もしあのプロ野球選手があの球団にドラフト指名されていたら
新規項目追加時はドラフトの開催順(同じ年なら指名順位→五十音順)でお願いします。
- 史実でも指名していた球団の場合はもしプロ野球ドラフトで抽選に勝ったのがあの球団だったらへどうぞ。
- ドラフト制度導入以前、逆指名や自由枠での入団、外国人選手はもしあのプロ野球選手があの球団に入団していたらへどうぞ。
- 史実ではプロ野球入りしていない選手はもしあの選手が日本プロ野球入りしていたらへどうぞ。
1960・70年代
鈴木啓示→阪神(1965)
- 近鉄の背番号1はもちろん永久欠番にならなかった。
- 江夏と共に左腕王国を築いていた。
- 1965~85年の阪神の成績が史実よりも良く、何度か優勝できていたかも。
- 少なくとも1973年は阪神が優勝し、巨人はV8となっていた。
- 1965~85年の阪神の成績が史実よりも良く、何度か優勝できていたかも。
- 近鉄監督に就任することはもちろんなかった。
- 野茂英雄との確執ももちろんなかった。
- 野茂英雄のメジャー行きももちろんなかった。
- 1994年6月下旬から8月上旬の近鉄猛追(左記期間の成績30勝6敗)も無かった。
- 2ちゃんねるでネタにされることは当然なかった。
- むしろいずれは阪神の監督になっていた。
- 野茂英雄との確執ももちろんなかった。
- 背番号は「18」になっていたか?
- 有田修三が捕手として大成したか微妙なところ。
- 史実よりも早くトレードされていた。
- 史実通り1985年に引退していたら、リーグ優勝→日本一という最高の形で有終の美を飾ることになった。
平松政次→巨人(1966)
第2次ドラフト会議で讀賣ジャイアンツは1位指名する予定でした。
- リーグ優勝を経験していた。(史実では、平松政次氏はリーグ優勝の経験はなし。)
- トレードに出されていたかもしれない。
- カミソリシュートを会得できず、スライダーと曲がらないカーブを軸としたピッチングを余儀なくされていた。
高田繁→南海(1967)
本人は幼少の頃から南海ファンでした。
- 地元のスター選手として、人気を集めていた。
- 大沢啓二氏からかわいがられた。
- 日本ハム監督の就任は史実通り。
- 門田博光氏を指名することはなかったかもしれない。
村田兆治→広島(1967)
- 引退まで広島で活躍し、「地元の星」としてファンから愛されていた。
- 1970年代後半の成績は史実より良かった一方、1980年代前半の成績は史実より落ちていた。
- 史実では1982年に肘を故障したため、これが広島球団へのダメージになっていたと思われる(実際、故障期間中の1983年にロッテは球団史上初の最下位に転落している)。
- 袴田英利ではなく達川光男を鍛え上げていた。
- 金田正一監督からのアドバイスが受けられないので、マサカリ投法を編み出すことはなかった。
- 阪神への移籍を志願することもなかった。
- 史実で村田の1位指名を進言した植村義信投手コーチが広島に在籍していればこうなっていた可能性が高い。
- その場合1975年に植村コーチが所属していた阪急との日本シリーズで史実通り広島が1勝もできずに敗退していた場合同コーチは「阪急のスパイ」扱いされて大バッシングを受けていた。
- 史実で広島が1位指名した井上弘昭は中日が指名していた。
田淵幸一→巨人(1968)
- 関東で大人気。
- 西武移籍もなかった。
- 星野仙一の「ホシとシマの間違いじゃないのか」もない。
- 実史通り中日へ入団しても、巨人キラーぶりは発揮できなかったと思われる。
- 阪神の指名は富田勝あたりか?
- 当然富田の巨人移籍もなく、高田繁の三塁手転向が早まった。
- 田淵をモデルにしたテレビアニメ「がんばれタブチくん」の放送自体が無かったか、良くても関西ローカルでの放送となった?
- 張本を獲得することもなかった。
- レギュラーの座を死守しようと森が必死の策略を田淵に対して仕掛け、人の良い田淵は罠に嵌り、槌田の運命を歩んだかも。
- 田渕を打撃に専念させるために、外野手に転向させていた。
- 史実のような故障に悩まされることも無く、現役生活はもっと長かった。
- 田渕を打撃に専念させるために、外野手に転向させていた。
- 息子の田淵裕章はもしかしたら日本テレビに入社していたかも。
- 1973年の巨人はもっと楽に優勝できていた。
- 少なくとも甲子園の最終戦で阪神ファンの暴動は起きなかった。
- 史実通りダイエーの監督に就任した場合、生卵事件が5年ほど早く発生した。
星野仙一→巨人(1968)
- 星野仙一は嘗て巨人に在籍していた沢村栄治の再来と言われている。
- そして江川卓が星野の後継者的なポジションを手に入れる。
- 永久欠番となっている「14」の付与もあったか?
- そして巨人の監督にも就任
- 長島監督の再雇用は無かった。
- 宇野のヘディングもなかった。
- 闘志をむき出しにすることもなく、活躍することもなく、ひっそりと引退していた。
- 張本獲得の際に放出されていたかも。(史実では高橋一三)
- 牛島がロッテにトレードされることは無かった。
- もちろん落合が中日監督に就任することも無かった。
- ブレービーも生まれていなかった……かも。
- 阪神の監督にもならなかった。
山口高志→近鉄(1974)
- 1975年は近鉄が年間優勝していた。
- 阪急は身売りまで日本一になれなかったかも。
- 監督の西本幸雄氏による羽田殴打事件はなかった。
北別府学→日本ハム(1975)
- 広島黄金時代はなかった。
- カープ唯一の200勝投手になることもなかった。
- 日本ハムの優勝回数が増えていた。
- 少なくとも1980年は後期優勝していた。
落合博満→阪神(1977)
1977年のドラフト会議で阪神タイガースから指名される意向を示しましたが、指名されませんでした。もし、指名されたら…
- 3位あたりで指名されていた。
- ランディ・バース氏とホームラン争いを繰り広げていた。
- チームメイトに三冠王を阻止され、落合とバースは仲が悪くなっていただろう。
- 史実とは逆にバースがロッテに入団していたかも。
- その場合、史実ほどの活躍をしていても、史実ほどは神格化されず、期待の助っ人外国人が「バースの再来」と言われることもなかった。
- 日本プロ野球史上最強の助っ人外国人は、T.ローズかラミレスの2択になっていた。
- その場合、史実ほどの活躍をしていても、史実ほどは神格化されず、期待の助っ人外国人が「バースの再来」と言われることもなかった。
- 中日への移籍はなかったかもしれない。
- 場合によっては、巨人、日本ハムへの移籍もなく、阪神で現役を終えていたかも。
- 引退後は、阪神監督に就任していた。
- 星野仙一の後任として2004年に阪神の監督に就任していた。
- 2005年に加えて、2006年、2007年、2008年、2010年も阪神が優勝し、黄金時代を築いていた。この中で少なくとも1回は日本一になれただろう。
- 逆に中日は2004年は優勝できただろうが、それ以降は2022年現在まで優勝から遠ざかっている可能性がある。
- 2007年の日本一もなく、1954年以来60年以上日本一から遠ざかっている。このことが中日ファンの屈辱になっていた。
- 逆に中日は2004年は優勝できただろうが、それ以降は2022年現在まで優勝から遠ざかっている可能性がある。
- 2011年に阪神の監督を解任された後は、史実通り和田豊が監督になっていた。
- あるいは解任自体なく、もう少し長く阪神の監督を務めていた。
- 21世紀に入ってからの阪神と中日の球団史が入れ替わっていた。
- 福間納氏とのトレードで、ロッテに移籍していた可能性もあり得る。
- その場合、深沢恵雄氏は阪急などの在阪球団とのトレードで移籍していた可能性が高い。
- セカンドに定着した場合、岡田彰布は入団していなかったかもしれない。
- その場合、岡田彰布はロッテに入団していた。
- 現役引退後もロッテの監督に就任していた。
- 同性の岡田幸文はY-岡田を登録名にしていた。
- その場合、オリックスの監督に就任することはなく、T-岡田の登録名は本名の岡田貴弘のままだろう。
- 現役引退後もロッテの監督に就任していた。
- ファーストに定着した場合、バースは阪神に入団せず、ロッテに入団していただろう。
- その場合、1985年に三冠王を達成してロッテを優勝に導き、日本シリーズでの阪神落合博満との三冠王対決が実現していた。
- その場合、岡田彰布はロッテに入団していた。
- 落合が巨人に移籍しない限り、阪神の暗黒時代は到来しなかったかもしれない。
- 掛布雅之、バースor岡田彰布と強力なクリーンナップを形成していた。
- ファーストに定着していた場合、3番ファースト落合博満、4番サード掛布雅之、5番セカンド岡田彰布となっていた。
- セカンドに定着していた場合、3番ファーストバース、4番サード掛布雅之、5番セカンド落合博満となっていた。
- バックスクリーン3連発も上記のどちらかになっていた。
- 1985年に加えて1986年、1992年も阪神が優勝していたかもしれない。
- 阪神一筋で現役を終え、ミスタータイガースとなっていた。
江川卓→??(1978)
落合博満→巨人(1978)
1978年のドラフトをボイコットした巨人ですが、実は落合博満を2位指名する予定でいました。もし巨人がドラフトをボイコットせず、落合を指名していたら…
- 巨人
- ロッテの弱体化がもっと早くに始まっていた。
- その年の巨人はAクラス入りできた。
- 江川はそのまま阪神に入団。小林が阪神へトレードされることもなかった。
- 仮に江川入団がその場で認められた場合、巨人バッシングはもっと大きかった。
- とは言ったものの三冠王にはなれただろうか?
- 第1期長嶋政権のうちにもう一度優勝出来ていたかも。
- そうなれば「長嶋監督を胴上げする落合」というシチュエーションが1期2期の両方で見られた。
- ロッテ
- 少なくとも巨人バッシングはそれほど起きなかった。
- 長嶋監督の解任時期が変わっていたかも。
木田勇→ヤクルト(1979)
- ヤクルトの成績が、もう少しましになっていた可能性がある。
- ただし初年度のみ。
- 本人も、もう少し現役を長く続けられていた。
- ヤクルトは、巨人と共に地元の大洋に次ぐ「第二の意中」としていた為。
- 清原和博の6球団競合が史実以上に注目された。
長嶋清幸→阪神(1979)
史実では、阪神スカウトの田丸仁氏が目を付け、下位指名の予定を伝えましたが、指名されることはなく、ドラフト外で、広島に入団しました。もし、阪神タイガースから指名されていたら…
- 4位で指名されていた。
- 1985年のリーグ優勝に貢献していた。
- アレン氏らの加入はなかった。
- トレードの出されていたのは史実通り。
1980年代
山崎武司→巨人(1986)
ドラフト前、巨人のスカウトが「絶対うちが獲るから他の球団とは接触しないでくれ」、「外れ1位か2位で指名する」とも言われてましたが、最終的に巨人は2位まで山崎を指名することなく、中日が山崎を2位指名しました。もし巨人にドラフト指名されていたら・・・。
- 史実のように、数年間二軍で下積みして、レギュラーを獲得し、巨人の主砲となっていた。
- 松井と共に怪物主砲コンビとして、他球団から恐れられていた。
- 外野手として活躍していた場合、広沢はヤクルトからFAで移籍しなかったかも。
- 一塁手で活躍の場合、落合は中日からFAで移籍していない可能性アリ。
- 高橋由伸が入団して以降は、出場機会が激減する。
- それに伴い、他球団にトレードされていた。
- 史実より、現役生活が短かった可能性もある。
古田敦也→??(1987)
古田敦也は1987年、立命館大学時代にもドラフトで指名される可能性があったが指名されず、トヨタ自動車に入社し、2年後ヤクルトに指名され入団。その後の大活躍は周知の通り。
では、この時指名されていたら。
- 共通すること
- 中井美穂と結婚していなかった。
- 阪神以外だと野村克也監督と出会えない為、史実ほどの成績が残せなかった。
- 阪神
阪神スカウト陣は、立命館大学の古田敦也捕手をドラフトで指名するよう推したが、「メガネを掛けているのは捕手として致命的欠点である」というフロントの意見で指名を見送った。
- 1992年は阪神が優勝していた。
- 1993・94年も優勝していたかも。場合によれば連覇・日本一ということもありうる。
- カーネルサンダースの呪いは史実ほど話題にならなかったか。
- 1993・94年も優勝していたかも。場合によれば連覇・日本一ということもありうる。
- 関西テレビの関純子アナと結婚していた。
- 既に引退し、今頃は阪神で専任監督。
- 阪神のプレーがクレバーなものになり、昔からのファンはちょっと寂しく感じるようになる。
- 基本的に勝てばいいので勝ち方など気にしなくなる。
- 阪神のプレーがクレバーなものになり、昔からのファンはちょっと寂しく感じるようになる。
- 中日から阪神にトレード後も矢野はずっと控え捕手のままだった。
- いや、矢野はヤクルトにトレードされて正捕手を務めた。
- その場合2003・2005年のいずれかはリーグ優勝できなかった可能性もある。
- 入団からしばらくは平凡な捕手。ブレイクは野村監督就任まで待たねばならなかった。
- ただし肉体のピークが過ぎているので名球会入りはなかった。
- ヤクルトの黄金時代はなかった。
- 最悪の場合身売りされていた。
- 飯田は二塁→外野のコンバートが無くずっと捕手だった。
- ソウルオリンピックの正捕手は應武篤良だった。
- 野口寿浩がスワローズを代表する名捕手になっていた。
- 当然日本ハムや阪神・横浜に移籍することはなかった。
- 古田自身は兵庫県川西市出身なので、地元の星として人気は絶大だった。
- 日本ハム
大沢啓二氏によれば日ハムもドラフト候補に挙げていたが「鳥目である」というデマが流れてナイターでは使えない、と指名を見送ったとのこと。さらにデマと分かった後でドラフト外の獲得を計ったがそのときにはすでにトヨタ入りが決まっていたそうな。
- 大沢氏の監督退任時のファンに対する土下座はなかった。
- 古田自身がそれほど有名にならなかった。
- それでも札幌に移転する前に1度はリーグ優勝できていたかもしれない。
- 小笠原道大の一塁転向も早まっていた。
- 實松一成は他球団に入団していたか?
- 巨人
- 阿部は巨人を逆指名しなかった。
- 阪神が阿部を逆指名していたかもしれない。
- 90年代は再び巨人の黄金時代。V10もあったかも。
- 村田真一が正捕手から追い出されトレード。
- 阪神の暗黒時代の成績はさらにひどくなっていた。
- 日テレの女子アナと結婚していた。
- ヤクルト
- ヤクルトの1991年までの成績がもう少しまともになっていたかもしれない。
- 秦の外野手転向が早まった。
野茂英雄→??(1989)
野茂は史上最大の8球団競合となりましたが、この時野茂の指名を見送った巨人・中日・広島・西武のいずれかからも指名を受け、且つ巨人・中日・広島・西武のどこかがドラフトに勝っていたら?
- 全般
- 12球団競合の場合、巨人の指名が確定した瞬間に大歓声が上がっていた。
- 『ドカベン プロ野球編』のドラフトの展開が若干変わっていた。
- 山田が全球団競合→外れ1位で岩鬼が巨人とダイエーの競合…という流れになっていたかもしれない。
- 巨人
- 90年代は再び巨人の黄金時代。V10もあったかも。
- その場合1990年代の阪神は1度もAクラスに上がることはなく、1992年の優勝争いもなかった。
- 巨人の人気低下が1990年代に起こっていた可能性もある。
- ヤクルトが史実通りなのでそこまで無双はできない。
- それでも翌年のドラフトでダイエーを拒否した元木の指名には乗り出していた。
- 大森はどこからも指名されずに社会人行き。
- 巨人が2位で指名する可能性が高いが、1位条件だったから拒否して社会人かも・・・
- 元木と違って野茂は社会人の投手なのでこだわらない可能性もある。
- ダイエーの元木指名がなければ、元木を2位で当てて大森は3位でもいけるかもしれない。しかし2位でも拒否の大森が3位を受け入れて入団するかは微妙。
- 巨人が2位で指名する可能性が高いが、1位条件だったから拒否して社会人かも・・・
- トルネード投法を矯正され、並の投手として現役を終えた可能性も。
- メジャー移籍もできなかった可能性がある。
- 背番号は11になり、1990年の斎藤雅樹の背番号は41のまま、翌年加藤初の21を引き継ぐ。
- 中日
- 90年代前半はもう少し成績が良かった。
- 与田はダイエー辺りから外れ1位指名を受けていた。
- 在京球団志望でウェーバー順を考えると日本ハムの可能性が高い。
- 与田が史実通りストッパーになっていた場合、武田一浩は先発に回っていた。
- 在京球団志望でウェーバー順を考えると日本ハムの可能性が高い。
- 広島
- 1991年は日本一になれていた。
- 佐々岡のその後はどうなっていたことやら?
- 佐々岡は地元枠の囲い込みなので2位指名の可能性もある。
- 西武
- 西武黄金時代はもう少し長く続いていた。
- 少なくとも1993年と1994年は日本一になれていた。
- 1995年のオリックス優勝やロッテ旋風もなかったかも。
- リリーフが鹿取ひとりだと90年の優勝は逆にきつかったかも
- 潮崎は外れ1位指名で競合した可能性も。
- 潮崎は西武逆指名だったから拒否して翌年西武の可能性もある。
- 当時の外れ1位はウェーバーなので競合はしない。
前田智徳→ダイエー(1989)
前田智徳は当初ダイエーのドラフト指名が噂されていましたが、史実ではダイエーが指名することなく広島に指名され現在に至ります。 もしこの時ダイエーに指名されていたら。
- ダイエーの黄金期は早く来ていた。
- その代わり1991年の広島優勝はなかった可能性も。
- 1位指名の場合、元木大介がダイエー入団を拒否することはなかった。
- アキレス腱断裂後は主に指名打者として起用。
- 松中信彦はダイエーに指名されなかった。
- 指名していた場合多村仁志がFAで移籍することはなかった。
- 多村はトレードで来たんだが・・・。
- 指名していた場合多村仁志がFAで移籍することはなかった。
- 小久保が無償で放出されたときにFAで他球団に移籍していた。
- それでも広島に指名された可能性はある。
元木大介→巨人(1989)
- 元木が現実ほど嫌われる事はなかった。
- 大森もまたダイエー(?)に指名されて、期待通りの活躍をしたかもしれない。
- あるいは大森が拒否して社会人に進み、2年後を待っていた。
- 当時の大森の評価を考えると巨人以外のチームが1位で指名する可能性はない。
- 元木の成績は史実と変わっていなかった。
- ただし、入団当時の背番号は「24」だった。
- 仮に巨人とダイエーの抽選になり、巨人が抽選に敗れた場合、その後は実史通りとなっていた。
- ダイエーの元木指名は野茂の外れ1位なので競合しないのでは?
- 巨人も野茂の外れ1位指名だったとしたら競合する。あるいはダイエーが野茂を諦めて元木に変えた場合とか。
- 当時の外れ1位はウェーバーなのでダイエーに指名された時点で巨人は指名できないので競合しない。
- 巨人も野茂の外れ1位指名だったとしたら競合する。あるいはダイエーが野茂を諦めて元木に変えた場合とか。
- ダイエーの元木指名は野茂の外れ1位なので競合しないのでは?
- 性格が歪まずに済んだかもしれない。
- 大森と巨人の縁はなかったので、大森がスカウトとして担当した坂本勇人が巨人入りすることはなかった。
- 従って、2008年シーズンは史実どおりN岡が「Mナ事件」で謹慎(!?)したとしても、小坂誠が飼い殺しの憂き目に遭うことはなかった。
- むしろ坂本がいないので、膝の怪我でボロボロになった二岡がモナ以後もむりやり一軍出場していたかも。そんでオフに放出。
- 2008~2009年に阪神が巨人に11連敗なんてことはなく、2009年5月現在、阪神は現実より順位が上にいる。
- 巨人以外の大森の評価は低かったので2位でも指名できた可能性が高い。ただし本人が2位なら巨人でも拒否を明言していたのでプロに入らなかった可能性はある。
- 従って、2008年シーズンは史実どおりN岡が「Mナ事件」で謹慎(!?)したとしても、小坂誠が飼い殺しの憂き目に遭うことはなかった。
- 1990年のドラフトでは巨人も小池を指名していた。
1990年代
小島弘務→西武(1990)
前年にドラフト外で西武入りするも、規約違反が発覚して以降の西武入団・移籍禁止というペナルティーを科されましたが、この規約違反及びペナルティーがなくて西武に指名されていたら?
- 本人はもう少し長く現役を続けられた。
- 根本氏もダイエー監督や代表取締役に就任せず、死去まで西武の関係者の座に居続けたかもしれない。
- 西武も1993年~2003年の間に、最低1回は日本一になれていた。
矢野輝弘→??(1990)
- 共通すること
- 球団によってはブレイクが早まり、通算2000本安打を達成し名球会入りできていた。
- 逆に絶対的な正捕手がいる球団なら、史実の中日時代のような控え捕手となり、史実通りトレードされていただろうが、トレード先は阪神ではなかったかも。
- 球団によってはいずれFA権を行使し、史実通り阪神に移籍していた。
- 若いうちから打てる捕手として期待されていた。
- 阪神
- 山田勝彦と正捕手を争っていた。
- 打てる捕手として若いうちから大活躍し、1992年の阪神は優勝できていた。
- 亀新フィーバーは、亀新矢フィーバーとなっていた。
- さらに、1993年、1994年もAクラス入りできていた可能性がある。
- 阪神の暗黒時代の成績が史実より少しマシになり、史実より早く最下位を脱却できていた。
- ノムさんが監督のうちには、Aクラスに入ることが出来ていた。
- 大阪府出身なので、「地元の星だ」と期待されていた。
- 90年代のヤクルトには古田敦也という絶対的な捕手がいるので、この時期はせいぜい2回くらいベストナインに選ばれていた。
- もちろん阪神一筋で現役を続け、史実通り2003年、2005年のリーグ優勝にも貢献していた。
- 藤村富美男、村山実、田淵幸一、掛布雅之に並んで5代目ミスタータイガースと言われていた。
- 若いうちから活躍していたはずなので、通算2000本安打を達成し名球会入りしていた。
- 野村克也、古田敦也、谷繁元信、阿部慎之助と並んで捕手での2000本安打・名球会入りを達成していた。
- 阪神の打てる捕手なので、史実以上に田淵幸一と比較されていた。
- 木戸克彦の引退後、田淵の現役時代の背番号22を受け継いでいた。
- 藤川球児の背番号は別のものになっていた。
- 以降、阪神の正捕手の背番号として22が定着し、矢野の引退後は梅野隆太郎に背番号22が受け継がれていた。
- 一般的な野球ファンの間では捕手と言えば背番号27のイメージが強いが、阪神ファンの間では背番号22に捕手のイメージが定着していた。
- 木戸克彦の引退後、田淵の現役時代の背番号22を受け継いでいた。
- 史実通り2018年オフに金本知憲の後任として阪神の監督に就任していたが、現役時代は阪神一筋の名捕手なので、史実以上に期待されていた。
湯舟敏郎→ロッテ(1990)
この年のドラフトでは、ロッテは小池ではなく湯舟を指名する意向でした。
- 小池は交渉権を得た球団に入団していた。
- この年限りで引退した村田の後釜として育成された可能性がある。
- 1995年のロッテは、優勝できなくとももっといい成績を残せていた。
- 少なくとも、首位オリックスと12ゲーム差なんてことはなかった。
- 阪神暗黒時代の成績が、更に悪化していた可能性もある。
- 小池が阪神だった場合は史実より良かった可能性もある。
- 1992年6月14日のノーヒットノーランはなかった。セ・リーグにおける平成初のノーヒットノーランは槙原寬己による1994年5月18日の完全試合まで待たなければならなかった。
若田部健一→??(1991)
若田部が希望していた在京セリーグは、巨人以外は指名すらしませんでした。もし巨人以外の在京セリーグから指名を受け、かつ抽選に勝っていたら?
- 共通すること
- 娘はHKTではなくAKBに加入していた。
- 同じ野球選手の娘、ということで倉持明日香と何らかのコンビを組んでいたかも。
- 大森美優も含めた3人で「野球三姉妹」というユニットを組んでいたかも。
- 同じ野球選手の娘、ということで倉持明日香と何らかのコンビを組んでいたかも。
- 横浜(大洋)
- 戦力外通告とかがない限り、入団から引退まで横浜で過ごしていた。
- 斎藤と若田部が入れ替わっただけで1998年は優勝していただろう。
- 斎藤隆は中日に単独指名で入団していた。
- 「ササキ様に願いを」のネタが少し変わる。
- 星野仙一が中日監督に復帰した後には佐々木が斎藤をパシろうとすると代わりに星野監督が現れることになっていた。
- 佐々木をボコボコにしながら「悔しかったら最多セーブと沢村賞を同時に獲ってみろ」と挑発していた。
- 大矢監督は慌てて止めようとするが権藤監督になると「あれで少しはおとなしくなるだろう」と傍観するようになっていた。
- 佐々木をボコボコにしながら「悔しかったら最多セーブと沢村賞を同時に獲ってみろ」と挑発していた。
- 星野仙一が中日監督に復帰した後には佐々木が斎藤をパシろうとすると代わりに星野監督が現れることになっていた。
- 「ササキ様に願いを」のネタが少し変わる。
- 神奈川県出身なので「地元の星だ」と歓迎され期待されていた。
- ヤクルト
- 1990年代はヤクルト黄金時代となっていた。
- 石井一久が他球団の指名を受ける。
- そもそもヤクルトは1982年のドラフトで駒沢大学進学を表明していた新谷博を強行指名→入団拒否以来駒大とは絶縁状態、ということを考えると若田部の指名はどう考えてもありえなかった気が。
小池秀郎→ロッテ(1992)
小池は1990年のロッテ指名を拒否しましたが、翌々年のドラフトではどの球団の指名でも入団する姿勢を取っていました。ここでもしロッテが再チャレンジの意味を込めて指名していたら?
- 武藤は近鉄に指名されていた。
- チームになじめていれば、1995年のロッテの成績がもう少しまともになっていた。
- 2位止まりでも、オリックスに史実ほどの大差をつけられることはなかった。
- パナソニック(松下)在籍時にロッテは監督交代や本拠地移転などがあったので、当時ほどの嫌悪感は持たれず、入団拒否の可能性も低かったと思う。
- ロッテ拒否は事前交渉が無かったことなどロッテ側の対応への不満もあるから無理だと思う。
松井秀喜→??(1992)
- オリックス
- イチローらとともに、強力クリーンアップを形成し、メジャー移籍までは黄金時代が続いていただろう。
- イチロー・田口と2年連続でメジャー移籍していたため、松井自身の移籍がやや遅れたかもしれない。
- 谷佳知は他球団に指名されていた。
- ヤクルト
- 1990年代のヤクルトは無敵の強さを誇っていた。
- メジャー移籍までは古田などとともに最強のクリーンアップを形成していた。
- 1960~1970年代の巨人のV9に匹敵する強さとなっていた。
- 野村克也監督は史実より長くヤクルトの監督を務めた。
- 阪神の監督には就任しなかったかもしれない。
- だが夫人の脱税で監督を辞任するのは史実通り。
- 「東京ヤクルトスワローズ」への球団名変更はなかったかもしれない。
- 巨人は伊藤智仁を指名していた。
- 近鉄
- 松井入団以後少なくとも1度は日本一になっていた。
- 中村ノリ・松井・ブライアント(のちローズ)の最強クリーンアップが出来ていた。
- 横浜
- 1990年代中盤における横浜ベイスターズの成績は現実よりも良かっただろう。
- 1997年以前にもリーグ優勝していた可能性はある。
- 逆に阪神は横浜に勝てなかったかも。
- 最悪の場合、1990年代中盤の暗黒時代に現実にはなかった「他の5チーム全てに負け越し」という事態になっていた。
- 逆に2003年以降(メジャー移籍後)の成績不振がさらに深刻化した可能性も。
- 西武
- 西武黄金時代はもう少し続いていた。
- オリックスのリーグ2連覇やバレンタインロッテの躍進もなかった。
- 広島
- 1996年はリーグ優勝できていた。
- 1998年~2012年の間も何度かAクラスに入っていた。
- ルイス・ロペスの獲得はなかった。
- 日本ハム
- 札幌移転までに数回リーグ優勝していた。
- 少なくとも、1996年と1998年は優勝できていたと思われる。
- ロッテ
- 1995年は優勝できなくとも、オリックスとのゲーム差がもう少し詰まっていた。
- 千葉マリンの浜風の影響を強く受けるため、史実ほどの打撃成績は残せなかったかもしれない。
松井稼頭央→??(1993)
史実では西武にドラフト指名されましたが、巨人・中日・ダイエーも指名を考えていたようです。
- 巨人
- 同じ苗字の松井秀喜と共に「W松井」として注目されていた。
- 松井秀喜の方は「力の松井」に対し、松井稼頭央の方は「技の松井」と呼ばれていた。
- 二岡智宏は巨人に逆指名で入団しなかった。
- 川相昌弘の三塁転向が早まっていたか?
- 中日
- 井端はドラフト指名されなかったかもしれない。
- あるいは井端は内野ではなく外野手としてレギュラーを取っていたかも。
- 荒木との二遊間コンビは「アライバ」ではなく「アラマツ」となっていた。
- ダイエー
- 中日の鳥越裕介はトレードでダイエーに移籍しなかった。
- 2000年以降はダイハード打線に加わることによって、さらにダイエー打線は凄まじいことになり、優勝回数や日本一回数も史実以上に増えていた可能性も。
- 井口資仁・川崎宗則は他球団に入団していた。
- 西武のその後
- 優勝回数は史実より減っていた。
- 東尾監督の退任も早まっていた。
- 奈良原が日ハムにトレードされることはなかった。
稲葉篤紀→近鉄(1994)
- いてまえ打線の一員として、活躍していた。
- 2001年には、近鉄は日本一になっていたかもしれない。
- 1995年のドラフト会議で福留孝介氏を指名することはなかった。
- FAで日本ハムに移籍するのは史実通り。
- 彼の出身地が愛知県であるから、アーバンライナーのCMに出演していたかもしれない。
西口文也→中日(1994)
史実では西武から3位でドラフト指名されましたが、実は中日が紀田彰一のハズレ1位として金森隆浩と西口のどちらを指名するか迷っていたそうです。もしこの時に金森ではなく、西口が中日から指名されていたら…?
- 1996年・1998年は中日がリーグ優勝していた。以降も中日は史実より多く優勝できていた一方、西武の成績は史実より大幅に悪化していた。
- 西口は中日入団直後に今中慎二・山本昌とともに先発三本柱を、1999年の優勝時には野口茂樹・武田一浩・山本昌・川上憲伸とともに先発クインテットを形成していた。
古木克明→ダイエー(1998)
- 1年目から活躍できていれば、1999年の日本一と2000年のリーグ連覇に貢献。
- 2000年は日本一になれていたか、史実通り巨人日本一でも3勝4敗にはできていた。
- 現役引退時期が変わっていたかも。
- 史実より早いか遅いかはわからないが…
松坂大輔→??(1998)
- 阪神
- 入団後阪神のエースに成長し、史実より早く暗黒時代を脱していた。
- 2003年より前にリーグ優勝していたかも。
- 史実でドラフト1位で入団した藤川球児は阪神に指名されなかったかもしれない。
- 大リーグから帰国後もソフトバンクや中日ではなく阪神に入団していたかも。
- 野村監督に人間教育を施されたため、無免許運転・身代わり出頭の不祥事はなかった。
- オリックス
- オリックスの長期不振はなかった。
- 貧打にあえいだ2002年はともかく、2003年の投手陣崩壊は緩和されていた。
- 21世紀に入っても1度はリーグ優勝できていた。
- 三輪田氏の自殺もなかったかもしれない。
- ヤクルト
- 荒木以上の騒ぎになったのは確実。
- 若松監督時代にもう一回くらい優勝できていた。
岩隈久志→中日(1999)
1999年のドラフト会議を前に中日の中田宗男スカウトは岩隈久志(史実では近鉄から5位指名)を高く評価しており、4位指名を検討していたようですが、当時のチーム編成上の都合から断念、後に岩隈の活躍を見た星野仙一監督から謝罪されたとのことです(参照)。この時、もし岩隈を指名していたら?
- 2004年の球界再編にも特に巻き込まれることなく、少なくとも史実で渡米した時期までは中日でプレー。川上憲伸やドラフト同期の朝倉健太とともに中日黄金時代のエース格として活躍していた。
- 2005年の楽天は間違いなくシーズン100敗していただろう。
2000年代
赤星憲広→??(2000)
- 共通すること
- なんJで「赤星、ハア?」という用語が使われることはなかったかもしれない。
- 2003,2005年は優勝出来なかったかもしれない。
- 中日
- 地元ということで大いに歓迎されていた。
- 二軍からのスタートになっていた?
- 土谷(鉄平)などと比較されて過小評価されたかもしれない。
- アレックス・オチョアの獲得はなかったか?
多田野数人→??(2002)
- プロ野球ドラフト会議での上位指名は確実と見られていましたが、スキャンダルにより、指名されませんでした。
- 横浜
- 土居龍太郎氏を指名することはなかった。
- ダイエー
- リリーフとして、活躍していた。
- 2003年の日本シリーズに出場していた。
- 引退後は、ソフトバンクでコーチとスカウトを務めていた。
明石健志→日本ハム(2003)
- 地元ということで大いに歓迎されていた。
- 日本ハムも2007年から2015年までの間も1回ぐらいは日本一になれていた。
一場靖弘→日本ハム(2004)
ダルビッシュを逃した場合、指名の可能性もあったそうです。史実では楽天が自由枠で獲得しましたが、もし日本ハム入りしていたら?
- 日本ハムの成績は対して変化なし?
- 一場のセリーグデビューの時期が変わっていた可能性も。
涌井秀章→中日(2004)
中日の中田宗男スカウトは2004年のドラフト会議を前に涌井秀章(史実では西武から単独1位指名)を1位指名するよう推薦していましたが、落合博満監督から「今年は高校生はいらない」と伝えられたことから断念、希望入団枠で樋口龍美(当時28歳)を獲得しました(参照)。その後の涌井と樋口それぞれの活躍度合いは周知の通りですが、この時もし中日が涌井を1位指名していたら?
- 以下、中日が交渉権を獲得していたと仮定して
- 史実では2巡目指名だった中田賢一は3巡目で指名されていた。(この年のドラフトでは自由獲得枠を使わず1巡目指名を行った球団は2巡目指名に参加できないため)その前に他球団が横槍を入れることも可能だが、本人は中日以外拒否を宣言していたためその可能性も低いか。
- 2007年は中日がリーグ優勝し、史実の2006年と併せて連覇となっていた。
- 2010年・2011年のリーグ連覇時は吉見一起やチェン・ウェインとともに三本柱を形成していた。
- 西武は2005年以降、史実より低迷していた。2007年は最下位転落もあり得たかもしれないし、2008年もパ・リーグ優勝はできなかった可能性が高い(後者は史実2位のオリックスが優勝していた可能性が高い)。
川端慎吾→??(2005)
- 阪神
- 2013年までに1回ぐらいはクライマックスシリーズファイナルステージに進出できていた。
- 他のポジションで定着していたかもしれない。
- オリックス
- 史実通りには育たなかった可能性もある。
- その場合、入団後数年程で他球団に放出されていた。
坂本勇人→阪神(2006)
巨人と同じく阪神も堂上直倫の外れ1位で坂本を指名しようとしていました。史実ではウェーバー方式により、巨人に先に指名されましたが、もし阪神入りしていたら?
- 阪神
- 坂本自身は阪神ファンであることを公言しており、相思相愛のドラフトとなっていた。
- 関西出身なので「地元の星だ」とファンは大喜びする。
- 2008年、2009年シーズンは阪神が優勝していたかもしれない。
- 2009年は史実でBクラスの4位なので、正しくは2010年。
- 2014年、2015年、2021年も阪神が優勝していたかも。
- 2015年に坂本誠志郎が入団するとスコアボードに「坂本勇」と表示されるようになっていた。
- それに対し坂本誠志郎は「坂本誠」。
- 鳥谷敬はセカンドにコンバートされていた。
前田健太→??(2006)
- 共通すること
- 広島暗黒時代が現実よりも長く続いていた。
- 広島で「前田」といえば今でも前田智徳のことだった。
- 史実でもファンの間では「前田」といえば今でも前田智徳ですが何か?
- 阪神
- 大阪出身なので「地元の星だ」とファンは大喜びする。
- 2008年か2010年あたりにリーグ優勝(あるいはCS優勝)できていたかも。
- 巨人
- ただでさえ強い巨人がさらに強くなっていただろう。
- 恐らく同い年の澤村よりも成績は良かったと思われる。
- ロッテ
- 2007年にリーグ優勝、2010年も2位以上になれた。
- 大嶺祐太は単独指名でソフトバンク入り。
- 弟の翔太もロッテに入団しなかった。
- ロッテのキャンプ地が鹿児島から石垣島に移転することもなかったかも。
長野久義→巨人(2006・2008)
- 2006年
- 2007年の巨人はCSで3連敗なんてことはなく、出場を逃したとしても1勝はしていた。
- 本人のキャリアが少し早く開花していた。
- 2008年途中に阪神に13ゲーム差離されることもなかった。
- Vやねん!?メークレジェンド?何それ?
- 2008年
- 2009年の日本一メンバーにも加わり、本人のブレイクも少し早まっていた。
- 2009年の新人王は松本哲也ではなく長野だった。
- 巨人が大田泰示を取り損なっていた。あるいは大田がプロ志望届を出さずに進学していた。
- 大田をクジで外していた場合は長野を外れ1位で指名していた。
上本博紀→広島(2008)
- 一応広島県出身なので「地元の星だ」として人気が出ていた。
- ただ県東端の福山市出身らしいので本当に地元と言えるのかどうかは微妙。
- 弟の上本崇司も史実通り広島に指名されていた場合、同一チームでの兄弟コンビが実現していた。
- そういう意味で阪神の新井兄弟と比較されていたかもしれないが、こちらの場合はどちらも移籍選手なので事情は異なる。
- 二塁・遊撃のいずれかでレギュラー定着した場合は、東出輝裕、梵英心、菊池涼介辺りのキャリアにも影響を及ぼす可能性も。
今村猛→??(2009)
- ソフトバンク
- やはり2軍スタートとなった?
- ヤクルト
- 松園直巳(当時は存命)に気に入られ、史実より早く一軍入りしていた可能性がある。
- サッシーこと酒井圭一超えの期待がかけられていた。
- 横浜
- 一軍定着していれば、ベイスターズの成績がもっとまともになっていた可能性がある。
- 仮に最下位続きでも、勝率は史実より良かった。
- 筒香嘉智が別の球団に行くと見られるので長期的に見れば寧ろそんなに変わらなかった可能性も。
- さらに今村がTBS時代やDeNA初期に酷使される可能性を考えれば横浜の16年以降の成績がかなり低迷していたかもしれない。
- 「カピバラ族」は今村と三嶋一輝をさす言葉になっていた。
- 楽天
- 「東北勢初優勝を阻んだエース」ということで、東北のファンは複雑な心境になっていた。
堂林翔太→中日(2009)
- 菊池雄星の競合は5球団となり、運命が変わっていたかもしれない。
- 一軍での活躍次第では高橋周平を指名しなかった可能性も。
- 外野での起用がメインだったかもしれない。
- 結婚相手は枡田絵理奈アナではなかったかも。
- 「カープ女子」などに代表されるカープブームは発生しなかったかもしれない。
2010年代
柳田悠岐→広島(2010)
- 地元かつ広島ファンを公言してるため、相思相愛のドラフトとなった。
- 鈴木誠也も指名されていたら、外野陣がえげつないことになっていた。
澤村拓一→中日(2010)
澤村は相思相愛とされた巨人から単独指名を受け入団しましたが、ドラフト直前の情報では中日との競合が予想されていました。もし中日が交渉権を獲得していたら?
- 菅野智之ほどではないにせよ入団拒否の可能性が高かった。史実ではそのリスクを冒すより確実に入団するであろう大野雄大を指名したほうがよいと判断された。
- 以下、中日に入団していたと仮定して
- 活躍度は史実とあまり変わらない。
- 背番号は澤村つながりで14番かも(巨人では栄治の背番号ということで永久欠番になっているが、中日入りしていたならばもらえたかもしれない)。そうでなくても10,20番台はまず確実。
- 中日入りしていた場合注目度は史実より幾分か低くなっていた。
- 史実通り抑えに転向→大炎上となれば、中日の勝ち星がより悲惨な事になっていた。
- 大野は外れ1位でオリックスあたりが獲っていたため、中日入りはなくなっていた。
- 巨人は外れ1位で史実では2位だった宮国を1位指名。
山田哲人→阪神(2010)
- 関西出身なので、地元の星として人気は絶大だった。
- 史実通りトリプルスリーを達成した場合、阪神人気は史実以上に高くなっていただろう。
- 2015年のペナントレースは優勝できていたかも。
- 他の若手選手も彼に刺激され、現実以上に活躍しただろう。
- オリックスに指名された場合よりは可能性はあるだろうけど、それでも阪神でトリプルスリーは若干厳しい気がする。
斎藤佑樹→楽天(2010)
- 入団当初は「マー君とハンカチ王子が同じチームに!!」と大いに盛り上がるが…。
- 否が応でも田中の無敗記録達成や渡米時に何かしらのコメントを求められていた。
- 松井などの台頭もある為、マー君の渡米後はメディアにこき下ろされる機会が史実以上に増えていた。
- CSや日本シリーズでは当番の機会が1回でもあれば良い方だと思う。
- 否が応でも田中の無敗記録達成や渡米時に何かしらのコメントを求められていた。
- 塩見がヤクルトの単独指名になるので、山田哲人の交渉権はオリックスが獲得していた。
菅野智之→??(2011・2012)
- 2011年、ソフトバンク
菅野争奪戦にはソフトバンクも参加予定だったいう情報がありましたが、もしソフトバンクが交渉権を獲得していたら?
- 入団していれば、1年目からそれなりの成績を残せていた可能性がある。
- 少なくとも負け運に付きまとわれる可能性は巨人よりも低かったはず。
- 入団拒否→翌年巨人入りの場合、「元木の二の舞」という声が各地で出ていた。
- 菅野の事だから巨人以外だったらどこに指名されようが入団拒否だった可能性が高い。
- ソフトバンクには「王貞治」という切り札があるので日本ハムよりは入団の可能性が高い。
- 菅野の場合は巨人というより原なのであまり違いはないと思う。
- ソフトバンクには「王貞治」という切り札があるので日本ハムよりは入団の可能性が高い。
- 菅野の事だから巨人以外だったらどこに指名されようが入団拒否だった可能性が高い。
- 大谷翔平の争奪戦にも間接的に影響が出ていた。
- 日本ハムが二年連続で一種のサプライズ的指名を行う事はなく、大谷も複数球団による争奪戦になっていた可能性がある。
- 武田翔太は2位で指名。史実の2~5位はそのまま3~6位で指名していた。
- 2012年、日本ハム
一部で日本ハムの菅野再指名が囁かれていましたが、もし2012年ドラフトでも日本ハムが交渉権を獲得していたら?
- 「またしても日本ハムが交渉権」ということで、会場や東海大学のどよめきが大きくなっていた。
- それでも拒否した場合、社会人へ行っていたかもしれない。
- 原監督の引き抜きもありえたかも。
- 史実の大谷のように資料を提示して今度こそ入団するよう必死の交渉を図っていたんじゃなかろうか。
- それでも拒否した場合、社会人へ行っていたかもしれない。
- 大谷翔平は複数球団による争奪戦になっていた。
- いや、こっちの場合だと全球団が指名を敬遠してに本人の希望通りアメリカに行っていた可能性が高い。
- 念願の巨人に移籍できるチャンスがあるとすればおそらく矢野とのトレードの時だろうが、裏密約を疑われる恐れがあるので多分実行されない。
- 今だったら大田⇔菅野のドラ1同士の電撃トレードも有り得る。その代わりに吉川は別の球団へ放出される(石川と公文は史実通り)。
- いや、入団拒否されたら翌年のドラフトは指名できないんじゃなかった?
東浜巨→ロッテ(2012)
- 小池拒否以降初の亜細亜大学からロッテ入り(トレード除く)ということで、話題になっていた。
- うまくいけば、年に30試合程度は登板できる投手になっていたかもしれない。
- 先発ローテーション入りは史実より早かった。
大瀬良大地→ソフトバンク(2013)
- 九州出身ということで、地元の星として期待されていた。
- 2014年のリーグ優勝・日本一に貢献できていた可能性もある。
山﨑康晃→中日(2014)
- ドラフト前の報道では中日の1位指名が有力だったとされる。
- 同年の中日ドラフトが即戦力外ドラフト呼ばわりされることはなかった。
- 野村亮介はおそらく2位指名になっていたが、成績はおそらく史実通り。
- 岩瀬仁紀の引退が早まっていた。
- セーブ数が史実通りならば、19年オフに背番号13の着用を提案されていた。
オコエ瑠偉→??(2015)
- 巨人
- 小学校時代に巨人のジュニアチームに参加したのがきっかけで外野手に転向。また、「あの一件」が無ければ実際に指名したのではと言う説もありますが…。
- 桜井、重信と上位指名選手が単独指名だったので、オコエが1位指名なら順位が1つずつズレる。
- 但し楽天が平沢を指名できていれば2~3位指名になっていたかもしれない。その代わり他球団と競合する可能性も高まる。
- 2位指名時に桜井が他球団に獲られていた可能性もある。
- 未来の巨人の強打者候補として1年先輩の岡本と競い合う機会が多くなる一方、1軍登板の機会は史実よりも大幅に少なくなっていた。
- ロッテ
一部ではロッテもオコエ獲得を目指していたという噂がありますが…
- 平沢の指名に踏み切った球団がいくつか出ていた可能性もある。
- 活躍できていれば、2016年のCSでファイナルステージ進出を果たしていた可能性がある。
- 内竜也と親戚同士であることがもっと話題にされていた。
今井達也→オリックス(2016)
- 江川に入団拒否されて以降、初の作新出身選手として話題になっていた。
村上宗隆→??(2017)
- 全般
- ヤクルトは2021年以降も弱いままだったかも。
- 阪神
- 2020年代の阪神は無類の強さを誇っていた。
- 2020年か2021年いずれかに優勝できていた。
- 逆に近本は阪神に入らなかった可能性が高い。
- 佐藤輝明が史実通り入団していても目立たなかった。
- ドラフトの年を考えると近本は史実通りかと。
- 村上の入団後は大山の影が薄くなっていた。
- 少なくとも4番は降格になっていた。
- 「村神様」の「神」は「阪神」の「神」という意味もあった。
- 中日
- 2010年代後半以降における暗黒時代は避けられた。
- 2022年の村上以外のチーム本塁打数が現実通りだった場合、全本塁打の半数が村上が叩き出していたことになっていた。
- 史実通り三塁手になった場合、堂上直倫か高橋周平がトレードに出されていたかもしれない。
- オリックス
- 2021年の日本シリーズはオリックスが日本一になっていた。
- 阪神人気が強い大阪・関西においてある程度人気がオリックスに移っていた。
- ある意味かつてのイチローと比較されていた。
吉田輝星→??(2018)
- 巨人
- 吉田本人は巨人ファンを公言しており、相思相愛のドラフトになっていた。
- 阪神
- 甲子園のスターが帰ってくることで虎ファンは大騒ぎ!
- 少なくとも、藤浪以上の騒ぎになっていた。
栗林良吏→中日(2020)
- 地元かつ中日ファンを公言してるため、相思相愛の指名となった。
- リリーフ定着した場合、史実以上の成績を修めていた。
佐藤輝明→ヤクルト(2020)
- 2021年のセ・リーグはヤクルトの独走状態となっていた。
- 逆に阪神はBクラスだった。
- 山田・村上とともに強力クリーンアップを形成していた。
- 2022年も現実以上に独走し、早ければ8月にリーグ優勝を決めていた。
- 日本シリーズも2連覇していたかもしれない。