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==路線別==
*新規追加は50音順でお願いします。
*[[もし京阪中之島線が○○だったら]]
*
*[[もし京阪大津線が○○だったら]]
*
===京阪本線===
*
;複々線化が○○だったら
*
*枚方市まで複々線化されていたら
#準急は枚方公園まで急行運転し、そこから京都側が各駅停車という列車となっていた。
#*停車駅は淀屋橋~京橋間の各駅・守口市・寝屋川市・香里園・枚方公園~出町柳間各駅。
#朝夕のラッシュ時は萱島発の区間急行や普通の多くが枚方市まで延長され、中之島~枚方市間の速達電車が増加(通勤快急・通勤準急)していた。
#*朝ラッシュ時の特急は枚方市通過の「快速特急」になっていた。
#枚方市駅の構造が阪神なんば線開業後の阪神尼崎駅のようになり、本線と交野線は立体交差で分岐していた。
#*1・6番線が本線上下線、2・5番線が本線上下待避線、3・4番線が交野線となり、2・5番線は両側の扉を開く。
#*本線~交野線の直通電車が終日運転される。
#*天満橋~萱島間は内側が急行線(A線)だが萱島~寝屋川市間で緩行線(B線)と入れ替わり、寝屋川市~枚方市間は外側が急行線となる。
#「樟葉までの複々線延伸を!」なる意見が出てくる。


;もし枚方市まで複々線化され、「樟葉までの複々線延伸を!」という沿線住民の願いが叶って樟葉まで複々線になっていたら
==明智氏==
#準急は樟葉まで急行運転し、そこから京都側が各駅停車になっていた。区間急行の場合、枚方市まで急行運転し、枚方市~樟葉は各駅停車になっていた。
#前提として[[もしあの戦国・安土桃山時代の戦いが○○だったら#もし山崎の戦いで明智光秀が勝っていたら|山崎の戦いで勝っていた。]]
#現実よりも列車が大増発され、現在の萱島・枚方市始発の普通・区間急行を樟葉まで延長することで、準急が止まらなくなった牧野・御殿山駅の列車本数を確保することができる。
#*というより、羽柴秀吉が毛利の返り討ちに遭い、山崎まで大返しできなかったパターンの方がありそう。
*全く行われなかったら
#**あっさり首を取られてしまうと毛利の勢力が大きくなるので、両者で膠着状態になって、どちらも消耗するのがベストな展開。
#高度成長期に急行・準急は10両編成での運転となっていた。
#**そのうちに、どちらかが光秀に臣従して、力を借りて相手を倒そうと計る。
#*600→1500Vへの昇圧も昭和40年代に行われている。
#明智光秀の評価は「正義のために暴君を討った英雄」となっていた。
#[[京阪5000系電車|5000系]]は更に増備されていた。
#*どうかな。足利尊氏とか天下取ったのに評判悪いし。
#*2600系30番台は登場せず、6000系も一部が5扉となっていた。
#**尊氏の評判が悪いのは、後醍醐天皇を裏切るなど皇室をないがしろにしたから。このスタンスは、むしろ信長に通じるものがある。
#それでも輸送力が逼迫するので、[[大阪市高速電気軌道谷町線]]は大日から先枚方方面まで延伸されていた。
#**光秀は勤皇家で、信長が皇室を利用してるのが許せなかったと思われているので、大丈夫。
#*大日以東は近鉄けいはんな線みたいに京阪の手で建設されていたかも。
#信長・秀吉の評判は悪い。
#*長堀鶴見緑地線が第二京阪線として京都方面まで延びていた可能性もある。
#*これもまた微妙。
#中之島線は建設されていなかった可能性もある。
#三日天下という言葉はない。
#輸送力強化の為に[[近畿日本鉄道|近鉄]]みたいに車両の大型化に踏み切った。
#*同様の意味のことわざはナポレオンの百日天下か。
#関目・森小路・滝井・土居の各駅は設置されなかった可能性が高い。
#果たして光秀自身が将軍なりなんなりになれるのか。信長でも右大臣になるまでには相当時間かかったのに。ものすごい勢いでものすごい功績を重ねまくらないと無理そう。足利将軍あたりを呼び戻した方が現実的かも。
#*旧森小路駅はいずれは千林駅に駅名が改称されていた。
#*鞆から呼び戻すことを条件に、足利義昭の猶子になることを承諾させればOK.
#娘の玉(ガラシャ)の影響が強くなるので、もっとキリスト教が普及する。
#天下を取った光秀はすっかり変わってしまって晩年暴君になる。そして忠実では大河ドラマ等で悲劇の主人公として扱われることが多い光秀の人気が落ちる…なんてことになっていた可能性も。
#*もっとも年齢が年齢だし、暴君化することもなく、天下を取った後すぐ光秀は死んでいた可能性も。
#細川氏・筒井氏は譜代大名になっていた。


;地下化が○○だったら
==朝倉氏==
*京都側が地下化されなかったら
#金ヶ崎の戦いで信長死亡。
#[[もしあの鉄道路線が開業していなかったら/近畿#京阪鴨東線|鴨東線は開業しなかった]]
#[[もし日本の首都が福井県の都市になっていたら#Case1.福井|日本の首都が福井に。]]
#*もしくは単線などの妥協案を提示して無理やり地上路線として延伸していた。
#太平洋側より日本海側のほうが栄えている。
#**現実とは逆に叡電側が三条へ延伸していたかも。
#朝倉宗滴在命の時に天下統一を果たすので、リアルより若干早めに戦国時代が終了した。
#現在でも鴨川沿いを走る京阪電車の写真がカレンダーなどに掲載されていた。
#*織田信長は、史実の伊達政宗ポジションに据えられて、「生まれる年があと少し早ければ、天下を取れただろうに…」と言われることになっていた。
#渋滞の要因になるため今でも槍玉に挙げられている。
#**時を経て現代、[[カプコン|某ゲームメーカー]]の[[戦国BASARAファン|アクションゲーム]]で、変な恰好をして「Let's Party!!」と連呼する役になっていた。
#*少なくとも京都の景観や鴨川の事を考えると、道路を立体化するのも難しいと思われる。
#*現在では川端通の建設とともに立体化という案も提示されているが全く進んでいない。
#どのみち京津線とは寸断されていた。
#*京津線とは1997年の京都市営地下鉄東西線開業による三条~御陵間廃止まで京阪線と改札内で繋がっていた。従って京津三条という駅名は存在しなかった。
#現在はホームが8両編成対応に延伸されている。
#大晦日における八坂神社のおけら詣りの火はいずれは車内持ち込みが禁止になっていた。
#七条や四条が上下線別改札なので京都側における特急の折り返し乗車がしにくくなっていた。
#五条→清水五条、四条→祇園四条の駅名改称は現実通りだっただろう。


*大阪側が地下化されなかったら
==尼子氏==
#間違いなく今でも天満橋が起点。
#条件としては経久の子政久が戦死せず大内の大寧寺の変で一気に介入して勢力を拡大し新宮党とも敵対せずにできれば可能かと。
#*本線側が地上に残り続けるため、中之島線は単独で地下ホームに乗り入れていた。
#まず前提として有田中井手の戦いで勝ち、毛利氏を傘下にする。
#*天満橋駅は同様の構造である近鉄大阪上本町駅と比較されていた。
#*この場合元就は何も活躍せず終わっていた。
#史実と異なり、中之島線と地下鉄の駅は全て直接連絡通路で結ばれていた。
#大寧寺の変で大内家・陶家を一気に滅ぼし中国地方を制圧。政久も父に劣らぬ武将だったので晴久のようなことにはならなかった。
#*少なくともなにわ橋駅の駅名は北浜になっていた。
#*そして北九州に進出、諸侯を傘下におさめる。
#*というか、天満橋~淀屋橋は現実の大阪地下線のルートを通ってそう(土佐堀通の地下が空いているので)。そうしないと地下鉄との乗り換えが不便になるので。開通時期は現実の中之島線と同時期だが。
#いずれにせよ天下を取るのは晴久。
#**淀屋橋駅は現実とは異なり、御堂筋線の地下トンネルを潜る形となっていた。
#*しかし毛利家に苦しめられることもなかったので巷にいわれるほど暗愚にはいわれることはなかった。むしろ内政手腕は一流だったので名君扱い。
#快速急行は誕生せず、特急は全列車中之島行になっていた。
#**「尼子ハルヒさの憂鬱」などとは言われなかった。
#*天満橋発の列車はおそらく準急以下に限られていた。
#**石見銀山の開発が早まっていた。
#JR東西線は淀屋橋経由になっていた。
#とりあえず、「尼子十勇士?誰それ?」なんて、言われてはいない。
#*JR東西線の経由…京橋ー大阪城北詰(史実とは異なり少し南側)ー天満橋ー北浜ー淀屋橋ー中之島ー海老江ー御幣島ー加島ー尼崎
#*山中幸盛は尼子の天下を支えた名臣として知られた。鴻池家は山中家の庶流として別の歴史を辿っていた。
#**それに対抗するように京阪か中之島線を史実より早く開業。
#**となると大阪を代表する商人はどこになったのだろうか。
#***中之島は史実より発展していた。
#[[大阪市高速電気軌道谷町線|地下鉄谷町線]]は架線集電式で建設され、守口市で京阪と乗り入れていたかもしれない。
*京都側が史実よりも早く地下化されていたら
;1960年代
#遅くても1969年頃までに地下化されていた。
#1970年に鴨東線が開業していた。
#*同年に伏見稲荷駅付近における京都市電との平面交差が廃止されていたので、同時に600→1500V昇圧が行われていた可能性が高い。
#**5000系や旧3000系は1500V専用車として登場していた。
#3000系電車は全て7両編成で運行されていた。
#1968年までに地下化されていた場合、近鉄電車が京都市内の地下駅に発着していた。


;1980年代前半
==石田氏==
#遅くても1982年頃までに地下化されていた。
#前提として関ヶ原の戦いで西軍が勝っていた。
#1988年までに鴨東線が開業していた。
#そしてその後は鎌倉幕府の執権北条氏のように他の有力大名を滅ぼすか屈服させ豊臣氏をお飾りにして実権を握る。
#1500Vへの昇圧が史実よりも早まっていた。
<!--#8000系電車の登場は史実通り。-->


;五条~三条が京都市電に譲渡されていたら
==今川氏==
京阪本線の五条~三条は開業時京都市電の特許を借り受けする形をとっており、20年後京都市がその契約を解除することも可能になっていました。もしこの区間が京都市に返還されていたら…。
#まずは[[もしあの戦国・安土桃山時代の戦いが○○だったら#桶狭間の戦いで今川義元が勝っていたら|義元が桶狭間で勝っていた。]]
#京阪本線はその時点で再び五条駅がターミナルに戻り、五条以北は京都市電の川端線となっていた。
#その後は齋藤・六角を倒して上洛。
#*市電川端線は1970年代に京都市電の他の路線とともに廃止。
#*六角は滅ぼさないと思う。将軍を保護するようなのを、滅ぼしていくとは思えない。そこまで今川は、強くないと思う。
#京阪は戦後になって河原町通の地下に新線を建設して都心進出を果たす。
#*六角が上洛を邪魔しなければそうだろうが、邪魔した場合は戦わないとどうにもならない。
#*四条駅は阪急京都線河原町駅と直交する形で設置されていた。
#足利家の親戚なので、養子だのなんだのこじつけて室町幕府の将軍になる。
#*三条駅は河原町三条と河原町御池両交差点の間に設置。
#*「御所(足利将軍家)が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ」とも言われたので、仮に将軍家不在の場合は、義元が普通に将軍になれるかと。
#**三条駅は地下駅となるため、淀屋橋駅と同様の切り欠き式のホームとなっていた。
#*義輝暗殺が史実通りに起きればそうなる。
#1980年代に鴨東線が三条~出町柳間で建設されるが、今出川通までは河原町通を北上し、そこで右に急カーブし今出川通の地下に出町柳駅が設置されていた。
#天下を取った後は公家化が進む。
#*その場合、叡電の出町柳駅は鴨東線開業に伴いやや南側に移設されていた。
#戦国時代の文化と言えば茶道や鷹狩りではなく蹴鞠だった。千利休なんて出番無し。
#*現実には鴨東線開通の直前に行われていた京都市内地下化の工事の手間がなかったため、鴨東線自体現実よりも早く開業していたかも。
#今川氏真も名政治家として知られていたかも。
#京津線と本線は五条~三条が京都市電に譲渡された時に分断されていた。
#家康は今川の重臣として紀州なり会津なりで200万石くらいの大大名になっている。
#*[[京都市営地下鉄東西線]]の開業が早まっていた。
#*氏真の死後史実の様に暗躍して将軍家を立ち上げ最悪の場合、今川直房の代で今川氏を滅ぼした。
#秀吉は今川の元で出世していった。
#*史実ほどではないにしろ加賀100万石くらいには出世している。
#*桶狭間より後に信長に仕官するようになった明智光秀や松永久秀・荒木村重なども今川家に仕えていた。
#**信長よりは温厚な統治だったため謀反は起こさない。


===交野線===
==上杉氏==
;近鉄の路線だったら
;天下統一まで
京阪交野線はもともと信貴生駒電気鉄道の路線として建設され、交野電気鉄道を経て最終的には京阪電気鉄道の路線となりました。もし交野線が他の信貴生駒電気鉄道の路線と同じく近鉄の路線となっていたら…。
#天正6年3月の遠征前に死亡せずに、関東侵略、信長を打倒し、京へ上洛した。
{{駅名標/近鉄2|name=交野|ruby=かたの|roma=KATANO|back=郡津|back2=KOUZU|next=河内森|next2=KAWACHIMORI}}
#[[西武多摩川線]]と同様、自社の他の線と接続しない「飛び地」路線となっていた。
#*田原本線の希少価値がなくなっている。
#京阪本線直通の「おりひめ」「ひこぼし」は運転されなかった。
#*逆に早い段階から淀屋橋直通が存在したかもしれない。
#**その場合、1500V昇圧は京阪と同時期に達成。
#**但し車両規格の都合上で京阪の片乗り入れとなる。
#「交野市」駅は「交野」駅になっていた。
#交野線専用の車庫が交野駅に設けられる。
#*しかし大規模な検査は五位堂検修車庫で実施。
#**そのため丹波橋の京阪-近鉄連絡線が健在で、検査車両は枚方市~丹波橋間で京阪線を通り五位堂に回送する。
#車両は主に奈良線のお古。
#*2008年現在、8600系の4連が専用車として運用。
#私市・生駒間を再着工する構想が出てきた可能性も。
#*あるいは東大阪・ゆめはんな線とリンクした形態で、整備計画が考え出される。
#枚方の近鉄百貨店は、閉店されなかった。


;独立した鉄道会社だったら
;天下統一後
#社名は「交野電気鉄道」になっていた。
#幕府が越後春日山付近に開かれる。
#恐らく京阪グループの1社となっている。
#*下にも書かれているが、上杉謙信が足利氏存続中に上洛できていれば管領などの形で幕府を支えたのでは。
#*車両も全て京阪の中古車両が導入されている。
#**足利氏は将軍として存続するが、上杉氏が管領あたりの役職で鎌倉時代の執権北条氏の様に実権掌握という感じか。
#600Vから1500Vへの昇圧は史実よりも遅く、1990年代に入ってからだった。
#*もしくは養子縁組などを駆使し、足利家に政権を返還する。
#*昇圧までは元京阪600(旧)・1300・1700系など釣り掛け車両のたまり場となり、昇圧後は1900系を購入している。
#*全国の大名家が新潟の積雪・寒さを経験することになる。
#**案外同じ京阪グループの叡山電鉄と車両規格を合わせていたかもしれない。但し通勤需要を考え、叡電にはない中間車が導入され4両程度にはなっていただろう。
#直江津が港として栄える。
#京阪線に乗り継ぐ際は別会社なので運賃が2社分となるので割高になっていた。このため河内森駅でJR学研都市線に乗り換える人が現実より多くなっている。
#佐渡金山から金をたくさん産出する。
#*その対策として京阪線に直通する「おりひめ」「ひこぼし」は史実よりも早く誕生していた。
#足利義昭を奉じて管領就任→謙信の死後に養子の景勝と景虎で泥沼の争いという、細川政元亡き後の細川家と同じ末路を辿る。
#*戦国時代再来。
#*我の強い越後の国人衆が上杉氏の天下統一に伴い勢力拡大していれば面倒なことに。
#直江家が米沢藩主として存続する。
#*米沢は豊臣秀吉による上杉家会津移転によるものだからどうだろ。
#現在でも政教分離が進まなかった。
#*毘沙門天信仰が盛んに。
#大判・小判といえば牛舌形というイメージになっていた。
#*「小判形」といえば牛舌形を指していた。


===鴨東線===
===上杉管領家===
;鴨川電気鉄道の路線として開業していたら
#内輪もめがすぐにおさまるのが大前提。
現実には開業直前に鴨川電気鉄道は京阪電鉄に吸収合併されました。
#戦国時代に突入してすぐに関東を統一。
#三条~出町柳の運賃が別建てになっていたため、京阪線からの運賃が現実よりも上がっていた。
#*後北条氏の出る幕はない。
#*そのため、叡山電鉄の利用客は鴨東線開業前よりは増えるものの並行するバスなどからの転移が進まず、現実ほどには増えなかった。
#上洛後、室町幕府の内乱に加わる。
#[[京阪8000系電車|8000系]]の第1編成は鴨川電鉄の車両として投入されていた。
#細川家に代わり実権を握る。
#開業時は日本一短い私鉄として注目されていた。
#結果として戦国時代は史実より短かった。
#*それでも[[芝山鉄道]]開業後はそちらに記録が抜かれていた(鴨東線:2.3km・芝山鉄道:2.2km)。
#単年度黒字を達成すれば京阪と合併するという覚書が交わされていた。
#*いずれは京阪との合併が検討されるようになっていただろう。


==関西急行鉄道と合併していたら==
==宇喜多氏==
戦中、京阪電気鉄道は阪神急行電鉄(阪急)と統合して京阪神急行電鉄、関西急行鉄道は南海鉄道と統合して近畿日本鉄道が発足します。ではもし、合併のペアが関西急行鉄道と京阪電気鉄道だったら。
#条件として関ヶ原の戦いで西軍が勝っていた。


#もちろん、奈良電気鉄道も一緒に統合される。
==黒田氏==
#*戦後に分離する際、京阪か近鉄のどっちに帰属するかでもめるが、おそらく力関係から近鉄に帰属して史実通り(近鉄京都線)となる。
#関ヶ原の戦いが長引くことが前提。
#一方で京阪は新京阪線を失わない。
#関ヶ原から'''慶長の大乱'''と呼ばれる状態にまず持ち込む。
#*戦後に京阪の梅田進出は単独で達成される。もちろん新京阪線と京阪本線の両方で。
#*官兵衛はその最中、鍋島直茂・加藤清正らと共に九州を制圧。
#*この場合、[[京阪中之島線|中之島線]]は建設されなかったかも。
#**島津がどこまで粘るか。関ヶ原にもそんなに出してないし。
#*堺筋線は天神橋筋六丁目止まりで、相互直通の相手も南海になっていた。
#**とりあえず和睦に持ち込めそうだけど。
#*現実とは異なり京阪本線の方が近鉄側に残り、新京阪線が京阪の本線になっていたかもしれない。
#で、合戦が泥沼化し、徳川家康が戦死。黒田長政は命からがら生き残る。
#**この場合丹波橋での近鉄京都線との相互乗り入れは残っている。
#そして黒田長政が徳川の敗残兵とともに挙兵し東部を制圧。<!--結構無理やり-->
#**京阪は京都エリアで力を持たなくなるので、万博直前に阪急と合併していた。逆に京阪線を併合した近鉄は現実より京都エリアで強大な力を持つようになるので、京都・滋賀エリアで阪急(京阪)vs近鉄vs西武の三つ巴の戦いが勃発していたかもしれない。
#官兵衛の寿命の方が明らかに早いので、息子長政や一族の気力・器量によって変わるだろう。
#***京都タワーは近鉄の経営となっていた。
#*ぶっちゃけ残った部下も優秀なので前項の状態となれば後は楽だろう。
#***[[近鉄百貨店]]京都店と枚方店は閉店しなかった。
#*ただその息子の代ではお家騒動が起きる。
#****京阪百貨店は茨木あたりにできていた。守口市に百貨店ができることはなかった。
#***京都の定期観光バスは近鉄系の会社がやっていた。
#**この場合[[京阪大津線|大津線]]も近鉄側に残り、近鉄が滋賀県に進出していた。
#**現実の京阪本線で有料特急が運転されていた。
#**ひらかたパークは近鉄系の遊園地となるが、既に閉園している。
#南海軍が近畿日本鉄道に帰属することはないので、戦後も近鉄は球団を持たなかったかもしれない。
#*南海は国有化されていた可能性もある。
#私市~生駒間がつながってたかも。
#阪神急行電鉄は阪神電鉄と統合していた。
#*そして戦後に阪神電鉄が分離独立を果たす。
#*この場合、史実における阪急と阪神の経営統合はなかったかも(戦時中に合併されていたというトラウマとかもあるので)。
#**阪神の経営統合の相手は近鉄となっていた。


==ひらかたパークを閉園していたら==
==斎藤氏==
2000年前後関西では私鉄系の遊園地が次々と閉園していきましたがそんな中ひらかたパークは生き残りました。もし閉園していたら…。
#史実とは逆に、斎藤氏が織田領へ侵攻。織田を滅ぼす。
#ひらかたパーク跡地は平凡な住宅地や商業施設になっていただろう。
#その後は近江を攻め、上洛し、朝倉や武田を滅ぼし‥と史実の信長と同じく領土を拡大。
#枚方公園駅の駅名も変更されていた。
#道三の時代で上洛→天下統一までのタスクがある程度まで完了していることがポイント。
#*有力なのは「西枚方」か「枚方宿」かな?
#*義龍とのいざこざは起こると思われるので、後継者選定に苦労しそう。
#*京阪本線の急行は枚方公園を通過するようになっていた。
#**龍興の覚醒イベントが起こるかどうかは微妙。
#**急行が現実の快速急行の停車駅になっていた可能性もある。
#関西の遊園地と言えばほぼUSJ一択となっていた。
#*あとは南海の「みさき公園」か?
#「ひらパー」という言葉も生まれなかった。


==昇圧時期が違っていたら==
==真田氏==
===15年早かったら===
#大阪の陣で豊臣方が勝ち、徳川が敗走。
#1970年の時点で8連化が実現しているので、5000系は存在しなかった。
#一旦は豊臣が天下を取り戻し、真田幸村は五大老クラスの大大名に。甲斐、信濃、上州、飛騨を治める。
#丹波橋での近鉄との乗り入れは京阪線が1500Vに昇圧した時点で廃止されていた。
#秀頼死後の跡目争いで真田が勝って天下を取る。
#*あるいは近鉄側の1500V昇圧が京阪と同時期に行われ、近鉄との乗り入れが史実より遅くまで行われていたかも。
#それより関ヶ原の戦いで家康討ち死に→数十万石の大名→そのあと再び天下が乱れてかつての武田や毛利のような形で領土拡大。の方が可能性がまだ高いかと
#他の在阪大手私鉄と同様、1970年代後半に電機子チョッパ制御の試作車が登場していた。
#*但し量産されていたかまでは微妙。
#700系(旧)は登場せず、600系(旧)も早期に高性能化されていた。
#*2000系も早期に2200系と同性能に改造されていた。
#2400系以降は1500V専用車として登場していた。


===5年早かったら===
#*幸村は悲劇の戦国武将として人気が高いわけであり、忠実みたいにあんなに人気になれなかった。
#1978年9月末の京都市電廃止に伴う七条駅での平面交差解消を待っての昇圧実施となっていた。
#**お兄ちゃんの信之の方が人気が出るようになるかもしれない。
#旧700系は登場せず、その分2400系が多く増備されていた。
#*下手したら天下を取った後の晩年暴君になってしまい評判を落としてしまったりして…。
#*当然のことながら旧700系を改造した1000系も登場せず。
#ペリー来航後は佐久間象山の構想通りに公武合体を行い、史実より早く文明開化した。
#旧3000系及び5000系は史実通り登場。
#1900系は特急車から一般車への格下げと同時に昇圧改造を実施。
#車体が比較的新しかった旧600系は昇圧を前に高性能化されていた。
#*ただ車体強度の関係で冷房改造ができなかったので、後年車体新造という形で冷房化されていた。
#*新1800系は登場せず、旧1800系がそのまま昇圧改造され、交野・宇治線専属で運用されていた。
#2000系は史実より早く2600系に生まれ変わっていた。
#6000系の登場も5年ほど早くなっていた。
#*但し現実よりも古臭いデザインになっている。


===あの年に実施されていたら===
==柴田氏==
;1981年
#本能寺の変後、明智光秀を討てば可能。
当初の予定では、1981年に実施されることを予定されていました。
#*でも、それを保てるほどの器量があるかは、疑問。
#6000系の登場が2年早くなっていた。
#織田一族は信孝の系統が生き残る。
#京阪線の8両編成運転も数年早くなっていたかもしれない。
#柴田勝家の死後は、勝政派と勝豊派で争う。
#新1800系は史実通り。
#*いや、旧600系からの改造は数年早まっていただろう。
#2600系30番台はなかった。
#*2600系0番台の登場も数年早くなっていたが、回生ブレーキ完備の界磁位相制御ではなくオーソドックスな抵抗制御となっていた。
#**それなら、2600系30番台の登場も早まっていたのではないか。
#淀駅付近の高架化が史実よりも早まっていた。
#7000系電車と7200系電車が史実よりも多く製造されていた。
#*7200系電車は全て8両編成で製造されていたかもしれない。
#*場合によっては、7200系電車は史実よりも早く登場していた可能性が高い。
#8両編成で運行される列車の本数が史実よりも多くなっていた。
#淀車庫の規模が史実よりも大きくなっていた。
#*予定地が物流施設に転用されることはなかった。
<!--#実施が1982年にずれ込んでいた可能性もあり得る。
#*その際は、史実とあまり変わらなかったか…-->
#<!--1981年に実施した場合、-->1981年12月に行われたダイヤ改正が1982年3月にずれ込んでいた。
#*その際は、土居~寝屋川信号所間の高架複々線化工事の竣工を機に実施されたダイヤ改正になっていた。
#弱冷房車の導入が史実よりも早まり、1987年頃に京阪線系統における車両冷房化率が100%となっていたかもしれない。
#*冷房化はともかく、弱冷房車導入の時期は関係ないのでは?


;1982年
==島津氏==
#土居~寝屋川信号所間の高架複々線化工事の完成と重なっていた。
#[[もし日本の首都が鹿児島県の都市になっていたら|鹿児島が首都になっていた。]]
#6000系電車は1982年頃に登場し、同じ年に登場した阪急7300系電車と比較されていた。
#*首都を変えるなんて発想ないでしょ。
#6000系電車は1983年の第26回ローレル賞に授賞していた。その際は、3つの車両が選定されていたことになっていた。
#豊臣政権のあとなら豊臣家をその前なら足利将軍家を傀儡に残し執政みたいな立場に収まっていた。
#*1984年の第27回ローレル賞には、小田急電鉄の8000形電車か東武鉄道の10000系電車が選定されていた。
#*そして途中から世襲を阻止すべくその都度豊臣なら豊臣完子の子孫等、足利なら源氏の吉良や今川等から適当な人材を迎えるようにしていた。
#新1800系は登場しなかったかもしれない。
#*東北まで目が届かないので、南部氏か伊達氏辺りが乱を起こしていた。
#**目が届かないことをいいことに、仙台藩(伊達氏)が密貿易に精を出す(実際の薩摩藩のように)
#***北米に進出して西海岸一帯を開拓していたかもしれない。
#天下を取った後は奄美・琉球のみならず台湾や比島にまで侵攻。
#捨て奸が日本国内で広まり、時代が変わって銃火器による近代戦争に変わってもそのまま戦術として用いられ続けた。
#*時が過ぎ、太平洋戦争では米兵からは「Oh! crazy jap!!」と言われるようになる。
#*また、釣り野伏も近代戦争で技術や兵器を変えて用いられている。
#島津氏が史実の徳川幕府の扱いになるとした場合、長宗我部氏辺りが薩長の側にあたると思われる。
#*戸次川の戦いで長宗我部信親が討たれたことを、いわゆる幕末まで怨みとして残していた。
#*琉球の尚氏もこれに呼応して島津幕府の討幕し、明治維新を迎えて晴れて琉球王国の復活を果たすことになる。
#**旧幕臣は、北海道函館まで逃げるのは大変なので、台湾に逃げ込んで「小琉球共和国」を樹立。
#↑そもそも公家との関係が強いから徳川幕府で慶喜が将軍になった場合に近い島津主導の維新だったのでは?
#関ケ原の合戦を挟むのであれば、島津豊久を失った怨みから井伊家は断絶。
#*そのため「ひこにゃん」は誕生しなかった。
#幕末、西郷隆盛と勝海舟の立ち位置が逆転していた。西郷隆盛の方が、無血開城の交渉にあたった。
==陶氏==
#厳島の戦いで元就死亡。


===京都地下線開通と同時だったら===
==武田氏==
#京阪線の8両編成運転は京都地下線開通と同時に行われていた。
;天下統一への道
#*2200系2380形は登場せず、その分6000系の8連が増加し、7000系も8連で登場していた。
#たぶん、武田勝頼が天下を取る。
#**6000系の登場は数年遅かった。
#*そのため勝頼の方が信玄よりも有名。武田信玄はちょっぴり通好みの武将。
#1900系は昇圧改造と同時に冷房改造も行っていた。
#**正確には、武田信玄→京まで上る、武田勝頼→全国統一。
#**いや、信玄が上洛、勝頼がほぼ統一、仕上げるのは勝頼の子の信勝あたりになるだろう。
#**通好みはむしろ信虎な気が・・・
#**勝頼を冷遇した父親像が先行して、現実ほど信玄人気は無かったりする。
#**この場合どちらにせよ徳川を滅亡させるか従属させるかが第一条件。


==京阪百貨店を作っていなかったら==
#*「桔梗信玄餅」が「桔梗勝頼餅」のネーミングになる。
#京阪は南海と同じく、系列百貨店を持たない大手私鉄となっていた。
#織田氏と徳川(松平)氏は、現実の織田信長に対抗した浅井・朝倉氏的なポジションになる。要するに天下統一を邪魔するだけの存在。
#南海における[[高島屋]]と同様、京阪は[[松坂屋]]をパートナーにしていた。
#*織田信長が時代を先取りした先進的なリーダーとしてのイメージ像ではなく、大うつけのバカ殿として現在に伝わる。
#*守口市駅前には松坂屋が出店し、樟葉の松坂屋も撤退せずリニューアルしたくずはモールの中に組み込まれていた。
#*徳川は武田に寝返ってたのでは?というよりそれが第一条件かと。
#*その場合2010年代に入って撤退していたかもしれない。
#枚方市に京阪百貨店が出店しなかったことから、同駅前の[[近鉄百貨店]]は撤退しなかった。
#*北浜・枚方の[[三越]]も撤退せず、三越大阪店は北浜で高層ビルに建て替えて営業を続けていた。
#**その場合、大阪ステーションシティには[[伊勢丹]]が単独で出店していた。


==ドレミファインバータを導入していたら==
;武田政権時代
現実では関西にはドレミファインバータ車両ことシーメンス製機器の車両はありませんがもし京阪が導入していたら?
#武田幕府が開かれる。
#京阪は現実以上に独自色を出していた。
#*信長のように足利将軍を放逐するとは考えにくい。養子に入るか執権に収まるか。
#鉄道ファンから可愛がられていた。
#不便なので、拠点を[[山梨|甲斐]]からどこか開けた場所に移す。
#*その一方で京急2100形の影が薄かった。
#*甲斐は副都としてそれなりに繁栄。
#京急がドレミファをやめても京阪はドレミファは辞めないだろう。
#**[[富士市]]辺りが甲斐の外港として駿河の中心地となる。
#*そのこともあってドレミファインバータは現実と反対に関西で普及していた。
#*新本拠地で一番有力なのは駿府かな。
#**大阪メトロ・JR西日本・阪急阪神ホールディングス・山陽電鉄・神戸市営地下鉄もドレミファを導入している。
#「人は石垣、人は城」が国是になっていた。
#***それでも近鉄系と南海系にはドレミファインバータは入らないだろう。
#*「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、あだは敵なり」
#仏教の扱いに苦慮する。
#安芸・若狭・下総などの武田家や、蠣崎などの分流も厚遇される。
#甲州金が全国的に流通。
#*大判・小判といえば円形というイメージになり、「小判形」といえば円形を指していた。
#真田氏は武田家の天下統一を支えた家柄として史実の井伊や堀田のポジションになる。


==叡山電鉄が○○だったら==
;その他
=== 廃止されていたら ===
#史料が多く残るので、山本勘助の実体がよりはっきりする。
出町柳から鞍馬・比叡へ路線を延ばしている[[叡山電鉄]]は、もともと嵐電と同じく[[京福電気鉄道]]の運営する路線でした。しかし京都市電の廃止により、起点の出町柳で他鉄道路線との接続が失われて乗客数が減少、一時は廃線も検討されたといわれています。
#[[富士山]]は、当然[[山梨|山梨県]]に含まれる。
#ほうとうがメジャーな食べ物となる。
#由緒ある家紋であるため,[[山口組|某ヤクザ]]の家紋も別の形になっていた。
#赤備はもともと武田氏家臣のものなので、井伊家が赤備を軍装とすることはない。
#*よって、[[彦根市|ひこにゃん]]の誕生は絶望的。
#当然信長の野望は無い。
#*変わりに信玄の野望がある。
#**・・・と思ったら信玄の野望は'''本当にあるらしい'''。
#***[http://www.geocities.co.jp/Playtown-Yoyo/9179/ これ]かな?
#**誰かが'''信虎の野望'''とか言い出す。
#勝頼は名君として知られていた。
#信虎は少なくとも武田治世の時代は悪役として扱われるが、終了後は再評価される。


現実には合理化・再建のため1985年に叡山電鉄として分社化された後、1989年の[[京阪電気鉄道|京阪]][[京阪本線|鴨東線]]開業によって乗客数が増加して廃線の危機を逃れることが出来ましたが、もし本当に廃線となっていたら?
==伊達氏==
;統一まで
#単独で秀吉に対抗できたとは考えづらいので、たぶん秀吉に叛旗を翻した家康、および小田原で抗戦中だった北条家と連携して秀吉軍を撃破、その後徳川・北条と三つ巴の権力闘争がおこなわれて勝ち残るというシナリオか。
#*だいぶ時間がかかりそうだけど、政宗がダントツに若いのがポイントかな。にらみ合っているうちに家康と氏政が死ねば、次の代の秀忠や氏直相手なら政宗に分がありそう。
#関が原の戦いは東の伊達勢力と西の毛利勢力との戦いになる。
#*秀吉が亡びた後、政宗が徳川・北条とにらみ合っているうちに、毛利は島津・長曽我部あたりと競り合ってそう。結局、日本の中央部を誰が押さえるかで勝負が決まるような。
#おそらく一番現実性が高そうなのが上杉定実に伊達実元の養子入りが成功して、天文の乱が起こらなかったケース。南東北+越後の大勢力に果たして北条・武田は対抗できるはずもない。(つまり晴宗か輝宗の時代にすでに天下取りの基礎部分は整っていた。)
#*関ヶ原の戦いが長期戦になっていた場合でも可能かと。
#*伊達家が天下統一できなかったのは地理的要因に加えて、天文の乱で芦名や最上などの傘下勢力の独立や家臣団との関係の変化で伊達家が衰退したため。
;統一後
#[[もし日本の首都が仙台になっていたら|仙台が日本の中心地に。]]
#*この場合政宗自身が仙台に本拠を置いていないので、それはない。会津若松かな。
#*政宗の性格からすると、信長同様、本拠地を移すことにあまりためらいがないように思われる。京都までは行かなくとも、関東地方か東海地方あたりまで進出し、そちらに中心を置いたのでは。
#**確か史実だと関東進出を目指していたはず
#*一族の誰かが(もしかしたら最上が転封されて)陸前一帯に移されたら可能性がある。
#鎖国しなかった。
#*日本でキリスト教が完全に根付く。
#*もしかしたら江戸に本拠地を置いてたかも?
#日本史での東北地方のウェイトが大きくなる。
#*東北地方が[[]]王朝における満洲みたいな扱いになって、かえって閑散としてしまったりして。
#徳川家は忠輝(家康の六男、政宗の娘婿)の家系が嫡流として続く。
#*えーと、この状態でも忠輝と五郎八姫との結婚はあったんだろうか? 秀吉の死後、家康が伊達を味方につけるために画策した縁談だったと思うが。
#*歴史によっては家康没後、取り込むために画策した可能性も。
#陸奥宗光の実家は親藩大名。


#鴨東線が実現したか怪しい。工事半ばで未成線となったかもしれない。
;そして現在
#*その場合、京阪本線の鴨川河畔区間が残ったかもしれない。
#東北地方の高校が既に甲子園で優勝している。
#*五条通の渋滞緩和が地下化の最大の目的だったので、いずれは地下化されていたのでは?
#*「関門海峡越え」という言葉が存在する。
#鞍馬観光はバスが主体となっている。
#仙台の政令指定都市移行が史実より早まっている。
#*[[京都駅]]前か[[京都市/左京区|国際会館]]からバスが出ていた。鞍馬川の辺りでは渋滞が問題化。
#青函トンネルの開業が早まった可能性も。
#[[比叡山]]への西側からのルートもドライブウェイを通るバスのみとなった。
#東北新幹線は1982年の時点で青森まで開通。
#鞍馬の観光客は今ほど多くなかった。
#*北海道新幹線も同時に開業している。
#*大阪からは「遠い所」というイメージが定着していた。
#ロッテオリオンズが現在も仙台を本拠地にしている。
#*貴船の場合は「秘境」扱いとなっていた。
#ジェフの本拠地も仙台だっただろう。
#[[京都市営地下鉄烏丸線|市営地下鉄烏丸線]]は更に北進していた。
#仙台平野は広いので、500万人くらいの都市にはなっていたかもしれない。
#*精華大・京産大辺りまでは行ったかもしれない。
#「城=天守閣」という誤解が生まれなかった。
#果たしてムギちゃんはなにで通っていたんだろう・・・
#*さあ・・・バスとか?
#*鉄道の場合だと烏丸線・バスの場合は[[京都市交通局#市バスの噂|京都市バス]]か[[京阪バスグループ#京都バス|京都バス]]のどちらかになっていた。
#*そもそも修学院が舞台となっていなかった可能性も。
#鞍馬の火祭りの時は、京都市内の交通が火祭りになっていた。
#[[けいおん!]]で電車がいろいろ書かれなかった。
#*元から書かれてないだろw
#**3パターンだけある。
#*かわりに京阪大津線か近江鉄道が書かれていた。


===京都市電の路線になっていたら===
==長宗我部氏==
#デオ800系、デオ900形のような2両編成の電車は製造されなかった。
#古来からの「流刑地」土佐が日本の中心に!・・・無理かな?
#京福嵐山本線、北野線も京都市電の路線になっていたかもしれない。
#*四国統一の時はすでに白地(阿波池田)に本拠を移していたからねえ。
#*京都市電の北野白梅町~元田中は廃止にならなかった。
#**どちみち白地は四国の要衝になっていた。ここが後に[[四国中央市]]を名乗っていたかも?
#京阪との直通運転構想は存在しなかった。
#*四国にこだわるとすれば、鳴門や高松、徳島あたりになるのかな?
#京都市電は積極的に郊外に路線を伸ばしていた。
#海運がめちゃくちゃ発展する。
#*京阪大津線は地下鉄に乗り入れず京都市電に乗り入れていた。
#紀貫之と言えば古今和歌集よりも土佐日記。
#*京阪宇治線と京都市電が乗り入れていた。
#早めに四国統一。
#地下鉄烏丸線は国際会館から岩倉辺りまで延伸し、場合によっては叡電と乗り入れていた。
#瀬戸内、熊野の水軍を配下に治め、日本最強の海上勢力となる。
#安芸氏や本山氏が全国レベルの知名度になる一方、今川氏はマイナーな存在で終わる。
#JR四国全線が電化されている。
#*最低でも複線化されているだろう。
#長宗我部版本能寺の変後、河野水軍が仇を打つ形になり、河野通有に接ぐ偉い武将が天下を治める。
#*が、実史では金子のほうが伊予では勇猛っぽいから、いつのまにか金子幕府...で朝鮮がやたら金子氏の出自は朝鮮だと言い張る。
#*河野氏がそんなに迅速に動けるとは思えない、明智ポジションは無く、単に金子が仇をとって天下を取ると思う。
#しかし関が原の戦いで長宗我部氏の天下は終わる。
#一領具足制度を全国的に施行、日本は国民皆兵国家として全世界から恐怖される。
#四国がもっと発展……するかな?
#大阪と広島が今ほど発展していない。
#坂本竜馬は上士の家に生まれたことになっていた。
#*そもそも坂本竜馬が倒幕に画することもなく、普通に過ごしていけたかと。
#長宗我部氏は秦の始皇帝の一族(だと当人たちは信じている)なので、秀吉と同じく明に出兵し、祖先の土地を取り戻そうとする。
#法華津氏の知名度は史実より高かった。
#本能寺の変後に淡路島を経て播磨に進出。
#*毛利氏との戦を終わらせることができなかった秀吉を背後から攻めて滅ぼし、秀吉の勢力下だった備前因幡但馬を得る。
#さすがに本拠地を本州(差し当たり京か堺あたり)に移動させているだろう。
#*四国全土を合わせても100万石無いわけだし。


==鴨東線開通と同時に全特急が8連化されていたら==
==北条氏==
#8000系は当初から8連で登場していた。
;天下統一への道
#旧3000系は6・7→8連化に伴い8550形を1あるいは2両組み込んでいた。
#さあ難しいぞ。取る気もない天下をどうやって取ろう?
#*全編成に必ず8000系が1両組み込まれ、現実以上に好評を博していた。元6連だった編成は1編成に2両組み込まれていた。
#*今川存続が条件。義元が実力どおり織田を倒し、東海を制する。
#旧3000系リニューアルに伴うダブルデッカー組み込みはなかったかも。
#*大勢力になった今川の力を借りて上杉・武田を抑える。その間に東北をなんとかする。
#*もしあったとしても1両だけのレアな車両として注目されていた。
#*義元の死後二代目があの通りなのでうまいこと崩して吸収。上杉・武田も次世代なのでなんとかなる。かも。
#*8000系ダブルデッカーは存在しなかった。
#**史実に近いシナリオなら盟約を裏切って駿河に侵攻した武田家を今川との同盟を存続した北条が攻め入り、そのまま武田を殲滅&今川救援のため徳川も攻めて併呑、東海→畿内方面への勢力拡大。
#京阪間ノンストップは現実よりも早く終焉していたかも。
#プレミアムカー組み込みも現実より早かったかもしれない。


==萌えマンガ・萌えアニメとのコラボがなかったら==
;北条幕府
*現実では叡山電鉄を中心に京阪グループでは萌えマンガ・萌えアニメとのコラボ・タイアップをしていますがもしなかったら。
#この頃には足利将軍の種は尽きているか尽かしているので遠慮なく征夷大将軍任官。
#[[もしあの鉄道施策が○○だったら#京阪グループ以外の鉄道会社の開催だったら|こうなっていた。]]
#やっぱり小田原に幕府を開く。
#京から西には興味はないので投げっぱなし。鎌倉幕府と同じ調子でいこうとする。
#*そして平島公方が西側の大名を糾合し、天下分け目の戦いへ。


==本社のOMMビルへの移転がなかったら==
;執権北条氏
*現実では2000年に本社をOMMビルに移転しています。
#足利幕府はそのまま傀儡として残して、鎌倉幕府の北条氏の名跡を復活させて執権を名乗るようになる。
#京阪電鉄の本社は今も京橋のOBPにある。
#*征夷大将軍は世襲にならないよう、都度、源氏姓の武田とか佐竹あたりから適当な人材を迎え入れるようにして、権力だけは握った。
#幕府を京に置いておくと何をしでかすかわからないので、元の鞘に戻すかのごとく、室町から足利荘に移動。


==鉄道イベントに消極的だったら==
;その後
*現実では鉄道イベントに熱心で巨大イベントとは応募・入場料ともに不要で自由入場ですがもしイベントに消極的だったら。
#海外交易と殖産で力を付けた西国大名に倒される。維新は100~200年は早かった。
#現実のJR東海のようになっていた。
#*この場合とっくに自ら開国してる国家が西洋列強を待ち受ける。封建制を色濃く残した独特の近代国家が出来上がった。
#*近隣では阪神電鉄も。
#領国はしっかり経営するので容易に崩れず東西別国になっていたかも。
#記念のヘッドマーク掲出は現実よりも少なかった。
#小田原評定がいい意味で使われる。
#寝屋川車両基地でのファミリーレールフェアや大津線感謝祭も事前応募制になっていた。
#北条氏を名乗る意味がなくなってくるので、元の伊勢氏に姓を戻すことになる。
#2021年の新型コロナウイルスに伴う緊急事態宣言発令における土休日の臨時ダイヤの7連特急に旧型車両を入れるようなことはなく、全て7000系以降のVVVF車が充てられていた。


==女性専用車両の拡大に積極的だったら==
==細川氏==
*現実では女性専用車両は平日朝の京阪本線の特急のみです。
#[[wikipedia:ja:細川政権_(戦国時代)|細川政権]]が恒久的なものになっていた。
#JR西日本のような路線で進めていた。間違いなく女性専用車両を終日化していた。
#*細川内閣も3年くらい続いてたかもしれない。
#学研都市線や神戸市営地下鉄のように京阪電鉄全列車に女性専用車両を毎日終日設定していた。
#応仁の乱が、東軍勝利で早期に決着していた。
#女学生優先車両は現実よりも早く姿を消していた。
#細川氏以外の守護大名が西軍にも分かれたため没落。ほとんどの国の守護を細川氏で占めるように。
#鉄道ファンからの人気は間違いなく落ちていた。
#足利家はただのお飾りで、そのうち皇族から将軍を選ぶように。


==プレミアムカー導入がなかったら==
==松永氏==
#3000・8000系は今も8両全車が自由席だった。
#三好三人衆に勝利し、三好義継を傀儡にして実権を握る。
#2021年の新型コロナウイルスに伴う緊急事態宣言発令時の土休日の臨時ダイヤでは特急は8000系は休ませるが3000系は運用に入っていただろう。
#13000系の6連はなかった。
#*5000系の5扉使用停止は史実通りだが、その後は限定運用ではなく一般7両の運用に入れられていた。場合によっては急行・準急運用も見られた。
#JR新快速の「Aシート」もなかった。
#*阪急が有料座席指定席導入を検討することもなかった。


==関連項目==
==毛利氏==
*[[もし名古屋急行電鉄が開通していたら]]
;天下統一への道
*[[もし阪神急行電鉄と京阪電気鉄道が合併しなかったら]]
#[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]で少数の兵による大勝利といえば、有田中井手の戦いもしくは厳島の戦い。
*[[もし京阪電気鉄道が京阪神急行電鉄から分離独立しなかったら]]
#*決して桶狭間の戦いではない。
*[[もし新京阪線が戦後京阪に帰属していたら]]
#**厳島の戦いは後世の捏造が激しいからなぁ・・・勝てた理由の大半が運だったっぽいのは桶狭間と同様のようだが。
*[[もし奈良電気鉄道が○○だったら#京阪電気鉄道と合併していたら|もし奈良電気鉄道が京阪と合併していたら]]
#[[室町時代|室町幕府]]の扱いに苦慮する。
*[[もし奈良電気鉄道が○○だったら#京阪電気鉄道に直通する形で開業していたら|もし奈良電気鉄道が京阪に直通する形で開業していたら]]
#*室町時代の後に短く鞆時代がある。
*[[もしあの鉄道路線が開業していたら/大阪#京阪関連]]
#毛利元就の死後に天下をとっていた場合、毛利家で一番有名なのは輝元。
*[[もしあの鉄道会社が梅田に乗り入れていたら#京阪電気鉄道|もし京阪が梅田に乗り入れていたら]]
#*と言う事で元就は三国志の曹操のようなポジションになる。
*[[もしあの路線の直通運転が行われていたら#叡山電鉄・京阪電気鉄道|もし叡山電鉄が京阪電気鉄道と直通運転をしたら]]
#*長男・隆元は死なずに済んだかもしれない。
*[[もしあの鉄道路線が開業していたら/近畿#滋賀・京都]]


[[category:歴史のif検討委員会 関西私鉄史|けいはん]]
;毛利政権時代
[[カテゴリ:京阪電気鉄道|もし]]
#家系ゆえに幕府は開かない。
#*毛利氏は土師氏の流れを汲んでいる。かなり大雑把に言えば菅原道真と同系。
#*「源氏でなきゃ征夷大将軍になれない」というのは俗説に過ぎんけどな。
#*名目上足利家の者を将軍とし、実権は毛利家の当主が握るというスタイルになっていた。
#**鎌倉時代の執権政治に近い形。
#小早川氏と吉川氏は100万石を越える大大名となる。
#*輝元がそのあとの当主が「毛利御三家」を作ったため、吉川・小早川の立場は低下し、史実の松平家程度になる。
#**毛利御三家とは、吉川・小早川・穂井田のことである。
#**後世では、「一田両川の毛利御三家」と伝わっていた。
#**ラストエンペラーを(毛利元就の庶子である)穂井田家から輩出したことが滅亡の一因と言われるようになる。
#***全員毛利に名字を戻しているかも。
#***椙杜・出羽・天野・末次も一門としてそれなりの地位となった。
#****{{極小|小早川秀包「俺は・・・?」}}
#本拠地を安芸(広島)にした。
#*そして現在、日本国の首都は広島になっていた。
 
;その他
#[[山口|山口県]]からあれほど多数の首相が輩出されることはなかった。
#*下手をすると山口県自体存在しなかった。
#*名前はともかく国の主要な貿易港として栄えることは間違いない。
#弓が武士の主流に扱われ、鉄砲がそんなに重要視されなかっただろう。
#郡山城が修学旅行のコースに組み込まれる。
#原爆は広島に落とされていない。
#*その前に第二次大戦で枢軸国側だったかどうかも…
#*さらに皇居が東京にあるのか?
#*広島大空襲で徹底的にやられるため。代わりに小倉か京都に落とされる。
#和三盆が矢三本に。
#*和三盆の名前は盆の上で三度研ぐことに由来しているのでそれはない。
#厳島神社の世界遺産登録が現実より早くなっていた。
 
==本願寺を中心とする一向宗==
<!--この節は一番下でお願いします。-->
厳密には戦国大名ではありませんが、当時戦国大名同様に活動していた、戦国大名に準ずる存在として取り上げてみました。
#この場合、大阪の石山本願寺が史実における江戸城に相当する存在となる。
#*山科にあった本願寺の跡が聖地化される。
#**山科本願寺を法華一揆で潰された恨みとばかり、法華宗を弾圧するかもしれない。
#本願寺による天下統一が実現するとしたら、それを実現していたのは顕如か次世代の教如もしくは准如。
#天下の主としての肩書きは道鏡以来の”太政大臣禅師”もしくは”法王(法皇ではない)”。
#当然発足当時は祭政一致のガチガチの一向宗専制国家となっている。
#*黒船来航までこの体制が維持されていた場合、確実に攘夷を実行し、諸外国と戦争になる。
#**その結果、日本の近代化がありえたかどうかは疑問。
#身分制度は士農工商の上に僧侶が立つ”僧士農工商”の5身分制。
#当然キリシタンは禁教。
#とりあえず、貝塚?鷺森?なにそれ?
#東西分立は当然なし。本願寺系以外の真宗諸派はもちろん浄土宗も本願寺傘下に。
 
[[category:歴史のif検討委員会 天下統一史|せんこくたいみようてんか]]

2021年6月5日 (土) 11:23時点における版

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明智氏

  1. 前提として山崎の戦いで勝っていた。
    • というより、羽柴秀吉が毛利の返り討ちに遭い、山崎まで大返しできなかったパターンの方がありそう。
      • あっさり首を取られてしまうと毛利の勢力が大きくなるので、両者で膠着状態になって、どちらも消耗するのがベストな展開。
      • そのうちに、どちらかが光秀に臣従して、力を借りて相手を倒そうと計る。
  2. 明智光秀の評価は「正義のために暴君を討った英雄」となっていた。
    • どうかな。足利尊氏とか天下取ったのに評判悪いし。
      • 尊氏の評判が悪いのは、後醍醐天皇を裏切るなど皇室をないがしろにしたから。このスタンスは、むしろ信長に通じるものがある。
      • 光秀は勤皇家で、信長が皇室を利用してるのが許せなかったと思われているので、大丈夫。
  3. 信長・秀吉の評判は悪い。
    • これもまた微妙。
  4. 三日天下という言葉はない。
    • 同様の意味のことわざはナポレオンの百日天下か。
  5. 果たして光秀自身が将軍なりなんなりになれるのか。信長でも右大臣になるまでには相当時間かかったのに。ものすごい勢いでものすごい功績を重ねまくらないと無理そう。足利将軍あたりを呼び戻した方が現実的かも。
    • 鞆から呼び戻すことを条件に、足利義昭の猶子になることを承諾させればOK.
  6. 娘の玉(ガラシャ)の影響が強くなるので、もっとキリスト教が普及する。
  7. 天下を取った光秀はすっかり変わってしまって晩年暴君になる。そして忠実では大河ドラマ等で悲劇の主人公として扱われることが多い光秀の人気が落ちる…なんてことになっていた可能性も。
    • もっとも年齢が年齢だし、暴君化することもなく、天下を取った後すぐ光秀は死んでいた可能性も。
  8. 細川氏・筒井氏は譜代大名になっていた。

朝倉氏

  1. 金ヶ崎の戦いで信長死亡。
  2. 日本の首都が福井に。
  3. 太平洋側より日本海側のほうが栄えている。
  4. 朝倉宗滴在命の時に天下統一を果たすので、リアルより若干早めに戦国時代が終了した。
    • 織田信長は、史実の伊達政宗ポジションに据えられて、「生まれる年があと少し早ければ、天下を取れただろうに…」と言われることになっていた。

尼子氏

  1. 条件としては経久の子政久が戦死せず大内の大寧寺の変で一気に介入して勢力を拡大し新宮党とも敵対せずにできれば可能かと。
  2. まず前提として有田中井手の戦いで勝ち、毛利氏を傘下にする。
    • この場合元就は何も活躍せず終わっていた。
  3. 大寧寺の変で大内家・陶家を一気に滅ぼし中国地方を制圧。政久も父に劣らぬ武将だったので晴久のようなことにはならなかった。
    • そして北九州に進出、諸侯を傘下におさめる。
  4. いずれにせよ天下を取るのは晴久。
    • しかし毛利家に苦しめられることもなかったので巷にいわれるほど暗愚にはいわれることはなかった。むしろ内政手腕は一流だったので名君扱い。
      • 「尼子ハルヒさの憂鬱」などとは言われなかった。
      • 石見銀山の開発が早まっていた。
  5. とりあえず、「尼子十勇士?誰それ?」なんて、言われてはいない。
    • 山中幸盛は尼子の天下を支えた名臣として知られた。鴻池家は山中家の庶流として別の歴史を辿っていた。
      • となると大阪を代表する商人はどこになったのだろうか。

石田氏

  1. 前提として関ヶ原の戦いで西軍が勝っていた。
  2. そしてその後は鎌倉幕府の執権北条氏のように他の有力大名を滅ぼすか屈服させ豊臣氏をお飾りにして実権を握る。

今川氏

  1. まずは義元が桶狭間で勝っていた。
  2. その後は齋藤・六角を倒して上洛。
    • 六角は滅ぼさないと思う。将軍を保護するようなのを、滅ぼしていくとは思えない。そこまで今川は、強くないと思う。
    • 六角が上洛を邪魔しなければそうだろうが、邪魔した場合は戦わないとどうにもならない。
  3. 足利家の親戚なので、養子だのなんだのこじつけて室町幕府の将軍になる。
    • 「御所(足利将軍家)が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ」とも言われたので、仮に将軍家不在の場合は、義元が普通に将軍になれるかと。
    • 義輝暗殺が史実通りに起きればそうなる。
  4. 天下を取った後は公家化が進む。
  5. 戦国時代の文化と言えば茶道や鷹狩りではなく蹴鞠だった。千利休なんて出番無し。
  6. 今川氏真も名政治家として知られていたかも。
  7. 家康は今川の重臣として紀州なり会津なりで200万石くらいの大大名になっている。
    • 氏真の死後史実の様に暗躍して将軍家を立ち上げ最悪の場合、今川直房の代で今川氏を滅ぼした。
  8. 秀吉は今川の元で出世していった。
    • 史実ほどではないにしろ加賀100万石くらいには出世している。
    • 桶狭間より後に信長に仕官するようになった明智光秀や松永久秀・荒木村重なども今川家に仕えていた。
      • 信長よりは温厚な統治だったため謀反は起こさない。

上杉氏

天下統一まで
  1. 天正6年3月の遠征前に死亡せずに、関東侵略、信長を打倒し、京へ上洛した。
天下統一後
  1. 幕府が越後春日山付近に開かれる。
    • 下にも書かれているが、上杉謙信が足利氏存続中に上洛できていれば管領などの形で幕府を支えたのでは。
      • 足利氏は将軍として存続するが、上杉氏が管領あたりの役職で鎌倉時代の執権北条氏の様に実権掌握という感じか。
    • もしくは養子縁組などを駆使し、足利家に政権を返還する。
    • 全国の大名家が新潟の積雪・寒さを経験することになる。
  2. 直江津が港として栄える。
  3. 佐渡金山から金をたくさん産出する。
  4. 足利義昭を奉じて管領就任→謙信の死後に養子の景勝と景虎で泥沼の争いという、細川政元亡き後の細川家と同じ末路を辿る。
    • 戦国時代再来。
    • 我の強い越後の国人衆が上杉氏の天下統一に伴い勢力拡大していれば面倒なことに。
  5. 直江家が米沢藩主として存続する。
    • 米沢は豊臣秀吉による上杉家会津移転によるものだからどうだろ。
  6. 現在でも政教分離が進まなかった。
    • 毘沙門天信仰が盛んに。
  7. 大判・小判といえば牛舌形というイメージになっていた。
    • 「小判形」といえば牛舌形を指していた。

上杉管領家

  1. 内輪もめがすぐにおさまるのが大前提。
  2. 戦国時代に突入してすぐに関東を統一。
    • 後北条氏の出る幕はない。
  3. 上洛後、室町幕府の内乱に加わる。
  4. 細川家に代わり実権を握る。
  5. 結果として戦国時代は史実より短かった。

宇喜多氏

  1. 条件として関ヶ原の戦いで西軍が勝っていた。

黒田氏

  1. 関ヶ原の戦いが長引くことが前提。
  2. 関ヶ原から慶長の大乱と呼ばれる状態にまず持ち込む。
    • 官兵衛はその最中、鍋島直茂・加藤清正らと共に九州を制圧。
      • 島津がどこまで粘るか。関ヶ原にもそんなに出してないし。
      • とりあえず和睦に持ち込めそうだけど。
  3. で、合戦が泥沼化し、徳川家康が戦死。黒田長政は命からがら生き残る。
  4. そして黒田長政が徳川の敗残兵とともに挙兵し東部を制圧。
  5. 官兵衛の寿命の方が明らかに早いので、息子長政や一族の気力・器量によって変わるだろう。
    • ぶっちゃけ残った部下も優秀なので前項の状態となれば後は楽だろう。
    • ただその息子の代ではお家騒動が起きる。

斎藤氏

  1. 史実とは逆に、斎藤氏が織田領へ侵攻。織田を滅ぼす。
  2. その後は近江を攻め、上洛し、朝倉や武田を滅ぼし‥と史実の信長と同じく領土を拡大。
  3. 道三の時代で上洛→天下統一までのタスクがある程度まで完了していることがポイント。
    • 義龍とのいざこざは起こると思われるので、後継者選定に苦労しそう。
      • 龍興の覚醒イベントが起こるかどうかは微妙。

真田氏

  1. 大阪の陣で豊臣方が勝ち、徳川が敗走。
  2. 一旦は豊臣が天下を取り戻し、真田幸村は五大老クラスの大大名に。甲斐、信濃、上州、飛騨を治める。
  3. 秀頼死後の跡目争いで真田が勝って天下を取る。
  4. それより関ヶ原の戦いで家康討ち死に→数十万石の大名→そのあと再び天下が乱れてかつての武田や毛利のような形で領土拡大。の方が可能性がまだ高いかと
    • 幸村は悲劇の戦国武将として人気が高いわけであり、忠実みたいにあんなに人気になれなかった。
      • お兄ちゃんの信之の方が人気が出るようになるかもしれない。
    • 下手したら天下を取った後の晩年暴君になってしまい評判を落としてしまったりして…。
  1. ペリー来航後は佐久間象山の構想通りに公武合体を行い、史実より早く文明開化した。

柴田氏

  1. 本能寺の変後、明智光秀を討てば可能。
    • でも、それを保てるほどの器量があるかは、疑問。
  2. 織田一族は信孝の系統が生き残る。
  3. 柴田勝家の死後は、勝政派と勝豊派で争う。

島津氏

  1. 鹿児島が首都になっていた。
    • 首都を変えるなんて発想ないでしょ。
  2. 豊臣政権のあとなら豊臣家をその前なら足利将軍家を傀儡に残し執政みたいな立場に収まっていた。
    • そして途中から世襲を阻止すべくその都度豊臣なら豊臣完子の子孫等、足利なら源氏の吉良や今川等から適当な人材を迎えるようにしていた。
    • 東北まで目が届かないので、南部氏か伊達氏辺りが乱を起こしていた。
      • 目が届かないことをいいことに、仙台藩(伊達氏)が密貿易に精を出す(実際の薩摩藩のように)
        • 北米に進出して西海岸一帯を開拓していたかもしれない。
  3. 天下を取った後は奄美・琉球のみならず台湾や比島にまで侵攻。
  4. 捨て奸が日本国内で広まり、時代が変わって銃火器による近代戦争に変わってもそのまま戦術として用いられ続けた。
    • 時が過ぎ、太平洋戦争では米兵からは「Oh! crazy jap!!」と言われるようになる。
    • また、釣り野伏も近代戦争で技術や兵器を変えて用いられている。
  5. 島津氏が史実の徳川幕府の扱いになるとした場合、長宗我部氏辺りが薩長の側にあたると思われる。
    • 戸次川の戦いで長宗我部信親が討たれたことを、いわゆる幕末まで怨みとして残していた。
    • 琉球の尚氏もこれに呼応して島津幕府の討幕し、明治維新を迎えて晴れて琉球王国の復活を果たすことになる。
      • 旧幕臣は、北海道函館まで逃げるのは大変なので、台湾に逃げ込んで「小琉球共和国」を樹立。
  6. ↑そもそも公家との関係が強いから徳川幕府で慶喜が将軍になった場合に近い島津主導の維新だったのでは?
  7. 関ケ原の合戦を挟むのであれば、島津豊久を失った怨みから井伊家は断絶。
    • そのため「ひこにゃん」は誕生しなかった。
  8. 幕末、西郷隆盛と勝海舟の立ち位置が逆転していた。西郷隆盛の方が、無血開城の交渉にあたった。

陶氏

  1. 厳島の戦いで元就死亡。

武田氏

天下統一への道
  1. たぶん、武田勝頼が天下を取る。
    • そのため勝頼の方が信玄よりも有名。武田信玄はちょっぴり通好みの武将。
      • 正確には、武田信玄→京まで上る、武田勝頼→全国統一。
      • いや、信玄が上洛、勝頼がほぼ統一、仕上げるのは勝頼の子の信勝あたりになるだろう。
      • 通好みはむしろ信虎な気が・・・
      • 勝頼を冷遇した父親像が先行して、現実ほど信玄人気は無かったりする。
      • この場合どちらにせよ徳川を滅亡させるか従属させるかが第一条件。
    • 「桔梗信玄餅」が「桔梗勝頼餅」のネーミングになる。
  1. 織田氏と徳川(松平)氏は、現実の織田信長に対抗した浅井・朝倉氏的なポジションになる。要するに天下統一を邪魔するだけの存在。
    • 織田信長が時代を先取りした先進的なリーダーとしてのイメージ像ではなく、大うつけのバカ殿として現在に伝わる。
    • 徳川は武田に寝返ってたのでは?というよりそれが第一条件かと。
武田政権時代
  1. 武田幕府が開かれる。
    • 信長のように足利将軍を放逐するとは考えにくい。養子に入るか執権に収まるか。
  2. 不便なので、拠点を甲斐からどこか開けた場所に移す。
    • 甲斐は副都としてそれなりに繁栄。
      • 富士市辺りが甲斐の外港として駿河の中心地となる。
    • 新本拠地で一番有力なのは駿府かな。
  3. 「人は石垣、人は城」が国是になっていた。
    • 「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、あだは敵なり」
  4. 仏教の扱いに苦慮する。
  5. 安芸・若狭・下総などの武田家や、蠣崎などの分流も厚遇される。
  6. 甲州金が全国的に流通。
    • 大判・小判といえば円形というイメージになり、「小判形」といえば円形を指していた。
  7. 真田氏は武田家の天下統一を支えた家柄として史実の井伊や堀田のポジションになる。
その他
  1. 史料が多く残るので、山本勘助の実体がよりはっきりする。
  2. 富士山は、当然山梨県に含まれる。
  3. ほうとうがメジャーな食べ物となる。
  4. 由緒ある家紋であるため,某ヤクザの家紋も別の形になっていた。
  5. 赤備はもともと武田氏家臣のものなので、井伊家が赤備を軍装とすることはない。
  6. 当然信長の野望は無い。
    • 変わりに信玄の野望がある。
      • ・・・と思ったら信玄の野望は本当にあるらしい
      • 誰かが信虎の野望とか言い出す。
  7. 勝頼は名君として知られていた。
  8. 信虎は少なくとも武田治世の時代は悪役として扱われるが、終了後は再評価される。

伊達氏

統一まで
  1. 単独で秀吉に対抗できたとは考えづらいので、たぶん秀吉に叛旗を翻した家康、および小田原で抗戦中だった北条家と連携して秀吉軍を撃破、その後徳川・北条と三つ巴の権力闘争がおこなわれて勝ち残るというシナリオか。
    • だいぶ時間がかかりそうだけど、政宗がダントツに若いのがポイントかな。にらみ合っているうちに家康と氏政が死ねば、次の代の秀忠や氏直相手なら政宗に分がありそう。
  2. 関が原の戦いは東の伊達勢力と西の毛利勢力との戦いになる。
    • 秀吉が亡びた後、政宗が徳川・北条とにらみ合っているうちに、毛利は島津・長曽我部あたりと競り合ってそう。結局、日本の中央部を誰が押さえるかで勝負が決まるような。
  3. おそらく一番現実性が高そうなのが上杉定実に伊達実元の養子入りが成功して、天文の乱が起こらなかったケース。南東北+越後の大勢力に果たして北条・武田は対抗できるはずもない。(つまり晴宗か輝宗の時代にすでに天下取りの基礎部分は整っていた。)
    • 関ヶ原の戦いが長期戦になっていた場合でも可能かと。
    • 伊達家が天下統一できなかったのは地理的要因に加えて、天文の乱で芦名や最上などの傘下勢力の独立や家臣団との関係の変化で伊達家が衰退したため。
統一後
  1. 仙台が日本の中心地に。
    • この場合政宗自身が仙台に本拠を置いていないので、それはない。会津若松かな。
    • 政宗の性格からすると、信長同様、本拠地を移すことにあまりためらいがないように思われる。京都までは行かなくとも、関東地方か東海地方あたりまで進出し、そちらに中心を置いたのでは。
      • 確か史実だと関東進出を目指していたはず
    • 一族の誰かが(もしかしたら最上が転封されて)陸前一帯に移されたら可能性がある。
  2. 鎖国しなかった。
    • 日本でキリスト教が完全に根付く。
    • もしかしたら江戸に本拠地を置いてたかも?
  3. 日本史での東北地方のウェイトが大きくなる。
    • 東北地方が王朝における満洲みたいな扱いになって、かえって閑散としてしまったりして。
  4. 徳川家は忠輝(家康の六男、政宗の娘婿)の家系が嫡流として続く。
    • えーと、この状態でも忠輝と五郎八姫との結婚はあったんだろうか? 秀吉の死後、家康が伊達を味方につけるために画策した縁談だったと思うが。
    • 歴史によっては家康没後、取り込むために画策した可能性も。
  5. 陸奥宗光の実家は親藩大名。
そして現在
  1. 東北地方の高校が既に甲子園で優勝している。
    • 「関門海峡越え」という言葉が存在する。
  2. 仙台の政令指定都市移行が史実より早まっている。
  3. 青函トンネルの開業が早まった可能性も。
  4. 東北新幹線は1982年の時点で青森まで開通。
    • 北海道新幹線も同時に開業している。
  5. ロッテオリオンズが現在も仙台を本拠地にしている。
  6. ジェフの本拠地も仙台だっただろう。
  7. 仙台平野は広いので、500万人くらいの都市にはなっていたかもしれない。
  8. 「城=天守閣」という誤解が生まれなかった。

長宗我部氏

  1. 古来からの「流刑地」土佐が日本の中心に!・・・無理かな?
    • 四国統一の時はすでに白地(阿波池田)に本拠を移していたからねえ。
      • どちみち白地は四国の要衝になっていた。ここが後に四国中央市を名乗っていたかも?
    • 四国にこだわるとすれば、鳴門や高松、徳島あたりになるのかな?
  2. 海運がめちゃくちゃ発展する。
  3. 紀貫之と言えば古今和歌集よりも土佐日記。
  4. 早めに四国統一。
  5. 瀬戸内、熊野の水軍を配下に治め、日本最強の海上勢力となる。
  6. 安芸氏や本山氏が全国レベルの知名度になる一方、今川氏はマイナーな存在で終わる。
  7. JR四国全線が電化されている。
    • 最低でも複線化されているだろう。
  8. 長宗我部版本能寺の変後、河野水軍が仇を打つ形になり、河野通有に接ぐ偉い武将が天下を治める。
    • が、実史では金子のほうが伊予では勇猛っぽいから、いつのまにか金子幕府...で朝鮮がやたら金子氏の出自は朝鮮だと言い張る。
    • 河野氏がそんなに迅速に動けるとは思えない、明智ポジションは無く、単に金子が仇をとって天下を取ると思う。
  9. しかし関が原の戦いで長宗我部氏の天下は終わる。
  10. 一領具足制度を全国的に施行、日本は国民皆兵国家として全世界から恐怖される。
  11. 四国がもっと発展……するかな?
  12. 大阪と広島が今ほど発展していない。
  13. 坂本竜馬は上士の家に生まれたことになっていた。
    • そもそも坂本竜馬が倒幕に画することもなく、普通に過ごしていけたかと。
  14. 長宗我部氏は秦の始皇帝の一族(だと当人たちは信じている)なので、秀吉と同じく明に出兵し、祖先の土地を取り戻そうとする。
  15. 法華津氏の知名度は史実より高かった。
  16. 本能寺の変後に淡路島を経て播磨に進出。
    • 毛利氏との戦を終わらせることができなかった秀吉を背後から攻めて滅ぼし、秀吉の勢力下だった備前因幡但馬を得る。
  17. さすがに本拠地を本州(差し当たり京か堺あたり)に移動させているだろう。
    • 四国全土を合わせても100万石無いわけだし。

北条氏

天下統一への道
  1. さあ難しいぞ。取る気もない天下をどうやって取ろう?
    • 今川存続が条件。義元が実力どおり織田を倒し、東海を制する。
    • 大勢力になった今川の力を借りて上杉・武田を抑える。その間に東北をなんとかする。
    • 義元の死後二代目があの通りなのでうまいこと崩して吸収。上杉・武田も次世代なのでなんとかなる。かも。
      • 史実に近いシナリオなら盟約を裏切って駿河に侵攻した武田家を今川との同盟を存続した北条が攻め入り、そのまま武田を殲滅&今川救援のため徳川も攻めて併呑、東海→畿内方面への勢力拡大。
北条幕府
  1. この頃には足利将軍の種は尽きているか尽かしているので遠慮なく征夷大将軍任官。
  2. やっぱり小田原に幕府を開く。
  3. 京から西には興味はないので投げっぱなし。鎌倉幕府と同じ調子でいこうとする。
    • そして平島公方が西側の大名を糾合し、天下分け目の戦いへ。
執権北条氏
  1. 足利幕府はそのまま傀儡として残して、鎌倉幕府の北条氏の名跡を復活させて執権を名乗るようになる。
    • 征夷大将軍は世襲にならないよう、都度、源氏姓の武田とか佐竹あたりから適当な人材を迎え入れるようにして、権力だけは握った。
  2. 幕府を京に置いておくと何をしでかすかわからないので、元の鞘に戻すかのごとく、室町から足利荘に移動。
その後
  1. 海外交易と殖産で力を付けた西国大名に倒される。維新は100~200年は早かった。
    • この場合とっくに自ら開国してる国家が西洋列強を待ち受ける。封建制を色濃く残した独特の近代国家が出来上がった。
  2. 領国はしっかり経営するので容易に崩れず東西別国になっていたかも。
  3. 小田原評定がいい意味で使われる。
  4. 北条氏を名乗る意味がなくなってくるので、元の伊勢氏に姓を戻すことになる。

細川氏

  1. 細川政権が恒久的なものになっていた。
    • 細川内閣も3年くらい続いてたかもしれない。
  2. 応仁の乱が、東軍勝利で早期に決着していた。
  3. 細川氏以外の守護大名が西軍にも分かれたため没落。ほとんどの国の守護を細川氏で占めるように。
  4. 足利家はただのお飾りで、そのうち皇族から将軍を選ぶように。

松永氏

  1. 三好三人衆に勝利し、三好義継を傀儡にして実権を握る。

毛利氏

天下統一への道
  1. 戦国時代で少数の兵による大勝利といえば、有田中井手の戦いもしくは厳島の戦い。
    • 決して桶狭間の戦いではない。
      • 厳島の戦いは後世の捏造が激しいからなぁ・・・勝てた理由の大半が運だったっぽいのは桶狭間と同様のようだが。
  2. 室町幕府の扱いに苦慮する。
    • 室町時代の後に短く鞆時代がある。
  3. 毛利元就の死後に天下をとっていた場合、毛利家で一番有名なのは輝元。
    • と言う事で元就は三国志の曹操のようなポジションになる。
    • 長男・隆元は死なずに済んだかもしれない。
毛利政権時代
  1. 家系ゆえに幕府は開かない。
    • 毛利氏は土師氏の流れを汲んでいる。かなり大雑把に言えば菅原道真と同系。
    • 「源氏でなきゃ征夷大将軍になれない」というのは俗説に過ぎんけどな。
    • 名目上足利家の者を将軍とし、実権は毛利家の当主が握るというスタイルになっていた。
      • 鎌倉時代の執権政治に近い形。
  2. 小早川氏と吉川氏は100万石を越える大大名となる。
    • 輝元がそのあとの当主が「毛利御三家」を作ったため、吉川・小早川の立場は低下し、史実の松平家程度になる。
      • 毛利御三家とは、吉川・小早川・穂井田のことである。
      • 後世では、「一田両川の毛利御三家」と伝わっていた。
      • ラストエンペラーを(毛利元就の庶子である)穂井田家から輩出したことが滅亡の一因と言われるようになる。
        • 全員毛利に名字を戻しているかも。
        • 椙杜・出羽・天野・末次も一門としてそれなりの地位となった。
          • 小早川秀包「俺は・・・?」
  3. 本拠地を安芸(広島)にした。
    • そして現在、日本国の首都は広島になっていた。
その他
  1. 山口県からあれほど多数の首相が輩出されることはなかった。
    • 下手をすると山口県自体存在しなかった。
    • 名前はともかく国の主要な貿易港として栄えることは間違いない。
  2. 弓が武士の主流に扱われ、鉄砲がそんなに重要視されなかっただろう。
  3. 郡山城が修学旅行のコースに組み込まれる。
  4. 原爆は広島に落とされていない。
    • その前に第二次大戦で枢軸国側だったかどうかも…
    • さらに皇居が東京にあるのか?
    • 広島大空襲で徹底的にやられるため。代わりに小倉か京都に落とされる。
  5. 和三盆が矢三本に。
    • 和三盆の名前は盆の上で三度研ぐことに由来しているのでそれはない。
  6. 厳島神社の世界遺産登録が現実より早くなっていた。

本願寺を中心とする一向宗

厳密には戦国大名ではありませんが、当時戦国大名同様に活動していた、戦国大名に準ずる存在として取り上げてみました。

  1. この場合、大阪の石山本願寺が史実における江戸城に相当する存在となる。
    • 山科にあった本願寺の跡が聖地化される。
      • 山科本願寺を法華一揆で潰された恨みとばかり、法華宗を弾圧するかもしれない。
  2. 本願寺による天下統一が実現するとしたら、それを実現していたのは顕如か次世代の教如もしくは准如。
  3. 天下の主としての肩書きは道鏡以来の”太政大臣禅師”もしくは”法王(法皇ではない)”。
  4. 当然発足当時は祭政一致のガチガチの一向宗専制国家となっている。
    • 黒船来航までこの体制が維持されていた場合、確実に攘夷を実行し、諸外国と戦争になる。
      • その結果、日本の近代化がありえたかどうかは疑問。
  5. 身分制度は士農工商の上に僧侶が立つ”僧士農工商”の5身分制。
  6. 当然キリシタンは禁教。
  7. とりあえず、貝塚?鷺森?なにそれ?
  8. 東西分立は当然なし。本願寺系以外の真宗諸派はもちろん浄土宗も本願寺傘下に。