もしあの地震が○○だったら
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独立項目
19世紀以前
天正地震(1586年)
- 発生しなかったら
- 内ヶ島家は今でも存続。
- 鉱山掘りとしてある程度活動していた。大阪の陣の堀埋め立てをやっていたかも。
- 後に甲府や佐渡、石見でも活躍、近代鉱山の礎を築いた。
- 江戸時代、譜代大名になっていれば、幕末頃には10万石くらいになっていたかも。
- 後に甲府や佐渡、石見でも活躍、近代鉱山の礎を築いた。
- 鉱山掘りとしてある程度活動していた。大阪の陣の堀埋め立てをやっていたかも。
- 織田信雄は長島城を天守にしたまま清洲移転はなかった。
- 一豊の娘与祢は死ななかった。
宝永地震(1707年)
- 被害が史実より少なかったら
- 史実ではマグニチュード8後半~9クラスと推測されています。
- 南海トラフ地震の対策に大きく影響が出ていた。
- 場合によっては東日本大震災以降も東海地方でマグニチュード9クラスの地震が起きるという予想はなかったかもしれない。
- 宝永の富士山噴火もなかった。
濃尾地震(1891年)
- 発生しなかったら
- 内陸型地震の脅威はあまり知られていなかった。
- その分、阪神淡路大震災の淡路島における被害が大きかった。
- 恐らく、現時点で内陸型地震の代表と呼ばれるのは阪神淡路大震災か。
- 「根尾谷」などという地名を知っているのは地元のごく限られた人に過ぎない。
- 鉄道唱歌(東海道編)の岐阜の部分の歌詞が「長良の川に灯を映す」あたりになっていた。
明治東京地震(1894年)
- マグニチュード8クラスだったら
- 死者は10万人前後だった。
- この地震による災害は「東京大震災」と呼ばれる。
- 場合によってはこの地震による災害が「関東大震災」と呼ばれていた。この場合、1923年に発生した史実の関東大震災は「大正関東大震災」と呼ばれていた。
- この世界だと、1894年の地震による災害は「明治関東大震災」と呼ばれる。
- 場合によってはこの地震による災害が「関東大震災」と呼ばれていた。この場合、1923年に発生した史実の関東大震災は「大正関東大震災」と呼ばれていた。
- 確実に日清戦争で負けていた。
- 東京湾北部断層で発生していたら可能性はあった。
- 首都直下型地震の被害想定モデルはこの地震の被害をもとに作られていた。
- その分、史実の関東大震災の被害は少なかった。それでも死者は数万人出ていたかも。
- 史実通り関東大震災が発生していたら遷都が検討されていたかも。
1900~1980年代
北但馬地震(1925年)
- 震源地が京阪神近郊だったら
- 大阪市、京都市、神戸市などが壊滅的な被害を受けていた。
- 犠牲者は1万人程度になっていた。
- この地震による被害は「関西大震災」と呼ばれていた。
- その場合、1995年に発生した阪神・淡路大震災は「平成関西大震災」と呼ばれていた。
- 関東大震災に続き、日本の2大都市圏が震災の被害を受けていた。
- 名古屋や京城の人口が急増していた。
- 京城への遷都が実現していたかもしれない。
西埼玉地震(1931年)
- 関東大震災並みの被害を受けていたら
- 恐らく大きな被害受けるのは埼玉県と群馬県と栃木県辺り。場合によってはこの地震による災害が「北関東大震災」と呼ばれていた。
- 南関東大震災(史実の関東大震災)と北関東大震災(史実の西埼玉地震)と別れて呼ばれていたかもしれない。
- 場所的に東京でも相当の被害が出ていたと思われるので北関東大震災の名前に抗議の声が出ていた。
- 「第二次関東大震災」か「昭和関東大震災」と呼ばれていただろう。
- 川越の昔の町並みは地震によって壊れてしまう。その分修復費がかかっていたかもしれない。
- 震災復興のため川越線が早期に開通した。
- 津波に関しては内陸で起きているので恐らく起きていない。
- この地震により内陸県でも地震の被害を受けるということで内陸県も地震対策が史実以上に進んでいたかもしれない。
- マグニチュードは7~8間辺り。
- 一部関東大震災の余震という報道もあったかもしれない。
- 史実の関東大震災でも大きな被害を受けていたから、首都を地震や台風の被害がほとんどない京城に移転する声が出てきた。
- または札幌への移転が検討されたかも。
- 地震発生3日前に起こった満州事変はあまり報道されなかった。
- 埼玉県と栃木県と群馬県からの満州への移民の数が史実より多かった。
昭和東南海地震(1944年)
- 3年早く発生していたら
- 発生日が1941年12月7日だったら
- 史実の真珠湾攻撃の前日なので真珠湾攻撃が延期されていた。
- 1年遅く発生していたら
- 発生日が1945年12月7日だったら?
- 終戦直後だったので情報統制も緩いと思われるが、それでも混乱状態だったので被害規模が不明だった所もあったか。
- 三河地震(1945年1月13日発生)が前兆地震ということになっていた。
- 動員学徒などもういないため犠牲者は減っていた可能性が高い。
南海地震(1946年)
- 数年早く発生していたら
- 時期としては東南海地震(1944)の直後か。
- 新聞紙上の報道は一面ではなく真ん中のベタ記事。
- そのため後世の調査では影響が出ていた。
- 高知県など被災地への支援が遅れ犠牲者はさらに増えていた。
福井地震(1948年)
- 発生しなかったら
- 阪神淡路大震災まで震度7は存在せず。
- 阪神淡路大震災でも5と6が強弱に分割されただけだったかも。場合によっては10段階にするため4も分割されたかも。
- 震度7の導入は東日本大震災を待つことに。
- むしろ日本においても気象庁独自の震度階級から国際標準のメルカリ震度階級への変更が検討されたかもしれない。
- 阪神淡路大震災でも5と6が強弱に分割されただけだったかも。場合によっては10段階にするため4も分割されたかも。
- 福井県の衰退はもう少し遅かったか?
- 少なくとも「江戸時代の十大都市が平成では一地方都市」ということにはならなかった。
- そうなると、北陸地方の中心は石川県ではなく福井県に?
- とは言っても、やはり中心は石川だったと思う。少なくとも福井県の人口が100万人を切ることはなかった。
- 北陸は現在よりも地位が高かった。
- 北陸新幹線は国鉄時代に開通していた。
- そうなると、北陸地方の中心は石川県ではなく福井県に?
- 少なくとも「江戸時代の十大都市が平成では一地方都市」ということにはならなかった。
- 大和百貨店は早くとも20世紀末まで福井店を続けていた。
チリ地震(1960年)
- マグニチュード10クラスだったら
- 実際にマグニチュード10は地球上で起こりえる最大規模だと言われておりますが…。
- 日本でも10m以上の津波が観測されていた。最大観測は20mか?
- 東北沿岸は三陸地震並み、西日本沿岸は南海地震並みになっていた。
- 死傷者数はチリ内だけでも1万人。最悪3万人になっていた。
- 死傷者数が6000人どころか10倍~100倍になっていた。
- もしかするとチリ地震ではなく、チリ大地震と呼ばれていた可能性もあり得る。
- 史実通り津波に対する認識が甘ければ、日本の津波被害は想像を絶するくらい受けていた。
- 但し、史実以上に巨大防潮堤を建造しているため、その後の地震による津波被害は最低限に落ち着いたかも。
- 各地に津波の石碑が建っていた。
- 但し、史実以上に巨大防潮堤を建造しているため、その後の地震による津波被害は最低限に落ち着いたかも。
- 確実に南米どころか北米・中米まで地震による被害を受けていた。
- パナマ運河がこの地震でしばらくの間通れなくなっていた。
- 太平洋の小島などでは津波の影響で全滅した島が出ていたかもしれない。そうでなくても全島移民などがされていたかも。
- オーストラリア・ニュージーランドも結構被害を受けていた。
- パナマ運河がこの地震でしばらくの間通れなくなっていた。
- 2年後のFIFAワールドカップ開催を返上していた。
新潟地震(1964年)
- 発生しなかったら
- 地震保険は阪神淡路大震災まで存在しなかった。
- コンビナート火災もあまり知られず、東日本大震災の被害が拡大していた。
- 中越地震まで新潟県には地震安全神話があり、その影響もあって中越地震の被害はさらに大きかった。
- 液状化への対応が現実よりも遅れていた。
- 東日本大震災では東京ディズニーリゾートに大きな被害が出ていた。
- 液状化が日本で広く知られるのは1995年の阪神・淡路大震災だった。
- 1週間早く発生していたら
- 新潟国体が中止に追い込まれた。
- 死者は確実に増えていた。
- 国体の選手やスタッフにも犠牲者が出る。
- マグニチュード8クラスだったら
- 新潟市、酒田市、鶴岡市などで震度7を観測していた。
- 新潟市街は史実以上の被害を受けていた。
- 昭和大橋のみならず、八千代橋や新潟市役所も倒壊していた。
- 沼垂だけではなく古町も壊滅的な被害を受けていた。
- 火災も発生して壊滅的な状態になっていた。
- 山形県庄内地方の被害も史実以上となり、酒田市や鶴岡市は壊滅的な被害を受けていた。
- 史実通り1976年に酒田大火が発生していた場合、酒田市の財政は破綻していたかもしれない。
- 犠牲者は最悪の場合、阪神・淡路大震災と同等となっていた。
- 10m~30m程度の津波が押し寄せていた。
- 羽越本線は長期間に渡り不通となっていた。
- 新潟空港は被害が大きく、長期間使用不能となっていた。
- 新潟市は政令指定都市になれなかったかもしれない。
- 秋田県、山形県内陸部、福島県、新潟県上中越地方にも被害が拡大していた。
- マスメディア等が「北日本大震災」と呼んでいた。
- 「6.16」が合言葉となっていた。
- 1964年の東京オリンピックは中止されていたかもしれない。
- 開催されていたとしても、日本海側では盛り上がれなかった。
- 最悪の場合、日本の高度経済成長はここで止まっていたかもしれない。
- その教訓が活かされ、日本海中部地震、阪神淡路大震災、新潟県中越地震、東日本大震災の被害は軽減されていた。
- とは言え福島第一原発事故は免れない。
- 昭和のうちに地震や津波の捉え方が変わっていた。
- 日本人の防災意識は昭和の時代から高かった。
- 史実通り2004年に新潟県中越地震が発生していたら、新潟県の経済の地盤沈下が激しくなっていた。
- 30年遅かったら
- 翌年1月17日に阪神・淡路大震災が発生したのでそれとの関連が指摘されていた。
- 新潟-神戸歪集中帯が現実よりも早く知られていた。
唐山地震(1976年)
- 震源が北京直下だったら
- 死者は軽く100万人を超え、有史以来最悪の震災となっていた。
- この地震で北京は壊滅し、日本における関東大震災的な扱いの震災となっていた。
- 紫禁城も当然倒壊したため、世界遺産登録が早まったかもしれない。
- 登録当初は危機遺産リストに入っていたかも。
- 紫禁城も当然倒壊したため、世界遺産登録が早まったかもしれない。
- 政府機関の建物が多く倒壊したため、毛沢東も犠牲者の一人となっていた。
- そしてさらには北京以外の都市に遷都していた。
- 文化大革命はこの時点で終わり、開放改革が始まっていた。
- 政府が機能しなくなるため、下手したらこの時点で中国が民主化されていたかもしれない。
- 江青などの「四人組」や華国鋒などもこの地震の犠牲者に。
宮城県沖地震(1978年)
- 発生しなかったら
- 新耐震基準(史実では1981年に制定)の制定が遅れていた。
- そのため阪神・淡路大震災では現実以上に甚大な被害が出ていた。
- 恐らく阪神・淡路大震災発生後に新耐震基準が制定されていた。
- ブロック塀の危険性が認識されるのは1987年の千葉県東方沖地震だった。
- そのため阪神・淡路大震災では現実以上に甚大な被害が出ていた。
- 東北新幹線の大宮~盛岡間開業が2年ほど早まっていた。
- 史実では地震により高架橋が損傷している。
- マグニチュード8クラスだったら
- 仙台市や石巻市で震度7を記録していた。
- 仙台市内ではビルや家屋が多く倒壊していた。
- 平日の夕方に発生ということで、火災が多発していた。
- 一番町、仙台駅前では史実以上の混乱が生じていた。
- 死者は約4000人程度になっていた。
- 東北新幹線の高架橋が倒壊、大宮~盛岡間の開業が数年遅れていた。
- 1985年に上野~盛岡間を一度に開業させていた。
- 阪神淡路大震災での阪神高速や山陽新幹線の高架橋の被害は史実より少なかった。
- 10m~30m程度の津波が発生していた。
- それが教訓になり、東日本大震災の犠牲者は史実より少なかった。
- 宮城球場が大きく被害を受け、建て替えられていた。
- ロッテオリオンズは仙台に本拠地を戻していた。
- 仙台空港は被害が大きく、東日本大震災直後と同様に長期間使用不能となっていた。
- 東北本線の特急列車が脱線していたかもしれない。
- 仙台市営地下鉄は震災復興の一環で建設されていた。
- オイルショック後の不況にあえぐ日本経済に大打撃を与えていた
- バブルはなかったかもしれない。
- 福島県、岩手県、山形県にも被害が拡大していた。
- 福島第一原発はその時点で事故を起こしていたかもしれない。
- 計画停電や節電の動きが昭和のうちに起こっていた。
- 日本の電力は史実ほど原発には依存しなかった。
- 福島第一原発はその時点で事故を起こしていたかもしれない。
- 東北における仙台一極集中は史実ほど進まなかった。
- 仙台市の政令指定都市移行が史実より遅れていた。
- 昭和のうちに地震の捉え方が変わっていた。
- 「6.12」が合言葉となっていた。
- マスメディア等が「東北大震災」または「昭和東日本大震災」と呼んでいた。
- この場合、2011年に発生した史実の東日本大震災は「平成東日本大震災」と呼ばれていた。
- 史実通り2011年に東日本大震災が発生していたら、東北地方の経済の地盤沈下がもっと激しくなっていた。
- 4年遅く発生したら
- 6月以降に発生した場合、すでに東北新幹線が開業していたことから、新幹線が高架橋の倒壊に巻き込まれて脱線し、多数の死傷者を出した。
- 翌年発生した日本海中部地震との関連も指摘されるようになっていた。
- 40年遅く発生したら
- 同年には大阪府北部地震や北海道胆振東部地震が発生しているので、地震が多い年と言われていた。
- それらの地震との関連性が必ず指摘されていた。
- 地震ではないが西日本豪雨や台風21号災害もあったことから、同年は災害の多い最悪の年とされていた。
- 年末の「今年の漢字」が「災」になるのは史実通り。
- 翌年発生した山形県沖地震との関連も指摘されるようになっていた。
日本海中部地震(1983年)
- マグニチュード8クラスだったら
- 能代市や男鹿市で震度7を記録していた。
- 津波の高さは10m以上になっていた。
- 平日の昼に発生したため、火災の被害が激しくなっていた。
- 秋田市内は大火になっていたかもしれない。
- 秋田県や青森県のみならず、山形県庄内地方でも被害が出ていた。
- 酒田市は1976年の酒田大火に続く被害を受けていた。
- 犠牲者は1000人を越えていた。
- その教訓が活かされ、阪神淡路大震災や東日本大震災の被害は史実より軽減されていた。
- とは言え福島第一原発事故は免れない。
- 昭和のうちに地震や津波の捉え方が変わっていた。
- 「5.26」が合言葉となっていた。
- マスメディア等が「北日本大震災」と呼んでいた。
- 史実通り2011年に東日本大震災が発生していた場合、東北地方の経済の地盤沈下がもっと激しくなっていた。
- 20年遅かったら
- 同日夕方には三陸南地震が発生しているので、その2つの地震でこの日のニュースは持ちきりになっていた。
- 18時24分に発生していることから、その時間帯以降の報道体制は大変な事になっていた。
- 三陸南地震が20年早く発生していた場合もまた然り。
- 18時24分に発生していることから、その時間帯以降の報道体制は大変な事になっていた。
- 28年遅かったら
- 同年の3月に発生した東日本大震災との関連性が必ず指摘されていた。
- 東日本大震災より後に発生していた場合、その誘発地震だと言われていた。
- 36年遅かったら
- 史実通り5月に発生した場合、発生が令和時代が始まったばかりの頃だったことから、「令和は地震で始まった」と言われていた。
- 同年の6月に発生した山形県沖地震との関連性が指摘されていた。
1990年代
北海道南西沖地震(1993年)
- 発生が昼間だったら
- 迅速に避難できるため犠牲者は減っていた・・・と信じたい。
- 1983年の日本海中部地震の教訓が生かされた格好となっていただろう。
- 津波襲来をとらえた写真が残されている。
- インド洋大津波より10年以上前に多くの人々が津波の恐怖を認識できていた。
- 空からの救援もやりやすかった。
- プロパンガスボンベが火元のため火災発生はどのみち避けられない。
ノースリッジ地震(1994年)
- 1年遅く発生していたら
- 発生日が1995年1月17日だったら
- 日本では同日に阪神・淡路大震災が発生しているので日米両国で地震のネタで持ちきりになっていた。
- 日本時間で夜の9時台に発生していることから、その時間帯以降の報道体制は大変な事になっていた。
- 日本だと阪神震災特番であまり取り上げられなかっただろう。
- 高速道路の倒壊から助かった人の中には「阪神淡路大震災の高架橋倒壊がよぎった」という人もいた。
北海道東方沖地震(1994年)
- 震源地が○○だったら
- 北方領土寄りだったら
- 震源地は恐らく択捉島辺り。北海道の被害はそれほど受けなかったと思われる。但し、その分北方領土の被害が大きくなることに…。
- 色丹島だけじゃなくて他の北方領土の島も衰退していたかもしれない。
- 場合によっては北方領土問題に影響し、歯舞色丹国後の三島返還でカタがついていたかも。
- 惜しむらくは、この時期日本が細川・羽田政権→村山の自社さ連立という混乱期だったということか。もしここでタカ派の政治家が政権を取っていれば、返還の可能性は大きかったけど、このメンツなら無理そう。
- 色丹島だけじゃなくて他の北方領土の島も衰退していたかもしれない。
- 恐らく日本として震災ではなくロシアとしての震災になっていたかもしれない。恐らくイトゥルップ地震と呼ばれていた。
- 北海道寄りだったら
- 釧路市か根室市辺りで震度7を観測していた可能性がある。その分北海道の被害が大きくなっていた可能性がある。
- 負傷者は多くて800~1000人ぐらい居ただろうな…。
- 色丹島は史実通り衰退していたか?
三陸はるか沖地震(1994年)
- 別の時代に発生していたら
- 1年後(1995年)
- 同年は1月に阪神・淡路大震災が発生したこともあり、「地震に始まり地震に終わった1年だった」と言われるようになっていた。
- 16年後(2010年)
- 後に翌年3月に発生した東日本大震災との関連が指摘されるようになっていた。
- 25年後(2019年)
- 同年1月に熊本で震度6弱の地震が発生したこともあり、「地震に始まり地震に終わった1年だった」と言われるようになっていた。
- 29年後(2023年)
- 後に翌年元日に発生した能登半島地震との関連が指摘されるようになっていた。
- マグニチュード8クラスだったら
- 八戸市で震度7を記録していた。
- 年末の帰省時期ということもあり、犠牲者は5000人を越えていただろう。
- 最悪の場合、東日本大震災と同等かそれ以上の犠牲者が出ていた。
- 10m~30m程度かそれ以上の津波が押し寄せていた。
- 岩手県などの東北全県にも被害が拡大していた。
- バブル崩壊後の不況にあえぐ日本経済に大打撃を与えていた。
- 史実通り1ヶ月後の1995年1月17日に阪神・淡路大震災が発生していた場合、日本経済は破綻寸前の状態に陥っていた。
- 消費税5%増税は、史実より1年早く1996年4月から施行されていた。
- あるいは半年早く1996年10月から施行されていた。
- 消費税5%増税は、史実より1年早く1996年4月から施行されていた。
- 史実通り1ヶ月後の1995年1月17日に阪神・淡路大震災が発生していた場合、日本経済は破綻寸前の状態に陥っていた。
- その教訓が活かされ、2011年における東日本大震災の被害は史実より少なかっただろう。
- とは言え福島第一原発事故は免れない。
- マスメディア等が「東北大震災」または「東日本大震災」と呼んでいた。
- この場合、2011年に発生した史実の東日本大震災は「平成23年東日本大震災」と呼ばれていた。
- 史実通り2011年に東日本大震災が発生していたら、東北地方の地盤沈下がもっと激しくなっていた。
- 「12.28」が合言葉となっていた。
- 発生しなかったら
- 八戸は史実より地位が上がっていた。
- 仙台一極集中と東北の仙台ジャイアニズムは史実よりかなりマシになっていた。
- 八戸港からのフェリーは史実よりも多く出ていた。
- 八戸は史実よりもマンションは増えていた。
- 技術的、水深的に難しくても大間に新トンネルの建設がはじまっていたかもしれない。
ネフチェゴルスク地震(1995年)
- 日本でも被害を受けていたら
- 日本でも被害受けたとは言っても、稚内市の北海道北部ぐらいしか大きな被害を受けていないか。
- 北海道では阪神淡路大震災の影がやや薄くなっていた。
- 震源地がネフチェゴルスクではなく最もサハリン南部だったらあり得た。
- 史実通り同じ震源地なら恐らくマグニチュードは8後半~9前半になっていた可能性がある。
- 場合によっては津波が起きかねない。その場合北海道北部を中心に被害を受けていた。
- その場合、サハリン州全土に被害が及んでいたかもしれない。だからといって日本に返還される可能性はなさそうだが。
- 史実通り同じ震源地なら恐らくマグニチュードは8後半~9前半になっていた可能性がある。
- 被害規模もネフチェゴルスク並み(住民のうち3/4が死亡)だったら大変なことに。
イズミット地震(1999年)
- イスタンブール直下が震源だったら
- 名称が「イスタンブール大震災」になっていた。
- 旧市街の歴史的建造物に被害が続出。
- 例:モスクのミナレットがあちこちで無残に折れる。
- 危機遺産リスト入りしていた恐れが非常に高い。
- ボスポラス橋が倒壊していたらアジア側とヨーロッパ側が完全に分断されていた。
- 観光客の犠牲者も多い。
- マルマライ計画は防災の側面も持たされていた。
- イスタンブールのオリンピック招致にも影響があったはず。
921大地震(1999年)
- 発生しなかったら
- 集集のイメージといえば満場一致で「日本時代の古い駅舎」。
- 台湾の防災日は全く別の日に。
- この地震で日月潭が被害を受けなかったため現在ももっとにぎわっていた。
- 大安溪大峡谷は存在しない。
- 東日本大震災後の台湾からの支援がやや少なくなっていた可能性あり。
- ニンテンドウパワー用GBメモリカートリッジの発売が2000年3月1日に延期されることはなかった。
2000年代
鳥取県西部地震(2000年)
- 1年早かったら
- ノストラダムスの予言と合わせた陰謀論が多数出ていた。
- 下記のようにM8クラスだったら尚更。
- 災害訓練より前の話だったため、死者が数名出ていた。
- さくらももこが揺れを経験することもなかった。
- というわけで、自身の著書『さくらえび』でネタにされることもなかった。
- マグニチュード8クラスだったら
- この場合は世紀末と合わせた陰謀論が広がっていた。
- 「1年遅いノストラダムス」とも。
- 死者は鳥取・島根の両県で出ていた。
- 山陰の過疎化が史実より著しく進行していた。
- 出雲大社や玉造温泉と言った観光地でも被害が出ていた。
- 京阪神や広島でも震度4~5の揺れを記録していた。
- マスメディア等が「山陰大震災」と呼んでいた。
- 「10.6」が合言葉となっていた。
- 出雲駅伝はこの時点で初の開催中止を余儀なくされていた。
芸予地震(2001年)
- マグニチュード7~8クラスだったら
- 広島・愛媛両県で震度7を記録していた。
- 広島市内でビルや家屋が多く倒壊していた。
- 三角州が多く地盤が悪いので阪神大震災を上回る被害が出ていた。
- 加えて山の斜面にある住宅地では土砂崩れなどもあった。
- 土曜の午後に発生ということで紙屋町、本通、八丁堀などで相当な混乱が生じていた。
- 三角州が多く地盤が悪いので阪神大震災を上回る被害が出ていた。
- 死者は阪神大震災と同等かそれ以上となっていた。
- 原爆ドーム・宮島の厳島神社に被害が出ていた。
- 道後温泉本館が倒壊していたかも。
- 当時の広島市民球場が大被害を受け、新広島市民球場への移転が早まっていた。
- 復旧までは福山市民球場やマスカットスタジアムを代替として使っていた。
- 被害次第では危機遺産リスト入りしていた恐れもある。
- 山陽新幹線が岡山以西で不通になったため、大阪~福岡間の輸送を確保するために航空便が増便されていた。
- 最悪山陽新幹線が高速で脱線し、新幹線の死亡事故0の記録が途切れていた。
- 震源が海だった場合、津波が発生していた。
- 「瀬戸内海でも津波が発生するのか…」と驚きの声が上がっていた。
- 現実では上蒲刈島の沖が震源だったため呉や松山で津波が観測されていたと思われる。
- それでも広島・松山の路面電車は比較的早くに復旧していた。
- 路面電車が地震に強いことが実証され、各地でLRTが見直されるきっかけになっていた。
- ただし車庫が被害を受けた場合は復旧に時間がかかっていた。
- それでも津波が発生していた場合は車両が浸水被害を受けていたかもしれない。
- 発生が21世紀が始まったばかりの頃だったことから、「新世紀も波乱の幕開けになった」と言われていた。
- 広島空港・広島西飛行場がともに被害を受け空の便にもかなりの影響があった。
- 被害額や犠牲者数が最も大きかったのはおそらく呉市。
- 斜面が崩壊し住宅などが巻き込まれた映像が国内外に衝撃を与えていた。
- 大和ミュージアムは震災復興事業の一環として建設されていた。
- 01年の原水爆禁止世界大会は広島で開催できなかったかもしれない。
- 史実では地震発生の翌月にオープンした紙屋町シャレオの開業が大幅に遅れていた。
- 三江線や可部線の可部~三段峡が地震で被害を受け廃止されていた可能性がある。
- 広島東洋カープのリーグ優勝(現実には2016年に25年ぶりに優勝)が史実よりも早まっていた可能性がある。
- おそらく広島~岡山のエリアに震災安全神話はない。あるいは内陸の備後府中とか三次あたりならありえるか。
- 山口県にも被害が拡大していた恐れあり。
- マスメディア等が「西瀬戸大震災」と呼んでいた。
- 広島駅の新駅ビルは震災復興に合わせて建設されていた。
- 広島市、松山市の人口が大きく減少していた。
- 中四国の中心都市としての機能が岡山市、倉敷市、高松市に移転していた。
- 岡山市は史実より早く政令指定都市に移行していた。
- 倉敷市、高松市の人口は平成10年代のうちに50万人を突破していた。
- 中四国の中心都市としての機能が岡山市、倉敷市、高松市に移転していた。
- 2003年の大河ドラマは、当初の予定(武蔵 MUSASHI)から広島県や愛媛県を舞台にしたものに急遽変更。
- 戦国だと、毛利元就。
- 「坂の上の雲」が2003年に放送されていたかも。
- 2003年秋期の朝ドラも、広島県や愛媛県を舞台にしたものになる。
- その場合だと、「てっぱん」か?
- 「3.24」が合言葉となっていた。
- 2001年のひろしまフラワーフェスティバルは中止されていた。
- 史実通り2018年に西日本豪雨が発生していたら、中国・四国地方の経済の地盤沈下が現実よりもっと激しくなっていた。
- 6年早く発生していたら
- 同年1月に発生した阪神・淡路大震災との関連性が必ず指摘されていた。
- 阪神・淡路大震災より後に発生していた場合、その誘発地震と言われていた。
- 10年遅く発生していたら
- 同じ年の3月には東日本大震災も発生しているので、東西ともに地震のニュースで一杯に。
- 発生場所は離れているものの、その誘発地震と言われていた可能性もある。
- 扱いとしては数日以内に発生した長野県北部地震、静岡県東部地震と同じくらいか。
- 東日本大震災から逃げてきた人たちが被害を受けていた。
- 15年遅く発生していたら
- 同年4月に発生した熊本地震との関連が必ず指摘されていた。
- 熊本地震より後に発生していた場合、その誘発地震と言われていた。
- この年の今年の漢字は「金」にならなかっただろう。
- この時点で2回目の「災」になっていた可能性がある。
十勝沖地震(2003年)
- マグニチュード9クラスだったら
- 史実ではM8.2。
- 浦河町辺りで震度7を記録した。
- 最大40mの津波が襲っていた。
- その教訓を東日本大震災に活かせていた…と信じたい。
- とはいえ福島第一原発事故は免れない。
- どこまでが震源なのかにもよるが、千島海溝全域だった場合は女川がギリギリ影響を受けるくらいだろう(なお女川原発は東日本大震災に耐えている)。
- 少なくとも苫東厚真火力発電所の地震対策が改善されていたと思われ、北海道胆振東部地震で苫東厚真が止まったために北海道全域が停電するという事態は避けられていた。
- とはいえ福島第一原発事故は免れない。
- 東日本大震災より8年前に津波の捉え方が変わっていた。
- サザンオールスターズの「TSUNAMI」が12cmCDで再発売されることはなかった。
- 北海道大震災。
- 北日本大震災。
- 第一次東日本大震災。
- 北日本大震災。
新潟県中越地震(2004年)
- 発生しなかったら
- 2004年の新潟での自然災害は7.13水害関連の報道で占められていた。
- 新幹線200系K25編成は2007年現在も現役。
- もちろん「ときタン」のフラッシュが製作されることはなかった。
- 脱線事故が無かったため、新幹線の安全性もそれほど注目されていない。
- 長岡市の合併後、旧山古志村の長島忠美村長が衆議院議員になることはなかった。
- 中越・魚沼両地方の人口減少は緩やかだった。
- むしろ新潟県内の市町村合併は大規模にはならなかったかも。
- 合併があったとしても編入されるのは1町村ずつになっている可能性あり。
- 山古志村は史実通り長岡市に編入されるが、それ以外の市町村も巻き込まれることはなくなっているだろう。
- もちろん川口町は存続していた。
- 塩沢町も南魚沼市に編入されることもなく現存していただろう。
- むしろ新潟県内の市町村合併は大規模にはならなかったかも。
- 映画『マリと子犬の物語』が製作されることはない。
- 県内の公共施設の地震対策が進んでいないため、2007年中越沖地震の被害がさらに拡大していた可能性も。
- 一方「中越地震」と「中越沖地震」が紛らわしい、という事は無かった。
- 「中越沖地震」が「中越地震」になっていた。
- 2度立て続けには起こっていないので、新潟に地震のイメージが着くこともなかった。
- 一方「中越地震」と「中越沖地震」が紛らわしい、という事は無かった。
- 地震発生時魚沼の実家にいた大桃美代子が注目されなかった。
- 新潟アルビレックスのプロ野球参入も実現していた・・・か?
- ポケットモンスター アドバンスジェネレーション』で「ゆれる島の戦い! ドジョッチVSナマズン!!」は予定通り放映されていた。
- そのため「海の男! 四天王ゲンジ登場!!」は第102話として放映されていた。
- 「じしん」等の地面を揺らす技がその当時は自粛される事はなかった。
- テレビアニメ『ブラック・ジャック』の「Karte03:ひったくり犬」も予定通り放映されていた。
- そのため「海の男! 四天王ゲンジ登場!!」は第102話として放映されていた。
- 2ちゃんのアニメ関係の板が分割される時期が遅れていた。
- 数日前に豊岡市で発生した台風23号被害がもっとクローズアップされていた。
- 三洋電機の経営悪化はなかったかもしれない。
- パナソニックに吸収されることもなかった。
- ハードオフエコスタジアム新潟の開業が早まったかもしれない。
- 史実より1年早く、2008年の春には開業していた。
- その年のオールスターゲームは1試合新潟で開催していた(中越地震の前に2008年のオールスター開催が決定していたが、地震の影響で2010年に延期)。
- 史実より1年早く、2008年の春には開業していた。
- この日放送予定だった『ドラえもん 今夜公開!! 誰も知らない ドラえもんの秘密スペシャル!』が12月に延期されることももちろんなかった。
- 同年の「今年の漢字」は「災」ではなくアテネ五輪に由来する「金」になっていたかも。
- 冬のソナタをはじめとした韓流ブームに由来する「韓」かもしれない(実際、「災」に次いで2番目に票数が多かったらしい)。
- 22年早く発生していたら
- 上越新幹線の開業が遅れていた。
- 翌1983年3月となっていた。
- 10年早く発生していたら
- 翌年1月17日に阪神・淡路大震災が発生したのでそれとの関連が指摘されていた。
- 新潟-神戸歪集中帯が現実よりも早く知られていた。
- 当時の基準では最大震度は6だった。
- 5年早く発生していたら
- ノストラダムスの予言と合わせた陰謀論が多数出ていた。
- この年は1月のコロンビア地震や8月のトルコ西部地震、9月の台湾大地震もあったので、現実以上に地震の多い1年と言われていた。
- 史実通り10月23日に発生していたら、3ヶ月連続で地震に遭っていたことになる。
- 9月には東海村JCO臨界事故があったこともあり、同年の「今年の漢字」は史実より5年早く「災」になっていた。
- 史実通り10月23日に発生していたら、史実ではこの日に放送された日本シリーズ第1戦 中日対ダイエーの中継は予定通り放送できていたのだろうか?。
- 3年遅く発生していたら
- 同年の7月に発生した新潟県中越沖地震との関連性が指摘されていた。
- 7年遅く発生していたら
- (史実通り10月23日に発生していた場合、)同じ日にトルコ東部地震も発生しているので、この日は国内外ともに地震のニュースで持ちきりになっていた。
- 同年に発生した東日本大震災との関連性が指摘されていた。
- 10年遅く発生していたら
- この年は8月の広島土砂災害や9月の御嶽山噴火もあったので、現実以上に自然災害の多い1年と言われていた。
- 史実通り10月23日に発生していたら、3ヶ月連続で自然災害に遭っていたことになる。
- 同年の「今年の漢字」はこの時点で2回目の「災」になっていた。
- 2018年は史実通りか?
- この地震の影響で、北陸新幹線の全線開通が遅れていた可能性も。
- 12年遅く発生していたら
- 同年の4月には熊本地震が発生したため、南北ともに地震のニュースで一杯になっていた。
- 2016年における「今年の漢字」は「震」あるいは「災」となっていた(史実では「金」)。
- 15年遅く発生していたら
- 4月までに発生していたら、平成は地震で終わったと言われていた。
- 平成→令和改元が史実ほど盛り上がらなかった。
- 5月以降に発生していた場合、令和初の大地震と言われていた。
- 「令和も平成と同じく災害と向き合わなければならないのか…」と嘆く人が多かった。
- 同年6月18日に発生した山形県沖地震との関連性が必ず指摘されていた。
- 6月19日以降に発生していたら、「6月の地震は中越地震の前触れだったのか」と言われていた。
- 史実通り10月に発生していたら、台風19号災害もあったため、この2つの災害で10月のニュースは持ちきりになっていた。
- ラグビーワールドカップは史実ほど盛り上がらなかった。
- 北陸新幹線は尋常じゃないほどの大打撃を受けていただろう。
- 同年10月31日に発生した首里城火災の扱いがやや小さくなっていた。
- 同年の「今年の漢字」は2年連続で「災」になっていた。
- 史上初めて2年連続で同じ漢字が選ばれていた(「災」自体は2004年にも選ばれているので3度目)。
- 地震に加えて台風災害や首里城などの火災もあったので。
- 17年遅かったら
- 「東京で五輪が開催される年は新潟で大地震が起こる」というジンクスが生まれていた(前回の東京五輪が開かれていた1964年に新潟地震が発生していたため)。
2004年スマトラ島沖地震(2004年)
- 発生しなかったら
- アチェは今でも独立戦争をしていた。
- タイがマングローブの保護をここまで推し進めることはなかった。
- 9年早く発生していたら
- 同年は1月に阪神・淡路大震災が発生したこともあり、「地震に始まり地震に終わった1年だった」と言われるようになっていた。
- 7年遅く発生していたら
- 同年に発生した東日本大震災といい、「この年は地震に始まり地震に終わった」と言われていた。
- 日本からも支援する動きが見られるが、一部から「そんなことより日本の被害を支援しろ」なんて言われるかもしれない。
福岡県西方沖地震(2005年)
- 直下型地震だったら
- 福岡市とその周辺で震度7を記録していた。
- 同年は阪神がセ・リーグ優勝したので、「日本国内で震度7の地震が発生した年は阪神はBクラス」というジンクスは崩れていた。
- 久留米市や県境を越えた佐賀県佐賀市などでも震度6強位はいっていた。
- 警固断層帯の陸側が動いていたらこうなっていた。
- 九州及び、日本の経済に大打撃を与える。
- 2000年代中盤の一時的な景気回復がなく、バブル崩壊後ずっと就職難が続いていた。
- 阪神淡路大震災然り東日本大震災然り、海外からは「景気回復の兆しが見えると共に大地震が起こる」と思われる。
- 九州の中心都市としての一部機能が北九州や熊本に移転する。それに伴い、北九州市はもう少し長く100万人都市だった。
- 長崎、大分、鹿児島にも九州の中心都市としての一部機能が移転していたかも。
- 2000年代中盤の一時的な景気回復がなく、バブル崩壊後ずっと就職難が続いていた。
- 太宰府天満宮等の貴重な史跡が跡形も無く崩壊する。
- 線路が寸断された宮地岳線は復旧することなく休止のまま全線廃止に。
- 老朽化の上、免震構造でないビルが多いために神戸より被害が拡大する。
- 博多駅前は特に地盤が弱かったことから甚大な被害が出ていた。
- 西鉄天神大牟田線の高架橋が崩壊している画像が全国に流れる。
- その後も一足先に復旧したJR九州の鹿児島本線に客を奪われ、関西や中京の大手私鉄と同様に利用客減少に悩むこととなった。
- そのため天神大牟田線は日中の急行を廃止して特急に統一され、同時に停車駅も増えて日中の特急に3扉車が混用されるようになる。
- JRは小倉-博多-大牟田に特別快速を最高速度130km/hで設定(小倉-博多は49分、博多-大牟田は45分で運転)。九州新幹線全線開業後は毎時2往復に増発され、小倉-博多-大牟田では快速と合わせて毎時4往復となり完全に西鉄を突き放す。
- 北九州-福岡間の高速バスにも影響が出ていたかもしれない。
- 一部は門司港や熊本まで延長運転されていた。
- 佐賀方面にも。
- その後も一足先に復旧したJR九州の鹿児島本線に客を奪われ、関西や中京の大手私鉄と同様に利用客減少に悩むこととなった。
- 佐賀県や熊本県にも被害が拡大していた恐れあり。
- 長崎の壱岐は実史以上に酷くなった
- 玄海島はその後無人島に
- 福岡空港も都心に近いため被害が大きく、長期間使用不能となる。
- 佐賀空港が無事だった場合、ここが第二空港として存在が見直されていた。
- 北九州空港の移転(史実では2006年3月)も半年ほど前倒しされていた。
- 死者は約6000~7000人。
- 漫画『スケッチブック』で地震を題材にした話が作られていた。
- 熊本市・佐賀市・大牟田市が近年発展。
- 北九州市も永年の低迷から見事復活を果たし、福岡市民に「キタキュー」と蔑視されることもない。
- ただし、他地区も被害が膨大だったらこの限りではない。
- 民間企業の多くが支社・支店を福岡市内から小倉に移転させたり、門司に戻させたりしていた。
- 熊本に上記のそれを移す企業も絶えなかった。近隣県内の支社・支店機能を統合する例も増える。
- 大分市の人口も平成10年代のうちに50万人を突破していた。
- 熊本市は省庁の出先機関の福岡からの移転もあり人口が大きく増加。さらに宇土市などを吸収合併して人口100万人を達成していた。
- 長崎市の人口も平成のうちに50万人を突破していた。
- 鹿児島市も人口が大きく増加して政令指定都市に移行していた。
- 佐世保市の人口も平成のうちに30万人を突破していた。
- 北九州市も永年の低迷から見事復活を果たし、福岡市民に「キタキュー」と蔑視されることもない。
- 福岡県内を走る山陽新幹線が脱線し、多数の死傷者が出る。
- 新幹線開業以来死者0の記録が途切れてしまう。
- 震災1週間までは新下関止まり、復旧を持って博多まで運行を再開した。
- おそらく関門トンネルの被害が無ければ、1週間で小倉まで運転再開。
- もしかしたら復興もかねて小倉-博多間に新駅ができていたかも。
- 福岡ドームが地震で被害を受けたため、2005年のプロ野球パ・リーグの試合日程が遅れることとなった。
- セ・パ交流戦の日程にも影響を与えていた。
- 埋立地に球場が立地していることから、液状化により場合によっては修復不能と言えるほどの損傷を受けていた可能性もある(地震の程度にもよるが)。
- 最悪球場の建て替えか移転を余儀なくされた可能性もある。
- その場合、球場の工事期間中はホークスは近県の球場を借用していたか、かつてのロッテのようなジプシー球団となっていたかも。
- 2005年以降のホークスは現実ほど強くなかったかもしれない。
- 熊本県がホークスの本拠地移転の誘致に熱心になる。
- 2010年以降における優勝回数および日本一回数も史実ほど多くなかったかも。
- この場合2010年は西武、2011年と2015年は日本ハム、2014年はオリックス、2017年は楽天か西武、2020年はロッテがパ・リーグ優勝していたかも。西武は2018年か2019年のいずれかの年に日本シリーズ出場を果たしていた可能性が高い。
- 2005年以降のホークスは現実ほど強くなかったかもしれない。
- その場合、球場の工事期間中はホークスは近県の球場を借用していたか、かつてのロッテのようなジプシー球団となっていたかも。
- 最悪球場の建て替えか移転を余儀なくされた可能性もある。
- 同年4月25日に発生した福知山線脱線事故の扱いがやや小さくなっていた。
- 九州新幹線鹿児島ルートの全線開通が1~2年遅れていた。
- 鹿児島から九州北部へのストロー現象も発生しなかった。
- ただその場合、開業のタイミングが東日本大震災と重ならなかったため、開業による祝賀ムードは現実よりも盛り上がっただろう。
- 逆に九州新幹線のそれが早まったかも。熊本市が上記の支社・支店・出先機関の機能が移ることにより,「九州の中心」として栄える。九州中部へのストロー現象になったかもしれない。
- 博多駅の新駅ビルは震災復旧に合わせて建設されていた。
- 2007年の大河ドラマは、当初の予定(風林火山)から福岡県を舞台にしたものに急遽変更。
- 戦国だと、黒田孝高&長政親子。
- この場合2014年が「風林火山」になって小海線のハイブリッド車にラッピングが施されるかも。
- 戦国だと、黒田孝高&長政親子。
- 2007年春期の朝ドラも、福岡県を舞台にしたものになる。
- この場合だと、「花子とアン」か?
- 柳原白蓮主人公の朝ドラが作られる。
- 村岡花子主人公の朝ドラも後に作られるが、柳原白蓮の出番は大きく省略され、むしろ馬込文士村における文士達との交流が強調される。
- 柳原白蓮主人公の朝ドラが作られる。
- 「どんど晴れ」の舞台となる旅館(加賀見屋)が、岩手県から福岡県に設定変更される。
- ラストシーンで加賀見屋が参加する祭りが、さんさ踊りではなく博多祇園に。
- 主題歌が、小田和正から福岡県出身の歌手に変更。
- 当時、朝ドラになって居ない県を順番に舞台にしていたので、瞳の出身地が北海道から岩手県に変更される。(史実だと、岩手(どんど晴れ)→福井(ちりとてちん)→[瞳]→島根(だんだん)→埼玉(つばさ))
- 2007年春期ではなく、2007年秋期の朝ドラなのでは?
- NHKの朝ドラは春期は東日本、秋期は西日本と決められているため。
- 「ちりとてちん」の舞台が福井県から福岡県に設定変更されていた。
- この場合だと、「花子とアン」か?
- 2005年の博多どんたくは中止されていた。
- 震災復興を掲げて2016年か2020年の五輪に立候補し、当選していた。(実際には2016年五輪の国内候補都市に立候補し落選)
- 五輪に落選していた場合、2025年の万博は大阪ではなく福岡で行われていた。
- 「3.20」が合言葉となっていた。
- 消費税8%は、遅くとも2012年10月までには施行されていた。
- 史実以上に復興資金を費やすことになり、2014年3月まで5%を続けるのは困難と予想される為。
- むしろ史実より5年早まって2009年4月に8%、2014年10月に10%になっていたかもしれない。
- テレビ西日本局舎が倒壊していた可能性もある。
- 2011年に福岡市の人口が京都市のそれを抜くことはなかった。
- 2015年に神戸市の人口を抜くこともなかった。
- 史実通り熊本地震が発生していたら九州経済の地盤沈下が現実よりもっと激しくなっていた。
- この地震と熊本地震の関連性を指摘する人が現実よりも多かった。
- 地震の名称は「2005年福岡地震」になっていた。
- マスメディア等が「北部九州大震災」と呼んでいた。
- 愛知万博は史実ほど盛り上がらなかった。
- 田中カ子さんの119歳と言う記録的な長寿はなかったかも。
- 同年の「今年の漢字」は昨年に引き続き「災」となり、史上初めて2年連続で同じ漢字が選ばれていた(史実では「愛」)。
- 地震に加えて福知山線脱線事故もあったので。
- 10年早かったら
- 同じ日には地下鉄サリン事件も発生したので、報道現場は大変なことになっていた。
- 史実と同じ時間に発生した場合、サリン事件のニュースの間に地震速報が入れられていた。
- 同年1月には阪神・淡路大震災も発生したので、それとの関連性も指摘されていた。
- バブル崩壊後における日本の不況は現実以上に深刻なものとなっていた。
- 2年早かったら
- 同じ日にはイラク開戦のニュースもあったので、報道現場は大変なことになっていた。
- 史実と同じ時間に発生した場合、イラク開戦のニュースの間に地震速報が入れられていた。
- 6年遅かったら
- 同じ月には東日本大震災が発生したので、東西ともに地震のニュースで一杯に。
- その東日本大震災との関連性も指摘されていた。
- 規模によっては鹿児島ルートが全線開通したばかりの九州新幹線にも被害が出ていた可能性がある。
- 11年遅かったら
- 1ヶ月も経たないうちに熊本地震が発生したので、九州は大地震が相次いだ年となっていた。
- その熊本地震との関連も指摘されていた。
- 九州新幹線は福岡県内でも被害が出ていたかもしれない。
能登半島沖地震(2007年)
- マグニチュード8クラスだったら
- 史実ではM6.9でした。
- 1m以上の津波が押し寄せていた。
- 死者は少なくとも10人は超えていた。
- 雨だったから避難が困難だった。
- マスメディア等が「能登半島大震災」と呼んでいた。
- 最大震度が7だった。
- 富山県西部でも震度6はいっていた。
- 輪島市は壊滅状態。七尾市も大被害。
- 苗山事件がスルーされていた
- その教訓が活かされ、2024年元日における能登半島地震の被害は史実より少なかっただろう。
- 2年早かったら
- 史実通り福岡県西方沖地震が発生していたら東西どちらも地震のニュースで一杯だった。
- 福岡県西方沖地震と結びつける輩がいた。
- 丸一ヶ月後の福知山線脱線事故と結びつけるものもいた。
- 今年の漢字は愛じゃなかった。
- 3月までに発生した場合、のと鉄道能登線はこの地震での被災が理由で廃止されたことになっていた。
- 4年遅かったら
- 同じ年の3月に発生した東日本大震災との関連性が必ず指摘される。
- その震災の誘発地震として扱われていた。
新潟県中越沖地震(2007年)
- 発生しなかったら
- 新潟県にここまで地震というイメージは付かなかった。
- 柏崎刈羽原発が被害を受けず、東日本大震災までは稼働できていた。
- この夏の電力が逼迫することもなかった。
- 震源地が中越地震と同じだったら
- この地震は「2007年新潟県中越地震」と呼ばれていた。
- 中越地震の教訓もあって被害は軽微だった。
- 柏崎刈羽原発に被害が及ぶこともなかった。
- 緊急停止することはあったとしても、1ヶ月以内には復旧していた。
- 12年早かったら
- 同年1月に阪神・淡路大震災が発生したのでそれとの関連が指摘されていた。
- 新潟-神戸歪集中帯が現実よりも早く知られていた。
- 3年早かったら
- 同年の10月に発生した新潟県中越地震との関連性が指摘されていた。
- 中越地震より前に発生していた場合、その前震だったと言われていた。
- 4年遅かったら
- 同年3月に発生した東日本大震災との関連性が指摘されていた。
- 柏崎刈羽原発の被災は、福島第一原発事故と合わせて反原発運動が史実以上に盛り上がっていた。
- 7年遅かったら
- マスメディア等が「10年前の再来」とか言っていたのは間違いない。
- 北陸新幹線の全線開通が遅れていた。
- この年は1~2月の大雪や8月の広島土砂災害、9月の御嶽山噴火もあったので、現実以上に自然災害の多い1年と言われていた。
- 史実通り7月16日に発生していたら、3ヶ月連続で自然災害に遭っていたことになる。
- 今年の漢字はこの時点で2回目の「災」になっていた。
- 12年遅かったら
- 同年6月に発生した山形県沖地震との関連性が指摘されていた。
- 史実通り7月16日に発生していた場合、京アニ放火事件は現実ほどマスコミに取り上げられなかった。
- 14年遅かったら
- 「東京で五輪が開催される年は新潟で大地震が起こる」というジンクスが生まれていた(前回の東京五輪が開かれていた1964年に新潟地震が発生していたため)。
- 史実通り7月に発生した場合、東京五輪どころではなくなっていたかも。
- マグニチュード7クラスだったら
- 柏崎市や刈羽村で震度7を観測していた。
- 10m~30mの津波が押し寄せていた。
- 柏崎刈羽原発は最悪の場合、メルトダウン事故を起こしていたかもしれない。
- 東京電力だけにやりかねない。
- 新潟県の広い範囲が避難区域となっていた。
- 計画停電や節電の動きが現実より4年早く起こっていた。
- 反原発運動の台頭が史実より早まり、逆に福島第一原発事故は回避出来たかもしれない。
- 新潟県の農産物が輸出禁止になっていた。
- 長岡市、魚沼地域、上越地方にも被害が拡大していた。
- 地震の名称は「2007年新潟県上中越地震」となっていた。
- 「7.16」が合言葉となっていた。
- 2007年の新潟まつり、長岡まつりは中止されていた。
- 柏崎刈羽原発がメルトダウン事故を起こした場合は、長期間に渡って中断されていた。
四川大地震(2008年)
- 発生しなかったら
- 四川大地震の誘発地震はなかったかも??
- 確かに日本の岩手・宮城内陸地震は四川大地震の誘発地震だと思われたな。
- その前に、「学校の校舎が倒壊」とか、「複数のダムに亀裂が生じた」とか、「土砂崩れによって川が堰きとめられて地震湖が生じた」と言ったものを知らないまま過ごしているだろうと思われる。
- 北京オリンピックの中国人卓球男子団体が金メダルを取っても、世間の反応が薄かった。
- 日本の首都直下地震への対策が今のように進んでいなかった。
- 2010年の青海地震が史実以上の扱いを受けている。
- 2014年の魯甸地震も。
- 2015年のネパールの地震も。
- 内陸地殻内地震に対する認識が現実よりも甘く、大地震と言えばプレート境界型地震のことを指したままだった。
- 2017年の九寨溝地震での被害がもっと大きくなっていた。
- 北京オリンピックに影響はなかった。
- 5.12のメモリアルは作られなかった。
- 四川大地震博物館は開館されなかった。
- 四川料理である「担担麺」や「青椒肉絲」がブレイクするのがもう少し遅れていたかもしれない。
- 重慶市の学校の校舎は現存している。
- 2008年の今年の漢字は史実通り「変」になっている。
- 四川大地震発生後に四川省什ホウ市の羅漢寺で生まれた羅漢赤ちゃんは注目されなかった。
- Juyuan中学校にいる数百人の生徒たちが亡くなることはなかった。
- 中国経済が現実よりも好調だったことが考えられるため、2018年の冬季五輪は平昌ではなく成都になっていたかも。
- その代わり、2022年の冬季五輪は北京ではなくイスタンブールか平昌になっていたかもしれない。
- 発生が1ヶ月(6/12)遅かったら
- ちょうどこの時期に北京五輪の聖火ランナーが四川省を通過する予定だったので、被害を受けていた。
- 聖火が消えていた可能性もあるかもしれない。
- それでもオリンピックは開催されていただろう。
- ちょうどこの時期に台湾の総統が馬英九になったので、台湾からの支援が史実以上だった可能性も。
岩手・宮城内陸地震(2008年)
- 発生しなかったら
- 同日の東京メトロ副都心線開通の話題が史実以上に話題になっていた。
- 鉄道の研究家である岸由一郎氏が亡くなることはなかった。
- 仙台一極集中と東北の仙台ジャイアニズムは史実よりはほんの少しマシになっていた。
- ただし、地震への危機感が薄れて東日本大震災の被害は史実より大きくなっていた。
- 震災前の宮城県付近でも頻繁に地震が起こり、地震確率の高い予想が史実では出ていたためある程度の警戒感があった。
- 宮城県栗原市で震度7を観測していたら
- 史実では一迫で6強、(東日本大震災で震度7を観測した)築館で6弱。
- ここは2011年の東日本大震災でも震度7を観測しているため、史実より5年早く震度7を2度観測した自治体(県)が出ることになっていた。
- (史実で6強だった)県境を越えた奥州市衣川区でも震度7を観測していた。
- マグニチュードは7.5くらいだったか。
- 3年遅く発生していたら
- 同年の3月に発生した東日本大震災との関連性が指摘されていた。
- 東日本大震災の誘発地震として扱われていた。
- 10年遅く発生していたら
- この年は6月の大阪北部地震や7月の西日本豪雨などもあったので、現実以上に自然災害の多い1年と言われていた。
- 史実通り6月に発生していたら、この年の6月は2回も大地震に遭っていたことになる。
- 同年の「今年の漢字」が2回目の「災」になるのは史実通りだろう。
- 11年遅く発生していたら
- 同年の6月に発生した山形県沖地震との関連性が指摘されていた。
駿河湾地震(2009年)
- マグニチュード8クラスだったら
- 史実ではM6.5でした。
- 静岡県内の広い範囲で震度7を観測していた。
- 10m以上の津波が押し寄せていた。
- 浜岡原子力発電所がメルトダウン事故を起こしていたかもしれない。
- 死者は阪神・淡路大震災と同等かそれ以上になっていただろう。
- 最悪の場合、東日本大震災と同等かそれ以上の犠牲者が出ていた。
- 「8.11」が合言葉となっていた。
- 史実通り2011年3月11日に東日本大震災が発生していた場合、日本経済は破綻寸前の状態に陥っていた。
- 消費税8%は、史実より1年早く2013年4月から施行されていた。
- 2020年の東京オリンピック・パラリンピックは招致を断念していた。
- 前年のリーマンショックによる不況にあえぐ日本経済に大打撃を与えていた。
- 場合によってはアメリカの州の1つになっていた。
- 地震の名称は「2009年東海地震」になっていた。
- マスメディア等が「東海大震災」と呼んでいた。
- 東南海・南海地震への懸念も強まっていた。
- 静岡市や浜松市の人口が大きく減少していた。
- 浜岡原発がメルトダウン事故を起こした場合は、史実の飯舘村みたく計画的避難区域に指定されていた。
- 山梨県、長野県、愛知県、岐阜県、三重県にも被害が拡大していた。
- 特に愛知県や三重県では津波の被害が甚大になっていた。
- 2009年における「今年の漢字」は「震」あるいは「災」となっていた(史実では「新」)。
- この年は新型インフルエンザが大流行していたため、静岡の医療機関は空前の大パニックになっていた。
- 2009年の大道芸ワールドカップは中止されていた。
- 浜岡原発がメルトダウン事故を起こした場合は、長期間に渡って中断されていた可能性もある。
2010年代
チリ地震(2010年)
- 1年遅かったら
- 同時期に発生したニュージーランド地震・東日本大震災と合わせて「環太平洋大地震」と称されていた。
- これがTPPにも影響を与えていたかも?
- 太平洋の島嶼部でも二回連続での大津波で被害が拡大していた。
長野県北部地震(2011年)
- 発生しなかったら
- 2014年の長野県神城断層地震の被害がより大きくなっていた。
- 東北地方太平洋沖地震の誘発地震と言えば3/15の静岡県東部地震になる。
熊本地震(2016年)
- 発生しなかったら
- 九州でそこまで地震のイメージがつくことはなかった。
- 益城町で震度7を2回観測することはなかった。
- そのため建物の耐震性がそこまで注目されていない。
- 九州新幹線800系U005編成は2020年現在も現役。
- エクアドル地震が現実以上に注目されていた。
- 2016年に日本国内で起きた大きな地震といえば鳥取県中部地震だった。
- 西九州新幹線の武雄温泉~長崎間の開業が数年早まっていた。
- その場合、リレー特急にも新型車両がデビューしており、少なくとも783系はこのタイミングで引退していた。
- 11年早かったら
- 3月の福岡県西方沖地震と合わせて、九州での地震が多い年となっていた。
- 5年早かったら
- この年は東日本大震災やニュージーランド地震があったことから、世界的にも地震の多い年といわれていた。
- 時期にもよるが、東日本大震災の誘発地震だと言われていた。
- 東西ともに地震のニュースで一杯になっていた。
- 同年の福岡ソフトバンクホークスのリーグ優勝・日本一が史実以上に盛り上がっており、「被災した九州を勇気づけた」と言われるようになった。
- 当時の秋山幸二監督が熊本県出身なので尚更。
- 史実通り4月に発生していたら、同年4月に全通した九州新幹線は開通早々地震に巻き込まれ、一時不通になっていた。
- 3月以前に起こった場合、九州新幹線の全通が遅れていた。
- 恐らく同年の夏~秋あたりになっていた。
- 3月以前に起こった場合、九州新幹線の全通が遅れていた。
- 2年早かったら
- 現実と同じ時期に発生した場合、セウォル号沈没事故は日本ではあまり報道されなかった。
- この年には広島土砂災害や御嶽山噴火も発生しているので、災害が多い年だと言われた。
- 同年の「今年の漢字」は「災」になっていた。
- 2年遅かったら
- 6月の大阪北部地震、7月の西日本豪雨、9月の台風21号災害と合わせて、西日本での自然災害が多い年となっていた。
- 3年遅かったら
- 現実と同じく4月に発生していた場合、「平成は地震で終わった」と言われていた。
- ノートルダム大聖堂の火災は日本ではあまり報道されなかった。
- 4年遅かったら
- 7月の豪雨と合わせて、熊本での災害が多い年となっていた。
- 5年遅かったら
- 現実通りに発生した場合、東京オリンピック・パラリンピックは更に延期されることになった。
大阪府北部地震(2018年)
- 発生していなかったら
- 6月18日に大阪で発生した悲惨な出来事といえば1985年の豊田商事会長刺殺事件だった。
- 2018年の関西地方および西日本で発生した著名な自然災害といえば西日本豪雨と台風21号の2つだった。
- 48年早かったら
- 大阪の千里丘陵で万博が開催されていたことから、パビリオンに被害が出ていた。
- 被害の状況によっては会期途中で中断に追い込まれていた。
- 反面人的被害については現実通りの時間に起こっていた場合朝だったのでそれほどでもなかったかもしれない。
- 逆に昼~夕方に起こっていた場合は会場内に多数の人がいたため多数の死傷者が出ていた。
- 33年早かったら
- 同年リーグ優勝し、2リーグ時代初の日本一にも輝いた阪神タイガースが「被災地に希望を与えた」と言われていた。
- 球団の本拠地は兵庫県だが、ファンは大阪に多いので。
- 史実通り6月18日に発生した場合、豊田商事会長刺殺事件は発生しなかった可能性が高い。
- 24年早かったら
- 9月までに発生した場合、関西国際空港の開港が遅れていたかもしれない。
- 翌年の年始に阪神・淡路大震災が発生したのでその前震だと言われていた。
- 23年早かったら
- 同年の1月に発生した阪神・淡路大震災との関連性が指摘されていた。
- 阪神・淡路大震災より後に発生していた場合、その誘発地震だと言われていた。
- 関西経済の衰退が現実以上に深刻になっていた。
- それとともにバブル崩壊後の不況もより深刻になっていた。
- 17年早かったら
- この年はUSJ開業、附属池田小事件、明石花火大会事故、大阪近鉄バファローズの12年ぶりリーグ優勝などもあり、現実以上に関西にとっていい意味でも悪い意味でも忘れられない年になっていた。
- 同年リーグ優勝した大阪近鉄バファローズが「被災地に希望を与えた」と言われていた。
- 6月8日に発生した場合、附属池田小事件は発生しなかった可能性が高い。
- 15年早かったら
- 同年リーグ優勝した阪神タイガースが「被災地に希望を与えた」と言われていた。
- 球団の本拠地は兵庫県だが、ファンは大阪に多いので。
- 13年早かったら
- 4月にはJR福知山線脱線事故があったこともあり、関西ではそれに続く災難となっていた。
- 4月25日に発生した場合、福知山線での脱線事故は発生しなかった可能性が高い。
- 同年リーグ優勝した阪神タイガースが「被災地に希望を与えた」と言われていた。
- 7年早かったら
- 同年の3月に発生した東日本大震災との関連性が必ず指摘されていた。
- 東日本大震災より後に発生していた場合、その誘発地震だと言われていた。
- 5ヶ月早く発生していたら
- 1月に起きたということで、1995年の阪神・淡路大震災と何かと比較されていた。
- 元日に発生していた場合、正月早々大地震という前代未聞の事態に直面していた。
- 初詣客や大阪に帰省していた人が犠牲になったというケースが出ていた。
- 下手すればそれ以後、日本(特に関西)では正月を祝わなくなっていたかもしれない。
- 1年遅かったら
- 同日夜には山形県沖地震が発生しているので、その2つの地震でこの日のニュースは持ちきりになっていた。
- 夜の10時台に発生していることから、その時間帯以降の報道体制は大変な事になっていた。
- 山形県沖地震が1年早く発生していた場合もまた然り。
- 7月18日に発生した場合、京アニ放火事件は犯人が京都入りできなかったため発生しなかった可能性が高い。
- 夜の10時台に発生していることから、その時間帯以降の報道体制は大変な事になっていた。
- 関西人を中心に「令和は地震で始まった」と言われていた。
- 6月上旬に発生していた場合、史実で京都で開催された「スルッとKANSAIバスまつり」は中止になっていたかもしれない。
- 例年9月開催だったが、2017・18年と2年連続で台風で中止になったことから同年より6月に変更された。
- 吹田の警察官襲撃事件もなかったかもしれない。
- 2年遅かったら
- 年始には新型コロナウイルス感染症が流行したこともあり、関西ではそれに続く災難となっていた。
- 3年遅かったら
- オリックス・バファローズの25年ぶりリーグ優勝が「被災地に希望を与えた」と言われていた。
- 関西で大地震が起こった年ということで1995年のオリックス・ブルーウェーブの「がんばろうKOBE」と比較されていた。
- 7月に発生した場合、東京五輪どころではなくなっていたかも。
- 12月17日に発生した場合、北新地ビル放火事件はなかったかもしれない。
- 4年遅かったら
- 1日後の6月19日に能登半島で地震があったので、それとの関連が指摘されていた。
- それとともに直前に発生した京都府内の群発地震との関連も指摘されていた。
- 被害の状況によっては2025年の万博の計画に影響あったかも。
- オリックス・バファローズのリーグ2連覇・日本一が「被災地に希望を与えた」と言われていた。
- 7月8日に発生した場合、安倍元総理暗殺事件はなかったかもしれない。
- 5年遅かったら
- 阪神タイガースの18年ぶりリーグ優勝・38年ぶり日本一が「被災地に希望を与えた」と言われていた。
- 球団の本拠地は兵庫県だが、ファンは大阪に多いので。
- 6年遅かったら
- 同年元日に発生した能登半島地震との関連が指摘されていた。
- 3月までに発生した場合、北大阪急行の千里中央~箕面萱野延伸が少し遅れていた可能性もある。
- 予定通り開業していた場合でも祝賀行事とかは自粛されていた。
- マグニチュード7クラスだったら
- 大阪府内で最高震度7を記録し、多数の死傷者が出ていた。
- 恐らく阪神・淡路大震災級の大災害となっていた。
- 同年9月に発生した台風21号災害と合わせ、大阪にとっては最悪の年となっていた。
- 鉄道や道路と言った交通インフラにも大きな被害が出ていた。
- 最悪営業中の新幹線が脱線し、こちらでも多数の死傷者が出ていた。
- 新幹線の営業列車での死傷者0の記録はここで途絶えていた。
- 被害の状況にもよるが、近鉄の通勤用新車導入が早まっていたかも。
- 最悪営業中の新幹線が脱線し、こちらでも多数の死傷者が出ていた。
- 2025年の万博開催地への立候補は辞退していた。
- 大阪、関西経済の衰退は現実以上だった。
- 北陸新幹線敦賀延伸に伴う大阪~福井・金沢の分断の影響も現実ほどではなかった。
- 北陸新幹線は当初予定とは異なり米原ルートに落ち着いていた。
- JR西の大阪近郊や関西大手私鉄の運賃値上げは現実よりも早く行われていたかもしれない。
- 「6.18」が合言葉となっていた。
- 場合によっては北海道胆振東部地震の影が薄くなっていた。
- 沿岸部の開発は津波に対する安全上理由で中止になっていた。
- 新快速は安全上の理由で徐行運転になっていた。
- スピードが遅い分線路容量のため減便せざるを得ないのでロングシート中心になっていた。その代わりにaシートのような施策が拡大されていた
- 嵯峨野線やおおさか東線の221系はロングシート化されていた。
- スピードが遅い分線路容量のため減便せざるを得ないのでロングシート中心になっていた。その代わりにaシートのような施策が拡大されていた
- 中之島線は廃線になっていた。
- 新快速は安全上の理由で徐行運転になっていた。
- そのかわり内陸部が史実より栄えていた。
- 史実のいわき市のように避難者の影響で人口も増えていた。
- 大阪モノレールの延伸は史実よりも急ピッチで進められた。
- 鶴橋は韓流ファンの観光地化が急激に進んだ。
- 今里筋線の赤字がなくなるかだいぶましになっていた。
- 今里以南への延伸も具体化していた。場合によっては反対側も井高野から正雀あるいは岸辺までの延伸が計画されるようになっていた。
- 大阪モノレールの東大阪市内延伸が早まっていた。
- ららぽーと門真も現実より1年程早くオープンしていた。
- 史実のいわき市のように避難者の影響で人口も増えていた。
- オリックス・バファローズはブルーウェーブ時代の1995年みたく「がんばろうOSAKA」をスローガンに掲げていた。
- この球団名での初のリーグ優勝(現実には2021年に25年ぶりに優勝)が史実よりも早まっていた可能性がある。
- 北大阪急行の千里中央~箕面萱野延伸がやや遅れていた可能性もある。
- 千里中央の商業施設が現実よりはるかに甚大な被害を受けたため、それを機に再開発が行われていた。
- 伊丹空港も被害が大きかったため、一時的に関空や神戸空港に振り分けられていた。
北海道胆振東部地震(2018年)
- 発生しなかったら
- 2018年に発生した大きな地震といえば大阪府北部地震だった。
- 数日前に大阪府を中心に発生した台風21号の被害が史実以上にクローズアップされていた。
- この年の今年の漢字は「災」ではなかっただろう(6月の大阪北部地震、7月の西日本豪雨、9月の台風21号災害なども発生しなかったら尚更)。
- その場合、平成最後の年ということで「平」か平昌五輪に由来する「金」になっていた可能性が高い。
- 25年早かったら
- 同年には釧路沖地震や北海道南西沖地震が発生しているので、北海道での地震が多い年と言われていた。
- 12年早かったら
- 北海道日本ハムファイターズの25年ぶりリーグ優勝・44年ぶり日本一が「被災地に希望を与えた」と言われていた。
- 7年早かったら
- 同年に発生した東日本大震災との関連性が指摘されていた。
- 2年早かったら
- 同年の4月には熊本地震が発生したため、南北ともに地震のニュースで一杯になっていた。
- 3月以前に起こった場合、北海道新幹線の新函館北斗駅までの開業が遅れていた。
- 恐らく同年の夏~秋あたりになっていた。
- ファイターズの4年ぶりリーグ優勝・10年ぶり日本一が「被災地に希望を与えた」と言われていた。
- 4年遅かったら
- 同年4月の知床遊覧船沈没事故と合わせ、北海道で災難が相次いだ年と言われていた。
- 場合によってはファイターズの新スタジアムへの移転に影響があったか。
- 震源地が札幌市付近だったら
- 札幌市とその周辺で震度7を記録していた。
- 札幌市内でビルや家屋が多く倒壊していた。
- 平日の深夜に発生したため、阪神淡路大震災での神戸市内と似たような被害が出ていた。
- 死者は阪神・淡路大震災と同等かそれ以上となっていた。
- さっぽろテレビ塔や札幌市時計台に被害が出ていた。
- 札幌ドームが地震で被害を受け、ファイターズの新スタジアムへの移転が早まっていた。
- 円山球場や旭川スタルヒン球場を代替として使用していた。
- 札幌ドームが地震で被害を受け、ファイターズの新スタジアムへの移転が早まっていた。
- 函館本線の高架橋が倒壊している映像が全国に流れる。
- 地下鉄や市電にも被害が出ていた。
- 札幌市の人口が減少していた。
- マスメディア等が「北海道大震災」と呼んでいた。
- もしくは「道央大震災」。
- 「9.6」が合言葉となっていた。
- 2019年のさっぽろ雪まつりは中止されていた。
- 2030年の冬季オリンピックの招致は震災復興の意味合いを兼ねていた。
- 札幌市における地震の安全神話が崩れていた。
- 北海道新幹線の札幌駅のホームの位置は在来線ホームの北側に建設されていた。
山形県沖地震(2019年)
- 55年早かったら
- 同年の6月に発生した新潟地震との関連性が指摘されていた。
- 新潟地震より前に発生していた場合、その前震だったと言われていた。
- 36年早かったら
- 同年の5月に発生した日本海中部地震との関連性が指摘されていた。
- 日本海中部地震より前に発生していた場合、その前震だったと言われていた。
- 25年早かったら
- 翌年1月17日に阪神・淡路大震災が発生したのでそれとの関連が指摘されていた。
- 新潟-神戸歪集中帯が現実よりも早く知られていた。
- 15年早かったら
- 同年の10月に発生した新潟県中越地震との関連性が指摘されていた。
- 中越地震より前に発生していた場合、その前震だったと言われていた。
- 12年早かったら
- 同年の7月に発生した新潟県中越沖地震との関連性が指摘されていた。
- 中越沖地震より前に発生していた場合、その前震だったと言われていた。
- 8年早かったら
- 同年の3月に発生した東日本大震災との関連性が指摘されていた。
- 1年早かったら
- 同日朝には大阪府北部地震が発生しているので、その2つの地震でニュースは持ちきりになっていた。
- 夜の10時台に発生していることから、その時間帯以降の報道体制は大変な事になっていた。
- 大阪府北部地震が1年遅く発生していた場合もまた然り。
- 夜の10時台に発生していることから、その時間帯以降の報道体制は大変な事になっていた。
- 2年遅かったら
- 「東京で五輪が開催される年は新潟で大地震が起こる」というジンクスが生まれていた(前回の東京五輪が開かれていた1964年に新潟地震が発生していたため)。
- 3年遅かったら
- 1日後の6月19日に能登半島で地震があったので、それとの関連が指摘されていた。
- 5年遅かったら
- 同年元日に発生した能登半島地震との関連が指摘されていた。
- マグニチュード8クラスだったら
- 山形・新潟両県で震度7を観測し、多数の死傷者が出ていた。
- 令和では初めての震度7の地震となっていた(史実では2024年1月の能登半島地震)。
- 恐らく阪神・淡路大震災級の大災害となっていた。最悪の場合、東日本大震災級だったかも。
- 同年10月に発生した台風19号災害と合わせ、東北地方にとっては最悪の年となっていた。
- 秋田県や北陸地方にも被害が拡大していた。
- 10m~30m程度の津波が押し寄せていた。
- 発生が令和時代が始まったばかりの頃だったことから、「新元号も波乱の幕開けになった」と言われていた。
- 2019年に開催されたラグビーワールドカップは中止されていたかもしれない。
- 開催されていたとしても、日本海側では盛り上がれなかった。
- マスメディア等が「北日本大震災」と呼んでいた。
- 「6.18」が合言葉となっていた。
- 大阪では別の意味で使われていたかも(1年前に震度6弱の地震が起こったため)。
- 2019年における「今年の漢字」は「震」あるいは「災」となっていた(史実では「令」)。
- 後者の場合、昨年(2018年)に続いて2年連続という事になり、史上初めて2年連続で同じ漢字が選ばれていた(「災」自体は2004年にも選ばれているので3度目)。
- 地震に加えて台風災害や首里城などの火災もあったので。
- 羽越本線が大きく被災し、日本海側の物流ルートが絶たれていた。
- 同年7月18日に発生した京アニ放火事件の扱いがやや小さくなっていた。
- 発生しなかったら
- 庄内地方は山形市に史実よりはわずかにましな力関係を持っていた。
- コロナ禍に乗じて大阪ー庄内の夜行バスが休止されることもなかった。休止してもすぐ復活していた。
- 仙台一極集中と東北の仙台ジャイアニズムに屈する山形市に対抗し、鶴岡・酒田はGoToキャンペーンや全国旅行支援で、新潟との関係強化、北陸や大阪の観光客誘致を行っていた。