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<[[THE 道]]
1980年代後半の「バブル景気」ですが、もしこの時期にバブル景気が発生しなかったら?
*'''東北の国道'''の噂。国道のうち、高速道路・有料道路については[[高速道路]]・[[自動車専用道路]]へ。


==主要な国道<!--Chakuwikiで記事の量が多い国道のことです-->==
==独立済み==
*[[国道4号]]
*[[もしバブルがなかったら/交通]]
*[[国道6号]]
*[[もしバブルがなかったら/文化]]
*[[国道7号]]
*[[国道13号]]
*[[国道48号]]
*[[国道49号]]
*[[国道115号]]
*[[国道121号]]
*[[国道294号]]
*[[国道352号]]
*[[国道400号]]


==国道45号==
==国内==
#仙台~青森間の国道 この区間の谷沿いに進む国道4号とは異なり、東北の三陸側を走る。
#高級品ブームになることもなかった。
#*実質、十和田市までの国道だが
#*仮にあったとしても落ち着いたものとなっていた。
#**十和田バイパスが45号の末端。この道路の開通以前は旧4号(今は県道扱い)で終わっていた。
#第二次ベビーブーム世代以降の大学進学率は上がらなかった。
#*現在旧上北町まで開通し、いずれは天間林まで伸びてみちのく有料道路とつながる予定の上北道路は国道45号扱い。ということは将来は十和田市は通らなくなる?
#*よって受験戦争も起こらず。
#リアス式海岸が有名。
#*大学は今でもエリートが行く所。
#海岸沿いにしてはアップダウンや急カーブが多いので、国道4号よりも時間がかかる。特に岩手の区間がきつい。
#**女子の高等教育は今でも短大が主流で、学科も家政科が中心。
#*国道45号経由で仙台から八戸へは約400kmだが、国道4号で行くと約300kmと圧倒的に4号線の方が近い。(国道4号は八戸を通過せず、南部町で最も近づく。以降は国道104号を走る。)
#***四年制大学の女子学生も文学部や家政学部といった特定の学部に偏り、卒業後は就職せずすぐにお見合いして結婚するのが多かった。
#*カタログ的な距離やアップダウンの他、殆どが片側1車線と悪条件が重なる。
#*この世代が普通に結婚するので、20世紀末に第三次ベビーブームが起こる。
#塩釜で無駄に遠回りしている。国道マニア以外で通過するドライバーはまずいない。
#**それでも日本は学歴社会なので、バブルの有無に関わらず大学進学率は高水準で推移していったでしょう。
#*仙台から松島方面へ向かうには県道8号(通称「利府街道」)を使うのが常識。
#**社会人入試や編入学が現実より常態化するか、或いは大学入試が撤廃される為。
#*多賀城市との境付近までは4車線化されているけどそこで力尽きたみたい…地形とかの問題もあるから仕方ないけど、塩竈市~松島町高城までの現道は2桁国道の役割を果たせていないと思う(そのための三陸道や利府街道だけど)
#***大学入試が撤廃されることはないだろうが、少なくとも平成以降に誕生した大学は現実よりももっと少なかった。
#岩泉町の小本地区の中野坂は最大の難所。久慈方向から宮古方面へ制限速度以上で坂を下っていくと、猛烈な怪音を聞かされる。
#**ただ、20世紀末から21世紀初頭にかけて第3次ベビーブームは起きている。
#*三陸北道路が開通した現在は解消。宮古方向から久慈方面へ中野峠に差し掛かる手前にある小本交差点の案内標識は、旧道の直進方向はすごくぐねぐねしているように描かれ、左折の三陸北道路方向へ露骨に誘導している。
#**この世代においても女性は今でも20代中盤までに結婚することが当然となっていて、「婚活」「非婚」などという言葉は存在しなかった。
#地図から想像するほど海は見えない。
#***2000年には出生数が170万人台にまで回復していた。
#岩泉~田野畑間は他の区間の交通量が嘘のように静寂に包まれている。
#***「晩婚」も。
#*僻地なんだな、と実感する。基本計画区間で宮古~久慈が盛り込まれなかったのも納得してしまう(住民にとっては死活問題だろうけど)
#**第二次ベビーブーム世代が40歳前後になってから駆け込み出産をするという現象も発生しなかった。
#東北内の国道の中では国道4号に次いで長い。
#***40歳以上の出産件数及び出産率は1960年代以降ずっと低水準のままで推移していた。
#岩手の洋野町から仙台までの距離が表示されるが、東北内で青看に表示されている距離としては最長。(ちなみに、375km)
#*あまり豊かでない家庭の子は無理に大学に進学せず高卒で就職する道を選んでいたので、奨学金の返済が問題になることもなかった。奨学金は現在でも無利子が主流。
#*南だと[[気仙沼市]]内で入れ替わる。北の最長は、中心部だと「[[宮古市|宮古]](138km)までだが、中心部を抜けると「[[青森市|青森]](361km)に代わる。
#**無利子どころか返済義務のない給付型が主流。
#久慈市内の区間は自動車専用道路(久慈道路)。
#*高卒で就職する者が多いこともあり、居酒屋やコンビニエンスストアの店員などは大学生をアルバイトとして雇わず、高卒もしくは中卒の新卒者を正規従業員として採用するため、所謂「[[ベタなブラック企業の法則#ベタなブラックバイトの法則|ブラックバイト]]」の問題は発生しなかった。
#全国で6番目に長い国道であり1桁国道並みに長い。2桁国道最長であり実は[[国道42号]]よりも長い。
#**アルバイトによる不適切動画が投稿されるいわゆる「バイトテロ」もなかった。
#途中区間にほんのわずかだけ存在する4車線は三陸道の開通で一気に車通りが減ってしまった。
#*工業高校や商業高校など実業科が現在でもある程度のレベルを保っている。
#**高等専門学校も同様。これらの学校が発達障害者の受け皿として現実よりも機能していた。
#*女子の場合現在でも高卒・短大卒で大手百貨店や商社・都市銀行などに就職可能になっていた。
#*団塊ジュニア世代が普通に就職できていたのと、バブル世代を大量採用することもなかったため、各企業において社員の年齢構成が歪になることもなく、世代交代もうまくいっていた。ひいては技術の伝承もうまくいっている。
#**2010年代後半になって各業界で人手不足が起こることはなかった。
#***外国人を労働力として雇用しようとする動きもなかった。
#*大学進学率は2010年代後半でも30%くらいで推移している。
#1990年の「国際花と緑の博覧会」は開催されなかった。
#*地下鉄長堀鶴見緑地線も建設されず。
#**大阪の地下鉄は今でも御堂筋・谷町・四つ橋・中央・千日前・堺筋の6路線。
#***2000年代になって長堀鶴見緑地線の大正~玉造の部分が開業していたがリニア方式にはならず、玉造から枚岡方面へ東進するルートで開業していた。
#****路線名はもちろん「長堀線」
#*大阪市の湾岸開発が行われなかったので、大阪市の財政が悪化することはなかった。
#**大阪市は2008年の夏季オリンピックの候補地に立候補しなかった。
#**大阪ドーム(京セラドーム大阪)も建設されなかった。
#**南港・舞洲周辺は未だに文字通りの孤島状態だったか?
#**ユニバーサルスタジオジャパンも建設されなかった。
#女の子の名前は今も「子・美・恵・代」で終わる名前が主流。
#*それはバブルとあまり関係ないのでは?
#*ひらがなやカタカナの名前も多い。
#*美の付く名前以外はほぼ史実通りの流れになると思う。美の付く名前はオイルショック後からバブル前までが全盛期でそれ以前もそれ以降も少ないのでバブルがなければ史実よりは普及していたと思う。
#*当然ながら[[ベタなDQNネームの法則|キラキラネーム]]はなかった。きらびやかな名前があるとしてもせいぜい「えりか」、「えりな」、「あんな」といったレベルで留まっていた。
#*男の子の名前は今も「男・夫・雄」も健在だ。
#1980年代後半にデビューした車、電車でもデザインが完全に古臭いものになっていた。
#ハイソカーブームはなかった。
#*但し、欧米からの輸入高級車に対抗するため、日本製高級車ブランドは史実同様誕生した。
#*意外とSUV&CUVブームが生まれ、ミニバンやピックアップトラックが普及している。
#車、電車のデザインの近代化が現実より遅くなっていた。
#*いや、海外市場を考慮するとそうとは言えない。
#平成新局や民放FMの開局ラッシュもなく、コミュニティFMもなかった。
#*ほとんどの地方でもテレビ局は2~3局止まり。
#現実のような女性優遇社会にはならなかった。
#*社会が女性優位になったのはバブル期からのため(アッシー・メッシーなど)。
#*女性専用車両は設定されなかったか設定されたとしても朝夕ラッシュ時の一部列車だけだった。
#*飲食店や映画館などでの「レディースデー」というのも存在しない。
#*コンビニのトイレも男女兼用・女性専用に二分化する事もなかった。
#**項目22にも書いてあるけどそれ以前にコンビニがトイレを貸すこと自体がほとんどなかったかと。
#「#MeToo」の類も史実ほど日本に広まらなかった。
#長い目で見るとこの方が良かったのではと思われる。
#郊外のニュータウン開発はあまり進まなかった。
#*地価高騰により遠隔地に移り住まなければならないということがなかったため、都心回帰が1980年代のうちに起こっていた。
#**地上げの発生もないので、都心の下町コミュニティも維持できていた。都心部にできた不自然な空き地や廃屋も当然ながら存在せず、古きよき下町文化が保たれていた。
#*大学キャンパスの郊外移転は活発化せず、大都市における小中学校の廃校も史実より少なかった。
#**大学はむしろキャンパスの都心回帰が進んでいた。
#*[[亀岡市#茨木台ニュータウン|茨木台ニュータウン]]のような僻地ニュータウンは最初から開発されなかっただろう。
#モンスターペアレントの問題も起こらなかったかも。
#日本のお見合い結婚と恋愛結婚の比率は1985年以来ほとんど変わらなかった。
#*所謂「草食系」でも結婚できるので、女は29歳までに、男も34歳までには99%の人が結婚していた。
#田舎や住宅地の地価が安い市町村中心に売れるため、広い敷地を必要とする住友不動産ホームのアメリカンコンフォート(1坪26万円~)は、生産・販売終了にはならなかった。
#広島建設のセナリオハウスのような中間コストを省いた自社一貫工事、一括仕入れによる低価格ハウスメーカーは、現実よりも多くなっている。(田舎や住宅地の地価が安い市町村中心)
#狭い敷地に広い家が建つ3階建て住宅・高層タイプの注文住宅は、現実よりも少ない。
#*高層マンション・タワーマンションは、現実よりも少ない。
#[[ダイエー]]は現実ほど拡大路線に走らず、その後の経営悪化もなかった。
#*[[福岡ソフトバンクホークス#ダイエー時代の噂|球団]]を保有することもなかったかもしれない。
#**その場合南海はどこに球団を売却していたのだろう。売却先によっては福岡に球団が生まれなかったかもしれない。
#***あるいは[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]が仙台ではなく福岡に球団を置いていたかも。
#****その場合[[東京ヤクルトスワローズ]]か[[千葉ロッテマリーンズ]]あたりが仙台に本拠地を移転していた。
#*産業再生機構のお世話になることもなかった。
#*その後の店舗閉鎖も現実より少なく、現在でも流通業界1位の座を維持している。
#*ましてや[[イオン]]グループの傘下に入るなんてことはなかった。
#*ダイエーだけでなく[[マイカル]]も独立した大手スーパーとして現存している。
#*ダイエー・マイカルを傘下に収めなかったことからイオングループは現実ほど大きくならなかったかもしれない。
#**駅前立地の都心型店舗はダイエー、郊外型店舗はイオンというように棲み分けができていた。
#***そもそもイオンになっておらず、ジャスコのままだった。
#*[[そごう]]も拡大路線に走らず、その後の経営破綻やセブン&アイグループとの経営統合などもなかった。
#**そごうの本店は今も大阪の[[心斎橋]]。
#***そごう神戸店と西武高槻店が[[阪急百貨店]]に移管されることもなかった。
#****そごう・西武が関西から撤退することはなかった。
#*史実でダイエーに吸収合併された忠実屋・ユニードなどはダイエーグループ入りすることはあっても独立したブランドとして残っていた。
#**その場合ダイエーと[[パナソニック|松下]]との取引は復活せず1970年代以来ダイエーは松下製品を扱わない状態が続いたかも(史実では忠実屋との合併が松下との取引再開のきっかけになった)。
#*[[ローソン]]は今もダイエーの子会社で、関西では圧倒的な力を持っていた。
#**逆に[[セブンイレブン]]はあまり西日本で拡大しなかったかもしれない。
#**サークルKやサンクスが[[ファミリーマート]]に合併されることもなかったかもしれない。
#B級グルメが1990年代から注目されていた。
#*ラーメンブームや讃岐うどんブームも現実よりも早く起こっていた。
#ソーシャルゲームは普及するも、課金重視な風潮にはなっていなかった。
#*モンスターストライク、グランブルーファンタジー、Fate/Grand Order、マギアレコードはすべて史実ほどヒットしなかった。
#**そもそもアニプレックスが未だにソーシャルゲームに参入していないかも。
#大手スーパーは今でも定休日を設けていた。
#*百貨店も。
#*営業時間も一部を除いて未だに夜7時閉店や夜8時閉店が普通。
#**バブル期以降(特にバブル崩壊後)営業時間が著しく伸びたのは否めないから。
#**史実のように夜10時まで営業とかは未だにほとんどないはず。
#*百貨店やスーパーでさえ正月三が日は休業していた。個人商店に至っては1月6日からという所も多く、正月三が日で開いているのは喫茶店や玩具店だけ。
#*自動車ディーラーやガソリンスタンドは現在でも日曜日が定休日だった。
#コンビニエンストアやすき家など24時間営業のお店が史実以上に増えることはなかった・・・か?
#*コンビニは夜11時閉店が主流だったかも。飲食店も夜10時閉店だったのでは?
#**「セブン-イレブン」の本当の意味が現実以上によく知られていた。
#**コンビニ経営者が長時間労働で本部を訴えるようなことはなかった。
#*夜中にやっているといえば未だに飲み屋か屋台がほとんどだったと思う。
#*ワタミやモンテローザといった居酒屋チェーンも史実ほど店舗が増えていない。
#*駅売店がコンビニに業態転換することもなかった。
#*駅弁業界や駅における立ち食いそば屋も現実ほど衰退しなかった。
#*節分の恵方巻ブームは現実ほど広まらなかったかもしれない。
#**広まった要因にコンビニ業界によるPRがあったため。
#**巻き寿司の大量廃棄という問題もなかった。
#**現在に至るまで関西ローカルの風習だった可能性が高い。
#公共のトイレが質・量とも貧弱なままだったかも。
#*バブル期以降百貨店を筆頭にトイレを強化したのは確かだから。
#*加えてバブル崩壊もないためコンビニがサービスとしてトイレを貸すことにならなかったと思う。
#**バブル崩壊による客足の減少を減らす目的の一環として導入されたはず。
#*その一方で喫茶店は今より客足が入っていたはず…。バブル以前だとお外でトイレを借りるとすればまず喫茶店に立ち寄るがありがちなパターンだったから。
#*多目的トイレという概念は未だになく障害者用トイレのままだった。
#**項目9の女性優遇とも関連するが女性の社会進出により妊婦さんや子連れママさんのために障害者用トイレを多目的トイレとして広く開放した側面があるから。お年寄りのためでもあるけど。
#***障害者用トイレは健常者が利用しないよう常時施錠されていることも多くなっている。
#****このことに関して撤廃したのは2000年以降のこと。
#***電車やバスの優先座席も未だに高齢者と身障者のためのイメージが強いまま。
#*ウォシュレットが本格化したのは2000年以降のこと。
#*今でも有料トイレというものがあちこちに存在している。
#*加えてトイレは未だに和式が主流。洋式トイレにはわざわざ「洋式」という表示があるのが普通だった。
#意外と自販機に関しては今以上にあちこちにあった可能性がある
#*バブル以降24時間コンビニの普及でジュース系以外の自販機が衰退した事実があるから。
#*24時間営業の店がほとんどなければ代わりとして食べ物系や雑貨系の自販機も必要になる。
#**80年代ぐらいまでは普通にあったオートレストランは今もそれなりに健在。
#**カップヌードルの自販機なんかも今も普通に町中で見かけるようになっていた。
#**うどん自販機なんかも近代的に進化し、[[ICカード]]が使えるものも出現していた。
#日本人で初めて宇宙に行ったのは1990年の秋山豊寛さん(TBS記者)ではなく、1992年の毛利衛さんだった。
#回転寿司やファミレスが地方に進出することもなかった。
#*個人の寿司屋が衰退することもなかった。
#**いわゆる「町中華」も。
#**というか、個人経営の飲食店自体が現実ほど衰退しなかった。
#堤義明と堀江貴文が証券取引法に違反することはなく、西武グループやライブドアは騒動にならなければ上場廃止になることもなかった。
#*村上世彰も。阪神と阪急が経営統合することもなかった。
#日本人の働き方は現実よりも余裕を持ったものになっていた。
#*過労死なども現実よりも少なかった。
#*「働き方改革」という言葉も生まれなかった。
#*深夜に渡る残業は現実ほど多くなかったかもしれない。
#**一部のエリートビジネスパーソンに限ってはこの限りではない(当然、給料もそれ相応に高いが)
#日本は現実ほど拝金主義にはならなかった。
#[[もし個人情報保護法が○○だったら#‎施行されていなかったら|個人情報保護法は施行されていなかった]]かもしれない。
#*死亡者以外の被害者も実名で報道されていた。また、容疑者の名前は成人であれば微罪であっても公表されていた。
#*小学生は学校の外でも普通に名札を付けて登校し、ランドセルには名前や住所を記入する札を差し込んでいた。
#*小学生男子の、短い半ズボンも、数は減っても絶滅は免れていたかもしれない。
#なんだか、こっちの方がその後の日本にとってはよかったような気がする。
#[[もしハッピーマンデー制度が実施されていなかったら|ハッピーマンデー制度が実施されていなかった。]]  
#東京一極集中が現実ほど進まなかった。
#*地方が現実ほど衰退することもなかった。
#宿泊施設のテレビは現在でも有料のまま。


==国道46号==
===政治・経済===
#盛岡~秋田を結ぶ国道。協和で[[国道13号]]に合流され、以後は地図上でも実際にも全く存在感がないが実は国道13号に隠れたまま秋田市まで続いている。
#バブル崩壊もないので、日本経済がダメージを受けることもなかった。
#*この道路があるためか、秋田道が開通した現在でもなお東北道の盛岡インターの案内標識は「盛岡 秋田」。
#*ただし、経済の長期低迷はあり得たかも。
#県境の峠越え部分は、車が通れるルートとしては1964年の旧道開通以来、2代目のみち。
#**ブラックマンデーのとばっちりを受けっぱなしだったかもね。
#*1977年4月開通。旧道は開通から13年で放置されたかと思いきや、この旧道が通信保守業務で岩手県側が私道化され残ったのおかげで秋田CATVのIBC受信点が設置され、TBS系がない秋田県の[[秋田市]]民にTBS系を見れるようになっていたりする。おかげで岩手ローカルCMの岩手県内店舗リストに秋田が八戸(フジテレビ系がない青森県)とともに登場する県外地名となったり。
#**ブラックマンデーで長期不況→90年代初頭で回復→阪神淡路で不況→復興景気もアジア経済危機を受け不況→2000年代でようやく回復、だったかも。
#生保内から協和までは国道341号と重複。さらに角館の直前で一瞬、国道105号と重複。
#*バブルに懲りた日本銀行が引き締め政策を続けることもなく、日本経済は3~4%の安定成長を続けていた可能性が高いでしょう。
#近年、生保内(おぼない)バイパスや角館バイパスと立て続けに整備している。特に角館が全線開通すれば、花見の季節も渋滞知らずになるか?
#*労働環境が今まで通り維持され、派遣やフリーター、ニートなど非正規労働の問題は発生しなかった。
#*角館バイパスは高速道路の規格…将来的に盛岡秋田道路に編入する気だろうか?
#**そもそも「ニート」という言葉は生まれなかった。
#岩手側の最初の登坂車線が極端に短い。
#*第2次ベビーブーム世代が就職難にあえぐこともなかった。
#盛岡ICから盛岡南ICまでを南北に貫通する「盛岡西バイパス」は4号ではなく46号のバイパス。バイパスの南側は県道との接続で4号とは接していない。
#*就職氷河期は存在せず。
#*現道と盛岡西バイパスでは46号としての起点が全く異なる位置となり、盛岡西バイパスには独立したキロポストが付けられている。
#*その代わり昭和天皇崩御による自粛ムードでの景気悪化が史実よりも大きかった。
#*2017年4月に国道4号~西バイパス北口の現道が市道・県道に降格、同時に国道4号~西バイパス南口の県道が国道46号に昇格し、盛岡西バイパスが正式な国道46号の本線となった。これに伴い、国道46号の起点(国道4号との交点)がNHK前から盛岡南IC入口まで約9kmも南下することになった。
#銀行の合併などは現実より少なかった。
#**現道と異なり、右左折する有様で線形が悪くなった。
#*銀行が調子に乗って土地の投機に手を出すことが無いので、不良債権の問題も発生していない。
#*1997年の金融危機や2008年のリーマンショックはなかった。あるいは影響が現実ほど大きくならなかった。
#1989年の参院選は自民が順当に議席を得ていた。よって、1993年の自民分裂も小沢一郎離党もなく、小沢は2000年代前半に総理になっている。バブルがなければリクルート事件も起こらなかった可能性もある。
#*現在に至るまで自民党政権が継続している。
#**[[民主党]]は誕生せず、[[社会民主党]]も社会党のままだった。
#**野党第一党が[[日本共産党]]になっていたかもしれない。
#***共産主義の衰退を考えればやはり社会党が順当なところでは?。
#****むしろ社会党は現実ほど衰退しなかった可能性が高い。
#**宇野宗佑の首相退任もあれほど早まらなかったが、同じ派閥の渡辺美智雄は完全に主流派を握られやはり首相になれず、息子の喜美の代で初めて新党・再編の話になったかも。
#*選挙制度に関しても衆議院における小選挙区比例代表並立制は採用されず、現在に至るまで中選挙区制のままだったかも。
#世界金融危機以前にあった世界バブルやITバブルによって日本経済も流れに乗ってバブっていて、日本におけるバブル景気はこの意味を指していた。
#*1980年代生まれが「バブル世代」と呼ばれている。
#企業における「成果主義」の導入は現実より少なかった。
#*よって年功序列型賃金体系が現在でも主流。
#*今でも「良い大学に入れれば良い企業に就職できる」という図式が成り立っている。
#バブルによる税の予想外の自然増収という大幅な歳入増がなかったので、国も地方自治体ももっと真剣に行革に取り組んでいた。無駄な公共事業も今では殆どなくなり、国や自治体の財政も今ではかなり緩和されている。
#*所謂無駄な公共事業とされるものの多くはバブル期に計画されたものが殆どだからな。
#**確かにそうだが、バブル崩壊以降も90年代ぐらいまでは無駄なハコモノは多かった気が…。
#***バブルの後遺症から抜け切れなかったんだろう。
#**当然の如く「ふるさと創生事業」もない。
#*「平成の大合併」も20世紀中に行われていた。
#**地方の財政難が今ほど深刻にならないので現実ほど進まなかった可能性が高い。
#*ハウステンボスは建設されず、オランダ村が21世紀になっても健在。
#バブル崩壊以後の東京一極集中は緩和されていた。
#*大阪経済の地盤沈下はそれ程深刻ではなかった。
#*むしろ東西冷戦崩壊後は北東アジアのハブ的地域として北海道や北陸、九州の重要度が上がった。
#日本の格差社会は現実よりも進まなかった。
#*当然貧困率も上がらなかった。
#東西冷戦崩壊後のグローバル化の波にも上手く乗れた。
#*外国に舐められるなんてこともなし。
#*むしろグローバル化の波に乗るのは史実ほど早くなかったし、そうこうしている間にヨーロッパのグローバリズムの弊害を受け、グローバル化を見直すようになってたのでは?。
#第2次ベビーブーム世代の女性も多くは25歳前後で家庭に入り、平均2人の子供を持つ専業主婦となっていたため、少子化問題や託児所や待機児童の問題も発生しなかった。
#*30代~40代での未婚者や単身世帯の増加もなかった。「非婚」という言葉も当然なかった。
#*職場において女性は今でも腰掛け入社のお茶汲みで、結婚退職が当然。「キャリアウーマン」という言葉もない。
#**「日本女性の社会進出度はイスラム教国並み」と誇張され、バッシングの対象になっていた。
#***ただ、出生率が先進国で高いほうである(概ね1.7~1.9?)こともあって海外の保守層からは「日本を見習え」と言われていたかもしれない。
#**日本の将来を見据えるとこの様な社会が望ましいと思われる。
#**結婚後も仕事を続けるとしても出産退職が主流で、産休自体未だに少なかった。
#日本経済は、確実に4%前後の安定成長を永遠に続けていた。
#*デフレになることもなく、マイルドなインフレになっていた。
#*リーマンショックで一回コケる気がする。
#*バブルのような急激な成長はなかったが、その分ゆっくりと成長し、2010年代には現実通りの生活水準になっているだろう。
#日本の税金が増税することがなかった。
#*結局どこかで財源が足りなくなり、増税が必要になる。
#**日本の財政状態や経済状況が現実よりも良かった可能性が高く、第三次ベビーブームが起こって少子高齢化も緩和されているので増税のペースは現実よりも遅かった可能性が高い。
#***というか国債をいたずらにばらまくようなことにならなかっただろうから、借金も減っているのではないか。
#***消費税は3%の時代が長く続き、2010年代半ばでようやく5%になっていただろう。
#日本の実質地価は、1990年以降・2000年以降でも殆ど下落せずに日本中まんべんなく少しずつ確実に上がり続けていた。
#*農地(田・畑)の実質地価も殆ど下落せずに少しずつ確実に上がり続けていた。
#*東京23区の人口が一時的に800万人を割ることはなかった。
#55年体制の崩壊がないのに加えて、第三次ベビーブームが起きるので、現在の左派政党は史実以上に劣勢になっていた。
#*インターネットの普及が史実より早まる(後述)により、マスコミだけでは知り得ない政治的な知識を得やすくなるため。昨今のネット社会を見れば言えることだろう。
#*ましてや東西冷戦の終結とソビエト崩壊で社会主義や共産主義の欠点が露呈するため、左派政党の史実以上の弱体化はあり得るだろう。
#*自民党と対峙する保守政党も結党されるので、自民党が史実ほど攻勢的になることもないだろう。
#**仮に日本の政界が自民党と自民党と対峙する保守政党の二強になったところで左派政党も主に労働組合の受け皿としてそれ相応の力は持つ。
#**同時に保守政党の第三勢力となる政党も遅かれ早かれ結党される。
#**むしろ[[社会民主党|社会党]]が保守化していた。
#**何れにせよ現実のような自民一強状態にはならず、野党もある程度の力を持っていた。公明党も自民党とは完全に独立した勢力となっていた。
#ユーロは存在せず、1ドルは今でも180~200円程度で安定している。
#日本において新自由主義という考え方は現実ほど広まらなかった。
#*1980年代の3公社民営化は現実通りだったとしても、郵政民営化や営団地下鉄・大阪市交通局の民営化はなかったかもしれない。
#*小泉内閣は誕生しなかったかもしれない。
#商店街の「シャッター通り化」という現象も発生しなかった。個人商店でも後継者がキチンと育っていた。
#*大店法の廃止もなかった可能性が高い。


==国道47号==
===技術===
#仙台~酒田を結ぶ国道。
#企業がバブルに踊らされなかったので、1980年代後半~90年代前半にかけても技術の進歩がすごかった。
#*仙台の苦竹ICが法的な起点。
#1990年代前半には携帯電話が爆発的に普及、90年代も中盤になるとiモードやカメラ付き携帯が登場する。
#**でも、明らかに大崎が起点。(仙台~大崎間は国道4号に寄生。国道標識は全く存在しない。)
#*2000年代前半には公衆電話が絶滅していた。
#***しかし、仙台北部道路は47号のバイパス扱い。
#**同時にスマートフォンのシェアが増していき、2010年前後には普及率9割を超している。
#****なのだが、ナンバリングは常磐道・東部道路からの延長で「E6」。「E47」を名乗る道路は今のところ存在せず
#**LINEなどのメッセージ通話アプリの普及も早まった。
#**仙台を起点とする2桁国道は他に国道45号と国道48号があり、この2つの国道は起点を示す表示が存在するが、47号にはない。
#インターネットも1980年代後半には一般化。
#*最上川沿いの景観は見事。
#*ウィキペディア・ニコニコ動画・Pixiv・Chakuwiki・twitterといったインターネットサービスも少なくとも20世紀中に存在していた。
#**鳴子峡の眺めもいい。
#**youtubeも忘れずに。
#*大崎から鳴子間は国道108号との重複区間。
#**facebookもお忘れなく。
#*以上から、宮城県内はほとんどが他国道との重複区間。
#**つまり、ウィキぺディア=1991年、Chakuwiki=1995年、ニコニコ・twitter=1996年、Pixiv=1997年ということ?
#宮城・山形県境は峠越えしていないように思える。
#**[[もしChakuwikiがあの時代にあったら#平成時代(~2005年)|こ]][[もしあのウェブサイトがあの時代にあったら#戦後|う]][[もしあのウェブサイトがあの時代にあったら#5年早かったら|な]][[もしあのウェブサイトがあの時代にあったら#戦後(~1999年)|る]]。
#*そのため大型トラックが宮城、最上、庄内を行き来するときは国道48号や山形道を使わず、この道を通るらしい。目立たないけど重要な道路である。
#*IoT(モノのインターネット)化もTRONプロジェクトのおかげで史実よりも5〜10年ほど早まっていただろう。
#国道49号と同様に起終点ともにIC。
#*移動体通信の5Gシステムも2017年くらいには実現していた。
#重複区間を除けば、ほとんど片側1車線。
#薄型テレビも前世紀中に登場。
#*東北道を過ぎたら、あとは終点まで2車線追越禁止の50km/h制限が延々と続く。交通量も多いので低速車にも頻繁に引っかかる。
#*地上デジタル放送は2000年頃に完了。
#[[国道17号]]や{{国道|中国地方|29}}と同様、うまい具合に4→7を結ぶ。
#ipod等の携帯音楽プレイヤーも1990年代前半に登場。
#新庄酒田道路は徐々に建設が進んでいるが、東進して石巻港と直結する高規格道路は計画どまりのようだ(2014年現在)…鳴子の観光需要もあるのだが。
#*MDはこの世に存在しなかったかもしれない。
#*ウォークマンもMP3プレイヤーに切り替わるのが早まっていた。
#DVDは1990年代中盤までに、HDDレコーダーは2005年までに普及していた。
#*VHSは2000年代前半に業務用を除き絶滅していた。
#宇宙開発関連の技術の進歩も史実より急ピッチで進み、21世紀には宇宙飛行士以外でも簡単に宇宙に行けるようになった。
#*とはいえ日本の過密化対策のため宇宙への観光旅行は普及せず、宇宙植民地の建設がメインとなる。
#**21世紀の中頃にはスペースコロニーの建設や[[もしあの星のテラフォーミングに成功したら|火星や金星のテラフォーミング]]も実現していた。
#*これに関してはバブルの有無にはほとんど関係しないと思う。宇宙開発の中心はロシアと20世紀までのアメリカで日本は今も昔も余り携わっていないから。
#**スペースシャトルが事実上の失敗に終わったことが20世紀に予測されたような宇宙開発の進度から大幅に遅れてしまった大きな要因だから。
#全保有台数対軽自動車のシェアは、40%程度と現実よりも多い。
#*トヨタ・ヴィッツ、マツダ・デミオなどのコンパクトカーのシェアも現実よりも多い。
#ハイソカー・オフロードSUVを所有している家庭は現実よりも少なかった。
#*ハイソカーブーム・オフロードSUVブームはなかった。
#*3ナンバー車は今でも最高級車くらいでクラウンですら未だに5ナンバーのまま。
#**外車に至っては未だに左ハンドル車しかなく、上流層しか乗らないような高嶺の花のイメージという認識のまま。
#現実より10年程度早く、日本の石炭火力発電は、蒸気タービンの圧力や温度を超々臨界圧という極限まで上昇させる方法で、欧米やアジア諸国に比べ高い発電効率を実現される。
#*以来、コストがかさむ石油火力発電・地震や津波に弱い原子力発電を大幅に減らして石炭火力発電(発電電力量全体の60%)・LNG火力発電・水力発電が主なエネルギー源となる。
#**各地の炭田が史実より長く稼働している。
#***夕張や筑豊の地盤沈下はなかった。
#***多少はましになっただろうけど炭鉱衰退は高度経済成長期後半から起きているから例えバブルがなくても衰退したとは思う。
#自動車に使われる石炭→ガソリン液化燃料技術は、10年程度早く実現される。
#*以来、ガソリンに石油は殆ど使われなくなる。
#LED照明は20世紀のうちに実用化されていた。
#温水洗浄便座(ウォシュレット)は史実より普及率が高かった。
#*これに関しては逆だと思う。バブル期に百貨店等がトイレを充実させた際に目玉としてウォシュレットを導入して世間の人がウォシュレットを知るようになったのが普及のきっかけだったはずだから。
#**むしろ伝統的な和式トイレが家庭でも一定数残ったような気がする…。
#洗面台・バス・トイレなどのサニタリーは史実より充実しているかもしれない。
#スーパーファミコンは当初の予定通り、1989年に発売されていた。


==国道48号==
===スポーツ===
#仙台市と山形市を結ぶ国道
#1998年の長野オリンピックは開催されなかった。
#*宮城県側は作並街道、山形側は関沢街道とも
#*この場合、2008年の夏季五輪は北京ではなく大阪になっていた可能性もある。
#*仙台側では愛子バイパス、仙台西道路に接続するため利便性は非常に高い
#**但し2008年のリーマンショックがなかった場合のこと。
#*山形側の方が相対的にが整備されてる気がする。(信号少ない、道幅広い、登坂路あり等)
#*長野は2014年か18年あたりに立候補していた。
#宮城-山形の峠抜けルートとしては唯一積雪による冬期通行止めがなく通年通行可能
#全日本女子プロレスは2010年現在も存続していたか20世紀中に解散したかのどっちかになっていた。
#*笹谷トンネルが有料区間であるため、それを避ける目的の往来が多い
#Jリーグもなかったか、あっても史実より地味だった。
#*二桁国道なんだから、むしろ冬季通行止になるのがおかしい。
#*ワールドカップ出場でやっと少し盛り上がる程度。
#旧関沢トンネル掘削時には爆発事故で作業員が亡くなっている
#**〝ドーハの悲劇〟の知名度が若干下がっていた。
#笹谷峠、二口林道と並んで古くから重要なルートだった
#**2002年ワールドカップに立候補もしなかった。2022年が日本になったかもしれない。
#沿線に道の駅はない。距離が短く無理ないかもしれないが
#*外国の代表経験者は現実ほど多く在籍していなかった。
#仙台宮城IC付近の仙台駅方面は渋滞の名所。トンネル区間の逃げ道も存在しない事もあって土休日は特に酷くなりやすい。
#**その代わり日本人が得点王になるシーズンが増えたかも。
#*その為、時間帯によって常磐道からなら仙台東IC、東北道なら長町ICを利用した方が良い。
#マイク・タイソンも来日しなかった
#仙台山形間を一般道だけで通るとなると事実上はここ一択になる。
#*日本人の世界戦乱発もなく、史実と比べて試合の質も全体的に高かった。また、海外での挑戦も多かった。
#*国道286号は一般道だけで行くと峠の酷道がある為。
#2020年夏のオリンピックは、東京ではなく名古屋が立候補していた。
#ヨンパチ。
#*その場合、2020年夏のオリンピック開催地が決まる際の特番で『名古屋 [[もし1988年のオリンピック開催地がソウルでなく名古屋だったら|32年前]]のリベンジなるか?』と言われていた。
#**そして、名古屋開催が決定した場合『名古屋 32年越しの悲願達成!!』という見出しで開催決定を報じていただろう。
#***名古屋城天守閣が木造天守に建て替えられるのもオリンピックに間に合うように行われていた。
#****名古屋駅周辺の再開発もオリンピックに間に合うよう前倒しされ、同時に[[名鉄名古屋駅]]の改良工事も行われていた。
#*名古屋ではなく福岡だったかも。
#**あるいは国際的な知名度が高い京都が立候補してたかも。
#*2008年の時点で既に大阪で開催していた。2020年は僅差で北京に奪われるものの、2032年か2036年に名古屋で開催決定。
#*大阪が立候補することはないと先述されている。よって名古屋での夏季オリンピックは2008年か2020年に開催。2008年が史実と同様北京の場合は2020年は名古屋での開催になる。
#*その場合近鉄の新名阪特急「ひのとり」は1年早く登場し、オリンピックを前に名阪甲特急の全列車を置き換えていた。
#*マラソンや競歩は名古屋では夏暑過ぎるという理由で、飛騨高山で開催されていた。
#年寄名跡の相場がさほど高騰しなかった。
#*郊外に立地する相撲部屋は現実より少なかった。
#[[もしあのプロレス団体が旗揚げをしていなかったら#SWS|SWSは旗揚げされなかった]]。
#プロ野球の人気低迷は史実ほど進まず、2004年の球界再編問題も発生しなかった。
#*近鉄と阪急は現在も球団を所有し続ていおり、尚且つ前者は野茂英雄、後者はイチローのおかげで90年代以降になってようやく高い支持を得る。
#**阪急の場合、小林公平がバブルに目がくらんで調子に乗り不動産へ過剰な投資をしないので1988年の球団売却は回避できただろう。
#***当然のことながら、神戸移転もその後の大阪ドーム移転もなく、本拠地は現在も西宮球場のまま。
#**近鉄はバブルに気を良くして闇雲な事業拡大に走ることもないので、その後の経営悪化もなく球団売却も歌劇団解散も回避できた。
#***近鉄バファローズの大阪ドーム移転はなく、藤井寺球場時代が史実より長く続いた。
#****その場合、あべのハルカスも建設されなかった。
#***本業でも2010年代に入っても通勤用の新車を導入できていた。
#**近鉄と阪急が球団を所有し続けるため、オリックスはいつまでも球界へ参入できず、新規参入という形で一から自前で球団を旗揚げして参入。
#***むしろオリックスは南海を買収していたかも。ダイエーが球団保有に動かなかった可能性が高いので。
#**よってプロ野球セ・パ交流戦は現在に至るまで実現していない。
#*阪神の1990年代後半の暗黒時代は回避できた。
#**まして1995年の震災の直後に阪神タイガースが身売りの危機に直面することもなかった。
#**野村克也、星野仙一は阪神の監督に就任せず、2001年のオフに野村監督夫人の脱税事件に球団が振り回されることはなかった。2003年に阪神タイガースは優勝していない。
#***阪神の優勝は1986年から2002年の間にも必ず一度はあっただろう。
#****1992年か1999年のいずれかに優勝していた。
#***この場合2008・2010・2014年のいずれかに優勝できていた。
#*西武は史実ほどの連続優勝はなく優勝回数は史実より分散的になるが、黄金期自体はその分史実よりは長くなるだろう。
#**森監督時代は優勝できなかった年がもう1年は多かった。
#***1989年のオフに森祇晶監督が堤義明オーナーから冷やかされることはなかったかも知れない。
#***その場合、近鉄が日本一になれていた可能性が高い。
#*巨人・日本ハムの後楽園球場時代が史実より長く続いており、東京ドーム移動は少なくとも1990年代にずれ込んでいた。
#**日本ハムは1982年から<!--東京時代ラストイヤーの-->2003年までの間にも「日本ハムファイターズ」名義でのリーグ優勝がもう1年はあっただろう。
#***この場合1993・1996・1998年のいずれかに優勝できていた。
#大相撲の初土俵において大卒力士の幕下最下位付け出しは現在も無条件となっていた。
#社会人スポーツから企業が撤退することもなく、実業団スポーツの衰退はなかった。


==国道101号==
==国際関係==
#両端は国道7号と重複区間
#貿易摩擦が幾分改善されていたかも?
#*能代付近もこの国道と重複する。つまり、国道7号との重複は3箇所あることになる。
#諸外国とのオープンスカイ協定も早期に締結された。
#*県庁所在地同士を連結するとは言え、単独区間の開始・終了地点は市街地から離れている。
#どの道アジア諸国とは競争になる。
#青森・秋田の西海岸を疾走する。
#日韓関係は史実より良好なまま現在まで推移したかと。
#やたらとイカが干して焼いてる店が多い。
#*韓国の金泳三政権と同時期の非自民政権が誕生しないため、日韓の連携が崩れることもなく、韓国が中国と擦り寄ることもない。
#*鰺ヶ沢近辺は特に
#*イカを売りにしている[[東北の道の駅#ふかうら|道の駅]]もある。
#男鹿はありえないルートで迷走酷道。
#*能代以南は本来の路線の延長路として指定された。存在感は薄いし、国道7号よりも遠回り。
#*この辺りは、市道以下のレベルまで落ちている。
#*なぜ、このルートで指定されたのか?道路標識を作るためか。
#*利権の臭いがプンプンする。
#*現在はなくなりまともなルートの道になりました。
#沿線にサンタクロースが来るらしい。
#道の駅はちもりは、付近のドライブインより劣る。


==国道102号==
{{DEFAULTSORT:はふるかなかつたら}}
#弘前から十和田湖の北側を通過し、十和田に至る。
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 現代日本史]]
#弘前~黒石間には3桁国道にしては贅沢すぎるほど、片側3車線区間がある。
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 経済史]]
#逆に十和田湖近辺はセンターラインのない箇所が多く、カーブもきつい。
 
==国道103号==
#県内屈指の観光道路。
#その名もゴールドライン。
#おかげでハイシーズンは観光バスで激しく渋滞。
#一部区間で冬季閉鎖。
#*傘松峠のことね。
#大館市と鹿角市の間は大館と東北道十和田ICのアクセス道路。
#*バイパスが通りかなり高規格。大館南バイパス以外は片側1車線だが線形がよく道幅も広いためかなり走りやすい。
 
==国道104号==
#八戸~大館間の国道。
#*八戸~三戸間は指定区間の扱い。
#八戸の売市交差点で鋭角に折れ曲がっている。
#*青信号のまま通過しようとすると、ヘアピンカーブを走っているかのような感覚になる。
#**だが地元民で国道指定のルートを律儀に走る人はそうそういない(短絡している道路がある)。
#*4号線との交差点である剣吉交差点も、八戸方面から十和田湖方面へ向かうと、ヘアピンカーブに近い構造に見える。
#国道103号との重複が長い。
#*しかも、連番同士なので紛らわしい。
#単独区間では八戸市内~剣吉交差点(国道4号との交点)が一番交通量が多い。
#*実質的に国道4号の支線のような役割をしている。
#**交通量も南側から4号をそのまま進む車より104号に入る車のほうが多い。
#*大型トラックがバンバン走る。
#*剣吉交差点で八戸方面から三戸方面へは大きく曲がる。
#**正直まっすぐ道路を通そうとすれば作れる気が・・・
 
==国道105号==
#21世紀になって以来、大曲西道路・岩谷道路と相次いで自動車専用道路が開通した。
#*これらは、計画されている本荘大曲道路のほんの一部。他に大曲鷹巣道路も計画されているものの、ともに全線開通の目途は全く立っていない。
#*仙北市と北秋田市の間の区間はアップダウンと急カーブの連続。阿仁町内に着いた時、ホッとする。同じく仙北市から鹿角市に抜ける国道341号線も山越え区間はかなり険しい。仙北地域→県北地域へ抜ける道はいばらの道ばかり。
 
==国道106号==
#盛岡~宮古間で、山田線より重宝されている106急行が走る。
#*山田線は大志田、浅岸と遠回りしているが、106号はショートカット。
#*だが、106号が経由する簗川は、大志田・浅岸と肩を並べるほどの秘境。
#盛岡~宮古間約100kmのほとんどが片側1車線&カーブの連続なのでちょっとした直線やカーブ手前でも命がけで追い越しをかけてくる。
#*その為正面衝突多い。事故ればかなりの確率でお亡くなりになられます。
#*基本的にカーブでも70~80キロで流れている。
#*冬場は東北屈指のアイスバーンと化して冗談抜きの命がけに。
#震災復興の一環で並行する高規格道路の建設が進む。難所の峠ももうじき急勾配急カーブ無く越えられるようになる。
#これだけの交通量と重要性がありながらも、2桁昇格や直轄化は今だ叶わず。
 
==国道107号==
#北上から横手・秋田方面へ[[東日本高速道路#秋田自動車道|秋田自動車道]]が開通したが、高速料金を節約したいドライバーは湯田ダム沿いのこちらを選ぶ。
#*夜、湯田ダム周辺に幽霊が出没するらしい。
#秋田県横手市黒沢地区に、僅か2km程の間に連続して10もの橋を渡る区間がある。9つは横手川の支流の黒沢川を渡る(その名も「黒沢●号橋:●は1~9の数字が入る」)。残り一つはJR北上線の黒沢こ線橋。川が蛇行しているところに直線的に道路を造ったのでこうなった。
#雄物川を渡る「新雄物川橋」。昔は「雄物川橋」だけだったが、その狭さ故に、前後区間のバイパス化も伴って「新-」が造られた。数年間は2つの橋ともに通行できたが、その後元々の「雄物川橋」は老朽化のために?解体され、「新」が残った。
#由利本荘市は改良区間が多く、走りにくい区間は殆どない。2000年~2007年、東由利・黄桜・新諏訪山・鳥田目・絆の茂里の5本のトンネルが相次いで開通した。しかし、今年の冬に絆の茂里トンネルで死亡事故が…。
#県境付近は「岩手県道1号・秋田県道1号盛岡横手線」との重複区間。秋田県側には単独区間が存在せず、ネットで調べない限り、その名を知る事はほぼ不可能だろう。岩手県側は、湯田町の川尻橋東側の丁字路で分岐。
#北東北と南東北の境目。岩手県域は南部と伊達の藩境に近い。
 
==国道108号==
#鬼首・松ノ木と冬期閉鎖の峠が2つもあったが、冬期も通行できるバイパスが1996年に相次いで開通した。
#宮城県内と秋田県内(湯沢・由利本荘など)を結ぶ最短ルート。しかも無料。
#*鬼首トンネルは東北地方の一般道の中では大峠トンネルに次いで長いトンネル。松ノ木トンネルも一般道で県内3位(県境のものを除けば1位)の長さを誇る。
#*宮城県~秋田県間のみならず、山形県内陸部から秋田県沿岸へ行くにもこのルートを通るのが吉
#鳴子ダム近辺の狭隘区間を解消するため、花渕山バイパスを難工事ながら建設中。
#*花淵山バイパスは完成したが、以北の区間には狭隘急勾配急カーブがわずかに残る。
#起点から鳴子まで、47号と繋がるように指定区間になっている。でも明らかに指定区間外の方が整備されている。
 
==国道109号・110号・111号(欠番)==
#今は存在しないがかつて東北地方に存在していた。
#現在東北にある国道45号~49号は以前3桁の国道番号を割り当てられていた。昭和38年に番号変更された際、多くの3桁国道は別の道路に指定変更されたが、この3線はそれがなされず、欠番となった。
#*111号は現在の45号の大部分、110号は現在の48号、109号は現在の47号古川~鳴子、108号鳴子~雄勝、13号雄勝~横手で、元々108号だった古川~酒田を47号に変更した際、残りの108号と109号を統合して今の108号になった。
 
==国道112号==
#山形~酒田間の国道。
#*山形県の内陸と庄内を結ぶ幹線。(国道47・344号より有名)
#*鶴岡まで指定区間。
#*山形市街地は直轄国道には思えないほど貧弱
#月山道路は日本の道100選に選ばれている。
#*旧道は狭く、ガードレールがない箇所もある。でも、酷道として名高い国道425号や国道418号とかと比べるとまだまだやさしい。
#鶴岡~酒田間の存在感は弱い。
#*この区間には庄内有数の温泉地・湯野浜があり、海沿いを走る。山越えの月山道路と同じ道とは思えない変わりようである。
#山形市内に鶴岡方面の一方通行の箇所あり。
#逆に山形市内に飯田方面の一方通行の箇所もある。
#*実は何と酒田市内にまでも一方通行区間が存在する。
#軟弱地盤の上に造られているらしく、毎年のように夏は工事している…大雨で通行止めになる47号といい、ボトルネック解消のために新庄酒田道路を早期全通すべきでは?(by宮城県大崎市在住、ついでに我田引道で新庄石巻道路も!笑)
#月山道路は「国道」としては素晴らしい道だ。開通当時は県内に高速道路が全くなかったので県民はこれでも便利になったと思った。だが両端に山形道がつながり、高速交通網の一翼を担わせるには脆弱な気がする。特に冬の悪天候時の危険度は国内有数であり、通行止めになることも少なからずある。県内(特に庄内)の行政・経済界はこれでいいと思っているのだろうか。
#どちらの方向でも全線走破は不可能。なぜなら、どちらの方面にも一方通行があるので行かれない為である。
#*[[大阪の道路交通#府道15号|大阪府道15号茨木八尾線]]と同様。
 
==国道113号==
#新潟から山形、宮城を経て、福島県相馬に至る国道。
#*おそらく福島じゃ一番存在感がうすい。相馬しか通ってない。
#宮城の七ヶ宿町は最も、交通量の少ない区間。周辺はのどかな集落だらけ。
#*交通量が少ないので白石市小原小~七ヶ宿ダム終わりまでの区間は車いなければ80~100km/hくらいで走行出来る。
#新潟の村上から山形の南陽間は指定区間。(この区間には新潟(起点となる本町通)から(まで)のキロポストがある。)
#*新潟~村上間は7号線経由で辿った距離で表示される。
#郡山JCT~磐越道区間の高速料金負担すら厳しい高速バス仙台~長野松本・富山・金沢線はこの113号・小国まわりで運行。もっとも、距離的には磐越道経由よりこの小国まわりのほうが仙台~新潟間でみれば近い。
#中途半端に新新バイパスとの重複になる区間がある。
#*すぐ近くに東港が存在し、橋の架橋ができなかったからだと思われる。
#*笹山から横土居までのバイパスができて重複がようやく解消。
#**実のところそれまでも一応港側に橋も架かった道はあったのだが、国道にしなかったのは港の施設を一般に開放する形だったのかな?
#新潟~村上間は右左折が多く、線形が悪い。
#旧新潟市の市民なら大体「空港通」で通じる。
#山形県内に入ると実際には通らない山形市が距離標識に出る。(相馬方向のみ)
 
==国道114号==
#福島の県庁所在地から原子力発電所をつなぐ国道。
#*起点が微妙に4号線に届いていない。市道接続。
#**改正でやっと4号線に届いた。
#*重要な道路の割に、整備がされていない箇所が多い。
#**それは、国道349号重複区間より東部だけ。福島~川俣は交通量も多いし、バイパス区間もある。
#後半で459号と重複する。
#終点直前の標識になぜか東京の文字が出る。
#福島市をなかなか脱出できない。延々と変化に乏しい山道。
#*浪江町の間違いでは?ずいぶん山奥まで来たのに「まだ浪江かよっ」と思うくらい長い。
#**飯野町を併合したので…。114号に沿ってみょーんと南東に延びているんです。
#**渡利バイパスができて市道降格される前は南向台の交差点から既に人里離れた山道臭がぷんぷんしていた。場合によっちゃ渡利弁天山から少し経ったあたりでも。
#**夜は恐怖感が漂う。
 
==国道118号==
#茨城から会津に至る。
#*茨城は水戸が起点。市内は右左折する箇所が多い。
#**さらに、市内は2車線・4車線区間ともに道幅が狭いところが多い。
#*水戸付近から、福島の中通りへ向かうのに重宝する。
#国道121号に寄生している。寄生してるうちにいつの間にか終点。
#*この付近の動脈は国道121号だが、国道118号が優先されている。まあ、番号が若いからそのようにとれなくもないが…
#**2段おにぎりマークは寄生直後にあるだけ。若松市内に入ると121号のマークが一時、消滅する。
#**重複区間では須賀川・水戸方面の距離標示ばかり出る…杓子定規じゃなくちゃんと田島・宇都宮方面も案内してほしいと思った。
#*終点側からいきなり水戸が標識に出る。
#**以前は須賀川までだったのに…
#***もともと須賀川までの国道だったのが93年指定で鳳坂峠越えが組み込まれ会津若松までの国道になった。
#****もともとは郡山の49号までの国道だった。今も昔も寄生して終点を迎えるのは変わらない。
#茨城県内は久慈川を縫うようにして走る。名勝:袋田の滝へのメインルートでもある。
#*福島県内には他に阿武隈川本流にかかる乙字ヶ滝という滝もあり、この路線は沿線に日本の滝百選を二つ抱えている。
#須賀川市の空港線区間は4車線。
#*「ウルトラマン通り」と呼ばれている。
#*「一里坦」(国道4号立体交差)~影沼町(国道118号に合流)は、福島県道67号という別の道路であるらしい。どちらも交差点直進なので気づかず走行してしまいがちであるが。
#国道294号が途中で合流、分岐するが、どちらかのT字路に信号がなかった記憶がある。
#*勢至堂・黒森から来ると294号線側が止まれの信号無しT字路だった。車自体は少ないので一時停止だけすれば問題無く入れる。
#下郷町で国道121号に合流する際、信号がなく「止まれ」標識だけなので、観光シーズンの休日はなかなか進めない。
#*橋を渡って即交差点なので欄干で左右があまり見えない。
#会津若松市内で若松西バイパスが順次供用中。4車線(一部暫定2車線)。
#*実はあの路線は国道401号だったりする。
#茨城県内は山方あたりから水郡線と併走する。久慈川挟んだり、並んで橋が設置されてたり。
#福島空港に一番近い国道。最終アプローチは2つあり、よく整備された県道の現道か高速規格の県道バイパス。
#*番号はどちらも同じ福島県道42号。
#**前者は矢吹小野線じゃなくて古殿須賀川線では?
#常陸大宮市内でバイパスをシコシコ建設中。いずれは那珂ICまで4車線で結ばれるのかな?
 
==国道252号==
#会津坂下インターから新潟に行く道。
#*新潟は中越地方の柏崎まで続いている。
#**魚沼~柏崎間は17号→291号経由のほうが近い。
#*会津若松から会津坂下に行き、ほぼ直角ターンをして柳津に向かう。
#**観光客が多い七日町通りも実は国道252号。
#とんでもない豪雪でこの道がふさがるから超赤字路線の[[只見線]]が生き残っている。まあ冬はどっちも使えないが。
#*スノージェットも多い。
#**スノーシェッドね。
#*積極的な除雪はせず自然解凍を待つため、開通は毎年5月下旬です。
#*2011年7月の豪雨で大損害。採算は取れないだろうが全線復旧の日を願う。
#49号分岐から只見までは沿線に何もない。交通量も少なく、沿線の風景もひたすら只見川と山だけ。
#*只見川の由来が「ただ見るだけの川」だからそんなもんである。
#*49号分岐(坂下インター出口)にセブンイレブンがあるが'''福島県側最後の24時間コンビニ'''である。ちなみに県境までは町が4つある(極端な過疎化で村並みの町ばかりだが…)。
#田子倉湖付近のトンネルは狭い。大型車同士の離合は無理。
#*照明のないトンネルも存在する。
#*沿線人口も極端に少ないけど、それを度外視してでも高規格なバイパスを作るべきだと感じる。
#六十里越の福島側はすぐ南を走る国道352号の風景に少し似ている。
#*山肌に沿った道路線形とか。
#*田子倉湖も。(奥只見湖に相当)
 
==国道279号==
#野辺地町から下北半島へ向かう国道。
#*海を挟んで函館まで続いている。
#**函館港から函館駅まで向かう国道。
#下北半島の住民の生命線。
#大湊線との踏切が何か所かある。
#吹雪で車が大量に立ち往生して寸断される事態が発生した。
#*このせいでむつ市など下北半島がほぼ陸の孤島と化した(一応太平洋側に338号もあるが)。
#函館市内の一部区間は函館市電が通っている
#*しかも路線が分かれる十字街電停があるなど要所
#函館市役所の最寄り国道
 
==国道280号==
#青森市から津軽半島の旧三厩まで続く国道。
#*終点は北海道函館市。ただし北海道は国道228号・227号・5号との重複区間のみ。間に海上区間を挟む。
#**海上部分は[[青函トンネル]]とルートが殆ど同じだから先進導坑に道路を通して280号にすればよいのに…。
#*函館西波止場から函館市電の電停まで続く国道。
#竜飛岬へのメインルート。松前街道の愛称がある。
#*でも、蟹田~竜飛岬へは県道利用の方が格段に早い。
#旧道には民家が多く点在している。
#函館市内の一部区間は「海峡通」の愛称がついている
#終点直前の道路幅はかなり広いが、ほとんど市電の軌道敷のため
 
==国道281号==
#盛岡と久慈とを繋ぐ国道。
#*但し盛岡から岩手町までは国道4号との重複なので、実質岩手町から久慈市までの道。
#他所からビジネス的に久慈を訪れる場合のメインルート。
#*盛岡~久慈間の特急バス「白樺号」は、岩手町の中心部を除きほぼこの道の単独区間を走り抜く。新幹線連絡バスの二戸~久慈「スワロー号」も久慈市街への進入路はこの道。
#標高800mの平庭高原、600mの大坊峠と2か所のキツ目の峠越えがある。
#*おかげで急勾配続き、ヘアピンカーブも複数ある。なので上記「白樺号」が途中バス停を殆ど通過してもスピードが出せない…
#久慈市街に入る前の久慈渓流の景観が素晴らしい。
#*わざわざハイキングで訪れたくなるレベルの奇岩、巨岩が連なる渓谷を、走りながら鑑賞できる。
#*だが、このあまりにも川に近すぎるルートが仇となり、久慈市街を水浸しにした2016年の台風10号で大打撃を受けた。2017年春になっても復旧途上で、120秒信号の片側通行が複数個所残っている。
#**素掘りらしきトンネルなどがあった川沿いの旧道はこのときに壊滅したもよう。旧道ファン涙目。
 
==国道282号==
#盛岡から青森の碇ヶ関へ向かう国道。
#盛岡から青森への近道。
#*滝沢で国道4号と分岐する。(滝沢分レ)
#*東北自動車道が7号線付近に達するまで併走する。
#坂梨峠付近は急カーブ急勾配が多く交通量が少ない、、、と言いたいところだけど、実際は意外と2トントラックが走る
 
==国道283号==
#区間:釜石市~花巻市
#JR釜石線と並行する。道路のすぐ横を線路が通っている区間も多く、タイミングが合えば釜石線のSLと併走することも可能。
#*道の駅みやもり付近で釜石線のめがね橋をくぐり、[[東北の道の駅#遠野風の丘|道の駅遠野風の丘]]ではテラスの目の前に釜石線の線路があるなど、沿道にSLを楽しめるスポットも多い。
#遠野市と釜石市の境界の仙人峠は急カーブ、急勾配、ループ線有りの険しい道であったが、複数の長大トンネルで真っ直ぐ突き抜ける「仙人峠道路」が開通したため、両市間の移動は格段に楽になった。
#*仙人峠道路は途中で住田町をかすめており、滝観洞ICが設置されている。旧道は住田町を経由していない。
#*将来的には西から延びる釜石自動車道と一体化する予定。
#釜石市内に入ると変則3車線になる。
 
==国道284号==
#区間:陸前高田市~気仙沼市~一関市
#陸前高田~気仙沼間は45号と重複しているので、実質気仙沼と一関を結ぶ国道。
#JR大船渡線と併走しているが、大船渡線は途中で摺沢方面に大迂回してしまうので、千厩以東から一関に向かう場合は鉄道より車の方がはるかに早く着く。
#*そのおかげで大船渡や気仙沼から一関へ直通する特急バスが盛況。
#ニーパーヨン
 
==国道285号==
#区間:秋田市~潟上市~井川町~五城目町~上小阿仁村~北秋田市~大館市~鹿角市
#*秋田市から潟上市まではR7、大館市から鹿角市まではR103重複なので実質的には潟上市~大館市までの道。
#秋田から大館・鹿角方面の最短ルート。それゆえ交通量は多め。
 
==国道286号==
#国道48号と共に、仙台と山形を結ぶ。
#県境の笹谷峠を通る。
#*山形道開通前は笹谷トンネルが286号の有料道路となっていた。
#**笹谷~関沢間の高速料金が安いのはその名残。
#*冬季閉鎖のため、通過には山形道を使わなくてはならない。
#**通年を通しても、山越えルートを使うドライバーは少ない。(ほとんど、山形道へ流れる。)
#***というかツーリングに来たライダーや登山者など余程の理由がある人以外は通行は避けるべき。面白半分で行くと本気で後悔する。
#***山越えルートは基本的に、酷道になる為。
#山越えルートはヘアピンカーブだらけ。
#'''ニーパーロク'''
#川崎町から山形市郊外間は信号が非常に少なく、線形もよいので快適に走りやすい。
#*この区間で山形道を使う必要性はあまりない。
#**えっそれって笹谷峠の区間を含めてって言うこと?確かにそれ以外の区間は快走できるけど。
#峠区間の悪天候時、夜間通行は文字通り命懸け。落石事故も多い。
#*規定量の雨が降ってもすぐ通行止めになる。人命優先である。
#古来から重要な道だったが今も昔も難所であり行き倒れも良く発生したらしく、道端には弔いの地蔵がある。
#*峠道の例に漏れず怪談話も多数
#下手するとすれ違う車の台数より遭遇する猿の数の方が多い'''(実話)'''
 
==国道287号==
#'''にっぱぁなな'''
#米沢~東根間の国道。山形市は通らない。
#*米沢は城下町の名残か、狭く右左折する箇所が多い。
#*13号の代替路線として使うドライバーもいる。
#別名、長井街道。
#朝日町の最上川の景観は必見。
#寒河江で国道112号を立体交差してる。
 
==国道288号==
#'''にぃぱっぱぁ'''
#福島県郡山市からDASH村をかすめて原子力発電所(浪江町)に向かう道。
#*郡山の起点は旧道のほうの国道4号線富久山町交差点。
#*途中から114とゴッチャになってる。都路→大熊→双葉。
#郡山市民がこの道で花見に行く。
#郡山→三春→郡山→三春→郡山→三春と境目が曖昧。
#*田村市が誕生したので解消された。
#*田村市と三春町は別ですよ。
#**仮に三春が田村市になっても、郡山→田村→郡山→田村→郡山→田村と大して変わらないのに気付かないのか?
#震災後に全通した郡山東~三春バイパスは立体交差が多く、4車線化を見越した用地確保もしてあり、200番台国道としては過大に思えるほど立派。郡山と原発を結ぶ最短経路だからか?
#*もともと郡山東インターが国道288号の周辺に造成する工業団地のために作ったインターであるのと三春の線形と渋滞量がひどかったからああなった。
 
==国道289号==
[[ファイル:R289_future.png|thumb|200px|果たしてこれは実現するのか…]]
#'''未完成'''
#*福島新潟県境の八十里越を鋭意製作中。開通は平成30年代。
<!--#**そもそも平成30年って存在するのか?-->
#*西郷から南郷に向かう甲子峠も製作中。トンネル作ったら大雨で壊れて数多のトンネル、橋を廃棄。
#**開通しました。
#***全長4345mあり、内部は明るい。待避所も存在する。
#***白河側のトンネル手前の谷が深い。
#***山奥なのに高規格。おかげで白河~下郷の連絡が早くなった。途中の道の駅「しもごう EMATTO」は結構な賑わいぶりで、景色もなかなか。
#**石楠花トンネルの手前に覆いかぶさるように出来たきびたきトンネルの坑口の風景は他じゃ見られない壮観。フリークには有名
#白河市で4号線と交差するが、実に中途半端なつくり。
#*だって、立体交差してるし。
#**4号線との連絡路が少し長い。
#**正確には立体化されておらず、東北本線を跨いでいるに過ぎない。
#阿武隈山地を横断する区間は一部、狭い箇所がある。
#*この辺の東西連絡道としては県道14号いわき石川線(通称御斉所街道)の方が立派。交通量もそちらの方がずっと多い。
#**バイパスとして、トンネルが建設中である。
#白河市内は旧白棚線区間をバイパス化した区間がほとんど。
#*国道4号線並みの交通量。
#*南湖公園前後はよく混雑する。
#西郷村側の登山道に国道標識が存在することが最大の特徴。
#*甲子道路ができたら撤去されたみたいです。
#**撤去されました。
#燕市は迷走酷道
 
==国道338号==
#'''さんさんぱ'''
#海にあったりする。
#一部陸上自衛隊が作ったりしている。
#三沢市浜通の集落だった四川目はゴーストタウンどころか原野。理由は集落ごと大移転。
#六ヶ所村に入ると無駄に立派な道。
#*原発マネーの影響かな。
#東通村の一部が酷道のため、国道279号のほうが安全だったりする。
#*トンネル建設が進行中
#下北半島の仏ヶ浦付近~脇野沢の集落間は険しいワイディングルート。
#*でも、バイク乗りには丁度いい。
 
==国道339号==
[[画像:階段国道.jpg|thumb|200px|これでもれっきとした国道です]]
#言わずと知れた階段国道
#階段部のインパクトが強すぎて他の区間の立場がない。
#*弘前が起点でしばらくは普通の道なのだが、階段のみの国道だと思われてないか心配。
#**弘前じゃなくて、藤崎から始まってる気がする。
#*竜飛以南の数10kmはかなりの急勾配・急カーブ。
#階段数は362段の階段
#*階段の先のほうでは、集落の家と家の間の狭い路地を通る。
#**ただし沿線の家は2016年に火災で焼けてしまい、現在は更地になっている。
#小泊-竜飛の19.1kmは昭和40年代までは道路が拓かれていない「幻の県道」であった。
#甲子トンネルの開通により国道289号の「登山道国道」が指定解除されたので、東北の国道で脚光を浴びるのはここしかない、と思っている。
#*階段国道も国道指定解除されかかったが、名物として脚光を浴びるために地元がこれを拒んだ。
#**国道の本来の意義を踏みにじっている、と思わなくもない。
 
==国道340号==
#陸前高田市から八戸市まで続く。
#峠越えを除けば、快適に走れる。
#*除けば、って・・・。大半が峠越えじゃないか。
#**[[東日本旅客鉄道/東北地区#岩泉線の噂|岩泉線]]沿線なんてお世辞にも快適とは言えない。
#***国道のくせにすれ違えないので待避所がある。近所の農免道のほうが快適なレベル。
#北東北の国道349号のようなもの。北上高地を縦断している。
#秘境駅の押角駅はこの国道沿いにある。
#八戸市街地に蕪島方面への一方通行路があるが3車線もある。
#岩手県内の国道で唯一、国道4号と接続しない。
#立丸峠のトンネル建設と押角峠道路の建設が進んでおり脱酷道が視野に入った。
#*押角峠道路のトンネルは岩泉線の廃線トンネルを道路用に拡幅して再利用するらしい。
#**押角トンネルは2020年12月13日に当路線のトンネルとして開通した。
#トンネル開通後も、立丸峠は夏の間は抜け道としてよく使われるが、冬になると通行車両が激減し地元車両しか通らなくなる。
 
==国道341号==
#区間:秋田県鹿角市~秋田県由利本荘市
#大別して鹿角~田沢湖、田沢湖~大仙市協和(ほぼ国道46号)、協和~由利本荘市(3分の1は国道7号)に分別できる。
#鹿角~田沢湖間は玉川温泉があるため11月~冬期封鎖されるまでは道路交通情報がラジオで頻繁に流れる。
#一方、秋田市雄和~由利本荘市岩城(高尾山)は11月上旬にはあっさり冬季閉鎖。
 
==国道342号==
#区間:秋田県横手市~宮城県登米市
#県境の栗駒峠上に一関温泉郷の代表格:須川温泉がある。
#*須川温泉は冬季閉鎖区間内にあるため、冬期は休業する。
#2008年の岩手・宮城内陸地震で祭畤(まつるべ)大橋が崩落。再開通までに約2年を要した。
#*崩壊した祭畤大橋は震災遺構として現地に保存されている。
#*再開通まで、須川温泉には秋田県側からしかアクセスできない状態が続いた。
 
==国道343号==
#区間:陸前高田市~奥州市水沢区
#沿岸南部地方と水沢を結ぶメインルート。
#陸前高田市と一関市(旧大東町)との境界にはループ橋がある。
#一関市大東町猿沢~一関市東山町の境界ではかつては'''舗装すらされていない'''完全1車線の道路で、大型車通行禁止、さらには冬期通行止めの酷道であった。
#*現在は峠をトンネルで真っ直ぐブチ抜いて「猿沢バイパス」が完成しており、高速道路並の線形でガンガン飛ばせるようになった。
#*バイパス開通前に水沢へ向かう場合はこんな酷道区間をわざわざ通らず、456号で一旦江刺に入って迂回するのが普通だった。
 
==国道344号==
#秋田県湯沢市から山形県酒田市を結ぶ道路だが、湯沢から金山までは国道13号と重複しており、実質山形県内のみの道路といえる。
#内陸と庄内を結ぶのは山形自動車道+国道112号と国道47号とこの道路のみ。だがほぼ忘れ去られている。
 
==国道345号==
[[ファイル:だるま屋ウィリー現場.jpg|thumb|ギアいじったっけ ロー入っちゃって もうウィリーさ]]
#新潟市から山形県遊佐町女鹿までを結ぶ。
#ほぼ国道7号に並行している。新潟県内では7号より海側、山形県内では7号より山側を通る。
#*笹川流れ付近で羽越本線と並行しているのはこの道路。
#*山形県遊佐町の吹浦~女鹿は旧7号であり、ここは7号より海側を通る。この区間も大部分は羽越本線と並行している。
#*新潟県内は起点から胎内市まで国道113号と重複している。
#*旧温海町~鶴岡市間のみ酷道。極端な酷さではないが
#水曜どうでしょうの「だるま屋ウィリー事件」はこの道路上で起きた。笹川流れからさらに山形県境に進んだあたりらしい。
#*現場のフェンスには(本当はダメなんだろうが)藩士によってシールが貼られまくっている。山形県側から南下して来ても見つけられる。
 
==国道346号==
#区間:仙台~気仙沼。
#*でも、起点は松島に見える。
#松島~気仙沼間は国道45号よりもこちらの方が速くて楽。
#*それでも路肩の狭さやカーブのきつさは300番台相応なので注意が必要。三陸道のほうが無難な印象。
#起終点はどちらも宮城県だが、途中でちょっとだけ岩手県をかすめている。
 
==国道347号==
#区間:寒河江~最上川西岸(途中で渡るけど)~尾花沢~古川
#山形県の河北~尾花沢は道幅も十分あり流れも良い。宮城県側は集落を抜ける区間やクランク、T字路もあり、加美町の生命線であるにもかかわらずやや走りにくい(by宮城県側の住民)
#震災を契機に鍋越峠の通年通行化の気運が高まっている。
 
==国道348号==
#山形と長井を結ぶ短い国道。
#*でも、法的に山形市が終点扱い。
#*山形市から新潟方面へ行くときに便利。
#峠越えが2箇所ある。
#名所は白鷹山くらいかな?
#'''さんよんぱ'''
 
==国道349号==
#茨城から福島を貫通し宮城に向かう国道。ほぼ全線阿武隈高地なため流れが良い。道もそんなに悪くない。
#*峠越えがいくつもあるが、勾配は緩く、さほど大変でもない。
#*道もそんなに悪くない、って茨城県内だけ見て言ってるようにしか思えんのだが…。古殿~小野とか梁川~丸森とかかなりキツいぞ。
#道の駅ふくしま東和は、数年前は『みちくさのえき』だった。
#茨城県内は道幅が広く、信号も市街地以外は少ないので快走できる。
#*対照的に福島県の南部は全体的に道幅が狭い。交通量もそれほど多くない。
#*いわき~東和までしか走らないけど、その区間はめちゃくちゃ走りやすい。小野、船引と市街地避けてるし。
#*常陸太田発着の高速バスも通る道。でかい道の駅もある。
#宮城県境~丸森町間はセンターラインなし。すれ違い注意。
#宮城県内は阿武隈川と並行する。
#*国道113号合流まで眺めがいい。
#伊達市内になぜか一通区間かつ一時停止信号がある。
#*保原の住宅街を抜ける区間だけど、どうしてこうなった…案内標識でも'''なかったこと'''にされている。
#R118と重複する東舘から鮫川村中心部までが全線で最も酷な区間と思われるが、R118を塙まで走り、r27-r242-R289-r242と経由すれば、酷区間が皆無な上、走行距離も短い。
 
==国道396号==
#区間:盛岡市~遠野市
#*起点は遠野市、終点は盛岡市の南大橋交差点の国道4号との交点。
#**終点は国道456号の起点ともなっており、紫波町の分岐点まで396号と456号は完全に重複している。
 
==国道397号==
#区間:大船渡市~奥州市~横手市
#*大船渡側は107号と、横手側は342号と重複しているため、単独区間でいえば住田町~東成瀬村。
#*秋田県側は県境を越えてすぐ342号と合流するため単独区間の大半は岩手県内である。
#気仙地方と水沢を結ぶ国道としては南側に343号が並行する。
#*397号と343号が4号と接する地点は300mほど(信号1つ分)ずれており、397号と343号は微妙に接していない。
#住田町と奥州市の境界付近は改良され道幅は広いが、急勾配と急カーブでトンネルをいくつも通過する。周辺には宮沢賢治が愛した高原地帯、種山ヶ原が広がる。
#胆沢ダムの建設により、ダム周辺区間は高所をトンネルと橋で走り抜ける立派な道路に付け変わった。付け替え道路終点から秋田県境側は一気に規格が下がり、冬季閉鎖区間となる。
#奥州市胆沢区中心部では約7kmにわたって桜が植えられており、開花時期には桜の回廊となる。
 
==国道398号==
#石巻市から由利本荘市に至る国道。
#*国道108号と区間は同じだが、距離はこちらが長い。
#2008年の岩手宮城内陸地震の復旧作業が終わった矢先、東日本大震災の打撃を受ける。
#国道45号との接続が2か所あり、女川で無駄に遠回り
#栗駒山を眺めるならば、この国道からがよい。
#秋田県南部の名勝:小安峡に沿う。
#南三陸町の戸倉地区に謎めいたモアイ像が実在する。
 
==国道399号==
#[[福島]]南端の[[いわき市]]いわき駅前から北端の[[福島市]]に行き[[山形]]、南陽に向かう道。
#いわき市内、伊達市内、飯坂温泉以外もはや国道ではない。家がなくなるとすぐ1車線。すれ違い注意。
#*いわきから県庁所在地の福島への短絡路に見えるが、酷道の要素が多いため実用化されていない。
#*県道と重複すると立派な道になる。分かれると貧弱になる。普通逆だと思う。
#**でも、最も立派な重複区間は国道288号との区間。(登坂車線があることが証拠)
#*だんだん酷道区間は減りつつある。
#*飯舘の長泥の九十九折が楽しい。
#'''さんきゅっきゅ'''
#山形側の勾配はすごい。
#*そのせいなのかは知らないが冬季閉鎖期間が長すぎ。通常ゴールデンウィークになってとっくに雪がなくなっていてもゲート解放されない。
#*普通にその辺にサルが居る。
#わずかな距離であるが、宮城県も通過している。
#*あの村は人がいるのかいないのかよくわからない秘境。
#**一応町だ、あそこは。
 
==国道401号==
#南会津の国道の例に漏れず車じゃ全線通れない
#*尾瀬の登山道。県道1号に主導権を握られている。
#**永遠に全線開通はしないだろう。
#***もし、全通していれば東北と中部以西への最短路となっていただろう。
#区間:福島県会津若松市~群馬県沼田市
#会津若松市内の国道118号分岐~国道118号若松西バイパスまで約2kmほどは4車線。その先は2車線になる。会津高田駅手前で只見線踏切。そして高田の狭い町並みを抜け、冬期閉鎖される博士峠と、若松からわずか数十分のドライブでもその車窓は実に変化に富んでいる。
#会津沼田街道。
 
==国道455号==
#400番台の国道は複数の路線を束ねたため変なルートが多いが(隣の456なんてまさにその典型例)、この道は昇格前「盛岡岩泉線」という一本道だった。
#*漢(おとこ)の道。
#340号線と一部重複しているが、明らかに455号線のほうが立派。
#岩泉線廃止後の岩泉町中心部へのアクセスルート。
#106号の裏道や迂回路としてもしばしば使われる。
 
==国道456号==
#区間:盛岡市~気仙沼市
#*盛岡側は396号と、気仙沼側は346号と重複しているため実質区間は紫波町~登米市。中間にも重複区間が多数あり。
#複数の県道をムリヤリ一本に束ねて国道に昇格させたため変な経路になっている。
#*花巻市以北は概ね北上川を挟んで4号と併走しているが、北上市では大きく東に離れ、奥州市でまた4号に近づき、また東に離れて一関市の旧東磐井郡を縦断して宮城県に至る。
#起終点は隣県同士だが、県境を3回通過している(単独区間で1回、346号重複区間で2回)
 
==国道457号==
#区間:白石市~一関市
#国道4号より西部の宮城県の諸地域を結ぶ。大衡で4号とは交差していない。
#鳴子の紅葉シーズンは、仙台方面との短絡ルートであるため混雑が波及してくる。
#一関側から宮城県道42号に折れると、栗駒山いわかがみ平への最短ルートを取れる。
#大崎市西部など仙台以北の各町村から仙台への裏道として使われ、日中など宮床や根白石あたりは結構交通量も多い。
 
==国道458号==
#山形の新庄から上山まで結ぶ。
#おそらく、東北一の酷道。
#*特に十部一峠付近にはダート区間もある「日本最後のダート国道」。
#**寒河江側は舗装化が進んでいる。
#寒河江方面から肘折温泉への近道になっているが県内屈指の豪雪地帯を通るため冬季閉鎖が解除されるのは6月下旬
#*さらにがけ崩れの修復のため1ヶ月ずれ込むのはざら
#*直線距離にした場合はね。上述のように通行に危険が伴うので、大回りしてでも新庄経由で行くのがベスト。
#山辺町と中山町の集落内は生活道路そのもの。
 
==国道459号==
[[画像:国道459号.jpg|thumb|200px|素掘りトンネルとそれに付随する橋梁の名称は月の異名からとられている。写真は新潟側から「5ヶ月」かけた地点。]]
#区間:新潟~浪江
#語呂の関係でシゴかれそうだ。(459=シゴく)
#後から県道を取ってつけたようにつなげた道。いたるところで重複しているうえに道もひどい。(覚えている限り7号、115号、4号、349号、399号と重複のはず。)
#*国道49号と国道114号も重複しています。
#*新潟福島の県境のあたりでは幅がやや狭く、コンクリートを吹き付けただけのデコボコな素掘りトンネル在りとプチ酷道。そんなに走りづらくはないので[[酷道ファン|酷道初心者]]にはちょうど良い刺激になるかも。
#裏磐梯横断ルートにふさわしい。
#喜多方市内に一方通行の箇所がある。
#*地図によっては一本南の'''路地'''が逆向きの一方通行で国道になってたりする。
#法律上は本州横断国道と位置づけられているが、起点・終点付近は他の国道との重複が長いので、あまり実感がもてない。
#*浪江と言うより旧津島村が終点な気がする。
#**実質旧津川町から浪江町津島に至る国道。
{{一般国道}}
[[Category:東北地方|こくとう]]
[[Category:国道|*とうほく]]

2021年4月2日 (金) 17:15時点における版

1980年代後半の「バブル景気」ですが、もしこの時期にバブル景気が発生しなかったら?

独立済み

国内

  1. 高級品ブームになることもなかった。
    • 仮にあったとしても落ち着いたものとなっていた。
  2. 第二次ベビーブーム世代以降の大学進学率は上がらなかった。
    • よって受験戦争も起こらず。
    • 大学は今でもエリートが行く所。
      • 女子の高等教育は今でも短大が主流で、学科も家政科が中心。
        • 四年制大学の女子学生も文学部や家政学部といった特定の学部に偏り、卒業後は就職せずすぐにお見合いして結婚するのが多かった。
    • この世代が普通に結婚するので、20世紀末に第三次ベビーブームが起こる。
      • それでも日本は学歴社会なので、バブルの有無に関わらず大学進学率は高水準で推移していったでしょう。
      • 社会人入試や編入学が現実より常態化するか、或いは大学入試が撤廃される為。
        • 大学入試が撤廃されることはないだろうが、少なくとも平成以降に誕生した大学は現実よりももっと少なかった。
      • ただ、20世紀末から21世紀初頭にかけて第3次ベビーブームは起きている。
      • この世代においても女性は今でも20代中盤までに結婚することが当然となっていて、「婚活」「非婚」などという言葉は存在しなかった。
        • 2000年には出生数が170万人台にまで回復していた。
        • 「晩婚」も。
      • 第二次ベビーブーム世代が40歳前後になってから駆け込み出産をするという現象も発生しなかった。
        • 40歳以上の出産件数及び出産率は1960年代以降ずっと低水準のままで推移していた。
    • あまり豊かでない家庭の子は無理に大学に進学せず高卒で就職する道を選んでいたので、奨学金の返済が問題になることもなかった。奨学金は現在でも無利子が主流。
      • 無利子どころか返済義務のない給付型が主流。
    • 高卒で就職する者が多いこともあり、居酒屋やコンビニエンスストアの店員などは大学生をアルバイトとして雇わず、高卒もしくは中卒の新卒者を正規従業員として採用するため、所謂「ブラックバイト」の問題は発生しなかった。
      • アルバイトによる不適切動画が投稿されるいわゆる「バイトテロ」もなかった。
    • 工業高校や商業高校など実業科が現在でもある程度のレベルを保っている。
      • 高等専門学校も同様。これらの学校が発達障害者の受け皿として現実よりも機能していた。
    • 女子の場合現在でも高卒・短大卒で大手百貨店や商社・都市銀行などに就職可能になっていた。
    • 団塊ジュニア世代が普通に就職できていたのと、バブル世代を大量採用することもなかったため、各企業において社員の年齢構成が歪になることもなく、世代交代もうまくいっていた。ひいては技術の伝承もうまくいっている。
      • 2010年代後半になって各業界で人手不足が起こることはなかった。
        • 外国人を労働力として雇用しようとする動きもなかった。
    • 大学進学率は2010年代後半でも30%くらいで推移している。
  3. 1990年の「国際花と緑の博覧会」は開催されなかった。
    • 地下鉄長堀鶴見緑地線も建設されず。
      • 大阪の地下鉄は今でも御堂筋・谷町・四つ橋・中央・千日前・堺筋の6路線。
        • 2000年代になって長堀鶴見緑地線の大正~玉造の部分が開業していたがリニア方式にはならず、玉造から枚岡方面へ東進するルートで開業していた。
          • 路線名はもちろん「長堀線」
    • 大阪市の湾岸開発が行われなかったので、大阪市の財政が悪化することはなかった。
      • 大阪市は2008年の夏季オリンピックの候補地に立候補しなかった。
      • 大阪ドーム(京セラドーム大阪)も建設されなかった。
      • 南港・舞洲周辺は未だに文字通りの孤島状態だったか?
      • ユニバーサルスタジオジャパンも建設されなかった。
  4. 女の子の名前は今も「子・美・恵・代」で終わる名前が主流。
    • それはバブルとあまり関係ないのでは?
    • ひらがなやカタカナの名前も多い。
    • 美の付く名前以外はほぼ史実通りの流れになると思う。美の付く名前はオイルショック後からバブル前までが全盛期でそれ以前もそれ以降も少ないのでバブルがなければ史実よりは普及していたと思う。
    • 当然ながらキラキラネームはなかった。きらびやかな名前があるとしてもせいぜい「えりか」、「えりな」、「あんな」といったレベルで留まっていた。
    • 男の子の名前は今も「男・夫・雄」も健在だ。
  5. 1980年代後半にデビューした車、電車でもデザインが完全に古臭いものになっていた。
  6. ハイソカーブームはなかった。
    • 但し、欧米からの輸入高級車に対抗するため、日本製高級車ブランドは史実同様誕生した。
    • 意外とSUV&CUVブームが生まれ、ミニバンやピックアップトラックが普及している。
  7. 車、電車のデザインの近代化が現実より遅くなっていた。
    • いや、海外市場を考慮するとそうとは言えない。
  8. 平成新局や民放FMの開局ラッシュもなく、コミュニティFMもなかった。
    • ほとんどの地方でもテレビ局は2~3局止まり。
  9. 現実のような女性優遇社会にはならなかった。
    • 社会が女性優位になったのはバブル期からのため(アッシー・メッシーなど)。
    • 女性専用車両は設定されなかったか設定されたとしても朝夕ラッシュ時の一部列車だけだった。
    • 飲食店や映画館などでの「レディースデー」というのも存在しない。
    • コンビニのトイレも男女兼用・女性専用に二分化する事もなかった。
      • 項目22にも書いてあるけどそれ以前にコンビニがトイレを貸すこと自体がほとんどなかったかと。
  10. 「#MeToo」の類も史実ほど日本に広まらなかった。
  11. 長い目で見るとこの方が良かったのではと思われる。
  12. 郊外のニュータウン開発はあまり進まなかった。
    • 地価高騰により遠隔地に移り住まなければならないということがなかったため、都心回帰が1980年代のうちに起こっていた。
      • 地上げの発生もないので、都心の下町コミュニティも維持できていた。都心部にできた不自然な空き地や廃屋も当然ながら存在せず、古きよき下町文化が保たれていた。
    • 大学キャンパスの郊外移転は活発化せず、大都市における小中学校の廃校も史実より少なかった。
      • 大学はむしろキャンパスの都心回帰が進んでいた。
    • 茨木台ニュータウンのような僻地ニュータウンは最初から開発されなかっただろう。
  13. モンスターペアレントの問題も起こらなかったかも。
  14. 日本のお見合い結婚と恋愛結婚の比率は1985年以来ほとんど変わらなかった。
    • 所謂「草食系」でも結婚できるので、女は29歳までに、男も34歳までには99%の人が結婚していた。
  15. 田舎や住宅地の地価が安い市町村中心に売れるため、広い敷地を必要とする住友不動産ホームのアメリカンコンフォート(1坪26万円~)は、生産・販売終了にはならなかった。
  16. 広島建設のセナリオハウスのような中間コストを省いた自社一貫工事、一括仕入れによる低価格ハウスメーカーは、現実よりも多くなっている。(田舎や住宅地の地価が安い市町村中心)
  17. 狭い敷地に広い家が建つ3階建て住宅・高層タイプの注文住宅は、現実よりも少ない。
    • 高層マンション・タワーマンションは、現実よりも少ない。
  18. ダイエーは現実ほど拡大路線に走らず、その後の経営悪化もなかった。
    • 球団を保有することもなかったかもしれない。
    • 産業再生機構のお世話になることもなかった。
    • その後の店舗閉鎖も現実より少なく、現在でも流通業界1位の座を維持している。
    • ましてやイオングループの傘下に入るなんてことはなかった。
    • ダイエーだけでなくマイカルも独立した大手スーパーとして現存している。
    • ダイエー・マイカルを傘下に収めなかったことからイオングループは現実ほど大きくならなかったかもしれない。
      • 駅前立地の都心型店舗はダイエー、郊外型店舗はイオンというように棲み分けができていた。
        • そもそもイオンになっておらず、ジャスコのままだった。
    • そごうも拡大路線に走らず、その後の経営破綻やセブン&アイグループとの経営統合などもなかった。
      • そごうの本店は今も大阪の心斎橋
        • そごう神戸店と西武高槻店が阪急百貨店に移管されることもなかった。
          • そごう・西武が関西から撤退することはなかった。
    • 史実でダイエーに吸収合併された忠実屋・ユニードなどはダイエーグループ入りすることはあっても独立したブランドとして残っていた。
      • その場合ダイエーと松下との取引は復活せず1970年代以来ダイエーは松下製品を扱わない状態が続いたかも(史実では忠実屋との合併が松下との取引再開のきっかけになった)。
    • ローソンは今もダイエーの子会社で、関西では圧倒的な力を持っていた。
  19. B級グルメが1990年代から注目されていた。
    • ラーメンブームや讃岐うどんブームも現実よりも早く起こっていた。
  20. ソーシャルゲームは普及するも、課金重視な風潮にはなっていなかった。
    • モンスターストライク、グランブルーファンタジー、Fate/Grand Order、マギアレコードはすべて史実ほどヒットしなかった。
      • そもそもアニプレックスが未だにソーシャルゲームに参入していないかも。
  21. 大手スーパーは今でも定休日を設けていた。
    • 百貨店も。
    • 営業時間も一部を除いて未だに夜7時閉店や夜8時閉店が普通。
      • バブル期以降(特にバブル崩壊後)営業時間が著しく伸びたのは否めないから。
      • 史実のように夜10時まで営業とかは未だにほとんどないはず。
    • 百貨店やスーパーでさえ正月三が日は休業していた。個人商店に至っては1月6日からという所も多く、正月三が日で開いているのは喫茶店や玩具店だけ。
    • 自動車ディーラーやガソリンスタンドは現在でも日曜日が定休日だった。
  22. コンビニエンストアやすき家など24時間営業のお店が史実以上に増えることはなかった・・・か?
    • コンビニは夜11時閉店が主流だったかも。飲食店も夜10時閉店だったのでは?
      • 「セブン-イレブン」の本当の意味が現実以上によく知られていた。
      • コンビニ経営者が長時間労働で本部を訴えるようなことはなかった。
    • 夜中にやっているといえば未だに飲み屋か屋台がほとんどだったと思う。
    • ワタミやモンテローザといった居酒屋チェーンも史実ほど店舗が増えていない。
    • 駅売店がコンビニに業態転換することもなかった。
    • 駅弁業界や駅における立ち食いそば屋も現実ほど衰退しなかった。
    • 節分の恵方巻ブームは現実ほど広まらなかったかもしれない。
      • 広まった要因にコンビニ業界によるPRがあったため。
      • 巻き寿司の大量廃棄という問題もなかった。
      • 現在に至るまで関西ローカルの風習だった可能性が高い。
  23. 公共のトイレが質・量とも貧弱なままだったかも。
    • バブル期以降百貨店を筆頭にトイレを強化したのは確かだから。
    • 加えてバブル崩壊もないためコンビニがサービスとしてトイレを貸すことにならなかったと思う。
      • バブル崩壊による客足の減少を減らす目的の一環として導入されたはず。
    • その一方で喫茶店は今より客足が入っていたはず…。バブル以前だとお外でトイレを借りるとすればまず喫茶店に立ち寄るがありがちなパターンだったから。
    • 多目的トイレという概念は未だになく障害者用トイレのままだった。
      • 項目9の女性優遇とも関連するが女性の社会進出により妊婦さんや子連れママさんのために障害者用トイレを多目的トイレとして広く開放した側面があるから。お年寄りのためでもあるけど。
        • 障害者用トイレは健常者が利用しないよう常時施錠されていることも多くなっている。
          • このことに関して撤廃したのは2000年以降のこと。
        • 電車やバスの優先座席も未だに高齢者と身障者のためのイメージが強いまま。
    • ウォシュレットが本格化したのは2000年以降のこと。
    • 今でも有料トイレというものがあちこちに存在している。
    • 加えてトイレは未だに和式が主流。洋式トイレにはわざわざ「洋式」という表示があるのが普通だった。
  24. 意外と自販機に関しては今以上にあちこちにあった可能性がある
    • バブル以降24時間コンビニの普及でジュース系以外の自販機が衰退した事実があるから。
    • 24時間営業の店がほとんどなければ代わりとして食べ物系や雑貨系の自販機も必要になる。
      • 80年代ぐらいまでは普通にあったオートレストランは今もそれなりに健在。
      • カップヌードルの自販機なんかも今も普通に町中で見かけるようになっていた。
      • うどん自販機なんかも近代的に進化し、ICカードが使えるものも出現していた。
  25. 日本人で初めて宇宙に行ったのは1990年の秋山豊寛さん(TBS記者)ではなく、1992年の毛利衛さんだった。
  26. 回転寿司やファミレスが地方に進出することもなかった。
    • 個人の寿司屋が衰退することもなかった。
      • いわゆる「町中華」も。
      • というか、個人経営の飲食店自体が現実ほど衰退しなかった。
  27. 堤義明と堀江貴文が証券取引法に違反することはなく、西武グループやライブドアは騒動にならなければ上場廃止になることもなかった。
    • 村上世彰も。阪神と阪急が経営統合することもなかった。
  28. 日本人の働き方は現実よりも余裕を持ったものになっていた。
    • 過労死なども現実よりも少なかった。
    • 「働き方改革」という言葉も生まれなかった。
    • 深夜に渡る残業は現実ほど多くなかったかもしれない。
      • 一部のエリートビジネスパーソンに限ってはこの限りではない(当然、給料もそれ相応に高いが)。
  29. 日本は現実ほど拝金主義にはならなかった。
  30. 個人情報保護法は施行されていなかったかもしれない。
    • 死亡者以外の被害者も実名で報道されていた。また、容疑者の名前は成人であれば微罪であっても公表されていた。
    • 小学生は学校の外でも普通に名札を付けて登校し、ランドセルには名前や住所を記入する札を差し込んでいた。
    • 小学生男子の、短い半ズボンも、数は減っても絶滅は免れていたかもしれない。
  31. なんだか、こっちの方がその後の日本にとってはよかったような気がする。
  32. ハッピーマンデー制度が実施されていなかった。
  33. 東京一極集中が現実ほど進まなかった。
    • 地方が現実ほど衰退することもなかった。
  34. 宿泊施設のテレビは現在でも有料のまま。

政治・経済

  1. バブル崩壊もないので、日本経済がダメージを受けることもなかった。
    • ただし、経済の長期低迷はあり得たかも。
      • ブラックマンデーのとばっちりを受けっぱなしだったかもね。
      • ブラックマンデーで長期不況→90年代初頭で回復→阪神淡路で不況→復興景気もアジア経済危機を受け不況→2000年代でようやく回復、だったかも。
    • バブルに懲りた日本銀行が引き締め政策を続けることもなく、日本経済は3~4%の安定成長を続けていた可能性が高いでしょう。
    • 労働環境が今まで通り維持され、派遣やフリーター、ニートなど非正規労働の問題は発生しなかった。
      • そもそも「ニート」という言葉は生まれなかった。
    • 第2次ベビーブーム世代が就職難にあえぐこともなかった。
    • 就職氷河期は存在せず。
    • その代わり昭和天皇崩御による自粛ムードでの景気悪化が史実よりも大きかった。
  2. 銀行の合併などは現実より少なかった。
    • 銀行が調子に乗って土地の投機に手を出すことが無いので、不良債権の問題も発生していない。
    • 1997年の金融危機や2008年のリーマンショックはなかった。あるいは影響が現実ほど大きくならなかった。
  3. 1989年の参院選は自民が順当に議席を得ていた。よって、1993年の自民分裂も小沢一郎離党もなく、小沢は2000年代前半に総理になっている。バブルがなければリクルート事件も起こらなかった可能性もある。
    • 現在に至るまで自民党政権が継続している。
      • 民主党は誕生せず、社会民主党も社会党のままだった。
      • 野党第一党が日本共産党になっていたかもしれない。
        • 共産主義の衰退を考えればやはり社会党が順当なところでは?。
          • むしろ社会党は現実ほど衰退しなかった可能性が高い。
      • 宇野宗佑の首相退任もあれほど早まらなかったが、同じ派閥の渡辺美智雄は完全に主流派を握られやはり首相になれず、息子の喜美の代で初めて新党・再編の話になったかも。
    • 選挙制度に関しても衆議院における小選挙区比例代表並立制は採用されず、現在に至るまで中選挙区制のままだったかも。
  4. 世界金融危機以前にあった世界バブルやITバブルによって日本経済も流れに乗ってバブっていて、日本におけるバブル景気はこの意味を指していた。
    • 1980年代生まれが「バブル世代」と呼ばれている。
  5. 企業における「成果主義」の導入は現実より少なかった。
    • よって年功序列型賃金体系が現在でも主流。
    • 今でも「良い大学に入れれば良い企業に就職できる」という図式が成り立っている。
  6. バブルによる税の予想外の自然増収という大幅な歳入増がなかったので、国も地方自治体ももっと真剣に行革に取り組んでいた。無駄な公共事業も今では殆どなくなり、国や自治体の財政も今ではかなり緩和されている。
    • 所謂無駄な公共事業とされるものの多くはバブル期に計画されたものが殆どだからな。
      • 確かにそうだが、バブル崩壊以降も90年代ぐらいまでは無駄なハコモノは多かった気が…。
        • バブルの後遺症から抜け切れなかったんだろう。
      • 当然の如く「ふるさと創生事業」もない。
    • 「平成の大合併」も20世紀中に行われていた。
      • 地方の財政難が今ほど深刻にならないので現実ほど進まなかった可能性が高い。
    • ハウステンボスは建設されず、オランダ村が21世紀になっても健在。
  7. バブル崩壊以後の東京一極集中は緩和されていた。
    • 大阪経済の地盤沈下はそれ程深刻ではなかった。
    • むしろ東西冷戦崩壊後は北東アジアのハブ的地域として北海道や北陸、九州の重要度が上がった。
  8. 日本の格差社会は現実よりも進まなかった。
    • 当然貧困率も上がらなかった。
  9. 東西冷戦崩壊後のグローバル化の波にも上手く乗れた。
    • 外国に舐められるなんてこともなし。
    • むしろグローバル化の波に乗るのは史実ほど早くなかったし、そうこうしている間にヨーロッパのグローバリズムの弊害を受け、グローバル化を見直すようになってたのでは?。
  10. 第2次ベビーブーム世代の女性も多くは25歳前後で家庭に入り、平均2人の子供を持つ専業主婦となっていたため、少子化問題や託児所や待機児童の問題も発生しなかった。
    • 30代~40代での未婚者や単身世帯の増加もなかった。「非婚」という言葉も当然なかった。
    • 職場において女性は今でも腰掛け入社のお茶汲みで、結婚退職が当然。「キャリアウーマン」という言葉もない。
      • 「日本女性の社会進出度はイスラム教国並み」と誇張され、バッシングの対象になっていた。
        • ただ、出生率が先進国で高いほうである(概ね1.7~1.9?)こともあって海外の保守層からは「日本を見習え」と言われていたかもしれない。
      • 日本の将来を見据えるとこの様な社会が望ましいと思われる。
      • 結婚後も仕事を続けるとしても出産退職が主流で、産休自体未だに少なかった。
  11. 日本経済は、確実に4%前後の安定成長を永遠に続けていた。
    • デフレになることもなく、マイルドなインフレになっていた。
    • リーマンショックで一回コケる気がする。
    • バブルのような急激な成長はなかったが、その分ゆっくりと成長し、2010年代には現実通りの生活水準になっているだろう。
  12. 日本の税金が増税することがなかった。
    • 結局どこかで財源が足りなくなり、増税が必要になる。
      • 日本の財政状態や経済状況が現実よりも良かった可能性が高く、第三次ベビーブームが起こって少子高齢化も緩和されているので増税のペースは現実よりも遅かった可能性が高い。
        • というか国債をいたずらにばらまくようなことにならなかっただろうから、借金も減っているのではないか。
        • 消費税は3%の時代が長く続き、2010年代半ばでようやく5%になっていただろう。
  13. 日本の実質地価は、1990年以降・2000年以降でも殆ど下落せずに日本中まんべんなく少しずつ確実に上がり続けていた。
    • 農地(田・畑)の実質地価も殆ど下落せずに少しずつ確実に上がり続けていた。
    • 東京23区の人口が一時的に800万人を割ることはなかった。
  14. 55年体制の崩壊がないのに加えて、第三次ベビーブームが起きるので、現在の左派政党は史実以上に劣勢になっていた。
    • インターネットの普及が史実より早まる(後述)により、マスコミだけでは知り得ない政治的な知識を得やすくなるため。昨今のネット社会を見れば言えることだろう。
    • ましてや東西冷戦の終結とソビエト崩壊で社会主義や共産主義の欠点が露呈するため、左派政党の史実以上の弱体化はあり得るだろう。
    • 自民党と対峙する保守政党も結党されるので、自民党が史実ほど攻勢的になることもないだろう。
      • 仮に日本の政界が自民党と自民党と対峙する保守政党の二強になったところで左派政党も主に労働組合の受け皿としてそれ相応の力は持つ。
      • 同時に保守政党の第三勢力となる政党も遅かれ早かれ結党される。
      • むしろ社会党が保守化していた。
      • 何れにせよ現実のような自民一強状態にはならず、野党もある程度の力を持っていた。公明党も自民党とは完全に独立した勢力となっていた。
  15. ユーロは存在せず、1ドルは今でも180~200円程度で安定している。
  16. 日本において新自由主義という考え方は現実ほど広まらなかった。
    • 1980年代の3公社民営化は現実通りだったとしても、郵政民営化や営団地下鉄・大阪市交通局の民営化はなかったかもしれない。
    • 小泉内閣は誕生しなかったかもしれない。
  17. 商店街の「シャッター通り化」という現象も発生しなかった。個人商店でも後継者がキチンと育っていた。
    • 大店法の廃止もなかった可能性が高い。

技術

  1. 企業がバブルに踊らされなかったので、1980年代後半~90年代前半にかけても技術の進歩がすごかった。
  2. 1990年代前半には携帯電話が爆発的に普及、90年代も中盤になるとiモードやカメラ付き携帯が登場する。
    • 2000年代前半には公衆電話が絶滅していた。
      • 同時にスマートフォンのシェアが増していき、2010年前後には普及率9割を超している。
      • LINEなどのメッセージ通話アプリの普及も早まった。
  3. インターネットも1980年代後半には一般化。
    • ウィキペディア・ニコニコ動画・Pixiv・Chakuwiki・twitterといったインターネットサービスも少なくとも20世紀中に存在していた。
      • youtubeも忘れずに。
      • facebookもお忘れなく。
      • つまり、ウィキぺディア=1991年、Chakuwiki=1995年、ニコニコ・twitter=1996年、Pixiv=1997年ということ?
    • IoT(モノのインターネット)化もTRONプロジェクトのおかげで史実よりも5〜10年ほど早まっていただろう。
    • 移動体通信の5Gシステムも2017年くらいには実現していた。
  4. 薄型テレビも前世紀中に登場。
    • 地上デジタル放送は2000年頃に完了。
  5. ipod等の携帯音楽プレイヤーも1990年代前半に登場。
    • MDはこの世に存在しなかったかもしれない。
    • ウォークマンもMP3プレイヤーに切り替わるのが早まっていた。
  6. DVDは1990年代中盤までに、HDDレコーダーは2005年までに普及していた。
    • VHSは2000年代前半に業務用を除き絶滅していた。
  7. 宇宙開発関連の技術の進歩も史実より急ピッチで進み、21世紀には宇宙飛行士以外でも簡単に宇宙に行けるようになった。
    • とはいえ日本の過密化対策のため宇宙への観光旅行は普及せず、宇宙植民地の建設がメインとなる。
    • これに関してはバブルの有無にはほとんど関係しないと思う。宇宙開発の中心はロシアと20世紀までのアメリカで日本は今も昔も余り携わっていないから。
      • スペースシャトルが事実上の失敗に終わったことが20世紀に予測されたような宇宙開発の進度から大幅に遅れてしまった大きな要因だから。
  8. 全保有台数対軽自動車のシェアは、40%程度と現実よりも多い。
    • トヨタ・ヴィッツ、マツダ・デミオなどのコンパクトカーのシェアも現実よりも多い。
  9. ハイソカー・オフロードSUVを所有している家庭は現実よりも少なかった。
    • ハイソカーブーム・オフロードSUVブームはなかった。
    • 3ナンバー車は今でも最高級車くらいでクラウンですら未だに5ナンバーのまま。
      • 外車に至っては未だに左ハンドル車しかなく、上流層しか乗らないような高嶺の花のイメージという認識のまま。
  10. 現実より10年程度早く、日本の石炭火力発電は、蒸気タービンの圧力や温度を超々臨界圧という極限まで上昇させる方法で、欧米やアジア諸国に比べ高い発電効率を実現される。
    • 以来、コストがかさむ石油火力発電・地震や津波に弱い原子力発電を大幅に減らして石炭火力発電(発電電力量全体の60%)・LNG火力発電・水力発電が主なエネルギー源となる。
      • 各地の炭田が史実より長く稼働している。
        • 夕張や筑豊の地盤沈下はなかった。
        • 多少はましになっただろうけど炭鉱衰退は高度経済成長期後半から起きているから例えバブルがなくても衰退したとは思う。
  11. 自動車に使われる石炭→ガソリン液化燃料技術は、10年程度早く実現される。
    • 以来、ガソリンに石油は殆ど使われなくなる。
  12. LED照明は20世紀のうちに実用化されていた。
  13. 温水洗浄便座(ウォシュレット)は史実より普及率が高かった。
    • これに関しては逆だと思う。バブル期に百貨店等がトイレを充実させた際に目玉としてウォシュレットを導入して世間の人がウォシュレットを知るようになったのが普及のきっかけだったはずだから。
      • むしろ伝統的な和式トイレが家庭でも一定数残ったような気がする…。
  14. 洗面台・バス・トイレなどのサニタリーは史実より充実しているかもしれない。
  15. スーパーファミコンは当初の予定通り、1989年に発売されていた。

スポーツ

  1. 1998年の長野オリンピックは開催されなかった。
    • この場合、2008年の夏季五輪は北京ではなく大阪になっていた可能性もある。
      • 但し2008年のリーマンショックがなかった場合のこと。
    • 長野は2014年か18年あたりに立候補していた。
  2. 全日本女子プロレスは2010年現在も存続していたか20世紀中に解散したかのどっちかになっていた。
  3. Jリーグもなかったか、あっても史実より地味だった。
    • ワールドカップ出場でやっと少し盛り上がる程度。
      • 〝ドーハの悲劇〟の知名度が若干下がっていた。
      • 2002年ワールドカップに立候補もしなかった。2022年が日本になったかもしれない。
    • 外国の代表経験者は現実ほど多く在籍していなかった。
      • その代わり日本人が得点王になるシーズンが増えたかも。
  4. マイク・タイソンも来日しなかった
    • 日本人の世界戦乱発もなく、史実と比べて試合の質も全体的に高かった。また、海外での挑戦も多かった。
  5. 2020年夏のオリンピックは、東京ではなく名古屋が立候補していた。
    • その場合、2020年夏のオリンピック開催地が決まる際の特番で『名古屋 32年前のリベンジなるか?』と言われていた。
      • そして、名古屋開催が決定した場合『名古屋 32年越しの悲願達成!!』という見出しで開催決定を報じていただろう。
        • 名古屋城天守閣が木造天守に建て替えられるのもオリンピックに間に合うように行われていた。
          • 名古屋駅周辺の再開発もオリンピックに間に合うよう前倒しされ、同時に名鉄名古屋駅の改良工事も行われていた。
    • 名古屋ではなく福岡だったかも。
      • あるいは国際的な知名度が高い京都が立候補してたかも。
    • 2008年の時点で既に大阪で開催していた。2020年は僅差で北京に奪われるものの、2032年か2036年に名古屋で開催決定。
    • 大阪が立候補することはないと先述されている。よって名古屋での夏季オリンピックは2008年か2020年に開催。2008年が史実と同様北京の場合は2020年は名古屋での開催になる。
    • その場合近鉄の新名阪特急「ひのとり」は1年早く登場し、オリンピックを前に名阪甲特急の全列車を置き換えていた。
    • マラソンや競歩は名古屋では夏暑過ぎるという理由で、飛騨高山で開催されていた。
  6. 年寄名跡の相場がさほど高騰しなかった。
    • 郊外に立地する相撲部屋は現実より少なかった。
  7. SWSは旗揚げされなかった
  8. プロ野球の人気低迷は史実ほど進まず、2004年の球界再編問題も発生しなかった。
    • 近鉄と阪急は現在も球団を所有し続ていおり、尚且つ前者は野茂英雄、後者はイチローのおかげで90年代以降になってようやく高い支持を得る。
      • 阪急の場合、小林公平がバブルに目がくらんで調子に乗り不動産へ過剰な投資をしないので1988年の球団売却は回避できただろう。
        • 当然のことながら、神戸移転もその後の大阪ドーム移転もなく、本拠地は現在も西宮球場のまま。
      • 近鉄はバブルに気を良くして闇雲な事業拡大に走ることもないので、その後の経営悪化もなく球団売却も歌劇団解散も回避できた。
        • 近鉄バファローズの大阪ドーム移転はなく、藤井寺球場時代が史実より長く続いた。
          • その場合、あべのハルカスも建設されなかった。
        • 本業でも2010年代に入っても通勤用の新車を導入できていた。
      • 近鉄と阪急が球団を所有し続けるため、オリックスはいつまでも球界へ参入できず、新規参入という形で一から自前で球団を旗揚げして参入。
        • むしろオリックスは南海を買収していたかも。ダイエーが球団保有に動かなかった可能性が高いので。
      • よってプロ野球セ・パ交流戦は現在に至るまで実現していない。
    • 阪神の1990年代後半の暗黒時代は回避できた。
      • まして1995年の震災の直後に阪神タイガースが身売りの危機に直面することもなかった。
      • 野村克也、星野仙一は阪神の監督に就任せず、2001年のオフに野村監督夫人の脱税事件に球団が振り回されることはなかった。2003年に阪神タイガースは優勝していない。
        • 阪神の優勝は1986年から2002年の間にも必ず一度はあっただろう。
          • 1992年か1999年のいずれかに優勝していた。
        • この場合2008・2010・2014年のいずれかに優勝できていた。
    • 西武は史実ほどの連続優勝はなく優勝回数は史実より分散的になるが、黄金期自体はその分史実よりは長くなるだろう。
      • 森監督時代は優勝できなかった年がもう1年は多かった。
        • 1989年のオフに森祇晶監督が堤義明オーナーから冷やかされることはなかったかも知れない。
        • その場合、近鉄が日本一になれていた可能性が高い。
    • 巨人・日本ハムの後楽園球場時代が史実より長く続いており、東京ドーム移動は少なくとも1990年代にずれ込んでいた。
      • 日本ハムは1982年から2003年までの間にも「日本ハムファイターズ」名義でのリーグ優勝がもう1年はあっただろう。
        • この場合1993・1996・1998年のいずれかに優勝できていた。
  9. 大相撲の初土俵において大卒力士の幕下最下位付け出しは現在も無条件となっていた。
  10. 社会人スポーツから企業が撤退することもなく、実業団スポーツの衰退はなかった。

国際関係

  1. 貿易摩擦が幾分改善されていたかも?
  2. 諸外国とのオープンスカイ協定も早期に締結された。
  3. どの道アジア諸国とは競争になる。
  4. 日韓関係は史実より良好なまま現在まで推移したかと。
    • 韓国の金泳三政権と同時期の非自民政権が誕生しないため、日韓の連携が崩れることもなく、韓国が中国と擦り寄ることもない。