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#同県の[[アビスパ福岡|ここ]]よりスポンサーに恵まれている。
{{統合検討|もし相撲が○○だったら|[[トーク:もし相撲が○○だったら]]}}
#*でもスタジアムと観客数に恵まれない。
{{Pathnav|もし相撲が○○だったら}}
<!--#**2014年現在、スタジアムの収容人員が足りずにJ1ライセンスが取れていないJ2クラブの1つ。-->
*昭和2年の東西合併により、東京に吸収され消えてしまった大阪相撲。ここではその後も存続していたら?を考えます。
#*[[福岡の企業#ゼンリン|ゼンリン]]は2010年からどっちにつくのだろう?
#**ユニフォームのスポンサー(背中)になりました。
#***2013年から掲示場所がパンツに移動。
#前身は三菱化成黒崎事業所のサッカー部。
#*だが三菱化成黒崎時代の天皇杯出場回数(4回)は、現在カウントされていない。なぜ?
#*同じ三菱グループ内のサッカーチームが前身という点では、ある意味[[浦和レッドダイヤモンズ|ココ]]と親戚。
#Jリーグを目指してる。
#*鳥取を越えられるか?
#*こちらも昇格には時間の問題かな?
#*昇格も確実になり、鳥取越えも果たしました。
#2009年からV・ファーレン長崎、ホンダロックサッカー部との九州ダービーが実現。
#*2017年は[[鹿児島ユナイテッドFC|鹿児島]]との九州ダービーがある。
#福岡、仙台、熊本など商標登録の都合でJ昇格時に慌ててクラブ名を変更するケースが多い中、ここは早くも2010年からの改名に向けて準備を始めた。
#2010年より「ギラヴァンツ北九州」に改称予定。([[イタリア語]]で「ひまわり」の意味の「Girasole」と、「前進する」の意味の「Avanzare」とを組み合わせた造語。)
#*近藤真彦の名曲が応援チャントに使われる希ガス
#**あまつさえ、某マクロスの名セリフを使ったゲーフラも・・・・
#*なんとなく戦隊ヒーロー物の敵役の怪獣に出てきそうな名前だな・・・
#*西城秀樹『ギャラ{{あきまへん}}』みたいw
#*チラパ×ツ…
#*改称してから、赤もクラブカラーの1つになった。
#2010年よりJ2参入確定。[[アビスパ福岡|福岡]]・[[サガン鳥栖|鳥栖]]・[[ロアッソ熊本|熊本]]・[[大分トリニータ|大分]]との九州ダービーでJ2がカオスに。
#*そして、ついにこのクラブの項目も独立するのか…。
#**独立しました。
#J2初勝利は早かったが、2勝目が遠い・・・。
#*2勝目は天皇杯の草津戦。リーグ戦は未だ1勝……。(2010/09)
#**とうとう1勝(12分)しかできずに終了。はたしてここが上がってよかったのだろうか。
#*あまりにも勝てなさすぎるのでJFLからJ2への昇格ラインが厳しくされるとの噂も…
#*チーム総得点が甲府のハーフナーマイク1人の得点数と同じという体たらく。さらに鳥栖が持っていた30試合連続無勝利のJリーグワースト記録を更新。J創立時の浦和や崩壊間際まで行った甲府を上回る史上最低のJリーグチームで間違いないだろう。
#*2003年の鳥栖もお忘れなく。
#**ただ、崩壊寸前のころの甲府や鳥栖と比較すると、良くも悪くも危機感が伝わりにくい…。
#2011年から新監督としてキングカズの実兄三浦泰年監督が就任。果たしてどうなることやら…
#*2005年の神戸時代の汚名返上なるか?
#*2013年からは凍傷もとい闘将・柱谷哲二の実兄で[[モンテディオ山形|山形]]時代のスキャンダルでおなじみの幸一氏が就任。退任したヤスは教え子数名と共にヴェルディへ。なんか手法が鳥栖から横縞に行った時の赤帽みたい…。
#**幸一は結局J3降格の責任を取って2016年に退任。
#**因みに哲二も2018年のシーズン途中から指揮を執っていたが、シーズン終了後に退任となった。
#もう既に去年の3倍勝ち点を稼いでしまった(32節終了時点)。↑のような「史上最低のJリーグチーム」の面影はどこへやら…。
#*勝利数は驚愕の12倍。もっとも、去年が酷過ぎたからだが…。
#*当時にJ3降格制度なくて良かったですね(笑)
#明らかに外国人なのに日本語がペラペラなMFがいる。
#*その名も、レオナルド・モレイラ(ブラジル人)。まぁ、青森山田高校に留学してきてからずっと日本でプレーしてるし、ペラペラなのは当然か。
#*彼は[[東京ヴェルディ|ヴェルディ]]を皮切りに、鳥栖や[[栃木サッカークラブ|栃木]]でもプレーしていた。
#**その後、日本国籍を取得して[[J3リーグ#ブラウブリッツ秋田|秋田]]でプレー。
#2012年は[[アビスパ福岡]]に順位が勝ってしまった。
#*それどころか2014年にはプレーオフ圏内の5位でフィニッシュ、但しJ1ライセンスを持っていない為プレーオフに出られず…
#2015年中盤に「ぶちくらせ」という方言を使った応援が問題化した。
#*クラブ側は「不適切な表現」としているが、サポーター側は使い続けるつもりらしい。
#*10月末、ついに「ぶちくらせ」全面禁止が打ち出された。当然サポ側は猛反発。
#**というか「ぶちくらせ」でNGなら、[[鹿島アントラーズ|某強豪クラブ]]の「♪奴らを血の海へ」や「♪〇〇をぶっ倒せ」も駄目なんじゃ…
#**[[ガンバ大阪]]の「♪ぶちかませ いてこませ~」も(ry
#*「ぶちくらせ」ってプロレスで言うと「猪木ボンバイエ」の「ボンバイエ」に似た意味ではないかと思うが…。
#2017年に新しく[[小倉駅]]北口に専スタが出来る模様。もちろん、J1仕様で。
#*一部、玄界灘にスタンドがせり出しているとか…。
#**2017年6月にボールが初・海ポチャした。
#***当時の北九州GK・高橋がPA外のルーズボールを脚でクリアした後に発生。
#***それ以降、玄界灘にもボールボーイ配置している。
#***競技の相違こそあれど、北米[[メジャーリーグ]]のサンフランシスコ・ジャイアンツのボールパークみたいである。
#*しかし順位は降格圏に沈んでいる。
#**J3でこけら落としを迎えるのは何が何でも避けたいところ。
#***現実になってしまいました…
#***楽しみにしていたJ2サポガッカリ…orz
#***新スタもそうだが、J1ライセンスを取得した年にJ3降格というのも皮肉だな…
#***こう言う結果では、新スタ建設をためらってしまう他自治体も出て来るだろう…。
#****しかし京都や秋田など、新スタ建設に前向きなところもある。
#J3一年目は9位に終わる。ここもJ3の洗礼を受ける結果に…
#*ただ、新スタ移転効果によりJ3で最も観客動員数の多いクラブにもなった。
#*翌年は最下位。
#2019年は前年最下位から大逆転の優勝でJ2復帰を果たした。
#*失点をリーグ最少の27に抑えたことや、補強で入団した高橋大悟や北川柊斗の活躍が大きかった。


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#どのみち東京に吸収される。
{{Jリーグ}}
#*昭和10年代の東京・双葉山ブームと比較されては…
#**確かに。「春秋園事件」を機に消滅していたかも。また、春秋園事件は起きなかったとしても、別の形で昭和10年頃までには崩壊していた。
#***史実で事件後に「関西相撲協会」が設立された経緯を考えると、むしろ天竜らがこちらに移ることで活況を博した可能性も否定できない。
#***春秋園事件で脱退した力士を受け入れていたかも。
#*戦中~戦後の混乱で、存続どころではなくなる。
#横綱宮城山が大阪力士として、引退する。
#*従って弱い横綱が1人実在しなくなり、他の弱い横綱がより目立つ。
#朝青龍が転属する。
#*サッカー騒動に嫌気がさし、大阪に行ってしまう。
#*そもそも師匠が近畿大学出身なので最初からこちらに入門していた可能性も。
#**どのみち「日本人横綱の不在」は東京・大阪の片方だけに留まっていた可能性大。
#協会運営への暴力団の関与や力士のモチベーション・実力の低下に対して効果的な策が打てない限り存続できなかっただろう。
#*前者に対しては大阪相撲協会の抜本的な組織改革、後者に対しては放送などのメディアの活用などが効果を発揮していた。
#興行は大阪府立体育会館ではなく自前の会場で行われていた。
#*新世界の大阪国技館が残っているか、史実で東西合併後に国技館が建設された[[大阪市/城東区#関目|関目]]に会場があったと考えられる。
#*その場合組織が再統合された後も「日本相撲協会関西本部」が設置され、大阪相撲由来の相撲部屋は大阪に置かれている。
#巡業や新弟子の獲得において「東日本は東京相撲、西日本は大阪相撲」という勢力範囲が暗黙の了解になっていた。
#ルールの細かい部分が東西で違っていたかもしれない。
#*決まり手の一部、死に体や、かばい手、かばい足の判定、水入りや引分、痛分の判断、番付の昇・降格の基準辺りか。
#1940年頃に一度「大日本相撲報国会」として統合されるが、終戦とともに再分割された。
#年末に天皇賜杯争奪の東西対抗戦が行われていた。
#*おそらく団体戦。
#*7.のように東西でルールが異なる場合は統一ルールを作ろうとするがまとまらず、1年おきに東京ルール・大阪ルールで行うことに。
#東京相撲との関係は基本的に悪くない。
#*しかし有力力士の移籍などを巡る問題が時々発生する。
#東京より先に地方での本場所を開催していた。
#*この点も含め全体的に大阪の方が革新的な風土になっていたと思われる。
#*東京相撲の地方場所は[[仙台市|仙台]]や[[札幌市|札幌]]で開催された。
#それでもマスコミは東京相撲の方を大きく取り扱う。
#*NHKの中継はどうなっていたんだろう。どちらも流すのか地域によって東京相撲と大阪相撲を分けるのか?
#**北海道~関東甲信越、静岡までは東京相撲、以西が大阪相撲。
#***東日本での大阪相撲、西日本での東京相撲は、結びの一番の後に三役・横綱、平幕の注目力士の取組のみ録画で紹介。
#***デジタル化後は、東日本のサブチャンネルで大阪相撲、西日本のサブチャンネルで東京相撲を放送。
#**あるいは日程をずらして開催とか。
#朝日山、時津風、三保ヶ関などは今でも大阪相撲の名跡。
#*時津山が時津風部屋に留まるので「立浪四天王」は生まれなかった。
#*双葉山は時津風部屋を名乗れない。(東京相撲系だから)
#アマチュアの大会も分割されたか、東西交互開催になっていた。
#*インターハイは統一で行われるが、大学や社会人は分割されていた。


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2021年8月12日 (木) 16:19時点における版

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  • 昭和2年の東西合併により、東京に吸収され消えてしまった大阪相撲。ここではその後も存続していたら?を考えます。
  1. どのみち東京に吸収される。
    • 昭和10年代の東京・双葉山ブームと比較されては…
      • 確かに。「春秋園事件」を機に消滅していたかも。また、春秋園事件は起きなかったとしても、別の形で昭和10年頃までには崩壊していた。
        • 史実で事件後に「関西相撲協会」が設立された経緯を考えると、むしろ天竜らがこちらに移ることで活況を博した可能性も否定できない。
        • 春秋園事件で脱退した力士を受け入れていたかも。
    • 戦中~戦後の混乱で、存続どころではなくなる。
  2. 横綱宮城山が大阪力士として、引退する。
    • 従って弱い横綱が1人実在しなくなり、他の弱い横綱がより目立つ。
  3. 朝青龍が転属する。
    • サッカー騒動に嫌気がさし、大阪に行ってしまう。
    • そもそも師匠が近畿大学出身なので最初からこちらに入門していた可能性も。
      • どのみち「日本人横綱の不在」は東京・大阪の片方だけに留まっていた可能性大。
  4. 協会運営への暴力団の関与や力士のモチベーション・実力の低下に対して効果的な策が打てない限り存続できなかっただろう。
    • 前者に対しては大阪相撲協会の抜本的な組織改革、後者に対しては放送などのメディアの活用などが効果を発揮していた。
  5. 興行は大阪府立体育会館ではなく自前の会場で行われていた。
    • 新世界の大阪国技館が残っているか、史実で東西合併後に国技館が建設された関目に会場があったと考えられる。
    • その場合組織が再統合された後も「日本相撲協会関西本部」が設置され、大阪相撲由来の相撲部屋は大阪に置かれている。
  6. 巡業や新弟子の獲得において「東日本は東京相撲、西日本は大阪相撲」という勢力範囲が暗黙の了解になっていた。
  7. ルールの細かい部分が東西で違っていたかもしれない。
    • 決まり手の一部、死に体や、かばい手、かばい足の判定、水入りや引分、痛分の判断、番付の昇・降格の基準辺りか。
  8. 1940年頃に一度「大日本相撲報国会」として統合されるが、終戦とともに再分割された。
  9. 年末に天皇賜杯争奪の東西対抗戦が行われていた。
    • おそらく団体戦。
    • 7.のように東西でルールが異なる場合は統一ルールを作ろうとするがまとまらず、1年おきに東京ルール・大阪ルールで行うことに。
  10. 東京相撲との関係は基本的に悪くない。
    • しかし有力力士の移籍などを巡る問題が時々発生する。
  11. 東京より先に地方での本場所を開催していた。
    • この点も含め全体的に大阪の方が革新的な風土になっていたと思われる。
    • 東京相撲の地方場所は仙台札幌で開催された。
  12. それでもマスコミは東京相撲の方を大きく取り扱う。
    • NHKの中継はどうなっていたんだろう。どちらも流すのか地域によって東京相撲と大阪相撲を分けるのか?
      • 北海道~関東甲信越、静岡までは東京相撲、以西が大阪相撲。
        • 東日本での大阪相撲、西日本での東京相撲は、結びの一番の後に三役・横綱、平幕の注目力士の取組のみ録画で紹介。
        • デジタル化後は、東日本のサブチャンネルで大阪相撲、西日本のサブチャンネルで東京相撲を放送。
      • あるいは日程をずらして開催とか。
  13. 朝日山、時津風、三保ヶ関などは今でも大阪相撲の名跡。
    • 時津山が時津風部屋に留まるので「立浪四天王」は生まれなかった。
    • 双葉山は時津風部屋を名乗れない。(東京相撲系だから)
  14. アマチュアの大会も分割されたか、東西交互開催になっていた。
    • インターハイは統一で行われるが、大学や社会人は分割されていた。