「考えない技術」の版間の差分
>Mtaniguchi 編集の要約なし |
>Mtaniguchi 編集の要約なし |
||
12行目: | 12行目: | ||
人が星空に星座を最初に思い描いた時、それは純粋な創造であった。というのは、星は星座を描く材料として、意図的に並べられたものではないことが明快だからだ。創造的でない場合は、最初に意図するものがあり、その意図をもとに材料をあらかじめ用意する。その結果、結果が意図を超えることはない。 | 人が星空に星座を最初に思い描いた時、それは純粋な創造であった。というのは、星は星座を描く材料として、意図的に並べられたものではないことが明快だからだ。創造的でない場合は、最初に意図するものがあり、その意図をもとに材料をあらかじめ用意する。その結果、結果が意図を超えることはない。 | ||
星空が創造的な空間なのは、星という星座をつくるための材料が、意図を超えているからではないか。意図を超えたものに意図を見出そうとする結果、意図を超えたものが出てくる。 | |||
このことは、うんたらかんたら | このことは、うんたらかんたら |
2005年5月12日 (木) 09:36時点における版
「考えない技術」というテーマで適当に思いついたことを書き足していきやす。 書き足していった結果、一つのまとまりのある文書になればしめたものです。
はじめに
物事がはっきり見えるには、辺りに光が多いほうがよい。しかしそれは本当だろうか? 例えば星は、明るい昼間にはかえって見えない。辺りが暗いほど、はっきり見える。「星も光ではないか」ということは、考えてはいけない。
物事に正しく対処するには、意識がはっきりしているほどいい。しかしそれも本当だろうか? うんたら
センスについて
人が星空に星座を最初に思い描いた時、それは純粋な創造であった。というのは、星は星座を描く材料として、意図的に並べられたものではないことが明快だからだ。創造的でない場合は、最初に意図するものがあり、その意図をもとに材料をあらかじめ用意する。その結果、結果が意図を超えることはない。
星空が創造的な空間なのは、星という星座をつくるための材料が、意図を超えているからではないか。意図を超えたものに意図を見出そうとする結果、意図を超えたものが出てくる。
このことは、うんたらかんたら
センスについて
センスとは、中心をみつける力ではないか?もっと言えば、意外なところに中心を見つける力ではないかと思う。言い換えれば、分散的な材料の中から、一定のまとまりを求める結果、意外なものが結果として創造される、なんのこっちゃ
モードについて
買い物をするとき、人は大きく二つのモードで商品を見ている。一つは、自分が欲しいものはなにかを探している状態。もう一つは、欲しいもののなかから、どれが良いかを探している状態だ。後者の場合、対象を見ているが、前者の場合は、対象を見ながら、自分の内面を見ている。自分が何が欲しいかという中心を探っているのだ。 うんたら
memo
人が寝ている時、蚊が肌に止まった瞬間、無意識に手が蚊を叩くときがある。その手の動きは考えていないからなめらかで速い。