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*新規登録は曲名の50音順にお願いいたします。
*モノレールは[[もしあの鉄道路線が開業していたら/モノレール]]へ記載するようお願いいたします。
*カバーなど同じ曲が複数のアーティストでシングル発売された場合、曲名を中項目に、アーティスト名を小項目に(発売順で)書いてください。
*地下鉄は[[もしあの鉄道路線が開業していたら/地下鉄]]へ記載するようお願いいたします。
*マンネリ化しているため、同じような意味含めて以下に関する投稿は原則禁止しとします。
==京成関連==
*#○○と言えば未だに○○だった
===東陽町支線構想===
*#(何かしらのチャートで1位を取った歌に際し)○○の1位は○○が取っていた
*現在も構想があるちはら台-海士有木間以外に、東陽町-千葉寺間に新線を作る構想が考えられていたらしい。
*#(主題歌になった作品)は大コケしていた
#流石に千葉市中心部をスルーするわけにはいかないだろうから、千葉線との合流地点は新千葉駅辺りに変更されていた。
*#歌ったアーティストなどの関係者は大ブレイクしなかった(解散していた、引退していた、一発屋の認識だった含め)
#京葉線は旅客化されなかったか、史実よりも更に駅が少なかった。
*#代表曲にならなかった
#*旅客化されていたとしたら東京メトロ有楽町線に乗り入れていたか、史実のりんかい線が京葉線に含まれる形でそのまま新宿へ向かっていた。
*新たな歌の追加は発売、公開(動画や音楽配信サイトへの投稿)からおよそ3ヶ月後を目安にしてください。
#**いずれにせよ新木場駅の構造は史実よりも小規模なものになっている。新木場以東が旅客化されなかったとしたら尚更。
#東陽町が起点だと明らかに不便なので、自力で東京駅辺りまで線路を延ばそうと模索していた。
#*少なくとも東西線との乗り入れは軌間が違うので無理。
#*結局史実の京葉線とほぼ変わりないルートになっていそう。
#東京ディズニーリゾートの親会社が京成であることに誰も違和感を持たない。
#新京成のように京成とは別会社になっていた可能性もある。
#*この路線を運営する会社が「千葉急行電鉄」を名乗っていたかもしれない。


==は行==
===新京成電鉄線(柴又-松戸間)===
===PERFECT HUMAN(RADIO FISH)===
*中矢切地区に用地買収を行った痕跡が実際にあるらしい。
#もちろん、紅白歌合戦への出場はなし。
#京成金町線が本線と分断されることはなかった。
#中田敦彦の弟であるFISHBOYの知名度は史実より下がっていた。
#*柴又駅の構造も史実とは大きく異なっていた。京成金町駅に関しては史実通り。
#PSYの『江南スタイル』との類似性を指摘される機会が史実より減っていた。
#北総鉄道の車両は松戸・柴又経由で最初から都心に乗り入れていた。
#中田譲治がこの曲に絡めたツイートを行うこともなかった。
#*京成高砂―新鎌ヶ谷間の開業はおそらく史実通り。
#オリエンタルラジオのイメージは今でも「インテリ&チャラ男」か「武勇伝」のままだった。
#**新京成線から分岐させる案も出るには出るだろうが、京成高砂―北国分間で運営会社が一区間ごとに変わるのを避けるために結局史実通り京成高砂で分岐にしているはず。
#*逆に京成千葉線への乗り入れがなかった可能性がある。
#新京成の車両も都営浅草線に乗り入れていたかもしれない。
#*8900形は地下鉄直通可能な仕様で作られたため、わずかな改良で乗り入れが実現していた。


===ハイスクールララバイ(イモ欽トリオ)===
===小湊鉄道(未成区間)===
#「やまかつ」「ウリナリ」などバラエティ番組発の企画ユニットはほとんど生まれなかった。
*上総中野-安房小湊間の延長計画があった。
#*それ以前に「ずうとるび」がある。
#国鉄の急行が直通していた。
#各メンバーのソロ活動も地味。
#*当時外房線は大網でスイッチバックしなくてはならなかったが、小湊鐵道経由であればスイッチバックなしで安房鴨川まで行けたため。
#フォーライフ・レコードは倒産して、社長の吉田拓郎や創業者一味の井上陽水らは多額の借金を背負った。
#**そして大網の大規模改造工事は行われなかった。
#欽ドン!の歌手プロジェクトは「イモ欽」で終わり、「よせなべトリオ」「ニックじゃがあず」などのレコードデビューはなかった。
#***総武快速はスイッチバックが面倒という理由で東金経由成東発着に。
#**外房線急行は勝浦止めになり、運転本数も限られた。
#***外房の発展が今より遅れていた。
#*そしてJR東日本になっても特急として存続。
#小湊鐵道がノスタルジー路線をとることはなかった。
#*車両はめっちゃ近代化。
#**それでも大手私鉄の中古車天国だろう。
#*むしろ直流電化していたかも。
#*結果、現在のようなファンはつかなかった。


===はじめてのチュウ(あんしんパパ)===
===城東電気軌道船橋線===
#「≒もし「キテレツ大百科」が大ヒットしなかったら」かもしれない。
*資金不足で着工できなかった下記[[#行船人車軌道|行船人車軌道]]の特許を利用しようとしていた。
#*同曲がエンディングで起用されることもなかった。
#こちらは開業時から電化。
#フォーククルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」と比較されることはなかった。
#史実で越えられなかった荒川、旧江戸川のみならず江戸川も越えられたとすると相当な資金力があった。
#英語カバー版である「My First Kiss」もなかった。
#だが、たとえ戦後まで生き残ったとしても東西線には勝てず廃線。
#キテレツ大百科の主題歌で一番認知度が高いのはTOKIOの「うわさのキッス」だった。
#*「お料理行進曲」では?


===BAD COMMUNICATION(B’z)===
==その他==
#B’zはブレイクしなかった。
===香匝鉄道===
#*最悪の場合、解散していた可能性があった。
八日市場~鏑木~小見川を結ぶ鉄道計画
#**稲葉浩志は史実よりも早くソロ活動をしていた。
#千葉県営鉄道と同時期に成田鉄道に合併していた。
#成田鉄道の他の路線と同時期に不要不急線として営業を休止する。
#戦後、国鉄の手によって路線が再建される。
#復活後も相模線のような単線非電化のままである。
#*銚子電鉄への国鉄乗り入れはこの路線の車両で日常的に行われていた。
#**房総の休日号が乗り入れを中止して以降も有田鉄道の乗り入れが中止される頃までそのまま乗り入れを続ける。
#近年になり電化が行われ、複線化を求める運動が沿線で行われている。
#場合によっては国有化。(鉄道敷設法に小見川ー八日市場を結ぶ路線の記述あり)
#*そもそもこの路線は、国で作ろうとしたものが難しくなったために作った会社だった。


===初音ミクの消失(cosMo@暴走P)===
===北武電気鉄道===
#以降のVOCALOID曲で早口ソングはタブーになっていた。
日暮里~越谷~野田の鉄道計画
#*カラオケで歌いやすい曲でないと流行らないことになっていた。
#舎人地域はベッドタウンとして発展していた。
#*よって「裏表ラバーズ」も「脳漿炸裂ガール」も誕生しなかったかもしれない。
#日暮里・舎人ライナーは存在しなかった。
#*VOCALOID自体も人間では不可能な歌い方をさせる必要はないとされていた。
#*野田市の東京直結鉄道も現実ほど熱を入れてなかったかもしれない。
#**史実ほどV3、V4と技術向上したか不透明。
#**東京直結鉄道(8号延伸線)の終点は野田市駅ではなく八潮駅だった。開業していた場合、当然ながら八潮から直通していた。
#タイトルが縁起でもないからコケたとみなされた。
#**坂東市がこの路線の茨城延長を主張する。
#*人気アニメのパロディだからコケた言われていた。
#**東京直結鉄道が開業した場合、輸送力増強に対応するため、八潮~野田市内が複々線化される。
#*野田以遠まで延伸された場合は尚更。
#現在では鳩ヶ谷への支線や、野田市から岩井、下妻、筑波への延伸の要望がでている。
#*鳩ヶ谷支線は史実の日暮里・舎人ライナー開通の時期に鳩ヶ谷新線として開通する。
#**それ以前に[[埼玉高速鉄道]]が開業したため可能性は低いが。
#この路線を巡って京成、東武、東京都、営団が争っていた。
#*結局戦時統合で東武の1路線になった、総武鉄道(2代目)は現実通り東武野田線に。
#却下された日暮里~坂本はまた免許を取り直し実現。
#同時期に計画された日光急行電気鉄道(千住~野田~日光)や日東電鉄(上野~関宿~日光)を吸収し大路線網をもくろんでいた。
#*旧岩井市以遠の延伸は難しい(石岡の地磁気観測所から30km圏内に入るため直流1500V電化が難しい、ベッドタウン需要が減るため)。
#*高度経済成長期以降、東武が旧岩井市まで延伸した場合、同社(とその子会社)が大規模な住宅開発を行った。


===ハッピー☆マテリアル(麻帆良学園2-A)===
===松木鉄道===
#アニメソングがオリコン上位に入るのは早くても「ハレ晴レユカイ」が元祖だった。
松戸~鎌ヶ谷~白井~木下を結ぶ鉄道計画
#「魔法先生ネギま!」のその後のアニメ化にも影響が出ていた。
#この鉄道をめぐって京成と西武の熾烈な買収合戦があった。
#*原作の展開が史実通りなら、少なくとも第2期の開始は麻帆良祭終了後(2008年以降)になっていた。
#*結局京成電鉄がこの戦いに勝利する。
#NHKの「スキウタ」でこの曲が紹介されることはなかった。
#旧鉄道連隊線の松戸~鎌ヶ谷はそのまま廃止になっていた。
#*「ザ☆ネットスター!」などNHKのオタク媚びは無かったかもしれない。
#松戸~柴又の鉄道はとっくに実現していた。
#*その結果矢切の渡しは消滅していたかもしれない。
#白井から成田方面への鉄道が史実より速く着工されていた。
#*その結果北千葉線は実現していたかもしれない。


===ハナミズキ(一青窈)===
===安総鉄道===
#「もらい泣き」の一発屋という認識で終わっていた。
八幡宿~大多喜~勝浦~館山の鉄道計画
#「行列のできる法律相談所」の「カンボジア学校建設プロジェクト」におけるBGMは違う曲になっていた。
#史実ではこの計画の失敗後に計画された小湊鐵道は存在しなかった。
#映画「ハナミズキ」もなかった。
#改正鉄道敷設法別表第47号に基づいて買収される。
#*新垣結衣がカバーすることもなかった。
#木原線は史実以上に計画が進んでいた。
#「火曜サスペンス劇場」は史実より早く終わっていた。


===パラダイス銀河(光GENJI)===
===千葉県営鉄道北千葉線===
#ジャニーズ事務所は消滅していたかもしれない。
*都営新宿線本八幡駅から千葉ニュータウンを結ぶはずだった計画線。最終的には成田駅への延伸も考えられていたらしい。
#男闘呼組は史実よりブレイクしていた。
#都営新宿線の急行運転はこの路線の開業とともに開始されていた。
#*「DAYBREAK」でその年のオリコン年間1位とレコード大賞を獲っていたかも。
#*瑞江駅の通過線は本来そのために準備されていたらしい。
#光GENJIの名曲と言えば「ガラスの十代」一択だった。
#どう考えても北総鉄道と同様の高額運賃になっていた可能性大。
#*「勇気100%」も後輩にカバーされなかった。
#*いや、新宿に直通できるなど都営新宿線の都心アクセスが浅草線よりも良かったので千葉ニュータウンが現実よりも発展し、運賃もそこまでは高くならなかったかも。
#**「忍たま乱太郎」そのものも現実ほど人気がなかったかも。
#北総鉄道は小室止まりになっていた。
#1989年の選抜高校野球の入場行進曲は「とんぼ」(長渕剛)あたりになっていた。
#*…が、成田新幹線の路盤を流用する形で結局千葉ニュータウン中央→成田空港へ段階的に延伸される。
#高校野球の応援歌の定番曲が一曲減っていた。
#*京王・新宿線が標準軌になっていたら新鎌ヶ谷以遠は北総鉄道又は京成成田スカイアクセス線に乗り入れという形をとっていたかもしれない。
#*「上からマリコ」が存在しなかった可能性がある(2012年のセンバツで大阪桐蔭が披露した時、似ていることが発覚した)
#**新宿・橋本・京王八王子発着の「スカイライナー」が誕生していた。
#アニメ版のMVは制作されなかった。
#建設こそ千葉県営鉄道だが運営は京成電鉄・千葉県などが出資する第三セクターの運営だろう。
#*千葉急行電鉄の二の舞になって公団線の千葉ニュータウン鉄道への移管と同時期に北総鉄道の路線になっていたかもしれない。
#京王の車両が千葉ニュータウンまで乗り入れていた。
#*多摩と千葉の両ニュータウンを直通で結んでいた。


===バラライカ(月島きらりsterling久住小春)===
===九十九里鉄道(未成区間)===
#『きらりんレボリューション』の代表曲は『恋カナ☆』のままだった。
*鳴浜村・豊海村(現・九十九里町)や千葉への延伸が考えられていたという。
#「やらないか」と史実程結び付けられなかった。
#東金街道沿いの路線。
#*この替え歌がニコニコ動画で浸透することも無かったかもしれない。
#国鉄が建設しこちらを東金線としていた。
#[[もしあのアニメが大ヒットしていなかったら/#きらりん☆レボリューション|こうなっていた]]
#[[もしあの私鉄路線が廃止されていなかったら/関東#九十九里鉄道|九十九里鉄道は廃止にならなかった]]


===ハレ晴れユカイ(平野綾、茅原実理、後藤邑子)===
===東京成芝電気鉄道===
#[[涼宮ハルヒファン|涼宮ハルヒの憂鬱]]は[[wikipedia:ja:時系列シャッフル|時系列がシャッフルされていた事]]以外注目すべきポイントが無くなる。
*東平井~中山~鎌ケ谷~印旛沼~成田~芝山~松尾の鉄道計画
#*(音楽的な意味で)「涼宮ハルヒ」といえば「冒険でしょでしょ?」か「God Knows」のどちらかで意見が分かれていた。
#いずれ東武に買収され、同社の「松尾線」となっていた。
#[[らき☆すたファン|らき☆すた]]のOPは別のものになっていた。
#東西線の東陽町以東は存在せず、この路線に乗り入れていた。
#そもそも「涼宮ハルヒの憂鬱」自体が[[もし「涼宮ハルヒの憂鬱」が大ヒットしていなかったら|コケていた]]可能性がある。
#北総鉄道と芝山鉄道は存在しなかった。
#ニコニコ動画を中心に「踊ってみた」文化は生まれなかった。
#成田空港への支線が設けられていた。
#*「踊ってみた」と言えば未だにマイケル・ジャクソンの「Thriller」だった。
#この路線にも「東武エアポートライン」辺りの路線愛称が付けられていた。
#東武伊勢崎線の越中島延伸が実現していたかもしれない。
#千葉ニュータウンの計画に大きく影響が出ていた。
#芝山不動尊の参拝客数は成田山新勝寺と肩を並べるほどになっていた。


===ハロウィン・ナイト(AKB48)===
===流山電鉄(未成区間)===
#ハロウィンソングといえば映画『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』の「This Is Halloween」程度の知名度で終わっていた。
*大正期に流山~野田~関宿と、馬橋~松戸~市川~行徳~砂町~洲崎(現在の東陽町)までの路線延長計画が存在していた。
#*よって、和製ハロウィンソングは生まれなかった。
#少なくとも新京成電鉄のような準大手私鉄になっていた。
#[[もしあの歌が大ヒットしていたら/あ・か行#Crazy Party Night 〜ぱんぷきんの逆襲〜(きゃりーぱみゅぱみゅ)|きゃりーぱみゅぱみゅの「Crazy Party Night 〜ぱんぷきんの逆襲〜」は史実以上に大ヒットしていた]]。
#関宿から境、三和を経由し小山までの路線を伸ばしていた。
#AKB48はもはや過去のアイドル扱いされ、確実にフェードアウトされていた。
#*単独で都心部への延伸を果たしたため、戦後に計画された国鉄による買収(総野線構想)を前提とした延伸ではなくなっていた。
#指原莉乃をセンターに配置したことが(ry
#東西線は開業しなかった。
#*そもそも総選挙シングルでの指原センター路線が長続きしたか怪しくなる。
#*あるいは東陽町以東は流鉄に直通か別ルートで開業していた。
#柏で常磐線と接続する東武野田線と競合するため、野田線の急行が早期から設定されていた。
#*通過運転が柏まで伸びていた。
#もしかしたら戦時統合で流鉄が東武に併合される代わりに、総武鉄道(2代目)が[[もし総武鉄道が東武に併合されなかったら#国鉄→JR東日本|国有化]]された。


===HELLO,SOFMAP WORLD===
===成田空港アクセス鉄道A案===
ソフマップ店内で流れる歌でお馴染み。もし聞き流されるだけで話題にもならなかったら。
[[成田新幹線]]の計画が失効した際に、運輸省内では計画の代替案としてA案(成田新幹線計画ルートの再整備)、B案(北総鉄道を成田空港まで延伸、2010年京成成田空港線として開業)、C案(京成本線・JR成田線を分岐させて成田空港に直結、1991年開業)が提示されB案とC案がのちに開業したが、この時A案が採用されていたらどうなっていただろう。
#ソフマップはビックカメラの子会社化のみならず吸収され消滅していた。
*東京 - 新木場 - 西船橋 - 新鎌ヶ谷 - 小室 - 印旛松虫 - 成田空港
#*同業他社も合併や子会社化と同時にテーマソングを終了していたか企業自体無くなったかも。
#やはり上記の経緯から国鉄→JRの路線として建設される。
#ヨドバシカメラやビックカメラすらCMのリニューアル時に歌の使用を終了していただろう。
#*つくばエクスプレスのように結局第3セクターの路線になっていたかもしれない。
#「ミラクルショッピング 〜ドン・キホーテのテーマ〜」もくりぃむナントカで使用されるほど話題にならなかった。
#*何かの書籍では新木場まで有楽町線の線路を使う予定だったと見た覚えがある。
#CD収録した「エレクトリックパーク」は発売されなかった。
#都営地下鉄新宿線の新鎌ヶ谷延伸計画はなかった、北総線も計画が大幅に見直される。
#英語版など外国語版は製作されなかった。
#京成はいまだに東成田駅が成田空港駅のまま。
#秋葉原自体史実より地味な街になっていた。
#京葉線はりんかい線になっていたかもしれない。
#*アニメの街になったかどうかすら不透明。
#既存並行私鉄(営団・北総など)から反対がおきそう。
#**AKB48は誕生しなかったかもしれない。
#*それ以前に市川あたりの住民からまた反対がおきそう。


===ひこうき雲(荒井由実)===
===東京湾環状鉄道===
#荒井由実はそこまで有名になれなかった。
東京~千葉~富津~横須賀~川崎を結ぶ延長160kmの臨海鉄道を敷設する計画。1943年東京帝国大学の福田武雄教授が「房総国土計画」で提唱した。
#*シンガーソングライターではなく作詞家或いは作曲家として活動していた。
*この鉄道計画のほか、取手~船橋に利根川放水路、印旛沼・手賀沼の干拓、船橋に灌漑・水力発電施設、千葉姉ヶ崎から東京芝浦を埋め立て、姉ヶ崎に空港、千葉~銚子と環状鉄道に並行させる時速140km走行が可能な自動車専用道を建設する計画だった。
#松任谷正隆と結婚することはなかった。
#武蔵野線はこの路線に接続していた。
#*史実通り結婚していた場合、引退していたかもしれない。
#富津~浦賀に鉄道が敷かれているので特急さざなみはこちらを通っていた。
#**結婚せずに音楽活動を続けていた場合、名前は荒井由実のまま。
#*高速道路が並行しているので現実よりシェアは上がっていたかは微妙。
#*松任谷正隆は自動車評論家に専念していた。
#千葉市の人口は120万人を越えていた。
#『風立ちぬ』の主題歌に起用されることはなかった。
#史実の京葉線同様貨物主体の路線になっていた。
#*それ以前に『魔女の宅急便』の主題歌は別の歌手が担当していた。
#*東京~千葉間・富津~横須賀は旅客化されているかもしれないが、それ以外は貨物路線のまま。
#この曲をモチーフにしたドラマは製作されなかった。
#上記の計画が全て実現していたら千葉県は全く違う様相になっていた。
#[[もしあの歌が大ヒットしていたら/は~わ行#飛行機雲(綾瀬はるか)|こうなっていた場合]]、「ひこうきぐも」といえば綾瀬はるかの曲であった。
#*自動車専用道路の一部が圏央道に転用されていた。


===BE TOGETHER(鈴木あみ、現:鈴木亜美)===
===成田鉄道(未成区間)===
#「BE TOGETHER」と言えば今もTM NETWORKのまま。
*「千葉交通100年の歩み」によると、史実にあった成田-三里塚-多古-八日市場の鉄道計画とは別に、成田から現在の国道51号線に沿って北東に進んで香取神宮を通り、更に小見川から利根川を渡って、最終的に鹿島神宮附近まで走らせる鉄道線の構想がありました。結局実現しなかったのですが、これがもし実現したら?
#浜崎あゆみの「Boys & Girls」はもっと早くミリオンに届いていた。
#佐原や小見川はJR以外の私鉄も走っていた。
#*同時期に発売となったモーニング娘。『ふるさと』はもっと売れていた。
#戦後になって改軌されて京成電鉄と相互乗り入れ。
#鈴木亜美は完全に引退していたかもしれない。
#毎年正月は臨時列車が増発される。
#[[#LOVEマシーン(モーニング娘。)|これの場合]]同様[[世紀末オカルト学院ファン|このアニメ]]の予告編でカバーされる事は無かった。
#*俗に言う東国三社(香取神宮・鹿島神宮・息栖神社の総称)を通る事から開運きっぷや全線フリーきっぷ等の企画きっぷが発売される。
#「BE TOGETHER」というフレーズが群馬の某高校の校歌の歌詞に使われることはなかったかも知れない。
#成田空港と鹿島臨海工業地域に支線が誕生して成田空港の燃料輸送はこっちで行われる。よって現在の鹿島臨海鉄道やJR鹿島線は存在しない。
#*使われていた場合、甲子園出場後の注目度は俄然上がっていた。


===瞳をとじて(平井堅)===
===鉄道連隊演習線習志野線===
#タモリにマネされることはもちろんなかった。
*同じく鉄道連隊演習線だった津田沼-松戸間は新京成として開業しましたが津田沼-千葉間を含む他の路線は廃線になりました。
#ミスチルの「Sign」はミリオンに届いたかもしれない。
#津田沼-千葉間で京成と競合するので、そもそも[[もし西武鉄道が○○だったら#新京成線を開通させていたら|津田沼-松戸間が西武に払い下げられた上で]]、千葉までの路線も西武系の鉄道として開業。
#「大きな古時計」をカバーすることはなかったかもしれない。
#ルートが重複する千葉都市モノレール2号線は建設されない。
#*「大きな古時計」のカバーは「瞳をとじて」発売以前に出ていましたが。
#千葉側の終点は当初は千葉公園、後に千葉駅(現東千葉駅)、現中央区役所方面に延伸。
#**でも史実ほどにヒットせず、選抜高校野球の行進曲に選ばれることもなかった。
#四街道方面の支線もある。
#***「大きな古時計」が選抜高校野球の入場行進曲に選ばれたのは2003年。「瞳をとじて」の発売は2004年なので関係ない。
#もちろん「ヒライケンジ」という芸人は存在しなかった。
#世界の中心で愛をさけぶの主題歌と言えばドラマ版の「かたち あるもの」だった。


===フライングゲット(AKB48)===
===行船人車軌道===
#前田敦子をセンターに配置したことがコケた原因とみなされていた。
*行徳-船橋間
#*前田のアンチは現実以上のものとなっていた。
#人力は時代遅れなのでいずれは電化していた。
#*卒業も史実より早かったかも。
#同じく行徳を起点とする東葛人車鉄道と連携していた。
#「ラブフラゲ」という言葉は流行しなかった。
#そして東葛人車鉄道と同時期に廃線。
#キンタロー。のブレイクもなかった。


===Flash dance... What A Feeling(アイリーン・キャラ)===
===航運社鉄道===
#日本でテレビドラマ『スチュワーデス物語』の主題歌として麻倉未稀にカバーされることはなかった。
*江戸川と利根川の短絡を目的に出願するも、利根運河が計画されたため実現せず。
#この曲が主題歌となった映画『フラッシュダンス』もコケていたかも。
#河川舟運を一部置き換えるものだったため当初は貨物中心で途中駅もなし。
#アイリーン・キャラの映画主題歌といえば未だに「Fame」。
#*旅客輸送が多くなってきたら船戸に途中駅を設置。
#反動で次のシングルだった「Why Me」が史実以上に大ヒットしていたかもしれない。
#鉄道が建設されたため、利根運河の建設は行われない
#*東武野田線運河駅は別の駅名。
#*野田線開業時に航運社鉄道側も乗換のために駅を設置。
#つくばエクスプレスは柏たなか-守谷間に、乗り換えのための駅が計画された。
#東京-銚子間で2回積み替えする手間がかかるので、後に東京方面銚子方面に路線を延ばして河川舟運を完全に置き換える計画が出てくる。
#*銚子方面へは特に難所もなく、利根川に沿って建設。
#*当時から利根川水運と水戸街道の交点として栄えていた我孫子宿を経由。
#*その先は安食-滑河間は成田を経由せずに利根川沿いに建設する以外は史実の成田線と変わらず。
#**成田鉄道→成田線は佐倉-成田-滑河の路線で、成田-安食間に鉄道は建設されない。
#*東京方面へは江戸川はじめ大河川を4つも越える必要があるのと、当時既に常磐線の計画があったのが問題になる。
#**もし東京までつながっていたら、野田線は運河駅-梅郷駅-野田市駅間の短い路線なので、航運社鉄道の支線と化す。
#**東京までつながっていなかったとしたら、野田線は史実と同じく柏方面へ建設。史実の柏まで運行する系統の他に、我孫子-運河-野田市で乗り入れ運行する系統がある。
#もし会社が存続していたら松戸鎌ヶ谷より北のバスやタクシーなども東武系列に替わって運行。


===ベイビー・アイ(アリアナ・グランデ)===
===玉総鉄道===
#葉加瀬太郎との共演版は出なかった。
*佐倉-臼井-野田-久喜-熊谷
#*『GO-GO たまごっち!』(2014年10月~2015年3月)のエンディングテーマは別の曲になっていた。
#東武動物公園駅で東武日光線と接続、羽生で伊勢崎線と接続。
#*東武動物公園-浅草間は東武日光線になっている。羽生以北の伊勢崎線(佐野線桐生線など含む)は群馬資本の別会社の路線。
#半蔵門線から東武日光線に乗り入れる列車は全て南栗橋行きで、久喜行きはない。
#路線の重複する柏-野田市-春日部間の野田線・東武動物公園-久喜-羽生間の伊勢崎線・熊谷以東の秩父鉄道は建設されていない。
#千葉県内では成田線総武快速線・京成線・常磐線の培養路線的な性格、埼玉県内では幹線要素の大きい路線となる。
#野田-久喜間は最短で結ぶので春日部駅は通らない。
#伊勢崎線・玉総鉄道・東武線それぞれで初乗り運賃がかかってきたりするので、りょうもうみたいな群馬-浅草の直通列車はない。
#東武は日光線・鬼怒川線・大宮線(大宮-春日部間)のみの路線で規模としては小田急より少し小さいくらいになっている。
#*東上線系統と同じくらいなので、東上線が独立していた。
#玉総鉄道は距離は長いが、東京に直通していない弱みから大手にはなれず準大手私鉄どまり。
#東武バスイースト・阪東自動車・国際十王交通熊谷営業所の高崎線以東の路線・朝日自動車(越谷・太田の2営業所除く)・茨城急行(古河営業所除く)は玉総鉄道系のバス会社になっている。
#東武グループに残るのは日光交通・東武バス日光・東武バスセントラル・東武バスウエスト大宮営業事務所・朝日自動車越谷営業所・茨城急行古河営業所・東北急行バス。
#朝日自動車太田営業所・桐生朝日自動車・関越交通・国際十王交通伊勢崎営業所は羽生以北の伊勢崎線を運営する群馬資本の鉄道会社の系列、東武バスウエスト8大宮営業事務所除く)・川越観光・国際十王交通熊谷営業所高崎線以西の路線は東上鉄道系のバス会社になっている。


===ペンパイナッポーアッポーペン(ピコ太郎)===
===総州鉄道会社===
<!--「恋ダンス」が史実以上に流行ってたというようなネタは書かないほうがいいかと-->
*本所 - 市川 - 船橋 - 千葉 - 佐倉 - 八街 - 芝山 - 八日市 - 銚子
#YouTubeで週間再生数世界一になることはなかった。
*明治20年に鉄道敷設申請を行うも却下される
#2016年の新語・流行語大賞でトップテンに入ることはなかった。
#上記と同じく史実で総武本線が開業するより2年早く千葉に鉄道が通った。
#紅白出場も無ければ武田真一アナが披露することもなかった。
#芝山鉄道以前から芝山町に鉄道が通っている。
#ロングバージョンが披露されることはなかった。
#*総州本線の芝山駅は町域の南側、町役場のある旧二川村側にあるので、芝山鉄道の芝山駅への延伸を町側は求めている。
#*アルバムが発売されることも無かったかもしれない。
#*成田空港の補償として優等列車の芝山駅停車が実現していた。
#PPAPといえば「生産部品承認プロセス」を意味するビジネス用語だった。
#支線として八街から東金・勝浦への鉄道建設案も実現していた。
#天木じゅんが「POOP」として真似をすることもなかった。
#*成東-八日市場と外房線の大網以北は建設されず。
#『別冊コロコロコミック』の表紙にピコ太郎風の衣装を着たケシカスくんが登場し「P(パーフェクト)P(プライスレス)A(オールスター)P(パーフェクト)」とパロディされることはなかった。
#*わかしおは東京駅総州本線ホームから発車し、千葉・佐倉・八街・東金経由で運行。
#パン屋でリンゴとパイナップルを入れた「パンパイナッポーアッポーパン」が出てくることもなかった。
#*遠回りなので高速バスに負け、定期運行終了。
#9GAGが制作し地中に埋めた石碑に刻まれることもなかった。
#*外房線普通列車は八街or佐倉始発。
#2016年の古坂大魔王は北海道新幹線開業関連で仕事が少し増えた程度だった。
#芝山仁王尊が成田山と同じくらいメジャーになっていた。
#外務省から持続可能開発のイメージタレントに選ばれることも無く、持続できてない一発屋が言っても説得力がないと揶揄されることもなかった。


===僕たちは戦わない(AKB48)===
===東葉高速鉄道本八幡方面===
#島崎遥香をセンターに配置したことがコケた原因とみなされていた。
*1965年頃に千葉県内延長調査が行われたそう。史実では西船橋駅を起点として開業。
#*島崎のアンチは現実以上のものとなっていた。
#本八幡から都営新宿線へ乗り入れ。
#*ニャーKBの二の舞になっていた。
#*東葉高速線は馬車軌。
#AKB48の初夏発売シングルの路線変更は失敗したとみなされていた。
#東葉高速沿線の乗客が都営新宿線を利用するため、東西線の混雑が緩和していた。
#*サマーソング以外は大コケするジンクスが出来ていた。
#*西船橋に出ずに市川市に出てしまうため、船橋市街地はますます地位低下。
#*PVで水着にならなかったことを落胆したファンが増えていた。
#中山競馬場へのアクセス路線となっている。
#第7回選抜総選挙の投票数が増えることはなかった。
#*普段は本八幡発の列車が競馬開催日の夕方は中山競馬場駅始発に。
#*SKE48はランクインしたメンバーがAKB48を上回ることはなかった。
#行田団地駅は円の中心。
#新京成線との乗換駅は習志野駅。
#東葉高速鉄道株式会社には東京メトロの替わりに市川市が出資していた。
#東西線は野田線方面に延伸していた。


===ポケモンはらはらリレー(愛河里花子)===
===柳島鉄道===
#「ポケモンはらはらはらはらリレー~むずかし版~」はなかった。
*押上-柴又-流山-水海道
#*「タケシのパラダイス」はもう少し長く使用され続けていた。
#流山に東京に接続する鉄道がすでにあるため、流鉄は建設されず。
#早口言葉を多用したことがコケた原因とみなされていた。
#流山-守谷間はつくばエクスプレスのルート、守谷以北は常総線のルート。
#*「意味不明だ」と発言されることが多くなっていた。
#*よって常総線は建設されず、つくばエクスプレスは守谷-つくば間の第三セクター鉄道で守谷以南は柳島鉄道に乗り入れ。
#愛河里花子は早口言葉が特技であることは広く知られなかった。
#押上-柴又間は京成と競合するため、この路線に免許降りていたら京成は開業していなかった。
#*「ファンカーゴ」のCMで早口言葉を言っている人が彼女だと特定することはなかった。
#*千葉市・房総半島は小湊鉄道(独立系)が、北総・東総は千葉交通(独立系)が、東葛は船橋も含めて東武が戦時統合の中心になっていた。
#**話題にすることもなかったかもしれない。
#*柳島鉄道は城東地区で統合の中心になった。
#*「笑っていいとも!」の早口言葉の先生をやることもなかった。
#*常総線が存在しないため、筑波鉄道は戦時中に鹿島参宮鉄道と合併していた。
#彼女はアルバム「毒気」でのクレームの件もあり、二度と歌に参加することができなかった。


===ポリリズム(Perfume)===
===江南鉄道===
#Perfumeはブレイクできないままだった。
*八日市場-成田-我孫子-久喜-熊谷
#*おそらく解散→3人とも広島に帰ってローカルタレントに、という感じになっていた。
#久喜-東武動物公園間で重複するため、伊勢崎線はルートが史実と異なっている。日光線との分岐点を柳生にして、伊勢崎線は実際のルートと比較して北寄りのルートで館林に向かう。
#**これがダメなら大学進学準備に入る予定だったので、そのまま芸能界を引退してた。
#また野田線の春日部-野田市-柏間は建設されない。
#*或いは事務所の先輩・BOYSTYLEのメンバーのように解散後は女優・タレントとしてソロ活動していたかも。
#交通の結節点となるのは我孫子。柏に変わって我孫子が発展。柏は我孫子に吸収される。
#*逆にAKB48が史実より早くブレイクしていた。
#北総鉄道は船橋から我孫子に接続。柏で東武線に接続しないので、船橋で接続する京成と合併。
#[[ジェフユナイテッド市原・千葉|このチーム]]のネタとして「エジリズム」などという替え歌が作られることもなかった。
#八日市場-成田-我孫子の千葉北部を横断する区間・久喜-熊谷の埼玉北部を横断する区間など、東京につながってない=儲かってないが、重要性は低くはないため、国有化の対象になる。
# AC JAPANのタイアップは以後行われず、HIGEの『青空』や城南海の『ずっとずっと』はタイアップ先は別メディアだった。
#高崎・熊谷から成田、宇都宮・久喜から成田・逆方向の八日市場から成田への空港アクセス列車が走る。
#行田-熊谷間が江南線になっている。秩父鉄道は熊谷まで。
#*行田-羽生間は建設されず、加須から史実の伊勢崎線のルートで江南鉄道の支線が延びている。


===White Love(SPEED)===
===東総電気鉄道===
#SPEEDの解散が早まっていた。
*日暮里-岩井
#*その後の復活ももちろんなかった。
#岩井市が発展していた。
#*デブパレードによる「Body & Soul」のカバーも無かった。
#*猿島町と合併しても坂東市にならず、名前は岩井市のままだった。
#「White Love」の次のシングルもバラード曲にならず、再びアップテンポな曲が採用されていた。
#最短ルートだと八潮-吉川-野田だが、中川を渡るのに橋が直交する必要があるから三郷市も経由するだろう。
#*バラード曲はシングルのカップリングまたはアルバムの一曲としての扱いにとどまっていた。
#千住までは千代田線と重複するため、地上路線を廃止して北綾瀬以南は千代田線への乗り入れに変更。
#*ということは「my graduation」が卒業ソングの定番曲になることもなかったか?
#ギリギリ柿岡地磁気観測所から30キロ圏外なので直流電化。
#「女性アイドルグループのバラード曲は売れない」というジンクスが生まれていた。
#野田で接続する総武鉄道と合併していたか。
#三郷以南でルートが重複するつくばエクスプレスもこの区間では建設されない。
#*北千住-秋葉原間と取手-つくば間は建設され、この間は常磐快速線を利用。


===Bomb A Head!(m.c.A・T)===
===成田急行電鉄===
#m.c.A・Tのラップを批判するラッパーが史実より少なかった。
*安食(成田-我孫子間)-平井
#m.c.A・Tが「仮面ライダーゴースト」に登場する変身ベルト「ゴーストドライバー」の声をやることはなかった。
#戦前に都電と接続する都内区間が開業。
#史実通り、m.c.A・TがDA PUMPをプロデュースしたかもしれない。
#平井以西は東西線と乗り入れを行っている。
#1970年代初頭に市川市を通って総武線の駅まで開業。
#80年代から90年代にかけて千葉ニュータウンまで建設し、10年代に入って小林駅東側までつながる。
#*この区間はニュータウン鉄道と成田高速鉄道アクセスが保有する第3種鉄道。
#安食から先は成田線を経由して成田空港へのアクセス特急を運行。
#*特急は止まらないが快速は安食駅に停車。


==ま行==
[[カテゴリ:もしあの鉄道路線が開業していたら|ちは]]
===負けないで(ZARD)===
[[カテゴリ:千葉|もしあのてつとうろせんかかいきようしていたら]]
#最悪、ZARDは解散してしまっていた可能性も。
#*坂井泉水の逝去時も、史実ほど注目されなかった。
#[[24時間テレビ「愛は地球を救う」ファン|この番組]]で歌われることもなかった。
#*“この番組”で歌われる歌といえば「サライ」だけだったかも。
#*マラソンを走るときに聴きたい曲の代表にならなかった。
#とりあえず名前負けした歌となる。
#1994年選抜高校野球の行進曲は『YAH YAH YAH』(CHAGE and ASKA)になっていた。
#*「ロード」(THE虎舞竜)かも。
#「白鳥麗子でございます!」の再ドラマ化もなかったかもしれない。
#東日本大震災の復興支援ソングに選ばれることもなかった。
#*『東日本大震災の復興支援ソング』といえば、NHK『花は咲く』。
 
===マツケンサンバII(松平健)===
#松平健のバラエティ進出はなかった。
#「マツケン」と言えばほとんどの人は松山ケンイチだと思っている。
#マツケンサンバIIIが作られることもなかった。
#もちろん、パロディも存在しない。
#*ケツメイシが便乗して「ケツメンサンバ」というパロディソングを出すこともなかった。
#*「SMAP×SMAP」のパロディコント「カツケンサンバ」もなかった。
#*嘉門達夫もオレオレ詐欺をネタにした替え歌を歌うこともなかった。
 
===まねきねこダックの歌(たつやくんとマユミーヌ)===
#まねきねこダックのCMがシリーズ化されることはなかった。
#*アフラックのCMに猫が登場し続けることもなかった。
#場合によってはたつやくんよりお姉ちゃん(元AKB48)の方が著名だったかもしれない。
#*「リトル・アインシュタイン」のアニー声優のほうもお忘れなく。
 
===マル・マル・モリ・モリ!(薫と友樹、たまにムック。)===
#「マルモのおきて」は犬が喋ること以外、注目すべきポイントが無くなる。
#そもそも「マルモのおきて」自体が[[もしあのドラマが大ヒットしていなかったら/ま~わ行#マルモのおきて|コケていた]]可能性がある。
#*2011年春期の連続ドラマは「JIN-仁-」の一人勝ちになっていた。
#*芦田愛菜が大ブレイクすることはなかった。
#**鈴木福も大ブレイクしなかった。
#21世紀生まれのオリコンベスト10は未だに達成されていない。
#*21世紀生まれがAKB48の主力メンバーになるまでなかっただろう。
#*HKT48の「桜、みんなで食べた」ではないかと<!--(この曲で2001年生まれのメンバーが選抜入りしている)-->。
 
===みくみくにしてあげる♪【してやんよ】(ika_mo)===
#VOCALOIDは本来の使われ方しか使用されない。
#*初音ミクらのバーチャルアイドル化はなかった。
#**以降のVOCALOIDソフトにキャラ絵は描かれない。
#ドワンゴがJASRACへ信託委託することはなかった。
#*騒動となった末にVOCALOID曲の著作権整備が進むことはなかった。
#*これでクリプトンとドワンゴがこじれた場合ニコニコ動画からVOCALOIDは排除されていた。
#ネギが初音ミクの定番アイテムになることはない。
#*ネギを持たせるネタの発祥はIevan Polkkaだから関係ない。
#「みっくみく」が初音ミクの定番キーワードになることはなかった。
#小林幸子が2014年のコミックマーケットで発売したアルバムは全く違う内容になっていた。
 
===巫女みこナース・愛のテーマ(Chu☆)===
#ドワンゴのCMソングとして使われることはなかった。
#電波ソングはこの時点でエロゲー主題歌界隈でも下火になっていた。
#*初音ミクの登場で再ブームになっていた。
#笹島かほるが歌ってたことを本人が公表することはなかった。
#ファンタジーゾーンの再ブームはなかった。
 
===ムーンライト伝説(DALI)===
#[[もし「美少女戦士セーラームーン」が大ヒットしていなかったら|これ]]が現実化していたかも。
#原曲とされるKEY WEST CLUBの「夢はマジョリカ・セニョリータ」が注目することはなかった。
#*「想い出の九十九里浜」(Mi-ke)に似ている、と指摘されることもなかったか?
#**「さよならはダンスの後に」(倍賞千恵子)も。
 
===めざせポケモンマスター(松本梨香)===
#ポケットモンスターは[[もしポケモンのアニメが○○だったら#○○編で打ち切られたら#カントー編|カントー編で打ち切られた]]。
#*または某事件の影響で[[もし「ポケモンショック」が○○だったら#放送が再開されなかったら|1997年12月に打ち切られた]]。
#松本梨香といえば日向仁(『絶対無敵ライジンオー』)か風助(『忍空』)というイメージになる。
#下手すれば[[もしあのアニメが大ヒットしていなかったら/ふ~ほ#ポケットモンスター|こう]][[もしあのゲームがコケていたら/ポケモン|なる]]。
#『THE夜もヒッパレ』でSPEEDが「めざせポケモンマスター」を歌うこともなかった。
#松本梨香の「歌手」としての認知度が史実より低くなっていた。
#*JAM Projectに呼ばれることはなかったかもしれない。
#*但し、史実どおり『仮面ライダー龍騎』の主題歌を歌っていた場合、その時点で「歌手」としての認知度が上がっていたかもしれない。
#当時の普通のアーティストがアニメの主題歌を担当する潮流に拍車がかかった。
#史実通りアニポケが人気を博して現在まで続いていたとしても、松本梨香が表舞台に姿をあらわすことは少なくなっていた。
 
===女々しくて(ゴールデンボンバー)===
#2012年にブレイクした若手グループといえばももいろクローバーZあるいはサカナクションだった。
#*サカナクションは2012年の時点で紅白歌合戦に出場していた。
 
===メルト(Supercell)===
#初音ミクの客層が従来のオタク層から広まることはなかった。
#*スタイリッシュな曲と合わないとされた。
#**ヲタ芸にピッタリな電波曲が大半を占めていたかもしれない。
#***マジカルミライのようなライブイベントはオタ芸を競うイベントになっていた。
 
===燃えよドラゴンズ!(板東英二他)===
#山本正之は無名の存在かもしれない。
#*タイムボカンシリーズの楽曲も全く別のモノになってたり。
#*「名古屋はええよ!やっとかめ」も売れなかった。
#「嵐の英雄」が中日ドラゴンズの応援歌として認知されている。
#選手の名前が出る球団応援歌自体一般化されていない。
#*むしろ歌詞に選手名を入れたことがコケた要因と見なされた。
 
===MOTER MAN(秋葉原~南浦和)(SUPER BELL"Z)===
#21世紀に入ってからの鉄道ソングは史実ほど多くなかった。
#ニコニコ動画の大変な途中下車シリーズはなかったかもしれない。
#電車の車掌は鉄道ファン以外にとっては地味な存在だった。
#SUPER BELL"Zは早々に解散していただろう。
 
===モスラの歌(ザ・ピーナッツ)===
#「インファントの娘」が名実共に映画『モスラ』のテーマ曲という認識になっていた。
#他の歌手にカバーされることもなかった。
 
===森のくまさん(みんなのうた/ダークダックス)===
<!--みんなのうたでの曲名表記は「森の熊さん」ですが、あえて一般的な表記を使用します-->
#パーマ大佐がネタにすることはなく、著作権騒動も起こらなかった。
#[http://kyoko-np.net/2004120801.html この嘘ニュース]はなかった。
 
==や行==
===YAH YAH YAH(CHAGE and ASKA)===
#「SAY YES」の一発屋で終わっていたため、その後各アーティストの楽曲の作詞・作曲の話が出なかった可能性もある。
#*むしろジャニーズ専属作曲家になっていた。(光GENJIの作曲をしていたことがあるため)
#*「一発屋」って…この節の一番上の文を書いた方は「万里の河」も「モーニングムーン」もご存知ないようですね。確かに当時のグループ名は「CHAGE and ASKA」ではなく「チャゲ&飛鳥」だけれど。
#**しかもチャゲは「SAY YES」がヒットするはるか昔に石川優子とのデュエットで「ふたりの愛ランド」もヒットさせている。
#**「恋人はワイン色」も忘れないでください。
#*間に出した「if」もミリオンセラーなのをご存知ないのか。
#**残念ながらオリコン売上枚数ではヒットでも、世間一般の印象度は低い。
#この曲が主題歌だった「振り返れば奴がいる」もコケていたかも。
#*むしろコケていたらこうなっていた。
#ダブルミリオンを2作持つ歌手が[[Mr.Childrenファン|Mr.Children]]だけになっていた。
#*シングルCDだと、それと[[AKB48]]も(SoundScan Japan)。
#**レコード会社の公称なら[[ジャニーズファン#KinKi Kidsファン|KinKi Kids]]などもそうだったはず。
 
===柳ヶ瀬ブルース(美川憲一)===
#「ご当地ソング」という言葉は広まらなかった。
#小島勇司の「柳ヶ瀬ルンバ」も誕生しなかったかもしれない。
#所ジョージが『嫌がらせブルース』というパロディソングを歌うこともなかった。
 
===U.S.A. (DA PUMP)===
#DA PUMPは過去の歌手扱いされ続けていた。
#*ISSAの不倫の余波がまだ続いていたとみなされていた。
#*「DADAダンス」もどうなったかわからない。
#DA PUMPはユーロビート路線は失敗したとみなされていた。
#いいねダンスが流行することもなかった。
#替え歌のネタにされてしまうこともなかった。
#ISSAは「スカっとジャパン」の神ティーチャーとして出演することはなかった。
#ヤバいTシャツ屋さんの2018年の紅白出場が実現していた。
 
===夢の中へ(井上陽水)===
#「心もよう」以降のシングルもコケていた可能性がある。
#*彼最大のヒット曲である「少年時代」も、誕生しなかったかも。
#斉藤由貴らによるカバーもなかった。
#コミックマーケットの一斉点検で使われる事も無かった。
#アルバム『氷の世界』は100万枚売れず、結局LPはオリコン調べで一度もミリオンヒットを記録せず消えていったかもしれない。
 
===夢をかなえてドラえもん (mao、ひまわりキッズ)===
#[[もし「ドラえもん」が大ヒットしていなかったら#水田わさび版|水田わさび版のドラえもんは長続きしなかった。]]
#*代表曲は夏川りみの「ハグしちゃお」のままで終わっていた。
#maoはそれほどブレイクしなかった。
 
===揺れる想い(ZARD)===
#「負けないで」の一発屋に終わったため、没後6年が過ぎた2013年の時点では完全に忘れ去られていた。
#*あるいは次のシングルあたりで持ち直していた。
#ポカリスエットのCMソングに起用されなかったか、されても現実ほど人気がなかっただろう。
 
===ようこそジャパリパークへ(どうぶつビスケッツ×PPP)===
#ミュージックステーションの連続出演はなかった。
#*古舘伊知郎がフレンズたちに叩かれることもなかった。
#2017年に最もヒットしたアニメ主題歌はLiSAの『Catch the Moment』(劇場版『ソードアート・オンライン』主題歌)だった。
 
===横須賀ストーリー(山口百恵)===
#横須賀を扱った歌といえば、「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」。
#山口百恵の路線変更は失敗したとされていた。
#*史実より早く引退or女優への道を歩んでいただろう。
#宇崎竜童や阿木耀子は宇崎が歌う曲以外で作詞作曲を手掛けることはなかった。
#横須賀といえば今も米軍基地がある都市というイメージだった。
#京急横須賀中央駅の駅メロディになることもない。
 
==ら行==
===Lifetime Respect(三木道三)===
#レゲエ業界でのみ名前が通じた歌手になっていた。
#ネット上で三木道三死亡説も浮上しなかったしスーパーベストコラも作られなかった。
#Mステ出演時の迷言「一発屋の匂いがしませんか?」も生まれなかった。
#アンサーソング「女編」もなかった。
 
===楽園(平井堅)===
#その後の平井堅のブレイクはなかった。
#*そのまま歌手を引退していた可能性も高い。
#*平井堅の代表曲は未だに「Precious Junk」だった。
#当時所属事務所が同じだった江角マキコにCM出演を断られていたら、こうなっていたかもしれない。
#ヒライケンジも登場しなかった。
 
===ラブ・ストーリーは突然に(小田和正)===
#その後フジテレビが小田和正の曲を主題歌に使うことは絶対になかった。
#*TBSも同様で、TBS・フジテレビが小田和正と絶縁していた。
#フジテレビにとって月曜9時は完全に鬼門となった。(=「東京ラブストーリー」が大ハズレだった、ということなので)
#ドラマ+主題歌でヒットさせるという90年代~00年代のドラマの方程式は確立されていなかった。
#少なくとも中高年アーティストの記録樹立で[[サザンオールスターズファン|桑田佳祐]]とデッドヒートを繰り広げることもなかったであろう。
 
===LOVEマシーン(モーニング娘。) ===
*ヒットしなかった結果解散した場合については「[[もしモーニング娘。が解散していたら#『LOVEマシーン』が売れずに解散していたら]]」を参照のこと。
#20世紀中にミリオン達成はなかったかもしれない。
#[[世紀末オカルト学院ファン|このアニメ]]の予告編でカバーされる事は無かった。
#後になってからモー娘が大ブレイクしたとしても、後藤真希はそれほど人気が出なかった。
#*早期卒業もなかったし、卒業前にソロ活動を始めることもなかった。
#プッチモニ結成は無かった。
#*無論「ちょこっとLOVE」のオリコン1位獲得、ミリオン達成も無かった。
#つんく♂はこの曲の原型「まんじゅう娘」を引き続き恥じていた。
#この曲のジャケットの並びの右上からジグザグに順番に卒業するといういわゆるラブマの法則が発見されなかった、もしくは卒業順が前後して成立しなかったかもしれない。
 
===ランバダ(石井明美)===
#「CHA-CHA-CHA」の一発屋という認識で終わっていた。
#日本でも「ランバダ」といえばカオマ一択だった。
 
===Runner(爆風スランプ)===
#江川ほーじん氏のグループ脱退は現実ほど注目されなかった。
#「大きな玉ねぎの下で」が最大のヒット曲となっていた。
#*「無理だ!」の一発屋だったかも。
#高校野球の応援歌の定番曲が一曲減っていた。
#*中日の川又米利や広島の野村謙二郎の応援歌も別の曲になっていた。
#ポケットビスケッツのブレイクもなかったし電波少年の曲を歌うこともなかったかもしれない。
 
===リンゴの唄(並木路子・霧島昇)===
#「第二次世界大戦後の焼け跡で歌われる曲」のイメージが別の曲になっていた。
#*ヒットした時期を考えると『青い山脈』か『東京ブギウギ』あたりが史実の『リンゴの唄』のポジションに位置することになるのか?
 
===ルカルカ★ナイトフィーバー(samfree)===
#巡音ルカ自体ソロで目立つことはなかった。
#*たこルカは誕生しなかった。
#*初音ミク以外のクリプトン製ボカロが重視されることすらなかったかもしれない。
#**初音ミク以外V3すら発売されなかったかもしれない。
#samfreeが「放課後のプレアデス」などアニソンを手掛けることがなかったのは言うまでもない。
#*そして2015年の逝去で騒がれることはなかった。
#*samfree氏を知っているのは彼が作曲したフリー曲素材をED曲として使用している某酷道車載シリーズのファンくらいだったかも。
#「リリリリ★バーニングナイト」も「メグメグ☆ファイアーエンドレスナイト」なども流行らなかった。
 
===ray(BUMP OF CHICKEN)===
#人気J-POPアーティストによる初音ミクとのコラボはタブーになっていた。
#*少なくとも初音ミクは国内では単なる萌えキャラ扱いで終わっていた。
#2015年に安室奈美恵が「B Who I Want 2 B feat. HATSUNE MIKU」を出すことはなかった。
#同年の東京ドーム公演に初音ミクが登場することはなかった。
#*初音ミクがMTV VMAJ 2014にも登場していない。
#*2015年にミュージックステーションに初音ミクが出演したかどうかも不透明。
#*Google Play MusicのCMでBUMP OF CHICKENの時に初音ミクが一緒に出ることはなかった。
 
===Lemon(米津玄師)===
#米津玄師が紅白に出場することはなかった。
#*大塚国際美術館が有名になることはなかった。
#『アンナチュラル』は大コケしていた。
#『ENGEIグランドスラム』でトレンディエンジェル斎藤が替え歌を歌うことはなかった。
#*「U.S.A」の替え歌を歌っていたかも。
#『僕のヒーローアカデミア』の主題歌でもある『ピースサイン』の方が米津の代表曲になっていた。
 
===ロード(THE 虎舞竜)===
#まず13章まで作られない。
#バンドは「なんでもないような事が幸せだったと思う」と悟っていた。
#高橋ジョージは裕福な印税生活を送ることもなかったし、バラエティにすら呼ばれず消滅。もちろん三船美佳とも結婚していなかった。
 
===六兆年と一夜物語(kemu)===
#「IA -ARIA ON THE PLANETES-」はマイナーなボカロで終わっていた。
#*じん(自然の敵P)専用のボカロというイメージになっていた。
#**モータースポーツでのコラボはあれど実態はほとんどカゲプロファン専用のボカロとされファン層が限られたままだった。
#***2015年に赤坂BLITZでワンマンライブを開催しなかったかカゲプロのイベントとしての開催だった。
#*「ONE」が出たかどうか不透明だった。
#**その前に1st placeがボカロから撤退する可能性が高かった。
#*初音ミクなどクリプトン製のボカロやMegpoid以外全く相手にされない時代が続いていただろう。
#**それ以外人気芸能人のボカロが少し話題になる程度だった。
#**辛うじて初音ミクやMegpoidとのデュエットで投稿される程度だった。
#ボーカル無しだったが中古車ガリバーのCMにBGMとして使用されることはなかった。
#二宮和也がボカロ自体を知る機会は無かったかもしれない。
#*ミュージックステーションで紹介されることはなかった。
 
===ロマンスの神様(広瀬香美)===
#その後アルペンのCMソングとして「ウインターソングの女王」などと呼ばれることはなかった。
#*「冬といえば広瀬香美」と言われることもない。
#アーティストではなく作曲やプロデュース業に専念していた可能性も。
 
===Romanticが止まらない(C-C-B)===
#=もし『毎度おさわがせします』がコケていたら、である。
#C-C-Bは関口誠人の脱退とともに解散していたし、もちろん再結成もなかった。
#『電車男』の挿入歌にも内藤大助の入場曲にもならなかった。
 
==わ行==
===わかれうた(中島みゆき)===
「シングルでヒットしていなかったら」という仮定で。
#オリコン史上初の「同一名義で4つの西暦10年代にシングルチャート1位獲得」はサザンオールスターズになっていた。
#ピンク・レディーはオリコンシングルチャートにおいて藤圭子の18週連続1位を遥かに上回る28週連続1位を達成していた。
#「時代」の一発屋に終わったかも。
 
===WAになっておどろう(AGHARTA)===
#「みんなのうた」を見る年代が史実ほど広がらなかった。
#*童謡しか許されなくなっていた。
#**「だんご3兄弟」「おしりかじり虫」の大ヒットは史実通りかも知れないが子どもや家族向けで固定されたままだった。
#*「ぼくはくま」(宇多田ヒカル)などトップアーティストの歌が採用されることはなかっただろう。
#*総合テレビでは打ち切りになり教育テレビ(現Eテレ)でしか放送されなくなっていた。
#長野オリンピック閉会式で披露されることはなかった。
#*V6の曲としか認識されなかった。
#**そもそもV6がカバーしなかったかも。
#*V6自体現実ほどブレイクしてなかったかもしれない。
 
==関連項目==
*[[もしあの歌が大ヒットしていたら]]
{{行別|もしあの歌がコケていたら}}
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 芸能史|あのうたかこけていたらは]]
[[カテゴリ:音楽|もしこけていたらは]]

2021年6月15日 (火) 19:16時点における版

京成関連

東陽町支線構想

  • 現在も構想があるちはら台-海士有木間以外に、東陽町-千葉寺間に新線を作る構想が考えられていたらしい。
  1. 流石に千葉市中心部をスルーするわけにはいかないだろうから、千葉線との合流地点は新千葉駅辺りに変更されていた。
  2. 京葉線は旅客化されなかったか、史実よりも更に駅が少なかった。
    • 旅客化されていたとしたら東京メトロ有楽町線に乗り入れていたか、史実のりんかい線が京葉線に含まれる形でそのまま新宿へ向かっていた。
      • いずれにせよ新木場駅の構造は史実よりも小規模なものになっている。新木場以東が旅客化されなかったとしたら尚更。
  3. 東陽町が起点だと明らかに不便なので、自力で東京駅辺りまで線路を延ばそうと模索していた。
    • 少なくとも東西線との乗り入れは軌間が違うので無理。
    • 結局史実の京葉線とほぼ変わりないルートになっていそう。
  4. 東京ディズニーリゾートの親会社が京成であることに誰も違和感を持たない。
  5. 新京成のように京成とは別会社になっていた可能性もある。
    • この路線を運営する会社が「千葉急行電鉄」を名乗っていたかもしれない。

新京成電鉄線(柴又-松戸間)

  • 中矢切地区に用地買収を行った痕跡が実際にあるらしい。
  1. 京成金町線が本線と分断されることはなかった。
    • 柴又駅の構造も史実とは大きく異なっていた。京成金町駅に関しては史実通り。
  2. 北総鉄道の車両は松戸・柴又経由で最初から都心に乗り入れていた。
    • 京成高砂―新鎌ヶ谷間の開業はおそらく史実通り。
      • 新京成線から分岐させる案も出るには出るだろうが、京成高砂―北国分間で運営会社が一区間ごとに変わるのを避けるために結局史実通り京成高砂で分岐にしているはず。
    • 逆に京成千葉線への乗り入れがなかった可能性がある。
  3. 新京成の車両も都営浅草線に乗り入れていたかもしれない。
    • 8900形は地下鉄直通可能な仕様で作られたため、わずかな改良で乗り入れが実現していた。

小湊鉄道(未成区間)

  • 上総中野-安房小湊間の延長計画があった。
  1. 国鉄の急行が直通していた。
    • 当時外房線は大網でスイッチバックしなくてはならなかったが、小湊鐵道経由であればスイッチバックなしで安房鴨川まで行けたため。
      • そして大網の大規模改造工事は行われなかった。
        • 総武快速はスイッチバックが面倒という理由で東金経由成東発着に。
      • 外房線急行は勝浦止めになり、運転本数も限られた。
        • 外房の発展が今より遅れていた。
    • そしてJR東日本になっても特急として存続。
  2. 小湊鐵道がノスタルジー路線をとることはなかった。
    • 車両はめっちゃ近代化。
      • それでも大手私鉄の中古車天国だろう。
    • むしろ直流電化していたかも。
    • 結果、現在のようなファンはつかなかった。

城東電気軌道船橋線

  • 資金不足で着工できなかった下記行船人車軌道の特許を利用しようとしていた。
  1. こちらは開業時から電化。
  2. 史実で越えられなかった荒川、旧江戸川のみならず江戸川も越えられたとすると相当な資金力があった。
  3. だが、たとえ戦後まで生き残ったとしても東西線には勝てず廃線。

その他

香匝鉄道

八日市場~鏑木~小見川を結ぶ鉄道計画

  1. 千葉県営鉄道と同時期に成田鉄道に合併していた。
  2. 成田鉄道の他の路線と同時期に不要不急線として営業を休止する。
  3. 戦後、国鉄の手によって路線が再建される。
  4. 復活後も相模線のような単線非電化のままである。
    • 銚子電鉄への国鉄乗り入れはこの路線の車両で日常的に行われていた。
      • 房総の休日号が乗り入れを中止して以降も有田鉄道の乗り入れが中止される頃までそのまま乗り入れを続ける。
  5. 近年になり電化が行われ、複線化を求める運動が沿線で行われている。
  6. 場合によっては国有化。(鉄道敷設法に小見川ー八日市場を結ぶ路線の記述あり)
    • そもそもこの路線は、国で作ろうとしたものが難しくなったために作った会社だった。

北武電気鉄道

日暮里~越谷~野田の鉄道計画

  1. 舎人地域はベッドタウンとして発展していた。
  2. 日暮里・舎人ライナーは存在しなかった。
    • 野田市の東京直結鉄道も現実ほど熱を入れてなかったかもしれない。
      • 東京直結鉄道(8号延伸線)の終点は野田市駅ではなく八潮駅だった。開業していた場合、当然ながら八潮から直通していた。
      • 坂東市がこの路線の茨城延長を主張する。
      • 東京直結鉄道が開業した場合、輸送力増強に対応するため、八潮~野田市内が複々線化される。
    • 野田以遠まで延伸された場合は尚更。
  3. 現在では鳩ヶ谷への支線や、野田市から岩井、下妻、筑波への延伸の要望がでている。
    • 鳩ヶ谷支線は史実の日暮里・舎人ライナー開通の時期に鳩ヶ谷新線として開通する。
  4. この路線を巡って京成、東武、東京都、営団が争っていた。
    • 結局戦時統合で東武の1路線になった、総武鉄道(2代目)は現実通り東武野田線に。
  5. 却下された日暮里~坂本はまた免許を取り直し実現。
  6. 同時期に計画された日光急行電気鉄道(千住~野田~日光)や日東電鉄(上野~関宿~日光)を吸収し大路線網をもくろんでいた。
    • 旧岩井市以遠の延伸は難しい(石岡の地磁気観測所から30km圏内に入るため直流1500V電化が難しい、ベッドタウン需要が減るため)。
    • 高度経済成長期以降、東武が旧岩井市まで延伸した場合、同社(とその子会社)が大規模な住宅開発を行った。

松木鉄道

松戸~鎌ヶ谷~白井~木下を結ぶ鉄道計画

  1. この鉄道をめぐって京成と西武の熾烈な買収合戦があった。
    • 結局京成電鉄がこの戦いに勝利する。
  2. 旧鉄道連隊線の松戸~鎌ヶ谷はそのまま廃止になっていた。
  3. 松戸~柴又の鉄道はとっくに実現していた。
    • その結果矢切の渡しは消滅していたかもしれない。
  4. 白井から成田方面への鉄道が史実より速く着工されていた。
    • その結果北千葉線は実現していたかもしれない。

安総鉄道

八幡宿~大多喜~勝浦~館山の鉄道計画

  1. 史実ではこの計画の失敗後に計画された小湊鐵道は存在しなかった。
  2. 改正鉄道敷設法別表第47号に基づいて買収される。
  3. 木原線は史実以上に計画が進んでいた。

千葉県営鉄道北千葉線

  • 都営新宿線本八幡駅から千葉ニュータウンを結ぶはずだった計画線。最終的には成田駅への延伸も考えられていたらしい。
  1. 都営新宿線の急行運転はこの路線の開業とともに開始されていた。
    • 瑞江駅の通過線は本来そのために準備されていたらしい。
  2. どう考えても北総鉄道と同様の高額運賃になっていた可能性大。
    • いや、新宿に直通できるなど都営新宿線の都心アクセスが浅草線よりも良かったので千葉ニュータウンが現実よりも発展し、運賃もそこまでは高くならなかったかも。
  3. 北総鉄道は小室止まりになっていた。
    • …が、成田新幹線の路盤を流用する形で結局千葉ニュータウン中央→成田空港へ段階的に延伸される。
    • 京王・新宿線が標準軌になっていたら新鎌ヶ谷以遠は北総鉄道又は京成成田スカイアクセス線に乗り入れという形をとっていたかもしれない。
      • 新宿・橋本・京王八王子発着の「スカイライナー」が誕生していた。
  4. 建設こそ千葉県営鉄道だが運営は京成電鉄・千葉県などが出資する第三セクターの運営だろう。
    • 千葉急行電鉄の二の舞になって公団線の千葉ニュータウン鉄道への移管と同時期に北総鉄道の路線になっていたかもしれない。
  5. 京王の車両が千葉ニュータウンまで乗り入れていた。
    • 多摩と千葉の両ニュータウンを直通で結んでいた。

九十九里鉄道(未成区間)

  • 鳴浜村・豊海村(現・九十九里町)や千葉への延伸が考えられていたという。
  1. 東金街道沿いの路線。
  2. 国鉄が建設しこちらを東金線としていた。
  3. 九十九里鉄道は廃止にならなかった

東京成芝電気鉄道

  • 東平井~中山~鎌ケ谷~印旛沼~成田~芝山~松尾の鉄道計画
  1. いずれ東武に買収され、同社の「松尾線」となっていた。
  2. 東西線の東陽町以東は存在せず、この路線に乗り入れていた。
  3. 北総鉄道と芝山鉄道は存在しなかった。
  4. 成田空港への支線が設けられていた。
  5. この路線にも「東武エアポートライン」辺りの路線愛称が付けられていた。
  6. 東武伊勢崎線の越中島延伸が実現していたかもしれない。
  7. 千葉ニュータウンの計画に大きく影響が出ていた。
  8. 芝山不動尊の参拝客数は成田山新勝寺と肩を並べるほどになっていた。

流山電鉄(未成区間)

  • 大正期に流山~野田~関宿と、馬橋~松戸~市川~行徳~砂町~洲崎(現在の東陽町)までの路線延長計画が存在していた。
  1. 少なくとも新京成電鉄のような準大手私鉄になっていた。
  2. 関宿から境、三和を経由し小山までの路線を伸ばしていた。
    • 単独で都心部への延伸を果たしたため、戦後に計画された国鉄による買収(総野線構想)を前提とした延伸ではなくなっていた。
  3. 東西線は開業しなかった。
    • あるいは東陽町以東は流鉄に直通か別ルートで開業していた。
  4. 柏で常磐線と接続する東武野田線と競合するため、野田線の急行が早期から設定されていた。
    • 通過運転が柏まで伸びていた。
  5. もしかしたら戦時統合で流鉄が東武に併合される代わりに、総武鉄道(2代目)が国有化された。

成田空港アクセス鉄道A案

成田新幹線の計画が失効した際に、運輸省内では計画の代替案としてA案(成田新幹線計画ルートの再整備)、B案(北総鉄道を成田空港まで延伸、2010年京成成田空港線として開業)、C案(京成本線・JR成田線を分岐させて成田空港に直結、1991年開業)が提示されB案とC案がのちに開業したが、この時A案が採用されていたらどうなっていただろう。

  • 東京 - 新木場 - 西船橋 - 新鎌ヶ谷 - 小室 - 印旛松虫 - 成田空港
  1. やはり上記の経緯から国鉄→JRの路線として建設される。
    • つくばエクスプレスのように結局第3セクターの路線になっていたかもしれない。
    • 何かの書籍では新木場まで有楽町線の線路を使う予定だったと見た覚えがある。
  2. 都営地下鉄新宿線の新鎌ヶ谷延伸計画はなかった、北総線も計画が大幅に見直される。
  3. 京成はいまだに東成田駅が成田空港駅のまま。
  4. 京葉線はりんかい線になっていたかもしれない。
  5. 既存並行私鉄(営団・北総など)から反対がおきそう。
    • それ以前に市川あたりの住民からまた反対がおきそう。

東京湾環状鉄道

東京~千葉~富津~横須賀~川崎を結ぶ延長160kmの臨海鉄道を敷設する計画。1943年東京帝国大学の福田武雄教授が「房総国土計画」で提唱した。

  • この鉄道計画のほか、取手~船橋に利根川放水路、印旛沼・手賀沼の干拓、船橋に灌漑・水力発電施設、千葉姉ヶ崎から東京芝浦を埋め立て、姉ヶ崎に空港、千葉~銚子と環状鉄道に並行させる時速140km走行が可能な自動車専用道を建設する計画だった。
  1. 武蔵野線はこの路線に接続していた。
  2. 富津~浦賀に鉄道が敷かれているので特急さざなみはこちらを通っていた。
    • 高速道路が並行しているので現実よりシェアは上がっていたかは微妙。
  3. 千葉市の人口は120万人を越えていた。
  4. 史実の京葉線同様貨物主体の路線になっていた。
    • 東京~千葉間・富津~横須賀は旅客化されているかもしれないが、それ以外は貨物路線のまま。
  5. 上記の計画が全て実現していたら千葉県は全く違う様相になっていた。
    • 自動車専用道路の一部が圏央道に転用されていた。

成田鉄道(未成区間)

  • 「千葉交通100年の歩み」によると、史実にあった成田-三里塚-多古-八日市場の鉄道計画とは別に、成田から現在の国道51号線に沿って北東に進んで香取神宮を通り、更に小見川から利根川を渡って、最終的に鹿島神宮附近まで走らせる鉄道線の構想がありました。結局実現しなかったのですが、これがもし実現したら?
  1. 佐原や小見川はJR以外の私鉄も走っていた。
  2. 戦後になって改軌されて京成電鉄と相互乗り入れ。
  3. 毎年正月は臨時列車が増発される。
    • 俗に言う東国三社(香取神宮・鹿島神宮・息栖神社の総称)を通る事から開運きっぷや全線フリーきっぷ等の企画きっぷが発売される。
  4. 成田空港と鹿島臨海工業地域に支線が誕生して成田空港の燃料輸送はこっちで行われる。よって現在の鹿島臨海鉄道やJR鹿島線は存在しない。

鉄道連隊演習線習志野線

  • 同じく鉄道連隊演習線だった津田沼-松戸間は新京成として開業しましたが津田沼-千葉間を含む他の路線は廃線になりました。
  1. 津田沼-千葉間で京成と競合するので、そもそも津田沼-松戸間が西武に払い下げられた上で、千葉までの路線も西武系の鉄道として開業。
  2. ルートが重複する千葉都市モノレール2号線は建設されない。
  3. 千葉側の終点は当初は千葉公園、後に千葉駅(現東千葉駅)、現中央区役所方面に延伸。
  4. 四街道方面の支線もある。

行船人車軌道

  • 行徳-船橋間
  1. 人力は時代遅れなのでいずれは電化していた。
  2. 同じく行徳を起点とする東葛人車鉄道と連携していた。
  3. そして東葛人車鉄道と同時期に廃線。

航運社鉄道

  • 江戸川と利根川の短絡を目的に出願するも、利根運河が計画されたため実現せず。
  1. 河川舟運を一部置き換えるものだったため当初は貨物中心で途中駅もなし。
    • 旅客輸送が多くなってきたら船戸に途中駅を設置。
  2. 鉄道が建設されたため、利根運河の建設は行われない
    • 東武野田線運河駅は別の駅名。
    • 野田線開業時に航運社鉄道側も乗換のために駅を設置。
  3. つくばエクスプレスは柏たなか-守谷間に、乗り換えのための駅が計画された。
  4. 東京-銚子間で2回積み替えする手間がかかるので、後に東京方面銚子方面に路線を延ばして河川舟運を完全に置き換える計画が出てくる。
    • 銚子方面へは特に難所もなく、利根川に沿って建設。
    • 当時から利根川水運と水戸街道の交点として栄えていた我孫子宿を経由。
    • その先は安食-滑河間は成田を経由せずに利根川沿いに建設する以外は史実の成田線と変わらず。
      • 成田鉄道→成田線は佐倉-成田-滑河の路線で、成田-安食間に鉄道は建設されない。
    • 東京方面へは江戸川はじめ大河川を4つも越える必要があるのと、当時既に常磐線の計画があったのが問題になる。
      • もし東京までつながっていたら、野田線は運河駅-梅郷駅-野田市駅間の短い路線なので、航運社鉄道の支線と化す。
      • 東京までつながっていなかったとしたら、野田線は史実と同じく柏方面へ建設。史実の柏まで運行する系統の他に、我孫子-運河-野田市で乗り入れ運行する系統がある。
  5. もし会社が存続していたら松戸鎌ヶ谷より北のバスやタクシーなども東武系列に替わって運行。

玉総鉄道

  • 佐倉-臼井-野田-久喜-熊谷
  1. 東武動物公園駅で東武日光線と接続、羽生で伊勢崎線と接続。
    • 東武動物公園-浅草間は東武日光線になっている。羽生以北の伊勢崎線(佐野線桐生線など含む)は群馬資本の別会社の路線。
  2. 半蔵門線から東武日光線に乗り入れる列車は全て南栗橋行きで、久喜行きはない。
  3. 路線の重複する柏-野田市-春日部間の野田線・東武動物公園-久喜-羽生間の伊勢崎線・熊谷以東の秩父鉄道は建設されていない。
  4. 千葉県内では成田線総武快速線・京成線・常磐線の培養路線的な性格、埼玉県内では幹線要素の大きい路線となる。
  5. 野田-久喜間は最短で結ぶので春日部駅は通らない。
  6. 伊勢崎線・玉総鉄道・東武線それぞれで初乗り運賃がかかってきたりするので、りょうもうみたいな群馬-浅草の直通列車はない。
  7. 東武は日光線・鬼怒川線・大宮線(大宮-春日部間)のみの路線で規模としては小田急より少し小さいくらいになっている。
    • 東上線系統と同じくらいなので、東上線が独立していた。
  8. 玉総鉄道は距離は長いが、東京に直通していない弱みから大手にはなれず準大手私鉄どまり。
  9. 東武バスイースト・阪東自動車・国際十王交通熊谷営業所の高崎線以東の路線・朝日自動車(越谷・太田の2営業所除く)・茨城急行(古河営業所除く)は玉総鉄道系のバス会社になっている。
  10. 東武グループに残るのは日光交通・東武バス日光・東武バスセントラル・東武バスウエスト大宮営業事務所・朝日自動車越谷営業所・茨城急行古河営業所・東北急行バス。
  11. 朝日自動車太田営業所・桐生朝日自動車・関越交通・国際十王交通伊勢崎営業所は羽生以北の伊勢崎線を運営する群馬資本の鉄道会社の系列、東武バスウエスト8大宮営業事務所除く)・川越観光・国際十王交通熊谷営業所高崎線以西の路線は東上鉄道系のバス会社になっている。

総州鉄道会社

  • 本所 - 市川 - 船橋 - 千葉 - 佐倉 - 八街 - 芝山 - 八日市 - 銚子
  • 明治20年に鉄道敷設申請を行うも却下される
  1. 上記と同じく史実で総武本線が開業するより2年早く千葉に鉄道が通った。
  2. 芝山鉄道以前から芝山町に鉄道が通っている。
    • 総州本線の芝山駅は町域の南側、町役場のある旧二川村側にあるので、芝山鉄道の芝山駅への延伸を町側は求めている。
    • 成田空港の補償として優等列車の芝山駅停車が実現していた。
  3. 支線として八街から東金・勝浦への鉄道建設案も実現していた。
    • 成東-八日市場と外房線の大網以北は建設されず。
    • わかしおは東京駅総州本線ホームから発車し、千葉・佐倉・八街・東金経由で運行。
    • 遠回りなので高速バスに負け、定期運行終了。
    • 外房線普通列車は八街or佐倉始発。
  4. 芝山仁王尊が成田山と同じくらいメジャーになっていた。

東葉高速鉄道本八幡方面

  • 1965年頃に千葉県内延長調査が行われたそう。史実では西船橋駅を起点として開業。
  1. 本八幡から都営新宿線へ乗り入れ。
    • 東葉高速線は馬車軌。
  2. 東葉高速沿線の乗客が都営新宿線を利用するため、東西線の混雑が緩和していた。
    • 西船橋に出ずに市川市に出てしまうため、船橋市街地はますます地位低下。
  3. 中山競馬場へのアクセス路線となっている。
    • 普段は本八幡発の列車が競馬開催日の夕方は中山競馬場駅始発に。
  4. 行田団地駅は円の中心。
  5. 新京成線との乗換駅は習志野駅。
  6. 東葉高速鉄道株式会社には東京メトロの替わりに市川市が出資していた。
  7. 東西線は野田線方面に延伸していた。

柳島鉄道

  • 押上-柴又-流山-水海道
  1. 流山に東京に接続する鉄道がすでにあるため、流鉄は建設されず。
  2. 流山-守谷間はつくばエクスプレスのルート、守谷以北は常総線のルート。
    • よって常総線は建設されず、つくばエクスプレスは守谷-つくば間の第三セクター鉄道で守谷以南は柳島鉄道に乗り入れ。
  3. 押上-柴又間は京成と競合するため、この路線に免許降りていたら京成は開業していなかった。
    • 千葉市・房総半島は小湊鉄道(独立系)が、北総・東総は千葉交通(独立系)が、東葛は船橋も含めて東武が戦時統合の中心になっていた。
    • 柳島鉄道は城東地区で統合の中心になった。
    • 常総線が存在しないため、筑波鉄道は戦時中に鹿島参宮鉄道と合併していた。

江南鉄道

  • 八日市場-成田-我孫子-久喜-熊谷
  1. 久喜-東武動物公園間で重複するため、伊勢崎線はルートが史実と異なっている。日光線との分岐点を柳生にして、伊勢崎線は実際のルートと比較して北寄りのルートで館林に向かう。
  2. また野田線の春日部-野田市-柏間は建設されない。
  3. 交通の結節点となるのは我孫子。柏に変わって我孫子が発展。柏は我孫子に吸収される。
  4. 北総鉄道は船橋から我孫子に接続。柏で東武線に接続しないので、船橋で接続する京成と合併。
  5. 八日市場-成田-我孫子の千葉北部を横断する区間・久喜-熊谷の埼玉北部を横断する区間など、東京につながってない=儲かってないが、重要性は低くはないため、国有化の対象になる。
  6. 高崎・熊谷から成田、宇都宮・久喜から成田・逆方向の八日市場から成田への空港アクセス列車が走る。
  7. 行田-熊谷間が江南線になっている。秩父鉄道は熊谷まで。
    • 行田-羽生間は建設されず、加須から史実の伊勢崎線のルートで江南鉄道の支線が延びている。

東総電気鉄道

  • 日暮里-岩井
  1. 岩井市が発展していた。
    • 猿島町と合併しても坂東市にならず、名前は岩井市のままだった。
  2. 最短ルートだと八潮-吉川-野田だが、中川を渡るのに橋が直交する必要があるから三郷市も経由するだろう。
  3. 千住までは千代田線と重複するため、地上路線を廃止して北綾瀬以南は千代田線への乗り入れに変更。
  4. ギリギリ柿岡地磁気観測所から30キロ圏外なので直流電化。
  5. 野田で接続する総武鉄道と合併していたか。
  6. 三郷以南でルートが重複するつくばエクスプレスもこの区間では建設されない。
    • 北千住-秋葉原間と取手-つくば間は建設され、この間は常磐快速線を利用。

成田急行電鉄

  • 安食(成田-我孫子間)-平井
  1. 戦前に都電と接続する都内区間が開業。
  2. 平井以西は東西線と乗り入れを行っている。
  3. 1970年代初頭に市川市を通って総武線の駅まで開業。
  4. 80年代から90年代にかけて千葉ニュータウンまで建設し、10年代に入って小林駅東側までつながる。
    • この区間はニュータウン鉄道と成田高速鉄道アクセスが保有する第3種鉄道。
  5. 安食から先は成田線を経由して成田空港へのアクセス特急を運行。
    • 特急は止まらないが快速は安食駅に停車。