もしあのプロ野球選手が現実以上に活躍していたら/外国人選手
- 日本における成績のみを対象とします。
- 最後の日本球界在籍から1シーズン以上経過まで追加しないこと。
- 新たに追加される場合は登録名(基本的にファミリーネーム)の50音順でお願いします。
あ行編集
ホアン・アイケルバーガー編集
- ストッパーとして活躍し、ヤクルトの2度目のリーグ優勝にも貢献していた。
- その名前からハンバーガーチェーンのCMに出演していた。
- 彼にちなんだハンバーガーが神宮球場で売り出されたかも。
- 関根潤三氏は「アイケルバーガーは名前が面白くて獲ったんだけど、大活躍して驚いた」と言っていた。
- 「登録名が7文字以上の助っ人外国人は活躍できない(そこそこ活躍しても一年限り)ジンクス」は平成一ケタ代のうちに破られていた。
- 史実だと完全にジンクスを打破したと言えるのは2003年ロッテのホセ・フェルナンデスあたり?
アニマル・レスリー編集
- 阪急からオリックスに変わってもクローザーとして大活躍した。
- 酒井勉がストッパーに回ることはなかった。
- 身売り一年目で日本シリーズ進出・・・の可能性もあった。
- 「風雲たけし城」に出ることはなかった。
- うまくいけばブルーウェーブ改名後もしばらく在籍し続けていたかも。
- 生真面目な土井監督と合わずに他球団に移籍していた可能性あり。
ヘクター・アルモンテ編集
- 2001年の段階で巨人がリーグ優勝していたし、2002年はもっと大きな差を開けていた。
- 2004・2005年の段階でも活躍できていたら、堀内監督はもう少し長く監督を続けられていたかも。
- 2003年以降、阪神のジェフ・ウィリアムスと競い合う光景が見られたかもしれない。
- 渡辺恒雄オーナーが「ヤクルトにはペタジーニがいるが、うちにだってアルモンテがいるぞ」と豪語していた。
- ジャイアンツは外国人獲得が下手という風潮が少し緩和された。
- 弟のエリック・アルモンテが来日した際に史実以上に期待されたし、日本ハムでなく巨人に来たかもしれない。
- 結果が史実通りだった場合の落胆も大きいだろうが。
- ドカベンに登場して岩鬼と対戦していたかもしれない。
李杋浩編集
- 松田宣浩の再ブレイクが遅れていた。
- 同じ年に来日した金泰均と何らかの形で比較されていた。
- それでも無冠の帝王で終わっていた可能性はある。
- 李大浩のソフトバンク入団後は「巨人のゴンザレス」や「阪神のランディ」、「中日のマルティネス」みたいにどちらかを思い出すかが分かれると話題になる。
エンジェル・エチェバリア編集
- 残留ならエリック・アルモンテの背番号が異なってた。
- 森本稀哲のブレイクが遅れていた。
- エンゼルパイやミスドのエンゼルフレンチのイメージキャラクターを務めていたかもしれない。
- 亡くなった時には日本ハム時代のチームメートや多くのファンからの追悼コメントが殺到した。
エリアン・エレラ編集
- ネフタリ・ソトの獲得はなかったか、もしくは来日が遅れていた。
- ひょっとしたら、応援歌に「エイリアンエイリアン」が使用されていたかもしれない。
- 見た目が似ていると話題になった菊地亜美との顔合わせが実現していた。
ナルシソ・エルビラ編集
- 2001年のリーグ優勝に貢献していた。
- ジェレミー・パウエルやショーン・バーグマンの獲得は無かったかも。
- 最優秀防御率などのタイトルを獲得していたかもしれない。
- 近鉄の合併(2004年)までは現役を続けていた。
- 亡くなった時には近鉄時代のチームメートや多くのファンからの追悼コメントが殺到した。
か行編集
バディ・カーライル編集
- 阪神は史実より早く連続最下位を脱出できたかもしれない。
- 日本ハム移籍後に再ブレイクした場合、ボビー・ケッペルやブライアン・ウルフと共に外国人最強先発トリオで身売りを出された。
マイク・ガーバー編集
- 2021年の中日はAクラス入りでき、暗黒期を脱却できた
- ビシエドもマークされることなく史実以上の生成を残せた
- 与田の契約が延長され2023年現在も中日は与田政権だった
- 立浪が監督就任もなく中日ファンから株を下げることもなかった。
- 阿部と京田はトレードされることもなく2022年のドラフトでの内野手大量指名もなかった
- 立浪が監督就任もなく中日ファンから株を下げることもなかった。
- 翌年のアリエルマルティネスの外野コンバートはなかった
- オフに退団することもなかった
- 捕手不足にならず加藤を無償トレードで復帰させることもなかった
- オフに退団することもなかった
- 2021年のドラフトで大学生の外野手を3人も指名することはなかった
- 福元は指名されずに代わりに投手を1人指名してた
- 2軍の投手崩壊はなかった
- 福元は指名されずに代わりに投手を1人指名してた
アーロン・ガイエル編集
- 間違いなく、ハウエル→オマリー→ホージー→ペタジーニ→ラミレスと来てバレンティンに続くヤクルト優良助っ人の系譜に名を連ねていた。
- ヤクルトは2007~2011年の間に1度ぐらいはリーグ優勝していた。
- 古田敦也はもう少し長く監督を続けられていたかも。
- 『実況パワフルプロ野球』で彼の守備パラメータがあそこまで酷くはならなかった…はず。
郭俊麟編集
- 西武は少なくとも2018年か2019年のどちらかは日本シリーズに出場できていた。
- 2020年の「西武球団史上初の二桁勝利投手ゼロ」も回避できていたかは微妙か?
- 「台湾球界=昔に比べてレベルが落ちた」というイメージに歯止めがかかっていた。
- 西武の大先輩に郭泰源がいるので、どちらかを思い出すかが分かれると話題になる。
フランシスコ・カラバイヨ編集
- 通訳がいらないほど日本語がうまかったので、いろいろな番組やCMに出ていた。
- 2015年のオリックスの成績が史実より良くなっていた。
- もう少し長くオリックスに在籍しており、ボグセビックやブレント・モレルの来日がなかったか遅れていた。
- 第一期オリックス時代の2010~11年も成績が良くなっていた。
- オリックス退団後も駐米スカウトか通訳になっていたかも。
- 横浜DeNAに移籍したかもしれない。(カラバイヨの師匠がラミレスだから)
- 逆にラミレスがもう少し長くオリックスのスタッフを務めているかも。
- 独立リーグのレベルの低さを指摘する根拠にされることもなかった。
- 逆に独立リーグのホームラン記録は史実よりずっと少なくなっていた。
金炳賢編集
- 楽天でも活躍できたら
- 250セーブいってたかもしれない。
- 退団時期によっては松井裕樹のブレイクが遅れていた。
- 抑えではなく先発に専念していたかもしれない。
- 上手くいけば日米通産350セーブいってたかもしれない。
- 先発だと美馬学や則本昂大のブレイクが遅れていたかもしれない。
- 中継ぎなら高梨雄平や宋家豪のブレイクが遅れていたかもしれない。
金無英編集
- 以降のパ・リーグにおいて韓国球界を経験していない韓国人をドラフト指名する機会が増えていた。
- 日本の学校に行ってた韓国人選手も増えていた。
- 通訳がいらないほど日本語が上手なので数多くのCMに出演していた。
- 李大浩がソフトバンク入団するまで残留していた場合、コリアンコンビで身売りを出された。
ゲーブ・キャプラー編集
- 2005年・2006年の巨人の成績が少しは良くなっていた。
- その場合、堀内監督退任も遅れていた。
- 2006年オフに一時引退を表明することはなかったかもしれない。
- レッドソックスの優勝メンバーは伊達じゃないと言われていた。
マイク・グリーンウェル編集
- ≒「もし“神のお告げ”が無かったら」である。
- シークリストやコールズの獲得も無かった。
- もしかしたら、ハンセンも来なかった。
- アロンゾ・パウエルの獲得はなかった。
- それでもどのみち中日はパウエルを手放していたかも。
- 一緒に来日したハイアットも現実以上に活躍出来ていた。
- 「神のお告げ」発見のきっかけの自打球による骨折もなかった。
- シークリストやコールズの獲得も無かった。
- 97年の阪神は、久しぶりにAクラス入りしていた。
- 98年から最下位にならなかった。
- いずれにしても、90年代後半~00年代初頭の阪神の成績は現実よりマシだった。
- 仮にヤクルト優勝・横浜2位・阪神3位(以下略)という結果になっていた場合、プロ野球で「AクラスとBクラスが前年とごっそり入れ替わる」という現象が史実より17年早く起こっていた。
- 98年から最下位にならなかった。
- 阪神の「暗黒時代」や「ダメ外人」の代名詞になることもない。
イバン・クルーズ編集
- 03年中日在籍はなかったか。
- ペレスとともにCP砲として暗黒脱却の原動力に。
- ペレスも活躍していたら、2001年の阪神は最下位を免れていた。
- ジョージアリアスは移籍して来なかった。
- デリックホワイトも入団しなかった。
- バースの再来の失敗例が減っていた。
エリック・コーディエ編集
- 2016年のオリックスがオープン戦・交流戦・二軍戦・シーズン全てで最下位に沈むようなことは無かったかもしれない。
- オリックスの守護神として今現在も活躍できていた。
- 日本ハムからFAの増井浩俊を獲得することはなかった。
- 星野伸之に「球持ちの悪い投手」と名指しされることはなかった。
- 抑え外国人の失敗例の代名詞として、カラスコやミセリはもう少し長く記憶されていた。
アンダーソン・ゴメス編集
- 大谷より早い二刀流の成功例になっていた。
- ザンブラーノとかも日本で大金を積んで呼ぶようになったかも。
ブルックス・コンラッド編集
- もちろん本塁打0・打点0を記録することはなかった。
- 2013年の阪神は優勝出来ていたか、現実よりも僅差の2位だった。
- 翌年に初の連覇もあった。
- 「ブルックス」つながりでブルックスコーヒーとのコラボが見られたかもしれない。
- 関西らしく「コンちゃん」つながりで毎日放送ラジオ「こんちわコンちゃんお昼ですよ」どのコラボも見られたかも。
- マウロ・ゴメスの獲得がないので2014年にCS制覇できたか怪しい。
- もしかしたらコンラッドが後のゴメス並に活躍できれば史実通りかもしれない。
さ~な行編集
ドン・シュルジー編集
- DH制導入後(交流戦導入前)のパリーグで唯一本塁打を放った投手として現実以上に有名だった。
- 仮に2本目3番目…と打ち続けていたら「元祖二刀流」と呼ばれていたかも。
- 退団・帰国が遅れていて、「がんばろうKOBE」で優勝したブルーウェーブの一員になっていた。
蕭一傑編集
- 台湾人ドラ1選手として陽岱鋼と並び、称される存在になってた。
- 藤浪晋太郎の背番号は史実と異なってたかもしれない。
ジェイソン・ジョンソン編集
- 西武の連続Aクラス記録は2013年まで続いていた。
- 彼と同じく糖尿病を患いながら活躍した1988年巨人のビル・ガリクソンと比較されていた。
- 間違っても(史実において常勝チームをどん底に叩き落した共通点を持つ)1975年巨人のデーブ・ジョンソンと比べられることはなかった。
- 飯田圭織(モーニング娘。)のあだ名の由来としても有名になっていた。
- それはデーブジョンソンの方。
鄭珉台編集
- ガルベスの代役として及第点とされた。
- 具臺晟とともに韓国の左右エースが日本球界を席巻したと評された。
- 韓国トリオの1軍争いは注目を集めた。
ベニー・ディステファーノ編集
- 同年に在籍していたバンス・ローと名コンビになっていた。
- 乱闘で有名な強打者として、他球団のマイク・ディアズやジム・トレーバーらと並び称されていた。
- 宇野勝が外野にコンバートされることはなかった。
ディンゴ(デーブ・ニルソン)編集
- もし日本でも捕手だった場合、谷繁が中日に来ることはなかった。
- そして史実どおり横浜が低迷していた可能性も低い。
- いや、最初から外野にコンバートする構想だった。
- そして史実どおり横浜が低迷していた可能性も低い。
- 2004年のアテネ五輪・2008年の北京五輪のオーストラリア代表にも選ばれる。
- そしてアテネではウィリアムスとバッテリーを組んでいたかも・・・
- そして李承燁みたいに謝罪。
- キューバを破って金メダルを獲っていた。
- そしてアテネではウィリアムスとバッテリーを組んでいたかも・・・
- 山﨑武司と李鍾範はどこかに放出されていた。
- 山﨑はおそらく当時大砲不足だった西武あたりかも?
- 年齢的に長くて2008年くらいまで続けていた可能性も。
- ジェフ・ウィリアムスはもちろん、クリス・オクスプリング(阪神)やエイドリアン・バーンサイド(巨人)とも日本でも対戦していた。
- 登録名を悔やむ声はなかった。
- 登録名の由来である、オーストラリアの動物の「ディンゴ」の知名度が上がっていた。
- パ・リーグに移籍してDH要因として活躍した可能性も。
- 2000年に中日が優勝出来ていたかもしれない。
- 2chの「ティンコ」ネタがもっと有名になった。
ブラッド・トーマス編集
- きかんしゃトーマスのイメージキャラクターを務めていたかもしれない。
- 韓国球界への移籍はなかったかもしれない。
- ブライアン・スウィーニーやライアン・グリンのどちらかを獲得しなかったかもしれない。
- 第2回WBCへの出場は史実通り?
ゲーリー・トマソン編集
- 赤瀬川原平の「超芸術トマソン」には別の名称が付けられていた。
- あるいは「芸術的な空振りではなくホームラン時のフルスイング」を「超芸術」として例えられていた。
- サッカー元デンマーク代表ヨン・ダール・トマソンへの風評被害はなかった。
- 前年で引退した王貞治の穴を埋める存在として期待通りの活躍さえしていれば、「トマ損」や「舶来扇風機」などと罵られることも無かった。
- 藤田元司監督ともトラブルは起こしていなかったかもしれない。
- 巨人を解雇された後にMLBへの復帰は叶わずとも、現役引退ではなく日本の他球団に移籍していた可能性も。
チャド・トレーシー編集
あえて三塁で
- 堂林翔太のブレイクが遅れていた。
- ブラッド・エルドレッドやキラ・カアイフエの獲得はなかったかもしれない。
- サンダーバードのイメージキャラクターを務めていたかもしれない。
は行編集
朴賛浩編集
日本球界でも活躍できたら
- この時点でオリックスは早くBクラス脱出できたかもしれない。
- 最多奪三振など投手タイトルを取ることができたかもしれない。
- 上手くいけば金子千尋より早くオリックス初の沢村賞を受賞できたかもしれない。
- 来日2年目の2012年からは李大浩とのコリアンコンビで売り出された。
バンプ・ウィルス編集
- 1986年頃までにプレーしていた。
- 1984年の日本シリーズは阪急ブレーブスが制覇していた。
- ジョー・ヒックスの加入はなかった。
- アニマル・レスリーの加入が1987年頃にずれ込んでいた。
ラリー・ビグビー編集
- 残留なら松本啓二郎の背番号が代わっていた。
- ラグビーブームで引き合いに出された。
フアン・フランシスコ編集
- 2015年も巨人が優勝していた。
- 原沢GMが更迭されることはなかった。
- フランシスコが絡んだ「サヨナラインフィールドフライ事件」が起こらなかったので、広島カ-プが「知ってたもの勝ち」というTシャツを発売することはなかった。
ブラッド・ペニー編集
- ソフトバンクはその後も大物外国人獲得に動いたか。
- 12年に優勝できていたか。
- ペニーオークション詐欺事件で風評被害を受けていた。
- 少なくとも実史のような「球界版ペニーオークション詐欺事件」という扱いにはならなかった。
コリー・ベイリー編集
- ≒「もし2003年4月11日の対阪神戦でアリアスと片岡から連続ホームランを喫していなかったら」である(長っ!)。
- シーズン前半は中継ぎとして、オールスター後はリリーフとして登板回数が増えていた。
- 2003年のペナントレースで、阪神に15.5ゲーム差をつけられることもなく、とりあえず巨人はリーグ2位でシーズン終了。
- この年の星野阪神の強さは半端じゃなかったので、阪神の優勝は変わらなかったと思う。
- 原監督の更迭はなく、2004年も指揮を取っていた。
- 単に堀内暗黒時代の到来が1年ずれただけかも。
- ベイリー本人は3年ほど巨人に在籍し、その後はメジャーに復帰。無事アメリカで現役を引退していた。
- 台湾リーグへの移籍もなく、八百長問題で追放ということにもならなかった。
フェリックス・ペルドモ編集
- 大谷より早い二刀流成功例になっていた。
- 大谷とは違い、中継ぎと代打を兼ねた便利屋型二刀流になっていた。
- 僅差の試合で代打ででてきて逆転本塁打を打ちそのまま抑えてホールドやセーブをつけるといった印象的な活躍をしたかも。
- しかし打席数やイニングが稼げないので累積系の指標には弱い。
- 外国人枠ルールは二刀流対策で改正されていた。
ブライアン・ボグセビック編集
- 2016年のパ・リーグは楽天か西武が最下位になっていた。
- ひょっとしたら、『ポプテピピック』とコラボしていたかもしれない。
- 一緒に来日したブレント・モレルやこの年の新人吉田正尚とともにチームを盛り上げる存在になれていた。
- ステファン・ロメロかクリス・マレーロのどちらかが来日しなかった。あるいは来日が遅れていた。
- 翌年以降もオリックスに在籍し、オリックスが福良淳一監督在任中に1回はCSに進出出来ていた。
ま行編集
アレッサンドロ・マエストリ編集
- 日伊球界の結びつきが強まったか。
- 国内他球団かメジャー移籍もあったか。
トム・マストニー編集
- インドネシア生まれってこともあって東南アジアから日本球界入りやメジャー挑戦を目指す選手が増えていたかもしれない。
- クリフ・ランドルフの獲得はなかったかもしれない。
ドン・マネー編集
- 1985年までにプレーしていた。
- デービスの加入はなかったかもしれない。
- 1984年の近鉄はAクラス入りしていた。
- 1984年のオールスターゲームに出場していたかもしれない。
- 藤井寺球場のロッカールームの汚さに苦言を呈したことだけが注目されることもなかった。
- むしろ球団に球場の改修をするように訴えていたかも。
パット・マホームズ編集
- 1997年の段階で横浜が優勝していたかもしれないし、1998年の優勝はもっとぶっちぎりになっていた。
- 2002年以降も活躍していれば、横浜の暗黒時代到来はもう少し遅れたかも。
- 史実の1999年以降のように中継ぎとして活躍した場合、五十嵐英樹などは少し影が薄くなっていた。
- 息子がアメフトではなく野球(実際にも高校時代にノーヒットノーランを達成した)に進んでいたかもしれない。
- あるいはベイスターズにやって来て親子二代でプレイする事になったかも。
- その場合、チーフスが2020年のスーパーボウルで50年ぶりに優勝することはなかった。
ジェフ・マント編集
- 1996年のセ・リーグは前半戦から巨人・中日・広島の三つ巴状態になっていた。
- 「メークドラマ」は流行語にならず、代わりに「乱セ三国志」あたりが流行語になっていた。
- 仁志敏久は入団1年目から二塁手に固定されていた。
- ナベツネの「クスリとマントは逆から読んだらダメなんだ」という迷言はなかった。
- MLBのジェフ・ケントと一字違いであることがもっと話題になっていた。
トニー・ミッチェル編集
- 同期加入のバルデス、四天王と強力打線を形成。
- 親戚のOBケビン宇治はネタにされなかったか。
- スイッチヒッターに再挑戦したか。
ライル・ムートン編集
- 1998年のヤクルトはAクラス入りしていた。
- 果たして野村監督は辞任していただろうか。していない場合は阪神の監督に就任しなかった。
- ロベルト・ペタジーニの獲得はなかったか、あるいは獲得した場合外野手として出場していた。
- 伊藤智仁投手コーチの「マートンじゃなくて、ムートンだと思えばいいんだ。」という迷言はなかった。
ケビン・メンチ編集
- クレイグ・ブラゼルを獲得しなかったかもしれない。
- 3番から5番はAKB(新井金本ブラゼル)ではなくAKM(新井金本メンチ)と呼ばれていた。
- 甲子園球場では彼をイメージしたメンチカツバーガーが販売されたかもしれない。
やらわ行編集
ケビン・ユーキリス編集
- 14年の楽天最下位はなく、14年時点の引退はなかった。
- ソフトバンク以外のパ・リーグのチームが日本シリーズに出場すると翌年はBクラスを沈むというジンクスを破っていたかもしれない。
- ゼラス・ウィーラーを獲得しなかったかもしれない。
- レッドソックスの大先輩のマイク・グリーンウェルと比較されることはなかった。
クリス・ラルー編集
- ヤクルトは外国人選手に定評のあるイメージが強いままだった。
- 長期に活躍すれば成瀬の背番号が違っていた。
- 壇蜜始球式からの炎上がネタにされる事はなかった。
ジェロット・リガン編集
- ジェフ・ウィリアムスとともにリリーフの一翼を担い、JFKに影響が出たか。
林英傑編集
- 台湾の奪三振王として史実以上に注目された。
- 楽天初の外国人二桁勝利を達成できたかもしれない。
- 日本でも最多奪三振も取ってたかもしれない。
- メジャー挑戦もしていたかもしれない。
林威助編集
- 掛布雅之のあとに31を付けた選手は最終的にダメになるというジンクスを完全に破っていたかもしれない。
- 阪神の台湾人のドラフトや育成は史実以上に成功していた。
- 後に日本に帰化して名前も「はやしいすけ」に改名していたかもしれない。
- 台湾への帰国は現実通りかも。
- 2006〜2010年のどこかで阪神が優勝出来ていた。
林恩宇編集
- 台湾復帰後の成績ももう少し良くなってた。
- 楽天外国人初の二桁勝利を達成できたかもしれない。
- 今でも台湾の松坂大輔と呼ばれている。
ウィリン・ロサリオ編集
- 18年の阪神最下位はなかったか
- マウロ・ゴメスといい意味で比較された。
- KBOが打者天国のイメージは薄れた。
- ナバーロやマルテやソラーテの来日もなかった。
ルイス・ロペス(2005年・楽天)編集
- 2005年の楽天のチーム成績はもうちょっとマシになっていた。(史実では38勝97敗1分と100敗に手が届きそうなくらいひどい成績であった。)
- ポジションが被るホセ・フェルナンデスは楽天に移籍しなかった。
- もしかすると実績やかつての名物助っ人と同じ名前という理由で楽天を退団した後に広島が獲得して「広島のルイス・ロペス」が数年振りに復活していたかも。
- ちなみに広島にいたほうのルイス・ロペスは2010年に楽天でコーチを務めた。
ジェイミー・ロマック編集
- 右翼手で定着していた場合、中堅手で梶谷隆幸との競争が続いていたため桑原将志のブレークが遅れた。
- この為、桑原では無く梶谷が2017年にゴールデングラブ賞を獲得していたかも。
- ネフタリ・ソトは来日しなかった。
- 某所で、『ロマック算』なるものが生まれる事は無かった。
レビ・ロメロ編集
- 育成出身外国人をめぐる議論が起こった。
- 先発かトレードのどちらかで結果を出し、ホークスへのトレードはなかったか。
呂明賜編集
- 1988年のセ・リーグは終盤まで中日と巨人のマッチレース状態になっていた。
- 場合によっては、同年のパ・リーグや1994年のセ・リーグ同様最終戦までもつれていたかもしれない。
- 1989年の日本シリーズは史実のように第7戦までもつれこむこともなく、巨人が圧倒的な強さで制していた。
ルーク・ファンミル編集
- おそらく現在でも生きていた。
- とにかく背の高い選手を取ろうという風潮が生まれていたかも。
- オランダ代表はもっと国際大会で活躍していた。
ワン・イーゼン編集
- 横浜は史実より早く最下位を抜け出していた。
- カープが連続最下位になり、ノムケンは順位が上向く前に更迭だったかも。
- 台湾代表としてキューバをピシャリと抑えていた。
- 横浜にもこんな選手がいるんだ!というなんJネタは皮肉を含まない称賛になっていた。
- ポジハメくんというAAキャラは史実より人気になっていた。