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#*2年目は47試合出場にとどまり、当時の藤田元司監督と対立し解雇。
 
#*2年目は47試合出場にとどまり、当時の藤田元司監督と対立し解雇。
 
#*その後、無用の長物を意味する単語として「トマソン」が使われるようになってしまった。
 
#*その後、無用の長物を意味する単語として「トマソン」が使われるようになってしまった。
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#**もはや[[モーニング娘。ファン#飯田圭織ファン|飯田圭織]]の「ジョンソン(デイビー・ジョンソンが元ネタ)」並みに由来が薄くなっている。
  
 
;フランク・ハワード
 
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;バリー・ボンズ
 
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#ホームランのMLB記録を更新したスラッガーだったが、薬物疑惑が付きまとい、司法妨害罪と偽証罪で起訴されるまでに至った。
 
#ホームランのMLB記録を更新したスラッガーだったが、薬物疑惑が付きまとい、司法妨害罪と偽証罪で起訴されるまでに至った。
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#人間性が残念。今でこそ多少丸くなったが現役時代は性格があんまりだった。
  
 
;ビル・マドロック
 
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2019年11月14日 (木) 09:02時点における版

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  • 「選手」とありますが監督としてざんねんだった方も含みます。

日本人

相川亮二
  1. 2006年のWBC優勝メンバーであるが、リーグ戦では優勝に縁がなかった。
    • 最初に所属した横浜は1998年に優勝しているが、彼の1軍デビューはその翌年だった。
    • 2009年にヤクルトに移籍するも、彼が巨人に移籍した翌年の2015年まで優勝から遠ざかっていた。
    • そしてもっと優勝できそうな巨人に移籍したのに優勝を経験できず引退。
伊東勤
  1. 西武監督時代の2007年に怪我人が相次ぎ、交流戦で10連敗を喫し、26年ぶりのBクラス (5位) に終わったことにより監督を辞任。
  2. その後WBC日本代表総合コーチ→韓国・斗山ベアーズヘッドコーチを経て2013年に千葉ロッテの監督に就任。3位→4位→3位→3位と来て、最後の2017年は最下位で監督を辞任。
    • 伊東自身にとって選手、監督通して31年目にして初の最下位だった。
上田利治
  1. 選手時代は広島に在籍したものの、怪我で活躍できず早々と引退。
  2. ヤクルトとの1978日本シリーズ第7戦で6回裏一死からヤクルトの大杉勝男が左翼線に放った本塁打をファウルだと抗議し、そのためにシリーズ史上最長の1時間19分の中断を余儀なくされた。
    • その後試合は再開したものの、マニエルと再度大杉に本塁打を打たれた結果、阪急はヤクルト初の日本一を献上する形になり、上田はこの日本シリーズでの混乱の責任を取るため退任した。
  3. 1988年10月23日、阪急ブレーブスとしての西宮球場最終戦終了後の挨拶で「去る山田久志、そして残る福本」と言うつもりだったものを、間違えて「去る山田、そして福本」と言ってしまい、最終的に福本の引退に繋がってしまった。
  4. 1996年にはオリックスと熾烈な優勝争いを繰り広げたものの、同年9月に家庭の事情により休養しチームを離脱、オリックスに逆転優勝を許す形になってしまった。
    • 仮に優勝していたらこの年の日本シリーズは同じく東京ドームを本拠地とする巨人との対決になっていただろう。
緒方孝市
  1. 詳しくはこちらを参照。
小川博
  1. 引退後の2004年に強盗殺人事件を起こし、無期懲役の判決を受けてしまった。
  2. この影響で、あの10.19の第1試合が半封印状態になってしまった。
    • 小川は第1試合の先発投手だった。
    • 現役時代に付けていた背番号の「26」も事実上の永久欠番に。その理由は「ベンチ入りの25人の選手に次ぐファンの番号」としているが、ファンもこんな曰く付き物件いらんだろう…。
梶本隆夫
  1. 阪急ブレーブスの左腕エースとして、米田哲也と共に「ヨネカジ」として活躍するも、チームが長らく低迷していたこともあってか通算254勝255敗と通算200勝以上した投手の中で唯一の負け越し投手になってしまった。
    • さらにルーキーイヤーには20勝を挙げるも、南海ホークスの宅和本司が26勝を挙げたため新人王を逃した。現在でも20勝して新人王になれなかったのは梶本だけ。
  2. 1957年7月23日の南海戦で9連続奪三振を達成したが、9人目を三振に奪った時に捕手の山下健に「カジ、これ新記録やで」と言われ急に記録を意識しだし、10人目の打者の皆川睦男(投手)にセンターフライを打たれ記録が途絶えた。
    • 後に梶本は「皆川を三振に取っていたら20は行ったんじゃないかな」と語っている。
  3. 投手の主要タイトルを遂に獲得できなかった。
    • あるシーズンの終盤、梶本に最多勝のタイトルを獲らせるために勝ち試合でのリリーフを監督から促されたことがあったが、梶本は「他人の勝ち星を奪うようなことは勘弁してください」と登板を断った。
加藤哲郎
  1. 1989年日本シリーズ第3戦終了後の例の失言により、近鉄悲願の日本一を逃したA級戦犯として大きな非難を浴びてしまった。
    • 加藤は第3戦の試合後のヒーローインタビューで「別に、とりあえずフォアボールだけ出さなかったらね、まぁ、打たれそうな気ぃしなかったんで。ええ、たいしたことなかったですね。シーズンの方がよっぽどしんどかったですからね、相手も強いし」と発言したが、これがいつの間にか「巨人はロッテより弱い」という発言になってしまった。
      • 加藤は第7戦に再び先発したが、2回表に駒田徳広に先制ソロホームランを打たれ、駒田に「バーカ!」と近鉄ベンチに向かって叫ばれるなど、3回3分の1を投げて3失点で降板。近鉄は悲願の日本一を逃してしまった。
      • 該当のインタビューでは当時のパ・リーグらしいまあまあ舐めた態度で受け答えをしていたので、むしろ被害者一辺倒の扱いになったのは幸せじゃないだろうか。
  2. その後は右肩の故障で成績が低迷。1993年に近鉄を自由契約となり、1994年は広島、1995年はダイエーでプレーしたが、結局1995年限りで現役を引退。
  3. 引退後は朝日放送で解説者をしていたり、俳優をしたり、焼肉店をしていたが倒産。
    • (2019年)現在は大阪の天満橋で麻雀教室を開いている。
金村義明
  1. 日本一に縁が無かった。
    • 1989年(近鉄)、1997年・1998年(西武)と日本シリーズには3回出場したが…。
      • 1989年はチームメイトの加藤哲郎の失言騒動もあり3連勝からの4連敗で日本一を逃す。
        • 1998年は西武の最後のバッターとなってしまった。
  2. 引退試合(1999年9月30日・千葉ロッテ戦)もJCOの臨界事故・中日のリーグ優勝・山本和範の引退試合と被ってしまった。
    • 金村は引退後にラジオ番組で「これまでの選手生活を思い出すと涙が溢れ、ボールが見えづらかった。にもかかわらず、先発の薮田(安彦)は容赦なくフォークを投げてきた。空気を読んで欲しかった。」と語っている。
菊池雄星
  1. もの凄く、ソフトバンクに弱かった。初めて、ソフトバンクに勝ったのは2018年9月28日だった。
    • 2018年は残念なことだらけ。5月は左肩の張りで一軍登録を抹消され、勝率は規定投球回以上では1位になったが、規定により最高勝率はロッテのボルシンガーに譲って、タイトルを逃し、完投が1回だけで完封は0だった。
G.G.佐藤
  1. 北京オリンピック野球日本代表に選ばれたが、本番では痛恨のエラーを連発したため、メダルを逃したA級戦犯として大きな非難を浴びてしまった。
新庄剛志
  1. 2012年度の野球殿堂入りの候補者に上がったが、わずか5票しか得られずそれ以降は候補者リストから外された。
  2. 1999年6月に巨人の槙原寛己から敬遠球をサヨナラ打。その時お立ち台で決め台詞として「明日も勝つ!」と言い放ったが、その発言から一週間後に阪神は首位陥落。
    • さらに、1999年9月に新庄が8回裏に巨人のバルビーノから決勝ソロ本塁打、お立ち台で再び「明日も勝つ!」発言。ところが翌日から阪神は球団ワーストタイ記録の12連敗を喫し、最終的には2年連続最下位という散々な結果に…。
  3. 引退後には彼の金銭管理不足を露呈するように、現役時代の財産を預けていた関係者に奪われてしまった。
    • これがバリ島に渡った理由の一つと言われている。
大豊泰昭
  1. とにかく優勝に縁がなかった。
    • 1994年のリーグ優勝がかかった最終試合(10.8決戦)で巨人に破れ、リーグ優勝を逃す。
    • 1998年に阪神に移籍するも、在籍した3年間は全て最下位。その阪神も彼が引退した翌年の2003年までリーグ優勝&Aクラスから遠ざかっていた。
    • そして中日に逆戻りしたのに優勝を経験できず引退。なお、中日は彼が引退した翌々年の2004年にリーグ優勝を果たしている。
  2. 中日時代は一本足打法だったが、阪神時代の野村克也監督が一本足打法の本家の王貞治を嫌いな為すり足打法に矯正された。
    • 年齢的なピークが過ぎる以前に、そのフォーム変更と阪神の本拠地甲子園球場の広さに適応できなかったのが重なって阪神時代は不本意なシーズン続きだった。
高橋由伸
  1. チームの都合で強制引退させられて監督に押し込まれた時点でざんねん。
  2. そして指導者経験一切無しで監督をやらされたため、戦術にもざんねんなところが多かった。
  3. 最後はその成績がざんねん過ぎて監督を退任。結局この前と後に監督をやって優勝を経験した原監督の噛ませという評価を喰らう事に。
  4. あくまでもざんねんだったのは監督時代のみ、選手の時はとても良い選手だった。
  5. すぐ怪我をして離脱する。後年にはその怪我で規定打席にすら立てなくなる始末。
    • 特にボールが良く飛んでいた2000年代前半に離脱が多かったため、そこで通算成績をかなり損したと思われる。
    • フェンス際の捕球が特に苦手だった。
多村仁志
  1. スペランカーとまで称される怪我の多さとあり得ない怪我の理由に最後まで悩まされ続けていた。
  2. スペ体質すら無ければ…と言われる選手筆頭である。
辻内崇伸
  1. 大阪桐蔭時代に甲子園を大いに沸かせ、ドラフトの目玉として注目を集める中で巨人に1位指名され入団するが、度重なる怪我のため一軍登板はないまま引退。
    • 大阪桐蔭を卒業する頃には既に肩がボロボロだったという。
中村剛也
  1. 日本を代表するスラッガーのひとりだが、怪我が多いため侍ジャパンには2015年プレミア12の1回しか選ばれていない。
長嶋茂雄
  1. 初めて監督に就任した年(1975)は後述に書かれているようにセリーグ最下位、その後の1976年と1977年はリーグ優勝を果たすも、日本シリーズではいずれも阪急に敗れている。
    • 1996年も当時リーグ史上最大の11.5ゲーム差をはね返してリーグ優勝(いわゆる「メークドラマ」)を果たすも、今度は阪急から改名したオリックスに敗れている。
      • なお、長嶋監督時代に日本一になったのは第2次監督時代の1994年・2000年の2回である。
  2. 2004年アテネ五輪を目指す日本代表監督にも就任したが、脳梗塞を患い五輪本番では指揮を執れず。
二岡智宏
  1. 2008年に巨人軍の選手会長に指名されたが、その年の開幕戦の試合中にふくらはぎの肉離れを起こして二軍調整、7月11日に一軍復帰の予定だったが直前に某女性アナとの五反田の9800円のホテルでの不倫が発覚し延期となってしまう。
    • 7月20日に復帰するも正遊撃手の座を坂本勇人に取られ三塁手に。さらに打席に立つたびに不倫相手をもじった名前や「五反田」「9800円」とヤジられる始末であった。
  2. 追い打ちをかけるように9月に足首の捻挫で二軍落ち。そのままシーズンを終え、その年の11月に日本ハムへトレードされてしまう。
    • 選手会長になってわずか1年の解任と選手会長がトレードされるというのは異例のケースであり。不倫騒動が原因でトレードされたのではと言われていた。
西本幸雄
  1. 監督として日本シリーズに8度出場しながらも優勝できなかった 「悲運の名将」 。
    • このうち5回は巨人のV9時代 (1967~1969・1971・1972) に重なっている。
      • 但し西本本人は「もし私が本当に悲運なら戦争で死んでいるし、復員してから野球に再会できたり、大毎・阪急・近鉄の3チームで素晴らしい選手に巡り合えて、8度も日本シリーズに出場などできない。『悲運の名将』なんておこがましい。敢えて言うなら『幸運な凡将』ですね」と1980年のインタビューで語っている。
根本陸夫
  1. 広島・西武・ダイエーのフロントを歴任し、黄金期の土台を築いたが、監督としてはAクラスが広島時代に1回 (1968年) のみで、それ以外はすべてBクラスである。
  2. そしてダイエー(として)の初優勝を見ることなく1999年4月にこの世を去った。
  3. 球団の項目のダイエーホークスにも書いたが、フロントとしての手腕がエグい。強くなったチームにとっては残念も何もないだろうが、西武が裏金でドラフト指名権を剥奪された土壌を作った原因かもしれない。
平松政次
  1. 「カミソリシュート」と言われた速く切れ味鋭いシュートを武器に大洋ホエールズのエースとして通算201勝を挙げ、巨人キラーとしても有名だが、チームが弱かったせいもあって一度もリーグ優勝を経験できないまま引退した。
福本豊
  1. 1988年の本拠地最終戦で、当時の阪急監督である上田監督がうっかり失言してしまったせいで引退させられてしまった。
    • 上田監督「去る山田、そして福本」
藤川球児
  1. 阪神のクローザーとして圧倒的な実績を持つ・・・が、その実績のせいでシーズン終盤になるにつれ酷使されるようになっていった。
    • その結果終盤の肝心な試合で炎上してしまいそれがもとで試合を落とすことが多々あった。
  2. 2007年9月には10連投の疲労が抜けないなか3試合連続で登板しすべて炎上してしまった。
  3. 2010年9月30日の対横浜戦では優勝に向けて落とせない試合でありなおかつ矢野燿大の引退試合という大事な試合で2点リードの9回表にクローザーを任せられるも・・・。
    • 制球に苦しみノーアウト1・2塁に、次のバッターである村田修一にスリーランホームランを被弾。逆転を許してしまう。
      • この試合を中継していたサンテレビのアナウンサーの「行くな!行くな!越えるな!」の絶叫からの沈黙、そして十数秒の沈黙のうちに絞り出された「悪夢のような現実がそこには待っていました」は今も阪神ファンの記憶に刻まれている。
  4. その結果出る予定だった矢野は引退試合に出られなくなり試合終了。引退セレモニーのみに出たがその時に花束を渡したのは村田だった。
  5. この試合以降、某所ではクローザーで炎上した投手のことを「○川○児」と揶揄するようになった。
星野仙一
  1. 2008年の北京オリンピックの野球競技・日本代表で監督を務めるも、メダルなしの4位に終わった。
  2. 2013年の楽天で達成するまで、3度(中日で2度阪神で1度)日本シリーズに挑戦して日本一になれなかった。
堀内恒夫
  1. 巨人のV9時代のエースだったが、監督としては1年目の2004年は3位、翌2005年は5位に終わっている。
  2. 2005年の本拠地最終戦では堀内監督にブーイングが飛び、最終戦セレモニーが中止になった。
  3. 巨人がレギュラーシーズンで目の前で相手チームの胴上げを許した試合が(2019年現在)5回あったが不運にもそれらを全て現地で立ち会っている。
    • 1975年の広島(後楽園/当時巨人投手)、1995年のヤクルト(神宮/当時巨人投手コーチ)2005年の阪神(甲子園/当時巨人監督)、2006年の中日、2016年の広島(東京ドーム/日本テレビ解説者)
森祇晶
  1. 横浜ベイスターズ監督時代は成績不振に喘ぎ、特に2002年は勝率3割台と落ち込み、シーズン終了まで14試合を残したところで解任された。
    • なお、森監督のBクラスは2002年のみである。
山崎康晃
  1. 自分でタイブレークを作ってしまうことが多い。
  2. ネットで太ってしまったことが話題になってしまった。
山本浩二
  1. 2013年のWBCで3連覇を目指す侍ジャパンの監督を務めるも、ベスト4で終わった。
  2. 同級生で実績が上のはずなのに「星野仙一の舎弟」感が強い。
湯浅禎夫
  1. 初代日本シリーズ優勝監督であるが、前述の平和台事件の元凶になってしまい、責任を取って辞任することになった。
    • プロアマ両方で功績を残したにもかかわらず野球殿堂入りを果たしていないのは、平和台事件の影響だと言われている。

外国人

タイ・カッブ
  1. ピート・ローズ以前のメジャーリーグ通算最多安打記録保持者で首位打者を12回獲得するなどの記録を保持しているが、ヤジに腹を立て観客に暴力を奮い出場停止になったり人種差別でベーブ・ルースと同室を拒否するなどのエピソードで悪評も有名。
バルビーノ・ガルベス
  1. 1996年に来日し巨人に入団。初年度から16勝を挙げ最多勝のタイトルを獲得。また、打者としても10本のホームラン(うち2本は満塁ホームラン)を放つなど90年代後半の巨人を支えた外人投手。
  2. しかし非常に気性が激しく、また相手チームから機動力で揺さぶられると途端に焦って自滅するという欠点があった。
    • 特に気性の荒さが裏目に出たのは1998年7月の阪神戦。この時は自身の不調と判定への不服からいらだちが高まっており、ピッチャー交代を宣言されて下がる途中に審判のいたところでボールを投げつけるという行為に及んでしまう。
      • その結果乱闘に発展してしまい、ガルベスは1998年の残りシーズンすべての出場停止という処分になってしまった。
マイク・グリーンウェル
  1. 当時不振にあえぐ阪神タイガースが状況打破のために電鉄本社の金庫から取り出したと言われている3億円で契約したレッドソックスの超大物メジャーリーガー。
    • 当初はこの年西武からFA宣言した清原選手を取るための資金だったとか。
  2. 契約後は破格の待遇で迎えた。例えば1部屋150万円の高級マンションの壁を取り払って2部屋分に拡張したり(300万円+工事費)、甲子園の電光掲示板をグリーンウェルと表示できるよう改良した。
  3. 1997年2月から始まったキャンプには同行したもののわずか10日で牧場と遊園地の経営のために離脱してしまう。さらにキャンプ中に痛めた腰の治療に入りオープン戦どころかシーズン開始まで戻ってこなかった。
  4. ようやく4月30日に戻り、その後5月の広島3連戦では5安打5打点の活躍を見せ、多くの阪神ファンが「バースの再来だ!」と大いに期待した。しかし・・・。
  5. その後の2試合では精彩を欠き、日本での6試合目になった巨人戦の第4打席にて自打球を足に直撃させてしまう。その後どうにか1試合出場するも自打球を受けたことで骨折が発覚。
  6. 結局日本では7試合しか出場できず引退。その際の「野球を辞めろという神のお告げ」という迷言は有名である。
    • その後年俸の4割を返上し、また、契約金の全額返還を申し出たが当時のオーナーに「正直ないい人だ」と言われ返還はなくなったと後に語っている。
ウィリー・デービス
  1. MLB時代にはゴールドグラブ賞を3回獲得し、オールスターゲームにも2回出場した名選手。
  2. 1977年に中日ドラゴンズに入団。
    • 全盛期を過ぎてはいたがメジャーの実力を大いに発揮、5月14日のナゴヤ球場での読売ジャイアンツ戦では西本聖からランニング満塁本塁打を放った。
  3. しかしチームメイトや首脳陣と頻繁にトラブルを起こすなど素行に問題があり、8月、外野フライを追った際にフェンスに激突して左手首を骨折。
    • 戦線離脱した後、低迷していたチームが好調になったこともあり、シーズン終了後、中日はデービスが在籍することによるマイナス面が大きすぎるとして放出を決定、クラウンライターライオンズに金銭トレードで移籍した。
  4. クラウンに移籍した翌年も活躍したが、中日時代と同様の素行不良に悩まされ1年で退団。
  5. 実は創価学会の会員で、来日した理由も「創価学会の発祥の地である日本でなら、きっと居心地よく暮らすことができるに違いない」という意見があったほど。
  6. 引退後の1996年に、カリフォルニア州に住む両親に対して日本刀や手裏剣で脅して現金を要求したとして逮捕されてしまった。
リチャード・デービス
  1. 1984年のシーズン途中に近鉄に入団。1985年には打率.343・40本塁打・109打点と大活躍するも、1988年に大麻不法所持で逮捕。
    • 後の調査によると、デービスはメジャーリーグ在籍時から大麻を吸引しており、日本でも来日以来丸4年常用し続けていた事が判明。
      • 主砲を失った近鉄が急遽中日から獲得したのが、ラルフ・ブライアント。
  2. 1986年6月13日の西武戦で東尾修から死球を受けたことに激怒し、東尾を殴打。
    • この試合が当時のパ・リーグの試合としては珍しく全国中継されていたことも影響したのか、デービスは10日間の出場停止処分となってしまった。
  3. 因みに、当時コロコロコミックに連載されていた「かっとばせ!キヨハラくん」では、「ちょっとおっかない外人」と巻末に書かれていた。
ゲーリー・トマソン
  1. MLB4球団を渡り歩き、ヤンキース時代に優勝も経験。1981年に巨人に入団したが…。
    • 入団1年目は打率.261、本塁打20を残すも、三振は132と当時の球団記録を更新してしまい、「舶来扇風機」などと揶揄された。
    • 2年目は47試合出場にとどまり、当時の藤田元司監督と対立し解雇。
    • その後、無用の長物を意味する単語として「トマソン」が使われるようになってしまった。
      • もはや飯田圭織の「ジョンソン(デイビー・ジョンソンが元ネタ)」並みに由来が薄くなっている。
フランク・ハワード
  1. メジャー通算1774安打、382本塁打という当時の来日外国人として最高成績を持ち、鳴り物入りで太平洋クラブライオンズに入団したが、膝の怪我のため開幕戦1試合出場したのみで帰国。
マーティ・ブラウン
  1. 広島東洋カープ2人目の外国人監督だった (1992年~1994年に広島に在籍) が、その後楽天での監督時代も含めて5年間で12回も退場処分を受けている。
    • あえて退場させられるという芸風(芸じゃ無いけど)だったというのもある、ちゃんと退場処分喰らってから、裏でコーチにこの後どういう方針で行くかというのをきっちり指示してたとか。
メル・ホール
  1. MLB3球団で活躍し、1993年に2年連続最下位に低迷していた千葉ロッテマリーンズに推定年俸2億2000万円という破格の待遇で入団。
  2. この年のチーム四冠王(打率・本塁打・打点・盗塁)で、翌1994年も活躍したが、オフに就任したバレンタイン監督の構想から外れて退団、中日ドラゴンズに移籍した。
    • 当時の本拠地だったナゴヤ球場での本塁打量産が期待されたが、両膝の故障による不振のため1995年限りで退団。
  3. これだけなら優秀な助っ人外国人だが…素行に非常に問題があった。
    • 自分が指名打者であることをいいことに、相手の攻撃のときはテレビゲームをやってゴロ寝を決め込み、それにキレたマックス・ベナブルに対して逆ギレし、乱闘になるもホール自身は全く反省していなかった。
      • 後輩のミューレンを虐めまくり、当時の八木沢荘六監督に2度も叱られたが反省することはなかった。
        • 中日移籍後も、3年連続首位打者をマークしたアロンゾ・パウエルに尊大な態度を取ったり、自身の使用するグラブを座布団代わりに尻に敷いていた等、全く素行は変わってなかった。
      • 因みにヤンキース時代には、あのバーニー・ウィリアムスをも虐めていたという噂も…。
  4. 以下、関係者のコメント。
    • ミューレン「ホールは嫌な奴だった。二度と思い出したくない」
    • 愛甲猛「史上最低の野球選手」
    • 小宮山悟「こいつだけは許せないと思った」
    • 山崎武司「自身が見てきた中で、一番ダメだった外国人選手」
  5. 引退後の2007年に、バスケットボールのコーチを務めていた1998年~1999年当時の教え子である少女に対する猥褻行為により逮捕。
    • 最終的には児童に対する3度の強姦罪と別の児童に対する2度の猥褻罪で有罪とされ、2009年に裁判で禁固45年の刑を命じられてしまった。
バリー・ボンズ
  1. ホームランのMLB記録を更新したスラッガーだったが、薬物疑惑が付きまとい、司法妨害罪と偽証罪で起訴されるまでに至った。
  2. 人間性が残念。今でこそ多少丸くなったが現役時代は性格があんまりだった。
ビル・マドロック
  1. MLBで首位打者を4回獲得した名打者。1988年にロッテに入団したが…。
    • 入団時に37歳だったこともあり、打率.263・本塁打19・打点61という低調な成績に。
      • 川崎球場の外壁には「マドロック立入禁止」という落書きがされていた。
シクスト・レスカーノ
  1. メジャーリーグで1122安打・148本塁打を放った選手。
  2. 1987年に横浜大洋ホエールズに入団。
    • 前年にそこそこ活躍していたダグ・ローマンを追い出してまで入団させたが…。
  3. しかし前年に夫人の病気の看病の為プレーしていなかった分のブランクの影響か、シーズン中に22打席連続無安打の不振に陥り、5月末に「140km/hの速球が怖くなった。体力の限界」と言って現役引退を表明し、退団。
  4. 退団に際し、他球団に所属する外国人選手から、「彼が日本でプレーできないことは最初から分かっていた」「ワールドシリーズを頭痛で欠場する奴が日本でやれるわけがない」とボコボコに言われてしまった。
ピート・ローズ
  1. メジャーリーグの様々な記録を作った名選手だったが、監督在任中に野球賭博に手を染めたため永久追放された。
  2. その後、脱税で服役もした。
ウィリン・ロサリオ
  1. 2018年に年俸3億4000万円+出来高払いと、鳴り物入りで阪神タイガースに入団したのにもかかわらず、75試合で8本塁打・40打点・打率.242と成績が低迷し、シーズン終了後にウエイバー公示された。



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