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{{東葛}}
==北海道==
== 野田市の噂 ==
===江差~奥尻===
#銚子、白浜町(現、南房総市)に次いで千葉県3大突端の一つである。
#名称は「奥尻連絡線」
#[[埼玉]]と[[茨城]]に挟まれている。
#江差駅は江差港に作られた。
#とりあえず、ダサいイメージがある。
#奥尻島に国鉄バスが走っていた。
#*2007年の成人式では心無い[[春日部市]]民のせいで全国的に「ダサい」というイメージを広めてしまった。
#遅くとも江差線廃止と共にJRは運営から離れていた。
#*何らかの事件が起こり、ニュースで野田の風景などが放送されると、如何に田舎なのかがバレてしまうため出身者にはかなり迷惑。
#*実史で江差線「木古内⇔江差」間の廃止で、バス転換を引き継いだ函館バスにより運行かな?その場合、社名は、「HBフェリー」かも。
#*どこ出身?と友達に訊かれた場合、必ず千葉県とだけ答える習慣を出身者は身につける。
#*さらに千葉県のどこ?と訊かれた場合は「左上」「北西」といった単語を答え、間違っても「野田」という言葉は言えない辛さがある。
#「野田」ナンバーとなってしまう[[松戸市]]、[[柏市]]、[[流山市]]、[[我孫子市]]の住民からは恨まれている。
#*但し「柏」ナンバーが認められたため、柏、我孫子市民はホッとしている。
#**松戸、流山市民からは変わらず恨まれている
#***とはいえ、いくらなんでも流山市民にまでは馬鹿にされたくないと思ってる野田市民は多い。
<!--#**まぁ、どうせ松戸と流山は野原の野と田んぼの田ぐらいのレベルですよ。柏ナンバーからはぶかれても当然!!醤油と宗教の町の野田と一緒に暮らしてな!!(我孫子市民)-->
#**千葉県民は野田ナンバーの車が事件を起こしたニュースなどを見ると「また、野田か!」と言う。
#*「野田」ナンバーは、別名「醤油ナンバー」。
#**野原の田んぼ…どこをどう見ても田舎臭いので廃止してほしい
#*近辺の市町村で合併の動きはあるが「醤油ナンバー」を掲げてる野田市だけは排除される動き
#*なんでそんな影響力があるのか市民でさえわからない。([[キッコーマン]]の金の力というのは、あえて口には出さない)
#*友達に「燃料は醤油?」と、馬鹿にされる。
#関宿を合併
#*元からの野田市民は行かない土地なのでピンとこない。
#*電車も通っていないイメージがあるので、どうでもいい
#*関宿に結構人が住んでいることをこの合併で初めて知った。
#豪華な市庁舎にそこそこの規模の林が隣接し、夏にはヒグラシなどがよく鳴いている。
#地形は概ね平坦でサイクリングロードが整備されている。
#江戸川と利根川が流れていると言うと海側の人に驚かれる。
#猫の壁画がちょっとした名物。
#*アタゴール玉手箱の作者が住んでいる。
#あれは野田城じゃない、新興宗教の建物だ。
#*「霊波の光」だっけ?
#*集会があると周辺の道路は混雑する。ちなみに隣にあるのは東京理科大学。
#**休みの日には信者が装束を着て道路に立っているという。
#愛染恭子が住んでいたことは内緒だ。
#枝豆出荷量はトップクラス。
#*密かに「醤油の街」から「枝豆の街」に変わろうとしている。
#**「ジャスコの街」だと思ってました。
#**市のコミュニティバス「まめバス」の車体にも巨大な枝豆が乗っている。
#**でも結局は「醤油の街」
#清水公園のアスレチックは県内ナンバー1の規模。(桜の名所でもある。)
#*水に落ちることを余儀なくされる。
#**東葛のこどもの通過儀礼だから仕方がない。
#中心市街が古臭い。
#*その昔、遊郭があったほど賑わっていたが今は見る影もない。
#*マンションやオフィスビルのような高層建築がほとんどない。
#**市職員・議員が土着の人ばっかだから、許可を出さない。
#***やっと梅郷駅前に市役所ばりの高さのマンションができる。
#国道16号を越えると途端に寂れる。
#まだ夜の8時だと言うのに深夜の1時2時かと思うほどの静けさと暗さ。
#ホワイト餃子が市民のちょっとした誇り。
#*でもはじめて行く時は道に迷う。
#**とりあえず まめバスの中野台で降りよう。
#*午前中に行かねばホワイト餃子は売り切れる。みんな100個単位で買っていく。
#*ホワイト餃子の近所ではキッコーマンの醤油のにおいがかき消されるほどのにんにく臭に悩まされる。
#*あれ、亀有で『ホワイト餃子』の看板を見たのだが(常磐線の車窓より)
#**それは支店だね。本店は野田の寂れた街中。
#やよい食堂がある。
#*大盛りを頼むとすさまじい量が出てくる。特にご飯が。
#*チャーハン大盛り2kg。意外と食べられる。
#自然は多いが水は汚い。
#「裸の女幽霊」が出るで有名だった橋がある。
#市名がついている上に市内唯一の鉄道路線である割に、東武野田線はかなり投げやられ気味。
#*市内は全線単線。
#*清水公園や七光台止まりの電車から降りて、乗り換え待ちをしている時ほど虚しいことはない。
#**清水公園止まりはなくなったね。 昼間は等間隔になったし、一部区間では増発になったし。
#天気やら地震速報やらは千葉県北西部よりも埼玉東部か茨城南部を見る。
#企業から野田市駅の開発話が持ちかけられたが、キッコーマンがコレを拒否。代わりに話が進んだ柏が、一気に開発された。
#農家などの土地持ちが多く、結婚後も親のスネをかじって暮らす若者が多い。
#カンタービレ
#強いて言うなら島(江戸川と利根川が流れていて、市境に利根運河がある)
#あのー皆さん、キッコーマンだけでなく、MAXコーヒーでおなじみ、利根[[コカ・コーラ]]の事も忘れないで下さい…。
#*万の子会社だし。
#ブロードバンド環境の敷設の対象にならない。
#*どの企業のサービス提供マップを見ても野田だけぽっかり未定
#*ADSLはだいたい使える(はず)。光はNTTのフレッツはOK、KDDIと東電はダメだったはず。
#パチンコ屋がとても多い。
#*ゴルフ場も多い
#**ゴルフ場はやたら固まって存在する。
#林や森も多いので、カブトムシなどの昆虫採集にはいいかもね。
#余り知られていないが、野田市には戸隠流の忍者道場(武神館道場)がある。しかし、道場があることを地元住人ですら知らぬ者が大半で現在門下生は9割以上が外国人である。
#外国の方をよく見かけるが大体武神館道場の門下生である。
#学区が隣り合っている為、千葉県民でありながら埼玉県内の公立高校にも入学できる。ただし、その場合の埼玉県民からの迫害ぶりは尋常ではない。
#15年ほど前に江戸川河川敷で「リバーサイドフェスティバル」なるイベント(主に河川の防災アピール)が開催された時、ゲストに有名芸能人が来ている、という事だったが、蓋を開けてみればポップコーン正一正二だった。(有名といえば有名だが)
#豆バスは乗り心地が悪い
#*新型は改善された。
#野田市の小学校の運動会では、菜の花体操(準備体操時)とむらさき音頭(昼食後)をやらされる。
#県内でも最低ランクの高校がある。が、その高校のパソコンの台数は100台を超える。
#*最近、通信制高校になり、生徒の質が柏並になりました。
#ボコスカウォーズ発祥の地
#ヤクザ多い
#有楽町線は豊洲から亀有を経、ここまで伸ばすらしいが、実現するとは到底思えない。
#いくつかの小・中学校(と一部の高校)で吹奏楽部が「マーチング」と言うものをやっている。一応、全国大会に出場している学校もあるらしい。


===関宿===
===函館~小湊===
#明治時代に、一部地区を茨城と埼玉に編入させたことがある。
正確には航路再開(一時期青森港が使えなかったことによるもの、その後常設航路化の[http://logging-railway.arrow.jp/modules/haisen/kominato.html 陳情]があった。)
#*[[幸手市]]に「西関宿」という地名が実在します。
#岸壁が小型のものしかないため船も小型のみだった。
#「せきじゅく」じゃなくて「せきやど」。
#*そのため青函航路現役時はあくまで補完航路の位置づけだった。
#関宿城は実際の場所と違う上に城の形も想像で建てられた。
#青函航路廃止後青函トンネルを通過できない危険貨物列車のため存続している。
#*関宿城博物館よりもちと北に行くと、そこはもう茨城の五霞町になっている!!!
#小湊駅から国鉄小湊港線から開通。
#*ただし野田市と合併する直前の関宿町役場はもっと南にあった。
#旅客輸送はほとんど期待できないためJRグループだとしてもJR貨物の運航だった。
#なんで人住んじゃってるんだろう?
#*そのため青函貨物をこちらに移行していた。


===川間===
===函館~大間===
#駅前なのにろくな店しかない駅が多い(例:川間駅南口)
#大間線はもちろん全線開通していた。
#*それは川間駅に限らない。
#*戸井線もできてたら戸井港発着だったかも。
#*普通ならずっとやっていけそうな店がいとも簡単に潰れる駅、川間。TUTAYAや本屋やゲーセン、またコンビニにパチンコ屋など駅前にあっても潰れる始末。
#青函トンネル東ルートの伏線とも言われてたかも。
#**ついに駅近のセブンイレブンまで、数十年の歴史に幕を下ろしたという・・・
#青函連絡船廃止の頃にJRグループから分離される。
#*潰れる店が多い中、マスナオやポトスなどかなり頑張っている店もある。(なぜやっていけているのかは川間住人の永遠の謎)
#**ちなみにマスナオはマスダナオキチさんのお店らしく、松伏にも店舗(本店?)がある。
#***川間駅前店は、住所的には野田市尾崎。
#*「ろくな店しかない」ではなく「ろくな店がない」では?
#**・・・そうとも言う。間違いだよウワーン><!
#林家國際武術興道會という武術道場がある


===七光台===
==日本海側==
#まるでどこぞの秘境駅みたいに大自然に囲まれた場所に立地していたが、最近では開発が進んでいるらしい。ただ、埋め立ててから建物を建てているので、いつ地盤沈下が始まってもおかしくない・・・
===新潟~両津===
#佐渡島に国鉄バスが走っていた。
#*そうなると佐渡島内のバスは現在は新潟交通佐渡ではなくJRバス新潟(仮)かJRバス信越(仮)だった可能性もある。
#**新潟県内のバス事情も多少変わっていたかもしれない。
#*むしろ国鉄佐渡線構想が実現していた。
#[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]に引き継がれていた場合、当航路が「土日きっぷ」のエリアになったため、佐渡島の観光客は現実よりも増えていたかも。
#*えちごワンデーパスが1,500円、ツーデーパスが2,500円、現実の佐渡汽船の同区間カーフェリーが2等2,320円(全て大人料金、2012年1月現在)なので、ワンデーパスは無理かもしれないがツーデーパスの範囲には含まれているかも。
#[[佐渡の交通#佐渡汽船|佐渡汽船]]は存在していない。
#(存在していたとして)直江津~小木間の航路は周遊券の指定地接続線から外れていた。
#*「周遊指定地 佐渡 乗換駅」の表記は新潟駅にしか存在しなかった。
#国鉄ジェットフォイルが就航。


== 野田と醤油 ==
==太平洋側==
#戦前に醤油の大工場ができた。
===久里浜~金谷===
#*野田市に入ると、本当に醤油の匂いがする。
#名称は「久金(きゅうきん)連絡船」?
#*甲子醤油はあまり知られていないがキッコーマンより歴史がある。
#横須賀線は久里浜の港まで延長されていた。
#*甲子園球場が出来た年に創業したのかな?
#*かつての「東京湾フリーきっぷ」はJRだけで完結できていた。
#*東武野田線の「野田市(のだし)駅」の「し」は「しょうゆ」の「し」を表している。
#*複線化も進展していた。
#*各家庭の台所には「水(青)」「湯(赤)」「醤油(茶)」の蛇口がある。
#**[[愛媛みかん]]の項目には、「醤油(茶)」の代わりに「POMジュース(オレンジ)」の表記が見られる。
#残念なことに、「野田=キッコーマン」というイメージが、醤油の匂いと共に日本人には植え付けられている。。。
#*イメージどころか事実でしょ。。。
#野田の大地は醤油工場の排水の影響で塩分を多分に含んでおり植物が育ちにくい土壌である。
#野田市民の体内には、血液でなく醤油が流れている。
#野田市生まれ≒キッコーマン病院生まれ。
#野田市に住んでいたというだけで、「お前は醤油の味に煩いんだろうな」と言われました><!
#*実は野田市民は安物大量生産の醤油の味には詳しいが、本物の美味しい醤油のについては無知だったりする。
#小学校時の工場見学(お土産で醤油をくれる)により、幼いときからキッコーマン醤油の味を脳みそに植え付けられる。
#分かりきったことだが、醤油工場周辺は他に比べカビが発生しやすい地域。
#よく醤油くせぇとネタにされる。


== 有名人 ==
===沼津~松崎===
#ツネさん
#鉄道敷設法別表第61号の先行航路として開業。
#*元々は画家だったが、はしごから落ちて今のようになってしまった
#*名称は伊豆箱根鉄道に併せて「西伊豆連絡船」か。
#*一時期、ツネさんは「徒歩」で移動していたらしい。またツネさんが太鼓をたたく音が、よく聞かれたとのこと。
#松崎から国鉄バスが下田まで走っていた。
#*真冬でもランニングシャツとブリーフ姿だったツネさん。よく犬に追いかけられていた。
#駅が設置される予定の町にも寄港していた。
#*ツネさんの自転車に追いかけられるのが子供らにとっての大事な儀式。
#JRバスの撤退と共に廃止される。
#*しかも早い
#*前述の伊豆箱根鉄道にでも譲渡されたか。
#*近隣小中学校の体育祭などには必ずといって良いほど出没し「ツネツネ」と子供らに馬鹿にされると追いかけてくる。
#国鉄こばるとあろーが就航
#*一時期、ツネさんが行方不明になり家族が捜索願を出したらしい。しかし、数ヶ月後に松伏町でチャリンコに乗っているのを警察に発見され保護される。
#*2008年6月にも目撃されたとの報告有り。相変わらず裸だったとのこと。全くもって年齢不詳。
#裸の女幽霊
#*全裸だっただの下着姿だっただの普通に服着てただのという目撃情報あり。
#*ただの痴女としか思えない。
#鈴木貫太郎(ポツダム宣言受託時の首相。旧・関宿町に居住。鈴木貫太郎記念館が建っている)
#*千葉県出身唯一の総理大臣。
#初見良昭 (忍者)
#*「バキ」にモデルのキャラがいる。
#[[キッコーマン]](法人ということでw)
#*野田の平和を守っている。においで。
#*上記の通り、野田の発展を妨げる事で田舎臭さ(=平和)を守っている。
#愛染恭子
#堀政夫
#*住吉会5代目総裁
#関根金次郎(将棋棋士)
#*十三世名人。将棋連盟や実力名人制を創始した事から近代将棋の父と称される。


{{DEFAULTSORT:のたし}}
===伊良湖~師崎===
[[Category:千葉]]
#国鉄渥美線、あるいは武豊線師崎延伸は実現していた。
[[Category:関東地方の市]]
#前者のみの場合、武豊~師崎に国鉄バスが走っていた。
[[Category:企業城下町]]
#武豊線の電化が早まっていた。
 
===伊良湖~鳥羽===
#[[豊橋鉄道]]渥美線が伊良湖まで延伸の上JRに
#*最低でも快速列車は走っていた。
#*渥美線が豊橋駅に乗り入れる代わりに、新豊橋駅が名鉄の所有となりJRと線路を共用しなくなった。
#参宮線が延伸し中之郷周辺まで
#*複線化されていたかも。
#**全線ではなく、交換駅の連続するところだけの複線化ならやりそう。
#快速みえが特急に格上げ。
#ここにも国鉄ホーバークラフトが就航。
 
==瀬戸内海==
===明石~岩屋===
#名称は「明岩連絡船」。
#*読み方はみょうがん? めいがん?
#当然ながら明石海峡大橋の架橋と同時に廃止。
#*JRバス「大磯号」などが事実上の代替路線となる。
#山陽新幹線の停車駅が、西明石→明石駅に変わっていたかも。
#鉄道先行の観点から、岩屋~洲本間に国鉄バスが走っていた。
#*洲本~福良間は当時あった淡路鉄道線にお任せ。
#**後々岩屋~洲本に国鉄淡路島線が開通し、その後淡路鉄道線も買収されていた。
#*この場合、鳴門~福良間の「鳴福(めいふく)連絡船」も存在したかも。
#**となると「国鉄線⇔国鉄連絡船⇔国鉄バス⇔淡路鉄道⇔国鉄連絡船⇔国鉄線」という連絡運輸が設定されることになる。
#*[[もし本四架橋の神戸鳴門ルートに鉄道が通っていたら|神戸鳴門ルートには鉄道が通っていた]]。
 
===和歌山~小松島===
#南海和歌山港線は、国有化された。
#*但し、歴史的経緯から[[南海電気鉄道|南海電鉄]]とは線路を共用するかたちとし、南海の列車もそのまま(使用料無しで)乗り入れる。飯田線の豊橋~平井(信)と同様。
#*久保町、築地橋、築港町の3駅はJR駅として今も存続。飯田線の船町、下地駅のような存在。
#**和歌山港-水軒間は史実通り廃止になっている。
#*久保町から先は和歌山県が線路を保有していることを考えると、国有化ではなく南海と共に第二種鉄道事業として乗り入れを選んだ可能性が高い。県が保有していない和歌山市-久保町間は上にある通り国鉄と南海が線路を共用する形になるとは思うけど。
#名称は「和小(わしょう)連絡船」。
#阪和線の紀伊中ノ島駅から紀和駅への連絡線が造られ、天王寺~和歌山港間に快速が運転されていた。
#*使用車両は急行「きのくに」と共通運用のキハ58系か。電化後は113系青帯車。
#**電化も実史より早かった。
#**車両はいずれ223系に置き換えられていただろう。
#*所要時間が1時間程かかるので、指定席が設けられたと思われる。そのため愛称も設定されていた。
#*和歌山線がここまで衰退することはなかった。
#**南海和歌山市駅が史実以上に賑わっていた。
#*場合によってはこちらが新快速を名乗る。
#*普通列車は和歌山-和歌山港間のピストン運行になっている。
#*天王寺駅の連絡線が完成後は新大阪発着になっている。
#**それ以前に[[おおさか東線|<span style='color:#00f;background-color:#f9feff;'>おおさか東線]][[もしあの鉄道路線が別の年に開業していたら/近畿#おおさか東線|<span style='color:#00f;background-color:#fdfdff; '>の開業]]が早まり[[もしあの鉄道路線が旅客化されていたら#阪和貨物線|<span style='color:#00f;background-color:#fdfdff; '>阪和貨物線も旅客化されていた。]]
#和歌山駅が東和歌山駅のままだったかも。
#国鉄小松島線は廃止されなかったかもしれない。
#*小松島市は現実ほど衰退しなかった。
#*もし小松島線が廃止されていた場合、現実どおり四国側の発着地を徳島港に変更、「和徳連絡船」と改称されていた。
#競合相手である南海フェリーの便数に影響が出ていた。
#民営化後はJR西日本とJR四国の共同運航になっていた。
#大阪~徳島を青春18きっぷで移動する人が多くなっていた。
#船は明石海峡大橋開通後の2000年まで宇高連絡船と同型のものが使用されていた。宇高航路の伊予丸と同型の「紀伊丸」「淡路丸」が就航し、瀬戸大橋開通で宇高連絡船が廃止された後は讃岐丸が転属して2000年まで使用された。2000年以降はそれらの船の引退と同時に鉄道車両の航送を廃止してカーフェリーに転換していた。
 
===三原~今治===
#[[瀬戸大橋]]開通までは本州から[[愛媛|愛媛県]]へのメインルートとなっていた。
#*三原駅への「ひかり」停車は現実よりも多かった。
#*特急「宇和海」は国鉄時代から今治~宇和島間で運転されていた。
#[[しまなみ海道]]の本州側起点は三原になっていた。
#広島県東部の中心都市は福山市ではなく三原市になっていた。
#名称は「三今連絡船」
#*サンコン連絡船?
#*あるいは「予備連絡船」。伊予と備後を結ぶので。
#国鉄ホーバーマランが就航。
 
===広島~松山===
#名称は「広松連絡船」
#*あるいは駅名から取って「宇<!--品-->三<!--津浜-->連絡船」かもしれない。
#[[松山市]]の広島志向が現実以上に強くなっていた。
#*広島と愛媛でテレビ放送の相互乗り入れが行われていたかも。
#国鉄宇品線は連絡船がある限り存続している。
#*名前も役割も似ている[[瀬戸大橋線|宇野線]]と時折混同されていた。
#**のちに分かりやすくする為「広島港」駅に改称されていた。
#*[[山陽本線|<span style='color:#fdfdff;background-color:#00f;'>山陽線]][[もしあの鉄道路線が○○だったら/JR西日本#宇品線|<span style='color:#00f;background-color:#fdfdff; '>の支線扱いになっていたら]]あり得た。
#乗り継ぎ割引制度が「広島に発着する新幹線」-「松山に発着する特急・急行」間にも適用されていた。
#本四備讃線開通前の寝台特急「瀬戸」は東京-宇野・宇品を結んでいた。
#*宇品(広島港)発着の寝台特急が「安芸」を名乗った可能性も。
#仁堀航路は存在しないか、その代わりとして運行が開始された。
#三津浜駅に今も特急が停車している。
#*しかし、港から駅まで少し距離があるので国鉄バス→JR四国バスで連絡。
#**のちに松山駅へ延伸される。
#国鉄水中翼船が就航。
 
===八幡浜~別府===
#路線名は「国鉄九四連絡船」となっていた。
#別府港の最寄り駅として予定通り新別府駅が開業していた。
#*八幡浜側は駅から港との距離が離れていたので国鉄バスでの連絡になった。
#*「新別府駅」じゃなくて「別府港駅」だと思う。
#現在も存続していたら最長片道切符の旅で四国を経由することができた。
#船名は「九重丸」や「石鎚丸」といったあたりが想定される。
#民営化後にJR四国の所有になっていたら元宇高連絡船が使用されていたかもしれない。
 
===宿毛~佐伯===
#なるとすれば宿毛観光汽船を買収して宿毛線の支線扱いとする。
#宿毛線は宿毛までは完成していたかもしれない。
#おそらく中村線・宿毛線共々土佐くろしお鉄道に引き継がれていた。
 
==九州==
===博多~郷ノ浦~厳原===
#路線名は「国鉄壱岐・対馬連絡船」か?
#博多臨港線は旅客化されていた。
#もちろん壱岐・対馬にも国鉄バスの路線がある。
#*「国鉄対馬線」の構想も出そう。
#関釜連絡船に「壱岐丸」や「対馬丸」が就航することはなかった。
#国鉄ジェットフォイルが就航。
 
===三池~島原===
#路線名は「三島(さんとう)連絡船」。
#国鉄が大牟田駅から三池港まで運炭を兼ねて連絡線を建設していた。
#*三池港駅から博多駅まで急行が走っていた。
#島原鉄道が国有化されていた。
#*但し、現在でもJRかどうかは不明。
 
===鹿児島~桜島===
*桜島港から垂水方面へのバス路線は国鉄バスだったのだから、実現していたとしても不思議ではない。
#名称は「桜島連絡船」。
#宮島と同様に、桜島フェリー(桜島町営→鹿児島市船舶部)も並存するかたちだったかも。
#西鹿児島駅が中心駅の地位を確立した時点で、西鹿児島駅→鹿児島駅、鹿児島駅→'''鹿児島港'''駅への改称が行われた。
#*よって[[九州新幹線]]部分開業時の駅名改称騒動はなく、「鹿児島中央」という駅名も存在しない。
#[[JR九州バス]]桜島線は廃止されなかったかも。
#戦前からあった場合、国鉄大隅線を(志布志から)垂水~国分ではなく垂水~桜島港に変更していたら今もJR大隅線として残っていたかもしれない。
 
===鹿児島~那覇===
#名称は「鹿那(かな)連絡船」。
#*普通に「沖縄連絡船」とかのような気が。
#戦時中は米軍に度々撃沈されていた。
#戦後途絶えるも沖縄の日本復帰とともに復活。
#長距離の為1日1便か2便となる。
#寝台特急「なは」の愛称は文字通り沖縄連絡を意味するものとなっていた。
#*もちろんこの連絡船と接続するダイヤ。
#「JR沖縄バス」という会社がJR九州傘下に存在した。
#*JRバスに対抗するために、既存バス会社は1~2つに合併していたかも。
#*史実の沖縄高速バス111番系統も「国鉄沖縄ハイウェイバス(沖縄高速線)」として開業。JR沖縄バスに引き継がれ現在も運行中。
#*沖縄ではバスターミナルを「駅」と呼ぶことが一般化していた。
#青春18きっぷは利用できなかった。
#「JR九州沖縄支店」は那覇港の近くに存在していた。
#*恐らく、定期旅客船が多数発着する泊港に置かれる。
#「途中駅」として奄美大島などを経由していたかもしれない。
#採算が取れないため民営化後に奄美まで短縮or廃止されていた。
#*奄美まで短縮したらもっと採算取れないと思う。
#意外に、(実史の)博多~釜山間の国際航路を運行する「JR九州高速船」が、この区間も運行するとか。
#鉄道敷設法には沖縄の路線計画も存在していた(実際にどれほど建設されたかは不明)。
#*旧[[沖縄ぬ交通#沖縄県営鉄道|沖縄県営鉄道]]をそのまま省線に編入かな。
#*戦後の[[もし沖縄の鉄道復旧計画が実現していたら|鉄道復旧計画]]にも関わってくる。
 
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 国鉄・JR史|れんらくせん]]

2022年1月21日 (金) 16:28時点における版

新規追加はエリアごとに東から西、北から南(海岸線の位置基準)になるようにお願いします。

北海道

江差~奥尻

  1. 名称は「奥尻連絡線」
  2. 江差駅は江差港に作られた。
  3. 奥尻島に国鉄バスが走っていた。
  4. 遅くとも江差線廃止と共にJRは運営から離れていた。
    • 実史で江差線「木古内⇔江差」間の廃止で、バス転換を引き継いだ函館バスにより運行かな?その場合、社名は、「HBフェリー」かも。

函館~小湊

正確には航路再開(一時期青森港が使えなかったことによるもの、その後常設航路化の陳情があった。)

  1. 岸壁が小型のものしかないため船も小型のみだった。
    • そのため青函航路現役時はあくまで補完航路の位置づけだった。
  2. 青函航路廃止後青函トンネルを通過できない危険貨物列車のため存続している。
  3. 小湊駅から国鉄小湊港線から開通。
  4. 旅客輸送はほとんど期待できないためJRグループだとしてもJR貨物の運航だった。
    • そのため青函貨物をこちらに移行していた。

函館~大間

  1. 大間線はもちろん全線開通していた。
    • 戸井線もできてたら戸井港発着だったかも。
  2. 青函トンネル東ルートの伏線とも言われてたかも。
  3. 青函連絡船廃止の頃にJRグループから分離される。

日本海側

新潟~両津

  1. 佐渡島に国鉄バスが走っていた。
    • そうなると佐渡島内のバスは現在は新潟交通佐渡ではなくJRバス新潟(仮)かJRバス信越(仮)だった可能性もある。
      • 新潟県内のバス事情も多少変わっていたかもしれない。
    • むしろ国鉄佐渡線構想が実現していた。
  2. JR東日本に引き継がれていた場合、当航路が「土日きっぷ」のエリアになったため、佐渡島の観光客は現実よりも増えていたかも。
    • えちごワンデーパスが1,500円、ツーデーパスが2,500円、現実の佐渡汽船の同区間カーフェリーが2等2,320円(全て大人料金、2012年1月現在)なので、ワンデーパスは無理かもしれないがツーデーパスの範囲には含まれているかも。
  3. 佐渡汽船は存在していない。
  4. (存在していたとして)直江津~小木間の航路は周遊券の指定地接続線から外れていた。
    • 「周遊指定地 佐渡 乗換駅」の表記は新潟駅にしか存在しなかった。
  5. 国鉄ジェットフォイルが就航。

太平洋側

久里浜~金谷

  1. 名称は「久金(きゅうきん)連絡船」?
  2. 横須賀線は久里浜の港まで延長されていた。
    • かつての「東京湾フリーきっぷ」はJRだけで完結できていた。
    • 複線化も進展していた。

沼津~松崎

  1. 鉄道敷設法別表第61号の先行航路として開業。
    • 名称は伊豆箱根鉄道に併せて「西伊豆連絡船」か。
  2. 松崎から国鉄バスが下田まで走っていた。
  3. 駅が設置される予定の町にも寄港していた。
  4. JRバスの撤退と共に廃止される。
    • 前述の伊豆箱根鉄道にでも譲渡されたか。
  5. 国鉄こばるとあろーが就航

伊良湖~師崎

  1. 国鉄渥美線、あるいは武豊線師崎延伸は実現していた。
  2. 前者のみの場合、武豊~師崎に国鉄バスが走っていた。
  3. 武豊線の電化が早まっていた。

伊良湖~鳥羽

  1. 豊橋鉄道渥美線が伊良湖まで延伸の上JRに
    • 最低でも快速列車は走っていた。
    • 渥美線が豊橋駅に乗り入れる代わりに、新豊橋駅が名鉄の所有となりJRと線路を共用しなくなった。
  2. 参宮線が延伸し中之郷周辺まで
    • 複線化されていたかも。
      • 全線ではなく、交換駅の連続するところだけの複線化ならやりそう。
  3. 快速みえが特急に格上げ。
  4. ここにも国鉄ホーバークラフトが就航。

瀬戸内海

明石~岩屋

  1. 名称は「明岩連絡船」。
    • 読み方はみょうがん? めいがん?
  2. 当然ながら明石海峡大橋の架橋と同時に廃止。
    • JRバス「大磯号」などが事実上の代替路線となる。
  3. 山陽新幹線の停車駅が、西明石→明石駅に変わっていたかも。
  4. 鉄道先行の観点から、岩屋~洲本間に国鉄バスが走っていた。
    • 洲本~福良間は当時あった淡路鉄道線にお任せ。
      • 後々岩屋~洲本に国鉄淡路島線が開通し、その後淡路鉄道線も買収されていた。
    • この場合、鳴門~福良間の「鳴福(めいふく)連絡船」も存在したかも。
      • となると「国鉄線⇔国鉄連絡船⇔国鉄バス⇔淡路鉄道⇔国鉄連絡船⇔国鉄線」という連絡運輸が設定されることになる。
    • 神戸鳴門ルートには鉄道が通っていた

和歌山~小松島

  1. 南海和歌山港線は、国有化された。
    • 但し、歴史的経緯から南海電鉄とは線路を共用するかたちとし、南海の列車もそのまま(使用料無しで)乗り入れる。飯田線の豊橋~平井(信)と同様。
    • 久保町、築地橋、築港町の3駅はJR駅として今も存続。飯田線の船町、下地駅のような存在。
      • 和歌山港-水軒間は史実通り廃止になっている。
    • 久保町から先は和歌山県が線路を保有していることを考えると、国有化ではなく南海と共に第二種鉄道事業として乗り入れを選んだ可能性が高い。県が保有していない和歌山市-久保町間は上にある通り国鉄と南海が線路を共用する形になるとは思うけど。
  2. 名称は「和小(わしょう)連絡船」。
  3. 阪和線の紀伊中ノ島駅から紀和駅への連絡線が造られ、天王寺~和歌山港間に快速が運転されていた。
    • 使用車両は急行「きのくに」と共通運用のキハ58系か。電化後は113系青帯車。
      • 電化も実史より早かった。
      • 車両はいずれ223系に置き換えられていただろう。
    • 所要時間が1時間程かかるので、指定席が設けられたと思われる。そのため愛称も設定されていた。
    • 和歌山線がここまで衰退することはなかった。
      • 南海和歌山市駅が史実以上に賑わっていた。
    • 場合によってはこちらが新快速を名乗る。
    • 普通列車は和歌山-和歌山港間のピストン運行になっている。
    • 天王寺駅の連絡線が完成後は新大阪発着になっている。
  4. 和歌山駅が東和歌山駅のままだったかも。
  5. 国鉄小松島線は廃止されなかったかもしれない。
    • 小松島市は現実ほど衰退しなかった。
    • もし小松島線が廃止されていた場合、現実どおり四国側の発着地を徳島港に変更、「和徳連絡船」と改称されていた。
  6. 競合相手である南海フェリーの便数に影響が出ていた。
  7. 民営化後はJR西日本とJR四国の共同運航になっていた。
  8. 大阪~徳島を青春18きっぷで移動する人が多くなっていた。
  9. 船は明石海峡大橋開通後の2000年まで宇高連絡船と同型のものが使用されていた。宇高航路の伊予丸と同型の「紀伊丸」「淡路丸」が就航し、瀬戸大橋開通で宇高連絡船が廃止された後は讃岐丸が転属して2000年まで使用された。2000年以降はそれらの船の引退と同時に鉄道車両の航送を廃止してカーフェリーに転換していた。

三原~今治

  1. 瀬戸大橋開通までは本州から愛媛県へのメインルートとなっていた。
    • 三原駅への「ひかり」停車は現実よりも多かった。
    • 特急「宇和海」は国鉄時代から今治~宇和島間で運転されていた。
  2. しまなみ海道の本州側起点は三原になっていた。
  3. 広島県東部の中心都市は福山市ではなく三原市になっていた。
  4. 名称は「三今連絡船」
    • サンコン連絡船?
    • あるいは「予備連絡船」。伊予と備後を結ぶので。
  5. 国鉄ホーバーマランが就航。

広島~松山

  1. 名称は「広松連絡船」
    • あるいは駅名から取って「宇三連絡船」かもしれない。
  2. 松山市の広島志向が現実以上に強くなっていた。
    • 広島と愛媛でテレビ放送の相互乗り入れが行われていたかも。
  3. 国鉄宇品線は連絡船がある限り存続している。
  4. 乗り継ぎ割引制度が「広島に発着する新幹線」-「松山に発着する特急・急行」間にも適用されていた。
  5. 本四備讃線開通前の寝台特急「瀬戸」は東京-宇野・宇品を結んでいた。
    • 宇品(広島港)発着の寝台特急が「安芸」を名乗った可能性も。
  6. 仁堀航路は存在しないか、その代わりとして運行が開始された。
  7. 三津浜駅に今も特急が停車している。
    • しかし、港から駅まで少し距離があるので国鉄バス→JR四国バスで連絡。
      • のちに松山駅へ延伸される。
  8. 国鉄水中翼船が就航。

八幡浜~別府

  1. 路線名は「国鉄九四連絡船」となっていた。
  2. 別府港の最寄り駅として予定通り新別府駅が開業していた。
    • 八幡浜側は駅から港との距離が離れていたので国鉄バスでの連絡になった。
    • 「新別府駅」じゃなくて「別府港駅」だと思う。
  3. 現在も存続していたら最長片道切符の旅で四国を経由することができた。
  4. 船名は「九重丸」や「石鎚丸」といったあたりが想定される。
  5. 民営化後にJR四国の所有になっていたら元宇高連絡船が使用されていたかもしれない。

宿毛~佐伯

  1. なるとすれば宿毛観光汽船を買収して宿毛線の支線扱いとする。
  2. 宿毛線は宿毛までは完成していたかもしれない。
  3. おそらく中村線・宿毛線共々土佐くろしお鉄道に引き継がれていた。

九州

博多~郷ノ浦~厳原

  1. 路線名は「国鉄壱岐・対馬連絡船」か?
  2. 博多臨港線は旅客化されていた。
  3. もちろん壱岐・対馬にも国鉄バスの路線がある。
    • 「国鉄対馬線」の構想も出そう。
  4. 関釜連絡船に「壱岐丸」や「対馬丸」が就航することはなかった。
  5. 国鉄ジェットフォイルが就航。

三池~島原

  1. 路線名は「三島(さんとう)連絡船」。
  2. 国鉄が大牟田駅から三池港まで運炭を兼ねて連絡線を建設していた。
    • 三池港駅から博多駅まで急行が走っていた。
  3. 島原鉄道が国有化されていた。
    • 但し、現在でもJRかどうかは不明。

鹿児島~桜島

  • 桜島港から垂水方面へのバス路線は国鉄バスだったのだから、実現していたとしても不思議ではない。
  1. 名称は「桜島連絡船」。
  2. 宮島と同様に、桜島フェリー(桜島町営→鹿児島市船舶部)も並存するかたちだったかも。
  3. 西鹿児島駅が中心駅の地位を確立した時点で、西鹿児島駅→鹿児島駅、鹿児島駅→鹿児島港駅への改称が行われた。
    • よって九州新幹線部分開業時の駅名改称騒動はなく、「鹿児島中央」という駅名も存在しない。
  4. JR九州バス桜島線は廃止されなかったかも。
  5. 戦前からあった場合、国鉄大隅線を(志布志から)垂水~国分ではなく垂水~桜島港に変更していたら今もJR大隅線として残っていたかもしれない。

鹿児島~那覇

  1. 名称は「鹿那(かな)連絡船」。
    • 普通に「沖縄連絡船」とかのような気が。
  2. 戦時中は米軍に度々撃沈されていた。
  3. 戦後途絶えるも沖縄の日本復帰とともに復活。
  4. 長距離の為1日1便か2便となる。
  5. 寝台特急「なは」の愛称は文字通り沖縄連絡を意味するものとなっていた。
    • もちろんこの連絡船と接続するダイヤ。
  6. 「JR沖縄バス」という会社がJR九州傘下に存在した。
    • JRバスに対抗するために、既存バス会社は1~2つに合併していたかも。
    • 史実の沖縄高速バス111番系統も「国鉄沖縄ハイウェイバス(沖縄高速線)」として開業。JR沖縄バスに引き継がれ現在も運行中。
    • 沖縄ではバスターミナルを「駅」と呼ぶことが一般化していた。
  7. 青春18きっぷは利用できなかった。
  8. 「JR九州沖縄支店」は那覇港の近くに存在していた。
    • 恐らく、定期旅客船が多数発着する泊港に置かれる。
  9. 「途中駅」として奄美大島などを経由していたかもしれない。
  10. 採算が取れないため民営化後に奄美まで短縮or廃止されていた。
    • 奄美まで短縮したらもっと採算取れないと思う。
  11. 意外に、(実史の)博多~釜山間の国際航路を運行する「JR九州高速船」が、この区間も運行するとか。
  12. 鉄道敷設法には沖縄の路線計画も存在していた(実際にどれほど建設されたかは不明)。