もし太平洋戦争で別の時期に降伏していたら
- 記事の追加は時系列順にお願いします。
全般
- 8.15に降伏しなかった場合、広島・長崎以外にも原爆が投下されていた。
- 降伏時期が遅れていれば本土決戦に巻き込まれていた。
1944年以前
真珠湾攻撃(1941年12月)後
- あまりの早い終戦、被害のあった艦は旧式戦艦くらいということから八百長、秘密外交疑惑が持ち上がる。
- 日本はだまし討ちではなくやり逃げと言われる。
- それ以前に降伏とは何だ?勝っていたんじゃないか?と言う国論が巻き起こり、下手したら、クーデター発生していた
- その降伏の原因というのが昭和天皇がアメリカをだまし討ちしたことに不快感を持ったから。
- 多分降伏ではなく、早期の講和という形で決着が付いていた。
- 東條英機首相は日本を勝利に導いた英雄として国民から広く支持されるものの、結局関東軍の影響を受けた右翼将校の凶弾に倒れていただろう。
- 「○○の主役は我々だ!」の「第2次世界大戦の主役は我々だ!」においてひとらんらんは真珠湾攻撃イベント後降伏せずにアメリカ(オスマン)と戦い続ける内容となっていた。
ドーリットル空襲(1942年4月)後
- あまりにも降伏の理由が見えにくいため、下手したら、クーデター発生。
- アメリカの方が、却ってビックリする。
ミッドウェー海戦(1942年6月)後
- 政府に「弱虫」という意見が殺到。
- 団塊の世代は1945年前後に生まれた人のことをさすようになっていた。
- それ以前にベビーブームなど起きず、「団塊の世代」なんて言葉もない。徴兵された人の数もだいぶ少なくなったはずだし。
- 連合軍に対してのみ降伏し、中国との戦争は平然と続けていた。
- 真珠湾攻撃の賠償として満州と朝鮮半島をアメリカに譲る事で現在の世界地図は中華人民共和国、北朝鮮は存在しないし千島列島、樺太は今も日本国が統治している。
- 朝鮮や台湾は今も日本領だったかも。
イタリアの無条件降伏(1943年9月)後
- ドイツの降伏も早まっていた。
- イタリアみたいに連合国に寝返るという手もあったか。
- その可能性はかなり高い。
- アメリカへの降伏とドイツとの同盟解消に反対する軍人が反逆事件を起こしていた可能性もある。
- 敗戦しても終戦を迎えられなかったため、国民感情は全体的に史実より相当複雑なものになっていただろう。
- その可能性はかなり高い。
- この時点ではカイロ会談以前の降伏のため、戦前の旧外地を失うことはなかった。
- 少なくとも朝鮮、千島、樺太、台湾は維持することはできたはず。
- 満州国の権益と関東州、南洋諸島は放棄していたと思われる。
マリアナ諸島陥落(1944年8月)後
- ヤルタ会談前で、連合軍側の戦後処理が固まっていない時期なので、日本は植民地を放棄するだけで済み、戦前の体制が概ね存続する。
- タイミング的にはここが最後のチャンスだったか。
- 連合艦隊はまだ残っていたが、主要な艦船は戦後賠償としてアメリカやイギリスに引き渡される。
- 空襲被害がないので、戦前の町並みが今でも残っている。
- ただし名古屋市の道路はグチャグチャのまま(実史の名古屋の道路は名古屋空襲後に新しく考えたもの)
- 続く東南海地震と伊勢湾台風からの復興時に都市再開発が行われた可能性がある。
- 100m道路はなかった。
- ただし名古屋市の道路はグチャグチャのまま(実史の名古屋の道路は名古屋空襲後に新しく考えたもの)
- 東條英機が全責任を負って死刑になるだろうが、他の戦犯(となった人々)は生き残るかな。
- というより負わされたといったほうがいいだろう。
- 板垣征四郎や石原莞爾、牟田口廉也など勝手に戦争を始めたり、軍令違反した軍人が処刑されていたと思う。
- ついでに東條派の人間もとばっちりを受け処刑。
- 石原莞爾は反東條派なのでセーフ
- そもそも近衛文麿も日中戦争時の首相なので責任取らされるのはほぼ確実。
- 文化財や資料が空襲で焼失しないため、江戸時代から明治期にかけての歴史研究が進んでいた。
- 戦後、東條が諸悪の元凶扱いされる。
- 満州事変も盧溝橋事件も南京事件も太平洋戦争に至るすべての事件が(史実では中国共産党が扇動していたとされる事件でさえ)、すべて東條が天皇陛下から日本を乗っ取るために裏で手を引いていたことにされる。
- 当然、靖国神社に東條は祀られない。祀られたらその時点で国内外で大反発。
- 教科書では竹槍事件や東條の専横、それに対する抵抗運動が事細かに書かれている。
- 少なくとも中野正剛は演説とペンで東條と戦った国会議員として国民的英雄となるだろう。
- 中野正剛を主人公にした大河ドラマも作られたかもしれない。
- 少なくとも中野正剛は演説とペンで東條と戦った国会議員として国民的英雄となるだろう。
- 西城秀樹の芸名も変わっていたかも。
- 昭和天皇の日記も出せない可能性も高い。あの方は東條に対して好意的だったから。
- 満州事変も盧溝橋事件も南京事件も太平洋戦争に至るすべての事件が(史実では中国共産党が扇動していたとされる事件でさえ)、すべて東條が天皇陛下から日本を乗っ取るために裏で手を引いていたことにされる。
東南海地震(1944年12月)後
- 東南海地震がうやむやになることはなかった。
- 名古屋復興に全力を注げ、今以上に名古屋が大きくなっていた。
1945年
フィリピン陥落(1945年1月)後
- 連合艦隊は壊滅状態だが、大和は戦後賠償としてアメリカに引き渡される。
東京大空襲(1945年3月上旬)後
- 5月の東京大空襲がないので東京駅が原形を留めている。
- タイミング次第で大阪大空襲がないので首都が京都又は大阪に移った。
- 本土の被害が大きくないのでゲリラが登場し、現実のイラクのように泥沼化した。
- 天皇が降伏宣言して政府機能が生きてればそんなことにならないだろう。現実のイラクがひどいのはその逆だから。
硫黄島陥落(1945年3月下旬)後
- ヤルタ会談後なので、千島列島もソ連に奪われる。
- 千島列島の引き渡しはソ連の対日参戦が条件なので奪われなかったはず。
- 沖縄は戦後も日本支配のままとなる。
- 沖縄はいまのように米軍基地が密集することもなければ、本土並みに米ドルが沖縄で通用することもなかったはず。
- まとめました。→もし沖縄戦がなかったら
- 大和は戦後、豪華客船に改造。
- もしくはアメリカ軍に引き渡され、水爆実験で海の藻屑に・・・・・・
- ドイツ降伏の前なので、原子爆弾はベルリンに投下される。
ドイツの無条件降伏(1945年5月)後
- 2度目の東京大空襲はなかったかもしれない。
- 広島、福山、岡山、和歌山の各城の天守閣は消失せずに残ったはず。名古屋城は微妙か。
- ドイツと同時に日本が降伏していた場合、名古屋城天守閣は焼失を免れた(ドイツ降伏は5月8日、名古屋空襲は5月14日のため)。
沖縄陥落(1945年6月)後
- 広島・長崎の被害がないので、核兵器がもっと容易に使われるようになる。
- だが初回のみで2回目以降は今と同じ。
- 長崎はともかく広島は修学旅行のメッカになっていない。
- =ポツダム宣言(7月26日)を即日受諾していた。
- 満州・南樺太の日本人達が酷い目に遭わなくて済んだ。
- 朝鮮は分断されずに済んだ。
- 戦後の朝鮮、満州には米英軍が駐留していた。
- そして満州国はアメリカの傀儡国家として存続。
- 空襲の被害が少なくてすんだ。
- 連合国側がさらに厳しい要求を出す。で、結局はその要求を受諾できずに原爆投下。
- 近衛師団叛乱!→叛徒による皇居占拠→鈴木内閣総辞職→受諾声明の破棄→戦争継続→本土決戦っ!
- →米軍によって鎮圧。
ポツダム宣言発表(1945年7月26日)直後
- 無論、広島や長崎への原爆投下やソ連軍の侵攻はなかった。
広島原爆投下(1945年8月6日)直後
- ソ連は参戦のタイミングを失う。
- 樺太・千島列島は日本領のままだった。
- ポツダム宣言では「日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに我々の決定する諸小島に限る」とあるだけで、樺太・千島については「諸小島」に入るかどうか曖昧である。
- ソ連はこの時点で参戦してないためポツダム宣言にスターリンのサインはなく、口出しできない状態では米国の判断にゆだねられる。
- おそらく終戦と同時に樺太・千島にも米軍が進駐し、 沖縄のように長らく米国の施政化に置かれる。もちろん、スターリンとの裏約束はなかったことに。
- その後冷戦下ではソ連と対峙する戦略拠点となるため、沖縄より返還が遅れて、1991年のソ連崩壊後、ようやく返還される。
- 現実にはソ連はポツダム宣言受託後も8月いっぱい攻撃を続けているので同じ結果になるのでは?
- そうなると、ソ連は降伏後の日本に攻撃をすることになる(ソ連の対日宣戦は8日)ので、さすがにあり得ないのでは。
- 樺太・千島列島は日本領のままだった。
- 朝鮮半島は辛うじて分断を免れる。
- しかし、韓国が史実より早く民主化・発展し、日本と同時期に高度経済成長、ライバルになる。
- もう少し上手く白旗を揚げれた。
- 長崎の原爆投下も無かった。
8月下旬
- ソ連軍が北海道を制圧していた。
- 原爆は広島・長崎以外にも投下されていた。
- 新潟には確実に投下されていた。
1946年以降
- この頃になると確実に本土決戦に巻き込まれてた。
- 原爆も日本各地に投下されていた。
1月
- 確実に日本各地に原爆が投下されていた。