よりも早く出来上がっていた。


===偽武梨えりの特徴===
;2001年
#自画像が本編のヒロイン以上に可愛い。
#横浜高速鉄道Y500系電車と東急5000系電車の登場が2001年に早まっていた。
#やっぱり[[宮城|地元]]とは一切縁がない。
#**5000系電車は東横線で運用され、5050系電車は5050系電車で運用されていた。
#[[ニコニコ動画]]の存在を知らないので、連載をボイコットするなんて事もない。
#時期的に埼玉高速鉄道の開業と重なった。
#*と思いきや、実は仮病を使ってボイコットしている。
#開業と同時に東横線の特急の運行が開始されたか、開業に見越して、1997年3月か1999年3月のダイヤ改正で運行が開始されていた。
#**そのためにわざわざかかりつけの医者に「手術が必要だ」と偽の診断書を書いてもらった。


===偽立原あゆみの特徴===
===横浜市営地下鉄ブルーライン===
#デビュー当時から少年誌で連載していた。
;あざみ野~新百合ヶ丘間が別の時期に開業していたら
#代表作は「冗談(ウソ)!」。
史実では、2030年度に開業予定。
;2000年代
#3000S形が史実よりも多く製造されていた。
#*場合によっては、3000N形電車と3000R形電車が史実よりも多く製造されていた可能性もあり得る。
#2008年に開業した場合、グリーンラインの開業と同時になっていた。
#*グリーンラインの開業が2001年~2006年頃に早まっていた可能性もある。
#快速運転の開始が史実よりも早まっていた可能性もあり得る。


===偽玉井たけしの特徴===
;2010年代
#2015年現在も健在だ。
#3000V形の登場が史実よりも早まっていた。
#コロコロコミックとは縁がない。
#ヨネッティー王禅寺付近を通る「東側ルート」で開業していた。
#*逆にコミックボンボンとは縁がある。
#東急田園都市線の混雑がさらに激しくなっていたかもしれない。


===偽ちばてつやの特徴===
;1990年代
#週刊少年サンデーの創世期を支えた。
#新横浜~あざみ野間の開業が史実よりも早まっていた。
#代表作は野球漫画。
#*横浜~新横浜間or上永谷~戸塚間の開業が史実よりも早まっていたかもしれない。
#弟は全員漫画家。
#港北ニュータウンは史実よりも発展していた。
#*モザイクモール港北、港北 TOKYU S.C.の開業が史実よりも早まっていた。
#2002年におけるFIFAワールドカップ応援の企画はどうなっていたのであろうか?


===偽つげ義春の特徴===
;上大岡~伊勢佐木長者町間が別の時期に開業していたら
#『ガロ』とは無関係。
1949年、横浜市が発表した「横浜市建設計画概要」の高速鉄道の建設で、横浜~高島町~桜木町~磯子~杉田~金沢~鎌倉~大船~戸塚~中山~綱島~市場町~生麦~横浜間の環状線と、桜木町~弘明寺間の分岐線の計画が盛り込まれた。
#2021年現在も執筆活動をしており、『ねじ式』は今でも連載されている。
;1959年
#同年の横浜開港100周年・横浜市政70周年を機に、開業した。
#*市政ではなく市制。
#当初の車両は営団(のちの[[東京地下鉄|東京メトロ]])300・400・500形と似たもの。形式名は「2000形」辺り<既存の市電との兼ね合い,2000年(当時の近未来)を目指す意味合い>。
#郊外私鉄との乗り入れは一切考えない。
#1964年に新横浜~伊勢佐木長者町間、1960年代後半に上大岡~上永谷間が延伸開業する。
#*[[wikipedia:ja:港北ニュータウン|港北ニュータウン]]の開発が多摩ニュータウンと同時期になり、(あざみ野ではなく)たまプラーザ~新横浜間が1970年代前半に延伸開業。
#*上永谷~戸塚間は1970年代後半、新百合ヶ丘~たまプラーザ間は1980年代前半に延伸開業。
#*戸塚~湘南台間は1989年(横浜市制100周年、横浜開港130周年)に延伸開業(下飯田~湘南台間は当初から、相鉄いずみ野線の乗り入れを想定した構造)。
#グリーンラインは2000年頃に開通した。


===偽手塚治虫の特徴===
===横浜市営地下鉄グリーンライン===
#アメリカフロリダ州生まれ
構想自体は1960年代からありました。
#フリーメーソン構成員
;1980年代
#趣味は切手集め
#2000形電車と同じタイプが運行されていた。
#デビュー作は「バアチャンの日記帳」
#2000年代には、中山~元町・中華街間が開業していた。
#*その他「新平和島」「鋼湾ア卜仏」「ジャングル退廷」「火の島」
#実力のある新人が現れても決して嫉妬などせず、褒めちぎる
#締め切りは絶対守る
#決して逃げたりしない
#狭い部屋をピアノとソファーで一杯にしたりしない
#テンガロンハット着用
#自身の作品のパチンコ化に積極的だ
#*一方で競馬・宝くじと関わるのはもってのほかだ


===偽冨樫義博の特徴===
;2000年代前半
#休載を一度もしたことがなく、自他共に認める皆勤賞だ。
#無論、東急目黒線の武蔵小杉~日吉間の開業が史実よりも早まっていた。
#*読者の期待にはつねに答える。
#センター北駅とセンター南駅周辺にある商業施設の開業が史実よりも早まっていた。
#*休載理由は、背景にも手間をかけるので1週分を描くのに8~9日かかるため。
#2002年までに開業した場合、FIFAワールドカップの開催によって、ラッピング列車が運行されていた。
#ゲームが大嫌いで、特にドラクエ、FFを嫌っている。
#2004年以降にブルーラインのあざみ野~新百合ヶ丘間が開業していた。
#*その代わり大のアニオタである。
#**それでいて溜まっていたビデオを見ながらちゃんと締め切りは守る。
#地元での評判がかなり良い。
#住民がみな正義感の強い地域出身だ。
#ご先祖様は[[Wikipedia:ja:富樫政親|百姓一揆に倒された大名]]だ。
#*または、[[Wikipedia:ja:勧進帳|これ]]に出てくる安宅関の関守だ。
#巨人ファンのアンチ阪神だ。
#ファッションセンスは一級品。
#*けしてパジャマみたいな私服など一切無い。
#表紙を丁寧に仕上げ、完全版が見事にヒットする。
#武内直子と結婚などしてない。
#弟は漫画家ではない。
#安西信行の師匠。


===偽徳田ザウルスの特徴===
;1990年代
<!--#今も健在だ。-->
#港北ニュータウン計画の一環として、実施されていた。
#ミニ四駆とは無縁。
#東急目黒線の武蔵小杉~日吉間の開業が史実よりも早まっていた。
#本名の徳田肇名義で活動していた。
#自画像は頭が[[偽とある魔術の禁書目録の特徴#偽初春飾利の特徴|このキャラ]]みたいになってる。


===偽徳弘正也の特徴===
===東京メトロ半蔵門線===
#下ネタは極力避ける。
当初の予定では、1975年9月に渋谷~三越前間が完成する予定でしたが、沿線の地権者による反対運動により、予定が大幅に遅れました。
#シリアス路線が苦手。
;渋谷~三越前が1970年代に開通していたら
#*『狂四郎2030』もコミカルタッチのストーリーだ。
#営団08系電車が開通時に登場していた。
#*営団8000系では。東急8500系借り入れはなかった。
#水天宮前までの延伸が1980年代に、押上までの延伸が1990年代に実現していた。
#*押上延伸と同時に東武伊勢崎線館林まで・日光線南栗橋までの相互直通運転が開始されていた。


===偽とりのささみ。の特徴===
;半蔵門~三越前間の開業が1988年頃までに開業していたら
#本名は「鳥野笹美」。
#1987年までに開業していたら、営団車両による10両編成の運転が開業時に実施されていた。
#作中には鶏の姿で登場する。
#当路線が平成で初めての鉄道路線の延伸となることはなかった。
#主な代表作は「ジュウジュンペンギン」。
#押上までの延伸は1990年代に実現し、同時に東武伊勢崎線館林まで・日光線南栗橋までの相互直通運転が開始されていた。


===偽鳥山明の特徴===
;水天宮前~押上間の開業が1990年代に開業していたら
#日本一売れてなく、日本一無名な漫画家だ。
#北千住駅の改良工事が完成した1997年かそれ以降に開業していた。
#*[[ドラゴンクエストシリーズ|ドラクエ]]の4コマ漫画をひっそりと描いている。
#営団08系電車と東武50000系電車の登場が史実よりも早まっていた。
#ネーミングセンスは一級品。
#*場合によっては、50000系電車は東上線ではなく、本線に投入されていたかもしれない。
#*けして下品な名前をつけない。
#2000年代前半には、相互直通運転区間が久喜駅までに延長されていた。
#**そしてそのキャラに下品な事を言わせない。
#*うまくいけば当初から[[もしあの列車・種別が○○だったら/私鉄#伊勢崎線と営団(東京メトロ)半蔵門線の相互直通運転開始時から館林まで乗り入れたら|伊勢崎線館林までの直通が実現]]していた可能性も。
#絵が下手。
#**その場合久喜~館林間の沿線開発が史実以上に進行していた。
#デザイン力や発想力皆無。
#急行「しもつけ」、「ゆのさと」、「きりふり」への特急格上が史実よりも早まっていた。
#売りはラブロマンス漫画だ。
#[[埼玉]]出身。
#*いや栃木県の烏山出身だ。
#**作中に烏山線みたいな列車も登場した。
#名古屋とは縁もゆかりもない。
#他の漫画家や海外の評論家から全くリスペクトされない。
#無類のロング派。女性キャラは最後までショートヘアーにせずロングヘアーで描く。
#ファイナルファンタジーのデザインを手掛ける。
#週刊少年チャンピオンの黄金時代を築く。
#[[wikipedia:ja:田中久志|ひすゎし]]のアシスタントになったのが漫画家としての出発点だ。
#手先が異常なまでに不器用で、模型製作とか苦手。
#かつてあったファンクラブの名称に「鳥山明保存会」というのはありえない。
#絵のタッチが安定しない。
#自身の作品のパチンコ・パチスロ化に積極的だ。


===偽永井豪の特徴===
;水天宮前~押上間の開業が2000年か2001年に開業していたら
#週刊少年誌で連載経験があるのはジャンプのみ。
#営団08系電車が2000年1月か2001年1月に運用開始していた。
#ガンダムのコミカライズを描いたことがある。
#2001年に開業した場合、東武伊勢崎線越谷~北越谷間高架複々線化の完成と同時期であった。
#手塚治虫のアシスタントをしていた。
#久喜駅までの乗り入れが2003年3月に早まっていたかもしれない。
#石川賢とは出会った時から犬猿の仲。
#*開業と同時に乗り入れていたかしれない。
#*当時の久喜駅の配線の都合で開業と同時に館林まで直通していたか(館林分断も同時に)。
#**そうなると久喜~館林間の沿線開発の進行が現実以上だった。


===偽なもりの特徴===
==その他==
#かなりの遅筆だ。
===つくばエクスプレス===
#BLものを多く執筆する。
;1890年代
#まんがタイムきららで連載している。
#日本鉄道運営。
#終点駅は秋葉原駅ではなく上野駅か日暮里駅。
#*つくば(「竹園」?)から先は現実の筑波鉄道のルートで岩瀬まで伸びていた。
#東京上野ラインの計画はこの列車も含まれていた。
#要するに北千住-土浦付近の海岸線(現常磐線)のルートが変わっただけ。
#*当時はまだ平行線を走らせるほどの需要はなかったはず。
#*常総線と竜ヶ崎線は守谷が起点だった。
#全区間踏切なし・全駅ホームドア付きの近代的な路線にならず、130km運転もなかったかも。


===偽野中英次の特徴===
;1970年代
#コメント欄には読めなくなる限界までコメントを書く。
#車両は415系だったか?
#絵が淡白だ。
#*直流区間はなぜか70系。
#*むしろ101系や401系の溜まり場に。
#さすがに廃止対象にはなっていない(はず)。
#常磐線と接続され特急や急行も走っていた。
#*上野駅などでは誤乗防止のため「筑波経由」「取手経由」などという案内がされていた。
#筑波鉄道は史実より数年早く廃止された。
#*筑波以北は残っている気がする。


==は行==
;1980年代
===偽萩原一至の特徴===
#車両は415系(といっても顔が211系のほう)。
#T樫と同じく休載を全くしない。
#*113系を改造したものは無いだろう。
#*そのことをT樫に叩き込んだ。
#**[[西日本旅客鉄道|ここ]]じゃあるまいし。
#『BASTARD』は週刊少年ジャンプ二番目の長期連載だ。
#国鉄の緊縮財政で北千住止まり。
#*秋葉原延伸は民営化後。
#**むしろ南千住まで複々線化用地を確保して打ち止めになる。
#***地下化するにしても史実のようなルートにはならないと思う。
#*国鉄ではなく地元などが出資した3セク会社だった可能性もある。
#開業はつくば科学万博の直前。
#*つくば科学万博のメインアクセス路線として大活躍し、入場者数も現実以上に多かった。


===偽橋口たかしの特徴===
;2000年代前半(2000年も含む)
#本当に暴力団組長だ。
当初の計画では2000年に開業予定でした。
#合コンにはまったく興味がない。
#TX-1000系電車、TX-2000系電車の登場は史実通り。
#2004年に放映された大河ドラマ「新選組」をきっかけに、流山市に訪れる人が史実より多かった。
#*これを機にラッピング列車が運行されていたかもしれない。
#2003年に開業した場合、圏央道の一部開通と同時期であった。


===偽長谷川町子の特徴===
===りんかい線===
#結婚して子供がいる。
;1960年代
#死に際までサザエさんを連載していた。
#東京オリンピックの開発になっていたか怪しい。
#絵画を集めて美術館を開かなかった。
#*当時は何もないので明らかに貨物列車向けなので。
#自分の死はすぐに発表された。
#トンネルはそんなに長くないような気がする。
#国民栄誉賞を受賞していない。
#京葉線の開業も早まる。(とは言っても貨物列車での開業)
#臨海副都心は貨物駅跡地の再開発名目で建設されていた。
#*というわけで史実通り旅客化される。
#当然ながら国鉄線としての開業。
#*京葉線の一部になっていたか、そうでなければ「東京臨海線」といった名前になっていた。


===偽畑健二郎の特徴===
;1980年代
#赤松健の弟子。K米田K治は関係ない。
#東京臨海高速鉄道として開業か、JRで開業する理由で揉めるのか?
#オタクが嫌い。秋葉原を爆破したい。
#JRで開業していたら、埼京線か京葉線の路線になっていた。
#*オタクに媚びた漫画を書くなんてご法度。
#開業当初は貨物列車が中心になる。
#サンデーでもトップクラスの画力。
#*駅名も「13号地」などの無味乾燥としたものがメインになる(後に改称)。
#久米田康治の名を騙って評判を下げ、久米田を小学館から追い出す事に成功した。
#**南八潮<!--埼玉県八潮市と区別-->→品川シーサイド、東品川→天王洲アイル、13号地→東京テレポート、10号地→国際展示場、11号地→東雲、新木場(当初から)か。
#ニコニコ動画なんて興味ない。
#埼京線は開業初期からりんかい線と直通運転してた。
#*当然某嘘字幕動画からパクるなんて事もない。
#車両は1980年代前半の場合は201系、1980年代半ばか後半の場合は205系をベースにして製造してた。
#浅野真澄と同人誌を作るなんてことはしない。まして結婚なんてもってのほか。


===偽浜田ブリトニーの特徴===
===箱根登山鉄道===
#「松本レディーガガ」だ。
;1870年代
#父は浜田雅功。
#東海道本線の支線になっていた。
#*あるいは浜田光夫で、故・美空ひばりが義理の伯母。
#*1879年末の時点でも開業区間は新橋-横浜、京都-神戸しかなかったのでそれはない。
#*更に弟が浜田岳で、息子が浜田龍臣だ。
#**省線が箱根を直接経由しようとした準備云々としてならまだ可能性はあるんじゃないの?
#はいだしょうこといい勝負の色白。
#箱根の観光開発は史実よりも早く行っていたか。
#ネットカフェが大嫌いで、行く気にもならない。
#当時の技術では建設できなかった公算が大きい。
#益若つばさは大親友。共演NGなんてありえない。
#*ヨーロッパの似たような地理的条件の登山鉄道ができたのは古くても19世紀末から20世紀初頭くらい。
#*本当に開業していたら「19世紀後半の特筆すべき鉄道技術の金字塔」などとして世界遺産に登録されるのは確実。
#*少なくとも箱根湯本までは作れると思うんだが・・・。
#*ラックレール式鉄道の確立前になるから、箱根湯本から先はケーブルカーになっていた可能性が高い。


===偽原哲夫の特徴===
;1930年代
#ふかわりょうとは一切無関係。
#小田原急行電鉄が建設していた。
#男性ファンが極度に少ない。
#*場合によっては社名が「箱根急行電鉄」になっていた。
#自分の作品のパチンコが全くヒットしない。
#*箱根湯本までは最初から狭軌の線路しか敷かれていない。
#吉本新喜劇に出演している。
#**逆に小田急が標準軌で建設されていた場合は千代田線の直通相手が変わっていただろう。
#*「誰がカバやねん!」
#北条司とは会ったときから犬猿の仲。
#芸能人の顔を書こうなんてもっての他。
#武論尊とタッグを組んだことがない。
#荒木飛呂彦と宮下あきらの師匠。


===偽春場ねぎの特徴===
===鹿島臨海鉄道大洗鹿島線===
#能力バトル漫画を多く手掛ける。
;1930年代
#赤松健が大嫌い。
#史実の鹿島線に相当する区間も同時に開業。
#*そのかわり畑健二郎を尊敬しており、彼のアシスタントを経験していた。
#*水戸-香取が1本の省線となっていた。
#鉾田では鹿島参宮鉄道(のち鹿島鉄道)と乗り換えられた。
#*[[もしあの鉄道が国有化されていたら/関東#鹿島参宮鉄道|参宮鉄道が国有化され]]「鉾田線」になっていたかも。
#茨城交通水浜線の寿命は確実に縮まっている。
#東京か両国-千葉-佐倉-鹿島神宮-水戸のルートに急行(のち特急)が運転された。
#*名称は「かしまなだ」か。
#鹿島臨海工業地帯の計画内容が大きく変わっている。
#神栖線も旅客化されていた。さらに銚子方面への延伸も検討される。
#[[もしあの国鉄路線が全通していたら/西日本#智頭線|智頭線は国鉄時代に開業]]していた。


===偽樋口大輔の特徴===
===北総鉄道===
#名前通り、男性だ。
;1930年代
#サッカーとアイスホッケーが大嫌い。
#ニュータウンがない変わりに印旛沼あたりに大浴場や野球場が存在した。
#*野球と総合格闘技は大好き。
#京成グループじゃなかったかもしれない。
#自力で都心や山武方面に延伸していたかもしれない。
#*さらに自力で成田まで延伸し、空港直通の輸送にも携わっていた。
#下記同様、運賃はそこまで高くない。


===偽聖悠紀の特徴===
;1970年代前半
#『超人ロック』はとっくの昔に完結している。
#開業当初はリース車両のみの保有だった。
#本名もそのまま「聖悠紀」。
#千葉ニュータウンへのアクセスが重要視されたため史実とは異なり京成高砂から開業していた。
#東映本社製作のロボットアニメ全作品でキャラクターデザインを担当。
#*よって新京成との乗り入れはなかった。
#*最初から東京方面に直通していたため、運賃があそこまで高額になることはなかった。
#[[もしあの鉄道路線が別の年に開業していたら/関東#京成成田空港線|成田空港への延伸]]は約20年後に実現。[[もしあの鉄道車両が更に増備されていたら/私鉄#都営地下鉄5200形|都営5200形は大量増備]]。[[都営地下鉄浅草線|地下鉄1号線]]の8両化が10年程早く進んだ。京浜急行を含む4社局乗り入れが70年代後半に実現。但し暫くは朝時間帯が殆ど。
#*成田空港まで延伸されても北総線のまま。空港第2ビル・成田空港両駅の中間改札は(京成グループ内)別会社のためにある,とされる。後に撤去されない。
#*AE100形以降のスカイライナー車両は北総鉄道が所有。大規模な検査は宗吾工場で。


===偽平野耕太の特徴===
===千葉急行電鉄===
#[[世田谷区]]出身。
;1960年代
#体型はガリガリ。
#小湊鉄道の路線として開業していた。
#六道神士や佐藤ショウジとは無関係。
#*千葉駅まで乗り入れていた場合、史実の車両は一掃されている可能性が高い。
#仁義なき戦いが嫌い。
#好きな国は[[イギリス]]。嫌いな国は[[ドイツ]]。
#藤田和日郎の元アシスタント。


===偽平松伸二の特徴===
;1970年代前半
#望月三起也のアシスタントを経験していた。
#市原ニュータウンの開発は進んでいた。
#登場人物がヘタレばかり。
#破綻することもなかったかもしれない。
#上条明峰や佐藤ショウジの師匠。<!--#両者とも平松と同じく法で裁けぬ悪を成敗する漫画を描いていた。-->
#仕事は集英社でしかしないと決めている。


===偽蛭田達也の特徴===
;1930年代
#『コータローまかりとおる』以外にも連載を持っている。
#京成が「両総(上総と下総を結ぶ)急行鉄道」の様な子会社をつくり、そこが建設した。
#*『コータローまかりとおる』シリーズはとっくに完結している。
#*開業当初の車両は京成200・210形と同型車両だった。
#*戦時統合で京成に吸収された、その際に路線名称が千葉線に統一。
#途中[[Wikipedia:ja:白井村|白井村(現在の千葉市若葉区)]]を経由、[[大網白里市|旧白里町]]辺りが終点だった。
#*京成は海水浴輸送に注力した、戦前から京成上野~京成津田沼~京成千葉(現在の千葉中央駅)~白里間に急行が走った。
#*海士有木方面へは白井村で分岐していたかも。
#**'30年代中に開業できていたら[[もしあの企業が合併していたら#袖ヶ浦自動車と千葉郊外自動車|袖ヶ浦自動車と千葉郊外自動車の合併]]が実現している。


===偽弘兼憲史の特徴===
;1980年代
#元三洋電機社員。
#中断することなく、真面目に工事を行っていたら、開通することができた。
#登場人物はダメサラリーマンばかり。
#1980年代後半に千葉中央~大森台間が開業し、1990年代前半に大森台~ちはら台間が開業していた可能性もあった。
#*島耕作はリストラ寸前の窓際族。
#*大森台~ちはら台間が1991年3月に開業していたら、京成電鉄にとって、大規模なダイヤ改正になっていた。
#*加治隆介は国会で居眠りばかり。
#京成3600形電車と京成3700形電車と京成3400形電車の投入が史実よりも早まっていた。
#自分のアシスタント経験がある女性と結婚するなんてもってのほか。
#*京成3700形電車と京成3400形電車が史実よりも多く製造されていたかもしれない。
#代表作は「課・長島耕作」。
#*開業が1988年以降になったら、京急から旧1000形電車をリリースしていた。
#配偶者はポール・サイモン。
#予定通りに、1997年4月に千葉中央~大森台間が複線化されて、2000年4月に大森台~ちはら台間が複線化されていたかもしれない。
#千葉急行電鉄の経営状態は若干マシになっていたのかもしれないが、それでも、1998年10月に京成電鉄に譲渡されていた。
#それでも、海士有木への延伸計画は難航していたであろう。
#*辰巳台までの延伸は実現していたかもしれない。


===偽福本伸行の特徴===
===ドリーム交通===
#実際はギャンブル嫌い。
;1980年
#登場人物は無能ギャンブラーばかり。
#日本跨座式モノレールの企画で開業されていた。
#*ギャンブルなど一切手を出さない堅実なサラリーマンばかり。
#ドリームランド周辺がドリームハイツ以外もニュータウン化されていた。
#*みんな朗らかな丸顔ばかり。
#ダイエーグループではなく[[神奈川中央交通|かなちゅう]]、[[相模鉄道|相鉄]]、[[小田急電鉄|小田急]]が出資していた。
#「'''ワイワイガヤガヤ'''」で有名。
#大船〜ドリームランド間は小雀駅、相模原宿駅、相模深谷駅もできていた。
#基本的に一話完結。
#開業から数年後、長後や綾瀬市を経由したルートにて延伸開業が進んでいた。
#スピーディーなストーリ展開には定評がある。
#*そうなれば並行する神奈中バスの路線も再編されていた。
#*わずか1巻でアカギは完結した。
#スクリーントーンを多用。


===偽藤子不二雄の特徴===
===多摩都市モノレール===
#ドラえもんが安孫子氏作でブラック路線。
====上北台~箱根ヶ崎間====
#それぞれ単独で出すときの名前は「藤本不二雄」と「我孫子不二雄」。
;2019年
#富山県と無縁。
#念願の鉄道が開業したことにより、武蔵村山市にとって、喜ばしい年であった。
#遅くても、10月頃までに開業していた。
#町田方面の延伸計画に力を注いでいた。


===偽藤島康介の特徴===
====立川北~上北台間====
#赤松健は元アシスタント。
;1990年代前半
#江川達也は天敵。
*当初の開業予定でした。
#劇画タッチ
#時期的にファーレ立川の開業と重なっていた。
#ヒロインが可愛くない。
#*立川駅周辺における開発も史実よりも進んでいた。
#10週打ち切りは余裕。
#2000年までに上北台~箱根ヶ崎間が開業していた。
#マッチョな男ばっかりが出てくる漫画が得意。
#『新サクラ大戦』でもこれまでのシリーズに引き続きキャラクターデザインを担当。


===偽藤田和日郎の特徴===
====立川南~多摩センター間====
#途中から読んでもわかりやすい。
;1970年代前半
#アシスタントが無能で困ってる。
#多摩ニュータウン周辺の交通整備事業として建設された。
#仕事は小学館でしかしないと決めている。
#*史実通り日本跨座式が採用された。
#島本和彦とは犬猿の仲で、『吼えろペン』に藤田をモデルにしたキャラを出すなんてもっての外。
#*「[[Wikipedia:ja:東京都地下鉄建設|東京都地下鉄建設]]」に相当する東京都系の企業が約20年早く設立され、社名が「東京都交通開発」辺りになる。
#**1970年代以降に建設された都営地下鉄の区間(新宿・大江戸線の全線)と日暮里・舎人ライナーはそこが建設主体に。
#*[[Wikipedia:ja:姫路市交通局モノレール線|姫路モノレール]]のように東京都交通局の直営となった。
#*おそらく「[[もしあの鉄道路線が開業していたら/モノレール#東京都交通局のモノレール構想|東京都交通局のモノレール構想]]」、「[[もしあの鉄道路線が開業していたら/モノレール#環5モノレール線|環5モノレール線]]」も実現していた。
#**東京都交通局は跨座式と懸垂式のモノレールを保有する珍しい交通事業者となった。
#「立川南」駅は開業当初「立川」駅を名乗った。
#現実より運賃は安くなっていたか。


===偽藤真拓哉の特徴===
===千葉都市モノレール===
#絵柄は今でも劇画寄りだ。
;1970年代
#*むしろデビュー当時から萌え絵だ。
#当初の車両は[[Wikipedia:ja:湘南モノレール300形電車|湘南モノレール300形]]ベースだった。
#[[なのはシリーズファン|リリカルなのはシリーズ]]とは無縁。
#最初の開通区間はどうなっただろうか。
#コロコロコミックで『ハヤテのごとく!』のスピンオフを執筆した。
#1号線は現実の千葉急行電鉄の代わりに、県庁前駅から千葉寺駅を経由、以降現実の千葉急行電鉄のルートで延長されていた。
#*のちにサンデーGXに移籍。
#*株主に千葉中央バス・小湊鐵道(両社共に京成系列)も加わっている。


===偽北条司の特徴===
===日暮里・舎人ライナー===
#グラサンをかけてる理由はタモリの影響。
※当初の予定では、1999年度、2002年度に開業する予定でしたが、諸事情により、2008年3月に伸びました。
#見た目より老けている。
;1990年代
#うどんが嫌い。
#当初から建設と運営主体は東京都になっていた。
#原哲夫とは会ったときから犬猿の仲。
#都営バス里48系統は廃止されていた。
#大阪のキャッツアイ事件の真犯人。
#330形電車は300形電車の置き換えとして、投入されていた。
#女性を描くのが極端に下手。
#2010年代末には埼玉県への延伸が実現していたかも。


==ま行==
;2003年
===偽前川たけしの特徴===
#300形電車が史実よりも多く製造されて、混雑が若干緩和されていた。
#少年サンデーで連載している。
#*場合によっては、330形電車と320形電車が投入されることはなかったかもしれない。
#代表作は『鉄拳うま味』


===偽真島ヒロの特徴===
===宇都宮ライトレール===
#赤松健のアシスタントを経験していた。
;全般
#尾田栄一郎の従弟。
#開業時期によっては宇都宮市などの沿線自治体は経営に関わらなかった。
#*もしくは作風が似ているなんて言われたことがない。
#*戦前に開業した場合戦時統合で他社と合併していた。
#休載が多い。
#**停留所名に片仮名は入らなかったかも。
#*にもかかわらずいくつも連載を抱えている。
#**鉄道敷設法の通り[[もしあの鉄道が国有化されていたら/関東|国有化された]]可能性も。
#***[[東武鉄道|東武]]系列になっていた可能性もある。
#軌道ではなく鉄道扱いだったかも。
#*場合によっては複線区間はなかったかも。
#*免許次第で[[もしあの路線が普通鉄道規格で開業していたら#宇都宮ライトレール|<span style='color:#fefdff;background-color:#ff0041;'>全線普通鉄道</span>]]か[[もしあの路線がモノレール規格で開業していたら#宇都宮ライトレール|<span style='color:#fefdff;background-color:#009343;'>モノレール</span>]]だったかも。


===偽松山せいじの特徴===
;1900年代
#登場する女性のバストは普通の大きさの人だけ。
#開業当初の社名は「芳賀軌道」。
#*おっぱいを人の頭ほどの大きさにするなんてことはしない反面、つるぺたもいない。
#*「日本鉄道(→省線)宇都宮駅と芳賀地域の連絡」が建設目的とされた。
#鉄道なんて興味がない。よって「鉄娘な3姉妹」や「ゆりてつ 私立百合ヶ咲女子高鉄道部」などという作品は存在しない。
#*当初は非電化だったが、昭和に入った頃に電化。
#のちに宝積寺と烏山を経由して大子まで延伸していたかも。
#*この場合省線(現在のJR東日本)烏山線は存在しなかった。
#戦時統合で関東自動車と合併し、合併会社が「栃木交通」を名乗った。
#*この場合史実の「[[Wikipedia:ja:栃木交通バス|栃木交通バス]]」は別の社名を名乗る。


===偽松本ぷりっつの特徴===
;1930年代
#「松本ぽっきー」に改名した。
#開業当初の社名は「常野電気軌道」。
#下竹下から先は北([[Wikipedia:ja:南高根沢村|旧南高根沢村]])ではなく東([[Wikipedia:ja:水橋村|旧水橋村]])に向かっていたかもしれない。
#*当初の終点が水橋村内だったかも。
#*[[Wikipedia:ja:清原村(栃木県)|清原村]]の宇都宮市への編入時期が現実より遅かったかも。
#*将来的に、水橋村から七井経由で[[Wikipedia:ja:茨城交通茨城線|茨城鉄道]]沿線のどこかで直結(茨城鉄道・[[Wikipedia:ja:茨城交通水浜線|水浜電車]]と一体化させ、宇都宮~水戸間直通運転を目指す)する壮大な構想だったかも。
#**加えて水橋村から市塙・烏山経由で常陸大子まで延伸する分岐線構想が出たかもしれない。
#*そのため建設当初から狭軌路線だったかも。
#*(宇都宮~水戸間が開通できた場合)戦時統合で発足した「茨城交通」は「常野交通」という社名だったかも。
#**この場合戦時統合で関東自動車に吸収された会社のうち幾らかが常野交通に吸収された。
#戦時中は陸軍飛行場への輸送で活躍した。


===偽松本零士の特徴===
;1940年頃
#ロボットが大好き。
#国が上記の陸軍飛行場連絡の為建設。
#*巨大ロボットアニメの原作を多数提供している。
#西崎義展や槇原敬之と裁判になったことはない。
#『宇宙戦艦ヤマト2199』の製作にも携わっている。


===偽美内すずえの特徴===
;1980年
#『ガラスの仮面』はとっくの昔に完結している。
#[[Wikipedia:ja:第35回国民体育大会|<span style='color:#fefdff;background-color:#43d700;'>栃の葉国体</span>]]に合わせ開業。
#*開業が1979年に早まった可能性も。
#モノレールで開業。
#*おそらく日本跨座式が採用された。
#**当初[[東京モノレール]]600形を日本跨座式に変更した車両が走っていた。
#**宇都宮の影響か[[もしあの鉄道路線が別の年に開業していたら/関東#千葉都市モノレール|千葉モノ]]や[[もしあの鉄道路線が別の年に開業していたら/関東#多摩都市モノレール|多摩モノ]]開業が早まったかも。
#[[本田技研工業|ホンダ]]・[[キヤノン]]・[[カルビー]]などの工団進出企業が主要株主になっていたかも。
#*栃木県資本が当初から入っていたかも。
#*東武や[[栃木の交通#関東自動車|栃木の関東バス]]資本も現実より多く入っていたかも。
#[[栃木サッカークラブ|栃木SC]]ラッピング車が走っていたかも。
#宇都宮駅は新幹線駅と一体整備され駅中央部2階に発着している。
#2000年頃までに大谷や真岡へ延伸された。


===偽水木しげるの特徴===
;平成期
#本名も「水木茂」。
#富山ライトレールと比較されていた。
#インパール作戦の生き残り。
#*HU300はTLR0600の3連接版だったかも。
#*戦闘で片足を失った。
#**2連接だったらTLRの丸パクリ呼びされるかも。
#少年時代からひたすら漫画家を目指していた。
#**2020年頃に旧東武日光軌道線の復刻塗装車が走ったかも。
#人気漫画家になってからはずっと境港在住だった。
#2010年代に開業した場合、東日本大震災の影響で工期が伸びていたかもしれない。
#やたらと戦争を美化するような戦記物を多く残している。
#2022年か2023年頃に宇都宮駅~大谷間が開業していたかもしれない。
#描いてきた妖怪は全てオリジナル。
#2014年以降に開業した場合、栃木県のマスコットキャラクターである「とちまるくん」と芳賀町のマスコットキャラクターである「はがまるくん」が開通式に参加していた。
#連続テレビ小説の原作を書いた。
#宇都宮駅東西の再開発が早まったかも。
#漫画家の一般的なイメージに縛られない活躍で文化勲章を受章した。
#上記同様工団進出企業が主要株主になっていたかも。
#*晩年には大学の名誉博士号も贈られた。
#時期次第で上記の栃木SCラッピング車が走っていたかも。
#実の子供に「悪魔」くんと名付けようとして問題を起こしたことがある。
#2000年代前半より前だったらモノレールで開業。
#「爆丸バトルブローラーズ」や「爆丸バトルブローラーズ ニューヴェストロイア」、「爆丸バトルブローラーズ ガンダリアンインベーダーズ」にも興味がある。
#*おそらく上記同様日本跨座式が採用された。
#『忍者戦隊カクレンジャー』の敵キャラデザインを担当した。
#**時期次第で[[多摩都市モノレール|多摩モノ]]1000系や[[福岡の鉄道#北九州高速鉄道|北九州モノレール]]1000形類似車両が走っていた。
#***[[大阪モノレール]]1000系類似かも。
#**関東・日本跨座式どうし立川と比較されたかも。


===偽みずしな孝之の特徴===
;2020年
#彼の野球漫画と言えば「サエキ様に願いを」だ。
#[[夏季オリンピック#東京(2020年)|<span style='color:#30f;background-color:#fbfaff; '>2020年東京五輪</span>]]を見越し開業。
#デニー友利を192mの大男に描く。
#*開業が前年に早まったかも。
#*190m以上のプロ野球選手を集めた「デカプロ野球選手会(略称:デプ会)」に入会させる。
#*[[関東の陸上競技場・球技場#栃木県総合運動公園陸上競技場|<span style='color:#fbfaff;background-color:#00bfab; '>カンセキスタジアム</span>]]開設と重なったかも。
#「サボテンキャンパス」のキャラクターの名前は、全て神奈川県の地名に因む。
#おそらく富山の影響を史実より受けた形か。
#平井堅にそっくり。
#HU300の登場が早まる。
#*槇原敬之にはほど遠い顔なので、彼のコンサートで双眼鏡の標的になるなんてあり得ない。
#*開業から間もない頃に旧東武日光軌道線の復刻塗装車が走ったかも。
#断固として写植を愛し、漫画には描き文字が一切ない。
#早ければ2030年頃に大谷や真岡へ延伸されたかも。
#*しかしジャンプの連載作品には、ところどころ描き文字が混じっている。
#上記同様宇都宮駅東西の再開発が早まったかも。
#果物屋でバイトをしていた。


===偽水島新司の特徴===
;2022年
#新潟明訓高等学校卒業。
*当初の開業予定年
#あだち充の作品に対して批判的な発言をしない。
#[[Wikipedia:ja:第77回国民体育大会|<span style='color:#4100ff;background-color:#ffe100;'>とちぎ国体</span>]]に合わせ開業。
#当然HU300の登場が早まる。
#[[もし2020年のオリンピック開催地が東京以外になっていたら#共通|<span style='color:#fbfaff;background-color:#30f; '>2020年五輪が東京以外</span>]]だったかCOVID-19がなかったらありえた。
#上記のように宇都宮駅東西の再開発が早まったかも。


===偽満田拓也の特徴===
===常南電気鉄道===
#「まんだ」だ。
;1900年代
#野球漫画なのに表紙が水着の女の子なんてありえない。
#開業当初の社名は「稲敷軌道」。
#当初は非電化だったが1920年代後半に電化。
#戦時中海軍飛行場への輸送強化の為[[もしあの鉄道が国有化されていたら/関東#常南電気鉄道|<span style='color:#19ff00;background-color:#8d0094; '>国有化され</span>]][[もしあの国鉄路線が全通していたら/関東#霞ヶ浦線|<span style='color:#8000ff;background-color:#fefdff; '>「霞ヶ浦線」</span>]]になっていた。


===偽宮下あきらの特徴===
;1940年頃
#どの作品にも女性レギュラーが存在する。
#国が上記の海軍飛行場連絡の為建設。
#原哲夫の弟子。
#実際に民明書房を設立した。
#仕事は集英社でしかしないと決めている。


===偽村瀬範行の特徴===
{{DEFAULTSORT:へつのとしにかいきようかんとう}}
#ケシカスくんはとっくに打ち切られた。
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 鉄道路線史]]
 
[[カテゴリ:もしも借箱/鉄道路線]]
===偽本宮ひろ志の特徴===
[[カテゴリ:関東地方|もしあのてつとうろせんかへつのとしにかいきようしていたら]]
#『男一匹ガキ大将』の引き延ばし事件で集英社と絶縁した。
#休筆宣言をしたことがない。
#「サラ金」という単語を世に広めた。
 
===偽モンキー・パンチの特徴===
#『ルパン三世』はほとんどの人が知らないマイナー作品。
#本名も「モンキー・パンチ」だ。
#実は「パンチ・カトウ」という日系人。
 
==や〜わ行==
===偽やくみつるの特徴===
#タブチやヤスダやヒロオカ監督がよく出てくる。
#一つの作品にしか専念できない。
#大の[[読売ジャイアンツファン|巨人ファン]]。
#*[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]は大嫌い
#**でもDeNAには好意を抱いておりモバゲーユーザーである。
#亀田三兄弟の熱狂的信者である。
#*そのため親父から別の意味でうざがられている。
#**あまりのうざさに、逆に仕付け糸で縛られた。
#「やくみつる」以外のペンネームは一切使用した事がない。
#薬密輸。
#相撲には全く興味を示さない。
#*「サッカー?関係ない」
#**↑それでも中田英寿の大ファンである。
#麻雀もやらない。
#*ペンネームと「役満」は関係ない。
#**ペンネームの由来は上記6.だ。
#地中海の島国の名前を芸名にした鳥取出身のサックスプレイヤーだ。
#心からマンガを愛しているので、漫画家以外の活動なんてしない。
#何も集めていない。
#*当然、松原のヘルメット(星付き)は持っていない。
#虫嫌い。蝶が来ると叫び声を挙げて逃げ回る。
#マスコミ嫌いで、素顔を知らない人も多い。
#若者受けを狙って'''89326'''<!--意図的に全角です-->に改名した。
#実は「やくみ・つる」だった。
#[[偽藤原紀香の特徴|藤原紀香]]の大ファン。
#*ゆえに、彼女と[[偽陣内智則の特徴|陣内智則]]の結婚式の際には祝福マンガを掲載した。
#漢字の知識に非常に疎い。
#「やくみつる」はれっきとした本名である。
#*漢字では「屋久満」と書く。
 
===偽矢吹健太朗の特徴===
#大の犬好き。
#*そして代表作のタイトルが「DOG CAT」
#前作のキャラを次の作品に引張るような事はしない。
#{{あきまへん}}の限界に挑戦しようとはしない。
#自作アニメは[[フジテレビ]]で放送してもらう。
#*それか[[テレビ朝日|テレ朝]]か[[独立放送局|独立U局]]だ。
 
===偽山川純一の特徴===
#百合作品を描く。
#生没年、本名など細かいデータが公開されている。
#2021年現在も漫画家として活動している。
#『本格的ガチムチパンツレスリング』や『真夏の夜の淫夢』のコミカライズも描いた。
 
===偽山田ラマダの特徴===
#イラストタッチは爽やか。
#ヒット作多数。
 
===偽結城心一の特徴===
#母校を妹の作品に出して貰うなどもっての外。
#*当然山寺公一とも一切縁がない。
 
===偽ゆでたまごの特徴===
#一人だ。
#*もしくはコンビ別れして「ゆでたまごS」「ゆでたまごN」になった。
 
===偽横山光輝の特徴===
#三国志や水滸伝には全く興味がない。
#嫌煙家。
#手塚治虫より早く評価されていた。
 
===偽吉崎観音の特徴===
#吉崎「かんのん」。
#現在もドラクエの漫画を描いている。
#*ブレイクワールドや神獣界も登場している。
#*もちろんキュルルとキュルルの共演も実現済み。
 
===偽美水かがみの特徴===
#[[春日部市|地元]]なんて一切興味ない。
#冒険活劇ばかり描いている。
#「みみず かがみ」。
 
===偽雷句誠の特徴===
#藤田和日郎とは何の関係も無い。
#原稿紛失に鷹揚な対応を見せて見直される。
 
===偽六道神士の特徴===
#平野耕太とは無関係。
#久米田康治のアシスタント経験あり。
#18禁作品を描いたことがない。
#仕事は少年画報社でしかしないと決めている。
#『エクセル・サーガ』作中で『ラブひな』や『陸上防衛隊まおちゃん』、『魔法先生ネギま!』をネタにして、赤松に「六道の野郎(笑)」とコメントされた。
 
===偽若杉公徳の特徴===
#メタル愛好家だ。
#キン肉マンが嫌い。
 
===偽渡瀬悠宇の特徴===
#少年誌に連載を持ったことがない。
#某宗教団体とは無関係。
 
===偽和月伸宏の特徴===
#あまりの絵の下手さに「幼稚園児のらくがき漫画」と称されている。
#*画風改造の結果「小学生の女の子が描いたような漫画」に進化した。
#和月組(特にO田E一郎)から嫌われている。
#作者自身がジャンプ作家史上稀に見るイケメン。
#*単行本の著者近影がホストっぽい。
#**栄養状態が心配されているほど細い。
#キャラクター名などに東京の地名をもじった漫画を描いている。
#*むしろ[[新潟|出身地]]の[[平成大合併の悲劇/甲信越・北陸#新潟|合併]]が進むに合わせ、「るろうに~」に登場する一部のキャラクター名を変更している。
#**例:巻町操 → [[新潟市/西蒲区|西蒲]]操、新井赤空 → [[新潟/上越#妙高市の噂|妙高]]赤空など
#**ついでに三条燕(←登場人物のほうね)の命名を巡って、[[三条市|某]][[燕市|所]]の[[三条vs燕|終わりなき争い]]を煽ってしまった。
#原稿を落としても罪悪感を全く感じない。
#*そもそも原稿を落とした事がないので、罪悪感を感じる必要がない。
#女性の裸やパンチラをニヤニヤしながら描く。
#女性キャラにブスな連中が盛り沢山。
#木多康昭の名を騙って評判を下げ、木多を集英社専属から追い出すことに成功した。
#サムライスピリッツが大嫌い。
#自分の作品が、[[ニコニコ動画|某動画サイト]]や[[アンサイクロペディア|某ユーモアサイト]]で全くいじられない。
#幕末の知識に乏しく、土方歳三なんて名前すら知らない。
#*『燃えよ剣』なんて読んだことない。
#エンターテイメントの基本はアンハッピーエンドだと信じ込んでいる。最近はハッピーエンドものを描く様になった。
#子供が嫌い。
#パチンコ・パチスロに好意的。
 
[[Category:偽人物の特徴|まんかか]]

2021年7月1日 (木) 08:57時点における版

JR

山手線

  • ここでは営業上の山手線(環状運転区間)について扱います。
1890年代
  1. 東京駅ではなく丸ノ内駅と名乗っていたかも。
    • 現実ほど巨大な駅舎になったかどうか怪しい。
  2. 都制化になる物も早まっていた?
    • 都制は「大東亜戦争」という非常時だから反対を無視して実現できたという側面があるのでそれはない。
  3. 場合によっては赤羽駅まで通っていた可能性も。
1910年代
  1. 秋葉原駅ではなく万世橋駅に通っていたかも。
    • この場合秋葉原駅は貨物駅のままだったかもしれない。
1940年代
  1. 恐らく戦災復興都市計画として開業だろう。
    • 環状化の構想は関東大震災後の帝都復興計画などにも盛り込まれていたが諸般の事情により実現が大幅にずれ込んでいた。
1960年代
  1. こうなると東京オリンピックの再開発の一つになっていた。
  2. この時期に開通した区間は間違いなく地下線。

川越線

1890年代
  1. 史実の停車駅だと少ないので、秩父まで開業していた可能性も。
    • 停車駅は大宮、川越、高麗、秩父大宮かも。
      • 高麗から秩父に抜ける工事がかなりの難事業になりそうだが・・・
      • 高麗ではなく飯能に通っていたかも。
    • 川越線ではなく秩父線になっていた。
    • もちろん西武秩父線は開業していない。秩父鉄道は微妙。
  2. 電化はもう少し早かった可能性も。
  3. 秩父の観光開発は史実通り行っていただろうか?
  4. 位置づけは「商都川越と現在の東北本線を結ぶ路線」。
    • 戦時色が強くなり東京を迂回するルートの必要が出てくるまでは大宮-川越のみ。
  5. 西武大宮線など存在しなかった。
  6. 川越駅は現在の本川越駅あたりになっていた。
1980年代
  1. 開業当時から電化していた。
  2. 大宮駅-川越駅間の路線が埼京線になっていた。
  3. もともとは東京に用がない貨物列車を東京都心に入れないための路線のつもりだった。
    • この場合は複線化もされているはず。
    • となると史実の武蔵野線がさらに遠くにいったということか。東武野田線もJRに編入され、八高南線・相模線もセットになっていた。

京浜東北線

1880年代
  1. 運営は日本鉄道?
  2. 停車駅は上野-日暮里-田端-王子-赤羽-川口-蕨-浦和-与野-大宮か?(場合によっては上尾まで)
    • 川口駅は「武蔵川口駅」に。
  3. 神奈川方面延長は国有化後。

八高線

1890年代
  1. 八王子-飯能-越生-小川-寄居-児玉-藤岡-高崎になっていたかも。
  2. 八高北線は電化されていたか?
  3. どう考えても貨物輸送がメイン。
    • 主に上州の繭を絹織物産業が盛んだった八王子へ運ぶため。
      • 横浜線との間にスイッチバックなしで直通できる短絡線が建設される。

埼京線

1890年代
  1. 停車駅は品川-大崎-目黒-恵比寿-渋谷-新宿-目白-池袋-板橋-赤羽-蕨-浦和-大宮かな。
    • つまり上野駅がターミナルではなかったってこと?
    • 要は高崎線が品川支線のルートで開業ってことか?
  2. 赤羽線は存在しない可能性も。
  3. 2chの殺人予告の「埼京線の上野駅」が実在していた可能性も。
  4. そもそもこの場合だと名実ともに東北本線になっている気がする。
1940年代
  1. 当然当時は新幹線は無いので新幹線併設在来線という言葉は無い。
    • 東北本線の別線にはなっていない。あえて付けるとしたら「戸田線」とかか。
    • 戸田駅が「武蔵戸田駅」になっていた。
  2. 川越線と直通するかは微妙な所。
  3. 私鉄による建設。
    • あくまで東京-大宮・浦和で省線に対抗するため。
    • 沿線地域は昭和30年代でも農村ばかりだった。
      • 私鉄なら開発も積極的になされているのでは。
    • 後々都営三田線への乗り入れ構想が浮上する。
    • 要するにこの計画が実現していた場合である。
1960年代
  1. 東京五輪の競艇場アクセスに活躍。
  2. 車両は山手線や総武線から流れてきた旧型国電でスタート。
    • 1970年代に新性能化されるが、おそらくラインカラーは現実と異なる。
  3. あるいは五方面作戦の一環(赤羽〜大宮間線増)として建設され、東北・高崎線の一部列車がここを経由したかも。
    • 武蔵野線開業後、前橋~沼津間の普通列車が廃止されず、この路線を経由。
      • おそらく8両編成以下(板橋・十条駅の当時のホーム長を考慮)。
  4. 新幹線の(予定)用地も同時に確保された。

武蔵野線

1890年代
  1. 路線名は「府中線」か「船橋線」辺りになっていた。
  2. 停車駅は府中-所沢-志久-浦和-越ヶ谷-松戸-船橋辺りになっていたかも。
    • 志久ではなく志木では?
  3. 軍事上の必要性がかなり表に出されていた。
    • 沿線に相当する地域にそこまでの旅客需要があったようには到底思えない。
  4. 現実より地平区間が多い。
    • 車両にA基準が求められたり、水害で駅が崩壊することはなかった。
  5. 川越線は無かった(武蔵野線が東北本線と中央本線のバイパスとなったため。)
    • その代わり国分寺ー所沢ー川越ー大宮の私設鉄道路線が開業していた。
      • その後西武鉄道に買収され、西武大宮線として名づけられていた。
  6. 武蔵野線の開通に合わせて都市開発が進んでいったため、史実より市街地の位置が大幅に変わっていた。
    • 後発で開通した路線もそれに合わせていた。
  7. 国分寺で中央線、浦和で高崎宇都宮線、松戸で常磐線、船橋で総武線とそれぞれ直通していた。
  8. その後南武線が府中~川崎で開通。むろんダイレクトで直通していた。
  9. 武蔵野操車場はハンプヤードになっていなかった。
1990年代
  1. JRではなく首都圏新都市鉄道の一路線として開通していた。
  2. ルートは史実と違っていた可能性大。
  3. 下河原線は南武線の一支線として現在も残存していた。ただし東京競馬場駅は廃止になっていたかも。

京葉線

1890年代
  1. 日本鉄道運営か?
    • むしろ行徳や浦安の有力者が誘致した軽便鉄道では。
      • この場合は総武鉄道の東京府内の駅と船橋を結ぶ路線だった。
      • 沿線で獲れた海産物の輸送も盛んだった。
    • 当時の東京-千葉間に鉄道が2本も必要だったとは考えにくい。
  2. ルートは史実の東西線に近いルートになっていた。
  3. なので史実の京葉線はりんかい線として開業していた可能性も。
    • 都市政策案通り有楽町線が幕張まで伸びていたのでは。
  4. 1890年代だと京葉間の埋め立てが早くないと無理じゃないの?
    • 夢の島がまだないからね……京葉貨物線まであるとすると、お台場に軍港が作られ、海軍の専用線として巨大な橋梁が並んでいた可能性
  5. 東武亀戸線の起点が越中島だったかもしれない。
  6. 千葉港駅の読み仮名が「ちばこう」だったかもしれない。
1970年代
  1. 内房線・外房線直通の優等列車は新宿発着以外こちらに移行。
  2. 総武線の複々線化は津田沼止まりだった。
  3. 越中島や千葉みなとあたりに貨物ターミナルが開設された。
    • むしろ新木場〜東京間は建設されず、新木場以西は史実のりんかい線と同じルートだった(但し大崎ではなく大井に向かう)。
1990年代
  1. りんかい線の一部として開業していた?
    • 一部として開業していたら第3期の東京駅-新木場駅間が開業した時になんか動きがあったかもしれない。
  2. この路線ができるまで東京ディズニーランド周辺では渋滞が深刻だった。
  3. 開業が遅れたとなると、幕張まで千葉都市モノレールが伸びていた可能性もゼロではない。
  4. 千葉みなと駅は最初からこの表記だった。
1980年代に全線開業していたら
  1. 内子線とともに国鉄最後の新線開業として注目された。
  2. 東京ディズニーランドへのアクセスがより便利になっていた。

成田新幹線

2010年
  1. 成田スカイアクセスは存在しない。
  2. 都心部や空港周辺の用地買収をやり直す羽目になる。
    • 上野起点だったかもしれない。
2020年代
  1. 通常鉄道かリニア方式かで揉める。
    • 後者ならJR東海管轄で起点も品川に。
  2. 東北新幹線・リニア中央新幹線のいずれかと直通運転。
  3. 史実より地下区間が多く、起終点駅も深い位置にある。

成田線(空港支線)

1970年代
なりたくうこう
成田空港
NARITA AIRPORT
なりた
NARITA

  1. 成田新幹線の計画があるので特急は乗り入れず、普通列車で運行。
    • 暫定的に特急は走らせていたと思う。但し使われるのは183系。
  2. 本数は日2往復程度しかなく、空港関係者向けの輸送が中心。
  3. 空港第2ビル駅は後に開業。
    • その代わり佐原方面の分岐点付近に土屋仮乗降場が存在した。
      • こちらも民営化直前に駅に昇格する。
  4. 乗務員の中に空港反対派がいるのか?
    • 国鉄時代は度々ストライキが発生していた。
    • 三里塚空港廃港とゲバ字で書かれた113系アジ電が入線して大顰蹙
    • 浅草橋焼き討ち事件は史実より10年くらい早く起きてしまう
  5. 113系0番台初期車が幕張電車区に転入しなかった。

吾妻線(嬬恋線区間)

1920年代
  1. 上信鉱業専用軽便線という名前で開通していた。
  2. 戦後嬬恋線、または三原線としていた。
  3. 草軽電鉄と乗り入れをしていた。
  4. 結局現ルートで改軌電化が行われる。
  5. あるいは草軽電鉄に譲渡されていた。
  6. 1940年代に戦時下の突貫工事で事故起こしまくりながら温泉のど真ん中掘ってさらに延伸、全通し長電と相互直通運転してしまう。

上野東京ライン

1890年代
  1. 山手線・赤羽線は開業しなかった。
  2. 史実とは違い、国鉄は直通運転に積極的だったかもしれない。
  3. 秋葉原駅、日暮里駅に高崎線・宇都宮線の列車が止まっていた。
  4. 上野駅に地平ホームはなかったか、荷物・貨物専用として使われた。
  5. 「上野東京ライン」の愛称はなく「東北線」と呼ばれる。
1990年代
  1. そもそも上野東京ラインなんて名前にはなっていない。
    • 単に「常磐線直通」「東北(→宇都宮)線直通」「高崎線直通」「東海道線直通」と案内される。
  2. あさまに東京発着が存在していたか。
  3. 京浜東北線の快速運転は実施されない。そのあおりで山手線が減便。
    • 山手線は11両化されなかったかも。
  4. これでも高崎線・宇都宮線の新宿発着実施は史実通り。
  5. バブルの時代だから上野駅の地平ホームはつぶされて再開発される。
  6. 東北新幹線東京延伸と同時に開通していた。
  7. 当然、211系も上野東京ラインに乗り入れしてた。
    • 415系電車も乗り入れていたかもしれない。
  8. 交通博物館で上野東京ラインの開業イベントが行われ、史実より入場者数は増えていたかもしれない
2000年代
  1. 651系電車が乗り入れていたのは当然ながら、E653系電車も乗り入れていた。
    • E657系電車の登場は史実通り。
      • 場合によっては、史実よりも早く登場していたかもしれない。
  2. 相鉄・JR直通線の開業は2015年頃に早まっていたかもしれない。
    • その場合、相鉄・東急直通線の開業は2019年頃に早まっていた。
  3. 品川~上野~いわき~仙台間を結ぶ特急「ひたち」が運行されていた。
  4. 2011年の東日本大震災の影響により、同年4月までに運休となっていた。
    • その代わりに、工事の方では、震災の影響を受けることはなかったので、工期は1年程短縮していたかもしれない。(史実では、開業までに7年の工期を費やした。)
  5. 211系電車が2019年3月頃までに当路線に乗り入れていたかもしれない。
  6. 2010年代には、特急「あかぎ」が品川までに乗り入れていたかもしれない。
2013年or2014年

当初の開業目標としていた年です。

  1. E657系電車が史実より多く増備されていた。
    • 651系電車による代走はなかった。
  2. 常磐線直通列車の増備が2017年3月のダイヤ改正で実施されていた。
1980年頃
  1. 東京-上野間を通る中電の先頭・後方の行先種別表示器に「東海道線-常磐線」「東海道線-東北線」「東海道線-高崎線」と表示される。
    • 常磐線・成田線成田~我孫子間発着の通勤電車は行先のみ表示される。
      • 「SM分離」と同時期に開通したため「横須賀線-総武線」と比較される。
        • 「上野東京ライン」の愛称はなく「東北線」と呼ばれる。
    • 当初「浜松発黒磯行き(片道約420km)」などの長距離列車が存在した。
      • 「大垣夜行」の走行距離よりも少し長いため鉄道ファンからネタにされた。
        • 中には全区間乗り通すファンもいた。
    • 東海道・常磐・東北・高崎線中電の側面方向幕使用開始が1970年代後半だった。
  2. 神田付近は先に上部の列車線を建設しその後下部の新幹線の高架を建設したため史実ほど難工事にならなかった。
    • 場合によっては'85年3月改正で東北・上越新幹線東京~大宮間が開通した(上野駅新幹線ホームも同時に設置)。
      • それでも東海道~東北・上越新幹線の直通は実現しなかった。
  3. 東海道-東北・高崎線直通の中電は基本11両編成(グリーン車連結)+付属4両編成の組成、115系使用としたためサロ115が実現している。
    • 115系1000代を東海道-東北・高崎線直通運用向けに多く投入する必要が生じ横須賀・総武線系統への新車導入数を減らしたため初期113系1000代の総武・横須賀地下線乗り入れが実現した。
      • クハ115の新製数は史実より少ないはず。
        • 静岡所の115系4連は東海道-東北・高崎線直通運用に入ることも多かった。
    • 東海道線東京口運用の113系の多くは80系などの置き換え用に地方転用された。
    • 211系の東海道-東北・高崎線直通運用編成は基本10両編成(G車連結)+付属5両編成に組成され付属5両編成はクモハ211が連結(将来の地方転用考慮)された。
      • おそらく1000・3000代で0代は中京圏向けのみだった。
        • むしろ首都圏向けに暖地向け211系が投入されたのでは(下記横須賀線ー総武線用の多く)?
    • クハ115の新製数は史実より多いのでは(113系を東海道線東京口から追い出し115系統一を図るため)?
    • 常磐線中電の直通増加がつくば万博に合わせて実施された。
      • 同線通勤電車の15両運行開始時期も早まっている。
    • 横須賀線ー総武線中電の車両更新時期が早まっているの思われるので横須賀線ー総武線用211・213系が実現している。
    • 静岡所115系4連は1984年2月改正で御殿場線運用を分離しJR化後先頭車へのATS-P設置やブレーキ力向上が行われ改番が実施され2006年頃まで活躍。
    • 209系6ドア車はサハ208-951のみでE231系編入と共に廃形式に。
      • 勿論京浜東北線の6ドア車はなかった。
        • 上野→御徒町間が日本一の最混雑区間にならなかった。
    • 湘南新宿ラインは運行開始から全列車グリーン車連結だった(遅延防止と上述から211系グリーン車連結編成が2001年当時史実以上存在したと考えられるため115・215系の定期運用はなかった)。
      • E217系の湘南新宿ライン定期運用と国府津へ転属する編成はなかった。
    • E231系1000代基本編成は当初からG車連結だった。
      • E531系導入時から基本編成はG車連結だった。
    • 215系は導入当初から「ニートレイン」と呼ばれたかも(恐らく快速「アクティー」は東北・高崎線直通、日中の運用が少なかったと考えられるため)。
    • 211系幕張転属車は存在せず(基本編成は当初からG車連結済)115系幕張転属車は2000年代前半に増加し(その間老朽113系を置き換えた)209系2000・2100代に置き換えられるまで運用された。
      • 史実の211系幕張転属車はサハ・サロを廃車後直接長野に転属している。
    • 営団→東京メトロ半蔵門線と東武伊勢崎線の相互直通開始・TX開業前は常磐線直通(特急以外)の混雑が激しかった。
      • 下記のE501系増備・朝のピーク時上野以南発着の全列車投入はこの対策
    • 211系サロにクハ210・クモハ211を挟む編成は存在しなかった(基本編成は当初からG車連結の為)
      • 高崎ローカル転用後の6連中間のクハ210・クモハ211も。
      • もしかしたら高崎ローカル4連水上方先頭車はクハ210だったかも。
    • TXの開業当初の予定通り2000年だった可能性も。
  4. 常磐・東北・高崎線方面の電車急行・電車特急、常磐線方面の普通・快速に当初から品川発着の列車が存在した(一部は復活)。
    • 当初103・115・165・169・181・183・189・401・403・415・451・453・455・483・485・583系が営業列車で乗り入れた。
    • その後185・211・E501・651・E653系も営業列車で乗り入れた。
    • むしろ当初の計画通りに東京発着となり、2015年3月のダイヤ改正で品川発着となっていた。
      • 東京折り返し本数を減らし上記通り「つくば万博」に合わせ常磐線中電の直通増加を実現させるため品川駅の配線改良が'84年までに実施され品川発着の列車が多く設定されたかも。
    • 国鉄はテコ入れのために上野発着の寝台特急と寝台急行が東京までに延長していた。
      • 583系でないと難しいのでは?
        • そのため東京発着の寝台特急・寝台急行は583系使用に。
          • 大阪~東京~東北を結ぶ電車寝台特急が存在したか?
    • クハ415-1901連結の編成は上野以南の営業運用に入らなかった。
    • 上記の寝台急行・寝台特急は廃止まで電車運転だった。
      • 「北斗星」「エルム」「カシオペア」は史実と同じ。
  5. '89年の「横浜博」に合わせて、日中常磐線から上野・東京経由で横浜まで乗り入れる列車が多かった(「横浜博アドベンチャー」号は上野・東京経由で運行)。
    • 「つくば万博」へのアクセスのため「エキスポライナー」に神奈川県内発着の便が存在した。
    • 横浜博は大成功した可能性も。
  6. 常磐線取手以北・東北線大宮以北・高崎線の沿線開発がバブル期にかなり進む。
    • E501系の増備は2000年頃まで継続し403・415系0代(0'代ではない)を置き換えた。
      • 増備途上で国産メーカー製IGBT-VVVF採用や1・10・11号車への車椅子対応トイレ設置、一部号車へのボックスシート配置が行われた。
        • 初期車も機器更新時に上記の内容通りの改造が行われた。
    • この場合E531系導入数が少し減っている。
      • 増備完了からE531系導入開始まで朝のピーク時に上野以南発着の全列車に入った。
        • 土浦以北・水戸線転用は史実と同じ。
    • 「ホームライナー鴻巣」「ホームライナー古河」は東京発着だった。
      • 「ホームライナー土浦」を忘れずに。
    • 白岡・鷲宮・栗橋町は2000年までに市制施行、菖蒲町は久喜市と合併しなかった
    • 藤代町は取手市と合併せず単独で市制したかも。

根岸線

1880年代
  1. 東海道本線の一部になっていた。
    • 横浜駅(初代)でのスイッチバックはなかった。
  2. 戸塚経由のルートは貨物線として建設。
    • 品鶴線と同時、遅くとも戦時中には開業していた。
1920年代
  1. 建設動機は関東大震災からの復興と京浜工業地帯の振興か。
  2. 桜木町事故は起きなかった。
  3. 山手線の読み仮名はずっと「やまのてせん」のままだった。

湘南新宿ライン

1960年代
  1. 路線案内では「山手線経由」と案内していた。
  2. 赤羽線は山手線各駅停車に乗り入れていた。
  3. 武蔵野線開業前なので貨物列車が多く本数は多くない。
  4. 品川発着・新宿経由の列車も運転していた。
  5. 東横線の特急誕生が40年早かった。
    • 東急初代5000系のカットボディは特急のサボ付きで展示されていた。
1973年
  1. 東京-上野間回送線の廃止代替も兼ねて旅客化。前橋-沼津の普通列車は新宿経由で存続。
    • サロ115が1968年頃に登場,以降115系の大量生産に切り替わる(111系・113系の多くは大阪万博輸送に備えて西日本地区へ転属)。111系・113系・153系から改造されたサロ115も多い。
  2. 新川崎駅がこのとき開業。上記列車の名残で北側は高崎線,南側は東海道線へ多く乗り入れるが,国鉄時代は日中の運転本数が少ない。
  3. 東京急行は対抗し東横線の特急運行を30年早める。国鉄との差別化のため,1本/毎時は営団日比谷線に乗り入れ。
  4. 73年に起きた上尾事件と多く結びつけられる。
  5. 上野駅を発着する急行の多くが新宿駅発着に移行。急行「日光」は同時に特急に格上げ,新宿発着に変更。2020年現在も存続。185系は存在せず,貫通路付きクハ183の生産が早期に再開される。183系が「新幹線リレー号」の多くに使用された。
1990年代
  • ちなみに史実では、1988年に池袋駅までに乗り入れ、1995年に新宿駅までに乗り入れました。
  1. 早くても、1998年に開業していた。
  2. E231系電車の登場が史実より早まっていた。
  3. 2000年代には史実より多く増発され、高崎線の(籠原駅 - 高崎駅間)も15両編成で運行されていた。

鹿島線

1930年代
  1. 私鉄での開業後、戦時買収で国鉄線編入。
    • 社名には「神宮」とか「参宮」などがついていた。
    • 当時の法人格は現在の関東鉄道に吸収された。
    • おそらく参宮鉄道が国有化されたか。
  2. 鹿島神宮から鉾田まで開通できたかもしれない。
    • 大洗・水戸方面も国鉄工事凍結寸前に駆け込みで開業できたかもしれない
  3. 鉄道利用が定着し、極端にバス利用に傾かず特急あやめが存続している…わけないと思う。

相模線

1890年代
  1. 最初は人車だったはず。
1940年頃
  1. 国が川越線同様東京の迂回路で建設した。

烏山線

1930年代
  1. 仁井田以東は現実より線形が良かった。

大手私鉄

京急空港線

1960年代前半
  1. 書類上はかつての休止区間の復活。
    • 羽田空港駅と初代穴守駅が同一駅ということにされた。
  2. 開業時期は東京五輪が近づいてきた1963年11月1日。
    • 史実ではこの日路線名が「穴守線」から「空港線」に変更された。
  3. 国際空港への路線ということで京急のショーウインドーとされた。
    • 新車はまずこの路線へ真っ先に導入される。
      • 地下鉄1号線は東京五輪までに泉岳寺まで完成した。同時に京浜急行本線泉岳寺-品川間も完成。押上-(普通)-泉岳寺-(急行)-京浜蒲田(のち京急蒲田)-(急行)-羽田空港の運転系統ができる。当初1時間に3本設定された。
  4. 横浜方面からの列車も設定された。
    • 京急蒲田駅の構造が史実とはやや異なっていたかもしれない。
      • 最低でも2面4線になっている。間違っても2010年までのように2面3線で3番線1つで空港線発着列車をすべて捌くなんていう無理がある構造にはならない。
      • その代わり10両編成以上で停車するのは,高架化の後にずれた。高架化自体が1990年頃だったかもしれない。
  5. 400形・500形は大師線で引退していた。
  6. 「蒲田とばし」は特に問題にならなかったかもしれない。
  7. 東京モノレールが大打撃を受けていた。
    • 下手したら廃線になって90年代まで橋桁が残っていたかもしれない。
      • 生き残れたとしても,途中駅の設置が早かったかもしれない。

京王相模原線

1910年代
  1. 史実の多摩川支線が最初から対岸に伸びた形で開業していた。
    • 周辺状況を考えるとおそらく稲城までが初期開業区間になる。
    • 稲田堤で南武鉄道と接続していた。
  2. 京王よみうりランド駅は矢野口駅(南武線の駅とは別)から改称される形で開業していた。
  3. 多摩ニュータウンの開発が始まるまでは全電車が調布駅で折り返し運転をしていたか、新宿からの乗り入れがあったとしても各駅停車のみだった。
    • その後1970年代に調布駅は全面改修され、地下化ではなく高架化されていた。
  4. 最初から橋本まで延びていた場合は多摩ニュータウンの構想自体が大幅に変わっていた。
    • 史実では未成に終わった城山延伸も実現していた。
1960年代後半
  1. 京王が「多摩高速鉄道」といった子会社を設立し、そこが京王多摩川以西の建設主体になった。
    • 開業直前に京王に合併された。
    • 最初の延伸区間は京王多摩川~稲城間に。
      • この区間で、京王は独自に住宅開発を行った。
    • 多摩センターまで延びたのは結局現実と同じ時期に。

東武鉄道

東武野田線

1890年代
  1. 運営は東武鉄道ではなかった。
    • 当初は「北総鉄道」とも「総武鉄道」とも異なる社名を名乗っていた。
  2. 県庁所在地にならなかった岩槻市の圧力と見なされていた。

東武東上線(東上鉄道)

1890年代
  1. 予定通り長岡駅…いや新潟駅まで伸びていた可能性もある。
    • そうなると国有化されてこの路線が名実ともに上越線になる。
  2. 川越線の電化も少し早まっていたか?
  3. 川越鉄道(国分寺〜本川越)はなかった。
    • 西武新宿線の高田馬場〜小平を開通させたのは多摩湖鉄道だった。

東武熊谷線

1900年代
  1. 「熊谷と妻沼の連絡」が建設動機か。
    • 社名は「妻沼鉄道」。
  2. 北武鉄道ともども秩父鉄道に合併され同社の「妻沼線」になっていた。
    • そして電化。
1920年代
  1. 東武鉄道の本線系と東上線を接続するための路線として着工される。
    • 東松山から西小泉まであまり間隔を置かずに全通していた。
  2. 開業当初から電化されている。

東急電鉄

東急田園都市線

1930年代
  1. もし玉川電気鉄道が普通鉄道として開通していたらそのまま西に延伸していた。
    • 南町田は「玉電鶴間」駅として開業。
    • 「新玉川線」という路線名はない。
  2. 史実通り玉電が軌道線だった場合は目黒蒲田電鉄が建設したかもしれない。
    • 溝の口以西も「大井町線」となる。
  3. 中央林間都市の構想に影響を与えていた。
  4. 大東急時代に小田原線のいずれかの駅まで延長される。
  5. 渋谷~二子玉川間は地下ではなく地上線になっていた。
    • 半蔵門線とは三軒茶屋あたりで合流。もしくは渋谷を通らないルートになっていた。

渋谷-二子玉川園(旧新玉川線区間)

1964年
  1. 同年の東京五輪に合わせて建設された。
    • 開通当初の東急側の車両は、営団2000形ベースの、オールステンレス車だった(もちろん東急車輌製)。
  2. 要するにこういう事か。

東急新横浜線

1930年代
  1. 建設目的は「神中鉄道の合併」辺りだった。
  2. 大倉山で分岐。
1964年
  1. 開業時「夢の超特急」との連絡を唄い何かしらの宣伝がされた。
  2. 新横浜への「ひかり」「のぞみ」(全)停車が早まったかも。
  3. 日比谷線直通電車が新横浜発着になっていた。
    • 旧7000系が現実より多く造られた。
      • その置き換えで1000系も。
    • 営団→メトロ3000・03系も乗り入れていた。
    • 目黒線日吉延伸が2000年くらいに実現したかも。
      • この時点で実質的に「目黒線」の一部に。
    • 新3000・メトロ9000・SR2000系・都営6300形が現実より多く造られる。
      • その代わり現実の5080・3020系は存在しない。
      • 同じく都営6500形登場が遅れたかも。
    • 早期に全8両化されたかも。
      • 下記のように(営団→メトロ副都心線~)東横線との乗り入れは想定されなかったためか。
    • 基本的に日吉・菊名発着の日比谷線直通電車はなかったか少数だった。
  4. 上記のように大倉山で分岐。
    • 目蒲線の分離や東横線多摩川(園~)小杉~菊名間高架化が早まったかも。
      • 「目黒線」復活後(副都心線~)東横線との乗り入れは想定されず実質その一部になったか。
1970年代
  1. 上記のように「ひかり」「のぞみ」新横浜(全)停車が早まったかも。
  2. 8000系列が現実より多く造られる。
    • その置き換えで新5000系列も。
    • 新3000・メトロ9000・SR2000系・都営6300形も現実より多く造られる。
      • その代わり現実の5080・3020系は存在せず都営6500形登場が遅れたか。
    • 上記のように早期に全8両化されたかも。
      • 下記のように(営団→メトロ副都心線~)東横線との乗り入れは想定されなかったためか。
  3. 目蒲線の分離や東横線多摩川(園~)小杉~日吉間高架化が早まる。
    • もしかしたら大倉山分岐になり菊名まで史実より早く高架化されたかも。
    • 「目黒線」復活後(副都心線~)東横線との乗り入れは想定されず実質その一部になったか。
1980年代
  1. おそらく菊名駅を起点として、新横浜を経由して西谷(または二俣川)までの路線になっている。
  2. 菊名駅は東横線が緩急接続するため東横線とは別のホームになり、同一ホームでは乗り換えできない。
    • 二層式になってる。
    • ただ東横線沿線から東急の運賃のみで新横浜に行ける便利な路線になっていた。
  3. 複々線が菊名まで延伸され目黒線と直通するようになっていた。
  4. 相鉄との直通は当初は行われなかった。
    • 00年代くらいにスタートしている。
  5. 横浜線快速は現在でも菊名は通過。
  6. 2001年3月の東横特急新設まで存在した菊名駅の「横浜線、新幹線ご利用の方はお乗り換えです」という自動放送はなかった。
    • その代わり「新横浜線、横浜線はお乗り換え」という似た路線名2つの案内になって少しややこしくなる。
      • 路線名が変わっていたか?
  7. 新横浜駅にのぞみが停まるのが遅くなっていた?
1990年代前半
  1. 上記の目蒲線の分離や東横線多摩川(園~)小杉~日吉間高架化も早まる。
    • 途中駅ホームは8両分しかなく(営団→メトロ副都心線~)東横線との乗り入れは想定されず「目黒線」と案内される。
  2. 9000系列に南北・三田線直通対応車が登場。
    • メトロ9000・SR2000系・都営6300形が現実より多く造られる。
      • その代わり都営6500形登場が遅れたかも。
    • 新3000系が増発用で登場。
      • その代わり現実の5080・3020系は存在しない。
    • 早期に全8両化。
  3. 新横浜への「のぞみ」全停車が早まった。
  4. 横浜線快速の菊名停車はなかった。
1998年
  1. 同年の神奈川国体に合わせる形だった。
    • 開業が前年に早まったかも。
  2. 上記の目蒲線の分離や東横線小杉~日吉間高架化も早まる。
    • 同じく途中駅ホームは8両分しかなく(営団→メトロ副都心線~)東横線との乗り入れは想定されず「目黒線」と案内される。
    • 同じく新3000・メトロ9000・SR2000系・都営6300形が現実より多く造られる。
      • その代わり都営6500形登場が遅れたかも。
    • 新3000系が2年程早く登場。
      • 現実より多く造られる代わり5080系はあまり造られず3020系は登場しない。
    • 2000年代に全8両化。
  3. 上記のように「のぞみ」新横浜全停車が早まったかも。
  4. 上記の横浜線快速は現在も菊名に止まらない。
2001年
  1. 翌年のW杯に合わせる形だった。
    • SR開業とも重なっていた。
  2. 新綱島駅ホームは8両分しかなく(メトロ副都心線~)東横線からの乗り入れはなく「目黒線」と案内される。
  3. 新3000系・営団→メトロ9000系・都営6300形が現実より多く造られる。
    • その代わり5080系はあまり造られず3020系は登場しない。
    • 都営6500形登場が遅れたかも。
    • 2000年代に全8両化される。
    • SR2000系忘れてないか?
  4. 新横浜への「のぞみ」全停車が愛・地球博までに実現したかも。
  5. 横浜線菊名快速停車はなかった。
2008年
  1. 横浜オリンピックが実現していたらあり得た。
  2. 史実の目黒線小杉~日吉延伸と同時だった。
  3. 上記同様新綱島駅ホームは8両分しかなく(メトロ副都心線~)東横線からの乗り入れはなく「目黒線」と案内される。
  4. 目黒線8連化が早まる。
    • 5080系が現実より多く造られ3020系は登場しない。
    • メトロ9000系6次車が2007年登場。
  5. 相鉄20000系と都営6500形登場が早まったかも。
2019年
  • 当初は4月開業予定
  1. 同年のラグビーW杯と重なる。
  2. 上記同様目黒線8連化が早まる。
    • 東急3020系・相鉄20000系が2017年登場。
      • 相鉄側は創立100周年の意味合いもある為。
    • 上記の都営6500形登場も早まったかも。

西武秩父線

昭和初期
  1. 池袋線との境界は吾野ではなく飯能だったかも。
    • 通称「吾野線(飯能~吾野間)」を秩父に延長した後「秩父線」に改名。
  2. 現実よりトンネルが少ない。
  3. 武州鉄道汚職事件はなかった。
  4. ED60の西武バージョンが登場する。
  5. 武蔵野鉄道デハ5500形(開通時)の新製数が多い。
    • デハ5550形・サハ5650形・サハニ5753形の事か。
  6. 開通時から秩父鉄道と直通している。
  7. 戦後小鹿野町経由で軽井沢に延伸。
  8. 西武5000系は601系ベース(電磁直通ブレーキと空気バネ台車を全車装備)で1963~64年に登場。
    • 801系は1970年代まで大量生産された。
1989年
  1. ライオンズの選手が開業記念イベントに登場した。
  2. 貨物列車は運行されなかったか、史実より本数が少なかった。

京成成田空港線

1990年代
  1. =当初から成田新幹線代替のルートが北総線延伸案を採択した場合。
    • JRや京成本線は成田空港に乗り入れていない。
      • 一部ではJRの労組の組合員が三里塚闘争のシンパだったので建設させたくなかったという陰謀論がささやかれる。
      • 京成本線との連絡線は史実通り開業していたんじゃないだろうか(船橋とか津田沼からのアクセスもあるし)。どのみち旧来の成田空港駅は東成田に改称されてそのまま放置。
  2. 北総鉄道の運営になっていた。
    • 当時はまだ小室以西を都市基盤整備公団が保有していたので、その辺りの調整に若干手間取っていたかもしれない。
  3. 当初の最高速度は100km程度か。
2000年
  1. JRと京成本線の乗り入れは暫定的に開業していた。
  2. 2002年10月のダイヤ改正でエアポート快特が快速に格下げされて、京成成田で打ち切られることもなかった。
  3. 京成3700形電車と住宅・都市整備公団9100形電車が史実よりも多く増備されていた。
  4. AE100形電車は2000年までにリニューアル化され、増備されて、スカイライナーとして、運行されていた。
    • AE形電車 (2代)の登場が史実よりも遅れて登場していた。
  5. 北総鉄道の印西牧の原~印旛日本医大間の開業と同時に開業していた。
  6. 成田ニュータウンの整備が史実よりも進んでいた。

相鉄いずみ野線(いずみ野~湘南台)

1970年代
  1. その場合、1976年と同時に開業していたか、1978年~1980年あたりに開業していた。
  2. 1990年に香川駅まで開業し、1999年に平塚駅まで開業していた。
  3. 慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスの開設も史実より早まっていたかもしれない。
  4. 相模鉄道は1970年代もしくは、1980年代に大手私鉄としての認定を受けていた。
  5. 横浜市泉区の人口が史実より多くなっていた。
  6. 1990年代には、相鉄本線とともに特急が運行されていた。(史実では、2014年に運行され始めた。)
1990年
  1. 1999年に慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス周辺までに延伸開業していた。
    • その際、「藤沢遠藤」駅になっていた。
  2. 無論、横浜市泉区の人口が史実よりも多くなっていた。
  3. 相鉄の湘南台駅は高架駅になっていたかもしれない。

相鉄・JR直通線

  • 史実では、2019年11月30日に開業しました。
国鉄時代
  1. 国鉄205系電車が乗り入れていた。
  2. 新横浜駅~羽沢横浜国大間の開業も史実よりも早まり、東急新横浜線の開業も早まっていた。
1990年代
  1. 池袋駅まで運行していた。
  2. 相鉄8000系電車が乗り入れ対応になっていた。
  3. 湘南新宿ラインの横須賀線直通か東海道線直通のどちらかが代わりに相鉄線直通になっていたかもしれない。
2000年代
  1. 湘南新宿ラインの開業が史実よりも早まっていたら、あり得た。
  2. 東急新横浜線も2019年頃に開業していた。
    • 後で、計画が加わってできたものなので、史実通りに、2022年頃に開業していた可能性もあり得る。
  3. 2009年3月頃に開業していた場合、相鉄11000系電車が埼京線に乗り入れていた。
    • 12000系電車の登場は史実通りだが、20000系電車の登場は史実よりも遅れて、登場していたかもしれない。
    • 国鉄205系電車が相鉄線を走行する光景を見ることができた。
    • 埼京線のE233系の導入は中央線と同じく2006年頃になっていたかもしれない。
2010年
  1. 相鉄11000系電車が埼京線に乗り入れ、史実よりも多く増備されていた。
  2. 2010年12月のダイヤ改正で開業していた。
  3. 翌年の東日本大震災の影響で一時的に直通運転を取りやめていた。
  4. 2014年3月のダイヤ改正or2015年3月のダイヤ改正で増発され、いずみ野線にも乗り入れていた。
    • その際に相鉄12000系電車が登場していた。
  5. 後は2000年代に開業した場合と同じ。
2015年
  1. 12000系電車の登場が史実よりも早まっていた。
  2. 2017年3月or10月のダイヤ改正で増発していた。
    • いずみ野線にも乗り入れていた。
    • 埼京線新宿以北・川越線への乗り入れが日中でも実施していたどうかは怪しい。
  3. 東急新横浜線が2019年頃に開業していた。
    • 2019年のラグビーワールドカップの開催に合わせて、開業していた可能性が高い。
    • もしくは、予定通りに2022年頃に開業していた可能性もあり得る。
  4. 首都圏にとって、上野東京ラインの開通とともに、重大な出来事として注目されていた。
  5. 相鉄沿線の地価が高騰化していた可能性が高い。
2017年
  1. 相模鉄道が創立100周年という記念すべき年と重なって開業していた。
  2. 相鉄12000系電車の登場が史実よりも早まっていた。
  3. 2017年3月か10月のダイヤ改正で開業していた。
2019年3月の場合
  1. 横浜国立大学へ通う学生にとって、便利になっていた。

小田急電鉄

小田急多摩線

1940年頃
  1. 終点が陸軍造兵廠だった。

地下鉄

東京メトロ副都心線

1960年代
  1. 西武の乗り入れはなかった。
    • 箱根や軽井沢の開発競争を見ると絶対にあり得ない。
    • さらに渋谷駅周辺の西武百貨店は西武鉄道とは全くの別会社のため。
  2. 東武の電車は全て渋谷止まり。東急の電車は全て池袋止まり。
  3. 東急の主張で車両は18m。
    • 日比谷線同様東急の先見のなさとして語り継がれる。
      • でも日比谷線ほどカーブがキツい訳ではないからあっさり20m化対応をしていたと思う。
    • この場合東武は有楽町線開業時に直通を打ち切ったか。
  4. 池袋東急が現存している。池袋東武が史実通りならば東急ハンズの位置に移転かもしれない。池袋丸物は池袋近鉄ではなく史実通りパルコになる。
1990年代
  • ちなみに有楽町新線(現副都心線小竹向原-池袋間)の開業は1994年である。
  1. 東急9000系の乗り入れがあった。
    • 当初から東武・西武両線乗り入れを考慮している。
  2. 発車音はブザーのみ。
    • 池袋以南の壁面デザインも営団タイプのものになっていた。
      • 初期の駅名標は南北線と同様のデザインになっていた。
  3. 池袋駅が「新線池袋」と呼ばれることはなかった。
  4. 要町・千川では最初から客扱いを行っていた。
  5. 埼京線の渋谷駅が山手線ホームに隣接していた
  6. 森林公園始発や飯能始発などの桜木町行きが存在した。
    • 当時の東急東横線のホーム有効長を考慮し、東武9050系(現実より多く製作されたと思われる)と西武6000系前期車に、8両固定編成が存在していた。
  7. 東武東上線の地上車完全10両編成化は行われない。
  8. E231系500番代の6ドア車は存在しなかった。
    • 無論600・4600番代も同様。
    • 山手線は2005年頃に全駅ホームゲート設置を完了している。
2000年代前半
  1. みなとみらい線開業と同時期に開業していた。
    • 同時に東急東横線・みなとみらい線に直通運転していた。
  2. ダイヤに関しては現実とあまり変わらない。
  3. 営団地下鉄としては最後の新規路線となった。
  4. 1990年代と同じ東急9000系の乗り入れがあった。
    • 時期によっては東急3000系も。
  5. この頃になると発車メロディもそれぞれの駅につけられるようになった。
  6. Fライナーも2006年頃には存在した。

東京メトロ丸ノ内線

昭和10年代
  1. 車両の大きさは銀座線と全く同じ。
  2. 池袋ではなく大塚が終点になっていたかもしれない。
  3. 営業列車でも銀座線直通があった。
  4. 車両は史実ほど派手な塗装ではない。
  5. 一部区間は防空壕としての使用も想定される。
  6. 東京高速鉄道の計画通りにこちらが「新宿線」を名乗った可能性もある。

東京メトロ南北線

1980年代
  1. 当初の答申通りなら有楽町線や半蔵門線より先に開業していた。
  2. ホームドア設置、ワンマン運転はなかった。
    • 21世紀に入ってゲートタイプのホームドアが設置されワンマン化していた。
    • 1984年以降開業なら最初からあったかもしれない。
  3. 開業時の車両は千代田線の6000系に準じた7000系だった。
    • 21世紀に入って07系が導入される。
    • 有楽町線車両は8000系・08系、半蔵門線車両は9000系・09系になっていた。
  4. 埼玉高速鉄道ももっと早く開業していた。

都営地下鉄大江戸線

1980年代
  1. 20m車8両編成で運転されていた。
    • その分東京都交通局への負債も増加する。
    • 浅草線ではなく三田線と規格を共通化していたかもしれない。
  2. 放射部よりも環状部が優先的に建設される。
    • 下手をすると新宿以西は別路線か浅草線の泉岳寺-西馬込間のような状態になっていた。
      • もしかしたら江古田から地上に出て西武池袋線に乗り入れをしていたのかもしれない。
  3. ほぼ間違いなく「大江戸線」という路線名にはなっていない。
    • 「内都心線」だったりして。
  4. 1989年に練馬~光が丘間が開業した場合、当路線が日本初の鉄輪式リニアモーターミニ地下鉄になっていた。
    • 1996年末までに練馬~新宿間が開業していた。
1990年代前半
  • 1991年に練馬〜光が丘間で12号線として開業しましたが、もし同時期に全線開通していたら…
  1. 12-000形の白い塗装車は現実より遥かに多くなっていた。
    • 1990年代後半ぐらいに増発された場合、非塗装車が製造されても現実より非塗装車の影は薄かった。
    • 2008〜2009年頃には既に12-600形が存在し、2019年度内に12-000形は全部廃車になっていた。
    • あるいは12-000形を大規模改造していた。
  2. 汐留駅も遅くとも1998〜1999年頃には開業していた。
    • その場合、東新橋駅とかになっていたかもしれない。
    • そのため、ゆりかもめの汐留駅も現実よりも早く開業していた。
  3. 浅草線のエアポート快特も最初から大門も停車していた。
  4. 「大江戸線」という名前になっていたかどうかは微妙。
  5. 一部の駅の名前が違ってたかもしれない。

埼玉高速鉄道

1980年代
  1. バブル時代なので一気に蓮田駅まで開業していた。
    • 今頃、羽生駅延長も計画していただろう。
  2. 浦和美園の開発も早まる。
    • 浦和美園ではなく新浦和と名乗っていた可能性もゼロではない。
      • ゼロでしょ。浦和から遠すぎるし・・・
      • むしろ浦和市内に浦和が付かない駅が出来ていた可能性が高い。
  3. 赤羽岩淵ではなく王子か池袋あたりが起点となっていた。
    • 後者の場合は副都心線との直通を行っていた。
    • 逆に営団が東川口まで造り、以北が埼玉高速鉄道という可能性もある。
1990年代
  1. 早くても、1992年頃に開業していた。
    • 1991年11月に営団南北線(駒込~赤羽岩淵間)と同時に開業していた可能性が高い。
  2. 2001年に岩槻まで延伸開業していたかもしれない。
    • 2002年のFIFAワールドカップに控え、埼玉スタジアム付近までに開業していた可能性もあり得る。
  3. 浦和美園駅周辺の開発は史実よりも進んでいた。
  4. 開業を機に、営団南北線は6両編成で運行されていた。
  5. 埼玉高速鉄道2000系電車は史実よりも多く製造されていた。

東葉高速鉄道

1960年代
  • 営団地下鉄(東京メトロ)東西線と同時期に開通していたら?
  1. 営団地下鉄(東京メトロ)勝田台線として開通を果たし、今のような高額運賃になることはなかった。
  2. 京成電鉄のバイパス線としての役割を果たせていただろう。
1970年代後半
  1. 開業当時の車両は営団7000系の車体構造・走行機器類、京成3500形の内装を組み合わせた車両だった。
  2. 運賃は現実よりわずかに安い。
1990年代前半
  • 当初の開業予定は1993年春に開業する予定でした。
  1. バブル期と重なっていたので、沿線における開発が史実よりも進んでいた。
  2. 東葉高速鉄道1000形電車の運用が史実よりも若干長く運用されていた。

横浜高速鉄道みなとみらい線

1980年代
  1. 1985年以降に開業していた。
  2. 1989年に開催された横浜博覧会を機に、臨時列車が運行されていた。
  3. 駅名は開業当時に「高島駅」「みなとみらい中央駅」「北仲駅」「県庁前駅」「元町駅」になっていた。
    • 各駅のホームは、20m車10両分設置可能な空間が、建設時から確保される。
    • みなとみらい中央以南は横浜ベイブリッジ開通後に建設。
      • 横浜市営地下鉄3号線関内~山下町間建設(史実では中止)は、'73年9月に変更された予定ルートの本町通りが、横浜港へのトラックが多く通行し、3号線建設工事による渋滞が懸念され、ベイブリッジ開通まで着工が延期されたため。
    • 遅くても1999年(横浜開港140周年)までに本牧まで延伸。
  4. 東急東横線菊名~横浜間は、みなとみらい線の開業と同時に保安装置がATCに移行。
    • みなとみらい線の保安装置は開業当初からATC。
    • 東急8090系は当初から先頭車に貫通扉が設置された(当初からATCの搭載を考慮)、8590系は存在しない。
    • 8500系の後期車は8090系と同じ構造に。
    • 開業当初自社保有の車両はそれと同型だった。
  5. 東急東横線ではなく、JR横浜線と直通運転をしていたかもしれない。
    • もしくはJR京浜東北線。
1990年代
  1. 駅名と路線名は史実通り。
  2. 横浜高速鉄道Y500系電車と東急5000系電車の登場が史実より早まっていた。
    • 田園都市線への5000系電車の投入は予定通り250両となっていた。
      • 田園都市線には、5050系電車が投入していた。
    • その代わりに、2020系電車の投入はなかったか、もしくは、史実より遅れていた。
    • 東急3000系は史実の300系が名乗った。
  3. 1998年までに開業した場合、横浜ベイスターズの日本一で祝賀列車が運行されていた。
  4. みなとみらい線の各駅は、当初からユニバーサルデザインを考慮している。
  5. 横浜駅の横須賀線、湘南新宿ラインホームの拡張工事の完成が史実よりも早まっていた。
    • 東急東横線の跡地に遊歩道が史実よりも早く出来上がっていた。
2001年
  1. 横浜高速鉄道Y500系電車と東急5000系電車の登場が2001年に早まっていた。
      • 5000系電車は東横線で運用され、5050系電車は5050系電車で運用されていた。
  2. 時期的に埼玉高速鉄道の開業と重なった。
  3. 開業と同時に東横線の特急の運行が開始されたか、開業に見越して、1997年3月か1999年3月のダイヤ改正で運行が開始されていた。

横浜市営地下鉄ブルーライン

あざみ野~新百合ヶ丘間が別の時期に開業していたら

史実では、2030年度に開業予定。

2000年代
  1. 3000S形が史実よりも多く製造されていた。
    • 場合によっては、3000N形電車と3000R形電車が史実よりも多く製造されていた可能性もあり得る。
  2. 2008年に開業した場合、グリーンラインの開業と同時になっていた。
    • グリーンラインの開業が2001年~2006年頃に早まっていた可能性もある。
  3. 快速運転の開始が史実よりも早まっていた可能性もあり得る。
2010年代
  1. 3000V形の登場が史実よりも早まっていた。
  2. ヨネッティー王禅寺付近を通る「東側ルート」で開業していた。
  3. 東急田園都市線の混雑がさらに激しくなっていたかもしれない。
1990年代
  1. 新横浜~あざみ野間の開業が史実よりも早まっていた。
    • 横浜~新横浜間or上永谷~戸塚間の開業が史実よりも早まっていたかもしれない。
  2. 港北ニュータウンは史実よりも発展していた。
    • モザイクモール港北、港北 TOKYU S.C.の開業が史実よりも早まっていた。
  3. 2002年におけるFIFAワールドカップ応援の企画はどうなっていたのであろうか?
上大岡~伊勢佐木長者町間が別の時期に開業していたら

1949年、横浜市が発表した「横浜市建設計画概要」の高速鉄道の建設で、横浜~高島町~桜木町~磯子~杉田~金沢~鎌倉~大船~戸塚~中山~綱島~市場町~生麦~横浜間の環状線と、桜木町~弘明寺間の分岐線の計画が盛り込まれた。

1959年
  1. 同年の横浜開港100周年・横浜市政70周年を機に、開業した。
    • 市政ではなく市制。
  2. 当初の車両は営団(のちの東京メトロ)300・400・500形と似たもの。形式名は「2000形」辺り<既存の市電との兼ね合い,2000年(当時の近未来)を目指す意味合い>。
  3. 郊外私鉄との乗り入れは一切考えない。
  4. 1964年に新横浜~伊勢佐木長者町間、1960年代後半に上大岡~上永谷間が延伸開業する。
    • 港北ニュータウンの開発が多摩ニュータウンと同時期になり、(あざみ野ではなく)たまプラーザ~新横浜間が1970年代前半に延伸開業。
    • 上永谷~戸塚間は1970年代後半、新百合ヶ丘~たまプラーザ間は1980年代前半に延伸開業。
    • 戸塚~湘南台間は1989年(横浜市制100周年、横浜開港130周年)に延伸開業(下飯田~湘南台間は当初から、相鉄いずみ野線の乗り入れを想定した構造)。
  5. グリーンラインは2000年頃に開通した。

横浜市営地下鉄グリーンライン

構想自体は1960年代からありました。

1980年代
  1. 2000形電車と同じタイプが運行されていた。
  2. 2000年代には、中山~元町・中華街間が開業していた。
2000年代前半
  1. 無論、東急目黒線の武蔵小杉~日吉間の開業が史実よりも早まっていた。
  2. センター北駅とセンター南駅周辺にある商業施設の開業が史実よりも早まっていた。
  3. 2002年までに開業した場合、FIFAワールドカップの開催によって、ラッピング列車が運行されていた。
  4. 2004年以降にブルーラインのあざみ野~新百合ヶ丘間が開業していた。
1990年代
  1. 港北ニュータウン計画の一環として、実施されていた。
  2. 東急目黒線の武蔵小杉~日吉間の開業が史実よりも早まっていた。

東京メトロ半蔵門線

当初の予定では、1975年9月に渋谷~三越前間が完成する予定でしたが、沿線の地権者による反対運動により、予定が大幅に遅れました。

渋谷~三越前が1970年代に開通していたら
  1. 営団08系電車が開通時に登場していた。
    • 営団8000系では。東急8500系借り入れはなかった。
  2. 水天宮前までの延伸が1980年代に、押上までの延伸が1990年代に実現していた。
    • 押上延伸と同時に東武伊勢崎線館林まで・日光線南栗橋までの相互直通運転が開始されていた。
半蔵門~三越前間の開業が1988年頃までに開業していたら
  1. 1987年までに開業していたら、営団車両による10両編成の運転が開業時に実施されていた。
  2. 当路線が平成で初めての鉄道路線の延伸となることはなかった。
  3. 押上までの延伸は1990年代に実現し、同時に東武伊勢崎線館林まで・日光線南栗橋までの相互直通運転が開始されていた。
水天宮前~押上間の開業が1990年代に開業していたら
  1. 北千住駅の改良工事が完成した1997年かそれ以降に開業していた。
  2. 営団08系電車と東武50000系電車の登場が史実よりも早まっていた。
    • 場合によっては、50000系電車は東上線ではなく、本線に投入されていたかもしれない。
  3. 2000年代前半には、相互直通運転区間が久喜駅までに延長されていた。
  4. 急行「しもつけ」、「ゆのさと」、「きりふり」への特急格上が史実よりも早まっていた。
水天宮前~押上間の開業が2000年か2001年に開業していたら
  1. 営団08系電車が2000年1月か2001年1月に運用開始していた。
  2. 2001年に開業した場合、東武伊勢崎線越谷~北越谷間高架複々線化の完成と同時期であった。
  3. 久喜駅までの乗り入れが2003年3月に早まっていたかもしれない。
    • 開業と同時に乗り入れていたかしれない。
    • 当時の久喜駅の配線の都合で開業と同時に館林まで直通していたか(館林分断も同時に)。
      • そうなると久喜~館林間の沿線開発の進行が現実以上だった。

その他

つくばエクスプレス

1890年代
  1. 日本鉄道運営。
  2. 終点駅は秋葉原駅ではなく上野駅か日暮里駅。
    • つくば(「竹園」?)から先は現実の筑波鉄道のルートで岩瀬まで伸びていた。
  3. 東京上野ラインの計画はこの列車も含まれていた。
  4. 要するに北千住-土浦付近の海岸線(現常磐線)のルートが変わっただけ。
    • 当時はまだ平行線を走らせるほどの需要はなかったはず。
    • 常総線と竜ヶ崎線は守谷が起点だった。
  5. 全区間踏切なし・全駅ホームドア付きの近代的な路線にならず、130km運転もなかったかも。
1970年代
  1. 車両は415系だったか?
    • 直流区間はなぜか70系。
    • むしろ101系や401系の溜まり場に。
  2. さすがに廃止対象にはなっていない(はず)。
  3. 常磐線と接続され特急や急行も走っていた。
    • 上野駅などでは誤乗防止のため「筑波経由」「取手経由」などという案内がされていた。
  4. 筑波鉄道は史実より数年早く廃止された。
    • 筑波以北は残っている気がする。
1980年代
  1. 車両は415系(といっても顔が211系のほう)。
    • 113系を改造したものは無いだろう。
      • ここじゃあるまいし。
  2. 国鉄の緊縮財政で北千住止まり。
    • 秋葉原延伸は民営化後。
      • むしろ南千住まで複々線化用地を確保して打ち止めになる。
        • 地下化するにしても史実のようなルートにはならないと思う。
    • 国鉄ではなく地元などが出資した3セク会社だった可能性もある。
  3. 開業はつくば科学万博の直前。
    • つくば科学万博のメインアクセス路線として大活躍し、入場者数も現実以上に多かった。
2000年代前半(2000年も含む)

当初の計画では2000年に開業予定でした。

  1. TX-1000系電車、TX-2000系電車の登場は史実通り。
  2. 2004年に放映された大河ドラマ「新選組」をきっかけに、流山市に訪れる人が史実より多かった。
    • これを機にラッピング列車が運行されていたかもしれない。
  3. 2003年に開業した場合、圏央道の一部開通と同時期であった。

りんかい線

1960年代
  1. 東京オリンピックの開発になっていたか怪しい。
    • 当時は何もないので明らかに貨物列車向けなので。
  2. トンネルはそんなに長くないような気がする。
  3. 京葉線の開業も早まる。(とは言っても貨物列車での開業)
  4. 臨海副都心は貨物駅跡地の再開発名目で建設されていた。
    • というわけで史実通り旅客化される。
  5. 当然ながら国鉄線としての開業。
    • 京葉線の一部になっていたか、そうでなければ「東京臨海線」といった名前になっていた。
1980年代
  1. 東京臨海高速鉄道として開業か、JRで開業する理由で揉めるのか?
  2. JRで開業していたら、埼京線か京葉線の路線になっていた。
  3. 開業当初は貨物列車が中心になる。
    • 駅名も「13号地」などの無味乾燥としたものがメインになる(後に改称)。
      • 南八潮→品川シーサイド、東品川→天王洲アイル、13号地→東京テレポート、10号地→国際展示場、11号地→東雲、新木場(当初から)か。
  4. 埼京線は開業初期からりんかい線と直通運転してた。
  5. 車両は1980年代前半の場合は201系、1980年代半ばか後半の場合は205系をベースにして製造してた。

箱根登山鉄道

1870年代
  1. 東海道本線の支線になっていた。
    • 1879年末の時点でも開業区間は新橋-横浜、京都-神戸しかなかったのでそれはない。
      • 省線が箱根を直接経由しようとした準備云々としてならまだ可能性はあるんじゃないの?
  2. 箱根の観光開発は史実よりも早く行っていたか。
  3. 当時の技術では建設できなかった公算が大きい。
    • ヨーロッパの似たような地理的条件の登山鉄道ができたのは古くても19世紀末から20世紀初頭くらい。
    • 本当に開業していたら「19世紀後半の特筆すべき鉄道技術の金字塔」などとして世界遺産に登録されるのは確実。
    • 少なくとも箱根湯本までは作れると思うんだが・・・。
    • ラックレール式鉄道の確立前になるから、箱根湯本から先はケーブルカーになっていた可能性が高い。
1930年代
  1. 小田原急行電鉄が建設していた。
    • 場合によっては社名が「箱根急行電鉄」になっていた。
    • 箱根湯本までは最初から狭軌の線路しか敷かれていない。
      • 逆に小田急が標準軌で建設されていた場合は千代田線の直通相手が変わっていただろう。

鹿島臨海鉄道大洗鹿島線

1930年代
  1. 史実の鹿島線に相当する区間も同時に開業。
    • 水戸-香取が1本の省線となっていた。
  2. 鉾田では鹿島参宮鉄道(のち鹿島鉄道)と乗り換えられた。
  3. 茨城交通水浜線の寿命は確実に縮まっている。
  4. 東京か両国-千葉-佐倉-鹿島神宮-水戸のルートに急行(のち特急)が運転された。
    • 名称は「かしまなだ」か。
  5. 鹿島臨海工業地帯の計画内容が大きく変わっている。
  6. 神栖線も旅客化されていた。さらに銚子方面への延伸も検討される。
  7. 智頭線は国鉄時代に開業していた。

北総鉄道

1930年代
  1. ニュータウンがない変わりに印旛沼あたりに大浴場や野球場が存在した。
  2. 京成グループじゃなかったかもしれない。
  3. 自力で都心や山武方面に延伸していたかもしれない。
    • さらに自力で成田まで延伸し、空港直通の輸送にも携わっていた。
  4. 下記同様、運賃はそこまで高くない。
1970年代前半
  1. 開業当初はリース車両のみの保有だった。
  2. 千葉ニュータウンへのアクセスが重要視されたため史実とは異なり京成高砂から開業していた。
    • よって新京成との乗り入れはなかった。
    • 最初から東京方面に直通していたため、運賃があそこまで高額になることはなかった。
  3. 成田空港への延伸は約20年後に実現。都営5200形は大量増備地下鉄1号線の8両化が10年程早く進んだ。京浜急行を含む4社局乗り入れが70年代後半に実現。但し暫くは朝時間帯が殆ど。
    • 成田空港まで延伸されても北総線のまま。空港第2ビル・成田空港両駅の中間改札は(京成グループ内)別会社のためにある,とされる。後に撤去されない。
    • AE100形以降のスカイライナー車両は北総鉄道が所有。大規模な検査は宗吾工場で。

千葉急行電鉄

1960年代
  1. 小湊鉄道の路線として開業していた。
    • 千葉駅まで乗り入れていた場合、史実の車両は一掃されている可能性が高い。
1970年代前半
  1. 市原ニュータウンの開発は進んでいた。
  2. 破綻することもなかったかもしれない。
1930年代
  1. 京成が「両総(上総と下総を結ぶ)急行鉄道」の様な子会社をつくり、そこが建設した。
    • 開業当初の車両は京成200・210形と同型車両だった。
    • 戦時統合で京成に吸収された、その際に路線名称が千葉線に統一。
  2. 途中白井村(現在の千葉市若葉区)を経由、旧白里町辺りが終点だった。
    • 京成は海水浴輸送に注力した、戦前から京成上野~京成津田沼~京成千葉(現在の千葉中央駅)~白里間に急行が走った。
    • 海士有木方面へは白井村で分岐していたかも。
1980年代
  1. 中断することなく、真面目に工事を行っていたら、開通することができた。
  2. 1980年代後半に千葉中央~大森台間が開業し、1990年代前半に大森台~ちはら台間が開業していた可能性もあった。
    • 大森台~ちはら台間が1991年3月に開業していたら、京成電鉄にとって、大規模なダイヤ改正になっていた。
  3. 京成3600形電車と京成3700形電車と京成3400形電車の投入が史実よりも早まっていた。
    • 京成3700形電車と京成3400形電車が史実よりも多く製造されていたかもしれない。
    • 開業が1988年以降になったら、京急から旧1000形電車をリリースしていた。
  4. 予定通りに、1997年4月に千葉中央~大森台間が複線化されて、2000年4月に大森台~ちはら台間が複線化されていたかもしれない。
  5. 千葉急行電鉄の経営状態は若干マシになっていたのかもしれないが、それでも、1998年10月に京成電鉄に譲渡されていた。
  6. それでも、海士有木への延伸計画は難航していたであろう。
    • 辰巳台までの延伸は実現していたかもしれない。

ドリーム交通

1980年
  1. 日本跨座式モノレールの企画で開業されていた。
  2. ドリームランド周辺がドリームハイツ以外もニュータウン化されていた。
  3. ダイエーグループではなくかなちゅう相鉄小田急が出資していた。
  4. 大船〜ドリームランド間は小雀駅、相模原宿駅、相模深谷駅もできていた。
  5. 開業から数年後、長後や綾瀬市を経由したルートにて延伸開業が進んでいた。
    • そうなれば並行する神奈中バスの路線も再編されていた。

多摩都市モノレール

上北台~箱根ヶ崎間

2019年
  1. 念願の鉄道が開業したことにより、武蔵村山市にとって、喜ばしい年であった。
  2. 遅くても、10月頃までに開業していた。
  3. 町田方面の延伸計画に力を注いでいた。

立川北~上北台間

1990年代前半
  • 当初の開業予定でした。
  1. 時期的にファーレ立川の開業と重なっていた。
    • 立川駅周辺における開発も史実よりも進んでいた。
  2. 2000年までに上北台~箱根ヶ崎間が開業していた。

立川南~多摩センター間

1970年代前半
  1. 多摩ニュータウン周辺の交通整備事業として建設された。
    • 史実通り日本跨座式が採用された。
    • 東京都地下鉄建設」に相当する東京都系の企業が約20年早く設立され、社名が「東京都交通開発」辺りになる。
      • 1970年代以降に建設された都営地下鉄の区間(新宿・大江戸線の全線)と日暮里・舎人ライナーはそこが建設主体に。
    • 姫路モノレールのように東京都交通局の直営となった。
    • おそらく「東京都交通局のモノレール構想」、「環5モノレール線」も実現していた。
      • 東京都交通局は跨座式と懸垂式のモノレールを保有する珍しい交通事業者となった。
  2. 「立川南」駅は開業当初「立川」駅を名乗った。
  3. 現実より運賃は安くなっていたか。

千葉都市モノレール

1970年代
  1. 当初の車両は湘南モノレール300形ベースだった。
  2. 最初の開通区間はどうなっただろうか。
  3. 1号線は現実の千葉急行電鉄の代わりに、県庁前駅から千葉寺駅を経由、以降現実の千葉急行電鉄のルートで延長されていた。
    • 株主に千葉中央バス・小湊鐵道(両社共に京成系列)も加わっている。

日暮里・舎人ライナー

※当初の予定では、1999年度、2002年度に開業する予定でしたが、諸事情により、2008年3月に伸びました。

1990年代
  1. 当初から建設と運営主体は東京都になっていた。
  2. 都営バス里48系統は廃止されていた。
  3. 330形電車は300形電車の置き換えとして、投入されていた。
  4. 2010年代末には埼玉県への延伸が実現していたかも。
2003年
  1. 300形電車が史実よりも多く製造されて、混雑が若干緩和されていた。
    • 場合によっては、330形電車と320形電車が投入されることはなかったかもしれない。

宇都宮ライトレール

全般
  1. 開業時期によっては宇都宮市などの沿線自治体は経営に関わらなかった。
    • 戦前に開業した場合戦時統合で他社と合併していた。
      • 停留所名に片仮名は入らなかったかも。
      • 鉄道敷設法の通り国有化された可能性も。
        • 東武系列になっていた可能性もある。
  2. 軌道ではなく鉄道扱いだったかも。
1900年代
  1. 開業当初の社名は「芳賀軌道」。
    • 「日本鉄道(→省線)宇都宮駅と芳賀地域の連絡」が建設目的とされた。
    • 当初は非電化だったが、昭和に入った頃に電化。
  2. のちに宝積寺と烏山を経由して大子まで延伸していたかも。
    • この場合省線(現在のJR東日本)烏山線は存在しなかった。
  3. 戦時統合で関東自動車と合併し、合併会社が「栃木交通」を名乗った。
1930年代
  1. 開業当初の社名は「常野電気軌道」。
  2. 下竹下から先は北(旧南高根沢村)ではなく東(旧水橋村)に向かっていたかもしれない。
    • 当初の終点が水橋村内だったかも。
    • 清原村の宇都宮市への編入時期が現実より遅かったかも。
    • 将来的に、水橋村から七井経由で茨城鉄道沿線のどこかで直結(茨城鉄道・水浜電車と一体化させ、宇都宮~水戸間直通運転を目指す)する壮大な構想だったかも。
      • 加えて水橋村から市塙・烏山経由で常陸大子まで延伸する分岐線構想が出たかもしれない。
    • そのため建設当初から狭軌路線だったかも。
    • (宇都宮~水戸間が開通できた場合)戦時統合で発足した「茨城交通」は「常野交通」という社名だったかも。
      • この場合戦時統合で関東自動車に吸収された会社のうち幾らかが常野交通に吸収された。
  3. 戦時中は陸軍飛行場への輸送で活躍した。
1940年頃
  1. 国が上記の陸軍飛行場連絡の為建設。
1980年
  1. 栃の葉国体に合わせ開業。
    • 開業が1979年に早まった可能性も。
  2. モノレールで開業。
  3. ホンダキヤノンカルビーなどの工団進出企業が主要株主になっていたかも。
    • 栃木県資本が当初から入っていたかも。
    • 東武や栃木の関東バス資本も現実より多く入っていたかも。
  4. 栃木SCラッピング車が走っていたかも。
  5. 宇都宮駅は新幹線駅と一体整備され駅中央部2階に発着している。
  6. 2000年頃までに大谷や真岡へ延伸された。
平成期
  1. 富山ライトレールと比較されていた。
    • HU300はTLR0600の3連接版だったかも。
      • 2連接だったらTLRの丸パクリ呼びされるかも。
      • 2020年頃に旧東武日光軌道線の復刻塗装車が走ったかも。
  2. 2010年代に開業した場合、東日本大震災の影響で工期が伸びていたかもしれない。
  3. 2022年か2023年頃に宇都宮駅~大谷間が開業していたかもしれない。
  4. 2014年以降に開業した場合、栃木県のマスコットキャラクターである「とちまるくん」と芳賀町のマスコットキャラクターである「はがまるくん」が開通式に参加していた。
  5. 宇都宮駅東西の再開発が早まったかも。
  6. 上記同様工団進出企業が主要株主になっていたかも。
  7. 時期次第で上記の栃木SCラッピング車が走っていたかも。
  8. 2000年代前半より前だったらモノレールで開業。
2020年
  1. 2020年東京五輪を見越し開業。
  2. おそらく富山の影響を史実より受けた形か。
  3. HU300の登場が早まる。
    • 開業から間もない頃に旧東武日光軌道線の復刻塗装車が走ったかも。
  4. 早ければ2030年頃に大谷や真岡へ延伸されたかも。
  5. 上記同様宇都宮駅東西の再開発が早まったかも。
2022年
  • 当初の開業予定年
  1. とちぎ国体に合わせ開業。
  2. 当然HU300の登場が早まる。
  3. 2020年五輪が東京以外だったかCOVID-19がなかったらありえた。
  4. 上記のように宇都宮駅東西の再開発が早まったかも。

常南電気鉄道

1900年代
  1. 開業当初の社名は「稲敷軌道」。
  2. 当初は非電化だったが1920年代後半に電化。
  3. 戦時中海軍飛行場への輸送強化の為国有化され「霞ヶ浦線」になっていた。
1940年頃
  1. 国が上記の海軍飛行場連絡の為建設。