もしあのプロ野球球団の本拠地が○○のままだったら
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セ・リーグ
読売ジャイアンツ
谷津
巨人軍の前身となる大日本東京野球倶楽部が最初に試合を行ったのは、現在の習志野市谷津だったそうです。
- 千葉にあるとは言え、球団設立時の経緯からユニフォームに「TOKYO」の文字が躍るのは史実通りだと思う。
- 後のヴェルディのように「地元に寄与する気がない」として、反発が物凄く強くなっていた。
- ヤクルトが「東京」の二文字を冠するのも早くなっていた。
- 早ければサンケイ時代に既に「東京サンケイアトムズ」になっていたかもしれない。
- ロッテが千葉に移転できたかどうか怪しい。
- それ以前にマリスタも無かった可能性すらある。
- 読売新聞と京成グループの関わりが深まっていた。
- 京成電鉄のCMに巨人の選手がしばしば登場していた。
- 谷津遊園はもう少し長く生き永らえていた。
- 船橋ヘルスセンターの閉館と共に、跡地の大規模開発を行い新球場の建設を行っていた。
- ヘルスセンターが営業中の時代は、『8時だョ!全員集合』と巨人戦の視聴率対決が何かと話題に挙がっていた。
- ふなっしーも巨人ファンという設定になっていた。
- 後楽園球場はヤクルトあたりが使用していた。
- 東映→日拓→日本ハムに関しては史実通りか。
- この影響で東映は神宮球場に居続けられた。
- きんいろモザイクとのコラボもあったか。
後楽園球場
日本初のドーム球場として建てられた東京ドームの建設計画がなかったとしたら…?
- 日本初のドーム球場は別の球団が作っていた。
- 史実通りの順序なら福岡ドームが日本初の栄冠を手にしていた。
- 一部の巨人ファンが「伝統を誇る我が巨人軍にはドーム球場など邪道」と言っている。
- 日本版ヤンキースタジアムとして君臨、歴史的経緯はともかくとして「沢村栄治の建てた家」等と言われる。
- 後楽園競輪場跡地は90年代初頭~半ばまでプールとして使われていた。
- それだったらそこを新後楽園球場にして古い方をプールにしたほうが現実的だろ。
- 下手すると再開発計画がラクーアの場所と同時期にずれ込んでいた。
- 野球場が後楽園から移っていないので、横浜アリーナやSSAのようなよりライブ向けの施設が建設されていたかもしれない。
- 史実で東京ドームで開催されたライブは、後楽園かその新しい施設のどちらかの開催となる。
- 残留するにしても老朽化が進んでいるので、いずれ甲子園と同様に大規模改修があっただろう。
- 野球の聖地が甲子園というイメージが強まることはなかった。
大洋ホエールズ
下関
「横浜ベイスターズ」の前身である「大洋ホエールズ」本拠地は川崎の前は下関であった、では大洋の本拠地が下関のままだったら。
- 多少は現実よりも人気があった
- 場所柄九州(特に福岡・大分県)での人気が高かったと思われる。
- その分西鉄・ダイエー→ソフトバンクの人気が下がっていたかも。
- 福岡県内では北九州市→大洋、福岡市→西鉄・ダイエー→ソフトバンクを応援する人が多かった。
- 場所柄九州(特に福岡・大分県)での人気が高かったと思われる。
- ロッテは東京スタジアム閉鎖後、川崎を本拠地にしていた
- さらに横浜に移転。
- 大洋と広島の戦いは「瀬戸内シリーズ」と言うあだ名がつくようになった
- 現在も「ホエールズ」のまま
- 後に地名をつけて「大洋下関ホエールズ」または「大洋瀬戸内ホエールズ」になった
- たぶん「下関マルハホエールズ」でしょう。
- セ・パ交流戦ではソフトバンクvs大洋が「海峡ダービー」が成立する
- しかし戦いでは大洋は殆ど負けていたりする
- 川崎フロンターレに対する市民の入れ込み度は現実より微妙に低かった
- Jリーグクラブも下関にできていた
- たぶんPJMフューチャーズが下関に移転していた
- 釜山の「ロッテジャイアンツ」と「関釜ダービー」も有り得る。
- 交通の便を考えて、新下関駅周辺に新球場を建設。
- あるいは北九州に移転していたかもしれない。
- 「山口放送ホエールズナイター」を放送。
- 「テレビ山口ホエールズナイター」を放送。
- 山口放送ラジオはJOPM下関放送局のみ「ホエールズナイター」を放送して、他放送局や中継局は実史通りの編成をするとか。
- 「テレビ山口ホエールズナイター」を放送。
- 「ホエールズ友の会」の名誉会長は当然安倍晋三氏。
- 確実に父親もかつての名誉会長だった。
- ヤクルトファンになることはなかった。
- 優勝したら、「シーモール」はバーゲンだな。
- うっかり諸積を獲得しそうになり大騒動に。
- 宜野湾市と下関市が姉妹都市提携を結ぶ。
- 山口市がさらに地味な存在に。
- 高木三兄弟は父と同じ高校に進学した。
- もしかするとサッカーではなく父と同じく野球をやっていたかも。
- やくみつる氏がこの球団のファンになることはなかった。
- 2軍本拠地は宇部か小野田あたり。
- 下関出身の山本譲二が球団歌を歌っていた。
- 2000年代の成績が史実通りならホークスorカープとの合併が取りざたされた。
川崎
- 川崎球場閉鎖→川崎ドームになっていたか?
- 対ヤクルト戦が野球の多摩川クラシコになっていたかもしれない。
- 川崎市がプロスポーツチームに逃げられると揶揄される割合は下がっていただろう。
- 勿論チーム名はベイスターズにはなっていなかった。
- もちろんロッテは仙台に残っていた。
- あるいは仙台から直接千葉に移転した。
大阪
- 大阪球場閉鎖後はどこに移転していたのやら。
- 舞洲じゃないか?
- 京セラドーム大阪な気がする。
- 近鉄は2004年の球団消滅まで藤井寺球場を本拠地にしていた。
- オリックスと近鉄の合併後もオリックスはグリーンスタジアム神戸を本拠地にしていた。
- 親会社が東京と大阪の2本社制になっていた可能性あり。
- 現在では阪神はおろかオリックスよりも地味な存在になっていた。
- 04年の近鉄とオリックスの合併に続き阪神と大洋の合併も噂されていた。
- 史実通り暗黒時代が続いていた場合、大洋から身売りされた時点で別の場所(新潟か仙台辺りか?)に移転した可能性が高い。
- 2022年現在では、阪神ほどではなくても、オリックスほどの人気はありそうな気がする。
- ホエールズとオリックスとの交流戦は、「関西ダービー」として盛り上がる。
国鉄スワローズ(武蔵野グリーンパーク野球場)
後楽園球場の過密スケジュール解消の為に作ったが、突貫工事に加えて土層が天然芝に合わなかったことから半年しか使われずわずか5年で解体された。もし、きちんとした工事でかつ天然芝に合う土層へと改築したら…
- スワローズの本拠地として長年使われ、老朽化によってヤクルトが八王子に移転した後は解体され、跡地にサッカースタジアムが建てられた。
- 60年代における東京四大野球場(後楽園、神宮、東京、武蔵野)に選ばれた。
- 八王子市民を中心に西東京で大人気の球団となり、現実より財政面で厳しくはなかった。
- 東東京の巨人に激しい敵対心を剥き出しにし、東京ダービーは史実以上に荒れた。
- 岡田団長はスワローズを応援せず大映を応援し、マリーンズ応援団の親父さんとして崇拝された。
中日ドラゴンズ(ナゴヤ球場)
- 未だに球場の狭さを生かした大艦巨砲主義のチームだったかも。
- 大豊、パウエル、山崎は放出されなかった。
- 史実よりおそらく優勝回数は少なかった。攻撃型のチームは安定した成績を残しにくい。
- 史実通り落合監督が就任したとして、ナゴヤ球場が本拠地でも守りの野球のチーム作りをしただろうか。
- 大艦巨砲主義→横浜のマシンガン打線のような打線のつながりを意識したチームに変化していたかと。
- ナゴド元年の中日の成績急落が無かったので、阪神は95-2001年までの7年連続最下位ということに。しかもこの場合「矢野がトレードされない」という、史実に照らしてみれば致命的な事態が起こっていて、阪神の成績はさらに悲惨なものになっていた可能性も。
- 1997年のセ・リーグの最下位は阪神かあるいはメークドラマの反動で失速した巨人だったかもしれない。
- 星野時代以降の正捕手は矢野ではなく、FA宣言をしていた谷繁になっていた。
- 名鉄の「ナゴヤ球場正門前駅」は、今でも健在だった
- ナゴヤ球場前駅の駅名が山王駅に戻されることもなかった。
- 「ナゴヤ球場正門前駅」はJRの駅だが…常設駅として尾頭橋駅が設置されるためにいずれ廃止になってると思う。その尾頭橋駅にはナゴヤ球場前(名鉄)と同様、野球開催時に快速系統が臨時停車していた。しかし名鉄ナゴ球前もさすがにミュースカイは通過か?
- 河村たかし市長が球場の全面リニューアルを提唱していた。
- 大規模改修・拡張でボールパーク化される場合、ナゴヤ球場と同じく線路に近接しているズムスタやコボスタのような形になっていた。
- 阿久比に代わる二軍の新本拠地が史実のナゴヤドーム所在地に建設されていた?
- 人気女性アイドルグループ『モーニング娘。』誕生(結成)の地は、ここではなく瑞穂陸上競技場(現・パロマ瑞穂競技場)か、愛知県立体育館(現・ドルフィンズアリーナ)になっていただろう。
- 史実ののちのナゴヤドームみたく、ネーミングライツで「バンテリンスタジアムナゴヤ」に改名していたかも。
- AKB48選抜総選挙の開票イベントの開催地の一つになっていた。
広島東洋カープ(広島市民球場)
- 東洋工業は、オールスターゲームのスポンサーになっていなかった。
- 社名変更は1984年ですが…。(「東洋工業」時代にオールスターゲームのスポンサーをしていたことはない)
- 某野球評論家も同様のミスをしていた。
- 新しいところに作るのではなく、老朽化している広島市民球場を少しずつリフォーム。
- 2、3年かけて見違えるくらいに。
- 貨物ヤード跡地はいまだに空き地のまま。
- Chakuwikiでもネタにされている。
- サンフレッチェ広島のホームスタジアムができていたかも。
- 快速「赤ヘルナイター号」もない。
- コンサートでの利用も多く行われていた。
- 長崎出身で被爆2世の福山雅治あたりは確実。
パ・リーグ
日本ハムファイターズ(東京)
- 西武の札幌移転もありえた。→もしライオンズが本拠地を札幌に移転していたら
- 多分身売り問題が出た2004年オフあたりで移転しただろう。
- 楽天が札幌で新規参入の可能性はどうだ?
- 新庄はファイターズに入団しなかったかも。
- 当然2006年の日本一や2007年のパリーグ連覇もなかったかも。
- 地元のホークスに入団したかも。
- 入ったのは実際ファイターズと獲得を争ったバレンタインの居るロッテだったと思われる。
- 球界再編の際、ロッテとの合併計画が再発。
- ロッテではなく西武と合併、流れそのままにロッテもダイエーと合併し「福岡ロッテホークス」となっていた。
- 札幌ドームはプロ野球全球団の共通準本拠地という扱いとなっていた。
- 日本一ファンの少ない球団になっていた。
- 2008年の日本シリーズはドーム決戦だったかもしれない。
- 「27年ぶりの後楽園決戦!」とか「東名ドームシリーズ!」と球団は盛り上げたろうなぁ。
- 2009年と2012年に可能性があった。
- 金子誠は妻と同居。
- 長女の入学式はそろって登場。スポーツ紙の愛子様ご入学の記事に「金子選手の長女も入学」と併記される。
- ↑情報不明。2002年出生か、別の学校だったらごめんなさい。
- 長女の入学式はそろって登場。スポーツ紙の愛子様ご入学の記事に「金子選手の長女も入学」と併記される。
- 小笠原の移籍は無かった。
- 2007年のCSの日程が変わっていた。
- 2009年の日本シリーズは初の東京ドーム決戦だった。(1度対決しているが当時は後楽園球場だった)
- ダルビッシュ有と中田翔は間違いなく入団拒否していただろう。
- 斎藤佑樹は「指名してもどうせ拒否される」とリストにすら入らなかった。
- 大谷翔平もほぼ同じと見られる。
- 斎藤佑樹は「指名してもどうせ拒否される」とリストにすら入らなかった。
- コンサドーレ札幌の人気も実力も史実ほど低迷しなかった。
- 北海道は2004年以降も巨人ファンが多いままだった。
- セ・リーグの北海道遠征シリーズが今も続いていた。
- エスコンフィールド北海道は建設されなかった。
ロッテオリオンズ
仙台
- 現実よりは人気のある球団だった。
- 落合博満の在籍中に1回ぐらいは優勝していた。
- ひょっとしたら、落合氏は中日ではなくロッテで監督をやってたかも。
- 広島のように「新幹線がなければ移動が大変で優勝できなかっただろう」という声も上がっていた。
- 川崎球場は大洋の横浜移転後しばらくしてさっさと解体された。
- 川崎球場でおなじみだった光景(流しそうめんなど)を宮城球場で見ることが出来た。
- ↑にあるような人気次第だからそれはどうだろう?あるとしたら日本ハム主催の後楽園球場辺りでは?
- 川崎球場でおなじみだった光景(流しそうめんなど)を宮城球場で見ることが出来た。
- 六大学野球優先の日程に嫌気がさしたヤクルトが本拠地を千葉マリンスタジアムに移転していた。
- と言う事で現在の名称は千葉ヤクルトスワローズに
- そのうち、成田空港や●ィズニーランドの真似をして、「東京」ヤクルトスワローズに…あれ?
- 正しくは、千葉ヤクルトスワローズ→東京ヤクルトスワローズ→千葉県民からクレームが来て最終的に「ヤクルトスワローズ東京・千葉」に
- むしろ、JRの某路線名みたいに「京葉ヤクルトスワローズ」じゃない。
- この場合、千葉マリンが本拠地、神宮球場はスワローズの準本拠地となる
- と言う事で現在の名称は千葉ヤクルトスワローズに
- 楽天は四国を本拠にしていた。
- 三木谷としては神戸あたりかも
- 楽天が親会社(かな?)のJリーグ・ヴィッセル神戸もあるから、現実味はあるか…?
- 候補に挙がっていた長野の可能性も。
- 三木谷としては神戸あたりかも
- 政令指定都市移行と同時期に球場改修。一気にキャパシティ3万。
- 宮城球場にてかなり早い時点で日本シリーズが開催できるようになった。
- 現在も「マリーンズ」ではなく「オリオンズ」のまま。
- マスコットはオリオンをモチーフにした「オッ君」
- 川崎時代のマスコット・「バブルガムボーイ」はお役御免?
- マスコットはオリオンをモチーフにした「オッ君」
- Jリーグのベガルタ仙台が宮城県中からあれ程注目される事は無かった
- オリオンズの影に隠れて地味な存在になってたかも
- いや寧ろオリオンズと協力して「銀河系フェスタ」をやってしまうwww
- bjリーグの89ERSは仙台のプロスポーツチームとの統一性の為「アポロンズ」・「レグルス」等になっていた
- オリオンズの影に隠れて地味な存在になってたかも
- 宮城野原駅の駅舎がクリムゾンレッドの色に塗られることはなく、違う形になっていた。
- 宮城野原駅に早い段階で「宮城球場前」の副駅名がついていた。
- 現在のような独特の応援スタイルが生まれることがなかった。
- 代わりにベニーランドの改変チャンテが中心。
- 「新仙台駅」が実現していたかも知れない
- 東北新幹線の?さすがに野球と新幹線は結びつかないと思うが…
- 上手くいけば平均観客動員数、2万5000人くらいは行っていた
- 日本ハムファイターズが千葉マリンスタジアムを本拠地にし、「千葉日本ハムマリーンズ」と名乗っていた。
- その場合、楽天が札幌に。
- 実史では千葉ロッテが、Kスタ宮城での対楽天戦で11連敗を喫しているが、それが無かった(?)。
- 98年の千葉ロッテ18連敗…
- 仙台でハンバーガーといえばマクドナルドではなくロッテリアが中心。
- 宮城出身の小坂誠が相思相愛で入団しミスターオリオンズを襲名。同じく宮城出身の佐々木や斉藤隆も入団は別としてもオリオンズ志望であった。
- ちなみに斎藤隆は少年時代にバブルボーイズ(オリオンズのファンクラブ)に入ってた。
- ロッテ本社が川崎フロンターレのスポンサーになることもなかったかもしれない。
- 乃木坂46久保史緒里はオリオンズのジュニアチアガールになっていた。
川崎
- 勿論「マリーンズ」に改名することはなかった。
- マーくんたちは存在しなかった。
- 代わりにヤクルトスワローズが千葉に移転していた。
- 暗黒時代がずーーーっと続いていた。
- 川崎フロンターレの地元人気はいまひとつ。ただし上の場合は別。
- 今でも事あるごとに「川崎劇場」というフレーズを持ち出している。
東京
- 東京スタジアム閉鎖後は後楽園球場→東京ドームに移転していた。
- 1962年以降も後楽園球場だったら1970年の日本シリーズは後楽園決戦になっていた。
- 東京スタジアム撤退後の1974年頃オリオンズが戻ってくるという噂が実現していた場合、外野フェンスを高く改修して営業再開。
西鉄ライオンズ(福岡)
西鉄ライオンズは
- 「ホークスタウン」が誕生する代わり福岡には「ライオンズタウン」が誕生する。
- 当然「ホークスバス」も「ライオンズバス」になっていた。
- 西鉄のCMに川崎の代りに中島が出演。
- 川崎がライオンズ入りして結局史実通りになっている可能性もある。
- 80年代から90年年代中盤まで栄光の時代を築いたので九州では圧倒的に西鉄ファンの数が激増していた。
- それは常勝時代を過ぎた現在でも一緒。
- もはや地元は巨人なんて目じゃない。
- 西武が買収しなかったので結局黄金時代を築けなかった可能性も・・・。
- その場合西武は大洋を買収し、ホエールズに黄金期が来ていたかも。
- 「西鉄ドーム」が出来る。
- ダイエーが買収して結局「福岡ドーム」になった可能性も。
- むしろ名称は「福岡西鉄ドーム」「西鉄福岡ドーム」「西鉄ドーム福岡」のいずれかになっていた。
- 現在ではソフトバンクが買収して、「福岡ドーム」になっている。
- 仮に西鉄から身売りがあったら90年代ならダイエーが買収していた。
- ホークスは・・・。
- むしろダイエーがホークスを買収して「大阪ダイエーホークス」になり、ライオンズは2000年代に西鉄からソフトバンクに買収されていた。
- そして今頃は「福岡ソフトバンクライオンズ」になっていたかもしれない。
- ホークスは・・・。
- 90年代中盤に仰木彬がライオンズの監督に就任し新たな黄金時代を築く。
- その当時のスタメン(1995年頃を想定)
- 1番 2B 辻
2番 RF 佐々木
3番 CF 秋山
4番 1B 清原
5番 DH デストラーデ(後半はジャクソン or ライマー)
6番 3B 石毛 or 松永
7番 LF 村松
8番 C 伊東 or 吉永(でもほぼ全試合で伊東だろう)
9番 SS 田辺 or 浜名
- 1番 2B 辻
- その場合、仰木はブルーウェーブの監督に就任することは無かった。
- 勿論、イチローの大活躍も見られなかった。
- むしろ、王貞治が監督に就任していた。
- そして2000年代後半に西鉄が球団経営から撤退し、社長が王との関わりが親密なソフトバンクが親会社になり上記のように「福岡ソフトバンクライオンズ」になっていた。
- 王が監督を勇退した後はライオンズの会長に就任する。
- あるいは史実通り森祇晶がライオンズの監督になり、王貞治がホークスの監督になっていた。
- その当時のスタメン(1995年頃を想定)
- 『平和台おお騒ぎ ─ライオンズ昭和54年─』で歌われていることが現実になっていた。
- 『甦れ!俺の西鉄ライオンズ』での提言も、ある程度生かされていた。
- 未だにライオンズは島原キャンプからシーズンが始まる
- 宮崎or鹿児島(どちらも西鉄高速バスの路線あり)に移転している気がする。
- 西鉄の経営状態が現実よりもよかったため、福岡市内線や北九州線は廃止されなかった。
- 廃止原因はモータリゼーションや行政の圧力なのでそこは関係ないと思う。
- 北九州線に関してはJRが本気で潰しに来たのも大きい。
- 廃止原因はモータリゼーションや行政の圧力なのでそこは関係ないと思う。
- 勿論、球団歌は「いざゆけ若獅子軍団」。
- 史実の福岡時代の球団歌の題名には全て「ライオンズ」という語句が入っているので「いざゆけライオンズ」あたりが妥当かと。
- 史実のホークスの選手の多くはライオンズに所属していた。
- ユニホームのどこかに97年導入の「Nishitetsu」ロゴが入っていた。
- これでもレオ&ライナは登場していた。
- HKT48はライオンズ応援隊を結成していた。
南海ホークスは
- ホークスの本拠地は今でも大阪。
- 福岡にホークスタウンが誕生することは無かった。
- のちにオリックスと近鉄と合併。
- 四国か東北に移転していた。
- たぶんホークスは仙台に移転、そして楽天は四国を本拠地にする。
- それはない。むしろホークスのそのままで、ブルーウェーブとバファローズだけが合併していた。
- その場合、合併新球団の本拠地候補は大阪・神戸・京都になっていた。
- 仮にホークスの本拠地が大阪のままだったら「大阪ドーム」を本拠地にしていた、近鉄は合併まで藤井寺。
- フランチャイズの関係で近鉄はオリックスとでは無くホークスと合併していた。
- その場合楽天イーグルス設立は史実通りで、バファローズ・ホークスの合併球団の親会社は大阪の有力企業になっていた。
- むしろ合併後もバファローズの名を残したい近鉄バファローズとホークスの名前を意地でも守りたい大阪ダイエーホークスの意見が対立し、ホークスではなく史実通りオリックス・ブルーウェーブと合併し、オリックス・バファローズが誕生していた。
- 初代監督にはもちろん仰木彬氏が就任していた。
- ただし、史実とは違い合併後も現在までグリーンスタジアム神戸を本拠地とし、兵庫県をフランチャイズとしていた。
- ロッテの項目を考えると千葉への移転もありえる
- 神戸移転もありえた→もしダイエーの本拠地が神戸だったら
- フランチャイズの関係で近鉄はオリックスとでは無くホークスと合併していた。
- もしライオンズがダイエーに買収されていなかったら、ホークスがダイエーに買収されていた。
- 時期は史実と同じ1988年。
- 球団名は「大阪ダイエーホークス」
- 2000年代中盤にダイエーの経営が悪化し撤退した後はその他の有力企業に買収されるか、上記に出ているようにバファローズと合併して東北楽天ゴールデンイーグルス設立は史実通りになるかのどちらかになっていた。
- 両者に共通して(前者の場合はホークス、後者の場合は合併球団)、新親会社候補はサントリー・伊藤忠商事などになっていた。
- 前者の場合は楽天も候補に挙がっていた。
- 楽天の場合、球団名は「大阪楽天ホークス」
- もちろん、ホークスOBである野村克也は指揮を執っている。
- 当然、楽天イーグルスの設立はない。
- 楽天の場合、球団名は「大阪楽天ホークス」
- あるいはホークスがダイエーからイオンに身売りされ、「大阪イオンホークス」になり、ダイエーが史実通りイオンの子会社になっていた。
- 前者の場合は楽天も候補に挙がっていた。
- 前者の場合、バファローズも2000年代後半に近鉄が経営から離れ、他の有力企業に買収されていた。
- 買収する会社によってはバファローズは大阪から離れていたかもしれない。
- もしくはバファローズは史実通りブルーウェーブと合併していた。チーム名も史実と同じ「オリックス・バファローズ」。イーグルスも史実通りに設立。ただし新生バファローズのフランチャイズは2005年から2007年までは兵庫県・京都府の両方で、2008年から京都府のみとなる。本拠地は兵庫は神戸総合運動公園野球場で、京都は京都市西京極総合運動公園野球場。
- むしろ合併後も現在に至るまでフランチャイズは兵庫県で、本拠地がグリーンスタジアム神戸のままだった気がする。
- 両者に共通して(前者の場合はホークス、後者の場合は合併球団)、新親会社候補はサントリー・伊藤忠商事などになっていた。
- 本拠地が千葉に移転していた。
- 2003年と2014年の阪神VSホークスの日本シリーズは、「関西ダービー」として話題になっていた。
- 大阪イオンホークスとオリックス・バファローズの試合は、巨人VS阪神と同様の伝統の一戦とされ、共に関西のパ・リーグ球団である両球団は強いライバル意識を持っていた。
- 2014年の10.2決戦が史実以上に注目されていた。
- 関西における球団の人気が阪神に一極集中することはなく、兵庫県ではオリックスの方が人気となり、大阪府などでも阪神に負けず劣らずホークスが人気になっていた。
西武(=国土計画)は
- 西武(国土計画)は株を持っていた大洋ホエールズの親会社に就き、「横浜西武ホエールズ」になっていた。
- ホエールズは「横浜西武」じゃなくて「西武」として所沢新球場に移転。ただ海無し県なのに「ホエールズ」とはこれ如何に?となり何か新しい愛称に変更。結局空いたハマスタはオリオンズが移転
- 国土計画主導なら横浜から動かず、「横浜コクドホエールズ」になる可能性も。この場合、コクド本社が横浜に移転。
- みなとみらい線及び副都心線の開通、そして西武池袋線からの直通運転が史実より早く実現していた。
- 「文化放送ライオンズナイター」はなかった。
- 「テレビ埼玉ライオンズアワー」もなかった。
- 西武グループの資金力をバックに読売巨人軍と激しい選手の引き抜き合戦を行っていた。
- セリーグは、ジャイアンツとホエールズの2強時代に。
- その代わりタイガースはいまだに暗黒時代のままでカープは身売りされてた?
- カープは独立採算なのでその可能性は皆無かと。
- その代わりタイガースはいまだに暗黒時代のままでカープは身売りされてた?
- セリーグは、ジャイアンツとホエールズの2強時代に。
- 04-05年の親会社の諸問題により球団名の変更を余儀なくされていたかもしれない。
ロッテオリオンズは
- 結局空いた横浜スタジアムにオリオンズが移転
- のちに「横浜ロッテマリーンズ」に改名。
- 史実の川崎よりはマシな観客動員だったと思う。
- 言うまでもなくライオンズの埼玉移転はないので、むしろオリオンズが埼玉に移転していた。
- 勿論ロッテの工場がある浦和に新本拠地ができていた。
- 本拠地はさいたま市営浦和球場。
- 浦和球場は現実より豪華になっていた。
- 本拠地はさいたま市営浦和球場。
- 球団名候補は「埼玉ロッテオリオンズ」か「浦和ロッテオリオンズ」のどちらか。
- 勿論ロッテの工場がある浦和に新本拠地ができていた。
- 稲尾和久の監督就任はなかった。
南海ホークス
大阪
- ダイエーに身売り後は「大阪ダイエーホークス」を名乗る。
- もちろん、ホークスタウンは大阪にできる。大阪ドームの完成も史実より早かった。
- ダイエーが球団運営から撤退した後は、サントリー・伊藤忠商事などに身売りされていたかもしれない。
- ソフトバンクに身売り後も「大阪ソフトバンクホークス」。
- それは王貞治がホークスの監督を務めていたときに限る。
- 1996年までは大阪球場を本拠地。1997年から大阪ドームに移転。近鉄バファローズの本拠地は藤井寺のまま。
- ホークスと近鉄が合併していた
- その場合、大阪ドーム本拠で藤井寺は練習場扱い。球友寮(藤井寺球場隣接のバファローズ選手寮)を増築もしくは藤井寺市内のどこかに移転することになろう。
- 南海汐見橋駅が大阪ドームから徒歩圏にあるので、南海側も球場の最寄駅としてPRしていた。
- 汐見橋線が廃線寸前に追い込まれることはなく、ホークスラッピング車も走っていた。
- ホークスと近鉄が合併していた
- 福岡ドームの建設が遅れていた。
- ギャオス捕獲計画がまったく別(おそらくかなりチャチかつ荒唐無稽)のものになっていた。
- 『半島を出よ』の内容にもかなり影響があった。
- 楽天は仙台でなく福岡に新球団を設立
- 或いはソフトバンクがホークスを買収しなかったら福岡に球団を設立していた
- ホークスの人気によっては近鉄の身売りが更に早くおきた
- ライブドア・楽天・ソフトバンクのどれかが買収
- 阪神タイガースがガンバ大阪との交流を深める一方、ホークスは真の大阪の球団としてセレッソ大阪との関係を強化した
- 遂には鷹ファンはセレサポから影響されて阪神との交流戦では「俺たち大阪!!お前ら西宮!」の文字を掲げていた
- モリシが大阪ドームで始球式を行い、お返しとして門田監督が長居に来た
- ホークスとタイガースの日本シリーズは「御堂筋シリーズ」として実際に行われた昭和39年より騒がれる
- 在阪マスコミはシリーズまでの間こぞって特番を組む(但し、タイガース中心に)
- 2014年の阪神対ホークスの日本シリーズが史実通り開催されたら、史実の2023年の阪神対オリックスよりも早く阪神なんば線が注目されていた。
- 甲子園球場と大阪球場が電車一本で行き来出来るため。
- アビスパ福岡の人気と実力が史実より上がっていた。
- 関西独立リーグの大阪ホークスドリームはなかった。
- むしろ、関東に本拠地を置く球団が福岡に移転していた。
- 1988年の南海→ダイエーの身売り時に門田博光が単身赴任を避けて移籍することもなくホークス一筋で現役を終えていた。
- ユニフォームのどこかに「NANKAI」ロゴが入っていた。
- NMB48がホークス応援隊を結成していた。
- 当然なんばパークスの開業もなかった。
- あるいは大阪球場の改修時に周辺をボールパーク化させていたかも。
- 「ホークスタウンモール」として開業していたかも。
- もちろん住宅展示場になることもない。
- 遅くとも1995年頃には大阪球場のスコアボードが手書きから電光掲示板に変わっていた。
甲子園球場
- 1948年・49年シーズンのみ、南海も甲子園を本拠地としていましたが…。
- ≒GHQから大阪球場の建設許可が下りなかったらである。
- 中百舌鳥球場への回帰が株主総会等で検討されるも、何かしらの理由で最後まで実現せずに終わる。
- あくまでも表向きの保護地は大阪である為、藤井寺を間借りする事も検討されていた。
- 「南海沿線に客を引き寄せられない」と言う理由から、最悪の場合西鉄と同時期に身売りor近鉄と合併していたかもしれない。
- 中百舌鳥球場への回帰が株主総会等で検討されるも、何かしらの理由で最後まで実現せずに終わる。
- 死のロードは阪神だけでなく南海にも降りかかり、下手すると福岡時代初期まで良い成績を残せなかった可能性も…。
- 電車野次は使われなかったか、史実のライジングテーマみたいに大差での負け専用の応援歌になっていた
近鉄バファローズ(藤井寺)
- 藤井寺球場がドーム球場化されてたかも。
- オリックス・ブルーウェーブとの球団合併もなかった。
- しかし老朽化問題は避けて通れず、花園ラグビー場と一体化した新球場が出来ていた。
- 1997年にユニフォームのデザインが変更されなかった。
- 球団合併がなくても,2000年代に他の有力企業に身売りされた
- 遅くとも2000年頃には藤井寺球場のスコアボードが電光掲示板に変わっていた。