もしあの鉄道車両が○○だったら/私鉄
- 新規追加は会社別(東から順)+形式が若い順にお願いします。
- 現実を想定した広い視野を持った内容でお願いします。
独立項目
東武鉄道
500系
地下鉄乗り入れに対応していたら
- S-TRAINのように平日は日比谷線直通、土休日は半蔵門線直通になっていた。
- 特に半蔵門線直通は中央林間~会津田島まで行く超ロングランとなる。
- THライナーはこの車両で運行されていた。
- 4両編成も製造され、途中東武動物公園で切り離していた。
- フラワーエクスプレスも特急になっていた。
30000系
東上線に転属しなかったら
- 10両固定化の際に中間運転台を撤去した。
- あるいは伊勢崎線の8000系・10000系を置き換えたかも。
- 8000系はともかく、10000系はまだ時期尚早だぞ。
- なので10000系は野田線に回されていた。
- 8000系はともかく、10000系はまだ時期尚早だぞ。
10両貫通編成だったら
- 「半蔵門線直通」のステッカーが貼ってあったかもしれない。
- 東上線転属はなかった。
- 逆に東上線で先行営業を開始し、半蔵門線直通開始前に本線に一斉転出。代わりに8000系が転入し、東上線ファンからは顰蹙を買っていた。
- 50050系の製造数は少なかった。
- 「フラワーエクスプレス」は久喜乗り換えとなっていた。
- 館林までホームは10両あるので館林まで走っていた。
東京メトロ
8000系
東西線に正式導入されていたら
- 史実では05系導入までの繋ぎで東西線に半蔵門線用の8000系が数年間走っていた事があります。
- 05系の導入が史実よりも遅れていた。
- 最初からワイドドアである事を前提に開発されていた可能性が高い。
- 但し帯色に関しては小田急との混同を避けるために、05系とほぼ同一のカラーリングになっていた。
- 15000系導入時に全編成が置き換え対象になっていた。
- インドネシアや北綾瀬支線に送られる編成が多い一方で、B修工事の上で半蔵門線に転籍する車両もいたかもしれない。
15000系
ワイドドア車がなかったら
- 東京メトロ東西線ホームドア全駅設置が早まったかも。
- つまり07系は全て15000系に置き換えられていたか?
- 混雑で苦情が殺到していた。
東京急行電鉄
7700系
7915Fの故障が少なかったら
7700系は4両編成3本が目蒲線から池上線への転属の際、3両編成にされ余剰となった中間車3両が先頭車化改造され7915Fができましたが、制御装置の故障が多く2010年9月に廃車になりました。もし故障が少なかったら?
- もちろんまだ廃車にはなっていなかった
- 3000系以降の車両も一部に東洋製IGBTが採用されていた。
- 目蒲線分断により4両編成から3両編成への組み換えの際にも先頭車化改造が行われ、7915Fのような車両が量産されていた。
- 9000系の東横線から大井町線への転属の際にも一部は先頭車化改造が行われていた。
- どちらにしろ、東急1000系リニューアル車の投入で廃車。
- 異端車である以上、真っ先に廃車になる。
- 東急は先頭車化改造に消極的になることはなかった。
- 他線区への転用に際して持て余した中間車が廃車になってしまうこともなかった。
相模鉄道
11000系
JRに乗り入れていたら
史実では計画中止になりましたが、もし実現していたら?
- 本数に余裕ができるので埼京線大宮~武蔵浦和間の減便はなかったかもしれない。
- 場合によっては日中も大宮まで乗り入れていたかもしれない。
- 内装は12000系に近いものに改造されていた。
小田急電鉄
9000形
常磐緩行線に乗り入れていたら
実際に国鉄(JR)に乗り入れに対応できる車両になっていました。
- 常磐緩行線に乗り入れる小田急の多摩急行、準急が史実より多くなっていた。
- 1000形電車も乗り入れ対応できる車両になっていた。
- 2代目4000形も登場時からJR乗り入れ対応だった。
- 国鉄(JR)の203系・207系900番台も小田急乗り入れに対応していた。
- 209系1000番台とE233系2000番台も登場時から対応していた。
京成電鉄
3500形
全編成の車体更新が行われていたら
3500形は車体更新を全編成にわたって行う予定でしたが、鋼材の腐食が予想以上に早く進んだため、約半数を更新したところで打ち切りとなり、未更新車は先に廃車されました。
- 3000形(2代)の投入数がやや少なくなっていた。
- 全編成が京急への乗り入れを果たしていた。
- 京急沿線から見た京成のイメージが、史実より古臭いものとなっていた。
- 未更新車のさよなら運転イベントはなかった。
伊豆箱根鉄道
7000系
JRに乗り入れていたら
史実ではJR線乗り入れ用を想定した機器を搭載していましたが実現することなく撤去された
- 三島から沼津、静岡方面に乗り入れていた。
- 指定席車両連結も継続していた。
- 列車愛称も付与されていただろう。
- 修善寺踊り子の存在意義が薄くなる。
富山地方鉄道
7000系
上滝線に乗り入れていたら
史実では上滝線の勾配を超えられませんでしたが、もし超えられていたら?
- 路面電車乗り入れの実績を持つため、上滝線のLRT化がすんなり進んでいた。
- 沿線人口が少ないのでそれでも赤字だが、赤字幅は史実より減っていた。
- 不二越線にも駅数を増やした上で乗り入れていた。
名古屋鉄道
キハ8500系
あの会社に譲渡されていたら
史実では会津鉄道に譲渡されていますが、もし、譲渡先が違っていたら?
- 全般
- 会津鉄道とは違い、早期廃車になることはなかった。
- 「AIZUマウントエクスプレス」は設定されなかった。
- 三陸鉄道
- イベント列車仕様に改造されていた。
- 「リアス・シーライナー」には本形式が充当されていた。
- だが震災でその列車が運命を共にするのはほぼ現実であるが、それでもイベント列車には本形式がある程度活用されていた。
- JR東日本
- =地方交通線への優等列車設定に意欲的だったら、である。
- JR東日本は非電化特急不毛の地(非電化特急が育たない)と言われ続けることもなかった。
- 形式はキハE151系だった。
- 「陸中」か「よねしろ」の特急格上げに充てていた。
- 「陸中」に充てた場合は絶対数に限りがあるのであっても一部が格上げされるに留まっていた。
- その分、キハ110系0番代を快速「南三陸」の指定席車に捻出するのは史実通りだった。
- 「よねしろ」に充てた場合は快速に格下げされることはなく、特急化していた。
- 通勤優等列車の役割を果たす性質上、定期券でも乗車できるようになっていた。
- 701系セミクロスシート改造車は登場しなかった。
- 「陸中」に充てた場合は絶対数に限りがあるのであっても一部が格上げされるに留まっていた。
- JR東海
- 走行機器や性能が同社のキハ85系とほぼ同一なので、保守・運用面での制約は少なかったと思われる。
- そもそもJR東海が「北アルプス」の存在が厄介になっていなかったら受け入れていたかも。
- これを使用して参宮線-紀勢本線を経由して伊勢志摩と南紀を直通する特急が設定されていた。
- 「南紀」の増結用としても運用されていただろう。
- =観光列車の設定に意欲的だったら、である。
- むしろ「かすが」の特急格上げに充てていたかも。
- キハ85系に編入していた。
- 車体構造が異なるので番台区分はされていた。
- 当然、東海色に変更していた。
- 京都丹後鉄道
- 大阪・京都-天橋立経由豊岡方面を結ぶ特急に運用されていた。
- 鳥取や敦賀方面に乗り入れていたかもしれない。
- 今頃は水戸岡デザインにリニューアルされている。
- JR九州
- 水戸岡デザインにリニューアルされていた。
- 恐らく久大本線・豊肥本線・肥薩線なんかで観光特急に運用されていた。
- 場合によっては博多-肥薩・吉都線経由宮崎間の特急「おおよど」が復活していたかもしれない。
- JR西日本
- 「つやま」か「みよし」に投入されていた。
- 快速に統合されることなく、現在に至るまで運行していた。
- あるいは「はまかぜ」に投入され、キハ181系を置き換えていた。
- 但しそれだけでは両数が足りないので、キハ189系の新造は史実通り。
- 形式はキハ171系であり、急行形に分類されていた。
- 東武鉄道
- この車両による浅草~会津若松直通が実現していた。
- うまく行けば栗橋からJRに直通し、新宿~会津若松だったかも。
- 東京都内に乗り入れる唯一の気動車となっていた。
- その場合は喜多方まで直通していたかもしれない。
- うまく行けば栗橋からJRに直通し、新宿~会津若松だったかも。
- 史実と同じく会津鉄道を通るが、大手私鉄の整備技術で史実よりは長生きできただろう。
- JR四国
- 徳島をベースに「むろと」「剣山」「うずしお」に運用されていた。
- それによりキハ185系は普通運用に転用されていた。
2000系
最初から4両編成で登場していたら
落成時には、3両編成で登場し、のちに、4両編成化されました。
- 製造数が史実よりも多くなっていた。
- 8両編成で運行する全車特別車の本数が朝夕ラッシュ時を中心に史実よりも多くなっていた。
京阪電気鉄道
3000系
全て7両編成で製造されていたら
史実では、6両編成5本、7両編成4本で投入されました。
- 8500形が3000系電車に編入されることはなかった。
阪急電鉄
5000系
宝塚線での運用が継続していたら
5000系は神戸線に集中配置されいたので、1編成を宝塚線に転属しましたが、運転上、扱いにくいということで宝塚線での運用は中止となりました。もし運用が継続していたら、
- 5000系は史実より多く増備されていた。
- 5100系は史実より少なかったかもしれない。
- 3000系と同様に9000系、1000系の増備により、今津線、伊丹線、箕面線に転属された。
- 6000系の転属は史実より遅れた。
T車がもっと製造されていたら
5000-5040に将来T車2両が組み込まれることが考慮されておりました。その際に新造された場合、5580、5590になる予定でした。もし、製造されたら…
- 2000・2021系の付随車が組み込まれることはなかったかもしれない。
- ひょっとしたら、5040形と5550形と同様に製造数は少なかった可能性もある。
- 2000・2021系は5200系に組み込まれていた可能性が高い。
- 5200系電車は製造されなかったかもしれない。
- 2001年~2007年に行われたリニューアル工事の際に、車番が変更されていた。
6300系
10両編成での運行が実現したら
実際に、計画されていました。
- 早くても、1980年代に増備され、1985年11月18日頃に運用され始めた。
- 10両固定編成の場合、9300系も10両編成で登場していた。
- この場合、京阪プレミアムカーに続く形で指定席車を導入していたかもしれない。
- 2連による増結の場合、車番は6320番台となり、3扉ロングシートになっていた。
- むしろ7300系になっていただろう。
- 7300系の10連増結車と共通運用されていた。
- むしろ7300系になっていただろう。
- (2連による増結の場合)9300系の登場後も、2両編成の6300系は、増結用として利用された。
- (2連による増結の場合)通勤ラッシュ時だけではなく、行楽シーズンの時でも増結されていた。
「京とれいん 雅洛」が6300系の改造による導入だったら
- 6356Fか6330Fが改造された。
- 6330Fは他車と仕様が異なるので6356Fあたりじゃない?
- 2011年5月頃に運行され始めた。
- 2008年5月に「京とれいん」が運行され始めて、2010年3月に「京とれいん 雅洛」が運行され始めた。
- 十三駅に停車していた。
- 2019年3月にホームドアが導入された時には、通過となっていた。
8200系
京都線でも運用されたら
- 車両番号は、8230、8280になっていた。
- 京都線用なので8340・8490かも。
- 早くても、1996年3月頃に登場していた。
- やがて、2008年頃にロングシートに変更されていた。
- 電機品は京都線用のため東洋電機製で、車体寸法も8300系と同じだった。
- それでも堺筋線への乗り入れは行わない。
- 嵐山線でも運用されていた可能性もあり得る。
宝塚線でも運用されたら
- 8000系40番台は登場しなかった。
- 恐らく日生エクスプレスの増結用として運用されていた。
- やはり神戸線用と同時期に普通のロングシートに改造されている。
- 今頃は2+2で箕面線でも運用されている。
8300系
増結用車両が製造されたら
8300系も8000系の8040Fのような増結車が導入されていたら
- 10両運転による快速急行が増発していた。
- 特急の10両運転が実現していたかもしれない。
- 新大阪線(十三~新大阪~淡路)が開業していたらあり得た。
- 車両番号は、8340、8460になっていた。
9300系
ロングシート車が製造されたら
- 側面や車内は神宝線の9000系と同じような感じになっていた。
- 但し寸法は異なる。
- 恐らく堺筋線直通仕様になっていた。
- 車番は9311F~になっていた。
- 9319Fの中間車に「9999」というナンバーが現れて有名になる。
- 2300系の引退が早まっていた。
近畿日本鉄道
9820系・9020系
大阪線・名古屋線でも運用されていたら
- 9820系は4両編成で投入されていた。
- 大阪線では、6両編成で導入されていたかもしれない。
- 大阪線・名古屋線における急行・準急・普通は5~6両編成で運行されていた。
- 長距離運用に備えてトイレが設置されていた。
- 5820系の4両バージョンも登場していた。
- 車番は「9751、9851、…」のようになっていた。
12200系
12257F~12259Fも登場していたら
当初は、1977年12月に、10100系電車の代替として、12257F~12259Fとして、製造されました。しかし、監督官庁からの指摘を受けて、12400系電車として、登場しました。もし、12257F~12259Fも登場していたら…
- 予定通りに、12257F~12259Fが登場していたら
- 12600系電車もなく、12261F、12262Fとして、製造された。
- 12410系が12400系を名乗っていた。
- 史実よりも早く12257F~12259Fが登場していたら
- 1974年12月に登場していた。
- 前面の行き先表示・特急標識のデザインや冷房装置は従来のものを踏襲していた。
- 近鉄特急の長編成化が史実よりも進んでいた。
- 後継の22600系電車は史実よりも多く製造されていた。
16000系
中間車が史実よりも多く製造していたら
- 4両編成での運行が史実よりも増えていた。
- 朝夕ラッシュ時には、6両編成もしくは、8両編成で運行されていたかもしれない。
- 16010系電車が史実よりも多く製造されていたかもしれない。
21000系
増結車が史実よりも多く製造していたら
史実では、増結用2編成3本が製造されました。
- 名阪特急の利用者が史実よりも多くなっていた。
- 無論、アーバンライナーにおける8両編成での運行本数が史実よりも多くなっていた。
- 22600系電車と12200系電車は史実よりも多く製造されていた。
- 22000系電車も史実よりも多く製造されていた可能性もある。
- 21000系電車自体が史実よりも多く製造されていたかもしれない。
- その場合、アーバンライナーの本数が史実よりも多くなっていた。
- 後継の80000系電車の車両数も史実よりも多くなっていた。(80000系電車の車両数が21000系電車の車両数と同じであるため。)
全て8両編成で製造されていたら
- 名阪特急の利用客が史実よりも多くなっていた。
- 21020系電車や80000系電車も全て8両編成で製造されていた。
- アーバンライナーnextやアーバンライナーplusのデラックスシート車も2両になっていた。
南海電気鉄道
2200系
高野線山岳区間直通運用が史実よりも長く残っていたら
- 当初は一部を高野線用に残す予定でしたが、最終的には全て2000系に置き換えられました。
- 2000系の製造両数が減っていた。
- 余剰となった車両が本線に転用されることもなかった。
- その分8000系の製造両数が増え、泉北3000系の本線転用も多かったかもしれない。
- 熊本電鉄に譲渡されることもなかった。
- 余剰となった車両が本線に転用されることもなかった。
- 橋本までの複線化完成後に17m車の運用が減少すると史実通り支線に転用される。
- 2300系の登場や観光列車「天空」への改造は史実通りだろう。
- 貴志川線には21000系が転用されていた。
- 和歌山電鐵に引き継がれるのも史実通りだが、老朽化のため2010年代に東急1000系か東京メトロ03系あたりに置き換えられていただろう。
6000系
廃車ではなくリニューアルしていたら
- 置き換えのプレスリリースでは南海6000系を「更新」としか書かれておらず、内装を新しくして使い続けるという噂がありました
- 一体何年使い続けるのか…。
- なお養老鉄道に同時期に製造された東急7700系が譲渡されましたが、製造から50年たつがあと30年使えるとのこと。
- 8300系は存在せず。
- リニューアル工事は9000系に準じる。
- さすがに戸閉装置は新品に交換されていた。
南海本線にも投入していたら
- 7000系はない。
- 8000系(2代)投入が遅れていた。
- 6100系も本線に投入されていた。
- 南海の鋼製車は特急車を除き1960年以降投入されなくなっていた。
10000系
最初から4両固定編成で製造されていたら
- 1985年11月のダイヤ改正で特急「サザン」は8両編成で運行されていた。
- 急行も8両編成で運行されていた。
- 1989年11月のダイヤ改正で南海本線の特急は「サザン」で統一された。
- トイレも最初から完備していた。
全ての2両編成に中間車が製造されていたら
- 当然ながら、10001F - 10003Fの中間車化改造はなかった。
- リニューアル化されて、2019年現在でも廃車されずに運行されていたかもしれない。
- ただ、併結相手である7000・7100系の車齢を考えると12000系への置き換えもおかしくはない。
- リニューアル化されて、2019年現在でも廃車されずに運行されていたかもしれない。
- 場合によっては、中間車は1989年頃に登場していた可能性もある。
- その場合、10006F~10010Fの登場が史実よりも早まっていた可能性もあり得る。
- 9000系電車の投入も史実よりも早まり、特急「サザン」・急行の8両化が1988年10月頃に早まっていた可能性もある。
- 1992年7月の改正で南海本線の特急は「サザン」で統一された。
- 全列車が8両化されたのと同時に統一されていた。
- 12000系電車は近鉄21020系電車と同様に、リニューアル化に伴う不足を補うために導入されていた可能性が高い。
- リニューアルが完了したら車両が余るので、一部が高野線に転属し「泉北ライナー」に運用されていた。
- もしくは、10000系電車の一部が泉北高速鉄道に譲渡していた可能性もある。その場合、泉北高速鉄道所有の12000系電車が製造されることはなかったかもしれない。
- 最初から「泉北ライナー」向けに12000系電車が投入されていた可能性もあり得る。
- 全車座席指定の列車が今でも存続していたかもしれない。
中間車が史実よりも製造されていたら
- 中間車に改造される先頭車が史実よりも少なくなっていた。
- 2013年6月以降は新造された中間車が挿入されている編成のみが運行されていた。
大阪市高速電気軌道
10系
10連化にあたり新造車を組み込んでいたら
- 当初計画通り1989年頃に10連化が行われていたらそうなっていた。
- 1700形は全車両10系後期タイプの車体を持つ車両となっていた。
- 増結が1990年代初頭に行われた場合でもデザインは10系に合わされていた。
- 1101F~1104Fもリニューアルが行われていた。
- 2010年代に入って30000系に置き換えられていた。
- 21系の新造両数が減っていた。
100形(2代)
50系のT車に改造されていたら
- 恐らく近鉄東大阪線開業を機に千日前線から中央線に転属し、T車化改造が行われていた。
- 中央線所属の50系に関しては抑速ブレーキ設置のほか、谷町線用と同様モーター出力アップも行われていた。
- 1編成の中で両開きと片開き扉の車両が混在していた。
1000形(初代)
50系への組み込みが実現していたら
- 1970年代に四つ橋線50系のT車として組み込む構想がありましたが、実現しませんでした。
- 製造後20年足らずで廃車されることはなかった。
- 四つ橋線における50系の活躍が現実よりも長かった。
- 四つ橋線からの撤退は1980年頃だった。
- その後はモーター出力アップの上谷町線に転用されていた。
- 四つ橋線からの撤退は1980年頃だった。
- 1編成の中で両開きと片開き扉の車両が混在していた。