ページ「交通マナー/関東」と「もし20世紀中に大阪オリンピックが実現していたら」の間の差分

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==茨城==
大阪市は2008年の夏季オリンピック開催を目指して立候補しましたが、結局最下位で落選し、同年の開催都市は北京に決定しました。もし大阪が20世紀中のオリンピック開催を目指して立候補し、しかも開催が実現していたら…。
#茨城県人は、自動車の運転についてはスピード狂。夜だと一般道でも100km/h出す。
#*まれに自転車で40km/h越すバカもいる。(実話。ちなみに自転車の法定速度は30km/h)
#**自転車の法定速度は標識に出た速度。すなわち、車と同じ。法定速度は定められて無いよ。
#***原付きは30km/h制限なのに自転車の法定速度は車と同じという不思議。まあ、そんな速度で走(られ)るバカはいないと思っていたからなんだろうが、茨城にはいると。
#**あー、高校時代は普通に自転車で自動車を追い越してました。交通量がさほど多くない道だったので、推定でMAX50~60km/h出ていたかと。
#***訊いてもいないのにこういう自慢をする。
#****ママチャリだとしたら競輪選手より早いです。茨城固有の妖怪か。
#交差点で曲がるとき、一度反対側に大きく振ってから曲がる。
#曲がるときにウインカーは出さない。
#*出しても曲がる直前の直前まで出さないので、出さないのと一緒。
#交通標識の看板が読めないので、誰も法定速度で走っていない。
#*路面や標識に書かれている数字は単なる装飾である。
#**常磐道の速度標識は一部撤去された。つまりそういう事
#信号のない横断歩道で、歩行者がいてもほとんどの車が止まらない。
#*結果、歩行者がとまらないといけなくなる。
#**それが当然だと思っていた。[歩行者立場で](by日立市民)
#*さらに歩行者をにらんで通り過ぎていく。
#*左折で歩行者に譲ってあげたら驚かれました
#*首都圏の感覚で歩いていたり自転車乗ってると死にます
#**最近、つくば市の中心地区(TXつくば駅周辺)のみ、左折時には歩行者を先行させなければならないということを理解し始めた。歩行者もやや戸惑い気味で足早にわたっていく。
#***あれだけ左折専用レーンがあるのはつくばぐらいでは。
#路側に、赤色回転灯風の照明と白い反射板でつくったパトカーもどきを多数設置して、暴走ドライバーを威嚇している雰囲気。しかし威嚇されて速度を落とすのは、フツーのドライバー。
#つくば市内は大学生が多く、運転技術が向上する頃には卒業していなくなるので、ひっきりなしに初心者であふれていて事故が多い。
#軽自動車に対する偏見が強い一方、男性軽ユーザーはセルシオやシーマのケツを突きまわすことに快感を覚える。
#*たとえベンツに乗っていたとしても、後ろから土浦ナンバーの軽があおってきたら逃げるが吉。
#大阪から茨城に引越したが、飛ばす車か、のろのろの軽トラしかいない。直線道路で信号も少ないので、燃費が大幅に向上した。
#目測ですれ違いが出来ると思っても、一時停止した方が安全。
#飛行機が手に入っても、絶対常磐高速に着陸してはならない。
#土浦ナンバーの車を煽ってはならない。
#*水戸ナンバーもね。
#見通しの悪い交差点で強引に飛び出してくる車多し。しかもその後加速しないため、追突しそうになる。
#のろのろ運転が多い割には、赤信号で止まる車は少ない。信号は「参考程度」に留めているらしい。
#*赤信号でも一台分ぐらいであればセーフ
#どこでもそうかもしれないが、止まるときは「左ウインカー」ではなく「ハザード」を出した方がいい。
#フカキョン映画で有名な下妻市を走行するといまだに映画を絵に描いたような二人乗りのバイクが爆音で走行している。
#交差点に隣接するコンビニORスーパー等があると100%敷地を使いショートカットをする。
#常磐道の深夜の平均速度高すぎ! 120km/hで走っていても前の車に追い付けない、追い越し車線からバンバン抜かされる
#*100前後で走ろうとすると真ん中だと遅いし、右車線だと120でも1・2分の追い越しですら基地外に煽られるしもう嫌…
#*魚運んでるトラックがアホみたいに煽ってくる。車線戻ろうとしてもでかい図体がぴったり張り付いてるから後方確認できないんじゃボケ。
#駅前の道路はどこもかしこもが横断歩道である。たとえそこに縞模様のマーキングが無かろうとも、横断禁止の標識があろうとも。
#チキンレースが大好き。街灯がほとんどない道やカーブが多い道を60km/hで走っててもチキンレースを始める。しかも追い越しをしない。
#*勝手に隣の車を敵と定めて追い越そうとするのはやめてもらいたい
#*急ぎたいなら常磐道行けよ。
#徹底的な車種序列主義。軽には煽ってくるが、クラウンや外車には煽らない。
#警察や救急車がサイレン鳴らしてるとみんな避ける。普段の交通マナーは極悪だが、緊急自動車にだけは優しい茨城民。
#*前が遅いなと思うとパトカーがいたりする。パトカーがいたら全員法定速度。そういう点では分かり易い
#道幅が狭く片側1車線道路がほとんど。なのでみんなイライラしている
#*3ナンバーがやたら多い。ヴェルファイアとかデカい車が多い
#*どんなに交通量が多くても絶対に車線を増やす事はしない。役所が交渉しても拒否。「おめぇに土地はやらん」という保守的な土地柄をまさに体現している
#「ドラレコ録画中」をリアに貼った場合の反応 首都圏→ビビる 茨城民→逆に煽ってくる


==栃木==
==すべてに共通すること==
#歩行者や自転車はいないものだと思っている。だから巻き込み事故が多い。
#大阪ドームが実史より早く完成していた。
#2005年にはとうとう交通事故人口比死者数のワースト1の座に輝いた。
#*[[門真市]]のなみはやドームも。
#*他県人から見れば信じられないような事故が多い。宇都宮北道路を180kmで爆走して激突死とか…。
#*両者を結ぶ[[大阪市高速電気軌道長堀鶴見緑地線|大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線]]も史実より早く全通していた。
#県内や茨城県西・群馬東毛では我が物顔だが、埼玉や東京に入ると急におとなしくなる。
#[[九州新幹線]]はオリンピック開幕を前に全通していた。
#上三川町では日産車、芳賀町ではホンダ車だらけ。
#*1996年以前に実現していた場合、[[長野新幹線]]より早く開業していた。
#*ホンダ社員は芳賀の田舎県道で地元車を煽って嫌われている。
#*[[北陸新幹線]]は大阪側が先に開業して、後で東京まで繋がった。そのため車両などの規格は東北上越ではなく東海道山陽に合わせられた。
#**嘘乙、普通に走ってるホンダ車をしつこく煽り追い回すトヨタ車のほうが多い件。
#*[[明石海峡大橋]]の着工前に実現していた場合、明石海峡大橋に鉄道が通って[[三ノ宮駅・三宮駅|三宮]]から徳島まで新快速で1時間ちょいで行けた。
#実は自転車の交通マナーもものすごく悪い
#**国内初の在来線160km/h運転はここで実現していた。
#*宇都宮オリオン通りを高速で走り抜ける高校生集団がまだ存在しているのだろうか?
#野球競技が[[阪神甲子園球場]]で開催される可能性があるため、夏の高校野球の日程に影響を与えていた。
#*足利の場合、日中に河南の工業団地を走っていてチャイム音が聞こえたら要注意!沿道の高校の生徒が道路一杯に自転車で広がってくるので。
#*場合によっては7月開幕や9月閉幕もありえた。
#ウインカー出すのが遅い車多し。ひどいと裏道の交差点ではウインカーを出さないのまで居る。
#*大阪ドームもあるとはいえ、阪神タイガースの夏のロードが普段以上に長期になり、現実以上に苦戦を強いられてたかも。
#新4号の高架橋を普通に自転車が走っている。(運転手側はかなりひやひや・・・)
#**あるいはオリンピックの期間中はペナントレースが休止されていた。
#規模の比較的小さい交差点を通るチャリ(特に高校生)&歩行者は約80%の確立で信号無視する。
#*[[野球場/旧本拠地#大阪スタヂアムの噂|大阪球場]]を改修して延命させていた可能性もありえた(特に1992年までなら。1996年はギリギリか?)。
#新4号を深夜帯に走行すると、スポーツ系の車両が140キロを軽く超える速度で爆走している。
#**場合によっては藤井寺球場や日生球場も使われていた。
#*ふつーの車でも100km/h以上で走る。特に春日部ナンバーと大宮ナンバー
#自転車競技のトラックレースは岸和田競輪場か当時現存していた甲子園競輪場。
#車線変更の際ウインカーを出すのが極端に遅いため突然変更してくる車があとを立たない。
#*関西サイクルスポーツセンターという可能性もある。
#小山市は、国道50号、国道4号など東西南北からの車が多いため事故ってる車は大抵県外の車の確立が高い。
#*西宮球場や向日町競輪場が使われていた可能性も。
#自転車の乗り方が悪く、一時不停止&信号無視による車との出会い頭での事故がやたら多い。
#馬術競技は京都競馬場・園田競馬場・阪神競馬場のいずれかが使われていた。
#夜の飲酒運転率は相当高いうえ取締る側もやる気がない。栃木県警小山署の某交通課長が安全指導で「なるべく飲酒運転はしないでください」と発言したのを聞いて諦めた。
#大阪城ホールも会場のひとつになるのは確実。
#さらに、北関東自動車道が県南に通りはじめたため、その高速でcubeとかBb(栃木の大学生くらいの年齢の人に大人気)で150km/hくらい出している。あの高速は群馬茨城と栃木を結ぶ道路で休日以外利用者はワーストに入るものだが、決してそういうために作られたものではない。ひどい時になると、レースとかやってる。まじで要注意。
#パナソニック(当時松下電器)は大万歳。
#自動車=シートベルトつけない(or工具で機能しないように根本からとめてある)やハンドルがトラック並みに太くなってるものや車内イルミネーションなどはあっても別に普通。シートベルトつけないとかは年配の方まで全世代共通のデフォ。
#*ここに限らず在阪企業は大いに盛り上がっただろう。
#バイク=ノーヘル(or逆さ被り)、マフラー切断(orパワーマフラー)、リミッターカットはデフォ。ZRとかのスクーターで2車線道路を100km/h近く出していくことがデフォルトなDQN学生もわんさか。はっきり言って、車に普通に乗れなければ生活出来ないのが栃木県だからそれくらいのことをするやつが周りにいて未だ平然と運転していられる人以外外部の人の栃木への引っ越しはおすすめしない。他のところで議論んされてる群馬県足利市(正式には栃木県足利市)ではどうか?いや、残念ながら群馬や茨城も同様のマナーしかもちあわせていない。
#国策によるオリンピック選手の強化も早くから行われたので、日本人のメダル低迷期もなかったか早くに終息した。
#*いや、マナー「だけ」なら茨城系の方が圧倒的に極悪アンド極悪だ。土浦ナンバーからすれば栃木系は単にかっ飛ばすだけでマナーそのものはそんなに悪いとは思えない。個人的なイメージとしては茨城系=暴走族型、栃木系=走り屋型というところ。
#*間違いなく1964年東京五輪の獲得数を上回っていただろう。
#他県の信号とは意味が違う。青は進め、黄は(アクセルを)踏め、赤は注意して進めである。
#ボート競技は[[琵琶湖]]で行われていた。
#*黄色信号だからといって急に止まってはいけない。カマ掘られる確率高し。
#2020年の夏季五輪開催地は東京でなかった可能性が高い。
#*赤になって矢印信号になったからといって、すぐ曲がってはいけない。赤信号でも突っ込んでる奴は突っ込んでくる。
#*1964年の後の東京での2度目の五輪開催は100年待たなければならなかった。
#むかつくのが、ブレーキを踏んで止まりかけでウインカー出して曲がる馬鹿が多い。下手をすれば出さない輩まで。ブレーキ踏む前にウインカーはつけて後続に曲がりますよと知らせるのが当たり前ではないか?(By埼玉県民)
#1994年以前に実現していたら、オリンピックに合わせて[[関西国際空港]]が前倒しで開業していた。
#アクセルを緩めた奴は負け、ブレーキを踏むやつに市民権はない。譲るのは敗北と同義。
#*もし成田と同時期に関空が開業していたら、関空にもレガシーキャリアの国際線が多く就航していたかも。
#*南海電鉄の経営が史実より早く好転していた。
#オリンピックを起爆剤に大阪が発展して東京一極集中が緩和された可能性がある一方で、オリンピックで大阪府市が財政難になると東京一極集中がさらに加速した可能性も否定できない。
#IOCのルールで7月縛りになる前なら、1964年東京大会と同じように10月10日からの開催だった。あるいは東京より暑い大阪に配慮して11月3日だったかもしれない。
#東北地方からの観戦列車として臨時「日本海」や寝台急行が設定されていた。
#*寝台急行は「あおもり」があったがさすがに愛称は「オリンピア」とかになっていただろう。
#*青森・秋田だけでなく盛岡・仙台からも設定されていたかもしれない。
#*東北のみならず九州方面などからも設定されていた。
#舞洲や夢洲の埋め立て以前の場合メインスタジアムは長居陸上競技場だった。
#*オリンピックを見越して改修工事が早まっていた。
#*横を通る阪和線はオリンピックを前に高架化されていた可能性が高い。
#1992年以前に実現していたら[[ダイエー]]も協賛企業に名を連ねていた。


==群馬==
==1980年大会の場合==
#群馬県人は、上記の理由により、茨城のナンバー(水戸、土浦、etc)には道をゆずるか、近づかない。(by ぽじとろん)
#もちろん日本選手団は出場できていた。
#ところが茨城県人が群馬に行くと「群馬は運転が荒い」という(^_^;;。結局のところ、どっちもどっち。
#*それどころか東側選手団も普通に出場していた。
#*ウィンカーを出さないで路線変更、あり得ないタイミングでの割り込み・・・群馬エリアはレベルが高い。
#*長崎宏子は史上最年少、しかも小学生での出場となっていた。
#バスの路線も本数も少なすぎて、乗るのが困難。
#**自国開催の有利さを活かしてメダルを獲得していたかもしれない。
#軽井沢にやってきた足立や八王子などは渋滞でおかしな行動を取る場合が多い。そういうやつは地元タクシーにクラクションを鳴らされる。
#***仮に金メダルだったらそれこそ大騒ぎになっていた。
#シートベルトを着用しない事がカッコいいと言った思い込み。
#****その代わり1992年の岩崎恭子がそれほど注目されなかった。
#*かっこいいんじゃなく、北関東全般の悪習慣。
#*****2021年の西矢椛も。
#ただのおっさんカローラや軽トラに見えても病的に速いので気をつけること(特に山間部)
#**日本人が現実よりも早くオリンピックに関心を持つようになっていた。
#左折するときは大きく右に膨らんでから。それがかっこいいと思っている。曲がった後も大きく膨らむ。
#翌1981年には神戸でポートピア博覧会も開催されるので、関西は大いに盛り上がっていた。
#地理的なものか、やけに右折車が多い。また、その右折の仕方が下手。斜めに停まって待つので右折待ち渋滞が発生する。(高崎)
#果たして会場はどこになっていたのだろう…。
#総じて車間距離が短い。おまけに気も短い。
#*大阪南港にメイン会場が作られていたら、ニュートラムは1年早く開業し、日本初の新交通システムとなっていた。
#交通量の少ない山道で見通しが良いからといってセンターラインを完全に無視して走るのはどうかと…。
#**京阪の600→1500V昇圧が早まり、1980年3月の守口市~寝屋川信号所間の複々線化と同時に行われていた。
#運転マナー悪い運転者が多いのに、クラクション音は極端にならさない=忍耐強い人が多い?(その代わり感謝のクラクション、例えば…狭い道路の譲り合い時に「ありがとう」のクラクションもない)
#***同時に8両編成の運行が始まり、[[京阪6000系電車|6000系]]も同時に登場していた(史実よりも3年早い)
#二車線以上に対応出来ない。追い越し車線で通年暖気運転で並走する。
#****その場合6000系の初期車は鋼製車体になっていたかも。
#内地的にDHA不足で状況判断が出来ない。往々として、どの場面でもフリーズする。
#****2000→2600系への改造も現実より早く行われていた。
#トッポイかトロイの2者のみで、普通がいない。
#第二次オイルショックの不況からV字回復していた。
#DHA不足なのか鳥目なのか、夜間はハイビームをつけっぱなし。特に前方に対する状況判断が出来ない為か、とても日本人とは思えないマナーの悪さ。(代行は100%)
#*バブル景気の到来も早く、1980年代前半には始まっていたかも。
#外面だけ意識し、内面が無い為、流れる状況下で対向車に譲り、自己のケツが渋滞する。
#同年芸能界を引退する山口百恵が聖火ランナーに起用されていたかも。
#恐らく、マナーが悪い県の条件として、戦時中戦後の重工業に対する同和からの土着化が上げられるが、何故、群馬が日本一悪いかと言えば、ひとえに、青魚をとる習慣が無い為だろう。これが、北関東でも茨城との差で、栃木は次点てのが本質。
#[[国鉄117系電車]]が関西の新快速にデビューするのはオリンピックがきっかけだった。
#正月夏季休み期間中になると、実家に戻ってきた、こちらで言う育ちが良くて、たいそうな車が一方通行を逆走する
#*[[国鉄201系電車|201系]]の量産が2年程早くなったかも。最初の投入先は[[中央快速線|東京の中央線]]ではなく、[[大阪環状線]]。五輪開幕までに201系が森ノ宮電車区へ集中投入、大阪環状線のすべての運用(他線直通運用を除く)に入る。(201系の加減速性能を活かし)大阪環状線のスピードアップ・朝の混雑時2分30秒間隔運転が、この時実現する。
#変則交差点に対応出来ない、上記と同じで普通に。信号無視。
#**101系の関西からの撤退が早まっていた。
#コーナーはファーストインでスローアウトか両者スロー、共通点はよく膨らむ事。要は巻き込みの概念が無いのか前方しか対応できない。(重力が苦手みたい)
#*201系への評価が大きく上がっただろう(電機子チョッパ制御車両は低速で加減速が多い程省エネ効果が大きく、大阪環状線の短い駅間隔でその性能をフル発揮できた為)。
#族の信号無視時、何も確認しない。いわいる、こちらで言う普通な方の状況判断とあいまり、死亡事故の倍掛。
#*[[奈良線]]の電化もオリンピックを前にした1980年3月に桜井・和歌山線と同時に行われていた。
#ひき逃げ、当て逃げの看板が多い。いわゆる南米系の方は撤退してます。
#京都市営地下鉄烏丸線の最初の開通が1年程(五輪開幕までに)早まる。
#2012年現在、日本一ワースト最多な土地柄を他の北関東と比較すると、白線=線引きの無責任さ。前=停止線に止まらないのではなく、動的な制御と判断が困難。センターラインをはみ出すのは、安全だから=で、事故。例えば、農道系なら田舎は皆同じと考えやすいが、群馬は直線車線内でブレる(それも左に寄りに、でカーブはセンター)。
#*大阪市営地下鉄(現大阪メトロ)谷町線の天王寺~八尾南延伸も半年ほど早まり、オリンピックに間に合わせていた。
#異様に遅い速度で運転する車が結構目立つ。それでも、ふらつきやセンターラインはみ出しなどコントロールは決してよくない。煽られ運転なのかただの下手くそなのか。
#翌年の神戸ポートピア博覧会と合わせ関西は乗りに乗っていた。
#群馬の教習所は試験に合格するためのテクニックしか教えてないとの噂。特に学生の保護者からのクレームが多い背景があり、それをかわすため試験合格ラインがかなりゆるい。その結果、よその人から見たら信じられない運転が群馬では当たり前になっている。
#藤井寺球場のナイター設備設置が早まり、オリンピックを前に行われていた。
当然、都市部でもないのに事故率が高く、同じ北関東の栃木や茨城の2~3倍ほど高い。
<!--#後方は前方すらオーバースペックな為=ウインカーの概念が無い。要はこれらが、群馬で言う、長いものにまかれろ=垂れ流し=自己向上心の無さ=マナーの日本最悪-->


==埼玉==
==1984年大会の場合==
#都心に向かうだけなら鉄道が便利だが、県内での移動は車が便利。
#ロサンゼルスは1988年に再度立候補しソウルと争う。
#池袋が麻痺ると孤島化するので、何が何でも守り抜く。
#*ただアジアで2回続けて五輪はありえないので、1988年はロサンゼルスとなり、ソウルは2000~2008年あたりに立候補していた。
#*それは西の住民。東の住民は東武伊勢崎線が代案で有る。
#*逆に名古屋は1988年大会には立候補しなかった。
#**武蔵野線があるから所沢・朝霞・新座あたりは大丈夫だよ。
#**名古屋は2008年大会に立候補していた。
#南北の移動は容易であるが、東西の移動はクルマかバスしかない。
#*[[中華人民共和国|中国]]がソウルより先に開催したかも(冬の五輪もありえるか)。
#*県北・県南のに東西を中途半端に結んでる鉄道があるが。
#東側諸国はやはりボイコット。
#**武蔵野線・東武野田線-川越線・秩父鉄道の事か
#[[新幹線100系電車]]は大阪五輪に合わせて導入されていた。
#全般的にマナーが悪い。
#*当時の[[日本国有鉄道|国鉄]]の財務状況より、片福連絡線の建設より[[大阪環状線]]の輸送力増強(最混雑時間帯の2分30秒間隔運行)を優先した為、[[国鉄201系電車|201系]]が同年1月までに、103系森ノ宮電車区所属の8両運用をすべて置き換え。
#*特に春日部ナンバーが最悪。
#*前年10月に大阪城公園駅が開設された際に、日中の森ノ宮区8両運用が201系に統一(201系の加速度を活かし、日中の大阪環状線の運転時分を維持)。
#*熊谷ナンバーも恐ろしい。
#[[近鉄けいはんな線|近鉄東大阪線(現けいはんな線)]]の開業が2年ほど早まっていた。
#*川越、所沢も別の意味で恐ろしい。
#*大阪市(現大阪メトロ)20系、近鉄7000系の登場も早まり、日本におけるVVVF車の実用化が早まっていた。
#片側1車線で、対抗右折車に道を譲らない。そのためお互い卍固めのような渋滞に陥っている。道路が整備されている県(群馬、東京?)に挟まれていながら田舎道が非常に多いので、全体的にちぐはぐな運転をみかける。
#**北大阪急行8000形も。
#自転車の方が優位に立っている。
#**御堂筋線梅田・なんば両駅の拡張工事はオリンピックを前に完成していた。
#*無灯火の自転車も多いね。警察も指導してるけど、追いついてないかんじ。
#バブル景気の到来が少し早まっていた。
#*逆走するわ、おおきく道路側に膨らんで来るわ、危ないと感じないのかな・・
#*右側通行する人が多く、正面衝突しそうになっても避けようとしない。
#他府県出身の人間からみたら、本線合流がものすごく楽。逆にいえば車間距離をのびのびと取り、ゆっくり走る。
#歩行者の道路への飛び出しが多い。歩道から一瞬コッチ向いたと思ったら飛び出す合図。
#*車に突撃する習性あり、夜だとヘッドライトのある方向に寄ってきたり。まるで虫。
#*自転車に衝突するタイミングで飛び出し、ぶつかりそうになっても避けようとしない。
#ハイマウントストップランプを切ってる車両が多い。新車っぽいのでも切ってるケースがあるので、埼玉県での流行?
#*自分からは見えないしバッテリーが上がらないように切っているのでは?(ハイマウントの意味わかっていない)
#よく言えばマイペースな走行、悪く言えば後ろを気にせず徹底的にトロい。都内は流れが速すぎて怖いから行かない。
#ウインカーはオプション、横断歩道で一時停止はしない。これはこの土地でもやっぱりデフォ。
#愛知、北海道と肩を並べるほどの交通事故死亡数。日本一が大好きな県だけど、これだけは下げようや。
#*ついに北海道・大阪を抜き3位に躍り出た。(2011年度)もう歩行者のマナーから全部見直すべきだろこれ。
#屋上駐車場があるスーパに入る場合、前の道に路肩止め。屋上駐車場の入り口付近でも平気で止める。
#旋回半径自慢の車であろうと、右左折の方法標示のゼブラを踏んづけつつ、大きく膨らんで曲がる。
#*ハンドルを片手持ちで曲がれて便利かつカッコイイんだってさ。
#道路が全体的に細く、歩道が無い。歩道があっても信号が無いとか、事故を減らす気があるのか甚だ疑問。
#違法駐車、歩行者、自転車を避ける時には大きく膨らんで避ける。
#違法駐車が最近増えてきたなあ、と思ったら、鯱止めまで輸入されて来た。
#バスだろーが公用車であろうが、左折は巻き込み確認しない、信号のない横断歩道は歩行者が横断しそうでも無視。
#そもそも、普通に流れに乗って流す人と、法定速度以下絶対厳守の人との差が激しすぎて・・・その温度差も事故呼んでないか?
#事故起こしても、自走できると逃げるので、アッチコッチで目撃者を募る警察の看板を見かける。
#*そのせいかキズだらけでボコボコの車が多い。おそらく関東一車がヤバイ。
#*不謹慎極まりないが、埼玉はひき逃げ率がかなり高い。どこぞかの調べによれば大阪を差し置いて全国No.1のひき逃げ率らしい。
#合流がド下手。一時停止しないと合流できない。故に高速道路は遺書を書いてから走る。
#*そんな馬鹿げた話は有りません。渋滞がひどいため合流はわりとうまい人が多いと思う。
#*そうでもない。合流が怖いのか必要以上に減速したり停車したりする車を見かける。
#国道17号の新大宮バイパス、国道16号、17号の重複区間は車線変更合戦をして日々他の車と戦っている。
#基本片側2車線以上の道が少ないってかほどんどない、歩道がない、右折レーンがない、右折信号がないなど、道路状況は他県と比べるとかなり悪いと思う。そのため渋滞は毎日常にどこかで起きている。
#埼玉の免許の筆記試験は難関との噂だけど、毎年事故の数が減らず、ついに交通事故死亡者数は北海道・大阪を抜いて3位に。
#*法定速度を厳守すれば事故を起こさないと信じている。だから法定速度は絶対に厳守。でも事故が減らない原因はわかってない。
#後ろの車がエンジンブレーキを掛けながら停車すると「煽られた」と感じてしまう。報復は赤信号直前で速度調整よ♪
#他府県のタクシーの提灯(屋根の上のアレ)は、乗客中の場合消えるハズだが、埼玉のタクシーは消えないので、客が乗ってるか乗ってないかが判らない。
#横から入ってくる車に進路を一切譲るなとは言わないが、信号無視の輩にまで譲る必要性はないと思うだが。(県西部I市、T市で多数目撃)


==千葉==
==1988年大会の場合==
#道路幅の狭い道が多く『国道』と名のつく道であっても幅一台分しか通れない道がある。その為、壁を擦る経験は誰しも2度3度ある。
#国内候補都市で名古屋を、開催都市決定でソウルに勝って大阪での開催決定。
#夜中の運転で気を付けることは、後続車にカマを掘られない事と暴走族に遭遇しない事。
#大阪に敗れたソウルは2008年に開催。
#関東地方で特に、鉄道乗車マナーが守れない県。
#*そして北京は2016年大会に立候補し、東京と開催都市を争う。
#成田線の我孫子~成田間は高校密集地、当然マナーも守れない生徒が多い。TBSや日テレの特集でよくOAされる。これは同線同区間に限ったことではない。
#*2008年にソウルが北京に勝つのは難しいと思う。
#*お行儀の悪いのは学生ばかりではない。面白半分に扱いがちなTVの話を鵜呑みにするのは危険。
#オリンピック会場となる舞洲は1980年代前半に造成が完了していた。
#*本当にたちが悪いのは、学生ではなくところ構わず大声でしゃべり捲るおばさん集団である。
#オリンピック開催までにJR東西線と阪神なんば線は開通し、地下鉄中央線は舞洲まで延伸。
#電車に乗り遅れた腹いせで、車両を蹴り飛ばす高校生もいる。
#*JR東西線は国鉄の路線として建設。
#全体的にウインカーを出すのが遅すぎる。まるで、どこまでウインカーを出さずにいけるか競っているかのようである。出すならましな方、出さずにいきなり曲がることも。後の車のことは全く考えていない。
#*京阪中之島線はこの時には開業しないが、オリンピック構想が出るとともに計画が具体化し、1990年代前半に開業する。
#*ウィンカーを早めに出すと前をつめられて車線変更ができない
#**あるいは中之島線がメイン会場へのアクセスとしてオリンピック直前に開業していた。
#*車線変更しようとキョロキョロ頭を動かしていると前をつめられて車線変更ができない
#*大阪モノレールは1988年の時点で大阪空港~門真市の全線が開業済み。
#*基本的に車体を入れたもん勝ち
#*JR東西線の開業に備え,(国鉄時代に)203系投入で余剰となった103系1000代が淀川電車区に大量に転入。冷房化が進められる。不足分の先頭車はモハ102・103-1000から改造。
#「大型貨物通行止め」の標識が守られているのを見たことがない。
#*(関西本線・奈良線京都-木津-奈良間電化,和歌山線五条-和歌山間電化,広島運転所の旧形電車置換用の)103系改造105系は103系0代が種車となる。その為201系の製作数が少し増える。京橋-尼崎間の保安装置は,当初ATC-4である(103系1000代のATC装置を活用するため)。
#*標識とは別に、大型車は通れない旨を書いた立て看板を置く所が増えてきた。が、守られていないのは相変わらず。字読めないのか?
#*阪神本線の福島駅付近の地下化も同時に行われていた。
#「法定速度厳守車です」と貼ってるトラックはよく見かけるが、それを守っているトラックを見かけることはまずない。
#関西国際空港の計画も前倒しされ、オリンピック開催直前の1988年4月に開港。
#赤信号になっても、しばらくは車が交差点へ突入し続ける。右折用レーンや矢印信号が必要な所にないのだから仕方ない。
#*JR「はるか」や南海「ラピート」のデビューももちろん早まった。
#登坂車線=追い越し車線。抜かれる車はのろのろ走っているわけではない。
#**南海電鉄の車体カラーの変更もこの頃だったかも。
#合流は本線優先じゃなくて自分優先。入れてもらっているという感覚はまるでない。
#**大阪市営地下鉄(現・大阪メトロ)堺筋線の天下茶屋延伸も同時に行われていた。
#*本線を走る車も含めて、1台ずつ交互に合流する(ファスナー合流)という概念が欠落している。
#*「はるか」は当初「やくも」短編成化で捻出された381系と485系で運行。南海は11000系(VVVFインバータ制御・電気指令式ブレーキを採用,10000系基本の構体,現実の「ラピート」ほど派手ではない)を開発して導入。「ラピート」に運用する。現実の11000系以降,2桁目が1つずれる。
#煽る行為は格好いいことだという頭の悪い思い込み。
#*[[日本航空|日航]]の他に[[全日本空輸|この会社]]が747-300SRを導入するだろう。747-300SRは少数派にならないだろう。
#*東関道で、左側車線を時速80キロで走るトレーラーを、延々と煽り続けるアホが居る。
#日本のバブル景気は現実よりすごいものになっていた。
#*ドライブスルーで煽られたんだけどどうすりゃいいの・・・
#*バブル崩壊も数年遅れていたかも。
#運転免許持っている奴に色盲検査したら半数ほどは引っかかるんじゃないか、と思いたくなるほど信号が守れていない。
#*ただ,のちの阪神・淡路大震災での影響が遙かに大きいだろう。
#無謀運転に対して罪悪感というものがない。
#*恐らく日本のバブルを象徴するイベントになっていただろう。
#標識に書いてある数字の2倍が、この土地における一般道路の制限速度である。
#[[阪急百貨店]]の建て替え、西梅田や梅田北ヤードの再開発は1988年までに完了していた。
#*2倍では遅い。3倍である。正確には、制限速度の数字は「守らなければならない速度の上限」ではなく、「運悪くポリ公にパクられたときに負けてもらえる金額の係数」に過ぎない。
#*大阪駅の新駅ビルも同時期に完成。
#そんなこんなで死亡者数ワーストワンを愛知・北海道と争うのだが、当人達は何故だか原因がわかっていない。
#*その時点で大阪の町は東京並み、あるいはそれ以上の発展を見せていた。
#「止まれ」の標識の前で一時停止してはいけない。
#*[[近鉄百貨店]]阿倍野店の増床(現在のウイング館)はオリンピック開催に合わせて行われたことになっていた。
#「制限40km/hの道を、60km/hで'''のろのろ'''走っていた車を煽った」などと、3人集まればすぐ乱暴運転の自慢大会。
#**但しハルカスの建設は史実通りだろう。
#間違っても黄色信号で止まってはいけない。
#1990年の花博は史実より大規模に開催されていた。
#2車線から1車線に減少するところなどでは、早く合流するほど運転が上手だと思っているので渋滞が長くなる。しかもギリギリで入ろうとするとひんしゅくを買う。
#新幹線「のぞみ」は1988年3月にデビューしていた。
#紅葉マークは、脅かしてはいけない車ではなく、「予想外の行動に出るので、近づいてはいけない」車のサインである。特に白のダイ○ツ車は要注意。
#*近鉄「アーバンライナー」のデビューも1~2年早まり、オリンピック開催までに全ての名阪甲特急を置き換えていた。
#◆マークは認知されていない。住宅街でも突撃されるのでご注意ください。
#*むしろ100系X編成が(1988年春のダイヤ改正までに)15から20編成程度製造され,通称:Wひかり(途中新横浜・名古屋・京都・新大阪・岡山・広島・小倉のみ停車)に運用だろう。100系自体東北新幹線上野開業の時にデビュー。X編成は現実通り[[東海旅客鉄道|新幹線会社]]に所属。
#ここの教習所は、「信号の黄色矢印表示」(註:青色矢印、ではない)の意味を教えていない所が多いらしい。'''知っていなくても害になることはほとんどないから'''、というのが理由らしい。
#京阪鴨東線の開業も2年程早まっていた。
#*そんなの都内でもほとんど教えてねーべよ。
#*[[京阪8000系電車|京阪8000系]]の登場も当然のことながら早まった。
#*そんなの神奈川でも教えてなかったわいと思って調べたら路面電車のか。完全に忘れてたけど習ったわ。
#*阪急8000・8300系や[[JR西日本221系電車|JR221系]]の登場も1年早まっていた。
#千葉県は黄色信号アクセル全開、赤信号3秒間OKという暗黙のルール(3秒ルール)のようなものがある。なので3秒以内は車が来ると思っていた方が安全。見切り発車も多いので注意!
#*大阪市営地下鉄(現・大阪メトロ)新20・66系の登場も2年早まっていた。
#ハザードを点けて駐車を待っていても、もたもたしていると他の車両に先に入れられてしまう。(先に入れたもん勝ち)
#**御堂筋線・中央線以外への冷房車導入もオリンピックを前に行われていた。
#道路事情が悪く、渋滞が恒常化している習志野ナンバーエリアでは、交差点は速いもの勝ち。対向右折車に注意。
#**御堂筋線の10両化・堺筋線・中央線・近鉄東大阪線の8両化が五輪までに実現。御堂筋線は、それまでに朝の2分間隔運転を実施。御堂筋線10系・中央線20系・近鉄7000系は、中間車を1編成あたり2両を新造、既存・新造編成に挿入。
#この辺のJRの運転士には過激派が紛れているらしい。高校生の通学マナー以前にこの運転士達をどうにかしてくれ。
#***それに加えて谷町線も8連化が行われていた。この時に新20系が同線初の冷房車として導入されている。
#*動労千葉ね。ストをよくやるところ。最近は見ないけど。
#*4.に備え、阪神8000系は当初から山陽姫路・近鉄奈良線乗り入れ対応で大量に導入。(阪神)梅田~山陽姫路間の直通特急(当初の日中の本数は1時間あたり2本)と(阪神)三宮~近鉄奈良間の直通快速急行(同3本)が五輪までに実現。山陽5000系は当初より阪神電鉄梅田乗り入れ対応・近鉄8810系が(阪神)三宮直通対応で大量に導入される。
#信号制御や整備のずさんさは関東地方の中ではおそらく最悪クラス。センサーが反応しているのかいないのか怪しい感応式信号、信号機の配置方法が悪いので進むべきなのか止まるべきなのか分かりつらい、等々。警察はマナーを良くすることを呼びかける前に、マナーの悪くなる原因を摘み取るべきだと思うのだが。
#**8810系ではなく1020系になっていたと思う。3200系をベースにしたVVVF車で現実よりも数年早く登場した。
#*右折レーンがあるのに右折信号が無いとか。
#**阪神8000系は現実と異なりVVVF車となっていた。
#野田ナンバーは、他地域、とりわけ都内では、高確率で粗暴運転をする。
#*[[北大阪急行電鉄|北大阪急行]]を忘れずに。御堂筋線と同時に10両化、8000形は中間車を1編成あたり2両追加(8→10両化)。
#**大阪市10系の10連化はすべて新車を連結する形で行われた。
#2回目の東京五輪は2024年か2028年に立候補していた。
#体操の西川・池谷の清風コンビは金メダルを獲得できていたかもしれない。


==東京==
==1992年大会の場合==
[[東京の道路交通]]
#1988年の夏季オリンピックはバルセロナで開催され、ソウルオリンピックは実現せず。
#23区については、そもそも自家用車の所有者が多くなく、タクシーと業務車両(貨物車・営業車)が大半を占めるので、運転が下手な車は少ない。
#*1998年の長野冬季オリンピックも実現しなかったかも。
#*でも、足立ナンバーの自家用車は致命的に運転下手が多い(特に週末)。
#*2008年大会がソウルになっていた可能性もある。
#*上を書いた人は都心(山手線内)で車に乗ったことがない(都心では足立と何故か野田ナンバーがうまい)。
#1988年の項で述べた交通整備は1990~1992年に集中して行われる。
#*都心で運転が下手でかつのろいのが目立つのが神奈川ナンバー(横浜と川崎ナンバーの後ろについたときはかなり注意が必要)。品川ナンバーも結構あやしい。
#*関西国際空港の開港も1992年に合わせていた。
#*商売っぽくないサンデードライバーオーラを発するクルマはどれも怪しい。あとは運転そのものに興味がない人が買ってそうなクルマ(最近の日産車、トヨタ系全般、軽乗用車など)も怪しいね。
#**「ラピート」「はるか」の登場も2年早まっていた。この頃になったら現実通りのデザインになっていただろう。
#*足立ナンバーの業務用・社名無表示のハイエースとかホーミーはかなり運転が荒い。
#**223系0番台も。新快速用の1000番台の登場も早まり、阪神・淡路大震災より以前に登場していた。その分221系の製造両数が減っていた。
#*足立区の環七より北側は23区内でも珍しい自家用車必須地域なので、特に主婦ドライバーの下手さが目立つ。
#*[[大阪市高速電気軌道堺筋線|地下鉄堺筋線]]の天下茶屋延伸が1年早まり、オリンピックに間に合わせていた。
#ただし、タクシーは駐停車禁止場所でも平気で客待ちしたり、交差点内で急に停まって客を乗せるので危ない。
#**大阪市営地下鉄(現大阪メトロ)車両の完全冷房化もオリンピックを前に完了していた。
#*千葉など地方から出てきた人で道を知らないタクシードライバーが多いので余計危ない。
#***30系や60系が現実よりも多く冷房改造されたかも。
#*乗客が交差点の5m手前で「そこ右」とか言い出す場合もある。なんにしろタクシーには接近しない方が吉
#**南海天下茶屋駅の高架化もオリンピックに合わせて完成していた。
#*10年以上前、交通誘導員のバイト中(本郷三丁目交差点)に、客を見付けて急ブレーキを掛けたタクシーにバイクが追突した現場をモロに目撃。 後日、バイクの運ちゃんは亡くなったと聞きました。
#水泳の岩崎恭子選手は大阪で金メダルを獲得した。
#多摩の人は、曲がる直前にウィンカーを出す人が比較的目立つ。
#*女子マラソンの有森裕子も金メダルを獲得できていたかもしれない。
#*あきる野あたりが意外にも多く見かける。2年で6回見かけた。
#**男子マラソンの森下広一も。この場合森下は現在に至るまで男子マラソンでは唯一の日本人金メダリストとなっていた。
#信号待ちでヘッドライト消す人多し。あまり頻繁にすると寿命縮むよ(ハロゲンの場合)
#*柔道の田村亮子(当時)も金メダルを獲得し、次のアトランタも含めて4連覇を果たしていたかもしれない。
#*HIDモナ。。
#**当時16歳だったので、柔道としては史上最年少の金メダリストとなっていた。
#*消す人に理由を聞くと、『対向車の運転手が眩惑しないようにするため』と答えるが、点けたままで停まっている運転手にしてみれば、再び点けるときのほうが眩惑がひどい。
#バブル崩壊は現実より5年ほど遅れていた。
#**坂道で登り勾配がキツイ場合の信号待ちとかは消してほしいね。
#*オリンピックより遥かに多額の金が動いた花博を開催しても崩壊したんだから、それはないと思われ。
#首都高速では高速移動は期待できない。
#**むしろ花博は大阪で開催されなかった。
#*首都拘束w
#***花博は名古屋で行われていたかも。その場合2005年の万博開催地は福岡あたりになっていた。
#**首都低速w
#*その後の阪神・淡路大震災の悪影響が大きかっただろう。
#***首都梗塞
#**恐らく阪神・淡路大震災までバブルの余韻は残っていたと思われる。
#****首都低速駐車道路と教習所の教官が皮肉を言ってた。
#関西が波に乗っていて、阪神が優勝していたかもしれない。
#*一般道と比較した場合、首都高速を利用したほうが早い。
#*1990-1992年にかけて関西は「わが世の春」を謳歌していた。
#*他県ナンバーや、下手なドライバーが首都高を利用するのは極力さけるべきである。これは、慣れたドライバーが多く煽られやすい事と、首都高を利用する理由は早く目的地につく為、だからである。
#**史実でも、この時期は、「わが世の春」を謳歌していたじゃないか。
#*首都圏中央連絡自動車道(圏央道)の各所が開通するまでは、東名・中央道・関越道から東北道・常磐道・東関東道へ向かう(あるいは逆方向の)車は首都高を経由するしか無かったため、都内の車に加えてそれらの車も多く渋滞の一因となっていた。つい最近の2017年2月にようやく主要ICが全面開通し、東名から東関東道までの高速道を相互通行する際は一切首都高に入らなくてもよくなったので、ある程度の渋滞緩和が期待される。
#*現実より東京一極集中が緩和されていたかもしれない。
#首都高速の公式サイトで、湾岸線の横浜方面から三郷線や川口線への乗り継ぎルートを検索すると、葛西ジャンクション経由と指定しない限り、辰巳ジャンクションから深川線→向島線を経由するルートが出て来る。
#**以後日本は東京・大阪の二眼レフ構造になっていた。
#できることならゆりかもめには乗りたくない
#***[[北陸新幹線]]の大阪延伸や[[九州新幹線]]の全通も早まり、四国新幹線も具体化していた。
#この受動喫煙による”煙害”が取沙汰され いろんな場所の灰皿が撤去されるなか、小田急バスはバス停そのものに灰皿をチェーンで巻き付けて設置し、はた迷惑な抵抗を続けている。
#*近鉄も優勝し、阪神VS近鉄の関西ダービーが実現していたかもしれない。
#*今は全てのバス停から灰皿を撤去したよ。
#オリンピックの開催都市決定は1985年ごろに行われたので、当時の大阪は阪神の21年ぶりリーグ優勝→日本一とも重なって大いに盛り上がった。
#*一般的に'''バス停の灰皿とベンチはバス会社が設置した物ではない'''のだが、小田急バスは違ったのか?
#*1980年代後半~1990年代初頭は大阪ばかりか日本経済が絶頂期だったので、開催される可能性としては一番高かったと思われる。
#中央高速は八王子インターから使うのが定番である(高井戸=八王子間は特定区間であり、本線とは別に運賃が掛かる)
#**バブル時期に開催されたオリンピックとして後々まで語り継がれていた。
#練馬ナンバーはとにかくせっかち。何をするのも早い。加速も早い。ただし速度は足立ナンバーの方が速い。
#*1992年も現実通り優勝争いしていて、もし優勝していたらオリンピックと二重で大盛り上がりだっただろう。
#*強引に割り込む車も練馬か多摩が多かった気がする。多分、道路が狭いこともあるかと。
#**関西オリンピックが盛り上がっていたので、恐らく阪神が優勝できていた。
#***「日本国内で夏季五輪が開催されたら阪神が優勝する」というジンクスが生まれていた。
#史実のガンバ大阪は「オリンピコ大阪」のようなオリンピックに因んだクラブ名になっていた。
#[[新幹線300系電車|新幹線300系]]の登場が1年程度早まる。その原型となる「スーパーひかり」の開発が早まり(大阪五輪開催決定が契機、[[日本国有鉄道|国鉄]]末期に開発スタート)、1989年頃に先行試作車が完成([[東海旅客鉄道|JR東海]])。その2年後からJR東海が量産車を発注、当初は「ひかり」に運用された。1990年頃に東海道新幹線の変電所更新が完了(300系のパンタグラフ削減が目的)する。
#*[[西日本旅客鉄道|JR西日本]]は1991年、JR東海と共に「のぞみ」の東京~新大阪~博多間の運行を発表。JR西日本車は1992年までに10編成程度そろう。「のぞみ」のデビューは1992年の3月のダイヤ改正(当初から日中、1時間に1本東京~新大阪~博多間に運行)。
#*近鉄の[[アーバンライナー]]は4年後の大阪五輪を見越して登場したことになっていた。
#**オリンピック開催年に登場した22000系「ACE」も。現実と異なり阪神乗り入れ対応になっていたかも。
#***志摩スペイン村の開業もオリンピックに合わせて行われ、23000系「伊勢志摩ライナー」も現実より早く登場していた。
#**[[京阪8000系電車]]の増備ペースも現実より早まり、オリンピックまでに[[京阪3000系電車 (初代)|旧3000系]]を全て置き換えていた。
#東京は2024年か2028年に立候補していた。
#*東京ではなく名古屋だったかもしれない(史実では1988年大会落選)。
#*その場合、2020年はパリになっていた。
#*仮に史実通り2020年大会に当選し、コロナ禍もなく通常開催されていた場合、1964-1992-2020年とちょうど28年ごとになるので「日本では28年周期で夏季五輪が開催される」というジンクスが生まれていた。
#2021年に柔道の古賀稔彦氏が亡くなった際は現実以上に惜しむ声が多かった。


==神奈川==
==1996年大会の場合==
#都市部と山間部の格差が大き過ぎ。
#1988年の項で述べた交通整備は1994~1996年にかけて行われる。
#*箱根近辺住民の山岳部運転はうますぎる
#*JR東西線は史実より1年ほど早く開業し、オリンピック開催に間に合わせていた。
#ここ数年、マナーが良くなって来たと、思っている!イヤ本当に喜ばしい事
#**大阪モノレールや地下鉄長堀鶴見緑地線の全通も。
#*渋滞道路に、入ろうとすると、殆ど止まってくれる、他都県から、入った時、あっ、神奈川に、入ったと思うのは、俺だけ?
#*京阪8000系のダブルデッカー導入が1年くらい早くなり、オリンピック輸送に備えていた。
#*ハンドルを握ると優柔不断になっちゃう人が多い。自分優先なのをわかってない。
#**9000系の導入も。名目はオリンピックにともなう輸送力増強だった。
#*首都高速を走っていても、東京から神奈川に入ると、雰囲気がガラリと変わる。
#**それに先んじて旧3000系のダブルデッカー改造を伴うリニューアルは1994年頃に行われていた。
#相模ナンバーの車はマナーが良い
#前年発生した[[阪神・淡路大震災]]の影響がどこかで出ていた。
#*法定速度を遵守する。
#*阪神高速道路3号神戸線の復旧はオリンピックに間に合わせる形で行われていた。
#**しかし他地域でも法定速度を遵守するので渋滞の一因になっている
#*一部の競技が神戸に割り振られていた。
#**神奈川県警の速度違反取り締まりが多いせい。冤罪事件の多い県警だけあって無駄に厳しい。
#バルセロナは1988年、アトランタは1992年にオリンピックを開催していた。
#*右左折時には充分に減速してから曲がる。
#オリンピック開催都市の決定は1989年頃だった。
#**しかしウインカーの操作は曲がる直前か行わない者が多く、後続車両がぶつかりそうになる事がしばしばある。
#*このため開催都市決定時はちょうどバブル絶頂期だったが開催年にはバブルが崩壊して不況下で行われた。
#***こっちの教習所は「ウインカーは直前で点けましょう」って教えてんじゃないの?マジで
#サッカーU-23日本代表が「長居の奇跡」を起こす。
#**神奈川名物交差点渋滞
#この年以前に開催されたすべての場合で、長居スタジアムの増改築が史実より早く行われることになる。
#*いや、本当にマナーがいい。相模ナンバーの国道129号の走り方、あれこそが真の都会人の走り方。北の多摩ナンバーが若干荒く見えたが、関西よりはかんなりマシ。
#1998年冬季五輪の開催地は長野ではなかった。
#*湘南ナンバーは更に良い。
#*夏冬通じて同一国で2回連続開催されることになるため。
#*相模、湘南区域で煽り、急加速・ハンドル等挙動不審車の8割は横浜ナンバーである。
#*2000年に大阪五輪が開催された場合も同様。
#*467号もマナーいいけど、一本脇道に入ると酷いもんだよ。
#[[新幹線500系電車]]のデビューが1年早まっていた。
#片側2レーン以上の道路の最左レーンは駐車スペースなので、走ってはいけない。
#*阪神~山陽[[直通特急 (阪神・山陽)|直通特急]]の運転開始は史実よりも2年早い1996年2~3月だった。
#*相模原市内を除く。
#時期的に人口の多い団塊ジュニア世代の選手の出場が最も多かったと思われる。
#神奈中バス・臨港バス・川崎市営バスの付近を走るときは特に気をつけましょう。
#*自国開催の強みもあり多数のメダルを獲得して同世代は大盛り上がりだっただろう。
#*上記と横浜市営の4社局系列から見たら、一般車?そんなもんゴミ同然である。
#高飛び込みの寺内はメダルを獲得できていたかも。
#**とくに通勤時間帯、[[国道1号]]の権太坂上→保土ヶ谷駅で、バスレーンをマイカーで走った場合。パトカーに注意されるのはまだマシで、ひどいと一般車が無理やりバスに割り込もうとして返り討ちにあい、バス会社とマイカー運転手とのあいだで「示談」なんていうのもあった。
#この年はオリックス・ブルーウェーブがリーグ2連覇かつ19年ぶりの日本一を果たしていたので、関西は大いに盛り上がっていた。
#中心部から湘南あたりの人は相模川をどの橋で渡るか悩む。
 
#相模ナンバーのワシとしては横浜ナンバーの高級車の優雅な走りには憧れる。品川ナンバーの高級車が安っぽく見える・・・
==2000年大会の場合==
<!--#*って言う人もいるけど、俺は横浜ナンバーいい加減ウザいし幻滅。横浜ほとんど田舎じゃんか-->
#Qちゃんこと高橋尚子選手は大阪で金メダルを獲得。
{{DEFAULTSORT:こうつうまなあ}}
#*現実以上にフィーバーが起こっていた。
[[Category:交通マナー|かんとう]]
#**彼女の出身大学が大阪にあるので尚更。
[[Category:関東地方]]
#*ヤワラちゃんこと田村亮子も大阪で金メダル獲得。
#**後に結婚する谷佳知が大阪出身なので、2人の結婚が現実以上に話題となったかも。
#2000年前後に景気がV字回復していた。
#*00年代前半のITバブルも現実以上だっただろう。
#東京は2016年及び2020年大会の開催地に立候補しなかった可能性が高い。
#2008年の夏季オリンピックはトロントで開催、2010年の冬季オリンピックは平昌に。2018年の冬季オリンピックはアヌシーかミュンヘンで開催。
#*2010年冬季五輪が北京かも。その場合同年上海万博もあり、中国の凄まじい成長の象徴に。
#*2020年夏季がパリ、2022年冬季が長野、2024年夏季が北京で開催されていた。
#2年前の明石海峡大橋開通がオリンピック開催に華を添えていた。
#*淡路島や徳島でも何らかの競技が行われていた。
#1990年代後半~2000年代前半における阪急の新車空白期間はなかった。
#*京都線特急車の9300系はオリンピックに合わせて登場し、現実と異なり2扉、ドレミファインバータを搭載していた。
#*[[もしあの鉄道車両が更に増備されていたら/関西私鉄#8000系40番台|8000系40番台の8連バージョンも登場していた。]]
#*アルナ工機が路面電車以外の車両製造から撤退しなかったか、あるいは撤退が遅れていたかもしれない。
#**撤退しなかった場合、阪急阪神の経営統合後阪神の新車も製造するようになっていた。
#***武庫川車両はアルナ工機に合併されていた。
#史実通り福岡ダイエーホークスがパ・リーグで優勝していた場合、「日本国内で夏季五輪が開催された年はホークスが優勝する」というジンクスが生まれていた(実際、東京オリンピックが開催された1964年はダイエーの前身である南海ホークスが優勝している)。
 
[[カテゴリ:もしも借箱/オリンピック|おおさか20せいき]]
[[カテゴリ:大阪市|もし20せいきこりん]]

2021年8月12日 (木) 17:21時点における版

大阪市は2008年の夏季オリンピック開催を目指して立候補しましたが、結局最下位で落選し、同年の開催都市は北京に決定しました。もし大阪が20世紀中のオリンピック開催を目指して立候補し、しかも開催が実現していたら…。

すべてに共通すること

  1. 大阪ドームが実史より早く完成していた。
  2. 九州新幹線はオリンピック開幕を前に全通していた。
    • 1996年以前に実現していた場合、長野新幹線より早く開業していた。
    • 北陸新幹線は大阪側が先に開業して、後で東京まで繋がった。そのため車両などの規格は東北上越ではなく東海道山陽に合わせられた。
    • 明石海峡大橋の着工前に実現していた場合、明石海峡大橋に鉄道が通って三宮から徳島まで新快速で1時間ちょいで行けた。
      • 国内初の在来線160km/h運転はここで実現していた。
  3. 野球競技が阪神甲子園球場で開催される可能性があるため、夏の高校野球の日程に影響を与えていた。
    • 場合によっては7月開幕や9月閉幕もありえた。
    • 大阪ドームもあるとはいえ、阪神タイガースの夏のロードが普段以上に長期になり、現実以上に苦戦を強いられてたかも。
      • あるいはオリンピックの期間中はペナントレースが休止されていた。
    • 大阪球場を改修して延命させていた可能性もありえた(特に1992年までなら。1996年はギリギリか?)。
      • 場合によっては藤井寺球場や日生球場も使われていた。
  4. 自転車競技のトラックレースは岸和田競輪場か当時現存していた甲子園競輪場。
    • 関西サイクルスポーツセンターという可能性もある。
    • 西宮球場や向日町競輪場が使われていた可能性も。
  5. 馬術競技は京都競馬場・園田競馬場・阪神競馬場のいずれかが使われていた。
  6. 大阪城ホールも会場のひとつになるのは確実。
  7. パナソニック(当時松下電器)は大万歳。
    • ここに限らず在阪企業は大いに盛り上がっただろう。
  8. 国策によるオリンピック選手の強化も早くから行われたので、日本人のメダル低迷期もなかったか早くに終息した。
    • 間違いなく1964年東京五輪の獲得数を上回っていただろう。
  9. ボート競技は琵琶湖で行われていた。
  10. 2020年の夏季五輪開催地は東京でなかった可能性が高い。
    • 1964年の後の東京での2度目の五輪開催は100年待たなければならなかった。
  11. 1994年以前に実現していたら、オリンピックに合わせて関西国際空港が前倒しで開業していた。
    • もし成田と同時期に関空が開業していたら、関空にもレガシーキャリアの国際線が多く就航していたかも。
    • 南海電鉄の経営が史実より早く好転していた。
  12. オリンピックを起爆剤に大阪が発展して東京一極集中が緩和された可能性がある一方で、オリンピックで大阪府市が財政難になると東京一極集中がさらに加速した可能性も否定できない。
  13. IOCのルールで7月縛りになる前なら、1964年東京大会と同じように10月10日からの開催だった。あるいは東京より暑い大阪に配慮して11月3日だったかもしれない。
  14. 東北地方からの観戦列車として臨時「日本海」や寝台急行が設定されていた。
    • 寝台急行は「あおもり」があったがさすがに愛称は「オリンピア」とかになっていただろう。
    • 青森・秋田だけでなく盛岡・仙台からも設定されていたかもしれない。
    • 東北のみならず九州方面などからも設定されていた。
  15. 舞洲や夢洲の埋め立て以前の場合メインスタジアムは長居陸上競技場だった。
    • オリンピックを見越して改修工事が早まっていた。
    • 横を通る阪和線はオリンピックを前に高架化されていた可能性が高い。
  16. 1992年以前に実現していたらダイエーも協賛企業に名を連ねていた。

1980年大会の場合

  1. もちろん日本選手団は出場できていた。
    • それどころか東側選手団も普通に出場していた。
    • 長崎宏子は史上最年少、しかも小学生での出場となっていた。
      • 自国開催の有利さを活かしてメダルを獲得していたかもしれない。
        • 仮に金メダルだったらそれこそ大騒ぎになっていた。
          • その代わり1992年の岩崎恭子がそれほど注目されなかった。
            • 2021年の西矢椛も。
      • 日本人が現実よりも早くオリンピックに関心を持つようになっていた。
  2. 翌1981年には神戸でポートピア博覧会も開催されるので、関西は大いに盛り上がっていた。
  3. 果たして会場はどこになっていたのだろう…。
    • 大阪南港にメイン会場が作られていたら、ニュートラムは1年早く開業し、日本初の新交通システムとなっていた。
      • 京阪の600→1500V昇圧が早まり、1980年3月の守口市~寝屋川信号所間の複々線化と同時に行われていた。
        • 同時に8両編成の運行が始まり、6000系も同時に登場していた(史実よりも3年早い)。
          • その場合6000系の初期車は鋼製車体になっていたかも。
          • 2000→2600系への改造も現実より早く行われていた。
  4. 第二次オイルショックの不況からV字回復していた。
    • バブル景気の到来も早く、1980年代前半には始まっていたかも。
  5. 同年芸能界を引退する山口百恵が聖火ランナーに起用されていたかも。
  6. 国鉄117系電車が関西の新快速にデビューするのはオリンピックがきっかけだった。
    • 201系の量産が2年程早くなったかも。最初の投入先は東京の中央線ではなく、大阪環状線。五輪開幕までに201系が森ノ宮電車区へ集中投入、大阪環状線のすべての運用(他線直通運用を除く)に入る。(201系の加減速性能を活かし)大阪環状線のスピードアップ・朝の混雑時2分30秒間隔運転が、この時実現する。
      • 101系の関西からの撤退が早まっていた。
    • 201系への評価が大きく上がっただろう(電機子チョッパ制御車両は低速で加減速が多い程省エネ効果が大きく、大阪環状線の短い駅間隔でその性能をフル発揮できた為)。
    • 奈良線の電化もオリンピックを前にした1980年3月に桜井・和歌山線と同時に行われていた。
  7. 京都市営地下鉄烏丸線の最初の開通が1年程(五輪開幕までに)早まる。
    • 大阪市営地下鉄(現大阪メトロ)谷町線の天王寺~八尾南延伸も半年ほど早まり、オリンピックに間に合わせていた。
  8. 翌年の神戸ポートピア博覧会と合わせ関西は乗りに乗っていた。
  9. 藤井寺球場のナイター設備設置が早まり、オリンピックを前に行われていた。

1984年大会の場合

  1. ロサンゼルスは1988年に再度立候補しソウルと争う。
    • ただアジアで2回続けて五輪はありえないので、1988年はロサンゼルスとなり、ソウルは2000~2008年あたりに立候補していた。
    • 逆に名古屋は1988年大会には立候補しなかった。
      • 名古屋は2008年大会に立候補していた。
    • 中国がソウルより先に開催したかも(冬の五輪もありえるか)。
  2. 東側諸国はやはりボイコット。
  3. 新幹線100系電車は大阪五輪に合わせて導入されていた。
    • 当時の国鉄の財務状況より、片福連絡線の建設より大阪環状線の輸送力増強(最混雑時間帯の2分30秒間隔運行)を優先した為、201系が同年1月までに、103系森ノ宮電車区所属の8両運用をすべて置き換え。
    • 前年10月に大阪城公園駅が開設された際に、日中の森ノ宮区8両運用が201系に統一(201系の加速度を活かし、日中の大阪環状線の運転時分を維持)。
  4. 近鉄東大阪線(現けいはんな線)の開業が2年ほど早まっていた。
    • 大阪市(現大阪メトロ)20系、近鉄7000系の登場も早まり、日本におけるVVVF車の実用化が早まっていた。
      • 北大阪急行8000形も。
      • 御堂筋線梅田・なんば両駅の拡張工事はオリンピックを前に完成していた。
  5. バブル景気の到来が少し早まっていた。

1988年大会の場合

  1. 国内候補都市で名古屋を、開催都市決定でソウルに勝って大阪での開催決定。
  2. 大阪に敗れたソウルは2008年に開催。
    • そして北京は2016年大会に立候補し、東京と開催都市を争う。
    • 2008年にソウルが北京に勝つのは難しいと思う。
  3. オリンピック会場となる舞洲は1980年代前半に造成が完了していた。
  4. オリンピック開催までにJR東西線と阪神なんば線は開通し、地下鉄中央線は舞洲まで延伸。
    • JR東西線は国鉄の路線として建設。
    • 京阪中之島線はこの時には開業しないが、オリンピック構想が出るとともに計画が具体化し、1990年代前半に開業する。
      • あるいは中之島線がメイン会場へのアクセスとしてオリンピック直前に開業していた。
    • 大阪モノレールは1988年の時点で大阪空港~門真市の全線が開業済み。
    • JR東西線の開業に備え,(国鉄時代に)203系投入で余剰となった103系1000代が淀川電車区に大量に転入。冷房化が進められる。不足分の先頭車はモハ102・103-1000から改造。
    • (関西本線・奈良線京都-木津-奈良間電化,和歌山線五条-和歌山間電化,広島運転所の旧形電車置換用の)103系改造105系は103系0代が種車となる。その為201系の製作数が少し増える。京橋-尼崎間の保安装置は,当初ATC-4である(103系1000代のATC装置を活用するため)。
    • 阪神本線の福島駅付近の地下化も同時に行われていた。
  5. 関西国際空港の計画も前倒しされ、オリンピック開催直前の1988年4月に開港。
    • JR「はるか」や南海「ラピート」のデビューももちろん早まった。
      • 南海電鉄の車体カラーの変更もこの頃だったかも。
      • 大阪市営地下鉄(現・大阪メトロ)堺筋線の天下茶屋延伸も同時に行われていた。
    • 「はるか」は当初「やくも」短編成化で捻出された381系と485系で運行。南海は11000系(VVVFインバータ制御・電気指令式ブレーキを採用,10000系基本の構体,現実の「ラピート」ほど派手ではない)を開発して導入。「ラピート」に運用する。現実の11000系以降,2桁目が1つずれる。
    • 日航の他にこの会社が747-300SRを導入するだろう。747-300SRは少数派にならないだろう。
  6. 日本のバブル景気は現実よりすごいものになっていた。
    • バブル崩壊も数年遅れていたかも。
    • ただ,のちの阪神・淡路大震災での影響が遙かに大きいだろう。
    • 恐らく日本のバブルを象徴するイベントになっていただろう。
  7. 阪急百貨店の建て替え、西梅田や梅田北ヤードの再開発は1988年までに完了していた。
    • 大阪駅の新駅ビルも同時期に完成。
    • その時点で大阪の町は東京並み、あるいはそれ以上の発展を見せていた。
    • 近鉄百貨店阿倍野店の増床(現在のウイング館)はオリンピック開催に合わせて行われたことになっていた。
      • 但しハルカスの建設は史実通りだろう。
  8. 1990年の花博は史実より大規模に開催されていた。
  9. 新幹線「のぞみ」は1988年3月にデビューしていた。
    • 近鉄「アーバンライナー」のデビューも1~2年早まり、オリンピック開催までに全ての名阪甲特急を置き換えていた。
    • むしろ100系X編成が(1988年春のダイヤ改正までに)15から20編成程度製造され,通称:Wひかり(途中新横浜・名古屋・京都・新大阪・岡山・広島・小倉のみ停車)に運用だろう。100系自体東北新幹線上野開業の時にデビュー。X編成は現実通り新幹線会社に所属。
  10. 京阪鴨東線の開業も2年程早まっていた。
    • 京阪8000系の登場も当然のことながら早まった。
    • 阪急8000・8300系やJR221系の登場も1年早まっていた。
    • 大阪市営地下鉄(現・大阪メトロ)新20・66系の登場も2年早まっていた。
      • 御堂筋線・中央線以外への冷房車導入もオリンピックを前に行われていた。
      • 御堂筋線の10両化・堺筋線・中央線・近鉄東大阪線の8両化が五輪までに実現。御堂筋線は、それまでに朝の2分間隔運転を実施。御堂筋線10系・中央線20系・近鉄7000系は、中間車を1編成あたり2両を新造、既存・新造編成に挿入。
        • それに加えて谷町線も8連化が行われていた。この時に新20系が同線初の冷房車として導入されている。
    • 4.に備え、阪神8000系は当初から山陽姫路・近鉄奈良線乗り入れ対応で大量に導入。(阪神)梅田~山陽姫路間の直通特急(当初の日中の本数は1時間あたり2本)と(阪神)三宮~近鉄奈良間の直通快速急行(同3本)が五輪までに実現。山陽5000系は当初より阪神電鉄梅田乗り入れ対応・近鉄8810系が(阪神)三宮直通対応で大量に導入される。
      • 8810系ではなく1020系になっていたと思う。3200系をベースにしたVVVF車で現実よりも数年早く登場した。
      • 阪神8000系は現実と異なりVVVF車となっていた。
    • 北大阪急行を忘れずに。御堂筋線と同時に10両化、8000形は中間車を1編成あたり2両追加(8→10両化)。
      • 大阪市10系の10連化はすべて新車を連結する形で行われた。
  11. 2回目の東京五輪は2024年か2028年に立候補していた。
  12. 体操の西川・池谷の清風コンビは金メダルを獲得できていたかもしれない。

1992年大会の場合

  1. 1988年の夏季オリンピックはバルセロナで開催され、ソウルオリンピックは実現せず。
    • 1998年の長野冬季オリンピックも実現しなかったかも。
    • 2008年大会がソウルになっていた可能性もある。
  2. 1988年の項で述べた交通整備は1990~1992年に集中して行われる。
    • 関西国際空港の開港も1992年に合わせていた。
      • 「ラピート」「はるか」の登場も2年早まっていた。この頃になったら現実通りのデザインになっていただろう。
      • 223系0番台も。新快速用の1000番台の登場も早まり、阪神・淡路大震災より以前に登場していた。その分221系の製造両数が減っていた。
    • 地下鉄堺筋線の天下茶屋延伸が1年早まり、オリンピックに間に合わせていた。
      • 大阪市営地下鉄(現大阪メトロ)車両の完全冷房化もオリンピックを前に完了していた。
        • 30系や60系が現実よりも多く冷房改造されたかも。
      • 南海天下茶屋駅の高架化もオリンピックに合わせて完成していた。
  3. 水泳の岩崎恭子選手は大阪で金メダルを獲得した。
    • 女子マラソンの有森裕子も金メダルを獲得できていたかもしれない。
      • 男子マラソンの森下広一も。この場合森下は現在に至るまで男子マラソンでは唯一の日本人金メダリストとなっていた。
    • 柔道の田村亮子(当時)も金メダルを獲得し、次のアトランタも含めて4連覇を果たしていたかもしれない。
      • 当時16歳だったので、柔道としては史上最年少の金メダリストとなっていた。
  4. バブル崩壊は現実より5年ほど遅れていた。
    • オリンピックより遥かに多額の金が動いた花博を開催しても崩壊したんだから、それはないと思われ。
      • むしろ花博は大阪で開催されなかった。
        • 花博は名古屋で行われていたかも。その場合2005年の万博開催地は福岡あたりになっていた。
    • その後の阪神・淡路大震災の悪影響が大きかっただろう。
      • 恐らく阪神・淡路大震災までバブルの余韻は残っていたと思われる。
  5. 関西が波に乗っていて、阪神が優勝していたかもしれない。
    • 1990-1992年にかけて関西は「わが世の春」を謳歌していた。
      • 史実でも、この時期は、「わが世の春」を謳歌していたじゃないか。
    • 現実より東京一極集中が緩和されていたかもしれない。
      • 以後日本は東京・大阪の二眼レフ構造になっていた。
    • 近鉄も優勝し、阪神VS近鉄の関西ダービーが実現していたかもしれない。
  6. オリンピックの開催都市決定は1985年ごろに行われたので、当時の大阪は阪神の21年ぶりリーグ優勝→日本一とも重なって大いに盛り上がった。
    • 1980年代後半~1990年代初頭は大阪ばかりか日本経済が絶頂期だったので、開催される可能性としては一番高かったと思われる。
      • バブル時期に開催されたオリンピックとして後々まで語り継がれていた。
    • 1992年も現実通り優勝争いしていて、もし優勝していたらオリンピックと二重で大盛り上がりだっただろう。
      • 関西オリンピックが盛り上がっていたので、恐らく阪神が優勝できていた。
        • 「日本国内で夏季五輪が開催されたら阪神が優勝する」というジンクスが生まれていた。
  7. 史実のガンバ大阪は「オリンピコ大阪」のようなオリンピックに因んだクラブ名になっていた。
  8. 新幹線300系の登場が1年程度早まる。その原型となる「スーパーひかり」の開発が早まり(大阪五輪開催決定が契機、国鉄末期に開発スタート)、1989年頃に先行試作車が完成(JR東海)。その2年後からJR東海が量産車を発注、当初は「ひかり」に運用された。1990年頃に東海道新幹線の変電所更新が完了(300系のパンタグラフ削減が目的)する。
    • JR西日本は1991年、JR東海と共に「のぞみ」の東京~新大阪~博多間の運行を発表。JR西日本車は1992年までに10編成程度そろう。「のぞみ」のデビューは1992年の3月のダイヤ改正(当初から日中、1時間に1本東京~新大阪~博多間に運行)。
    • 近鉄のアーバンライナーは4年後の大阪五輪を見越して登場したことになっていた。
      • オリンピック開催年に登場した22000系「ACE」も。現実と異なり阪神乗り入れ対応になっていたかも。
        • 志摩スペイン村の開業もオリンピックに合わせて行われ、23000系「伊勢志摩ライナー」も現実より早く登場していた。
      • 京阪8000系電車の増備ペースも現実より早まり、オリンピックまでに旧3000系を全て置き換えていた。
  9. 東京は2024年か2028年に立候補していた。
    • 東京ではなく名古屋だったかもしれない(史実では1988年大会落選)。
    • その場合、2020年はパリになっていた。
    • 仮に史実通り2020年大会に当選し、コロナ禍もなく通常開催されていた場合、1964-1992-2020年とちょうど28年ごとになるので「日本では28年周期で夏季五輪が開催される」というジンクスが生まれていた。
  10. 2021年に柔道の古賀稔彦氏が亡くなった際は現実以上に惜しむ声が多かった。

1996年大会の場合

  1. 1988年の項で述べた交通整備は1994~1996年にかけて行われる。
    • JR東西線は史実より1年ほど早く開業し、オリンピック開催に間に合わせていた。
      • 大阪モノレールや地下鉄長堀鶴見緑地線の全通も。
    • 京阪8000系のダブルデッカー導入が1年くらい早くなり、オリンピック輸送に備えていた。
      • 9000系の導入も。名目はオリンピックにともなう輸送力増強だった。
      • それに先んじて旧3000系のダブルデッカー改造を伴うリニューアルは1994年頃に行われていた。
  2. 前年発生した阪神・淡路大震災の影響がどこかで出ていた。
    • 阪神高速道路3号神戸線の復旧はオリンピックに間に合わせる形で行われていた。
    • 一部の競技が神戸に割り振られていた。
  3. バルセロナは1988年、アトランタは1992年にオリンピックを開催していた。
  4. オリンピック開催都市の決定は1989年頃だった。
    • このため開催都市決定時はちょうどバブル絶頂期だったが開催年にはバブルが崩壊して不況下で行われた。
  5. サッカーU-23日本代表が「長居の奇跡」を起こす。
  6. この年以前に開催されたすべての場合で、長居スタジアムの増改築が史実より早く行われることになる。
  7. 1998年冬季五輪の開催地は長野ではなかった。
    • 夏冬通じて同一国で2回連続開催されることになるため。
    • 2000年に大阪五輪が開催された場合も同様。
  8. 新幹線500系電車のデビューが1年早まっていた。
    • 阪神~山陽直通特急の運転開始は史実よりも2年早い1996年2~3月だった。
  9. 時期的に人口の多い団塊ジュニア世代の選手の出場が最も多かったと思われる。
    • 自国開催の強みもあり多数のメダルを獲得して同世代は大盛り上がりだっただろう。
  10. 高飛び込みの寺内はメダルを獲得できていたかも。
  11. この年はオリックス・ブルーウェーブがリーグ2連覇かつ19年ぶりの日本一を果たしていたので、関西は大いに盛り上がっていた。

2000年大会の場合

  1. Qちゃんこと高橋尚子選手は大阪で金メダルを獲得。
    • 現実以上にフィーバーが起こっていた。
      • 彼女の出身大学が大阪にあるので尚更。
    • ヤワラちゃんこと田村亮子も大阪で金メダル獲得。
      • 後に結婚する谷佳知が大阪出身なので、2人の結婚が現実以上に話題となったかも。
  2. 2000年前後に景気がV字回復していた。
    • 00年代前半のITバブルも現実以上だっただろう。
  3. 東京は2016年及び2020年大会の開催地に立候補しなかった可能性が高い。
  4. 2008年の夏季オリンピックはトロントで開催、2010年の冬季オリンピックは平昌に。2018年の冬季オリンピックはアヌシーかミュンヘンで開催。
    • 2010年冬季五輪が北京かも。その場合同年上海万博もあり、中国の凄まじい成長の象徴に。
    • 2020年夏季がパリ、2022年冬季が長野、2024年夏季が北京で開催されていた。
  5. 2年前の明石海峡大橋開通がオリンピック開催に華を添えていた。
    • 淡路島や徳島でも何らかの競技が行われていた。
  6. 1990年代後半~2000年代前半における阪急の新車空白期間はなかった。
    • 京都線特急車の9300系はオリンピックに合わせて登場し、現実と異なり2扉、ドレミファインバータを搭載していた。
    • 8000系40番台の8連バージョンも登場していた。
    • アルナ工機が路面電車以外の車両製造から撤退しなかったか、あるいは撤退が遅れていたかもしれない。
      • 撤退しなかった場合、阪急阪神の経営統合後阪神の新車も製造するようになっていた。
        • 武庫川車両はアルナ工機に合併されていた。
  7. 史実通り福岡ダイエーホークスがパ・リーグで優勝していた場合、「日本国内で夏季五輪が開催された年はホークスが優勝する」というジンクスが生まれていた(実際、東京オリンピックが開催された1964年はダイエーの前身である南海ホークスが優勝している)。