ページ「もしあの鉄道車両が計画されなかったら」と「NTTドコモ」の間の差分

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*新規追加は国鉄・JRは車種別に形式が若い順に、私鉄は会社別(東から順)+形式が若い順にお願いします。
{{Pathnav|NTT}}


==国鉄・JR==
==NTTドコモの噂==
===新幹線===
[[画像:Docomo bild mito.JPG|thumb|なんとも立派なパケ代ビル]]
====100系====
[[画像:NTTDoCoMo_1st.jpg|thumb|240px|ドコモショップ1号店([[八王子市]])]]
#200系H編成は登場しなかった。
#携帯電話会社トップシェア。
#「グランドひかり」編成も登場しなかった。
#*加入者数5200万。ナンバーポータビリティが始まってもシェアは変わりそうにない。
#「スーパーひかり」が企画されることはなかった(史実では実現せず)。
#**だったら、{{伏字|ソフトバンク|どっかの会社}}が「¥0」と銘打っても、知らんぷりしておけばいいのに。
#0系がJR発足後まで製造されていた。
#***煽って怒らせて、かえってボロを出させるのが彼の戦略なのを解っていなかったようだ。
#***これまでも何度かケンカしてきたくせに・・・成長してないのね。
#****だって、'''彼が最終的に勝った事は一度もない'''んだもん。結果は漁夫の利の漁夫が出るか、公的インフラの性格が強いサービスを放り出して、NTTが尻拭いをするか、のどっちか。
#**それから4年たち、契約件数は5700万に増えた(2011年1月)がシェアは52%→47%と低下。[[au]]は横ばいで900万件を獲得した[[ソフトバンク|Softbank]]に食われている……
#***などと言われてもそこはみかかの一員、MVNO各社の回線は大体ドコモで、シェアNo.1は依然盤石。インフラとしての信頼で仕手筋もどきが勝てる道理はない。
#*何にせよ、[[NTT]]グループの稼ぎ頭。そのうちNTT持ち株会社もドコモホールディングズになったりしてw
#**固定電話が落ち目だから当然か。
#***「NTT法」なる法律で、"本丸"のNTTとタッグを組むのを法レベルで禁じられているらしいから難しいかと。(ちなみに他キャリアであるような、NTT固定電話とのセットのプランを用意できないのもこの{{極小|糞}}法律の影響だとか)
#日本のアチコチに巨大なビルを建ててる。
#*迷惑メールのお陰でパケ代が儲かってしまってた時代に建てられたものが多いので、「'''パケ代ビル'''」とも呼ばれてる。
#**田中康夫も長野県知事時代そのことでドコモの営業を呼び出してブチ切れていた
#*梅田マルビル名物の電光掲示板が消えた理由の半分くらいは、ドコモのせいかも。(目の前に巨大なビル建てやがったから)
#*アンテナ塔は無駄にデカイ。
#*実際に立てているのはグループ会社のNTTファシリティーズだったりする。
#**内部の仕事を作るために立てまくったという道路族と同じ構図
#[[代々木]]~[[新宿]]間にあるドコモのビルは、上半分が空っぽ。
#*その実態は、巨大なFOMAのアンテナ。
#**てっぺんの避雷針みたいなのは、単なるクレーンの残骸らしい。撤去できなくなったんだとか・・・なかなかお茶目だコト。
#**クレーンは現在でもアンテナの向き調整や大型設備搬入で使用することがあるらしい。
#*空いてるならオペラシティの向かいから移ってくればいいのに。
#503iシリーズの頃に他社を突き放した。ドコモの「N」以外はケータイにあらず。そんな時代だった。
#*そのNECは[http://www.asahi.com/business/update/0329/TKY201303280699.html こういう事]になったわけだが
#*パナソニックのP503isやSO503iも当時の売れ筋商品。ドコモのシェアトップの座を支えた。
#*R(日本無線)やKO(日立国際)やNM(ノキア)やER(エリクソン)と言ったメーカーのモデルもあった時代。機種のバリエーションが豊富な時代だった。
#PHS事業は風前の灯。2007 3Q停波予定。
#*2008年1月7日をもってサービス終了しました。黙祷…
#*ポケベル、PHS、シティフォン、そしてmovaも。
#*movaの余命はもういくばくも無い(新規申し込み終了)。ポケベル・シティフォンはサービス終了。黙祷。
#*ケータイとPHSを展開しているキャリアの特色を生かした、ドッチーモと言う双方の機能を搭載した端末もあった。090から始まる番号と070から始まる番号を、1台で利用できると言うユニークな端末だった。後にmovaとFOMAのドッチーモも登場した。
#*ドッチーモに対してDDIポケット(後のウィルコム)が登場当時にドコモに対して抗議したと言うエピソードがあった。
#*FOMAとドコモPHS対応の音楽配信サービスのMステージミュージックと、現在のNOTTVの祖とも言えるMステージビジュアルなんて言うサービスもいつの間にかサービス終了していた。ちなみにMステージミュージックのCMには、今はAVに出演している上原あずみが出演していた。
#NTTドコモ九州管内のシェアで県別では、[[宮崎|宮崎県]]が圧倒的に多い。
#*宮崎県では、7割近くの携帯電話がドコモである。
#**新潟県に至ってはシェアが8割以上。au・ソフトバンクが「東北扱い」だから。
#*携帯界の「[[自由民主党|自民党]]」みたいなものか。
#**自民党よりは遥かにやる気あるゾ。従ってauも[[民主党]]なんかではない。
#*ナンバーポータビリティで、多少シェアが落ちてるものの、宮崎県では解約者が非常に少ないみたいよ。
#**意外と知られていないようだがMNP開始後も'''全国的にドコモの解約率は一番低い'''ままである
#***意外と'''知られている'''が、MNP開始~2007年はドコモの独り負けであった。2008年以降はauの独り負け。
#***そして2011年秋(auのiPhone参入)以降、MNPでも新規でもdocomoの一人負けが続いている(SoftBankはMNPでは微増)。2012年11月には'''純減'''も記録した。
#****昨今は流出を抑えようとAndroidのメリットをiPhoneと比較するサイトまで開設……が、効果があるわけ無い。「iPhoneは扱わない」はいつまで持つのやら。
#*****結局iPhone扱い始めたけど、果たしてユーザ数は増えたのか
#アテネオリンピックの時は、期間限定でアテネ市内にアンテナを設置したんでドコモの携帯が使えた。
#*料金的には、[[東京23区]]内からの発着信扱いになってたらしい・・・儲けはたぶんなかったと思う。(むしろ宣伝効果かも)
#*普通なら国際ローミングで使ってくれというところだが、FOMAは半独自規格なので、当時国際ローミング可能な端末がほとんどなかった(movaはいわずもがな)。そのためわざわざ現地にFOMAのアンテナを設置するという前代未聞の荒技に出た。しかしエリアは途中で極端に狭く変更された。[http://plusd.itmedia.co.jp/mobile/articles/0408/18/news032.html]
#*ところで、現地でiアプリを使うのって犯罪なんだろうか。'''ギリシャではテレビゲームは犯罪'''なんだけど。
#**[[wikipedia:ja:ギリシャ法第3037号|その法律]]はもう撤回された。
#初期のFOMAの所為で電波が悪いという印象が根強く残っている。
#*田舎の村でも、村役場の前'''だけ'''はつながる。
#*人口カバー率=自治体の役所・役場付近で入る率、なんで。でも、それだったら何で未だに100%になんないんだろう。
#**すんごい離島とかでいまだにカバーできてないとこがあるらしい。
#**[[鹿児島]]の離島の村で[[鹿児島市]]に役場を置いてるとこがあるけど、これも役場でカバー率を計るのだろうか? 意味ねー。
#***[[鹿児島/中南薩#鹿児島郡の噂|その2村]]は肝心の離島のほうにもちゃんと基地局を置いている。ドコモダケ。
#****ちなみに「ケータイ国盗り合戦」の6000空モードはau・ソフトバンクに配慮してか、村役場付近で位置登録しても2村に行ったことになる。
#*サービス開始当初は、飯田橋近辺でも歩きながら通話すると切れることはざらでした。
#**酷い時は右手から左手に持ち替えただけで切れることも。
#**KDDI本社が近くにあるんで妨害電波が出ていたとか?
#早くもMNPはDoCoMoとauのガチ対決に入っている。SBMは早晩蚊帳の外。もしくは[[2ちゃんねるファン|2ちゃん]]のネタ。
#*ガチってのは、一方的にやられる事じゃないぞw
#*NMPによる流動はDoCoMo→auの方がその逆より大きいが、その一方で法人契約を中心に新規契約は確実に掴んでいるので、DoCoMoやや不利で競り合っているのが現状。
#*MNPの後は、SoftBankが急激にシェアを伸ばしてしまった。ドコモもauもシェア低下……
#*そしてauのiPhone販売開始後は、docomoの一人負け。
#山登りにはmovaが必須。FOMAでどう変わる?
#*FOMAもプラスエリアをアホみたいに整備したおかげで3社の中では一番電波が届く。最も、深く入った山奥では元から無理だが。
#「さて、そろそろ反撃してもいいですか?」
#*こんな事をCMで言うあたり、視聴者から必死だと思われてしまう。CMなんてもっと悠然と構えていいはずだが。
#**タレント、アイドル10人も投入しなければ反撃できないとは・・トホホ
#***しかも反撃失敗とは……トホホ
#*ソフトバンクモバイルが使う『★』の色がちがう事以外は…
#*「そろそろ・・・」ってことは、今まで指くわえてボーっとしていたのか?
#:[[画像:NTT docomo (box and bag).jpg|thumb|150px|{{伏字|Vodafone|かつての某メーカー}}みたいに箱は赤ではなくなった。しかし袋はやはり<font color="red">真っ赤</font>]][[ファイル:Docomo SO-04E.jpg|thumb|150px|もう<del>純減を連想しそうな</del>「赤」は勘弁して下さい]]
#最近、「DoCoMo」のマークに入る3本の弧がなくなっている
#*総合カタログの帯の色も、ついに赤くなった。
#*3本の弧だけみると「子供の笑顔」にも見える。2つ↓と関係あるのか?
#*と思ったら「docomo」になるらしい。
#**いくら減収とはいえロゴを<font color="red">'''赤字'''</font>にするなんて
#プリペイドから撤退。
#*悪いことに使うバカが後を絶たなかったため。
#*ソフトバンクとかは継続販売しているので、それに加えて4社競合の中、シェアを伸ばせなかったからだと思う。
#NTTのコドモ
#*民営化後NTTデータとともに真っ先にNTT本体から切り離された。当時のNTT本体には移動体通信の将来性が見えていなかった
#*NTT本体から分離当時のキャッチフレーズは「オギャーと、ドコモ」だった
#**CMにはサザンオールスターズが出てたっけ。
#無線LAN事業ではNTTコムではなくソフトバンクテレコムとローミング提携
#*そのNTTコムも無線LAN事業ではソフトバンクテレコムとローミング提携。何かが間違っている気もするが…
#**コムは昔から<s>つまはじき</s>独自路線だから。
#*スマートフォン時代のキャリア顧客向け公衆無線LANサービスの中では歴史が長く、FOMA初期の頃にはあった。
#新CI導入と同時に、地域子会社8社をドコモ本体が吸収する。各地の独自CMはどうなるんだろう。
#*CMも統一化で見事に消え去った。東京では広末涼子の裏で関西は赤井英和とかコテコテぶりを全開にしていた。
#ドコモの人はよくケータイのキーパッドのLED付け替えて色を変えたり、デコったりする。
#ドコモ2.0→どこもにいてんぜろ→ドコモに移転ゼロ
#*ドコモ2.0は見事に滑って、すぐ言われなくなった。
#何故かオタクのケータイは決まってドコモ。
#*ドコモは全体のシェアが多いんだから、どう切り取っても多いのは当たり前。
#'''遂に型番を従来の90Xi・70Xiから「x-00X」(メーカー名 - 発売順の通番 年度)に変更。'''新たに4つのカテゴリーも導入し巻き返しを図る。
#*ちなみに「X」に入るのは2008-2009冬~2009秋までが「A」、2009-2010が「B」・・・となる見込み。でもとりあえず「F」「L」「N」「P」「T」は飛ばす。
#**「L」ってまさか…[[wikipedia:ja:LGエレクトロニクス|此奴]]か?!
#**その筈だったのだが、2013年冬~2014年秋モデルの型番は「F」に。[[富士通|この頭文字のメーカー]]製の端末は当然「'''F-00F'''」と言うややこしい事に。
#i-modeメールのアドレスが、ようやくRFCに準拠してくれた。
#*「@」の直前にor連続して「.」が入ったメールアドレスを許容するという珍奇な仕様だった。
<!--リンク切れCO #[http://www.nttdocomo.co.jp/corporate/ad/tvcm/100118_01.html このCM]はフランスから何かいわれないかとちょっと気になる。-->
#[[Apple#iPhone|iPhone]]の販売権をSBに取られたが、その数年後の2011年には自社でのiPhone参入を「ない」と表明した。
#*iモードとかの資産をスマフォ業界にも持ち込みたいNTTと、[[Apple]]の方針は合わなかったようで。
#全国1社になったのだから、ドコモiエリアは一度再編した方が良いと思う。
#*東京は99エリア(埼玉県内に東京にまたがるエリアがあるので事実上100エリア)なのに佐賀はわずか2エリアという格差。
#**エリア数の差もあって地方じゃ広すぎて役に立たない。
#**格差例1:青森県八戸エリアで[[青森/南部#階上町の噂|階上町]]と[[青森/下北#大間町の噂|大間町]]が同じエリア。
#**格差例2:逆に金沢市は市内でエリアが分かれている。おそらくはかつて地域会社があった名残。
#昔は「頂上に鳥かご上のパーツが付いている、足が三本または1本の基地局」が多かったが、最近は「一本足で頂上にアンテナがこれまた1本」のシンプルな基地局が多くなってきている。
#*ちなみにドコモの屋内用の基地局設備は、他キャリアのそれに比べて小型化が進んでいるため、工事や修理を行うときに設備を見つけにくいとか。
#定期的に[[日本経済新聞|日経]]がiPhoneがドコモでも出るっていう<s>希望的観測</s>記事を出す。
#*そして必ず外れる。
#*が、2013年8月に日経がドコモからiPhoneは出ないという記事を書いた翌月、手のひらを返したの如くiPhone5S/Cの販売を開始。
#2013年夏モデルのXperia A(SO-04E)とGalaxy S4(SC-04E)に宣伝費を大量投入した上に、2つのスマホ割を双方もしくは一方を適用させた優遇価格で[[ソフトバンク|2]][[au|社]]から出しているiPhoneに対抗するとか。2社ともAndroidよりもiPhoneに優遇している故、仕方のないことなのかなぁと思ったり。
#*各shopもiPhoneとAndroidを比較した独自広告を出したりして優位性を宣伝しているが、「iPhoneはウィルス対策にお金がかかる」などと頓珍漢な事を書いたところもある(脱獄前提なんだろうか……)
#**「湯船の国のスマホ」、「小銭がかさばる国のスマホ」というのもあった(防水、FeliCa)。
#*iPhoneが馬鹿売れしたのは「Androidに比べて安い」「Androidより分かりやすくトラブルも少ない」って要素が大きいから、間違ってはいないと思うが。
#**実際、日本はiPhoneよりAndroidのほうが高くつくこともあって(キャリアの宣伝効果も大きい)、iPhoneのシェアがかなり高い(因みに世界一)が、海外は逆だからiPhoneのシェアはかなり低い(例外はアメリカくらい)。
#*iPhone 5sになってついにドコモからもiPhoneが登場したため、それらの機種は影が薄くなってしまった。
#**結果、Galaxyは年を重ねるごとに売れなくなった上に電池問題などで自爆して、売れている・街なかで見るのはiPhoneとブランド力と営業力で残ったXperiaぐらいになってしまった結末。
#3社のなかでCMは一番まとも。
#*しかしWeb限定動画だと[http://www.youtube.com/watch?v=lkaIoH6Um60 この様に]ぶっ飛んでいることも。
#*ただ、最近はdポイント開始でポインコ(声はロッチの2人)がウザくなってきた。
#雑誌広告は以前は関東・甲信越限定だった。
#*'''この広告は関東・甲信越地区に限ります'''と記載されていた。
#2015年にドコモポイントを発展させる形でdポイントをスタートさせた。[[ローソン]]などで貯めることができる。
#*上の通りに本業がいかんせん伸び悩みなので、ここで外部からの囲い込み狙いの模様。
#**[[マクドナルド]]でポイントカードが、もらえるが[[楽天]]スーパーポイントのポイントカードも、もらえるので囲い込みし辛い状況に在る。
#最近になって公衆電話サービスを始めた。
#*といっても親会社が物理上公衆電話を設置できない(固定電話にできないから)鉄道・船舶・山間部用のサービスで、携帯電話回線や衛星電話を応用している。
#*そのためか親会社の従来の公衆電話ではお馴染みの10円玉とテレホンカードが利用できず、代わりに[[楽天Edy]]決済に対応している…あれ?iDは?
#**性質上、通話料金が高額になりやすいため。100円玉も使える。


====300系====
==NTTぷららの噂==
#=「のぞみ」が計画されなかったら、である。
#NTT再編時は東日本グループだったが、現在はコムグループ。
#JR東海は史実以上に新幹線至上主義に走ることはなかった。
#*そして今はドコモ系。グループ内をぷらぷらしている。
#以降、東海道新幹線で運用される車両は編成・座席数の統一を徹底されることはなかった。
#インターネットプロバイダ「ぷらら」などネットサービスがメイン。
#*更なるサービス低下も起きなかった。
#ここ最近力を注いでいるのは「ひかりTV」。
#*東海道新幹線は現在でも車両のバラエティに富んでいた。
#NTTグループの悩みの種だったが、いつの間にやら数百億を稼ぎ出す企業に。
#その分、スーパーひかりが実現していた。
#ひかりTVの独立局の再配信は同一都府県のみのため、県外局は視聴不可。


====500系====
==ショップジャパン(オークローンマーケティング)の噂==
#現実の700系が500系、N700系が700系になっていた。
#ビリーズブートキャンプを流行らせた通販会社
#*700系(現実のN700系)誕生前は、のぞみは500系(現実の700系)のみになっていた。
#CSや独立局のCMでお馴染み。
#0系と100系(山陽こだま)の置き換えが300系になっていた。
#同業のプライムショッピングと共に在名通販会社の二大巨塔だったが、プライムは韓国資本になり東京へ移転した。
#700系が失敗作になっていたかも。(by500系ファン)
#全国各地の民放や衛星で時間を問わずにバンバン放送しているのに、実は本社が'''NHK名古屋放送局の中'''。
#*N700系の登場が史実より早かった可能性もある。
#創業者は斉藤慶子の夫。
#「勇者王ガオガイガー」のガオガイガー両肩はE2系になっていただろうか…。
#300Km/h運転は700系(史実のN700系)登場まで待つ事に。
#*じゃあ現実のN700Aは「700A」か。


====E1系====
==関連項目==
#現実にはない200系3000番台が存在したかも。
*[[おサイフケータイ]] - iモードFeliCa
#[[もしあの鉄道車両が計画されなかったら#E4系|E4系は2階建てではない]]。
*[[○○Pay#d払い]]
 
*[[dポイントカード]]
====E4系====
*[[iD]]
#[[もしあの鉄道車両が実用化されていたら/JR#E2系同士の16両運行|E2系8連同士を連結した16連が実現していた]]。
*[[携帯電話会社に言いたい]]
 
*[[NOTTV]]
===電車===
*[[動画配信サイト#dTV|dTV]]
====80系====
#長距離列車は機関車牽引の客車ばかりで、電車王国日本は存在しなかった。
====101系====
#吊り掛け式車両が民営化でJRになるまで製造され続けていた。
#以下の項目も大幅に変わっていた筈。
====103系====
#ずっと101系が1980年代まで製造され続けていた。
#103系は現実の201系が名乗っていた。
#変電所増設などで国鉄の財政が傾いていた。
#*101系の全電動車化が実現していた。
#*逆に必要両数は減りトータルコストはあまり変わらなかったかも。
 
=====103系1500番台=====
#常磐緩行線への203系投入で余剰となった103系1000番台が筑肥線に転用されていた。
#*あるいは203系が筑肥線にも投入されていた。
#**その場合2017年現在も廃形式にはなっていない。
#**2000年代に入るとVVVF改造されていたかも。
#**筑肥線は列車密度が低いため、発電ブレーキ用の抵抗器が搭載されていた。
 
=====クモハ103形=====
#京浜東北線や常磐線の103系は(10両化)当初から6+4の分割編成だった。
#*京浜東北線のATC化で組み替えが複雑になることもなかった。
#その分モハ103形の製造数(現実では793両)がモハ102形並みに増える。
#*こちらも2000番台を割り振られた車両が存在した。
#**800番台では低屋根仕様と誤解されるため799の次が2001になったかもしれない。
#クハ103形500番台も登場しなかった。
#*0番台の車号が499から701にジャンプすることもない。
#短編成の線区に103系が進出する際は先頭車化や105系への改造が多く行われた。
 
====107系====
#[[勝手に鉄道車両開発/JR東日本/通勤・近郊用/既存型式改良#211系7000番台|<span style="color:#e06b00; background-color:#098200; ">211系7000番台]]や[[勝手に鉄道車両開発/JR東日本/通勤・近郊用/既存型式改良#403系1500番台|<span style='color:#00f;background-color:#efefff;'>403系1500番台]]が存在した。
 
====111・113系====
=====113系700・2700番台=====
#湖西線開業や草津線電化にあたっては115系が投入されていた。
#*草津線電化に当たって投入されたのは2000番台ではなく耐寒耐雪設備を強化した1000番台だったかも。
#*関西地区の快速運用では国鉄時代から115系を見ることができた(史実では民営化後の一時期存在した)。
#113系との併結も頻繁に行われている。
#福知山線電化で納車された近郊型電車も全て115系である。
 
====115系====
=====2600番台=====
#沼津区への800番台転入数が増えていた。
#[[国鉄415系電車|<span style='color:#00f;background-color:#efefff;'>415系]]500番台同様1500番台が新造車で登場していた。
 
====151系====
#昼行特急の動力分散方式への推進は行われなかった。
#*=動力近代化計画がなかったら、である。
#日本の有料特急車両がデザイン重視になることはなかった。
#*私鉄の有料特急車両もデザイン重視になることはなかった。
#*史実ほどデザイン重視になることはなかったので一貫して特急専用で使用する方針に転換する動きは見られなかった。
#**関東私鉄では有料特急車の格下げ改造が後継車の登場とともに行われていた。
#***東武5700系、1700系が通勤車に改造されていた。
 
====185系====
#183系がさらに増備されていた。
#*2階建て列車のために貫通路付きのクハ183の製造が再開されていた。
#=国鉄が合理化を推進していなかったら。
#*優等列車と普通列車双方に使える特急型車両は登場しなかった。
#**117系と比べられることはなく、「最悪の特急」と揶揄されることはなかった。
#**373系も登場しなかった。
#*代わりに313系が4年早く登場し(全席転換クロスシート装備)、急行「伊那路」「富士川」に入る。急行「東海」は1995年辺りに廃止された。
#特急型といえば赤とクリーム色の印象が強いままだった。
#JR東日本のコーポレートカラーは緑ではなかった。
#80系や157系の復刻塗装もなかった。
#新特急は登場せず、関東近郊の特急は快速に格下げされた。
#*急行「伊豆」はすべて特急「あまぎ」に統一。
 
====201系====
#=第二次オイルショックがなかったら、である。
#その分、103系の製造数が増えていた。
#*1500番台の車体は103系ベースとなっていた。
#*途中から空気バネ台車に仕様変更されていたかも。
#千代田線の発熱問題から203系の登場は史実通りとなっている。
 
====203系====
#=千代田線の発熱問題がなかったら、といえる。
#207系900番代が登場後にはこれが量産化されていた。
#捻出した103系1000番代が105系500番代に改造されることはなかった。
#代わりに205系が常磐緩行線に投入された。
#常磐線各停の冷房化が遅れた。
 
====205系====
#ステンレスカーの普及が史実以上に遅れた。
#*ボルスタレス台車、電気指令式ブレーキも。
#*211系、415系1500番台、キハ54形、キハ185系なども登場しなかった。
#**四国にもキハ183系が導入されていた。
#***その後一部が九州に移籍していた。
#**JR東海(在来線)とJR四国はステンレスカー一辺倒にならなかった。
#JR東日本は東急車輛と親密になることはなく、総合車両製作所への組織改編もなかった。
#*東急車輛はオールステンレス車体の製造ノウハウを同業他社に公開することもなかった。
#1段下降窓が解禁されることはなかった。
#*117系100番台も登場しなかった。
#203系が地上用として量産化されていたかもしれない。
#*その場合、国鉄→JRの通勤・近郊型車両はアルミ製が主となる。
#*むしろ201系が更に増備されていた。
#**山手線や常磐線快速にも投入されていた。実車にはない青緑色の201系を見ることができていた。
#*アルミカーは高価ですぞ?'''103系1500番台'''が代わりに量産される。
#界磁添加励磁制御は211系で初採用されていた。
 
====209系====
#「寿命半分・価格半分・重量半分」のコンセプトに誤解を招くことはなかったので「走ルンです」と揶揄されることはなかった。
#701系やE127系、E217系も同種のコンセプトで作られることはなかった。
#大幅なコストダウンで通勤型車両の質が低下することはなかった。
#*京急新1000形がステンレス化されることはなかった。
#**南海8000系も1000系をベースにした車両となっていた。
#*新車の製造コストは未だに高額なままでJR東日本は更新工事を継続していた。
#E501系も存在しなかった。
#現在もステンレス車両の最先端を行くのは東急である。
#*東急車輛も未だ東急傘下かもしれない。
#*相鉄10000系や都営13-000系、小田急4000形は東急5000系がベース車両になっていた。
#当然、E231系以降の新車も無かった。
#走ルンですの愛称はなかった。
 
=====209系500番台=====
#中央総武緩行線の103系に車両故障が少なければ十分考えられた。
#京浜東北線の予備車には中央総武緩行線から捻出された205系が使われていた。
#*その後京葉線→武蔵野線に転用されるのも恐らく史実通り。
#京浜東北線の元901系や京葉線の201系固定編成は同線のE233系が投入されるまで現役を続けていた。
#むしろ209系0番台が中央総武緩行線にも投入されていた。
 
=====209系3100番台=====
#70-000形の余剰車両はそのまま解体されていた。
#103系3000番台の置き換え用には当初の計画通り205系3000番台が追加投入されていた。
#*その分205系を埼京線増発用に転用できなくなるが、はたしてどうなったのやら。
#**逆に70-000形が6両増備されていたかもしれない。
#JRが初めて私鉄から車両を譲受した例はキハ125形400番台だった。
 
====221系====
#関西私鉄王国は現実よりも長続きした。
#211系がJR西日本にも導入されていたかも。
#新快速の主力は1990年代後半まで117系だった。
#*阪神大震災直後のJR利用増で史実の223系に相当する車両が登場、ここで初めて3扉転換クロスシートが採用されていた可能性もある。
 
====227系====
#未だに国鉄広島だとバカにされていた。
#221系か223系が広島に転属していた。
#車両の老朽化が激しいので広島地区の本数はさらに削減されていた。
#和歌山線と桜井線に225系が投入されていた。
#*5100番台の一部設備が変更された車両が投入されて阪和線などでも運用されていた。
#**HF601-の先頭部はHF430-のそれと同じだったかも。
 
====E231系====
#E233系も登場していない。
#JR東日本では通勤型と近郊型の区別が廃止されることなく、一般型電車という区分が使われることはなかった。
#*125系も近郊型として製造されたかも。
#*一般型といえば50系客車か気動車といったローカル専用車両のことを指していた。
#私鉄にも本形式をベースとする車両が登場することなく、東急5000系や相鉄10000系は登場しなかった。
#*相鉄10000系は日立製となっていた。
#常磐線快速電車の近代化が遅れていた。
#209系500番代が更に増備し続けていた。
 
=====600番台・4600番台=====
#山手線のホームドア設置はE235系統一後に行われた。
#*6扉車もそれまで使われていた。
#*山手線のE235系は全て新造車になっていた。
#*他路線転属を考えて山手線は10両になっていた。この場合運転席以外の車両の端は全てフリースペースになっていた。
#6扉車を抜くと9両になるので中央総武線各駅停車に転属されなかった。
#*209系500番台の替わりに武蔵野線に転属していたかも。
 
====E233系====
====5000番台分割編成====
#成東や勝浦に行く列車はE217系総武快速になっていた。
#*おそらく付属編成が乗り入れていたと思われる。
#*横須賀総武快速線のE217系の付属編成が12~15両目として改組されていた。
 
====271系====
#[[もしあの鉄道車両が更に増備されていたら/JR#287系|287系が史実より多く投入され]][[はるか|「はるか」]]と[[JR列車/か行#くろしお・オーシャンアロー|「くろしお」]]は共通運用になっていた。
 
====281系====
#[[関西国際空港|関西空港]]の[[もしあの空港が○○だったら#1970年に開港していたら|開港時期]][[もしあの空港が○○だったら#1990年に開港していたら|が異なっ]][[もしあの空港が○○だったら#1997年に開港していたら|ていたら]]あり得た。
#[[はるか|「はるか」]]と[[JR列車/か行#くろしお・オーシャンアロー|「くろしお」]]は共通運用になっていた。
#[[JR西日本223系電車#0番台|223系0代]]の荷物室もなかった。
#史実の283系以降1の位が2つ下がっていた。
#*[[もしあの鉄道車両が更に増備されていたら/JR#283系|史実の283系がそれより多く投入されていた]]
#*[[もしあの鉄道車両が更に増備されていたら/JR#287系|史実の287系もそれより多く投入される]]代わり[[もしあの鉄道車両が計画されなかったら#271系|271系もなかった]]
 
====301系====
#営団地下鉄東西線直通電車は全て103系になっていた。
#203系がこっちにも導入されていたかも。
#*その場合103系は105系に改造されていた。[[もしあの鉄道車両が更に増備されていたら/JR#105系改造編入車|105系に新造車はなかった。]]
#国鉄はアルミ車体に消極的になっていた。
#*203系もステンレスになっていた。
 
====313系5000番台====
#2006年に東海道線名古屋地区に投入された313系は100番台(4連)と400番台(2連)になっていた。
#*クハもそれぞれ100番台と400番台となるだろうから、1100、1600、1700番台のクハは100番台になってたかも。
#*2010年以降も大垣区にはこの2つの番台を入れるだろうから、1100番台大垣車と5300番台は存在しない。
#**後者は5000番台がないので尚更。
#6連の313系は存在しなかった。
#*全席転換可能の313系も。
#*車体間ダンパは多分新幹線にしかついてない。
 
====321系====
#現実の323系が321系を名乗っていた。
#*史実通り3ドアの場合、JR西日本の4ドア車は207系が最後になっていた。
#京阪神緩行線で201系・205系が現在でも走っていた。
 
====E331系====
#E233系5000番代の導入は史実と変わらなかった。
#*ただ、209系500番代が1編成だけ残留してしまうようなことはなかった。
#JR東日本にとって手を焼く存在が減っていた。
#*故障が多かったと言われたため。
 
====401・403・421・423・415系====
=====401・421系=====
#[[もしあの鉄道車両が実用化されていたら/国鉄/電車#4扉近郊電車|101系基本のオールクロスシート車]]の交直流版が登場していた。
 
=====415系500番台=====
#JR東日本はロングシート車一辺倒になることはなかった。
#*[[もしあの鉄道車両が実用化されていたら/国鉄/電車#401系(2代目)|国鉄時代に交直流通勤電車が実現していたら]]ほぼ史実通りか。
#211系ロングシート車も存在しなかった。
#701系も存在しなかった。
#*登場したとしても座席配置は最初から5000番台などと同様になっている。
#107系も登場しなかった。
#*413系・717系を直流専用にしたような車両が登場したかも。
#近郊型のロングシート化は未だに異例の域を出なかった。
#常磐線中電のラインカラーは青ではなかった。
#*JR九州も415系新塗装車を元にしたカラーリングになることはなかった。
#*500番台も登場時は赤電でしたが?どのみち万博絡みで塗装変更は行われる。
#3扉ロングシートの20m車といえば未だに西武のイメージ。
#*キハ35系は? 105系は?
#**失礼しました。東京都心部での話です。
#Fo507とFk513~517、Fk520は存在しなかった。
#*カツK513編成とカツK517編成がJR九州に譲渡された。
#**JR九州の編成番号法則に基づき以下の通りに改番(転属も反映)
#**カツK513→Fm113→Fo113→Fk113
#**カツK517→Fm121→Fo121
#*史実のFk513~517に該当するのは史実のカツK514~K516とカツK510~K511。
#**史実のカツK510はFk10
#***2013年廃車。最終所属は鹿児島車両センター。
#**史実のカツK511はFk101
#**史実のカツK514はFk114
#**史実のカツK515はFk115
#**史実のカツK516はFk116
 
=====415系800番台=====
#[[もしあの鉄道路線の電化が○○だったら#七尾線|七尾線の電化]]が1980年代前半までに実現した。
 
=====415系1500番台九州車=====
*当初は南福岡初期421系などの置き換えは勝田415系100・500番台の転用で済ませるはずでした
#K525の九州転用はなかった。
#811系は415系500番台基本だった。
 
====417系====
#仙台地区に415系が投入されたかも。
#*その場合仙台地区に投入されたのは雪切り室などを備えた寒冷地仕様の415系1000番台だった。
#あるいは713系が仙台地区に投入されていた。
#JR東日本は115系あたりでLED式行き先表示を実験していた。
 
====419系====
便宜上715系も含みます
#客車夜行列車は583系電車に次々に置き換えられた。
#地方で普通列車を増発しない方針だったらこうなっていた。
#食パン電車と揶揄されることはなかった。
#九州鉄道記念館の583系にセミクロスシートはなかった。


====E501系====
[[カテゴリ:携帯電話会社|えぬていていとこも]]
#常磐線の一般車両は未だに国鉄水戸の域を脱していなかった。
#あのインバータ音は京急くらいの認識で終わっていた。
#*鉄道ファンからも評価されることなく、走ルンですの中では一目置かれることもなかった。
 
====581系====
便宜上583系も含みます。
#寝台・座席両用電車...何それ?
#東北・北陸・九州の昼行特急は485系の独壇場だった。
#*クハ481形ボンネット車が「はつかり」にも充当されていた。
#「寝台特急=客車」の状態が続いていた。
#*EF65が「はくつる」の先頭に立つ姿を見ることができた。
#*定期の「明星」にも20系が投入されていた。1975年3月改正まではEF58・EF65が単独デザインのヘッドマークを掲出していた。
#車両基地の容量不足がさらに深刻化していた。
#*品川電車区のような二層式の留置線が他所でも見られたかもしれない。
#419系、715系も登場しなかった。
 
====683系====
便宜上289系も含みます。
#当然287系も登場していない。
#485系3000番台のはくたかは北陸新幹線開業まで存続していた。
#*スーパー雷鳥の廃止は事実通りになっていた。
#*「しらさぎ」の485系も681系に置き換えるまで存続しておりよって国鉄色のパノラマはなかった。
 
====701系====
#地方でのロングシート車導入に物議をかもすことはなかった。
#*鉄道ファンからの評価がガタ落ちすることもなかった。
#E127系も登場しなかった。
#*新潟のやつは存続していれば多数派に、いなければE129系の投入が早まっていた
#50系客車がもう少し長く運用されていた。
#*[[もしあの鉄道車両が実用化されていたら/JR#50系客車改造電車|50系改造電車が実現していたかも。]]
#**50系はJR東日本でも、気動車化されていたこともあり得る。
#***更に12系客車まで気動車化され、発電エンジンも走行兼用化されていた。
#*SL銀河の客車は既存の50系を改造していた。
#**牽引機もC58ではなくD51が担当(勾配がきついため)
#***DD51等を補機担当で使っていた可能性もある。
#701系といえば西武鉄道の方だった。
#815系も転換クロスシートで製造された。
#[[もしあの鉄道車両が更に増備されていたら/JR#719系|719系が更に増備されていた。]]
#青い森鉄道701系とIGRいわて銀河鉄道7000系も登場しなかった。
#*これらには軽快気動車が導入されていたかも。
 
====E721系====
#=JR東日本が普通列車のクロスシート復権を受け入れなかったら、といえる。
#*209系の房総地区転用に際してもロングシートのままだった。
#仙台空港鉄道の車両も701系ベースになっていた。
#E129系も登場しなかった。
 
====E751系====
#青森車両センター廃止までつがるは485系が使用されていた。
#つがるにE653系が導入されていた。
#*いなほと共通運用になっていた。
#*「いなほ」の青森発着は2010年以降も存続。E653系1100番代が「つがる」「いなほ」にも使用されたかも。
#JR東日本に交流専用特急電車は存在しなかった。
#*北海道新幹線1次開業の早期実現が前提なら(485系の延命で済ませる事),十分考えられる。
 
====789系基本番台====
#北海道新幹線開業まで津軽海峡線の昼行列車は485系電車特急「はつかり」、50系客車快速「海峡」で運行されていた。
#*もしかしたら781系特急電車の転用も検討されていた。
#特急「ライラック」は復活しなかった。
#*下手したら大雪・サロベツはキハ54の急行か快速になっていた。
 
===気動車===
====キハ37系====
#=加古川線、久留里線が1980年代に電化していたらである。
#*高砂線、三木線、北条線、鍛冶屋線、木原線では廃止・3セク転換までキハ30などが使用されていた。
#キハ54形、キハ185系にも影響をあったかもしれない。
 
====キハ38系====
#八高線は1980年代に全線電化していた。
 
====キハ45系<!--2代。初代は客車改造車で後のキハ09系-->====
#2ドアセミクロスシートといえば小田急2320形程度の認識で終わっていた。
#キハ47形、417系、富士急行5000形などの2ドアセミクロスシート車も登場しなかった。
#*西武4000系も。
 
====キハ80系====
#東北特急の近代化が遅れていた。
#*東北本線全線電化まで待たなければならなかった。
#北海道の優等列車も急行の天下が続いていた。
#というか、非電化線区の優等列車は急行の天下が続いていた。
#初期不良で「はつかり、がっかり、事故ばっかり」と揶揄されることはなかった。
#動力近代化計画に、客車の運行縮小が盛り込まれたかあやしい。
#*DD51の開発が数年早まり、はつかりはDD51で無煙化された。
#*ナハ20が史実より多量に増備された、あるいは14系の登場が早まった。
 
====キハ125形====
#キハ220形の登場が早まっていた。
#同型車として、島原鉄道がキハ2500形、茨城交通(現・ひたちなか海浜鉄道)がキハ3710形を投入することはなかった。
#高千穂鉄道からの譲受車である海幸山幸用の400番台は本系列への編入ではなく、特急形として別の形式を起こしていた。
 
====キハ183系1000番台====
#=オランダ村特急がなかったら、である。
#*オランダ村特急はむしろ、485系を改装した車両が充てられていた。
#**廃止後は一般車に復元。
#九州にキハ183系は存在しなかった。
#電車と気動車の本格的な協調運転はJR北海道の731系とキハ201系で行われていた。
#転用改造で迷走した車両が減っていた。
#ゆふいんの森・ゆふDXは別の車両、シーボルトは存在しなかった。
 
====キハ201系====
#学園都市線がせ90年代に電化していたらである。
#ニセコライナーは廃止され、函館本線は小樽で系統分断されていた。
#*↑ニセコライナーが朝夕,札幌-小樽間キハ150の6両編成で存続したかも(エンジン高出力車両に統一することにより定時制を向上できた)。
#キハ150が現実以上に増備され、3両連結してニセコライナーに使用されていた可能性もあった。
#*↑繁忙期は4両に増車されたかも。
#キハ150のみの6両編成が(札沼線北海道医大以南が現実通りの時期に電化された場合)札沼線で見ることができた。キハ40 401・402の代わりに,キハ150が札沼線石狩当別以北のワンマン運用に入った。
 
====2000系====
#振り子式気動車第1号はキハ281系になっていた。
#*試作車だが、キハ391系は?
#その分キハ185系が更に増備されていた。
#*JR九州への譲渡や普通列車転用はなかった。
#**それでもアンパンマントロッコのようなキハ185系改造のジョイフルトレインは史実通りだったかも。
#JR四国の特急は高速バスに史実以上に苦戦していた。
#*結果利用者減で減便されていた可能性も。
#8000系は振り子無しになってたかもしれない。
#2600系はキハ185系置き換え用として史実より2.3年ほど早く導入された。
#*量産が断念されることはなかった。
#智頭急行HOT7000系にも何らかの影響があった。
 
TSE登場後開発中止になっていたら
 
#TSEは団体用になっていた(実際にコケた場合はそうする予定だったとか)。
#*「アイランドエクスプレス四国Ⅱ」は登場しなかったかも。
#これ以降振り子式気動車は登場しなかった可能性がある。
#*結果北海道や山陰の特急列車は新型車両導入後もあまり所要時間を短縮できずバスや航空機に利用者が流れていた可能性が。
 
===客車===
====10系====
#近代的な外観、内装が気動車、電車にも波及することはなかった。
#北陸トンネル火災でやり玉に挙がることはなかった。
#ナハネ10、ナハネ11、オハネ17が存在せず、B寝台はスハネ30ばかりだった。ナロ10も存在せず、オロ61がもっと大量にあった。
 
====12系====
#14系も存在しない。
#夜行急行列車の近代化すらされなかった。
#*20系の急行運用が現実以上に拡大し、ナハ21形への改造数が増えていた。
 
====20系====
#「走るホテル」と呼ばれることはなかった。
#寝台特急にも10系が投入されていた。
#寝台特急「日本海」火災事故は発生しなかった。
 
====E26系====
#「カシオペア」も当然存在しない。「北斗星」も現実より短命に終わっていた。
 
====50系====
#普通列車用客車は歴史上、完全新製車は存在しなかった。
#当然、キハ141系やキハ33形は登場しなかった。
#*キハ141が登場しないことから学園都市線では車両が不足し北海道の鉄道路線としては珍しく混雑率200パーセントという状態が電化するまで続いていた。
#*学園都市線を電化していたorキハ150をさらに増備していたのでは?
#特急格上げで捻出した急行型車両を普通列車に回すため、485系やキハ183系が更に増備されていた。
#SLあそBOY(人吉)の客車は旧型客車を改造した非冷房車になっていた。
#*むしろ12系から改造していた。
#快速「海峡」も14系座席車のみで実際より本数が少ない状態だった。
#=国鉄民営化時に客車列車を全廃させる予定だったからである。
#*1980年代の時点で機関車や機関士の余剰が問題となっていた。
#代わりに14系座席車が80年代半ばまで導入が続いた。旧型客車の急行運用は14系座席車導入まで続いた。
#*14系500番代は完全な極寒地向け新車だった。
 
====ななつ星in九州関連車両(77系客車・DF200-7000)====
#「四季島」や「瑞風」といった豪華寝台列車も計画されなかった。
#*日本での豪華列車ブーム自体起きなかった。
#=「ななつ星in九州が計画されなかったら」である。
#DE10の黒塗りが増備されることはなかった。
 
===機関車===
====EF66形====
#国鉄に流線型の新性能電気機関車は存在しない。
#EF65形の重連運用が増えていた。
#*JRになってから増備が再開される。
#**このロットが2000番台を名乗っていた。
#九州ブルトレはロビーカー登場後に瀬野八での補機連結を復活させていた。
#3.による広島以遠発着のブルトレの所要時間が長くなることにより,[[呉線]]の線路と電化設備の強化が実施される。
 
====EF200形====
#EF66 100番台が更に増備されていた。
#性能を持て余す車両が減っていた。
#EF500、ED500も製造されなかった。
#日立は今もJR貨物の機関車を製造していた。
 
====DD51形====
#=動力近代化計画がなかったら、である。
#SLファンから疎まれることはなかった。
#*「赤ブタ」「文鎮」と揶揄されることはなかった。
#DF50形が更に増備されていた。
 
====DD54形====
#度重なる欠陥でやり玉に挙がることはなかった。
#*54機関車のジンクスが減っていた。
#DD51形の製造数は史実と変わらない。
 
==私鉄==
===東武鉄道===
====1800系====
#1970年代から「りょうもう」の使用車両は日光線系統と共通化されていた。
 
====5000・5050・5070系====
#[[もしあの鉄道車両がもっと長く使われていたら#2000・2080系|<span style='color:#000080;background-color:#35c5ff; '>2000系が継続使用されていた]]。
#*7300・7800系はそれに置き換わるまで使用されていた。
 
====8000系====
#2000系が更に増備され、日比谷線乗り入れ以外の運用にもついていた。
#*後継車である20000系も日比谷線乗り入れ以外の運用にもついていた。
#私鉄の103系と呼ばれることはなかった。
 
===西武鉄道===
====2000系====
#西武の通勤車両は3ドア車を頑なに導入し続けていた。
#*その分、3000系が更に増備されていた。
#*それすらなかったので有楽町線や副都心線との相互乗り入れも企画されなかった。
#**よって、6000系も登場しない。
#**S-TRAINも設定されたか怪しくなる。
 
====40000系====
#S-TRAINは無かった。
#その代わりレッドアローの置き換えとして西武・秩父・メトロ・東急・横浜高速に直通する新型特急車両を開発していた。
#*その場合4000系の池袋・秩父鉄道乗り入れ廃止、池袋線無料種別飯能運行系統分断、快速急行全列車地下鉄直通&練馬停車が実施されていた
 
===東京急行電鉄===
====8000系====
#東急は18m車を頑なに導入し続けていた。
#7200系が更に増備されていた。
#*18m車オンリーであるため、運用効率化の観点から7200系も日比谷線に乗り入れていた。
#*その代わり、半蔵門線は18m車対応で建設されていた。
#副都心線直通まで東横線は18m車オンリーだった。
#田園都市・半蔵門線開業で20m車を導入したかもしれない、東横線系統は18m車、田園都市・大井町線は20m車の二本立て。
#*目黒線化の時点で20m車対応の工事にかかって後は史実通り。
 
====8500系====
#8000系の増備が継続されていた。
#*先頭車が付随車のみなので地方私鉄譲渡時に改造の手間が増していた。
#8090系と8590系は登場したのだろうか?。
#*少なくとも、8590系は登場しても別の形式名になっていた。
 
===京王電鉄===
====6000系====
#京王本線は18m車の8両+4両対応にホーム延長。
#*相模原線は最初から12両対応、高尾山口は8両しか入れない。
#京王本線のステンレス車は井の頭3000と共通車体。
#当然[[都営新宿線]]も18m車で建設。
#*新宿線と[[都営浅草線|浅草線]]の車体は共通に。
 
===東京メトロ===
====02系80番台====
#この時点で方南町駅は6両化され、02系0番台が導入されていた。
#*本線のワンマン化は[[横浜市営地下鉄ブルーライン|<span style='color:#f9fcff;background-color:#0074ff;'>横浜のブルーライン]]と同時期だったかも。
#あるいは銀座線のお古が相変わらず使用された。
#*01系が3両化されて転属していたかも。
 
====05系千代田線転籍車====
#5000系および6000系ハイフン車引退と同時に北綾瀬駅は10両化されていた。
#*現実の「綾瀬」行きは「北綾瀬」になっていた。
#B修工事も行われず、東西線側も15000系増備で対応していた。
 
===小田急電鉄===
====2300形====
#3000系(SE)の登場が早まっていた。
#珍車扱いされることはなかった。
#準特急用の2320形の登場は史実と変わらなかった。
 
====30000系====
#展望デザインを何とかして維持するために、史実の60000系のような車両がこの時点で製作されていた。
#*もしくは通勤用特急と言う概念が出てこなかった。
#*「EXE」の愛称は採用されず、該当車両も従来の「○SE」を踏襲する形になっていた。
#**おそらくブルーリボン賞も獲得できている。
#二層建て列車は存在しなかった。
 
====60000系====
#≒「ロマンスカーの地下鉄乗り入れがなかったら」である。
#御殿場線乗り入れ用の特急車両は全く異なるコンセプトになっていた。
#*おそらく両端とも非貫通型になっていた。
#2009年の鉄道友の会ブルーリボン賞は[[京阪3000系電車 (2代)|京阪3000系]]が受賞し、同社としては初のブルーリボン賞受賞となっていた。
 
===長野電鉄===
====1000系====
#2100系「スノーモンキー」がさらに増備されていた。
#湯田中駅のスイッチバックが廃止されることはなかった。
 
===名古屋鉄道===
====3880系====
譲渡車ですが便宜上ここに。
#名鉄の3扉車導入が遅くなっていた。
#*少なくとも1970年代は2扉車が製造され続けていた(100系除く)。
#6000系は登場しなかった可能性大。
#*登場しても史実の中期車に当たる車両以降だった。
#*6600系も無かった。
#*それでも100系については史実通り。
#ただでさえ少ない大手私鉄同士の車両譲渡例が1つ減っていた。
 
====6000系====
#名鉄の普通列車は今でも優等列車のお下がりだった。
#*それでも地下鉄鶴舞線や上飯田線直通には専用車両が導入されていた。
#車両を普通列車と特急列車で分けることもなかった。
 
====7000系====
#運転席を客室の階上(場合によっては階下も)に設けた前面展望車両は日本では存在しなかった可能性が高い。
#*変わりにハイデッカー車両が史実以上に普及していた。
#*イタリア国鉄セッテベッロの日本における知名度はおそらくほぼ0。
#その分、5500系が多く製造されていた。
#*キハ8000系は5500ベースになっていた。
#マイカーから史実ほど利用者を奪えなかっただろうから、名鉄の経営は史実よりやや厳しくなっていた。
#当然、7700系や7300系は登場せず。
#*登場していても史実のような構造ではなかっただろう。
#8800系や1000系にも影響が出ていた(特に一部に7000系の廃車発生品を使用した前者)。
#*少なくとも展望席は無しか。
#名鉄特急がミュージックホーンを搭載することはなかった。
#*ミュージックホーンが史実ほど普及しなかったかもしれない。
#*「どけよホーン」なんて言葉も生まれない。
#**言葉でいえば「ダンプキラー」もない。
#*中京競馬場の名鉄杯のファンファーレははたして何の曲を使ってたのだろうか…
#「白帯車」もなかった。
#*名鉄に有料特急は登場しなかったかもしれない(北アルプスとその間合いを除く)。
#名鉄の車両の塗装がスカーレット一色になることはなかったかもしれない(7000系で初めてスカーレット一色を採用したため)。
#*さすがにライトパープルになることはないだろうから、ピンクとマルーンのツートンが名鉄の車体色として定着していた。
 
===近畿日本鉄道===
====5200系====
#JR西日本221系を始め、3扉転換クロスシートの近郊型車両は誕生しなかった。
#*阪急9000系、西鉄3000系なども同様だった
 
====21000系====
#21020系も存在しない。
#23000系も本形式をベースに作られることはなかった。
#近鉄の看板車両といえば今でもビスタカーだった。
#*ビスタカーの存在が薄れることもなく、グッたいむではそれをネタにされることもなかった。
 
====ビスタカー====
#他社でも2階建て車両が企画されることはなかった。
#その代わり、速達性重視路線を史実より早くから行われた。
 
====L/Cカー====
#東武「TJライナー」や西武「S-train」、京王の座席指定通勤列車は誕生しなかった。
#*東急や京王が有料列車を運転することはなかった。
#5200系が現実以上に投入されていた。
#近鉄奈良線への特急以外のクロスシート車投入はなかった。
#205系3100番台2wayシート車も登場しなかった。
#デュアルシート試作車であるクハ79929の二の舞になっていた。
 
===京阪電気鉄道===
====3000系ダブルデッカー====
#京阪特急の7→8両への増結は一般の平屋車両で行われた。
#*鴨東線開業あたりで、8000形8550番代が10両(現実の2倍)製造されて6→8両化されたらあり得る。
#**その場合、鴨東線開業の時点で全ての編成に8000系が最低1両は組み込まれるようになり、現実以上に好評を博していた。
#それでも旧3000系はリニューアル改造されたが、8000系と比べて見劣りがするようになっていた。
#*引退も史実より早かったかも。
#プレミアムカーは現実より早く導入されたかもしれない。
#富山地方鉄道にダブルデッカーが走ることもなかった。
#料金不要のダブルデッカーといえばクハ415-1901程度の認識で終わっていた。
 
====5000系====
#京阪本線の600→1500V昇圧は1970年代のうちに実現していた。
#*10両編成の運行も行われていた。
#*京都市内の地下化も早まっていた。
#*[[もし京阪電気鉄道が○○だったら#15年早かったら|<span style='color:#064;background-color:#58ff41; '>1968年に昇圧が実現していら]]こうなっていた。
#東福寺駅は三条までの地下化とともに地下ホームに。
#*そうなっていたら朝の8連運転が早まった。
#2400系がさらに増備されていた。
#*途中で集約分散形クーラーに変更されていたかもしれない。
#**それとともに途中から方向幕装備となっていた。
 
===阪急電鉄===
====2800系====
#キハ66系を始め、117系、西鉄2000系、名鉄5700系など、両開き2ドアを持つ転換クロスシート車は登場しなかった。
#6300系も登場しなかった。
#そもそも阪急京都線特急は転換クロスシートではなかった。
#*よって、京阪にサービス面での優位性を許していた。
#*国鉄も117系を投入しなかった。よって、JRになってからも221系以降の車両は登場せず、未だに私鉄王国関西が続いている。
 
===阪神電気鉄道===
====ジェットカー====
#阪神は普通列車と優等列車で車種を分けていなかった。
#京阪2000系、近鉄6800系といった同種の性能を持つ車両も存在しなかった。
 
====9000系====
#=阪神大震災がなかったらである。
#阪神のステンレス車体の導入が遅れた。
#近鉄乗り入れできるのが1000系だけになっていた。
 
===南海電気鉄道===
====2300系====
#2000系を無理矢理でも2両ワンマン運転できるように改造していた。
#7000系の一部を置き換えのために8300系がさらに増備されたかも。
#*時期的にむしろ8000系が現実以上に増備されていた。泉北3000系の南海本線移籍も現実より多かったかも。
#2000系の南海本線転属はなかった。
#高野山が世界遺産に登録されなかったらこうなった…かは微妙かもしれない。
 
====50000系====
#「[[ラピート]]」はなかった。
#関空への特急は10000系「サザン」をベースにした車両が導入されていた。
#*場合によっては一部座席指定になっていた。
#南海電鉄は今も関西大手私鉄では一番地味な存在。
 
===山陽電気鉄道===
====700形====
#820形・850形の製造数が増えていたのはもちろん、車両不足を補うために国電の戦災復旧車が投入されていたかもしれない。
#山陽の大型化は遅れ、場合によっては阪神・阪急との直通はかなわなかった。
#*流石に併用軌道こそ廃止されているも、今もこじんまりとした電鉄兵庫駅が起点。
#*むしろ神戸高速鉄道の建設を機に車両限界の拡大が行われていた。この場合3000系が最初の大型車となっていた。
#1003号・107号が琴電に譲渡されることもなかった。
 
===西日本鉄道===
====3000形====
#7050形の製造両数が現実よりも多かった。
#*史実では登場しなかった中間車も登場していた。
#8000形の後継車として同様の2扉転換クロスシート車が登場していた。
 
==関連項目==
*[[もしあの鉄道車両が実用化されていたら]]
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 鉄道史|あのてつとうしやりようかけいかくされなかつたら]]
[[カテゴリ:鉄道車両|もしけいかくされなかつたら]]

2022年4月13日 (水) 02:19時点における版

NTTドコモの噂

なんとも立派なパケ代ビル
ドコモショップ1号店(八王子市
  1. 携帯電話会社トップシェア。
    • 加入者数5200万。ナンバーポータビリティが始まってもシェアは変わりそうにない。
      • だったら、どっかの会社が「¥0」と銘打っても、知らんぷりしておけばいいのに。
        • 煽って怒らせて、かえってボロを出させるのが彼の戦略なのを解っていなかったようだ。
        • これまでも何度かケンカしてきたくせに・・・成長してないのね。
          • だって、彼が最終的に勝った事は一度もないんだもん。結果は漁夫の利の漁夫が出るか、公的インフラの性格が強いサービスを放り出して、NTTが尻拭いをするか、のどっちか。
      • それから4年たち、契約件数は5700万に増えた(2011年1月)がシェアは52%→47%と低下。auは横ばいで900万件を獲得したSoftbankに食われている……
        • などと言われてもそこはみかかの一員、MVNO各社の回線は大体ドコモで、シェアNo.1は依然盤石。インフラとしての信頼で仕手筋もどきが勝てる道理はない。
    • 何にせよ、NTTグループの稼ぎ頭。そのうちNTT持ち株会社もドコモホールディングズになったりしてw
      • 固定電話が落ち目だから当然か。
        • 「NTT法」なる法律で、"本丸"のNTTとタッグを組むのを法レベルで禁じられているらしいから難しいかと。(ちなみに他キャリアであるような、NTT固定電話とのセットのプランを用意できないのもこの法律の影響だとか)
  2. 日本のアチコチに巨大なビルを建ててる。
    • 迷惑メールのお陰でパケ代が儲かってしまってた時代に建てられたものが多いので、「パケ代ビル」とも呼ばれてる。
      • 田中康夫も長野県知事時代そのことでドコモの営業を呼び出してブチ切れていた
    • 梅田マルビル名物の電光掲示板が消えた理由の半分くらいは、ドコモのせいかも。(目の前に巨大なビル建てやがったから)
    • アンテナ塔は無駄にデカイ。
    • 実際に立てているのはグループ会社のNTTファシリティーズだったりする。
      • 内部の仕事を作るために立てまくったという道路族と同じ構図
  3. 代々木新宿間にあるドコモのビルは、上半分が空っぽ。
    • その実態は、巨大なFOMAのアンテナ。
      • てっぺんの避雷針みたいなのは、単なるクレーンの残骸らしい。撤去できなくなったんだとか・・・なかなかお茶目だコト。
      • クレーンは現在でもアンテナの向き調整や大型設備搬入で使用することがあるらしい。
    • 空いてるならオペラシティの向かいから移ってくればいいのに。
  4. 503iシリーズの頃に他社を突き放した。ドコモの「N」以外はケータイにあらず。そんな時代だった。
    • そのNECはこういう事になったわけだが
    • パナソニックのP503isやSO503iも当時の売れ筋商品。ドコモのシェアトップの座を支えた。
    • R(日本無線)やKO(日立国際)やNM(ノキア)やER(エリクソン)と言ったメーカーのモデルもあった時代。機種のバリエーションが豊富な時代だった。
  5. PHS事業は風前の灯。2007 3Q停波予定。
    • 2008年1月7日をもってサービス終了しました。黙祷…
    • ポケベル、PHS、シティフォン、そしてmovaも。
    • movaの余命はもういくばくも無い(新規申し込み終了)。ポケベル・シティフォンはサービス終了。黙祷。
    • ケータイとPHSを展開しているキャリアの特色を生かした、ドッチーモと言う双方の機能を搭載した端末もあった。090から始まる番号と070から始まる番号を、1台で利用できると言うユニークな端末だった。後にmovaとFOMAのドッチーモも登場した。
    • ドッチーモに対してDDIポケット(後のウィルコム)が登場当時にドコモに対して抗議したと言うエピソードがあった。
    • FOMAとドコモPHS対応の音楽配信サービスのMステージミュージックと、現在のNOTTVの祖とも言えるMステージビジュアルなんて言うサービスもいつの間にかサービス終了していた。ちなみにMステージミュージックのCMには、今はAVに出演している上原あずみが出演していた。
  6. NTTドコモ九州管内のシェアで県別では、宮崎県が圧倒的に多い。
    • 宮崎県では、7割近くの携帯電話がドコモである。
      • 新潟県に至ってはシェアが8割以上。au・ソフトバンクが「東北扱い」だから。
    • 携帯界の「自民党」みたいなものか。
      • 自民党よりは遥かにやる気あるゾ。従ってauも民主党なんかではない。
    • ナンバーポータビリティで、多少シェアが落ちてるものの、宮崎県では解約者が非常に少ないみたいよ。
      • 意外と知られていないようだがMNP開始後も全国的にドコモの解約率は一番低いままである
        • 意外と知られているが、MNP開始~2007年はドコモの独り負けであった。2008年以降はauの独り負け。
        • そして2011年秋(auのiPhone参入)以降、MNPでも新規でもdocomoの一人負けが続いている(SoftBankはMNPでは微増)。2012年11月には純減も記録した。
          • 昨今は流出を抑えようとAndroidのメリットをiPhoneと比較するサイトまで開設……が、効果があるわけ無い。「iPhoneは扱わない」はいつまで持つのやら。
            • 結局iPhone扱い始めたけど、果たしてユーザ数は増えたのか
  7. アテネオリンピックの時は、期間限定でアテネ市内にアンテナを設置したんでドコモの携帯が使えた。
    • 料金的には、東京23区内からの発着信扱いになってたらしい・・・儲けはたぶんなかったと思う。(むしろ宣伝効果かも)
    • 普通なら国際ローミングで使ってくれというところだが、FOMAは半独自規格なので、当時国際ローミング可能な端末がほとんどなかった(movaはいわずもがな)。そのためわざわざ現地にFOMAのアンテナを設置するという前代未聞の荒技に出た。しかしエリアは途中で極端に狭く変更された。[1]
    • ところで、現地でiアプリを使うのって犯罪なんだろうか。ギリシャではテレビゲームは犯罪なんだけど。
  8. 初期のFOMAの所為で電波が悪いという印象が根強く残っている。
    • 田舎の村でも、村役場の前だけはつながる。
    • 人口カバー率=自治体の役所・役場付近で入る率、なんで。でも、それだったら何で未だに100%になんないんだろう。
      • すんごい離島とかでいまだにカバーできてないとこがあるらしい。
      • 鹿児島の離島の村で鹿児島市に役場を置いてるとこがあるけど、これも役場でカバー率を計るのだろうか? 意味ねー。
        • その2村は肝心の離島のほうにもちゃんと基地局を置いている。ドコモダケ。
          • ちなみに「ケータイ国盗り合戦」の6000空モードはau・ソフトバンクに配慮してか、村役場付近で位置登録しても2村に行ったことになる。
    • サービス開始当初は、飯田橋近辺でも歩きながら通話すると切れることはざらでした。
      • 酷い時は右手から左手に持ち替えただけで切れることも。
      • KDDI本社が近くにあるんで妨害電波が出ていたとか?
  9. 早くもMNPはDoCoMoとauのガチ対決に入っている。SBMは早晩蚊帳の外。もしくは2ちゃんのネタ。
    • ガチってのは、一方的にやられる事じゃないぞw
    • NMPによる流動はDoCoMo→auの方がその逆より大きいが、その一方で法人契約を中心に新規契約は確実に掴んでいるので、DoCoMoやや不利で競り合っているのが現状。
    • MNPの後は、SoftBankが急激にシェアを伸ばしてしまった。ドコモもauもシェア低下……
    • そしてauのiPhone販売開始後は、docomoの一人負け。
  10. 山登りにはmovaが必須。FOMAでどう変わる?
    • FOMAもプラスエリアをアホみたいに整備したおかげで3社の中では一番電波が届く。最も、深く入った山奥では元から無理だが。
  11. 「さて、そろそろ反撃してもいいですか?」
    • こんな事をCMで言うあたり、視聴者から必死だと思われてしまう。CMなんてもっと悠然と構えていいはずだが。
      • タレント、アイドル10人も投入しなければ反撃できないとは・・トホホ
        • しかも反撃失敗とは……トホホ
    • ソフトバンクモバイルが使う『★』の色がちがう事以外は…
    • 「そろそろ・・・」ってことは、今まで指くわえてボーっとしていたのか?
    かつての某メーカーみたいに箱は赤ではなくなった。しかし袋はやはり真っ赤
    もう純減を連想しそうな「赤」は勘弁して下さい
  12. 最近、「DoCoMo」のマークに入る3本の弧がなくなっている
    • 総合カタログの帯の色も、ついに赤くなった。
    • 3本の弧だけみると「子供の笑顔」にも見える。2つ↓と関係あるのか?
    • と思ったら「docomo」になるらしい。
      • いくら減収とはいえロゴを赤字にするなんて
  13. プリペイドから撤退。
    • 悪いことに使うバカが後を絶たなかったため。
    • ソフトバンクとかは継続販売しているので、それに加えて4社競合の中、シェアを伸ばせなかったからだと思う。
  14. NTTのコドモ
    • 民営化後NTTデータとともに真っ先にNTT本体から切り離された。当時のNTT本体には移動体通信の将来性が見えていなかった
    • NTT本体から分離当時のキャッチフレーズは「オギャーと、ドコモ」だった
      • CMにはサザンオールスターズが出てたっけ。
  15. 無線LAN事業ではNTTコムではなくソフトバンクテレコムとローミング提携
    • そのNTTコムも無線LAN事業ではソフトバンクテレコムとローミング提携。何かが間違っている気もするが…
      • コムは昔からつまはじき独自路線だから。
    • スマートフォン時代のキャリア顧客向け公衆無線LANサービスの中では歴史が長く、FOMA初期の頃にはあった。
  16. 新CI導入と同時に、地域子会社8社をドコモ本体が吸収する。各地の独自CMはどうなるんだろう。
    • CMも統一化で見事に消え去った。東京では広末涼子の裏で関西は赤井英和とかコテコテぶりを全開にしていた。
  17. ドコモの人はよくケータイのキーパッドのLED付け替えて色を変えたり、デコったりする。
  18. ドコモ2.0→どこもにいてんぜろ→ドコモに移転ゼロ
    • ドコモ2.0は見事に滑って、すぐ言われなくなった。
  19. 何故かオタクのケータイは決まってドコモ。
    • ドコモは全体のシェアが多いんだから、どう切り取っても多いのは当たり前。
  20. 遂に型番を従来の90Xi・70Xiから「x-00X」(メーカー名 - 発売順の通番 年度)に変更。新たに4つのカテゴリーも導入し巻き返しを図る。
    • ちなみに「X」に入るのは2008-2009冬~2009秋までが「A」、2009-2010が「B」・・・となる見込み。でもとりあえず「F」「L」「N」「P」「T」は飛ばす。
      • 「L」ってまさか…此奴か?!
      • その筈だったのだが、2013年冬~2014年秋モデルの型番は「F」に。この頭文字のメーカー製の端末は当然「F-00F」と言うややこしい事に。
  21. i-modeメールのアドレスが、ようやくRFCに準拠してくれた。
    • 「@」の直前にor連続して「.」が入ったメールアドレスを許容するという珍奇な仕様だった。
  22. iPhoneの販売権をSBに取られたが、その数年後の2011年には自社でのiPhone参入を「ない」と表明した。
    • iモードとかの資産をスマフォ業界にも持ち込みたいNTTと、Appleの方針は合わなかったようで。
  23. 全国1社になったのだから、ドコモiエリアは一度再編した方が良いと思う。
    • 東京は99エリア(埼玉県内に東京にまたがるエリアがあるので事実上100エリア)なのに佐賀はわずか2エリアという格差。
      • エリア数の差もあって地方じゃ広すぎて役に立たない。
      • 格差例1:青森県八戸エリアで階上町大間町が同じエリア。
      • 格差例2:逆に金沢市は市内でエリアが分かれている。おそらくはかつて地域会社があった名残。
  24. 昔は「頂上に鳥かご上のパーツが付いている、足が三本または1本の基地局」が多かったが、最近は「一本足で頂上にアンテナがこれまた1本」のシンプルな基地局が多くなってきている。
    • ちなみにドコモの屋内用の基地局設備は、他キャリアのそれに比べて小型化が進んでいるため、工事や修理を行うときに設備を見つけにくいとか。
  25. 定期的に日経がiPhoneがドコモでも出るっていう希望的観測記事を出す。
    • そして必ず外れる。
    • が、2013年8月に日経がドコモからiPhoneは出ないという記事を書いた翌月、手のひらを返したの如くiPhone5S/Cの販売を開始。
  26. 2013年夏モデルのXperia A(SO-04E)とGalaxy S4(SC-04E)に宣伝費を大量投入した上に、2つのスマホ割を双方もしくは一方を適用させた優遇価格で2から出しているiPhoneに対抗するとか。2社ともAndroidよりもiPhoneに優遇している故、仕方のないことなのかなぁと思ったり。
    • 各shopもiPhoneとAndroidを比較した独自広告を出したりして優位性を宣伝しているが、「iPhoneはウィルス対策にお金がかかる」などと頓珍漢な事を書いたところもある(脱獄前提なんだろうか……)
      • 「湯船の国のスマホ」、「小銭がかさばる国のスマホ」というのもあった(防水、FeliCa)。
    • iPhoneが馬鹿売れしたのは「Androidに比べて安い」「Androidより分かりやすくトラブルも少ない」って要素が大きいから、間違ってはいないと思うが。
      • 実際、日本はiPhoneよりAndroidのほうが高くつくこともあって(キャリアの宣伝効果も大きい)、iPhoneのシェアがかなり高い(因みに世界一)が、海外は逆だからiPhoneのシェアはかなり低い(例外はアメリカくらい)。
    • iPhone 5sになってついにドコモからもiPhoneが登場したため、それらの機種は影が薄くなってしまった。
      • 結果、Galaxyは年を重ねるごとに売れなくなった上に電池問題などで自爆して、売れている・街なかで見るのはiPhoneとブランド力と営業力で残ったXperiaぐらいになってしまった結末。
  27. 3社のなかでCMは一番まとも。
    • しかしWeb限定動画だとこの様にぶっ飛んでいることも。
    • ただ、最近はdポイント開始でポインコ(声はロッチの2人)がウザくなってきた。
  28. 雑誌広告は以前は関東・甲信越限定だった。
    • この広告は関東・甲信越地区に限りますと記載されていた。
  29. 2015年にドコモポイントを発展させる形でdポイントをスタートさせた。ローソンなどで貯めることができる。
    • 上の通りに本業がいかんせん伸び悩みなので、ここで外部からの囲い込み狙いの模様。
      • マクドナルドでポイントカードが、もらえるが楽天スーパーポイントのポイントカードも、もらえるので囲い込みし辛い状況に在る。
  30. 最近になって公衆電話サービスを始めた。
    • といっても親会社が物理上公衆電話を設置できない(固定電話にできないから)鉄道・船舶・山間部用のサービスで、携帯電話回線や衛星電話を応用している。
    • そのためか親会社の従来の公衆電話ではお馴染みの10円玉とテレホンカードが利用できず、代わりに楽天Edy決済に対応している…あれ?iDは?
      • 性質上、通話料金が高額になりやすいため。100円玉も使える。

NTTぷららの噂

  1. NTT再編時は東日本グループだったが、現在はコムグループ。
    • そして今はドコモ系。グループ内をぷらぷらしている。
  2. インターネットプロバイダ「ぷらら」などネットサービスがメイン。
  3. ここ最近力を注いでいるのは「ひかりTV」。
  4. NTTグループの悩みの種だったが、いつの間にやら数百億を稼ぎ出す企業に。
  5. ひかりTVの独立局の再配信は同一都府県のみのため、県外局は視聴不可。

ショップジャパン(オークローンマーケティング)の噂

  1. ビリーズブートキャンプを流行らせた通販会社
  2. CSや独立局のCMでお馴染み。
  3. 同業のプライムショッピングと共に在名通販会社の二大巨塔だったが、プライムは韓国資本になり東京へ移転した。
  4. 全国各地の民放や衛星で時間を問わずにバンバン放送しているのに、実は本社がNHK名古屋放送局の中
  5. 創業者は斉藤慶子の夫。

関連項目