もし豊臣秀吉の朝鮮出兵が○○だったら
朝鮮に勝っていたら
- イギリスがアイルランドを支配したように、日本は何百年も朝鮮半島を支配する。
- 独自の文化は史実より薄まっていた。
- 近代になってようやく朝鮮は独立する。
- しかし朝鮮南部では移住した日系住民が反対し、日本領南朝鮮として分離する。
- あるいは朝鮮の最大にしてほぼ唯一の少数民族として日本人が分布している。
- 独立後も朝鮮の公用語は日本語。朝鮮語はわずかに残るのみ。
- 日本領南朝鮮で少数派となった朝鮮系住民による爆弾テロが後を絶たない。
- 朝鮮は世界中からIT企業が進出し、IT大国に・・・・・(現実と大差ないか。言語以外は・・・・)
- 史実と逆に北部でITが栄えることに。
- 北アイルランドみたいになってるわけですね。
- クリスチャンの人口が現実より少なくなっている気がする。
- しかし朝鮮南部では移住した日系住民が反対し、日本領南朝鮮として分離する。
- 長い支配のおかげで韓国人の恨みの強い気質はちょっとは改善される。
- もっとひどくなっている気がする。
- 日本と同様、かなり身分間の風通しの良い社会になっていると思われるので、李朝時代の「諦め→怨念」のメンタリティに由来する「恨」の文化はあまり根付かなかったかも。
- 本土系日本人と朝鮮系日本人が、土佐の郷士と上士のような感じになっている。
- 当初の予定通り明に侵攻。
- 博多の街は戦争特需でウハウハ。石田三成、小西行長も大もうけ。加藤清正、福島正則ら武官との対立深まる?
- その前に明から朝鮮討伐の兵がくるかもしれない。
- 博多の街は戦争特需でウハウハ。石田三成、小西行長も大もうけ。加藤清正、福島正則ら武官との対立深まる?
- とおもったら清に朝鮮を奪い返された。下関条約までおあずけ・・・
- 日本もなんとか踏みとどまって、日本と清で朝鮮半島を南北に分割。でもそうなると日清戦争は起きないかも。
- 代わりに朝鮮戦争が起きる。
- ちなみに日本軍は朝鮮出兵の際、女真族とも交戦しているがこれに勝利している。
- つまり清は誕生しないか遅れるか別の部族が中原に王朝を建てたか。
- いや勝ってないから。加藤清正がちょっとだけ交戦した後、退却してオシマイ。
- 日本もなんとか踏みとどまって、日本と清で朝鮮半島を南北に分割。でもそうなると日清戦争は起きないかも。
- 沖縄同様、すんなり日本領になる。そして「独自の文化を誇る朝鮮地方」などと言われる。
- 戦時、沖縄同様捨て駒の扱いを受ける。
- たぶん創氏改名して、苗字では本土とあまり区別つかなくなるよ。
- 明治期と違い国民国家じゃないので、そういったことは少なく下記のようになると思う。
- 一文字の苗字が多いのも特徴。
- 日本(豊臣家・朝廷)に帰順し、功績を挙げた場合は新たに苗字を与えられる(姓はそのまま、但し一部の功臣は豊臣姓を与えられているかも)
- 「秘密のケンミンSHOW」で、キムチやカクテキが『朝鮮地方では、おかずや漬物に唐辛子を大量に使う』というふうに紹介される(県民スター:ぺ・ヨンジュン、ユン・ソナ、ヘリョン、etc・・・・)。
- 朝鮮語=日本の方言の1つで「韓国弁」となる。
- 「高麗弁」かも。
- 「朝鮮弁」
- ただ京城地方、釜山地方、平壌地方などで若干訛りは違うものになる。
- 当然「韓流スター」は日本の芸能人となる。
- 京城府出身の芸能人や政治家、釜山府と平壌府出身の日本人が活躍していた。
- アニメと漫画と映画に出てくるキャラクターも。
- 朝鮮・韓国料理=和食の1ジャンルとなる。
- 映画「パッチギ」シリーズは「ジャパニーズ・グラフィティ」シリーズになる。
- 「チャングムの誓い」がNHKの大河ドラマになる。
- 冬ソナは月9になる。
- でも東京ジャイアニズムのせいで「ステレオタイプな朝鮮地方の象徴」以外ほぼ何も取り上げられない。
- そしてChakuwikiで「京城の虚像とそれへの反応」などが盛り上がる。
- 東方神起やBIGBANGはジャニーズ事務所に所属し、嵐やKAT-TUNなどと人気を二分していた。
- KARAや少女時代がAKB48と激しいライバル争いを展開する。
- K-POPは当然邦楽となるので、TSUTAYAなどでもリリース後すぐにレンタルできるようになっている。
- 「江南スタイル」はただのご当地ソングに。
- 豊臣政権の基盤が盤石になり、徳川家康は政権簒奪できぬまま寿命を迎え秀頼公の摂関政治開始。
- 或いは秀頼がどこを間違えたか家康に権限を譲渡し…!
- 豊臣家が天皇を越える地位についていた可能性もある。
- 秀吉死後、秀頼に圧力をかけ自身の次男である秀康に豊臣を継がせるとか?
- 豊臣家が天皇を越える地位についていた可能性もある。
- 明治維新後の日本の首都は東京ではなく大阪になっていた可能性が高い。ちなみに国内第2の都市圏は朝鮮半島との関係が強い福岡圏となっていた。
- 東海道新幹線より先に山陽新幹線が開業している。
- 豊臣時代の大坂城がそのまま残り、世界遺産となっている。
- そもそも都市名が東京ではなく未だに「江戸」。
- 或いは秀頼がどこを間違えたか家康に権限を譲渡し…!
- 当時日本での朝鮮の通称は「高麗」なので朝鮮の地名は闇に葬られ「高麗半島」が正式な名称になってた可能性がある
- 当時の日本では「文禄・慶長の役」総称の事を「高麗征伐」と呼んでいたのが根拠
- 玄界灘を渡る大船が、常に必要になる。豊臣政権が安泰だと、東南アジア朱印船貿易も継続する。結果、航海技術が発達して鎖国が無くなる。オホーツク海もロシアより先に支配し、日本は地域大国となる。
- むしろどこかの時点で負担に耐え切れず朝鮮を放棄するほうがありそう。
- 朝鮮半島のテレビ局の噂
- ソウルのテレビ局はNHKのほかに朝鮮テレビ(NNN系列)、金剛テレビ(FNN系列)、京城朝日放送(ANN系列)、京畿テレビ(JNN系列、AM局兼営)、そして京城テレビ(TXN系列)とテレビソウル(UHF)となっていた。
- TXNに関してはプサンや平壌にも局を持っている。
- TXNの性格としてあまり多く開局させるとは思えない。
- NHK京城放送局のコールサインはJODK-(D)TV。
- 平壌にある万寿台テレビもUHFテレビとして残っている(史実でも意外と海外アニメを放送している)。
- 朝鮮中央放送はNHK平壌放送局として残っている。
- 上のテレビ局ネタはもしかして朝鮮半島が一つの放送エリアという設定?
- あくまでもソウル広域圏の放送局を参考用に上げただけ。広域圏と呼べる放送エリアはここ以外は釜山と平壌にもあるとおもわれ。
- 「JB〇〇」ではなく京城以外も(NHKも民放も)内地と同じ「JO〇〇」となっている?
- ソウルのテレビ局はNHKのほかに朝鮮テレビ(NNN系列)、金剛テレビ(FNN系列)、京城朝日放送(ANN系列)、京畿テレビ(JNN系列、AM局兼営)、そして京城テレビ(TXN系列)とテレビソウル(UHF)となっていた。
- 21世紀の日本の人口は2億人以上。
- 絶頂期のGDPはアメリカを上回った。
- 当然親日になってた。
- 統治がまずいと史実同様に恨まれ続けた気がする。
- 特に旧満州や沿海州あたりに李氏朝鮮の亡命政権ができていたならなおさら。
- 統治がまずいと史実同様に恨まれ続けた気がする。
- この感じで行くとやはりソウル近郊の通勤電車はE231系とE233系をベースとした車両で埋め尽くされるんだろうか。
- 223系も?
- そもそも軌間が1435ミリではなく1067ミリになっていた。
- 中国経由でヨーロッパまでつなぐために1435mm軌間で建設され、逆に本土の在来線を1435mmに改軌する動きが活発になったのでは?
- 朝鮮半島にも律令国が置かれた。
- 当時の八道が律令国に移行する形になった。
- そしてそのまま県になる。
- 県が設置された辺りで京畿道は「府」になり、江原道、平安道、全羅道、慶尚道は2つの県に分割される。
- そしてそのまま県になる。
- 当時の八道が律令国に移行する形になった。
- 博多~ソウル間に朝鮮新幹線が開業する。当然東京や新大阪から直通列車が運行されている。
- トンネルの名前はおそらく「関釜トンネル」とかに。
- 福岡市が日本第2の大都市となっていた。
- むしろソウルと釜山の人口の方が多そう。
- 現代の車や三星の電化製品が正真正銘の日本製品になる。
- 李舜臣像ではなく豊臣秀吉像が朝鮮半島各地に建てられる。
- 李朝の王族が明などに亡命し軍を編成してたびたび襲い掛かってくる。
- おそらく李舜臣も亡命王朝軍にいる。
- 日本列島の統治に気が回らなくなり庶民の不満が増していた。
- 豊臣政権は史実の徳川幕府より早い時代に崩壊していた。
- 時代によってはイギリスあたりの介入により植民地化されていた危険すらある。
- 日本でもロシアの脅威がもっと古い時代から認識されていた。
- 朝鮮人の鼻を大量に切っていたことがかなり後世まで武勇伝として美化されていた。
- 貿易という重要な収入源を失った宗氏が国替えに追い込まれる。
- 朝鮮全域に日本式の城が建設されていた。
- 石垣だけでなく櫓や門などが21世紀まで残った城も確実にある。
- 野球・サッカーはアジアでは敵なしだった。
- W杯はもっと早く出場している。2002年大会(日本単独開催)でベスト4に行けたかは怪しい。
- 朝鮮も内地になるので、日本人の国民性が大きく変わっていた。
朝鮮南部の割譲が認められていたら
慶長の役は朝鮮南部(慶尚道、全羅道、忠清道)の割譲を目的とした出兵でしたが結局失敗します。仮に秀吉の朝鮮南部の割譲が認められていたら
- 忠清道と慶尚道の北部では多数の朝鮮人が流れてきて、同化した朝鮮人や日本移民との摩擦を起こす
- そのため、忠清道と慶尚道北部への国替は江戸幕府からは左遷先のような認知を受けていた
- 対馬海峡が日本領になるため両岸の工業化や発展が史実より進む
- 対馬と壱岐の人口は史実の2倍はあった
- 福岡市の人口が300万人を突破して日本第3の都市の称号は福岡に
- 第2次大戦後に韓国人の多い忠清道と慶尚道北部は韓国領になるが日本人の多い慶尚道南部(史実の慶尚北道の大邱市を含む北部地域も含む)と全羅道、済州島は日本領に留まる
- 以下2013年現在の日本領南部朝鮮の行政区
- 大邱県:慶尚北道の日本支配地域
- 釜山県:慶尚南道東部、釜山市、蔚山市
- 晋州県:慶尚南道西部
- 全州県:全羅北道
- 光州県:光州市、全羅南道西部
- 順天県:全羅南道東部
- 晋州と順天を合併して「任那県」を設ける方がいいんじゃない?
- 済州県:済州島
- 済州島は長崎県。
- または対馬・壱岐も済州県。
- 朝鮮戦争では北朝鮮軍が日本との国境まで攻めて来る。韓国政府は消滅。
- アメリカとソ連の取り分を考えると軍事境界線ももっと北になっていた可能性も
- この場合軍事境界線は清川江か大同江のどちらかになっている
- 大同江の場合は平壌が国境線の真上になるので北朝鮮の首都は平壌じゃなくなる
- 清川江の場合は平安南道の工業地帯がなくなるので北朝鮮の国力が低下して朝鮮戦争自体起きたか怪しい
- この場合軍事境界線は清川江か大同江のどちらかになっている
- イチャモンつけられ日本領の部分まで韓国領になっていた可能性も(ドイツの東プロイセンみたいな)
- アメリカとソ連の取り分を考えると軍事境界線ももっと北になっていた可能性も
- 自衛隊は北海道より北朝鮮との国境に重点配備されていた。
- 沖縄の在日米軍も、本土復帰後は徐々に朝鮮南部へ移転するため基地問題は解消。
- サムスンはソニーの子会社になっていた。
- LG、ヒュンダイは北朝鮮の国営企業。
- 以下2013年現在の日本領南部朝鮮の行政区
- ソウルは北朝鮮の首都になっていた。
- もちろんオリンピックは開催されない。
- 名古屋五輪が実現していた。
- むしろ福岡で開催されていた。
- 名古屋五輪が実現していた。
- もちろんオリンピックは開催されない。
- 大邱市は韓国領に近くなるので人口は50万人程度に留まる
- 光州市は県(史実の道)の範囲が史実より狭くなるので人口100万人を突破できず平成の大合併で70万人を突破して政令指定都市に昇格する
- 一方、木浦市は周辺地域との合併、埋め立てなどで面積を増やしながら人口40万人を突破。
- 史実の竹島は松島のままで、現在の鬱陵島が竹島と呼ばれている、勿論どちらとも日本領
- 結局、韓国が竹島(ただし史実の鬱陵島)を占領して竹島問題が起こった可能性も
- 統一新羅の首都である慶州が日本領になるため史実以上に日韓関係が悪化する
- 韓国が慶州の返還を日本に求めいる
- 上記の竹島問題が起きた場合、慶州と竹島(鬱陵島)の交換案が出た可能性もある
- 慶州の寺社にハングル文字で「慶州は我が領土」の文字があちこちに・・・
- 日韓関係の悪化により韓国人によるテロが発生していた恐れすら否定できない。
- 韓国が慶州の返還を日本に求めいる
- 史実で言う江戸初期から失地回復をもくろみ李氏朝鮮の軍勢が何度も攻めてくる。
- 特に割譲の元凶になったであろう明の崩壊後は清と組んで日本支配地域を攻撃してきたと思われる。
- 江戸の武士も平和ボケする暇がなかった。
- 特に割譲の元凶になったであろう明の崩壊後は清と組んで日本支配地域を攻撃してきたと思われる。
出兵しなかったら
- 豊臣政権の基盤があそこまで弱体化することはなかった。
- 場合によっては徳川家康は政権簒奪できぬまま寿命を迎え、秀頼公の摂関政治開始となっていた。
- 関ヶ原の戦いもなかったかもしれない。
- とはいえ簡単には平和はこない。朝鮮の代わりに、日本各地での争いに豊臣家が介入しまくっていただろう。
- 名護屋城は存在しない。
- 悪くするとスペインあるいはポルトガルに攻め込まれていたかもしれない。
- 日本がカトリック勢力に襲われなかったのは朝鮮出兵により「帝国」(スペインなどの王国より格上)と認識されたからという説がある。
- 韓国人が嫌いな日本の歴史上の人物といえばダントツで伊藤博文。
- 千利休好みの茶碗は志野。
- 銘「蓬莱山」や、黄瀬戸茶碗も国宝に指定。
明にも勝っていたら
- 天皇が北京に。
- 秀吉は寧波に移住。
- さらにインド(ムガル帝国)への出兵が実行に移される。
- あるいは天皇は日本の象徴的な存在のため、圏外である中国大陸に遷都せず、「天下の中心」であり圏内である日本本土の京都にそのまま残っていたかも(いわゆる日本版小中華思想のため?)
- もし首都が日本列島内のままだったら、後代のヨーロッパ人は日本を「東洋の、デンマークを巨大化させた国家」と見なすかも。
- 因みにデンマークの国土の大半(グリーンランドを除いて)はヨーロッパ大陸と陸続きのユトランド半島だが、首都かつ最大の都市であるコペンハーゲンは本土であるはずのユトランド半島ではなく、半島から東にあるシェラン島にあるから。
- この場合、京都が「東京」を名乗っていたかも。
- こうなっていたら、漢城(ソウル)が中京、西安が西京を名乗っていたかも。
- 天皇が北京に移住していた場合も同様。
- もし首都が日本列島内のままだったら、後代のヨーロッパ人は日本を「東洋の、デンマークを巨大化させた国家」と見なすかも。
- 中国を支配する王朝になるから当然、秀吉や天皇は北京に移住していた。
- 秀吉が中国の皇帝に即位していた。そして天皇家は貴族になっていた。
- 史実では天皇が中国の皇帝に即位に即位させるつもりだったから、秀吉が貴族になって、北京と寧波を行き来する生活をしていた。
- 王朝名は「和」。
- 中国史では下記の通り征服王朝として扱われる。
- 「中国を支配する王朝になるから『当然』秀吉や天皇は北京に移住」???イングランドはノルマン・コンクエストから百年戦争終結まではフランスの一部を、近代はインドを支配していたのに、よくフランス、インドに遷都しなかったよね?
- 前近代の東アジアの国とヨーロッパの国が同じような思考をすると考える方が無理がある。
- 東アジアにおいて中国中原は強大なブランド力を持っていたため漢民族ではない勢力が吸い寄せられても無理はない。
- モンゴル民族の元や女真族の清も首都は中国大陸に置いていた。
- そもそも上記のように秀吉が自らや後陽成天皇の明国移住を考えていたというのは史実。
- 「中国支配だから当然北京遷都」こういう考え方に疑問を持った日本国内の勢力によって、秀吉は結局失脚(そして「謎の急死」)することに。
- そして金、元と同じ失敗を繰り返さないように、首都を日本列島の外には一切置かないという決まりができた。
- 秀吉が中国の皇帝に即位していた。そして天皇家は貴族になっていた。
- 漢民族ではない異民族による征服王朝であることから史実で清が支配した満州・モンゴル・東トルキスタン・チベットを支配していた。
- そして中国史上最大の版図を誇った王朝になっていた。
- そして史実の明治維新から辛亥革命の間の時期にそれらのような革命が起こるまで存続していた。
- 近代化に成功していたら今でも存続している。
- アヘン戦争が史実通りあった場合、上記の革命はやはり起こっていた。
- そして史実の明治維新から辛亥革命の間の時期にそれらのような革命が起こるまで存続していた。
- そして中国史上最大の版図を誇った王朝になっていた。
- 少なくともヌルハチの侵略を撃退していた。
- 日本人と漢民族と満州族の同化が進み、日本語は現実の満州語同様に絶滅寸前の言語となり、日本列島は満州同様に漢民族の地域となり、上記の革命が起こっても中国領のままだった。
- このため日清戦争や日中戦争は起こらず上記の革命が起こった場合で出来た中華民国が今も大陸の国家として存続している。
- それはどうかな。そもそも日本人は漢字を外国語としてではなく「国語」として、しかも本家の中国とは「また一味違う」スタイルで活用してきた。漢文を訓読したり、漢字混じり文を考案するなど。つまり日本は、漢字文化に十分「免疫」になっているというわけだ。
- 勿論、併呑した中国からも多少影響は受けるけど、中国発祥の漢字に免疫がなかったモンゴル、満州族のようにあっさりと中華文明に飲み込まれることはないと思う。
- 逆に独自の漢字活用法がある日本のほうも中国語に影響を与えるんじゃないかな。中国内の漢文を尽く訓読してしまったり、最初から訓読前提の漢文を書かせたりして。
- 中国に進出した国字も少なくなかった。
- おまけに、中華圏に近すぎるモンゴル、満州とは違い、日本本土の立地は中国からは「一歩離れた」場所にある。しかも海に囲まれた列島。これで中国を併呑した日本が逆に中華文明に同化してしまう可能性は更に低くなったと思う。
- 日本(和朝?)が欧米では「China」と呼ばれる。
- 逆に日本列島+大陸部がまとめて「Japan」と呼ばれ、「日本の中」で大陸部の方だけが「China」とよばれる。人口規模こそ桁違いだけど、日本の「支那大陸部」は「ロシアの中のシベリア」みたいな扱いのため。「シベリアの中のロシア」ではなく。
- 上記の通り秀吉が中国の皇帝に即位していたから「China」と呼ばれていた。従って「Japan」は「Manchuria」のようにローカルな地名として扱われていた。
- その2つの地名をミックスして「Chiapan(チヤパン)」か「Japachina(ジャパチナ)」になる…だろうか?
- 二次大戦時の連合国による蔑称は「JapChink(ジャップチンク)」
- 日本(列島)では大陸部を現在でも堂々と「支那」と呼んでいる。
- ひょっとしたらこの時点で南京大虐殺が起こっていたかもしれない。
- 秀吉が中国の日本人支配に反対する抗日運動を弾圧していた。
- 結果、秀吉は中国でもっとも嫌われている日本人になっていた。
- チベットは現在まで独立国家として生きながらえていた。
中国の「沿岸地域」だけ合併したら
さすがあの広々した中国をすべて直接支配ことは骨の折れることです。
特に日本は海で隔たれた島国ですから、中国の内陸部まで支配することは難しいですね。 (逆にこのおかげで日本内地が中国化されるのは容易く防げるのですけど…)
それでもし日本が、とりあえず海路でアクセスできる「沿岸部」から優先的に合併したら?
- 中国沿岸部の日本化が進む。
- 直接支配する面積・人口が少なくなり、かつ日本本土と海路でのアクセスが容易で、内陸の奥地に向けるはずだったリソースを沿岸部に集中投資することができるため。
- 中国沿岸の諸都市には「日本語教育」が徹底することに。
- 東アジアにおける義務教育の起源は、日本統治下の中国沿岸。そして明治時代を待たずに「標準日本語」が制定されるようになった。
- むしろ史実の協和語のようなものが自然発生していたのでは。
- 東アジアにおける義務教育の起源は、日本統治下の中国沿岸。そして明治時代を待たずに「標準日本語」が制定されるようになった。
- あの長い海岸線沿いに長城を築く計画もあったが、結局なかったことに。
- 代わりに内陸から侵攻する敵を、水軍の砲撃艦と陸上要塞が連携して撃退する戦略が編み出された。
- たとえ鎖国に入ったとしても、この軍事ドクトリンによって、大砲を多く積める西洋式帆船が大量建造されることになる。
- 19世紀にイギリスが内陸部の中国人と結びつき反日感情をあおり沿岸部を奪い取ろうとする。
インド(ムガル帝国)にも勝っていたら
- モンゴル帝国並みの大帝国。
- 日本本土から沢山の日本人が大陸へ移住
- で、日本列島はスッカラカンになると。
- アジア各国に日本の文化が根付く。
- 日本文化自体もアジア各地の文化を吸収し史実とかなり変わる。
- ついでにイスラムやヨーロッパの方まで出兵しちゃうのかな。
- こうなっていたら、全盛期のサファヴィー朝やオスマン帝国との死闘が見られたかも。
- 昔は「三国一の~」という表現があったことにかなりの説明が必要になる。
- さすがにオスマン帝国ばりに19世紀には崩壊していたと思う。
- 秀吉が戦おうとしていた「天竺」とはポルトガル領ゴアのはずだが…。
- 実際ムガルには国書を送っていない。
- もしかしてポルトガルとも戦うのか?
- こうなると東南アジアも平定されていたと思われる。
- 西洋列強は中南米、アフリカ、オセアニアへの進出を活発化させていた。
- 史実のベルリン会議に相当する集まりが18世紀には行われていた。
- 史実で侵攻を検討していた琉球・台湾・フィリピンは併合されていたであろう。
- 信長の野望シリーズのスケールがさらに膨れ上がっていた。
- 近年の作品ではEuropa Universalisシリーズさながらに全世界征服も可能だった。
- そもそもタイトルが「秀吉の野望」になっているかもしれない。
朝鮮以外に出兵していたら
- どっちみち徳川家に政権を奪われていた。
- 場所によっては未だに日本領。
- 上手くいけば豊臣政権が獲得できる領土は朝鮮南部、琉球、台湾ってとこか?
- 豊臣小吉秀勝の病死が起きない。
- 対外進出成功の場合本土は秀頼に、海外領土は秀次、秀勝が統治。彼らは御三家のような立場に。
台湾
- 立花あたりがどこかを領有している。
- 島津の影響も受けることになりそうだね。
- 台北には奉行がおかれ、他は武将によって分けられた。
- 地方区分は南西地方になり、沖縄と一緒くたにされた。
- 沖縄並の決戦が太平洋戦争時に行われていたかもしれない。
- 戦後しばらくの間はアメリカ領になっていた可能性の方が高い。
- 台湾を取ってもどっちみち沖縄を取らないと本土に向かえないから米軍としては悪手のような。
- 通過地点になる琉球王国はこのタイミングで滅亡していた。
- 論功行賞をするなら島津義久が琉球諸島、加藤清正が台湾北部+八重山、小西行長が台湾南部かな
- 福島正則が肥後一国に移封、石田三成は移封を勧められるが断り、佐和山に残る。しかし後に飛地領が数万石加増される。
- 現実の日本と台湾の標準時の中間ポイントが沖縄本島と渡嘉敷島の中間辺りという事を考えると明治の都道府県再編の際、先島諸島(宮古列島・八重山諸島)は台湾の行政区(現実世界の台北県または宜蘭県)に編入され、その代わり沖縄本島に近い奄美諸島が沖縄県に編入される
- 沖縄のプロスポーツチーム(FC琉球、琉球ゴールデンキングス)のファンが台北県ないし宜蘭県のチームとの対戦の際「八重山奪回」の弾幕を掲げるのが日常茶飯事になる
- 言語は北部と東部は日本語、南部と西部は福建語が主流になる
- 日本名が「高山島」になっていたかもしれない。
- 鄭成功は雲南の山奥か海南島辺りを拠点にしていた。
- おそらく中華民国も。
北海道
- 渡島・後志・胆振・石狩・天塩・北見・日高・十勝・釧路・根室・千島国はこの時代から存在していた。
- すると『松平石狩守』とかいたかもしれない。
- 米がとれないので財政はかなり厳しくなりそう。
- なので明治辺りまでかなりの間放置される。
- 石高は数十万石相当とかだったかな。ただそれでも時代が進むと安定してくる。
- 漁業や毛皮交易などは資金源として使えたのでは。
- ツングース系民族との交易もできていたらさらに儲かっていた。
- 秀吉が本気でアイヌと戦ったら朝鮮ほどは手こずらないとは思う。
- 五稜郭は天守閣を持つ城になっていた。
- そもそも星型になっていない。
- 大間か竜飛に前線基地が築かれる。
- 江戸時代は函館が一番都会になっている。
- 松前のほか、南部か、津軽辺りが北海道に送り込まれる。
- 伊達とか最上とかも駆り出されそう。で伊達に北海道を統治させる(徳川の関東移封みたいに)。
- 北方領土問題?何それ、おいしいの?
- 箱館藩・室蘭藩・小樽藩・旭川藩がある。
- 松平容保は旭川藩主になっている。
- 北海道列藩同盟ができている。
- もちろん、北海道は複数の県に分かれていた。
- 野付牛藩・久寿里藩・帯広藩・稚内藩も。
- 松前藩は樺太の白主に送られていた。
- 樺太の大泊に五稜郭が建設されていた。
- 榎本武揚は樺太共和国を作っていた。
- 土方歳三は大泊で戦死していた。
- 函館は大名の港になっていると思うので日米修好通商条約では函館の代わりに大泊か真岡が開港していた。
- 樺太は「北山道」という名前になり、1869年に律令国が置かれる。
- 北山道開拓使が1869年に置かれ、1882年まで存続。
- 開拓使廃止後は大泊県、敷香県、弁連戸県が置かれるが、機能しなかったので1886年に3県は廃止され、敷香に北山道庁が設置される。
- 北山道開拓使が1869年に置かれ、1882年まで存続。
- 展開次第では日本を開国させた国がロシアになっていても不思議ではない。
- かなりの地名が現実と変わっていた。
- アイヌ語名と全く関係ない名称を付けられる場所がもっと多かった。
樺太
- こうなっている。
- 大名は置かず奉行を派遣して統治する。
- おそらくは出世コースから外れた人が行く閑職。
- 江戸時代はあまり発展しないが、近代になってから急速に発展する。
- 樺太千島交換条約?そんなもの存在しません。
- 樺太を治めるならその前に北海道(アイヌ)じゃない?
- 多分アイヌを撃破したらその後樺太へ進むかと。
- 結局20世紀になってソ連に征服されるかも…
- ならなかったら多分ソ連からの亡命者が船に乗って樺太にやってくる。
- それに起因するロシア系住民がそこそこいる。
- 樺太道か北海道樺太支庁に属していた。
- シベリアが江戸時代の流刑地になっていた。
- ロシア帝国の歴史が変わっていた。
- 日本領になったのが樺太だけならあまり変化がない気がする。
- アムール川河口に進出して清と衝突。ロシアと組んで清を挟撃し、ネルチンスク条約が三国条約になる。
琉球王国
- 島津領となり、代官が派遣されていた。
- 奄美同様に多くの島民が砂糖生産のため奴隷のように働かされていた。
- 首里城は日本風の城に造り替えられるが、天守閣はさすがにない。
- 大和民族による支配を印象付けるため建設されていてもおかしくないのでは。
- 天守閣のような構造は最盛期の台風に対しては厳しそう。
- 「信長の野望」シリーズでも尚氏が普通に一大名として登場していた。
- 秀吉なら尚氏を諸侯に列するでしょうね。
フィリピン
- スペインと戦争になる。
- 勝てばマニラは漢字表記に。
- 漢字名は多分「馬尼剌」。
- フィリピンは「比律賓県」なってる。
- スペインの王族にちなむ名称なので全く別の名前にされていたのでは。
- 調子に乗って東南アジアを征服。果てはオーストラリアまで。
- ただし航海技術が追い付かず到達できない可能性もある。
- 南部も支配できていたらイスラム教徒とももめていた。
長江下流域
- 元々の狙いは明だったわけで、なかでも豊かなこの地域に直接侵攻。
- まず舟山群島を占領して足場にする。
- 外洋航海できる船が大量に必要になる。
- この時点で和製ガレオン船が造られることになったかもしれない。
- この場合もこの時点で南京大虐殺が起こっていたかもしれない。
- ただし日本側が被害者になっていた可能性も皆無ではない気がする。
史実の極東ロシアとアラスカ
- 当時の日本は、北海道・樺太・千島列島の全域を支配下に置き、更に北に向かう。その地域の先住民には武力はなく、ロシアやイギリスなどの西洋列強もまだ進出していない。その結果、史実の現在のマガダン州・サハ共和国以東のユーラシア大陸全域(北極海沿岸まで)が日本の支配下になる。更に余力を駆り、ベーリング海峡を渡ってアラスカまで支配下に置く。
- 東北地方は、この領土拡大の前線基地となり、豊臣秀吉の腹心である加藤清正が配置される。恐らくは史実の仙台藩のあたりに。それ故に、仙台の町は加藤清正によって開かれ、仙台城は史実の熊本城のような姿になる。
- 史実では西回り航路のほうが栄えていたので秋田か酒田あたりになっていたのでは。
- 東北地方や北海道は、この広大な北方との交易拠点になる。史実の薩摩藩のように、農作物の冷害による飢饉を凌げるほど活気付く。
- 伊達政宗など、江戸期に史実の東北地方を支配する武将達は、豊臣秀吉の命令で、ことごとく、この戦闘に駆り出される。そして戦後には、良くとも北海道か樺太、悪ければ北極海沿岸を領地に置くという冷遇を受ける。
- 徳川家康も駆り出される。それ故に兵力が消耗し、「関が原の戦い」などはできなくなる。謀反の恐れがあると警戒されれば、カムチャッカ半島かアラスカに配置されるか?
- 江戸幕府(または、秀頼以降の豊臣政権?)は、南蛮人や紅毛人との外交関係以上に、シベリアに進出したロシア帝国との関係に悩まされるか?しかし、ロシア帝国は、財政上の事情等で、それ以東への進出を控え、以後19世紀半ばまで安定した情勢が続く。
- むしろ余計に切羽詰まったロシアにたびたび侵攻されるのでは。
- 19世紀半ばにアメリカがアラスカを手に入れる相手は、ロシアからではなく日本からだったか?
- 江戸幕府or明治政府に「金で領土を売り渡す」という選択を認める土壌があったようには思えない。
- または、イギリスがこの地に関心を持ち、ユーラシア大陸の東端部とアラスカはイギリス領に、最終的には隣接するカナダ領になる。
- スペインが史実以上に北進してきた可能性も否定できない。
- ユーラシア大陸の東端部とアラスカは、その後の国際情勢(特に対ロシア情勢)を考えると、19世紀半ばに、アメリカかカナダの領域になったほうが良かったか?さもなくば、(近現代史が史実のような展開の場合)日露間の関係が緊張した時代や冷戦期の日本は、陸上に長大なロシアとの国境線を抱え、それ故に巨額の軍事費の負担に苦しむことになる。
- 後世における呼称は「韃靼征伐」。
- 流氷のせいで船が大量に沈み補給に難儀する。
- 当時の技術では海の氷結には耐えられなかったと思われる。