新型コロナウイルス関連の投稿は当分の間厳禁といたします。詳しくはこちらをご覧ください。

ざんねんな野球選手事典/日本人

提供: chakuwiki
2020年1月11日 (土) 09:25時点における114.162.98.67 (トーク)による版 (あ行)

移動先: 案内検索

ざんねんなモノ事典 > ざんねんなスポーツ事典 > ざんねんな野球事典 > 選手

ざんねんなモノ事典 > ざんねんな人物事典 > 野球選手


※編集される方は「Chakuwiki:お願い/ざんねんなモノ事典」をご覧ください。

  • 「選手」とありますが監督としてざんねんだった方も含みます。

日本人

あ行

相川亮二
  1. 2006年のWBC優勝メンバーであるが、リーグ戦では優勝に縁がなかった。
    • 最初に所属した横浜は1998年に優勝しているが、彼の1軍デビューはその翌年だった。
    • 2009年にヤクルトに移籍するも、彼が巨人に移籍した翌年の2015年まで優勝から遠ざかっていた。
    • そしてもっと優勝できそうな巨人に移籍したのに優勝を経験できず引退。
井川慶
  1. 日本では沢村賞を受賞するなど大活躍を見せた。
  2. その後、ヤンキースでもプレーしたが、「ヤンキース史上最悪のFA補強」に選ばれてしまった。
  3. 阪神時代、何年も虎風荘から出たがらなかった。
    • 追い出されるように出て行った後もホテル暮らしだった。
  4. 阪神でバッテリーを組んでいた矢野輝弘から「言うことを聞いてくれない」と言われるほどワガママが強かった。
宇野勝
  1. 例の「ヘディング事件」以来、珍プレー番組の常連となる。
石井浩郎
  1. 巨人移籍もファーストが飽和状態、ロッテに放出、横浜であと一歩で全球団本塁打を逃す、優勝経験なし、岡村孝子夫人と離婚。
伊東勤
  1. 西武監督時代の2007年に怪我人が相次ぎ、交流戦で10連敗を喫し、26年ぶりのBクラス (5位) に終わったことにより監督を辞任。
  2. その後WBC日本代表総合コーチ→韓国・斗山ベアーズヘッドコーチを経て2013年に千葉ロッテの監督に就任。3位→4位→3位→3位と来て、最後の2017年は最下位で監督を辞任。
    • 伊東自身にとって選手、監督通して31年目にして初の最下位だった。
伊良部秀輝
  1. ロッテで最優秀防御率、最多奪三振のタイトルを獲得し、ヤンキース時代もMLBでアジア人で初のワールドシリーズ制覇を果たしただけでなく2回も果たすなど輝かしい実績を残したが…。
  2. メジャー移籍時パドレスを拒否しピンストライプのユニフォームを着たいとヤンキース移籍に固執したことで騒動となる。
    • ロッテのファン感謝デーで「ニューヨークに行ってくれ」と掲示されたが早く出てけという真意だったらしい。
    • さらに俺はミケランジェロ発言で大顰蹙を買う。
  3. ヤンキース1年目はアジア人初の初登板初先発初勝利を達成したのだが…。
    • その後調子を落としまくりブーイングするファンにツバを吐く愚行をしてしまう。
    • 3年目のキャンプで「太ったヒキガエル」と酷評される。
    • そのワールドシリーズでは登板が一切無かった。
  4. その後モントリオール・エクスポズに移籍したが「エクスポズもピンストライプで良かった」とマスコミに皮肉られる。
    • 度重なる怪我で活躍できなかっただけでなく泥酔で意識不明になったのが原因で解雇されてしまう。
  5. レンジャーズを経て阪神と契約し日本球界に復帰してリーグ優勝に貢献したが翌年は不振で戦力外通告となり一度目の引退を表明。
  6. 引退の原因になった膝の痛みが消えたこともあって現役復帰し日米の独立リーグでプレーしたが腱鞘炎で2度目の引退。
  7. 2011年首吊り自殺してしまうが、その後もさらに悲惨なことになってしまった。
上田利治
  1. 選手時代は広島に在籍したものの、怪我で活躍できず早々と引退。
  2. ヤクルトとの1978日本シリーズ第7戦で6回裏一死からヤクルトの大杉勝男が左翼線に放った本塁打をファウルだと抗議し、そのためにシリーズ史上最長の1時間19分の中断を余儀なくされた。
    • その後試合は再開したものの、マニエルと再度大杉に本塁打を打たれた結果、阪急はヤクルト初の日本一を献上する形になり、上田はこの日本シリーズでの混乱の責任を取るため退任した。
  3. 1988年10月23日、阪急ブレーブスとしての西宮球場最終戦終了後の挨拶で「去る山田久志、そして残る福本」と言うつもりだったものを、間違えて「去る山田、そして福本」と言ってしまい、最終的に福本の引退に繋がってしまった。
  4. 1996年にはオリックスと熾烈な優勝争いを繰り広げたものの、同年9月に家庭の事情により休養しチームを離脱、オリックスに逆転優勝を許す形になってしまった。
    • 仮に優勝していたらこの年の日本シリーズは同じく東京ドームを本拠地とする巨人との対決になっていただろう。
江川卓
  1. 度重なるドラフト拒否、空白の一日でアンチ巨人を増やし、阪神に入団からのトレードで厳密には生え抜きにはならない。
  2. 数字だけなら安定していたが若くして引退。
緒方孝市
  1. 詳しくはこちらを参照。
小川博
  1. 引退後の2004年に強盗殺人事件を起こし、無期懲役の判決を受けてしまった。
  2. この影響で、あの10.19の第1試合が半封印状態になってしまった。
    • 小川は第1試合の先発投手だった。
    • 現役時代に付けていた背番号の「26」も事実上の永久欠番に。その理由は「ベンチ入りの25人の選手に次ぐファンの番号」としているが、ファンもこんな曰く付き物件いらんだろう…。

か行

梶本隆夫
  1. 阪急ブレーブスの左腕エースとして、米田哲也と共に「ヨネカジ」として活躍するも、チームが長らく低迷していたこともあってか通算254勝255敗と通算200勝以上した投手の中で唯一の負け越し投手になってしまった。
    • さらにルーキーイヤーには20勝を挙げるも、南海ホークスの宅和本司が26勝を挙げたため新人王を逃した。現在でも20勝して新人王になれなかったのは梶本だけ。
  2. 1957年7月23日の南海戦で9連続奪三振を達成したが、9人目を三振に奪った時に捕手の山下健に「カジ、これ新記録やで」と言われ急に記録を意識しだし、10人目の打者の皆川睦男(投手)にセンターフライを打たれ記録が途絶えた。
    • 後に梶本は「皆川を三振に取っていたら20は行ったんじゃないかな」と語っている。
  3. 投手の主要タイトルを遂に獲得できなかった。
    • あるシーズンの終盤、梶本に最多勝のタイトルを獲らせるために勝ち試合でのリリーフを監督から促されたことがあったが、梶本は「他人の勝ち星を奪うようなことは勘弁してください」と登板を断った。
加藤哲郎
  1. 1989年日本シリーズ第3戦終了後の例の失言により、近鉄悲願の日本一を逃したA級戦犯として大きな非難を浴びてしまった。
    • 加藤は第3戦の試合後のヒーローインタビューで「別に、とりあえずフォアボールだけ出さなかったらね、まぁ、打たれそうな気ぃしなかったんで。ええ、たいしたことなかったですね。シーズンの方がよっぽどしんどかったですからね、相手も強いし」と発言したが、これがいつの間にか「巨人はロッテより弱い」という発言になってしまった。
      • 加藤は第7戦に再び先発したが、2回表に駒田徳広に先制ソロホームランを打たれ、駒田に「バーカ!」と近鉄ベンチに向かって叫ばれるなど、3回3分の1を投げて3失点で降板。近鉄は悲願の日本一を逃してしまった。
      • 該当のインタビューでは当時のパ・リーグらしいまあまあ舐めた態度で受け答えをしていたので、むしろ被害者一辺倒の扱いになったのは幸せじゃないだろうか。
  2. その後は右肩の故障で成績が低迷。1993年に近鉄を自由契約となり、1994年は広島、1995年はダイエーでプレーしたが、結局1995年限りで現役を引退。
  3. 引退後は朝日放送で解説者をしていたり、俳優をしたり、焼肉店をしていたが倒産。
    • (2019年)現在は大阪の天満橋で麻雀教室を開いている。
金村義明
  1. 日本一に縁が無かった。
    • 1989年(近鉄)、1997年・1998年(西武)と日本シリーズには3回出場したが…。
      • 1989年はチームメイトの加藤哲郎の失言騒動もあり3連勝からの4連敗で日本一を逃す。
        • 1998年は西武の最後のバッターとなってしまった。
  2. 引退試合(1999年9月30日・千葉ロッテ戦)もJCOの臨界事故・中日のリーグ優勝・山本和範の引退試合と被ってしまった。
    • 金村は引退後にラジオ番組で「これまでの選手生活を思い出すと涙が溢れ、ボールが見えづらかった。にもかかわらず、先発の薮田(安彦)は容赦なくフォークを投げてきた。空気を読んで欲しかった。」と語っている。
菊池雄星
  1. もの凄く、ソフトバンクに弱かった。初めて、ソフトバンクに勝ったのは2018年9月28日だった。
    • 2018年は残念なことだらけ。5月は左肩の張りで一軍登録を抹消され、勝率は規定投球回以上では1位になったが、規定により最高勝率はロッテのボルシンガーに譲って、タイトルを逃し、完投が1回だけで完封は0だった。
小久保裕紀
  1. 1997年脱税騒動を起こしてしまう。
  2. 巨人への無償トレードが大騒動になった。
  3. 引退後2013年に日本代表監督を務めるがプレミア12、WBCで優勝を逃した。
    • 特にプレミア12では激しく叩かれた。
  4. しかも監督退任後次のプレミア12で日本代表は優勝したため黒歴史扱いに。
  5. 引退試合でノーヒットノーランを達成させてしまった。
    • しかしその時の相手の投手を日本代表に選出していて、良く言えば本人はそのノーノーを評価しているのが分かる。

さ行

G.G.佐藤
  1. 北京オリンピック野球日本代表に選ばれたが、本番では痛恨のエラーを連発したため、メダルを逃したA級戦犯として大きな非難を浴びてしまった。
新庄剛志
  1. 2012年度の野球殿堂入りの候補者に上がったが、わずか5票しか得られずそれ以降は候補者リストから外された。
  2. 1999年6月に巨人の槙原寛己から敬遠球をサヨナラ打。その時お立ち台で決め台詞として「明日も勝つ!」と言い放ったが、その発言から一週間後に阪神は首位陥落。
    • さらに、1999年9月に新庄が8回裏に巨人のバルビーノから決勝ソロ本塁打、お立ち台で再び「明日も勝つ!」発言。ところが翌日から阪神は球団ワーストタイ記録の12連敗を喫し、最終的には2年連続最下位という散々な結果に…。
  3. 引退後には彼の金銭管理不足を露呈するように、現役時代の財産を預けていた関係者に奪われてしまった。
    • これがバリ島に渡った理由の一つと言われている。
菅野智之
  1. 入団からわずか6年間で最優秀防御率4度、最多勝2度、最多奪三振2度を経験した紛れもない巨人の、いや日本球界を代表するエースである。
  2. しかし2011年のドラフト会議で日本ハムに指名されて引き当てられた際にこれを拒否。そのせいで翌年巨人に入団した時には既にイメージは悪かった。
  3. とにかく無援護で有名で、2015年は防御率1.91なのに10勝11敗と負け越し。しかもこの防御率で最優秀防御率になれなかった(広島のジョンソンが1.85)。
    • 2016年も2.01で最優秀防御率なのに9勝6敗。ちなみに同じ9勝6敗だった内海哲也の防御率は3.94。
      • そのせいで実況パワフルプロ野球で「負け運」と言う特性が付いてしまった。
        • しかしアップデートでそのマイナス特性は消滅。パワプロ2018でも負け運は無くなっており本人は喜んでいた・・・が当時のチームメイトだったメルセデスに負け運がついた。
          • その後のアップデートで「勝ち運」というプラス特性がついたが、その代償として別のマイナス特性がついたり全体的に能力を下げられることになってしまった。
  4. 「フェアリーファンタジア」と言うソーシャルゲームに登録・課金していたと思われ、そこに「スガーヌォーグ」なるキャラクターが登場。菅野がモデル説がある。
    • しかもそれが明らかになってから成績が低下しており某板ではバレて動揺したとかこのゲームで中指を酷使して傷めたとか言われていた。
    • そして当の「スガーヌォーグ」も公式ではシュガー(Sugar)とノーグ(Noog)の合成語とされているが、某板では菅野+G→SUGANOG→スガーヌォーグではないかという説が長らく支持されていた。
      • なお公式も把握していたのかスポーツコスチュームを纏ったバージョンのスガーヌォーグも実装されていた。もちろんその衣装は言うまでもなく・・・。

た行

大豊泰昭
  1. とにかく優勝に縁がなかった。
    • 1994年のリーグ優勝がかかった最終試合(10.8決戦)で巨人に破れ、リーグ優勝を逃す。
    • 1998年に阪神に移籍するも、在籍した3年間は全て最下位。その阪神も彼が引退した翌年の2003年までリーグ優勝&Aクラスから遠ざかっていた。
    • そして中日に逆戻りしたのに優勝を経験できず引退。なお、中日は彼が引退した翌々年の2004年にリーグ優勝を果たしている。
  2. 中日時代は一本足打法だったが、阪神時代の野村克也監督が一本足打法の本家の王貞治を嫌いな為すり足打法に矯正された。
    • 年齢的なピークが過ぎる以前に、そのフォーム変更と阪神の本拠地甲子園球場の広さに適応できなかったのが重なって阪神時代は不本意なシーズン続きだった。
高橋由伸
  1. チームの都合で強制引退させられて監督に押し込まれた時点でざんねん。
  2. そして指導者経験一切無しで監督をやらされたため、戦術にもざんねんなところが多かった。
  3. 最後はその成績がざんねん過ぎて監督を退任。結局この前と後に監督をやって優勝を経験した原監督の噛ませという評価を喰らう事に。
  4. あくまでもざんねんだったのは監督時代のみ、選手の時はとても良い選手だった。
  5. すぐ怪我をして離脱する。後年にはその怪我で規定打席にすら立てなくなる始末。
    • 特にボールが良く飛んでいた2000年代前半に離脱が多かったため、そこで通算成績をかなり損したと思われる。
    • フェンス際の捕球が特に苦手だった。
多村仁志
  1. スペランカーとまで称される怪我の多さとあり得ない怪我の理由に最後まで悩まされ続けていた。
  2. スペ体質すら無ければ…と言われる選手筆頭である。
辻内崇伸
  1. 大阪桐蔭時代に甲子園を大いに沸かせ、ドラフトの目玉として注目を集める中で巨人に1位指名され入団するが、度重なる怪我のため一軍登板はないまま引退。
    • 大阪桐蔭を卒業する頃には既に肩がボロボロだったという。
辻発彦
  1. 西武の監督として2018年・2019年にリーグ優勝を果たすも、CSファイナルではいずれもソフトバンクに敗れている。
中村剛也
  1. 日本を代表するスラッガーのひとりだが、怪我が多いため侍ジャパンには2015年プレミア12の1回しか選ばれていない。

な行

長嶋茂雄
  1. 初めて監督に就任した年(1975)は後述に書かれているようにセリーグ最下位、その後の1976年と1977年はリーグ優勝を果たすも、日本シリーズではいずれも阪急に敗れている。
    • 1996年も当時リーグ史上最大の11.5ゲーム差をはね返してリーグ優勝(いわゆる「メークドラマ」)を果たすも、今度は阪急から改名したオリックスに敗れている。
      • なお、長嶋監督時代に日本一になったのは第2次監督時代の1994年・2000年の2回である。
  2. 2004年アテネ五輪を目指す日本代表監督にも就任したが、脳梗塞を患い五輪本番では指揮を執れず。
  3. また、日常生活での残念エピソードの宝庫でもある。
    • 球場に、息子の一茂を置き忘れたことは伝説。
二岡智宏
  1. 2008年に巨人軍の選手会長に指名されたが、その年の開幕戦の試合中にふくらはぎの肉離れを起こして二軍調整、7月11日に一軍復帰の予定だったが直前に某女性アナとの五反田の9800円のホテルでの不倫が発覚し延期となってしまう。
    • 7月20日に復帰するも正遊撃手の座を坂本勇人に取られ三塁手に。さらに打席に立つたびに不倫相手をもじった名前や「五反田」「9800円」とヤジられる始末であった。
  2. 追い打ちをかけるように9月に足首の捻挫で二軍落ち。そのままシーズンを終え、その年の11月に日本ハムへトレードされてしまう。
    • 選手会長になってわずか1年の解任と選手会長がトレードされるというのは異例のケースであり。不倫騒動が原因でトレードされたのではと言われていた。
西本幸雄
  1. 監督として日本シリーズに8度出場しながらも優勝できなかった 「悲運の名将」 。
    • このうち5回は巨人のV9時代 (1967~1969・1971・1972) に重なっている。
      • 但し西本本人は「もし私が本当に悲運なら戦争で死んでいるし、復員してから野球に再会できたり、大毎・阪急・近鉄の3チームで素晴らしい選手に巡り合えて、8度も日本シリーズに出場などできない。『悲運の名将』なんておこがましい。敢えて言うなら『幸運な凡将』ですね」と1980年のインタビューで語っている。
根本陸夫
  1. 広島・西武・ダイエーのフロントを歴任し、黄金期の土台を築いたが、監督としてはAクラスが広島時代に1回 (1968年) のみで、それ以外はすべてBクラスである。
  2. そしてダイエー(として)の初優勝を見ることなく1999年4月にこの世を去った。
  3. 球団の項目のダイエーホークスにも書いたが、フロントとしての手腕がエグい。強くなったチームにとっては残念も何もないだろうが、西武が裏金でドラフト指名権を剥奪された土壌を作った原因かもしれない。
野川拓斗
  1. 横浜DeNAベイスターズに在籍していたがわずか2年で戦力外通告を受けた投手。
    • 最終年は背番号を変えられてしまったが挽回できなかった。
  2. なんと言っても「おたくと」と呼ばれるほどのアニメ、ゲーム好きであることが有名だった。
    • DeNA繋がりということでハッカドールの刺繍を入れたグラブを使用していた。
      • 因果関係は不明だが戦力外通告の翌年にハッカドールはサービスを終了した。
    • 最初の登場曲は自身がこよなく愛するらしいあるアニメの主題歌だった。
      • そのアニメはベイスターズの先代親会社である某局で放送されたのだが作画崩壊で有名でセールスでも結果が出なかった。
      • 2018年のみ使用した登場曲もヒットとは言い難いアニメの主題歌だった…。
野村克也
  1. 大阪スタヂアムの跡地に建てられたなんばパークスの「南海ホークスメモリアルギャラリー」では様々な理由で野村本人に関する展示が全く行われていない。
  2. 妻・サッチーのおかげで、監督をクビになったことがある。それも二回。
    • 1回目は1977年(南海)。当時まだ愛人関係だったサッチーの「チーム・選手への口出し、および度重なる公私混同」が理由で、野村を大事にしていた南海の川勝傳オーナーの耳に入り解任。
      • 野村の解任に反対していた柏原純一と江夏豊はそれぞれ日本ハム、広島に移籍。打撃コーチの高畠康真(78年からは導宏)も南海を退団し、野村と共にロッテに移籍した。
        • この年を最後に南海はAクラスに入ることなく1989年にダイエーに身売りされた。
          • また、ホークスの連続Bクラスも1997年まで20年続いた。
    • 2回目は2001年(阪神)。一度は留任も発表され秋季キャンプも指揮を執ったが、サッチーが脱税容疑で逮捕された日に辞任。

は行

平松政次
  1. 「カミソリシュート」と言われた速く切れ味鋭いシュートを武器に大洋ホエールズのエースとして通算201勝を挙げ、巨人キラーとしても有名だが、チームが弱かったせいもあって一度もリーグ優勝を経験できないまま引退した。
福本豊
  1. 1988年の本拠地最終戦で、当時の阪急監督である上田監督がうっかり失言してしまったせいで引退させられてしまった。
    • 上田監督「去る山田、そして福本」
  2. 国民栄誉賞を辞退したのは、有名。
    • 表向きは「立ちションベンもできんようになるがな」という理由だったが、実際は「王さんのように野球人の手本になれる自信がなかったから」と週刊ポストの記事でコメントしている。
  3. 引退後は、ABCやサンテレビの解説が主な活動。
    • しかし、必ず脱線することから「居酒屋中継」と呼ばれるように。
      • スコアボードに0が並ぶのを「たこ焼きみたいや」とか、延長戦突入で「加古川の人、帰られへんで」などに代表される、いわゆる「福本語録」が関西芸人のネタにされる始末。
  4. 「世界の盗塁王」として有名だが・・・
    • 西宮球場で、本物の競走馬と100メートル走対決をしたことがある。
藤川球児
  1. 阪神のクローザーとして圧倒的な実績を持つ・・・が、その実績のせいでシーズン終盤になるにつれ酷使されるようになっていった。
    • その結果終盤の肝心な試合で炎上してしまいそれがもとで試合を落とすことが多々あった。
  2. 2007年9月には10連投の疲労が抜けないなか3試合連続で登板しすべて炎上してしまった。
    • その炎上による敗戦で8連敗を招いてしまった。
  3. 2010年9月30日の対横浜戦では優勝に向けて落とせない試合でありなおかつ矢野燿大の引退試合という大事な試合で2点リードの9回表にクローザーを任せられるも・・・。
    • 制球に苦しみノーアウト1・2塁に、次のバッターである村田修一にスリーランホームランを被弾。逆転を許してしまう。
      • この試合を中継していたサンテレビのアナウンサーの「行くな!行くな!越えるな!」の絶叫からの沈黙、そして十数秒の沈黙のうちに絞り出された「悪夢のような現実がそこには待っていました」は今も阪神ファンの記憶に刻まれている。
  4. その結果出る予定だった矢野は引退試合に出られなくなり試合終了。引退セレモニーのみに出たがその時に花束を渡したのは村田だった。
  5. この試合以降、某所ではクローザーで炎上した投手のことを「○川○児」と揶揄するようになった。
  6. メジャーにも挑戦したが、何度も故障者リスト入りしたためまともな活躍ができなかった。
星野仙一
  1. 2008年の北京オリンピックの野球競技・日本代表で監督を務めるも、メダルなしの4位に終わった。
  2. 2013年の楽天で達成するまで、3度(中日で2度阪神で1度)日本シリーズに挑戦して日本一になれなかった。
    • 1988年・1999年・2003年の3回。その時の対戦チームは88年のみ西武で、他はいずれもダイエーだった。
堀内恒夫
  1. 巨人のV9時代のエースだったが、監督としては1年目の2004年は3位、翌2005年は5位に終わっている。
    • そのため巨人の球団史上初の胴上げ未経験監督となってしまった。
  2. 2005年の本拠地最終戦では堀内監督にブーイングが飛び、最終戦セレモニーが中止になった。
  3. 巨人がレギュラーシーズンで目の前で相手チームの胴上げを許した試合が(2019年現在)5回あったが不運にもそれらを全て現地で立ち会っている。
    • 1975年の広島(後楽園/当時巨人投手)、1995年のヤクルト(神宮/当時巨人投手コーチ)2005年の阪神(甲子園/当時巨人監督)、2006年の中日、2016年の広島(東京ドーム/日本テレビ解説者)

ま~わ行

村山実
  1. かの有名な「天覧試合」で、長島茂雄に打たれたホームランを「あれはファールだった」と、ずーーーっと言い続けていたのはあまりにも有名。
  2. 芦屋市のマンションを自ら購入して自分自身の会社の本社にしたが、その自宅マンションが1995年の阪神・淡路大震災で被災し、しばらく自家用車で寝泊りをする生活を強いられていたというエピソードもかなり有名。
森祇晶
  1. 横浜ベイスターズ監督時代は成績不振に喘ぎ、特に2002年は勝率3割台と落ち込み、シーズン終了まで14試合を残したところで解任された。
    • なお、森監督のBクラスは2002年のみである。
      • この頃から暗黒時代が再来したので、チームを弱くした元凶とも言われやすい。
山崎康晃
  1. 自分でタイブレークを作ってしまうことが多い。
  2. ネットで太ってしまったことが話題になってしまった。
山本浩二
  1. 2013年のWBCで3連覇を目指す侍ジャパンの監督を務めるも、ベスト4で終わった。
  2. 同級生で実績が上のはずなのに「星野仙一の舎弟」感が強い。
湯浅禎夫
  1. 初代日本シリーズ優勝監督であるが、前述の平和台事件の元凶になってしまい、責任を取って辞任することになった。
    • プロアマ両方で功績を残したにもかかわらず野球殿堂入りを果たしていないのは、平和台事件の影響だと言われている。
渡辺久信
  1. 西武黄金時代のエースとして工藤公康と共に優勝に貢献。最多勝3度記録、ノーヒットノーランも達成、さらに女性人気も非常に高かったのだが……
    • 93年以降成績が下降、2つ年上の工藤がその後7回も二ケタ勝利を上げたのに対しこちらはゼロだった。結果勝ち星で99勝(台湾除く)もの差がついてしまう事に。
  2. 20代半ばごろからかなり頭が薄くなっていた。その点でも工藤や秋山幸二と差が付いてしまった
  3. 最後の三年間は台湾に渡り指導者兼選手として活躍したが、そこで屋台飯にはまって太ってしまった。
  4. 2008年に西武監督に就任。初年度に日本一になるがその後はいわゆる「俺達」が蔓延、その後西武は日本シリーズに一度も出場できていない。

外国人

ホアン・アイケルバーガー
  1. 1989年の春季キャンプでテストを受け、ヤクルトスワローズに入団。
  2. しかし開幕2戦目の巨人戦(東京ドーム)でノーアウト満塁から内角高めへのボールを暴投しサヨナラ負け、敗戦投手に。
    • しかもその暴投を「捕れないキャッチャー(秦真司)が悪い」と逆ギレ。
  3. その後も成績は振るわず5月20日に球団史上最短で解雇。
  4. 当時の関根潤三監督は後にラジオで「名前がおもしろくて獲ったんだよね、なんて言ったっけ?開幕で暴投してすぐいなくなっちゃった…」と発言していた。
タイ・カッブ
  1. ピート・ローズ以前のメジャーリーグ通算最多安打記録保持者で首位打者を12回獲得するなどの記録を保持しているが、ヤジに腹を立て観客に暴力を奮い出場停止になったり人種差別でベーブ・ルースと同室を拒否するなどのエピソードで悪評も有名。
バルビーノ・ガルベス
  1. 1996年に来日し巨人に入団。初年度から16勝を挙げ最多勝のタイトルを獲得。また、打者としても10本のホームラン(うち2本は満塁ホームラン)を放つなど90年代後半の巨人を支えた外人投手。
  2. しかし非常に気性が激しく、また相手チームから機動力で揺さぶられると途端に焦って自滅するという欠点があった。
    • 特に気性の荒さが裏目に出たのは1998年7月の阪神戦。この時は自身の不調と判定への不服からいらだちが高まっており、ピッチャー交代を宣言されて下がる途中に審判のいたところでボールを投げつけるという行為に及んでしまう。
      • その結果乱闘に発展してしまい、ガルベスは1998年の残りシーズンすべての出場停止という処分になってしまった。
  3. 巨人時代に、牛乳のCMに出演していたことがある。
    • しかし、上記のことから「カルシウムが足りていないのは、ガルベス本人」ということが露見する羽目に。
マーク・キャリオン
  1. 珍しい左投右打の選手として1997年にロッテに入団。
    • 1年目はまずまず活躍(.279 14 77)したが…。
  2. 体調不良で練習を早退したにも関わらずチームバスの中で本を読んだり、試合を無断欠場して自宅で卓球に興じるなど、下のホール程ではないが素行が良くなかった。
  3. 1998年のスポーツ報知の選手名鑑では「チーム一のやる気のなさ」とまで書かれてしまった。
    • その1998年はフリオ・フランコの入団に刺激されたか、序盤から結果を残すも腰痛のため結局60試合の出場に終わり、同年オフに任意引退。
マイク・グリーンウェル
  1. 当時不振にあえぐ阪神タイガースが状況打破のために電鉄本社の金庫から取り出したと言われている3億円で契約したレッドソックスの超大物メジャーリーガー。
    • 当初はこの年西武からFA宣言した清原選手を取るための資金だったとか。
  2. 契約後は破格の待遇で迎えた。例えば1部屋150万円の高級マンションの壁を取り払って2部屋分に拡張したり(300万円+工事費)、甲子園の電光掲示板をグリーンウェルと表示できるよう改良した。
  3. 1997年2月から始まったキャンプには同行したもののわずか10日で牧場と遊園地の経営のために離脱してしまう。さらにキャンプ中に痛めた腰の治療に入りオープン戦どころかシーズン開始まで戻ってこなかった。
  4. ようやく4月30日に戻り、その後5月の広島3連戦では5安打5打点の活躍を見せ、多くの阪神ファンが「バースの再来だ!」と大いに期待した。しかし・・・。
  5. その後の2試合では精彩を欠き、日本での6試合目になった巨人戦の第4打席にて自打球を足に直撃させてしまう。その後どうにか1試合出場するも自打球を受けたことで骨折が発覚。
  6. 結局日本では7試合しか出場できず引退。その際の「野球を辞めろという神のお告げ」という迷言は有名である。
    • その後年俸の4割を返上し、また、契約金の全額返還を申し出たが当時のオーナーに「正直ないい人だ」と言われ返還はなくなったと後に語っている。
  7. なお外野手を担当していたが肩が弱く当時在籍していた久慈選手からは「外野からの送球がチェンジアップだ」と言われていた。
  8. 一度中日と契約寸前までいっていたが、大リーグの事情に詳しい人から「あいつは日本に来てゴルフがしたいだけだからやめとけ」と言われ見送ったというエピソードがある。
スティーブ・コックス
  1. 2002年のオフ、この年貧打に悩まされて最下位に終わった横浜ベイスターズの山下大輔新監督は、左の強打者の獲得を希望。
    • 当初はヤクルトを退団したペタジーニの獲得に動いていたが失敗したため、代わりにこのコックスを獲得した。
      • 年俸は約3億円の3年契約(但し3年目は横浜側が選択権を持つオプション契約)だったが…。
  2. キャンプの中盤で故障離脱。5月中旬に漸く一軍に昇格したがすぐに故障が再発。
  3. その間に年俸5000万円で入団したタイロン・ウッズの活躍もあり、「中途半端な状態で置くと現場が起用法に困る」と判断され、シーズン終了後に解雇。
  4. 横浜は全く戦力にならなかったコックスに対し、2年目の年俸・オプション破棄の違約金も合わせて、総額で7億円以上を支払う羽目になってしまった。
    • 当時横浜の球団社長だった峰岸進はコックスの退団時に「授業料にしては高すぎた」とコメントしている。
バール・スノー
  1. 1974年に貿易会社の社員として日本へ渡ったついでに日本ハムの入団テストを受け、3月26日付けで入団。
  2. ところが一ヶ月後、初月給支給と翌日の二軍での登板を告げられた日に突如失踪。
    • 4月30日に日本ハムの首脳部はパ・リーグに契約の解除を申請。
  3. 結局5月9日付けでパ・リーグ初(国内では1971年の阪神・高山忠克以来2例目)の無期限失格選手に指名されてしまった。
ウィリー・デービス
  1. MLB時代にはゴールドグラブ賞を3回獲得し、オールスターゲームにも2回出場した名選手。
  2. 1977年に中日ドラゴンズに入団。
    • 全盛期を過ぎてはいたがメジャーの実力を大いに発揮、5月14日のナゴヤ球場での読売ジャイアンツ戦では西本聖からランニング満塁本塁打を放った。
  3. しかしチームメイトや首脳陣と頻繁にトラブルを起こすなど素行に問題があり、8月、外野フライを追った際にフェンスに激突して左手首を骨折。
    • 戦線離脱した後、低迷していたチームが好調になったこともあり、シーズン終了後、中日はデービスが在籍することによるマイナス面が大きすぎるとして放出を決定、クラウンライターライオンズに金銭トレードで移籍した。
  4. クラウンに移籍した翌年も活躍したが、中日時代と同様の素行不良に悩まされ1年で退団。
  5. 実は創価学会の会員で、来日した理由も「創価学会の発祥の地である日本でなら、きっと居心地よく暮らすことができるに違いない」という意見があったほど。
  6. 引退後の1996年に、カリフォルニア州に住む両親に対して日本刀や手裏剣で脅して現金を要求したとして逮捕されてしまった。
リチャード・デービス
  1. 1984年のシーズン途中に近鉄に入団。1985年には打率.343・40本塁打・109打点と大活躍するも、1988年に大麻不法所持で逮捕。
    • 後の調査によると、デービスはメジャーリーグ在籍時から大麻を吸引しており、日本でも来日以来丸4年常用し続けていた事が判明。
      • 主砲を失った近鉄が急遽中日から獲得したのが、ラルフ・ブライアント。
  2. 1986年6月13日の西武戦で東尾修から死球を受けたことに激怒し、東尾を殴打。
    • この試合が当時のパ・リーグの試合としては珍しく全国中継されていたことも影響したのか、デービスは10日間の出場停止処分となってしまった。
  3. 因みに、当時コロコロコミックに連載されていた「かっとばせ!キヨハラくん」では、「ちょっとおっかない外人」と巻末に書かれていた。
デーブ・ニルソン(ディンゴ)
  1. 1999年にオーストラリア出身の選手として、初めてMLBのオールスターゲームに出場。
  2. 2000年にシドニーオリンピック出場を条件として中日に入団したが、日本の投手に対応できず極度の打撃不振(打率.180、ホームラン1本)に陥り、二軍落ち。
    • 8月に1軍に再昇格するも、その直後の巨人戦で工藤公康のスローカーブの前にあっさりと見逃し三振を喫した事で、星野監督にも「これではあかん」と突き放されてしまい、数日後に退団。
  3. 二軍に落ちても真面目に練習をこなし、期待に応えられなかった事に関して球団の幹部に謝罪をするなど、人格は良かった。
  4. その直後のシドニーオリンピックでは黒木知宏(ロッテ)から本塁打を放ち、その4年後のアテネオリンピックでも活躍。
ゲーリー・トマソン
  1. MLB4球団を渡り歩き、ヤンキース時代に優勝も経験。1981年に巨人に入団したが…。
    • 入団1年目は打率.261、本塁打20を残すも、三振は132と当時の球団記録を更新してしまい、「舶来扇風機」などと揶揄された。
    • 2年目は47試合出場にとどまり、当時の藤田元司監督と対立し解雇。
    • その後、無用の長物を意味する単語として「トマソン」が使われるようになってしまった。
      • もはや飯田圭織の「ジョンソン(デイビー・ジョンソンが元ネタ)」並みに由来が薄くなっている。
ブライアン・トラックスラー
  1. 1994年に当時のダイエーホークスに所属していた選手。身長170センチで体重120キロというかなり太った体形をしており、ファンからはコロコロちゃんと呼ばれていた。
    • しかし体形の割に守備の動きは良く、またパワーヒッターでありながらバットコントロールにも長けており、機動力を除けば攻守のバランスの良い名助っ人だった。
      • またファンサービスも怠らず、彼をモチーフにした博多人形が当時のダイエーの選手のなかで売上1位を記録、オールスターにも選ばれるなど人気は高かった。
  2. しかしシーズン後半になると凡打が増え、成績が降下。結局1年限りでチームを解雇されることに。
    • というもの当時のダイエーの海外事業部が彼の前半戦の活躍に目を付けホームランに出来高払いを付けるという裏契約を持ち掛けられたことでホームランに固執し結果的に巧打が鳴りを潜めたというものだった。
  3. 性格がよくファン人気も高く、前半戦だけなら大活躍していた彼がなぜざんねんだったのか、それは彼の巨体の原因にある。
    • というのも彼は異常なまでのビアジャンキーだったということ。1回の晩酌で1ダース分のビールは当たり前のように飲み干すというレベルだった。
  4. 流石にチーム側もこれは問題視しており、減量とビール節制が命じられ、開幕戦のときには100キロまで減量した。しかし・・・
    • 前半戦の好調ぶりから勝手にビールを解禁したがためにあっという間にリバウンドしてしまった。
  5. その後2004年に、アルコールを過剰摂取したために急性肝硬変になってしまい、37歳の若さで亡くなってしまった。
フランク・ハワード
  1. メジャー通算1774安打、382本塁打という当時の来日外国人として最高成績を持ち、鳴り物入りで太平洋クラブライオンズに入団したが、膝の怪我のため開幕戦1試合出場したのみで帰国。
マーティ・ブラウン
  1. 広島東洋カープ2人目の外国人監督だった (1992年~1994年に広島に在籍) が、その後楽天での監督時代も含めて5年間で12回も退場処分を受けている。
    • あえて退場させられるという芸風(芸じゃ無いけど)だったというのもある、ちゃんと退場処分喰らってから、裏でコーチにこの後どういう方針で行くかというのをきっちり指示してたとか。
ファン(ホァン)・フランシスコ
  1. 2015年、セペダとアンダーソンと亀井の不調に加え阿部が故障し離脱したことから巨人が緊急補強した外国人選手。来日前はブルージェイズの準レギュラーでメジャー通算48本塁打を放っていた。
  2. 二軍戦で結果を出したことで、5月2日に一軍に昇格、最初の試合では藤浪から決勝打となるタイムリーをあげたが、その後は鳴かず飛ばず。
  3. さらに5月4日の広島戦ではインフィールドフライを落球、三塁ランナーにタッチすべきところホームベースを踏んでしまう。それが元で巨人は広島にサヨナラ負けを喫してしまった。
    • 三振続きのうえ拙守を連発するなど攻守のお粗末ぶりを見せてしまい、原監督は「フランシスコ?野球選手じゃないでしょ。野球選手になってからじゃないと話にならない」と痛烈にダメ出しした。
  4. さらに彼の獲得を決めた巨人のGMが5月に解任されたということも起こった。元々素行不良でなおかつ故障の影響で衰えてたにも関わらずそれを把握せずにGMが獲得に踏み切ったことを考えると致し方なしか。
    • なお一連の出来事は「フランシスコ事件」と言われている。
  5. その後二軍に降格するも「練習をさぼる」「コーチの指示を無視する」「同僚をいじめる」「球団の女性職員をナンパ」など傍若無人な態度を取っていた。
  6. 結果的に一軍に復帰することなく2015シーズン終了とともに解雇された。
ジョー・ペピトーン
  1. メジャーリーグで218本塁打を放った優秀なスラッガーだったのだが……。
  2. あまりにも素行が悪すぎた。練習はまともにやらず、いきなり離婚裁判を理由に無断帰国。復帰したと思ったらアキレス腱を痛めて欠場、したと思いきやディスコで踊っていた。
  3. 翌年も今で言う2年契約を結んでいたためかクビにできなかったが、オープン戦が始まっても来ずしかも犬の空輸料金まで請求する有様。
    • さすがにヤクルトもキレたのか任意引退扱いにしてクビにしたが、その後ニューヨークタイムズに日本の事を事実無根かつボロカスに言い腐す。
      • このせいで日本国内に外国人選手排斥ムードが巻き起こり、ガチの日米問題を巻き起こしかねなかった。
        • 代わりに入団したマニエルは、ペピトーンで失墜した信頼を回復するための人格者として送り込まれその役目を見事に果たした。
  4. 帰国後もその素行の悪さがばれて野球ができず、その後はバツ3、逮捕歴少なくとも3回。
メル・ホール
  1. MLB3球団で活躍し、1993年に2年連続最下位に低迷していた千葉ロッテマリーンズに推定年俸2億2000万円という破格の待遇で入団。
  2. この年のチーム四冠王(打率・本塁打・打点・盗塁)で、翌1994年も活躍したが、オフに就任したバレンタイン監督の構想から外れて退団、中日ドラゴンズに移籍した。
    • 当時の本拠地だったナゴヤ球場での本塁打量産が期待されたが、両膝の故障による不振のため1995年限りで退団。
  3. これだけなら優秀な助っ人外国人だが…素行に非常に問題があった。
    • 自分が指名打者であることをいいことに、相手の攻撃のときはテレビゲームをやってゴロ寝を決め込み、それにキレたマックス・ベナブルに対して逆ギレし、乱闘になるもホール自身は全く反省していなかった。
      • 後輩のミューレンを虐めまくり、当時の八木沢荘六監督に2度も叱られたが反省することはなかった。
        • 中日移籍後も、3年連続首位打者をマークしたアロンゾ・パウエルに尊大な態度を取ったり、自身の使用するグラブを座布団代わりに尻に敷いていた等、全く素行は変わってなかった。
          • ミューレンもパウエルも人格者として名高いことを考えるとなおさらである。
      • 因みにヤンキース時代には、あのバーニー・ウィリアムスをも虐めていたという噂も…。
  4. 以下、関係者のコメント。
    • ミューレン「ホールは嫌な奴だった。二度と思い出したくない」
    • 愛甲猛「史上最低の野球選手」
    • 小宮山悟「こいつだけは許せないと思った」
    • 山崎武司「自身が見てきた中で、一番ダメだった外国人選手」
  5. 引退後の2007年に、バスケットボールのコーチを務めていた1998年~1999年当時の教え子である少女に対する猥褻行為により逮捕。
    • 最終的には児童に対する3度の強姦罪と別の児童に対する2度の猥褻罪で有罪とされ、2009年に裁判で禁固45年の刑を命じられてしまった。
バリー・ボンズ
  1. ホームランのMLB記録を更新したスラッガーだったが、薬物疑惑が付きまとい、司法妨害罪と偽証罪で起訴されるまでに至った。
  2. 人間性が残念。今でこそ多少丸くなったが現役時代は性格があんまりだった。
ビル・マドロック
  1. MLBで首位打者を4回獲得した名打者。1988年にロッテに入団したが…。
    • 入団時に37歳だったこともあり、打率.263・本塁打19・打点61という低調な成績に。
      • 川崎球場の外壁には「マドロック立入禁止」という落書きがされていた。
ジェフ・マント
  1. 1996年に読売ジャイアンツへ入団。
    • 右の長距離砲として期待され、武上打撃コーチは「(本塁打を)70発は打つだろう」と評価したが、オープン戦で放った安打は僅か1安打…。
  2. ペナントレースが開幕してもヒット3本・打率1割台と成績は低迷。
    • 二軍への降格も検討されたが、長嶋茂雄監督が「彼はテンプル大学出身だから、大丈夫でしょう」と擁護し起用を続ける。
  3. しかし成績は向上せず、当時の一軍の外国人選手枠との兼ね合いもあり4月23日に解雇。
  4. 帰国の際にナベツネが「クスリとマントは逆から読んだらダメなんだ」と発言したのは有名。
ホセ・マラベ
  1. 1998年に横浜ベイスターズへ入団。
    • ライトのポジションを中根仁や佐伯貴弘と争い、キャンプ・オープン戦でもそれなりに結果を出し、開幕スタメンを勝ち取った。
  2. 阪神との開幕戦で5番・ライトで出場すると、いきなり3安打の猛打賞・ホームラン1本。翌日も3安打の猛打賞と首脳陣を驚かせたが…。
    • 投手にクセを覚えられたのか、はたまた開幕戦の猛打は偶然だったのか、その後はパッタリと当たりが止まってしまった。
    • 「振った所にボールが来ない」という意味不明な発言も残し、この年限りで戦力外通告を受けた。
  3. 横浜退団後の2000年、韓国のヘテ・タイガースに入団したが…。
    • 入国の際に「身辺保護」を理由に拳銃を所持していたため、金浦空港で逮捕されてしまった。
    • 一応キャンプには参加したが、怪我もあって1試合も出場することなく、レギュラーシーズンの開幕前に解雇された。
ダン・ミセリ
  1. 1995年にピッツバーグ・パイレーツで21セーブを記録、1998年にはサンディエゴ・パドレスでは67試合に登板・10勝5敗とパドレスのワールドシリーズ進出に貢献。
    • 2004年もリリーフ陣の一角として74試合に登板し、その年のオフに読売ジャイアンツに入団したが…。
  2. ↓以下、全4試合の投球内容。
  3. 4月1日の広島との開幕戦、1点リードの9回表に登板。
    • 先頭のラロッカに同点ホームランを、続く前田智徳には内野安打を打たれ、前田の代走・福地寿樹には初球から盗塁をされ、緒方孝市に勝ち越しホームランを打たれ降板・敗戦投手に。
  4. 続く4月5日の横浜戦、同点の12回裏に登板。
    • 先頭の金城龍彦に二塁打を打たれ、佐伯貴弘敬遠後の代打・ウィットはなんとか三振に仕留めるが、続く多村仁にフェンス直撃のサヨナラタイムリーを打たれ、敗戦投手に。
    • 因みにこの時のウィットとの対戦は、とてもプロ同士の対戦とは思えない低レベルな内容だった。
  5. 4月7日の横浜戦、5点ビハインドの6回裏に登板。
    • 先頭の種田仁にフォアボールを許し、更に決して足の速くない種田に盗塁され、次の金城はファーストゴロに打ち取ったが、佐伯にはタイムリーヒット、続く多村には2ランホームランを打たれ降板。
  6. 4月10日の中日戦、10点ビハインドの9回表に敗戦処理で登板。
    • ここでは2安打を打たれるが、なんとか無失点で切り抜ける。
  7. この敗戦処理での登板にミセリは不満を顕わにし、更に右肩痛を訴え始める。
    • 7日後の4月17日にミセリ本人・山本ヘッドコーチ・阿波野投手コーチとの3人で40分話し合ったが結局決裂。2日後の4月19日に球団史上最速で解雇された。
    • 最終成績は4試合に登板して0勝2敗0セーブ、防御率は23.63という散々な成績に…。
  8. 解雇当日、ミセリは東京ドームに姿を見せ、荷物を纏めた後に井原国際部長と別れの握手を交わし、妻子と共に浅草観光に出かけた。
    • 浅草での報道陣のインタビューに対しては「俺はミセリじゃないから質問は受け付けない」と返り討ちにしたが、雷門をバックにした家族との3ショット写真を要求されると笑顔で応じた。
      • そのことはチームメイトから苦言を呈され、特に「他人の悪口を言うことを聞いたことが無い」ほどの人格者だったブライアン・シコースキーからも「クビになって観光なんてとんでもない。外国人の恥だ。」と断じられた。
ケビン・ミッチェル
  1. トラックスラーに代わってダイエーに加入したメジャー選手。メジャー在籍時は220本塁打を記録しており、低迷を続けていたダイエーの救世主になるかと期待されていた。
    • 実際開幕戦では満塁ホームランを放ち鮮烈なデビューを果たすなど、能力の高さはあった。しかし・・・。
  2. とにかくトラブルを起こす困ったちゃんだった。開幕戦後に彼は無断帰国。「サンディエゴで経営しているアパートと美容院が心配になった」という理由だった。
    • 帰国後も「チームがこんな状態になっていたなんて知らなかった」と発言する始末。
    • ごく普通のマンションに住んでいたにも関わらずベランダでバーベキューをして住人が消防へ通報。注意されたものの「日本では週末にバーベキューも出来ないのか」と逆ギレしてしまう。
      • それらを含めて素行の悪さで球団と揉め事ばかり起こした結果8月に解雇されることに。しかし解雇後も年俸の全額支払いを求めて裁判を起こすなど最後の最後まで困ったちゃんぶりをみせた。
  3. 月間ホークスに掲載されていた「FDH助っ人列伝」というコーナーにはダイエーの助っ人を鳴り物入り度・貢献度・その選手独自の評価があり、最後は必ず5点満点になっていた。
    • ミッチェルは鳴り物入り度が5、貢献度は3、そして最後の独自評価は「困ったちゃん度」であり、その点数は5点満点の枠を大きくはみ出す7点になっていた。
  4. 実はメジャー時代から素行の悪さをみせており、「カップケーキで口を負傷」「まぶたが攣った」「くしゃみで肋骨にひびが入った」などの意味不明な理由で試合をサボったり、たびたび監督と乱闘になるなど問題行動の多い人物だった。
    • 元阪神のランディー・バース氏は実力があるのに、どこも取らなかったのは、本人に無視できない問題があるから。彼がトラブルメーカーだったのはわかりきっていたはずだ」とのちに語っている。
  5. 現役引退後にも1999年と2010年に二度暴行事件を起こして逮捕されるなど引退後も問題行為を起こしていた。
ケビン・メンチ
  1. 2009年に阪神に入団した選手。俊足・強肩・強打の揃った外野手であり、レンジャーズ時代は7試合連続で本塁打を放つなど実績を見せ、また奉仕活動に参加するなど人格者であった。
  2. キャンプに合流してからも評判は上々、サンケイスポーツは毎週のように活躍を取り上げたことで、ファンからは「バースの再来」と期待させた。
  3. しかしオープン戦に入った途端に化けの皮がはがれた。元々故障があって劣化していたのもあり、140キロの球に手が出ず、変化球にも全く対応できず。
    • シーズンに入ってもその弱点は解消されず打率.148・0本塁打・2打点という散々な成績だった。
      • お陰でファンからは「レオナルド・ダ・メンチ」やミドルネームにフォードが付いていたことから「廃車」と呼ばれる始末。
  4. 結局二軍に落ちてしまい、結局途中加入したブラゼルが活躍したことも手伝い1年でチームを去ることに。
    • しかし人格者だったのは確かであり、二軍でも腐らずに練習し試合でも活躍していた。人間性では阪神の歴代助っ人のなかではトップクラスと言われている。
  5. なお、キャンプ時の活躍ぶりは「メンチコピペ」として今も某板を中心に改変ネタが使われている。
クライド・ライト
  1. 1976年に巨人に入団した投手。メジャー時代はエンゼルス唯一の左腕で20勝、メジャー通算100勝の実績持ちであり、在籍時には22勝をあげており普段は好人物であった。
    • しかし気性が激しく一旦キレると手が付けられないレベルで暴れるというざんねんな欠点があった。
      • 例えば「通訳の首を絞める」「カメラマンのカメラを取り上げて叩き潰す」「自分のユニフォームを引きちぎる」などあまりの大暴れから「クレイジー・ライト」という渾名をつけられてしまう。
  2. 最後は1978年のヤクルト戦で乱闘を起こし退場、そのまま職場放棄して帰宅するという行為をしてしまいそれが原因で退団することに・・・。
  3. 実はアルコール依存症であり、その暴れっぶりの原因になっていたようだ。その後は依存症を克服し、実業家としての人生を歩み成功している。
シクスト・レスカーノ
  1. メジャーリーグで1122安打・148本塁打を放った選手。
  2. 1987年に横浜大洋ホエールズに入団。
    • 前年にそこそこ活躍していたダグ・ローマンを追い出してまで入団させたが…。
  3. しかし前年に夫人の病気の看病の為プレーしていなかった分のブランクの影響か、シーズン中に22打席連続無安打の不振に陥り、5月末に「140km/hの速球が怖くなった。体力の限界」と言って現役引退を表明し、退団。
  4. 退団に際し、他球団に所属する外国人選手から、「彼が日本でプレーできないことは最初から分かっていた」「ワールドシリーズを頭痛で欠場する奴が日本でやれるわけがない」とボコボコに言われてしまった。
ピート・ローズ
  1. メジャーリーグの様々な記録を作った名選手だったが、監督在任中に野球賭博に手を染めたため永久追放された。
  2. その後、脱税で服役もした。
ウィリン・ロサリオ
  1. 2018年に年俸3億4000万円+出来高払いと、鳴り物入りで阪神タイガースに入団したのにもかかわらず、75試合で8本塁打・40打点・打率.242と成績が低迷し、シーズン終了後にウエイバー公示された。

関連項目




関連記事