もしあの企業のプロ野球加盟が実現していたら
朝日新聞編集
1940年代後半に朝日新聞は毎日新聞と共にプロ野球参入を目指していましたが結局諦めました、しかしココで朝日が諦めずにプロ野球に参入していたら
- テレ朝がサッカー重視に走る事は無かったのか?
- テレ朝は、西武ライオンズ推しになることはなく、東京12チャンネル(現・テレビ東京)がライオンズ推しになっていた。
- たぶん、TBSかフジテレビあたりがサッカーを重視していたかも。
- 連盟分裂時にはパリーグに参加していた
- セリーグに入っていたら、読売ジャイアンツとの対戦が伝統の一戦となる。
- セリーグに入っていたら、名古屋のDのチームみたいに、日テレやスポーツ報知は取材禁止。
- そのDの球団は、朝日新聞・テレビ朝日をナゴヤドーム出入り禁止に。
- 身売りしなかったら本拠地は、東京ドーム・横浜スタジアム・千葉マリンの何れかだった
- 朝日が千葉マリンに移転していたらロッテは川崎取り壊しと共に札幌または新球場建設を条件に仙台に移転していた
- セ・パ共に8球団のままでリーグを運営できていた
- オフシーズンには両リーグ合同のトーナメント戦が行われていた。
- チーム名は朝日新聞の社旗から「サン」または「ソル」の文字が入っていた
- 例えば「朝日ソルコンドルス」とか「朝日サンアポロンズ」とかが誕生していたかも知れない
- 「朝日ライジングサンス」というのは?
- (実際には「朝日レッドソックス」という名称が報じられていた)
- (ちなみに「オリオンズ」は毎日新聞の社章が星、「ホークス」は南海電鉄の社章が鳥だった事に由来する)
- 例えば「朝日ソルコンドルス」とか「朝日サンアポロンズ」とかが誕生していたかも知れない
- 歴史のif検討委員会では日本経済新聞のみならず河内新聞・北海道新聞・中国新聞などのブロック紙がプロ野球を経営していたらと言う項目が多数
- 河内新聞は府域紙でさえないんですけど…。
- 読売巨人軍と激しい選手の引き抜き合いを繰り広げた。
- 朝日の本拠地が東京で尚且つパリーグの人気がセリーグと拮抗していた場合、東京の球団は日ハムはおろかヤクルトまでも移転していた
- ただしパリーグの人気が高かったら日ハムの札幌移転は遅れていた。
- テレ朝は毎日系列のTBSと激しいプロ野球の放送権を争っていた
- 結局、毎日vs朝日の試合の時は朝日がホームの時はテレ朝、同様に毎日がホームの場合はTBSが放送していた
- 朝日・南海・西鉄がパリーグ3大チームになっていた
- 「西日本パイレーツ」は「西鉄ライオンズ」の方が地元で人気があった事と実史と同じ様に経済的に行き詰まりから、後に西武に買収されていた
- 海が無いのにパイレーツ?と他球団のファンからネタにされていた
- 改称していた可能性も。
- 一方の西鉄は売却があるとしたらダイエーに身売りし福岡ドームを本拠地にして、現在ではライブドアかソフトバンクが親会社
- 海が無いのにパイレーツ?と他球団のファンからネタにされていた
- 南海も実史通りBクラス更新に嫌気が指して売却するが、佐川急便か松下電器が買収してホークスの本拠地は大阪市内に留まった
- 現在ではホークスは大阪ドームを本拠地にし、近鉄バファローズの本拠地は藤井寺のまま
- しかし大阪球場を知る世代からは場所によって見づらくなる事から不満も・・・
- 佐川急便に売却していたらセレッソ大阪とコラボして「俺たち大阪」が両ファンの合言葉になっていた
- 現在ではホークスは大阪ドームを本拠地にし、近鉄バファローズの本拠地は藤井寺のまま
- 朝日グループのバックアップがあった為、放映権が安定して阪急の身売りは無く、移転するとしても神戸では無く阪急在来線のある西京極(京都市)だった
- 04年の球界再編は当然無く、ヤクルトが仙台に移転し近鉄バファローズも消滅せず身売り、場合によっては移転していた
- パリーグに関西3球団もあったのでトラキチは半減していた。
- 実史通り阪神暗黒時代が続いていたら佐川急便グループ・資生堂・ワコール・サントリー等に売却されていた可能性も
- 西鉄ライオンズはパリーグ2年目から参入していた
- 高橋ユニオンズは加盟せず大映の愛称は「スターズ」のままで大洋も「ホエールズ」のままだった
- 或いは高橋の経営行き詰まりとパリーグの日程調整から結局大映と合併して「大映ユニオンズ」に
- オリックスは阪急ブレーブスの買収に失敗し、代わりにセリーグの松竹ロビンスを買収
- 後に大阪から神戸に移転しチーム名も、オリックスロビンス→オリックスブルーウェーブに
- 阪神ファンが「朝日新聞は捏○王」とか「日刊スポーツ地獄逝き」とか「100年構想は大妄想」とかほざいている
- そして球場でこんな歌を歌っていたかもしれない。
- 朝日新聞が高校野球(夏の甲子園)に肩入れすることは、史実ほどではなかったかもしれない。
- 経営体力の高いチームが史実よりも増えることで、野球界全体が活性化。読売とのパワーゲームでかえってお互いに権力が抑止され、バランスがとれる。プロアマ対立も史実より緩和。結果、野球人気は低迷せず球団数も14か16になっていた。
- 1987年の朝日新聞阪神支局襲撃事件直後は朝日戦が行われる球場の警備が強化された。
- 場合によっては「野球場を爆破する」などという脅迫が行われていたかもしれない。
- キャンプ地が沖縄だった場合珊瑚記事捏造事件後の風当たりが想像を絶するものになっていた。
- 90年代のキャンプ地はアメリカになっていた。
- オフには、朝日球団の選手がテレ朝の番組に毎日のように出演。
- 朝日新聞の経営難で身売りはありえた。
- そこでテレビ朝日が、ここの株主になっていた。
- 2ちゃんの一部やヤフコメで異様なまでに叩かれる。
- レフトがファインプレーすると「さすが朝日」と野次られる。
- 「決戦日本シリーズ」の続編が出ていた勿論対戦球団は巨人vs朝日
- そこは読売Vs朝日でしょ。いや、産経新聞系のヤクルトか?
- テレビ朝日・BS朝日では、朝日球団の応援番組を放送していた。
- テレ朝で朝日球団を舞台にしたアニメやドラマを放送。
- 朝日球団のユニホームを着たドラえもんのグッズができていた。
- 湘南シーレックスやサーパス神戸があった当時は、テレビ朝日に2軍の経営を任せていた。
- ANN系列の野球中継は、朝日球団の独占中継を行う。
- ただし、HTB・KHB・メ~テレ・ABC・HOME・KBCは、地元球団の中継に差し替えていた。
- 築地市場移転と合わせて跡地に大規模なボールパークを建設しようと画策し始める。
いすゞ自動車編集
戦後いすゞ自動車野球部は戦前のプロ野球経験者が多く所属していたことからプロ野球参入の話が上がったものの、経営陣の反対等で白紙になりました。もし、いすゞ自動車のプロ野球参入が実現していたら?
- チーム名は「いすゞダイナモ」あたり。
- 後に「いすゞ自動車ギガキャッツ」と名称変更しそう。
- 「イーグルス」かもしれない。(旧後楽園イーグルスで結城ブレーブスに参加しなかったメンバーがいすゞに残って野球部を作ったので)
- 本拠地は神奈川県に。
- 川崎球場を使っていた可能性が高い。
- 川崎球場の老朽化に伴い、90年代中盤には藤沢市に新球場を建設していた。
- 川崎球場を使っていた可能性が高い。
- 自動車業界がこぞってプロ野球に参入していた可能性も。
- チャンステーマは「いすゞのトラック」
- むしろ得点テーマのほうが似合いそう。
- 近年では「地域密着型球団」を目指していたかもしれない。
小田急電鉄編集
1949年、小田急はセ・リーグにプロ野球球団の所有を計画していました。しかし、小田急はプロ野球球団を持つことはありませんでした。もし、小田急のプロ野球参入が成功していたら?
- 国鉄スワローズは存在しない。
- 小田急の代わりに国鉄が参入したため。
- 本拠地は南林間-中央林間の間のどこかに造られた。
- 南林間or中央林間から本拠地までに空中ケーブルカーが設けられた。
- 後に空中ケーブルカーはモノレールに改修されるが、向ヶ丘遊園モノレールと同時期に廃止。
- いやいや、そこは相模原球場でしょう。
- 新宿副都心計画の一環として日本初のドーム球場を建設していたかも。
- 南林間or中央林間から本拠地までに空中ケーブルカーが設けられた。
- チーム名は走る喫茶室から「小田急ルームス」になっていた。
- 1960年代に「小田急ロマンス」に改称。
- 少なくとも1990年代までには身売りされ、現在は「ヤクルトロマンス」となっている。
- 産経新聞・フジテレビは球団を持たないため、大洋ホエールズの身売り先はニッポン放送だったかもしれない。
- その場合、後にベイスターズ株とスワローズ株のことで揉めることも、TBSがベイスターズの親会社になることもなかった。
- 産経新聞・フジテレビは球団を持たないため、大洋ホエールズの身売り先はニッポン放送だったかもしれない。
- 本拠地が神奈川だった場合、ホエールズは横浜に来ることなく、山口県にしばらく本拠地を置いていた。
- 小田急線沿線にある東海大相模や東海大学、桐光学園や日大藤沢の選手を多くドラフトで指名していたかもしれない。
- 小田急がスポンサーを務めるFC町田ゼルビアとのコラボもあったか。
熊谷組編集
- 実質熊谷レッドソックスの再建になっていた。
- 名前はレッドソックスかゴールデンカイツとなっていた。
- 名前がレッドソックスだったらエレン・ベーカーがここのユニフォームを着てる絵がネットで描かれていたかも。
- 史実の硬式野球部のように1994年頃にネーミングライツを導入し2010年頃に完全撤退していた。
- 萩原組とかTheガッツ!とかでここの球団のネタがあったかも。
- パンチ佐藤は、オリックスブレーブス(当時)ではなく、この球団に入団していた。
シバタサーカス編集
- 当初は後楽園を本拠地とするが、その後新潟に移転していた。
- 史実では1963年にシバタサーカスは解散するが、もう少し延命できていた。
- ただ、会社は存続してもサーカス事業撤退は避けられなかった。
- 史実通り解散していたら新潟地盤の市民球団になっていた。多分財政的にも広島未満な気がするが。
- 現在は新潟アルビレックスグループに加盟。
全桐生編集
- 群馬県の誇りとなっていた。(この時点で栃木・茨城には球団が無い)
- 栃木は清原球場ロッテ誘致を熱心にやってたかも知れないし、茨城は結城ブレーブス存続に奔走したかも。
- 後に東武やスバルと提携していたかも。
- もしスバルと提携していたら「スバル・プレアデス」となっていた。
- そうなっていたらカープとの自動車ダービーが盛り上がり、トヨタ・クラウンズも実現していた。
- もしスバルと提携していたら「スバル・プレアデス」となっていた。
- 日常やまどマギでも登場していたかも。
東京野球株式会社(東京カッブス)編集
- 国民リーグは結成されなかった。
- フランチャイズは戦前と同じく後楽園にあった。
- よってフライヤーズは後楽園にフランチャイズを移さなかった。
- 二リーグ分裂ではパリーグに所属していた。
- 高橋ユニオンズは結成されなかった。
- いすゞ野球部も強豪になれなかった。
- 史実(2002年)より早く廃部されていたかも。
トヨタ自動車編集
1955年、トヨタ自動車はプロ野球球団の所有を計画していましたが、社内での反対等で白紙になりました。もし、トヨタ自動車のプロ野球参入が実現していたら?
- 豊田スタジアムは札幌ドームのように球場とサッカー場を兼用できるような構造になっていた。
- もしくは対岸の矢作緑地に球場が建設されている。
- 親会社の資金力を考えると、巨人やソフトバンク以上の金満球団として君臨している可能性が高い。
- 中日にとっては脅威以外の何物でもない。
- あるいは中日を買収して参入。
- 中日新聞がドラゴンズを手離さざるを得なくなった時に初めて腰を上げる。
- あるいは中日を買収して参入。
- 球団名は「トヨタ・クラウンズ」。
- 今なら「トヨタ・プリウス」と言ったところか?
- 日本シリーズのMVPの賞品に「トヨタ・クラウン」が贈呈されることは無かった。
- もしセリーグの球団だった場合、ドラゴンズとの『名古屋ダービー』が注目を集める。
- また、カープとの『自動車ダービー』の際には、巨人阪神戦と同じような雰囲気になる…かも。
- グランパスと何かしらコラボがあった。
- アルバルク東京ともコラボしただろう。
- 2軍チームを、トヨタグループの別の会社にやらせるかも。
- かつての「湘南シーレックス」や「サーパス神戸」みたいな感じ。
- デンソーかダイハツが有力か?
- かつての「湘南シーレックス」や「サーパス神戸」みたいな感じ。
- 中日に対抗してトヨタ資本のメ~テレが地上波テレビ独占中継。
- ラジオもZIP-FMが全試合生中継。
- おそらくは西鉄や大洋みたいにノンプロからの参入だろう。
別府星野組編集
- 代わりに西鉄か大洋のどちらかがプロ参入を果たせなかったかも。
- 稲尾和久はこの球団に入団していた。
- 1950年の毎日オリオンズ優勝は難しかったかもしれない。主力選手の多くが星野組出身者なので。
- 西本幸雄はこの球団で監督を務めていた。
ライブドア編集
→もし2004年球界再編で○○になっていたら#仙台ライブドアフェニックス
リッカーミシン編集
- 自社の野球部を母体に参入。
- 1994年にリッカー自体がダイエーに買収されたとき、ホークスとの合併が取りざたされていた。
- 子会社リッカー販売共々ヤマノホールディングスに売却されていたかも。
- 球団が広告塔となり経営が良好となった可能性も。
- 長田幸雄・山内和宏・中西清起らはこの球団に入団していた。
富士フイルム編集
- あきらめきれず、西日本パイレーツか松竹ロビンスを買収。
- 扇千景をCMに採用するのが難しくなる(阪急系の宝塚歌劇団出身なので)。
日本生命編集
- あきらめきれず、新設もしくはいずこのを買収。
- 日生球場を拠点とする(のちに大阪ドームへ移転か?)。