もしあの県が分裂したままだったら
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独立項目
青森県
- 弘前県も含めて小さい県ばかり。
弘前県
八戸県
- 現在の青森県東部。県庁所在地は八戸。
- 下北半島は核銀座にならなかった。
- 八戸が、仙台と同じく太平洋沿岸ルートと内陸ルートの合流点として発展していた。
- 東北新幹線の八戸延伸が、史実(2010年)より早くなっていたかも。
- 青森と八戸が別の県になるため、東北新幹線の八戸延伸と東北本線盛岡以北の分離別会社化が史実通りだった場合、盛岡~青森は「南部縦断鉄道」という鉄道会社名になっていた。
- 県ごとに分社して「IGRいわて銀河鉄道」「HRはちのへ鉄道」「青い森鉄道」みたいになっていた可能性が高い気がする。
- 当然、野辺地駅も在来線と新幹線の乗換え駅になっている。
- 県中央の結節点として野辺地市になれたかもしれない。
- 青森と八戸が別の県になるため、東北新幹線の八戸延伸と東北本線盛岡以北の分離別会社化が史実通りだった場合、盛岡~青森は「南部縦断鉄道」という鉄道会社名になっていた。
- 八戸大学は私立大学ではなく、第二次大戦後の国立駅弁大学。
- 漁港であるため水産学部などを設置。
- 史実の八戸大学(私立)は最初から「八戸学院大学」を名乗っていた。
- 史実の「デイリー東北」は、「八戸日報」や「八戸新報」という名称になっていた。
黒石県
- 現在の黒石市周辺
斗南県
- 現在の青森県東部
- 徹底的に明治政府から冷遇された。
- 鉄道はおろか国道も通らなかった。
- 新幹線も含め東北自動車道のルートで建設された。
七戸県
- 現在の七戸町周辺
- 七戸が町のままということはあるまい。
- どこかで市制施行していた。
山形県
鶴岡県
旧山形県
置賜県
- 現在の山形県置賜地方
福島県
- 東北第2の都市は盛岡。
- やはり福島県内で福島vs郡山が勃発。
- 県内人口が少ないためテレビ局は4局そろわない。旧福島県では民報系・民友系・朝日系の3局だが福島市民はケーブルテレビで仙台のテレビ局も視てる。
- 多くても旧福島県人口115万程度で3局の大分県と同じくらい。若松県白河県はそれ以下。
磐前県
旧福島県
- 1876年8月21日以前の福島県。現在の福島県中通り。
- いわゆる中通りのうち田村・石川・東白川の3郡は下記の磐前県。分水嶺的に結局福島県になりそうだけど。
- 福島県民の日は、12月25日になっていた(中通り単独での福島県の成立が、1871年12月25日だった事に因む)。
- 会津とは別の県になる為、山口県との関係は比較的良好になっていた。
- その一方で、板垣退助の出身地である高知県との関係が険悪になっている。
- 高度成長期における新産業都市は、「白河・郡山地域」という名称で指定された。
- 中通り(福島県1876年以前)には炭鉱が無いから、福島県に新産業都市は存在しなかっただろう。
- 郡山中央工業団地は早々に造成され、西部工業団地や北部工業団地も史実より早く作られ、工業化が進められていた。
- 福島市も福島工業団地、西工業団地、松川工業団地が史実より大規模になっていた。
- 海も会津もないためPRすべき観光資源や特産品に飢えていた。
- 福島市近辺の温泉群や磐梯熱海、吾妻安達太良(山形県や若松県との領有権争い勃発)などか。滝桜は田村郡だし…特産はあんぽ柿やいか人参。
- 史実の山梨県のような感じだろう。
- 福島市近辺の温泉群や磐梯熱海、吾妻安達太良(山形県や若松県との領有権争い勃発)などか。滝桜は田村郡だし…特産はあんぽ柿やいか人参。
- 会津と県が異なるため「県庁所在地は賊軍の若松よりも遠ざける」という意図が働かず、県名はそのままで県庁は交通の便を考えて郡山に移転した可能性がある。
- いや、1883年の安積疎水完成からしばらくたたないと県庁として利用できる建物があるような街ができないため結局福島城になってたと思う。あとは白河くらいだが、新政府が松平定信のお城を使うとは考えにくい。
- 観光面以外では影響は少ないか?
- 県立博物館は普通に福島市内になるか、元城下町として二本松・三春・白河のいずれか。
- この場合でも福島市と郡山市の仲は悪いまま。
若松県
- 現在の福島県会津地方+新潟県東蒲原郡
- 山口県とはあからさまに対立していた。
- 「戊辰戦争で賊軍だったため…」などという始まり方をする都市伝説が通用しなくなっていた。
- それでも明治期は人事などでの冷遇はあったと思われる。
- テレビ局は4局揃っていないと思われる。
- 最悪2局止まり。
- テレビ局のエリアは、若松県と福島県、或いは若松県と新潟県が相互乗り入れしているかも。
- 野岩鉄道と会津鉄道が国鉄野岩線として昭和30年代に開業していた。
- 東武鉄道として開業し、スペーシアが会津若松まで来ていたかも。
- 日中線は米沢まで伸びていた。
- 県庁所在地の若松を経由し、東京・新潟間を急勾配や長大トンネルなしで結ぶ重要路線として大正頃までには開業していたかも。宇都宮~若松間は戦後に複線化で。
- 会津若松の人口は20~30万くらい。
- 観光収入が県税の多くを占める為、現実以上に観光やウィンタースポーツに力を入れている。
- 良質で豊富な水資源を使った農業・精密機械工業で多角化を図っていた。
- 会津への風評被害は無かった。
- 若松(九州の方を改名させる)・喜多方の他、市は猪苗代・塩川・坂下・田島あたりか。
- 基本計画路線に野岩羽新幹線が盛り込まれるが、結局磐越西線の郡山~喜多方間がミニ新幹線として先に開業していた。
- むしろ磐越新幹線(いわき~郡山~若松~新潟)が基本計画線になる。
- 国道121号は10番台の2桁国道(宇都宮~若松~山形~秋田で13号か?)になっていた。49号ももう少し若い番号だったかもしれない。
- 史実の万世大路の代わりに大峠道路が明治期に難工事を経て整備され、戦後の早い時期に通年通行可能となっていた。
- 高度成長期以降に塩川付近に若松空港が整備されていた。
- 若松大学が戦後創設され、近年になって会津大学じゃなく若松県立大学が開学していた。
- 南北に野岩羽自動車道(宇都宮~田島~若松~喜多方~米沢・山形)が計画され、21世紀に入って有料で全通していた。
白河県
- 現在の福島県南東部
- 中通りという地域区分は存在しない。
- 白河県にも1校くらい大学が出来ていた。
茨城県
- 戦時中の常総鉄道(印旛県)と筑波鉄道(新治県)の合併はない。
- 常総鉄道は関東鉄道に加わらなかった。
- 玉里村は新治県だったので、小美玉市も誕生しなかった。
- 下妻無尽は「つくば銀行」なんて名乗らず、新治県土浦市の関東銀行とも合併しなかった。
新治県
印旛県
旧茨城県
- 現在の茨城県県央・県北・県西のうちの旧真壁郡の地域
- 現実以上に東北扱いがひどかった。
- 戦国時代の東北を題材にしたRPGでは、茨城県は「阿武隈山地の一角」として東北扱いされる。この場合、佐竹家(茨城県)、岩城家(磐前県南部)、相馬家(磐前県北部)、伊達家(宮城県、福島県北部)、田村家(福島県中部)の5家門が絡む内容になる。
- 日立製作所の存在感が強い。
- 茨城空港はギリ茨城県。
- 玉里村は新治県だったので、小美玉市も誕生しなかった。
- 美野里町は新治県石岡市との越境合併を画策する。
- 竹原村(美野里町南部)が堅倉村(同北部)を裏切って石岡市に加わっていた。
- 美野里町は新治県石岡市との越境合併を画策する。
- 高校野球では、水城高校が圧倒的な強さを誇っていた。
- しかし高校野球界では弱小県として有名。
- 水戸商や水戸啓明(旧・水戸短大付)じゃなくて?
- 明秀日立は野球・サッカーとも史実より早く全国大会出場を果たせた。
- 微妙に霞ヶ浦に面している。
- 下妻無尽は「つくば銀行」なんて名乗らず、新治県土浦市の関東銀行とも合併しなかった。
- 常磐銀行(ときわぎんこう。本店:茨城県の水戸)と五十銀行(本店:新治県の土浦)は世界恐慌時代に合併されず、常磐銀行が茨城県最大の地銀になっていた。
- 茨城町、大洗町は史実より小さい。
- 県民が一丸となってホーリーホックを応援する。
- もしかしたら、レイソルが日立に本拠地を置いていたかもしれない。
- となると鈴木隆行もレイソルでプロデビューした?
- それなら大津祐樹もじゃないか?
- となると鈴木隆行もレイソルでプロデビューした?
- もしかしたら、レイソルが日立に本拠地を置いていたかもしれない。
- 東白川郡と浜通り夜ノ森以南が茨城県に編入されていた。
- キー局の放送エリア外だったかも。
- 県議会議長選出をめぐる「黒い霧事件」は起こらなかった。
- 筑波山が別の県になる為、茨城県歌の1番に登場する山は八溝山になっている。
栃木県
- 戦時中に栃木県内のバス事業者は関東自動車、宇都宮県内のバス事業者は東野交通に整理されていた。
- 宇都宮県には宇都宮FMが開局するも、両県の規模・財政力が現実の栃木県から半減しているため、NACK5や群馬テレビが視聴可能な旧栃木県に放送局は開局せず、宇都宮県にもAMラジオ局やテレビ局は開局しない。
宇都宮県
- 現在の栃木県北部・東部
- 著名な観光地である那須と日光が別の県に…
- 現実以上に東北扱いがひどかった。
- U字工事は宇都宮県の宣伝にひた走る。
- 「宇都宮SC」のサポーターが現実より減っている。
旧栃木県
- 現在の栃木県西部、群馬県東南部
- 小山、栃木、佐野、足利、桐生、太田、館林おまけに日光はこの県。
- みんなで合併し政令指定都市になってしまう。
- 北関東で一番まとまりに欠ける県となる。
- 日光を除けばむしろまとまっている印象だが?
- 栃木県に利根川が通る。
- 足尾が群馬県にあるという誤解が生まれない。
- 両毛線の複線区間が増えていた。
埼玉県
- 西武資本のNACK5は入間県の県域FM局。旧埼玉県は県域ラジオ空白県。
- 最初から送信所が飯盛峠。
- 対抗して埼玉県域のテレ玉も出力増強で入間県でも視聴可能に。
- 最初から送信所が飯盛峠。
- 埼玉銀行は誕生せず。戦時中に入間県内の銀行は川越の八十五銀行に、旧埼玉県の銀行は武州銀行にそれぞれ統合。有力地銀として都市銀行間の合併には加わらない。
- 協和銀行は直接、大和銀行と合併してりそな銀行となっていた。
- 高校野球では旧埼玉県は浦和学院、入間県では花咲徳栄の一強。
旧埼玉県
- 領土は現在の埼玉県東部・荒川左岸、chakuwikiでいう「東埼玉県」
- 旧埼玉県になるまでは大宮県や浦和県であり、赤羽、板橋、練馬なども旧埼玉県の領土であった。
- 旧入間県(チャクウィキでいう「西埼玉県」)よりも東京都との交流が深い。
- 秩父などを版図に含まれていないため現実の埼玉県よりもさらに観光地に乏しくなり、単なる東京のベットタウン化の傾向が強まる。
- しかい各地の開発や経済が順調にうまくいけば、県の財政や経済はかなり豊かになっているであろう。
- 城跡と神社が観光の柱になる。
- アニオタと鉄オタの聖地という側面が濃くなった。
- 日本一標高の低い県になる。
- 山間部に予算をつぎ込まなくても良いので開発は史実以上に進められる。
入間県
- 領土は現在の埼玉県西北部・荒川右岸・秩父地方、chakuwikiでいう「西埼玉県」
- 現実の西武池袋線、西武新宿線や東武東上線のように入間県民は移動し、現在のさいたま市よりも東京との交流が深まる。
- 明治時代では川越や熊谷は浦和や大宮、川口などより発展をしていたため、新幹線のルートは川越あたりに駅ができていた。
- 中山道鉄道建設の際の資材運搬の都合で高崎線は史実通り、東北本線の熊谷分岐は無くはないだろうけど厳しい。だとすると新幹線だけ川越を通るのは考えづらい。
- 大宮を通過して熊谷に停車する特急があったかもしれない。
- 中山道鉄道建設の際の資材運搬の都合で高崎線は史実通り、東北本線の熊谷分岐は無くはないだろうけど厳しい。だとすると新幹線だけ川越を通るのは考えづらい。
- プロ野球球団があるのに、Jリーグのクラブがないという事態になっていた。
- むしろアルディージャが川越を本拠地にしていた。
- 埼玉県で活動していたチームを入間県に誘致する形になるのでそれはそれで難しいかも。
- その「プロ野球球団」の名前は単に「西武ライオンズ」かあるいは「入間西武ライオンズ」になっていた。
- むしろもともと入間県が東京三菱重工サッカー部を誘致していた。
- むしろアルディージャが川越を本拠地にしていた。
- 西武大宮線は建設されなかった。
- 東上鉄道は東武と合併せず、戦時統合で武蔵野鉄道・旧西武鉄道と合併し西武農業鉄道となった。戦後は西武と東上は再分離して東上は独立した会社になり、西武農業鉄道は史実通り西武鉄道となった。一方、東武は武蔵国の西側に路線網を持つことはなく、東武百貨店池袋店も東上百貨店となっていた。
千葉県
- 土気町は千葉市に編入されず、大網白里と合併していた。大網白里は昭和のうちに市に移行していた。
- 横芝光町は誕生しない。
- 下総町と大栄町は成田市にならず、香取市になっていた。。
- 「ジェフユナイテッド市原」の後ろに千葉はつかない。
新治県
印旛県
木更津県
- 現在の千葉県上総・安房
- 袖ヶ浦ナンバーなんてできない。
- 千葉県営鉄道の勢力圏にならないため久留里線の開業が遅れる。
- 逆に最初から1067mm軌間で早期に開業したかも。
- そして現実のいすみ鉄道ルートで大原に到達する。
- 逆に最初から1067mm軌間で早期に開業したかも。
- ハマコーが県知事になっていたはず。
- 山武郡土気町は千葉市に編入されず大網町・白里町・増穂町と合併していた。
東京都
- 1871年12月に江戸城下を管轄していた旧東京府と周辺の県が合併し、現東京23区の地域に新たな東京府が誕生。
- 多摩地域は神奈川県のままだったか多摩県が成立していた。
- 東京より多摩擁する神奈川の方が人口・経済力ともに強い。
- 池袋vs新宿vs渋谷は、センター街やPARCOが都外の渋谷・西口が都外の新宿に対し、西口も都内に収まる池袋の一人勝ち。
- 王子・赤羽・豊島区長崎は単独で市になっている。
- 渋谷区のなかで東京府に入れなかった代々木・幡ヶ谷は上渋谷村(宇田川・神南)とともに淀橋村と合併して西新宿市になっている。
- 都庁は西新宿ではなく東京テレポートに出来ていた。
旧東京府
- 史実で東京15区が設置された1878年をもって都制施行していた。
- 史実で1889年に設置された東京市は、そもそも最初から存在しない。
- 中央政府による直轄区域になっていた。
- 史実では当初は東京市でなかった豊島区中東部・北区西南部・荒川区・渋谷区東部も、最初から区でスタート。
品川県
- この県においては"多摩地域"という言葉が歴史用語としてだけしか残らなかった。
- 神奈川県とまぎらわしい。
- 実際に現神奈川県域を含んでいたこともあった(武蔵知藩事からの移行期)
- それでも町田、八王子は神奈川県に編入されていた。
- 神奈川県、特に横浜が今ほど強い存在になっていなかった。
- あれこれありつつも、東京府に結局編入されていた。
- 「東京」国際空港が品川県にある事になり、東京ジャイアニズムの一種扱いされる。
小菅県
- 現足立区域が東京扱いされていないのでそこの地価はかなり安かった。
- 東京府編入を求める運動が早々起きていたか、印旛県を併合して、現神奈川県における川崎市の立ち位置を得ていた。
- 東京拘置所はもちろんできなかった。
石川県
- 1872年に七尾県と旧石川県が合併。
- 羽咋郡南大海村(現:かほく市)は七尾石川県境をまたいでの合併はできずに、七尾県内の町と合併して宝達志水町の一部になっている。
七尾県
- 現在の石川県北部。
- 北陸の北と言えば七尾県。
- 県域テレビ局は「七尾テレビ」と「七尾放送」が出来ている。
- 恐らく2県地しかできてないかも…。
- 大半の県民は日テレ系列は対岸を視聴。
- 2015年以降沖縄を除くJRだけでは鉄道で行けない県になっていた。
- 能登空港や能越自動車道は史実より早く整備された。
旧石川県
- 金沢だと北に寄り過ぎているため県庁は石川郡美川町のまま。
- 半島を失っていると石川県がどこにあるのか誰も分からない。
- 形だけ見ても石川県だと分からない。
- 県章が替わっている。
福井県
- 1873年1月に足羽県と敦賀県が合併。
- 参議院選挙区は鳥取+島根や徳島+高知同様合区が行われ、足羽+敦賀で一つの選挙区になっている(つまりは現実の選挙と変わらない)。
足羽県
- 現在の福井県北東部
- 福岡?福島?と間違われることはない。
- それでも知名度は低い。
敦賀県
- 現在の福井県南西部。
- 県域テレビ局は2局か3局辺りか。
- びわ湖放送を見ている県民も多かった。
- 北陸地方や中部地方ではなく近畿地方(関西地方)に間違いなく組み入れられている。
- 「北近畿」という枠組みには京都北部(丹波・丹後)・兵庫北部(丹波・但馬)に加えて敦賀県も含まれている。また、敦賀県と滋賀県で「敦滋」という枠組みも存在する。
- 福井新聞ではなく京都新聞のエリアになっていた。戦前からの地元紙は戦後も県域紙として発行されるものの、1970年代に滋賀日日新聞ともども京都新聞に吸収・統合された。
愛知県
- 1872年11月27日に名古屋県⇒愛知県が額田県を編入して現在の愛知県域が確定。
- トヨタ自動車名古屋オフィスは存在しない。
- 豊田通商本社は名古屋ではなく豊田市にある(東京本社は史実どおり)。
- 愛知教育大学は名古屋市に置かれた。
- 東海銀行は名古屋県の地銀なので額田県にまで進出できず、都市銀行に成長できない。
名古屋県
- それでも名古屋県とは名乗っていたか怪しい。(1872年04月02日に改称されてるので)
- 額田県は浜松県に編入していたか?
- 史実通り中京圏を形成していれば、名古屋県と名古屋市を統合して、名古屋都または名古屋府になることを目指す地域政党が誕生した。
額田県
- 現在の愛知県東部(三河国+知多半島)
- 徳川家康が名古屋出身と勘違いされることはない。
- 三河安城駅は存在せず、新幹線は開業時から岡崎駅に停車している。
- 岡崎と豊橋の対立が深まる。
- トヨタ自動車サッカー部のプロ化はなかったか、してもチーム名が違っていた。
- 名古屋空港と中部国際空港が伊丹と関空みたいな関係になる。
- 豊田大谷高校の甲子園出場回数が増えていた。
- 戦後、「額田大学」か「豊橋大学」という駅弁大学が設立されていた。
- 岡崎銀行は東海銀行に吸収されず、戦後も額田県における地方銀行として存続していた。
- そのため、東海銀行→三菱東京UFJ銀行の額田県内の支店は少なくなっていた。
- 豊田市は挙母市のままだったかも。
三重県
- 1876年4月に三重県(安濃津県から改称)が渡会県を吸収。
安濃津県
- 現在の三重県北部
- 名所(伊勢神宮・世界遺産熊野古道)や特産品(松阪牛・伊勢海老・真珠など)はあらかた渡会県のものになってしまうため、観光アピールに苦労していた。
- ナガシマスパーランドが唯一の救い。
- 実際の三重県より名古屋志向が強いと思われる。
渡会県
- 現在の三重県南部
- 北にある三重県は近畿扱いされる事は無かっただろう。
- しかし度会県だけ近畿扱いされているかも。
- 伊勢市は今でも山田市。
- 第三銀行が渡会県を代表する銀行になっていた。
- 和歌山県の東牟婁郡が度会県に含まれていたかもしれない。
滋賀県
- 1872年9月28日に大津県⇒滋賀県と、長浜県⇒犬上県が合併して発足。
- 大津県と長浜県で琵琶湖をめぐって争ってるので、京都や大阪の人に湖の水を止めると脅すこともできない。
- 人口が少ないのでびわ湖放送は存在せず、KBS大津・KBS長浜がテレビ放送を開始。
- 現実の滋賀大学は大津師範学校・大津青年師範学校からできた大津大学と、彦根高等商業学校からできた彦根大学の2つに分かれて発展していた。
長浜県
- 現在の滋賀県北部。
- 新幹線駅は米原駅ではなく彦根駅に出来ている…のか?
- 新幹線駅は長浜駅に作られていた。当然、在来線のジャンクションも長浜駅になっていた。
大津県
- 現在の滋賀県南部。
- 東海道新幹線が大津県が停車しない事にぶち切れる。
- なので大津市か草津市に新幹線駅が出来ている。
- 長浜県は敦賀県と編入。
島根県
- 1876年に4月18日に浜田県が島根県に編入された。
- 平成に入る前に参議院選挙で合区が導入された。
- 今頃は人口にかかわらず各県一人ずつ選出される(米国上院式)制度に変更されている。
- 憲法改正も実現できていた。
- 隠岐はどっちだ?
- ちなみに当初隠岐は単独で隠岐県だったが後に浜田県となり、史実で浜田県と島根県が合併した時点での隠岐の帰属は鳥取県。
旧島根県
- 現在の島根県東部(旧出雲国)
- 左右どっちが島根でどっちが浜田?といわれている。
- 現実の鳥取?島根?よりは少ないだろうが‥
- 竹島は日韓ではなく島根・浜田間で領有を争っている。
- 浜田県とは合併しないものの史実どおりに鳥取県を吸収合併(1876年8月)。
- 石見地方の分だけ東西が短くて人口も少ないため、史実とは違い鳥取県が再度設置されることはない。
浜田県
- 現在の島根県西部(旧石見国)
- 松江より栄えていた
- 現在の可部線が伸びて浜田駅まで繋がる
- 客車寝台特急「出雲」は最後まで浜田発着だった。
- 「石見」という寝台特急が運行されていたかも。
- 衆議院選挙の小選挙区の区割りでは浜田1県で選挙区となっていた。
- 中選挙区制(1993年以前)では浜田県のみで1つのエリアで、小選挙区制(1994年以後)では浜田県は2つのエリアに分かれているだろう。
- 民放は1局しか開局しなかった、
- 浜田県単独で、民放が2局か3局のエリアになっている。或いは、お隣の島根県と相互乗り入れをしている。
- 中国自動車道は建設されず、初めから山陰自動車道と山陽自動車道が建設されていた。
- 石州銀行は山陰合同銀行に編入されず、第二次大戦後も石州銀行が浜田県を拠点とする地銀になっている。
- 石見銀山を持つ事から、「キラリ、浜田県」が浜田県の観光キャッチフレーズになっている。
- 「石州新聞」という名前の県域紙も発行されている。
- 浜田から江津を経て三江線経由で広島や岡山を結ぶ優等列車が走っていた。
熊本県
- 1873年に白川県と八代県が合併。
- 上益城郡・下益城郡・宇土郡は八代県に属するので、熊本市(白川県)は八代県に囲まれていた。
- 南区・東区の一部は越県合併できず、熊本市は現実より小さい。
白川県
- 現在の熊本県北部
- 県庁が南端に位置しているため、県北部の荒尾や玉名・山鹿などは反発し福岡県筑後地方との結ぶつきを強める。
八代県
- 現在の熊本県南部
- →もし九州に九県あったら#八代県