もしあの国鉄路線が全通していたら/東海

静岡・長野・岐阜編集

中津川線編集

  • 飯田~中津川
第3セクターとして開業していたら

中津川線は、中津川~飯田間に建設中だった路線です。鉄建公団でAB線として建設されていたため、開業するとしたら第3セクターだったことでしょう。

  1. 現在のセントラルライナーの代わりに、383系を使った特急が名古屋~飯田間に1時間ごとに運転されていた。
    • 飯田より駒ヶ根か岡谷あるいは上諏訪辺りまで。
      • 線形や容量的に大部分は飯田止まりだろう。あとは行き先一種類ごとに一往復ぐらいが関の山かと。
    • わずかな数だろうけど、甲府まで行ってたりして。
    • ということで辰野町が現在も「辰野経由の特急を復活汁!」と運動することもなかった。
    • バスとの対抗のために、セントラルライナーのような有料快速だった可能性もある。
  2. 特急伊那路は存在しなかった。
    • 名古屋~飯田・伊那市・上諏訪の特急が「伊那路」を名乗る。
  3. 「いいなかライナー」も存在しなかった。
  4. 中央道の高速バスと超絶デッドヒートを繰り広げる
  5. 社名は「伊那路鉄道」辺りになっていた。
    • 並行する高速道路から考えると「恵那山鉄道」とかもありうる。
    • 「伊那急行」かも。
  6. 現実の伊勢鉄道のように、JR東海にかなり依存していた。
    • JR東海と同じ型の特急車両をいくつか保有していた。
    • JR東海の企画乗車券でこの路線に乗車可能なものが存在した。
    • 上手くすればTOICA導入も実現していたかも。
  7. 開業後間もなくして、飯田線の一部(少なくとも水窪~天竜峡間か)は廃止されていた。
    • そこは僻地すぎて廃止できないのでは。
  8. 長野県の下伊那地域は現実以上に名古屋指向が強くなっていた。
    • 下伊那だけでなく上伊那も名古屋指向が強くなっていたし、諏訪も東京指向一辺倒にはならなかった。
  9. 「JRと直通し、山を貫く第三セクター路線」ということで、北越急行と比較されることが多かった。
    • 北越急行ほどではないが、こっちの路線もリニア中央新幹線が開業すると少なからず影響を受けることになったかも。
  10. 高速運転のために高規格路線になり、電化もされていた。複線化もありえたかも。
    • 中津川線は元から電化かつそれなりの高規格で計画されてたぞ(単線だが)
  11. 昼神温泉の知名度が史実以上に高くなっていた。
  12. 特急「伊那路」が中津川まで乗り入れる。
    • そのため373系が製造されていた。
  13. 阿南町や阿智村などを含めた市町村合併が実現していた?
  14. リニア開通後は地域輸送に徹していた。
国鉄路線として開業していたら
いななかむら
伊那中村
Ina-Nakamura
いなやまもと
Ina-Yamamoto
(長野県飯田市) いいだ
Iida
  1. 特急か快速が名古屋・飯田間に設定され、高速バスは同区間に無かった。
    • あの距離で国鉄だと急行のような気がする。特急格上げはJR化以降で。
    • 史実でも1938年から相当する路線(当時は一般道経由だが)があったので廃止されていない限り運行され続けているかと。
  2. 中津川止まりの快速・セントラルライナーの一部が乗り入れた。
    • セントラルライナーは存続していたか、特別快速に置き換えられていた。
    • セントラルライナー自体がなかったかもしれない
  3. ワイドビュー伊那路は一往復に減らされた。
    • そもそも無かった可能性もある。
  4. 中央新幹線敷設時に並行在来線として三セク転換された可能性が。
  5. 名古屋~上諏訪・駒ヶ根間の急行「伊那」が運行されていた。やがて、特急に格上げされていた。
    • 初めは、165系電車で運行されていた。特急格上げ後は、381系電車や383系電車で運行されていた。
    • 多客期には、茅野・富士見まで延長運転されていたかもしれない。
    • 特急格上げは1985年or1986年or1996年に行われていた。
    • 373系電車で運行されていた可能性もある。
    • 急行「伊那」は名古屋~中津川間で急行「きそ」と併結運転が行われていた可能性もある。
  6. 四日市・稲沢~元善光寺間を結ぶ貨物列車が運行されていた。(元善光寺駅に石油ターミナルが建設される予定だった。)
  7. 2019年3月にTOICAを導入していた。
  8. 383系電車が史実よりも早く登場していたかもしれない。
  9. 豊橋~飯田・辰野・上諏訪間の急行「伊那」は廃止されていたか、快速に格下げられていた。
    • 「赤石」に改称されて存続していたこともあり得る。ただし、1983年に廃止されたのは史実通り。
  10. 中津川~飯田~岡谷・上諏訪間を結ぶ普通列車が運行されていたかもしれない。
    • 国鉄119系電車が運行されていたかもしれない。
  11. 阿智村は「阿智町」として町制施行していたかもしれない。
    • 浪合村と清内路村は同時期に編入される。

飯三線編集

  • 飯田~三留野(南木曽)
  1. 主な需要は木曽路と伊那路の連絡。
    • 木材の搬出という需要もあった。
  2. 木曽森林鉄道蘭線は湯船沢線のように買収されていた。
  3. 勾配とカーブの多さがネックとなり高速化は難しかった。
  4. 下呂線は建設線にすらならなかった。
  5. JRに引き継がれるかは中津川線が存在するかどうかによる。
    • 中津川線が存在していればJRに引き継がれなかった。
    • 中津川線があればそもそも全通していたかも怪しい。

下呂線編集

  • 中津川~付知~下呂
  1. 名古屋・高山間の特急…は岐阜まわりが優先されるため、中津川線ほど優等列車は設置されなかった。
    • むしろ長野発下呂線経由高山行きという臨時急行が運転されていた。
    • 中津川~長野間は「きそ」もしくは「赤倉」と併結されていた。
    • 愛称は・・・タイムリーだが「おんたけ」か。
  2. 下呂線沿線が出生のルーツである名奉行「遠山の金さん」にちなみ中津川市苗木地区に「遠山金四郎駅」が設置される。
  3. 開通式には松方弘樹が「一日駅長」を務めた。
  4. 第三セクターとして開業した場合の筆頭株主は名鉄ではなく下呂線の建設用地を鉄建公団に売却した北恵那交通。阿武隈急行や松浦鉄道の様に民間主導型の第三セクターとして歩むこととなる。
  5. リニア開業後、名古屋や首都圏から下呂を最短で運行する主要路線化しリニア駅から下呂・高山・富山方面へ特急列車が多数設定される。
    • 中津川駅構内で中央西線を横断する形になるので中津川線~下呂線の直通運転は難しいのでは?
    • なので中津川線列車に下呂線列車の接続がせいぜいだと思われる。

佐久間線編集

とおとうみふたまた
遠江二俣
Tōtōmi-Futamata
ふたまたほんまち
FutamataHonmachi
(浜松市天竜区) せじり
Sejiri
  • 中部天竜~遠江二俣(現・天竜二俣)
  1. 二俣線の第三セクター転換もなかった。
    • 逆に「佐久間線・二俣線」のセットで第三セクター化されていたかもしれない(優等運用があったとしても伊勢鉄道等と同じで状況は変わらないだろう)。
  2. 静岡−掛川−遠江二俣−中部天竜−飯田間の急行が運転されていただろう。(その後は特急に格上げ)
    • JR化後は同線と二俣線の掛川-遠江二俣間が電化されて静岡-中部天竜-飯田間に373系特急「ワイドビュー天竜」が一日3,4往復程度設定される。
    • これにより現在の「ワイドビュー伊那路」は設定されず、南信濃からの東京志向が強化される。(中津川線が非開業として)
      • 中津川線開業が前提ならその通りだが、未開業なら豊橋経由で名古屋方面からの利用があるだろうし、「ワイドビュー伊那路」も1往復くらいは生き残っていたのでは。
    • 新幹線掛川駅は首都圏から飯田方面への乗り継ぎ拠点として「ひかり」停車駅になっていた。
  3. 新所原−西鹿島−遠江二俣間も同急行と連絡が図られ、浜松方面からの遠鉄との連絡も便利に。
  4. 二俣線西鹿島−遠江二俣−佐久間線山東間は電化され、新浜松−山東間は遠鉄と直通。
    • 乗り入れは遠鉄の1000/2000形の片乗り入れか? 遠鉄が気動車を嫌うので。国鉄が1000形を1編成所有して遠鉄に預けるのもありかな?
    • 二俣ではなく山東まで赤電が来れば(昔なら)需要はあったかも。
    • むしろ遠鉄が国有化されてしまう。
      • 国鉄路線として早期に開業していたならあり得る。史実通りの国鉄末期工事による開業だとしたら…逆じゃないかな(遠鉄側が3セク化の俎上に上がっていた佐久間線を受け取る)。
  5. 佐久間線を観光資源として活用すべく、イベント列車も運行。
    • イベント列車は豊橋−新所原−二俣−船明(ダム湖で船遊び)−中部天竜(佐久間レールパーク)
      • 貴重な観光資源である佐久間線に客を乗せるため、博物館の移転は考えず、この地で発展。
    • 機関車はDLの他SLも。客車は一般形とトロッコタイプ。季節や需要で適宜組み合わせる。
    • JR東海はイベント列車の運行には消極的なのでそれは微妙だと思いますが。

木ノ本線編集

  • 関ヶ原~木ノ本
  • 鉄道敷設法別表第75号(四日市~関ヶ原~木之本。三重県内の一部区間は三岐鉄道三岐線として現存)。
  1. 名古屋から北陸方面の短絡線となっていた。
    • 「しらさぎ」は全て木ノ本線経由となる。
      • 元「加越」の50番台だけは米原発存置になりそう。
    • 新快速は関ヶ原まで運転区間が延びる。一部は木ノ本線に乗り入れ。
      • 関ヶ原どころか大垣まで乗り入れていたかも。
  2. 建設の際は旧東海道本線の廃線跡を流用していた。
  3. JR西日本とJR東海の会社境界は関ヶ原駅となっていた。
    • 両社の車両が並ぶと「関ヶ原の戦い」と言われていた。
    • 御殿場線のように全線JR東海であるかもしれない。

金名線編集

  • 大垣~樽見~越前大野~白山下~金沢
  1. 当然、北陸鉄道は買収されていた。
    • 戦時の会社統合以後であれば浅野川線ほかもまとめて買収されて国鉄の盲腸線になっていたが大半が昭和末期までに廃止される。
      • 「戦時買収」期ならあり得た「会社ごと買収」ならそうだけど、基本的に対象路線だけ譲渡して終わりじゃない?(基幹路線を取られた北鉄が潰れ、結局「会社線として」廃線になるかもしれないけど)
      • 流石に石川線(西金沢以南)・能美線・金名線だけでしょ。
  2. 下手すると越美南・北線もろとも廃止あるいは建設されていなかったかもしれない。
    • 実際の越美南線(長良川鉄道)沿線は名鉄の守備範囲となっていた。
    • 対して北線は福井連絡のために越前大野~福井間だけは建設されていたかもしれない。
    • 越美線計画がないとなると路線名は「大野線」「一乗谷線」などか?
    • 建設されない場合は京福電気鉄道が今も京福大野まで存続、場合によっては福井行き優等列車の乗り入れも行われていた。
  3. 名古屋~金沢を短絡する優等列車がスイッチバックなしで走っていた。
    • 地形や過疎地域を走る路線の性格的に電化されるかどうかは微妙。
    • もし非電化のままだった場合、「しらさぎ」はDC特急としてデビューしていた。
    • 運用は国鉄時代のキハ82から「ひだ」「南紀」と共通で名古屋駅はDC特急の楽園となっていた。
  4. JR西日本とJR東海の会社境界は(こっちの歴史の場合の)越前大野駅となっていた。
  5. 1965年に大水害で甚大な被害を受けた福井県西谷村は強制廃村にはならず元通りに復興していた(平成の大合併で最終的には大野市に合併されるが)。
  6. 戦前に全通していれば、国道157号線は指定当初から温見峠経由だった。そのため昭和時代中に改良され、あの落ちたら死ぬの看板もなかった。

大井川迂回線編集

  • 島田~金谷。島田方は島田軌道、金谷方は大井川鉄道の線路を使う予定だった。
  1. 大井川鉄道は新金谷発着になっていた。
    • 戦時統合で静鉄に合併されたが'80年代に分社化で社名復活した。
  2. 島田軌道は国有化された。
  3. 貨物列車メインの路線になっていた。
    • せいぜい島田発着の列車がここ経由で金谷発着になっていたぐらい

愛知・三重編集

名松線編集

いせおきつ
伊勢奥津
ISE-OKITSU
ひつ
Hitsu
(三重県津市) すぎひら
Sugihara
  • 名張~伊勢奥津~松阪
  1. 廃線になっていた。
    • 全通していたら、逆に桜井あたりまで延伸していたと思う。
      • その場合、どこかにJR東海とJR西日本の会社境界ができている。
        • 名張あたりだろう。
          • 意外と桜井までJR東海管轄になっていたかも。
    • 1960年代までに名張まで開業できていたら、当時ここまで延びていた近鉄伊賀線と接続→三セク化と言う流れを辿っていた。
      • 近鉄伊賀線廃止後、名張駅が近鉄大阪線に接続するよう路線が変更されていた。
      • 近鉄伊賀線も国有化→国鉄伊賀線かもしれない。この場合JR化後は(廃止にならなければ)JR西日本の管轄になる。
      • 史実の西名張駅が「名張」の駅名を名乗り、史実の近鉄名張駅は「名張市」という駅名を名乗っていたかもしれない。
  2. 廃線にならなかった場合、名張寄りが大阪へのベッドタウンとして発展し、通勤路線となっていたかも。
    • そうなってたら、現実に起きた「無人列車暴走事故」で大惨事となっていた。
      • そうなってたらあんな不用心な事故起きてない。
    • 需要が高まるので電化は少なくとも行われた。場合によっては複線化も。
      • とっくに家城から先が復旧していた。
      • 下にもあるが近鉄寄り遠回りなのがネック。とは言え名張市南部のアクセスには役立つので、JRから分離すれば運行本数もやや増えるか?
  3. どっちみちあの事件は電化されない限り起きている。
    • 滑走の距離は下がるが少なくとも電車でも同じ事故は起きていた。
  4. 松阪から名張に行く場合、近鉄線よりは遠回りになっていた。
    • というわけで結局近鉄に勝てず廃(ry
  5. 伊勢奥津-名張のルートの途中には奈良県御杖村神末地区があるため、JR東海は奈良県内にも路線を有することになる。
    • もしくは伊勢奥津または名松線全体がJR西日本の管轄になっている可能性が高い。
  6. 近鉄は伊勢本街道ルート(御杖~奥津~飯南経由)を通ったかもしれない。
    • その場合名張ではなく曽爾・御杖あたりが住宅地として開発されていた。三重県内から大阪に通勤・通学という現象は起こらなかったかも。
    • 近鉄の名阪直通列車はなかった。名阪間にもリーズナブルな交通手段として高速バスが多数運行されていた。
    • 私鉄による名阪間直結は名古屋急行電鉄の手によって実現していたかもしれない。
  7. むしろ名張を通らなくなり、名松線(桜松線)が伊勢本街道沿いを通って桜井まで来てた。
  8. JR東海の伊賀地方進出が実現していた。

岡多線編集

せとし
瀬戸市
Seto-shi
せとぐち
Seto-guti
(愛知県瀬戸市) なかみずの
Nakamizuno
  • 岡崎~新豊田~瀬戸市~多治見
  1. 愛知・岐阜の県境を越えるだけで建設費が尽きてしまい、高蔵寺方面への建設はなかった。
    • なので万博へのアクセスルートとしてあまり期待されなかった。
  2. 乗車率は現実の愛環の半分にも及ばなかった。
    • 新豊田-多治見はキハ40など単行の気動車が行き交う。
    • 多治見開通後に高蔵寺ルートでの環状化が浮上するも、既に都市化が進んでいて用地買収などで難航。現在も宙ぶらりんのままになってそう。
      • 「愛知・岐阜の~」という段階からありえない。なぜなら明らかに岡多線瀬戸以北より瀬戸線(瀬戸 - 高蔵寺 - 稲沢、枇杷島)のほうが優先順位が高いし、予定されていた線路規格も異なる(瀬戸線は瀬戸 - 岡崎間の岡多南線同様複線電化で都市部の幹線級=線路等級で言う甲線、岡多北線は単線非電化のローカル線級=丙線)から岡多線瀬戸以北が開通しているなら既に瀬戸線(高蔵寺方面)はできている。
        • で、史実のように岡崎 - 高蔵寺間や中央線への乗り入れのみならず東海道線豊橋方面直通、環状運転、貨物列車の運転などが行われてる。
    • 結局岡多北線ができてたにしても岡多南線と瀬戸線が実質同一路線なのだから岡多北線はネットワークから孤立して最悪廃線もありうる。
      • 瀬戸市-高蔵寺間に鉄道が開業した史実でも、2018年現在でさえ中水野駅(同区間唯一の中間駅)周辺は、未だに未開発の農地などが残っている。今ある住宅街なども、中水野駅ができたおかげで発展したようなものだし、もしこの区間に鉄道が通っていなければ、近辺は未だに未開発だったろう。なので「既に都市化が進んでいて用地買収などで難航」はまずあり得ない。
        • 要するに、ここで前提になっている(?)「岡多線多治見方面>瀬戸線高蔵寺方面」という図式自体が最初から成立しない。史実でも、岡多線瀬戸市駅からはまず、(全通後、大環状線として運用する予定だった)瀬戸線高蔵寺方面を優先したんだし。
        • ちなみに岡多線瀬戸以南・瀬戸線は、路線名称こそ異なるが、実質同一路線の「岡多・瀬戸線」として計画されていた。史実でも瀬戸市駅は、岡崎方面―高蔵寺方面が本線、多治見方面が枝線として建設されてた。
  3. 岡崎-多治見-美濃太田-岐阜間の直通列車が運行されていた。
  4. 名古屋近郊区間が設定されていた。
  5. この路線にも間違いなくTOICAが導入されていただろう。
  6. 仮に史実の愛環と全く同じ路線(瀬戸市から多治見ではなく高蔵寺に向かう)だとしてもまとめて「岡多線」という名前になっていた。
    • 「多」は「多治見に延伸する計画があった名残」とされている。
    • 混乱を避けるため愛称として「愛知環状線」となったかも(ちなみに史実のJR東海管内には愛称付き路線は無い)。
    • 単純に「豊田線」ではアカンのやろか(近鉄とJRで奈良線が重複するように)
      • 豊田線は別ルートの計画名に使われてた可能性が。
        • いずれにせよ岡多線瀬戸-多治見間の開業は、需要・運用方法からして間違いなく、瀬戸線高蔵寺・稲沢方面開業に先を越されてた。だから、史実の愛環相当区間を含めた岡崎-高蔵寺間、城北線相当区間を含む勝川-小田井-名古屋間が、ともに「愛知環状線」という路線名になり、岡多線瀬戸-多治見間は「瀬多線」(せたせん)という路線名にでもなっていたはず。
          • 「瀬多線」はおそらく、多治見から太多線・高山本線と通しの運用になっているだろう。この路線も多分、(国鉄時代の計画通り)非電化のままだろうから、(武豊線が電化された2015年以降でも)愛知県内に非電化の普通旅客鉄道路線が残っている、ということになる。
          • 無難に「笠原線」や「品野線」じゃ駄目なんだろうか
  7. 昭和10年代開通の場合は,名古屋の空襲からの迂回路として岡崎-瀬戸間が開通。瀬戸線も同時に開通(瀬戸からは,高蔵寺ではなく神領へ向かう)。その場合,1970年代に複線化・電化される。
  8. 名鉄瀬戸線の新瀬戸~尾張瀬戸がJR東海に買収されていたかもしれない。
  9. 路線記号はCOが使われていた。
関連項目

瀬戸線編集

  • 瀬戸市~勝川~枇杷島・稲沢
  1. 旅客需要も見込めるため、上小田井駅は瀬戸線小田井駅の真下に作られるように計画され「小田井駅」という名前に。
    • 味美駅から新守山方面の連絡線も設けられ、環状運転が実現していた。
      • というより味美駅自体名鉄小牧線の真上に移転していた。あちらが接続駅を作るかは微妙だが。
    • 下小田井・中小田井もあるんだし、むしろ城北線が「上小田井」になるんじゃ?
    • (大曽根の例からして)名鉄と市交が総合駅建設のため歩み寄っているのに国鉄は無視…ということになりそう。そもそも城北線のルートを変えないと残り2線の位置的に同一個所に駅ができそうにない。
  2. 昭和10年代時点で岡多線岡崎~瀬戸間が開通している場合,同年代に全線完成(名古屋市の空襲の迂回路扱い,枇杷島方面にはまだ建設されない)。1970年代に複線化・電化される。岡多線岡崎~瀬戸間未完成の場合,勝川~稲沢間のみ建設。

南方貨物線編集

  • 名古屋~名古屋貨物ターミナル~笠寺~大府
  1. 当然、中京圏が貨物輸送のボトルネックになることはない。
    • 四日市‐信州方面の石油貨物列車などは瀬戸線経由で中央線に入線している。
    • 名古屋から関東・東北・北海道方面に向かう貨物列車は貨物ターミナル駅から南方貨物線経由で走っている。または、稲沢駅から瀬戸線(稲沢‐小田井‐瀬戸市)‐岡多線(瀬戸市‐岡崎)‐東海道線というルート。
  2. 四日市から東日本に向かう貨物列車は関西線八田からの短絡線を通じて南方貨物線を経由し、東海道線を走る。八田駅の西からあおなみ線の方までカーブしてる線路痕みたいな道路はその短絡線計画の名残。
    • 南方貨物線はまだしも、岡多線・瀬戸線は史実通り旅客用としても発展していた(上のような山手線型の市内環状線、名古屋‐岡崎‐高蔵寺‐勝川‐名古屋といった武蔵野線型の外環線など)。
      • 旅客的には、南方貨物線は東海道本線の並走区間(複々線区間)がラッシュ時に重宝されそう。
  3. というか民営化時に南方貨物線や瀬戸線未成区間が国鉄清算事業団に、愛環線区間が愛環に……じゃなくJR貨物に受け継がれてればこんなことにはならなかった。名古屋近郊がボトルネックになってるから何としても開通させたろうし(その代り旅客営業は微妙なところだが……)。
    • 国鉄再建法で建設凍結された路線のうち幹線区間は鉄道・運輸機構(旧鉄建公団)に受け継がれ、鉄道・運輸機構法の規定により東海が機構に借損料を払う……という形になっている。これは、簡単に言えば「黒字が見込める路線は機構が保有し、(城北線の場合2032年まで)莫大な貸付料を徴収する」という形をとっているというわけ。これが致命的な欠陥を抱えてる。
    • ちなみに3セク化された現愛環区間は借金が免除されたが、本来なら城北線のような路線こそ借金をチャラにすべきだった。
    • 結局はコレが最大のキモ。実際のJR貨物は貨物減少を理由に南方貨物線・瀬戸線の継承を拒否したんだよな…。実はヲタが思ってるほどボトルネックでもない?
      • ここでJR貨物が引き受けて未成区間を完成させるくらいの勢いがあれば、それなりの状況にはなったのかもしれない。
    • 実際は7~8割くらいで用地取得のみで高架ができてない部分もあったし、完成した高架も凍結後の放置でかなり劣化していた。JR貨物が拒否ったのはこれらの建設・修復の割に合わないせいだったらしい。
      • 言いかえれば、現実のような路線凍結もなくちゃんとした状態で国鉄再建法に至っていれば、JR貨物や交通審議会ももっとマトモに活用策を考えたかもしれない。
  4. あおなみ線はなかった。
    • 特に建設続行の主体が名古屋市も出資する3セクだった場合。
      • 貨物専業の名古屋臨海鉄道が引き取って、通過列車で収入を?
      • あおなみ線は南方貨物線ができていたとしても金城ふ頭方面の開発のために建設されていた…と思うが、実際に南方貨物線が分岐できる構造となっていた高架橋が邪魔になったから取り壊した、とあるから、南方貨物線が開業していたら工事が難しくなっていたかも。
      • 実際に南方貨物線の建設続行の主体案として出されたのは「トラック運送業界や愛知県・名古屋市など関係自治体、JR東海やJR貨物、(名古屋臨海鉄道?)などが出資した第三セクター」だから、その会社が第三種鉄道事業者になり、JR貨物・名古屋臨海鉄道が第三種鉄道事業者になっていたか。
      • ↑にあるように名古屋臨海鉄道が第一種鉄道事業者として保有・運行をするなら「名古屋臨海鉄道八田線」とでも名付けていただろうか。「八田」は名古屋貨物ターミナル駅の計画段階の仮称「八田貨物駅」に由来する。
    • 名古屋市営地下鉄の路線延長やリニモ建設にも影響していた可能性がある。
    • 南方貨物線を旅客化するなら、むしろあおなみ線(名臨高)が運営主体になるのではないか?
      • 南方貨物線は沿線に特に観光スポットもターミナルもないから沿線住民を懐柔するために出された旅客化案は難しかっただろう。
        • 南方貨物線が開業していても、いずれにせよ金城ふ頭への鉄道路線は、東山線高畑からの延伸など、何かしらの形で実現してただろう。しかし、少なくとも現状のような貨物線流用案はあり得なかった、ということだろうか。
  5. JR東海とJR貨物がもめずに済んだ。
    • 機関車の問題でいずれ揉めていたんじゃ…
  6. 武豊線の電化が史実よりも早まっていた。
    • 複線化も進んでいたかもしれない。
    • 衣浦臨海鉄道も電化されて、電気機関車が牽引していた。

豊田線編集

とよた
豊田
Toyota
とよたしんまち
Toyota-shinmachi
(愛知県豊田市) うめつぼ
Umethubo
  • 千種~挙母~武節
    • 「改正鉄道敷設法別表第69号」を参照。
  1. 名鉄豊田線は開業しなかった。
    • 建設前に免許取ってたとしても開業後に買収されたor買収前提で開業した(渥美線方式)。
  2. 名鉄三河線新豊田~三河広瀬間は国有化され、三河広瀬~西中金間は廃止されていた。
    • よって三河線の足助延伸は、路盤工事されず構想で終わる。
  3. 武節から先、三河田口を経由して飯田線浦川まで建設される。
    • いわゆる「遠美線」区間だな。そこが存在するなら明知 - 武節間も建設されてそう。
    • というより、武節なんて中途半端な終点、路線延長しないと機能しない気がする。
      • 上手くいっていれば、備後落合駅みたいなポジションになっていそう。一応最大限の褒め言葉。
    • 武節から飯田方面への路線も計画されていたに違いない。(結局建設出来ずに終わると思う)
  4. 新豊田は「豊田」に改名される。
    • 中央本線に同名の駅があるのでそれはどうかな?
    • むしろ改名した結果が「新豊田」だろう(もしくは「豊田市」)。開業当初は「拳母」だろうから、中央本線の駅より後発になるのは必至。
    • 島田とか柏原などの例があるので一概に言えない。
    • いっそ挙母駅のままでも。津田沼駅のような例で。
  5. 通勤需要が見込め、沿線開発が進み、千種~武節間は複線電化される。
    • よって岡多線が三セク化することもなかった。
      • ただし岡多線自体が史実通りなら高蔵寺 - 新豊田間は民営化時点で存在しない。民営化後の建設なら三セク会社を興す必要があるだろう(第三種。運行はJR)。
        • 高度成長期に東海道線―中央線をバイパスする、貨物線の迂回などを考慮した線路(すなわち武蔵野線ポジション)として「岡多・瀬戸線」が計画されたんだし、多治見方面はともかく、史実の愛環・城北線に相当する区間は開業していたはず。豊田市から名古屋方面へは間違いなく、この「豊田線」がメインルートになってたろうけど。
    • 武節~浦川間は単線だが、飯田線の接続を考慮し電化されている。
    • 沿線開発&複線化はせいぜい藤岡とか笹戸くらいまででは。
      • この辺りで運行系統は分断。それより向こうは313系3000番台や1300番台によるワンマン。
    • 沿線開発が成功したなら、藤岡町は三好のように単独で生き残れた可能性あり。
      • 藤岡は通らないしあんまり関係なさそう。足助に通っていたら観光の町として単独町維持はありそうだが。
  6. 名古屋市営地下鉄鶴舞線は、日進から豊田線に乗り入れる形になっていた。
    • 総武緩行線・常磐緩行線・筑肥線みたく最初は103系が投入されるが、JR東海の資金力であおなみ線1000形や313系2500番台のような通勤車に今は置き換えられている。
      • 地下鉄と揃えるためJR東海唯一の4扉車があった可能性も。
        • もしかしたらそれが中央線にも投入されていた可能性はある。
    • というかそもそも地下鉄乗入れしてないかも。千種から中央本線を通って名古屋駅行けるし、千種で東山線に乗り換えられるし・・・。
      • 栄行くのに千種か上社で乗り換えるか悩む人がいそう。
    • 千種から分岐するなら、何かしら名古屋市営地下鉄の路線に影響を与えている。
      • 東山線千種以東、鶴舞線の鶴舞以東のルートが変わっているとか。
      • 筑肥線みたいに、千種からのルートは廃止されている可能性も考えられる。これなら路線網は史実と一緒。
  7. そもそも「豊田線」という路線名なのか。
    • 「挙母線」とか「三河線」(名鉄?知らない) にした方がしっくりくる。具体的な路線名は見当たらないし。
    • 千種(尾張)~武節(三河)だから「尾三線」じゃないかと。
  8. 東郷町は市制施行していた。場合によって猪高村も少なくとも町にはなっていたかも。
    • 町制施行前に名古屋市に吸収されないか?>猪高村
  9. 豊田市は「名古屋まで鉄道で片道1時間1000円」という超絶不便さを、運賃・所要時間ともに返上していた。
  10. 名古屋駅から豊田市中心部まで鉄道で結ぶ場合、改姓鉄道敷設法で想定された千種経由ではなく、現在の金山駅付近で中央本線から分岐するルートが最短距離になる。そのため、金山分岐に計画変更されていた可能性もある。
    • その場合、金山駅のターミナル完成が史実より早く進んでいたかもしれない。
  11. この路線の沿線に(史実では平針駅からやや離れた場所にある)運転免許試験場を建設すれば名古屋側・豊田側双方から相当な需要が見込めた。
  12. 新豊田駅からみよし市中心への支線ができていた。

名古屋~美濃太田間の国鉄路線編集

  • 「愛知県名古屋ヨリ岐阜県太田ニ至ル鉄道」…改正鉄道敷設法別表第72号より。史実では名鉄犬山線をはじめ名鉄線として大部分が開通したが現在は廃止になっている区間(名鉄一宮線)もあり。
    • 国鉄が敷設するならルートは名古屋駅~豊山町~小牧~犬山~鵜沼といったところだろうか?
  1. 史実の高山本線(美濃太田~高山~富山)と併せて名古屋(尾張)と富山(越中)を直結するルートとなるため、路線名は同区間と併せて「尾越本線」(びえつほんせん、略して「尾越線」)になっていた。
    • その場合、史実の高山本線岐阜~美濃太田間は太多線と統合されていたかもしれない。その路線名は岐多線(ぎたせん)などだろうか。
  2. 名古屋~鵜沼間で並行する名鉄犬山線と競合していたため、犬山線は史実ほどのドル箱路線にはなっていない。
  3. 名古屋発着特急ひだはすべて尾越線経由になり、岐阜駅におけるスイッチバックが必要ないためショートカット効果も含め史実以上の速達化が実現していた。
    • 名鉄線直通特急「南アルプス」は存在しない。
  4. 濃尾平野の北端となる中川辺までは複線化されて名古屋駅発着の普通・快速電車が高頻度運転されている。
    • 中川辺以北も名古屋・富山間の主要ルートとして認知され、線形改良(飛騨川沿いの線形からトンネル・橋梁などを多用した鉄建公団建設線レベルの高規格新線に付け替え)や電化などの投資が国鉄時代から行われていた。
  5. 名古屋口の通勤需要があるため美濃太田~富山間も含めて地方交通線ではなく幹線扱いになっている。
  6. 史実通り豊山町(沿線?)に名古屋空港が建設されていれば連絡駅が設置され、セントレア開業までは名古屋駅発着名古屋空港行きの普通・快速が頻発運転されていた。
  7. 桃花台新交通は廃線にならなかった。

武豊線師崎延伸編集

  • 武豊から野間を経由して師崎まで行く計画があった
  1. ルートが被る名鉄知多新線はなく河和線か常滑線が南へ延びるかも。
  2. 小野浦駅もあったかも。
  3. どっちみち名鉄にはかなわない。

南島線編集

  • 伊勢市~南島~紀伊長島
  1. 観光路線として、賑わっていた。
  2. こちらが紀勢本線となり、既存の紀勢本線(多気~三瀬谷~紀伊長島)は開業していなかったかもしれない。
    • もしくは上記の区間が南島線と置き換えられる形で廃線になっていたかもしれない。
  3. 伊勢神宮内宮へ行くのに便利だった。
  4. 「南伊勢線」(津~伊勢市)を含めて建設されれば特急南紀の名古屋⇔尾鷲・新宮方面への所要時間が短縮されていた。

南伊勢線編集

  • 津~伊勢市
  1. 鈴鹿市や津市にも工業団地ができていた。
  2. 特定地方交通線に指定され、廃線になっていた。
  3. 近鉄伊勢線が史実より早く廃止されていたかもしれない。

四日市線編集

  • 大垣から関ヶ原方面へ線路を建設するのに資材輸送線として計画されていた。
  1. 史実では資材輸送線の役割は武豊線に替えられたので、四日市線が開通していれば武豊線は建設されていなかった。
  2. 養老線は建設されていなかった。
    • 近鉄養老線が無い為、名鉄揖斐線の廃止がより大きな問題になっていた。
    • 西濃鉄道市橋線は樽見線からの気動車を市橋まで乗り入れさせる形で現在も旅客営業をしていたかもしれない。
  3. 大垣駅には東から入線。当初は四日市-大垣-関ヶ原と直進。
    • 岐阜方面への路線ができたら四日市線の列車は大垣止まりに。
もしあの国鉄路線が全通していたら
北海道/東日本/東海/西日本/四国/九州