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==分割済み==
==た~て==
*[[もしあの鉄道路線が別の年に開業していたら/新幹線]]
===ダンシング・ヒーロー===
*[[もしあの鉄道路線が別の年に開業していたら/関東]]
#荻野目洋子の代表作。
*[[もしあの鉄道路線が別の年に開業していたら/近畿]]
#*原曲は「Eat you up」。
#愛知県をはじめとする東海地方の一部では、何故か盆踊りに使用する。
#2010年代に入り、平野ノラが出囃子に使ったことと、登美丘高等学校ダンス部がコンテストで踊ったことで再注目された。
#1990年代は、とんねるずの番組のコントで使用。
#*2010年代のカバー版には、当該のコントに使用された振付が流用されている。


==二地域以上==
===Diamonds===
===東北本線===
#プリプリの名曲。
;1870年代
#2013年頃だったかにセンター試験(当時)の公民の問題の題材に使われたらしい。
#東海道本線と同時に開業。でも、東海道本線と接触はしないかも。
#*ラジオのDJ風のやつが、曲の後に感想をしゃべり、さらに次の曲へ移るときに「本日は大学入試センター試験ですね。次の曲は全国の受験生の皆さんへの応援ソングです。それでは皆さん,がんばって下さい!」と問題文に書き入れる粋な計らいまでついていたとか。
#*直接接続しようとすると東京市街地を地上で貫通する必要があるため起点は史実通り上野だったと思われる。
#*でも、世代的にプリプリ出されても、回答者の大半はわからんだろという声は出なかったのかと思う。
#やはり大宮はハブられる。
#*高崎線開業時にやっぱり分岐駅として開業か?
#*高崎線がない状態での建設なら中山道沿いのルートなど端から通らないはず。つまり[[もし東北本線が日光街道沿いに敷設されていたら|日光街道沿い]]に敷かれる。
#建設スピードは史実より遅い。
#*当時金のなかった政府が自前で建設することになったと推定されるため。
#*利根川の渡がなくなる時期は変わらない。
#最初の部分開業は上野~大宮辺りか。
#*大宮ではなく岩槻を通っていたかもしれない。
#**と…なると県庁所在地は予定通り岩槻になっていたかもしれない。


===上越線===
===大迷惑(UNICORN)===
;1900年代
#転勤・左遷ソングの大定番曲。
#ルートは後閑駅付近から赤谷川沿いに進み三国峠で上越国境を越えるもの。
#*実際には1番の歌詞から考えて、左遷ではなく、ただの転勤の悲哀なんだけど、悲壮感漂いすぎて左遷ソング扱い。
#*この場合水上温泉はあまり栄えなかった。
#*3年2か月と、期限が分かっている分、むしろ良いんじゃねえのか、これ。
#**代わりに猿ヶ京温泉が有名になっていた。
#♪枕が変わってもするこた同じ ボインの誘惑に出来心
#*苗場にプリンスホテルは建設されていない。
#*ワイフとイチャイチャしたいと言いつつ、浮気してよろしくやってんじゃねえかよとツッコんでしまう。
#沼田から先は壮絶な難工事になっていた。
#PVはなぜか、オーケストラとセッションしている。
#一部区間はラック式鉄道が採用され後に輸送のネックになる。
#ボーカルの奥田民生が髪の毛振り乱しながら舞台で、スタジオで歌唱中に大暴れしている。
#*碓氷峠と同時期に改良されていたかもしれない。
#*歌詞以上に悲壮感を漂わせるこの感じ。
#*後に清水トンネル経由の新線が開業するかも。
#**新清水トンネルが複線構造になっていた。湯檜曽駅・土合駅は上り線ホームもトンネルの中にある。
#上越新幹線のルートは史実とあまり変わらない。
#川端康成『雪国』の書き出しが変わっている。
#*明治時代の技術で清水トンネルのような「国境の長いトンネル」はまず無理。
#「上越線」という名称ではなかった。
#*高崎線と合わせて「[[もしあの路線が本線だったら#高崎線・上越線|武越本線]]」かな。


===東海道本線===
===高木ブー伝説===
;1840年代
#インディーズ時代の筋肉少女帯が、高木ブーやドリフの所属事務所のイザワオフィスに'''無許可'''で発売した曲。
*この時代には各地で鉄道建設ラッシュでした。
#*インディーズとしては異例の大ヒットを記録したが、筋少が音楽番組に出演した際にこの曲を演奏したところ、ドリフの所属事務所の関係者を名乗る人物からの苦情の電話が来てしまい、結局自主回収という形で販売中止となってしまった。
#日本の鉄道歴史が大きく変わっていたかもしれない。
#**因みに苦情の電話は後にイタズラだったことが判明している。
#*というより定時法や新しい製鉄技術などの導入により日本史の流れ自体が激変している。
#*その後高木本人が許可を出し、リメイクした『'''元祖'''高木ブー伝説』が1989年12月に発売された。
#京駅(現・京都駅)~草津駅から建設されていた。
#インディーズ版のジャケットイラストは上條淳士が、リメイク版のジャケットイラストは丸尾末広がそれぞれ担当している。
#*上方では公家や寺社辺りが猛反対しそうなので江戸から建設されていた気がする。
#因みに自主回収から高木が許可を出すまでは、歌詞の「高木」を全て「鼻血」に変えて演奏していた。
#**徳川幕府主導なら駿府-江戸-日光間が最優先だろう。その後尾張・水戸・紀伊へと支線を敷く構想を考えていたと思われる。
#***江戸-駿府間が後の東海道本線に、江戸-日光間は後の東北本線と日光線になっていた。
#**当時の物流や人の流れを考慮するとまず東海道(江戸-京都・大坂)に建設していたのでは。
#ついでに、中山道本線も開業。
#*当時の技術ではついでに開業できるほど楽に建設できたとは思えない。
#横浜駅ではなく神奈川駅と名乗っていたかもしれない。
#東海道新幹線のルートもかなり違う。
#日本の開国相手がオランダではなくイギリスになっているのが前提条件。
#幕府?で鉄道導入を推進した人物が「超人的な先見の明の持ち主」として後世まで称えられる。
#*当時アジアのどこにも鉄道はなく鉄道に乗ったことのある日本人も誰もいなかった。
#*「日本の鉄道の父」と呼ばれている。
#史実の中国(清)の鉄道草創期と同じように各方面から相当な反発を受ける。
#*線路や停車場への破壊工作が発生していたかもしれない。
#*[[ベタな鉄道忌避伝説の法則|ここ]]で言われている話が本当に存在したかもしれない。
#東京駅はなく江戸駅が存在した。
#*新橋や丸ノ内ではなく日本橋辺りにできていたかもしれない。
#**町人地や大名屋敷が建て込んでいて建設不可かと。
#***ターミナル駅は史実の月島付近の新しい埋め立て地に建設していたと思われる。
#荷物列車が運行されていたとすれば飛脚が大打撃を受けていた。
#*江戸など市中の飛脚はむしろ栄えていたのでは。
#「徳川慶喜は日本初の鉄道ファン」という誤解が史実以上に広がっていたかもしれない(実際には被写体の対象にしていただけ)。
#*そもそも別の人物が日本初の鉄道ファンと言われていた可能性の方が高そう。


;1900年代
===旅立ちの日に===
#=[[もし東西幹線が中山道ルートだったら|東西幹線が中山道ルートだった場合]]。
#卒業式の定番曲だが、制作されたのは1991年とかなり最近。
#静岡県などの有力者が出資した私鉄による建設。
#*元々埼玉県のある中学校で教員たちが卒業生に贈るサプライズソングとして作られたが、その数年後には全国の卒業式で歌われるようになっていった。
#*駅間距離が現実より短い。
#*いつの間にか「仰げば尊し」から定番曲の座を奪っていた。
#*静岡〜清水間は現在の静岡鉄道静岡清水線を通る。
#川嶋あいの曲ではない(あれは曲名に三点リーダー(…)がある)。
#**当時の私鉄は国の代わりに鉄道の全国ネットワークを形成する役割を担っていたので史実通りのルートだったのでは。
#私鉄時代は関西鉄道と仲が良かったかもしれない。
#*というか、史実の関西鉄道が「東海道鉄道」と名乗って、東海道に忠実な路線を敷いていたのかもしれない。
#区間は横浜市-名古屋付近。
#全通からあまり経たないうちに国営化される。


===智頭急行智頭線===
===たべちゃうぞ===
;1960年代
#1975年に発売されたガチャピンのファーストシングル。
{{駅名標/西日本|name=因幡山形|ruby=いなばやまがた|back=やまさと|next=ちず|back2=Yamasato|roma=Inaba-Yamagata|next2=Chizu}}
#*作詞は一般から公募し、'''吉田拓郎'''が作曲した。
#佐用駅では姫新線と線路がつながっていた。
#あまりにも怖過ぎる歌詞の内容に反発や苦情が多く、約二週間で放送中止になってしまった。
#開業時から急行や特急が多く運転された。
#2003年放送の「トリビアの泉」(フジテレビ系)で「ガチャピンが子供を食べようとする歌がある」というトリビアとして紹介されたが、検証VTRの中でガチャピン本人は「記憶にありません」と回答している。
#何らかの形でキハ82が走ったかもしれない。
#特急の所要時間は現実より長い。
#*そのため現在は高速バスに苦戦している。
#*それでも伊丹-鳥取の航空便は廃止されている。
#*JR化後は振り子式のキハ187系投入や一線スルー化などのテコ入れが実施されて、史実とほぼ同じレベルになる。但し、それにかかる費用は地元負担。
#21世紀に入って因美線智頭以南の廃止が噂される。
#「宮本武蔵」駅などできるわけがない。
#*恋山形駅は「因幡山形」、大原駅は「美作大原」と名乗っていた。


;1970年代
===ちかてつ===
#鉄道公団の手によって、建設されていたので、高速化に対応できる設計になっていた。
#果たして今の子供には「かみなり電車」という表現は通じるのだろうか。機器も作詞された時代と比べると大分おとなしくなったし。
#キハ181系気動車による特急「はくと」とキハ58系気動車・キハ65形気動車による急行「とっとり」が運行されていた。
#*機器音以外にも線路の音とかがトンネル内で響くから、それで連想することは可能かもしれない。
#*特急「はくと」は米子までに運行されていた。
#*のちに、特急「はくと」はキハ189系気動車で運行されていた。
#*JR化後に130km/h化対応工事などのテコ入れが実施されて、史実と同じレベルになるが、工事費用は地元負担。
#1972年or1975年に開業した際には、キハ181系気動車が史実よりも多く製造されていたかもしれない。
#*1975年開業の場合で製造されたキハ181系は、エンジン出力を440PSに落として屋根上ラジエーターを廃止し、保守性や信頼性を高めた1000番台車として製造されていた。
#1981年の神戸ポートアイランド博覧会と1990年の国際花と緑の博覧会が開催された際に、臨時列車が運行されていた。


===赤穂線===
===地球ネコ===
;1930年代
#2003年10月に「おかあさんといっしょ」(NHK)の今月の歌として放送された曲。
#実質的に山陽本線の別線扱い。
#*作詞・作曲は'''平沢進'''。因みに平沢が歌ったバージョンもある。
#*かつては特急「富士」「櫻」「燕」なども通っていた。
#この曲を聴いた今敏(平沢の大ファン)が平沢に依頼して制作された曲が「夢の島思念公園」(妄想代理人のOP曲)。
#*むしろこっちが山陽本線になっていた。
#*今曰く「わざと似せるように」リクエストしたとのこと。
#**よって現実の上郡回りのルートは上郡線になっていた。
#***戦時中に金属供出によって単線化されていた。
#山陽新幹線建設時にも赤穂経由が検討される。
#赤穂鉄道・西大寺鉄道は太平洋戦争開戦前に廃止される。
#史実の播州赤穂駅は「播磨赤穂」駅として開業していた。
#場合によっては複線化していた。
#*上記通り山陽本線の一部になっていたら当然。


===野岩鉄道===
===地平を駆ける獅子を見た===
;1890年代
#西武ライオンズ(現・[[埼玉西武ライオンズ]])の球団歌。
#日本鉄道が日光線の延長で建設。
#歌うは、松崎しげる。
#*史実の日中線も含め宇都宮〜米沢が「野岩羽線」となる。
#*彼にとっては、「愛のメモリー」に並ぶ代表作のひとつである。
#現実よりトンネルが少ない。
#西武百貨店でライオンズの応援セールや優勝セールが行われる度、店内BGMとしてヘビーローテーションされている。
#上越線開通前は東京〜新潟の最短ルートとしても重宝された。
#*セゾングループ時代の西友も。
#[[郡山市]][[福島市]]が史実ほど発展していない。
#*[[ダイエー|ここ]][[福岡ソフトバンクホークス#ダイエー時代の噂|ライバル]][[楽曲/あ・い#いざゆけ若鷹軍団|球団]]同様、ホームタウンや球団ファンに限らず店舗が地元にあると嫌でも覚えてしまうほどだった。
#下野電気鉄道は存在しなかった。


===海峡線===
===CHA-CHA-CHA===
;1970年代
#石井明美のデビューシングル。
#札幌オリンピック開催中は臨時列車が運行されていた。
#*元々はイタリアのダンスグループのシングルのカバー曲。
#大阪や東京と北海道各地を結ぶ列車が多数運行されていた。
#勝俣が所属していたアイドルグループではない。
#津軽線、江差線は複線化されていた。
#[[Wikipedia:ja:レイザーラモンRG|歌舞伎あるある~早く言いたい~]]
#おそらく[[もし青函トンネルが○○だったら#在来線規格だったら|在来線規格だった]]
#実は1986年の最大ヒット曲。
#*松前線が現在まで存続し、代わりに江差線木古内以西は史実より早く廃止。
#[[ベタな一発屋の法則|一発屋]]と聞いて真っ先に連想する人が多い。
#北海道新幹線は凍結されたままか、札幌-(新)函館(北斗)間が先に開業。
#*そして、必ずと言っていいほど森川由加里「SHOW ME」とセットにされる。
#青函連絡船では洞爺丸型が延命され津軽丸型は登場しなかった。
#**どちらも明石家さんま主演の「男女七人~」の主題歌だったのでわからないでもない。
#のちになって新幹線専用トンネルを建設する計画が出る。
#54年の洞爺丸の事故で建設が急がれたことになっている。このトンネル開通を想定して20系500代(極寒地仕様)が製造される。実際の500代は1000代,1000・2000代は2000・3000代となる。
#*12系500代・14系500代も新造車として登場。極寒地仕様に改造した車両は左形式の区分代となる。781系も約10年早く登場。485系1500代は存在せず。781系が東北より北を走る特急に使用される。


;1990年代後半
===中央フリーウェイ===
#英仏海峡トンネルの注目度が高まっていた。
#1976年に発売された荒井由実(現:松任谷由実)の4枚目のオリジナルアルバム『14番目の月』に収録された曲。
#旅客列車は最初から特急のみだった。
#歌詞は[[中央自動車道]]を都心から八王子方面に走っている情景が描かれている。
#*785系に青函トンネル対応の新区分番台が誕生する。
#*歌詞に出てくる「調布基地」は東京都に返還された在日米軍調布基地(現:調布飛行場)、「競馬場」はそのまま[[競馬場/中央競馬#東京競馬場|東京競馬場]]、「ビール工場」は[[サントリー]]の武蔵野ビール工場のことを指している。
#*E751系も乗り入れに対応していた。
#**因みに東京競馬場では1988年から特別競走として「フリーウェイステークス」が施行されている。
#スシ24は登場せず、九州ブルトレや「出雲」用のオシ24が転用されていた。
#1988年公開の映画「魔女の宅急便」の主題歌候補にも挙がっていたが、都内の具体的な地名が入っていることもあり結局不採用に。
#[[バラエティ番組ファン/た行#タモリのボキャブラ天国ファン|♪中央ブリーフ連盟~]]
#歌詞の通りに風景を見ようとすると290km/hが必要となるらしい。車内で聞くのは問題ないが真似するのは止めましょう。


===瀬戸大橋線===
===つばさ(本田美奈子)===
;1960年代
#もともとはオッペン化粧品のCMソング。
#特急「富士」、準急「砂丘」が四国に乗り入れていた。
#途中の28秒のロングトーンが有名で、2003年に本田が「題名のない音楽会」に出演した際にはさらに長い30秒間のロングトーンを披露した。
#*準急「鷲羽」も高松発着となっていた。
#四国新幹線の用地が確保されていたかは微妙。
#*「現行の瀬戸大橋が老朽化した段階で新幹線対応の新瀬戸大橋を造ろう」という運動があったかもしれない。
#東京と高知、松山を結ぶ寝台特急が運行されていた。
#*ムーンライト松山、高知の先祖に当たる夜行普通列車も存在した。
#*「土佐」「いよ」が上記寝台特急の列車名に。急行「土佐・いよ」は別の列車名に。
#**おそらく気動車急行の方は「うらと」「いしづち」を名乗っていたと思われる。
#*当初は20系で登場し、1972年3月に「さくら」・「みずほ」とともに14系に置き換えられた。
#121系は瀬戸大橋乗り入れ可能な規格で作られていた。
#玉野市は岡山市に吸収されたか。
#瀬戸中央自動車道は国道扱いか。
#建設資金の調達方法が郵便貯金ではなく世界銀行の融資という形で行われていたかもしれない。
#下津井電鉄が国鉄に買収された。
#*されない。江若鉄道同様廃線→一部の用地が流用される程度だと思う。
#*少なくとも児島駅の位置は変わる。
#四国の電化が早まった。
#*最初に投入されたローカル車両は新車ではなくモハ70形・モハ80形が転用されて来た。
#そろそろ橋の老朽化が問題に挙がってくる頃だと思われる。
#宇高連絡船の廃止時期が早まっていたのは言うまでもない。
#*伊予丸型は建造されなかった。
#茶屋町〜宇野はクモハ42あたりの単行運転になった。
#環境問題が深刻化する前のことなので工事による瀬戸内海の生態系への打撃が史実以上に。
#「紫雲丸事故」で建設が急がれた、とされる。宇野線岡山-茶屋町間は1970年代までに完全複線化。
#岡山-高松間を結ぶ快速に、サロ110連結の岡山区113系が使用される。'90年頃に221系(岡山駅基準・下関方先頭車がクロ221、大型の前面窓・ハイデッキ仕様のグリーン車)が岡山区に配置され、113系サロ110連結編成を置き換えた。


;1970年代前半
===翼をください===
#宇高連絡船の廃止が早まったのは言うまでも無く。
#卒業式の定番曲。元々はB面曲だったが、音楽の教科書に収録されてから有名な曲に。
#*宇野線茶屋町~宇野間の列車の多くは単行運転に。
#この曲も色々な歌手にカバーされている。
#*伊予丸型は建造されず、紫雲丸型を修繕しながら廃止まで使い続けていた。
#2000年の[[プロレス団体#FMW|FMW]]の後楽園での大会後に[https://www.nicovideo.jp/watch/sm3346198 荒井社長が熱唱していた]曲。
#「紫雲丸事故」を契機に建設開始された、と語られる。
#*宇野線岡山~茶屋町間は瀬戸大橋線開通から間もない頃に完全複線化。
#四国の電化が早まった。
#*電化当初の四国ローカル運用に80系が使用され、国鉄末期に下記の121系に置き換え。
#*121系は瀬戸大橋線乗り入れ可能な規格で製作された。
#*予讃本線高松~松山間は瀬戸大橋開通と同時期に電化、'90年代に8000系に置き換わるまで181系が電化区間(瀬戸大橋線直通も含む)の特急に使用されていた。
#**場合によってはキハ181系の製作数が史実より少なかった。
#**電化区間の急行には山陽新幹線岡山開業で転用された153系が使用された。
#四国新幹線の用地は確保されたかどうか。
#「土佐」「いよ」が東京発高知・松山行きの寝台特急の列車名に。急行「土佐」「いよ」は別の名称になる。
#*おそらく「浦戸」「いしづち」になっていたと思われる。
#瀬戸中央自動車道は国道扱いか。
#岡山区にサロ111が転入し、岡山~高松間の快速(8・12両編成)に連結された。
#*1990年頃に221系が岡山区に新製配置、上記113系グリーン車連結編成を置き換えた(岡山駅基準・下関方面の先頭車が大型の前面窓・ハイデッキ構造のグリーン車クロ221)。
#下津井電鉄の鉄道事業撤退が早まった。
#高徳本線、土讃本線(多度津~高知間)は電化されただろうか。


===関門鉄道トンネル===
===手紙~拝啓 十五の君へ~===
;1930年代
#アンジェラ・アキの代表曲。
#昭和恐慌における失業対策として、着工されていた。
#「手紙」と付く楽曲は世の中に複数あるが、多分今の若い世代の人が手紙の曲と聞いて最初に思いつくのはこれであろう。
#史実通りに、単線で開業していた可能性が高い。
#この楽曲を機に、Nコンの中学生の部の課題曲は、著名なアーティストが担当するようになった。
#*のちに、追加という形で、上り線トンネルが開業していた。
#*「みんなのうた」で中学生の部の課題曲が流れるようになったのもここから、でもこれは何でなんだろう。
#遅くても、1935年に下り線トンネルが開業し、1937年に上り線トンネルが開業していた。


;1950年代
===鉄道唱歌===
#特急「かもめ」と特急「あさかぜ」の運行がずれ込んでいたかもしれない。
#「汽笛一声新橋を」はあまりにも有名。
#*開業と同時に運行が開始されていた。
#*ただしその新橋駅は現在の汐留駅周辺。
#最初から、複線で開業されていた。
#発車メロディとしても使われている。
#1950年代後半の開通ならトンネルの西側は最初から交流電化になっていた。EF30形の登場も史実より早かった。
#*かつては特急のチャイムにも使われていた。
#*有名なのは東海道線の新橋駅だっけ?
#実は教育用として作られたことはあまり知られていない。
#さすがに一世紀以上前の曲ということもあり、現在と実体が異なる部分も少なくない。
#この曲ですべて補完されている訳でなく、歌われていない地域もところどころある。
#メロディはいくつかあったが、今知られているメロディ以外のメロディで歌われることは稀。
#*著作権が切れていることもあり、Wikiに詳細のメロディが乗っている。
#**ちなみに著作権が切れたのは1996年。
#JRの実業団チームで使われることも多々ある。
#作詞は大和田建樹。愛媛県出身で教師をやっていた人。
#*なので伊予鉄道編が存在する。
#実は北海道編は後付けで、シリーズに入ったり入らなかったりする。
#*しかし中央線版などはさすがにシリーズに入ることは少ない。
#東海道新幹線開業前には風刺として使われた。
#韓国や北朝鮮ではこの曲が意味を変えて伝わっている。
#*韓国では学生運動の曲、モンゴルでは女性解放の歌となっているが、北朝鮮では……
#七五調になっているので親しまれたと言われている。
#ある年代の人にとっては、山手線の駅名を歌う曲。
#ルートは基本鉄道に沿っているが、結構寄り道が多い。が、それも旅ともいえる。
#地域によってはひいきも多い。東海道編でいう京都など。
#現代版鉄道唱歌と呼ばれるものには、MOTERMAN(SUPER BELL"Z)やAMBITIOUS JAPAN!(TOKIO)がある。
#*楽曲ではないが桃太郎電鉄も趣旨は同じかも。
#*有志による現代版鉄道唱歌そのものもある。こちらは東京都心を重音テトが歌ったもの。ただし当時は高輪ゲートウェイ未開業。
#まだ黎明期だったことからか、省線(現在のJR)・私鉄の垣根はない。
#*関西・南海編に関しては歌われている路線は現在でいう南海本線がまるまる歌われている。
#ところどころ船で渡るシーンもある。
#クレヨンしんちゃんでは東海道編をすべて歌うというエピソードがある。
#日清戦争のことが歌われているが、特にGHQによる修正はなかった。
#とにかく長い曲と言われて、この曲をイメージされることが多い。
#*実際、日本一長い曲だという時期が長らく続いていた(2020年現在は日本三位)
#「○○一の大都会」「山は~」という歌詞を結構見かける。
#*漢数字も結構出てくる。
#一時期日本テレビの『ズームイン!!朝!』でよく歌われていた。


===紀勢本線===
===電線音頭===
;1920年代
#世間的によく知られているのは、小松政夫とベンジャミン伊東こと伊東四朗が歌唱するバージョンだが・・・
#線形は史実より悪かった。
#その前に、桂三枝(当時、現・桂文枝)が歌唱したバージョンが存在したことはあまり知られていない。
#*特に尾鷲~紀伊木本→熊野市間。
#また、2000年代には、当時流行していたパラパラ風のテクノ調アレンジのバージョンもあった。
#うまくいけば戦前に[[もしあの国鉄路線が全通していたら/西日本#五新線|五新線が全通していた]]。


==北海道==
====
===石北本線(上川-遠軽)===
===闘魂込めて(巨人軍の歌)===
;1980年代
#言わずと知れた読売ジャイアンツの球団歌。
#石勝線のように高規格路線として建設された。
#*作曲は「阪神タイガースの歌(六甲おろし)」や「栄冠は君に輝く」と同じ古関裕而。
#*一部区間は特急しか走っていないところも類似していた。
#**2020年のNHKの朝ドラ『エール』でこの曲の制作秘話の場面があったが、よりにもよって放送された日は巨人が日本シリーズで連敗中だった。
#**上川-遠軽間かな
#「ミスタージャイアンツ・勝利の旗」という映画で、長嶋茂雄を筆頭とする当時の巨人の主力選手がこの曲を熱唱するシーンがある。
#遠軽でのスイッチバックは何とかして回避していた。
#*長嶋茂雄のほかには、川上哲治・王貞治・広岡達朗・藤田元司ら豪華なメンバーが揃った。
#池田-北見-網走は今も「網走本線」を名乗っている。
#*名寄本線は「名寄-紋別-中湧別-佐呂間-網走」の区間。
#*網走本線は北見-網走のおかげで現在も全線がJRに属している。
#**しかし、北見以南に廃止論議が勃発するのは史実通り。
#*北見-遠軽-湧別は上川-遠軽間の開業まで「湧別線」というローカル線だった。
#開業まで特急オホーツクは名寄本線経由だった。
#「石北'''本'''線」ではなく「石北線」だった可能性が高い。


===石勝線===
===東京(マイ・ペース)===
;昭和10年代
#下のやしきたかじんの曲に対してこちらは関西以外の人が「東京」という名前を聞いて思いつく曲。
#建設理由に対ソ戦対策も含まれていた。
#単発ドラマ版の「東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜」でBEGINがカバーした。
#建設にあたり朝鮮人などの労働者が酷使された。
#当時メンバーは名古屋に住んでおり、この曲がヒットしたことで実際に東京に移り住んだ。
#*後に複数の慰霊碑が建てられた。
#*トンネルに「幽霊が出る」などと噂されたり、韓国が謝罪と賠償を要求するなど何かと曰く付きの路線になっていた。
#煤煙対策のため史実ほど長いトンネルはない。
#*その代わり一部区間に急カーブや急勾配などが生じていた。
#*JR化後に高速化改良されたと思われるが現実ほど高速運転できなかった。
#開業時点で根室本線は「千歳-新得-釧路-根室」に変更された。
#*滝川-富良野-新得には「芦別線」という別の線名が付けられた。
#**夕張線(紅葉山~夕張)は特定地方交通線に指定され廃止されていた。
#***紅葉山駅は廃止後、新夕張ではなく「夕張市」を名乗っていたかも。
#***1980年代ならまだ大丈夫だと思うが、2010年代には史実同様廃止が議論されるようになっていた。
#*国道38号も札幌~十勝清水~釧路のルートだった。
#**北海道最長国道は国道38号だった。
#**国道274号は滝川~帯広間の国道となっていた。
#*登川駅からそのまま東へ延伸する形になっていた。
#*南千歳駅は開業せず史実の南千歳駅の場所に南千歳信号場が千歳線空港支線開業と同時に設置された。
#*準急→急行「夕張」の走行ルートは「札幌-千歳-紅葉山-夕張」だった。
#**史実より(夕張~追分から)札幌まで短時間で行けるので1972年以降も存続する。
#***夕鉄バス札幌急行線との競争や千歳市民・広島町民からの要望によりくるくる電車ポプラ号登場のタイミングで札幌~千歳間快速・以遠普通に格下げ。
#***同時に大幅に本数増加するが千歳以遠の実質的な本数は変わらず。
#***1997年3月改正までキハ56系を使用、以降運転区間短縮があったがキハ201系を使用。
#***場合によっては千歳~追分間が札幌の通勤圏に入ったかも。
#***キハ40系・キハ54・キハ150も代走・送り込みで快速「夕張」を含む仕業に入った。
#***キハ201系は製作コストを減らすため途中から車体傾斜機能なしで増備・別区分番代となった。
#開業当初は現実の信号場も全て駅だった。
#*しかし沿線の過疎化により廃駅が続出。
#*仮乗降場扱いの駅も多い。
#占冠駅は富内線との合流を想定した構造になっていた。
#追分〜紅葉山(新夕張)間が単線化されず複線のままだった。


===札幌市営地下鉄東西線(琴似-宮の沢)===
===東京(やしきたかじん)===
;1980年代
#大阪のミドルエイジが歌う「東京」の8割はこの曲。
#早くても、1985年頃に開業していた。もしくは、遅くても、1988年に開業していた。
#作詞が及川眠子。
#*1990年頃に開業していた可能性もある。
#*なぜか、全編で詞が関西弁。
#6000形電車が史実よりも多く増備されていた。
#♪祈るように今日も灯がともる東京
#1999年2月に東豊線の福住~清田間が開業していた。
#*東京の部分を大阪に変えて歌う事が多かった晩年のたかじん。
#*その場合、7000形電車が史実よりも多く増備されていた。
#*6両編成で運行されていた。
#*栄町駅付近か清田駅付近か福住駅付近に車両基地ができていたかもしれない。
#*札幌ドームが開業した2001年に開業していた可能性もあり得る。
#8000形電車の登場は史実通り。
#*その代わりに、史実よりも遅れて投入されていたかもしれない。(2001年辺りに)


====東札幌-新さっぽろ====
===東京音頭===
;1990年代
#元々は、東京都の民謡として、盆踊りに使われている。
#当初の予定通り千歳線旧線沿いに高架線を建設していた。
#しかし、全国的にはヤクルトスワローズの応援歌として有名。
#*南北線南平岸駅 - 真駒内駅間のようにシェルターで覆うかは微妙なところ。
#*元はヤクルトの前身・国鉄スワローズ時代に岡田正泰(後にスワローズの私設応援団団長を務める)が1人で歌いだしたのがきっかけだった。
#建設費節約のためにホームは8両ぶんしかない。
#*さらに歴史を辿ると、ヤクルトが応援歌に使う遥か前に、東京オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)が応援歌に使ったという記録も残っている。
#*この曲のイントロで「くたばれ読売」と歌うファンが今でも多い。
#サッカー・JリーグのFC東京も、応援歌に使っているがあまり知られていない。
#*ヤクルトスワローズとのタイアップで歌うようになった。同じ東京の[[東京ヴェルディ1969]]に向けてなのかこちらでも前奏で「くたばれ読売」と歌う。


==東北==
===TOMORROW(岡本真夜)===
===南部縦貫鉄道===
#岡本真夜にとっての最大のヒット曲であり、唯一のオリコンチャート1位もこの曲で獲得した。
;大正時代
#元々はTBS系のドラマ『セカンド・チャンス』の主題歌。
#開業当初は「七戸鉄道」と名乗った。
#*更に当初の曲調はミディアムバラードだったが、TBSの伊藤プロデューサーに「アップテンポにしてくれ」と言われて作り直したという経緯を持つ。
#*後に戦時統合で史実の南部鉄道や十和田観光電鉄とともに「南部交通」に統合され「南部交通七戸線」となる。
#この曲で年末の紅白歌合戦にも初出場を果たし、翌1996年の選抜高校野球の入場行進曲にも選ばれた。
#建設目的は普通に「東北線と七戸町の連絡」。
#*農産物の輸送も行われた。
#*後に沿線で産出される砂鉄の輸送も行われた(史実でも計画されていたが頓挫)。
#多分電化はされていない。
#七戸駅は町の中心近くに設置。


===三陸鉄道===
===Tomorrow never knows(Mr.Children)===
;1960年代
#言わずと知れたミスチル最大のヒット曲。
#建設開始は1933年の昭和三陸津波の後。
#「'''金のしゃちほこ'''」という仮タイトルが付けられている。
#*太平洋戦争により一時工事がストップしていた。
#*当初は「明日への架け橋」というタイトルだった。
#当然ながら国鉄線として開業している。
#30分ほどで曲のほとんどが出来上がったらしい。
#一部区間は現実よりカーブなどが多い。
#断崖絶壁で歌うPVが有名。
#開通した頃は急行が走っていた。
#*その為、「'''崖の歌'''」と呼んでいる人もいるとか…
#*列車名は「さんりく」、運転区間は仙台-気仙沼-宮古-八戸。
#実は和田アキ子がカバーしたことがある。
#連続テレビ小説『あまちゃん』のストーリーが史実とやや異なっている。
#実はビートルズがそれ以前に[[○○以外にも存在したモノ/文化#音楽|同名の曲を発表している]]。もちろん歌詞は全く違う。


===仙石線===
===TRUE LOVE(藤井フミヤ)===
;1910年代
#ラブソングの定番。
#軌道法に準拠して建設された。
#*藤井フミヤ曰く、「結婚式に呼ばれるたびに、この曲を歌わされてきた。何度歌ったかわからない。」らしい。
#*仙台駅付近が併用軌道だった。
#あすなろ白書の主題歌だった。
#**後に高架化もしくは地下化される。
#*紅白に出て藤井が歌った際、同番組の主演にしてその年の紅組司会だった石田ひかりに、白組から出たにもかかわらず、花束を贈呈されたりしてる。
#*戦時買収を免れていたかもしれない。
#藤井フミヤ名義で初のシングル。
#**この場合宮城電鉄が戦時統合の核になっていた。
#*地味にCDが200万枚も売れている。フミヤの最高記録はこの曲。
#石巻-女川も自力で建設していた。
#仙台市電との直通も検討される。
#*というより「宮城電鉄市内線」として建設された可能性もある。
#国に買収されなかった場合塩釜線は現存している。
#松島にそこそこ大きな遊園地ができていた。


===気仙沼線===
===とびだせヤクルトスワローズ===
;1939年
#ヤクルトスワローズの初代球団歌。
#石巻線が石巻から女川経由で延長された形で開業。
#*当時、歌唱力では球界随一と言われたヤクルトのエースピッチャー・松岡弘により吹き込まれた。
#*勿論「石巻線」の一部。


;1980年代
===TOKIO===
#隣県の三陸鉄道に刺激され第三セクターで開業。
#[[ジャニーズファン#TOKIOファン|ジャニーズのあのグループ]]とは全く関係ない。沢田研二が1980年に発表した曲。
#旧国名の付いた駅は現実より少ない。
#*ジャニーズの方がカバーしたこともない。(ただしジャニーズ時代の草彅剛が韓国語でカバーしたことはある。)
#震災までは独自のサービスで人気を博していた。
#歌唱時にパラシュートを背負う姿が有名。
#*「フカヒレ列車」などというものが走っていた。
#*あの派手な衣装が、タケちゃんマンの衣装のモデルになったことはあまりに有名。
#*大谷海岸駅は海の家と一体化されていた。
#柄本時生の名前の由来はこの曲。
#震災の被害により一時は廃止も検討された。
#作詞は「くうねるあそぶ」などのフレ-ズでおなじみの糸井重里。
#*むしろ南リアス線と同じ時期に復旧していたのでは?
#*MOTHERやほぼ日の人で通じるのでは?
#**大船渡~気仙沼間も鉄路で復旧していた(この場合宮城方の三セクになるのかやっぱ三陸鉄道になるのか…)
#カブキロックスの「お江戸-O・EDO-」という歌詞改変のカバー版も有名。
#**史実通り事実上の廃止に追い込まれていたら、「岩手県は三陸鉄道を復旧させたのに宮城県は…」と言われていた。
#[[北陸新幹線|長野新幹線]]が開通した際に長野でのCM曲にも起用されている(キャッチフレーズ'''「東京は長野だ」'''から)。


===仙台市営地下鉄東西線===
===時のしおり===
;2000年代
#♪昭和平成令和へと 心を繋いで生きましょう
史実では2015年12月に開業。
#*これがラストサビなんやけど、この1行からいろいろな思いが透けて見える。それくらいいい歌。
#遅くても、2008年12月に開業していた。
#世間一般と異なりチャクウィキではなぜか嫌われている上沼恵美子の曲。
#*場合によって、2009年頃にずれ込んでいたかもしれない。
#1番は昭和の時代のことを平成元年に振り返ったことを思い出す。2番は平成期に起きたことを令和元年に振り返ったことを思い出す。そして最後のサビで、みんなで心繋いで生きようというフレーズを残して終わる。ええ曲や。
#東日本大震災が起きた時は被害を受けていた。
#2001年に開業していたら同年の「新世紀・みやぎ国体」や翌年の「日韓ワールドカップ」に合わせたとされた。
#2000系は開業時期次第で都営12-000・横浜市初期10000・神戸市5000形や大阪市80・福岡市3000系と類似する箇所が多かった。
#仙台空港に乗り入れているかも。


===仙台空港鉄道===
===道頓堀人情===
;1990年代
#天童よしみが、これで有名になったという曲。
#仙台空港新旅客ターミナルが全面完成した1997年(あるいは前年)に開業。
#♪負けたらあかん 負けたらあかんで東京に~
#*むしろ、仙台空港新旅客ターミナルの全面完成が史実よりも早まっていた。
#*このサビのフレーズが酒を飲みながら有線放送を聞いていたおっちゃんらの琴線に触れヒットした。
#開業当初の自社保有車両は701系1000番代の同型車である。ワンマン運転は2両編成の列車のみ。3両編成以上の列車は原則車掌乗務。
#大阪では大ヒットのあまり、サビの部分だけなら年寄りから幼稚園児まで、みんなが歌えるくらいの曲だった。
#*417・455・457・719系の乗り入れも考慮された。
#天童よしみの曲だと思っている人がほとんどやけど、実は元々は鏡五郎のアルバム収録曲やったらしい。
#大株主に[[名古屋鉄道|名鉄]],そのグループの[[宮城の交通#宮城交通|宮交]]が。
#*[[Wikipedia:ja:仙台空港民営化|仙台空港民営化]]を機に、[[東急電鉄|東急]]へ名鉄グループ保有分の株がすべて譲渡(=名鉄グループ離脱、東急グループ加入)される。
#*直通相手はJRではなく仙台市営地下鉄になっていたかもしれない。
#国際ゆめ交流博覧会が開催された1997年春での開業を目標として建設された。


;2001年
===鳥の詩(杉田かおる)===
#同年の「新世紀・みやぎ国体」,翌年の「FIFAワールドカップ」開催を機に開業。
#実は『池中玄太80キロ』の挿入歌だった。言い換えれば『もしもピアノが弾けたなら』と兄弟的な存在の歌。
#2000年に開業した可能性が。
#*実は、西田敏行も劇中で歌っていたらしい。
#開業当初の自社保有車両は701系1500番代基本の都市型ワンマン運転対応車両である。JR側も同型車を導入する。
#一般大衆が「鳥の詩」といわれて思い出す曲。
#「宮城国体」「FIFA W杯」の際,宮城スタジアムへの利便性向上の為,臨時列車で仙台空港-利府間に直通臨時列車を多数運行した。
#*私はこのページを見て初めて同名異曲があると知ったわ。
#♪私の心が空ならば 必ず優しい鳥が舞う
#*この部分、めっちゃいい比喩だと思う。


===阿武隈急行===
===鳥の詩(Lia)===
;1930年代
#Keyが開発したゲーム、及びそれを原作にしたアニメ『AIR』の主題歌。
#最初は省線で勿論電化されない。
#一部ネット上では「国歌(くにうた)」とも呼ばれている。まあ一度聞いたら国歌(こっか)にしたい気持ちも分からなくもないが…。
#福電飯坂東線は戦時中までに全廃に追い込まれた。
#レコーディングはアメリカ・ロサンゼルスのパラマウントスタジオで行われた。
#白中線角田以東が[[もしあの国鉄路線が全通していたら/東日本#白中線|実現していた]]かも。
#杉田かおるのデビュー曲ではない。但しこちらもなかなか良い曲だったりする。
#LIA名義でのハピコア系リミックスもある、enigmatic LIA2に収録されてる奴のリミキサーは音ゲー界隈で有名なkors kだったりする。


==東海==
==な行==
===伊豆急行===
===奈良の春日野===
;昭和10年代
#大スター・吉永小百合が19才の時に歌ったもの。
#建設の動機は伊豆半島の要塞化。
#*いわゆる、別名「鹿のふん」。
#伊東線の延長として建設された。
#*この曲は、元々1965年に発売され大ヒットした「天満橋から」のB面に収録された曲であった。
#*線名は「伊豆線」。
#しかし、発売からおよそ20年以上後の1986年に奈良出身の明石家さんまがギャグとして取り上げたことで、大きな注目を集めることとなった。
#1950年代から優等列車が乗り入れるようになった。
#*きっかけは、フジテレビの人気番組「笑っていいとも」の当時の名物だったタモリ・さんまの雑談コーナーで投書が寄せられ、曲がかけられたことである。
#史実の伊豆急下田駅は「伊豆下田駅」と名乗っている。
#**この曲の存在は、吉永のファン「サユリスト」としても有名なタモリも知らなかった為、最初は疑ったものの、この曲を聞いたとたん、発狂する程の大ショックを受けた。
#現実ほどトンネルは多くない。
#**一方、さんまはこの曲をいたく気に入って、番組内はもちろん、「いいとも」後の番組「いただきます」でも、関根勤・小堺一機と共に歌って踊って見せた。
#当然国鉄線としての建設で、現在はJR東日本。
#そして、フジテレビの人気番組であった『オレたちひょうきん族』でも使われたことが決定打となる。
#*当時、さんまとツートップを組んでいたビートたけしが、フライデー襲撃事件に伴う謹慎(活動自粛)によって事実上の休止を余儀なくされ、試行錯誤の時期にあった。
#**ギャグは、鹿の着ぐるみを着たさんまたちがこの曲に合わせて踊るというもの。
#***ちなみに、これに使用された踊りは、さんま自ら考案したもの。
#さんまのおかげでフジテレビや発売元のビクターに問い合わせが殺到。
#*そして、とうとうビクターは1987年3月、オリジナルのA・B面を入れ替える形で、レコードを発売してしまう。


===伊勢鉄道===
===嘆きのボイン===
;1910年代
#昭和を代表する名コミックソング。
#参宮鉄道時代から計画はあった。
#*80万枚の大ヒットとなり、「ボイン」という言葉を世間に定着させることに成功した。
#*だが着工は国有化後。
#この曲を歌った月亭可朝曰く、外回りの営業の時に洒落でやっていたのが思いの外受けて、レコード会社に「続きを作れ」と言われて出来た曲とのこと。
#東京などと伊勢神宮の短絡が主目的。
#開通したとたん参宮線の一部に。
#*亀山~津は「亀山支線」として扱われる。
#*なお現在は紀勢本線の一部。
#現在の近鉄鈴鹿線はこの路線の鈴鹿駅に乗り入れていた。
#寝台特急「紀伊」もこのルートを通っていた。
#*所要時間が短かすぎて始発・終着が不便な時間帯になってしまうのでそれはない。
#**普通に紀伊勝浦か新宮で長時間停車していたんじゃないの?別にすぐに下りなきゃいけないとは書いてない訳だし。


===近鉄鳥羽線===
===名古屋はええよ!やっとかめ===
;1930年代
#1985年にリリースされたつボイノリオの楽曲。
#「志摩電気鉄道山田線」として開業。
#*当初、タイトルは「大名古屋行進曲」になる予定だったが、「名古屋弁を入れたい」というつボイの要望がありこのタイトルになった。
#*この場合志摩電気鉄道は参宮急行電鉄に買収されていた。
#1番と2番の冒頭で東京と大阪を「まああかん」と挑発し、これからのパフォーマー、イニシアチブ、そして未来の首都は名古屋と勝手に宣言し、名古屋に関する様々な事柄を歌詞に織り込んでいる。
#**標準軌への改軌が史実よりかなり早まっている。
#*ただ歌詞の中には、何故か[[岡崎市]]の郷土菓子の「淡雪」や愛知県の県花の「カキツバタ」が入っている。
#**買収と同時に山田線に編入された可能性も。
#因みにこの曲のイントロは「燃えよドラゴンズ!」のサビに酷似している。
#計画時期によっては宇治山田駅は最初から通過可能の構造になっていた。
#*そりゃそうだ、作詞・作曲・編曲は燃えドラの山本正之なんだから。
#朝熊駅では朝熊山ケーブルカーと接続している。
#**その山本が歌ったバージョンもあるが、タイトル・キー・一部の歌詞が異なっている。
#*ケーブルカーは戦後復活を果たしていた。
#賢島方面の観光開発は更に進んでいる。
#*[[大阪万博#1970年日本万国博覧会の噂|1970年の大阪万博]]あたりで進んだか。
#国鉄参宮線の伊勢市~鳥羽は1960~70年代に廃止されていたかも(史実でも赤字83線に選定されていた)。
#線形は現実よりも悪かったかもしれない。
#*確実に踏切が存在した。
#遅くても難波線開業までに大阪線・名古屋線は全線複線化(宇治山田-鳥羽間の建設・鳥羽-賢島間の改軌費用が回るため)。青山峠区間は(工期短縮が優先)単線並列方式で複線化。そのため上下線の所要時間が異なる。難波線開業の翌年に発生した衝突事故はない。
#*旧東青山駅を経由する線形の悪いルートになるため、アーバンライナーや伊勢志摩ライナーは振り子式車両で製造され、ひのとりは車体傾斜装置を取り付けて製造されていた。


===愛知環状鉄道===
===情けねえ===
;1920年代
#とんねるずの17枚目のシングルであり、とんねるずの代表曲の一つ。
#岡崎市街地や挙母町、瀬戸と東海道本線を結ぶための路線。
#歌詞の内容はこの曲が発売された1991年に勃発した湾岸戦争と、それに対する日本の対応を風刺したものになっている。
#*貨物列車を名古屋市街地に入れないことも意識されている。
#*当初はラストのコーラスを「サンショウウオ」にしてコミックソングにする予定だったがボツとなった。
#中岡崎駅が「岡崎駅」を名乗っていた。
#**そのため、とんねるずの曲としては珍しいメッセージ性の強い曲となっている。
#*東海道本線の岡崎駅は「南岡崎」か「岡崎口」に改名された。
#戦時中に空襲時の迂回路として城北線に相当する区間も建設される。
#現在もJRの路線だったかもしれない。
#*最初から多治見ではなく高蔵寺を目指していたのであれば路線名は「挙母線」になっていた。
#*当初の予定通り貨物輸送も頻繁に行われていた。
#名鉄挙母線は存在しなかった。


;1940年代
===涙そうそう===
#名古屋の空襲に備えて勝川-稲沢も城北線として同時に建設。三河鉄道上挙母-大樹寺-岡崎駅前間は不要不急路線に指定され休止される。
#題名の意味はウチナーグチで「涙がぽろぽろこぼれ落ちること」
#「挙母線」が路線名になる。
#*BEGINがデモテープに仮題としてつけられていたタイトルに触発された森山良子が、早世した兄への思いを込めて詞をつけた。
#多治見・高蔵寺ではなく神領が終点になる。
#一般的には夏川りみの代表曲と思われているが、[[カバー曲のほうが有名な曲/日本|カバー曲]]。
#*その為、中央(西)線の快速は高蔵寺ではなく神領に止まる。
#*ライブで感動した夏川が同郷で親交のあったBEGINに猛アタックをかけた。
#*瀬戸~多治見間の建設計画も出るが着工されない。
#*カバーのオファーに対し当初は断っていたBEGINだったが、根負けして許可したところ大ヒット。
#**多分非電化。
#**紅白歌合戦では、森山を含む三者共演での歌唱も行われた。
#1970年代に、全線にわたり複線化と電化が行われた。
#*上の城北線も同時期に。
#*その為、名古屋を迂回するバイパスルートとして、挙母線と城北線の建設効果を十分発揮した。
#*[[愛知万博|愛・地球博]]の観客輸送で活躍している。
#現在は城北線も含めJRの路線に。


===名鉄羽島線===
===夏祭り===
;1964年
#夏の曲として毎年上位に来る。
#「夢の超特急」との連絡線ということで開業時は大々的にPRされた。
#太鼓の達人で最初に収録された曲。
#*新岐阜からの直通特急が設定されていた。
#*たいていどこでも人気ランキング1位。
#この路線の建設に関しても大野伴睦が絡んだ噂がささやかれる。
#*というかこれといえば太鼓の達人の曲と言っても過言ではないのでは?
#現在は結局現実と大きな差はない。
#[[カバー曲のほうが有名な曲/日本|カバー曲だと知らない]]若者も多そう。
#*ただし新羽島駅の駅舎はもっと古い。
#*JITTERIN'JINNのオリジナルも有名だから知ってる人は相当多いと思うけどなあ。白ベリ版も有名だけどさ。
#**地平ホームの1面2線になっていた。
#**個人的には、Whiteberryがこの曲を歌った当時に散々聞いた話なので、「WhiteberryのオリジナルではなくJITTERIN'JINNというグループの曲」という事だけ知っている。
#どのみち竹鼻線の江吉良以南は廃止される。
#よく東京ヤクルトスワローズと言われる。
#一部で国鉄による買収が噂されるも実現せず現在に至ると思われる。
#*野球ファンはこの曲がカラオケで流れるとついつい「〇〇!(ヤクルトの選手)」と合いの手を入れてしまう(ヤクルトのチャンステーマ)。
#日向坂46ファンはメンバーの影響でサビ前に「あげてけ!」と合いの手を言ってしまう。
#この曲は男性視点だが、JITTERIN'JINN版のリリースから20年後、女性視点からの歌詞で再リリースされている。


===名鉄豊田線===
===涙のキッス===
;1930年代
#1992年に発売されたサザンオールスターズの31枚目のシングル。
#三河鉄道の経営状態が良ければ着工できた。
#*30枚目のシングル「シュラバ★ラ★バンバ」と同時に発売された。
#八事以西が名古屋市電八事線になることはなかった。
#TBS系のドラマ「ずっとあなたが好きだった」の主題歌としても使用された。
#*軌道廃止後に地下線で伏見か栄に乗り入れる。
#因みにムクちゃん(関口和之)はこの時休養中だったため、この曲には不参加となっている。
#**あるいは神宮前に延伸され[[名鉄名古屋本線|名古屋本線]]と接続していた。
#踏切がある代わりに加算運賃が存在しない。
#*トンネルも現実より少なく、一部のルートが現実と異なっている。
#[[名古屋市営地下鉄鶴舞線|地下鉄鶴舞線]]は存在しないか八事止まり。
#特急が運転され名古屋〜豊田を30分以内で結んでいた。


===名鉄豊川線===
===虹(電気グルーヴ)===
;1920年代
#1997年に発売された電気グルーヴの通算6枚目のシングル。
#飯田線国有化前なので豊川駅に乗り入れていたかもしれない。
#[[交響詩篇エウレカセブン|エウレカセブン]]の最終回で知った人は何人いるのだろうか…。
#名鉄小坂井支線はなかった。
#因みにピエール瀧はこの曲の制作には全く関わらず、マリオカートをプレイしていたとのこと。


===名古屋市営地下鉄上飯田線===
===日本全国酒飲み音頭===
;1980年代
#酒が飲めるぞ~♪で有名な名曲。
#新栄町駅まで開業していた。
#1番は1月から12月まで、年中行事などで理由を付けて酒が飲める事を歌い、2番は北海道から沖縄まで、名物や特産品などで理由を付けて酒が飲める事を歌っている。
#*名古屋市営地下鉄桜通線の高岳駅が連絡できるように移転されていた。
#*ただし、1番・2番ともに歌詞の終盤にかけて、酒を飲む理由がどんどんいい加減になっていく。
#*市役所経由で金山まで開業していた可能性もあり得る。
#**「♪11月は何でもないけど酒が飲めるぞ~」「♪12月はドサクサで酒が飲めるぞ~」「♪沖縄は行った事ないけど酒が飲めるぞ~」
#名古屋市交通局7000形電車は、3000形電車をベースに製造されていた。
#因みにB面のタイトルは「うそつきおんな」。
#名鉄小牧線は小牧~犬山間も複線化されていた。
#2003年の阪神タイガース優勝時には、当時の主力選手を歌詞に織り込んだ替え歌が発売された。
#ディズニーの「ビビデバビデブー」によく似ているが、実はカバーではない。
#*ヒント:作曲クレジット


;1990年代
===にんじゃりばんばん===
#早くても、1991年頃に開業していた。
#きゃりーぱみゅぱみゅの曲。
#*新栄町駅まで開業していたかもしれない。
#オリエンタル・エレクトロ・ポップスとかいうジャンルらしくいかにも近未来といった感じの音だらけで、歌詞も割と支離滅裂。
#*名古屋市営地下鉄桜通線の高岳駅が連絡できるように移転されていた。
#*にもかかわらず、実は日本的な音楽要素がふんだんに取り入れられていたりする。例えばヨナ抜き音階の多用とか。この辺、作曲家の中田ヤスタカが好んで使う手法だわね。
#*もしかしたら、丸田町の先である矢場町or金山or鶴舞orささしまライブまで延伸していた可能性もある。
#「にんじゃりばんばん」という言葉の意味は、中田ヤスタカもきゃりーぱみゅぱみゅもわからないらしい。なんやそれ。
#7000形電車が史実よりも早く登場し、製造数も史実よりも多くなっていた。
#*というか、他の曲についても曲名や歌詞の意味なんかないようなものだと思うが。
#間内駅付近に車庫ができていた。
#最近、とあるゲームのテーマソングになった。
#桃花台新交通桃花台線が廃止されることはなかった。
#運行本数が史実よりも多くなっていた。
#2004年には東部線(ささしまライブ~高針橋)が開業していたかもしれない。
#*グローバルゲートを含むささしまライブ24地区の再開発事業が史実よりも進んでいた。
#**中京テレビの移転も史実よりも早まっていた。
#*その際に、上飯田線は2003年頃に丸田町まで延伸していた。
#名鉄300系電車は100系電車、200系電車と同じのタイプの車両に製造されていた。
#*3300系電車(2代目)が投入されることはなかった。


;2001年
===2億4千万の瞳===
#間内駅付近に車庫ができていた。
#郷ひろみの名曲のひとつ。
#それ以外で、史実とあまり変わらなかった。
#元々、国鉄(現・JR)のキャンペーンソングとして作られたことで知られる。
 
#*歌詞にある「エキゾチック・ジャパーン」も、元々国鉄の当時のキャッチコピーだった。
===名古屋市営地下鉄桜通線===
#「とんねるずのみなさんのおかげでした」(フジテレビ系)では、この曲を使用した「2億4千万のものまねメドレー選手権」というコーナーが不定期で放送されていた。
====野並~徳重====
#*ちなみに毎度のお約束で優勝はバナナマンの日村勇紀になる。
;1990年代
#6両編成で運行されていたかもしれない。
#緑区における宅地開発が史実よりも進んでいた。
#2011年に徳重~豊明北間が開業していた可能性もあり得る。
#*もしくは、野並~徳重~豊明北間として開業し、車庫は当初の計画通りに豊明北駅付近に車庫ができていた。
 
;2000年代
*史実では、2011年3月に開業しました。
#2005年に開業した場合、開催されていた愛知万博に合わせての開業であった。
#開業記念イベントが実際に行われていた。(史実では、東日本大震災の影響により、中止となった。)
#その後も、延伸計画が実施されていたかどうかは怪しい。
#無論、6050形電車の登場が史実よりも早まっていた。
 
====中村区役所~今池====
;1970年頃
#国鉄(当時)名古屋駅付近は,地下街「エスカ」「ユニモール」と一体で建設された。車両の大きさは,東山線・名城線(・名港線)と同じ。
#*市電中村線は2年程早く廃止される。
#**その為桜通線は稲葉地~今池間が最初の開通区間に。
#*中村公園駅に,東山線との連絡線も同時に建設。
#*稲葉地付近に車庫が建設される(大規模な検査は中村公園駅の連絡線経由で回送の上,東山線藤が丘工場で実施)。
#現実より建設費が安く,市の財政状況が少し良くなる。現実より浅い場所を通る。
 
===名鉄知多新線===
;1930年代
#常滑か河和から延伸していた形で開業していた。
 
;1970年代
#沿線の宅地造成が史実よりも進んでいた。
#*小野浦駅が開業していた可能性が高い。
#名鉄による観光開発が史実よりも進んでいたかもしれない。
#*南知多ビーチランドと内海フォレストパークの開園が史実よりも早まっていたかもしれない。
#*8800系電車の登場が若干早まっていたかもしれない。
 
===名古屋市営地下鉄名城線===
====新瑞橋-大曽根====
;1980年頃
#[[ナゴヤドーム]]ではなく瑞穂公園に大規模な車庫が建設される。'70年代後半に,2000形(3000形同様の,電機子チョッパ制御・スキンステンレス車両)が名城線に導入される。史実の2000形相当の車両は,2050形を名乗る。
#*2000形は当初から冷房付き。2010年代後半にN2000形(N1000形ベースの名城・名港線用車両)に置き換わる。名城線の6連化は早まる。
#総合リハビリセンター駅は当初の計画通りに清水ヶ岡駅と名乗っていた。
 
===名古屋市営地下鉄鶴舞線===
====上小田井-庄内緑地公園====
;1985年頃
#市交通局3000形・名鉄100系は、1990年頃までにすべて6両化される(従来編成に中間車両を挿入)。その代わり、名鉄100系4+4両編成は存在しない。
#*市交通局3000形・名鉄100系の製造数が史実以上に。
#史実より、1980年代後半の鶴舞線・名鉄犬山線・名鉄豊田線の混雑を緩和している。名鉄犬山線・豊田線の宅地化が、(バブル景気の頃)史実以上に進む。
 
====伏見-八事====
;1970年代前半
#開業当初の車両は300形を20m車・片側4扉・直流1500V架線集電方式に変更した車両。ただ、抵抗制御車両で、当初は非冷房で登場した。
#八事~赤池間の延伸も早かった、名鉄豊田新線(当時)も同時期に開通している。
 
===桃花台新交通===
;1980年
#8月の入居開始までに開業。
#1990年頃に高蔵寺まで延伸される。
#桃花台ニュータウンと小牧市の人口が史実以上に多かった。
#名鉄、日本車輌、三井物産(日車と物産はVONAを共同開発)が主要株主に。
 
===名古屋市営地下鉄東山線===
====名古屋-栄町====
;1930年代
#=「名古屋地下鉄道」が実現していたらである。
#当初の車両は木目調の内装だった。
#*車体は流石に全鋼製車体。
#建築限界の規格は史実より大きい。
#*ホームの長さも8両編成ぐらいまで対応していた。
 
===遠州鉄道奥山線===
;1940年代前半
#遠州電気鉄道(遠電)の三方原線として建設された。
#*当初は非電化・1067mm軌間で省線との直通が考慮された。
#**陸軍飛行学校への引き込み線が存在した。
 
==甲信越・北陸==
===北越急行ほくほく線===
;1930年代
#[[もしあの鉄道が国有化されていたら/東日本#頸城鉄道|頸城鉄道が国有化]]され六日町まで延長されたことに。
#現実よりトンネルが少なくその長さが短い。
#*高度成長期に高規格化。
 
;1970年代
#「南北戦争」と呼ばれる地元でのルート争いがなかったのが前提。
#現実ほど高規格ではない。
#*美佐島駅があそこまで堅牢な構造になる事は無かった。
#*ただ、貨物列車の走行に対応した構造になっていた。
#駅名はそこまで奇抜ではない。
#*増田駅(史実のくびき駅)の駅舎も。
#*時期次第では武蔵野線に「武蔵新座」駅ができていた。
#**酷い場合はそちらが「にいざ駅」になっていたかも…
#この路線の開業時から上越新幹線開業まで上野-金沢の「はくたか」が通っていた。
#*新幹線開業後は越後湯沢-金沢だけ存続。
#**北陸新幹線開業後はさすがに廃止か。
#「電車でGO!」には登場しなかった。
#特急「かがやき」は誕生せず。
#*いや、むしろ特急「きらめき」が「かがやき」と名乗っていた可能性がある。
#**「きらめき」は現在、九州の特急列車だから被らなくて済んだだろう。
#急行「よねやま」が柏崎発着に短縮されたかも。
#*むしろ、別途に上野~十日町~直江津間を結ぶ急行「魚沼」が1982年11月頃までに運行されていた。
#2001年3月までに特急「雷鳥」が当路線に乗り入れて、越後湯沢までに運行されていたかもしれない。
#急行「能登」と特急「北陸」が当路線を経由していたかもしれない。
#もし国鉄→JR東日本の運営だったら、北陸新幹線延伸開業までは、故宮脇俊三氏の著書「線路のない時刻表」で書かれていた空想ダイヤそのまんまのダイヤで運行されていた。史実とは違って最高速度はせいぜい110km/hで、高速化特別工事も実施されず。
 
;1982年
#上越新幹線の開業に控えての開業であった。
#*1981年に開業した場合、上越新幹線の開業までに普通列車だけでの運行であった。
#1982年11月15日のダイヤ改正で越後湯沢~金沢間の特急「はくたか」が新設された。
#*特急「きらめき」や「かがやき」が新設されることはなかった。
#*特急「はくたか」は全てJR西日本所属の車両による運行であった。特急「北越」も同様なことになっていたかもしれない。
#*最高速度が130km/hになるように設計されていた。
#*複線化されていたかもしれない。
#*普通列車が115系電車が走行していた。
#*1985年3月14日のダイヤ改正で信越本線経由の特急「白山」は廃止されていた。
#貨物列車が走行できるように設計されていた。
#*寝台特急「北陸」は1982年11月15日のダイヤ改正で当路線経由となり、寝台急行「能登」は上越線経由になっていた。
#*関西~越後湯沢間のシュプール号が運行されていた。
#路線名は「北越線」か「十日町線」になっていた。
#北陸新幹線の延伸により、当路線の処遇を巡り、新潟県と対立していた。
#*北陸新幹線の金沢延伸開業が史実よりも遅れていたかもしれない。
#民営化後にJR西日本は関西発着の特急「サンダーバード」とともに特急「はくたか」の速達化とサービス向上に力を入れていた。
 
===万葉線===
;1910年代
#開業当初の社名は「高岡電気軌道」。
#*いずれにしろ戦時統合で地鉄→加越能→万葉線。
#国鉄新湊線は一度も旅客営業を行うことがなかった。
#*「貨物線なのに独立線名」とはならず、名実共に氷見線の貨物支線になっていた。
#場合によっては戦時統合まで射水線と直通していなかった。
#開業当初の車両が60年代くらいまで走っていた。
#第三セクター化により開業当初に近い社名へ戻される。
#伏木線以外にも廃止になった支線があった。
 
===富山地方鉄道不二越・上滝線===
;1950年代
#この年代だと路線が比較的高規格のはずなので、こちらが立山駅行き特急のルートになっていた。
#*むしろ立山へ行くときに遠回りな五百石線(現立山線)の短絡線として建設されていた。
 
==中国・四国==
===予土線===
;1980年代
#第三セクター線での開業。
#*江川崎-若井は国鉄線として運行されたことがない。
#*会社名や路線名に「四万十」という語句が入る。
#史実通り中村線も経営分離された場合、若井駅が貴重な「異なる会社の三セク線同士の分岐駅」として鉄道ファンに注目される。
#*予土線を受け持っていた3セクが史実の土佐くろしお鉄道に発展すると考えたほうが自然だと思うが。
#**その場合、愛媛県も出資している関係で「予土くろしお鉄道」という社名になっていたかもしれない。
#一部の駅に凝った装飾が施される。
#*候補:土佐大正、土佐昭和、半家
#ディーゼルカーの新幹線は走らなかった。
#*牟岐線や鳴門線辺りに走らせている気がしなくもない。
#*あるいはこの三セク会社が走らせる(JRグループだからこそあった発想のような気もするが)。
 
===木次線===
;1970年代
#全線が最初から国鉄線として建設された。
#そこまでカーブだらけではない。
#*大東町には寄れていない。
#島根・広島の県境は長大トンネルで突破。
#*出雲坂根駅は存在しなかった。
#三江線と同様に全線開業前に「赤字83線」に指定されていた。
#急行ちどりはもう少し存続していた。
#備後落合駅でのスイッチバックが必要でない線形だったかもしれない。
#特定地方交通線指定→解除の経過はほぼ史実通り。
 
===水島臨海鉄道===
;1910年代
#主に連島・福田地区と倉敷市街地や駅を結ぶのが目的。
#*倉敷駅を出てから市街地外周を経由するルートだった。
#戦時体制に入るまではのどかなローカル線だった。
#*戦争中に軍需工場への路線として大幅に輸送力が強化される。
#*その後は史実と大差ない雰囲気に落ち着く。
#**あまりの変貌ぶりのため社会科の教材などで取り上げられる。
#当初の社名は「倉敷軽便鉄道」。
#*軌間762mmで開業していたかもしれない。
 
===アストラムライン===
;1980年代前半
#まずは本通-長楽寺が開業。
#*市内中心部は工事が難航した場合「暫定開業」という形をとっている。
#開業当時の報道ではほとんど「地下鉄」や「モノレール」と表現されている。
#車両の塗装は白っぽい。
#祇園新道やシャレオの建設も早まっているはず。
#バブル期には現実以上の延伸計画が持ち上がる。
#*しかし実際に開業した区間は少ない。
#*1990年頃に[[Wikipedia:ja:西風新都|西風新都]]が完成、長楽寺から広島修道大学の沼田キャンパス辺りまで延伸される。
 
===呉市電===
;1920年代
#史実でもあった広島瓦斯電軌(現在の広島電鉄)の軌道線計画が実現した形。
#軌間は広島市内と同じ1435ミリ。
#広島市-呉市の鉄道線建設が広電の悲願になった。
#*しかし開業することはなかった。
#少なからぬ車両は広島のお古。
#*原爆投下直後は逆に呉の車両が広島へ渡っていたかもしれない。
#人口や並行路線(呉線)の存在を考慮すると現存の可能性は薄い。
#*広電と接続できれば(JRがあの調子なので)それなりに残れた可能性もあったかもだが……
 
===土佐くろしお鉄道===
====ごめん・なはり線====
;1970年代
#キハ40系気動車とキハ54形気動車とキハ58形気動車が当路線を走行していた。
#奈半利~室戸間も着工するが、それでも開業に至らなかった。
#特定地方交通線に指定され、1988年3月に中村線とともに土佐くろしお鉄道に移管していた。
;1990年代
#1996年頃or1997年頃に開業していた可能性が高い。
#2002年7月に室戸まで開業していた。
#*その場合、高知~室戸を結ぶ特急「むろと」か快速「むろと」が運行されていた。
#*奈半利以遠は工事の進捗状況からしてさすがに厳しかった気がする。
#宿毛線の開業が史実よりも早まっていたかもしれない。
 
====宿毛線====
;1970年代
#窪川~中村~宿毛間が宿毛線になっていた。
#*土讃線に編入されていたかもしれない。
#特定地方交通線に指定され、1988年3月に土佐くろしお鉄道に移管していたのは史実通り。
#*その代わりに、路線名は、窪川~中村~宿毛間で宿毛線となっていた。
#1997年10月には、ごめん・なはり線が開業していた。
#*ごめん・なはり線の開業が史実よりも遅れたのは宿毛線の建設に力を注いでいたため。
#宿毛駅が史実とは異なった場所に設置されていた。
#*宇和島方面へ延伸できる構造になっていた。
 
===三江線===
;1980年代以降
#第三セクター鉄道として開業していた。
#観光鉄道として売り出していた。
 
==九州==
===筑豊電気鉄道===
;1930年代
#地元資本(主に炭鉱関係者)とどこかの鉄道会社の合弁。
#*当初の社紋は史実と全く異なる。
#*合弁相手の鉄道会社は[[Wikipedia:ja:九州鉄道 (2代)|九州鉄道(2代目)]]が有力。
#黒崎駅へは自力で乗り入れ。
#戦時統合で西鉄の路線になっていた。
#*路線名は「西鉄筑豊線」。
#開業当初の車両は「関東や関西の私鉄電車に匹敵する」無駄に高性能なもの。
#飯塚辺りまでは何とか開業できていた。
#*それでも八木山峠は結局越えられず。
#貨物輸送はさすがにやっていない。
 
===沖縄都市モノレール===
;終戦直後
#沖縄県の電車復活として開業されるが、アメリカ式の電車として開業していた。
#*沖縄復帰後は国鉄(JR九州?)が一部の路線として生まれ変わるかもしれない。
#*むしろ地元資本による開業。
#**当時のアメリカではインターアーバンが衰退期の真っただ中だった。
#走る車両は一時期のソウルや釜山の市電ばりにアメリカのお古だらけだった。
#*場合によっては一部車両が現在も保存されている。
#少なくとも糸満やコザまでは線路が延びている。
#*コザ暴動で何両か列車が焼き討ちにあっていた。
#そもそもこの場合は730まで列車も右側通行になるんだろうか?
#*現在では右側通行時代の車両が保存されている。
#*併用軌道の区間がない限りわざわざ左側通行に変える必然性はなさそう。
#**自動車が左側通行から右側通行に変更されたスウェーデンや韓国でもそれ以前にできた鉄道(路面電車を除く)は左側通行のまま。
#*そもそも730が出来たのは鉄道がなかったからということも言われますし。
#*「日本国内で右側通行の貴重な鉄道路線」として注目される。
 
;1970年代(返還直後)
#沖縄返還として開業する。もちろんモノレールではなく電車式。
#現実のルートではなさそう。那覇から名護を結ぶ路線になりそう。
#こっちの場合も6年間だけ列車が右側通行になる。
#*もしくは予め左側通行への変更準備が行われていた。
 
;1987年
#[[Wikipedia:ja:第42回国民体育大会|海邦国体]]に間に合うように開業。
#*開業が1年早まった可能性も。
#新都心開発が史実より早まる。
#2000年頃までに4両化される。
#[[もし南西放送が開局していたら|南西放送が開局した]]かも。
#*でもセブンが2000年頃進出するわけないか。
 
;1990年代
#首里城公園が開園した1992年か九州沖縄サミットに開催された2000年(前年の1999年)に開業していた。
#2003年には、浦添前田駅までに延伸開業していた。
#*2019年には、てだこ浦西駅までの延伸開業をしていた。
#*むしろ、2003年にてだこ浦西駅までに開業していた可能性もあった。
#会社自体は82年創設なのでこうならなかったのがむしろ不思議。
#現在までに4両編成化されている。
#那覇新都心における再開発が史実よりも進んでいた。
 
;2001年
#21世紀最初の年に開業いていたこともあって、注目された。
#2002年のFIFAワールドカップの開催を機にラッピング列車が運行されていた。
#沖縄タイムスの移転など那覇新都心の開発事業が史実よりも進んでいた。
#2003年頃に石嶺駅まで先行開業していた可能性もある。
#*てだこ浦西駅までの延伸開業は史実通り2019年に開業していた。
#*いや、当初の予定通り、2019年春に開業していた。
#*2003年にてだこ浦西駅までに延伸していた可能性もある。
 
====首里~てだこ浦西====
;2003年
2003年8月に最初から、那覇空港~首里~てだこ浦西間が開業していたら…
#3両編成で運行されていた。
#浦添市でも住宅団地の整備が史実よりも進んでいた。
#*セブンイレブンやドンキホーテなどの企業が史実よりも早く沖縄県に進出していた。
#*てだこ浦西駅周辺の開発も史実よりも早く進んでいた。
#沖縄県において、パーク&ライドが流行していた。
#首里で折り返す列車は通常ダイヤで設定されなかった。
 
;2015年
#てだこ浦西駅周辺の開発が史実よりも進んでいた。
#2019年の開業の時とあまり変わらなかった?
#浦添市にとって、市制施行45周年という記念すべき年であったので、二重の喜びであった。
 
;2019年春
#てだこ浦西駅周辺の開発が史実よりも進んでいた。
#浦添市の市街化が史実よりも進んでいた。
#当路線でのSuicaの利用開始も延伸開業を機に同時に行われていた。
 
===大分交通別大線===
;1930年代
#別大国道の整備と並行して建設される。
#両端の駅にはターミナルビルのようなものが建設された。
#*大分側にはトキハ本店が入居していたかもしれない。
#大分市内の区間は戦後復興で専用軌道化される。
#もう少し「鉄道線」然とした車両が使われていた。
#場合によっては一部区間が現存していたかもしれない。
#*それでも別府市内の併用軌道部分は廃止される。
#時々身の丈に合わない壮大な延伸計画が持ち上がることもあった。
 
===長崎本線===
;1840年代
#最初はオランダ側が無許可で作ったものなので数年で撤去された。
#*出島のオランダ人は商館長の江戸訪問時を除き島の外に出られなかったのでそれはない。
#開通当初は長崎の住民に恐怖が充満した。
#*むしろ「恐怖半分興味半分」とでも表記したほうが正確な状態では。
#最初はウシが引いていたが、しばらくして蒸気機関車の使用も開始された。
#いったい最初の開業区間はどこなのか…
 
=== 鹿児島本線 (八代~川内~鹿児島) ===
;1900年代
#当然、九州自動車道の八代以南は西回りで建設された。
#人吉~吉松間は建設すらされなかった。
#*代わりに立野-延岡間が1930年頃に全通。
#*現実より急勾配・急曲線が多く、トンネルの数が少ない。
#宮崎方面へは水俣駅で分岐していた。
#人吉は平成の大合併まで市制を敷けなかった。
#現実以上に曲線が多かった。
#*電化時に一部区間の線路が付け替えられる。
 
===福岡市営地下鉄七隈線===
;1980年代
#1000系電車と同じタイプの車両が登場していた。
#天神~橋本間or博多~橋本間として、開業していた。
 
;1990年代
#遅くても、1999年頃までに開業していた。
#3000系電車の登場は史実通り。
#史実通りに天神南~橋本間として、開業していた場合、2005年に天神南~博多間が開業していた。
#*博多駅前道路陥没事故は起きていたのであろうか?
#*九州新幹線が全通した年である2011年に開業していた可能性もある。
#**その代わりに、東日本大震災の影響により、開業記念イベントは中止となっていた。
#キャナルシティ博多の利用客が史実よりも多くなっていた。
#*キャナルシティ博多イーストビルの開業も史実よりも早まっていたかもしれない。
 
==海外==
===英仏海峡トンネル===
;1890年代
ドーバー海峡にトンネルを建設する構想は古くからあり、19世紀に最初の調査・掘削が行われています。
#オリエント急行はロンドン発着だった。
#*後のTEEにも「ブリタニア」「ロンディニウム」などの愛称を持つロンドン発着の列車があった。
#現実より断面が小さい。
#大戦中にドイツ軍の攻撃対象にされた。
#*むしろイギリス上陸作戦の足掛かりとして無傷で確保せよとの指示が出ていた。
#**作戦名も「アシカ作戦」ではなく「ダックスフント作戦」あたりになっていた。
#欧州大陸と同じ規格で建設されたグレート・セントラル本線が真価を発揮できていた。
#*もちろんビーチング・アックスの魔の手にもかからず現役バリバリだった。
;1980年代
1978年に掘削が再開されましたが、その後1986年まで工事中止になってしまいました。
#当初は「世界最長の鉄道トンネル」を名乗った。
#TGVは北線が優先的に建設される。
#日本にカートレインが登場する時期が早まっていた。
#Class 373はTGV Sud-Estをベースとした車両になっていた。
#日本の青函トンネルが開業した年である1988年になっていた可能性もある。
 
===瀋陽地下鉄(中国)===
;1940年代
#要するに、[[もしあの鉄道路線が開業していたら/地下鉄#奉天市地下鉄道(中国)|この計画]]が実現。
#北京ではなくこの地下鉄が「中国初の地下鉄」に。瀋陽市民の自慢ネタが増える。
 
===ソウルメトロ(韓国)===
;1930年代
#[[大阪市高速電気軌道御堂筋線|御堂筋線]]の一部区間のように昭和恐慌の失業者対策の一環で建設された。
#日本時代に建設(開通)した路線は左側通行になる。


==関連項目==
==関連項目==
*[[もしあの駅が別の年に開業していたら]]
*[[ざんねんな音楽事典]]
 
*[[偽ヒット曲の特徴]]
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{{行別|楽曲}}
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 鉄道路線史]]
{{DEFAULTSORT:かつきよくたな}}
[[カテゴリ:もしも借箱/鉄道路線]]
[[Category:Chakupedia]]
[[Category:音楽]]

2021年6月28日 (月) 00:59時点における版

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た~て

ダンシング・ヒーロー

  1. 荻野目洋子の代表作。
    • 原曲は「Eat you up」。
  2. 愛知県をはじめとする東海地方の一部では、何故か盆踊りに使用する。
  3. 2010年代に入り、平野ノラが出囃子に使ったことと、登美丘高等学校ダンス部がコンテストで踊ったことで再注目された。
  4. 1990年代は、とんねるずの番組のコントで使用。
    • 2010年代のカバー版には、当該のコントに使用された振付が流用されている。

Diamonds

  1. プリプリの名曲。
  2. 2013年頃だったかにセンター試験(当時)の公民の問題の題材に使われたらしい。
    • ラジオのDJ風のやつが、曲の後に感想をしゃべり、さらに次の曲へ移るときに「本日は大学入試センター試験ですね。次の曲は全国の受験生の皆さんへの応援ソングです。それでは皆さん,がんばって下さい!」と問題文に書き入れる粋な計らいまでついていたとか。
    • でも、世代的にプリプリ出されても、回答者の大半はわからんだろという声は出なかったのかと思う。

大迷惑(UNICORN)

  1. 転勤・左遷ソングの大定番曲。
    • 実際には1番の歌詞から考えて、左遷ではなく、ただの転勤の悲哀なんだけど、悲壮感漂いすぎて左遷ソング扱い。
    • 3年2か月と、期限が分かっている分、むしろ良いんじゃねえのか、これ。
  2. ♪枕が変わってもするこた同じ ボインの誘惑に出来心
    • ワイフとイチャイチャしたいと言いつつ、浮気してよろしくやってんじゃねえかよとツッコんでしまう。
  3. PVはなぜか、オーケストラとセッションしている。
  4. ボーカルの奥田民生が髪の毛振り乱しながら舞台で、スタジオで歌唱中に大暴れしている。
    • 歌詞以上に悲壮感を漂わせるこの感じ。

高木ブー伝説

  1. インディーズ時代の筋肉少女帯が、高木ブーやドリフの所属事務所のイザワオフィスに無許可で発売した曲。
    • インディーズとしては異例の大ヒットを記録したが、筋少が音楽番組に出演した際にこの曲を演奏したところ、ドリフの所属事務所の関係者を名乗る人物からの苦情の電話が来てしまい、結局自主回収という形で販売中止となってしまった。
      • 因みに苦情の電話は後にイタズラだったことが判明している。
    • その後高木本人が許可を出し、リメイクした『元祖高木ブー伝説』が1989年12月に発売された。
  2. インディーズ版のジャケットイラストは上條淳士が、リメイク版のジャケットイラストは丸尾末広がそれぞれ担当している。
  3. 因みに自主回収から高木が許可を出すまでは、歌詞の「高木」を全て「鼻血」に変えて演奏していた。

旅立ちの日に

  1. 卒業式の定番曲だが、制作されたのは1991年とかなり最近。
    • 元々埼玉県のある中学校で教員たちが卒業生に贈るサプライズソングとして作られたが、その数年後には全国の卒業式で歌われるようになっていった。
    • いつの間にか「仰げば尊し」から定番曲の座を奪っていた。
  2. 川嶋あいの曲ではない(あれは曲名に三点リーダー(…)がある)。

たべちゃうぞ

  1. 1975年に発売されたガチャピンのファーストシングル。
    • 作詞は一般から公募し、吉田拓郎が作曲した。
  2. あまりにも怖過ぎる歌詞の内容に反発や苦情が多く、約二週間で放送中止になってしまった。
  3. 2003年放送の「トリビアの泉」(フジテレビ系)で「ガチャピンが子供を食べようとする歌がある」というトリビアとして紹介されたが、検証VTRの中でガチャピン本人は「記憶にありません」と回答している。

ちかてつ

  1. 果たして今の子供には「かみなり電車」という表現は通じるのだろうか。機器も作詞された時代と比べると大分おとなしくなったし。
    • 機器音以外にも線路の音とかがトンネル内で響くから、それで連想することは可能かもしれない。

地球ネコ

  1. 2003年10月に「おかあさんといっしょ」(NHK)の今月の歌として放送された曲。
    • 作詞・作曲は平沢進。因みに平沢が歌ったバージョンもある。
  2. この曲を聴いた今敏(平沢の大ファン)が平沢に依頼して制作された曲が「夢の島思念公園」(妄想代理人のOP曲)。
    • 今曰く「わざと似せるように」リクエストしたとのこと。

地平を駆ける獅子を見た

  1. 西武ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)の球団歌。
  2. 歌うは、松崎しげる。
    • 彼にとっては、「愛のメモリー」に並ぶ代表作のひとつである。
  3. 西武百貨店でライオンズの応援セールや優勝セールが行われる度、店内BGMとしてヘビーローテーションされている。
    • セゾングループ時代の西友も。
    • ここライバル球団同様、ホームタウンや球団ファンに限らず店舗が地元にあると嫌でも覚えてしまうほどだった。

CHA-CHA-CHA

  1. 石井明美のデビューシングル。
    • 元々はイタリアのダンスグループのシングルのカバー曲。
  2. 勝俣が所属していたアイドルグループではない。
  3. 歌舞伎あるある~早く言いたい~
  4. 実は1986年の最大ヒット曲。
  5. 一発屋と聞いて真っ先に連想する人が多い。
    • そして、必ずと言っていいほど森川由加里「SHOW ME」とセットにされる。
      • どちらも明石家さんま主演の「男女七人~」の主題歌だったのでわからないでもない。

中央フリーウェイ

  1. 1976年に発売された荒井由実(現:松任谷由実)の4枚目のオリジナルアルバム『14番目の月』に収録された曲。
  2. 歌詞は中央自動車道を都心から八王子方面に走っている情景が描かれている。
    • 歌詞に出てくる「調布基地」は東京都に返還された在日米軍調布基地(現:調布飛行場)、「競馬場」はそのまま東京競馬場、「ビール工場」はサントリーの武蔵野ビール工場のことを指している。
      • 因みに東京競馬場では1988年から特別競走として「フリーウェイステークス」が施行されている。
  3. 1988年公開の映画「魔女の宅急便」の主題歌候補にも挙がっていたが、都内の具体的な地名が入っていることもあり結局不採用に。
  4. ♪中央ブリーフ連盟~
  5. 歌詞の通りに風景を見ようとすると290km/hが必要となるらしい。車内で聞くのは問題ないが真似するのは止めましょう。

つばさ(本田美奈子)

  1. もともとはオッペン化粧品のCMソング。
  2. 途中の28秒のロングトーンが有名で、2003年に本田が「題名のない音楽会」に出演した際にはさらに長い30秒間のロングトーンを披露した。

翼をください

  1. 卒業式の定番曲。元々はB面曲だったが、音楽の教科書に収録されてから有名な曲に。
  2. この曲も色々な歌手にカバーされている。
  3. 2000年のFMWの後楽園での大会後に荒井社長が熱唱していた曲。

手紙~拝啓 十五の君へ~

  1. アンジェラ・アキの代表曲。
  2. 「手紙」と付く楽曲は世の中に複数あるが、多分今の若い世代の人が手紙の曲と聞いて最初に思いつくのはこれであろう。
  3. この楽曲を機に、Nコンの中学生の部の課題曲は、著名なアーティストが担当するようになった。
    • 「みんなのうた」で中学生の部の課題曲が流れるようになったのもここから、でもこれは何でなんだろう。

鉄道唱歌

  1. 「汽笛一声新橋を」はあまりにも有名。
    • ただしその新橋駅は現在の汐留駅周辺。
  2. 発車メロディとしても使われている。
    • かつては特急のチャイムにも使われていた。
    • 有名なのは東海道線の新橋駅だっけ?
  3. 実は教育用として作られたことはあまり知られていない。
  4. さすがに一世紀以上前の曲ということもあり、現在と実体が異なる部分も少なくない。
  5. この曲ですべて補完されている訳でなく、歌われていない地域もところどころある。
  6. メロディはいくつかあったが、今知られているメロディ以外のメロディで歌われることは稀。
    • 著作権が切れていることもあり、Wikiに詳細のメロディが乗っている。
      • ちなみに著作権が切れたのは1996年。
  7. JRの実業団チームで使われることも多々ある。
  8. 作詞は大和田建樹。愛媛県出身で教師をやっていた人。
    • なので伊予鉄道編が存在する。
  9. 実は北海道編は後付けで、シリーズに入ったり入らなかったりする。
    • しかし中央線版などはさすがにシリーズに入ることは少ない。
  10. 東海道新幹線開業前には風刺として使われた。
  11. 韓国や北朝鮮ではこの曲が意味を変えて伝わっている。
    • 韓国では学生運動の曲、モンゴルでは女性解放の歌となっているが、北朝鮮では……
  12. 七五調になっているので親しまれたと言われている。
  13. ある年代の人にとっては、山手線の駅名を歌う曲。
  14. ルートは基本鉄道に沿っているが、結構寄り道が多い。が、それも旅ともいえる。
  15. 地域によってはひいきも多い。東海道編でいう京都など。
  16. 現代版鉄道唱歌と呼ばれるものには、MOTERMAN(SUPER BELL"Z)やAMBITIOUS JAPAN!(TOKIO)がある。
    • 楽曲ではないが桃太郎電鉄も趣旨は同じかも。
    • 有志による現代版鉄道唱歌そのものもある。こちらは東京都心を重音テトが歌ったもの。ただし当時は高輪ゲートウェイ未開業。
  17. まだ黎明期だったことからか、省線(現在のJR)・私鉄の垣根はない。
    • 関西・南海編に関しては歌われている路線は現在でいう南海本線がまるまる歌われている。
  18. ところどころ船で渡るシーンもある。
  19. クレヨンしんちゃんでは東海道編をすべて歌うというエピソードがある。
  20. 日清戦争のことが歌われているが、特にGHQによる修正はなかった。
  21. とにかく長い曲と言われて、この曲をイメージされることが多い。
    • 実際、日本一長い曲だという時期が長らく続いていた(2020年現在は日本三位)
  22. 「○○一の大都会」「山は~」という歌詞を結構見かける。
    • 漢数字も結構出てくる。
  23. 一時期日本テレビの『ズームイン!!朝!』でよく歌われていた。

電線音頭

  1. 世間的によく知られているのは、小松政夫とベンジャミン伊東こと伊東四朗が歌唱するバージョンだが・・・
  2. その前に、桂三枝(当時、現・桂文枝)が歌唱したバージョンが存在したことはあまり知られていない。
  3. また、2000年代には、当時流行していたパラパラ風のテクノ調アレンジのバージョンもあった。

闘魂込めて(巨人軍の歌)

  1. 言わずと知れた読売ジャイアンツの球団歌。
    • 作曲は「阪神タイガースの歌(六甲おろし)」や「栄冠は君に輝く」と同じ古関裕而。
      • 2020年のNHKの朝ドラ『エール』でこの曲の制作秘話の場面があったが、よりにもよって放送された日は巨人が日本シリーズで連敗中だった。
  2. 「ミスタージャイアンツ・勝利の旗」という映画で、長嶋茂雄を筆頭とする当時の巨人の主力選手がこの曲を熱唱するシーンがある。
    • 長嶋茂雄のほかには、川上哲治・王貞治・広岡達朗・藤田元司ら豪華なメンバーが揃った。

東京(マイ・ペース)

  1. 下のやしきたかじんの曲に対してこちらは関西以外の人が「東京」という名前を聞いて思いつく曲。
  2. 単発ドラマ版の「東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜」でBEGINがカバーした。
  3. 当時メンバーは名古屋に住んでおり、この曲がヒットしたことで実際に東京に移り住んだ。

東京(やしきたかじん)

  1. 大阪のミドルエイジが歌う「東京」の8割はこの曲。
  2. 作詞が及川眠子。
    • なぜか、全編で詞が関西弁。
  3. ♪祈るように今日も灯がともる東京
    • 東京の部分を大阪に変えて歌う事が多かった晩年のたかじん。

東京音頭

  1. 元々は、東京都の民謡として、盆踊りに使われている。
  2. しかし、全国的にはヤクルトスワローズの応援歌として有名。
    • 元はヤクルトの前身・国鉄スワローズ時代に岡田正泰(後にスワローズの私設応援団団長を務める)が1人で歌いだしたのがきっかけだった。
    • さらに歴史を辿ると、ヤクルトが応援歌に使う遥か前に、東京オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)が応援歌に使ったという記録も残っている。
    • この曲のイントロで「くたばれ読売」と歌うファンが今でも多い。
  3. サッカー・JリーグのFC東京も、応援歌に使っているがあまり知られていない。
    • ヤクルトスワローズとのタイアップで歌うようになった。同じ東京の東京ヴェルディ1969に向けてなのかこちらでも前奏で「くたばれ読売」と歌う。

TOMORROW(岡本真夜)

  1. 岡本真夜にとっての最大のヒット曲であり、唯一のオリコンチャート1位もこの曲で獲得した。
  2. 元々はTBS系のドラマ『セカンド・チャンス』の主題歌。
    • 更に当初の曲調はミディアムバラードだったが、TBSの伊藤プロデューサーに「アップテンポにしてくれ」と言われて作り直したという経緯を持つ。
  3. この曲で年末の紅白歌合戦にも初出場を果たし、翌1996年の選抜高校野球の入場行進曲にも選ばれた。

Tomorrow never knows(Mr.Children)

  1. 言わずと知れたミスチル最大のヒット曲。
  2. 金のしゃちほこ」という仮タイトルが付けられている。
    • 当初は「明日への架け橋」というタイトルだった。
  3. 30分ほどで曲のほとんどが出来上がったらしい。
  4. 断崖絶壁で歌うPVが有名。
    • その為、「崖の歌」と呼んでいる人もいるとか…
  5. 実は和田アキ子がカバーしたことがある。
  6. 実はビートルズがそれ以前に同名の曲を発表している。もちろん歌詞は全く違う。

TRUE LOVE(藤井フミヤ)

  1. ラブソングの定番。
    • 藤井フミヤ曰く、「結婚式に呼ばれるたびに、この曲を歌わされてきた。何度歌ったかわからない。」らしい。
  2. あすなろ白書の主題歌だった。
    • 紅白に出て藤井が歌った際、同番組の主演にしてその年の紅組司会だった石田ひかりに、白組から出たにもかかわらず、花束を贈呈されたりしてる。
  3. 藤井フミヤ名義で初のシングル。
    • 地味にCDが200万枚も売れている。フミヤの最高記録はこの曲。

とびだせヤクルトスワローズ

  1. ヤクルトスワローズの初代球団歌。
    • 当時、歌唱力では球界随一と言われたヤクルトのエースピッチャー・松岡弘により吹き込まれた。

TOKIO

  1. ジャニーズのあのグループとは全く関係ない。沢田研二が1980年に発表した曲。
    • ジャニーズの方がカバーしたこともない。(ただしジャニーズ時代の草彅剛が韓国語でカバーしたことはある。)
  2. 歌唱時にパラシュートを背負う姿が有名。
    • あの派手な衣装が、タケちゃんマンの衣装のモデルになったことはあまりに有名。
  3. 柄本時生の名前の由来はこの曲。
  4. 作詞は「くうねるあそぶ」などのフレ-ズでおなじみの糸井重里。
    • MOTHERやほぼ日の人で通じるのでは?
  5. カブキロックスの「お江戸-O・EDO-」という歌詞改変のカバー版も有名。
  6. 長野新幹線が開通した際に長野でのCM曲にも起用されている(キャッチフレーズ「東京は長野だ」から)。

時のしおり

  1. ♪昭和平成令和へと 心を繋いで生きましょう
    • これがラストサビなんやけど、この1行からいろいろな思いが透けて見える。それくらいいい歌。
  2. 世間一般と異なりチャクウィキではなぜか嫌われている上沼恵美子の曲。
  3. 1番は昭和の時代のことを平成元年に振り返ったことを思い出す。2番は平成期に起きたことを令和元年に振り返ったことを思い出す。そして最後のサビで、みんなで心繋いで生きようというフレーズを残して終わる。ええ曲や。

道頓堀人情

  1. 天童よしみが、これで有名になったという曲。
  2. ♪負けたらあかん 負けたらあかんで東京に~
    • このサビのフレーズが酒を飲みながら有線放送を聞いていたおっちゃんらの琴線に触れヒットした。
  3. 大阪では大ヒットのあまり、サビの部分だけなら年寄りから幼稚園児まで、みんなが歌えるくらいの曲だった。
  4. 天童よしみの曲だと思っている人がほとんどやけど、実は元々は鏡五郎のアルバム収録曲やったらしい。

鳥の詩(杉田かおる)

  1. 実は『池中玄太80キロ』の挿入歌だった。言い換えれば『もしもピアノが弾けたなら』と兄弟的な存在の歌。
    • 実は、西田敏行も劇中で歌っていたらしい。
  2. 一般大衆が「鳥の詩」といわれて思い出す曲。
    • 私はこのページを見て初めて同名異曲があると知ったわ。
  3. ♪私の心が空ならば 必ず優しい鳥が舞う
    • この部分、めっちゃいい比喩だと思う。

鳥の詩(Lia)

  1. Keyが開発したゲーム、及びそれを原作にしたアニメ『AIR』の主題歌。
  2. 一部ネット上では「国歌(くにうた)」とも呼ばれている。まあ一度聞いたら国歌(こっか)にしたい気持ちも分からなくもないが…。
  3. レコーディングはアメリカ・ロサンゼルスのパラマウントスタジオで行われた。
  4. 杉田かおるのデビュー曲ではない。但しこちらもなかなか良い曲だったりする。
  5. LIA名義でのハピコア系リミックスもある、enigmatic LIA2に収録されてる奴のリミキサーは音ゲー界隈で有名なkors kだったりする。

な行

奈良の春日野

  1. 大スター・吉永小百合が19才の時に歌ったもの。
    • いわゆる、別名「鹿のふん」。
    • この曲は、元々1965年に発売され大ヒットした「天満橋から」のB面に収録された曲であった。
  2. しかし、発売からおよそ20年以上後の1986年に奈良出身の明石家さんまがギャグとして取り上げたことで、大きな注目を集めることとなった。
    • きっかけは、フジテレビの人気番組「笑っていいとも」の当時の名物だったタモリ・さんまの雑談コーナーで投書が寄せられ、曲がかけられたことである。
      • この曲の存在は、吉永のファン「サユリスト」としても有名なタモリも知らなかった為、最初は疑ったものの、この曲を聞いたとたん、発狂する程の大ショックを受けた。
      • 一方、さんまはこの曲をいたく気に入って、番組内はもちろん、「いいとも」後の番組「いただきます」でも、関根勤・小堺一機と共に歌って踊って見せた。
  3. そして、フジテレビの人気番組であった『オレたちひょうきん族』でも使われたことが決定打となる。
    • 当時、さんまとツートップを組んでいたビートたけしが、フライデー襲撃事件に伴う謹慎(活動自粛)によって事実上の休止を余儀なくされ、試行錯誤の時期にあった。
      • ギャグは、鹿の着ぐるみを着たさんまたちがこの曲に合わせて踊るというもの。
        • ちなみに、これに使用された踊りは、さんま自ら考案したもの。
  4. さんまのおかげでフジテレビや発売元のビクターに問い合わせが殺到。
    • そして、とうとうビクターは1987年3月、オリジナルのA・B面を入れ替える形で、レコードを発売してしまう。

嘆きのボイン

  1. 昭和を代表する名コミックソング。
    • 80万枚の大ヒットとなり、「ボイン」という言葉を世間に定着させることに成功した。
  2. この曲を歌った月亭可朝曰く、外回りの営業の時に洒落でやっていたのが思いの外受けて、レコード会社に「続きを作れ」と言われて出来た曲とのこと。

名古屋はええよ!やっとかめ

  1. 1985年にリリースされたつボイノリオの楽曲。
    • 当初、タイトルは「大名古屋行進曲」になる予定だったが、「名古屋弁を入れたい」というつボイの要望がありこのタイトルになった。
  2. 1番と2番の冒頭で東京と大阪を「まああかん」と挑発し、これからのパフォーマー、イニシアチブ、そして未来の首都は名古屋と勝手に宣言し、名古屋に関する様々な事柄を歌詞に織り込んでいる。
    • ただ歌詞の中には、何故か岡崎市の郷土菓子の「淡雪」や愛知県の県花の「カキツバタ」が入っている。
  3. 因みにこの曲のイントロは「燃えよドラゴンズ!」のサビに酷似している。
    • そりゃそうだ、作詞・作曲・編曲は燃えドラの山本正之なんだから。
      • その山本が歌ったバージョンもあるが、タイトル・キー・一部の歌詞が異なっている。

情けねえ

  1. とんねるずの17枚目のシングルであり、とんねるずの代表曲の一つ。
  2. 歌詞の内容はこの曲が発売された1991年に勃発した湾岸戦争と、それに対する日本の対応を風刺したものになっている。
    • 当初はラストのコーラスを「サンショウウオ」にしてコミックソングにする予定だったがボツとなった。
      • そのため、とんねるずの曲としては珍しいメッセージ性の強い曲となっている。

涙そうそう

  1. 題名の意味はウチナーグチで「涙がぽろぽろこぼれ落ちること」
    • BEGINがデモテープに仮題としてつけられていたタイトルに触発された森山良子が、早世した兄への思いを込めて詞をつけた。
  2. 一般的には夏川りみの代表曲と思われているが、カバー曲
    • ライブで感動した夏川が同郷で親交のあったBEGINに猛アタックをかけた。
    • カバーのオファーに対し当初は断っていたBEGINだったが、根負けして許可したところ大ヒット。
      • 紅白歌合戦では、森山を含む三者共演での歌唱も行われた。

夏祭り

  1. 夏の曲として毎年上位に来る。
  2. 太鼓の達人で最初に収録された曲。
    • たいていどこでも人気ランキング1位。
    • というかこれといえば太鼓の達人の曲と言っても過言ではないのでは?
  3. カバー曲だと知らない若者も多そう。
    • JITTERIN'JINNのオリジナルも有名だから知ってる人は相当多いと思うけどなあ。白ベリ版も有名だけどさ。
      • 個人的には、Whiteberryがこの曲を歌った当時に散々聞いた話なので、「WhiteberryのオリジナルではなくJITTERIN'JINNというグループの曲」という事だけ知っている。
  4. よく東京ヤクルトスワローズと言われる。
    • 野球ファンはこの曲がカラオケで流れるとついつい「〇〇!(ヤクルトの選手)」と合いの手を入れてしまう(ヤクルトのチャンステーマ)。
  5. 日向坂46ファンはメンバーの影響でサビ前に「あげてけ!」と合いの手を言ってしまう。
  6. この曲は男性視点だが、JITTERIN'JINN版のリリースから20年後、女性視点からの歌詞で再リリースされている。

涙のキッス

  1. 1992年に発売されたサザンオールスターズの31枚目のシングル。
    • 30枚目のシングル「シュラバ★ラ★バンバ」と同時に発売された。
  2. TBS系のドラマ「ずっとあなたが好きだった」の主題歌としても使用された。
  3. 因みにムクちゃん(関口和之)はこの時休養中だったため、この曲には不参加となっている。

虹(電気グルーヴ)

  1. 1997年に発売された電気グルーヴの通算6枚目のシングル。
  2. エウレカセブンの最終回で知った人は何人いるのだろうか…。
  3. 因みにピエール瀧はこの曲の制作には全く関わらず、マリオカートをプレイしていたとのこと。

日本全国酒飲み音頭

  1. 酒が飲めるぞ~♪で有名な名曲。
  2. 1番は1月から12月まで、年中行事などで理由を付けて酒が飲める事を歌い、2番は北海道から沖縄まで、名物や特産品などで理由を付けて酒が飲める事を歌っている。
    • ただし、1番・2番ともに歌詞の終盤にかけて、酒を飲む理由がどんどんいい加減になっていく。
      • 「♪11月は何でもないけど酒が飲めるぞ~」「♪12月はドサクサで酒が飲めるぞ~」「♪沖縄は行った事ないけど酒が飲めるぞ~」
  3. 因みにB面のタイトルは「うそつきおんな」。
  4. 2003年の阪神タイガース優勝時には、当時の主力選手を歌詞に織り込んだ替え歌が発売された。
  5. ディズニーの「ビビデバビデブー」によく似ているが、実はカバーではない。
    • ヒント:作曲クレジット

にんじゃりばんばん

  1. きゃりーぱみゅぱみゅの曲。
  2. オリエンタル・エレクトロ・ポップスとかいうジャンルらしくいかにも近未来といった感じの音だらけで、歌詞も割と支離滅裂。
    • にもかかわらず、実は日本的な音楽要素がふんだんに取り入れられていたりする。例えばヨナ抜き音階の多用とか。この辺、作曲家の中田ヤスタカが好んで使う手法だわね。
  3. 「にんじゃりばんばん」という言葉の意味は、中田ヤスタカもきゃりーぱみゅぱみゅもわからないらしい。なんやそれ。
    • というか、他の曲についても曲名や歌詞の意味なんかないようなものだと思うが。
  4. 最近、とあるゲームのテーマソングになった。

2億4千万の瞳

  1. 郷ひろみの名曲のひとつ。
  2. 元々、国鉄(現・JR)のキャンペーンソングとして作られたことで知られる。
    • 歌詞にある「エキゾチック・ジャパーン」も、元々国鉄の当時のキャッチコピーだった。
  3. 「とんねるずのみなさんのおかげでした」(フジテレビ系)では、この曲を使用した「2億4千万のものまねメドレー選手権」というコーナーが不定期で放送されていた。
    • ちなみに毎度のお約束で優勝はバナナマンの日村勇紀になる。

関連項目

楽曲
あ~お/か~こ/さ~そ/た~の/は~ほ/ま~わ