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{{Pathnav|西日本旅客鉄道|[[西日本旅客鉄道/近畿エリア|近畿エリア]]}}
==野球==
==阪和線・関西空港線の噂==
===荒川博===
*[[はるか]]も参照。
#王貞治は一本足打法を生み出せなかった。
#パンク状態である
#*巨人のV9もおそらくなかった。
#*データイム1時間につき特急3本、快速6本、普通6本の計15本。複々線の[[常磐線]]なみ。
#1974年のヤクルト監督には史実より少し早く広岡達朗が就任していた。
#**[[名古屋鉄道|名鉄]]の[[名鉄名古屋駅]]に比べりゃ'''本数少ないな~'''(by名古屋市民)。
#***天王寺下りのラッシュ時には一時間20本超・・・
#***[[京王線]]よりは少ない。データイム1時間あたり18本だぞ、こっちは。
#****おいおい、そうなったら[[名古屋市営地下鉄東山線]]の朝とかは?名鉄なんかほぼ終日だぞ。上とかその上なんてめじゃない。
#*****大量の路線の電車を無理矢理上下1路線に詰め込んでることを誇らしげに言うなよ
#*****それに名古屋市営地下鉄は各駅停車しか走らせないから安易に比較できない。
#****もっと近くに例があるだろ。[[阪急京都線]]高槻市~淡路のデータイムなど'''基本18本、土日は快速特急が走り1時間19本の時もある'''くらい。
#*****ちなみに京都線のラッシュ時は日中とあまり変わらない。
#*高架化を機に複々線化すればよかったのに…
#**もともと複々線の予定、さらにその上に阪神高速も走らす予定がアノ地震を理由に一気に複線のみになった。
#***今から無理矢理複々線化するとすれば、'''なにわ筋線の開通と同時'''。これしかない。
#***大阪市内の高架区間で線路沿いに空き地が続いてるのはその名残り。
#****その空き地は、大和川以南の各駅の西側にもある。
#***もし実現していたら[[近鉄けいはんな線]]の吉田駅付近のような光景が広がっていただろうな。
#*同感!!大阪市か大阪府か知らんけど、建設費負担していたんだろ?先見性が無いというか....
#*「そっくりそのまま立体化」と言うのでないと補助金が出ないのは建設省時代からの縛り。
#*今からでも遅くはない。天王寺~鳳、もしくは日根野まで複々線立体交差化すべし!
#**でも用地があるのって、天王寺手前から杉本町手前までだよね?そこまででも複々線化してくれるとありがたいけど…。
#***大和川以南も、各駅の西側は空いている。線路沿いは、空いていない。
#**用地がないならそれこそ3階建てに。ビル形式にすれば津波も防げる。
#*しかし、東岸和田より下り方面はめっきり客が減る。
#*東岸和田が高架化されたということは、そこまで高架化する計画があるのかも。複々線はムリだけど。
#**高石市の再開発計画には「将来富木駅の高架化も視野に」というのが載っている。
#*データイムは特急2本、関空・紀州路快速4本、区間快速4本、普通4本の計14本になりました。
#ラインカラー(オレンジ)が機能していない。電車はほとんど青色。
#*1970年代までは橙色一色の釣掛電車が走っていた。
#**別に吊り掛けを強調しなくても…
#*2011年3月から[[大阪環状線]]から転属したオレンジ色の103系が走り始めたが、むしろオレンジ色に統一したほうがラインカラーと整合性がとれる。
#*それだと環状線と間違えるだろ。逆にラインカラーをスカイブルーにした方がいい。
#*それを言うと環状線の電車の色を赤色にしなければいけないことになる。
#はるかや関空快速が環状線に出入りする天王寺駅の南の渡り線は単線。よって上り電車だけが遅れても、下り電車や後続電車もどんどん遅れる。
#*ダイヤ通りに走らないことがよくある。
#**むしろそれが当たり前だったりする。
#**天王寺、杉本町間快速遅すぎ。
#***関空快速が天王寺の連絡線を渡る間天王寺行きの普通が待たされる。→後続の快速が待たされる。→その後の特急が待たされる。→特急に追い抜かされたはずの普通が待たされる。これも良くある話。ダイヤの改善余地なし。
#***さらに過密運転を理由に天王寺 - 鳳間の最高速度が95km/hに抑えられている。複々線化されていればそんなこともなかっただろうに。
#*複線化工事中。
#**工事終わって使用開始されたよ
#*ラッシュ時にこのようなことになると路面電車並みの渋滞が発生する。
#かつて阪和線にも新快速が走っていたらしいが、すぐにフェードアウトした。関空快速と大して差がない「特快ウイング」も数年で消滅した。
#*天王寺ー和歌山間、鳳にしか停まらない豪快な新快速でした。
#**因みに当時は[[南海本線|南海]]の特急も新今宮-和歌山市間は堺・岸和田しか停まらなかった。
#*天王寺発新宮行きの夜行普通列車は、天王寺-和歌山間ノンストップだったな。それも12系~その後165系~優等列車のようで優越感に浸れたなあ。
#*その昔は寝台車が連結されていて、しかも名古屋行きだった(寝台車は新宮で切り離し)。
#**まだ客車だったころか・・・確か「はやたま」って列車だったっけ?
#***和歌山以南の乗客は殆ど釣り客だった。4時代に列車が到着する串本駅前の喫茶店と釣具店は営業していました。
#***元は「南紀」だったけど、特急に名前を取られたため「はやたま」に改名した。まだ道路事情の悪かった和歌山県へ大阪から新聞を運ぶ列車でもあり、天王寺駅では連結された荷物車に翌日の朝刊が積み込まれた。
#***「はやたま」の客車と機関車は竜華から関西本線で回送されていた。天王寺駅8-9番線には寺田町方面から推進運転で押し上げていた。
#*戦前の阪和電気鉄道時代には、既に<b>天王寺~和歌山間を45分でぶっ飛ばす暴走特急</b>が走っていた。今の「くろしお特急」なみ。
#**確か東洋電機製造の電装品装着車で新京阪P6(デイ100)の技術を生かした電車だとか。
#***確かモヨ100型という。
#高架化工事で、待避駅が長居から鶴ヶ丘に変わった。
#*'''歩行者の直前横断が酷かった'''と聞くが、高架化でひとまず解消。
#*高架化で複々線化すればよかったのに…
#*高架化された駅のホームは異常に狭い。
#**杉本町だけ地上に残され、開かずの踏切に引っ掛かり遅刻する市大生。
#***市大側に改札口を設置する話が進んでる。
#****ついに設置されました。
#*[[阪神高速道路|阪神高速]]を阪和線の高架上に載せて三層の高架になる構想があったが、震災が起きて安全性の問題から断念。
#*高架化で景色が見えなくなった。鶴ヶ丘駅の北西のシャープ池。線路にせまる住宅群。
#「B快速」なる種別がある。日根野から先は各駅に止まる快速の事。[[画像:223系B快速.jpg|240px|thumb|阪和線名物B快速]]
#*今は天王寺方面行きに1本だけあるけど、「B快速」って出してんだろうか?
#**ちゃんと出ていますよ。それと上下あわせて4,5本あったはず。
#*沿線住民以外はわからないことだろう。
#*区間快速と統合すればいいのに。
#**B快速は区間快速と通常の快速の間にある種別。種別名をつけるのに苦心しただろう。
#*普通の快速など:A快速、日根野から和歌山まで各停:B快速・・・だろうけど、うまく出来なかったのだろうか?
#**B快速があるのにA快速がないのは謎。
#***JR社内だけの専門用語では?Aは本来のという意味で、Bは追加という感じ。
#*2011年からほとんどの紀州路快速がB快速化した
#三国ヶ丘は、少し前まで区間快速しか停まらなかった。しかし、その区間快速も朝夕にほんの少し走るだけ・・・。
#*いつになったら[[南海高野線]]の急行車や準急行車が停車するんですか?
#**準急はずっと前から停まりますが・・・
#**そもそもそんなに急行停めてたら急行の意味がない。
#*[[南海電気鉄道|南海]]にとっては優等列車からJRに乗り換えられたくない為。和泉中央から来た区間急行が中百舌鳥に停まらないのとほぼ同じ理由(中百舌鳥で[[大阪市高速電気軌道御堂筋線|地下鉄]]に客が流れないように。)
#**中百舌鳥で降りる人は区間急行には乗らない。
#***堺東、難波方面への遠近分離ダイヤですから。
#**各停、準急共に中百舌鳥まで全駅停車します。
#**区急を止めると、混雑率オワタです。
#*南海山手線を国鉄に取られた仕返しだという説もある。
#*JRの自動改札機は入出あわせて2台しかないのに、南海との連絡改札口は沢山配置されている。
#**2013年9月、南海三国ヶ丘の橋上駅舎化に伴い、南海とJRの改札口は分離しました。
#*三国ヶ丘は阪和線も南海管理の駅なので南海の都合が優先されているもよう。
#**南海の駅員は「各駅停車」天王寺行きと放送する。
#*高野線の急行なんて阪和線沿線住民には関係ない話。
#*2011年3月から、日中に区間快速が1時間4本走るようになった。
#関西では珍しくないと言われる「タテ型」の駅時刻表だが、JR西日本は「ヨコ型」を使用している。しかし、阪和線だけ「タテ型」を頑なに使用している。
#*JR以外でも横型に移行しつつある。
#*関西大手私鉄は[[阪急電鉄|阪急]]以外、それ以外は[[大阪市高速電気軌道|大阪市営]]、[[大阪モノレール]]、[[能勢電鉄|能勢電]]を除くほぼ全てが横型になっている。ちなみに能勢電は平成9年時点のみ何故か横型になり、平成15年のダイヤ改正で縦型に戻った。
#*現在は阪和線も駅に掲示されている時刻表は横型で統一されている。
#編成が短い。データイムでも詰め込むのに時間がかかり、堺市や三国ヶ丘でしばしば発車が遅れる。
#*そんなのどこでも一緒。西日本は何処に行っても両数少なすぎ。
#**東日本の感覚で乗るからそう思うだけじゃないの?
#*昼間の普通はほとんどが4両編成。しかも15分に1本しか電車が来ない。
#並行する南海鉄道に配慮しているためか、和歌山駅を除いて市名をそのまま駅名にしているのは1駅も無い。
#*[[堺市]]の「堺市」、[[岸和田市]]の「東岸和田」、[[貝塚市]]の「東貝塚」、[[泉佐野市]]の「東佐野」。
#*和泉府中駅は[[和泉市]]の中心駅(駅名は「和泉」ではないが)。
#**和泉砂川駅も泉南市の中心駅(一応)。
#***というか泉南市は4地域に分かれているので、中心駅が4つある。南海岡田浦、南海樽井、新家、和泉砂川。
#*別に配慮しているのではなく、阪和線はもともと[[南海電気鉄道|南海山手線]]だった名残。
#**鉄道省時代なら「私鉄の駅名を変えさせて国鉄の駅がその駅名を名乗る」ことが出来たはずだが、していないのはやはり反発を恐れてか。
#*阪和線自体が南海より後発だったから。
#*市名なら「堺市」こそ市名そのままな気が。
#**もともと「金岡駅」だったが2年だけ走った関西本線特急「あすか」のために現在の名前に改称した。
#「本日も人身事故のJR西日本をご利用いただきありがとうございます。なお、ただいま恒例の人身事故のためダイヤが乱れております」
#*2chの阪和線の枕詞「延着運休事故故障」
#**ダイヤのあまりの乱れように「参考ダイヤ」「フィクションダイヤ」なる言葉まで登場
#**2013年9月の新運行管理システムの使用開始により枕詞が「輸送品質向上?」に変わった。
#*2008年8月、乗務員が体調不良を訴え遅延が発生した。
#**youtubeとかで阪和線を調べると必ず歌が出てくる。(たとえば「また阪和線か!」や、「ハニワっていいな」とか)
#*むしろ信号故障や踏切遮断棒破損による遅延のほうが多い。
#*この前阪和線内の車両故障が原因で「くろしお」の天王寺到着が1時間近く遅れた。阪和線が止まると紀勢本線・関西空港線・大阪環状線・東海道本線など広範囲に影響が及ぶ。こんな路線こそ最新型車両を投入してほしい。
#*2009年、台風18号で関西鉄道各線のダイヤが混乱に陥る中、阪和線はなんと'''人身事故で運転見合わせ'''。
#**杉本町駅北の踏切ですね。これを機に「東側に改札を!」運動が起きた。
#*阪和線を使って移動計画を立てる場合、トラブルを見越して予定を立てないとやってられない。俺なんか日根野→鳴門という計画を立てたけど、岡山で2時間休憩時間を設定した。(何かがあっても調整できるように)さらに当日、予定していた時間より約1時間速く日根野を出発したよ。これぐらいやらないとやってられないので。
#*関空紀州路快速が天王寺駅7、8番線に入線することが稀にある。特に環状線が人身でストップしている時。
#**1番線に入線することもある。昭和の頃くろしおが発着したところ。かなり後ろにずれてるので、改札からかなり歩く。
#*朝に遅れると混み具合パない。さらに普通が6両→4両になったことがある。
#**4両になると途端に地獄絵図となる。普通を利用する阪和線の沿線住民が経験したことのない混雑が扉の向こうに待っている・・・
#*阪和線の遅延は'''仕様'''。
#**そりゃ、毎日のように折れる遮断棒とか、装備していればねぇ・・・。
#*就活で阪和線よく使ってましたが、阪和線が原因で遅れた事は一度も無かったです。環状線の影響で遅れた事なら2回ほどありましたが。
#**それは珍風景。日常的に5分は遅れる。乗客は感覚がマヒしてなんとも思わなくなってる。
#*久米田-下松間は最大の難所
#阪和線の遅れの影響が、関東の[[小田急電鉄]]にまで響いたという伝説があるらしい。
#*えっ!?一体なんでそんなことに!?(by小田急沿線住民)
#*阪和線大乱れで最終はるかが遅延→新大阪で接続する東海道新幹線が待ち合わせ→回復運転を図るも遅れを取り戻せず新横浜に到着→[[横浜線]]が遅れて発車→[[町田駅]]で接続する小田急最終が待ち合わせ、改札を開放して乗客を通す
#**これはすごい。
#**しかし、4路線とも[[西日本旅客鉄道|運]][[東海旅客鉄道|営]][[東日本旅客鉄道|会]][[小田急電鉄|社]]違うのに…よくここまでなったな。
#**その時点で怪しい。最終はるかは東海道新幹線に接続しないぞ
#***実際は最終1,2本前のはるからしいよ。
#*ソース無い。完全にガセ。新幹線は在来線のためにそんなに長く待たない
#**新幹線の場合、基本はそうだが最終列車の場合は20分まで待ってくれる。
#*有名な話だぞ?自分が知らないだけだろ
#**つかそんなに有名ならいつ何が起こったのかくらいは知ってるもんだろ。それなのに知らないっておかしくないか?
#**1996年3月15日までは最終はるかは東海道新幹線に接続していた。だから発生したのは関空開業から1996年までの約1年半の間という事になる。当時は今ほどネットも普及して無かったし、誰も正しい日付を覚えてないのも当然。
#*普通、遅れても他社同士の待ち合わせはしないよ。
#**JR在来線や大手私鉄の場合、終電のみ最大30分まで接続待ちをするという取り決めが結ばれている。
#*上記のパターンを超えて、東京メトロ千代田線や、JR常磐線にまで遅延をもたらしたこともあるらしい。
#**阪和線が乱れ、はるか(最終じゃない)が新大阪に大幅に遅れて到着→当駅始発のひかりが待ち合わせしたため、遅れて発車。→名古屋始発のこだまも待ち合わせで延発→本来とは異なるパターンで優等列車の待避とかをしたために、さらに遅れる→三島にて沼津行き各停が待ち合わせして延発→御殿場行き各停が待ち合わせ→あさぎり(上り最終)が待ち合わせで延発→単線の為、さらに遅延→遅れてるあさぎりは、無理やり小田急に入り、新百合ヶ丘に遅れて停車したため、多摩線から来る千代田線・常磐線直通の多摩急行が新百合手前で停止信号→千代田線に入っても遅れが取り戻せないどころか、遅延で客も集中してさらに遅れるため、後続の電車まで影響を受ける。→そのまま常磐線にも影響。
#[[ICOCA]]などのICカード全般ではなく、[[Suica]]しか使えない自動改札機が置いている駅がある。
#*ICOCAとPiTaPa相互利用開始後のりんくうタウン駅。もっともPiTaPaとSuicaの相互利用が始まればこの奇妙な改札はなくなるかも。
#**ICOCA・PiTaPaとの相互利用前は、ICOCA(Suica)専用改札機だった。現在は、Suica・toica専用改札機。
#***現在はこれにSUGOCAも加わった・・・が、これも上にある通りに10のICカード相互利用でなくなりそう。
#****全国IC相互利用化で南海でも全国10のICカードが使えるようになったため、やはり専用改札機は消滅しました。
#関空快速なんであんなに混んでるんだ!?そんなに空港利用客が多いのか!?
#*空港利用客が多いのではなくて、堺~泉佐野の泉州住民が多数乗ってるため。あと、座席の配置が2+1というのも混んでいるという印象を与えるのかも
#**8連2+1ってだけでまだマシ。
#*朝のラッシュ時は空港行きの通勤者が少ない電車に殺到する。そこに旅行シーズンの客が加わると阿鼻叫喚の地獄絵図完成。
#*俺は日根野近辺に住んでいて、よく大阪や天王寺に行く。行きはさほど混んでいないので関空・紀州路に乗ることもあるけど、帰りはわざと天王寺始発を選ぶ。そのほうが座れるから。
#阪急は目の敵にしてJR京都線・神戸線で必死になっているJR西であるが、南海に対しては阪和線の振り替え輸送で儲けさせてあげている。この温度差は何故だ?
#*いやいや、最近は南海さんに儲けさせて貰うことも多いですよ
#快速系統に乗って天王寺or上りの始発駅を出ると「普通との接続は~」と言うのは、JRではココだけでは。退避可能駅が多いからなんだろうけど。
#*阪和電気鉄道時代の名残?・・・なわけないか。
#*阪和線に限らず、普通との接続案内は大和路線や学研都市線でも行っている。
#*昭和の頃はそんな案内は、なかった。「次の駅で普通に連絡」とだけ。
#時刻表や、列車案内のLED表示を見ない乗客が非常に多い。安易に車掌に訊ねすぎやろ、と。
#*朝夕は眠くて、日中はスマホ画面の見過ぎで眼精疲労で、目が開かないのでは。
#*大阪人はデジタル嫌い、アナログ志向なところもあるし。
#関西空港線は独立路線名が付いているが、実質的には「阪和線空港支線」である。
#*加算運賃が設定されているため独立した路線名が与えられている。
#**南千歳-[[新千歳空港]]は千歳線の支線扱いなのに新千歳空港まで140円の加算運賃がありますが。
#*しかし最近は南北格差が激しいので、和歌山方面の方が「関西空港線和歌山支線」かもしれない。
#**横の[[南海本線|南海]]は既にそれに近い状態になってそう。
#2011年3月のダイヤ改正で関空・紀州路快速が1時間に3→4本に増発されるが紀州路快速の日根野~和歌山間が各駅停車に・・・。果たして南海本線に勝てるか。
#*JRも阪和間には力を入れていないみたい。南海にしても阪和間の速達列車は[[サザン (列車)|特急サザン]]が毎時2本だけだし。
#*JR完全敗北宣言の奈良県周辺よりはよっぽど力入ってますよ
#*長滝駅の隣の踏切で待ってたら紀州路快速が停車したから何だろうと思ったら、そういうことだったのか。普段電車に乗らないから知らなかった。
#正直、3列転換クロスでの混雑率140~160%って結構すごいですよね。 鳳からですら「乗れない」ことがある・・・
#*地図を見ればわかるけど、南海沿線よりはるかに広大な沿線面積。とくに和泉市・岸和田市。
#駅の自動放送や接近メロディが独特。
#*JR西の案内放送では「○番のりば」という呼び方で統一されているが、阪和線だけなぜか「○番線」と言う。
#*「熊取までの各駅と、ひ↑がし↓きし↑わだ」
#*中でも男声のアナウンスが強烈。ただし、なぜか2面2線の相対式ホームの駅でしか聞けない。
#**実は当時の男声は田尻敏明と片山光男が担当していた。
#*そんな独特な自動放送も、もうすぐ更新されて聞けなくなってしまう。
#**2013年9月から「○番のりば」と案内されるようになりました。
#**更新後は京都線や神戸線などと同じ村山明、よしいけいこのペアが担当している。
#列車の始発駅では、発車直後、流しノッチをするので「カコンッ!」と乾いた音が聞こえてくる。
#最近、信号トラブルが多発している。
#*昭和の頃は美章園駅付近によく雷が落ちた。
#現在は一部を除き和歌山で系統分離されているが、国鉄時代は天王寺~御坊・紀伊田辺間の快速も結構多かった。
#*しかも103系が天王寺~紀伊田辺間直通の快速に運用されていたことがある。(民営化後だが)
#*天王寺~紀伊田辺間は150kmを超えるロングラン。阪和線の快速区間よりも紀勢本線の各駅停車の区間の方がずっと長かった。
#大阪市内の高架化以前「阪和線の踏切を渡る」というだけで通勤手当が上乗せになっていた住吉区内の某会社があった(勿論高架化で取り止めになっている)。
#関空快速は快速だけれど関空~熊取の4駅は各駅停車。関空は終点、りんくうタウンは南海との接続駅、というか快速しか走らないのでしかたない。日根野は和歌山方面への分岐駅、紀州路快速との連結・切り離しを行うので仕方ない。熊取?あれは熊取町に京大の実験原子炉を置いたバーターで昔っから快速が止まることになっているのだよ。
#日本で初めて特急電車が走った路線。
#*特急「列車」ではなく特急「電車」という罠
#**開業当初から電化されていたから。
#*走っていたころは特急より(有料)準急がl格上だった。
#以前の放送はなぜか[[サザエさん|サザエさん]]の波平さんやタイコおばさんの声に聞こえてしまう。
#天王寺~美章園の上り線と下り線の間にビルを挟んでいる。
#国有化後、南海が11001系を特急に投入すると阪和線再分離運動の勃発を恐れて70系を慌てて快速に投入したことがある。
#*戦時買収私鉄に早期に新車が入るのは異例のことだった。
#*しかしカルダン駆動の高性能車である南海11001系に対して70系は釣り掛け式駆動の旧性能車…。この点ではまだ南海の方が上だった。
#空港輸送の関係上英語放送は元々あったが、近年韓国語と中国語が追加。ただしこれはJRの自発的改善ではない。
#*これは、紀州路快速側に誤乗する外国人があまりに多いことを見かねた一人の老人が、駅でデータ収集と誘導作業を積み重ね、JRに改善を求めた結果。
#*それよりも駅での放送をきちんとしたほうがいいと思う(関空・紀州路快速の英語版アナウンスは最後まで流れ切らない)。
#大阪市立大学の生協売店では杉本町の駅名標キーホルダーが販売されている。
#和泉鳥取駅を最寄り駅とする府立泉鳥取高校(いずとり)があるけど、昭和の頃ダイヤ改正で1度存在を失念されて朝の普通電車を1本消されたことがある。
#各駅のホームの東側西側(大阪市内は高架化前の)に、空き地がある。将来、快速停車駅を目指していた形跡では?
#*とくに怪しいのは、南田辺駅、鶴ヶ丘駅、我孫子町駅、百舌鳥駅、上野芝駅、富木駅、北信太駅、信太山駅、久米田駅。
#**上野芝駅にはこの空き地を利用して、快速退避設備を作った。
#立体交差(阪和線以外の鉄道や道路との)のダイナミックビュー地点といえば、やはり美章園駅上り出てすぐの近鉄南大阪線河堀口(こぼれぐち)駅かなあ。あまりの高さに圧倒される。
#*阪和線またぎ陸橋といえば、三国ヶ丘駅北方の中央環状線、北信太駅北方の有料道路、和泉府中駅北方のもの、熊取駅北方のもの。とくに三国ヶ丘駅北方のは道幅が広くてプチトンネルの雰囲気を味わえる。
#川を渡る橋といえば。
#*大和川。トレスがないので、少し怖い。
#*下りで紀ノ川を渡るのもいい雰囲気。ああいまから紀州路に入るんだなと感慨深い。
#*意外といいのが、津久野駅と上野芝駅の間にある石津川。建物がびっしりと建つ前は、蛇行しているのがよく見えた。
#*和泉府中駅と久米田駅の間の牛滝川は、けっこう川幅が広くて分流したり蛇行もしてるので荒々しい自然を満喫できる。
#車掌が「本日も阪和線を〜」とアナウンスすることが多いような気がする。「本日もJR西日本を〜」はあまり聞かない。
===羽衣支線===
[[ファイル:羽衣線.JPG|200px|thumb|東羽衣駅に入る103系電車]]
[[ファイル:New-hagoromosen.jpeg|200px|サムネイル|2018年からは225系に置き換え]]
#密かに高架路線だったりする。阪和国道(国道26号:片側3車線)を跨ぐ為。
#*1駅だけの支線だが、和田岬線みたいに鳳駅に東羽衣駅改札を作るような事はしてない
#*路線の立地といい、南海高師浜線とも似ているような気もする。向こうもほぼ全線が高架だし。
#*昭和の戦後の頃は、地上を走っていた。南海羽衣駅の改札(とくに下り)も地上だったので、乗り換えで歩くのが楽だった。
#鳳駅は、これがあるお陰で若干阪急塚口駅チック。
#*東羽衣駅もなんとなく阪急今津駅に似ている。
#**戦前もっと浜寺側に線路を伸ばしたかったそうだけど南海の妨害で実現できなかったらしい。
#*まだ建物が少なかった昭和の頃は、鳳から下りで電車が発車するとき同時に発車する羽衣線の電車の姿を見えなくなるまでずっと見送っていた。そのころは羽衣線の電車が高架上を走っていく姿が、下り電車から見えた。もちろん鳳に向かう上り電車からも、見えた。
#一時期[[国鉄の電車/近郊形#123系|123系]]が1両で使われていたことがある。
#*当時はラッシュ時は123系2両+103系の3両編成、昼間は123系1両で運転されていた。
#ダイヤは平日・土休日とも全く同じ。朝から晩まで15分間隔で電車が運行される。
#*1駅だけの単線路線で1列車しか入れないのでこれで精一杯なんだろう。
#2016年夏から阪和線の103系が新車に置き換えられるそうだが、こちらも新車に変わるのだろうか?
#*平成29年ごろから4両編成が入線するそうで。
#**ワンマン運転が継続するのかも気になるところ。
#*2018年3月改正で225系5100番台に置き換えられた。ワンマン運転も引き続き実施。
#*たった1駅の超短距離路線なのに転換クロスシートでしかもトイレ付きの車両を運用。何という贅沢…。
#実はここを走る車両は車内の中吊り広告が全くない。
#JRの路線網としては明らかに異質だが、やはり私鉄(阪和電鉄)だった名残なんだろうか。


==車両の噂==
===荒木大輔===
#車両が古い、がそれが幸いにも尼崎脱線事故の新型車両に置き換えることが無かった。
#1980年代初期に「大輔」の名前が流行ることはなく、松坂大輔の名前も変わっていた。
#*たとえ事故が無くても新車は殆ど入らない。何故なら「外様(元々は南海山手線という私鉄)」だから。
#*TBSのスポーツマンNo.1決定戦の総合ナンバー1の名前も何人か変わっていたかもしれない。
#**JR(国鉄)の成り立ちはかなりの割合で元は私鉄ですけど。
#*史実では1979年に1位になっているから多少は流行しても、史実より小さかったかも。
#**戦中と比較的遅く国鉄になったから外様、と言いたいのかと。実際、駅の構造とかを見ても他の路線と雰囲気がかなり異なる。
#***そんなことない。戦中に国鉄に買収され他方が国鉄路線の中では多い。(ただし、関西では、それが少ない)
#****そもそも官営の鉄道(鉄道省・国鉄等・現JR...)の主要幹線はほとんど元私鉄。山陽鉄道→山陽本線、日本鉄道→東北本線、京都鉄道・阪鶴鉄道→福知山線・山陰本線の一部・舞鶴線、関西鉄道→関西本線。これ多い。南海鉄道が買収されなかったのが謎とまで言われてる。
#*****南海鉄道買収計画は何度かあったが、買収価格の高さがネックとなって立ち消え
#*****但し、阪和線は南海鉄道になってから買収している。南海本線ではなくこちらが買収されたのは線形が良好だったから。
#******南海本線よりも、紀勢西線に接続しやすいからじゃなかったっけ?
#*近年になってまさかの「クハ103-1」が転属。しかも相方は「クハ103-2」。一体何をしているのか・・・。
#**山手線から大阪環状線に引っ越してきて、そして阪和線に。落ちぶれたものだ。
#**いつ引退するのか知らんが、引退後は交通科学博物館に行く予定。けどまだ数年は普通に見れそう、さすがJR。
#***JRでも束目本ならとうの昔に引退させてる。どうせ置き換えは走ルンですとかヨ233とかやろうけど。
#**このクハ103-1なる車輌は昭和39年5月28日に埼玉県蕨市の日本車輌製造東京支店にて生を受けた。
#***蕨の工場は既に閉鎖された。
#**その後、池袋電車区に新製配置され下十条、浦和、森之宮と各電車区を経て現在の日根野電車区へと来た。
#***下十条、浦和の時は京浜東北線を走っていたので塗装は今と同じスカイブルーだった。
#**クハ103-1、2とも東京オリンピックの頃に山手線をグルグル廻っていた車輌であるなんて登場からほぼ44年も経った今はもう誰も知らない。
#**しかもどちらも、延命N工事はされていない。他の更新はしているが。
#***でも新車が導入されないのは通勤型である。(通勤型で最後の新車は205系1000番台が最後)
#**阪和線のダイヤは関西のJR線でも有数の複雑さを誇る。こんな所に足の遅い103系を放置しているのはどうかしてる。JR神戸・京都線の改善が一通り終わったのだから次は阪和線に321系を投入してくれ。
#**そのクハ103ー1、クハ103ー2だが、そろそろ引退するらしい。
#***クハ103-1は[[近畿の博物館・美術館#京都鉄道博物館|博物館]]入りしました。
#*けど、古いなりに魅力はある。とくに103系の「区間快速」「快速」運用。モータ音が異常にうるさい。
#*吹田に長年留置されていたが、ついに京都鉄道博物館で展示される。だが車体色はオレンジ。
#関西で唯一205系が走っている。[[ファイル:205系0番台(杉本町).jpg|240px|thumb|阪和線に在籍した当時の205系0番台(207系色)]]
#*1000番台は阪和線生え抜き、0番台は京阪神緩行線からの転属車。
#*沿線住民は今でも205系を「新しい方の電車」と呼ぶ。
#*今は関西で“唯一”ではない。2011年3月から平日朝ラッシュ時の京都線で205系が復活した。
#**京都線の205系は2013年のダイヤ改正で運転終了決定。
#**そして、再び”唯一205系が走る路線”になった。
#**京都線から205系が舞い戻ったが、帯の色は京都線時代と同じ紺とオレンジのツートン。見ようによっては[[南海電気鉄道|ライバル会社]]の車両にも見える。
#*2018年のダイヤ改正をもって205系も運用終了。撤退後は奈良線に転属した。
#新車導入&所要時間短縮について南海本線と協定を結んでいるとの噂。
#*あー、快速が天王寺ー和歌山間1時間以上かかるのはそのためか?以前は50分くらいだった。
#**JR西は阪急と並行する路線には全力投球するが、それ以外の路線は手を抜いている。というより、阪和間は京阪神間と比べてずっと需要が低いので改善がどうしても後回しになる。
#*あんまり手抜き状態が続くと利用客も怒りそう・・・。
#*なんか、ちょっとしたカルテル疑惑だな
#223系がはじめに投入された路線だということは忘れ去られている。
#*新快速のほうがインパクト大。
#**2008年3月のダイヤ改正で223系が大量投入。221系と113系が撤退します
#***221系撤退…マジで? 113系はB快速しか記憶にないな。
#****221系、大阪近郊から追い出し作戦開始か・・・
#*****でも[[湖西線]]に復活してきたんだけど。
#***221系は2010年3月現在元気に走ってる。
#****225系の登場で、阪和線から221系撤退。
#***ここで走っていた221系は奈良電車区の所属だった。ちなみに日根野に221系はいなかった。
#*103なんて恥ずかしくて空港へ入れられないもんだから仕方なく
#*223系が全編成、4両化された。そのため0番台と2500番台の混結編成が誕生した。
#**編成美はかなり崩れている。
#***要は0番台の時点で4両編成で作るべきだったんですね、わかります。(6+2(94年登場当時)→5+3(99年)→4+4(07年)といった形で編成組み換えが行われた為、電動車が不足する等の問題が生じた)
#*チャイムもショボくなった。まァ、前のヤツはミョーに響いてたけど。
#**英語アナウンスは、前以上に日本語っぽくなって違和感を感じるようになった。[[画像:阪和色113系.jpg|240px|thumb|2012年に引退した113系]]
#113系には阪和線専用カラーがある。(白に緑っぽい青のライン、昔は白に赤ラインの関西線仕様もあった)
#*阪和線色は一回消滅したが、その後突如として復活。何を考えているんだ西。
#**2012年3月にも再消滅することになったとか。ただし、'''他路線へ転用'''するらしい。
#***國鐡廣島で末期色。そしてガムテープ補強の運命か…
#***行先は広島ではなく岡山でした。
#*113系阪和線色の帯に使われてたのは青22号で、同線を走ってた103系と同じスカイブルーなのだが、どう見ても色合いが違う。
#**実際は吹田工場が特別に調合して作った色で、「青22号帯用特色」と呼ばれる。
#***本来の青22号では、地色の灰色8号と釣り合わないから、濃い青緑にしたんだとか。
#***この帯用特色は113系以外だと、国鉄時代に153系新快速色で使われただけ…なんて贅沢な!
#****そもそも113系阪和線色は、同線で新快速が設定された時に、東海道本線を走る153系新快速色に倣って塗装されたのが由来。
#阪和電鉄時代の南海との張り合い方は異常だったらしい。羽衣支線でからの海水浴客を妨害するために南海が踏み切りを開かないようにしたら阪和の社員がすっ飛んできて殴り合いになったとか。その後戦時統合で南海の支線になり、それ以来不遇の扱いを受け続ける阪和線。
#なんと225系が116両(本線よりも多い)も投入されることが公式で決まった。[[ファイル:Jr225-5110-local.jpg|240px|サムネイル|普通電車まで225系]]
#*事故多発路線だから新車を試すには最適の路線なんじゃないかな…JR西も新車の安全性をアピールしていきたいだろうし。
#**さっそく2012年1月18日、軽トラと衝突。
#*103系/205系のラッシュ時快速運用を置き換えるみたいだが・・・3扉クロスシートで4扉ロングシートを置き換えて大丈夫なのだろうか、ただでさえダダ混みなのに。
#*3扉クロスシートの223系、225系は座席配列2+1で通路が広いですが何か?
#アーバンネットワークに内包されているにも関わらず、車両の扱いが悪い。
#*223系を最初に投入してもらったと思いきや113系体質改善車の投入対象から外れる、普通列車は他線から転属してきた103系の使い回しで、207系や321系すら入れてもらえない・・・。<!--225系で205・103系の置き換えがダメなのかは微妙--->
#**113系体質改善車なら入っていましたが。色は阪和線オリジナルではなく他線と同一のブラウン系だった。
#**入ってはいたのだが、導入は一番後回し。しかも他所の未更新車と強制交換されたり、半自動ドアボタン撤去など随分扱いが悪かった。
#*JR西日本は基本的にJR京都・神戸線優先。新車は必ずこちらに入り、そこから余った車両が他線に転用される。
#*それにしても201系すら入らなかった阪和線って…。
#**回生ブレーキでは府県境の雄ノ山峠を上下するのに不安があるらしい。
#***223・225系も回生ブレーキ装備ですが…。
#***どうも201系はチョッパ制御故に癖があるらしい(奈良線にも投入されていないし)。
#長年103系の墓場的な扱いを受けていたこの線だったが2015年5月、122両の新車が導入されることが発表された。
#*103系をまさかの225系で置き換え。置き換えが完了すれば、快速から各駅停車まで全て転換クロスシートの3扉車となる。車両の共通化で遅延対策や走行距離の均一化を図るつもりなのだろう。
#**何という贅沢な路線だ…。
#***しかもたった1駅の羽衣線まで。
#**最近はロングシートしか造らず、転換クロスシートの811系やキハ200系でさえリニューアルと称してロングに改造しまくっている[[九州旅客鉄道|JR九州]]とは全く正反対。JR九州も西日本の阪和線を少しは見習えよと云いたい。
#***一方和歌山線の227系はオールロングシート…。
#*103系だけでなく205系も置き換え対象に。103系は全廃か。205系は恐らく奈良電車区へ転出すると思われる(6両→大和路線・おおさか東線、4両→奈良線へ?)。
#**6連だった0番台も4連化され奈良線に投入されました。
#103系と205系の撤退によって、旧国電区間でかつ電車特定区間なのにも関わらず通勤型車両が一切乗り入れなくなるという事態に…
#*225系5100番台は実質通勤型車両といっていい。
#*大阪市内区間は御堂筋線・谷町線など地下鉄が充実してそちらにも利用客が分散しているので、かつてのような厳しい混雑がなくなったことも原因。
#381系も既にいなくなり国鉄型車両はすべて撤退する…と思ったが、紀勢線の113系が残るのなら日根野-和歌山間はその対象外ということになりそう。
#*そちらももう時期227系が和歌山線や桜井線に入るから共通で227系になりそうやな
#*その運用は113系が潰されたと同時に和歌山で分断された。


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===イチロー===
*'''[[天王寺駅・大阪阿部野橋駅|天王寺]]''' - <small>美章園</small> - [[大阪市の駅#南田辺駅の噂|<small>南田辺</small>]] - <small>[[大阪市の駅#鶴ヶ丘駅の噂|鶴ヶ丘]]</small> - [[大阪市の駅#長居駅の噂|<small>長居</small>]] - <small>我孫子町</small> - [[大阪市の駅#杉本町駅の噂|<small>杉本町</small>]] - [[堺市の駅#浅香駅の噂|浅香]] - '''[[堺市の駅#堺市駅の噂|堺市]]''' - '''[[堺市の駅#三国ヶ丘駅の噂|三国ヶ丘]]''' - [[堺市の駅#百舌鳥駅の噂|<small>百舌鳥</small>]] - [[堺市の駅#上野芝駅の噂|上野芝]] - [[堺市の駅#津久野駅の噂|津久野]] - '''[[堺市の駅#鳳駅の噂|鳳]]''' - [[大阪の駅/和泉#富木駅の噂|富木]] - [[大阪の駅/和泉#北信太駅の噂|北信太]] - 信太山 - '''[[大阪の駅/和泉#和泉府中駅の噂|和泉府中]]''' - [[大阪の駅/和泉#久米田駅の噂|久米田]] - [[大阪の駅/和泉#下松駅の噂|下松]] - [[大阪の駅/和泉#東岸和田駅の噂|'''東岸和田''']] - 東貝塚 - 和泉橋本 - 東佐野 - '''熊取''' - [[大阪の駅/和泉#日根野駅の噂|'''日根野''']] - ([[大阪の駅/和泉#長滝駅の噂|長滝]]) - (新家) - '''[[大阪の駅/和泉#和泉砂川駅の噂|和泉砂川]]''' - [[大阪の駅/和泉#和泉鳥取駅の噂|和泉鳥取]] - (山中渓) - '''[[和歌山の駅#紀伊駅の噂|紀伊]]''' - '''六十谷''' - ([[和歌山の駅#紀伊中ノ島駅の噂|紀伊中ノ島]]) - '''[[和歌山駅|和歌山]]'''
#ニコニコ動画で「イチローのレーザービームで人類滅亡」なる動画が投稿される事はなかった。
**'''太字'''は快速停車駅(関空・紀州路快速含む)
#オリックスの1995~96年のリーグ優勝やWBC日本代表の優勝もおそらくなかった。
**小文字は普通のみの停車駅
#*オリックスのBクラス転落も史実より早まっていた。
**()はB快速・日中の紀州路快速停車
#ニッチローは有名にならなかった。
;関西空港線
#福島弓子は栗山英樹と結婚していた。
*日根野 - [[大阪の駅/和泉#りんくうタウン駅の噂|りんくうタウン]] - 関西空港
#NPBにおける最多安打のタイトル制定もなかったか、遅れていた。
**すべて関空快速停車駅
;羽衣支線
*鳳 - [[大阪の駅/和泉#東羽衣駅の噂|東羽衣]]


==関連項目==
===岩瀬仁紀===
*[[関西国際空港連絡橋]]
#中日の抑えピッチャーは世代交代が史実以上に激しかった。
{{西日本旅客鉄道}}
#2007年日本シリーズの第5戦で、山井大介が6回で降板したのはおそらく史実通り。
{{DEFAULTSORT:はんわせん}}
 
[[Category:西日本旅客鉄道の鉄道路線]]
===王貞治===
[[Category:大阪の鉄道]]
#巨人のV9はなかった。
[[Category:和歌山の鉄道]]
#*それどころか戦後日本のプロ野球史が大きく変っていた。
[[Category:関西国際空港|かんさいくうこうせん]]
#ホームラン最多記録は2017年現在でもベーブ・ルースの755本のまま。
[[Category:空港アクセス鉄道|かんさいくうこうせん]]
#国民栄誉賞は設立されなかった。
#当然「王シフト」なんてものはない。
#荒川博の知名度が史実より低くなっていた。
#王シュレット事件も起きなかった。
#「ON砲」や「OH砲」はなかった。
#現在のソフトバンク球団会長はいったい誰になっていたのやら・・・
#*それ以前にダイエーホークスの黄金時代もなかったか遅れている。
 
===落合博満===
#日本プロ野球で三冠王になった選手は王貞治以降、バースと松中信彦のみとなっていた。
#近藤貞雄の監督退任後、中日が長きにわたってBクラスor最下位の常連になっていた。
#*史実通り星野仙一が監督になっても、あれだけの実績を上げることはできなかっただろう。
#*もっともロッテはこの段階でBクラスの常連だったので、それほど変わらず。
#駒田徳広は巨人で現役生活を終えていたかもしれない。
#*ただし中畑清との確執もあっただけに、いずれはFA宣言して出ていった可能性もあっただろうけど。
#*井端弘和も巨人に移籍することはなかった。中日で現役生活を終えていたかも。
#当然、落合福嗣も生まれていなかっただろう。
 
===清原和博===
 
清原選手は小学生の時に好奇心から車に飛び込んだらしいです。しかし、その際は無傷で助かっています(男道にそういう記述あり)。もしこの際、打ち所が悪く{{あきまへん}}してしまったら。
 
#KKコンビもない。
#*学年が違うが「桑田+金本」という可能性もあるかもしれない。
#*kkコンビにまつわる事柄がすべてなかったことになる。
#**『幽☆遊☆白書』の桑原和真も別の名前になっていた。
#***名前の由来の一つがおまじないの「くわばらくわばら」だからどっち道苗字は桑原になってたんじゃないの?原辰徳と桑田で「桑原辰真」とかになってたかも。
#****そもそも桑原和真の名前の由来はおまじないの「くわばらくわばら」が先で「漢字を当ててみたら偶然KKコンビから一字ずつもらった形になったため、名前の方ももらった」らしいのでKKコンビが存在しなかった場合、下の名前は球界とは全く関係ないところから取られてたんじゃないの?
#西武の黄金期にも影響を与えていた。
#*秋山幸二はパワーヒッターのままだった。
#*下手すれば史実より優勝回数が減っていたかもしれない。
#落合は96年オフに巨人から日ハムに移籍する事はなく、98年に巨人で現役を終えた。
#*あるいは97年オフに別のチームに移籍して現役を終えた。
#河合じゅんじの「かっとばせ!キヨハラくん」は存在せず、本来キヨハラくんのスピンオフであったクワタくんシリーズがメインとなって連載されていた。
#「ドカベンプロ野球編」は存在しなかったか、連載開始時期が遅れていた。
#[[もしあのプロ野球選手が現実以上に活躍していたら/は~わ行#元木大介|元木大介はレギュラーに定着していた。]]
 
===沢村栄治===
#沢村賞の名前が違うのは確実。もしかしたらその賞自体がなかったかも。
#日本プロ野球初のノーヒットノーラン達成者はヴィクトル・スタルヒンになっていた。
 
===多田野数人===
#[[もしあのプロ野球選手が○○だったら#多田野数人|ここ]]に書いてあることが現実になっていた。
#立教大学は未だ野球弱小高のまま。
#「右の多田野、左の和田」という言葉は「右の(別の選手)、左の和田」になっていた。
 
===田中将大===
#シーズン24連勝する投手は存在しない。
#*過去の数々の連勝記録も更新されず。
#**いまだに「シーズン無敗・勝率10割の選手」といえば間柴茂有ただ一人。
#楽天は2007年以降も最下位が続き、未だにクライマックスシリーズ出場なしだった。
#*そのため2007年以降のドラフトでは目玉投手を積極的に取りに行っていた。
#**大谷翔平の強行指名も決行したかもしれない。
#*2013年の優勝もなかっただろう。
#駒大苫小牧高校は2004年の優勝のみの一発屋に終わっていた。
#*2005年・2006年も史実通りの成績なら2004年同様打力のチームと言われていた。
#**それでも、駒大岩見沢高校は閉校していたと思う。
#斎藤佑樹の知名度も少し下がっていた。
#*むしろ上がっており、プロ入り後も史実以上に活躍していた。
#**でも、2006年夏の甲子園は多くの人々の記憶には残らなかったかもしれない。
#*大学進学しなかったかもしれない。
#1988年度生まれのプロ野球選手が黄金世代になることはなかった。
#*1987年、1989年度生まれは実際より豊作の世代と言われていた。
#*前田健太が史実と同じかそれ以上の活躍をしていれば1988年度生まれは「前田世代」と呼ばれていた。
#**あるいは現在でも「ハンカチ世代」と呼ばれていた。
#里田まいは芸能人と結婚し、結婚後も積極的に芸能活動を行っていた。
 
===長嶋茂雄===
#宮武三郎の東京六大学ホームラン記録は田淵幸一が更新していた。
#*立教大学野球部も史実より地味なままだった。
#巨人どころか日本プロ野球の歴史が大きく変わっていた。
#*巨人のV9もなかった。
#1980年の読売新聞不買運動も起きなかった。
#徳光和夫は大下弘のファンだったので、大下の母校である明治大学に進学していた。
#*卒業後は在福局のアナウンサーか西鉄グループに就職した。
#長嶋一茂も生まれていないため、例の落書き騒動もなかった。
#トライアスロンの日本での普及も遅れていたかもしれない。
#2004年アテネ五輪では、最初から中畑清が監督だった。
 
===野村克也===
#南海ホークスの凋落は史実よりも早まっていた。
#*下手すると70年代にはどこかに身売りしてたか、最悪合併していた。
#戦後初の三冠王は王貞治。
#日本プロ野球におけるクイックやリード等の戦術の進歩が史実よりも遅れた。
#90年代ヤクルトは黄金期を迎える事は無く、古田の通算成績や評価も史実より低かった。
#監督にもよるが、長嶋一茂は出場試合や通算成績が増加していた可能性も。
#阪神の暗黒時代からの脱却が遅れていたかも。
#*楽天の強化も。
 
===原貢===
#三池工業、東海大相模の強豪化はなく、高校野球の歴史が変わっていた。
#*東海大学及び首都大学野球連盟も地味なまま。
#*2015年夏の甲子園は仙台育英が東北勢初の優勝を果たしていたかも。
#当然、原辰徳や菅野智之もいないので、80年代以降の巨人の歴史もまた変わっていた。
#*長嶋茂雄(第2次)の後を受けて巨人の監督に就任したのはおそらく中畑清。
#*2000年代以降巨人は低迷期を迎えたかも。
 
===張本勲===
彼は5歳の時に広島で原爆に遭っています。もしこの時居場所が悪くて×××しまっていたら
 
#当然3000本安打の達成はなく、日本プロ野球にとっての悲願になり続けた。
#*イチローの日米通算3000本安打が史実よりも大々的に取り上げられた。
#同じ在日韓国人の金村義明や金本知憲などが自分が在日韓国人であることを公表することができなかったかもしれない。
#落合博満は史実よりも注目されなかった。
#*山内一弘や金田正一などの言っていることを真に受けてフォーム改造とかに走り出していたら落合の引退も早まっていたかもしれない。
#「サンデーモーニング」の週刊御意見番の論者も変わっていた。
#*江川紹子とのトラブルも起きなかった。
 
===ベーブ・ルース===
#メジャーリーグの勢力図は大きく変わっていた。
#*野球の知名度が低かったままの可能性も。
#**むしろ、クリケットが日米を含めた世界的なスポーツになっている。
#・・・と思ったが、野球の神が名実ともにルー・ゲーリックに変わっただけだったかもしれない。若くして亡くなった分、こっちのほうが分が上がる。
#*少なくともレッドソックスのジンクスはなくなる。
#ヤンキースが強豪になる事はなかった。
 
===星野仙一===
#1970年代の中日は成績が低迷し、巨人はV10を達成していた。
#*与那嶺監督の退任も早まっていた。
#**もしかしたら与那嶺監督は退任後他のチームのコーチにならず、ハワイに帰国してたかも。
#*川上監督の任期も延び、長嶋茂雄の引退も遅れていた。
#近藤監督も優勝を果たせなかったかもしれない。
#*その場合、大洋や日本ハムの監督にならなかったかも。
#1980年代の中日は山内一弘以外にも外様監督を招聘してた可能性も。
#*根本陸夫かドン・ブレイザーあたりが就任してたかも。
#4対1のトレードで落合博満が中日に来ることはなかった。
#*その場合、当然落合は中日の監督に就任することはなかった。
#**牛島が横浜の監督にならず、中日の監督になってたかも。
#**2004年以降も中日は暗黒時代が続き、身売りされてた可能性も。
#*落合はこの時点で巨人入りしていた。
#平成以降の中日の監督は主に高木、木俣が務めていた。
#高代延博、山田久志が中日のコーチになることはなかった。
#*従って山田久志が中日の監督になることはなかった。
#*高代は三村監督の退任後も広島のコーチを続投し、広島の監督に就任していたかもしれない。
#2011年の楽天の監督には桑田真澄が就任していた。
#*その場合、清原和博は楽天のコーチになってたかも。
#当然中日だけでなく阪神にも影響が出る。→[[もし星野仙一が阪神の監督に就任しなかったら]]を参照。
 
===松井秀喜===
#1993年以降の巨人の優勝回数が大きく減っていた。
#*史実以上にセ・リーグはヤクルトの天下になっていた。
#日本人メジャーリーガーのワールドシリーズMVPは未だに出ていない。
#当然ながら、あの5打席連続敬遠は無かった。
#*馬淵史郎にダーティーなイメージは根付いておらず、純粋に高校野球界の名将として名声を得ていた。
#1992年のドラフトではバルセロナ五輪代表組が更に注目を浴びた。
#*伊藤智仁を指名する球団が増えていた。
#河合じゅんじの「ゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくん」は存在せず、「かっとばせ!キヨハラくん」の連載が長くなっていたか、イチローが主役の作品がキヨハラくんの後継になっていた。
#石川県出身の有名人の顔ぶれが地味になっていた。
#石川県はいまだに野球不毛の地と言われていた。
#星稜高校と言えば現実以上に本田圭佑の母校というイメージが強くなっていた。
#『地獄先生ぬ~べ~』に松井さんという変な顔の女子児童が登場することもなかった。
 
===松坂大輔===
#1980年度生まれのプロ野球選手が「松坂世代」と呼ばれて黄金世代になることはなかった。
#*1981年度生まれが黄金世代になっていた。
#1981年~1997年ごろの横浜高校の低迷期がもう少し続いていた。
#*場合によってはそのまま弱小に成り下がった可能性も。
#史実通り横浜高校が1998年の甲子園で春夏連覇していたら、打力のチームと言われていた。
#*あるいは対戦相手の京都成章高校が京都勢42年ぶりの夏優勝を果たしていた。
#史実通りアナウンサーになっても(仮にプロへ行っても)、上重聡の知名度は今よりも若干低かった。
#1999年以降の西武ライオンズに関しては、観客動員数が若干少なくなるのを除けば史実とあまり変わらない。
 
===森祇晶(森昌彦)===
#それでも巨人はV9を達成していただろうが、1、2回くらいは日本一を逃す年があったかもしれない。
#「背番号27=捕手の背番号」のイメージは現実ほど強くなっていなかった。
#*古田敦也は野村克也の現役時代と同じ背番号19をつけていたかも。
#80年代後半~90年代の西武の優勝回数が減り、代わりに近鉄や阪急→オリックスの優勝回数が増えていた。
#*ライオンズの通算優勝回数は平成時代のうちにホークスに再逆転されていた。
#*日本ハムも同様。よって、東京ドーム時代は一度もリーグ優勝を経験できなかったと言われる事はなかった。
#*もしかすると史実の西武に代わって、近鉄か阪急→オリックスが黄金時代を迎えていたかもしれない。
#2001年以降の横浜ベイスターズに関しては現実とほとんど変わらない。
 
==サッカー==
===澤穂希===
#女子サッカーが日本で人気になることはなく、[[もしあの国がサッカー弱小国だったら#日本_2|これ]]の一部が現実化していた。
#アメリカ代表のワンバックの日本での知名度は下がっていた。
#史実通り2011年の女子ワールドカップで日本が優勝していたら、MVPとその年のバロンドールは宮間あやが受賞していた。
#東京オリンピックの招致活動も別の人がやっていた。
 
===中村憲剛===
#伊藤宏樹の引退は数年ほど前後していた。
#大久保嘉人や小林悠も史実以上の活躍を残せていなかった。
#川崎フロンターレは4年連続でタイトルを獲得できるほどの強豪チームになっていなかった。
 
===楢崎正剛===
#2010年の名古屋のJ1優勝はなかった。
#*仮に優勝していたとしても、MVPは闘莉王になっていた。
#日本代表で楢崎が出場した77試合のうち、半数は川口能活が出場し、残り半数は曽ヶ端準や都築龍太あたりが出場していた。
 
===長谷川健太===
# 「清水東三羽烏」 は別の人が入っていたか、その組み合わせ自体がなかったかも。
#2005年から2010年の清水エスパルスは史実よりも低迷していた。
#2014年のガンバ大阪の三冠はなかった。
 
===三浦知良===
#1980年代に日本人サッカー選手の海外留学が注目されることはなかった。
#*野茂英雄のメジャーリーグ挑戦がさらに注目されていたかもしれない。
#「カズ」の愛称はなかったか、別の選手のものになっていた。
#1998年のワールドカップでは三浦知良の代わりに別の選手が代表から外され、別の「外れるのは○○」が流行した。
#「三浦かずよし」といえば山梨県出身の実業家のことだった。
#設楽りさ子は芸能人と結婚し、芸能活動は結婚後も積極的だった。
 
==大相撲==
===琴風豪規===
元大関琴風は生後すぐ黄疸にかかり命が危なくなったがあったという。
#がぶり寄りを武器にする力士が長く現れなかった。
#千代の富士の関脇昇進は早まっただろうが、苦手意識払拭のための稽古がなかったので史実ほどの大横綱になれたか疑わしい。
#尾車部屋も創設されず豪風や嘉風らは別の部屋に入門していた。
#大関空位の場所がもう1つ増える。
 
===大鵬幸喜===
#柏戸は少なくとも10回は優勝できた(史実では5回)。
#一代年寄という制度は設けられなかった。
#白鵬には違う四股名が付けられていた。
#何らかの事情で日本に引き揚げることができず樺太に残留した場合は、サンボかレスリング、柔道の選手として活躍したかも。
#当然ながら「巨人、大鵬、卵焼き」という言葉は存在しない。
 
===貴乃花光司===
#若貴ブームという言葉はなく、若乃花勝が曙のライバルとして90年代の大相撲人気を牽引していた。
#若乃花が引退後に程なくして廃業しなかった場合、父の二子山部屋を継いでいた。
#上記の場合、次代の理事長候補は当然若乃花。
#宮沢りえの芸能活動にも影響を与えていただろう。
#河野景子は「家なき子」出演以降は女優に転向していたかもしれない。
 
===稀勢の里寛===
#琴奨菊が稀勢の里の代わりにマスコミにごり押しされていた。
#高安は少なくとも大関にはならなかった。関取になれたかどうかも怪しい。
#隆の鶴の親方としての無能さがまことしやかに囁かれることも無かった。
#史実より二所ノ関一門がもっとまとまりを欠いていた。
 
===白鵬翔===
#2010年代の大相撲人気は史実より低かった。
#*同時期に63連勝した力士がいなければ尚更。
#琴奨菊か把瑠都あたりが横綱に昇進できた。
 
===力道山===
#日本でプロレスがメジャーになることはなかった。
#*プロレスから派生した様々な格闘技も誕生していない。
#テレビの普及は史実より少し遅れていた。
#二所ノ関一門がここまでの大勢力にならなかった。
#1950年代に撮影された相撲のカラー映像は存在しない。
#声優・[[小山力也ファン|小山力也]]の名前が変わっていた。
 
==テニス==
===マリア・シャラポワ===
#2020年現在の日本における有名なロシア女子スポーツ選手といえば満場一致でザギトワ。
#*あるいはシャラポワのブレイク前に「妖精」と呼ばれていたアンナ・クルニコワの知名度が上がっていた。
#女子テニスにおける「妖精」の称号はいったい誰になっていただろうか。
 
===マルチナ・ナブラチロワ===
#マルチナ・ヒンギスの名前は変わっていた。
#*「マルチナという有名テニス選手で誰を連想するか」という設問が成立しなかった。
 
===松岡修造===
#ニコ動でのネタが一つ減った。
#*裏御三家といえば、レスリング・淫夢・エア本だった。
#*レスリング・浜崎順平・エア本でもありかも。
#錦織圭は史実通りテニス選手にはなってただろうが、そこまで活躍できなかったのではかと。
#日本人テニス選手にとってウィンブルドンのセンターコートは遠い存在と思われていた。
#『まいにち、修造!』が出版されないため、日めくりカレンダーは2015年以後も有名人の名言ものではなく、脳トレものに人気が集中していた。
#『[[斉木楠雄のΨ難]]』の灰呂杵志の設定が変わっていた。
#'''地球は氷河期に突入していた。'''
 
==バスケットボール==
===マイケル・ジョーダン===
バスケットボールの神、NBAの歴史を変えたといわれるマイケル・ジョーダンが生まれていなかったとしたら、NBAはどのようになっていたかを検証してみる。
#デトロイト・ピストンズ、ニューヨーク・ニックス、アトランタ・ホークス、ユタ・ジャズ、サンアントニオ・スパーズ、ヒューストン・ロケッツ、フェニックス・サンズなどのチームが覇権を争う群雄割拠の時代になっていた。
#デニス・ロッドマンのブルズ移籍が早まっていた。
#[[シカゴ]]の有名スポーツ選手といえばサミー・ソーサだった。
#*もしくはブライアン・アーラッカー(NFLシカゴ・ベアーズ)。
#ロス五輪でアメリカは金メダル獲れなかったかもしれない。
#バスケの神と言えば今もカリーム・アブドゥル=ジャバーだった。
#NBA選手の国籍が多様化することはなかった。
#MJという著名人と言えば満場一致でマイケル・ジャクソン。
 
===中村和雄===
#長崎女子高校の強豪化はなく、高校女子バスケの勢力図も変わっていた。
#共同石油(現:JX-ENEOSサンフラワーズ)も日本リーグ(現:Wリーグ)に上がれても常勝チームとは行かず、20世紀のうちに廃部されたかもしれない。
#オーエスジーフェニックス(現:浜松・東三河フェニックス)のbjリーグ→Bリーグ参加もなかったかもしれない。
#渋谷バスケットボールストリートのモニュメントも違う人の言葉が刻まれていた。
 
==ボクシング==
===モハメド・アリ===
#ソニー・リストンの時代はもっと長く続いていただろう。
#ジョージ・フォアマンは史実より地味な存在だったかもしれない。
#*キンシャサの知名度も下がっていた。
#**キンシャサノキセキも違う馬名になっていた。
#アントニオ猪木の(少なくともアメリカでの)知名度が下がっていた。
#*総合格闘技というジャンルも成立しなかった可能性がある。
#*中邑真輔のフィニッシュホールドも違う名前になっていた。
#カシアス内藤のリングネームも変わっていた。
#*モハネド・ヨネも。
#アトランタ五輪の最終聖火ランナーも別の人物になっていた。
 
===大橋秀行===
#昭和末期から平成初頭の日本人世界チャンピオン不在の暗黒期がより長く続いていた。
#リカルド・ロペスの日本での知名度は下がっていた。
#川嶋勝重や八重樫東らはヨネクラジムでプロになっていた。
#*井上尚弥はリオ五輪を目指し、その後は父のジムがプロ加盟して転向していた。
#*宮尾綾香は協栄かワタナベ辺りに移籍。
 
===亀田史郎===
#当然亀田兄弟も存在しないことになる。日本のボクシング界は静かなものになっていただろう。
#*その代わり井岡一法(井岡弘樹の兄で一翔の父)が暴走したかもしれない。
#**赤井英和や井岡一家の活躍と存在感次第では、大阪市西成区はボクサーの町として有名にならなかったかも。
#*協栄ジムも図に乗りかねない。
#*帝拳ジムも史実以上に叩かれていた。
#内藤大助は今より少し地味な存在だったかもしれない。
#*坂田健史も協栄ジムの後継者に指名されなかったかもしれない。
#亀田問題そのものが存在しないのでやくみつるはおとなしくなる。
#ボクシング界で亀田と言えばいまだに亀田昭雄を指していた。
 
==ラグビー==
===清宮克幸===
#21世紀に入っての早大及びサントリーの復活はなかったかもしれない。
#ヤマハ発動機の躍進もなかった。
#五郎丸歩も史実ほどの活躍ができず、おそらくブライトンの奇跡もなかった。
#清宮幸太郎も生まれていないので、2015年の高校野球に対する世間の注目度も下がっていた。
#*オコエか小笠原に注目が振り分けられていたのではなかろうか。
 
===五郎丸歩===
#2015年ラグビーワールドカップで日本代表が歴史的勝利を挙げることはなかったかも。
#当然、○郎丸姓が脚光を浴びることもなかった。
#*阪神ファンが昔のドラフトのトラウマを掘り返す事もなかっただろう。
 
==フィギュアスケート==
===荒川静香===
#トリノ五輪で日本はメダル0に終わっていた。
#*それを気に強化が行われ、その反動でバンクーバー五輪では金を獲得できたかもしれない。
 
===アリーナ・ザギトワ===
#2020年現在でも日本における有名なロシア人女子スポーツ選手といえばマリア・シャラポワ。
#*もしくはエフゲニア・メドベージェワの知名度が上がり、平昌五輪で金メダルを獲得していた。
#エテリ・トゥトベリーゼの知名度が上がる事はなかった。
 
===エテリ・トゥトベリーゼ===
#2020年現在の女子フィギュアスケートにおける低年齢化は起きなかった。
#*よってジュニアからシニアへの年齢引き上げは議論されていない。
#女子の4回転時代突入も遅れていた。
#ザギトワやメドベージェワのコーチが変わっていた。
#*というより現実でエテリの門下生になった選手は別のコーチの元へ入っていた。
#自国開催のソチ五輪でアデリナ・ソトニコワが金を獲得したので女子フィギュアでのロシアの強豪化は現実通りであるが、一人のコーチの選手達が幅を利かせる事はなかった。
 
===羽生結弦===
#ソチ、平昌五輪の男性シングルの金メダリストが変わっていた。
#*平成生まれ初の金メダリストはリオで獲得した萩野公介になっていた。
#羽生姓の国民栄誉賞受賞者と言えば満場一致で羽生善治。
#男性フィギュアでの日本の強豪化はなかったかも。
 
==その他==
===ランス・アームストロング===
#ヤン・ウルリッヒがツールドフランスで5回優勝し、「5勝クラブ」の一人になる。
#ディスカバリーチームは存在しない
#グレッグ・レモンの米国内での名声は更に大きくなる
#ドーピング問題はもっと早く露見していた
#トレックのロード自転車は今ほどメジャーにならなかった
#SPD-SLペダルは開発されず、現在もSPD-Rが生産されている。
 
=== アリーナ・カバエワ ===
#アリーナ・ザギトワの名前は変わっていた。
#新体操が現実ほど柔軟さを求められる事はなかった。
#プーチン大統領の愛人は誰になっていただろうか…。
 
===蝶野正洋===
#当然のこと、「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」での年越しスペシャル「笑ってはいけないシリーズ」で月亭方正のビンタはない。
#*DVDネタも存在せず、ココリコの田中直樹のタイキックもなかったかもしれない。
#アントニオ猪木の弟子が別のプロレスラーになっていたかも。
# 「ちょうの」 といえば長野久義を連想する人が多かった。
 
===マッハ文朱===
#女子プロレスは「お色気」目当ての中年男性向けというイメージが変わることはなく、ブームは発生しなかった。
#*試合会場に少女たちが殺到することはなかった。
#*女子プロレス自体存続していなかったかも。
#レスラー志願の少女もほとんどいないので、ビューティー・ペア以降の女子レスラーの大半はプロレス界に入っていない。
 
===室伏重信===
#息子の広治、娘の由佳も生まれていないため、日本では投てき、特にハンマー投げで世界と戦える選手は皆無だった。
 
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2021年7月30日 (金) 15:05時点における版

野球

荒川博

  1. 王貞治は一本足打法を生み出せなかった。
    • 巨人のV9もおそらくなかった。
  2. 1974年のヤクルト監督には史実より少し早く広岡達朗が就任していた。

荒木大輔

  1. 1980年代初期に「大輔」の名前が流行ることはなく、松坂大輔の名前も変わっていた。
    • TBSのスポーツマンNo.1決定戦の総合ナンバー1の名前も何人か変わっていたかもしれない。
    • 史実では1979年に1位になっているから多少は流行しても、史実より小さかったかも。

イチロー

  1. ニコニコ動画で「イチローのレーザービームで人類滅亡」なる動画が投稿される事はなかった。
  2. オリックスの1995~96年のリーグ優勝やWBC日本代表の優勝もおそらくなかった。
    • オリックスのBクラス転落も史実より早まっていた。
  3. ニッチローは有名にならなかった。
  4. 福島弓子は栗山英樹と結婚していた。
  5. NPBにおける最多安打のタイトル制定もなかったか、遅れていた。

岩瀬仁紀

  1. 中日の抑えピッチャーは世代交代が史実以上に激しかった。
  2. 2007年日本シリーズの第5戦で、山井大介が6回で降板したのはおそらく史実通り。

王貞治

  1. 巨人のV9はなかった。
    • それどころか戦後日本のプロ野球史が大きく変っていた。
  2. ホームラン最多記録は2017年現在でもベーブ・ルースの755本のまま。
  3. 国民栄誉賞は設立されなかった。
  4. 当然「王シフト」なんてものはない。
  5. 荒川博の知名度が史実より低くなっていた。
  6. 王シュレット事件も起きなかった。
  7. 「ON砲」や「OH砲」はなかった。
  8. 現在のソフトバンク球団会長はいったい誰になっていたのやら・・・
    • それ以前にダイエーホークスの黄金時代もなかったか遅れている。

落合博満

  1. 日本プロ野球で三冠王になった選手は王貞治以降、バースと松中信彦のみとなっていた。
  2. 近藤貞雄の監督退任後、中日が長きにわたってBクラスor最下位の常連になっていた。
    • 史実通り星野仙一が監督になっても、あれだけの実績を上げることはできなかっただろう。
    • もっともロッテはこの段階でBクラスの常連だったので、それほど変わらず。
  3. 駒田徳広は巨人で現役生活を終えていたかもしれない。
    • ただし中畑清との確執もあっただけに、いずれはFA宣言して出ていった可能性もあっただろうけど。
    • 井端弘和も巨人に移籍することはなかった。中日で現役生活を終えていたかも。
  4. 当然、落合福嗣も生まれていなかっただろう。

清原和博

清原選手は小学生の時に好奇心から車に飛び込んだらしいです。しかし、その際は無傷で助かっています(男道にそういう記述あり)。もしこの際、打ち所が悪く×××××してしまったら。

  1. KKコンビもない。
    • 学年が違うが「桑田+金本」という可能性もあるかもしれない。
    • kkコンビにまつわる事柄がすべてなかったことになる。
      • 『幽☆遊☆白書』の桑原和真も別の名前になっていた。
        • 名前の由来の一つがおまじないの「くわばらくわばら」だからどっち道苗字は桑原になってたんじゃないの?原辰徳と桑田で「桑原辰真」とかになってたかも。
          • そもそも桑原和真の名前の由来はおまじないの「くわばらくわばら」が先で「漢字を当ててみたら偶然KKコンビから一字ずつもらった形になったため、名前の方ももらった」らしいのでKKコンビが存在しなかった場合、下の名前は球界とは全く関係ないところから取られてたんじゃないの?
  2. 西武の黄金期にも影響を与えていた。
    • 秋山幸二はパワーヒッターのままだった。
    • 下手すれば史実より優勝回数が減っていたかもしれない。
  3. 落合は96年オフに巨人から日ハムに移籍する事はなく、98年に巨人で現役を終えた。
    • あるいは97年オフに別のチームに移籍して現役を終えた。
  4. 河合じゅんじの「かっとばせ!キヨハラくん」は存在せず、本来キヨハラくんのスピンオフであったクワタくんシリーズがメインとなって連載されていた。
  5. 「ドカベンプロ野球編」は存在しなかったか、連載開始時期が遅れていた。
  6. 元木大介はレギュラーに定着していた。

沢村栄治

  1. 沢村賞の名前が違うのは確実。もしかしたらその賞自体がなかったかも。
  2. 日本プロ野球初のノーヒットノーラン達成者はヴィクトル・スタルヒンになっていた。

多田野数人

  1. ここに書いてあることが現実になっていた。
  2. 立教大学は未だ野球弱小高のまま。
  3. 「右の多田野、左の和田」という言葉は「右の(別の選手)、左の和田」になっていた。

田中将大

  1. シーズン24連勝する投手は存在しない。
    • 過去の数々の連勝記録も更新されず。
      • いまだに「シーズン無敗・勝率10割の選手」といえば間柴茂有ただ一人。
  2. 楽天は2007年以降も最下位が続き、未だにクライマックスシリーズ出場なしだった。
    • そのため2007年以降のドラフトでは目玉投手を積極的に取りに行っていた。
      • 大谷翔平の強行指名も決行したかもしれない。
    • 2013年の優勝もなかっただろう。
  3. 駒大苫小牧高校は2004年の優勝のみの一発屋に終わっていた。
    • 2005年・2006年も史実通りの成績なら2004年同様打力のチームと言われていた。
      • それでも、駒大岩見沢高校は閉校していたと思う。
  4. 斎藤佑樹の知名度も少し下がっていた。
    • むしろ上がっており、プロ入り後も史実以上に活躍していた。
      • でも、2006年夏の甲子園は多くの人々の記憶には残らなかったかもしれない。
    • 大学進学しなかったかもしれない。
  5. 1988年度生まれのプロ野球選手が黄金世代になることはなかった。
    • 1987年、1989年度生まれは実際より豊作の世代と言われていた。
    • 前田健太が史実と同じかそれ以上の活躍をしていれば1988年度生まれは「前田世代」と呼ばれていた。
      • あるいは現在でも「ハンカチ世代」と呼ばれていた。
  6. 里田まいは芸能人と結婚し、結婚後も積極的に芸能活動を行っていた。

長嶋茂雄

  1. 宮武三郎の東京六大学ホームラン記録は田淵幸一が更新していた。
    • 立教大学野球部も史実より地味なままだった。
  2. 巨人どころか日本プロ野球の歴史が大きく変わっていた。
    • 巨人のV9もなかった。
  3. 1980年の読売新聞不買運動も起きなかった。
  4. 徳光和夫は大下弘のファンだったので、大下の母校である明治大学に進学していた。
    • 卒業後は在福局のアナウンサーか西鉄グループに就職した。
  5. 長嶋一茂も生まれていないため、例の落書き騒動もなかった。
  6. トライアスロンの日本での普及も遅れていたかもしれない。
  7. 2004年アテネ五輪では、最初から中畑清が監督だった。

野村克也

  1. 南海ホークスの凋落は史実よりも早まっていた。
    • 下手すると70年代にはどこかに身売りしてたか、最悪合併していた。
  2. 戦後初の三冠王は王貞治。
  3. 日本プロ野球におけるクイックやリード等の戦術の進歩が史実よりも遅れた。
  4. 90年代ヤクルトは黄金期を迎える事は無く、古田の通算成績や評価も史実より低かった。
  5. 監督にもよるが、長嶋一茂は出場試合や通算成績が増加していた可能性も。
  6. 阪神の暗黒時代からの脱却が遅れていたかも。
    • 楽天の強化も。

原貢

  1. 三池工業、東海大相模の強豪化はなく、高校野球の歴史が変わっていた。
    • 東海大学及び首都大学野球連盟も地味なまま。
    • 2015年夏の甲子園は仙台育英が東北勢初の優勝を果たしていたかも。
  2. 当然、原辰徳や菅野智之もいないので、80年代以降の巨人の歴史もまた変わっていた。
    • 長嶋茂雄(第2次)の後を受けて巨人の監督に就任したのはおそらく中畑清。
    • 2000年代以降巨人は低迷期を迎えたかも。

張本勲

彼は5歳の時に広島で原爆に遭っています。もしこの時居場所が悪くて×××しまっていたら

  1. 当然3000本安打の達成はなく、日本プロ野球にとっての悲願になり続けた。
    • イチローの日米通算3000本安打が史実よりも大々的に取り上げられた。
  2. 同じ在日韓国人の金村義明や金本知憲などが自分が在日韓国人であることを公表することができなかったかもしれない。
  3. 落合博満は史実よりも注目されなかった。
    • 山内一弘や金田正一などの言っていることを真に受けてフォーム改造とかに走り出していたら落合の引退も早まっていたかもしれない。
  4. 「サンデーモーニング」の週刊御意見番の論者も変わっていた。
    • 江川紹子とのトラブルも起きなかった。

ベーブ・ルース

  1. メジャーリーグの勢力図は大きく変わっていた。
    • 野球の知名度が低かったままの可能性も。
      • むしろ、クリケットが日米を含めた世界的なスポーツになっている。
  2. ・・・と思ったが、野球の神が名実ともにルー・ゲーリックに変わっただけだったかもしれない。若くして亡くなった分、こっちのほうが分が上がる。
    • 少なくともレッドソックスのジンクスはなくなる。
  3. ヤンキースが強豪になる事はなかった。

星野仙一

  1. 1970年代の中日は成績が低迷し、巨人はV10を達成していた。
    • 与那嶺監督の退任も早まっていた。
      • もしかしたら与那嶺監督は退任後他のチームのコーチにならず、ハワイに帰国してたかも。
    • 川上監督の任期も延び、長嶋茂雄の引退も遅れていた。
  2. 近藤監督も優勝を果たせなかったかもしれない。
    • その場合、大洋や日本ハムの監督にならなかったかも。
  3. 1980年代の中日は山内一弘以外にも外様監督を招聘してた可能性も。
    • 根本陸夫かドン・ブレイザーあたりが就任してたかも。
  4. 4対1のトレードで落合博満が中日に来ることはなかった。
    • その場合、当然落合は中日の監督に就任することはなかった。
      • 牛島が横浜の監督にならず、中日の監督になってたかも。
      • 2004年以降も中日は暗黒時代が続き、身売りされてた可能性も。
    • 落合はこの時点で巨人入りしていた。
  5. 平成以降の中日の監督は主に高木、木俣が務めていた。
  6. 高代延博、山田久志が中日のコーチになることはなかった。
    • 従って山田久志が中日の監督になることはなかった。
    • 高代は三村監督の退任後も広島のコーチを続投し、広島の監督に就任していたかもしれない。
  7. 2011年の楽天の監督には桑田真澄が就任していた。
    • その場合、清原和博は楽天のコーチになってたかも。
  8. 当然中日だけでなく阪神にも影響が出る。→もし星野仙一が阪神の監督に就任しなかったらを参照。

松井秀喜

  1. 1993年以降の巨人の優勝回数が大きく減っていた。
    • 史実以上にセ・リーグはヤクルトの天下になっていた。
  2. 日本人メジャーリーガーのワールドシリーズMVPは未だに出ていない。
  3. 当然ながら、あの5打席連続敬遠は無かった。
    • 馬淵史郎にダーティーなイメージは根付いておらず、純粋に高校野球界の名将として名声を得ていた。
  4. 1992年のドラフトではバルセロナ五輪代表組が更に注目を浴びた。
    • 伊藤智仁を指名する球団が増えていた。
  5. 河合じゅんじの「ゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくん」は存在せず、「かっとばせ!キヨハラくん」の連載が長くなっていたか、イチローが主役の作品がキヨハラくんの後継になっていた。
  6. 石川県出身の有名人の顔ぶれが地味になっていた。
  7. 石川県はいまだに野球不毛の地と言われていた。
  8. 星稜高校と言えば現実以上に本田圭佑の母校というイメージが強くなっていた。
  9. 『地獄先生ぬ~べ~』に松井さんという変な顔の女子児童が登場することもなかった。

松坂大輔

  1. 1980年度生まれのプロ野球選手が「松坂世代」と呼ばれて黄金世代になることはなかった。
    • 1981年度生まれが黄金世代になっていた。
  2. 1981年~1997年ごろの横浜高校の低迷期がもう少し続いていた。
    • 場合によってはそのまま弱小に成り下がった可能性も。
  3. 史実通り横浜高校が1998年の甲子園で春夏連覇していたら、打力のチームと言われていた。
    • あるいは対戦相手の京都成章高校が京都勢42年ぶりの夏優勝を果たしていた。
  4. 史実通りアナウンサーになっても(仮にプロへ行っても)、上重聡の知名度は今よりも若干低かった。
  5. 1999年以降の西武ライオンズに関しては、観客動員数が若干少なくなるのを除けば史実とあまり変わらない。

森祇晶(森昌彦)

  1. それでも巨人はV9を達成していただろうが、1、2回くらいは日本一を逃す年があったかもしれない。
  2. 「背番号27=捕手の背番号」のイメージは現実ほど強くなっていなかった。
    • 古田敦也は野村克也の現役時代と同じ背番号19をつけていたかも。
  3. 80年代後半~90年代の西武の優勝回数が減り、代わりに近鉄や阪急→オリックスの優勝回数が増えていた。
    • ライオンズの通算優勝回数は平成時代のうちにホークスに再逆転されていた。
    • 日本ハムも同様。よって、東京ドーム時代は一度もリーグ優勝を経験できなかったと言われる事はなかった。
    • もしかすると史実の西武に代わって、近鉄か阪急→オリックスが黄金時代を迎えていたかもしれない。
  4. 2001年以降の横浜ベイスターズに関しては現実とほとんど変わらない。

サッカー

澤穂希

  1. 女子サッカーが日本で人気になることはなく、これの一部が現実化していた。
  2. アメリカ代表のワンバックの日本での知名度は下がっていた。
  3. 史実通り2011年の女子ワールドカップで日本が優勝していたら、MVPとその年のバロンドールは宮間あやが受賞していた。
  4. 東京オリンピックの招致活動も別の人がやっていた。

中村憲剛

  1. 伊藤宏樹の引退は数年ほど前後していた。
  2. 大久保嘉人や小林悠も史実以上の活躍を残せていなかった。
  3. 川崎フロンターレは4年連続でタイトルを獲得できるほどの強豪チームになっていなかった。

楢崎正剛

  1. 2010年の名古屋のJ1優勝はなかった。
    • 仮に優勝していたとしても、MVPは闘莉王になっていた。
  2. 日本代表で楢崎が出場した77試合のうち、半数は川口能活が出場し、残り半数は曽ヶ端準や都築龍太あたりが出場していた。

長谷川健太

  1. 「清水東三羽烏」 は別の人が入っていたか、その組み合わせ自体がなかったかも。
  2. 2005年から2010年の清水エスパルスは史実よりも低迷していた。
  3. 2014年のガンバ大阪の三冠はなかった。

三浦知良

  1. 1980年代に日本人サッカー選手の海外留学が注目されることはなかった。
    • 野茂英雄のメジャーリーグ挑戦がさらに注目されていたかもしれない。
  2. 「カズ」の愛称はなかったか、別の選手のものになっていた。
  3. 1998年のワールドカップでは三浦知良の代わりに別の選手が代表から外され、別の「外れるのは○○」が流行した。
  4. 「三浦かずよし」といえば山梨県出身の実業家のことだった。
  5. 設楽りさ子は芸能人と結婚し、芸能活動は結婚後も積極的だった。

大相撲

琴風豪規

元大関琴風は生後すぐ黄疸にかかり命が危なくなったがあったという。

  1. がぶり寄りを武器にする力士が長く現れなかった。
  2. 千代の富士の関脇昇進は早まっただろうが、苦手意識払拭のための稽古がなかったので史実ほどの大横綱になれたか疑わしい。
  3. 尾車部屋も創設されず豪風や嘉風らは別の部屋に入門していた。
  4. 大関空位の場所がもう1つ増える。

大鵬幸喜

  1. 柏戸は少なくとも10回は優勝できた(史実では5回)。
  2. 一代年寄という制度は設けられなかった。
  3. 白鵬には違う四股名が付けられていた。
  4. 何らかの事情で日本に引き揚げることができず樺太に残留した場合は、サンボかレスリング、柔道の選手として活躍したかも。
  5. 当然ながら「巨人、大鵬、卵焼き」という言葉は存在しない。

貴乃花光司

  1. 若貴ブームという言葉はなく、若乃花勝が曙のライバルとして90年代の大相撲人気を牽引していた。
  2. 若乃花が引退後に程なくして廃業しなかった場合、父の二子山部屋を継いでいた。
  3. 上記の場合、次代の理事長候補は当然若乃花。
  4. 宮沢りえの芸能活動にも影響を与えていただろう。
  5. 河野景子は「家なき子」出演以降は女優に転向していたかもしれない。

稀勢の里寛

  1. 琴奨菊が稀勢の里の代わりにマスコミにごり押しされていた。
  2. 高安は少なくとも大関にはならなかった。関取になれたかどうかも怪しい。
  3. 隆の鶴の親方としての無能さがまことしやかに囁かれることも無かった。
  4. 史実より二所ノ関一門がもっとまとまりを欠いていた。

白鵬翔

  1. 2010年代の大相撲人気は史実より低かった。
    • 同時期に63連勝した力士がいなければ尚更。
  2. 琴奨菊か把瑠都あたりが横綱に昇進できた。

力道山

  1. 日本でプロレスがメジャーになることはなかった。
    • プロレスから派生した様々な格闘技も誕生していない。
  2. テレビの普及は史実より少し遅れていた。
  3. 二所ノ関一門がここまでの大勢力にならなかった。
  4. 1950年代に撮影された相撲のカラー映像は存在しない。
  5. 声優・小山力也の名前が変わっていた。

テニス

マリア・シャラポワ

  1. 2020年現在の日本における有名なロシア女子スポーツ選手といえば満場一致でザギトワ。
    • あるいはシャラポワのブレイク前に「妖精」と呼ばれていたアンナ・クルニコワの知名度が上がっていた。
  2. 女子テニスにおける「妖精」の称号はいったい誰になっていただろうか。

マルチナ・ナブラチロワ

  1. マルチナ・ヒンギスの名前は変わっていた。
    • 「マルチナという有名テニス選手で誰を連想するか」という設問が成立しなかった。

松岡修造

  1. ニコ動でのネタが一つ減った。
    • 裏御三家といえば、レスリング・淫夢・エア本だった。
    • レスリング・浜崎順平・エア本でもありかも。
  2. 錦織圭は史実通りテニス選手にはなってただろうが、そこまで活躍できなかったのではかと。
  3. 日本人テニス選手にとってウィンブルドンのセンターコートは遠い存在と思われていた。
  4. 『まいにち、修造!』が出版されないため、日めくりカレンダーは2015年以後も有名人の名言ものではなく、脳トレものに人気が集中していた。
  5. 斉木楠雄のΨ難』の灰呂杵志の設定が変わっていた。
  6. 地球は氷河期に突入していた。

バスケットボール

マイケル・ジョーダン

バスケットボールの神、NBAの歴史を変えたといわれるマイケル・ジョーダンが生まれていなかったとしたら、NBAはどのようになっていたかを検証してみる。

  1. デトロイト・ピストンズ、ニューヨーク・ニックス、アトランタ・ホークス、ユタ・ジャズ、サンアントニオ・スパーズ、ヒューストン・ロケッツ、フェニックス・サンズなどのチームが覇権を争う群雄割拠の時代になっていた。
  2. デニス・ロッドマンのブルズ移籍が早まっていた。
  3. シカゴの有名スポーツ選手といえばサミー・ソーサだった。
    • もしくはブライアン・アーラッカー(NFLシカゴ・ベアーズ)。
  4. ロス五輪でアメリカは金メダル獲れなかったかもしれない。
  5. バスケの神と言えば今もカリーム・アブドゥル=ジャバーだった。
  6. NBA選手の国籍が多様化することはなかった。
  7. MJという著名人と言えば満場一致でマイケル・ジャクソン。

中村和雄

  1. 長崎女子高校の強豪化はなく、高校女子バスケの勢力図も変わっていた。
  2. 共同石油(現:JX-ENEOSサンフラワーズ)も日本リーグ(現:Wリーグ)に上がれても常勝チームとは行かず、20世紀のうちに廃部されたかもしれない。
  3. オーエスジーフェニックス(現:浜松・東三河フェニックス)のbjリーグ→Bリーグ参加もなかったかもしれない。
  4. 渋谷バスケットボールストリートのモニュメントも違う人の言葉が刻まれていた。

ボクシング

モハメド・アリ

  1. ソニー・リストンの時代はもっと長く続いていただろう。
  2. ジョージ・フォアマンは史実より地味な存在だったかもしれない。
    • キンシャサの知名度も下がっていた。
      • キンシャサノキセキも違う馬名になっていた。
  3. アントニオ猪木の(少なくともアメリカでの)知名度が下がっていた。
    • 総合格闘技というジャンルも成立しなかった可能性がある。
    • 中邑真輔のフィニッシュホールドも違う名前になっていた。
  4. カシアス内藤のリングネームも変わっていた。
    • モハネド・ヨネも。
  5. アトランタ五輪の最終聖火ランナーも別の人物になっていた。

大橋秀行

  1. 昭和末期から平成初頭の日本人世界チャンピオン不在の暗黒期がより長く続いていた。
  2. リカルド・ロペスの日本での知名度は下がっていた。
  3. 川嶋勝重や八重樫東らはヨネクラジムでプロになっていた。
    • 井上尚弥はリオ五輪を目指し、その後は父のジムがプロ加盟して転向していた。
    • 宮尾綾香は協栄かワタナベ辺りに移籍。

亀田史郎

  1. 当然亀田兄弟も存在しないことになる。日本のボクシング界は静かなものになっていただろう。
    • その代わり井岡一法(井岡弘樹の兄で一翔の父)が暴走したかもしれない。
      • 赤井英和や井岡一家の活躍と存在感次第では、大阪市西成区はボクサーの町として有名にならなかったかも。
    • 協栄ジムも図に乗りかねない。
    • 帝拳ジムも史実以上に叩かれていた。
  2. 内藤大助は今より少し地味な存在だったかもしれない。
    • 坂田健史も協栄ジムの後継者に指名されなかったかもしれない。
  3. 亀田問題そのものが存在しないのでやくみつるはおとなしくなる。
  4. ボクシング界で亀田と言えばいまだに亀田昭雄を指していた。

ラグビー

清宮克幸

  1. 21世紀に入っての早大及びサントリーの復活はなかったかもしれない。
  2. ヤマハ発動機の躍進もなかった。
  3. 五郎丸歩も史実ほどの活躍ができず、おそらくブライトンの奇跡もなかった。
  4. 清宮幸太郎も生まれていないので、2015年の高校野球に対する世間の注目度も下がっていた。
    • オコエか小笠原に注目が振り分けられていたのではなかろうか。

五郎丸歩

  1. 2015年ラグビーワールドカップで日本代表が歴史的勝利を挙げることはなかったかも。
  2. 当然、○郎丸姓が脚光を浴びることもなかった。
    • 阪神ファンが昔のドラフトのトラウマを掘り返す事もなかっただろう。

フィギュアスケート

荒川静香

  1. トリノ五輪で日本はメダル0に終わっていた。
    • それを気に強化が行われ、その反動でバンクーバー五輪では金を獲得できたかもしれない。

アリーナ・ザギトワ

  1. 2020年現在でも日本における有名なロシア人女子スポーツ選手といえばマリア・シャラポワ。
    • もしくはエフゲニア・メドベージェワの知名度が上がり、平昌五輪で金メダルを獲得していた。
  2. エテリ・トゥトベリーゼの知名度が上がる事はなかった。

エテリ・トゥトベリーゼ

  1. 2020年現在の女子フィギュアスケートにおける低年齢化は起きなかった。
    • よってジュニアからシニアへの年齢引き上げは議論されていない。
  2. 女子の4回転時代突入も遅れていた。
  3. ザギトワやメドベージェワのコーチが変わっていた。
    • というより現実でエテリの門下生になった選手は別のコーチの元へ入っていた。
  4. 自国開催のソチ五輪でアデリナ・ソトニコワが金を獲得したので女子フィギュアでのロシアの強豪化は現実通りであるが、一人のコーチの選手達が幅を利かせる事はなかった。

羽生結弦

  1. ソチ、平昌五輪の男性シングルの金メダリストが変わっていた。
    • 平成生まれ初の金メダリストはリオで獲得した萩野公介になっていた。
  2. 羽生姓の国民栄誉賞受賞者と言えば満場一致で羽生善治。
  3. 男性フィギュアでの日本の強豪化はなかったかも。

その他

ランス・アームストロング

  1. ヤン・ウルリッヒがツールドフランスで5回優勝し、「5勝クラブ」の一人になる。
  2. ディスカバリーチームは存在しない
  3. グレッグ・レモンの米国内での名声は更に大きくなる
  4. ドーピング問題はもっと早く露見していた
  5. トレックのロード自転車は今ほどメジャーにならなかった
  6. SPD-SLペダルは開発されず、現在もSPD-Rが生産されている。

アリーナ・カバエワ

  1. アリーナ・ザギトワの名前は変わっていた。
  2. 新体操が現実ほど柔軟さを求められる事はなかった。
  3. プーチン大統領の愛人は誰になっていただろうか…。

蝶野正洋

  1. 当然のこと、「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」での年越しスペシャル「笑ってはいけないシリーズ」で月亭方正のビンタはない。
    • DVDネタも存在せず、ココリコの田中直樹のタイキックもなかったかもしれない。
  2. アントニオ猪木の弟子が別のプロレスラーになっていたかも。
  3. 「ちょうの」 といえば長野久義を連想する人が多かった。

マッハ文朱

  1. 女子プロレスは「お色気」目当ての中年男性向けというイメージが変わることはなく、ブームは発生しなかった。
    • 試合会場に少女たちが殺到することはなかった。
    • 女子プロレス自体存続していなかったかも。
  2. レスラー志願の少女もほとんどいないので、ビューティー・ペア以降の女子レスラーの大半はプロレス界に入っていない。

室伏重信

  1. 息子の広治、娘の由佳も生まれていないため、日本では投てき、特にハンマー投げで世界と戦える選手は皆無だった。