「もし昭和から平成への改元があの時期だったら」の版間の差分

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#*紅白中止の場合、「映像でつづる昭和史」(1989年1月8日放送)が紅白の代わりに放送されたかも。
#*紅白中止の場合、「映像でつづる昭和史」(1989年1月8日放送)が紅白の代わりに放送されたかも。
#*もし紅白放送中に天皇陛下崩御が起こっていたら放送途中で中断という異例の事態になっていた。
#*もし紅白放送中に天皇陛下崩御が起こっていたら放送途中で中断という異例の事態になっていた。
#その後も、花の万博は平成3年、阪神大震災は平成8年、ミレニアムは平成13年、愛知万博は平成18年、地デジ完全移行は平成24年…というように、平成時代の主要な出来事を元号で表した時の年数が史実と1年ずれていた。
#その後も、花の万博は平成3年、[[阪神・淡路大震災|阪神大震災]]は平成8年、ミレニアムは平成13年、愛知万博は平成18年、地デジ完全移行は平成24年…というように、平成時代の主要な出来事を元号で表した時の年数が史実と1年ずれていた。
#*地デジ完全移行ではなく東日本大震災では。
#*地デジ完全移行ではなく[[東日本大震災]]では。
#*そして、日韓ワールドカップは平成15年、阪神タイガースの18年ぶりリーグ優勝は平成16年、楽天初の日本一は平成26年、平成から令和への改元は平成32年という事に…
#年末の場合、平成元年が史実の昭和元年と同様に希少価値になる。
#年末の場合、平成元年が史実の昭和元年と同様に希少価値になる。


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#*結局は”国際大会でもあり、このような形で選手の機会が奪われるのはおそらく陛下の本意ではなかったはず”ということになって参加継続ということで落着し、日本選手団は全員喪章をつけて競技に参加する。
#*結局は”国際大会でもあり、このような形で選手の機会が奪われるのはおそらく陛下の本意ではなかったはず”ということになって参加継続ということで落着し、日本選手団は全員喪章をつけて競技に参加する。
#**同様の理由で国内のスポーツ大会も中止になる大会は史実より少なかったと思われる。
#**同様の理由で国内のスポーツ大会も中止になる大会は史実より少なかったと思われる。
#**オリンピックで政治的なメッセージを表すものを着用することは禁止されているので、喪章の着用は認められなかった可能性もある。
#*競技参加は継続された場合でも、閉会式への参加は見送られた可能性が高い。
#崩御当日と翌日は会場中の(サウジアラビア等半旗の習慣がない国を除く)すべての国旗、五輪旗が半旗となる。
#崩御当日と翌日は会場中の(サウジアラビア等半旗の習慣がない国を除く)すべての国旗、五輪旗が半旗となる。


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#青函トンネルの開通は予定通り行われるが、天皇陛下崩御のニュースの方が当然扱いが大きいので、マスコミにあまり取り上げられなかった。
#青函トンネルの開通は予定通り行われるが、天皇陛下崩御のニュースの方が当然扱いが大きいので、マスコミにあまり取り上げられなかった。
#*祝賀行事や記念イベントなども自粛されていた。
#*祝賀行事や記念イベントなども自粛されていた。
#*ちょうど東日本大震災発生翌日に全線開通した九州新幹線と同じような感じになっていた。
#*ちょうど[[東日本大震災]]発生翌日に全線開通した[[九州新幹線]]と同じような感じになっていた。


===1988年4月10日===
===1988年4月10日===
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#紅白歌合戦など大晦日と正月の特別番組が全て中止になっていた。
#紅白歌合戦など大晦日と正月の特別番組が全て中止になっていた。
#*もし紅白歌合戦の放送中に天皇陛下崩御があった場合、番組途中で中断され、報道特別番組に差し替えられるという前代未聞の異例の事態になっていた。
#*もし紅白歌合戦の放送中に天皇陛下崩御があった場合、番組途中で中断され、報道特別番組に差し替えられるという前代未聞の異例の事態になっていた。
#*和田アキ子の歌唱中に速報が流れたら、本人の責任では全くないが、歌詞が不謹慎だとの抗議が殺到していた。この年の歌唱曲は「だってしょうがないじゃない」。
#天皇杯の決勝戦が中止になり、史上初の同時優勝になっていた。
#天皇杯の決勝戦が中止になり、史上初の同時優勝になっていた。
#*同時優勝自体は過去に一度だけあったが、このような形に限れば初であった。
#*同時優勝自体は過去に一度だけあったが、このような形に限れば初であった。
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#昭和64年は1日だけなので現実以上に希少価値になっていた。
#昭和64年は1日だけなので現実以上に希少価値になっていた。
#*後々コンピューターのシステムエラー等で影響を及ぼすことになりそう。
#*後々コンピューターのシステムエラー等で影響を及ぼすことになりそう。
#*梅田彩佳(AKB48)や内村航平(体操選手)、三上枝織(声優)は平成生まれということになっていた。
#初詣客が激減し、全国の神社や寺に影響が出ていた。
#初詣客が激減し、全国の神社や寺に影響が出ていた。
#その他の影響は大晦日と同じ。
#その他の影響は大晦日と同じ。
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#昭和64年生まれの人は現実より少し多くなっていた(1989年の早生まれ全員だったため)。
#昭和64年生まれの人は現実より少し多くなっていた(1989年の早生まれ全員だったため)。
#*そのため昭和64年製造された硬貨の発行枚数が現実の3倍になっていた。
#*そのため昭和64年製造された硬貨の発行枚数が現実の3倍になっていた。
#*花澤香菜(声優)や佐藤健(俳優)なども昭和生まれということになっていた。


===1989年4月上旬===
===1989年4月上旬===
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===1989年10月上旬===
===1989年10月上旬===
#「平成新局」という名称は誕生していなかった可能性も。
#「平成新局」という名称は誕生していなかった可能性も。
#*KAB・TUYなどが昭和のうちに開局したことになっていたため。
#*[[熊本朝日放送|KAB]]・[[テレビユー山形|TUY]]などが昭和のうちに開局したことになっていたため。


===1989年12月31日まで改元しない===
===1989年12月31日まで改元しない===
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#*危篤発表の段階で切り替わっていたと思われる。
#*危篤発表の段階で切り替わっていたと思われる。
#放送前の時点で”いつそうなってもおかしくないご病状”が既に世間に周知の状態であった場合、番組の企画段階で大掛かりな企画は用意できず、1988年もしくは1989年の「愛は地球を救う」は天皇陛下のご病状を睨みながらの地味な番組構成となっていた。
#放送前の時点で”いつそうなってもおかしくないご病状”が既に世間に周知の状態であった場合、番組の企画段階で大掛かりな企画は用意できず、1988年もしくは1989年の「愛は地球を救う」は天皇陛下のご病状を睨みながらの地味な番組構成となっていた。
#募金を陛下に差し上げようなどと言い出す者もいた。


===F-1日本グランプリ開催中===
===F-1日本グランプリ開催中===
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#決勝レース中の場合は、天皇陛下崩御の一報がもたらされると同時に赤旗が出されてレースは打ち切り、その時点での進行状態によって不成立、もしくは赤旗掲示の前の周回の時点での順位で成立となっていた。
#決勝レース中の場合は、天皇陛下崩御の一報がもたらされると同時に赤旗が出されてレースは打ち切り、その時点での進行状態によって不成立、もしくは赤旗掲示の前の周回の時点での順位で成立となっていた。
#いずれにせよ、両年ともセナとプロストが日本GPまで熾烈なチャンピオン争いを繰り広げていたため、両年のシーズンの流れに大きな影響をもたらしていたことは間違いない。
#いずれにせよ、両年ともセナとプロストが日本GPまで熾烈なチャンピオン争いを繰り広げていたため、両年のシーズンの流れに大きな影響をもたらしていたことは間違いない。
===大相撲本場所開催中===
*国技館での開催の場合、本場所の中断で乗り切ることも可能だが、大阪・名古屋・九州での場所中の場合、会場を借りている都合上、日程の延長は難しく、場所中止もあり得た。
*表彰式や優勝パレードは行われなかった。
===参議院議員通常選挙期間中===
*1989年7月5日公示、7月23日投開票
#選挙期間中に崩御の場合、さすがに選挙の中止はできないので投票は行われた。天皇崩御により追悼ムードが高まり、保守政党有利になる。[[自由民主党|自民党]]大敗はなく、宇野内閣が継続していた。
#[[日本共産党]]の当時の天皇制に対する態度を考えると、党幹部が何らかの物議をかもす発言をし、大敗した可能性が高い。


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2023年12月19日 (火) 18:51時点における最新版

1988年[編集 | ソースを編集]

  1. 特にこの年の後半、翌年の準備が始まる時期になるほど各地で大混乱になっていた
    • 最も、これは1988年末に限らず、年末に改元が行われていれば考えられたことであるが。
    • 昭和天皇崩御が1988年12月末だった場合、年末年始の混乱を避けるため昭和天皇崩御の発表を年明けまで見送った可能性も考えられる。
  2. 「昭和64年」は「大正16年」と同じく、幻の年になっていた。
    • 「昭和64年」を「平成2年」にする必要が出て、カレンダー業界等は大混乱。
    • 造幣局も大混乱。
  3. 年賀はがきの扱いも取りやめ。
    • 1927年の年賀はがきは大正天皇の崩御以後受付中止となり、それまでに引き受けていたはがきの配達のみに縮小されていた。
  4. レコ大・紅白は中止濃厚。その他年末年始特番の縮小もありえた。
    • 紅白中止の場合、「映像でつづる昭和史」(1989年1月8日放送)が紅白の代わりに放送されたかも。
    • もし紅白放送中に天皇陛下崩御が起こっていたら放送途中で中断という異例の事態になっていた。
  5. その後も、花の万博は平成3年、阪神大震災は平成8年、ミレニアムは平成13年、愛知万博は平成18年、地デジ完全移行は平成24年…というように、平成時代の主要な出来事を元号で表した時の年数が史実と1年ずれていた。
    • 地デジ完全移行ではなく東日本大震災では。
    • そして、日韓ワールドカップは平成15年、阪神タイガースの18年ぶりリーグ優勝は平成16年、楽天初の日本一は平成26年、平成から令和への改元は平成32年という事に…
  6. 年末の場合、平成元年が史実の昭和元年と同様に希少価値になる。

1988年2月10日[編集 | ソースを編集]

  1. 史実のように朝早くに崩御の一報がもたらされていたら発売延期となっていたのだろうか?
    • 崩御に伴って政府が民間に要請した二日間の服喪期間が明けてから改めて発売日を定めるアナウンスがエニックス(当時)からなされていた。
  2. 発売開始時刻以降だったら・・・・・・止められそうにないな、店によっては1万人近く並んでたもんなぁ。
    • テレビが崩御関連の番組でつまらないとかでゲームを買い求める行列がどんどん長くなるか。

カルガリー冬季オリンピック開催期間中[編集 | ソースを編集]

  • 2月13日~2月28日
  1. 開催期間中に天皇陛下が崩御されていたことになるので、日本選手団をオリンピックから撤退させるか否かで国内が大論争となる。
    • 結局は”国際大会でもあり、このような形で選手の機会が奪われるのはおそらく陛下の本意ではなかったはず”ということになって参加継続ということで落着し、日本選手団は全員喪章をつけて競技に参加する。
      • 同様の理由で国内のスポーツ大会も中止になる大会は史実より少なかったと思われる。
      • オリンピックで政治的なメッセージを表すものを着用することは禁止されているので、喪章の着用は認められなかった可能性もある。
    • 競技参加は継続された場合でも、閉会式への参加は見送られた可能性が高い。
  2. 崩御当日と翌日は会場中の(サウジアラビア等半旗の習慣がない国を除く)すべての国旗、五輪旗が半旗となる。

1988年3月13日[編集 | ソースを編集]

  1. 青函トンネルの開通は予定通り行われるが、天皇陛下崩御のニュースの方が当然扱いが大きいので、マスコミにあまり取り上げられなかった。
    • 祝賀行事や記念イベントなども自粛されていた。
    • ちょうど東日本大震災発生翌日に全線開通した九州新幹線と同じような感じになっていた。

1988年4月10日[編集 | ソースを編集]

  1. 3月13日の場合と同様、マスコミにはあまり取り上げられず、祝賀行事や記念イベントも中止されていた。

ソウルオリンピック開催期間中[編集 | ソースを編集]

  • 9月17日~10月2日
  1. 開催期間中に天皇陛下が崩御されていたことになるので、日本選手団を撤退させるか否かで国内が大論争となる。カルガリー同様、参加継続となった可能性が高いと思われるが、開催地が韓国なだけに、事態は一層複雑なものとなっていただろう。
  2. 韓国側の反応は複雑だろう。喜ぶ人も相当数いただろうし。

1988年10月19日[編集 | ソースを編集]

  • この年のNPBパ・リーグの優勝を決めたロッテVS近鉄のダブルヘッダー、いわゆる"10・19"が実施された日
  1. 史実同様に崩御の一報が朝早くもたらされていたらダブルヘッダー自体が順延されていた。
  2. 時刻によっては第2試合は中止、順延されていたかもしれない。
  3. テレビ朝日の臨時全国実況中継はなかった。
  4. 阪急ブレーブスのオリックスへの売却発表も民間服喪要請期間終了後に延期されていた。崩御の一報が売却発表後にあった場合は、史実以上に"昭和と共に消えた球団"として語り継がれていた。

1988年12月30日[編集 | ソースを編集]

  • 平成元年は1日だけなので現実の昭和64年以上に希少価値になっていた。
    • 以降は年号が1年ずつずれる。
  1. レコ大・紅白は中止濃厚。その他年末年始特番の縮小もありえた。
    • 紅白中止の場合、「映像でつづる昭和史」(1989年1月8日放送)が紅白の代わりに放送されたかも。

1988年12月31日[編集 | ソースを編集]

  1. 年とともに元号が変わった。
  2. 昭和64年はなかった。
    • 昭和64年生まれが希少価値にされることもなかった。
  3. 紅白歌合戦など大晦日と正月の特別番組が全て中止になっていた。
    • もし紅白歌合戦の放送中に天皇陛下崩御があった場合、番組途中で中断され、報道特別番組に差し替えられるという前代未聞の異例の事態になっていた。
    • 和田アキ子の歌唱中に速報が流れたら、本人の責任では全くないが、歌詞が不謹慎だとの抗議が殺到していた。この年の歌唱曲は「だってしょうがないじゃない」。
  4. 天皇杯の決勝戦が中止になり、史上初の同時優勝になっていた。
    • 同時優勝自体は過去に一度だけあったが、このような形に限れば初であった。
  5. 箱根駅伝、高校サッカーも中止。
  6. 各地のカウントダウンイベントも中止になっていた。

1989年[編集 | ソースを編集]

  1. 各地で「平成生まれ」が話題になるのも1年遅れていた(プロ野球選手・新成人など)。
  2. 年末だったらこれまた各地で大混乱。
    • 「1990年を平成元年とするべきだったのでは」という意見が出たかもしれない。
  3. 大相撲初場所の初日が1日延期されなかった。
    • 北勝海は4場所ぶりに出場する本場所が発熱の翌日からとなるため、優勝できなかったかもしれない。
    • 逆に場所中だったら…

1989年1月1日[編集 | ソースを編集]

  1. 昭和64年は1日だけなので現実以上に希少価値になっていた。
    • 後々コンピューターのシステムエラー等で影響を及ぼすことになりそう。
    • 梅田彩佳(AKB48)や内村航平(体操選手)、三上枝織(声優)は平成生まれということになっていた。
  2. 初詣客が激減し、全国の神社や寺に影響が出ていた。
  3. その他の影響は大晦日と同じ。

1989年3月下旬[編集 | ソースを編集]

  1. 1988年4月2日~1989年4月1日の学年で平成生まれが数人混じる。
    • その人たちはクラスの中でかなりの希少価値。

1989年4月1日[編集 | ソースを編集]

  1. 昭和生まれと平成生まれが学年で分かれる。
  2. 昭和生まれと平成生まれが同じ学年・クラスになることはなかった。
    • 4月1日生まれは早生まれになるので4月1日生まれだけが平成生まれとなる。
  3. 平成改元と同時に消費税導入。
  4. 4月1日に崩御していた場合、崩御の第一報をエイプリルフールと勘違いして信じなかった人が・・・・・・いたかな?
    • 崩御の一報を伝える際にアナウンサーが「これはエイプリルフールではありません」と何度も繰り返しアナウンスしていた。
  5. どうせなら、4月2日に改元するだろう。
    • なぜなら、1989年の遅生まれになるから。
  6. 昭和64年生まれの人は現実より少し多くなっていた(1989年の早生まれ全員だったため)。
    • そのため昭和64年製造された硬貨の発行枚数が現実の3倍になっていた。
    • 花澤香菜(声優)や佐藤健(俳優)なども昭和生まれということになっていた。

1989年4月上旬[編集 | ソースを編集]

  1. 1989年4月2日~1990年4月1日の学年で昭和生まれが数人混じる。
    • その人たちはクラスの中でおじさん・おばさん扱いされる。
  2. まだ昭和生まれが数人いるので、2007年の選抜高校野球の開会式のあいさつや選手宣誓文が変わっていた。
    • 2008年の高校野球から「全員が平成生まれ」だがそれが強調されることはない。

1989年5月1日[編集 | ソースを編集]

  1. ゴールデンウィークムードに水を差すことになっていた。
    • ただし翌年から5月1日が「昭和の日」になっており、ゴールデンウィークが実質一日増えることになった。
      • もし仮に5月1日が4月29日と別個に祝日となっていた場合、この時代から「ゴールデンウイークは9連休以上」となっていた。
  2. 平成→新元号への改元及び皇位継承の日程は別の日になっていたか?

1989年10月上旬[編集 | ソースを編集]

  1. 「平成新局」という名称は誕生していなかった可能性も。
    • KABTUYなどが昭和のうちに開局したことになっていたため。

1989年12月31日まで改元しない[編集 | ソースを編集]

  • 明治時代までは皇位継承があった場合、年が改まってから元号を改める「踰年改元」が多くを占めていたそうです。
  1. きっちり最後まで昭和にしようということで、政府などが決定する。
  2. 今上天皇陛下は昭和のうちは天皇の代理のような感じになる。
    • 年明けから天皇陛下としてご即位される。
  3. 1989年4月2日~1990年4月1日の学年で平成生まれが数人混じる。
    • その人達(90年元日~90年エイプリルフール生まれ)はクラスの中でぼく・おじょうちゃん扱いされる。
  4. 12月末に行われた大正→昭和の改元時にこれと同じ事をやっていればあり得たと思う。
  5. 1.57ショックになる話題はなかったと思う。
    • 1989年の合計特殊出生率が1.64だったため。

共通[編集 | ソースを編集]

24時間テレビ「愛は地球を救う」放送中[編集 | ソースを編集]

  • 1988年は8月27-28日、1989年は8月26-27日
  1. この期間中に天皇陛下が崩御されていたら放送途中で番組が中断され、報道特別番組に切り替わるという紅白歌合戦の場合と同様の前代未聞の異例の事態となっていた。
    • 危篤発表の段階で切り替わっていたと思われる。
  2. 放送前の時点で”いつそうなってもおかしくないご病状”が既に世間に周知の状態であった場合、番組の企画段階で大掛かりな企画は用意できず、1988年もしくは1989年の「愛は地球を救う」は天皇陛下のご病状を睨みながらの地味な番組構成となっていた。
  3. 募金を陛下に差し上げようなどと言い出す者もいた。

F-1日本グランプリ開催中[編集 | ソースを編集]

  • 決勝開催日:1988年は10月30日、1989年は10月22日
  • 1993年のスパ・フランコルシャン24時間レースが決勝レース中に開催国ベルギーの国王ボードゥアン1世が崩御したために途中打ち切り(レースは成立)となった事例があります。
  1. 予選中に崩御されていた場合はFIAもしくはFISAの判断で決勝レースがキャンセルされていた可能性がある。
  2. 決勝レース中の場合は、天皇陛下崩御の一報がもたらされると同時に赤旗が出されてレースは打ち切り、その時点での進行状態によって不成立、もしくは赤旗掲示の前の周回の時点での順位で成立となっていた。
  3. いずれにせよ、両年ともセナとプロストが日本GPまで熾烈なチャンピオン争いを繰り広げていたため、両年のシーズンの流れに大きな影響をもたらしていたことは間違いない。

大相撲本場所開催中[編集 | ソースを編集]

  • 国技館での開催の場合、本場所の中断で乗り切ることも可能だが、大阪・名古屋・九州での場所中の場合、会場を借りている都合上、日程の延長は難しく、場所中止もあり得た。
  • 表彰式や優勝パレードは行われなかった。

参議院議員通常選挙期間中[編集 | ソースを編集]

  • 1989年7月5日公示、7月23日投開票
  1. 選挙期間中に崩御の場合、さすがに選挙の中止はできないので投票は行われた。天皇崩御により追悼ムードが高まり、保守政党有利になる。自民党大敗はなく、宇野内閣が継続していた。
  2. 日本共産党の当時の天皇制に対する態度を考えると、党幹部が何らかの物議をかもす発言をし、大敗した可能性が高い。