「もしあの航空事故が○○だったら」の版間の差分
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#この事故もフライトレコーダーの必要性を裏付ける根拠とされた。 | #この事故もフライトレコーダーの必要性を裏付ける根拠とされた。 | ||
#柳田邦男『マッハの恐怖』で本事故を取り上げた部分の分量がやや減っている。 | #柳田邦男『マッハの恐怖』で本事故を取り上げた部分の分量がやや減っている。 | ||
===全日空533便墜落事故=== | |||
;発生しなかったら | |||
#JA8658は1976年頃まで運用された。 | |||
#[[広島の交通#広島空港|広島空港]][[もしあの空港が開港しなかったら#広島空港|移転はなかったかも。]] | |||
===よど号ハイジャック事件=== | ===よど号ハイジャック事件=== | ||
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#*どこかのマスコミがその内幕を嗅ぎつけていたら空自はもっと世論に叩かれていた。 | #*どこかのマスコミがその内幕を嗅ぎつけていたら空自はもっと世論に叩かれていた。 | ||
#当該パイロットは史実で後に救難機の操縦に転じたためその際に助けられた人々の一部が助からなかった危険もある。 | #当該パイロットは史実で後に救難機の操縦に転じたためその際に助けられた人々の一部が助からなかった危険もある。 | ||
;起きたのが別の時期だったら | |||
*秋 | |||
#一部で[[冬季オリンピック#札幌(1972年)|札幌五輪]]の妨害を疑われた。 | |||
===日本航空350便墜落事故=== | ===日本航空350便墜落事故=== | ||
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#精神分裂病(当時の病名、現在は「統合失調症」)の患者や家族が偏見の目で見られるようなことはなかったはず。 | #精神分裂病(当時の病名、現在は「統合失調症」)の患者や家族が偏見の目で見られるようなことはなかったはず。 | ||
#*機長と同じ苗字の子どももいじめの被害に遭わずに済んでいた。 | #*機長と同じ苗字の子どももいじめの被害に遭わずに済んでいた。 | ||
#1982年2月の重大ニュースと言えばホテルニュージャパン火災だった。 | |||
;起きたのがあの時期だったら | ;起きたのがあの時期だったら | ||
134行目: | 144行目: | ||
#「沈まぬ太陽」はアフリカ編、御巣鷹山編だけでなく、「羽田沖編」も制作されるようになる。 | #「沈まぬ太陽」はアフリカ編、御巣鷹山編だけでなく、「羽田沖編」も制作されるようになる。 | ||
#*同じ85年の出来事なので御巣鷹と羽田沖がまとめられていたのでは。 | #*同じ85年の出来事なので御巣鷹と羽田沖がまとめられていたのでは。 | ||
===タイ航空620便爆破事件=== | |||
;発生しなかったら | |||
#山口組は他社機を爆破していた。 | |||
;前年に起きていたら | |||
#[[もし日本航空123便墜落事故が○○だったら|同年起きた日本航空の事故]]と関連づけられた。 | |||
<ref> | |||
===日本エアシステム451便着陸失敗事故=== | |||
;発生しなかったら | |||
#日本エアシステムが経営不振にならず、日本航空との経営統合が史実より遅くなっていた。 | |||
;死者が出ていたら | |||
#日本航空516便衝突炎上事故が起こった際、「旅客機炎上で死者が出た例」として引き合いに出されていた。 | |||
===中華航空140便墜落事故=== | ===中華航空140便墜落事故=== | ||
144行目: | 167行目: | ||
#手動操作で解除不可というA300の自動操縦装置の問題点ももうしばらく判明しなかった。 | #手動操作で解除不可というA300の自動操縦装置の問題点ももうしばらく判明しなかった。 | ||
#*他の場所で史実の本件と似た事故が起きていた恐れもある。 | #*他の場所で史実の本件と似た事故が起きていた恐れもある。 | ||
#**現実でも[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%82%A8%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3676%E4%BE%BF%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85 本当]にあった。 | |||
;住宅地に墜落していたら | ;住宅地に墜落していたら | ||
149行目: | 173行目: | ||
#*住民が巻き込まれただけでなく救助の遅れや火災の激化により搭乗者も誰一人として助からなかった。 | #*住民が巻き込まれただけでなく救助の遅れや火災の激化により搭乗者も誰一人として助からなかった。 | ||
#**下手したら85年の123便事故を上回る航空事故になっていたかも。 | #**下手したら85年の123便事故を上回る航空事故になっていたかも。 | ||
#***中京圏では航空事故といえばこの事故を思い浮かべる人が増えていた。 | |||
#中部空港が海上に作られた理由に「事故時の安全性確保」も挙げられていた。 | #中部空港が海上に作られた理由に「事故時の安全性確保」も挙げられていた。 | ||
#*関西空港も。 | #*関西空港も。 | ||
167行目: | 192行目: | ||
#*事故発生がGW直前だったということもあり、GWの旅行を取りやめる人も多数出ていた。 | #*事故発生がGW直前だったということもあり、GWの旅行を取りやめる人も多数出ていた。 | ||
#*[[新名神高速道路]]の建設開始が早まっていた。 | #*[[新名神高速道路]]の建設開始が早まっていた。 | ||
#**[[伊勢湾岸自動車道]]も。 | |||
#*その時における代替輸送の経験は翌年の阪神大震災にも生かされていた。 | #*その時における代替輸送の経験は翌年の阪神大震災にも生かされていた。 | ||
;海上に墜落していたら | |||
#[[中部国際空港|セントレア]]が[[もしあの空港が○○だったら#1989年に開港していたら|5年前に開港していたら]]ありえた。 | |||
===フィリピン航空434便爆破事件=== | ===フィリピン航空434便爆破事件=== | ||
174行目: | 203行目: | ||
#*実行犯のラムジ・ユセフの逮捕が遅れていたかも。 | #*実行犯のラムジ・ユセフの逮捕が遅れていたかも。 | ||
#*おそらくアジアの航空会社の別の飛行機が爆破されていた。 | #*おそらくアジアの航空会社の別の飛行機が爆破されていた。 | ||
#PALの倒産が遅れた。 | |||
;爆破した座席の下にある燃料タンクが空ではなかったら | ;爆破した座席の下にある燃料タンクが空ではなかったら | ||
185行目: | 215行目: | ||
#SAP(現在のSAT)の存在が国民に知られることはなかった。 | #SAP(現在のSAT)の存在が国民に知られることはなかった。 | ||
#犯人が勤めていた東洋信託銀行が謝罪広告を出すことはなかった。 | #犯人が勤めていた東洋信託銀行が謝罪広告を出すことはなかった。 | ||
#*東洋信託は[[もしあの銀行が誕生していたら#住友UFJ信託銀行|住友信託あたりと合併していたかも。]] | |||
;本当にオウム真理教関係者による犯行だったら | ;本当にオウム真理教関係者による犯行だったら | ||
193行目: | 224行目: | ||
#オウム真理教には今度こそ破防法が適用されていたかも。 | #オウム真理教には今度こそ破防法が適用されていたかも。 | ||
#事件の呼称が「オウム全日空機ハイジャック事件」あたりになっていた。 | #事件の呼称が「オウム全日空機ハイジャック事件」あたりになっていた。 | ||
===ガルーダ航空865便離陸失敗事故=== | |||
;墜落場所が南にずれていたら | |||
#[[もしあの空港が○○だったら#福岡空港の移転扱いだったら|佐賀空港に福岡空港の機能が移転]]し[[もしあの空港が○○だったら#国際空港として開港していたら|国際空港になっていた]]かも。 | |||
#ガルーダ航空のイメージ低下は日本で史実以上に進んだ。 | |||
;発生しなかったら | |||
#日本の非航空ファンからは'97年以降も[[ダグラスDC-10|DC-10]]を安全性の高い機体と思われていた。 | |||
===日本航空MD11機乱高下事故=== | |||
;当時33歳の客室乗務員が負傷しなかった、あるいは負傷しても助かっていたら | |||
#国際民間航空条約上でも、日本航空123便墜落事故が日本の航空会社が起こした最後の死亡事故となっていた(国際民間航空条約は「事故後30日以内に亡くなった者を死者とカウントする」となっているため、本事故の負傷が原因で1年8か月後に死亡した客室乗務員は国際民間航空条約上では重傷者となっている)。 | |||
#日本航空の名古屋-香港線は現在も運行されている。 | |||
===全日空61便ハイジャック事件=== | ===全日空61便ハイジャック事件=== | ||
208行目: | 252行目: | ||
#**というか東京ではパニック映画を撮るのがタブーになっていた可能性がある。(例として「交渉人 真下正義」は地下鉄サリン事件の影響で東京メトロと都営地下鉄がまったく協力しなかった。) | #**というか東京ではパニック映画を撮るのがタブーになっていた可能性がある。(例として「交渉人 真下正義」は地下鉄サリン事件の影響で東京メトロと都営地下鉄がまったく協力しなかった。) | ||
#***「レインボーブリッジを封鎖せよ!」も東京以外の橋が舞台になっていた。 | #***「レインボーブリッジを封鎖せよ!」も東京以外の橋が舞台になっていた。 | ||
#****フジテレビが破壊される展開は偶然にも、前年にはアニメこち亀(「大ハード!両津勘吉は二度死ぬ」)、そして同年にはデジモンアドベンチャーと、それぞれフジテレビ系列のアニメで描写されていたが、それが冗談では済まなくなる。後者のエピソード(ヴァンデモン編)はまだ放送されていなかったため、そのままお蔵入りしていたorそもそも展開が史実と変わっていたかもしれない。 | |||
#*ゆりかもめや自動車の代わりに水上バスがお台場への交通手段として史実よりも人気になっていたかもしれない。 | #*ゆりかもめや自動車の代わりに水上バスがお台場への交通手段として史実よりも人気になっていたかもしれない。 | ||
#**レインボーブリッジの復旧完了までは、東京港トンネルの渋滞がえげつない事になっていた。 | #**レインボーブリッジの復旧完了までは、東京港トンネルの渋滞がえげつない事になっていた。 | ||
241行目: | 286行目: | ||
#日本航空はこの段階で経営破綻していた。 | #日本航空はこの段階で経営破綻していた。 | ||
#*日本エアシステム統合時にバリュージェット航空のように「存続会社は日本航空だが社名は日本エアシステム」になっている。 | #*日本エアシステム統合時にバリュージェット航空のように「存続会社は日本航空だが社名は日本エアシステム」になっている。 | ||
#*経営破綻する前に運行停止→そのまま法人ごと解散してそう。 | |||
#ユーバーリンゲン空中衝突事故は起こっていなかったかも。<!--事故が起こった時に日本側がICAOに空中衝突の対策を求めていたものの、取り合ってもらえずにその後この事故が起こったという経緯があるため。--> | #ユーバーリンゲン空中衝突事故は起こっていなかったかも。<!--事故が起こった時に日本側がICAOに空中衝突の対策を求めていたものの、取り合ってもらえずにその後この事故が起こったという経緯があるため。--> | ||
#*ユーバーリンゲンのようにもしかしたら事故時の管制官を殺そうとする人が出ていた。 | #*ユーバーリンゲンのようにもしかしたら事故時の管制官を殺そうとする人が出ていた。 | ||
#**日本人の国民性からして想像しにくい。 | #**日本人の国民性からして想像しにくい。 | ||
#**123便の事故や尼崎の脱線事故などでも事故を起こした会社の従業員が殺されたという話は聞いたことがない。 | #**123便の事故や尼崎の脱線事故などでも事故を起こした会社の従業員が殺されたという話は聞いたことがない。 | ||
#**少なくとも当事者やその親族らに対する嫌がらせや脅迫等を行う者は出てきていた。 | |||
#*時期が短くて防げなかったのでは。 | #*時期が短くて防げなかったのでは。 | ||
#123便の影が薄くなっていた。 | #123便の影が薄くなっていた。 | ||
254行目: | 301行目: | ||
#現在では「平成の日本で唯一の大規模な航空事故」という不正確な表現をされることもある。 | #現在では「平成の日本で唯一の大規模な航空事故」という不正確な表現をされることもある。 | ||
#事故の起こった2001年は附属池田小事件やアメリカ同時多発テロ事件・明石市の花火大会事故もあったので、21世紀初年は波乱のスタートとなっていた。 | #事故の起こった2001年は附属池田小事件やアメリカ同時多発テロ事件・明石市の花火大会事故もあったので、21世紀初年は波乱のスタートとなっていた。 | ||
#確実に日本の航空産業は斜陽化していた。 | |||
#*整備新幹線の開通のペースが早くなり、九州・北陸・北海道新幹線は平成のうちに全通していた。 | |||
#**東海道新幹線のパンクが懸念されるので、リニア中央新幹線開通も早まっていた。 | |||
#*夜行列車の衰退も現実ほどではなかった。 | |||
#**「日本海」にサンライズエクスプレスの交直流版が入っていた。 | |||
===チャイナエアライン120便炎上事故=== | ===チャイナエアライン120便炎上事故=== | ||
263行目: | 315行目: | ||
#日本のマスコミに更に叩かれていた。 | #日本のマスコミに更に叩かれていた。 | ||
#120便は欠番となり、別の便名が割り当てられる可能性がある。 | #120便は欠番となり、別の便名が割り当てられる可能性がある。 | ||
===フェデックス80便着陸失敗事故=== | |||
;事故機が旅客便だったら | |||
#この時点で、運行会社はフェデックスではない。 | |||
#それでも生存者はほぼ0だったと思われる。 | |||
#*羽田と違って、大量輸送するような路線はあまりないため、犠牲者が123便を超えることはないと思われるが、華航140便レベルの犠牲者が出ていた危険性はある。 | |||
#*平成最悪の航空機事故と呼ばれていた。 | |||
#航空事情に疎い人を中心に、成田空港の機能の羽田移転に対する機運が高まった。 | |||
===羽田空港地上衝突事故=== | |||
*東京都大田区の東京国際空港(羽田空港)で着陸した日本航空516便が海上保安庁のみずなぎ1号と滑走路上で衝突し、両機が炎上した。 | |||
*原因が未だ特定されていない事故のため、報告が上がるまで、事故の原因に触れないよう願います。 | |||
;発生していなかったら | |||
#前日の能登半島地震がなければあり得た。 | |||
#前日の地震による首都圏対北陸の交通混乱は、早く解消していた。 | |||
#日本の航空会社の全損事故ゼロの記録が、123便以降途絶えていない。 | |||
#*厳密には史実で1993年にもエアシステム451便全損事故が起きてているので、1993年のエアシステム451便事故以降、日本の航空会社の全損事故ゼロの記録が途絶えていない。 | |||
#*日本の航空会社の全損死亡事故ゼロの記録が123便を最後に現在も続いている。 | |||
#*エアバスA350の全損事故ゼロの記録も続いていた。 | |||
#JA722Aは、仙台空港で東日本大震災の津波を耐え抜いた唯一の飛行機として、いつまでも神格化されていた。 | |||
#*退役後、日本のどこかで保存されていた。 | |||
#「阪神が日本シリーズで日本一になると日航機全損事故が起こる」というジンクスの定着は避けられた。 | |||
#これで前日の能登半島地震もなければ2024年の正月が大混乱に陥ることはなく、いつも通りの平穏な正月を迎えていた。 | |||
#*2024年の正月特番が突如休止されることもなく、予定通り普通に放送されていた。 | |||
;日航機側で死者が出ていたら | |||
*現実では乗員乗客全員が無事脱出できました。 | |||
#恐らく避難誘導が遅れたか、火の回りが早かったかのどちらかだった。 | |||
#*乗客が誰一人乗務員の言うことを聞かず、手荷物や貨物室の荷物を持ち出そうとしたり、我先に逃げ出そうとしていたらほぼ確実にこうなっていた。 | |||
#*それか、当該機のドアが衝突で全部、もしくは大半が故障していたらこうなっていた。 | |||
#最悪300人以上の犠牲者が出るという、日本の航空史上に残る大惨事となっていた。 | |||
#*2024年1月2日のテレビ番組は夕方以降は報道特番に切り替わり、正月番組が全て飛んでいた。 | |||
#**場合によっては翌日も報道特番一色となっていた。その場合正月の特番は後日日を改めて放送されていた。 | |||
#***1982年の時みたいな報道体制になっていた(この年の2月8日にホテルニュージャパンで火災が発生し、その翌日には日本航空350便墜落事故が発生した)。 | |||
#***もしかしたら、この事故の死者数が地震の死者数を上回っていた。 | |||
#*1985年の日航機123便事故と比較されていた(こちらもお盆の繁忙期に発生した)。 | |||
#**その場合、「令和の日本航空123便墜落事故」とも呼ばれていた。 | |||
#**「令和のテネリフェ空港ジャンボ機衝突事故」 | |||
#前日の能登半島地震のニュースの影が薄くなっていた。 | |||
#*むしろもっと引き合いに出され、2024年1月は日本史上最悪の正月と呼ばれる。 | |||
#**新年のイベントも現実以上に自粛され、正月気分も吹っ飛んでいた。 | |||
#羽田空港は翌日以降も閉鎖されていた。 | |||
#*Uターンラッシュに甚大な影響を与えていた。 | |||
#*東海道新幹線は極限まで増発が行われていた。増発分の列車は全席自由席とされていた。 | |||
#*羽田-新千歳線だった事もあり、北海道新幹線の札幌早期延伸を求める声が高まっていた。 | |||
#史実以上に一部の人たちが必死で海保を擁護していた。 | |||
#*海保は地震の起こった能登半島に救援物資を送る途中だったため。 | |||
#年始の時点で年末に発表される「今年の漢字」が「災」になると予想する声が多数出ていた。 | |||
#当該の機材が737やE190だったら、ほぼ確実にこうなっていた。 | |||
#ペットの客室内持ち込みについては議論すらされなかった。 | |||
#生存者がゼロだった場合、その後の大型連休の観光需要に影響が出ていた可能性もある。 | |||
#*間違いなく自粛ムードが起きていた。 | |||
#*自粛なんてレベルじゃない。下手したら、個人的にお正月を祝うのでさえ、不謹慎厨に叩かれるという異様な状況になっていた。 | |||
#A350-1000のデビューはお通夜状態だった。就航延期や中止もありえた。 | |||
==海外== | ==海外== | ||
285行目: | 391行目: | ||
#**発生地点がバミューダ近辺の場合は破壊工作どころか超常現象さえ噂されていた。 | #**発生地点がバミューダ近辺の場合は破壊工作どころか超常現象さえ噂されていた。 | ||
#一般的には「ヒンデンブルク号失踪事件」と呼ばれている。 | #一般的には「ヒンデンブルク号失踪事件」と呼ばれている。 | ||
#*2014年のマレーシア航空370便墜落事故と比較されていた。 | |||
===BOAC781便墜落事故=== | ===BOAC781便墜落事故=== | ||
330行目: | 437行目: | ||
#*フランスの政治史にも確実に大きな爪痕を残していた。 | #*フランスの政治史にも確実に大きな爪痕を残していた。 | ||
#*エールフランスやフランス空軍などはその後二度とダグラス→マグドネル・ダグラスの機体を採用することはなかった。 | #*エールフランスやフランス空軍などはその後二度とダグラス→マグドネル・ダグラスの機体を採用することはなかった。 | ||
#*場合によってはエールフランスは事故発生以降、マクドネル・ダグラス吸収後のボーイングの機体を導入しなくなり、2004年には史実のB777-300ERの代わりとして、A340-600を導入していた。 | |||
#*最悪の場合、フランスは東側諸国に寝返っていた。 | |||
#墜落直前の事故機や炎上する建物・残骸が多くの写真に写され全世界に衝撃を与えていた。 | #墜落直前の事故機や炎上する建物・残骸が多くの写真に写され全世界に衝撃を与えていた。 | ||
516行目: | 625行目: | ||
#*継承会社はルフトハンザの子会社にならなかった。 | #*継承会社はルフトハンザの子会社にならなかった。 | ||
#*経営危機から立ち直れていた場合、日本航空が経営立て直しの参考にしていた。 | #*経営危機から立ち直れていた場合、日本航空が経営立て直しの参考にしていた。 | ||
#*子会社の売却は避けられなかったと思われる。 | |||
#「ポリエチレンテレフタラートは燃えない」ということが信じ続けられてきた。 | #「ポリエチレンテレフタラートは燃えない」ということが信じ続けられてきた。 | ||
;航空テロだったら | |||
#[[もしあの航空事故が○○だったら#パンナム103便爆破事件|パンナム103便の事件]]と比較された。 | |||
===コンコルド墜落事故=== | ===コンコルド墜落事故=== | ||
530行目: | 643行目: | ||
#史実で事故原因となったコンチネンタルのDC-10の整備不良はしばらく発覚しなかった。 | #史実で事故原因となったコンチネンタルのDC-10の整備不良はしばらく発覚しなかった。 | ||
#*最悪の場合そちらが事故を起こしていた危険すらある。 | #*最悪の場合そちらが事故を起こしていた危険すらある。 | ||
===シンガポール航空006便離陸失敗事故=== | |||
;事故原因が○○だったら | |||
;過労 | |||
#[[もしあの航空事故が○○だったら#全日空533便墜落事故|44年前の松山沖全日空機事故]]と関連づけられた。 | |||
===大韓航空85便ハイジャック誤報事件=== | ===大韓航空85便ハイジャック誤報事件=== | ||
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#*ヨーロッパなどでは「事故を戦争拡大のダシに使い犠牲者を冒涜した」とブッシュの評判がさらに悪化していた。 | #*ヨーロッパなどでは「事故を戦争拡大のダシに使い犠牲者を冒涜した」とブッシュの評判がさらに悪化していた。 | ||
#事故機の行き先(ドミニカ共和国)からしてひょっとするとキューバの関与が疑われていたかもしれない。 | #事故機の行き先(ドミニカ共和国)からしてひょっとするとキューバの関与が疑われていたかもしれない。 | ||
===チャイナエアライン611便空中分解事故=== | |||
;発生しなかったら | |||
#当該機は予定通り[[航空会社/アジア#オリエント・タイ航空|オリエントタイ]]に売却。 | |||
;事故原因が○○だったら | |||
*航空テロ | |||
#現実より利用者が[[航空会社/台湾#エバー航空|長栄航空]]などに流れていた。 | |||
===ユーバーリンゲン空中衝突事故=== | ===ユーバーリンゲン空中衝突事故=== | ||
562行目: | 689行目: | ||
#*犯人がロシアで英雄扱いされることも、北オセチア共和国の建設副大臣になることもなかった。 | #*犯人がロシアで英雄扱いされることも、北オセチア共和国の建設副大臣になることもなかった。 | ||
#別の惨事が起きない限りTCASと管制官の指示のどちらを優先するかの国際基準はできないまま。 | #別の惨事が起きない限りTCASと管制官の指示のどちらを優先するかの国際基準はできないまま。 | ||
#*それでも[[もしあの航空事故が○○だったら#日本航空駿河湾上空ニアミス事故|「駿河湾を知らないのか」]]と批判された。 | |||
#それでもバシキール航空は史実通り倒産していたと思われる。 | #それでもバシキール航空は史実通り倒産していたと思われる。 | ||
#犠牲者の子供たちは様々な分野で優秀な子供たちだったみたいだから今頃その世界では有名になっていたかもしれない。 | #犠牲者の子供たちは様々な分野で優秀な子供たちだったみたいだから今頃その世界では有名になっていたかもしれない。 | ||
622行目: | 750行目: | ||
#*パンナム006便事故などの成功例もあるのでそこまで極端な対応はできないはず。 | #*パンナム006便事故などの成功例もあるのでそこまで極端な対応はできないはず。 | ||
#**そもそもそうなると洋上の事故での生還の手段が消滅してしまう。 | #**そもそもそうなると洋上の事故での生還の手段が消滅してしまう。 | ||
#*ETOPSが再び厳しくなる。 | |||
#**ボーイング747-8が商業的に大成功を収める一方で、787やA350は史実ほど売れない上に、長距離線で使用できなくなる。 | |||
;事故原因が○○だったら | ;事故原因が○○だったら |
2024年3月1日 (金) 18:56時点における最新版
日本[編集 | ソースを編集]
日本航空もく星号墜落事故[編集 | ソースを編集]
- 起きていなかったら
- 登場していた多くの著名人はもちろんその後も活躍し続けていた。
- 大辻司郎はその後も漫談家の草分けとして活躍を続け紫綬褒章くらいはもらえていた。
- 偽談話の通り長崎平和祭でも張り切って演じていたであろう。
- 三鬼隆は八幡製鉄社長としてその後の経営にも大きな影響を与えていた。
- 富士製鉄との合併時の展開が変わっていた可能性あり。
- 部下だった永野重雄の業績の一部も三鬼のものになっていた。
- 大辻司郎はその後も漫談家の草分けとして活躍を続け紫綬褒章くらいはもらえていた。
- 日航の自主運行開始後もしばらくマーチン202が使われていた。
- 墜落場所が静岡県舞阪沖だったら
史実でもこの場所に墜落したという内容の誤報が出た。
- 三原山激突に比べるとまだ生存者がいる可能性は高かったと思う。
- 少なからぬ日本人の間で「海上墜落→生存者あり」という勘違いが発生していた。
- 後の全日空の下田沖や羽田沖の事故でその風説がたびたび持ち出されていた。
- 事故原因も史実で最も濃厚とされた管制ミスではなく機体のトラブルか何かになっていた。
- 乗客全員無事だったら
実際にこの内容の誤報が出ましたが
- 事故原因がわかっていたかもしれない。
- ただし原因次第ではアメリカの圧力によりやはり闇に葬られていた。
- 後年大辻司郎は長崎民友新聞の記事「危うく助かった大辻司郎氏」は秘書が捏造した話だったということを打ち明けていた。
- 三原山ではなく海上に不時着していたらありえたかもしれない。
全日空羽田沖墜落事故[編集 | ソースを編集]
- 起きていなかったら
- 「羽田沖事故」といえば名実ともに1982年の日本航空の事故のことだった。
- 全日空が有視界飛行がもう少し長く続いていた。
- 当時は他の会社も普通に有視界飛行を行っていたような記憶がある。
- この事故の調査で機体トラブル説を唱えていた山名正夫教授の知名度は史実より低い。
- もっぱら「メタンガスで人工人魂を作った」という研究成果ばかり注目されていた。
- 日本の航空機へのフライトレコーダーとボイスレコーダー装着の義務付けが遅れていた。
- 72年の日航連続事故あたりでも調査がさらに難航していた恐れあり。
カナダ太平洋航空402便着陸失敗事故[編集 | ソースを編集]
- 発生していなかったら
- 要するに進入高度があと数十センチ高いか東京の天候回復がもう少し遅れていた場合。
- そもそも天候が良かった場合は翌日のBOACの事故もなかった。
- 悪天候によるダイヤの乱れのため焦って富士山近くを飛んでしまったのが事故原因という見方がある。
- そもそも天候が良かった場合は翌日のBOACの事故もなかった。
- 柳田邦男『マッハの恐怖』では代わりに松山沖の全日空YS11の事故が取り上げられていた。
- それでもその後のカナダ太平洋航空→カナディアン航空にあまり影響はなかった。
- エア・カナダに吸収される時期も史実と変わりない。
BOAC富士山空中分解事故[編集 | ソースを編集]
- 発生していなかったら
- 史実でこの事故に巻き込まれていた『007は二度死ぬ』の一部スタッフはもちろん無事。
- その後のシリーズでも大いに腕を振るっている。
- 後に富士山付近を飛ぶ遊覧飛行のルートが誕生していた。
- 山岳波の危険性の認識が遅れていた。
- 世界のどこかで他の航空機が犠牲になって初めて気づかされていたかもしれない。
- フライトレコーダーが無事だったら
現実では現場から発見されはしたが火災により激しく破損し一切調査の役に立たなかった。
- 史実で原因究明の鍵になった8ミリフィルムはあくまで傍証でしかなかった。
- この事故を取り上げたNHKのドキュメンタリーは「黒い画面」ではなく別の題名になっていた。
- この事故もフライトレコーダーの必要性を裏付ける根拠とされた。
- 柳田邦男『マッハの恐怖』で本事故を取り上げた部分の分量がやや減っている。
全日空533便墜落事故[編集 | ソースを編集]
- 発生しなかったら
- JA8658は1976年頃まで運用された。
- 広島空港移転はなかったかも。
よど号ハイジャック事件[編集 | ソースを編集]
- 発生しなかったら
- 日野原重明は史実ほど有名になっていない。
- 史実通りに長生きしていても、単に「長寿医師」として取り上げられるにとどまっていた。
- 山村新治郎の人生は大きく変わっていただろう。
- 場合によっては次女に殺されずにすんでいたかも。
- 石田真二機長は私生活でのトラブルをさらされることもなく定年まで日本航空で勤務できていた。
- もちろん史実の「よど号グループ」のメンバーは国内に残っていた。
- 日本人拉致被害者の数は減らせていた。
- 犯人のうち何人かは連合赤軍や日本赤軍に参加していた。
- 金浦空港で犯人逮捕に成功していたら
- 徹底的に偽装工作を行った韓国政府や空港職員が大いに評価されていた。
- 少なくともノースウエスト機やシェルの看板などを隠す必要が有るため、ギリギリまで作業が行われていた可能性大。
- 日韓共同で最悪の事態を阻止した経緯を綴ったドキュメンタリーが作られていた。
- 「プロジェクトX」でも取り上げられていた。
- 御礼として大韓航空機爆破事件等で日本政府が史実以上に捜査協力を行っていたかもしれない。
- 後に日本赤軍による犯人奪還作戦が明るみに出ていた。
- やはり北は「日本と南朝鮮による人民弾圧」と非難していた。
- 犯人グループの実態を知ることがなかったため「革命戦士」「労働者の星」などと美化していた。
- 金浦空港に着陸しなかったら
- そのまま平壌に着陸していた。
- 史実通り平壌国際空港を見つけられなかった場合は着陸失敗で事故につながっていた恐れもある。
- 下手したら操縦士・乗客が日本に帰ってこれなかった可能性も。大韓航空機YS-11ハイジャック事件の二の舞い。
- 彼らも拉致被害者の一人に数えるべきという声が上がる。
全日空機雫石衝突事故[編集 | ソースを編集]
- 発生していなかったら
- 民間航空路と自衛隊訓練空域の隔離が遅れていた。
- ニアミス対策も史実より後手に回っていた。
- 結果として史実の本件よりさらに凄惨な事故でそれらのツケを払わされていた恐れさえある。
- 2001年の日航機同士のニアミス事故は衝突した可能性あり。
- 結果として史実の本件よりさらに凄惨な事故でそれらのツケを払わされていた恐れさえある。
- ニアミス対策も史実より後手に回っていた。
- 世間に反自衛隊的な空気が広がるのはある程度抑えられていた。
- この事故で引責辞任に追い込まれた増原惠吉防衛庁長官はもう少し長く務めることができていたはず。
- その後の政界での地位ももっと上がっていたかもしれない。
- 「帰ってきたウルトラマン」のベムスターの回は予定通り7月30日に放送されていた。
- この場合後番組のAが1週早く始まっていたか帰マンが1週長くなっていたかはよく分からない。
- 「慰霊の森」はなく、心霊スポットとして話題になることはなかった。
- 自衛隊機のパイロットも助かっていなかったら
- 現実でも射出座席のレバーを引けなかったためこうなっていた恐れは十分にあった。
- 上官は衝突事故を起こした当人に「死人に口なし」とばかりに責任をなすりつけていた。
- どこかのマスコミがその内幕を嗅ぎつけていたら空自はもっと世論に叩かれていた。
- 当該パイロットは史実で後に救難機の操縦に転じたためその際に助けられた人々の一部が助からなかった危険もある。
- 起きたのが別の時期だったら
- 秋
- 一部で札幌五輪の妨害を疑われた。
日本航空350便墜落事故[編集 | ソースを編集]
- 起きていなかったら
- 「羽田沖事故」といえば1966年の全日空の事故のことだった。
- 詳細な映像が残っている墜落事故が日本航空123便墜落事故だけになるため、この事故が史実以上に多く取り上げられるようになっていた。
- そもそも現実でも21世紀に入ってからは123便以外の国内の事故がろくに取り上げられていないような気が・・・。
- それでも雫石やもく星号に比べればそれなりに特集されているような?
- そもそも現実でも21世紀に入ってからは123便以外の国内の事故がろくに取り上げられていないような気が・・・。
- 123便墜落事故まで、日本航空の地位が低下することはなかった。
- 「逆噴射」などという言葉を知っているのは航空関係者と一部のマニアくらいだった。
- むしろ「逆噴射」という言葉は1991年の「ラウダ航空004便墜落事故」で注目されていた。
- 少なくとも一般の日本人が知ることは今でもあまりなかった。
- 漫画こち亀45巻「シルバーツアーの巻」で機長に扮する時「逆粉舎矢太郎」と名乗る事はなかった。
- 精神分裂病(当時の病名、現在は「統合失調症」)の患者や家族が偏見の目で見られるようなことはなかったはず。
- 機長と同じ苗字の子どももいじめの被害に遭わずに済んでいた。
- 1982年2月の重大ニュースと言えばホテルニュージャパン火災だった。
- 起きたのがあの時期だったら
- 1985年
- 日本航空は運行停止、そして倒産。このころ全日空は国際線進出。
- この年、日本航空123便墜落事故が起きたため。
- 詳しくはこちら→もし日本航空が123便墜落事故直後に廃業していたら
- ナショナルフラッグキャリアがそこまで簡単に潰れるとは考えにくい。
- パンナムみたいに何かしらの遠因があれば十分にあり得る。
- この時点でJALの塗装は史実とは全く別のものにリニューアルされていた。
- 007便撃墜事件後の大韓航空のように英語社名も変える羽目になったかもしれない。
- 「沈まぬ太陽」はアフリカ編、御巣鷹山編だけでなく、「羽田沖編」も制作されるようになる。
- 同じ85年の出来事なので御巣鷹と羽田沖がまとめられていたのでは。
タイ航空620便爆破事件[編集 | ソースを編集]
- 発生しなかったら
- 山口組は他社機を爆破していた。
- 前年に起きていたら
- 同年起きた日本航空の事故と関連づけられた。
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日本エアシステム451便着陸失敗事故[編集 | ソースを編集]
- 発生しなかったら
- 日本エアシステムが経営不振にならず、日本航空との経営統合が史実より遅くなっていた。
- 死者が出ていたら
- 日本航空516便衝突炎上事故が起こった際、「旅客機炎上で死者が出た例」として引き合いに出されていた。
中華航空140便墜落事故[編集 | ソースを編集]
- 発生しなかったら
- 中華航空が日本での呼称を「チャイナエアライン」に変えることはなかった。
- 香港返還に伴う塗装変更で漢字での社名表記が消滅しているのでこの時点で変更されたのでは。
- エバー航空が日本での知名度を上げるのがもう少し遅れていた。
- ハローキティとコラボした機体を出すこともなかったかも。
- 空港への情報カメラ設置は史実より遅れていた。
- 手動操作で解除不可というA300の自動操縦装置の問題点ももうしばらく判明しなかった。
- 他の場所で史実の本件と似た事故が起きていた恐れもある。
- 現実でも本当にあった。
- 他の場所で史実の本件と似た事故が起きていた恐れもある。
- 住宅地に墜落していたら
- もちろん犠牲者はさらに増えていた。
- 住民が巻き込まれただけでなく救助の遅れや火災の激化により搭乗者も誰一人として助からなかった。
- 下手したら85年の123便事故を上回る航空事故になっていたかも。
- 中京圏では航空事故といえばこの事故を思い浮かべる人が増えていた。
- 下手したら85年の123便事故を上回る航空事故になっていたかも。
- 住民が巻き込まれただけでなく救助の遅れや火災の激化により搭乗者も誰一人として助からなかった。
- 中部空港が海上に作られた理由に「事故時の安全性確保」も挙げられていた。
- 関西空港も。
- 多くの人々にもっと強烈に記憶される事故となっていた。
- テレビなどで燃える市街地の映像がセンセーショナルに取り上げられ世界的な規模で大きな衝撃を与えていた。
- 事故後の訴訟がさらに泥沼化していた。
- 小牧空港は最悪閉鎖された。
- 伊丹空港から関空へのシフトも現実よりも早く進んでいた。
- 伊丹空港は21世紀初頭に廃港になっていたかも。
- 廃港がなかった場合でも、かなり規模は縮小し、現実の県営名古屋空港みたいな感じになっていた。
- その場合、神戸空港も現実よりも早く開港し、規模も大きくなっていた。
- 伊丹空港の機能が神戸に移されていた。
- なにわ筋線も2000年代のうちに開業していた。
- 京阪中之島線は開業当初からなにわ筋線に接続していたので、現実ほどの不振はなかった。
- 伊丹空港は21世紀初頭に廃港になっていたかも。
- 伊丹空港から関空へのシフトも現実よりも早く進んでいた。
- 墜落地点に高速道路や鉄道線路が通っていた場合、これらは長期間に渡って寸断されていた。
- 海上に墜落していたら
- セントレアが5年前に開港していたらありえた。
フィリピン航空434便爆破事件[編集 | ソースを編集]
- 発生していなかったら
- それでもボジンカ計画は実行に移されていた。
- 実行犯のラムジ・ユセフの逮捕が遅れていたかも。
- おそらくアジアの航空会社の別の飛行機が爆破されていた。
- PALの倒産が遅れた。
- 爆破した座席の下にある燃料タンクが空ではなかったら
- 史実では犯人は爆弾を置いた座席の下に燃料タンクがあることを知って爆弾を置きましたが、実際はその座席の下の燃料タンクは空でした。
- 飛行機は空中爆発を起こし、死傷者数がとんでもないことになっていた。
- ボジンカ計画の規模が大規模になっていた。
- その分、アメリカ同時多発テロがなかったとは言えないが、被害は少なくなっていたかも。
全日空857便ハイジャック事件[編集 | ソースを編集]
- 発生していなかったら
- SAP(現在のSAT)の存在が国民に知られることはなかった。
- 犯人が勤めていた東洋信託銀行が謝罪広告を出すことはなかった。
- 東洋信託は住友信託あたりと合併していたかも。
- 本当にオウム真理教関係者による犯行だったら
- 史実では犯人はオウム関係者だと名乗っていましたが、のちにそれは嘘であることが判明しています。
- サリンをまかれた場合、状況によっては地下鉄サリン事件よりも死者数が多くなっていたかも。
- 麻原彰晃をはじめとしたオウム幹部の裁判がさらに泥沼化していた。
- 麻原の逮捕による抗議で行われたとみられていた。
- オウム真理教には今度こそ破防法が適用されていたかも。
- 事件の呼称が「オウム全日空機ハイジャック事件」あたりになっていた。
ガルーダ航空865便離陸失敗事故[編集 | ソースを編集]
- 墜落場所が南にずれていたら
- 佐賀空港に福岡空港の機能が移転し国際空港になっていたかも。
- ガルーダ航空のイメージ低下は日本で史実以上に進んだ。
- 発生しなかったら
- 日本の非航空ファンからは'97年以降もDC-10を安全性の高い機体と思われていた。
日本航空MD11機乱高下事故[編集 | ソースを編集]
- 当時33歳の客室乗務員が負傷しなかった、あるいは負傷しても助かっていたら
- 国際民間航空条約上でも、日本航空123便墜落事故が日本の航空会社が起こした最後の死亡事故となっていた(国際民間航空条約は「事故後30日以内に亡くなった者を死者とカウントする」となっているため、本事故の負傷が原因で1年8か月後に死亡した客室乗務員は国際民間航空条約上では重傷者となっている)。
- 日本航空の名古屋-香港線は現在も運行されている。
全日空61便ハイジャック事件[編集 | ソースを編集]
- 発生しなかったら
- 一部の人間が向精神薬やSSRIをパッシングする傾向がもう少し弱くなっていた。
- 羽田空港をはじめとして日本の空港がセキュリティを強化することはなかった。
- 911の後にはアメリカと同じように強化されていたのでは。
- 羽田空港の欠陥みたいだったので見逃されていた可能性はありえる。
- 911の後にはアメリカと同じように強化されていたのでは。
- 墜落していたら
- 史実通りの位置なら八王子市に墜落していた可能性が高いそうです。
- 死者数は史実よりもかなり多くなっていただろう。
- 犯人が行きたがっていたレインボーブリッジに直撃して墜落した場合、お台場や豊洲あたりは史実ほど人気がなくなっていただろう。
- 踊る大捜査線の映画の人気は少し下がっていたのだろうか?
- というか東京ではパニック映画を撮るのがタブーになっていた可能性がある。(例として「交渉人 真下正義」は地下鉄サリン事件の影響で東京メトロと都営地下鉄がまったく協力しなかった。)
- 「レインボーブリッジを封鎖せよ!」も東京以外の橋が舞台になっていた。
- フジテレビが破壊される展開は偶然にも、前年にはアニメこち亀(「大ハード!両津勘吉は二度死ぬ」)、そして同年にはデジモンアドベンチャーと、それぞれフジテレビ系列のアニメで描写されていたが、それが冗談では済まなくなる。後者のエピソード(ヴァンデモン編)はまだ放送されていなかったため、そのままお蔵入りしていたorそもそも展開が史実と変わっていたかもしれない。
- 「レインボーブリッジを封鎖せよ!」も東京以外の橋が舞台になっていた。
- というか東京ではパニック映画を撮るのがタブーになっていた可能性がある。(例として「交渉人 真下正義」は地下鉄サリン事件の影響で東京メトロと都営地下鉄がまったく協力しなかった。)
- ゆりかもめや自動車の代わりに水上バスがお台場への交通手段として史実よりも人気になっていたかもしれない。
- レインボーブリッジの復旧完了までは、東京港トンネルの渋滞がえげつない事になっていた。
- 若洲~有明にかかる橋が早く完成していたかもしれない。
- レインボーブリッジの復旧完了までは、東京港トンネルの渋滞がえげつない事になっていた。
- フジテレビのお天気カメラが墜落の瞬間を捉えており、報道部も他のキー局に先んじて緊急報道を行っていただろう。
- 踊る大捜査線の映画の人気は少し下がっていたのだろうか?
- 後の911テロと関連付けられて語られていた。
- 1999年発生ということでノストラダムスの予言とこじつける人も出ていた。
- 川村隆が日立製作所の社長にならないので、日立製作所の業績は停滞したままだった。
- 東京電力HDの会長になることもない。
- 日立の経営が2010年代の東芝のようになったかも。
- 「ミス・パイロット」で当該機体が撮影に使われることもなかった。
- ANAは運航停止→そのまま廃業。
- それが通るなら世界の主だった航空会社のほとんどは潰れている気がする。
- 911で複数の機体が使われたユナイテッドとアメリカンは確実。
- 廃業とまではいかずとも大幅な縮小は余儀なくされたと思う。
- ここがJASと合併し「存続会社はANAだが社名はJAS」になっていたかも。
- この場合バリュージェットのようにANAの社歴はなかったとされた。
- それが通るなら世界の主だった航空会社のほとんどは潰れている気がする。
- 飛行する機体がビデオで撮影されそれなりに衝撃を与えていた。
- 機長が殺害されなかったら
- おそらく横田基地に緊急着陸していた。
- 史実通り犯人に刺された状態で生還した場合、のちのテレビ番組でそのことを語る機会があったかも。
日本航空駿河湾上空ニアミス事故[編集 | ソースを編集]
- 発生していなかったら
- 航空管制官に対して裁判が行われないので、「判決が厳しすぎる」といった批判はなかったかも。
- 衝突していたら
- 確実に死者数がテネリフェ空港ジャンボ機衝突事故や123便墜落事故を超えていた。
- 123便の教訓が生かされていないと非難されていた。
- 名実ともに世界最悪の死者数の航空事故になっている。
- 123便の影が薄くなっていた。
- 日本航空はこの段階で経営破綻していた。
- 日本エアシステム統合時にバリュージェット航空のように「存続会社は日本航空だが社名は日本エアシステム」になっている。
- 経営破綻する前に運行停止→そのまま法人ごと解散してそう。
- ユーバーリンゲン空中衝突事故は起こっていなかったかも。
- ユーバーリンゲンのようにもしかしたら事故時の管制官を殺そうとする人が出ていた。
- 日本人の国民性からして想像しにくい。
- 123便の事故や尼崎の脱線事故などでも事故を起こした会社の従業員が殺されたという話は聞いたことがない。
- 少なくとも当事者やその親族らに対する嫌がらせや脅迫等を行う者は出てきていた。
- 時期が短くて防げなかったのでは。
- ユーバーリンゲンのようにもしかしたら事故時の管制官を殺そうとする人が出ていた。
- 123便の影が薄くなっていた。
- 日本の航空事故の代名詞が「御巣鷹山」から「駿河湾」に変わっていた。
- 上記の雫石事故が起きてなかったら衝突してた可能性は高まっていた。
- 2019年現在、当事故の当該便である日本航空907便および同社958便は欠番になっている。
- 駿河湾は意外と深いので機体を引き上げることは出来なかった。
- それでも陸地が近いため水に浮く残骸がかなり岸に漂着していた。
- 現在では「平成の日本で唯一の大規模な航空事故」という不正確な表現をされることもある。
- 事故の起こった2001年は附属池田小事件やアメリカ同時多発テロ事件・明石市の花火大会事故もあったので、21世紀初年は波乱のスタートとなっていた。
- 確実に日本の航空産業は斜陽化していた。
- 整備新幹線の開通のペースが早くなり、九州・北陸・北海道新幹線は平成のうちに全通していた。
- 東海道新幹線のパンクが懸念されるので、リニア中央新幹線開通も早まっていた。
- 夜行列車の衰退も現実ほどではなかった。
- 「日本海」にサンライズエクスプレスの交直流版が入っていた。
- 整備新幹線の開通のペースが早くなり、九州・北陸・北海道新幹線は平成のうちに全通していた。
チャイナエアライン120便炎上事故[編集 | ソースを編集]
- 発生していなかったら
- それでもボルトの脱落が原因なので別の737NGが炎上するのは十分にありえる。
- このため、ボーイングとFAAは史実通りの対応になる。
- 死者が出ていたら
- 日本のマスコミに更に叩かれていた。
- 120便は欠番となり、別の便名が割り当てられる可能性がある。
フェデックス80便着陸失敗事故[編集 | ソースを編集]
- 事故機が旅客便だったら
- この時点で、運行会社はフェデックスではない。
- それでも生存者はほぼ0だったと思われる。
- 羽田と違って、大量輸送するような路線はあまりないため、犠牲者が123便を超えることはないと思われるが、華航140便レベルの犠牲者が出ていた危険性はある。
- 平成最悪の航空機事故と呼ばれていた。
- 航空事情に疎い人を中心に、成田空港の機能の羽田移転に対する機運が高まった。
羽田空港地上衝突事故[編集 | ソースを編集]
- 東京都大田区の東京国際空港(羽田空港)で着陸した日本航空516便が海上保安庁のみずなぎ1号と滑走路上で衝突し、両機が炎上した。
- 原因が未だ特定されていない事故のため、報告が上がるまで、事故の原因に触れないよう願います。
- 発生していなかったら
- 前日の能登半島地震がなければあり得た。
- 前日の地震による首都圏対北陸の交通混乱は、早く解消していた。
- 日本の航空会社の全損事故ゼロの記録が、123便以降途絶えていない。
- 厳密には史実で1993年にもエアシステム451便全損事故が起きてているので、1993年のエアシステム451便事故以降、日本の航空会社の全損事故ゼロの記録が途絶えていない。
- 日本の航空会社の全損死亡事故ゼロの記録が123便を最後に現在も続いている。
- エアバスA350の全損事故ゼロの記録も続いていた。
- JA722Aは、仙台空港で東日本大震災の津波を耐え抜いた唯一の飛行機として、いつまでも神格化されていた。
- 退役後、日本のどこかで保存されていた。
- 「阪神が日本シリーズで日本一になると日航機全損事故が起こる」というジンクスの定着は避けられた。
- これで前日の能登半島地震もなければ2024年の正月が大混乱に陥ることはなく、いつも通りの平穏な正月を迎えていた。
- 2024年の正月特番が突如休止されることもなく、予定通り普通に放送されていた。
- 日航機側で死者が出ていたら
- 現実では乗員乗客全員が無事脱出できました。
- 恐らく避難誘導が遅れたか、火の回りが早かったかのどちらかだった。
- 乗客が誰一人乗務員の言うことを聞かず、手荷物や貨物室の荷物を持ち出そうとしたり、我先に逃げ出そうとしていたらほぼ確実にこうなっていた。
- それか、当該機のドアが衝突で全部、もしくは大半が故障していたらこうなっていた。
- 最悪300人以上の犠牲者が出るという、日本の航空史上に残る大惨事となっていた。
- 2024年1月2日のテレビ番組は夕方以降は報道特番に切り替わり、正月番組が全て飛んでいた。
- 場合によっては翌日も報道特番一色となっていた。その場合正月の特番は後日日を改めて放送されていた。
- 1982年の時みたいな報道体制になっていた(この年の2月8日にホテルニュージャパンで火災が発生し、その翌日には日本航空350便墜落事故が発生した)。
- もしかしたら、この事故の死者数が地震の死者数を上回っていた。
- 場合によっては翌日も報道特番一色となっていた。その場合正月の特番は後日日を改めて放送されていた。
- 1985年の日航機123便事故と比較されていた(こちらもお盆の繁忙期に発生した)。
- その場合、「令和の日本航空123便墜落事故」とも呼ばれていた。
- 「令和のテネリフェ空港ジャンボ機衝突事故」
- 2024年1月2日のテレビ番組は夕方以降は報道特番に切り替わり、正月番組が全て飛んでいた。
- 前日の能登半島地震のニュースの影が薄くなっていた。
- むしろもっと引き合いに出され、2024年1月は日本史上最悪の正月と呼ばれる。
- 新年のイベントも現実以上に自粛され、正月気分も吹っ飛んでいた。
- むしろもっと引き合いに出され、2024年1月は日本史上最悪の正月と呼ばれる。
- 羽田空港は翌日以降も閉鎖されていた。
- Uターンラッシュに甚大な影響を与えていた。
- 東海道新幹線は極限まで増発が行われていた。増発分の列車は全席自由席とされていた。
- 羽田-新千歳線だった事もあり、北海道新幹線の札幌早期延伸を求める声が高まっていた。
- 史実以上に一部の人たちが必死で海保を擁護していた。
- 海保は地震の起こった能登半島に救援物資を送る途中だったため。
- 年始の時点で年末に発表される「今年の漢字」が「災」になると予想する声が多数出ていた。
- 当該の機材が737やE190だったら、ほぼ確実にこうなっていた。
- ペットの客室内持ち込みについては議論すらされなかった。
- 生存者がゼロだった場合、その後の大型連休の観光需要に影響が出ていた可能性もある。
- 間違いなく自粛ムードが起きていた。
- 自粛なんてレベルじゃない。下手したら、個人的にお正月を祝うのでさえ、不謹慎厨に叩かれるという異様な状況になっていた。
- A350-1000のデビューはお通夜状態だった。就航延期や中止もありえた。
海外[編集 | ソースを編集]
ヒンデンブルク号爆発事故[編集 | ソースを編集]
- 発生していなかったら
- 「=ヘリウムを使えていた場合」と捉えるのが自然か。
- 近年では事故原因として静電気で外皮が発火・炎上したためで水素ガスは関係ないというのが有力。
- 後継船のLZ130も旅客輸送に投入されていた。
- ヒンデンブルク号は少なくとも第2次大戦開始までは生き残っていた。
- しかし結局史実の僚機同様に金属供出のため解体されてしまう。
- 発生場所が違っていたら
- ドイツ
- 史実と同じような事故ならフランクフルト到着時の発生になっていた。
- ドイツ国家の威信にかけた大規模な調査が行われていた。
- ただし結果の一部は機密にされていた可能性あり。
- ツェッペリン社の元マネージャーで反ナチ思想の持主だったフーゴー・エッケナーはこの事故を口実に粛清されていた。
- 大西洋上
- 生存者どころか残骸の一片さえも回収できなかった恐れあり。
- 事故原因は今でも完全な闇の中。
- 発生地点がバミューダ近辺の場合は破壊工作どころか超常現象さえ噂されていた。
- 事故原因は今でも完全な闇の中。
- 一般的には「ヒンデンブルク号失踪事件」と呼ばれている。
- 2014年のマレーシア航空370便墜落事故と比較されていた。
BOAC781便墜落事故[編集 | ソースを編集]
- 残骸を回収できていなかったら
- 本事故を含むコメット連続墜落事故の調査は間違いなく史実より遅れている。
- 下手をすると西側でのジェット旅客機開発が完全に止まっていた恐れさえある。
- ツポレフTu-104などのソ連製ジェット旅客機が第三世界のさらに多くの国で使われていた。
- フィンランドなど一部の西側国家でも使われていたかもしれない。
- 下手をすると西側でのジェット旅客機開発が完全に止まっていた恐れさえある。
- ボーイング707やダグラスDC-8といった後継機も与圧が原因の事故を起こしていたかもしれない。
- あのおむすび形の窓を採用できていなかったらシュド・カラベルも危ない。
パンナム845便離陸衝突事故[編集 | ソースを編集]
- 墜落していたら
- =油圧系統が全滅していた場合。
- 東京行きとしての離陸直後で機体が重かったためほとんどなすすべなく海面もしくは地面に突っ込んでいた。
- 事故直後の客室で何が起きたかは永遠の謎に。
- 747就航から1年半での惨事となったため売れ行きにかなりの悪影響が及んでいた。
- 何社かはキャンセルしていた。
- 当該機のN747PAが初の商業飛行を担当した機体ということもあり機種のイメージが急激に悪化していた。
- 現在ではパンナム没落の始まりとして語られることもある。
- 全日空雫石衝突事故と同じ日ということで7月30日は血塗られた日として航空ファンの間で語り継がれる。
日本航空ニューデリー墜落事故[編集 | ソースを編集]
- 発生していなかったら
- 宮崎松記はもちろん健在。
- 日本とニューデリーとの交流により力を入れていた。
- どこかで菊池恵楓園を退官した経緯を語っていた。
- 場合によっては圧力をかけた人物を告発していた。
- 当時富士ゼロックスにいた鈴木松美が音声解析で注目されることはなかった。
- 2019年現在、日本航空471便(当事故の当該便)は羽田発高松行きの初便(史実の475便)で使用されている。
- ニューデリー・パーラム空港への進入時に使う誘導電波の異常はもっと後まで明るみに出なかった。
トルコ航空DC-10パリ墜落事故[編集 | ソースを編集]
- 着陸に成功していたら
- それでも床が陥没した部分の直上に座っていたとみられる乗客は助からなかった。
- 機体の形が残っているため事故原因となった貨物室ドアの不具合が一目瞭然となり調査はもっと進んでいた。
- この場合でもDC-10のリコールは史実通り行われていた。
- これ以前にアメリカン航空でも同様の事故があったため「次こそは墜落する」と誰もが認識したはず。
- この事故の経験が参考とされ日航123便事故の展開もいい方向に変わっていたと信じたい。
- 事故機がパリ市街地に墜落していたら
- もっと東の風が強かったら本当にこうなっていた恐れもある。
- 当然ながら犠牲者はさらに増えていた。
- 多くの人命や文化遺産などが奪われたためフランス国内での反米・反トルコ・反ダグラス感情が一気に高まっていた。
- フランスの政治史にも確実に大きな爪痕を残していた。
- エールフランスやフランス空軍などはその後二度とダグラス→マグドネル・ダグラスの機体を採用することはなかった。
- 場合によってはエールフランスは事故発生以降、マクドネル・ダグラス吸収後のボーイングの機体を導入しなくなり、2004年には史実のB777-300ERの代わりとして、A340-600を導入していた。
- 最悪の場合、フランスは東側諸国に寝返っていた。
- 墜落直前の事故機や炎上する建物・残骸が多くの写真に写され全世界に衝撃を与えていた。
テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故[編集 | ソースを編集]
- 発生していなかったら
- JAL123便の事故が名実ともに「犠牲者数世界最悪の航空事故」となっていた。
- 管制用語の明確化やCRM導入は1980年代にはずれ込んでいた。
- 管制絡みで史実では起きなかった別の事故が起きていた恐れも。
- KLMはジェット機で一度も死亡事故を起こしていない安全に特に定評のある会社になれていた。
- 大韓航空やアエロフロートなど安全性が低かった会社を避ける利用者がもっと多かったかも。
- パンナムは1980年代半ばに大西洋・中南米路線を他社に譲渡していたかも。
- 加えて日本を含むアジア諸国の以遠権をノースウエスト辺りに譲渡している。
- ナショナル航空とは合併せず、国際線中心の経営を変えなかった。
- 「ロッカビー事件」は他社の便で起きたか事件そのものがなかった。
- あるいは似た事件が太平洋路線で起こった。
- 日本路線で起きた場合そのシェアがNWなどに奪われた。
- あるいは似た事件が太平洋路線で起こった。
- 初期導入747の置き換えと他社への対抗の為747-300を導入した可能性も。
- 日本にも飛来したかも。
- その場合米空軍VC-25は-300ベースだった。
- 加えて日本を含むアジア諸国の以遠権をノースウエスト辺りに譲渡している。
遠東航空機墜落事故[編集 | ソースを編集]
- 向田邦子が亡くなったことで有名な事故です。
- 発生しなかったら
- 当然のことながらこうなっていた。
- 本人は飛行機が苦手だったらしいので、帰国後に「やっぱり飛行機は苦手だ。」というような形でエッセイを書いていたかも。
- 同行していた志和池昭一郎が亡くなることもなかったので、日本人のシルクロードブームが続いていたかも。
- それでも天安門事件が発生したらさすがに終わっていた。
- アロハ航空の事故があった時にこの事故に例えられることはなかった。
大韓航空007便撃墜事件[編集 | ソースを編集]
- ソ連領空を無事通過していたら
- 予定のコースから大幅にそれていることに初めて気づいたのは東京ACCの管制官。
- 知らされた機長などの驚きは想像に余りある。
- ソウル到着後に操縦クルーは全員会社による調査対象となった。
- 少なくとも定年まで地上勤務に回されていた。
- 万一なおも予定通りのコース上を飛んでいると錯覚していたら北朝鮮領空に侵入していた恐れもある。
- そちらで撃墜されていたらもっととんでもない事態が発生していた。
- ロシア系ハーフの川村カオリがいじめられることはなかった。
- 現在では「大韓航空機ソ連領空侵犯事件」として外交や安全保障の専門家の間だけで知られる事件だった。
- 「撃墜されていたら第3次世界大戦のきっかけになっていた可能性が高い」とされていた。
- ソ連当局が調査にもっと協力的だったら
- 墜落直後に回収された機体の破片や遺体、遺留品などはきちんと韓国などの当局に渡されていた。
- 撃墜の指令を出した防空軍のお偉いさんは間違いなく処刑された。
- 韓国国民の対ソ感情は史実ほど悪化しなかった。
- スパイ飛行説などほとんど誰も見向きもしなかった。
- ペレストロイカがもっと早く始まっていたら・・・。
- ソ連と韓国の国交樹立くらいのタイミングでゴルバチョフがこの事件について謝罪していた。
大韓航空858便爆破事件[編集 | ソースを編集]
- 爆破に失敗していたら
- 問題のラジオと酒瓶は858便のソウル到着後にようやく回収された。
- ラジオや酒瓶の中身がおかしいことにその後誰も気づかなければ西側で爆破計画が知られることはなかった。
- 金賢姫と金勝一はそのまま西側のどこかで亡命していた。
- 北に戻ったら強制収容所送りか処刑が待っていたはず。
- 東側諸国のソウル五輪参加表明はもっとギリギリになっていた。
- 犯人が北朝鮮に戻れていたら
- 実行犯の金賢姫と金勝一は英雄として秘密裏に称賛されていた。
- 病気にかかっていた金勝一は帰国後、このミッションをもって工作員を引退、数年後他界していた。
- 残骸の回収が進まず韓国などの当局による捜査は難航していた。
- 事故機にインシデント歴があることもあり完全な事故という見方もかなり有力視されていた。
- 日本の赤軍派や極右、ヒズボラなどの関与も疑われていた。
- 現在も北の工作員には韓国の実態はそう細かく教えられていない。
- 韓国当局による自作自演説がもっと真実味を持って語られていた。
- 日本のリベラルの一部には今も信じている人もいた。
- どちらにしても主目的だったソウル五輪の妨害はうまくいかず。
- 西側・非同盟諸国は少なくとも参加していた。
アロハ航空243便天井脱落事故[編集 | ソースを編集]
- 乗客が犠牲になっていたら
- 「犠牲者なし」などと誤記する出版物はなかった。
- 犠牲者が日本人だった可能性も小さくない。
- この場合日本ではよりセンセーショナルに報道された。
- この時点でアロハ航空がハワイアン航空に吸収合併されていてもおかしくなかった。
- 墜落していたら
- 機体の破損範囲がもっと大きければ確実にこうなっていた。
- 史実での経緯を考慮すると墜落前に機首が脱落していた。
- 現場が海上のため調査は困難を極めていた。
- 残骸があまり見つからなかった場合はテロやパイロットのミスという説も出ていた。
- こちらの場合でもアロハ航空は事故後に消滅している。
イラン航空655便撃墜事件[編集 | ソースを編集]
- 着陸できていたら
- イラン当局が発行したこの事件を題材にした切手の図柄は着陸直後の傷ついた事故機になっていた。
- 機長は反米プロパガンダのためあちこちに引っ張り出された。
- 同様に外国人乗客の証言も集められこちらもアメリカ叩きの材料にされた。
- 犠牲者が出ていない場合はアメリカはイランに対しビタ一文たりとも補償していない。
- 当該機のEP-IBUは引退後もアメリカの蛮行の象徴としてテヘランかどこかで保存されている。
- 一部でこの事件をイラン側による自作自演ではないかとする説も出る。
パンナム103便爆破事件[編集 | ソースを編集]
- 発生していなかったら
- それでもカダフィは何らかの形でアメリカへの報復を実行に移していた。
- そのためリビアへの経済制裁は史実通り。
- パンナムのさらなる経営悪化はしばらく避けられていた。
- ホノルル発での日本便の復活も実現していた。
- だが高コスト体質を変えられなかったと思われるため最終的には同時多発テロ後辺りに吸収合併か倒産に追い込まれていた。
- 大西洋上で爆発していたら
- 事故機が予定通りのスケジュールで飛行していたらこうなっていた。
- もちろんロッカビーの人々は巻き込まれなくて済んでいた。
- 残骸のほとんどが大西洋に沈み調査に相当な悪影響が出ていた。
- 未だにパレスチナ系のテロリストが犯人ではないかと疑われている。
- カダフィは最後まで関与を否定していた。
- 事故機は18年使われていた機体のため老朽化による空中分解も疑われていた。
ユナイテッド航空232便不時着事故[編集 | ソースを編集]
- 空港にたどり着けなかったら
- おそらくトウモロコシ畑の中に高速で突っ込んでいた。
- 生存者無しの大惨事になっていた公算が大きい。
- 第2エンジンの爆発時に第1or第3エンジンも止まっていたら確実にこうなっていた。
- コックピットに非番のパイロットがいたことが判明するのは遅れていた。
- 今もなお「油圧全滅=絶望」という悪夢の方程式が成り立っていた。
- 03年にバグダッドでミサイルを撃ち込まれたDHL機も墜落していた可能性大。
- 着陸に成功していたら
- それでも着地速度からして若干のオーバーランは避けられなかった。
- ここで火が出なければ全員生還も十分考えられた。
- パイロットのヘインズ、フィッチ両氏は連邦政府から勲章を贈られていた。
- テレビドラマのみならず劇場映画の題材にもされていた。
- 事故機のN1819Uは老朽機のためそのまま登録抹消された。
- 事故原因となった第2エンジン周辺だけは資料として保存されている。
ガボン航空惨事[編集 | ソースを編集]
- 起きていなかったら
- サッカーザンビア代表は無事最終予選を突破し、アメリカW杯に出場できていた。
- それでも本選で優秀な成績を残せていたかは微妙。
- しかしその後もアフリカ勢を代表する強豪国であり続けていた。2018年のロシア大会までに少なくとも一回はベスト8以上に進出していたかも。
- 事故後にザンビア代表のキャプテンを務めたブワルヤは史実ほど有名にならなかった。
- 今でもザンビアを代表するサッカー選手といえばムワンザ選手。
- ザンビアとガボンの関係が悪化することはなかった。
アエロフロート593便墜落事故[編集 | ソースを編集]
- 発生していなかったら
- 「児童操縦」と揶揄されることはなかった。
- 東武鉄道で運転席に子供を入れた運転士の処分は史実より甘かった。
- 中華航空140便の墜落事故も起こっていない場合はエアバスの業績が一時低迷することはなかった。
- コンコルド墜落前にそれに変わるSSTの開発構想が出たかも。
- 回復体勢を取るようにする訓練は行われなかったかも。
エールフランス8969便ハイジャック事件[編集 | ソースを編集]
- パリ市街地が攻撃されていたら
1994年12月24日午前、アルジェリアのウアリ・ブーメディアン空港からフランスのシャルル・ド・ゴール国際空港へ向かうエールフランス8969便は4人組のテロリストに乗っ取られるも3日後の27日にフランスの特殊部隊によって全員射殺されました。その後の調査で4人のテロリストは当機のジェット燃料を火薬代わりにしてパリ市街地を攻撃する計画を立ててました。もし、この計画が実際に実行されていたら?
- 事件後に空港警備が厳重になった為、実史の2001年「9・11 アメリカ同時多発テロ」は起きなかった。
- よって、これが現実化していた。
- 「9・11」後にアメリカのブッシュ大統領は「テロ掃討作戦」と称して戦争を起こし、この時フランスはが慎重姿勢を見せたが、パリが攻撃されていたら、フランス政府と大統領は、アメリカとの同調姿勢を採った。
- 事件発生がクリスマスだった為、毎年の事件発生日には世界中のキリスト教会で追悼ミサが行われている。
- 長崎では8月9日みたいになっていた。
- 日本国内ではテレビ放送において年末の特別編成に入っていたが、それが吹っ飛んだか…。
- 又、正月休みが間近だった為、ヨーロッパ方面への旅行のキャンセルが続出。
- 開港直後の関西国際空港に打撃を与えていた。
- 2012年夏季五輪の会場は追悼の意味をこめてパリになっていた。
- 時間が経ちすぎている(開催地決定は2005年)のでそれはない。
- 実際、2012年の五輪開催候補地には同時多発テロで攻撃されたニューヨークもあったが落選している。
- あるいは2004年大会(実史ではアテネで開催)あたりに立候補し当選していたかもしれない。
- アフリカ諸国からの移民に対する感情が史実よりはるかに悪化していた。
- 突っ込んだ場所によってはパリのランドマークの内どれかが破壊されていたかもしれない。
- なお史実ではエッフェル塔に突入する予定だったらしい。
バリュージェット航空592便火災事故[編集 | ソースを編集]
- 着陸に成功していたら
- 事故機の自動操縦装置や機内インターホンが壊れていなければ可能性は0ではなかったと思う。
- 73年のヴァリグ・ブラジル航空の火災事故(パリ)のような状況になっていた。
- 乗客の多くは着陸前に火災のため死亡していた。
- ナショナルジオグラフィック「メーデー!:航空機事故の真実と真相」での本件の回の原題が「遅すぎた奇跡」といった感じになっていた。
- どちらにしてもバリュージェットのずさんな安全管理は史実同様に問題視されていた。
トランスワールド航空800便墜落事故[編集 | ソースを編集]
- 航空テロだったら
- 事故当初はテロ説が有力視されていました。
- トランスワールド航空は史実より早くアメリカン航空に吸収されていた。
- パンナム103便の時と同様、反米の国家がいくつも疑われていた。
- 事故機はフランスを経由してイタリアへ向かう予定だったため、フランスやイタリアと仲が悪い国も同様に疑われていた。
- アトランタオリンピック期間中、警備規模は史実の数倍にも及んでいた。
- 史実でもアトランタオリンピックに対する嫌がらせ目的が強く疑われていたため、テロだと判明した場合史実の数倍は警備に神経質になっていた。
- 空港などのセキュリティも強化され5年後の同時多発テロは防げていたかもしれない。
- 犯人が逮捕され、且つ犯人がアメリカ国籍を持たない場合、犯人の在住国の政府は自国民が230人を殺害した責任を取り、巨額の賠償金(おそらく1人当たりの金額がパンナム103便を上回るぐらい)を支払っていた。
- 該当国がイランやリビアあたりなら徹底的に関与を否定し支払いも拒否していたのでは。
- その場合、アフガニスタン紛争やイラク戦争みたいに報復してた可能性がある。
- 該当国がイランやリビアあたりなら徹底的に関与を否定し支払いも拒否していたのでは。
スイス航空111便墜落事故[編集 | ソースを編集]
- 発生していなかったら
- それでもスイス航空が経営破綻しなかったか微妙。
- ただ、仮に経営破綻しても日本航空みたいに元の会社名を名乗り続けていたかも。
- 継承会社はルフトハンザの子会社にならなかった。
- 経営危機から立ち直れていた場合、日本航空が経営立て直しの参考にしていた。
- 子会社の売却は避けられなかったと思われる。
- 「ポリエチレンテレフタラートは燃えない」ということが信じ続けられてきた。
- 航空テロだったら
- パンナム103便の事件と比較された。
コンコルド墜落事故[編集 | ソースを編集]
- 発生していなかったら
- コンコルドが史実通りあまり普及していなくても、超音速旅客機の研究や作製が停滞することはなかった。
- SSTの研究が進まない理由は燃費の悪さや環境問題なので史実とあまり変わらないと思う。
- エアバスがコンコルド改良型のA1300(仮、A330・A340の技術をフィードバック)を開発する噂が出たかも。
- エアバスA380の大きさは史実ほどではなかったかも。
- 事故以前の94年時点で計画がかなり固まっていたのでそこは無関係。
- 場合によってはコンコルドそのものが21世紀になってから見直されていたかもしれない。
- 同時多発テロ後の航空不況の中であの空飛ぶ金食い虫同然の代物を商業ベースに乗せるなど想像すらできない。
- その後も事故が発生しなければコンコルドは「歴史上最も安全な旅客機」の称号を手にして引退できていた。
- 史実で事故原因となったコンチネンタルのDC-10の整備不良はしばらく発覚しなかった。
- 最悪の場合そちらが事故を起こしていた危険すらある。
シンガポール航空006便離陸失敗事故[編集 | ソースを編集]
- 事故原因が○○だったら
- 過労
- 44年前の松山沖全日空機事故と関連づけられた。
大韓航空85便ハイジャック誤報事件[編集 | ソースを編集]
- 本当にハイジャックされていたら
- アメリカ同時多発テロと同一犯の場合
- 本機の経緯を考えれば韓国国内に共犯がいた事になる。
- 捜査初期の頃は北朝鮮の関与も疑われていた。
- 不幸にも犠牲者が出てしまった場合、アフガニスタン紛争やイラク戦争に韓国軍が参加していた可能性大。
- アメリカ同時多発テロと同一犯でない場合
- 犯人が誰であろうと、アルカイダと何等かの関与を疑われるのは確実。
- そもそもこの場合、アメリカ同時多発テロが発生する前にハイジャックを行っていたかもしれない。
- ユナイテッド航空93便はすんでのところで運航を取りやめ助かっていたと見られる。
アメリカン航空587便墜落事故[編集 | ソースを編集]
- 発生していなかったら
- 後方乱気流に対する過剰な対策が続いていた。
- ノースウェスト航空85便はもしかすると助からなかったかも。
- 事故原因が〇〇だったら
- 航空テロ
事故当初は同時多発テロから2か月しかたっていないこともあり、これが疑われていました。
- ブッシュ大統領はイラクに対してもっと強硬的になっていた。
- イラク戦争の規模も史実より大きくなっていた。
- ヨーロッパなどでは「事故を戦争拡大のダシに使い犠牲者を冒涜した」とブッシュの評判がさらに悪化していた。
- 事故機の行き先(ドミニカ共和国)からしてひょっとするとキューバの関与が疑われていたかもしれない。
チャイナエアライン611便空中分解事故[編集 | ソースを編集]
- 発生しなかったら
- 当該機は予定通りオリエントタイに売却。
- 事故原因が○○だったら
- 航空テロ
- 現実より利用者が長栄航空などに流れていた。
ユーバーリンゲン空中衝突事故[編集 | ソースを編集]
- 発生していなかったら
- 事故時の管制官は殺害されずに済んでいた。
- 「アフターマス」もなかった。
- 犯人がロシアで英雄扱いされることも、北オセチア共和国の建設副大臣になることもなかった。
- 別の惨事が起きない限りTCASと管制官の指示のどちらを優先するかの国際基準はできないまま。
- それでも「駿河湾を知らないのか」と批判された。
- それでもバシキール航空は史実通り倒産していたと思われる。
- 犠牲者の子供たちは様々な分野で優秀な子供たちだったみたいだから今頃その世界では有名になっていたかもしれない。
ノースウェスト航空85便緊急着陸事故[編集 | ソースを編集]
- 墜落していたら
- 「CRMの成功例」と言われることはなかった。
- 当初の目的地である成田空港で墜落していた場合、羽田空港の国際線ターミナルの必要性がさらに叫ばれていた。
- そうなっていた場合、史実以上に羽田空港国際線ターミナル建設後の成田空港の存在感が少なくなっていた。
- デトロイトのその後の衰退もあり、どこかでデトロイト-成田線を廃止していたかも。
- そうなれば、デルタ航空エアバスA350が、275・276便以外の他の日本発着路線で運用されていた。
- あの機体(デルタ航空N661US)は、747-400生産初号機という歴史的価値のある機材。よってデルタ航空博物館で展示されるデルタ航空の747-400は、別の機材になっていたか、747-400自体、デルタ航空博物館での展示対象から外された。
ヘリオス航空522便減圧事故[編集 | ソースを編集]
- 客室乗務員が機体のコントロールに成功していたら
- 機内の状況が通信を介してもう少しはっきり地上に伝わっていた。
- 操縦室に入れるタイミングがもっと早ければ生還さえ考えられた。
- それでも当人の技術からして安全に着陸できた可能性は低いと思われる。
- たとえアテネに着陸出来ていても何人かは減圧の影響で命を落としていた。
- アテネ市街地に墜落していたら
- もう少し飛び続けていたらこうなる危険性も実際にあったという。
- 地上では火災や破片の直撃だけでなくパニックなどによる犠牲者も出ていた。
- 墜落位置によっては古代遺跡や遺物にも被害が出ていた。
- 撃墜が原因でこうなっていたら時のカラマンリス政権に対する支持は一気に消滅していた。
- 場合によっては政権交代を誘発しその後の経済危機にも影響があったかもしれない。
USエアウェイズ1549便不時着事故[編集 | ソースを編集]
- 起きていなかったら
- 「ハドソン川」という川が世界中に知られることはなかった。
- アメリカニューヨークやニュージャージー周辺の人にしか知られてない。
- 日本人の多くが隅田川を知っているようにアメリカ人なら大抵知っていると思う。
- アメリカニューヨークやニュージャージー周辺の人にしか知られてない。
- 「ハドソン川の奇跡」というテレビ番組や映画が製作されることももちろんなかった。
- 「バードストライク」が知られる事もなかったかもしれない。
- 「日本航空123便は海に着水させるべきだった」という意見が少なくなっていた。
- 死者が出ていたら
- 乗員だけが死亡
- 命がけで乗客全員の命を守ったとして、機長のチェズレイ・サレンバーガーはヒーローとして称賛されていた。
- 1桁台
- それでも乗客の9割以上の命を守ったとして、機長のチェズレイ・サレンバーガーは称賛されていた。
- だが「1人でも死なせてはいけなかった」などと謝罪会見をしていたかもしれない。
- アメリカでそのような会見が行われたというニュースは寡聞にして聞いたことがないのでそれはなさそう。
- だが「1人でも死なせてはいけなかった」などと謝罪会見をしていたかもしれない。
- 乗員乗客の3分の1以下
- それでもユナイテッド航空232便の事故のように過去の教訓を生かして乗客の3分の2は助かったとして、機長や副操縦士は称賛されていた。
- だが危険な判断だったと批判もあっただろう。
- 乗員乗客の半分以上
- 川への着水は危険な判断だったとして、機長は批判された。
- だが一部の専門家は「全員死亡という最悪の事態は防げた」と弁解していた。
- 全員死亡
- 機長は世界中で批判され、機長の遺族への風当たりも日本航空123便墜落事故以上のものになっていた。
- 引越しなどを余儀なくされたかもしれない。
- USエアウェイズも世界的に批判された。
- 航空機を水面に着水させるのは禁止になっていた。
- 「日本航空123便は海に着水させるべきだった」という意見はもちろんなくなる。
- パンナム006便事故などの成功例もあるのでそこまで極端な対応はできないはず。
- そもそもそうなると洋上の事故での生還の手段が消滅してしまう。
- ETOPSが再び厳しくなる。
- ボーイング747-8が商業的に大成功を収める一方で、787やA350は史実ほど売れない上に、長距離線で使用できなくなる。
- 事故原因が○○だったら
- 圧力隔壁の破損
参考:もし日本航空123便墜落事故が○○だったら#事故原因が○○だったら
- ユナイテッド航空232便と同様、日本航空123便墜落事故の教訓を生かして乗員乗客の半数以上は助かるが、さすがに死者ゼロにするのは無理だっただろう。
- 乗客の半数以上が助かれば機長は称賛されていただろうが、批判もあった。
- 操縦困難になった機体がニューヨークの市街地に突っ込むという最悪の結末も考えられた。
エールフランス447便墜落事故[編集 | ソースを編集]
- 発生していなかったら
- メーデー民で無能の象徴としてこの事故の副操縦士の名前があげられることはなかった。
- 「建物がしょぼいBEA」という言葉もなかったかも。
- MCASシステムが搭載されていたら
- MCASシステム:機首を上げすぎた際、自動で機首を下げて失速を回避するもの。
- 初めのうちはボナン副操縦士が機首を上げていたため、有効に作動し失速を回避できた。
- とはいえ、史実の737MAXのように誤検知による墜落が代わりに起きていたかもしれない。
- 操縦桿が連動していたら
- 当便の機材は操縦桿が連動しないため、乗務員2名が逆の操作をした結果打ち消され何もできなかった。
- 連動しているため、お互いが真逆の操作をしていることに早く気付く。
- どちらが間違っているか判断できるかはまた別の話だが。
カンタス航空32便エンジン爆発事故[編集 | ソースを編集]
- 墜落していたら
- 原因は爆発したエンジンの破片貫通による翼の炎上か油圧の喪失。
- エアバスA380初にしてカンタスのジェット機初の死亡事故にもなってしまった。
- 特にオーストラリア国内では「ダーウィン空襲を上回る建国以来最大の惨劇」として想像を絶する衝撃を与えていた。
- 下手をするとA380の製造が2010年代前半のうちに中止されていた恐れもある。
- オーストラリア観光への大打撃も避けられなかった。
- 爆発が起きた現場直下のバタム島の住民に破片直撃などによる犠牲者が出ていた危険もある。
大韓航空ナッツリターン[編集 | ソースを編集]
厳密に言えば航空事故ではないのですが便宜上ここで考えます。
- 引き返しを命じた時に既に離陸していたら
- おそらく飛行機が引き返すことはなく、そのまま航行を続けていた。
- この場合チーフパーサーは到着先の仁川で降ろされ叱責を受けていた。
- 逆に飛行機が離陸後に再着陸を強行するように副社長が命じていたら、JFK空港は大パニックになっていた。
- これが原因で大韓航空機のJFK発着が一時的に禁止されていたかもしれない。
- 管制官の命令を無視して強硬着陸した場合、場合によってはテネリフェの事故を超える犠牲者が出る可能性もありえる。
- 発生していなかったら
- チョ・ヒョナはナッツ姫と呼ばれる事は無かった。
- チョ・ヒョナの妹で水かけ姫ことヒョンミンが有名になることはなかったかなってもあまり注目されなかった