もしあの人が健在だったら/学者
ナビゲーションに移動
検索に移動
新規追加は学問分野に関してはChakuwiki:注意事項に従い一番下に追加して下さい。学者個人に関しては姓の50音順で追加して下さい。
天文学者
カール・セーガン
テレビシリーズ化された「コスモス」や映画化されたハードSF小説「コンタクト」等の多数の宇宙関連の著作を世に送り出した天文学者カール・セーガン博士は1996年末に亡くなりましたが、もし現在まで健在であれば
- 何らかの宇宙関連の書籍乃至は科学啓蒙書を世に発表していた。
- コスモスの続編「惑星へ」をテレビシリーズ化して自らも番組進行役で出演していた可能性も。
- 映画「コンタクト」にゲストとして出演していたかもしれない。
- 「天文ガイド」や「星ナビ」で磯部琇三や渡部潤一等日本の天文学者とも対談していた。
- 天文学者以外では藤井旭や沼澤茂美等の天体写真家とも対談しており、天文界以外ではセーガン博士と同じ1934年生まれの劇作家・山崎正和とも対談していた。
畑中武夫
- 日本の電波天文学は史実以上に進歩していた。
- 天文誌や科学誌以外の一般誌やテレビにも数多く登場し、天文学ファン以外にも広く名前を知られるようになっていた。
- 兄弟子の藤田良雄は2012年6月現在103歳で健在なので今畑中が生きていてもおかしくはない。
- 畑中・藤田両先生はともに萩原雄祐門下。
- たとえ今さすがに亡くなっていたとしても畑中が80歳~90歳くらいまで生きていれば日本の天文学は大きく変わっていたに違いない。
- 2013年1月9日22時10分、畑中の兄弟子に当たる藤田も遂に逝去。104歳の大往生だった(既に亡くなってから2年以上経つが…)。
政治学者
高坂正堯
- 京都大学を定年退官後は同志社大学か立命館大学の法学部の教授に就任していた。
- 恩師の猪木正道同様防衛大学校の校長に就任していたかもしれない。
- 今もマスメディアに多く登場している。
- 穏健な保守主義者としての立場から左翼勢力だけではなく極右勢力も批判していた。
- ネット右翼に代表される極右思想は史実ほど力は無かった。
- 保守本流思想を支持していた高坂にとっては排外主義・狂信的極右思想は空想的な非武装中立を掲げる左翼思想と同列に見ていたのではないか。
- 史実でも高坂の師匠・猪木がマルクス主義とファシズムを同列に批判していた。
三宅久之
- 今も『ビートたけしのTVタックル』に出演していた。
- 1000回突破スペシャルにも出演していた。
- 2013年もたかじんのそこまで言って委員会にレギュラーとして出演。
- たかじんの復帰に満面笑みで迎えてくれた。
- そこまで逝って委員会ではたかじんの死を悼んでいた。
- リニューアルの『そこまで言って委員会NP』にも引き続きレギュラー出演。
- そもそも津川雅彦がレギュラーになることは無かった。
- たかじんの復帰に満面笑みで迎えてくれた。
動物学者
千石正一
- 今でも爬虫類と両生類を研究していそう。
- 2013年に「爬虫両生類標本~セーフティーネットで守られたコレクション」のイベントに出席している。
数学者
谷山豊
- 留学した後に東大の教授に昇進していた。
- 結婚もしていただろう。
- 相手は谷山の後を追って自殺した婚約者。もし谷山が自殺しなければ婚約者も後を追うことはなかっただろうから。
- フェルマーの最終定理が証明された時にコメントを出していた。
物理学者
林忠四郎
- 史実の没年である2010年か翌2011年にノーベル物理学賞を受賞していた。
- 受賞の理由は「アルファ・ベータ・ガンマ・ハヤシの理論の提唱」か「林フェーズの発見」が最有力。
坂間勇
- ノートを取るの禁止してる名物講師として、林修の番組にゲスト出演してたかも。また代ゼミ縮小について講演会などでコメントしていた。
文学者
鈴木武樹
- テレビの「クイズダービー」の○○回記念大会や巨泉の最終回などにたびたび解答者や出場者で登場していた。
医学者
永井隆
- 随筆家としても有名ですが、本業は医学者です。
- 第五福竜丸事件やキューバ危機に対して批判する内容の随筆を書いていた。
- 日米安保条約制定には強硬に反対していただろう。
- 如己堂は現存していない可能性がある。
- 松江市で如己堂の複製が作られることもなかった。
- 自らの説である浦上焔祭説を批判した秋月辰一郎や山田かんには反論していた。
- 白血病自体なかったら長崎大で医学部長に昇進していたかも。
- もしかしたら学長になれた可能性もある。
- 原発に関してはスリーマイル島の事故をきっかけに考え方を変えていたかも。
- 木下恵介が「この子を残して」を制作することはなかった。
- ただし、別の永井の著作をもとに映画を製作していた可能性はある。
- その場合は映画のラストは老人になった彼が平和になった日本の街を歩きながら自分の子供に戦争反対を託すという内容になっていた。
- ただし、別の永井の著作をもとに映画を製作していた可能性はある。
- カトリック教徒なので聖シルベストロ教皇騎士団勲章を受賞していたかも。