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(川上哲治)
(中村勝広)
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#*もし2015年に阪神が優勝していたらor日本一になれていたら、和田監督とともに退任が遅れていたかも。
 
#*もし2015年に阪神が優勝していたらor日本一になれていたら、和田監督とともに退任が遅れていたかも。
 
#*退任後は毎日放送の解説に戻っていた。
 
#*退任後は毎日放送の解説に戻っていた。
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===並木輝男===
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#コーチとして、低迷期の阪神を支えていた。
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#*退任後はサンテレビの解説者に復帰していた。
  
 
===西沢道夫===
 
===西沢道夫===
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#三木のり平と桃屋のcmで共演していた。
 
#三木のり平と桃屋のcmで共演していた。
 
#*1999年にのり平の葬儀に参列していた。
 
#*1999年にのり平の葬儀に参列していた。
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#1984年以降もヘッドコーチ、2軍監督として、王貞治監督をサポートしていた。
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#*1988年までに務めた後に、TBSの解説者に復帰していた。
  
 
===三村敏之===
 
===三村敏之===

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日本人は行ごとに、外国人選手は「外国人」の節へ。

あ行

板沢峰生

  1. 西武の黄金時代はもう少し早く来た。
  2. 2004年の伊東監督就任時に西武のコーチに就任。
    • そして、2007年シーズンオフに伊東の後任として西武の監督に就任していた。
      • その場合、(史実での後任である)渡辺久信は現在も西武のコーチのままだった。
  3. ひょっとしたら、TXテレ玉の解説者になってたかも。
  4. 1985年のキャンプイン直前に、田尾安志との交換トレードで中日ドラゴンズに移籍していた(史実では、大石友好と杉本正が中日に移籍)。
    • 1988年のリーグ優勝にも貢献していただろう。

稲尾和久

  1. 「今日感テレビ」のコメンテーターとマスターズリーグ・福岡ドンタクズの監督続行。
    • RKB毎日放送解説者としても健在。独特の視点と素人にもわかりやすい解説で「稲尾節」とアダ名され、ファン層拡大。
  2. 2008年の<ライオンズ・クラシック>で、西武ドーム福岡ドームで始球式やって大喝采浴びたはず。
  3. 幾度か、母校・県立別府緑ヶ丘高校(現・県立芸術短期大学付属緑ヶ丘高校に校名変更の上大分市に移転)で講演していただろう。
  4. ライオンズの永久欠番は史実通りだろう。
    • ただし全員で24番を背負うセレモニーは存命中ならやらないだろう。
  5. 楽天・田中将大の21連勝が達成された2013年8月16日に西武ドームで開催された「西武×楽天」の試合を観に行ったかも。そして、試合終了後に稲尾と田中が会う。
    • この場合、多分、試合終了後には、球場に詰めかけた報道陣からコメントを求められる。さらに、同日夜のスポーツニュースに出演又はコメントが紹介され、翌日のスポーツ新聞にもコメントが載る。
    • 「田中君の様な選手に(連勝記録を)抜かれたのは…」と言ったかも…。

稲葉光雄

  1. 2013年も中日の投手コーチとして若手投手の指導に当たっていた。
    • 2013年入団の濱田達郎、福谷浩司などを指導。
    • 2012年、CSの結果が変わっていたかも。
  2. 落合GM就任と同時に結局退任、となっていたかな?
    • コーチとしてやってきたのが2009年シーズンだったことを考えると、続けてたと思う。

伊良部秀輝

  1. 2012年楽天かオリックスに移籍していた可能性があるね。
    • 両球団の監督が阪神時代の監督なので獲得しておけば戦力になっている。
      • また、コーチに就任している。
  2. MLB中継の野球解説者をやっていた。
    • NHKBSではなく、Jsportsの解説だな。
  3. 日米どこかの独立リーグで現役復帰したかも。

仰木彬

  1. 体力が続く限りオリックス・バファローズの監督を続けている。
    • 中村監督の就任は2008年以降にずれている。
      • コリンズ監督の就任はなかったかもしれない。
      • ただ、仰木が2008年に監督に就いたとしても、実史通りの順位になったかは疑問である。
        • 少なくとも2006、07年は史実よりもマシな成績だったかも。
      • 後継は大石大二郎だろう。
    • 清原和博のオリックス入団会見に同席している。
      • でも結局、毎年「今年が正念場」と言いながらサボって働かない。
        • だから、清原が覚せい剤に染めることはなかった。
    • ひょっとしたらイチローの提案を受け入れ、背番号「51」をつけていたかもしれない。
    • 長谷川をヘッドコーチ、野茂を投手コーチ、田口を守備コーチに招聘。
    • 2008年5月21日に辞任したコリンズ監督の後任に急遽なる。
  2. WBC日本代表の監督も務めていたかもしれない。
    • 少年サンデーのMA○ORかよ!
  3. 北京五輪日本代表の監督も務めていたかもしれない。
    • もしかして2009年に開催されるWBCの監督も…。
  4. 最高齢退場記録は当然更新中。
  5. 2007年に西鉄時代の同僚だった稲尾和久の死を悼んでいた。
  6. 「サンデーモーニング」の週刊御意見番にゲスト出演している。
  7. 広島の新井宏昌打撃コーチが頭部に打球直撃で頭蓋骨骨折となり見舞いかコメント伝えていたかもしれない。
  8. オリックスの復刻試合「がんばろうKOBEデー」にはレジェンドOBとしてトークショーや始球式に参加した。
    • 同じく近鉄バファローズ復刻シリーズにもセレモニーに出演した。
  9. 2016年からは元教え子の福良淳一率いるオリックスと梨田昌孝率いる楽天の対決に注目している。

大沢啓二

  1. 現在も「サンデーモーニング」の週刊御意見番に出演している。
    • コーナー冒頭に流れる曲は、TBS系スポーツテーマ曲『コバルトの空』に変わってない。
    • もちろん「助っ人」としてゲストを呼ぶこともない。
  2. 2011年7月24日の「サンデーモーニング」では、サッカー女子ワールドカップで優勝した「なでしこJAPAN」に大あっぱれを入れたであろう。
  3. 2013年8月18日の「サンデーモーニング」では、21連勝を達成した楽天・田中に対しても同じく大あっぱれを入れたであろう。(実史は張さんと曲者・元木が普通の「あっぱれ」を入れたのみ。)
  4. 日本ハムの東京時代の復刻ユニフォームでの試合にて始球式を務めた。
  5. 大宮龍男のニックネームは「東海の龍」のままだった。
  6. 「モルツ球団」の監督を続けている。
  7. ShouheiOtaniの二刀流をどう思ったか?(「サンデーモーニング」で、張本は懐疑的な見方をしていた。)

大杉勝男

  1. 横浜大洋ホエールズが横浜ベイスターズに改名後も、しばらくは打撃コーチとして活躍。
    • もしかしたら、横浜ベイスターズ初代監督に就任していたかもしれない。
  2. 後に、古巣の北海道日本ハムファイターズ(東映フライヤーズ)か東京ヤクルトスワローズの監督に就任。
    • 星野仙一や野村克也と因縁の対決を繰り広げていた。
    • 後者であれば永久欠番となった8番をつけていただろう。
    • ノムさんの後は後に史実通りになった若松さんか大杉さんかでフロントは迷っていた。
  3. プロ野球界から完全に引退していた場合、欽ちゃんとの関係で茨城ゴールデンゴールズのコーチをしているかも。
  4. セ・パ両リーグで200本塁打を無事達成していた。
    • さすがにそれはない。(引退は粛々と受け入れたと思う)
  5. 平成に入り、ドーム球場が次々と完成するのを見て「月に向かって打つ事はもうできないんだな」と嘆いていた。
  6. 実写版セーラームーンに特別出演
  7. サンデーモーニングで3人でを入れていた。
    • 現役引退後はフジサンケイ系と契約していたから難しいと思う。
      • なら、史実での関根潤三のポジションあたり。
      • ↑なら、フジテレビ「プロ野球ニュース」(CS版)に出演かも。

小瀬浩之

  1. オリックス・阿部真宏⇔西武・赤田将吾のトレード話は存在しなかったかもしれない。
    • むしろ、小瀬自身がトレードに出されていた(2010年以降のシーズン成績にもよるが)。
    • 同じく前年の成績によるが、2013年には赤田ではなく仲の良い大引と共に日ハムへトレードされていたかも。
  2. T-岡田は1軍出場に恵まれず戦力外になっていたかも。
    • Tとは同じ外野手とは言えど、微妙に小瀬とはポジションが重複しないのでそれはないかと…。
    • Tは現実通りとしても、後に入団する駿太のブレイクが遅れていたかもしれない。
  3. オリックスでは近大時代に背負った背番号7が与えられたかもしれない。
    • 史実通りに糸井嘉男が来ても、彼の背番号は7以外の番号が与えられていた。
      • その場合は2(史実では原拓也)、5(史実では平野恵一)、10(史実では李大浩)のいずれかが有力。
  4. イチロー級とはいかないまでも、オリックスの核弾頭として地位を築いていたかもしれない。
    • その場合、糸井嘉男がオリックスへ加入することはなかった。
      • 糸井と共にトレードされた八木智哉は…、実史と変わらなかったかも(苦笑)いつトレードされてもおかしくなかった状態なので。
  5. 大引のFA移籍について、何らかの反応を示していた。
    • 同じく、オリックス時代の同僚・坂口が大引とヤクルトのチームメイトとして再会した事には更なる驚きを隠していなかったはず。
      • その後次第では小瀬本人もヤクルトに移籍するかも。
    • 大引がヤクルト優勝のビールかけでオリックスのユニフォームを着ることはなかった。
  6. オリックスの背番号41は小瀬の後輩選手に授けられていた。(2016年現在も急逝以降欠番となっている)
  7. オリックスに在籍し続けていて現実以上に活躍していたら2011年にCS出場、2014年にはリーグ優勝出来ていたかも。
  8. ブルーハーツの「電光石火」の知名度は現実ほど上がらなかった。
    • ブルハの「電光石火」と言えば、サッカーJリーグ・ベガルタ仙台のチャント以外で由来を知る事はほぼ無かった。

か行

香川伸行

  1. 再びRKB毎日放送の野球解説者に。
    • ちょくちょく福岡のローカル番組に出演。
  2. 『しくじり先生 俺みたいになるな!!』の先生で出演。
    • 『明石家さんまのコンプレッくすっ杯』のおデブ代表に出演していた。
  3. 2018年のドカベン連載終了の際には何らかのコメントを残していた。

蔭山和夫

  1. 後のホークス暗黒時代は訪れ無かったかもしれず、身売り&福岡移転も無かったかもしれない。
    • いずれにしろ、ホークス史はガラリと変わっていただろう。
  2. 野村克也の監督就任が実史よりずっと遅れるので、サッチーがそこまで出しゃばらず事無く南海を追放される事もなかったかもしれない。
    • 野村は南海で現役生活を終えていた。しかし、選手兼監督になることはなかったので、江夏豊や柏原純一が南海に入団することはなかった(実際、この2人は野村監督を慕って、南海入りしている)。
    • したがって、古田敦也がヤクルトの選手兼監督になることもなかった(古田自身は野村の影響を受けたと言っている)いや、それ以前に古田がヤクルト、ひいては球界に入れていたかどうか疑わしい。
      • ヤクルトに関してはリーグ優勝はおろか、Aクラス入りも怪しくなっていた。
        • そもそも古田のヤクルト入団に反対していたのは野村。ヤクルトは選手補強と育成を順調に進めており90年代にリーグ優勝は十分に可能。どころか沙知代とダンの母子を90年の時点で完全に駆除できるため史実よりよほど良い環境で戦えた。
    • 野村が監督にならなかった以上、ドン・ブレイザーがヘッドコーチになることもなかった。従って古葉竹織や島野育夫が指導者として球史に名を残すことはなかっただろう(野村はブレイザーのヘッドコーチ就任を監督を引き受ける条件としていた。そして古葉、島野はブレイザーの「シンキング・ベースボール」の影響を受けている)。
    • 野村が監督になるまでの中継に徹し、70年代中盤頃には野村に禅譲した。
      • 野村の監督就任は長嶋茂雄と同時期になったかもしれない。
  3. 鶴岡一人はサンケイアトムズか東京オリオンズの監督に就任。
    • 東京の監督になっていた場合、下手したら蔭山南海、西本阪急との間で史実の1988年・89年のような熾烈な優勝争いが起きていたいたかも。
      • 永田ラッパと鶴岡親分は喧嘩別れに終わり、ほぼ史実どおりでロッテの経営権移譲と東京球場の終焉につながる
    • サンケイの監督に就任した場合は、軸になる選手がいないので2,3年采配を振るも浮上のきっかけをつかめず、とうぜん巨人のリーグ制覇は阻止できずお払い箱となる。
      • で、後任はやはり三原脩か。
      • サンケイは鶴岡を招聘することで、広瀬・森中らを芋蔓式に引き抜こうとしていた。というか蔭山の急死でサンケイ側の皮算用が崩れた結果が三原就任までのどうしようもないゴタゴタの背景だし。
  4. 監督辞任後は、野球評論家として活躍。
    • 『プロ野球ニュース』にも出演。
    • 野村監督から度々相談を受けていた。

加藤斌

  1. 作新学院時代チーム内のライバルだった八木沢荘六よりプロ時代の実績を残した。
  2. ドラゴンズで下手投げの投手と問われ、小川健太郎でも三沢淳でもなく彼だと返答するファンが多かった。
  3. もし中日で成績が芳しくなくなったら、ロッテオリオンズフライヤーズ→ファイターズあたりで投げていた
  4. 引退後は、東海ラジオのプロ野球解説者になってたかも。
  5. 交通事故から奇跡的に生還できた場合、ドキュメンタリー番組で取り上げられていた。
    • 交通事故防止を呼びかけるCMに自ら出演していただろう。
  6. 国政or栃木県知事選挙に最低1回は出馬していた。
    • 前者の場合、船田元と得票数を争っていたかも(どの党から出馬したかにもよるが)。
      • 仮に、民主党に所属していた場合、いずれかの内閣で閣僚入りしていただろう。
  7. 2011年シーズンオフに落合博満の後任でドラゴンズの監督に就任していた。
    • その場合、高木守道の監督復帰はなかった。

加藤博一

  1. 今でも試合終盤の代打もしくは守備固め専門で出場してるかも。
    • んな無茶な。
    • プロ野球は無理だろうがモルツ球団関連での試合ならありえたかも?
  2. DeNAの打撃コーチか守備走塁コーチ就任。
    • あるいは、フジテレビの解説者のまま。TBSから解説者就任のオファー来るかも。
  3. もし、フジの解説者のままならフジテレビ739→ONEの「プロ野球ニュース」にも登場し続けた。
  4. ニッポン放送「ショウアップナイター」にも解説者として出る可能性もありそう。
  5. サンケイスポーツにコラム連載してただろう。

川上哲治

  1. 球界最年長の解説者として健在。
    • 日本プロ野球80周年記念試合の解説していた。
  2. 2013年の日本シリーズの展開が変わっていた。
    • 田中将大が敗戦投手になることはなかった。
      • 30連勝以上続けていた。
  3. 読売ジャイアンツ所属選手による野球賭博問題と清原和博が覚せい剤取締法違反で逮捕の際にはひどく激怒していた。

衣笠祥雄

  1. 今でも、TBSの解説者を務めている。
    • 後輩の新井貴浩氏を可愛がっていた。
  2. サンデーモーニングのコメンテーターのゲストとして、出演していた。

木村拓也

  1. それでも巨人は2010年シーズンのリーグ優勝は…微妙か?
    • 但し、CSの結果がどう変わっていたか…。その辺も未知数。
  2. 本人は2~3年ほど巨人のコーチとして在籍した後、古巣の広島に復帰。
    • 43~45歳くらいで広島の監督に就任したかも。
      • だとすれば2015年シーズンには緒方ではなく彼が監督になっていただろう。
    • あるいは広島に復帰せず、由伸が監督になった2016年からヘッドコーチに昇格していた可能性も。
      • 2016年は所属が巨人か広島かによって、広島のリーグ優勝への反応が変わっていた。
    • 古巣広島に復帰したら、(実史で)リーグ優勝した2016年に、フジ系「SMAP×SMAP」で、SMAP・木村拓哉と競演したかも…。
  3. 日テレ『ズームインサタデー』・「プロ野球熱ケツ情報」の準レギュラー?
  4. 彼と同姓同名のメンバーのいるSMAPの解散の際には何かしらコメントを残していた。

久保寺雄二

  1. 南海ホークスはもう少し強かった。
    • 少なくとも、ダイエーに身売りされる前後に最低一回はAクラス入りしていた。
  2. 福岡ダイエーホークスの初優勝を見届け引退。
    • スタンドの大「クボデラ」コールに包まれ宙を舞う。
  3. 湯上谷宏のレギュラー入りが遅れた。
    • 浜名千広の入団もなかった。
      • 大道典良の入団もなかった。
    • その後井口忠仁の入団で久保寺はセカンドに回った。
      • 井口がショート守ったら、久保寺はサードに戻る可能性無いかな?
  4. 引退後もホークスのコーチとして残り、2006年の王監督休養時には森脇浩司の代わりに久保寺が監督代行を務めていた。
    • 仮に、野球解説者となった場合はMBSRKBあたりでやってたかも。
  5. 2000安打は間違いなく打ってたであろう。
    • 自ら持つ二塁打のリーグ記録更新もしてただろう。
      • 最多二塁打の日本記録作って「ミスターツーベース」の称号を得ただろう。
  6. ひょっとしたら、ホークスが福岡に移転する前後に結婚してたかも。

黒沢俊夫

  1. 巨人の戦後黄金時代到来は少し早まっていた。
  2. ウォーリー与那嶺が来日することはなかった。
    • 通算ホームスチール数は、史実での生涯通算の10個はもちろん、与那嶺がマークした日本記録の11個も超えていたのでは。
    • 中日の球団史にも影響が出ていただろう。
  3. 当時は稀だった「生涯成績1000安打・100盗塁」に迫っていただろう。
  4. 巨人で現役を終えた場合、背番号「4」は普通に後輩選手に引き継がれた。
    • 「1」が南村侑広から王貞治、「3」が千葉茂から長嶋茂雄…誰が継いでただろうか。
    • 俊足のレギュラーや代走屋の背番号として緒方耕一や鈴木尚広に引き継がれた。
    • 漫画「侍ジャイアンツ」の主人公・番場蛮は別の背番号を付けていた。
  5. 沢村栄治のエピソードは語り継がれるものの神格化はされず、背番号も永久欠番にならなかった。

小林繁

  1. 2011年シーズンは佑ちゃん専属のコーチ状態だったかも。
    • そこまではいかなくても、多大な影響を与えていたに違いない。
  2. 江川卓とのわだかまりは完全に決着していた。
    • 既に、黄桜のあのCMでケリついていたのでは?
  3. 糸数敬作がスランプに陥った可能性は史実よりは確実に低かった。
    • 糸数にかけた一言がきっかけで糸数が目覚めて一気にブレイクしたかも。
  4. 大谷翔平の二刀流に頑固反対していただろう。
  5. 梨田氏の楽天監督就任と共に投手コーチとして抜擢されていた。
  6. または、TBSテレビ系の最終スポーツ番組のMC(かつて実際に担当した『JNNスポーツチャンネル』みたいに)を担当している。

さ行

島野育夫

  1. 星野仙一が楽天の監督就任した同時ヘッドコーチに就任していただろう。
    • 田淵が就任することは無かった。打撃コーチに就任していた。
      • その場合、楽天は史実よりも早くリーグ優勝していた。
    • 星野監督が退場した場合、代行をしていた。
    • その前の2008年に北京五輪の日本代表でもヘッドコーチに就任していた。
  2. 2009年に真弓ではなく、阪神監督に就任していた。
  3. 神戸市・三宮に創作洋食の店をオープン、現在でもオーナーとして務めている。

杉浦忠

  1. 現在も野球解説者として活躍している
  2. 毎日放送がTBSの株主の関係でサンデーモーニングにもゲストで度々出演できた可能性も
    • 大沢親分と同じ立教大学出身だからありえる。
  3. 04年のプロ野球再編騒動では合併に走らなかったダイエーに対していくらか評価していた
  4. ホークスの監督に就任し、王貞治はジャイアンツのコーチか監督に復帰、又はホークスのヘッドコーチに就任したかも。
    • 巨人の長嶋茂雄終身名誉監督に対抗して、ホークスの終身名誉監督に就任。
  5. ホークスの南海復刻試合のときにセレモニーに登場した。

鈴木貴久

  1. 近鉄の合併消滅を目の当たりにして嘆いていただろう。
    • 合併知らずに亡くなったのはある意味幸せかもしれない。
  2. 梨田監督の下、日本ハムのコーチに就任していた。
    • 北海道出身ということもあり、2005年から就任していたかも。
    • 楽天のコーチとしては…?と言う感じか。
  3. 2007年のシーズンオフに大西宏明がトレードには出されない。
    • 当然、古木克明のオリックス移籍もない。
    • もしかしたらオリックスのコーチになって再び大西を指導していたかも。
  4. TVOTVhの野球解説者になってたかも。
    • 後者の場合、2009年度は札幌テレビ・STVラジオの解説者に鞍替えしていた。
  5. 道新スポーツに連載コラム執筆もありえた。
  6. オリックスでの近鉄バファローズ復刻試合にレジェンドOBとしてトークショーや始球式を務めた。
    • 大阪ドームの公式戦第1号ホームランを放ったことももちろん話題にされている。

た行

大豊泰昭

  1. 自分の料理店を閉店させることはなかった。
  2. 今でも中日のスカウトをやっていた。
  3. WBSCプレミア12野球チャイニーズタイペイ代表の打撃コーチに就任。
    • 陽岱鋼などを指導していた。
  4. 指導者として成功していれば、近年の台湾球界のレベル低下にも歯止めがかかっていた。
    • 台湾から来日する野球選手を現実より増加させているかも。

高野光

  1. 2001年からマスターズリーグに入団していた。
  2. 楽天のコーチになっていた。
    • 大学の先輩である原辰徳に請われて巨人のコーチ…ってこともあったかも。
  3. ヤクルトの背番号34番は日本人が背負い続けている。
    • 史実では2001年以降、09-11年の八木亮祐を除き外国人が背負っている(13年現在)。
  4. サンケイスポーツの評論家になっていただろう。

高畠導宏

  1. 60歳で教師を定年退職後、筑紫台高校野球部の監督に就任していた。
    • 非常勤講師として教壇にも立っていた。
      • 筑紫台高校参与の肩書きもあったから、そちらの仕事も忙しくこなしてた。
        • 高畠門下生の元プロ選手がコーチ就任するかも…って監督もコーチも元プロだったら凄まじい野球部になるじゃねーかw 監督からして元プロのコーチだしw
  2. NHKのドラマ『フルスイング』は製作されず、代わりにNHKスペシャルで何度もドキュメントとして取り上げられていた。
  3. 肩書きは参与だけど、生徒達には以前の先生扱いのまま。勿論大人気。卒業生からも大人気。
    • 「肩書きは参与ですがね。実際の半分は生徒たちの相談相手ですよ」なんて苦笑してるかも。

津田恒実

  1. 40代前半頃まで広島東洋カープの抑えとして現役を続けていた。
    • FA権公使で他球団に移籍することはなかっただろう。
      • 移籍の可能性があるとすれば当時・森脇浩司が在籍していたダイエーであろう。
    • ただ、カープの黄金時代の終わりと共に酷使されて引退は意外と早かったかもしれない。
      • しかし酷使される前に先発に再転向し、150勝150セーブを達成する可能性はあった。
    • 佐々木の前にメジャーいってるかも。
    • 大野豊と佐々岡真司は先発専門。よって二人とも100勝100セーブは達成していない。ただし二人揃って200勝を達成している可能性はある。
  2. 引退後は直ちにカープのピッチングコーチに就任。
    • またはNHKの野球解説者になり、大野などとともに解説を行っている。
      • 津田が先に引退なら、津田がNHK解説者に、大野が在広民放局(多分RCCかHTV)の解説者になっていた。逆に大野が先に引退なら、大野が(現状の)NHK解説者に、津田が在広民放局の解説者になっていた。
      • tssの解説者になっていたら、「プロ野球ニュース」にも週1回ペースで登場した。
  3. 2007年現在では監督に就任していたかもしれない。
    • コーチに森脇浩司を招聘し、ホークスの本塁憤死が減っていた。
      • 史実通り森脇がオリックスの監督に就任していたら、投手コーチにはなっていた。
        • 2017年からは森脇と共に中日の投手コーチに就任していたかも。
    • 達川光男もバッテリーコーチとして復帰していたかもしれない。
    • カープのクライマックスシリーズ初出場が実史の2013年より早まったかもしれない。
      • もしかしたら、この年の日本シリーズに進出した可能性も…。(実史は巨人に1勝もできずに敗退した。)
  4. カープの暗黒時代突入が数年遅れていた。
  5. ドラマ「最後のストライク」は存在しなかった。
  6. 広島市民球場で始球式をやっていたかも…。
    • 実現してたら、ピッチャー:津田・キャッチャー:達川・バッター:ブラウン(現監督)かな?
    • もしかしたら、親子に始球式のバッテリーをやったかも…。
  7. WBCの投手コーチをやったかも。
  8. 2011年以降評論家生活なら福島原発事故で埼玉県加須市へ避難した双葉町の子どもたちとイベントでキャッチボールをしていたかもしれない(加須市が「鯉幟」の名産地という縁でカープとのつながりがある)。
  9. 2009年春の選抜高校野球で、自身の高校時代以来のベスト8進出を果たした南陽工業高校にお祝いのメッセージを送っていた。
  10. 2016年シーズンの広島のセ・リーグ優勝について喜びのコメントを寄せた。
    • 一時期、広島の背番号15を背負っていた同志として黒田氏の永久欠番についても納得していたはず。

土井正三

  1. 度々巨人軍OB関連行事に出席していた。
  2. イチローの3000安打、4000安打更新の際にコメントを出していた。
    • 「イチローを育てられなかったダメ監督」の風評を撤回していた。

土橋修

  1. 阪神のローテーション投手として活躍していた。
  2. 1968年、70年、73年とリーグ制覇をしていたことだろう。
  3. 阪神の背番号40が不吉な背番号として阪神ファンの間から広まることは無かった。
  4. 上田次朗は入団していなかったか入っても大成しなかった。

土橋正幸

  1. 現在もフジテレビONE『プロ野球ニュース』に出演。
    • 今なお土橋節は健在。
  2. 今でも沢村賞の選考委員も務めていた。
    • 意外にも2013年前年からの連勝を28、開幕からの連勝を24と日本プロ野球新記録を達成した楽天の田中将大では無く、全項目を満たしたオリックスの金子千尋に選出させていたのかもしれない。
      • ↑の通りなら、スポーツ新聞等で議論が巻き起こるか?または、『沢村賞は田中マー君だろう』という、世間からの反発を食らったかも…。

な行

中村勝広

  1. 和田監督退任時に一緒に阪神GMを辞任していたか?
    • もし2015年に阪神が優勝していたらor日本一になれていたら、和田監督とともに退任が遅れていたかも。
    • 退任後は毎日放送の解説に戻っていた。

並木輝男

  1. コーチとして、低迷期の阪神を支えていた。
    • 退任後はサンテレビの解説者に復帰していた。

西沢道夫

  1. 現役時代の背番号だった15は、ドラゴンズの永久欠番にならなかった。
    • 1959年に決定しているのでそれはない
    • 現在は山井大介(現実では29)あたりがつけてたかも。

は行

パンチョ伊東

  1. 現在もフジテレビ「すぽると!」で解説者を務めている。
    • いや、こっちじゃねぇか?「すぽると!」に収まりきれる格の人じゃねぇもん。
  2. WBC優勝に、涙してたに違いない。
    • 2009年に連覇果たす瞬間は、渡米してナマで見てただろうなぁ。
  3. 「ドラフト会議」の司会を今でも務めていた。
  4. ガキの使いの笑ってはいけないシリーズにゲスト出演していたのかもしれない。

藤井将雄

  1. 息の長い中継ぎ投手として現在もソフトバンクで活躍している。
  2. 若田部健一がFAでベイスターズに移籍せずにホークスで現役を終えていた。
    • 先発とリリーフで違うでしょうが。
    • もしかしたら2015年のソフトバンクの監督は工藤ではなく若田部になっていたかも。
  3. 藤井将雄野球大会は開催されなかった。
    • あったとすれば引退後になった。
  4. 徳光和夫の失言語録が一項目減っていた。
    • 「藤井が死んで巨人の日本一が一歩近づいた!」
    • 2000年の日本シリーズで藤井が登板するたびに「もうだめだ…」とガックリきていた。
  5. 2003年オフに小久保裕紀と一緒に巨人に放出されていた……かもしれない。
    • 理由の一つは1997年の出来事。ただ、本間満みたいにそのまま残っていたとは思うが。
    • 2004年から中日の岡本真也との間で最優秀中継ぎ投手争いが勃発。
      • 勃発して欲しかったよ…。相当見応えある激しい争いになっただろうし…。
  6. 引退後背番号15は普通に後輩に受け継がれていた。
    • 引退時期にもよるが、ドラフト1位入団の投手が背負っていた。
  7. KBCTNCの解説者になっていただろう.
    • 解説者になってなかったとしたらソフトバンクの投手コーチ(ブルペン担当)になってただろう。そしてソフトバンクリリーバー陣は堅固なものになってただろう。
  8. 工藤の2010年西武での背番号は55にならなかったかもしれない(55は自らの誕生日と、藤井の15を意識して選んだとコメントしている)。

藤田元司

  1. 2005年オフの堀内監督解任の後、3度目の巨人軍監督を務めた。
    • 70歳過ぎてるからもう無理かも。
    • 人心掌握と育成に優れ、守りを重視する戦術をとるから、今の原巨人より余程手強い。
      • 実際藤田巨人はしぶといし、手強かったし、アンチ巨人としては嫌なチームだったが、他チームから4番とエースあさることは無かった。
        • 佐々木信也氏「選手ってそんなにカワイイもんかい?」藤田氏(目尻下げながら)「カワイイなんてもんじゃないよ」藤田氏の人柄。
    • そもそも藤田さんの生前に原さんが再任されることがきまってたんですが…
  2. 長島茂雄監督(現:終身名誉監督)勇退後の次期監督になったかも。
  3. 監督に就かなければ、今頃NHKプロ野球の解説者か…。
    • NHKとの契約が切れていた場合、大学時代の同級生・佐々木信也氏に請われて「プロ野球ニュース」に出演する可能性があるかも。

星野仙一

  1. 2018年シーズンの楽天の梨田監督の途中退任はなかった。
    • 2019年も梨田監督は留任していたかも
    • 2018年シーズン終了後に梨田監督が成績を理由に自ら辞任していたら投手コーチだった与田が監督になっていたか。
      • その場合は中日の監督は誰がなっていただろうか?
  2. 石井一久が楽天のGMになることはなかった。
  3. 教え子である阪神の金本監督の退任劇に激怒していた。
    • それでも矢野監督の就任には激励コメントを出していた。

ま行

牧野茂

  1. 1989年、藤田元司が監督に復帰と再びヘッドコーチに就任。
    • 原が外野にコンバートされることは無く、日本シリーズの第5戦まで無安打では無かった。
    • 松本匡史、緒方耕一以降も盗塁王を獲得する選手が多数現れた事だろう。
      • 中日の監督、ヘッドコーチに就任していた。
      • 退団後、NHKの解説者として健在。
  2. タフィ・ローズ、小久保裕紀を獲得した超重量打線となった2004年。「こんなでは優勝は絶対に無理だ!」と強く批判していた。
  3. 2006年藤田元司、宮田征典の死を悼んでいた。
  4. 三木のり平と桃屋のcmで共演していた。
    • 1999年にのり平の葬儀に参列していた。
  5. 1984年以降もヘッドコーチ、2軍監督として、王貞治監督をサポートしていた。
    • 1988年までに務めた後に、TBSの解説者に復帰していた。

三村敏之

  1. 野村克也の後に楽天監督に就任。
    • 少なくとも2010年は最下位になることはなかった。
    • あるいは広島の監督に復帰していた。それが無くとも2013年にAクラスに入った時に何かしらのコメントを出していた。
    • かつての教え子の金本を誘って加入させていた。
  2. 星野仙一は楽天の監督になっていなかったかあるいは就任が史実より遅れていた。
    • これに伴い、デーブ大久保の野球指導者復帰もなかったあるいは遅れていた。
  3. かつての教え子の金本が阪神の監督を務めることに対して、金本へ何かしらのアドバイスをしていただろう。
    • 同じ教え子でもある緒方広島vs金本阪神の対決に目を細めている。

宮田征典

  1. 2006年末まで『ズームインサタデー』の野球解説を担当し、2007年に野球界に復帰。
    • もし中日に復帰していたら、川上憲伸の大リーグ移籍はなかった。
      • ↑の通りになれば、日本テレビ「Theサンデー」のスポーツコーナーに引き続き「出演」していた。
  2. 2008年度より、昨年度Bクラスに終わった西武ライオンズの立て直し役として監督に就任。
  3. 中京テレビ「スポスタ」の評論家グラサン座談会に出演、史実で川又米利相手にでかい口を叩いている川藤幸三も大人しくなっていた。
  4. 一部の局が、宮田氏の登場時刻が夜8時半頃になるように番組編成を練り直していた。

三輪田勝利

新垣渚との契約交渉が難航した挙句に自ら命を絶った三輪田氏だが、もし今も健在なら…

  1. それでも新垣はオリックスの指名を拒否していた。
    • だが史実よりもバッシングされることは無かったであろう。
  2. フロントと衝突することなくスカウトを続けていたら、オリックスの暗黒期突入は回避されていた。
    • 恐らく例の「契約金ゼロ枠」は、当然ながら作られることはなかった。
    • 近鉄との合併は…まあ、変わらなかっただろうとは思う。
    • イチロー渡米後のオリックスの成績ももう少しマシになっていたかも?

村山実

  1. 巨人の長嶋茂雄終身名誉監督に対抗して、阪神タイガースの終身名誉監督に就任。
    • 監督時代の成績がアレだから、それは無いかと。
  2. 勿論、巨人・阪神OB戦の常連になっていた。
    • 東日本大震災復興支援にも参加していた。
  3. 黄桜のCMでは、江川・小林の和解の前に、長嶋・村山の和解の方が先に行われていたかも。
  4. 村山氏以来、大卒後200勝投手となった黒田博樹氏に対して何かしらの言及があった。
  5. 阪神球団が創立70周年を迎えた2005年にはファン感謝デーや始球式で久しぶりに甲子園でユニフォーム姿を見せていた。
  6. 2003年の阪神タイガース18年ぶりリーグ優勝の際に喜びのコメントを寄せていたかも。

森慎二

  1. 西口文也投手コーチの一軍昇格が遅れていた。
  2. 2018年の西武投手陣の崩壊及びそれに伴う西武のCS敗退はなかったかもしれない。

や・ら・わ行

湯口敏彦

  1. 一軍への初登板が見られていたのかもしれない。
  2. 川上哲治監督、中尾碩志二軍監督が球団全体へのバッシングに発展する事は無かった。
    • 昭和48年の優勝は独走し、昭和49年はV10を達成していたかもしれない。昭和50年は球団初の最下位に終わることは無かった。
    • 1973年のドラフト会議で1位の小林秀一、2位の黒坂幸夫、3位の中村裕二、5位の尾西和夫の4人が入団拒否をする事は無かった。
      • 勿論、1位の小林・3位の中村はプロの球界に入っていた。
        • 小林・中村はそれでも入団していないのでは?
          • 小林はアマor学生野球の指導者を目指していて、当時はプロを経験するとアマ復帰がほぼ不可能だったことが入団拒否の大きな理由になっている。
          • 中村は所属の社会人チームで監督候補と言われていた。高卒時にもプロの指名を拒否しており、アマ志向が強かったと思われる。
      • 黒坂(後にヤクルト)、尾西(後に近鉄)は、実際よりも活躍できたかもしれない。
  3. 1976年に太平洋・加藤初とトレードは関本四十四・玉井信博では無く玉井と湯口自身だった。
  4. 引退後は読売ジャイアンツ、または西武ライオンズのピッチングコーチに就任。
    • Dramatic Game 1844かNHKプロ野球の解説者として健在。

外国人

アニマル・レスリー

  1. 今も日本でタレントとして活躍。
    • 亜仁丸レスリーとして。
      • 「バンクーバー朝日」に出演していたことだろう。
        • 『ビートたけしのスポーツ大将2015〜ナインティナインも参戦SP〜』に出演していた。
  2. オリックス・バファローズのピッチング・インストラクターをしていた。
    • もしくは外国人スカウトに就任した。
  3. レジェンド・シリーズでの阪急ブレーブスOBとして始球式に参加。
    • 受ける捕手の藤田浩雅をボコボコ殴ってスキンシップを再現して派手なパフォーマンスでファンを魅了していた。
      • 息子のルーク健太郎が始球式を務めてはいなかった。

ルイス・サンチェス

  1. 今現在でも水虫が酷くて登録抹消されたと話題になりバラエティ番組ちょくちょく出てきそう。
    • ブラックバラエティや細かすぎて伝わらないモノマネで本人として登場。

ルー・ジャクソン

  1. 来日4年目もサンケイで活躍していた。
    • サンケイアトムズはもう少し続いていた。
    • 1970年はシーズン92敗になることはなかった。
  2. ボブ・チャンスが来日することはなかった。
  3. 引退後はメジャーリーグの監督に就任していたことだろう。
  4. 酒びたりな生活から足を洗っただろう。
  5. 後に広岡達朗が監督に就任したときに、健康管理の大切さを選手たちに伝える際の「反面教師としての悪い見本」が一つ減る。

ヴィクトル・スタルヒン

  1. 現役引退から数年後、読売ジャイアンツ、または高橋ユニオンズのピッチングコーチに就任。
    • その後はロッテオリオンズあたりの監督を務めていた。
    • あるいは阪神タイガースのコーチとして1962年・1964年の優勝に関わっている。(ともに監督は藤本定義)
      • 「村山涙の退場」はなく、村山実を説得して下がらせたスタルヒンコーチが猛抗議して退場。意気に感じた村山は炎のパーフェクトピッチング。
      • トーマス・オマリーより遥か前に「ハンシンファンハ、イチバンヤー!」と叫んでスタンドを盛り上げていたかも。
    • 巨人のコーチになることは多分なかったと思う。
  2. 1960~70年代のON最盛期を解説者として盛り上げていた。
    • 1980年代以降は一転、もっぱら巨人のフロントや補強方針に辛辣な批評を寄せていた。
      • ON全盛期から巨人を批判していたのでは?
    • 巨人ファンからは嫌われていたかもしれない。
  3. 2000年頃まではご存命だったことでしょう。
    • 共に彼の師である藤本定義氏、浜崎真二氏(両氏とも1981年没)の告別式で葬儀委員長を務めていたかもしれない。
  4. 日本に帰化し、正式に「須田博」となっていた。
    • しかしソ連の崩壊後は、祖国ロシアに戻って野球を広める活動もしていたかも。
      • 総監督としてロシア代表を率いてWBCにのり込んで来た可能性も。
        • 予選は日・台・韓・露の対抗戦…。ファンが押し寄せること必至だね。
  5. 当然だが、「旭川スタルヒン球場」は別の名前になっていた。
    • 2009年4月の時点ですでに故人となっていた場合はその段階で命名されていた可能性も。
      • 命名されてた場合、こけら落としのカードは巨人vs阪神。
  6. 同じ白系ロシア人の元横綱・大鵬とも親交を深めていたであろう。

トニー・ソレイタ

  1. 1年契約で日本ハムの打撃コーチに就任していた。
  2. 2006年日本ハムが日本一でお祝いコメントを語っていた。
  3. モルツ球団で編成された「ワールドパワーズ」に参加していた。
    • クロマティやブライアントと共にクリーンナップとして出場。
  4. 2010年大沢啓二の死を悼んでいた。

趙成珉

  1. 韓国プロ野球の解説者、指導者として活躍。 2013年のWBC韓国代表のコーチとして参加。
    • 1次リーグ敗退になることはなかったかもしれない。
  2. 読売ジャイアンツの2軍のコーチとして来日。
    • 主に育成選手を指導していた。

ミゲール・デルトロ

  1. 2002年に背番号「32」が1年間限定で欠番になることは無かった。
  2. 西武退団後は母国メキシカンリーグでプレーを行っていた。
    • 主にリリーフとして活躍していた。
      • 再び、日本球界に復帰ヤクルト、ロッテ辺りに入団していた。
  3. WBCの野球メキシコ代表の投手、コーチとして参加していた。
    • 勿論、2013年のカナダ戦で起こった大乱闘にも参加したことだろう。

ブライアン・トラックスラー

  1. 1年契約でソフトバンクの打撃コーチに就任。
    • 2011年に日本一の祝勝会でビールかけでは一人ビールを飲み干していた。
    • 再び、トラックスラーを模した博多人形が販売された。
  2. ドジャースの打撃コーチも務めていた。
    • メジャーへ移籍した城島や井口を指導していた。
  3. 『あらびき団』でふとっちょ☆カウボーイがモノマネを披露していた。

ボビー・マルカーノ

  1. オリックスかヤクルトどちらの春季キャンプで臨時コーチを指導していた。
  2. 1995年の日本シリーズで観客席で観戦していた。
  3. スカウトとして読売ジャイアンツに紹介したルイス・サンチェスの死を悼んだ。

関連項目




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