ページ「Chakuwiki:管理者選任制度/第7回」と「もしあの区間に国鉄が連絡船を運航していたら」の間の差分

< Chakuwiki:管理者選任制度(ページ間の差分)
ナビゲーションに移動 検索に移動
>Koma2
 
(「瀬戸」など修正あり)
タグ: 改変
 
1行目: 1行目:
< [[Chakuwiki:管理者選任制度]]
新規追加はエリアごとに東から西、北から南(海岸線の位置基準)になるようにお願いします。
*'''投票ルールについては上記管理者選任制度をご覧下さい。'''
==北海道==
=={{User|リオス}}氏==
===江差~奥尻===
*選挙期間:2012/12/24(月) 0:00- 2013/1/6(日) 23:59 推薦人:[[利用者:むらまさ|むらまさ]]
#名称は「奥尻連絡線」
#江差駅は江差港に作られた。
#奥尻島に国鉄バスが走っていた。
#遅くとも江差線廃止と共にJRは運営から離れていた。
#*実史で江差線「木古内⇔江差」間の廃止で、バス転換を引き継いだ函館バスにより運行かな?その場合、社名は、「HBフェリー」かも。


===管理方針<!--候補者による所信表明-->===
===函館~小湊===
私が管理者として行いたい方針は以下の通りです。出来るだけ簡潔にまとめてみました。(以前の管理者候補と少し被ってるかもしれませんが)
正確には航路再開(一時期青森港が使えなかったことによるもの、その後常設航路化の[http://logging-railway.arrow.jp/modules/haisen/kominato.html 陳情]があった。)
#記事の管理作業については基本的に今まで通り。
#岸壁が小型のものしかないため船も小型のみだった。
#*できれば、常連利用者に対して管理方法を教えるのもいいかなと考えています。
#*そのため青函航路現役時はあくまで補完航路の位置づけだった。
#利用者との対話の機会を増やす。
#青函航路廃止後青函トンネルを通過できない危険貨物列車のため存続している。
#*助言や注意などは、出来るだけ長すぎず、分かり易くさせていこうと思います。
#小湊駅から国鉄小湊港線から開通。
#*特に初心者に対しては優しく接し、常連利用者にさせることが出来るような対話を行いたいと考えています。
#旅客輸送はほとんど期待できないためJRグループだとしてもJR貨物の運航だった。
#議論などには積極的に参加する。
#*そのため青函貨物をこちらに移行していた。
#*自分からも議論や企画などを提案していきたいと考えています。
#慣れるまでは簡単な管理者権限だけを使う。
#*例えば削除権限は、最初のうちはページを統合した場合のみに使おうと思います。
#*長期ブロックや不適切な内容の削除などの判断が難しい管理者権限は、管理者としての経験を積むまでは先輩管理者達に任せようと思います。
*特に大きなマニフェストではないと思います。最後に、せっかく管理者になれたのに、Chakuwikiを離れるなんてもったいないと思うので、出来るだけ長く管理者として活動して行きたいと思います。--[[利用者:リオス|リオス]] 2012年12月24日 (月) 07:11 (JST)


===信任===
===函館~大間===
#--[[利用者:むらまさ|むらまさ]] 2012年12月24日 (月) 09:18 (JST)
#大間線はもちろん全線開通していた。
#--[[利用者:無いです|無いです]] 2012年12月24日 (月) 12:57 (JST)
#*戸井線もできてたら戸井港発着だったかも。
#--[[利用者:北原あやめ|北原あやめ]] 2012年12月24日 (月) 13:34 (JST)
#青函トンネル東ルートの伏線とも言われてたかも。
#--[[利用者:I.T.Revolution|<span style="color:DarkTurquoise">'''I.T.Revolution'''</span>]] 2012年12月24日 (月) 15:02 (JST)
#青函連絡船廃止の頃にJRグループから分離される。
#--[[利用者:中之島線|中之島線]] 2012年12月24日 (月) 15:24 (JST)
#--[[利用者:フレンドボーイ42|フレンドボーイ42]] 2012年12月24日 (月) 16:44 (JST)
#--[[利用者:Tsubasa|Tsubasa]] 2012年12月24日 (月) 16:57 (JST)
#--[[利用者:Kの特急|Kの特急]] 2012年12月24日 (月) 22:33 (JST)
#--[[利用者:ヱスノ|ヱスノ]] 2012年12月25日 (火) 01:43 (JST)
#--[[利用者:稲荷大黒|稲荷大黒]] 2012年12月25日 (火) 16:49 (JST)
#--[[利用者:ひでや|ひでや]] 2012年12月26日 (水) 02:31 (JST)
#--[[利用者:りょうち|りょうち]] 2012年12月26日 (水) 10:22 (JST)
#--[[利用者:御蒲田弓之助|御蒲田弓之助]] 2012年12月26日 (水) 15:15 (JST)
#--[[利用者:崖っぷちの歩女|崖っぷちの歩女]] 2012年12月26日 (水) 17:04 (JST)
#--[[利用者:Pão de Lô|Pão de Lô]] 2012年12月26日 (水) 21:40 (JST)
#--[[利用者:IK|IK]] 2012年12月28日 (金) 10:54 (JST)
#--[[利用者:マイン乾布|マイン乾布]] 2012年12月28日 (金) 13:38 (JST)
#--[[利用者:オッサン|オッサン]] [[利用者:オッサン|オッサン]] 2012年12月29日 (土) 14:48 (JST)
#--[[利用者:興|興]] 2012年12月29日 (土) 15:09 (JST)
#--[[利用者:超怪力男|超怪力男]] 2013年1月2日 (水) 22:46 (JST)
#--[[利用者:Kst01|Kst01]] 2013年1月4日 (金) 00:18 (JST)
#--[[利用者:TOMOKI|TOMOKI]] 2013年1月4日(金)12:12(JST)
#--[[利用者:吉田宅浪|吉田宅浪]] 2013年1月4日 (金) 17:41 (JST)
#--[[利用者:Koma2|Koma2]] 2013年1月5日 (土) 18:44 (JST)


===不信任===
==日本海側==
===新潟~両津===
#佐渡島に国鉄バスが走っていた。
#*そうなると佐渡島内のバスは現在は新潟交通佐渡ではなくJRバス新潟(仮)かJRバス信越(仮)だった可能性もある。
#**新潟県内のバス事情も多少変わっていたかもしれない。
#*むしろ国鉄佐渡線構想が実現していた。
#[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]に引き継がれていた場合、当航路が「土日きっぷ」のエリアになったため、佐渡島の観光客は現実よりも増えていたかも。
#*えちごワンデーパスが1,500円、ツーデーパスが2,500円、現実の佐渡汽船の同区間カーフェリーが2等2,320円(全て大人料金、2012年1月現在)なので、ワンデーパスは無理かもしれないがツーデーパスの範囲には含まれているかも。
#[[佐渡の交通#佐渡汽船|佐渡汽船]]は存在していない。
#(存在していたとして)直江津~小木間の航路は周遊券の指定地接続線から外れていた。
#*「周遊指定地 佐渡 乗換駅」の表記は新潟駅にしか存在しなかった。
#国鉄ジェットフォイルが就航。


===質疑応答===
==太平洋側==
#このような場で質問していいのかどうかわかりませんが、質問させてください。[[作品の噂]]ページから直接各種作品の噂を作成することについて、どういう考えをお持ちでしょうか。<!--私自身は、「作品の噂」は「ファンの噂から独立した、ファンのページにおけるそのものの噂」のページだと認識していまして、直接作品の噂を作ることはChakuwikiのスタンスに左右されるのではないかと考えております。-->回答の方、よろしくお願いします。--[[利用者:北原あやめ|北原あやめ]] 2012年12月24日 (月) 13:34 (JST)
===久里浜~金谷===
#*作品の噂を直接作成することは、かなり難易度が高いと思います。スタブを回避できるくらい書けば、内容が個人的すぎる記事になりかねません。例えば、先日作成され既に削除された「Another」がまさにそれでした。ファンの噂から分割して作成するか、バカの卵で起案協力させた方が確実だと思います。--[[利用者:リオス|リオス]] 2012年12月27日 (木) 23:26 (JST)
#名称は「久金(きゅうきん)連絡船」?
#**回答ありがとうございます。作品の噂作成に対する意見を聞けて、参考になりました。--[[利用者:北原あやめ|北原あやめ]] 2012年12月28日 (金) 00:35 (JST)
#横須賀線は久里浜の港まで延長されていた。
#*かつての「東京湾フリーきっぷ」はJRだけで完結できていた。
#*複線化も進展していた。


===コメント===
===沼津~松崎===
#(推薦者)活動歴は1年強ですが、主にページ統合をはじめとする管理編集作業に尽力いただき、既にそれはChakuwikiの主力となっております。リンク修正を含むページ統合など手間のかかる作業を地道にされ、頭の下がる思いです。今後もChakuwikiの整備に活躍していただきたく、管理者に推薦いたします。 --[[利用者:むらまさ|むらまさ]] 2012年12月24日 (月) 09:18 (JST)
#鉄道敷設法別表第61号の先行航路として開業。
#同じような立場で管理活動している身として、氏の働きには非常に感謝しております。--[[利用者:無いです|無いです]] 2012年12月24日 (月) 12:57 (JST)
#*名称は伊豆箱根鉄道に併せて「西伊豆連絡船」か。
#ありそうなニュース見出し、絶対条件、お国自慢など都道府県別の噂関連のページ統合作業は本当にすごいと思います。--[[利用者:北原あやめ|北原あやめ]] 2012年12月24日 (月) 13:34 (JST)
#松崎から国鉄バスが下田まで走っていた。
#時は来たー、それだけだ。--[[利用者:I.T.Revolution|<span style="color:DarkTurquoise">'''I.T.Revolution'''</span>]] 2012年12月24日 (月) 15:02 (JST)
#駅が設置される予定の町にも寄港していた。
#異議なし。むしろもっと早く就任しても良かったくらいです。--[[利用者:Kの特急|Kの特急]] 2012年12月24日 (月) 22:33 (JST)
#JRバスの撤退と共に廃止される。
#管理者就任以後自分がやりたいと思いながら気分が乗らず出来なかったことは、更新を眺めてると結構氏が行ってました。<small>自分になかった</small>実行力と継続力に期待して。--[[利用者:ヱスノ|ヱスノ]] 2012年12月25日 (火) 01:43 (JST)
#*前述の伊豆箱根鉄道にでも譲渡されたか。
#もうすでに皆さんがおっしゃられている通りです。今後も末永いご活躍を期待します。--[[利用者:御蒲田弓之助|御蒲田弓之助]] 2012年12月26日 (水) 15:15 (JST)
#国鉄こばるとあろーが就航
#なんかこうして自分が同時期に管理者推薦されてることが恥ずかしくなるぐらい、自分よりもはるかに適任の方だと思います。ぜひ見習っていきたいです。 --[[利用者:Pão de Lô|Pão de Lô]] 2012年12月26日 (水) 21:40 (JST)


===結果===
===伊良湖~師崎===
#国鉄渥美線、あるいは武豊線師崎延伸は実現していた。
#前者のみの場合、武豊~師崎に国鉄バスが走っていた。
#武豊線の電化が早まっていた。


=={{User|Pão de Lô}}(パン・デ・ロー)氏==
===伊良湖~鳥羽===
*選挙期間:2012/12/24(水) 0:00- 2013/1/8(火) 23:59 推薦人:[[利用者:むらまさ|むらまさ]]
#[[豊橋鉄道]]渥美線が伊良湖まで延伸の上JRに
#*最低でも快速列車は走っていた。
#*渥美線が豊橋駅に乗り入れる代わりに、新豊橋駅が名鉄の所有となりJRと線路を共用しなくなった。
#参宮線が延伸し中之郷周辺まで
#*複線化されていたかも。
#**全線ではなく、交換駅の連続するところだけの複線化ならやりそう。
#快速みえが特急に格上げ。
#ここにも国鉄ホーバークラフトが就航。


===管理方針<!--候補者による所信表明-->===
==瀬戸内海==
ここ数日リアルで多忙だったため、所信表明が遅れてしまったことをお詫び申し上げます。このたび管理者に推挙していただき、はじめはその気は無かったのですが、会話ページのやり取りの中で、少しでもお役に立てるならと思って、ノコノコ出てきました。管理、というか投稿の方針としては、
===明石~岩屋===
#Chakuwikiは、バカのための、誰にとっても楽しいサイトだと思います。
#名称は「明岩連絡船」。
#*そのためにはまず、バカにもわかりやすい内容や、見やすくなるための節・見出し・ぶらさげコメントの組み立て方を重視していきたいです。
#*読み方はみょうがん? めいがん?
#*地域の噂や駅の噂などの分割・統合なども、できる範囲で他の管理者の方々に協力していきたいと思います。
#当然ながら明石海峡大橋の架橋と同時に廃止。
#自分自身、もともと地域の噂が気に入ってこのサイトに来たこともあり、いろんな地域の噂を大切にしたいです。その中で、それぞれの国や地域、そしてそこに住んでる人や歴史・文化に敬意を持つことを忘れないように。他の地域を貶める失礼な投稿には厳しく注意していきたいと思います。
#*JRバス「大磯号」などが事実上の代替路線となる。
#他のユーザーへの会話・警告・ブロックは、特に最初は慎重に行うつもりです。おそらく投稿ブロックや削除権限は、自分で行使することはいまのところ考えられません。
#山陽新幹線の停車駅が、西明石→明石駅に変わっていたかも。
#「もしWiki」や「○○キャラ」「偽モノ」などのページは、これまでほとんど自分で投稿してきたことがなく、守備範囲外なのですが、割り込みや記述内容除去などの明らかなルール違反についてはできるかぎり対応していきたいと思います。
#鉄道先行の観点から、岩屋~洲本間に国鉄バスが走っていた。
#もっとも、これまでの投稿頻度が少ないこともあり、なかなか出番はないかもしれません。でもじつは「最近更新したページ」はほぼ毎日スマホも併せてチェックしているので、投稿・編集回数は増やせると思います。
#*洲本~福良間は当時あった淡路鉄道線にお任せ。
・・・・・・長くなってしまいましたが、いまはこんなところです。これからもChakuwikiに楽しく参加していきます。 --[[利用者:Pão de Lô|<font color="9400D3">Pão de Lô</font>]] 2012年12月25日 (火) 21:10 (JST)
#**後々岩屋~洲本に国鉄淡路島線が開通し、その後淡路鉄道線も買収されていた。
#*この場合、鳴門~福良間の「鳴福(めいふく)連絡船」も存在したかも。
#**となると「国鉄線⇔国鉄連絡船⇔国鉄バス⇔淡路鉄道⇔国鉄連絡船⇔国鉄線」という連絡運輸が設定されることになる。
#*[[もし本四架橋の神戸鳴門ルートに鉄道が通っていたら|神戸鳴門ルートには鉄道が通っていた]]


===信任===
===和歌山~小松島===
#--[[利用者:むらまさ|むらまさ]] 2012年12月26日 (水) 00:17 (JST)
#南海和歌山港線は、国有化された。
#--[[利用者:フレンドボーイ42|フレンドボーイ42]] 2012年12月26日 (水) 01:15 (JST)
#*但し、歴史的経緯から[[南海電気鉄道|南海電鉄]]とは線路を共用するかたちとし、南海の列車もそのまま(使用料無しで)乗り入れる。飯田線の豊橋~平井(信)と同様。
#--[[利用者:008|''008'']] 2012年12月26日 (水) 08:13 (JST)
#*久保町、築地橋、築港町の3駅はJR駅として今も存続。飯田線の船町、下地駅のような存在。
#--[[利用者:りょうち|りょうち]] 2012年12月26日 (水) 10:22 (JST)
#**和歌山港-水軒間は史実通り廃止になっている。
#--[[利用者:御蒲田弓之助|御蒲田弓之助]] 2012年12月26日 (水) 15:15 (JST)
#*久保町から先は和歌山県が線路を保有していることを考えると、国有化ではなく南海と共に第二種鉄道事業として乗り入れを選んだ可能性が高い。県が保有していない和歌山市-久保町間は上にある通り国鉄と南海が線路を共用する形になるとは思うけど。
#--[[利用者:無いです|無いです]] 2012年12月26日 (水) 17:31 (JST)
#名称は「和小(わしょう)連絡船」。
#--[[利用者:興|興]] 2012年12月26日 (水) 19:10 (JST)
#阪和線の紀伊中ノ島駅から紀和駅への連絡線が造られ、天王寺~和歌山港間に快速が運転されていた。
#--[[利用者:Kの特急|Kの特急]] 2012年12月26日 (水) 23:54 (JST)
#*使用車両は急行「きのくに」と共通運用のキハ58系か。電化後は113系青帯車。
#--[[利用者:I.T.Revolution|<span style="color:DarkTurquoise">'''I.T.Revolution'''</span>]] 2012年12月27日 (木) 15:32 (JST)
#**電化も実史より早かった。
#--[[利用者:稲荷大黒|稲荷大黒]] 2012年12月27日 (木) 20:22 (JST)
#**車両はいずれ223系に置き換えられていただろう。
#--[[利用者:リオス|リオス]] 2012年12月27日 (木) 23:26 (JST)
#*所要時間が1時間程かかるので、指定席が設けられたと思われる。そのため愛称も設定されていた。
#--[[利用者:北原あやめ|北原あやめ]] 2012年12月28日 (金) 00:35 (JST)
#*和歌山線がここまで衰退することはなかった。
#--[[利用者:IK|IK]] 2012年12月28日 (金) 10:55 (JST)
#**南海和歌山市駅が史実以上に賑わっていた。
#--[[利用者:マイン乾布|マイン乾布]] 2012年12月28日 (金) 13:38 (JST)
#*場合によってはこちらが新快速を名乗る。
#--[[利用者:中之島線|中之島線]] 2012年12月28日 (金) 14:05 (JST)
#*普通列車は和歌山-和歌山港間のピストン運行になっている。
#--[[利用者:ひでや|ひでや]] 2012年12月28日 (金) 20:11 (JST)
#*天王寺駅の連絡線が完成後は新大阪発着になっている。
#--[[利用者:りんご3号|りんご3号]] 2012年12月29日 (土) 16:19 (JST)
#**それ以前に[[おおさか東線|<span style='color:#00f;background-color:#f9feff;'>おおさか東線]][[もしあの鉄道路線が別の年に開業していたら/近畿#おおさか東線|<span style='color:#00f;background-color:#fdfdff; '>の開業]]が早まり[[もしあの鉄道路線が旅客化されていたら#阪和貨物線|<span style='color:#00f;background-color:#fdfdff; '>阪和貨物線も旅客化されていた。]]
#--[[利用者:Kst01|Kst01]] 2013年1月4日 (金) 00:18 (JST)
#和歌山駅が東和歌山駅のままだったかも。
#--[[利用者:TOMOKI|TOMOKI]] 2013年1月4日(金)12:12(JST)
#国鉄小松島線は廃止されなかったかもしれない。
#--[[利用者:吉田宅浪|吉田宅浪]] 2013年1月4日 (金) 17:41 (JST)
#*小松島市は現実ほど衰退しなかった。
#--[[利用者:オッサン|オッサン]][[利用者:オッサン|オッサン]] 2013年1月5日 (土) 14:22 (JST)
#*もし小松島線が廃止されていた場合、現実どおり四国側の発着地を徳島港に変更、「和徳連絡船」と改称されていた。
#競合相手である南海フェリーの便数に影響が出ていた。
#民営化後はJR西日本とJR四国の共同運航になっていた。
#大阪~徳島を青春18きっぷで移動する人が多くなっていた。
#船は明石海峡大橋開通後の2000年まで宇高連絡船と同型のものが使用されていた。宇高航路の伊予丸と同型の「紀伊丸」「淡路丸」が就航し、瀬戸大橋開通で宇高連絡船が廃止された後は讃岐丸が転属して2000年まで使用された。2000年以降はそれらの船の引退と同時に鉄道車両の航送を廃止してカーフェリーに転換していた。


===不信任===
===三原~今治===
#[[瀬戸大橋]]開通までは本州から[[愛媛|愛媛県]]へのメインルートとなっていた。
#*三原駅への「ひかり」停車は現実よりも多かった。
#*特急「宇和海」は国鉄時代から今治~宇和島間で運転されていた。
#[[しまなみ海道]]の本州側起点は三原になっていた。
#広島県東部の中心都市は福山市ではなく三原市になっていた。
#名称は「三今連絡船」
#*サンコン連絡船?
#*あるいは「予備連絡船」。伊予と備後を結ぶので。
#国鉄ホーバーマランが就航。


===質疑応答===
===広島~松山===
#正直な所、私は当初反対に回るつもりでした。もちろん能力や日頃の姿勢また人柄を否定するものではなく、一に投稿頻度の問題です。Chakuwikiの為に無理して時間を割く必要はありませんが、それでもやはりある程度は恒常的また継続的に見ていて欲しいという事があります。もう1つは対人管理の問題。荒らし対応はもちろんですが、違反投稿者への注意という事も求められます。二にこういった活動があまり見られなかった事。これらの点を心配していましたが、先の「管理方針」でこれらの事に予め触れられていて非常に納得させられました。既に反対の意思はありません。前置きが長くなり申し訳ありませんが、管理者には目に見える権限と目に見えない権限があります。また権限がなくとも管理活動をする事は可能です。改めてPão de Lôさん自身、管理者権限を必要とされていますか?またどの権限に利点を見出されていますか?難しく面倒な質問とは存じますがお答え頂ければ幸いです。--[[利用者:I.T.Revolution|<span style="color:DarkTurquoise">'''I.T.Revolution'''</span>]] 2012年12月26日 (水) 16:19 (JST)
#名称は「広松連絡船」
#*【回答】ご質問ありがとうございます。そうですね、たしかにほんの少し前まで、まさか自分が管理者になって権限を持つなんて夢にも思ってなかったぐらいですから、おっしゃるように管理者権限は「ぜひとも必要。ほしい。」というものではありません。(だから管理者に信任されなかったとしても別に困ることはないし、がっかりすることもないと思います。)<br>ただ、もし自分が管理者に信任された場合の権限としては、ページの書き込み保護・解除の権限を行使することはあるかもと想定しています。それと他のユ-ザーに対して、たとえば一括投稿のお願いなどテンプレートを使って注意を促すこともありうると思います。ページ削除やユーザーブロックは、いまのところ他の管理者の方の判断を仰ぐことになるかなと思っています。 --[[利用者:Pão de Lô|Pão de Lô]] 2012年12月26日 (水) 21:30 (JST)
#*あるいは駅名から取って「宇<!--品-->三<!--津浜-->連絡船」かもしれない。
#[[松山市]]の広島志向が現実以上に強くなっていた。
#*広島と愛媛でテレビ放送の相互乗り入れが行われていたかも。
#国鉄宇品線は連絡船がある限り存続している。
#*名前も役割も似ている[[瀬戸大橋線|宇野線]]と時折混同されていた。
#**のちに分かりやすくする為「広島港」駅に改称されていた。
#*[[山陽本線|<span style='color:#fdfdff;background-color:#00f;'>山陽線]][[もしあの鉄道路線が○○だったら/JR西日本#宇品線|<span style='color:#00f;background-color:#fdfdff; '>の支線扱いになっていたら]]あり得た。
#乗り継ぎ割引制度が「広島に発着する新幹線」-「松山に発着する特急・急行」間にも適用されていた。
#本四備讃線開通前の寝台特急「瀬戸」は東京-宇野・宇品を結んでいた。
#*宇品(広島港)発着の寝台特急が「安芸」を名乗った可能性も。
#仁堀航路は存在しないか、その代わりとして運行が開始された。
#三津浜駅に今も特急が停車している。
#*しかし、港から駅まで少し距離があるので国鉄バス→JR四国バスで連絡。
#**のちに松山駅へ延伸される。
#国鉄水中翼船が就航。


===コメント===
===八幡浜~別府===
#(推薦者)活動頻度は低いものの、特に九州北部を地盤とするご当地ネタとページ管理の的確性から推薦いたします。ご当地ネタ投稿の量・質の低下傾向のある中で"地に足のついた実感のある"投稿や堅実な管理については一般投稿者の模範たるにふさわしいと考えます。また問題投稿に対する感性も貴重なものだと思います。無理のない範囲で今まで通りご当地を愛して投稿・管理していただければと願っております。 --[[利用者:むらまさ|むらまさ]] 2012年12月26日 (水) 00:17 (JST)
#路線名は「国鉄九四連絡船」となっていた。
#地元情報提供面で、投稿者の鑑(かがみ)とも言え頼もしい限り。西方の警固番役をお任せします。--''008'' 2012年12月26日 (水) 12:59 (JST)
#別府港の最寄り駅として予定通り新別府駅が開業していた。
#「いずれSOへの登用もあり得るユーザーかな?」と思っていました。無理ない範囲で業務に取り組んでいただきたいです。--[[利用者:Kの特急|Kの特急]] 2012年12月26日 (水) 23:54 (JST)
#*八幡浜側は駅から港との距離が離れていたので国鉄バスでの連絡になった。
#質疑応答へのご回答ありがとうございました。所信表明と合わせて信任させて頂きます。--[[利用者:I.T.Revolution|<span style="color:DarkTurquoise">'''I.T.Revolution'''</span>]] 2012年12月27日 (木) 15:32 (JST)
#*「新別府駅」じゃなくて「別府港駅」だと思う。
#信任のコメントありがとうございます(まさかそこまで言われると思いませんでした)。貴方こそ、その地道な活動は管理者として十分適任だと思います。同期の管理者として、一緒に活動していければ光栄だと思います。--[[利用者:リオス|リオス]] 2013年1月4日 (金) 20:46 (JST)
#現在も存続していたら最長片道切符の旅で四国を経由することができた。
#船名は「九重丸」や「石鎚丸」といったあたりが想定される。
#民営化後にJR四国の所有になっていたら元宇高連絡船が使用されていたかもしれない。


===結果===
===宿毛~佐伯===
#なるとすれば宿毛観光汽船を買収して宿毛線の支線扱いとする。
#宿毛線は宿毛までは完成していたかもしれない。
#おそらく中村線・宿毛線共々土佐くろしお鉄道に引き継がれていた。


[[Category:Chakuwiki管理者選出|07]]
==九州==
===博多~郷ノ浦~厳原===
#路線名は「国鉄壱岐・対馬連絡船」か?
#博多臨港線は旅客化されていた。
#もちろん壱岐・対馬にも国鉄バスの路線がある。
#*「国鉄対馬線」の構想も出そう。
#関釜連絡船に「壱岐丸」や「対馬丸」が就航することはなかった。
#国鉄ジェットフォイルが就航。
 
===三池~島原===
#路線名は「三島(さんとう)連絡船」。
#国鉄が大牟田駅から三池港まで運炭を兼ねて連絡線を建設していた。
#*三池港駅から博多駅まで急行が走っていた。
#島原鉄道が国有化されていた。
#*但し、現在でもJRかどうかは不明。
 
===鹿児島~桜島===
*桜島港から垂水方面へのバス路線は国鉄バスだったのだから、実現していたとしても不思議ではない。
#名称は「桜島連絡船」。
#宮島と同様に、桜島フェリー(桜島町営→鹿児島市船舶部)も並存するかたちだったかも。
#西鹿児島駅が中心駅の地位を確立した時点で、西鹿児島駅→鹿児島駅、鹿児島駅→'''鹿児島港'''駅への改称が行われた。
#*よって[[九州新幹線]]部分開業時の駅名改称騒動はなく、「鹿児島中央」という駅名も存在しない。
#[[JR九州バス]]桜島線は廃止されなかったかも。
#戦前からあった場合、国鉄大隅線を(志布志から)垂水~国分ではなく垂水~桜島港に変更していたら今もJR大隅線として残っていたかもしれない。
 
===鹿児島~那覇===
#名称は「鹿那(かな)連絡船」。
#*普通に「沖縄連絡船」とかのような気が。
#戦時中は米軍に度々撃沈されていた。
#戦後途絶えるも沖縄の日本復帰とともに復活。
#長距離の為1日1便か2便となる。
#寝台特急「なは」の愛称は文字通り沖縄連絡を意味するものとなっていた。
#*もちろんこの連絡船と接続するダイヤ。
#「JR沖縄バス」という会社がJR九州傘下に存在した。
#*JRバスに対抗するために、既存バス会社は1~2つに合併していたかも。
#*史実の沖縄高速バス111番系統も「国鉄沖縄ハイウェイバス(沖縄高速線)」として開業。JR沖縄バスに引き継がれ現在も運行中。
#*沖縄ではバスターミナルを「駅」と呼ぶことが一般化していた。
#青春18きっぷは利用できなかった。
#「JR九州沖縄支店」は那覇港の近くに存在していた。
#*恐らく、定期旅客船が多数発着する泊港に置かれる。
#「途中駅」として奄美大島などを経由していたかもしれない。
#採算が取れないため民営化後に奄美まで短縮or廃止されていた。
#*奄美まで短縮したらもっと採算取れないと思う。
#意外に、(実史の)博多~釜山間の国際航路を運行する「JR九州高速船」が、この区間も運行するとか。
#鉄道敷設法には沖縄の路線計画も存在していた(実際にどれほど建設されたかは不明)。
#*旧[[沖縄ぬ交通#沖縄県営鉄道|沖縄県営鉄道]]をそのまま省線に編入かな。
#*戦後の[[もし沖縄の鉄道復旧計画が実現していたら|鉄道復旧計画]]にも関わってくる。
 
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 国鉄・JR史|れんらくせん]]

2022年1月21日 (金) 16:28時点における版

新規追加はエリアごとに東から西、北から南(海岸線の位置基準)になるようにお願いします。

北海道

江差~奥尻

  1. 名称は「奥尻連絡線」
  2. 江差駅は江差港に作られた。
  3. 奥尻島に国鉄バスが走っていた。
  4. 遅くとも江差線廃止と共にJRは運営から離れていた。
    • 実史で江差線「木古内⇔江差」間の廃止で、バス転換を引き継いだ函館バスにより運行かな?その場合、社名は、「HBフェリー」かも。

函館~小湊

正確には航路再開(一時期青森港が使えなかったことによるもの、その後常設航路化の陳情があった。)

  1. 岸壁が小型のものしかないため船も小型のみだった。
    • そのため青函航路現役時はあくまで補完航路の位置づけだった。
  2. 青函航路廃止後青函トンネルを通過できない危険貨物列車のため存続している。
  3. 小湊駅から国鉄小湊港線から開通。
  4. 旅客輸送はほとんど期待できないためJRグループだとしてもJR貨物の運航だった。
    • そのため青函貨物をこちらに移行していた。

函館~大間

  1. 大間線はもちろん全線開通していた。
    • 戸井線もできてたら戸井港発着だったかも。
  2. 青函トンネル東ルートの伏線とも言われてたかも。
  3. 青函連絡船廃止の頃にJRグループから分離される。

日本海側

新潟~両津

  1. 佐渡島に国鉄バスが走っていた。
    • そうなると佐渡島内のバスは現在は新潟交通佐渡ではなくJRバス新潟(仮)かJRバス信越(仮)だった可能性もある。
      • 新潟県内のバス事情も多少変わっていたかもしれない。
    • むしろ国鉄佐渡線構想が実現していた。
  2. JR東日本に引き継がれていた場合、当航路が「土日きっぷ」のエリアになったため、佐渡島の観光客は現実よりも増えていたかも。
    • えちごワンデーパスが1,500円、ツーデーパスが2,500円、現実の佐渡汽船の同区間カーフェリーが2等2,320円(全て大人料金、2012年1月現在)なので、ワンデーパスは無理かもしれないがツーデーパスの範囲には含まれているかも。
  3. 佐渡汽船は存在していない。
  4. (存在していたとして)直江津~小木間の航路は周遊券の指定地接続線から外れていた。
    • 「周遊指定地 佐渡 乗換駅」の表記は新潟駅にしか存在しなかった。
  5. 国鉄ジェットフォイルが就航。

太平洋側

久里浜~金谷

  1. 名称は「久金(きゅうきん)連絡船」?
  2. 横須賀線は久里浜の港まで延長されていた。
    • かつての「東京湾フリーきっぷ」はJRだけで完結できていた。
    • 複線化も進展していた。

沼津~松崎

  1. 鉄道敷設法別表第61号の先行航路として開業。
    • 名称は伊豆箱根鉄道に併せて「西伊豆連絡船」か。
  2. 松崎から国鉄バスが下田まで走っていた。
  3. 駅が設置される予定の町にも寄港していた。
  4. JRバスの撤退と共に廃止される。
    • 前述の伊豆箱根鉄道にでも譲渡されたか。
  5. 国鉄こばるとあろーが就航

伊良湖~師崎

  1. 国鉄渥美線、あるいは武豊線師崎延伸は実現していた。
  2. 前者のみの場合、武豊~師崎に国鉄バスが走っていた。
  3. 武豊線の電化が早まっていた。

伊良湖~鳥羽

  1. 豊橋鉄道渥美線が伊良湖まで延伸の上JRに
    • 最低でも快速列車は走っていた。
    • 渥美線が豊橋駅に乗り入れる代わりに、新豊橋駅が名鉄の所有となりJRと線路を共用しなくなった。
  2. 参宮線が延伸し中之郷周辺まで
    • 複線化されていたかも。
      • 全線ではなく、交換駅の連続するところだけの複線化ならやりそう。
  3. 快速みえが特急に格上げ。
  4. ここにも国鉄ホーバークラフトが就航。

瀬戸内海

明石~岩屋

  1. 名称は「明岩連絡船」。
    • 読み方はみょうがん? めいがん?
  2. 当然ながら明石海峡大橋の架橋と同時に廃止。
    • JRバス「大磯号」などが事実上の代替路線となる。
  3. 山陽新幹線の停車駅が、西明石→明石駅に変わっていたかも。
  4. 鉄道先行の観点から、岩屋~洲本間に国鉄バスが走っていた。
    • 洲本~福良間は当時あった淡路鉄道線にお任せ。
      • 後々岩屋~洲本に国鉄淡路島線が開通し、その後淡路鉄道線も買収されていた。
    • この場合、鳴門~福良間の「鳴福(めいふく)連絡船」も存在したかも。
      • となると「国鉄線⇔国鉄連絡船⇔国鉄バス⇔淡路鉄道⇔国鉄連絡船⇔国鉄線」という連絡運輸が設定されることになる。
    • 神戸鳴門ルートには鉄道が通っていた

和歌山~小松島

  1. 南海和歌山港線は、国有化された。
    • 但し、歴史的経緯から南海電鉄とは線路を共用するかたちとし、南海の列車もそのまま(使用料無しで)乗り入れる。飯田線の豊橋~平井(信)と同様。
    • 久保町、築地橋、築港町の3駅はJR駅として今も存続。飯田線の船町、下地駅のような存在。
      • 和歌山港-水軒間は史実通り廃止になっている。
    • 久保町から先は和歌山県が線路を保有していることを考えると、国有化ではなく南海と共に第二種鉄道事業として乗り入れを選んだ可能性が高い。県が保有していない和歌山市-久保町間は上にある通り国鉄と南海が線路を共用する形になるとは思うけど。
  2. 名称は「和小(わしょう)連絡船」。
  3. 阪和線の紀伊中ノ島駅から紀和駅への連絡線が造られ、天王寺~和歌山港間に快速が運転されていた。
    • 使用車両は急行「きのくに」と共通運用のキハ58系か。電化後は113系青帯車。
      • 電化も実史より早かった。
      • 車両はいずれ223系に置き換えられていただろう。
    • 所要時間が1時間程かかるので、指定席が設けられたと思われる。そのため愛称も設定されていた。
    • 和歌山線がここまで衰退することはなかった。
      • 南海和歌山市駅が史実以上に賑わっていた。
    • 場合によってはこちらが新快速を名乗る。
    • 普通列車は和歌山-和歌山港間のピストン運行になっている。
    • 天王寺駅の連絡線が完成後は新大阪発着になっている。
  4. 和歌山駅が東和歌山駅のままだったかも。
  5. 国鉄小松島線は廃止されなかったかもしれない。
    • 小松島市は現実ほど衰退しなかった。
    • もし小松島線が廃止されていた場合、現実どおり四国側の発着地を徳島港に変更、「和徳連絡船」と改称されていた。
  6. 競合相手である南海フェリーの便数に影響が出ていた。
  7. 民営化後はJR西日本とJR四国の共同運航になっていた。
  8. 大阪~徳島を青春18きっぷで移動する人が多くなっていた。
  9. 船は明石海峡大橋開通後の2000年まで宇高連絡船と同型のものが使用されていた。宇高航路の伊予丸と同型の「紀伊丸」「淡路丸」が就航し、瀬戸大橋開通で宇高連絡船が廃止された後は讃岐丸が転属して2000年まで使用された。2000年以降はそれらの船の引退と同時に鉄道車両の航送を廃止してカーフェリーに転換していた。

三原~今治

  1. 瀬戸大橋開通までは本州から愛媛県へのメインルートとなっていた。
    • 三原駅への「ひかり」停車は現実よりも多かった。
    • 特急「宇和海」は国鉄時代から今治~宇和島間で運転されていた。
  2. しまなみ海道の本州側起点は三原になっていた。
  3. 広島県東部の中心都市は福山市ではなく三原市になっていた。
  4. 名称は「三今連絡船」
    • サンコン連絡船?
    • あるいは「予備連絡船」。伊予と備後を結ぶので。
  5. 国鉄ホーバーマランが就航。

広島~松山

  1. 名称は「広松連絡船」
    • あるいは駅名から取って「宇三連絡船」かもしれない。
  2. 松山市の広島志向が現実以上に強くなっていた。
    • 広島と愛媛でテレビ放送の相互乗り入れが行われていたかも。
  3. 国鉄宇品線は連絡船がある限り存続している。
  4. 乗り継ぎ割引制度が「広島に発着する新幹線」-「松山に発着する特急・急行」間にも適用されていた。
  5. 本四備讃線開通前の寝台特急「瀬戸」は東京-宇野・宇品を結んでいた。
    • 宇品(広島港)発着の寝台特急が「安芸」を名乗った可能性も。
  6. 仁堀航路は存在しないか、その代わりとして運行が開始された。
  7. 三津浜駅に今も特急が停車している。
    • しかし、港から駅まで少し距離があるので国鉄バス→JR四国バスで連絡。
      • のちに松山駅へ延伸される。
  8. 国鉄水中翼船が就航。

八幡浜~別府

  1. 路線名は「国鉄九四連絡船」となっていた。
  2. 別府港の最寄り駅として予定通り新別府駅が開業していた。
    • 八幡浜側は駅から港との距離が離れていたので国鉄バスでの連絡になった。
    • 「新別府駅」じゃなくて「別府港駅」だと思う。
  3. 現在も存続していたら最長片道切符の旅で四国を経由することができた。
  4. 船名は「九重丸」や「石鎚丸」といったあたりが想定される。
  5. 民営化後にJR四国の所有になっていたら元宇高連絡船が使用されていたかもしれない。

宿毛~佐伯

  1. なるとすれば宿毛観光汽船を買収して宿毛線の支線扱いとする。
  2. 宿毛線は宿毛までは完成していたかもしれない。
  3. おそらく中村線・宿毛線共々土佐くろしお鉄道に引き継がれていた。

九州

博多~郷ノ浦~厳原

  1. 路線名は「国鉄壱岐・対馬連絡船」か?
  2. 博多臨港線は旅客化されていた。
  3. もちろん壱岐・対馬にも国鉄バスの路線がある。
    • 「国鉄対馬線」の構想も出そう。
  4. 関釜連絡船に「壱岐丸」や「対馬丸」が就航することはなかった。
  5. 国鉄ジェットフォイルが就航。

三池~島原

  1. 路線名は「三島(さんとう)連絡船」。
  2. 国鉄が大牟田駅から三池港まで運炭を兼ねて連絡線を建設していた。
    • 三池港駅から博多駅まで急行が走っていた。
  3. 島原鉄道が国有化されていた。
    • 但し、現在でもJRかどうかは不明。

鹿児島~桜島

  • 桜島港から垂水方面へのバス路線は国鉄バスだったのだから、実現していたとしても不思議ではない。
  1. 名称は「桜島連絡船」。
  2. 宮島と同様に、桜島フェリー(桜島町営→鹿児島市船舶部)も並存するかたちだったかも。
  3. 西鹿児島駅が中心駅の地位を確立した時点で、西鹿児島駅→鹿児島駅、鹿児島駅→鹿児島港駅への改称が行われた。
    • よって九州新幹線部分開業時の駅名改称騒動はなく、「鹿児島中央」という駅名も存在しない。
  4. JR九州バス桜島線は廃止されなかったかも。
  5. 戦前からあった場合、国鉄大隅線を(志布志から)垂水~国分ではなく垂水~桜島港に変更していたら今もJR大隅線として残っていたかもしれない。

鹿児島~那覇

  1. 名称は「鹿那(かな)連絡船」。
    • 普通に「沖縄連絡船」とかのような気が。
  2. 戦時中は米軍に度々撃沈されていた。
  3. 戦後途絶えるも沖縄の日本復帰とともに復活。
  4. 長距離の為1日1便か2便となる。
  5. 寝台特急「なは」の愛称は文字通り沖縄連絡を意味するものとなっていた。
    • もちろんこの連絡船と接続するダイヤ。
  6. 「JR沖縄バス」という会社がJR九州傘下に存在した。
    • JRバスに対抗するために、既存バス会社は1~2つに合併していたかも。
    • 史実の沖縄高速バス111番系統も「国鉄沖縄ハイウェイバス(沖縄高速線)」として開業。JR沖縄バスに引き継がれ現在も運行中。
    • 沖縄ではバスターミナルを「駅」と呼ぶことが一般化していた。
  7. 青春18きっぷは利用できなかった。
  8. 「JR九州沖縄支店」は那覇港の近くに存在していた。
    • 恐らく、定期旅客船が多数発着する泊港に置かれる。
  9. 「途中駅」として奄美大島などを経由していたかもしれない。
  10. 採算が取れないため民営化後に奄美まで短縮or廃止されていた。
    • 奄美まで短縮したらもっと採算取れないと思う。
  11. 意外に、(実史の)博多~釜山間の国際航路を運行する「JR九州高速船」が、この区間も運行するとか。
  12. 鉄道敷設法には沖縄の路線計画も存在していた(実際にどれほど建設されたかは不明)。