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{{町村|name=京丹波|reg=近畿|pref=京都|area=丹波|ruby=きょうたんは|eng=Kyotanba}}
#ドリフターズの、コメディアンとしての面だけでなく歌手グループとしての面もよく知っている。
{{丹波}}
#*カントリーソング歌ってた。「俺たちゃシティーカントリーじゃない、ウエスタンカントリーなんだと、わざとだらしなくやったり粗野にやったりしてた」と長さんは自伝に記してた。
#*加藤茶vs西城秀樹のドラムバトルは今でも伝説。
#**加藤茶はもともとドラマー。だから互角に渡り合える。
#船橋ヘルスセンター(現在の[[ららぽーと]])は、聖地だ。
#*三鷹公会堂も。
#途中で[[バラエティ番組ファン/あ行#オレたちひょうきん族ファン|フジテレビ]]に鞍替えした人はファン失格。
#*ただし、8時35分前後に「ひょうきん絵かきうた」だけ見たという程度であれば許す。
#*「また来週!」の直後にチャンネルを変えて懺悔のお湯が降ってくるシーンを見たという程度も許す。
#*当時ビデオデッキを持ってなかったくせに「タケちゃんマン」の話題に妙に詳しかった奴は、ファンの資格を剥奪。
#*この当時から2~3番組同時録画可能なレコーダーあれば、ここまで頭抱えずに済んだのに…。
#**ただ当時は地方は民放2局、という地域も多かったのでそういう地域ではこんな悩みはなかったかな、と。
#**当時民放2~3局しかなかった地域でも[[長野]]、[[石川]]、[[島根|山]][[鳥取|陰]]、[[熊本]]、[[宮崎]]の各県民は「ひょうきん族」とのチャンネル争いで頭抱えた。
#**[[長崎]]はいずれも見れなかった。全員集合は末期に[[長崎放送|NBC]]がネット開始、「ひょうきん族」はKTNでは最終回まで放送がなく[[テレビ西日本|県]][[サガテレビ|外]][[テレビ熊本|局]]が映らなければ見れなかった。
#*例の停電の頃には既に鞍替えしていたのだが、ちょうどこの日は「ひょうきん族」が野球中継で休みで久しぶりに見ようとしたらハプニングに遭遇、という人が結構いるはず。
#**[[青森]]、[[岩手]]、[[福島]]、[[山口]]、[[高知]]の各県民は「ひょうきん族」に鞍替えできなかった(詳しくは各県のメディアのページを参照)。
#***[[山梨]]、[[新潟]]、[[大分]]、[[鹿児島]]、[[沖縄]]の各県民も「ひょうきん族」に鞍替えできなかった。
#***福島はチャンネル固定でひょうきん族に鞍替えできたんじゃ。
#****新潟は1983年10月、福島は1983年12月からひょうきん族へ鞍替え可能になった。
#すわ親治が今どうしているのかとても気になる。
#オープニングの歌とエンディングの歌に歌詞の字幕はなかったが、それでも歌詞を正確に知っている。
#*加トちゃんの合いの手(「風邪ひくなよ!」「お風呂入れよ!」等)も全部把握している。
#**「歯ぁ磨けよ!」は、言うまでもなく[[ライオン (企業)|ライオン]]の歯ブラシ&歯磨き粉だ。
#**[[大映ドラマファン#スクール☆ウォーズファン|後座番組のファン]]は、「お風呂入れよ!」コールが出る前に風呂を済ませる。
#*ゲストが小柳ルミ子のときはオープニング、エンディングで長さんや加トちゃんにイジられるのが楽しみだ。
#作曲家・たかしまあきひこ氏が作曲した”盆回りのテーマ”には思わず反応してしまう。
#*部屋の模様替えなどの際に脳内でメロディを流し、ハイテンションで作業に勤しむ。
#*セットを片付けるあの大道具さんにあこがれたことがある。
#**毎週各地であれだけ大掛かりな仕掛け仕込んだセットを作って生放送やってた当時のスタッフの皆様に(`・ω・´)ゞ
#*「[http://www.youtube.com/watch?v=ITfTTV_6zoQ&feature=related&fmt=18 盆回りのテーマ(コロムビア・オーケストラ演奏版)]」
#*「盆回り」を聴くと、パトカーが民家の屋根に突撃するシーンが、脳内を駆け巡る。
#**あれ、今だったら間違いなく会場側から拒否されるな。時代の違いを実感させられる場面でもある。
#誰かの後ろに危険が迫ると「志村~後ろ~!」と言う。
#DVDは当然買った。
#*当然、特典付き限定版を購入。ハッピも、洗面器も、ヤカンも我が家にある。
#ドリフの早口言葉を全部言える。
#*放送当時、学校帰りに友達と早口言葉を競った。
#*知り合いの結婚式の余興でこの早口言葉をやった(ヒゲダンスも)。
#長さんの号令については言うまでもない。
#*停電のときの「8時9分半だよ!」も好む。
#*長さんの葬儀の時、「8時だョ!」とテープを流した人物が気になる。
#*(1)長さん「番号!」 志村「番号!」 高木「一!」 仲本「二!」 加藤「三!」 (2)長さん「番号!」 高木「一!」 仲本「二!」 志村「のー」 加藤「三!」っていうのもあったねぇ。
#沢田研二は歌手ではなく志村の相方。
#*「勝手にシンドバッド」はサザンオールスターズよりも志村けんが先に発表していたと主張する。
#**歌手業より志村の相方業の方が合ってねぇか?あのお笑いのセンスは歌手にしては秀逸だと思うぞ。そこらのポッと出の歌手には絶対真似できねぇよ。
#*桜田淳子も志村の相方。
#*由紀さおりは……微妙。
#**由紀さんはバカ殿様の腰元ではハマるんだけどなあ。どちらかと言えば長さんの相方というイメージ。
#*小林幸子は歌手だけど、いかりやの相方でもあってほしい。
#**同じく森幸子も。
#*「見て、あの星を…」の松田聖子もなかなか。
#*ここまで名前の出なかった研ナオコは歌手ではなく完全に「志村の相方」のコメディエンヌという認識だ。
#[[カラス]]のくちばしは黄色。黒ではない。
#*[[wikipedia:ja:画像:Amsel auf der Wiese.JPG|こんな感じ?]]
#[[筋肉少女帯ファン|K肉S女帯]](初期)の例の曲については本気で怒るべきか冗談だと受け流すべきか悩む。
#*ご本人が笑って許しているので受け流すべきかと。
#*それはむしろ番組のファンじゃなくてドリフターズファンの考えだろう。
#**「若い奴がバカやって頑張ってるんだから許してあげようよ」の一言でOK出たそうだが…。
#***しかもO槻Kヂが面と向かって謝罪しての和解なんで無問題かと。
#山田満郎氏は神。
#*山田氏は舞台装置家としてナントカ賞(スマン、賞の名前忘れた)を全員集合のセット作成で受賞してる。
#**伊藤熹朔(いとうきさく)賞ですね。
#***上にも書いたが、山田氏を支えたスタッフの皆様にも敬意を欠かさない。
#靴屋でドリフ靴を探したことがある。
#*「白」だけど、ガッコの上履きにしていました。
#スイカはもちろんドリフ食い。
#小学校時代、テレビに「ドリフ禁止」のシールが貼られていたが、かまわず見ていた。
#「赤盤」「青盤」とはもちろんザ・ドリフターズのベストアルバムのことである。
#*ザ・ビートルズのことも知識としては知っている。ただし、ドリフが前座を務めたバンドとしてである。
#1990年前後に放送された「思い出の全員集合スペシャル」をいまでもビデオに残している。
#*そして、DVDに編集している。
#TBSにどれだけ不満を持っていようと、TBSの放映したいかりや長介氏逝去~1周忌に伴う全員集合関連番組は欠かさず視聴&録画した。
#れんがの壁を見るとヒゲダンスをしたくなる。
#*もちろん脳内では、音楽が鳴っている。
#**[[阪神タイガース|阪神]]の[[プロ野球選手ファン/阪神タイガース#北條史也ファン|北條]]がこれを登場曲にしたときは笑った。
#7月19日(H20)は、[[東京/港区#赤坂・赤坂見附の噂|赤坂サカス]]に全員集合!
#イチローのレーザービームに恐怖心を覚える。
#*それは[[ニコニコ動画ファン/作品別/さ・た行#人類滅亡シリーズファン|ニコ厨]]だけ。
#挨拶は勿論「おぃっす!!」
#*「元気がないなぁ。じゃあもういっちょ、おいっす!!」
#**「静かにしろ~!!。ここは戦場だ~!!」までやるとなおよろし。
#陸上自衛隊中央音楽隊も変わったなぁ…。軍歌系統じゃなくて、こういう系統の音楽もやるんだねぇ…。
#[[富士市]]にできた[http://www.yoshiwara.net/news/2005/03_ikariya.html#anchor 長さん小路]を歩いておくべきかも。
#「なんだ、」に続くコトバは、「[[プロレスラーファン#アントニオ猪木ファン|コノヤロー]]」ではなく「ばかやろぅ」だ。
#初歩の[[英語|英文]]と言えば、「じす いず あ ぺん」
#*「アー・ミー・マー」「ユー・ユア・ヨー」「ヒズ・ヒム・ヒー」「シー・ハッ・ハー」も。
#じゃんけんする時は「最初はグー!」である。
#*いや、ファンじゃない人も普通に使いますよ。ちなみにこの掛け声はこの番組から広まった。
#**続けて「またまたグー!いかりや長介頭はパー!正義は勝つ!」もしっかりやる。
#この番組のステレオ放送化に合わせて、当時まだ高価だった音声多重テレビを買ってもらった。
#コントだけではなく、合間に歌手が歌う曲も毎週楽しみにしていた。
#居作プロデューサーや志村が言った「PTAはバラエティーは食べ物を粗末にすると教育に悪いと文句を言うくせに、ドラマは食べ物粗末にしても下ネタをしても何人殺しても何も言わないのか?」は最強の言葉だと思う。
#*居作さんは[[クイズダービーファン|土曜7時半の番組]]を手がけてた事もあって、神様のような存在だと思ってる人も多いと思う。
#ドリフといえば大爆笑ではなくこちら。全員集合が放送されていた当時は大爆笑や[[バラエティ番組ファン/あ行#オレたちひょうきん族ファン|フジテレビの裏番組]]が遅れネットだった県(青森、岩手、福島、山梨、新潟、山口、高知、大分、鹿児島)の県民はもちろん。


==京丹波町の噂==
{{動画}}
#兵庫に「[[丹波市]]」があるからって…。
#*JR丹波口や京阪・近鉄丹波橋駅で降りても着かないよ。
#鉄道がない。でも[[国道9号]]が4車線。亀岡も南丹(園部)も2車線なのに。
#*鉄道あるよ。単線([[山陰本線]])だけど。
#*おそらくは旧船井郡丹波町時代の[[国道478号|京都丹波道路]]丹波IC~{{国道|近畿|27|27号}}分岐の蒲生交差点の区間だけを見て『鉄道がない』って思ったんだろうな。でも山陰線下山駅は旧丹波町域なので、鉄道は確かにあった。今は町内をけっこう長い距離走ってる。
#*実は、鉄道から遠く離れているように見える旧瑞穂町ですら、山陰線がわずかにかすっていた(駅は無い)。
#*旧和知町域に全国屈指の難読駅「安栖里駅」があるのに……
#*和知駅にはとうとう特急が全く止まらなくなった。
#**止まっているのを見かけた? それは単線故の対面列車の待ち合わせだよ。
#**園部駅を出た特急は、約40分ノンストップで次の停車駅綾部駅へ……
#*旧丹波町内へ行くには、園部から[[西日本JRバス]]利用が無難(町営バスも下山からあるが、非現実的。
#郡名つけずに「京都府京丹波町」だと、「京都府京丹後市」と紛らわしい。
#*京都府内だと「[[京田辺市]]」も紛らわしい。
#*京都では平成の大合併での新自治体名に『京』を頭につけるのが流行ってるみたいだね。いずれも京都府に在るというのをアピールするためなのか? でも、田辺や丹波は他県に同名の自治体があるのでやむを得なかったと思うが・・・
#**逆に後に『京』がつくのは[[長岡京市]]。
#*「市」と「町」だからかぶっても良かったんだけど、和知町と瑞穂町が旧丹波町への吸収合併に見えるから嫌がった。ってのもある。
#**南丹市に入れてもらえなかった負け組合併なのに……とか言うの禁止。
#丹波ワイナリーがある。


==丹波==
==関連項目==
*[[近畿の道の駅#京丹波 味夢の里|道の駅京丹波 味夢の里の噂]]
*[[もしいかりや長介が健在だったら]]
#須知は「すち」じゃなくて「しゅうち」。無論、某お笑いコンビ(解散)の片割れとは特に繋がりはない。
*[[もしあの人が健在だったら/お笑い#荒井注|もし荒井注が長生きしていたら]]
#*「ドリルすんのかいせんのかい」の人のことね。
*[[もし今でも『8時だョ!全員集合』が続いていたら]]
#高速道路無かりし頃、舞鶴や福知山など北部から京都に向かう観光バス等は、須知のドライブイン(R9とR27の交差点にあった)でのトイレ休憩が定番だった。
*[[ドリフ大爆笑ファン]]
#*なので、府北部に住む人には、難読の「須知」を正しく読める人が多い。
*[[バラエティ番組ファン/か行#加トちゃんケンちゃんごきげんテレビファン|加トちゃんケンちゃんごきげんテレビファン]]
#*大阪から丹後・若狭に向かう海水浴バスも。当時は{{国道|近畿|173|イナサン}}→[[国道423号|R423(1981年以前は主要府道池田亀岡線)]]→R9→R27というルートを辿っていた。
#9号線を走っていると現れる謎の案内「ビジョンダンマーク→」
#*セビリア万博の「デンマーク館」だったらしいね。(現在は解体)
#[[西日本旅客鉄道|JR西日本]]系列のゴルフ場がある。
#国道27号の終点。
#*蒲生(こも)交差点。国道9号と交わる。町外者は「がもう」と誤解。
#たまにマツタケが獲れる。
#一時期京都競馬場がここにあった。
#丹波の鄙びた田舎町にもかかわらず、なぜか世界的ホテルチェーンの「マリオット」グループのホテルがある。


==和知==
{{DEFAULTSORT:はちしたよせんいんしゆうこう}}
#国道27号線にある「道の駅『和(なごみ)』」は全国でも珍しい黒字の道の駅。
[[カテゴリ:バラエティ番組ファン]]
#買い物などで綾部市とのつながりもある。
[[カテゴリ:TBS]]
#鐘打鉱山(タングステンを産出、1982年閉山)が何気に凄かったらしい。
#兵庫・京都r59(市島和知線)の終点。
 
==瑞穂==
#中心地は「桧山」と書いて「ひのきやま」と読む。
#*ただ、[[阪神タイガース]]の人の名に引きずられて「ひやま」と読んでしまう人多し。
#*北海道民と秋田県民も同じく。
#ここの町営バス(合併前)は、[[奈良交通]]のボンネットバスを購入して走らせていたことで有名だった。
#[[グリーンランド]]がある。
#*年中雪と氷に覆われている訳ではない。
#公共交通機関で[[大阪市]]や神戸市へは不便だが、桧山から車を走れば時速50km/hで10分以内に梅田へも三宮へも行ける。
#*え、10分?!
#*10分はあり得ないが、国道イナサンがつながっているのでうまくいけば2時間以内で梅田には行けそうな感じ(途中から阪神高速も利用可能)。
#**町内の国道9号沿いに梅田、イナサン沿いに三ノ宮があるオチ。
#「アミー号」の名で京阪神~首都圏の夜行バス(元ツアーバス)でブイブイ言わせている会社(「山一サービス」)が、実はこんな所にある。
#*しかも所在地は大朴(おぼそ)という、なんとも田舎臭い名前のところ。
#*旧ツアーバスの会社って意外な田舎にあったりする。逆に言うと、そんな超ローカルな会社が収入のために大手予約サイトから以前は観光バス扱いで請け負っていたという構図。
 
[[category:日本の町村]]

2021年5月1日 (土) 23:13時点における版

  1. ドリフターズの、コメディアンとしての面だけでなく歌手グループとしての面もよく知っている。
    • カントリーソング歌ってた。「俺たちゃシティーカントリーじゃない、ウエスタンカントリーなんだと、わざとだらしなくやったり粗野にやったりしてた」と長さんは自伝に記してた。
    • 加藤茶vs西城秀樹のドラムバトルは今でも伝説。
      • 加藤茶はもともとドラマー。だから互角に渡り合える。
  2. 船橋ヘルスセンター(現在のららぽーと)は、聖地だ。
    • 三鷹公会堂も。
  3. 途中でフジテレビに鞍替えした人はファン失格。
    • ただし、8時35分前後に「ひょうきん絵かきうた」だけ見たという程度であれば許す。
    • 「また来週!」の直後にチャンネルを変えて懺悔のお湯が降ってくるシーンを見たという程度も許す。
    • 当時ビデオデッキを持ってなかったくせに「タケちゃんマン」の話題に妙に詳しかった奴は、ファンの資格を剥奪。
    • この当時から2~3番組同時録画可能なレコーダーあれば、ここまで頭抱えずに済んだのに…。
      • ただ当時は地方は民放2局、という地域も多かったのでそういう地域ではこんな悩みはなかったかな、と。
      • 当時民放2~3局しかなかった地域でも長野石川熊本宮崎の各県民は「ひょうきん族」とのチャンネル争いで頭抱えた。
      • 長崎はいずれも見れなかった。全員集合は末期にNBCがネット開始、「ひょうきん族」はKTNでは最終回まで放送がなくが映らなければ見れなかった。
    • 例の停電の頃には既に鞍替えしていたのだが、ちょうどこの日は「ひょうきん族」が野球中継で休みで久しぶりに見ようとしたらハプニングに遭遇、という人が結構いるはず。
      • 青森岩手福島山口高知の各県民は「ひょうきん族」に鞍替えできなかった(詳しくは各県のメディアのページを参照)。
        • 山梨新潟大分鹿児島沖縄の各県民も「ひょうきん族」に鞍替えできなかった。
        • 福島はチャンネル固定でひょうきん族に鞍替えできたんじゃ。
          • 新潟は1983年10月、福島は1983年12月からひょうきん族へ鞍替え可能になった。
  4. すわ親治が今どうしているのかとても気になる。
  5. オープニングの歌とエンディングの歌に歌詞の字幕はなかったが、それでも歌詞を正確に知っている。
    • 加トちゃんの合いの手(「風邪ひくなよ!」「お風呂入れよ!」等)も全部把握している。
      • 「歯ぁ磨けよ!」は、言うまでもなくライオンの歯ブラシ&歯磨き粉だ。
      • 後座番組のファンは、「お風呂入れよ!」コールが出る前に風呂を済ませる。
    • ゲストが小柳ルミ子のときはオープニング、エンディングで長さんや加トちゃんにイジられるのが楽しみだ。
  6. 作曲家・たかしまあきひこ氏が作曲した”盆回りのテーマ”には思わず反応してしまう。
    • 部屋の模様替えなどの際に脳内でメロディを流し、ハイテンションで作業に勤しむ。
    • セットを片付けるあの大道具さんにあこがれたことがある。
      • 毎週各地であれだけ大掛かりな仕掛け仕込んだセットを作って生放送やってた当時のスタッフの皆様に(`・ω・´)ゞ
    • 盆回りのテーマ(コロムビア・オーケストラ演奏版)
    • 「盆回り」を聴くと、パトカーが民家の屋根に突撃するシーンが、脳内を駆け巡る。
      • あれ、今だったら間違いなく会場側から拒否されるな。時代の違いを実感させられる場面でもある。
  7. 誰かの後ろに危険が迫ると「志村~後ろ~!」と言う。
  8. DVDは当然買った。
    • 当然、特典付き限定版を購入。ハッピも、洗面器も、ヤカンも我が家にある。
  9. ドリフの早口言葉を全部言える。
    • 放送当時、学校帰りに友達と早口言葉を競った。
    • 知り合いの結婚式の余興でこの早口言葉をやった(ヒゲダンスも)。
  10. 長さんの号令については言うまでもない。
    • 停電のときの「8時9分半だよ!」も好む。
    • 長さんの葬儀の時、「8時だョ!」とテープを流した人物が気になる。
    • (1)長さん「番号!」 志村「番号!」 高木「一!」 仲本「二!」 加藤「三!」 (2)長さん「番号!」 高木「一!」 仲本「二!」 志村「のー」 加藤「三!」っていうのもあったねぇ。
  11. 沢田研二は歌手ではなく志村の相方。
    • 「勝手にシンドバッド」はサザンオールスターズよりも志村けんが先に発表していたと主張する。
      • 歌手業より志村の相方業の方が合ってねぇか?あのお笑いのセンスは歌手にしては秀逸だと思うぞ。そこらのポッと出の歌手には絶対真似できねぇよ。
    • 桜田淳子も志村の相方。
    • 由紀さおりは……微妙。
      • 由紀さんはバカ殿様の腰元ではハマるんだけどなあ。どちらかと言えば長さんの相方というイメージ。
    • 小林幸子は歌手だけど、いかりやの相方でもあってほしい。
      • 同じく森幸子も。
    • 「見て、あの星を…」の松田聖子もなかなか。
    • ここまで名前の出なかった研ナオコは歌手ではなく完全に「志村の相方」のコメディエンヌという認識だ。
  12. カラスのくちばしは黄色。黒ではない。
  13. K肉S女帯(初期)の例の曲については本気で怒るべきか冗談だと受け流すべきか悩む。
    • ご本人が笑って許しているので受け流すべきかと。
    • それはむしろ番組のファンじゃなくてドリフターズファンの考えだろう。
      • 「若い奴がバカやって頑張ってるんだから許してあげようよ」の一言でOK出たそうだが…。
        • しかもO槻Kヂが面と向かって謝罪しての和解なんで無問題かと。
  14. 山田満郎氏は神。
    • 山田氏は舞台装置家としてナントカ賞(スマン、賞の名前忘れた)を全員集合のセット作成で受賞してる。
      • 伊藤熹朔(いとうきさく)賞ですね。
        • 上にも書いたが、山田氏を支えたスタッフの皆様にも敬意を欠かさない。
  15. 靴屋でドリフ靴を探したことがある。
    • 「白」だけど、ガッコの上履きにしていました。
  16. スイカはもちろんドリフ食い。
  17. 小学校時代、テレビに「ドリフ禁止」のシールが貼られていたが、かまわず見ていた。
  18. 「赤盤」「青盤」とはもちろんザ・ドリフターズのベストアルバムのことである。
    • ザ・ビートルズのことも知識としては知っている。ただし、ドリフが前座を務めたバンドとしてである。
  19. 1990年前後に放送された「思い出の全員集合スペシャル」をいまでもビデオに残している。
    • そして、DVDに編集している。
  20. TBSにどれだけ不満を持っていようと、TBSの放映したいかりや長介氏逝去~1周忌に伴う全員集合関連番組は欠かさず視聴&録画した。
  21. れんがの壁を見るとヒゲダンスをしたくなる。
    • もちろん脳内では、音楽が鳴っている。
      • 阪神北條がこれを登場曲にしたときは笑った。
  22. 7月19日(H20)は、赤坂サカスに全員集合!
  23. イチローのレーザービームに恐怖心を覚える。
  24. 挨拶は勿論「おぃっす!!」
    • 「元気がないなぁ。じゃあもういっちょ、おいっす!!」
      • 「静かにしろ~!!。ここは戦場だ~!!」までやるとなおよろし。
  25. 陸上自衛隊中央音楽隊も変わったなぁ…。軍歌系統じゃなくて、こういう系統の音楽もやるんだねぇ…。
  26. 富士市にできた長さん小路を歩いておくべきかも。
  27. 「なんだ、」に続くコトバは、「コノヤロー」ではなく「ばかやろぅ」だ。
  28. 初歩の英文と言えば、「じす いず あ ぺん」
    • 「アー・ミー・マー」「ユー・ユア・ヨー」「ヒズ・ヒム・ヒー」「シー・ハッ・ハー」も。
  29. じゃんけんする時は「最初はグー!」である。
    • いや、ファンじゃない人も普通に使いますよ。ちなみにこの掛け声はこの番組から広まった。
      • 続けて「またまたグー!いかりや長介頭はパー!正義は勝つ!」もしっかりやる。
  30. この番組のステレオ放送化に合わせて、当時まだ高価だった音声多重テレビを買ってもらった。
  31. コントだけではなく、合間に歌手が歌う曲も毎週楽しみにしていた。
  32. 居作プロデューサーや志村が言った「PTAはバラエティーは食べ物を粗末にすると教育に悪いと文句を言うくせに、ドラマは食べ物粗末にしても下ネタをしても何人殺しても何も言わないのか?」は最強の言葉だと思う。
    • 居作さんは土曜7時半の番組を手がけてた事もあって、神様のような存在だと思ってる人も多いと思う。
  33. ドリフといえば大爆笑ではなくこちら。全員集合が放送されていた当時は大爆笑やフジテレビの裏番組が遅れネットだった県(青森、岩手、福島、山梨、新潟、山口、高知、大分、鹿児島)の県民はもちろん。
トークに、8時だョ! 全員集合ファンに関連する動画があります。

関連項目