ページ「首都圏中央連絡自動車道」と「もし国鉄の分割民営化が○○年早かったら」の間の差分

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{{Pathnav|THE 道|[[THE 道#国道|国道]]|関東の国道}}
==戦後すぐにGHQの指令で民営化していたら==
[[中日本高速道路]]>
===全般===
#長距離寝台特急などは、戦前の話になっていた。
#*貨物も追随していたかもしれない。
#*ただ戦後しばらくは航空機の利用が一般的ではなかったので、長距離輸送にはフェリーが現実以上に活躍した。
#*当時の商船の実態や国民の認識を考慮するとそれはない。
#**商船は大戦の影響で壊滅状態だった上、旅客輸送の主体はフェリーではなく純客船だった。
#*むしろ進駐軍からの返還車両を改造しより豪華な内装になる。
#**鉄道の長距離輸送の需要が大きかったので、廃止までには至らないが、夜行列車衰退は史実より早かった。
#***ヨーロッパのように新たなサービスの導入などが積極的に行われていたら逆にそこまで衰退しなかった可能性あり。
#*航空機の一般化が現実よりも早かったため、成田空港は1回目の東京五輪が行われた1964年に、関西空港は大阪万博を前にした1969~70年に開港していたかもしれない。
#都市圏輸送主体になって都市間輸送は二の次になっていた。
#*手持ちの車両などを踏まえるとそうなるのは早くても昭和30年代に入ってからか。
#分割は鉄道局単位で行われた。
#*後に一部の区分見直しなどがあったかもしれない。
#ローカル線は史実ほど多く建設されていない。
#*JRの経営は現実よりは楽だっただろう。
#新幹線は半官半民の新会社で建設・運行された。
#*戦前の日本電気鉄道計画が日の目を見ていた。
#**あるいは五島慶太などが実際に計画していた「日本鉄道」の計画が実現していた。
#*中曽根政権時代もしくは小泉政権時代に完全民営化された。
#国有化されていない私鉄との経営統合や買収なども発生していた。
#*逆に相鉄・南海・西鉄あたりが「民営化するなら戦時買収路線を返せ」と要求した可能性も。
#*[[小田急電鉄|小田急]]は[[御殿場線]]を国からの払い下げで獲得していた。
#現在では各会社の経営姿勢により鉄道の状況は地方ごとに大きく異なっている。
#専売事業・電信電話事業もほぼ同時に特殊会社になっていた。
#*史実では専売公社・電電公社に移行。
#*日本放送協会も財団法人にはならず、社団法人から特殊会社に移行していた。
#**小泉政権の頃に完全民営化されていたかも。
#[[近畿日本鉄道|近鉄]]の関東進出が成功していたかもしれない。
#*[[東武鉄道|東武]]も会津若松経由で山形まで、[[西武鉄道|西武]]も軽井沢まで路線を伸ばしていただろう。
#*[[山陽電気鉄道|山陽電鉄]]も岡山まで路線を伸ばしていた。
#*江若鉄道は京阪資本により敦賀・福井方面へ延伸された。
#国労や勤労といった大規模な労組が存在しないため労働運動の歴史にも結構影響があった。
#*総評は左傾化することもなかったので、昭和30年代には同じく反共右派の総同盟と合併して史実の連合のようなナショナルセンターが結成されていた。
#*社会党や共産党は早くに衰退し、戦後の日本は現実以上に自民一強状態になっていた。
#**日本は現実よりも右傾化し、憲法改正もあったかも。
#**1960年代後半の学生運動もそれほど激しくなかった。
#**平成初期に55年体制が崩れることはなく、従って民主党は存在しなかった。
#*春闘による私鉄などのストライキも存在しなかった。
#*新自由主義という考え方は既に高度成長期に存在していた。
#**その結果、終身雇用制度は早くになくなり、1960年代のうちに夫婦共働きが当たり前というアメリカ型の社会になっていた。男女雇用機会均等法も同時期に施行されている。
#***非正規雇用も現実以上に多くなっていた。
#****1970年代には格差社会が問題になっていた。
#***戦後の日本は現実よりも少子化のペースが早くなり、第2次ベビーブーム世代の出生数も現実ほどではなかった。
#****あるいは団塊世代が現実よりも晩婚化したため、1980年代まで第2次ベビーブームが続いていた。
#***[[もしバブルがなかったら|1990年前後のバブル景気は到来しなかったかもしれない。]]
#***蒸気機関車や貨物列車、操車場にも女性の鉄道員が従事するようになった。
#***さだまさしの「関白宣言」という歌は発表されなかった。
#プロ野球に「スワローズ」という球団ができることはなかった。
#*セ・リーグは西日本パイレーツ消滅時点の6球団で安定していた。
#**あるいは史実でパ・リーグに属していたどこかの球団がセ・リーグ入りしていた。
#*神宮球場はどこの本拠地になっていたのだろう?
#**大学野球専門の球場になっていた可能性もある。
#地図における経営母体による記号の使い分けは消滅していた。
#*現在では諸外国同様に路線の規模や規格による記号が使われている。
#運賃料金の等級制は戦後すぐに廃止され、旧1等は貴賓車、旧2等は特別車、旧3等は普通車と呼び名が変わって、特別車や貴賓車は普通車(旧3等)の運賃に料金をプラスするという方式に変更されていた。
#*但し車両の記号「イ」・「ロ」・「ハ」はそのまま存置されていた。


[[東日本高速道路]]>
===キャンペーンと特別企画乗車券===
#民間放送開始とともに、史実の民営化後のようなキャンペーンを実施。高度経済成長の開始とともに、それが更に華やかになる。
#JR東海は、東海道新幹線開業直後以来、「シンデレラ・エクスプレス」「クリスマス・エクスプレス」を実施。これにより、この頃に既に新幹線による遠距離恋愛が一般化していた。
#*当時の新幹線は高価な乗り物だったので一般人にはおそらく無理。
#**ただしPR目的でそのような映画(主演:吉永小百合?)が制作されることはあってもおかしくない。
#JR東海は、同時期以来、「そうだ 京都、行こう。」「トーキョーブックマーク」キャンペーンを実施。
#*「ブックマーク」という語は携帯普及後に広く知られた言葉なので少なくとも後者は全く別名称になっている。
#JR東日本は、東北本線の大半が電化された頃から、「週末パス」を発売。
#*その事で、東北から上京した人が気軽に帰省できるので、「あゝ上野駅」のような望郷の流行歌が作られない。代わりに、JR東日本による上京者応援のCMソングが流行する。その歌は明るくポップ。
#**当時の集団就職先はほとんどが中小零細企業だったのでそこまで懐に余裕はなかったはず。
#***史実でも勤労青少年旅客運賃割引制度とかあったはずだが。
#**「お金がたまったら凱旋帰郷しよう」「父ちゃん母ちゃんに東京を見せよう」という趣旨のCMが多くなっていたと思われる。
#JR東日本は、同じ頃から、「JR SKISKI」キャンペーンを実施。
#*CMキャラクターには加山雄三あたりが起用されていた。
#JR九州は、後年の水戸岡鋭治のようなデザイナーに車両デザインを委託。また、急行の運行開始以来、2枚きっぷ・4枚きっぷを発売する。
#*当時は日本国内にあまり工業デザイナーがいなかったため海外のデザイナーにも頼んでいた。
#*日本のデザイン史もかわっていたかも。
#こうしたことで、当時の鉄道史、ひいては昭和戦後史が、史実と大きく変わる。
#*一人一人の経済状況や使える人材などが史実と変わらないためそこまで劇的に変化したかどうかは微妙。
#東京オリンピックや大阪万博といった大イベントの際には特別塗装の列車や企画切符が大量に投入された。
#遅くとも70年代には朝ドラや大河ドラマ絡みの企画乗車券が存在していた。
#その一方で「青春18きっぷ」は誕生しなかった恐れがある。
#*似たような乗り放題切符は存在していてもおかしくないが全国規模にはならなかった気がする。


==圏央道の噂==
==昭和30年代に民営化していたら==
[[画像:EbinaJCT.jpg|240px|right|thumb|鋭意製作中(海老名JCT)]]
昭和30年代、民間シンクタンクの産業計画会議が国鉄分割民営化を提言していました。
[[画像:EbinaJCT2.JPG|240px|right|thumb|完成後(海老名JCT)]]
#新幹線は開業していなかったか、全額自己負担で建設していた。
#'''首都圏をぐるりと一周'''。
#*並行在来線の経営分離も昔から行われていた。
#*・・・させたいらしい。
#*フル規格での開業は弾丸列車計画を受け継いだ東海道・山陽のみ。それ以外の路線にはスーパー特急方式(急勾配や急曲線のある区間を部分的に新線化する)が推進されていた。
#*西半分はともかく、東半分はどう見ても'''首都圏じゃないだろ'''と突っ込みたくなる区間だらけ。
#**史実の埼京線やTXが優等列車街道と化す。
#**特に千b(略
#大半のローカル線は開業していなかった。
#**まったくもって千b(略
#*開業していたとしても割増運賃が適用され、さらに沿線市町村に赤字分を補填するという事になっていたかもしれない。
#**本当にt(略 葉
#**BRTが普及していたかも。
#**南関東メガループってとこかな。相模+八高+両毛+水戸+成田+東金+内房線みたいに...
#*JRバスが予定線の区間を網羅する。
#**心配すんな、首都圏とは関東+山梨の8県を指す。
#*越美線、広浜線や高千穂線など地方都市間を結ぶ路線が優先的に建設された。
#**千bを馬鹿にするな!南房総が潤うんだ!(多分)
#蒸気機関車列車も史実より早く消滅していたかも。
#***というか地図を見るとだいぶ東側に出っ張ってる気がするんだけど...
#101系は関東地区のみで製造されていた。
#****つくばと成田を最短で繋ぐ茨城の事情もあったのだろうが、成田方面のアクセスは東関東道や北千葉道路に任せて、つくば→印西→佐倉と結んだほうが遥かにまともだったのではと今更ながら思う。
#*関西地区では103系が製造されていた。
#**茨城区間の経路選定にあたっては某政治家が暗躍したとの噂が絶えない。
#**いや、関西地区は高速仕様の105系(実際に計画はあった。現実の105系とは異なる)となっていた。
#***高尾山ICって距離では東京駅から北は栗橋ぐらいまで行ける距離なんだけどなぁ。。境古河って古河を付けたのはそれなんじゃないかと。つくばJCTとか大栄JCTって古河まで行けるだろうな
#***関西地区に投入された105系は車内の蛍光灯がカバー付き、空気バネ台車など当時の関西私鉄車両と同レベルの車両となっていた。
#*西側もIC予定地が「どこなんだここは」っていう場所だらけ。市の中心地から離れるにも程がある。
#関西地区の場合新快速電車が史実より早く登場していたため関西の私鉄のシェアをある程度奪っていた。
#**例:坂戸のはずれにある坂戸IC(市街地最寄は関越道鶴ヶ島)
#*対抗して阪神なんば線は昭和40年代に開業していた。
#**ICってそんなもんでしょ。
#*阪神梅田~山陽姫路間の直通特急も神戸高速鉄道開業時に登場していた。場合によっては阪急も姫路に直通していたかも。
#**高尾山ICとかそもそも近くに市街地らしい市街地がない(団地と病院ぐらいだろ)
#モータリゼーションが到来する前なので各社の経営状態もよかったかもしれない。
#***高尾山があるだろ(すっとぼけ)
#首都圏の通勤五方面作戦が史実より進んでいない。
#**相模原愛川ICや圏央厚木ICは市街地からは遠いが{{国道|関東|129}}に直接接続しているのでまだマシ。圏央厚木ICからは[[国道246号]]も近いので利用価値はある。
#*複々線化は沿線自治体が負担しない限り進まないという状態になっていたかも。
#*「圏央道」よりも「圏外道(首都圏'''外環'''連絡自動車道)」にするべきだと思うのは自分だけ?
#**中央線の複々線は未だに中野止まりなので杉並3駅は問題になっていない。
#**山梨県栃木県群馬県茨城県も首都圏だからね。そこから見ると首都圏の中央を通っているよ
#***天王台・東船橋・幕張本郷の各駅に至っては開業すらしなかった。
#*同じく環状道路である[[国道16号]]と接続している場所がある。
#****東船橋駅は地元高校の請願で建設される。
#**国道16号も埼玉だけ狭くなってる感じがするわ。八王子は北は幸手まで行ける遠さなのに春日部って。
#*東京への一極集中も史実ほどには進んでいなかった。
#**[[横浜市]]や[[柏市]]も前後の区間とは異なり東京23区に近い地域を通るが。
#**関西や中京地区では新快速が早期に登場していたことから、ある程度こちらに機能が分散していた。
#開通したのは'''ごく一部'''
#***滋賀県や兵庫県の播州地方が高度成長期に爆発的に人口が増加する。
#*関越→八王子とつくばJCTから東へ約2キロあたりか
#****滋賀県の人口は現実よりも早く奈良県のそれを抜いていた。
#**八王子までつながってませんけどw(2007年3月現在)
#****[[姫路市]]は政令指定都市になっていた可能性もある。
#***あ←{{極小|てっきり八王子までつながっていると思って書いたバカより}}
#***昭和30~40年代はまだ東海道・山陽本線に特急・急行列車が多数運行されていたので新快速の本数は現状よりも少ない代わりに、定期券で特急・急行を利用できる特例が設けられ、この区間においては[[近鉄特急]]みたいに気軽に利用できる存在となっていた。
#****2007年6月にとうとうあきる野IC~八王子JCTが開通!
#****あるいは食堂車付きのホームライナーがあったかも。
#**つくばJCTからはもちょっとだけ延びた。
#****上記の阪急・阪神~山陽の直通特急が安さでJR特急に対抗していた。速達性を向上するため停車駅も現実よりも絞られていた。
#***イナシキってどこ?
#**首都圏の交通網がパンク状態になったため、地方分権が推進されるようになっていた。
#**館山道、アクアラインの木更津JCTからも茂原方面へちょこっと伸びた
#*首都圏の近郊形電車(中距離電車)のロングシート化は昭和40年代には始まっていた。
#*元からある路線につながる形で、途切れ途切れに開通している。
#労組のストライキは起こらなかったため、鉄道の輸送シェアは現在でも5割を上回っている。
#*実は千葉東金道路の東金IC~松尾横芝IC間も圏央道の一部
#*スト権ストや順法闘争が行われていないため上尾事件はなかった。
#**その区間では案内はどっちの名前が使われているの?
#**でも結局スト権ストの規模で分割民営化反対ストが行われていたかも。
#**松尾横芝からアクララインまで繋がったのを機に正式に圏央道に編入
#*民間企業になれば合法的にストができるので、民営化後も状況によっては史実以上に激しくストが起きていたかも。
#*2010年春の時点で約3分の1が開通済み。
#**遵法闘争をする必要もなかった。
#*2013年春は開通ラッシュ
#**昭和30年代から40年代にかけての私鉄総連がかなり過激だったのを考えれば、昭和50年代前半までは激しいストは起きていたはず。
#**これで浮島~木更津~東金~横芝がつながる
#福知山線や勝田線は全線複線電化されていた。
#***横浜や川崎から外房がものすごく近くなった
#*JR東西線も1970年代には開業している。
#*2014年6月に高尾山~相模原愛川が開通し東名道と中央道がつながる。さらに2014年度中に桶川北本~白岡菖蒲が繋がり関越道と東北道もつながるようで。
#**1970年の大阪万博がきっかけで整備されていたかも。
#*別に地方から見ればどうのこうのというつもりはないんですが、今(2014年春)現在どこからどこまでがどうつながってるんですかね……(?)関東民じゃないんで地名を見てもピンと来ない……
#*片町線も。[[京田辺市]]は昭和のうちに市制施行していた。
#**2021年現在藤沢ー大栄、松尾横芝ー木更津が開通。釜利谷ー藤沢と大栄ー松尾横芝間は2024年開通予定。でも多分遅れる。
#仁堀航路の本数も増加していた。
#*八王子までつながっていなかった頃は、関越道の支線状態だった。
#*発着が呉と三津浜に変わって呉三航路になっていた。
#**どこもそんな感じ。寒川北、海老名・相模原愛川、高尾山、青梅・あきる野、川島・桶川北本、白岡菖蒲、境古河、つくば中央、稲敷・神崎と、先が繋がるまでは放射路線の支線・追加IC扱い
#九州ブルートレインはかなり豪華な編成になっていた。
#*なんで外環からつくらなかった? 圏央道の方が大がかりで都心から離れてるのに。
#*ブルートレインブームは史実より凄まじいものに。
#**トラックを都心に入れない為じゃない?鉄道で言えば[[武蔵野線]]みたいなもの。
#*B寝台主体のビジネス向けの列車は電車化されてスピードアップされ、東京-博多間は12時間になっていた。
#多摩地方で騒動が起きたりする。
#**寝台料金も現実よりも安く抑えられていた。その結果夜行バスは現実ほど発達していない。
#*「[[高尾山]]ぶち抜くな!」と自然保護団体がうるさかった。
#運賃は値上げされていてもある程度抑えられ、初乗りも120円ぐらいだったかもしれない。
#**なぜかケーブルカーには文句がつかない。
#*等級制廃止(1等・2等→グリーン車・普通車に変更)も民営化に併せて行われていた。
#***目を付けられた者負け。
#国鉄スワローズの身売りが早まっていた。
#****まあ開通に漕ぎ着けたけど。
#*身売りしていない場合、本拠地は神宮球場ではなかったかもしれない。
#***[[関東の自動車専用道路#浅川トンネル|国道20号バイパスのトンネル]]もあるが文句はつかない。ちなみに高尾山ICとこのトンネルを同時利用すると拓殖大の辺りに出られるので、場合によっては中央道経由よりも早く八王子市街に辿り着ける。
#これを機に国鉄以外の国家機関の民営化も早まっていたかもしれない。
#****トンネルを過ぎた交差点を逆方向に曲がれば比較的空いている橋本への抜け道。圏央道から使うメリットはないが。
#*日本専売公社や日本電信電話公社、郵政事業も昭和40年代に民営化されていた。
#**今更しょうがないけど、あきる野インターからもう少し東側を通れば、高尾山をぶち抜かないどころか、八王子バイパスにつながって、むしろコストも抑えることができたのではないだろうか。
#**日本放送協会も民営化していたかもしてない。
#***ちなみに新滝山街道の全線開通により、関越道方面から八王子市街方面に行くのにあきる野ICで降りると便利に。
#**日本道路公団も1970年代に民営化されていた。
#***そうすると今度は立退きが多くなって余計に開通が遅れてしまう。
#**営団地下鉄も同時期に民営化されている。さらに大阪市・名古屋市など各地の公営交通も民営化されていた可能性もある。
#**っていうかー無理矢理鷹の巣を計画路線エリアに移動させ・・・
#***営団地下鉄は民営化にあたって都営地下鉄と経営一元化していたかも。
#**薬王院の真下をぶち抜くのはいただけない。せめてトンネル入口に鳥居を作ってくれ。
#***大阪市交通局は1969年の路面電車廃止と同時に民営化されていた。
#*正月には寒川神社を擁する寒川北から薬王院を擁する高尾山へひとっ飛びなんて・・・しないか。
#急行形車両の冷房化はグリーン車が民営化までに、普通車も1968年までには完了していた。また、近郊・通勤形車両の冷房車も史実より早く1968年には登場していた。
#通称「圏央道」。正式名称はココ見るまで知りませんでした。
#*485系など特急型車両の普通車も当初から簡易リクライニングシート装備だった。
#*[[北斗の拳ファン|世紀末覇者・圏央]]・・・と言ってみる。
#*私鉄の通勤冷房車導入も現実よりも早まっていた。
#*ありゃ、リダイレクトが張れてない・・・というコトで貼ってみました。
#**阪急5000系・小田急5000形・南海6100・7100系などは当初から冷房車として登場していた。
#**お手数かけます。
#**上記のように地下鉄の民営化が早ければ、東京の地下鉄は昭和のうちに冷房化率100%を達成できた。
#*首都「圏」中「央」連絡自動車「道」それぞれの単語のお尻をつないで圏央道
#「L特急」という概念は存在していない。
#**それでは「連絡」の立場は?
#*東日本の特急は一貫して全車指定席だった。
#***連絡してないので問題なし。繋がってからモノを言ってください。
#*案内板の英語標記は「KENO」外国人にはわかるまい。
#**毛の道。
#***今は「KEN-O EXPWY」という表記になってるはず
#****嫌悪の道。
#八王子以南の神奈川県内は、海沿いの新湘南バイパスまでずっと相模川沿いのルートになる予定。
#*相模川沿いから市の中心地に行く時間を考えると、16号や129号を通ってもあまり変わらない箇所もある(そもそも相模川沿いから中心地までの渋滞が半端ではない)
#**接続の道路は改善中の模様。
#*[[茅ヶ崎市|茅ヶ崎]]も走るんだ…
#**だから新湘南は中日本の管轄なんだ
#**なんと2012年度に寒川まで開通。
#*この区間は地味に急なS字カーブが多くて走ってて怖い。考えてみればこんな市街地ギチギチの場所によく通したもんだ。
#*かなり高いところを走る。
#*田んぼの上を走るので、田植前は相模川が氾濫したように見える。
#'''結局、全面開通するのはいつのなるやら・・・、100年後?200年後?<br>サク●ダファ●リアじゃあるまいし。'''
#*「10年後に全線開通」が目標らしい・・・でも、とある場所をなんとかしないと…。
#**城山町葉山島地区の残土問題は有名。(現在はほぼ解決されたみたいですが)
#***橋にする予定だったけど、残土取り除くのが面倒でトンネル化。[[画像:Ogurasan-Tunnel.jpg|240px|right|thumb|下って上るトンネル]]
#***城山以前に成田と松尾横芝の間はまだ具体的な計画すら決まっていない・・・。
#****東金IC~茂原市内区間もね…
#*****東金~茂原はともかく大栄JCT~松尾横芝は必要ないと思う・・・・成田~松尾横芝は県道成田松尾線(はにわ道)で十分
#*******はにわ道=千葉r62。
#****その区間の成田側起点である大栄JCTのつくりかけ感が半端ないのだが、あれ大栄JCT~松尾横芝ICが開通するまで放置されるのだろうか…
#**残る区間は新湘南-横横と東関道-東金道以外は2012年度までに全通予定・・・、らしいが延期されるらしい。
#***結局、桶川北本~菖蒲白岡と五霞~つくば中央は開通が2年以上延期されることに。
#****2015年10月 桶川北本~菖蒲白岡間開通。あと残ってるのは?
#****東北~常磐がさらに延期され2017年度、残りはいつになるか分からない
#*****境古河〜つくば中央は2016年度開通な。
#******境古河〜つくば中央が2017年2月26日に開通することが決まった。
#*考えてみたら、[[東京外環自動車道|外環道]]の全線開通はこっちよりも遅れる気がする・・・
#**外環は東京オリンピックに合わせ2020年までに完成の予定。圏央道は成田付近が未定だからまだ分からんぞ。
#***外環2020年までってとてもじゃないけど完成しないだろ。都内の西側区間プロ市民うじゃうじゃ
#****分かりきってる事だが延期になりました。開通時期未定だとさ。
#***当の圏央道は成田付近が一応の開通目処が立った一方、藤沢以東が度重なる延期の果てに開通未定になってしまった。
#[[鎌倉市]]を通る唯一の高速道路らしい。(少しだけ)
#こいつと[[新湘南バイパス・西湘バイパス#西湘バイパスの噂|西湘バイパス]]で新湘南バイパスの名が消されるんだろうな…
#*なにせ茅ケ崎まで西湘を伸ばすんだから…
#神奈川県内は新湘南と[[横浜横須賀道路]]の釜利谷-湾岸しか出来てない。
#*2010年2月、海老名JCT~海老名が開通。
#**酷かった。何せ河原地区。
#***勝手に人の土地耕してその分を自分の買収地に無理矢理認めさせたり、人の借地を所有権主張してあげくに役所を地べたに土下座させたり、鎌振り回して暴れたり、まるまる半日口角泡飛ばして(マジで言葉通りになるとは)延々と怒鳴り捲ったり・・・・
#*茅ヶ崎JCTに料金所を作ってしまったあたり、釜利谷-藤沢はほぼ作る気ゼロ。
#**ついに本格的に工事が始まった
#国道468号線であることは誰も知らない。
#*設計は高速自動車国道そのものであり4車線区間は最高時速100km/hだが、建設費用の3割を都県に負担させることから「国道16号バイパスの名目で建設する高速自動車国道規格の自動車専用道路」として計画されたから。
#東側区間は外環道の整備が進むのでそれほどでもないが、西側区間は外環建設が絶望的なためものすごい勢いで工事してる。首都高中央環状線西側が続々開通するのもそのため。建設目的は中核都市の広域連携からいつの間にか首都圏の交通是正が大きくクローズアップされるようになった。
#*ちなみに埼玉と山梨を結ぶ雁坂トンネルは、圏央道によって関越道~中央道が結ばれたことから交通量が減少した。
#**新小仏トンネルが完成した暁には完全無料化でもしないと誰も使わなくなるだろうな・・・普通車で700円以上するもの。おまけにトンネル延長は驚愕の6kmで制限速度は中央道の半分以下だから・・・
#*ぶっちゃけ、東側区間は[[成田国際空港|成田]]アクセス以外建設意義が感じられん…。
#*[[青梅市|青梅]]なんて東京都の奥の方だと思っていたら、圏央道ですぐだった…(by最寄りICが関越道上の人)
#**でも青梅ICはかなり市街地から離れてるんだよなぁ。半分埼玉だし。
#*中央道へ行くのがすごい楽になった。おかげで東名を使わなくなった(by名古屋に行くことがある北本市民)
#*いちおう東名と外環の接続部では一生懸命重機が動いてはいる。ここより南に関してはもはや川崎市しだいと言うところ。
#施設の名前は多くが市町村名からついているが時間が経ちすぎてその市がなくなってしまったものもある。新市名に変更されるのかどうかは知らない。
#*菖蒲PAのようにそのままのものもあるにはあるが、大抵は正式決定時に新市名に変わっている。
#桶川JCTを桶川北本ICと名称を変更。役人さ~ん、ICとJCTの違い分かってます?(笑)
#*上尾道路自動車専用部が開通したら桶川JCTに改称されるみたい。
#*もともと自動車専用道路の上尾道路とつなげる予定で作ったんだから桶川JCTで合ってるだろ。上尾道路の開通の見込みが立たないから暫くの間ICにしただけで。
#**ちなみに秋田道横手インターは自専道同士をつなぐにもかかわらずICだったり、違いはないようなものである。
#**逆にICからJCTに変更された場所が、鹿児島にある([[東九州自動車道]]鹿屋串良JCT)。自専道同士を繋ぐが、どちらも無料区間であるという違いはある。
#*今世紀中に改称される見込みはほぼゼロである。
#**と思ったら首都高大宮線が与野から上尾南までの延伸が決まったので、そう遠くないのかも
#*桶川市内のもう1つのIC、桶川IC(仮)は桶川加納ICに。
#**「桶川市加納」に桶川加納ICがあるので、なんだか[[存在しない地名|桶川北本ICが「桶川市北本」ってとこにあるみたい]]。
#**他のICなどとの兼ね合いを考えると桶川加納が桶川とは別に加納という自治体があると考えそう。
#***実際に昭和の大合併前までは加納村だった。もっともICの場所は旧桶川町との境ではないけど・・・
#*それでも、インター番号が[60]であったり、標識が継ぎ足せるようにするなど、JCT化した際の準備はされている。
#現状では八王子JCT([[中央自動車道|中央道]])~鶴ヶ島JCT([[関越自動車道|関越道]])~川島IC間の[[東京|東京都]](23区外)・[[埼玉|埼玉県]]区間、つくばJCT([[常磐自動車道|常磐道]])~稲敷IC間の茨城県区間と木更津東IC~木更津JCT([[京葉道路・館山自動車道|館山道]]・東京湾アクアライン連絡道)間の千葉県区間の3区間しか開通していないが、最終的にはこれらをつないで首都圏を一周させる形になる。
#*千葉東金道路の東金~松尾横芝と新湘南、横横の釜利谷~湾岸も忘れないで
#**2011年2月だか3月だかいよいよ東名の海老名JCT~海老名北ICが開通
#***2011年じゃなくて2010年。先日、無事に開通。
#**2010年春には川島IC~桶川北本IC、つくば中央IC~つくばJCTも開通。ようやく全体の1/3が完成。
#*新規開業機関の整備は千葉県と神奈川県側が優先され、埼玉県・茨城県側が後回しに。
#**南関東より、北関東側の整備が最優先だろうに。
#**埼玉の場合、「既に[[東京外環自動車道]]が完成していて、関越~東北~常磐を迂回できるから」というのもある。
#交通量は高速同士を結んでる八王子~鶴ヶ島とそれ以外の盲腸線区間で明らかな差がある。
#*八王子~鶴ヶ島は96年の最初の部分開通の頃と比べると、かなり交通量が増えた。
#**鶴ヶ島~入間で1日4万台近く、一番少ないあきる野~八王子で1日2万台。
#**とはいえ、渋滞するのは土日の入間アウトレット渋滞と夏休みのサマーランド渋滞ぐらいである。
#***入間IC手前の本線上にはアウトレットまでの残り距離が掲示されている。
#***休日になると内回りの狭山日高手前の道路情報板に「入間出口 '''流出までに1時間'''」なんて表示が出ることも。
#*一方、それ以外の区間は閑散としている。
#**外回りを走っていると、大部分の車が鶴ヶ島JCTで関越道へ流れていく。
#***桶川北本IC開通後は直進車も増えたような気がする。
#****桶川北本ICの開通で直進車が3割増加したらしい。
#****その桶川北本ICには[[東北自動車道|東北道]]久喜ICへの誘導看板がある(久喜にも桶川北本への誘導看板がある)。
#*****八王子周辺から東北道へ抜けるには[[首都高速道路|首都高]]を通るより案外得策かもしれない。
#*****その後、白岡菖蒲への誘導看板に交換された。
#****ただし、そこから東への開通はかなり先の話になる。
#*****実は桶川北本から東に1~2kmの区間だけはかなり出来ている。が、そこから菖蒲との境界までは用地買収を一部でしたぐらいで工事が進んでいない。
#******どうやら[[桶川市]]にも[[プロ市民]]がいるようで
#*******大宮国道事務所のホームページかGoogle Mapsを見ればだいたい分かるが、どうもあの家が邪魔しているようである。とうとう行政代執行だとか。
#**とりあえず、東北道から白岡菖蒲までは開通したが・・・。
#***遂には鳥まで持ち出したと言われる始末。まあ、その鳥も片付いてようやく開通の目処が具体的に立ったようで・・・。
#****10月31日にようやく桶川北本~白岡菖蒲が開通、東名・中央・関越・東北が一本の道路でつながった。
#*****これにより、東名~東北道まで開通したが、東北道からは大型車は殆ど行かず先にある[[国道4号|新4号バイパス]]と交わる五霞ICに降りる車が多い。更に[[野田市]]、[[越谷市]]、[[春日部市]]、[[小山市]]、[[茨城の駅#古河駅の噂|古河駅]]、[[宇都宮駅]]東口等は東北道よりも新4号で向かった方が早い。因みに東名や関越道などは普通に大型車が乗り入れてくる。
#**なお、東北道より東側は全線開通しても交通量が少ないと判断されたのか暫定2車線で開通予定。
#***つくば~成田(大栄JCT)間はそれなりに需要はありそうだけど・・・阿見のアウトレットもあるし
#***つくば~成田間は東側区間では最も需要のある区間。その証拠に、その他の東側区間が開通延期になっても、稲敷~大栄JCT間は延期にならなかった。
#****常磐~東関接続後、混雑期には交通量が対面通行でギリギリ捌ける否かのレベルまで増加。
#*****2024年に4車線化。
#****東北~常磐も全通していないにもかかわらず幸手界隈で既に1万台以上/日の交通量があり、全通後に交通量が逼迫する可能性も
#*****この幸手界隈を筆頭に全通直後から渋滞が多発、交通量の急増に追いついていない様子
#******五霞ICまで2車線化するべきだな。やっぱり埼玉県内は。
#***境古河IC~つくば中央ICが開通したら埼玉県~成田空港の高速バスの多くがこちらに流れる可能性も。
#****つくばまで繋がった時点で栃木・茨城へのバスはこぞって移行。群馬も東北道まで繋がれば移行を検討している模様
#***千葉県内には流入路と流出路が平面交差(信号なし)する構造のインターが複数ある。通行量が増える想定は微塵もしてないと思われる。
#[[山梨]]県が密かにこの道路の恩恵を受けている。理由は、関越道でつながる[[群馬]]の観光バスツアー客の取り込みに成功しているから。
#現時点で圏央道唯一のPAである狭山PAだが、いつも車が多く止まっている。
#*ここを逃すと高坂・三芳・藤野・石川まで休憩施設がないので、こぞって休憩するのだろうか?
#**後に厚木PAも完成。ちなみに狭山PAからは上に列挙されたSAPAのいずれよりも遠い
#***スペースないけど、高尾山IC辺りにSAがあるとベストなんだけど・・・
#***流れているときでも30分かかる。
#*内回りは[[コンビニエンスストア#スリーエフ|スリーエフ]]だが、24時間営業ではない。
#**ちなみに内回り狭山の次となる中央道の休憩施設は上りの石川はおろか下りの藤野までもが24時間営業の[[ファミリーマート]]。
#一部の区間が2012年度から2014年度以降に開通年度が延期。いつになったら開通するのか分からん。
#新湘南バイパスを走ると茅ヶ崎迄延びて来てるのがよく判る。けど'''西久保'''と言うJCT名は茅ケ崎でもマイナーな地名。素直に茅ヶ崎JCTにしないと他県民からクレーム来るぞ!
#*ICならクレームも分かるがJCTの場合は降りるわけではないので構わないのでは?むしろICと区別するためにもICで使わない名前にするのは正しい選択肢に思えるけど。
#**なるほど。しかし西久保はいくら何でも・・・って気がする。他県民がイメージ出来るのも重要だと思うな。新湘南バイパスにくっ付くから新湘南JCT。けどいずれ新湘南は無くなるのか。難しい。
#*正式名称が「茅ヶ崎JCT」に決まりました。
#*この茅ヶ崎区間、北は[[東海道新幹線|新幹線]]という壁に阻まれ東名には繋がらず、南は新湘南があるだけで、現状ではあまり需要が無さそうな気が・・・。
#**何故か既存の新湘南の区間には番号が付けられなかった。
#**その後、寒川北IC~海老名JCT間が2015年3月7日に開業し、箱根や沼津に出る道だけでなく、東名の渋滞を避けて藤沢~横浜新道方面に向かう道としての機能を持ち始めている。
#'''いつになったら全線開通するんだ??'''今のところつながっているところが中央〜関越だけ。
#*新湘南~東関は2012年度までに全通するはずだったが、それまでに繋がるのは既に全通済みの中央~関越と常磐~東関だけになりそう。
#**2013年6月のプレスリリースで、常磐~東関は2014年度開通予定、しかも「用地買収が速やかに完了した場合」の但し書きつきになった。
#***結局2015年に開通。
#*2017年2月に東北〜常磐が開通、6放射の東名〜中央〜関越〜東北〜常磐〜東関が全て(圏央道経由で)結ばれた。
#2013年3月末に海老名から相模原愛川ICまでが開通。外回り線に厚木PAが開設されたが、内回りの厚木PAは開通から4か月以上経った8月8日にようやくできた。
#*4月には木更津から東金までがつながったが、高滝湖PA(内回り)がオープンしたのは2か月半後の7月。外回りはまだできてない。
#**千葉区間は木更津東を過ぎると松尾横芝までひたすら対面通行。その上、内回りの高滝湖以外PAが無いので辛い
#***市原鶴舞まではバスも多いしそれなりに通行量もあるので4車線化してもいいんじゃないかと思うが・・・
#**その外回りができるのは2015年度の話である。
#***2015年8月10日に外回りが併用開始。
#*その後高尾山〜相模原愛川IC開通により本格OPEN。
#*相模原ICはすぐトンネルになる
#高滝湖がSAからPAに変更となったいま、圏央道で最も規模が広くなるのはまさかの菖蒲PA(駐車場がそれぞれ110台)。
#*菖蒲はこの規模ならPAどころがSAでも十分通用するんじゃ・・・
#**2015年10月31日、菖蒲PAが開店して圏央道で初めてのガソリンスタンド([[出光興産]])も設けられた。
#*そして、2017年2月26日。ついに境古河IC~つくば中央ICまで開通し、新湘南バイパス~東関東道がすべて繋がる。
#**ただし、途中にある坂東PAに関しては遅れる模様。
#**めでたく2017年2月26日、境古河IC~つくば中央IC間が開通。だが、久喜白岡JCT以東でも混雑が激しいので暫定2車線で足りるのか不安。
#木更津~東金間の開業により、それまで堅調な輸送量を保っていた[[東日本旅客鉄道/千葉支社#外房線|外房線]]の特急わかしおを減便or快速降格に追いやった(特に[[茂原市|茂原]]・[[大網白里市|大網]]からの利用者)。
#*渋滞に巻き込まれず、時間通り目的地に行けるメリットが大きいのに…
#*高速バスを運営する地元バス会社の笑い声が止まらないのは公然の秘密である。
#**実際市原鶴舞バスターミナルは便利だ。交通拠点としても観光拠点としても優秀で、車来場でもコンビニあるし観光地一通り調べられるし日によっては地元物産売ってたりするし・・・それだけに一般駐車場の有料化が痛い
#*因みに茂原や大網から品川・川崎・横浜方面に向かう時は圧倒的に高速バスが優位。
#**千葉南部の神奈川志向を一層強めさせた存在である。(アクアラインの値下げもあるが。)
#**対都心という意味では内房線ほどJRを脅かしてはいないものの、羽田線などでは優位のためバス会社もウハウハの模様。
#画像にもあるが、海老名JCTの構造が非常に分かりにくい。
#*一回厚木ICの流出路に出てからでないと圏央道に入れないため、実質厚木ICがJCTの役割を担っている。
#**この為圏央道に入ると海老名JCTの分岐標識を2回(東名・圏央道→圏央道同士)通過する事になる。
#**関西の[[大山崎町|大山崎]]と似ている。720度ループはない。
#*外回りは合流短すぎ、内回りは車線減少で早くもガンに
#*東名から圏央道外回りへは結局暫定2車線化された。途中に「並走注意」というあまり見かけない標識が……。
#**気づいたら圏央内回り→東名も暫定2車線化されていた。とりあえず喫緊の課題は去ったか?
#*仮に小田原から来たら厚木西→厚木→海老名(JCT)→海老名(IC)→圏央厚木となる。この間に東名の本線に合流しなくてもいいような構造にしたためこうなった。
#あきる野インターチェンジがNEXCO東日本とNEXCO中日本の境界インターチェンジ
#圏央道にはSAを作るつもりが無いのか?茅ヶ崎から関越・東北は凄い遠いのに・・ガソリン持つのか?
#*せめて狭山PAにガソリンスタンド作ってくれれば・・・。
#**ガソリンスタンドは延伸開通時に開設される菖蒲PAに設置される予定とのこと。
#**上でも書いたが菖蒲PA→菖蒲SAにしてもいいのでは? 地方の高速の末端にあるロクに施設が揃ってないSAに比べよっぽどSAらしいし。
#***まあSAとPAは今は大して区別はない。何か適当になってる。北関東道にもSAはないし、地方のSAはPA並みにしょぼいし。
#****上下線共に24時間営業のガソリンスタンドがあるPAはSAにしてもいいと思う。
#****[[中国自動車道|E2A中国高速]]の真庭~山口にあるSAは七塚原を除き事実上PA。
#*外回り狭山PA手前に次の給油所までの距離が示してある標識があった。なぜか関越道のSA・PAまでの距離しかかいてなかったけど。
#*ガソリンスタンドはさることながら、対面区間は休憩施設自体が少ないのが大問題。坂東に作る計画はあるが待たされる様子。
#**今後、松尾横芝~大栄が繋がれば江戸崎の次は高滝湖・野呂という恐怖で、給油施設なんぞ論外。
#***と国も同じことを思ったようで、松尾の近くと神崎の道の駅にPAを作るらしい。
#ところで[[首都高速道路/路線別#B(湾岸線)|湾岸線]]や[[東日本高速道路#東京湾横断道路(アクアライン)|アクアライン]]は圏央道に編入されないんだろうか?
#*湾岸線がNEXCOに乗っ取られるとしたら[[東関東自動車道|東関東道]]じゃね?東京港トンネルより西は「東」関東か微妙だけど。
#JCTごとにIC番号の十の位が繰り上がるので、木更津あたりまで来るとIC番号がすごいことになってる。
#*JCT番号はNEXCO中日本は他の高速に合わせ、NEXCO東日本は繰り上がる。ただしNEXCO東日本なのにつくばJCTだけはなぜか常磐道と同じ4-1。
#木更津あたりの末端区間感は異常。アクラライン経由なら都心から一番近い場所であるが、4車線化はしばらくなさそう。おかげでゴルフ客による車線減少渋滞が休日は絶えない。
#*アクアラインもそうだが、平日に通るとクラウンやマークX(≒ゴルフ客、≠覆面パト)ばかり走っている。そんな中セダン以外で走るとなんだか場違い感を感じさせられる。
#おもに西側のハイウェイラジオは、声が優しい。全国これにしようよ。
#*川崎管制の[[ハイウェイラジオ]]は、以前更改された際に話題になった一宮の系譜。なので聞きやすさに関しては八王子管制が蚊帳の外になるくらい。
#*圏央道の開通後、ハイウェイラジオで今まであれば決して聞くことの無かったことを放送するケースが続出。
#埼玉区間のトンネル、名称が「JR高崎線トンネル」、「旧中山道トンネル」、「国道17号トンネル」って、結構テキトーな付け方だな。
#*[[中日本高速道路#東海環状自動車道|東海環状]]の中央道トンネルと比べればまだトンネルとしての体をなしているだけマシか。
#*分かりやすさという意味では案外アリかもしれない。
#つくばJCT~大栄JCT間では時々牛久大仏が見える。
#カントリーサインが他の道路と比べて簡素。
#*区間によっては市町村名だけがかかれたものばかりだったり、そもそも置かれていなかったりする。
#外回り側の「稲敷東 出口1.2km」の標識はよく見たら布でできている。
#*つくばJCTの圏央道同士の分岐の、つくば中央IC方面の標識も板に布が被せられたものになっている。そこから先が開通したらちゃんとした標識になるのかな?
#現状ではまだ繋がっていないのに、久喜白岡Jctの経路案内に「つくば方面」の標識があるのは誤解を招く気がする。
#*これから繋がる予定だけどまだ繋がっていない場合、〇〇方面と微妙にぼかすことが多い。(実際つくばJCT~大栄JCT間が完全に開通する前のつくばJCTの表記は「成田方面」だった)
#*つくばまで行こうとして標識にホイホイついて行くと、境古河で強制的に下道に下ろされてしまい呆然とする。しかも境古河ICから距離がある上に一本道でいけないので、どうやって行けばいいのか分からなくなる。
#相模原愛川ICから多摩川を越えるまでの区間は東名上り御殿場→大井松田並みのトンネル街道。しかも1本1本が長い。
#*圏央道最長のトンネルもこの区間にある。それどころか4位を除く5位までのすべてがこの区間。
#*山沿いの区間のため、大雪や大雨が降れば真っ先に通行止めになる圏央道のアキレス腱。
#*天井の空いている謎のトンネルがある。上に何もないんだったらトンネルでなく普通に切土でいいじゃん。
#*この区間にある相模原八王子トンネルは圏央道で唯一、トンネルが県境となっている(他は橋か平地が県境。)
#**尚、神奈川県以外の関東地方同士の高速道路のトンネル県境は栃木・茨城にある大政山トンネルのみとなっている(群馬県のトンネル県境は全て甲信越地方《長野・新潟》の県境。)
#*トンネル内にもかかわらず非常に高低差が大きい為、入口では速度超過を、出口付近では急激な減速を起こしやすい。
#*トンネル街道、NEXCO東日本&中日本の境界、トンネル街道に(都)県境等、[[北陸自動車道|E8北陸道]]朝日IC~上越JCT間と共通する部分が多い。
#**但し、あちらさんと異なり交通量は断トツで多く、PAは一切ない。
#*因みに東京都区間はトンネル街道となっている。
#**神奈川は相模原愛川ICあたりからトンネル街道に入り、トンネル街道が終わって数m先は埼玉との県境になる。
#正直つくばICは必要だったのか・・・?
#*一番不要なのは坂戸ICな気がする。
#2014年以降、相次ぐ開通と放射高速間の接続で至るところで交通量も増加。混雑期には渋滞も目立つようになりつつある。
#*交通の流れを変えた一方、新湘南藤沢や東関道宮野木以東など今まで考えられなかった場所での渋滞を引き起こすという副作用も。
#*海老名~つくばの各JCTでは連休の度に接続先の渋滞がガンの如く転移するのが当たり前の状態に。[[中央自動車道#東京都区間|小仏トンネル]]がその際たる例
#*ここ数年、西側のお盆前1週間は放射高速間が車列で結ばれてしまう有様。
#実は一瞬だけ[[千葉市]]を通るのだが誰も気にしていない。
#高速道路ナンバリング採用一番乗り。
#*[[首都高速道路/路線別#C1(都心環状線)|C1]]・[[首都高速道路/路線別#C2(中央環状線)|C2]]・[[東京外環自動車道|C3]]と来て、その外側にある圏央道はC4
#**横横の釜利谷以北を無料化し、E16をこちらに回すべきだった(横横の釜利谷以南は圏央道に編入)。
#神奈川北部や鶴ヶ島周辺を中心にインター周辺が物流倉庫銀座となった。
#道路が狭い。
#*特に久喜白岡JCT以東の片道1車線区間や八王子JCT付近は許せない。
#**ちょっとでも交通量が増えたらもう終わり。八王子JCTにいたっては小仏とは無関係に海老名を凌ぐガンに。
#***事故や故障車による渋滞、対面区間では通行止に発展するような事態が週1ペースで圏央道のどこかで起きる有様
#**後者はあまりの惨状に4車線化決定→即工事、前者は大栄~松尾横芝の建設とセットで4車線化への増資が決まるも数年は待たされる様子。
#***2024年度に久喜白岡~大栄の4車線化&大栄~松尾横芝の開通が決まった。松尾横芝~東金は2020年度に4車線化される。大栄~松尾横芝は2車線か?4車線か?
#****水戸から名古屋方面への下りで、首都高回避できると思ってウキウキしてたら片道1車線で泣いた。
#*****因みに水戸〜名古屋に行く際には北関東道経由して圏央道に出るか上信越道や長野道を介して中央道に出た方が早くて楽。
#圏央道経由で成田空港の移動に恩恵あるのは埼玉に入った辺りから。東名や中央道は従来通り首都高を経由した方が早い。
#*因みに神奈川県民は圏央道を利用する場合は藤沢IC〜つくばJCT辺りまで。
#**大体、厚木〜つくばを利用するドライバーが多い。
#***因みに釜利谷JCTを藤沢ICまで開通すると東名からなら藤沢経由して湾岸線に出た方が成田まで早く到着する。
#*日の出IC辺りまでは首都高経由の方が早い。青梅ICから埼玉方面になると圏央道経由の方が早くなる。
#*ただ、埼玉辺りでも千葉外環の開通後は圏央道が茨城で無駄に遠回り+対面なのも相まって外環経由で行った方が早い。
#*更にはR464北千葉道路の開通により柏から成田まで無料で1時間弱で行けるように。柏付近までは外環でサクサクなのでわざわざ圏央道茨城区間を通る意味がますます薄くなった。
#*茨城でも守谷あたりなら外環経由で行った方が速いのはつくば迄出ないといけない上、対面通行になるから。
#日本唯一、大型貨物、けん引自動車、三輪自動車が100km/hまで出していい区間がある
#*ちなみに最低速度も指定されていない。他の高速道路以外の自動車道は「大貨等、三輪、けん引は最高速度80km/h」と「大貨等、三輪、けん引を除く自動車は最高速度100km/h」と「最低速度50km/h」の3点セットで速度規制しているが、ここは「最高速度100km/h」の標識しかない。たぶん手抜き。
#**最低速度が無いため、法律上は'''小型特殊自動車(フォークリフト、農耕用トラクターなど)も走行可能である'''。現実的には'''危険なので全くオススメしないが'''。
#*その区間とは川島IC~久喜白岡JCT間の事、久喜白岡JCT以東は4車線化すれば設計上は100km/h走れる構造になるらしい。
#外環からの通しで路線番号はC4、でもC3同様に首都高ではない。
#これの影響で湘北地域(相模原や海老名あたり)は千葉より茨城の方が距離が近くなった気がする。
#*相模原や圏央道沿線だと千葉に出るには首都高で出なければいけない上、出ない経路で行ける野田市等も埼玉や茨城に一旦出る必要があるから。
#*野田市より古河市や五霞町の方が近かったりする。
#湘北地域は県内の横浜南部・三浦半島よりも多摩・西埼玉・山梨の方が近く感じる。
#*湘北地域ってどこ?
#**相模原市、大和市、座間市、海老名市、厚木市、伊勢原市、愛甲郡等。
#川越市区間は屋根で覆われている。
#*川越市区間は短いのでインターチェンジはない。


==関連項目==
==10年早かったら==
*JCT/IC・SA/PA
===新幹線===
**''事業中区間''
#0系は1970年代後半に製造が終了していた。
***横浜環状南線:釜利谷JCT([[横浜横須賀道路|横横道路]]) - 栄IC/JCT(横浜湘南道路) - 戸塚IC([[第三京浜道路・横浜新道|横浜新道]]戸塚出口とは異なる)
#*そして遅くとも20世紀中には引退していた。
***横浜湘南道路:栄IC/JCT - 藤沢IC(→新湘南バイパス)
#*2000番台は存在しない。
**本線
#それ以後は100系に移行し、1990年頃まで製造が継続される。
***茅ヶ崎JCT(新湘南バイパス)- [[神奈川のインターチェンジ・ジャンクション#首都圏中央連絡自動車道|寒川南IC]] - 寒川北IC - ''海老名南JCT([[新東名高速道路|新東名]]:事業中)'' - 海老名JCT([[東名高速道路|東名高速]])- 海老名IC - ''圏央厚木JCT/IC(厚木秦野道路:事業中)'' - {{SA/PA|関東|厚木PA/SIC}} - 相模原愛川IC - 相模原IC - {{IC/JCT|関東|高尾山IC}} - 八王子JCT([[中央自動車道|中央道]])- 八王子西IC - あきる野IC - 日の出IC - 青梅IC - 入間IC - {{SA/PA|関東|狭山PA}} - 狭山日高IC - 圏央鶴ヶ島IC - {{IC/JCT|埼玉|鶴ヶ島JCT}}([[関越自動車道|関越道]])- 坂戸IC - 川島IC - 桶川北本IC - 桶川加納IC - {{SA/PA|関東|菖蒲PA}} - 白岡菖蒲IC - {{IC/JCT|埼玉|久喜白岡JCT}}([[東北自動車道|東北道]]) - 幸手IC - 五霞IC - 境古河IC - 坂東IC - ''坂東PA(事業中)'' - 常総IC - つくば中央IC - つくばJCT([[常磐自動車道|常磐道]])- つくば牛久IC - 牛久阿見IC - 阿見東IC - {{SA/PA|関東|江戸崎PA}} - 稲敷IC - 稲敷東IC - [[千葉のインターチェンジ・ジャンクション#首都圏中央連絡自動車道|神崎IC]] - 下総IC - 大栄JCT([[東関東自動車道|東関東道]]) ''|事業中 - 県道成田小見川鹿嶋港線IC - 国道296号線IC - | ''  松尾横芝IC - 山武成東IC - 東金JCT([[東日本高速道路#千葉東金道路|東金道]]) - 東金IC - 大網白里SIC - 茂原北IC - 茂原長柄SIC - 茂原長南IC - 茂原鶴舞IC - {{SA/PA|関東|高滝湖PA}} - 木更津東IC - 木更津JCT([[東日本高速道路#館山自動車道|館山道]]) (→[[東日本高速道路#東京湾横断道路(アクアライン)|東京湾アクアライン]])
#*現実より多くの車両が導入された。
**新湘南バイパス区間(藤沢IC - 茅ヶ崎JCT)は当該ページを参照。
#*220km/h運転開始も1982年11月には行われていた。
*[[横浜横須賀道路]]
#300系「のぞみ」の登場は史実と同じ。
*[[新湘南バイパス・西湘バイパス|新湘南バイパス]]
#東北・上越新幹線は民営化後に開業した。
*[[東京外環自動車道]]
#*最高速度は開業時から240km/h。
*[[首都高速道路/路線別#C2(中央環状線)|首都高速中央環状線]]
#*200系の先頭車は全て100系タイプの顔だった。
*[[国道16号]]
#ちなみに東海道新幹線を管理しているのはJR西日本。
#*JR東海は存在しない。
#*もし存在してあっても強引な新幹線誘導は行ってない。
#**名阪間直通の新快速や静岡地区の快速も運転されていたかも。
#***ただ広島地区のことを思うと後者は消えていた可能性もあり。
#山形新幹線は1980年代後半に開業した。
#[[九州新幹線]][[東北新幹線]]の盛岡以北は20世紀中に全通していた。
#*2011年現在、北海道新幹線が開通している。
#*[[北陸新幹線]]も。
#**これら整備新幹線の開業に合わせた並行在来線の3セク移管は行われなかったかもしれない。その場合新幹線開業後も「サンダーバード」「しらさぎ」は富山発着で残されている。
#*かえって[[東北新幹線]][[上越新幹線]]は本開業まで開業を待つことになり、史実より1年か2年程開業が遅れた。
#[[近畿日本鉄道|近鉄]][[近鉄特急|名阪ノンストップ特急]]は東海道新幹線に負けて廃止されていた可能性が高い。
#*乙特急に早々と統合されていた。が、後に津・大和八木のみ停車の形で速達型が再設定された。
#東京-大阪間の空路でも羽田-伊丹線は、東海道新幹線に敗れて廃止されていた可能性も大いにありうる。神戸空港は建設さえ行われなかった可能性が強い。
#*大阪-福岡はもっと早く廃止され、今では東京-岡山や名古屋-福岡でさえも存廃が議論されるようになっていた。
#**東京−三沢、東京−青森も東北新幹線に負けて廃止に追い込まれたかも。
#三島駅の開業から間髪入れずに掛川駅、三河安城駅などが開設された。
#*中には「ひかり」の停車する駅もあったかもしれない。
#東海道・山陽新幹線の車両形式は、0、100、200、300、…となっていた。
#*そしてJR東日本系新幹線は開業当初からE1、E2、E3、…と振られていた。


{{NEXCO東日本}}
===在来線===
{{NEXCO中日本}}
#廃止路線は比較的少数ですんだであろう。
#*三島会社の経営も現実よりは安定しているだろう。
#*JR九州も2010年までに株式を上場させていた。
#*ただし平成以降の廃線数は現実以上に多くなる。
#**路線単位でなく、ほんとに区間単位で輸送実績が計算されて廃止・転換が行われた。
#**江差線が残って松前線が廃止になったり、上砂川支線が歌志内線より数年遅く廃止になるというようなことはなかった。
#*勝田線や尼崎港線、高砂線、鍛冶屋線などは生き残れただろうし、伊勢線や中村線が第三セクターになるなんてこともなかった。
#**逆に加古川線の野村(現西脇市)~谷川の方が廃止されていたかも。
#*りんかい線もJR東日本の路線だった可能性あり。
#**大崎 - 新木場 - 蘇我が「京葉線」だった。房総特急は多くが新宿や渋谷にも発着していた。
#**池袋折り返しも設定される。
#***そのまま埼京線と直通して川越まで。名付けて臨海埼京ライン。
#*鉄道公団のローカル新線の建設凍結も早かったかもしれない。
#**白糠線、可部線、三江線は開業したか非常に疑問。
#**気仙沼線もどうだろうか。三陸鉄道所有になっていた可能性も……
#***多分阿佐線のように途中で建設放棄になっていたのでは。
#**逆に中村線、岡多線、瀬戸線、伊勢線などはJRに継承されていた可能性あり。
#***もしかしたら既存路線の三セク化はなかったかもしれない。
#**石勝線は建設されず、札幌から帯広・釧路へは引き続き滝川経由で運行されることに。
#**内子線も盲腸線のまま。宇和海は伊予長浜経由のまま。
#*民営化後に東北・上越新幹線が開業することになるため、並行在来線の三セク化が史実より進んでいる。
#**少なく見積もっても上越線水上~宮内間、東北本線黒磯~白石間・小牛田~青森間は全て三セクに。
#***上越線高崎~水上、信越本線宮内~新津も三セクかも。
#*特定地方交通線という概念は生まれなかった。
#運賃は今よりずっと安かったろう。
#*史実での分割民営化10年前の昭和52年は、怒濤の値上げ連発が始まってはいたものの、まださほど進んでいない。
#[[青春18きっぷファン|青春18きっぷ]]は発売されなかった。
#*その代わり「西日本・四国・九州パス」とかがあったかもしれない。
#*現実とは異なり特急・急行券をプラスすると特急・急行にも乗車できるタイプになっていたかも。あるいは普通・快速列車のみ乗車できるタイプと2種類設定されていた。
#**もしあったとしても、史実より高額になっていただろう。
#東京機関区以外の寝台特急牽引機でヘッドマークが廃止されることはなかった。
#*ただし分割民営化の弊害が現れ、寝台特急の淘汰は現実より早かった。
#**「北斗星」とかも生まれなかったかもしれない。
#**夜行高速バスは寝台特急廃止の代替という意味合いが強かった。そのため現実よりもJRバスの比率が高まっている。
#**逆に1社内完結の夜行列車は新幹線並行区間を除き多くが残存。
#***キハ56系とオハネフ12形を併結した急行が北海道を走る。
#***「ながさき」は「ムーンライトながさき」か「ドリームかもめ」になったかも。
#***上野〜東北間ブルトレの個室化が早まる。
#ヤード廃止も早まり、別府鉄道や南部縦貫鉄道は現実より早く消えていたかもしれない。
#*ただしコンテナ一本化が早かったので、その分だけ貨物のシェアも現実より多かった。
#**ワム80000形ワム280000番台は製造されなかったかもしれない。
#*荷物輸送もJR貨物に継承された場合、[[ヤマト運輸|宅急便]]などに積極的に対抗する姿勢を見せた可能性あり。
#**その代わり、汐留貨物駅などが残って周辺の再開発はされなかった。または遅れた。
#**[[日本通運]]や郵政省→[[日本郵政グループ|日本郵政]]と組んでいた可能性もある。
#**JR貨物の新造機関車には暖房供給装置を搭載したものもいた。
#**130km/hで走れる郵便・荷物電車が開発される。
#列車愛称の号数が下り奇数・上り偶数に改められることはなかった。
#南武線の快速は廃止されず、後に登戸以北でも通過運転を始める。
#*鹿島田や武蔵新城には未だに停車していない。
#[[横須賀線]]東京トンネルができていたか怪しい。品川折り返しになっていたかも。
#JR北海道は廃線を進めまくり、JR北海道バスが多くの路線を代替した。
#*2015年からの普通気動車が老朽化してお金がないので減らす問題は、10年繰り上がっていたので置き換えが順調に行っていたかも。


{{DEFAULTSORT:しゆとけんちゆうおうれんらくしとうしやとう}}
====国鉄・JR車両動向====
[[Category:高速道路]]
#現実より多くの車両が導入された。
[[Category:国道|468]]
#581・583系が近郊型に改造されることはなかった。
[[Category:関東地方]]
#205系はJR東日本の新車となっていた。
[[Category:高速道路もどき|けんおうとう]]
#*201系も。(なぜなら1979年登場だから。)
#**加えて203系も。(こちらは1982年登場だから。)
#**207系900番台は存在しなかった。試験で作られたとしても別の形式を名乗っていた。
#*全国的にもステンレス車両の導入が史実より早かったと思われるので、JRグループ初のステンレス車の形式が201系となっていた。
#**もちろん地下鉄直通向け筑肥線用開業当初の車両もステンレスでワンマン対応。
#**むしろアルミ車体の方が普及していたかも([[総合車両製作所|東急車輛製造]]がオールステンレス車体の製造ノウハウを公開しなかった可能性があるので)。
#***201・205・211系はアルミ車体になっていたかも。
#*シティ電車が民営化してから行われるので、時期早尚に国鉄車は地方転属。
#**燃費向上をうたい「走ルンです」が史実より全国各地に積極導入。
#***「走ルンです」もきっと異なる俗称がつけられた。
#1978年10月にはJR東日本に651系が早くも登場し、まずは上野-仙台の特急「ひばり」に投入される。
#*1978年10月改正での特急のスピードダウンもなく、東北新幹線開業まで上野-仙台は3時間58分で運転していた。
#*ただし、史実の651系よりデザインが古く見える。
#*境界駅超えても、料金が加算されずにすんでた。
#旧型客車は早いうちに無くなってるかも。
#*そもそも50系客車が製造されていないので、かなり早期に電車・気動車化が図られる。
#**そのため改造車である西日本のキハ33系、北海道のキハ141系は存在しなかった。
#***ノロッコ号も存在しなかったかもしれない。
#**快速海峡は最初から電車だった。
#***むしろ設備がいいので、最初からすべて昼間は特急。785系青ガエルが盛岡まで入線していた。
#103系・113系・115系は1970年代後半に製造終了していた。
#*キハ40系も。
#**むしろ冷房搭載・高出力にモデルチェンジされた。
#781系はJR北海道の新車となっていた。
#591系が現在も保管されている。
#首都圏色は全国に広まらなかった。
#185系は製造されず、153系の置き換え用には251系(史実のものとは異なる)が登場していたが、車内設備や性能は117系準拠ではなく他の特急車同様のもの(但し扉幅は1m)となっていた。
#北海道・四国向けの民営化前の駆け込み導入は、キハ66系になった。
#*当時四国は全線非電化のため、121系は導入されていなかった。
 
====JR西日本・アーバンネットワーク====
#[[新快速 (JR西日本)|新快速]]の強化は1980年代にすでに行われていた。
#*その結果、117系は混雑に耐えられなくなり1980年代中盤に地方線区に転用されていた。
#*221系は130km/h運転対応になっていた。
#*120km/h運転は1978年10月の117系化と同時に行われていた。因みに新快速117系化は現実より2年早い。
#*117系を3扉に無理矢理改造したりもした。
#**そもそも117系も民営化後だから、最初から3ドアだったのでは?
#*勿論、車両が足りない分は115系で補った。
#**花博の時は'''モハ70系まで動員した'''。
#*民鉄ではステンレス車が流行りだしていたので、117系もステンレス車として製造されることに。
#**もちろん軽いので120km/h対応。しかし当時のステンレスは流線形が作れなかったので、全面は国鉄203系か東急8500系みたいになる。
#***こんな新快速はいやだ。
#**近畿車輛が近鉄3000系で試作した独自のオールステンレス車の技術が採用されていたかもしれない。
#[[福知山線]]の全線電化は桜井線や和歌山線よりも先に行われていた。
#*[[能勢電鉄]]の川西国鉄前駅は廃止されなかった。
#[[片町線]]も1980年代前半の内に全線電化されていた。
#関西私鉄各社は1980年代には利用客が減少に転じていた。
#*近鉄10100系の後継車は2階建て30000系ではなく高速仕様の21000系になっていたかもしれない。
#*国鉄→JRの運賃が史実より安くなっていたので、近鉄の名阪ノンストップ特急はさらに利用客が減少し、1970年代末期には廃止されていた。
#*[[京阪電気鉄道|京阪]]・[[阪急電鉄|阪急]]・[[阪神電気鉄道|阪神]]などの特急停車駅の増加は1980年代後半には行われていた。
#**その結果、京阪8000系は3扉クロスシート車として登場し、TVも設置されなかった。
#**南海本線の泉佐野以南での急行との統合による特急停車駅増加も1985年の10000系「サザン」登場と同時に行われていた。
#**阪神梅田~山陽姫路間の直通特急も1980年代後半に実現。阪神8000系と山陽5000系は当初から直通特急の運用に対応できるよう設計されていた。
#***阪神8000系はセミクロスシートになっていたかも。
#*阪急・阪神・近鉄・南海は1980年代前半に相次いで球団を手放していたかもしれない。
#*阪神は球団を手放すとかえって大変なことになりそうな気が…。
#*阪堺電気軌道・和歌山電鐵・養老鉄道・伊賀鉄道の分社が早まった。
#**近鉄北勢線も史実よりも早く三岐鉄道に経営移管されていた。
#[[JR東西線|東西線]]が早期に建設されていた。
#*東西線と直通する[[片町線]]も1970年代後半に全線の電化と複線化が行われ、学研都市も史実より早く開発が進んでいた。
#*しかし当時の片町線は6両編成のため、7両化することはなかった。
#**207系は片町線直通対応にするため、6両+2両のまま編成組成をかえることはなかった。
#**しかし6両では輸送力が足りなくなるため、昼間の区間快速への格下げはなかった。
#***京橋~四条畷の普通列車も昼間に相変わらず運行されていた。
#*[[おおさか東線]]も2008年の時点で新大阪駅までの全線が開通していた。
#一方でモハ80系・モハ70系・モハ72系などツリ掛け式国鉄車も多く残った。
#*[[西日本旅客鉄道/広島支社|広島支社]]管内の電車は山陽本線筋の一握りを除いて、今でも全てツリ掛け式。
#*阪和線にはクハ86・サハ85とモハ70で混成した編成をブルーライナーに塗装した'''エゲツない新快速'''が出没。
#*153系共々魔改造の対象になる。
#鍛冶屋線や高砂線、飾磨港線、尼崎港線などが残り、アーバンネットワークに組み込まれていた。
#*電化も早まったかされていた可能性大。
#**そして高砂線や飾磨港線に大阪からの新快速を直通させることにより、[[山陽電鉄]]をフルボッコに。
#***山陽電鉄は阪神に吸収合併あるいは完全子会社化されていた。
#*[[神戸電鉄]]も1990年代の時点で粟生線の志染以西が廃止されていた。
#嵯峨野観光鉄道は存在しなかったかもしれない。
#*山陰本線複線化の際に片方を旧線のまま使用していた可能性が高いため。
#JR京都線快速のデータイムにおける高槻以東各駅停車化は行われなかった(現実には1985年に実施)。
#*その後1990年代に入って長岡京駅への追加停車が実施されていた。
#*その結果、大阪~京都では互いに快速が後続の新快速よりも先着することになり、新快速の混雑が幾らか緩和されていた。
#*それでも京阪神快速へのグリーン車連結は史実と同じ1980年頃に廃止されていた。
 
===その他===
#1976年11月の国鉄運賃・料金大幅値上げは行われなかった可能性が強いので(仮に値上げがあっても小幅に留まっていた)、鉄道から航空への転移は進まず、国内線の航空路線は史実ほど発展しなかった。
#*全日空はB747を導入しなかった。日本航空もB747を就航させたのは羽田-千歳・福岡・那覇便と、伊丹-千歳・那覇便のみ。
#*JRの運賃水準が低いままなので、鉄道から高速バスへの転移もあまり進まなかった。
#**いや、私鉄は1997年まで値上げしていたので、おそらくJRグループも値上げし続けていた。
#*一般庶民にとって飛行機は贅沢な乗り物という認識しかない。せいぜい新婚旅行で乗るぐらいという程度に留まっている。
#**むしろ料金の引き下げが早まった可能性あり。今日の「早割」「特割」、更にLCCが早く登場した。
#*おそらく地方交通線運賃や電車特定区間制は存在しなかった。
#**要するに会社内統一運賃。
#***でも不採算路線は近鉄のように加算運賃を設けたり、名鉄のように路線別に距離に係数をかけて運賃を計算した。
#JRマークのついた仁堀連絡船が見られた。
#*廃止される前に、両岸の発着港を変更していた可能性もある。
#**松山と呉をむすんでいたかも。
#本四架橋の神戸~鳴門ルートは鉄道併設になっていたかもしれない。
#東武日光線の快速の区間快速化は1991年の特急車の置き換えと同時に行われていた。
#*1720系の後継は史実とは異なってスペーシアではなく、りょうもう系統と共用の汎用特急車になっていた。
#*東武の有料急行の特急格上げと「急行」の一般列車の種別への変更も1991年には行われていた。
#*快速用6050系も史実とは異なり3扉セミクロスで登場していた。
#小田急のロマンスカーも新宿-小田原無停車の列車は1987年の10000系登場時に廃止されていた。
#*10000系は史実とは異なってハイデッカー仕様・連接構造ではなく、現実のEXEのような通常形の汎用特急車となっていた。
#京急600形の後継である2000形は3扉車端ロング・扉間固定ボックスシートで登場した。2100形は製造されず、2000形の後継は新1000形(車端ボックス)の増備で賄われた。
#*京急における日中時間帯の快特・特急の統合も1980年代後半~1990年代前半には行われていた。
#名鉄の特急における特別席と一般席の併結は1982年に行われていた。また「高速」という種別は設定されなかった。
#西鉄8000系は史実と異なって先頭貫通式の3扉車端ロングで登場した。8000系登場と同時に日中の急行廃止、特急の停車駅増加も行われていた。
 
==5年早かったら==
===全般===
#原因は[[もしあの鉄道車両が実用化されていたら/国鉄#ガスタービン車|ガスタービン車]]かもしれない。
#どっちみちバス事業は分社した。
 
===新幹線===
#東北・上越新幹線は民営化と同時に開業した。
#0系は民営化と同時に製造が終了した。
#100系は全車民営化後に落成された。
#「こだま」の減車はなかったかも。
 
===在来線===
#103系、113系、115系は民営化と同時に製造が終了した。
#205系、211系は全車民営化後に落成された。
#*203系も。
#キハ185系はJR四国の新車であった。
#*全車民営化後に落成された。
#*もちろん緑帯を巻いた経験はない。
#東北・高崎線中距離電車の新宿乗り入れは昭和のうちに開始された。
#常磐線の万博中央駅はそのまま常設化していた。
#*クハネ581はエキスポライナーに使用されなかった。
#415系500番台が九州に転属することはなかった。
#EF70の直流化改造が実現したかも。
#EF58 60号機が解体されずに済んだ。
#*現在はリニア・鉄道館に保存されている。
#*70系や80系2枚窓車も。
#[[国鉄EF66形電気機関車|EF66]]は全車JR貨物に継承され、ブルトレ牽引を担当しなかった。
#奈良・和歌山地区の105系は新車だった。
#713系が量産化されていた。
#EF81形400番台はJR貨物の新車で、車体もステンレス製であった。
 
===その他===
#関西私鉄の利用客減少は昭和のうちに起こっていた。
#*利用客のJRへの移行が史実より早かったため。
#国内線の航空旅客の減少は1985年の日航ジャンボ機墜落事故以降ずっと続いていた。
#*墜落事故後航空旅客が減少し、それに追い討ちをかける形でJRがのぞみを走らせ、空からJRへの移行が史実以上に急速に進んだ。
#日本国内のステンレス車両は現在も全て[[総合車両製作所|東急車輛]]製。
#*国鉄に強要されてステンレス車の製造技術を他社に公開することがなかったため。
#*日本国内ではアルミ車両の方が普及していた。
#*あるいは他社も独自にステンレス車両を開発していた可能性もある。(一例に1979年に[[近畿車輛]]で試作された[[もしあの鉄道車両が実用化されていたら/関西私鉄#近鉄3000系|近鉄3000系]]がある)
#*現在でもオールステンレス車両の価格は普通鋼製車やセミステンレス車に比べて高いまま。
 
{{日本国有鉄道}}
 
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 国鉄・JR史|ふんかつみんえいかかはやかつたら]]

2022年4月12日 (火) 11:40時点における版

戦後すぐにGHQの指令で民営化していたら

全般

  1. 長距離寝台特急などは、戦前の話になっていた。
    • 貨物も追随していたかもしれない。
    • ただ戦後しばらくは航空機の利用が一般的ではなかったので、長距離輸送にはフェリーが現実以上に活躍した。
    • 当時の商船の実態や国民の認識を考慮するとそれはない。
      • 商船は大戦の影響で壊滅状態だった上、旅客輸送の主体はフェリーではなく純客船だった。
    • むしろ進駐軍からの返還車両を改造しより豪華な内装になる。
      • 鉄道の長距離輸送の需要が大きかったので、廃止までには至らないが、夜行列車衰退は史実より早かった。
        • ヨーロッパのように新たなサービスの導入などが積極的に行われていたら逆にそこまで衰退しなかった可能性あり。
    • 航空機の一般化が現実よりも早かったため、成田空港は1回目の東京五輪が行われた1964年に、関西空港は大阪万博を前にした1969~70年に開港していたかもしれない。
  2. 都市圏輸送主体になって都市間輸送は二の次になっていた。
    • 手持ちの車両などを踏まえるとそうなるのは早くても昭和30年代に入ってからか。
  3. 分割は鉄道局単位で行われた。
    • 後に一部の区分見直しなどがあったかもしれない。
  4. ローカル線は史実ほど多く建設されていない。
    • JRの経営は現実よりは楽だっただろう。
  5. 新幹線は半官半民の新会社で建設・運行された。
    • 戦前の日本電気鉄道計画が日の目を見ていた。
      • あるいは五島慶太などが実際に計画していた「日本鉄道」の計画が実現していた。
    • 中曽根政権時代もしくは小泉政権時代に完全民営化された。
  6. 国有化されていない私鉄との経営統合や買収なども発生していた。
    • 逆に相鉄・南海・西鉄あたりが「民営化するなら戦時買収路線を返せ」と要求した可能性も。
    • 小田急御殿場線を国からの払い下げで獲得していた。
  7. 現在では各会社の経営姿勢により鉄道の状況は地方ごとに大きく異なっている。
  8. 専売事業・電信電話事業もほぼ同時に特殊会社になっていた。
    • 史実では専売公社・電電公社に移行。
    • 日本放送協会も財団法人にはならず、社団法人から特殊会社に移行していた。
      • 小泉政権の頃に完全民営化されていたかも。
  9. 近鉄の関東進出が成功していたかもしれない。
    • 東武も会津若松経由で山形まで、西武も軽井沢まで路線を伸ばしていただろう。
    • 山陽電鉄も岡山まで路線を伸ばしていた。
    • 江若鉄道は京阪資本により敦賀・福井方面へ延伸された。
  10. 国労や勤労といった大規模な労組が存在しないため労働運動の歴史にも結構影響があった。
    • 総評は左傾化することもなかったので、昭和30年代には同じく反共右派の総同盟と合併して史実の連合のようなナショナルセンターが結成されていた。
    • 社会党や共産党は早くに衰退し、戦後の日本は現実以上に自民一強状態になっていた。
      • 日本は現実よりも右傾化し、憲法改正もあったかも。
      • 1960年代後半の学生運動もそれほど激しくなかった。
      • 平成初期に55年体制が崩れることはなく、従って民主党は存在しなかった。
    • 春闘による私鉄などのストライキも存在しなかった。
    • 新自由主義という考え方は既に高度成長期に存在していた。
      • その結果、終身雇用制度は早くになくなり、1960年代のうちに夫婦共働きが当たり前というアメリカ型の社会になっていた。男女雇用機会均等法も同時期に施行されている。
        • 非正規雇用も現実以上に多くなっていた。
          • 1970年代には格差社会が問題になっていた。
        • 戦後の日本は現実よりも少子化のペースが早くなり、第2次ベビーブーム世代の出生数も現実ほどではなかった。
          • あるいは団塊世代が現実よりも晩婚化したため、1980年代まで第2次ベビーブームが続いていた。
        • 1990年前後のバブル景気は到来しなかったかもしれない。
        • 蒸気機関車や貨物列車、操車場にも女性の鉄道員が従事するようになった。
        • さだまさしの「関白宣言」という歌は発表されなかった。
  11. プロ野球に「スワローズ」という球団ができることはなかった。
    • セ・リーグは西日本パイレーツ消滅時点の6球団で安定していた。
      • あるいは史実でパ・リーグに属していたどこかの球団がセ・リーグ入りしていた。
    • 神宮球場はどこの本拠地になっていたのだろう?
      • 大学野球専門の球場になっていた可能性もある。
  12. 地図における経営母体による記号の使い分けは消滅していた。
    • 現在では諸外国同様に路線の規模や規格による記号が使われている。
  13. 運賃料金の等級制は戦後すぐに廃止され、旧1等は貴賓車、旧2等は特別車、旧3等は普通車と呼び名が変わって、特別車や貴賓車は普通車(旧3等)の運賃に料金をプラスするという方式に変更されていた。
    • 但し車両の記号「イ」・「ロ」・「ハ」はそのまま存置されていた。

キャンペーンと特別企画乗車券

  1. 民間放送開始とともに、史実の民営化後のようなキャンペーンを実施。高度経済成長の開始とともに、それが更に華やかになる。
  2. JR東海は、東海道新幹線開業直後以来、「シンデレラ・エクスプレス」「クリスマス・エクスプレス」を実施。これにより、この頃に既に新幹線による遠距離恋愛が一般化していた。
    • 当時の新幹線は高価な乗り物だったので一般人にはおそらく無理。
      • ただしPR目的でそのような映画(主演:吉永小百合?)が制作されることはあってもおかしくない。
  3. JR東海は、同時期以来、「そうだ 京都、行こう。」「トーキョーブックマーク」キャンペーンを実施。
    • 「ブックマーク」という語は携帯普及後に広く知られた言葉なので少なくとも後者は全く別名称になっている。
  4. JR東日本は、東北本線の大半が電化された頃から、「週末パス」を発売。
    • その事で、東北から上京した人が気軽に帰省できるので、「あゝ上野駅」のような望郷の流行歌が作られない。代わりに、JR東日本による上京者応援のCMソングが流行する。その歌は明るくポップ。
      • 当時の集団就職先はほとんどが中小零細企業だったのでそこまで懐に余裕はなかったはず。
        • 史実でも勤労青少年旅客運賃割引制度とかあったはずだが。
      • 「お金がたまったら凱旋帰郷しよう」「父ちゃん母ちゃんに東京を見せよう」という趣旨のCMが多くなっていたと思われる。
  5. JR東日本は、同じ頃から、「JR SKISKI」キャンペーンを実施。
    • CMキャラクターには加山雄三あたりが起用されていた。
  6. JR九州は、後年の水戸岡鋭治のようなデザイナーに車両デザインを委託。また、急行の運行開始以来、2枚きっぷ・4枚きっぷを発売する。
    • 当時は日本国内にあまり工業デザイナーがいなかったため海外のデザイナーにも頼んでいた。
    • 日本のデザイン史もかわっていたかも。
  7. こうしたことで、当時の鉄道史、ひいては昭和戦後史が、史実と大きく変わる。
    • 一人一人の経済状況や使える人材などが史実と変わらないためそこまで劇的に変化したかどうかは微妙。
  8. 東京オリンピックや大阪万博といった大イベントの際には特別塗装の列車や企画切符が大量に投入された。
  9. 遅くとも70年代には朝ドラや大河ドラマ絡みの企画乗車券が存在していた。
  10. その一方で「青春18きっぷ」は誕生しなかった恐れがある。
    • 似たような乗り放題切符は存在していてもおかしくないが全国規模にはならなかった気がする。

昭和30年代に民営化していたら

昭和30年代、民間シンクタンクの産業計画会議が国鉄分割民営化を提言していました。

  1. 新幹線は開業していなかったか、全額自己負担で建設していた。
    • 並行在来線の経営分離も昔から行われていた。
    • フル規格での開業は弾丸列車計画を受け継いだ東海道・山陽のみ。それ以外の路線にはスーパー特急方式(急勾配や急曲線のある区間を部分的に新線化する)が推進されていた。
      • 史実の埼京線やTXが優等列車街道と化す。
  2. 大半のローカル線は開業していなかった。
    • 開業していたとしても割増運賃が適用され、さらに沿線市町村に赤字分を補填するという事になっていたかもしれない。
      • BRTが普及していたかも。
    • JRバスが予定線の区間を網羅する。
    • 越美線、広浜線や高千穂線など地方都市間を結ぶ路線が優先的に建設された。
  3. 蒸気機関車列車も史実より早く消滅していたかも。
  4. 101系は関東地区のみで製造されていた。
    • 関西地区では103系が製造されていた。
      • いや、関西地区は高速仕様の105系(実際に計画はあった。現実の105系とは異なる)となっていた。
        • 関西地区に投入された105系は車内の蛍光灯がカバー付き、空気バネ台車など当時の関西私鉄車両と同レベルの車両となっていた。
  5. 関西地区の場合新快速電車が史実より早く登場していたため関西の私鉄のシェアをある程度奪っていた。
    • 対抗して阪神なんば線は昭和40年代に開業していた。
    • 阪神梅田~山陽姫路間の直通特急も神戸高速鉄道開業時に登場していた。場合によっては阪急も姫路に直通していたかも。
  6. モータリゼーションが到来する前なので各社の経営状態もよかったかもしれない。
  7. 首都圏の通勤五方面作戦が史実より進んでいない。
    • 複々線化は沿線自治体が負担しない限り進まないという状態になっていたかも。
      • 中央線の複々線は未だに中野止まりなので杉並3駅は問題になっていない。
        • 天王台・東船橋・幕張本郷の各駅に至っては開業すらしなかった。
          • 東船橋駅は地元高校の請願で建設される。
    • 東京への一極集中も史実ほどには進んでいなかった。
      • 関西や中京地区では新快速が早期に登場していたことから、ある程度こちらに機能が分散していた。
        • 滋賀県や兵庫県の播州地方が高度成長期に爆発的に人口が増加する。
          • 滋賀県の人口は現実よりも早く奈良県のそれを抜いていた。
          • 姫路市は政令指定都市になっていた可能性もある。
        • 昭和30~40年代はまだ東海道・山陽本線に特急・急行列車が多数運行されていたので新快速の本数は現状よりも少ない代わりに、定期券で特急・急行を利用できる特例が設けられ、この区間においては近鉄特急みたいに気軽に利用できる存在となっていた。
          • あるいは食堂車付きのホームライナーがあったかも。
          • 上記の阪急・阪神~山陽の直通特急が安さでJR特急に対抗していた。速達性を向上するため停車駅も現実よりも絞られていた。
      • 首都圏の交通網がパンク状態になったため、地方分権が推進されるようになっていた。
    • 首都圏の近郊形電車(中距離電車)のロングシート化は昭和40年代には始まっていた。
  8. 労組のストライキは起こらなかったため、鉄道の輸送シェアは現在でも5割を上回っている。
    • スト権ストや順法闘争が行われていないため上尾事件はなかった。
      • でも結局スト権ストの規模で分割民営化反対ストが行われていたかも。
    • 民間企業になれば合法的にストができるので、民営化後も状況によっては史実以上に激しくストが起きていたかも。
      • 遵法闘争をする必要もなかった。
      • 昭和30年代から40年代にかけての私鉄総連がかなり過激だったのを考えれば、昭和50年代前半までは激しいストは起きていたはず。
  9. 福知山線や勝田線は全線複線電化されていた。
    • JR東西線も1970年代には開業している。
      • 1970年の大阪万博がきっかけで整備されていたかも。
    • 片町線も。京田辺市は昭和のうちに市制施行していた。
  10. 仁堀航路の本数も増加していた。
    • 発着が呉と三津浜に変わって呉三航路になっていた。
  11. 九州ブルートレインはかなり豪華な編成になっていた。
    • ブルートレインブームは史実より凄まじいものに。
    • B寝台主体のビジネス向けの列車は電車化されてスピードアップされ、東京-博多間は12時間になっていた。
      • 寝台料金も現実よりも安く抑えられていた。その結果夜行バスは現実ほど発達していない。
  12. 運賃は値上げされていてもある程度抑えられ、初乗りも120円ぐらいだったかもしれない。
    • 等級制廃止(1等・2等→グリーン車・普通車に変更)も民営化に併せて行われていた。
  13. 国鉄スワローズの身売りが早まっていた。
    • 身売りしていない場合、本拠地は神宮球場ではなかったかもしれない。
  14. これを機に国鉄以外の国家機関の民営化も早まっていたかもしれない。
    • 日本専売公社や日本電信電話公社、郵政事業も昭和40年代に民営化されていた。
      • 日本放送協会も民営化していたかもしてない。
      • 日本道路公団も1970年代に民営化されていた。
      • 営団地下鉄も同時期に民営化されている。さらに大阪市・名古屋市など各地の公営交通も民営化されていた可能性もある。
        • 営団地下鉄は民営化にあたって都営地下鉄と経営一元化していたかも。
        • 大阪市交通局は1969年の路面電車廃止と同時に民営化されていた。
  15. 急行形車両の冷房化はグリーン車が民営化までに、普通車も1968年までには完了していた。また、近郊・通勤形車両の冷房車も史実より早く1968年には登場していた。
    • 485系など特急型車両の普通車も当初から簡易リクライニングシート装備だった。
    • 私鉄の通勤冷房車導入も現実よりも早まっていた。
      • 阪急5000系・小田急5000形・南海6100・7100系などは当初から冷房車として登場していた。
      • 上記のように地下鉄の民営化が早ければ、東京の地下鉄は昭和のうちに冷房化率100%を達成できた。
  16. 「L特急」という概念は存在していない。
    • 東日本の特急は一貫して全車指定席だった。

10年早かったら

新幹線

  1. 0系は1970年代後半に製造が終了していた。
    • そして遅くとも20世紀中には引退していた。
    • 2000番台は存在しない。
  2. それ以後は100系に移行し、1990年頃まで製造が継続される。
    • 現実より多くの車両が導入された。
    • 220km/h運転開始も1982年11月には行われていた。
  3. 300系「のぞみ」の登場は史実と同じ。
  4. 東北・上越新幹線は民営化後に開業した。
    • 最高速度は開業時から240km/h。
    • 200系の先頭車は全て100系タイプの顔だった。
  5. ちなみに東海道新幹線を管理しているのはJR西日本。
    • JR東海は存在しない。
    • もし存在してあっても強引な新幹線誘導は行ってない。
      • 名阪間直通の新快速や静岡地区の快速も運転されていたかも。
        • ただ広島地区のことを思うと後者は消えていた可能性もあり。
  6. 山形新幹線は1980年代後半に開業した。
  7. 九州新幹線東北新幹線の盛岡以北は20世紀中に全通していた。
    • 2011年現在、北海道新幹線が開通している。
    • 北陸新幹線も。
      • これら整備新幹線の開業に合わせた並行在来線の3セク移管は行われなかったかもしれない。その場合新幹線開業後も「サンダーバード」「しらさぎ」は富山発着で残されている。
    • かえって東北新幹線上越新幹線は本開業まで開業を待つことになり、史実より1年か2年程開業が遅れた。
  8. 近鉄名阪ノンストップ特急は東海道新幹線に負けて廃止されていた可能性が高い。
    • 乙特急に早々と統合されていた。が、後に津・大和八木のみ停車の形で速達型が再設定された。
  9. 東京-大阪間の空路でも羽田-伊丹線は、東海道新幹線に敗れて廃止されていた可能性も大いにありうる。神戸空港は建設さえ行われなかった可能性が強い。
    • 大阪-福岡はもっと早く廃止され、今では東京-岡山や名古屋-福岡でさえも存廃が議論されるようになっていた。
      • 東京−三沢、東京−青森も東北新幹線に負けて廃止に追い込まれたかも。
  10. 三島駅の開業から間髪入れずに掛川駅、三河安城駅などが開設された。
    • 中には「ひかり」の停車する駅もあったかもしれない。
  11. 東海道・山陽新幹線の車両形式は、0、100、200、300、…となっていた。
    • そしてJR東日本系新幹線は開業当初からE1、E2、E3、…と振られていた。

在来線

  1. 廃止路線は比較的少数ですんだであろう。
    • 三島会社の経営も現実よりは安定しているだろう。
    • JR九州も2010年までに株式を上場させていた。
    • ただし平成以降の廃線数は現実以上に多くなる。
      • 路線単位でなく、ほんとに区間単位で輸送実績が計算されて廃止・転換が行われた。
      • 江差線が残って松前線が廃止になったり、上砂川支線が歌志内線より数年遅く廃止になるというようなことはなかった。
    • 勝田線や尼崎港線、高砂線、鍛冶屋線などは生き残れただろうし、伊勢線や中村線が第三セクターになるなんてこともなかった。
      • 逆に加古川線の野村(現西脇市)~谷川の方が廃止されていたかも。
    • りんかい線もJR東日本の路線だった可能性あり。
      • 大崎 - 新木場 - 蘇我が「京葉線」だった。房総特急は多くが新宿や渋谷にも発着していた。
      • 池袋折り返しも設定される。
        • そのまま埼京線と直通して川越まで。名付けて臨海埼京ライン。
    • 鉄道公団のローカル新線の建設凍結も早かったかもしれない。
      • 白糠線、可部線、三江線は開業したか非常に疑問。
      • 気仙沼線もどうだろうか。三陸鉄道所有になっていた可能性も……
        • 多分阿佐線のように途中で建設放棄になっていたのでは。
      • 逆に中村線、岡多線、瀬戸線、伊勢線などはJRに継承されていた可能性あり。
        • もしかしたら既存路線の三セク化はなかったかもしれない。
      • 石勝線は建設されず、札幌から帯広・釧路へは引き続き滝川経由で運行されることに。
      • 内子線も盲腸線のまま。宇和海は伊予長浜経由のまま。
    • 民営化後に東北・上越新幹線が開業することになるため、並行在来線の三セク化が史実より進んでいる。
      • 少なく見積もっても上越線水上~宮内間、東北本線黒磯~白石間・小牛田~青森間は全て三セクに。
        • 上越線高崎~水上、信越本線宮内~新津も三セクかも。
    • 特定地方交通線という概念は生まれなかった。
  2. 運賃は今よりずっと安かったろう。
    • 史実での分割民営化10年前の昭和52年は、怒濤の値上げ連発が始まってはいたものの、まださほど進んでいない。
  3. 青春18きっぷは発売されなかった。
    • その代わり「西日本・四国・九州パス」とかがあったかもしれない。
    • 現実とは異なり特急・急行券をプラスすると特急・急行にも乗車できるタイプになっていたかも。あるいは普通・快速列車のみ乗車できるタイプと2種類設定されていた。
      • もしあったとしても、史実より高額になっていただろう。
  4. 東京機関区以外の寝台特急牽引機でヘッドマークが廃止されることはなかった。
    • ただし分割民営化の弊害が現れ、寝台特急の淘汰は現実より早かった。
      • 「北斗星」とかも生まれなかったかもしれない。
      • 夜行高速バスは寝台特急廃止の代替という意味合いが強かった。そのため現実よりもJRバスの比率が高まっている。
      • 逆に1社内完結の夜行列車は新幹線並行区間を除き多くが残存。
        • キハ56系とオハネフ12形を併結した急行が北海道を走る。
        • 「ながさき」は「ムーンライトながさき」か「ドリームかもめ」になったかも。
        • 上野〜東北間ブルトレの個室化が早まる。
  5. ヤード廃止も早まり、別府鉄道や南部縦貫鉄道は現実より早く消えていたかもしれない。
    • ただしコンテナ一本化が早かったので、その分だけ貨物のシェアも現実より多かった。
      • ワム80000形ワム280000番台は製造されなかったかもしれない。
    • 荷物輸送もJR貨物に継承された場合、宅急便などに積極的に対抗する姿勢を見せた可能性あり。
      • その代わり、汐留貨物駅などが残って周辺の再開発はされなかった。または遅れた。
      • 日本通運や郵政省→日本郵政と組んでいた可能性もある。
      • JR貨物の新造機関車には暖房供給装置を搭載したものもいた。
      • 130km/hで走れる郵便・荷物電車が開発される。
  6. 列車愛称の号数が下り奇数・上り偶数に改められることはなかった。
  7. 南武線の快速は廃止されず、後に登戸以北でも通過運転を始める。
    • 鹿島田や武蔵新城には未だに停車していない。
  8. 横須賀線東京トンネルができていたか怪しい。品川折り返しになっていたかも。
  9. JR北海道は廃線を進めまくり、JR北海道バスが多くの路線を代替した。
    • 2015年からの普通気動車が老朽化してお金がないので減らす問題は、10年繰り上がっていたので置き換えが順調に行っていたかも。

国鉄・JR車両動向

  1. 現実より多くの車両が導入された。
  2. 581・583系が近郊型に改造されることはなかった。
  3. 205系はJR東日本の新車となっていた。
    • 201系も。(なぜなら1979年登場だから。)
      • 加えて203系も。(こちらは1982年登場だから。)
      • 207系900番台は存在しなかった。試験で作られたとしても別の形式を名乗っていた。
    • 全国的にもステンレス車両の導入が史実より早かったと思われるので、JRグループ初のステンレス車の形式が201系となっていた。
      • もちろん地下鉄直通向け筑肥線用開業当初の車両もステンレスでワンマン対応。
      • むしろアルミ車体の方が普及していたかも(東急車輛製造がオールステンレス車体の製造ノウハウを公開しなかった可能性があるので)。
        • 201・205・211系はアルミ車体になっていたかも。
    • シティ電車が民営化してから行われるので、時期早尚に国鉄車は地方転属。
      • 燃費向上をうたい「走ルンです」が史実より全国各地に積極導入。
        • 「走ルンです」もきっと異なる俗称がつけられた。
  4. 1978年10月にはJR東日本に651系が早くも登場し、まずは上野-仙台の特急「ひばり」に投入される。
    • 1978年10月改正での特急のスピードダウンもなく、東北新幹線開業まで上野-仙台は3時間58分で運転していた。
    • ただし、史実の651系よりデザインが古く見える。
    • 境界駅超えても、料金が加算されずにすんでた。
  5. 旧型客車は早いうちに無くなってるかも。
    • そもそも50系客車が製造されていないので、かなり早期に電車・気動車化が図られる。
      • そのため改造車である西日本のキハ33系、北海道のキハ141系は存在しなかった。
        • ノロッコ号も存在しなかったかもしれない。
      • 快速海峡は最初から電車だった。
        • むしろ設備がいいので、最初からすべて昼間は特急。785系青ガエルが盛岡まで入線していた。
  6. 103系・113系・115系は1970年代後半に製造終了していた。
    • キハ40系も。
      • むしろ冷房搭載・高出力にモデルチェンジされた。
  7. 781系はJR北海道の新車となっていた。
  8. 591系が現在も保管されている。
  9. 首都圏色は全国に広まらなかった。
  10. 185系は製造されず、153系の置き換え用には251系(史実のものとは異なる)が登場していたが、車内設備や性能は117系準拠ではなく他の特急車同様のもの(但し扉幅は1m)となっていた。
  11. 北海道・四国向けの民営化前の駆け込み導入は、キハ66系になった。
    • 当時四国は全線非電化のため、121系は導入されていなかった。

JR西日本・アーバンネットワーク

  1. 新快速の強化は1980年代にすでに行われていた。
    • その結果、117系は混雑に耐えられなくなり1980年代中盤に地方線区に転用されていた。
    • 221系は130km/h運転対応になっていた。
    • 120km/h運転は1978年10月の117系化と同時に行われていた。因みに新快速117系化は現実より2年早い。
    • 117系を3扉に無理矢理改造したりもした。
      • そもそも117系も民営化後だから、最初から3ドアだったのでは?
    • 勿論、車両が足りない分は115系で補った。
      • 花博の時はモハ70系まで動員した
    • 民鉄ではステンレス車が流行りだしていたので、117系もステンレス車として製造されることに。
      • もちろん軽いので120km/h対応。しかし当時のステンレスは流線形が作れなかったので、全面は国鉄203系か東急8500系みたいになる。
        • こんな新快速はいやだ。
      • 近畿車輛が近鉄3000系で試作した独自のオールステンレス車の技術が採用されていたかもしれない。
  2. 福知山線の全線電化は桜井線や和歌山線よりも先に行われていた。
    • 能勢電鉄の川西国鉄前駅は廃止されなかった。
  3. 片町線も1980年代前半の内に全線電化されていた。
  4. 関西私鉄各社は1980年代には利用客が減少に転じていた。
    • 近鉄10100系の後継車は2階建て30000系ではなく高速仕様の21000系になっていたかもしれない。
    • 国鉄→JRの運賃が史実より安くなっていたので、近鉄の名阪ノンストップ特急はさらに利用客が減少し、1970年代末期には廃止されていた。
    • 京阪阪急阪神などの特急停車駅の増加は1980年代後半には行われていた。
      • その結果、京阪8000系は3扉クロスシート車として登場し、TVも設置されなかった。
      • 南海本線の泉佐野以南での急行との統合による特急停車駅増加も1985年の10000系「サザン」登場と同時に行われていた。
      • 阪神梅田~山陽姫路間の直通特急も1980年代後半に実現。阪神8000系と山陽5000系は当初から直通特急の運用に対応できるよう設計されていた。
        • 阪神8000系はセミクロスシートになっていたかも。
    • 阪急・阪神・近鉄・南海は1980年代前半に相次いで球団を手放していたかもしれない。
    • 阪神は球団を手放すとかえって大変なことになりそうな気が…。
    • 阪堺電気軌道・和歌山電鐵・養老鉄道・伊賀鉄道の分社が早まった。
      • 近鉄北勢線も史実よりも早く三岐鉄道に経営移管されていた。
  5. 東西線が早期に建設されていた。
    • 東西線と直通する片町線も1970年代後半に全線の電化と複線化が行われ、学研都市も史実より早く開発が進んでいた。
    • しかし当時の片町線は6両編成のため、7両化することはなかった。
      • 207系は片町線直通対応にするため、6両+2両のまま編成組成をかえることはなかった。
      • しかし6両では輸送力が足りなくなるため、昼間の区間快速への格下げはなかった。
        • 京橋~四条畷の普通列車も昼間に相変わらず運行されていた。
    • おおさか東線も2008年の時点で新大阪駅までの全線が開通していた。
  6. 一方でモハ80系・モハ70系・モハ72系などツリ掛け式国鉄車も多く残った。
    • 広島支社管内の電車は山陽本線筋の一握りを除いて、今でも全てツリ掛け式。
    • 阪和線にはクハ86・サハ85とモハ70で混成した編成をブルーライナーに塗装したエゲツない新快速が出没。
    • 153系共々魔改造の対象になる。
  7. 鍛冶屋線や高砂線、飾磨港線、尼崎港線などが残り、アーバンネットワークに組み込まれていた。
    • 電化も早まったかされていた可能性大。
      • そして高砂線や飾磨港線に大阪からの新快速を直通させることにより、山陽電鉄をフルボッコに。
        • 山陽電鉄は阪神に吸収合併あるいは完全子会社化されていた。
    • 神戸電鉄も1990年代の時点で粟生線の志染以西が廃止されていた。
  8. 嵯峨野観光鉄道は存在しなかったかもしれない。
    • 山陰本線複線化の際に片方を旧線のまま使用していた可能性が高いため。
  9. JR京都線快速のデータイムにおける高槻以東各駅停車化は行われなかった(現実には1985年に実施)。
    • その後1990年代に入って長岡京駅への追加停車が実施されていた。
    • その結果、大阪~京都では互いに快速が後続の新快速よりも先着することになり、新快速の混雑が幾らか緩和されていた。
    • それでも京阪神快速へのグリーン車連結は史実と同じ1980年頃に廃止されていた。

その他

  1. 1976年11月の国鉄運賃・料金大幅値上げは行われなかった可能性が強いので(仮に値上げがあっても小幅に留まっていた)、鉄道から航空への転移は進まず、国内線の航空路線は史実ほど発展しなかった。
    • 全日空はB747を導入しなかった。日本航空もB747を就航させたのは羽田-千歳・福岡・那覇便と、伊丹-千歳・那覇便のみ。
    • JRの運賃水準が低いままなので、鉄道から高速バスへの転移もあまり進まなかった。
      • いや、私鉄は1997年まで値上げしていたので、おそらくJRグループも値上げし続けていた。
    • 一般庶民にとって飛行機は贅沢な乗り物という認識しかない。せいぜい新婚旅行で乗るぐらいという程度に留まっている。
      • むしろ料金の引き下げが早まった可能性あり。今日の「早割」「特割」、更にLCCが早く登場した。
    • おそらく地方交通線運賃や電車特定区間制は存在しなかった。
      • 要するに会社内統一運賃。
        • でも不採算路線は近鉄のように加算運賃を設けたり、名鉄のように路線別に距離に係数をかけて運賃を計算した。
  2. JRマークのついた仁堀連絡船が見られた。
    • 廃止される前に、両岸の発着港を変更していた可能性もある。
      • 松山と呉をむすんでいたかも。
  3. 本四架橋の神戸~鳴門ルートは鉄道併設になっていたかもしれない。
  4. 東武日光線の快速の区間快速化は1991年の特急車の置き換えと同時に行われていた。
    • 1720系の後継は史実とは異なってスペーシアではなく、りょうもう系統と共用の汎用特急車になっていた。
    • 東武の有料急行の特急格上げと「急行」の一般列車の種別への変更も1991年には行われていた。
    • 快速用6050系も史実とは異なり3扉セミクロスで登場していた。
  5. 小田急のロマンスカーも新宿-小田原無停車の列車は1987年の10000系登場時に廃止されていた。
    • 10000系は史実とは異なってハイデッカー仕様・連接構造ではなく、現実のEXEのような通常形の汎用特急車となっていた。
  6. 京急600形の後継である2000形は3扉車端ロング・扉間固定ボックスシートで登場した。2100形は製造されず、2000形の後継は新1000形(車端ボックス)の増備で賄われた。
    • 京急における日中時間帯の快特・特急の統合も1980年代後半~1990年代前半には行われていた。
  7. 名鉄の特急における特別席と一般席の併結は1982年に行われていた。また「高速」という種別は設定されなかった。
  8. 西鉄8000系は史実と異なって先頭貫通式の3扉車端ロングで登場した。8000系登場と同時に日中の急行廃止、特急の停車駅増加も行われていた。

5年早かったら

全般

  1. 原因はガスタービン車かもしれない。
  2. どっちみちバス事業は分社した。

新幹線

  1. 東北・上越新幹線は民営化と同時に開業した。
  2. 0系は民営化と同時に製造が終了した。
  3. 100系は全車民営化後に落成された。
  4. 「こだま」の減車はなかったかも。

在来線

  1. 103系、113系、115系は民営化と同時に製造が終了した。
  2. 205系、211系は全車民営化後に落成された。
    • 203系も。
  3. キハ185系はJR四国の新車であった。
    • 全車民営化後に落成された。
    • もちろん緑帯を巻いた経験はない。
  4. 東北・高崎線中距離電車の新宿乗り入れは昭和のうちに開始された。
  5. 常磐線の万博中央駅はそのまま常設化していた。
    • クハネ581はエキスポライナーに使用されなかった。
  6. 415系500番台が九州に転属することはなかった。
  7. EF70の直流化改造が実現したかも。
  8. EF58 60号機が解体されずに済んだ。
    • 現在はリニア・鉄道館に保存されている。
    • 70系や80系2枚窓車も。
  9. EF66は全車JR貨物に継承され、ブルトレ牽引を担当しなかった。
  10. 奈良・和歌山地区の105系は新車だった。
  11. 713系が量産化されていた。
  12. EF81形400番台はJR貨物の新車で、車体もステンレス製であった。

その他

  1. 関西私鉄の利用客減少は昭和のうちに起こっていた。
    • 利用客のJRへの移行が史実より早かったため。
  2. 国内線の航空旅客の減少は1985年の日航ジャンボ機墜落事故以降ずっと続いていた。
    • 墜落事故後航空旅客が減少し、それに追い討ちをかける形でJRがのぞみを走らせ、空からJRへの移行が史実以上に急速に進んだ。
  3. 日本国内のステンレス車両は現在も全て東急車輛製。
    • 国鉄に強要されてステンレス車の製造技術を他社に公開することがなかったため。
    • 日本国内ではアルミ車両の方が普及していた。
    • あるいは他社も独自にステンレス車両を開発していた可能性もある。(一例に1979年に近畿車輛で試作された近鉄3000系がある)
    • 現在でもオールステンレス車両の価格は普通鋼製車やセミステンレス車に比べて高いまま。
JNR 日本国有鉄道

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