もしあの年のFIFAワールドカップが○○だったら
- 項目の追加時は、(おおよその)時系列順でお願いします。
- 日本代表については「もしあの年のFIFAワールドカップで日本代表が○○していたら」にお願いします。
- 女子大会についてはもしあの年のFIFA女子ワールドカップが○○だったらへ。
- 予選・本戦いずれもOKです。
1930年ウルグアイ大会
アルゼンチンが優勝していたら
- アルゼンチンサポーターによるウルグアイ領事館への暴動はなかった。
- ただ、今度は逆にウルグアイサポーターがアルゼンチン領事館へ暴動を起こし、いずれにせよ両国の国交断絶は避けられなかった。
- ウルグアイはやっぱり次回大会を辞退した。
- ウルグアイが1934年大会に参加しなかったのは、本大会でヨーロッパ勢が4チームしか参加しなかったことへの抗議のため。
- 結局、ウルグアイも地元優勝経験がないチームになっていたこと以外、現実とあまり変わらなかった?
- 1978年大会での片八百長疑惑はなかった。
アメリカが優勝していたら
- アメリカがサッカー不毛の地と呼ばれる事は無く、逆にメジャースポーツになり4大スポーツの一つになっていた。
- 特にNHLは人気面でMLB・NBA・NFLにも劣るため、2004-2005年のロックアウトあたりで解体されていた恐れも。
1934年イタリア大会
ベニート・ムッソリーニによるファシスト党統治がなかったら
- 対イタリア戦で審判や対戦相手に強い圧力が加えされることはなかった。
チェコスロバキアが優勝していたら
チェコスロバキアは決勝戦まで行きましたが実史ではイタリアが優勝しました、もし審判のイタリア寄りに負けずチェコスロバキアが勝ち優勝していたら
- 優勝が決まったとたんローマで暴動が起こり、イタリアとチェコスロバキア両国は断交していた
- これ以降、ブラジルと共にイタリアは「自国開催で優勝できない」のジンクスが生まれていた
- イタリアが敗北した時ムッソリーニは大激怒していた
- 当時の代表選手は全員刑場の露となっていた。(ムッソリーニは大会前、選手に対して「勝たなければ死を覚悟しろ!」と脅していた為)
- ↑因みに、コレは翌38年フランス大会でも同じ。(by↑を書いた人)
ウルグアイの参加辞退がなかったら
- イタリアと当たらなければ、WBCの日本と同じく2回目にしてW杯連覇もあり得たかも。
- もっとも、ファシスト党統治により、決勝まで残っても決勝でイタリアと戦うこととなっていただろうが。
オーストリアが優勝していたら
「紙の男」マティアス・シンデラーを擁し"ヴンダーチーム"と呼ばれた当時欧州最強のオーストリア代表でしたが、イタリアとの準決勝でボールを持ったままのGKをイタリアの選手4人がそのままゴール内にタックルで押し込んだ行為がイタリアの得点として認められたり、センタリングを主審にクリアされたりとムッソリーニによる圧力の被害に遭い、決勝に進出できませんでした。もしオーストリアが優勝していたら?
- もっと多くの人に古豪として認識されていた。マジック・マジャールと並び称されるくらいに。
- 国内でサッカーがアルペンスキー以上の人気スポーツになっていたかもしれない。
1938年フランス大会
南米勢の出場辞退がなかったら
南米連盟は2大会連続ヨーロッパ開催に腹を立てたため、南米はブラジルのみの出場でした。もしウルグアイとアルゼンチンが辞退しなかったら?
- イタリアの連覇はなかった?
ハンガリーが優勝していたら
- ハンガリーにとっては歴史に残る一日になっていた。
1950年ブラジル大会
1949年に開催していたら
- 当初は1949年に開催する予定だったと言われている。
- 五輪の中間年に開催されないため、その後のサッカー界だけでなく、スポーツ界全体のスケジュールが大きく変わっていた。
辞退国が出なかったら
- 復興途上を理由に辞退したチームが多数出ています。
- インドは初出場となっていた。
- トルコは次回大会で決勝トーナメントに出場できていたであろう。
- 2002年までに数回は出場できていた。
ブラジルが優勝していたら
決勝リーグで、ウルグアイとの最終戦を引き分け以上で優勝だったブラジルは敗れて優勝を逃した。
- ブラジルが地元優勝のない代表になることはなかった。
- ユニフォームも黄色になることはなかった。
- マラカナンの悲劇もなかった。
- よってペレのその後の人生は変わっていたかもしれない。
- ミネイロンの惨劇はミネイロンの悲劇になっていた。
1954年スイス大会
ハンガリーが優勝していたら
- ハンガリー動乱によるチーム崩壊が現実以上に深刻化していた可能性も。
1958年スウェーデン大会
ハンガリーが出場を逃していたら
ハンガリー動乱によるチーム力低下の中、グループリーグ敗退ながらも本大会出場は果たしましたが、もし出場を逃していたら?
- ハンガリー代表の衰退はもっと早くに始まっていた。
- 1954年を最後にW杯から遠ざかったままになっていた可能性も。
スウェーデンが優勝していたら
- スウェーデンのW杯出場回数が史実より増えていたかもしれない。
- ブラジルにとってこの決勝戦は「ロースンダの悲劇」と呼ばれる事になっていた。
- 逆に「欧州開催のW杯では南米勢は優勝できない」というジンクスが生まれていた。
- ブラジル代表の初優勝はあと数年遅れていた。
1962年チリ大会
チリでの開催が不可能になっていたら
開催の2年前、チリ地震が発生しました。開催を危惧する声もある中で復興の末開催にこぎつけましたが、もしチリでの開催が不可能となり他都市での代替開催になっていたら?
- 代替開催先はアルゼンチンになっていたと思われる。
- じゃあ1978年の開催地はどこに?
- 1986年のワールドカップは代替開催1号にならなかった。
チェコスロバキアが優勝していたら
- チェコスロバキアがスペインよりも先に欧州各国は欧州以外の地域では優勝できないのジンクスを破っていた。
1966年イングランド大会
アフリカ・アジア・オセアニア勢の出場辞退が無かったら
アフリカ・アジア・オセアニアの各連盟は出場枠が合計で1しかないことに抗議し、予選参加国はオーストラリアと北朝鮮のみでした。もし出場辞退国が出なかったら?
- 北朝鮮の本大会出場はなかった。
イタリアが北朝鮮に勝っていたら
グループD最終戦のイタリアVS北朝鮮はイタリアの楽勝に見えましたが、北朝鮮がまさかの勝利を挙げ、北朝鮮代表はアジア勢初のW杯勝利と決勝トーナメント進出を果たしましたが、もしイタリアが順当に勝っていたら?
- イタリア代表に腐ったトマトを投げつけられることはなかった。
- 北朝鮮代表が注目されることもなかった。
- 逆に北朝鮮代表が酷い目に遭っていた可能性も(炭鉱送りとか?)。
北朝鮮がポルトガルに勝っていたら
- ポルトガル代表は同大会のイタリア代表の様に帰国した際にトマト等を投げつけられていた。
- 北朝鮮がさらに勝ち進んだ場合、北朝鮮戦に敗北した代表は全て帰国した際にトマト等を投げつけられていたかもしれない。
- アジア初のベスト4となった北朝鮮はアジアサッカー界で発言力を強めていた。
- エウゼビオの知名度が現実より低い。
- 1998年大会でのクロアチア3位が実史以上に注目された。
- 2006年大会のポルトガル4位も。
1970年メキシコ大会
ホンジュラスが出場していたら
戦争まで引き起こしたホンジュラスとエルサルバドルの一戦。エルサルバドルが出場権を獲得しましたが、もしホンジュラスが出場権を獲得していたら?
- 逆にエルサルバドルによる反ホンジュラス感情が高まっていた。
- おそらくホンジュラス経済は凋落していた。
- それでもエルサルバドル経済の凋落は避けられなかった?
- 1982年大会の同時出場も、2010年大会のホンジュラス出場もなかったかもしれない。
西ドイツがイタリアに勝っていたら
- 「アステカの死闘」はゲルマン魂の象徴として語り継がれる。
- ブラジルとの決勝が32年早く実現していた。
- ペレとミュラーの対決が注目された。
1974年西ドイツ大会
オランダが優勝していたら
- 「W杯の前年にバロンドールを獲得した選手がいるチームはW杯で優勝できない」のジンクスが破られていた。
- ベッケンバウアーとクライフのその後が変わっていたかもしれない。
1978年アルゼンチン大会
アルゼンチンが2次リーグで敗退していたら
アルゼンチンは2次リーグ最終戦のペルー戦で、4点差以上で勝利しなければ敗退という状況下で半ば八百長の試合により6-0で勝利しました。ではアルゼンチンがここで敗退していたら?
- おそらく優勝はブラジル。
- 1986年のアルゼンチン優勝もなかったかも。
- その代わりブラジルがアメリカ大会以前にもう1回は優勝できていた。
- ペルー代表に護衛がつけられた。
- 1986年以降、ノックアウトステージが拡大しグループリーグがガバガバになることはなかったかもしれない。
- 2次リーグ制度が現在でも存在しレベルの高い試合が多く見られていた。
ヨハン・クライフが出場していたら
ヨハン・クライフは当時のアルゼンチンの軍事政権の弾圧政策に反対して出場しなかった。
- オランダは優勝していたかもしれない。
- ヨハンクライフの野球好きがもっと知られていた。
オランダが優勝していたら
- オランダにとっては悲願の初優勝となっていた。
- アルゼンチンのワールドカップ優勝は未だに無かったかもしれない。
1982年スペイン大会
中国が出場していたら
この年、中国はW杯初出場まであと一歩まで迫りましたが、もし出場できていたら?
- 中国は韓国に代わって東アジアの強豪にのし上がっていたかも。
- 1990年大会にも出場できていた。
- 韓国はサッカー三流国に凋落した可能性も。
- 1994年大会では少なくとも最終予選までは進出していた。
- ニュージーランドの初出場はオーストラリアAFC移籍後の2010年になっていた。
西ドイツ対オーストリア戦での談合行為がなかったら
グループリーグの西ドイツ対オーストリア戦は西ドイツが1-0で勝利しましたが、両チームは西ドイツの先取点以降時間稼ぎに執着し、アルジェリアをグループリーグ敗退に追いやりましたが、この談合とも取れる行為がなかったら?
- 西ドイツはこの大会で優勝できていたかも。
- その場合、2006年のイタリアの優勝は15大会ぶりということになっていた。
- 1986年以降、ノックアウトステージが拡大しグループリーグが3位でも多くが出られるようになってしまうことはなかったかもしれない。
- 組み合わせ運要素が強くラックベースなノックアウトステージではなく二次リーグが維持されることで、強豪国や好調な国どうしのレベルが高い試合が増えていた。
イタリアが1次リーグで敗退していたら
優勝国のイタリアは1次リーグで苦戦し、総得点差でやっと2次リーグ進出を果たしましたが、もし1次リーグで敗退していたら?
- 2006年のイタリアの優勝は15大会ぶりということになっていた。
- ベスト4が欧州勢で占められることはなかった。
- イタリアが2次リーグ進出を逃していたら、グループCはブラジル・アルゼンチン・カメルーンの3カ国となっていたため。
- 決勝はブラジルVS西ドイツで、優勝はブラジル。
- 「黄金のカルテット」の評価がさらに上がった。
- ダークホースはポーランドで、史実でも3位に食い込んでいるので、2次リーグ最終戦のソ連戦でボニエクの出場停止処分がなければ、1974年西ドイツ大会の3位決定戦のように、ブラジルに勝って決勝戦進出を果たしていたかも。
- その場合、決勝戦はポーランドVS西ドイツとなり、ポーランドが勢いに乗って8年前の準決勝のリベンジを果たし、初優勝に輝いていたかも。
- 得点王と大会MVPはボニエクになり、この年のバロンドールに輝いていた。(史実では3位)
- その場合、決勝戦はポーランドVS西ドイツとなり、ポーランドが勢いに乗って8年前の準決勝のリベンジを果たし、初優勝に輝いていたかも。
- 当然パオロ・ロッシの得点王もない。
- ロッシの知名度も現実よりかなり低かった。
- 優勝はブラジル、西ドイツ、ポーランドのいずれかだった。
- 西ドイツ優勝の場合は、前年にルンメニゲがバロンドールを受賞しているため、「バロンドールの呪い」はこの時点で解けていた。
1986年メキシコ大会
コロンビアで開催されていたら
1986年のワールドカップはコロンビアで開催する予定でしたが、1983年にコロンビアの大会組織委員会が経済・治安上の問題からワールドカップを開くことができないと宣言したため、メキシコが代わりに主催することになりました。
では予定通りコロンビアで開催されていたらどうなっていただろうか?
- サッカーパラグアイ代表かウルグアイ代表は予選落ちしていた。
- と言う事でコロンビアは実史の「Bグループ」または「Eグループ」に振りわけられていた。
- 国力を遥かに超える予算(16カ国→24カ国に増加)をオーバーしまくった為、開催数年後にコロンビアが経済的に破綻していた可能性も…
- 当時コロンビアは物凄く治安が悪かった為、何かあったら(テロ等)FIFAやコロンビアサッカー協会の会長および一部の役員が責任をとって辞任したかも。
- 調子に乗ったコロンビアが「ボコタ」を候補に南米初開催を目指してオリンピック誘致に立候補していた。
メキシコも開催を返上していたら
コロンビアに代わって開催地に選ばれたメキシコも、1985年に大地震に見舞われて開催が不安視されていました。もしメキシコも開催を返上していたら?
- 当初はコロンビアで開催する予定だったことから、さらなる代替開催国は北中米または南米のいずれかから選ばれる。
- アメリカが1986年大会を主催していたら、1994年大会はメキシコで実施されていたかもしれない。
- ブラジルが1986年大会を主催していたら、開催権の持ち回り制度の廃止が遅れていたかもしれない。
- 開催大陸持ち回り制度はアフリカと南米でワールドカップを開催するための方便だったのでそもそも実施されていなかったかも。
- 2014年の開催地は...
ディエゴ・マラドーナの「神の手」がなかったら
- 現実通りアルゼンチンが優勝しても、マラドーナが注目されることはなかったであろう。
1990年イタリア大会
ソビエト連邦で開催されていたら
開催国に立候補し、イタリアと共に決選投票まで残りました。
- ウクライナやバルト三国の都市でも試合が開催される。
- キエフ、リガ、ミンスク(ベラルーシ)あたりが有力。
- Il-96の登場が早まっていた。
- 少なくともアルゼンチンとは同組にならず決勝トーメントに進出できた。
- 2018年大会はイタリアでの開催となり、同国が60年ぶりに本大会出場を逃すこともない。
- あるいは1998年にイタリア、2006年にフランス、2018年にドイツがそれぞれ2度目のホスト国となった。
- 現在は「ソ連が崩壊する直前の徒花」という見方をされることが多い。
- 1980年モスクワ五輪のボイコット騒動が無かったら実現していたかもしれない。
中国が出場できていたら
この年、中国はW杯初出場まであと一歩まで迫りましたが、もし出場できていたら?
- 日本より早く初出場していた。
- UAEは未だW杯出場を果たせないままだった。
- UAEと共に出場なら、韓国は2010年大会までに1回は予選落ちを経験していた。
- ファンボ・カンの大分FC(後の大分トリニータ)移籍もなかった。
- UAEと共に出場なら、韓国は2010年大会までに1回は予選落ちを経験していた。
ユーゴスラビアがアルゼンチンに勝っていたら
- ストイコビッチはやオシムは日本に来なかったかもしれない。
- 日本に来た理由はボスニア紛争と思われるのでそれは関係ないかと。
- イタリアは決勝に進出できていた。
1994年アメリカ大会
フランスが出場していたら
フランスは最終予選のパリの悲劇で本大会出場を逃しましたが、もしこれがなく出場できていたら?
- 代わりにブルガリアが予選敗退していた。
- ストイチコフは柏レイソルに来なかったかもしれない。
- バロンドール受賞もなし。
- フランスではなくブルガリアが1994年のキリンカップに参加。
- ストイチコフは柏レイソルに来なかったかもしれない。
- カントナがW杯未経験で終わることはなかった。
- 少なくともベスト4までは進出していただろう。
- ジノラはプレミアリーグに移籍しなかった。
- その後もジェラール・ウリエ監督が指揮を執り続け、エメ・ジャケはコーチのまま。
- 選手の世代交代も遅れた。
- 移民系が大して増えなかった。
- 選手の世代交代も遅れた。
アンドレス・エスコバルのオウンゴールがなかったら
コロンビア代表のGL敗退の引き金となり、後に射殺にまで発展したエスコバルのオウンゴール。もしこれがなかったら?
- コロンビアが現実通りGL敗退しても、射殺事件は起きなかった。
- 「自殺点」という名称の使用頻度が下がるのもやや遅れていた。
- 後述の通り、アメリカ及び当時初の開催国がグループリーグで敗退していた。
サウジアラビアがグループリーグで敗退していたら
- 1998年大会のアジア枠は最大でも2.5か3になっていたかもしれない。
- イランは1998年大会に出場できず、プレーオフの日本戦が「ジョホールバルの悲劇」と呼ばれる。
- 北朝鮮に次ぐアジア勢の決勝トーナメント進出国は日本or韓国になっていた。
- 2002年大会と2010年大会がそれを物語っている(日韓共に決勝トーナメント進出)。
アメリカがグループリーグで敗退していたら
ホスト国のアメリカはそれまで一度もなかった開催国グループリーグ敗退を危惧されましたが、16強入りして面目を保ちました。もし敗退していたら?
- 開催国のグループリーグ敗退1号はアメリカになっていた。
- よって2010年の南アフリカのグループリーグ敗退は、2例目の開催国グループリーグ敗退ということになっていた。
- その際南アフリカ国民は「アメリカの前例もある」と言い訳した。
- よって2010年の南アフリカのグループリーグ敗退は、2例目の開催国グループリーグ敗退ということになっていた。
- メジャーリーグサッカーも誕生しなかった。
- アメリカ大会から参加国が32カ国に増えていたら考えられた。
- 1986年大会から1994年大会までは、参加国が24カ国であった関係で、グループリーグ3位チームも勝ち点上位の4チームが決勝トーナメントに進めた。
- 尚参加国が24に増えたのは1982年大会からだが、そのときは2次ラウンドもグループリーグ形式で、2次リーグに進めるのはグループリーグ2位チームまでだった。
- 1986年大会から1994年大会までは、参加国が24カ国であった関係で、グループリーグ3位チームも勝ち点上位の4チームが決勝トーナメントに進めた。
- 前述の通りエスコバルのオウンゴールはなかった。
ステファン・エッフェンベルクが追放されなかったら
韓国戦でヤジに激怒して挑発的な態度をとり、大会から追放された。
- ドイツ代表の成績がもう少しまともになっていた。
- エッフェンベルク自身のキャリアももう少し良くなっていた。
- 引退も数年は遅くなり、地元開催の2006年大会にも出場していた。
ディエゴ・マラドーナがドーピング違反で追放されなかったら
同大会のナイジェリア戦後のドーピング検査でエフェドリンが検出されたため、無期限出場停止で大会から追放された。
- アルゼンチンが優勝していたかもしれない。
- 敗退しても批判はさほど大きくならなかった。
ロベルト・バッジョが最後のPKを決めていたら
- 現実ほどバッジョの人気はなかったかもしれない。
- それでもブラジルの優勝は変わらない。
ナイジェリアがイタリアに勝っていたら
初出場ながらベスト16入りを果たし、後半43分までリードするもバッジョ一人にやられてベスト8入りならず。
- バッジョへの注目度は史実より少なかった。
- ブルガリアの決勝進出もあり得た。
- それでもブラジルの優勝は変わらない?
1998年フランス大会
イランが出場を逃していたら
プレーオフで日本に敗れたイランも、オーストラリアとのプレーオフを制して本大会出場を果たしましたが、もしイランが出場を逃していたら?
- 「メルボルンの悲劇」はなかったか、あったとすればそれはイラン側にとっての悲劇だった。
- アジア勢は全チーム3連敗ということになっていた可能性も。
- オーストラリアのAFC転籍はなかったかもしれない。
ベッカムがアルゼンチン戦で退場しなかったら
- うまくいけば、PK戦にもつれ込むこともなくイングランドが勝っていたかも?
- たとえ敗退しても実史と同じくらい叩かれることは無かった。
- 準々決勝でオルテガが退場処分にならなかった。
クロアチアが優勝していたら
- クロアチアは初出場で初優勝という偉業を達成していた。
- 日韓大会でのクロアチアの成績が大きく変わっていた。
- 2018年もクロアチアが優勝していたかもしれない。
- その場合、UEFAの枠の少なさが見直され、ワールドカップの欧州枠が拡大していた。
- とはいっても、南米の過小評価・西欧の過大評価という傾向もあるので、UEFA予選が東西分離で開催され東欧の小国が出場しやすくなっていたかもしれない。
- とはいえ、東欧や南米の小国は商業的に美味しくないので、そのぶん48ヶ国拡大が早まってしまっていたかもしれない…。
- もしくは史実以上にアメリカ、中国、インドへのサッカー普及を重視しており、中国とインドを出場しやすくするためにアジア枠も東西分割にしていた。
- とはいえ、東欧や南米の小国は商業的に美味しくないので、そのぶん48ヶ国拡大が早まってしまっていたかもしれない…。
- とはいっても、南米の過小評価・西欧の過大評価という傾向もあるので、UEFA予選が東西分離で開催され東欧の小国が出場しやすくなっていたかもしれない。
- その場合、UEFAの枠の少なさが見直され、ワールドカップの欧州枠が拡大していた。
ジャマイカが決勝トーナメントに進出していたら
- 当然だがクロアチアはGL敗退していた。
- その勢いで、ルーマニア(史実でのクロアチアの決勝T1回戦に相手)にも勝てた可能性がある。
- 最も、その場合でもその次のドイツ戦で力尽きたと思われる。
- 2002年大会以降にも、何度か出場を決めていた。