もしあのゲームハードの売れ行きが○○だったら
- 新規追加は実際のリリース年順でお願いします。
- ○○がハード事業から撤退することはなかったや、○○はこちらで発売されていたは基本的に当たり前のことなのでご遠慮ください。
コケていたら編集
カラーテレビゲーム6・15編集
- 任天堂はゲーム製造から手を引いていた。
- マリオなども誕生せずただの玩具メーカーになっていた。
- エポック社のテレビテニスなどが有名になる。
- 日本製のゲームハードは衰退していた。
ゲーム&ウオッチ編集
- エポック社のポケコンが史実よりもメジャーになっていた。
- ファミコンの製造費も回収できなかった。
- ゲームボーイ以降の携帯機は出なかった。
- 携帯機がメジャーになり始めるのはセガのゲームギアぐらいからになる。
カセットビジョン編集
- カセットの使い方がわからない人が多かったため売れなかったとされている。
- カセット式ハードがメジャーになるのはもう少し先に。
- カセット式が流行らなかった代わりにキーボード系のゲーム機がメジャーに。
- エポック社はそそくさとゲームハード製造から撤退していた。
ファミリーコンピューター編集
- その後のゲーム業界の歴史は大きく変わっていた。
- 代わりにセガのSG-1000が史実よりもメジャーに。
- エポック社のスーパーカセットビジョンも。
- ディスクシステムも登場しない。
ゲームボーイ編集
- ワンダースワンは存在しなかった。
- ネオジオポケットは最初からカラーだっただろう。
- 白黒液晶のゲーム機はヒットしないというジンクスが出来ていた。
- ポケモン赤緑の発売を待たずにして販売を終了していた。
ネオジオ編集
- 生産台数こそ少ないもののゲーマーへの支持が低かったらと仮定。
- アーケードゲームの家庭用機への完全移植はハードの進化を待つことになる。
- 対戦格闘ゲームはカプコンの一人勝ちになっていた。
スーパーファミコン編集
- 発売延期が不振の原因だと言われていた。
- この場合、プレイステーションはスーパーファミコンの周辺機器として発売されていただろう。
- ニンテンドー64は光ディスクになっていた。
- PCエンジンやメガドライブにドラクエやFFが発売されていた。、
PlayStation編集
- PlayStation2以降のハードは登場しない。
- 任天堂の天下が続いていたかも。
- 任天堂の暗黒時代も起きなかった。
- ドリームキャストのCMの内容が変わっていた。
- 現在でもゲームは低年齢向けの印象が強いままだった。
- プレステが層の幅を広げたため。
PlayStation2編集
- DVDの普及が史実より遅れていたかも。
- 『マトリックス』のDVDも売上が史実より落ちていた。
- 代わりにゲームキューブが大ヒットしてた。
- あるいはXboxが(国内でも)大ヒットしてた。
- ドリームキャストも現実よりもヒットした。
ゲームボーイアドバンス編集
- ワンダースワンにシェアを取られていた。
- 途中からゲームボーイとの互換を切り捨てていた。
- 任天堂は撤退していたかもしれない。
- ゲームキューブと同時にコケていた。
ニンテンドーDS編集
- 任天堂は当初の予定通り、ゲームボーイアドバンスの後継機を出していた。
- 当然、脳トレブームもなし。
- 川島隆太教授の知名度は史実より下がっていた。
- ライトユーザーの減少が史実より加速していた……かもしれない。
Wii編集
- 欠陥ハードとして叩かれていた。
- リモコンストラップがテレビを破壊する凶器扱いされていた。
- 任天堂は低スペックだから売れなかったとみなされていた。
- テレビの水準向上につれて高性能ハードに移行していた。その分、Wii末期におけるソフト不足に悩まされることもなかった。
- WiiUは発売されなかったかもしれない。
ニンテンドー3DS編集
- DSからの落ちぶれ方が半端じゃなかった。
- 妖怪ウォッチはヒットしなかった。
- ポケモンと妖怪ウォッチの争いもなかった。
- ニコニコ動画の民度が低くなることもなかった。
PlayStation4編集
- 互換切りをしたから売れなかったとされていた。
- PlayStation5の発売が早くなっていた。
- Switchが登場したことにより撤退していたかもしれない。
- 高性能を発揮することはなかった。
Nitendo Switch編集
- 任天堂は家庭用ゲーム機市場から撤退していた。
- 任天堂は携帯ゲーム機専業になっていた。
- 家庭用ゲーム機と携帯ゲーム機を併せ持つ機種が受け入れられなかったとみなされていた。
- 携帯性も重視しないと売れないというジンクスができていた。
- 家庭用のソフトはPS4とXboxOneのマルチが主流になっていた。
- 家庭用ソフトのクオリティ関連の批判も無かった。
- ゲームに特化し過ぎて大コケしたとみなされていた。
- Switchにもブラウザやメディアプレイヤーを搭載するべきという意見が出ていた。
- あと完全新規設計による3DS・WiiUとの互換性のなさ、機能の乏しさも。
- Nintendo Switch Liteも登場しなかった。
- Switch Liteに近いスペックでPSVita2が発売されていた。
大ヒットしていたら編集
セガ・マスターシステム編集
- ヨーロッパやブラジルでは成功を収めましたが、日本やアメリカでも成功を収めていたら?
- 『アレックスキッド』が人気シリーズになっていた。
- ソニックは史実通り出ていたが、アレクの二番手に甘んじてただろう。
- ソフトがアーケードからの移植ばかりと揶揄されることもなかった。
メガドライブ編集
- アメリカでは成功を収めましたが、日本でも成功を収めていたら?
- ソニックは日本でも知名度・売上ともに史実以上だった。
- 当然、ソニックがセガサターンでリリースされないと言う事は無かった。
- メガCDやスーパー32Xも史実以上に売れていた。
- その場合、セガサターンの売れ行きが史実よりも悪かったかもしれない。
- 1997年頃まではメガドライブの生産やソフト供給も続けられていた。
ゲームギア編集
- 電池の持ちが史実以上に良かったら有り得ていた。
- ACアダプタがないと遊べない携帯ゲーム機と揶揄されることはなく、本末転倒な携帯ゲーム機扱いされてしまうこともなかった。
- 『ドラゴンクリスタル ツラニの迷宮』がローグライクゲームのルーツとして認知されていた。
- ゲームボーイカラーも史実より早く発売されていたか。
- カラー液晶のゲーム機はヒットしないというジンクスが(この時点で)崩れていた。
- テレビを見る目的で買う人も中にはいた。
3DO編集
- 『メタルギアソリッド』は『メタルギア3』として3DOで発売されていた。
- これは阪神・淡路大震災でコナミ神戸本社が被災していなかったら有り得たかもしれない。
- 3DO M2は無事発売されており、『Dの食卓2』もこちらでの発売だった。
- LG電子は、史実より10年は早く日本での認知度が高まっていた。
- 海外で3DOを展開する会社としてゲーマーにしられていた。
- LGの信頼感が高まり、日本でLGのスマホであるoptimusシリーズやGシリーズ、Vシリーズなどがもう少し売れていた。LGがスマホ撤退することもなかったかも。
- 海外で3DOを展開する会社としてゲーマーにしられていた。
- ゲームキューブのDVD再生対応であるQは発売されることはなかった。ハードメーカーのライバルであるため。
- むしろQは3DO M3として発売されていたかもしれない。
- 日本のゲームがここまでスペック軽視、自由度軽視、ノンゲーム重視、ライトユーザー重視になることはなかったかもしれない。
プレイディア編集
- お子様ゲーム専用機と揶揄されることはなかった。
- 住み分けが上手くできていたら・・・。
- バンダイは低性能だから売れないとみなされることもなかった。
- 周りが32bitハードの中、プレイディアだけ8bitだったため、かなり注目が集まっただろう。
- ピピンとの互換性もあった。
セガサターン編集
- 3D対戦格闘ゲームはバーチャファイターが天下を取っていた。
- 本作ソニックがセガサターンでリリースされないと言う事は無かった。
- プレステで発売されたソフトは半分くらいはセガサターンでリリースされていた。
- セガサターンとプレステの地位が逆転しただけ。
- 「SONYは家電品で十分。ゲームには合わない」と言われていた。
- セガサターンとプレステの地位が逆転しただけ。
- 新作ソフトは2001年いっぱいまで作られ続け、ドリームキャストの発売が2001年12月頃になってた。
- せがた三四郎は2000年夏頃に登場していた。
- ドリームキャスト発売前のCMでネタにされることもなかった。
- 萌えに走ることはなかった。
PC-FX編集
- エロゲー専用機と揶揄されることはなかった。
- 史実通りの路線でヒットしていた場合、家庭用機でもエロゲーがリリースされるようになっていたかもしれない。
- エロゲー=パソコンゲームという認識に留まることはなかった。
- そもそも3D描写に対応していたらラインナップがエロゲーばかりになることはなかった。
- 史実通りの路線でヒットしていた場合、家庭用機でもエロゲーがリリースされるようになっていたかもしれない。
- 『天外魔境III NAMIDA』はPC-FXで発売されていた。
- PC-FXの後継期も発売されていた。
NINTENDO64編集
- アメリカでは成功を収めましたが、日本でも成功を収めていたら?
- 日本のゲーム業界が史実ほどムービーを重視する路線になっていなかった。
- それの原因で容量不足が起きると言う事は無かっただろう。
- 『ゴールデンアイ 007』は史実以上にヒットしており、日本でもFPSブームが巻き起こっていた。
- 任天堂のレア社の関係が悪化する事は無かったかも…。
- それでも『ファイナルファンタジーVII』はNINTENDO64でリリースされなかった。
- 代わりにセガサターンかゲームボーイカラーでリリースされていた?
- ナムコのリッジレーサーや鉄拳もNINTENDO64でリリースされなかった可能性が高い。
- 64本体ではなく64DDで発売した。(ドラクエ7もDD発売だと考えられる)
- 湯川専務のあのCMは「64のほうが面白いよな」と言うセリフになっていた。
- 少なくともNINTENDO64のソフトが不足する事は無かったと思われる。史実のゲームキューブぐらいのソフトが揃っていた。
- NINTENDO64の寿命は2002年か2003年辺り延びていた。
- 特に2001年~2002年はゲームボーイカラー、NINTENDO64、ゲームキューブ、GBAと4強ハード時代が出来ていたかもしれない。
- 上手くいけばスーパーファミコンみたいに10年以上は持てたかもしれない。
- ↑×3「2003年あたりまで」かと…。
- 子供向けのゲームにはポムポムプリンや遊☆戯☆王やおじゃる丸がリリースされていた。
- ONE PIECEやとっとこハム太郎なども。
- 史実ではゲームキューブとGBAで発売されたソフトは一部NINTENDO64で発売されていた。
- ゲームキューブソフトではカービィのエアライド、バイオハザード0、動物番長、エターナルダークネス辺りが発売されていた。
- 史実ではNINTENDO64時代では未発表のルイージマンションやピクミンや巨人のドシンやマリオパーティー4もリリースされていた可能性も。
- GBAではMOTHER3、ファイアーエムブレム 封印の剣がNINTENDO64でリリースされていた。
- 当然だが、ゲームキューブは史実以上に売れていた。少なくても史実のNINTENDO64の売上ぐらいは売れていた。
- 電車でGO!は当初からNINTENDO64でリリースされていた。
- どうぶつの森は最初からミリオンヒットしていた可能性がある。
- 64DDも売れていたらオンライン端末の定着が早まっていたかも。
- 但し、サテラビューの事を考えると時代を先送りしすぎたハードで売れなかった可能性が高いかも。
- 一応販売は1997年と早まっていた可能性はあるかも。
- 仮にNINTENDO64がトップハードになっていたら任天堂のゲーム機で2000万台越えの置換型ゲーム機として注目されていたか。次世代のゲームキューブは流石にロムカセットにはなっていないと思う。
- とりあえずNINTENDO64のソフト不足は起きなかったか、あっても史実ほど問題にならなかったと思う。
- 史実ではGCで販売されたソフトもNINTENDO64の時点で販売されているソフトもある。
- ゲームキューブの売り上げも史実よりも良かったかもしれない。ただ、トップハードになっていたか怪しい所。
- 少なくとも史実のNINTENDO64並みに売れていたと思われる。
- WiiUのバーチャルコンソールで当初からNINTENDO64のソフトが出ていたと思う。後にDSのバーチャルコンソールと同時にゲームキューブのバーチャルコンソールが出ていた。
- しかし、逆に任天堂ハードの中で一番トラウマなゲームとして注目されていたかもしれない。
- 日本国内でいわゆる洋ゲーやFPSの認知度が史実よりも高まっていたかも。
- 洋ゲーやFPSの多いマシンなので。
- バイキンマンの基地のコントローラーがスーファミベースのままではなかったか。
ワンダースワン編集
- デジモンが史実以上にヒットしており、名実共に「第二のポケモン」と呼ばれていたか。
- もしかしたら、ポケモンとデジモンの地位が逆転していた?
- 現在もフジテレビ系列でデジモンが放送されていた。
- ナムコとの合併後はナムコのタイトルもワンダースワンで発売されていた。
- スワンクリスタルが受注生産になることはなかった。
- スワンクリスタル専用ソフトも発売されていただろう。画質は史実のGBA並みかな。
- バンダイも置き換え型ゲーム機にも展開していた可能性がある。
- レースゲームがたくさん発売されていたそうなハードだったかもしれない。
- この時点で携帯ゲーム機でリッジレーサーや鉄拳も出来ていたかも。但し移植ソフトだったかもしれない。
- もしかすると「ワンダースワンで発見!!たまごっち」と言うソフトも発売されていたかもしれない。
- ワンダースワンカラーの音楽再生とGPS連動は予定行われていた。
- 初めて携帯ゲーム機で音楽再生が出来るハードとして話題を読んでいた。
- しかし、DSiの登場で時代を先送りしすぎたハードとして語られる事に…
- 初めて携帯ゲーム機で音楽再生が出来るハードとして話題を読んでいた。
- 移植ソフトばかりのハードと言われる事は無かった。
ドリームキャスト編集
- 当時はダイヤルアップ接続が主流だったので、ゲーマーの電話料金がすさまじいことになっていた。
- なので、ダイヤルアップ接続が史実より早く廃れていた。
- 湯川専務のあのCMも無かったか、内容が変わっていた。
- 湯川専務が降格させられることもなかった。
- 『メタルマックス ワイルドアイズ』も開発中止にならずに済んでいた。
- 家庭用ゲーム機でオンライン対戦が史実より早く定着していた……かもしれない。
- ゲームキューブもオンライン対戦が実現していたかも。GBAは性能的に厳しい過ぎるが…アダプターなら実現出来そう?
- モバイルアダプタGBというのがあってだな。
- PS2もアダプターでオンライン対戦が実現していた。
- 史実よりも日本のインターネットの普及が早まり、ゲームの進化も早まっていたかもしれない。
- eスポーツが史実よりも早く定着しており、韓国同様の強豪国になっていた。
- 史実よりも日本のインターネットの普及が早まり、ゲームの進化も早まっていたかもしれない。
- ゲームキューブもオンライン対戦が実現していたかも。GBAは性能的に厳しい過ぎるが…アダプターなら実現出来そう?
- ゲーマーからは「夢」と呼ばれていたかもしれない。(ドリーム=夢)
- レア社はマイクロソフトではなくセガのセカンドパーティになっていた可能性がある。
- マイクロソフトは史実通りハード展開していただろうか?
- 当時の業界一位がソニーだったことを考えると、任天堂がソフト専業になっていたかもしれない。かわりにMSが参入していた。
- 2006年辺りにドリームキャストの後継機「ネプチューン」が発売されていた。
- セガガガは発売されてなかった。
- ドリームキャスト版「D.C. ~ダ・カーポ~」が発売されていてもおかしくない(DCだけに)。
- シャドウ・ザ・ヘッジホッグやソニックライダーズやBLEACHシリーズなどはドリームキャストで発売されてた。
- ジェットセットラジオフューチャーやソニックヒーローズなども然り
- 2003年12月頃にソニックアドベンチャー3が発売されてた可能性があるかも。
- やはりソニックX内のセガのCMはドリームキャストのソフトが中心
- セガは他社へのゲームソフト供給を解禁することもなかった。
- ソニックとマリオがコラボすることもなかった。
- ソニックのスマブラ参戦もなかったか史実より遅れていた。
- むしろスマブラやマリオがドリキャス後継機のソフトになっていたかも。その場合おそらく、プレステやXBOXにもマルチ展開していただろうが。
- ソニックの代わりにパックマンかロックマンあたりが「X」の時点で参戦していたかも。
- ソニックのスマブラ参戦もなかったか史実より遅れていた。
- ソニックとマリオがコラボすることもなかった。
- セガは令和元年現在に至るまで一貫してオリジナルゲームハードを定期的に世に送り出していた。
- ゲームハード業界が任天堂とSCEの一騎打ちになることもなかった。
- セガとサミーの合併(という名の実質身売り)はなかった。
- 当然今もCSK傘下のままで、CSK自体も独立を維持している。
- むしろサミーを買収し、パチスロの開発を行っていた。
- サミーセガでは、ギアスやカイジ、ガメラといったセガに関係ないコンテンツのタイアップはほとんど行われず、セガのコンテンツのスロットが北斗なみに力を入れてゴリ推しされた。
- 史実でもソニックのスロットがあったが、スペックが悪かったこともあり鳴かず飛ばずだった。セガがサミーを買収していた場合、むしろ本命の爆裂スペック機に高額予算をつぎ込んで美麗映像のソニックのスロットやパチンコを作っていた。
- 初代ギアスのスロットはギアスの版権ではなくソニックの版権で出ていた。5号機時代なみの爆発力を持つ6.5号機の幕開けを告げた人気機種カバネリは、バーチャファイターの版権で出ていた。
- 史実でもセガのゲームであるチェンクロが実験的なスペックで出ていたが、実験的なスペックのスロットは全部セガガガになっていた。
- 初代ギアスのスロットはギアスの版権ではなくソニックの版権で出ていた。5号機時代なみの爆発力を持つ6.5号機の幕開けを告げた人気機種カバネリは、バーチャファイターの版権で出ていた。
- 北斗やエヴァがパチンコ主導で再ブームを巻き起こしたことを再現するため、カルドセプトやモンキーボールなど地味な版権もスロットをはやらせて復活させていた。
- 同じゲームとパチスロ両方に参加しているKPEも、セガに対抗してパワプロ君のパチンコに爆裂機を投入していた。史実でもパワプロのパチンコはあったが地味な性能ではやらなかった。
- リアルボーナスが加速するパチスロイニDはクレイジータクシーの版権で出ていた。セガのアーケードゲームのイニDも減殺゛までクレイジータクシーの版権で出続けていた。
- ギルティギアのパチスロは大一ではなくサミーから出ていた
- 史実でもソニックのスロットがあったが、スペックが悪かったこともあり鳴かず飛ばずだった。セガがサミーを買収していた場合、むしろ本命の爆裂スペック機に高額予算をつぎ込んで美麗映像のソニックのスロットやパチンコを作っていた。
- 獣王の世界観を使ったメタバース、アラジン2エボリューションの世界観を使ったオープンワールドアクション、ディスクアップの世界観を使った音ゲーなどを開発していた。
- 史実以上にP-SPORTSに力を入れており、頻繁に超ディスクアップ目押し大会を開催していた。
- サミーセガでは、ギアスやカイジ、ガメラといったセガに関係ないコンテンツのタイアップはほとんど行われず、セガのコンテンツのスロットが北斗なみに力を入れてゴリ推しされた。
- むしろサミーを買収し、パチスロの開発を行っていた。
- 当然今もCSK傘下のままで、CSK自体も独立を維持している。
- 洋ゲーのようなオープンワールド路線、eスポーツ化やAI、自由度やアクション性、リアルなスポーツに力を入れていた。
ゲームキューブ編集
- ゲームキューブの寿命はもう少し伸びており2008年までは続いていたかも。
- 場合によってはゲームキューブ、DS、Wiiと言う形で発売されていた可能性がある。
- 一部のソフトはゲームキューブとWiiのマルチソフト販売がされていた。
- 星のカービィGCもWiiに移行せず予定通り発売されてたかもしれない。
- 場合によってはゲームキューブ、DS、Wiiと言う形で発売されていた可能性がある。
- GBAみたいに多くの子供向けのゲームソフトが発売されていた。
- シナモロール、ボボボーボ・ボーボボ、とっとこハム太郎辺りが発売されていたと思われる。
- シナモロールはやはりカフェの仕事体験ソフトか。だとすると発売は2003年~2004年?
- シナモロール、ボボボーボ・ボーボボ、とっとこハム太郎辺りが発売されていたと思われる。
- パイロットウイングスはゲームキューブでも発売されていた。ただ、64時代のソフトほど売れなかった可能性がありそう。
- 星のカービィGCも予定通り発売されていた。ミリオンヒットは確実か。
- GBAとGCの連動ソフトが普及していた。
- MOTHER3はGBAではなくゲームキューブで発売されていた。
- スーパーマリオサンシャイン、ルイージマンション、マリオカートタブルダッシュ!!はミリオンヒット記録していたかも。
- 任天堂は現在も高性能のハードを開発していた。DSやWiiも高性能路線として開発されていた。
- Wiiは当初からHD対応であり、末期にソフト不足で悩まされることもなかった。
- デジタルAV出力ポートなどを撤去した後期型も出なかった。
- 「任天堂の奇跡の復活」としてゲームハードの歴史に残っていた。
- WiiUのバーチャルコンソールではGCのソフトも配信されていただろう。
- PS2みたいにDVDを再生することができていれば有り得ていたかも。
- 上手くいけばWiiにもDVD再生機能が搭載されていたかもしれない。WiiUとSwitchは微妙な所だが。
- DVD再生機能ならパナソニックの互換機であるQがありましたが。
- むしろ64との互換性じゃない?
- その分、Wiiではゲームキューブとの互換性を追求することもなかった。
- スマブラのためのゲームハード扱いされることもなかった。
- NINTENDO64と同様、任天堂のゲーム機で2000万台越えの置換型ゲーム機として注目されていた。
- NINTENDO64の反省でロムカセットを止めたのが爆発的な売り上げになったと見なされていた。
- 「あのPS2がゲームキューブに負けるなんて……」と思っていたPSユーザーも少なからず居ただろう…。
- ゲーマー達はXBOXの箱に対し、ゲームキューブは立方体か□と呼ばれていたかもしれない。
- WiiUのバーチャルコンソールでちゃんとゲームキューブのソフトも出ていたいたと思う。
- ゲームキューブのソフトのミリオンヒットは「大乱闘スマッシュブラザースDX」のみに終わる事は無かっただろう。
- ゲームキューブは本当に壊れないのか検証する人も沢山居ただろう。当然動画もうpされ、さらにはテレビ番組まで検証していたかもしれない。
- 任天堂のハードの中で一番売れなかったのはバーチャルボーイ除いて「NINTENDO64」のまま……と思いきや「WiiU」かもしれない。
- もしかするとゲームキューブが2000万台売れていたとしたら次世代ゲーム機の「Wii」は3000万台売れていたかもしれない。
- Wiiはむしろ存在が薄れていた。史実通りに発売してもゲームキューブ互換機能はなかったかもしれない。
- NINTENDO64でも成功していた場合、FF10〜FF12やDQ8も発売されていた。
Xbox編集
- Xbox=洋ゲー専用機という認識に留まることはなかった。
- Xbox360、XboxONEでも日本向けのゲームが発売されていた。もちろん日本でしか発売されるソフトも存在していた。
- ↑「日本でのみ発売される」では…?
- ゲームキューブは史実のWiiUぐらいしか売れなかった可能性がある。PS2はDVDプレイヤー需要もあるため史実よりは売上落ちるが、それでも比較的売れていたかも。
- それでもゲーマーから「箱」呼ばれ扱いはしていただろう。
- 当初のハードトラブルが起きていなければあり得ていたかもしれない。
- Xbox360、XboxONEも史実より売り上げを伸ばしていた
- 日本でもマイクロソフトはハードメーカー3強の一角として扱われていた
- 『ファミ通Xbox360』は休刊にならず『ファミ通XboxONE』として現在でも発行している
- 和ゲーは史実よりも早くオープンワールド化していた。
- 技術力で海外勢に遅れをとることもなかった。
- ハイエンドなグラフィックのAAAタイトルが次々開発されていた。
- 技術力で海外勢に遅れをとることもなかった。
- 逆に洋ゲーはもっと早く日本に定着していた。
- 荒野行動やAPEXの台頭を待つことなく、シューティングが大人気ジャンルになっていた。
- マインクラフトのようなゲームが日本でも開発されていた。
- JRPGは発売されなくなっていた。
- PS3の時にソニーは史実以上に苦境に陥っていたかもしれない。
PlayStation Portable編集
- ゲームボーイアドバンス並みの売れ行きはありましたが、もし、それ以上だったら?
- UMD(ユニバーサル・メディア・ディスク)という規格が衰退することはなかった。
- となると、PlayStation Vitaにもディスクメディアが採用されていた?
- この場合、もちろんPSPとの互換性は保持されていた。
- となると、PlayStation Vitaにもディスクメディアが採用されていた?
- メモリースティックが規格争いで有利になっていたか。
- PlayStation Vitaでも子供向けのソフトに力を入れていたと思われる。
- DSはNINTENDO64とゲームキューブと同様任天堂としては異例の値下げに踏み切っていた。
- そのため発売から一年後には13000円まで値下げされて、最終的には11000円となっていた。
- 「任天堂は低スペックだから売れない」と言うシングスがこの時点で作られていた。
- 当初の予定通り新型ゲームボーイが発売されていたかも。
- 「モンスターハンター専用機」という認識で終わることはなかった。
- モンスターハンターシリーズはPlayStation Vitaでも引き続きリリースされており、ニンテンドー3DSに移籍することもなかった……かもしれない。
- PS4でも携帯機のモンスターハンターの移植ソフトがリリースされていた。
- モンスターハンターシリーズはPlayStation Vitaでも引き続きリリースされており、ニンテンドー3DSに移籍することもなかった……かもしれない。
- 例の初期不良問題が起きていなければ有り得ていたかも。
ニンテンドー3DS編集
発売当初から大ヒットしていたら?
- 本機で売りにする3D機能を活かせるソフトが多数発売されていた。
- 2DSは登場しなかった。
- =3Dブームが終息しなかったら、である。
- 任天堂が赤字になることはなかった。
- 大幅な値下げもなかった。
- 後に登場するSwitchとは上手く住み分けすることができていた。
- Switchが3DSを喰う存在になることもなかった。
- 任天堂は現在でも多機能ゲーム機を発売していた。
- Switchではゲーム専用に特化することもなかった。
PlayStation Vita編集
- マインクラフトの売り上げだけで支えられたゲーム機扱いされることはなかった。
- 乙女ゲームの多くがSwitchに流れることもなかった。
- 4GsimのVITAも出ていた。
- auやsbのsimにも対応していた。
- 2000以降もちゃんと有機ELディスプレイを採用していた。
- 後継機が出る頃にはPSXやPSP goのようなポジションでフォルダブル・ローラブル有機ELディスプレイが出ていた。
WiiU編集
- それでも、開発が難しくソフト不足問題が発生していたのは史実通りだったかもしれない。
- 「ゲーム本体は売れるのにソフトがなかなか出ない」と言う現象が起きていた。
- それでも3DSで発売された子供向けのゲームは開発されていただろう。
- ゲームパット複数個使用は立ち消えになる事は無かった。
- マリオカート8で初めてゲームパット複数個使用が実現していたかもしれない。
- Miiverseはニンテンドースイッチでも対応していたかもしれない…?
- Miiverseは本来の機能をフルに使えていただろう。
- うごくメモ帳のような絵描きサービスがWiiUで出来ていたかもしれない。
- Miiverseは本来の機能をフルに使えていただろう。
- WiiUはテレビモードに変える事も出来るのでもしかするとテレビ離れは解消した…?
- 「WiiUのお陰でテレビ離れが無くなった!」とゲーマーが騒ぎ出す。
- PS4はPS3と似たような売上になっていたかもしれない。
- スプラトゥーンは史実より早く話題になっていたかも。
- 上手く行けば値下げも実施していたかもしれない。21500円が限界か?
- ニンテンドースイッチは2018年頃の発売になっていた。
- その場合スーパーマリオオデッセイはWiiUでの発売となり星のカービィスターアライズはSwitchと同時発売のゲームになる。
- スーパーマリオオデッセイはSwitchの目玉ソフトなのでむしろ発売が遅れていた。
- Switchのマリオカートは8の移植版ではなく、完全新作になっていたかもしれない(タイトルは「マリオカート9」あたり?)。
- その場合スーパーマリオオデッセイはWiiUでの発売となり星のカービィスターアライズはSwitchと同時発売のゲームになる。
- 妖怪ウォッチの本編がWiiUでも発売されていただろう。
- バーチャルコンソールはゲームキューブのソフトも実現していたかもしれない。
- ファミ通DS+Wiiが休刊に追い込まれる事は無かっただろう…。
- 題名もファミ通3DS+WiiUへ雑誌名変更されていただろう。
- Nintendo Switch発売後も刊行されていた場合、雑誌名は「ファミ通3DS+Switch」になっていたか。
- 任天堂は赤字に頭を抱える事は無かった…?
- WiiUでもどうぶつの森が出ていた。
- 任天堂は現在でもゲーム人口拡大路線を堅持していた。
- 生産終了時期は史実より約5年後の2021年頃になっていた。
- 新作が2020年頃まで出ていて、史実より、Switchとの縦マルチが増えていた。
- ポケモン本編は、第3世代が2018年夏頃、第4世代が2019年頃、第5世代が2020年頃にバーチャルコンソールで出た。