ページ「もし在京キー局の放送エリアが全国だったら」と「もし北樺太が日本領のままだったら」の間の差分

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#「[[高知|ここ]]に[[テレビ朝日|テレ朝]]無いぞ。」とか「[[沖縄|ここ]]に[[日本テレビ|日テレ]]ないぞ。」と言われることは無かった。
{{Pathnav|もし樺太が日本領のままだったら|name=北樺太}}
#*「[[近畿]](大阪以外)に[[テレビ東京|テレ東]]無いぞ。」なんて事も無かった。
レーニンは北樺太の返還を考えていましたが、実現することはありませんでした。
#**あと北海道の道東も。
*北だけ日本領のままと言うのもなんか変なので、[[もし南樺太が日本領のままだったら|]]と一緒に読むのを推奨します。
#**[[宮城]]や[[静岡]]や[[広島]]も。
==全般==
#*[[秋田|ここ]]に[[TBS]]無いぞ。」なんてことも無かった。
#日本は産油国になっていたので、太平洋戦争は勃発しない。
#*もちろん「[[青森|ここ]]や[[山口|ここ]]に[[フジテレビ|フジ]]無いぞ。」も。
#*当然満州事変も日中戦争も起こらず、第2次大戦においても中立・不干渉を取り続けた。しかし、その後の冷戦下の高度成長期に石油は次第に枯渇して1970年代に日本は石油輸入国に転落し、1980年代の円高でついに廃油田となる。
#*日本全国津々浦々で最低でもNHK+キー局5局が視聴できるようになっていた。
#*OPECにも加盟していた。
#**現実よりも情報格差は小さかった。
#東京~オハ(漢字表記:尾羽or奥端)を結ぶ東日本ベルトができる。
#**地方は現実よりも衰退しなかった。
#*奥端は重箱読みだけど意味的にはいいかも。個人的には「桜葩」を推薦。
#***テレビ以外の格差となると…。
#*尾羽は歴史的仮名遣いだと「ヲハ」なので時代背景的にありあえない。
#ニュースと天気予報だけは47都道府県分詳しく放送する。
#*私としては近くの湖の日本名から取って「音沓戸」を推薦したい
#*某ニュース24のような感じで。
#どっちみち寒いトコ。
#独立U局が全国に存在していた。
#*日本一人口密度の低い都道府県になっていた。
#*AMラジオ兼営が基本。
#もしかしたら第2次大戦中にソビエトに攻められたりして・・・
#*関東・近畿独立U局は現実同様アニメばっかり。
#*北方領土は樺太全土または樺太北部(詳しく言うと敷香岳以南)だったかも
#**[[高知]]と[[新潟]]の独立U局もアニメばっかり。
#平成7年に「北樺太大震災」が発生して大きな被害を受けていた。
#**あるいは通販番組ばっかり。
#*でも4ヶ月前に阪神大震災が起きたため樺太以外ではあまり覚えられていない。
#2011年以降はBSデジタルに完全移行。
#**油田やタンクが爆発炎上して大惨事になったかも。
#*ローカル番組の需要も無視出来ないから、それは無いのでは?
#***「北樺太大震災」で最大の被害を被るのは弁連戸市あたり。
#[[日本テレビ]]は[[もし日本テレビ1社による全国の放送ネットワークが完成していたら|本来の野望]]を達成させた。
#****茶羽刈町(ネフチェゴルスク、ニヴフ語名チャハカルオー)はかなりの被害を受けるが、史実よりはマシ。史実であれほど被害が出たのは建物がかなり雑に造られてたからだし。
#*[[文化放送]]も。
#*北樺太大震災が劇中で発生する朝の連続テレビ小説が作られていた。
#**ラジオも全国放送?
#北樺太にも王子製紙の工場が置かれていた。
#*テレビ朝日の社名は「全国朝日放送」のままだった。
#アイヌだけでなくニヴフ、ウィルタなども「日本の少数民族」として認知される。
#**それか「日本教育テレビ」のままだった可能性も。
#*日本政府に謝罪と賠償を求めるアイヌに対して、ニヴフやウィルタがアイヌに謝罪と賠償を求める運動を開始。
#民放ネットワークは3系列程度に留まっていたであろう。
#*エヴェンキ族は?
#*ネットワークがない代わりに局数が増えていた。
#やはり県名は樺太道か。
#*関東・関西の場合、全国展開する局が3局と各地に系列局を置いてネットワークを構成する史実通りの局が3局の合計6局ぐらいになっている。
#このページも「もし樺太がロシア領のままだったら」になっている。
#*多分TBSはラジオ単営のままだった。
#*樺太の有名人に次々と「もし粛清されていたら」という項目が作られ、挙句ページが分割される。
#*[[もし日本のCATV普及率がアメリカ並みに高かったら|日本でもアメリカなどのようにケーブルテレビ主体になっていた。]]
#岡田嘉子と杉本良吉のソビエトへの亡命はなかったんだろうねえ。
#完全東京偏向編成。
#樺太県庁は豊原だと南過ぎるので、敷香あたりに移されていたかも。
#*アニメ過疎地域があるよりずっとマシ。
#*樺太神社と樺太護国神社も、史実より北の地に建立されていた。
#**アニメに限らないでしょ…。
#**(ソ連侵攻がなければ)樺太護国神社の英霊が、[[日本の神社#北海道護国神社|北海道護国神社]]へ合祀されることはなかった。
#*今のNHKの地方カメラの流し方を見るに、逆に今ほどの東京偏重主義じゃなかった可能性も。
#*地方からの若者流出に歯止めがかかったと思われる。
#**イベントなど目当てだとどうにも…。
#*無駄にローカル局が乱立せず、地方の資本と人材が集結した少数の局により、地域色豊かな番組作りが行われていただろう。
#**「県内第1局と地元新聞社(県内第1局に出資)が携わって第3局・第4局を設立する」という<s>労力の無駄</s>4局化への執念が不要になるわけか。
#*これは現実のNHKに近い形になっていただろう。
#**支局が発言力を持ち出すと、かつての国鉄大阪鉄道管理局みたく、本局に公然と反抗する所も出る可能性もある。
#MBSとABCも全国展開へ。
#*むしろ[[TBS|キー]][[テレビ朝日|局]]に組み込まれ、存在すらしていないんじゃあ…
#*むしろ全国ネットのキー局とは別のローカル局として存続していたと思う。大阪の場合NHK2局+在京キー局5局+ローカル局2局とかいう構成になっていた。
#*MBSとABCはラジオ単営のままで共同出資したテレビ局が全国展開。
#**そこにラジオ東京も加わって、[[8時だョ! 全員集合ファン|全員集合]]や[[新婚さんいらっしゃいファン|新婚さん]]、[[クイズ番組ファン#アップダウンクイズファン|アップダウンクイズ]]などがそのチャンネルで放送されるんだろうか。
#**史実の大阪テレビ放送(ABCテレビの前身)ね。TBSは全国放送するしOTVも全国放送するので、両者間にネット関係は結ばれない。
#[[放送大学]]ももちろん全国展開。
#*民放とは性格が違うため、衛星放送に集約の為に最初から地デジ放送は行わず、地アナ廃止と共に地上波から撤退。
#送信所は富士山山頂におかれ、出力VHF300kW、UHF500kW。
#*333mで50kw送信したとき関東200km圏で、その6倍と高さが10倍なのを考慮すると…沖縄と北海道は大丈夫だろうか?
#**出力以前に地球の丸みに隠れてどうやっても200kmほどが限界。
#***各地方ごとに中継局が置かれていたと思う。
#*デジタル化は地上波ではなく衛星経由で行われた。
#コストが異常にかかってしまい、ほとんど通販番組で埋まる。
#地方局なんか最初からない。
#*むしろ地方局は独立局として存在していた。
#**東京ジャイアニズムに対するアンチテーゼ路線を追求した番組を制作するようになる。「そこまで言って委員会」シリーズなど、関東では放送出来ない番組も独立局発となる(やはりそれでも関東独立局では放送されない)。
#***やがて各地の独立局は共同で部分的なネットワークを組む。
#****サンテレビボックス席は、虎党からのブーイングを受けながらも、中継延長分はサブチャンネル放送に移行する決断をする。
#[[名探偵コナン]]や[[情報ライブ ミヤネ屋ファン|ミヤネ屋]]は日本テレビで制作されていた。
#*[[wikipedia:ja:毎日放送制作日曜夕方5時枠|日5]](旧:土6)や知っとこ!、情熱大陸などもTBSで制作されていた。
#*[[ドラマファン#昼のドラマファン|昼ドラ]]や火曜夜10時枠のドラマもフジテレビで制作されていた。
#*[[プリキュアシリーズ|プリキュア]]や[[探偵!ナイトスクープファン|探偵!ナイトスクープ]]などもテレビ朝日で制作されていた。
#*[[しまじろうファン|しまじろう]]もテレビ東京で制作されていた。
#在京キー局は各地方に支局を設置し、一部をローカル番組に差し替える。天気予報も全国と各地方のものの2つに分かれている。
#日本テレビ系列「[[旅・紀行番組ファン#ぶらり途中下車の旅ファン|ぶらり途中下車の旅]]」も全国ネットになっていた。
#*それに伴って関東以外の地域が取り上げられることも多くなっている。
#*アド街ック天国も関東以外で視聴率が下がることもなく、回数も増える。
#*地方の支局が企画の番組も増えていた。
#一つの局が全国に支局を持ちその支局ごとに1つ1つコールサインが与えられていた。
#*そのため、地域によっては支局が置かれずいずれかの民放が見られないという事態になっていたのでは…?
#**それでも県域縛りがない以上、1つの支局が複数県を担当することで空白地域は回避できていた。さすがに地方区分レベルで空白になることは考えにくいだろうし。
#テレビ東京系列「[[ローカル路線バス乗り継ぎの旅ファン|ローカル路線バス乗り継ぎの旅]]」は全国でフルバージョンが同時ネットで放送されるようになっている。
#ローカル編成の時間帯以外でも、サブチャンネルを活用して各地の独自放送を行うケースも出る。
#ケーブルテレビによる区域外再送信が現実より少なくなるので、それに関する地元局とのいざこざも現実より少なくなっていた。
#*それと共にケーブルテレビ普及率が現実より下がっていた。


[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 放送局史|さいきようきいきよくのほうそうえりあかせんこく]]
==地域別==
[[カテゴリ:東京の放送局|もしほうそうえりあかせんこくたつたら]]
#今返還する場合、ガオト岬=エリザベス岬は、旧漢字の「鵞小門岬」にすると難読なので「我音岬」に漢字変更して改称するが、日露の女性陣から反発が出る。
#*樺太を一周した岡本監輔にちなむ「岡本岬」が採用されてたかもしれない。
#アレクサンドロフスク・サハリンスキーは落石(おっちし)市に。
#ポギビは鉾部(ほこべ)市に名称変更。
#*北寄尾市(ほっきび)っていいじゃね?
#網走刑務所よりも奥端刑務所の方が有名になっている。
#「ゆく年くる年」で奥端神社が最北の神社として紹介される。
#樺太庁の管轄範囲が史実の約2倍になっていた。
#*早々と新庁舎に建て替えらていた。
#*間違いなく県に昇格している。人口も100万人以上はいたと思う。
#ノグリキは「野栗木」に。
#*縫江かもしれない。
#奥端支庁や落石支庁が設置されていた。
#*縫江支庁や鉾部支庁も。
#北部は資源が豊富なので分県運動が起こるかもしれない。
#一回くらいはおはスタやサタ☆スマがスペシャルでオハからロケされてた。
#大きい都市は奥端市・弁連戸市・縫江市・落石市。
#*奥端は稚内より賑わっていたかもしれない。
#*中心都市は奥端市か縫江市(ノグリキ)。
#*南だが敷香も幌内川の河口なので史実より発展していただろう。
#石炭の採掘が現実以上に盛んだったかもしれない。
#稚内市の知名度は現実より低い。
#*前述の通り奥端が「日本最北端の市」として有名になるため。
#**それでも宗谷海峡にトンネルができるまでは樺太の玄関口としてそこそこ発展している。
#*そんなことより千島列島の存在感が薄いかも。
#**もしかすると「樺太全土を領有する代わりに、千島列島は(少なくとも得撫以北は)放棄」ということになっていたかも。
#ロシアと陸続してないので、南樺太だけの場合より文化交流が盛んでいない。
#*むし流刑されたポーランド人やアイヌ人のほうがもっと交流が盛ん。
#**二ヴフ人他は忘れてしまうかも。
#*キリル文字表記は間宮海峡よりの都市しか付けない。
#*もっともロシア系住民もいるので(ロシア革命時に亡命してきた住民含む)、ロシアの影響は皆無ではない。
 
==交通==
===鉄道===
#樺太東線が奥端まで延長され、日本最長の鉄道路線となる。
#*樺太本線に改称されていた。
#*樺太西線は落石まで延長。
#**北海道に既に落石駅があるため「樺太落石駅」になっていた。
#**鉾部(ポギビ)までの延伸も計画されるが、おそらく廃止されているだろう。
#大泊から奥端まで寝台特急が走っていた。
#2050年ごろに新幹線がオハまで開通する。
#*360km/hで走行してもオハまで6時間掛かるので東京からの直通種別はなさそう。
#*さすがに豊原までなんじゃないかと。
#間宮海峡トンネルとベーリング海峡トンネルの計画が具体化する。
#*アメリカやヨーロッパ向けに長大な貨物列車が行き来している。
#*間宮海峡に鉄道道路併用の日露友好橋が架かる。
#**おそらく[[wikipedia:ja:ネヴェリスコイ海峡|ネヴェリスコイ海峡]]辺り。
#*「トランスイート四季島」や「トワイライトエクスプレス瑞風」は国際列車になっていた。
#*「津軽海峡・冬景色」の替え歌で「ベーリング海峡・夏景色」とかいうのが作られていた。
#長大な原油輸送列車が風物詩。
#*そのため北樺太の鉄道ではタキをよく見かける。
#*JR樺太(仮)はJRでは珍しく貨物輸送主体の鉄道になっていた。
#奥端(オハ)駅でおは☆スタやらき☆すたのイベントがある。
#*前者は分かるが、何故後者まで!?
#*奥端ラッキー。
#**そして白石があきら様の横暴によりこっちの方へ飛ばされる訳ですね。分かります。
#*山寺宏一「奥端からおっはー」。
#*こえだちゃんのイベントもやる。「奥端やっほー!」
#現実のサハリンの鉄道が1520mm軌間への改軌を進めていることからして、この場合敷香以南は1435mm軌間、以北は1520mm軌間への改軌を進めていることになる。なお、この場合JR北海道の管轄区間は樺太全島と、さらに大陸ロシアに入ってセリヒノ駅手前までとなる。(セリヒノ駅はロシア国鉄管轄の境界駅)
#ホームではいつも雪だらけ。
#阪田寛夫作詞の童謡「この指超特急」の9番の歌詞が「この指 9番線 オハ行きの超特急〜」になっていた。
 
===その他===
#北にも空港が出来ている。
#*候補としては奥端空港。
#**縫江空港も造られる。
#*夏の観光シーズンには羽田からの直航便も運航されている。
#*普段は札幌(新千歳か丘珠)や豊原からの便が多い。
#樺太にも高等専門学校ができていた。場所は豊原。農漁業と鉱工業を専修する学校で,樺太高等産業学校。通称「カラコウあるいはカラサン」。校章はハンマーに鎌。旧制高校設置までは無理だったろうが,樺太に高等専門学校ができた関係で,北大予科が独立・改組され,札幌高等学校に。カラコウは1930年代に大学に昇格、樺太大学に。外国語学部ロシア語学科が看板の大学に。
#樺太自動車道は北樺太ではほとんどが2車線、PAやSAも無人のものがほとんど
#*新直轄方式の無料路線だった。
#*むしろタンクローリーによる渋滞多発で多車線化が進んでいた。
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[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 戦後処理史]]
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 北海道史]]

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