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==23区==
==北海道==
*[[東京/江東区|江東区]]東雲(こうとうくしののめ)
===江差~奥尻===
**広島の某所と似ている。
#名称は「奥尻連絡線」
**北海道には同じ字を使って、「とううん」駅があるね。
#江差駅は江差港に作られた。
*[[東京/大田区|大田区]]雑色(ぞうしき)
#奥尻島に国鉄バスが走っていた。
**「ざっしょく?」大田区は意外と多い珍地名。
#遅くとも江差線廃止と共にJRは運営から離れていた。
**雑色は[[東京/中野区|中野区]]にもある(現町名は南台)。
#*実史で江差線「木古内⇔江差」間の廃止で、バス転換を引き継いだ函館バスにより運行かな?その場合、社名は、「HBフェリー」かも。
**雑色・舎人は悠久を感じさせる地名
*大田区等々力(とどろき) 川崎市にもあるけど(元は同じ町)
**前者は世田谷区じゃないか?
***そうです。
**等々力駅のとなり九品仏駅(くほんぶつ)も読めない。
*大田区新宿(しんしゅく)
**葛飾区には同じ地名で「にいじゅく」と読む場所がある。
***埼玉川越には「あらじゅく」があります。
*[[東京/千代田区|千代田区]]神田美土代町(かんだ-みとしろちょう)
**ちなみに、神田を冠する町名のうち「神田司町(かんだ-つかさまち)」「神田小川町(かんだ-おがわまち)」以外はすべて「かんだ○○ちょう」と読む。例…「神田多町(かんだ-たちょう)」
***ちょうは、町人の町で、まちは、武士の町だったそうな。全国的にラシイ??
****それは怪しいな。半蔵門から程近い、千代田区の一番町から六番町(ばんちょう)だが、旗本屋敷があったころから、ばんちょうだよ。江戸時代から町人の町ではなくて武士の町だが。
***上述の「神田司町」と「神田多町」はそれぞれ二丁目はあるが、一丁目が存在しない。
***千代田区内に神田を冠する「神田岩本町」があるが、冠しない「岩本町」も同区内にある。
****「神田岩本町」は住居表示未実施地区。神田川の北・山手線の東側あたりの佐久間町や花岡町なんかもそう。他の地区とは異なる、プラスチック製の住所表示板を使ってます。
*****某「世界一売れている音楽雑誌」の昔からの読者だったら読める。
*[[東京/足立区|足立区]]舎人(とねり)
*前知識無しに日暮里(にっぽり)が読める奴はどこかひねくれてる
**不忍池(しのばずのいけ)も上に同じ。
***センター試験の古文のテストで「不忍」の読みがでると東京人だけ正答率がグンと落ちる。
**[[ニコニコ動画]]の「新日暮里」ネタで知名度上がったかも。
*八丁畷
**川崎市ですが
***自分の無知を晒すなよ。(中央区にある)
***八丁畷(はっちょうなわて)って地名ではないですが、川崎にある京浜急行の駅のことですよね?中央区にも八丁畷ってあるんですか??八丁堀の勘違いではなくて?
****[[南武線]]を忘れていないか(泣)。
***どう考えても八丁堀の間違い。
****'''も・ち・つ・け。'''こういう勘違いもChakuwikiらしくていいではないか(笑)
****で、八丁堀のどこが読めないの?
*[[東京/練馬区|練馬区]][[石神井公園|石神井]](しゃくじい)
*[[東京/中央区|中央区]]鉄砲洲(てっぽうず)
**いやそんな地名ないし、過去にも正式な地名で使用されたことはない。
*中央区日本橋馬喰町(ばくろちょう)
*中央区日本橋蛎殻町(かきがらちょう)
**そういや[[東京メトロ半蔵門線|この路線]]の水天宮前になる前の仮称は蛎殻町だったなぁ。
*[[東京/葛飾区|葛飾区]]新宿(にいじゅく)
*[[東京/港区|港区]][[麻布]]狸穴町(まみあなちょう)
**現在は東麻布。
***今もあるが。
*御徒町(おかちまち)
*[[東京/江戸川区|江戸川区]]鹿骨(ししぼね)
**「しかぼね」としか読めん!^^;
**屍。
**[[ひぐらしのなく頃にファン]]なら同じ区にある輿宮(おきのみや)、谷河内(やごうち)と共にあっさり読める。
**「鹿」を「しし」と読むのは実は普通にあり得る話で超有名な例として京都に「鹿ヶ谷(ししがたに)」が存在する。
*江東区[[亀戸]](かめいど) 「かめ」も「ど」も読めるが、なぜ「い」が? 
**語呂合わせ
***大昔は亀井戸だったらしい。
*[[東京/世田谷区|世田谷区]]砧(きぬた)
*目黒区碑文谷(ひもんや)
**某教授のせいで読める奴が増えてきた
**[[wikipedia:ja:ダイエー碑文谷店|日本で一番儲かるダイエー]]がある町。
*目黒区はなにげに難読地名の宝庫
**六畝割(ろくせわり)
**衾(ふすま)
**田切(たぎり)
**子ノ神(ねのかみ)
**蛇崩(じゃくずれ)
**田道(でんどう)
**油面(あぶらめん)
**鎗ヶ崎(やりがさき)
***全部現存しません。
****地名は住居表示で消えても、バス停名として今でも残ってます。
****他には交差点名や学校名にいくつも残っている。
**小学校名では他に碑(いしぶみ)、菅刈(すげかり)など。碑小学校は碑文谷にある。
*[[東京/墨田区|墨田区]]横網(よこあみ)
**読めない訳ではないが「よこづな」と誤読(誤記)する人が非常に多い(国技館の印象が強いのか(^^;)。
***以前ラジオの生放送で、町歩きのレポーターが電柱の表示を見て「さすが相撲の町,町名が “よこづな” ですよ!」と言い出した時は聴いてるこっちが恥ずかしくなった。
****その話ワロタ
**ちなみに[[中央・総武緩行線|JR]]を挟んで[[両国#両国駅の噂|両国駅]]の北側が(国技館があるのが)横網、南側が両国。
*[[東京/足立区|足立区]]花畑(はなはた)
*[[東京/千代田区#麹町・番町の噂|千代田区麹町]](コレ書いた人が読めない)
**決して「めんまち」ではない。
***正解は「こうじまち」。ちなみに糀も「こうじ」と読む。[[京浜急行電鉄|ここ]]の空港線の京急蒲田の隣は「糀谷・こうじや」。
****[[東京メトロ有楽町線|有楽町線]]は麹町線になる予定だったらしい。
**昔は、日本テレビ宛の郵便の宛先が「千代田区麹町郵便局私書箱50号」で、プレゼントなどの応募などで、文字での表示と同時に音声でもその住所を告知していたので、毎日のようにテレビで目にして、小学生でも普通に読めた。…関東ローカルか? 日本テレビ映らない地域では事情違うだろうが。
**今は塩麹がブームだから読める人が増えてるんじゃね?ちなみに俺んち日テレ映らないけど小学生のころから読めたw
*千代田区内幸町(うちさいわいちょう)
*御成門(おなりもん、港区)
*江戸川区[[都営バス江戸川営業所#新小21系統の噂|棒茅場]](ぼうしば)
*霞岳町(かすみがおかまち・[[東京/新宿区|新宿区]])[[明治神宮野球場|神宮球場]]の所在地。
*港区[[東京/港区#高輪の噂|高輪]](たかなわ)品川駅前西側一帯。区民なら読めない人はまずいないけれど、予備知識なしで読めと言われたら意外と困る地名。
*渋谷区松濤 (しょうとう)
**いわずと知れた高級住宅地
*練馬区の[[江古田 (練馬区)|江古田]]は「えこだ」、中野区の江古田は「えごた」。
*千駄ヶ谷(せんだがや、渋谷区)
**他所者には意外に読みにくい地名だと思う。
*白金高輪・白金台をしろがねたかなわ・しろがねだいと読んではいけない。濁らない。すべてシロガネーゼの影響である。
*三ノ輪(みのわ)


==多摩地区==
===函館~小湊===
*[[町田市]]忠生(ただお)←割と読んでもらえない、俺の経験:「タダナマ?」「チュウセイ?」
正確には航路再開(一時期青森港が使えなかったことによるもの、その後常設航路化の[http://logging-railway.arrow.jp/modules/haisen/kominato.html 陳情]があった。)
*西多摩郡檜原村人里(へんぼり)
#岸壁が小型のものしかないため船も小型のみだった。
**「人里」の2つ先のバス停は「戸貫久保(とずらくぼ)」、さらにその次は「笛吹(うずしき)入口」。
#*そのため青函航路現役時はあくまで補完航路の位置づけだった。
*[[稲城市]]大丸(おおまる)
#青函航路廃止後青函トンネルを通過できない危険貨物列車のため存続している。
**うっかり「だいまる」と読みそう
#小湊駅から国鉄小湊港線から開通。
*稲城市百村(もむら)
#旅客輸送はほとんど期待できないためJRグループだとしてもJR貨物の運航だった。
*福生(ふっさ)市
#*そのため青函貨物をこちらに移行していた。
*[[青梅市]]軍畑(いくさばた)
**「青梅」自体も難読地名らしいよ。
**河辺(かべ)と小作(おざく)も忘れるな
***日向和田(ひなたわだ)とか古里(こり)とか青梅線は難読駅名率が高い。
****そういえば福生も青梅線の沿線だったな。
****御嶽(みたけ)は…そうでもないか。
**青梅市上成木の高土戸(たかっと)と大指(おおざす)も初見殺し。
*[[日野市]]百草(もぐさ)
**ちなみに[[多摩市]]にも百草っていう場所がある。
***元は同じ村。
*[[東村山市]]大岱(おんた)
**町名としては現在「恩多」という表記に変わっているが、学校名に旧表記が残っている。
*東村山市廻田町(めぐりたちょう) 小平市は回田町
*[[府中市 (東京)|府中市]]是政(これまさ)
**人名由来らしい。
*[[調布市]]飛田給(とびたきゅう)
**味の素スタジアムが在る所。
**ちなみに世田谷区に「給田(きゅうでん)」という場所がある。
**調布市の入間は“いりま”と読みます。
*[[小平市]](こだいら)
**こひらwwwwwwwwwwww
*[[多摩市]]瓜生(うりゅう)
**もともと町田市小野路町瓜生だった。
*多摩市馬引沢(まひきざわ)
*西多摩郡奥多摩町留浦(とずら)
*あきる野市油平(あぶらだい) ※「ら」は読みません
**あぶだい?
*保谷(ほうや/西武池袋線)谷保(やほ/南部線)も一見さんお断りだと思う。
**東京では「谷」を「や」としか読まない怪。
***茗荷谷、鴬谷。
***ほかにないのか?
***ほかにもたっぷりあるよこんなの。渋谷とか日比谷とか普通に有名じゃん。たぶん地形の「谷」を「たに」と呼ぶ習慣がなかったんだろさ
***そういうこと。東日本では基本的に「や」「やつ」と読む。
***東京の例外は、茗荷谷、鴬谷、谷町(JCT)くらいしか思いつかない。
***逆に関西では「谷」はほんどど「たに」と読む。渋谷も「しぶたに」になる。
*[[国立市]]。いつまで立っても(こくりつ)って読んでしまう。


==伊豆・小笠原==
===函館~大間===
*御蔵島村藺灘波(いなんば)島
#大間線はもちろん全線開通していた。
*青ヶ島村休戸郷(やすんどごう)
#*戸井線もできてたら戸井港発着だったかも。
#青函トンネル東ルートの伏線とも言われてたかも。
#青函連絡船廃止の頃にJRグループから分離される。


[[Category:読めない地名|とうきよう]]
==日本海側==
[[Category:東京|よめないちめい]]
===新潟~両津===
#佐渡島に国鉄バスが走っていた。
#*そうなると佐渡島内のバスは現在は新潟交通佐渡ではなくJRバス新潟(仮)かJRバス信越(仮)だった可能性もある。
#**新潟県内のバス事情も多少変わっていたかもしれない。
#*むしろ国鉄佐渡線構想が実現していた。
#[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]に引き継がれていた場合、当航路が「土日きっぷ」のエリアになったため、佐渡島の観光客は現実よりも増えていたかも。
#*えちごワンデーパスが1,500円、ツーデーパスが2,500円、現実の佐渡汽船の同区間カーフェリーが2等2,320円(全て大人料金、2012年1月現在)なので、ワンデーパスは無理かもしれないがツーデーパスの範囲には含まれているかも。
#[[佐渡の交通#佐渡汽船|佐渡汽船]]は存在していない。
#(存在していたとして)直江津~小木間の航路は周遊券の指定地接続線から外れていた。
#*「周遊指定地 佐渡 乗換駅」の表記は新潟駅にしか存在しなかった。
#国鉄ジェットフォイルが就航。
 
==太平洋側==
===久里浜~金谷===
#名称は「久金(きゅうきん)連絡船」?
#横須賀線は久里浜の港まで延長されていた。
#*かつての「東京湾フリーきっぷ」はJRだけで完結できていた。
#*複線化も進展していた。
 
===沼津~松崎===
#鉄道敷設法別表第61号の先行航路として開業。
#*名称は伊豆箱根鉄道に併せて「西伊豆連絡船」か。
#松崎から国鉄バスが下田まで走っていた。
#駅が設置される予定の町にも寄港していた。
#JRバスの撤退と共に廃止される。
#*前述の伊豆箱根鉄道にでも譲渡されたか。
#国鉄こばるとあろーが就航
 
===伊良湖~師崎===
#国鉄渥美線、あるいは武豊線師崎延伸は実現していた。
#前者のみの場合、武豊~師崎に国鉄バスが走っていた。
#武豊線の電化が早まっていた。
 
===伊良湖~鳥羽===
#[[豊橋鉄道]]渥美線が伊良湖まで延伸の上JRに
#*最低でも快速列車は走っていた。
#*渥美線が豊橋駅に乗り入れる代わりに、新豊橋駅が名鉄の所有となりJRと線路を共用しなくなった。
#参宮線が延伸し中之郷周辺まで
#*複線化されていたかも。
#**全線ではなく、交換駅の連続するところだけの複線化ならやりそう。
#快速みえが特急に格上げ。
#ここにも国鉄ホーバークラフトが就航。
 
==瀬戸内海==
===明石~岩屋===
#名称は「明岩連絡船」。
#*読み方はみょうがん? めいがん?
#当然ながら明石海峡大橋の架橋と同時に廃止。
#*JRバス「大磯号」などが事実上の代替路線となる。
#山陽新幹線の停車駅が、西明石→明石駅に変わっていたかも。
#鉄道先行の観点から、岩屋~洲本間に国鉄バスが走っていた。
#*洲本~福良間は当時あった淡路鉄道線にお任せ。
#**後々岩屋~洲本に国鉄淡路島線が開通し、その後淡路鉄道線も買収されていた。
#*この場合、鳴門~福良間の「鳴福(めいふく)連絡船」も存在したかも。
#**となると「国鉄線⇔国鉄連絡船⇔国鉄バス⇔淡路鉄道⇔国鉄連絡船⇔国鉄線」という連絡運輸が設定されることになる。
#*[[もし本四架橋の神戸鳴門ルートに鉄道が通っていたら|神戸鳴門ルートには鉄道が通っていた]]。
 
===和歌山~小松島===
#南海和歌山港線は、国有化された。
#*但し、歴史的経緯から[[南海電気鉄道|南海電鉄]]とは線路を共用するかたちとし、南海の列車もそのまま(使用料無しで)乗り入れる。飯田線の豊橋~平井(信)と同様。
#*久保町、築地橋、築港町の3駅はJR駅として今も存続。飯田線の船町、下地駅のような存在。
#**和歌山港-水軒間は史実通り廃止になっている。
#*久保町から先は和歌山県が線路を保有していることを考えると、国有化ではなく南海と共に第二種鉄道事業として乗り入れを選んだ可能性が高い。県が保有していない和歌山市-久保町間は上にある通り国鉄と南海が線路を共用する形になるとは思うけど。
#名称は「和小(わしょう)連絡船」。
#阪和線の紀伊中ノ島駅から紀和駅への連絡線が造られ、天王寺~和歌山港間に快速が運転されていた。
#*使用車両は急行「きのくに」と共通運用のキハ58系か。電化後は113系青帯車。
#**電化も実史より早かった。
#**車両はいずれ223系に置き換えられていただろう。
#*所要時間が1時間程かかるので、指定席が設けられたと思われる。そのため愛称も設定されていた。
#*和歌山線がここまで衰退することはなかった。
#**南海和歌山市駅が史実以上に賑わっていた。
#*場合によってはこちらが新快速を名乗る。
#*普通列車は和歌山-和歌山港間のピストン運行になっている。
#*天王寺駅の連絡線が完成後は新大阪発着になっている。
#**それ以前に[[おおさか東線|<span style='color:#00f;background-color:#f9feff;'>おおさか東線]][[もしあの鉄道路線が別の年に開業していたら/近畿#おおさか東線|<span style='color:#00f;background-color:#fdfdff; '>の開業]]が早まり[[もしあの鉄道路線が旅客化されていたら#阪和貨物線|<span style='color:#00f;background-color:#fdfdff; '>阪和貨物線も旅客化されていた。]]
#和歌山駅が東和歌山駅のままだったかも。
#国鉄小松島線は廃止されなかったかもしれない。
#*小松島市は現実ほど衰退しなかった。
#*もし小松島線が廃止されていた場合、現実どおり四国側の発着地を徳島港に変更、「和徳連絡船」と改称されていた。
#競合相手である南海フェリーの便数に影響が出ていた。
#民営化後はJR西日本とJR四国の共同運航になっていた。
#大阪~徳島を青春18きっぷで移動する人が多くなっていた。
#船は明石海峡大橋開通後の2000年まで宇高連絡船と同型のものが使用されていた。宇高航路の伊予丸と同型の「紀伊丸」「淡路丸」が就航し、瀬戸大橋開通で宇高連絡船が廃止された後は讃岐丸が転属して2000年まで使用された。2000年以降はそれらの船の引退と同時に鉄道車両の航送を廃止してカーフェリーに転換していた。
 
===三原~今治===
#[[瀬戸大橋]]開通までは本州から[[愛媛|愛媛県]]へのメインルートとなっていた。
#*三原駅への「ひかり」停車は現実よりも多かった。
#*特急「宇和海」は国鉄時代から今治~宇和島間で運転されていた。
#[[しまなみ海道]]の本州側起点は三原になっていた。
#広島県東部の中心都市は福山市ではなく三原市になっていた。
#名称は「三今連絡船」
#*サンコン連絡船?
#*あるいは「予備連絡船」。伊予と備後を結ぶので。
#国鉄ホーバーマランが就航。
 
===広島~松山===
#名称は「広松連絡船」
#*あるいは駅名から取って「宇<!--品-->三<!--津浜-->連絡船」かもしれない。
#[[松山市]]の広島志向が現実以上に強くなっていた。
#*広島と愛媛でテレビ放送の相互乗り入れが行われていたかも。
#国鉄宇品線は連絡船がある限り存続している。
#*名前も役割も似ている[[瀬戸大橋線|宇野線]]と時折混同されていた。
#**のちに分かりやすくする為「広島港」駅に改称されていた。
#*[[山陽本線|<span style='color:#fdfdff;background-color:#00f;'>山陽線]][[もしあの鉄道路線が○○だったら/JR西日本#宇品線|<span style='color:#00f;background-color:#fdfdff; '>の支線扱いになっていたら]]あり得た。
#乗り継ぎ割引制度が「広島に発着する新幹線」-「松山に発着する特急・急行」間にも適用されていた。
#本四備讃線開通前の寝台特急「瀬戸」は東京-宇野・宇品を結んでいた。
#*宇品(広島港)発着の寝台特急が「安芸」を名乗った可能性も。
#仁堀航路は存在しないか、その代わりとして運行が開始された。
#三津浜駅に今も特急が停車している。
#*しかし、港から駅まで少し距離があるので国鉄バス→JR四国バスで連絡。
#**のちに松山駅へ延伸される。
#国鉄水中翼船が就航。
 
===八幡浜~別府===
#路線名は「国鉄九四連絡船」となっていた。
#別府港の最寄り駅として予定通り新別府駅が開業していた。
#*八幡浜側は駅から港との距離が離れていたので国鉄バスでの連絡になった。
#*「新別府駅」じゃなくて「別府港駅」だと思う。
#現在も存続していたら最長片道切符の旅で四国を経由することができた。
#船名は「九重丸」や「石鎚丸」といったあたりが想定される。
#民営化後にJR四国の所有になっていたら元宇高連絡船が使用されていたかもしれない。
 
===宿毛~佐伯===
#なるとすれば宿毛観光汽船を買収して宿毛線の支線扱いとする。
#宿毛線は宿毛までは完成していたかもしれない。
#おそらく中村線・宿毛線共々土佐くろしお鉄道に引き継がれていた。
 
==九州==
===博多~郷ノ浦~厳原===
#路線名は「国鉄壱岐・対馬連絡船」か?
#博多臨港線は旅客化されていた。
#もちろん壱岐・対馬にも国鉄バスの路線がある。
#*「国鉄対馬線」の構想も出そう。
#関釜連絡船に「壱岐丸」や「対馬丸」が就航することはなかった。
#国鉄ジェットフォイルが就航。
 
===三池~島原===
#路線名は「三島(さんとう)連絡船」。
#国鉄が大牟田駅から三池港まで運炭を兼ねて連絡線を建設していた。
#*三池港駅から博多駅まで急行が走っていた。
#島原鉄道が国有化されていた。
#*但し、現在でもJRかどうかは不明。
 
===鹿児島~桜島===
*桜島港から垂水方面へのバス路線は国鉄バスだったのだから、実現していたとしても不思議ではない。
#名称は「桜島連絡船」。
#宮島と同様に、桜島フェリー(桜島町営→鹿児島市船舶部)も並存するかたちだったかも。
#西鹿児島駅が中心駅の地位を確立した時点で、西鹿児島駅→鹿児島駅、鹿児島駅→'''鹿児島港'''駅への改称が行われた。
#*よって[[九州新幹線]]部分開業時の駅名改称騒動はなく、「鹿児島中央」という駅名も存在しない。
#[[JR九州バス]]桜島線は廃止されなかったかも。
#戦前からあった場合、国鉄大隅線を(志布志から)垂水~国分ではなく垂水~桜島港に変更していたら今もJR大隅線として残っていたかもしれない。
 
===鹿児島~那覇===
#名称は「鹿那(かな)連絡船」。
#*普通に「沖縄連絡船」とかのような気が。
#戦時中は米軍に度々撃沈されていた。
#戦後途絶えるも沖縄の日本復帰とともに復活。
#長距離の為1日1便か2便となる。
#寝台特急「なは」の愛称は文字通り沖縄連絡を意味するものとなっていた。
#*もちろんこの連絡船と接続するダイヤ。
#「JR沖縄バス」という会社がJR九州傘下に存在した。
#*JRバスに対抗するために、既存バス会社は1~2つに合併していたかも。
#*史実の沖縄高速バス111番系統も「国鉄沖縄ハイウェイバス(沖縄高速線)」として開業。JR沖縄バスに引き継がれ現在も運行中。
#*沖縄ではバスターミナルを「駅」と呼ぶことが一般化していた。
#青春18きっぷは利用できなかった。
#「JR九州沖縄支店」は那覇港の近くに存在していた。
#*恐らく、定期旅客船が多数発着する泊港に置かれる。
#「途中駅」として奄美大島などを経由していたかもしれない。
#採算が取れないため民営化後に奄美まで短縮or廃止されていた。
#*奄美まで短縮したらもっと採算取れないと思う。
#意外に、(実史の)博多~釜山間の国際航路を運行する「JR九州高速船」が、この区間も運行するとか。
#鉄道敷設法には沖縄の路線計画も存在していた(実際にどれほど建設されたかは不明)。
#*旧[[沖縄ぬ交通#沖縄県営鉄道|沖縄県営鉄道]]をそのまま省線に編入かな。
#*戦後の[[もし沖縄の鉄道復旧計画が実現していたら|鉄道復旧計画]]にも関わってくる。
 
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 国鉄・JR史|れんらくせん]]

2022年1月21日 (金) 16:28時点における版

新規追加はエリアごとに東から西、北から南(海岸線の位置基準)になるようにお願いします。

北海道

江差~奥尻

  1. 名称は「奥尻連絡線」
  2. 江差駅は江差港に作られた。
  3. 奥尻島に国鉄バスが走っていた。
  4. 遅くとも江差線廃止と共にJRは運営から離れていた。
    • 実史で江差線「木古内⇔江差」間の廃止で、バス転換を引き継いだ函館バスにより運行かな?その場合、社名は、「HBフェリー」かも。

函館~小湊

正確には航路再開(一時期青森港が使えなかったことによるもの、その後常設航路化の陳情があった。)

  1. 岸壁が小型のものしかないため船も小型のみだった。
    • そのため青函航路現役時はあくまで補完航路の位置づけだった。
  2. 青函航路廃止後青函トンネルを通過できない危険貨物列車のため存続している。
  3. 小湊駅から国鉄小湊港線から開通。
  4. 旅客輸送はほとんど期待できないためJRグループだとしてもJR貨物の運航だった。
    • そのため青函貨物をこちらに移行していた。

函館~大間

  1. 大間線はもちろん全線開通していた。
    • 戸井線もできてたら戸井港発着だったかも。
  2. 青函トンネル東ルートの伏線とも言われてたかも。
  3. 青函連絡船廃止の頃にJRグループから分離される。

日本海側

新潟~両津

  1. 佐渡島に国鉄バスが走っていた。
    • そうなると佐渡島内のバスは現在は新潟交通佐渡ではなくJRバス新潟(仮)かJRバス信越(仮)だった可能性もある。
      • 新潟県内のバス事情も多少変わっていたかもしれない。
    • むしろ国鉄佐渡線構想が実現していた。
  2. JR東日本に引き継がれていた場合、当航路が「土日きっぷ」のエリアになったため、佐渡島の観光客は現実よりも増えていたかも。
    • えちごワンデーパスが1,500円、ツーデーパスが2,500円、現実の佐渡汽船の同区間カーフェリーが2等2,320円(全て大人料金、2012年1月現在)なので、ワンデーパスは無理かもしれないがツーデーパスの範囲には含まれているかも。
  3. 佐渡汽船は存在していない。
  4. (存在していたとして)直江津~小木間の航路は周遊券の指定地接続線から外れていた。
    • 「周遊指定地 佐渡 乗換駅」の表記は新潟駅にしか存在しなかった。
  5. 国鉄ジェットフォイルが就航。

太平洋側

久里浜~金谷

  1. 名称は「久金(きゅうきん)連絡船」?
  2. 横須賀線は久里浜の港まで延長されていた。
    • かつての「東京湾フリーきっぷ」はJRだけで完結できていた。
    • 複線化も進展していた。

沼津~松崎

  1. 鉄道敷設法別表第61号の先行航路として開業。
    • 名称は伊豆箱根鉄道に併せて「西伊豆連絡船」か。
  2. 松崎から国鉄バスが下田まで走っていた。
  3. 駅が設置される予定の町にも寄港していた。
  4. JRバスの撤退と共に廃止される。
    • 前述の伊豆箱根鉄道にでも譲渡されたか。
  5. 国鉄こばるとあろーが就航

伊良湖~師崎

  1. 国鉄渥美線、あるいは武豊線師崎延伸は実現していた。
  2. 前者のみの場合、武豊~師崎に国鉄バスが走っていた。
  3. 武豊線の電化が早まっていた。

伊良湖~鳥羽

  1. 豊橋鉄道渥美線が伊良湖まで延伸の上JRに
    • 最低でも快速列車は走っていた。
    • 渥美線が豊橋駅に乗り入れる代わりに、新豊橋駅が名鉄の所有となりJRと線路を共用しなくなった。
  2. 参宮線が延伸し中之郷周辺まで
    • 複線化されていたかも。
      • 全線ではなく、交換駅の連続するところだけの複線化ならやりそう。
  3. 快速みえが特急に格上げ。
  4. ここにも国鉄ホーバークラフトが就航。

瀬戸内海

明石~岩屋

  1. 名称は「明岩連絡船」。
    • 読み方はみょうがん? めいがん?
  2. 当然ながら明石海峡大橋の架橋と同時に廃止。
    • JRバス「大磯号」などが事実上の代替路線となる。
  3. 山陽新幹線の停車駅が、西明石→明石駅に変わっていたかも。
  4. 鉄道先行の観点から、岩屋~洲本間に国鉄バスが走っていた。
    • 洲本~福良間は当時あった淡路鉄道線にお任せ。
      • 後々岩屋~洲本に国鉄淡路島線が開通し、その後淡路鉄道線も買収されていた。
    • この場合、鳴門~福良間の「鳴福(めいふく)連絡船」も存在したかも。
      • となると「国鉄線⇔国鉄連絡船⇔国鉄バス⇔淡路鉄道⇔国鉄連絡船⇔国鉄線」という連絡運輸が設定されることになる。
    • 神戸鳴門ルートには鉄道が通っていた

和歌山~小松島

  1. 南海和歌山港線は、国有化された。
    • 但し、歴史的経緯から南海電鉄とは線路を共用するかたちとし、南海の列車もそのまま(使用料無しで)乗り入れる。飯田線の豊橋~平井(信)と同様。
    • 久保町、築地橋、築港町の3駅はJR駅として今も存続。飯田線の船町、下地駅のような存在。
      • 和歌山港-水軒間は史実通り廃止になっている。
    • 久保町から先は和歌山県が線路を保有していることを考えると、国有化ではなく南海と共に第二種鉄道事業として乗り入れを選んだ可能性が高い。県が保有していない和歌山市-久保町間は上にある通り国鉄と南海が線路を共用する形になるとは思うけど。
  2. 名称は「和小(わしょう)連絡船」。
  3. 阪和線の紀伊中ノ島駅から紀和駅への連絡線が造られ、天王寺~和歌山港間に快速が運転されていた。
    • 使用車両は急行「きのくに」と共通運用のキハ58系か。電化後は113系青帯車。
      • 電化も実史より早かった。
      • 車両はいずれ223系に置き換えられていただろう。
    • 所要時間が1時間程かかるので、指定席が設けられたと思われる。そのため愛称も設定されていた。
    • 和歌山線がここまで衰退することはなかった。
      • 南海和歌山市駅が史実以上に賑わっていた。
    • 場合によってはこちらが新快速を名乗る。
    • 普通列車は和歌山-和歌山港間のピストン運行になっている。
    • 天王寺駅の連絡線が完成後は新大阪発着になっている。
  4. 和歌山駅が東和歌山駅のままだったかも。
  5. 国鉄小松島線は廃止されなかったかもしれない。
    • 小松島市は現実ほど衰退しなかった。
    • もし小松島線が廃止されていた場合、現実どおり四国側の発着地を徳島港に変更、「和徳連絡船」と改称されていた。
  6. 競合相手である南海フェリーの便数に影響が出ていた。
  7. 民営化後はJR西日本とJR四国の共同運航になっていた。
  8. 大阪~徳島を青春18きっぷで移動する人が多くなっていた。
  9. 船は明石海峡大橋開通後の2000年まで宇高連絡船と同型のものが使用されていた。宇高航路の伊予丸と同型の「紀伊丸」「淡路丸」が就航し、瀬戸大橋開通で宇高連絡船が廃止された後は讃岐丸が転属して2000年まで使用された。2000年以降はそれらの船の引退と同時に鉄道車両の航送を廃止してカーフェリーに転換していた。

三原~今治

  1. 瀬戸大橋開通までは本州から愛媛県へのメインルートとなっていた。
    • 三原駅への「ひかり」停車は現実よりも多かった。
    • 特急「宇和海」は国鉄時代から今治~宇和島間で運転されていた。
  2. しまなみ海道の本州側起点は三原になっていた。
  3. 広島県東部の中心都市は福山市ではなく三原市になっていた。
  4. 名称は「三今連絡船」
    • サンコン連絡船?
    • あるいは「予備連絡船」。伊予と備後を結ぶので。
  5. 国鉄ホーバーマランが就航。

広島~松山

  1. 名称は「広松連絡船」
    • あるいは駅名から取って「宇三連絡船」かもしれない。
  2. 松山市の広島志向が現実以上に強くなっていた。
    • 広島と愛媛でテレビ放送の相互乗り入れが行われていたかも。
  3. 国鉄宇品線は連絡船がある限り存続している。
  4. 乗り継ぎ割引制度が「広島に発着する新幹線」-「松山に発着する特急・急行」間にも適用されていた。
  5. 本四備讃線開通前の寝台特急「瀬戸」は東京-宇野・宇品を結んでいた。
    • 宇品(広島港)発着の寝台特急が「安芸」を名乗った可能性も。
  6. 仁堀航路は存在しないか、その代わりとして運行が開始された。
  7. 三津浜駅に今も特急が停車している。
    • しかし、港から駅まで少し距離があるので国鉄バス→JR四国バスで連絡。
      • のちに松山駅へ延伸される。
  8. 国鉄水中翼船が就航。

八幡浜~別府

  1. 路線名は「国鉄九四連絡船」となっていた。
  2. 別府港の最寄り駅として予定通り新別府駅が開業していた。
    • 八幡浜側は駅から港との距離が離れていたので国鉄バスでの連絡になった。
    • 「新別府駅」じゃなくて「別府港駅」だと思う。
  3. 現在も存続していたら最長片道切符の旅で四国を経由することができた。
  4. 船名は「九重丸」や「石鎚丸」といったあたりが想定される。
  5. 民営化後にJR四国の所有になっていたら元宇高連絡船が使用されていたかもしれない。

宿毛~佐伯

  1. なるとすれば宿毛観光汽船を買収して宿毛線の支線扱いとする。
  2. 宿毛線は宿毛までは完成していたかもしれない。
  3. おそらく中村線・宿毛線共々土佐くろしお鉄道に引き継がれていた。

九州

博多~郷ノ浦~厳原

  1. 路線名は「国鉄壱岐・対馬連絡船」か?
  2. 博多臨港線は旅客化されていた。
  3. もちろん壱岐・対馬にも国鉄バスの路線がある。
    • 「国鉄対馬線」の構想も出そう。
  4. 関釜連絡船に「壱岐丸」や「対馬丸」が就航することはなかった。
  5. 国鉄ジェットフォイルが就航。

三池~島原

  1. 路線名は「三島(さんとう)連絡船」。
  2. 国鉄が大牟田駅から三池港まで運炭を兼ねて連絡線を建設していた。
    • 三池港駅から博多駅まで急行が走っていた。
  3. 島原鉄道が国有化されていた。
    • 但し、現在でもJRかどうかは不明。

鹿児島~桜島

  • 桜島港から垂水方面へのバス路線は国鉄バスだったのだから、実現していたとしても不思議ではない。
  1. 名称は「桜島連絡船」。
  2. 宮島と同様に、桜島フェリー(桜島町営→鹿児島市船舶部)も並存するかたちだったかも。
  3. 西鹿児島駅が中心駅の地位を確立した時点で、西鹿児島駅→鹿児島駅、鹿児島駅→鹿児島港駅への改称が行われた。
    • よって九州新幹線部分開業時の駅名改称騒動はなく、「鹿児島中央」という駅名も存在しない。
  4. JR九州バス桜島線は廃止されなかったかも。
  5. 戦前からあった場合、国鉄大隅線を(志布志から)垂水~国分ではなく垂水~桜島港に変更していたら今もJR大隅線として残っていたかもしれない。

鹿児島~那覇

  1. 名称は「鹿那(かな)連絡船」。
    • 普通に「沖縄連絡船」とかのような気が。
  2. 戦時中は米軍に度々撃沈されていた。
  3. 戦後途絶えるも沖縄の日本復帰とともに復活。
  4. 長距離の為1日1便か2便となる。
  5. 寝台特急「なは」の愛称は文字通り沖縄連絡を意味するものとなっていた。
    • もちろんこの連絡船と接続するダイヤ。
  6. 「JR沖縄バス」という会社がJR九州傘下に存在した。
    • JRバスに対抗するために、既存バス会社は1~2つに合併していたかも。
    • 史実の沖縄高速バス111番系統も「国鉄沖縄ハイウェイバス(沖縄高速線)」として開業。JR沖縄バスに引き継がれ現在も運行中。
    • 沖縄ではバスターミナルを「駅」と呼ぶことが一般化していた。
  7. 青春18きっぷは利用できなかった。
  8. 「JR九州沖縄支店」は那覇港の近くに存在していた。
    • 恐らく、定期旅客船が多数発着する泊港に置かれる。
  9. 「途中駅」として奄美大島などを経由していたかもしれない。
  10. 採算が取れないため民営化後に奄美まで短縮or廃止されていた。
    • 奄美まで短縮したらもっと採算取れないと思う。
  11. 意外に、(実史の)博多~釜山間の国際航路を運行する「JR九州高速船」が、この区間も運行するとか。
  12. 鉄道敷設法には沖縄の路線計画も存在していた(実際にどれほど建設されたかは不明)。