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{{速報規制|新規記事及び節の追加|事故発生から半年間(福島第一原発事故は無期限規制)}} | |||
追加は年代順にお願いします。 | |||
== 独立項目 == | |||
*[[もしあの鉄道事故が○○だったら]] | |||
*[[もし放送界であの事件がなかったら]] | |||
*[[もしあの航空事故が○○だったら]] | |||
*[[もしあの海難事故が○○だったら]] | |||
== 1960年代以前 == | |||
===ツングースカ大爆発=== | |||
;人口密集地域で発生していたら | |||
#落ちた場所の人口によっては、死者が多数出ていた。 | |||
#ロシア革命が史実より早く起きた。 | |||
;清国内で発生していたら | |||
#清朝崩壊が数年早まった。 | |||
#あり得る場所としてはモンゴルか満州かな。 | |||
===白木屋大火=== | |||
;発生していなかったら | |||
* | #日本初の高層建築物火災はこの事故ではなかった。 | ||
#女性のズロース着用が呼びかけられることはなかった。 | |||
#*史実でも本件に伴うズロース普及はあまり進まなかったため結局洋装の一般化がズロース着用率アップの決め手になった。 | |||
#セルロイドの危険性が認識されたのは戦後にずれ込んでいた。 | |||
== | ===ウラル核惨事=== | ||
;発生していなかったら | |||
# | #もちろん近隣住民の被曝などなかった。 | ||
#* | #史実のこの事故はトップシークレット扱いだったためチェルノブイリ事故の対応への影響は特になかったと思われる。 | ||
# | ;発生当時に詳細を公表していたら | ||
#世界最初の大規模な原子力事故として国際社会を震撼させていた。 | |||
#*「中国やソ連の核はきれいな核」という迷言は誕生しなかった。 | |||
#この時点で近隣住民は全て立ち退かされていた。 | |||
#後年のチェルノブイリ事故でももっとうまく対応できていたはず。 | |||
#史実ではこの事故の直後だったスプートニク1号の打ち上げは延期されていた。 | |||
#フルシチョフがこの時点で失脚していた可能性もある。 | |||
=== | ===飛騨川バス転落事故=== | ||
# | ;発生していなかったら | ||
#* | #史実でも土砂崩れ直撃を回避できる可能性は十分あったと思われる。 | ||
#*例:団体の前半分も後ろ半分同様に白川口駅前で待機。 | |||
#「死者100名以上の交通事故」などというものは現在も日本ではまず想像できない事態とされていた。 | |||
#この事故に伴う国道の防災体制強化は必然的に遅れてしまった。 | |||
#*現在までに日本のどこかで本件と似たような惨劇が発生していても全くおかしくない。 | |||
#移動通信機器の登場も史実より10年は遅れていたかもしれない(携帯電話のルーツというべき自動車電話が開発されるきっかけになったのはこの事故が発生したから)。 | |||
#[[東海北陸自動車道]]の着工や建設、開通も史実より遅れていたかもしれない。 | |||
#*2020年時点でもまだ全線開通しておらず、郡上八幡IC以北は未だに片側1車線のまま。 | |||
=== | ==1970年代== | ||
# | ===天六ガス爆発事故=== | ||
# | ;発生していなかったら | ||
# | #谷町線の東梅田-都島間は現実より数年早く開業できていた。 | ||
#* | #*都島駅ではなく天神橋筋六丁目駅に折り返し設備が設けられていた可能性あり。 | ||
# | #「=シールド工法で工事していた場合」。 | ||
# | #*現場ではオープンカット工法で工事していたため地上の事故処理車のエンジン再始動時に出た火花が引火し大爆発が起きてしまった。 | ||
# | #都市でのガス爆発の恐怖が広く認識されないためその後のガス爆発事故で犠牲者が増えていた恐れもある。 | ||
#* | #*静岡駅前地下街の爆発事故あたりがさらなる大惨事になっていた。 | ||
# | #現在では大阪市の都市災害といえばもっぱら千日デパートの火災が語られる。 | ||
#谷町線の東梅田~都島は四つ橋線の玉出~住之江公園と同じ1972年11月に開業できていた。 | |||
#*都島~守口も史実より早い1975~76年に開業していた。場合によってはこの区間の駅でひげ文字の駅名標が見られた。 | |||
#二代目桂歌之助が襲名をせず、桂扇朝のままその生涯を閉じた。 | |||
;群衆の退避がうまくいっていたら | |||
#現実通り爆発が発生しても犠牲者数はある程度抑えられていた。 | |||
#*周辺住民や通行人の被害を小さくできた成功例として語られることもあった。 | |||
#犠牲者数が少なくなった反面、後の時代にこの事故への言及がなされる機会は減っていた。 | |||
=== | ===千日デパート火災=== | ||
# | ;発生していなかったら | ||
#* | #もちろん千日デパートの閉店はなく、プランタン→ビックカメラの開業はなかったか別の場所になっていた。 | ||
#* | #*ビックカメラなんば店が心霊スポットになることもなかった。 | ||
#*2000年代に入ると老朽化のためビルの建て替えが行われ、このタイミングでビックカメラが出店していたかも。 | |||
# | #専門店のテナントが撤退することもなく、専門店側と経営者側との間で訴訟になることもない。 | ||
# | #後述にもあるように大洋デパート火災も発生しなければ、消防法と建築基準法の改正が遅れていた。 | ||
# | #ビル内に入っていたニチイは後に若者向けのビブレにリニューアルされていた。 | ||
# | #*ビル建て替え後、「[[イオン|イオンモール]]なんば」に生まれ変わっていた。 | ||
# | #ビルを保有していた日本ドリーム観光が[[ダイエー]]傘下に入ることはなかったかもしれない。 | ||
=== | ===西武高槻店火災=== | ||
# | ;発生していなかったら | ||
# | #西武高槻店は当初の予定通り1973年9月29日に開店していた。 | ||
#*とは言え開店当初は関西の人々に「西武」の知名度が低かったため苦戦していたかも。 | |||
#**それでも1979年の[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]誕生で関西でも西武の知名度が上がっていた。 | |||
;オープン後に火災が発生していたら | |||
*火災発生はオープン4日前でした。 | |||
#犠牲者は数十人、最悪100人を越えていたかも。 | |||
#*前年発生した千日デパート火災や約2ヶ月後に発生した熊本の大洋デパート火災と比較されていた。 | |||
#西武百貨店はその後関西に進出しなかったかもしれない。 | |||
#*西武高槻店の建物は解体されていたか、改修の上別の商業施設が入っていた。 | |||
== | ===大洋デパート火災=== | ||
;発生しなかったら | |||
# | #もちろん大洋デパートはその後も熊本一の百貨店として存続できていた。 | ||
#* | #*当時行われていた増築は無事終了し鶴屋の客をかなり奪っていた。 | ||
#*岩田屋→くまもと阪神→県民百貨店の寿命ももっと早く尽きていた。 | |||
#*地元出身の古葉竹識が大洋ホエールズの監督に就任した際に記念のイベントを行った。 | |||
#日本最悪のデパート火災といえば今も白木屋大火。 | |||
#*いや、消防法の改正が遅れたことから最悪同規模の火災が起こっていた可能性も否定できない。 | |||
#現実ではこの火災と前年の千日デパート火災が契機となった消防法や建築基準法の改正にもっと手間取っていた。 | |||
;火災発生が営業時間外だったら | |||
#犠牲者数が史実よりかなり少なくなっていた。 | |||
#*うまくすれば誰も命を落とさずに済んでいた。 | |||
#出火原因はおそらく工事の火花の引火。 | |||
#*大洋デパートと増築の施工業者との間で泥沼の訴訟が発生していた。 | |||
#*川治プリンスホテル雅苑の火災発生時にここが引き合いに出される。 | |||
#店内の構造などから「営業時間中なら確実に大惨事だった」と指摘する識者もいるが一般にはあまり知られなかった。 | |||
#熊本県民の同情により本店以外での売り上げが一時的に増していた。 | |||
#*それでも本店の焼失や営業停止によるダメージは相当なものになっていた。 | |||
#時間帯によってはヨーロッパ各国でプライムタイムに生放送されヨーロッパでも相当な衝撃を与えていた。 | |||
;火災後すぐに建物が解体されていたら | |||
*建物自体は2014年8月まで存続していましたが、もし千日デパート火災同様に火災後即取り壊しになっていたら? | |||
#大洋ショッピングセンターや大洋デパート八代店も火災後すぐに閉店していた。 | |||
#跡地は建て替えられ、熊本城屋→ダイエー熊本下通店は2018年現在でも「イオン熊本下通店」として営業を続けていた可能性もある。 | |||
=== | ===スリーマイル島原子力発電所事故=== | ||
# | ;事故の規模がレベル7だったら | ||
# | #ペンシルベニア州では大規模な健康被害が予測される。 | ||
# | #映画チャイナ・シンドロームの上映が打ち切られていた。 | ||
# | #しばらくの間北米一帯の農産物は輸出禁止になっていた。 | ||
# | #ワシントンやニューヨークにもホットスポット(局地的高濃度汚染地域)ができていたかも。 | ||
#アメリカのみならず、世界中の原子力政策が見直されたのは言うまでもない。 | |||
#*アメリカの原発は全廃になっていた。核兵器放棄はないだろうが。 | |||
=== | ==1980年代== | ||
# | ===静岡駅前地下街爆発事故=== | ||
# | ;発生しなかったら | ||
#地下街の保安基準強化はなかった。 | |||
#*史実で計画が頓挫した仙台などさらに多くの都市で地下街が建設されていた。 | |||
#**そのどこかで本件に相当する大惨事が起きた恐れも否定できない。 | |||
#最初のメタンガスの爆発がむしろもう少し大きければ大爆発は避けられたような気がしてならない。 | |||
#*現場検証がもっと念入りに行われガス管の損傷も発見されたはず。 | |||
#美保純は芸能界デビューしなかったかもしれない。 | |||
=== | ===北炭夕張新炭鉱ガス突出事故=== | ||
# | ;発生しなかったら | ||
#* | #北炭や国の姿勢がもっと安全を重視したものだったら…。 | ||
# | #*三井三池三川炭鉱炭塵爆発の教訓が生かされていたら史実のような危険な状態にはならなかったと思う。 | ||
#夕張の石炭産業にとどめを刺した事故は4年後の三菱南大夕張炭鉱ガス爆発になっていた。 | |||
#夕張新炭鉱は元号が平成に変わるころまで採掘を継続できていた。 | |||
#この炭鉱の通洞口も普通にコンクリートで密閉されていた。 | |||
=== | ===ホテルニュージャパン火災事故=== | ||
;発生しなかったら | |||
#ホテルニュージャパンは厳しい経営ながらも現在でも盛業していた。 | |||
# | #*バブル崩壊かリーマンショックあたりで潰れていたような気がする。 | ||
#* | #横井英樹に買収されていなかったらこうなっていた。 | ||
# | #*安全面がおろそかになることはなかったため。 | ||
#* | #*あるいは設計時の予定通り高級レジデンスになっていたら・・・。 | ||
#* | #ホテルでの寝タバコは禁止されなかった。 | ||
# | #つまり、[[もしあの建造物が現存していたら#ホテルニュージャパン|こうなっていた]]。 | ||
# | #高野甲子雄はあの夜に救助活動で重傷を負うことがなかったため翌日の羽田沖逆噴射事故の現場に出動できていた。 | ||
# | #ナイトクラブ「ニューラテンクォーター」の運命は史実と変わらないと思われる。 | ||
# | |||
# | |||
=== | ===ボパール化学工場事故=== | ||
;発生しなかったら | |||
# | #工場を管理していたユニオンカーバイド社の経営悪化は避けられていた。 | ||
#* | #*現在もダウケミカル傘下ではなく独立した企業のままだった。 | ||
#*この会社を肯定的に扱う本もまだ出されている。 | |||
#* | #事故後の声明通りアメリカの工場と同じ安全基準で操業していれば確実に事故は避けられていた。 | ||
# | #*史実の本件ではコストカットのため安全装置が切られたり極端な手順の省略が行われたりしたため死者が万単位に及んでしまった。 | ||
#セベソ爆発事故を経験したヨーロッパ以外では化学工場の大事故に対する危機感が弱くなっていた恐れもある。 | |||
#* | ;当日の天候が雨だったら | ||
# | #原因物質のイソシアン酸メチルは水で中和できるため犠牲者数は大幅に減っていた。 | ||
#*インドとアメリカ以外ではそこまで大きく取り扱われなかったかもしれない。 | |||
# | #事故原因として会社側が唱えていた「従業員による意図的なもの」という説もかなり説得力を失っていた。 | ||
#*「わざわざ効果が弱まる雨の日に事件を起こすはずがない」という感じで否定されていた。 | |||
#* | |||
# | |||
#* | |||
=== | ===日本航空123便墜落事故=== | ||
→[[もし日本航空123便墜落事故が○○だったら]] | |||
=== | ===チェルノブイリ原発事故=== | ||
;発生していなかったら | |||
#原子力撤廃運動は盛んにならなかった。 | |||
#テニスのマリア・シャラポワは「ベラルーシの妖精」と呼ばれていた。 | |||
#ブルーハーツの「チェルノブイリ」という曲は存在しない。 | |||
#もしかしたら、「チェルノブイリ原発」よりも最悪の原発事故が発生していたかも。 | |||
#家畜や食物が汚染することもなかった。 | |||
# | #プリピャチは今でも(ソ連崩壊までか?)機密都市。 | ||
# | #ソ連自体が崩壊しなかったかも。 | ||
# | #*現実の[[中華人民共和国|中国]]と同じように社会主義のまま経済成長を果たしていた。 | ||
# | #当然[[wikipedia:ja:チェルノブ|このゲーム]]や[[wikipedia:ja:S.T.A.L.K.E.R. SHADOW OF CHERNOBYL|このゲーム]]は存在しない。 | ||
# | #反原発団体・市民の間ではスリーマイル島原発事故の扱われ方が大きくなっていた。 | ||
# | #*原発事故といえばスリーマイル島というのが一般市民の常識。 | ||
# | #プリピャチ遊園地は無事開園する事が出来ていた。 | ||
# | |||
# | |||
# | |||
# | |||
# | |||
=== | ===ヒルズボロの悲劇=== | ||
;発生していなかったら | |||
# | #その後に同種の群衆事故が発生しない限り現在もイングランドのサッカー場に立見席が存在していた。 | ||
# | #リヴァプールは90年代にもイングランド国内リーグで優勝を果たしていた。 | ||
# | #*史実では本件の影響で勢いを失いプレミアリーグでの優勝がない。 | ||
#* | #*そもそも現実のプレミアリーグが現在もフットボールリーグの最上位のカテゴリーのまま。 | ||
# | #スタンリー・パーク・スタジアムの建設が実現しアンフィールド跡地は再開発されていた。 | ||
# | #史実でこの事故について嘘八百の記事を書きリヴァプール地域で不買運動を起こされた「サン」の売り上げが落ちることもなかった。 | ||
# | ;国際試合で発生していたら | ||
# | #85年の「ヘイゼルの悲劇」がなければこうなっていてもおかしくはなかった。 | ||
# | #必然的に事故の当事者が多国籍となるためさらにややこしい事態が発生していた。 | ||
#* | #*英語をあまり解さないサポーターも多くなっているため誘導などでさらなる混乱が生じていた。 | ||
# | #*イギリスともう一方の当該国との間での外交問題も発生していた。 | ||
#* | #イングランドのサッカークラブ全体に何らかの国際試合規制処分が科せられたのは確実。 | ||
#*ヨーロッパ以外での試合も禁止されていたかもしれない。 | |||
=== | ==1990年代== | ||
# | ===長崎屋火災=== | ||
#* | ;発生していなかったら | ||
# | #[[長崎屋]]の倒産はなかった。 | ||
#*とはいえどこかの系列に入っていた可能性はある。ただそれが[[ドン・キホーテ]]でなかったかもしれない。 | |||
#現実で火災があった長崎屋尼崎店自体は店舗の老朽化を理由に2000年代に入って閉店していたかも。 | |||
#*それ以前の阪神淡路大震災で被害を受けそこで命脈を絶たれた可能性もある。 | |||
#大規模商業施設の防火対策が遅れ同様の惨事が後に起こっていた可能性もある。 | |||
;火災発生が営業時間外だったら | |||
# | #ニュースなどで「もし営業時間内だったら…」という発言がなされていた。 | ||
# | #長崎屋自体での死傷者はなくても、隣の建物に延焼してそこで出ていた可能性はある。 | ||
#*それでも死傷者の数は史実よりも少なくなっていただろう。 | |||
#* | #*もし死傷者が全くなかった場合、その後この火災に関して言及されることも少なくなっていた。 | ||
#* | #それでも火災自体は発生したので、防火対策の不備などは指摘されていた。 | ||
# | |||
;火災発生が1990年4月1日だったら | |||
*史実では1990年3月18日発生 | |||
# | #同日は大阪鶴見緑地で開催されていた「国際花と緑の博覧会」の開幕日だったので、花博開幕の喜びが失せていた。 | ||
#* | #*全国ニュースでは花博開幕よりも長崎屋火災の方が大きく取り上げられていたかも。 | ||
== | ===国際花と緑の博覧会ウォーターライド落下事故=== | ||
;発生していなかったら | |||
#花博の入場者は現実よりも多く、2500万人、多ければ3000万人を超えていた。 | |||
# | #開幕当初マスコミから「事故博」と揶揄されることはなかった。 | ||
# | |||
;死者が出ていたら | |||
# | #最悪の場合、花博は事故後中止されていた。 | ||
# | #*大阪にとっても黒歴史の1つとなっていただろう。 | ||
#* | #**現実には花博終了後も残された咲くやこの花館やいのちの塔も閉幕直後に解体されていた。 | ||
#*事故が発生したのが開幕の翌日だったので、2日しか開催されなかった幻の博覧会とも言われていた。 | |||
#大阪に関してはバブル崩壊が1年ほど早かった。 | |||
#*東京一極集中と関西経済の衰退が現実よりも早いスピードで進行していただろう。 | |||
#大阪は2025年の万博を誘致しなかった。 | |||
#*言うまでもなく事故のトラウマがあるため。 | |||
#関西では3月の長崎屋火災に続き、2ヶ月連続で死亡事故が発生したため、イメージが悪化していた。 | |||
=== | ===三豊百貨店崩壊事故=== | ||
# | ;発生しなかったら | ||
# | #史実通りの状態ではまず崩壊は避けられなかったためどこかでもっと安全な設計が採用されていた。 | ||
#* | #*例:5階はレストラン街ではなく当初計画通りローラースケート場。 | ||
#*もちろん柱には石油缶ではなくきちんと鉄筋が使われていた。 | |||
#アジア通貨危機を乗り切っていたら三豊建設産業を母体とした「三豊財閥」が誕生していたかもしれない。 | |||
#この事故の報道で評価を高めたYTNの放送界での地位向上は遅れていた。 | |||
#それでも聖水大橋崩落事故や大邱地下鉄工事現場でのガス爆発などにより韓国の危機管理体制はもっと強化されていた。 | |||
;倒壊前に退避が完了していたら | |||
#犠牲者が出なかった場合は事故後しばらくの間だけ「三豊百貨店の奇跡」と呼ばれていた。 | |||
#*しかし会長などの不正が明るみに出てその後は史実とあまり変わらない経過に。 | |||
#マスコミ関係者が百貨店近辺にカメラを構え崩壊の瞬間の撮影に成功していた。 | |||
#事故原因として北によるテロが噂されるようなことなどなかった。 | |||
=== | ==2000年代== | ||
===明石花火大会歩道橋事故=== | |||
;発生しなかったら | |||
#特に関西において中止される花火大会は少なくなっていた。 | |||
#神戸の「ルミナリエ」の警備が現実ほど厳しくならなかった。 | |||
#*会場に至るまでぐるぐる回りさせられることはなかった。 | |||
# | |||
# | |||
#* | |||
=== | ===メガライナー火災事故=== | ||
;発生しなかったら | |||
#青春メガドリーム号の本数削減はなかった。 | |||
#*超特割青春号は設定されなかった。よって貧乏ドリーム号と揶揄されることはなかった。 | |||
#*青春エコドリーム号も設定されなかった。 | |||
# | #ネオプラン製バスの買い控えは起きなかった。 | ||
#* | #2階建てバスの衰退も起きなかった。 | ||
#* | #*エアロキングの絶版もなかった。 | ||
# | |||
# | |||
#* | |||
=== | ==2010年代== | ||
# | ===十三の火災=== | ||
;発生しなかったら | |||
#同日にあべのハルカスがグランドオープンしたことが現実以上に取り上げられていた。 | |||
;阪急神戸線神戸方面行きホームに延焼していたら | |||
# | #阪急十三駅は大パニックになっていた。 | ||
# | #ホームが復旧するまで阪急神戸線の神戸方面行き電車は十三駅は通過扱いとなっていた。 | ||
# | #*京都・宝塚線から神戸線への乗り換えは暫定的に梅田駅でもできるようになっていた。 | ||
# | #**同様に十三駅から神戸方面に行く場合も一旦梅田方面の電車に乗って折り返し乗車する特例が設けられていた。 | ||
#最悪電車に燃え移っていた可能性もあり。 | |||
#*2017年9月に沿線の火災で小田急の電車の屋根に延焼する事故が起こった際この火災が引き合いに出されていた。 | |||
#場合によっては十三駅の地下化も検討されていたかもしれない | |||
=== | ===博多駅前道路陥没事故=== | ||
# | ;発生が昼間だったら | ||
#* | #人通りがかなりあったため、道路の封鎖に時間がかかっていた。 | ||
#*間違いなく周辺はパニックになっていた。 | |||
#* | #*場合によっては人や車を退避させきれず、かなりの死傷者が出ていた。 | ||
;陥没現場に人や車が巻き込まれていたら | |||
# | #間違いなくかなりの死傷者が出ていた。 | ||
#* | #*場合によっては[[西鉄バス]]が巻き込まれていた。 | ||
# | #この場合2016年の「今年の漢字」は「金」ではなく「災」あたりになっていた。 | ||
#*同年には熊本地震もあったので。 | |||
#現場検証などとの兼ね合いから、現場が埋め戻されて道路が通行できるまで時間がかかっていた。 | |||
#地下鉄工事中の事故としては1970年の天六ガス爆発事故とともに後年まで語り継がれていた。 | |||
#* | |||
# | |||
# | |||
=== | ===東池袋暴走事故=== | ||
;発生しなかったら | |||
#「上級国民」という言葉は流行ることはなかった。 | |||
# | |||
[[Category:歴史のif検討委員会]] | |||
[[Category: |
2021年1月7日 (木) 16:02時点における版
テンプレート:速報規制 追加は年代順にお願いします。
独立項目
1960年代以前
ツングースカ大爆発
- 人口密集地域で発生していたら
- 落ちた場所の人口によっては、死者が多数出ていた。
- ロシア革命が史実より早く起きた。
- 清国内で発生していたら
- 清朝崩壊が数年早まった。
- あり得る場所としてはモンゴルか満州かな。
白木屋大火
- 発生していなかったら
- 日本初の高層建築物火災はこの事故ではなかった。
- 女性のズロース着用が呼びかけられることはなかった。
- 史実でも本件に伴うズロース普及はあまり進まなかったため結局洋装の一般化がズロース着用率アップの決め手になった。
- セルロイドの危険性が認識されたのは戦後にずれ込んでいた。
ウラル核惨事
- 発生していなかったら
- もちろん近隣住民の被曝などなかった。
- 史実のこの事故はトップシークレット扱いだったためチェルノブイリ事故の対応への影響は特になかったと思われる。
- 発生当時に詳細を公表していたら
- 世界最初の大規模な原子力事故として国際社会を震撼させていた。
- 「中国やソ連の核はきれいな核」という迷言は誕生しなかった。
- この時点で近隣住民は全て立ち退かされていた。
- 後年のチェルノブイリ事故でももっとうまく対応できていたはず。
- 史実ではこの事故の直後だったスプートニク1号の打ち上げは延期されていた。
- フルシチョフがこの時点で失脚していた可能性もある。
飛騨川バス転落事故
- 発生していなかったら
- 史実でも土砂崩れ直撃を回避できる可能性は十分あったと思われる。
- 例:団体の前半分も後ろ半分同様に白川口駅前で待機。
- 「死者100名以上の交通事故」などというものは現在も日本ではまず想像できない事態とされていた。
- この事故に伴う国道の防災体制強化は必然的に遅れてしまった。
- 現在までに日本のどこかで本件と似たような惨劇が発生していても全くおかしくない。
- 移動通信機器の登場も史実より10年は遅れていたかもしれない(携帯電話のルーツというべき自動車電話が開発されるきっかけになったのはこの事故が発生したから)。
- 東海北陸自動車道の着工や建設、開通も史実より遅れていたかもしれない。
- 2020年時点でもまだ全線開通しておらず、郡上八幡IC以北は未だに片側1車線のまま。
1970年代
天六ガス爆発事故
- 発生していなかったら
- 谷町線の東梅田-都島間は現実より数年早く開業できていた。
- 都島駅ではなく天神橋筋六丁目駅に折り返し設備が設けられていた可能性あり。
- 「=シールド工法で工事していた場合」。
- 現場ではオープンカット工法で工事していたため地上の事故処理車のエンジン再始動時に出た火花が引火し大爆発が起きてしまった。
- 都市でのガス爆発の恐怖が広く認識されないためその後のガス爆発事故で犠牲者が増えていた恐れもある。
- 静岡駅前地下街の爆発事故あたりがさらなる大惨事になっていた。
- 現在では大阪市の都市災害といえばもっぱら千日デパートの火災が語られる。
- 谷町線の東梅田~都島は四つ橋線の玉出~住之江公園と同じ1972年11月に開業できていた。
- 都島~守口も史実より早い1975~76年に開業していた。場合によってはこの区間の駅でひげ文字の駅名標が見られた。
- 二代目桂歌之助が襲名をせず、桂扇朝のままその生涯を閉じた。
- 群衆の退避がうまくいっていたら
- 現実通り爆発が発生しても犠牲者数はある程度抑えられていた。
- 周辺住民や通行人の被害を小さくできた成功例として語られることもあった。
- 犠牲者数が少なくなった反面、後の時代にこの事故への言及がなされる機会は減っていた。
千日デパート火災
- 発生していなかったら
- もちろん千日デパートの閉店はなく、プランタン→ビックカメラの開業はなかったか別の場所になっていた。
- ビックカメラなんば店が心霊スポットになることもなかった。
- 2000年代に入ると老朽化のためビルの建て替えが行われ、このタイミングでビックカメラが出店していたかも。
- 専門店のテナントが撤退することもなく、専門店側と経営者側との間で訴訟になることもない。
- 後述にもあるように大洋デパート火災も発生しなければ、消防法と建築基準法の改正が遅れていた。
- ビル内に入っていたニチイは後に若者向けのビブレにリニューアルされていた。
- ビル建て替え後、「イオンモールなんば」に生まれ変わっていた。
- ビルを保有していた日本ドリーム観光がダイエー傘下に入ることはなかったかもしれない。
西武高槻店火災
- 発生していなかったら
- 西武高槻店は当初の予定通り1973年9月29日に開店していた。
- とは言え開店当初は関西の人々に「西武」の知名度が低かったため苦戦していたかも。
- それでも1979年の西武ライオンズ誕生で関西でも西武の知名度が上がっていた。
- とは言え開店当初は関西の人々に「西武」の知名度が低かったため苦戦していたかも。
- オープン後に火災が発生していたら
- 火災発生はオープン4日前でした。
- 犠牲者は数十人、最悪100人を越えていたかも。
- 前年発生した千日デパート火災や約2ヶ月後に発生した熊本の大洋デパート火災と比較されていた。
- 西武百貨店はその後関西に進出しなかったかもしれない。
- 西武高槻店の建物は解体されていたか、改修の上別の商業施設が入っていた。
大洋デパート火災
- 発生しなかったら
- もちろん大洋デパートはその後も熊本一の百貨店として存続できていた。
- 当時行われていた増築は無事終了し鶴屋の客をかなり奪っていた。
- 岩田屋→くまもと阪神→県民百貨店の寿命ももっと早く尽きていた。
- 地元出身の古葉竹識が大洋ホエールズの監督に就任した際に記念のイベントを行った。
- 日本最悪のデパート火災といえば今も白木屋大火。
- いや、消防法の改正が遅れたことから最悪同規模の火災が起こっていた可能性も否定できない。
- 現実ではこの火災と前年の千日デパート火災が契機となった消防法や建築基準法の改正にもっと手間取っていた。
- 火災発生が営業時間外だったら
- 犠牲者数が史実よりかなり少なくなっていた。
- うまくすれば誰も命を落とさずに済んでいた。
- 出火原因はおそらく工事の火花の引火。
- 大洋デパートと増築の施工業者との間で泥沼の訴訟が発生していた。
- 川治プリンスホテル雅苑の火災発生時にここが引き合いに出される。
- 店内の構造などから「営業時間中なら確実に大惨事だった」と指摘する識者もいるが一般にはあまり知られなかった。
- 熊本県民の同情により本店以外での売り上げが一時的に増していた。
- それでも本店の焼失や営業停止によるダメージは相当なものになっていた。
- 時間帯によってはヨーロッパ各国でプライムタイムに生放送されヨーロッパでも相当な衝撃を与えていた。
- 火災後すぐに建物が解体されていたら
- 建物自体は2014年8月まで存続していましたが、もし千日デパート火災同様に火災後即取り壊しになっていたら?
- 大洋ショッピングセンターや大洋デパート八代店も火災後すぐに閉店していた。
- 跡地は建て替えられ、熊本城屋→ダイエー熊本下通店は2018年現在でも「イオン熊本下通店」として営業を続けていた可能性もある。
スリーマイル島原子力発電所事故
- 事故の規模がレベル7だったら
- ペンシルベニア州では大規模な健康被害が予測される。
- 映画チャイナ・シンドロームの上映が打ち切られていた。
- しばらくの間北米一帯の農産物は輸出禁止になっていた。
- ワシントンやニューヨークにもホットスポット(局地的高濃度汚染地域)ができていたかも。
- アメリカのみならず、世界中の原子力政策が見直されたのは言うまでもない。
- アメリカの原発は全廃になっていた。核兵器放棄はないだろうが。
1980年代
静岡駅前地下街爆発事故
- 発生しなかったら
- 地下街の保安基準強化はなかった。
- 史実で計画が頓挫した仙台などさらに多くの都市で地下街が建設されていた。
- そのどこかで本件に相当する大惨事が起きた恐れも否定できない。
- 史実で計画が頓挫した仙台などさらに多くの都市で地下街が建設されていた。
- 最初のメタンガスの爆発がむしろもう少し大きければ大爆発は避けられたような気がしてならない。
- 現場検証がもっと念入りに行われガス管の損傷も発見されたはず。
- 美保純は芸能界デビューしなかったかもしれない。
北炭夕張新炭鉱ガス突出事故
- 発生しなかったら
- 北炭や国の姿勢がもっと安全を重視したものだったら…。
- 三井三池三川炭鉱炭塵爆発の教訓が生かされていたら史実のような危険な状態にはならなかったと思う。
- 夕張の石炭産業にとどめを刺した事故は4年後の三菱南大夕張炭鉱ガス爆発になっていた。
- 夕張新炭鉱は元号が平成に変わるころまで採掘を継続できていた。
- この炭鉱の通洞口も普通にコンクリートで密閉されていた。
ホテルニュージャパン火災事故
- 発生しなかったら
- ホテルニュージャパンは厳しい経営ながらも現在でも盛業していた。
- バブル崩壊かリーマンショックあたりで潰れていたような気がする。
- 横井英樹に買収されていなかったらこうなっていた。
- 安全面がおろそかになることはなかったため。
- あるいは設計時の予定通り高級レジデンスになっていたら・・・。
- ホテルでの寝タバコは禁止されなかった。
- つまり、こうなっていた。
- 高野甲子雄はあの夜に救助活動で重傷を負うことがなかったため翌日の羽田沖逆噴射事故の現場に出動できていた。
- ナイトクラブ「ニューラテンクォーター」の運命は史実と変わらないと思われる。
ボパール化学工場事故
- 発生しなかったら
- 工場を管理していたユニオンカーバイド社の経営悪化は避けられていた。
- 現在もダウケミカル傘下ではなく独立した企業のままだった。
- この会社を肯定的に扱う本もまだ出されている。
- 事故後の声明通りアメリカの工場と同じ安全基準で操業していれば確実に事故は避けられていた。
- 史実の本件ではコストカットのため安全装置が切られたり極端な手順の省略が行われたりしたため死者が万単位に及んでしまった。
- セベソ爆発事故を経験したヨーロッパ以外では化学工場の大事故に対する危機感が弱くなっていた恐れもある。
- 当日の天候が雨だったら
- 原因物質のイソシアン酸メチルは水で中和できるため犠牲者数は大幅に減っていた。
- インドとアメリカ以外ではそこまで大きく取り扱われなかったかもしれない。
- 事故原因として会社側が唱えていた「従業員による意図的なもの」という説もかなり説得力を失っていた。
- 「わざわざ効果が弱まる雨の日に事件を起こすはずがない」という感じで否定されていた。
日本航空123便墜落事故
チェルノブイリ原発事故
- 発生していなかったら
- 原子力撤廃運動は盛んにならなかった。
- テニスのマリア・シャラポワは「ベラルーシの妖精」と呼ばれていた。
- ブルーハーツの「チェルノブイリ」という曲は存在しない。
- もしかしたら、「チェルノブイリ原発」よりも最悪の原発事故が発生していたかも。
- 家畜や食物が汚染することもなかった。
- プリピャチは今でも(ソ連崩壊までか?)機密都市。
- ソ連自体が崩壊しなかったかも。
- 現実の中国と同じように社会主義のまま経済成長を果たしていた。
- 当然このゲームやこのゲームは存在しない。
- 反原発団体・市民の間ではスリーマイル島原発事故の扱われ方が大きくなっていた。
- 原発事故といえばスリーマイル島というのが一般市民の常識。
- プリピャチ遊園地は無事開園する事が出来ていた。
ヒルズボロの悲劇
- 発生していなかったら
- その後に同種の群衆事故が発生しない限り現在もイングランドのサッカー場に立見席が存在していた。
- リヴァプールは90年代にもイングランド国内リーグで優勝を果たしていた。
- 史実では本件の影響で勢いを失いプレミアリーグでの優勝がない。
- そもそも現実のプレミアリーグが現在もフットボールリーグの最上位のカテゴリーのまま。
- スタンリー・パーク・スタジアムの建設が実現しアンフィールド跡地は再開発されていた。
- 史実でこの事故について嘘八百の記事を書きリヴァプール地域で不買運動を起こされた「サン」の売り上げが落ちることもなかった。
- 国際試合で発生していたら
- 85年の「ヘイゼルの悲劇」がなければこうなっていてもおかしくはなかった。
- 必然的に事故の当事者が多国籍となるためさらにややこしい事態が発生していた。
- 英語をあまり解さないサポーターも多くなっているため誘導などでさらなる混乱が生じていた。
- イギリスともう一方の当該国との間での外交問題も発生していた。
- イングランドのサッカークラブ全体に何らかの国際試合規制処分が科せられたのは確実。
- ヨーロッパ以外での試合も禁止されていたかもしれない。
1990年代
長崎屋火災
- 発生していなかったら
- 長崎屋の倒産はなかった。
- とはいえどこかの系列に入っていた可能性はある。ただそれがドン・キホーテでなかったかもしれない。
- 現実で火災があった長崎屋尼崎店自体は店舗の老朽化を理由に2000年代に入って閉店していたかも。
- それ以前の阪神淡路大震災で被害を受けそこで命脈を絶たれた可能性もある。
- 大規模商業施設の防火対策が遅れ同様の惨事が後に起こっていた可能性もある。
- 火災発生が営業時間外だったら
- ニュースなどで「もし営業時間内だったら…」という発言がなされていた。
- 長崎屋自体での死傷者はなくても、隣の建物に延焼してそこで出ていた可能性はある。
- それでも死傷者の数は史実よりも少なくなっていただろう。
- もし死傷者が全くなかった場合、その後この火災に関して言及されることも少なくなっていた。
- それでも火災自体は発生したので、防火対策の不備などは指摘されていた。
- 火災発生が1990年4月1日だったら
- 史実では1990年3月18日発生
- 同日は大阪鶴見緑地で開催されていた「国際花と緑の博覧会」の開幕日だったので、花博開幕の喜びが失せていた。
- 全国ニュースでは花博開幕よりも長崎屋火災の方が大きく取り上げられていたかも。
国際花と緑の博覧会ウォーターライド落下事故
- 発生していなかったら
- 花博の入場者は現実よりも多く、2500万人、多ければ3000万人を超えていた。
- 開幕当初マスコミから「事故博」と揶揄されることはなかった。
- 死者が出ていたら
- 最悪の場合、花博は事故後中止されていた。
- 大阪にとっても黒歴史の1つとなっていただろう。
- 現実には花博終了後も残された咲くやこの花館やいのちの塔も閉幕直後に解体されていた。
- 事故が発生したのが開幕の翌日だったので、2日しか開催されなかった幻の博覧会とも言われていた。
- 大阪にとっても黒歴史の1つとなっていただろう。
- 大阪に関してはバブル崩壊が1年ほど早かった。
- 東京一極集中と関西経済の衰退が現実よりも早いスピードで進行していただろう。
- 大阪は2025年の万博を誘致しなかった。
- 言うまでもなく事故のトラウマがあるため。
- 関西では3月の長崎屋火災に続き、2ヶ月連続で死亡事故が発生したため、イメージが悪化していた。
三豊百貨店崩壊事故
- 発生しなかったら
- 史実通りの状態ではまず崩壊は避けられなかったためどこかでもっと安全な設計が採用されていた。
- 例:5階はレストラン街ではなく当初計画通りローラースケート場。
- もちろん柱には石油缶ではなくきちんと鉄筋が使われていた。
- アジア通貨危機を乗り切っていたら三豊建設産業を母体とした「三豊財閥」が誕生していたかもしれない。
- この事故の報道で評価を高めたYTNの放送界での地位向上は遅れていた。
- それでも聖水大橋崩落事故や大邱地下鉄工事現場でのガス爆発などにより韓国の危機管理体制はもっと強化されていた。
- 倒壊前に退避が完了していたら
- 犠牲者が出なかった場合は事故後しばらくの間だけ「三豊百貨店の奇跡」と呼ばれていた。
- しかし会長などの不正が明るみに出てその後は史実とあまり変わらない経過に。
- マスコミ関係者が百貨店近辺にカメラを構え崩壊の瞬間の撮影に成功していた。
- 事故原因として北によるテロが噂されるようなことなどなかった。
2000年代
明石花火大会歩道橋事故
- 発生しなかったら
- 特に関西において中止される花火大会は少なくなっていた。
- 神戸の「ルミナリエ」の警備が現実ほど厳しくならなかった。
- 会場に至るまでぐるぐる回りさせられることはなかった。
メガライナー火災事故
- 発生しなかったら
- 青春メガドリーム号の本数削減はなかった。
- 超特割青春号は設定されなかった。よって貧乏ドリーム号と揶揄されることはなかった。
- 青春エコドリーム号も設定されなかった。
- ネオプラン製バスの買い控えは起きなかった。
- 2階建てバスの衰退も起きなかった。
- エアロキングの絶版もなかった。
2010年代
十三の火災
- 発生しなかったら
- 同日にあべのハルカスがグランドオープンしたことが現実以上に取り上げられていた。
- 阪急神戸線神戸方面行きホームに延焼していたら
- 阪急十三駅は大パニックになっていた。
- ホームが復旧するまで阪急神戸線の神戸方面行き電車は十三駅は通過扱いとなっていた。
- 京都・宝塚線から神戸線への乗り換えは暫定的に梅田駅でもできるようになっていた。
- 同様に十三駅から神戸方面に行く場合も一旦梅田方面の電車に乗って折り返し乗車する特例が設けられていた。
- 京都・宝塚線から神戸線への乗り換えは暫定的に梅田駅でもできるようになっていた。
- 最悪電車に燃え移っていた可能性もあり。
- 2017年9月に沿線の火災で小田急の電車の屋根に延焼する事故が起こった際この火災が引き合いに出されていた。
- 場合によっては十三駅の地下化も検討されていたかもしれない
博多駅前道路陥没事故
- 発生が昼間だったら
- 人通りがかなりあったため、道路の封鎖に時間がかかっていた。
- 間違いなく周辺はパニックになっていた。
- 場合によっては人や車を退避させきれず、かなりの死傷者が出ていた。
- 陥没現場に人や車が巻き込まれていたら
- 間違いなくかなりの死傷者が出ていた。
- 場合によっては西鉄バスが巻き込まれていた。
- この場合2016年の「今年の漢字」は「金」ではなく「災」あたりになっていた。
- 同年には熊本地震もあったので。
- 現場検証などとの兼ね合いから、現場が埋め戻されて道路が通行できるまで時間がかかっていた。
- 地下鉄工事中の事故としては1970年の天六ガス爆発事故とともに後年まで語り継がれていた。
東池袋暴走事故
- 発生しなかったら
- 「上級国民」という言葉は流行ることはなかった。