「もしあの芸人がブレイクしていたら」の版間の差分

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#ナインティナインの後継として視聴者に認められていた。
 
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#*「劣化版ナイナイ」または「ナイナイの二番煎じ」と呼ばれることはなかった。
 
#*「劣化版ナイナイ」または「ナイナイの二番煎じ」と呼ばれることはなかった。
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#*ナイナイの仕事をいくつも奪っていた。
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#**特に矢部浩之の結婚後なら尚更だった。岡村隆史が史実ほど酷使されてしまうことはなかったかもしれない。
 
#西野の芸人引退宣言はなく、絵本作家になったりクラウドファンディングに手を出すことはなかった。
 
#西野の芸人引退宣言はなく、絵本作家になったりクラウドファンディングに手を出すことはなかった。
 
#*梶原もYoutuberにならなかった。
 
#*梶原もYoutuberにならなかった。
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#**梶原は岡村隆史のライバルとして張り合っていた。
 
#ナイナイに続く、吉本のゴリ押しの成功例とされていた。
 
#ナイナイに続く、吉本のゴリ押しの成功例とされていた。
 
#*その後、オリエンタルラジオやはんにゃのゴリ押し→失速もなかったかも。
 
#*その後、オリエンタルラジオやはんにゃのゴリ押し→失速もなかったかも。
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コンビ自体存続していますが、もし、コンビ活動が活発的になるほどブレイクしていたら?
 
コンビ自体存続していますが、もし、コンビ活動が活発的になるほどブレイクしていたら?
 
#=[[もしあの芸能人が性犯罪を犯していなかったら#板尾創路|板尾創路のわいせつがなかったら]]、といえる。
 
#=[[もしあの芸能人が性犯罪を犯していなかったら#板尾創路|板尾創路のわいせつがなかったら]]、といえる。
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#*板尾は俳優業への進出もなかった。
 
#175Rは別のネーミングで活動していた。
 
#175Rは別のネーミングで活動していた。
  

2019年6月15日 (土) 07:29時点における最新版

もしあの芸能人がブレイクしていたら > 芸人

鳴り物入りでデビューした芸人がもしブレイクしていたら?

  • 新規追加は50音順でお願いします。
  • 後に(別の形で)ブレイクした人・グループについては「史実より早くブレイクしていたら」の妄想とします。
  • 実際にそこそこブレイクした人・グループについては「史実以上にブレイクしていたら」の妄想とします。
  • 「○○といえば(別の××)だった」という投稿は禁止です。

芸人[編集]

個人[編集]

狩野英孝[編集]

歌手でブレイクしていたら
  1. 本名名義でテレビ朝日以外の音楽番組に出ていた。
  2. 調子に乗りすぎて、大友康平以外のアーティストを怒らせたかもしれない。
  3. 楽天ゴールデンイーグルスの応援歌を作ったかもしれない。
    • しかし、「Golden Eagle」を「金の鷲」と間違えるかもしれない。

後藤秀樹[編集]

  1. 2014年秋に芸能界引退することはなかった。
  2. 吉本新喜劇の座長に就任していた。
  3. 小籔千豊の仕事をいくつも奪っていた。
    • 小籔の影が薄くなっていた。
  4. 鈴木つかさ脱退後ザ・プラン9に加入し、ユニット内コンビとしておーい久馬とシェイクダウンを再結成していた。

なすび[編集]

『電波少年』の懸賞生活で人気を博したが、芸人としては本格的なブレイクには至らなかった。現在でも活動しているが、もし、芸人として本格的にブレイクしていたら?

  1. 俳優業に力を入れることはなかった。
  2. ローカルタレントとして福島を中心にした活動をすることはなかった。
  3. エベレスト登山に挑戦することもなかっただろう。

ビートきよし[編集]

ビートたけしの相方。現在でも活動しているが、ツービート時代はそれなりの人気があり、「よしなさい」は流行語になったものの、次第に人気が低迷した。その後も安定した人気を堅持していたら?

  1. 演歌歌手として活動したり俳優業に進出するなど活動が迷走することはなかった。
  2. 島田洋八と関係を持つこともなく、うなずきトリオ/うなづきコンビとして活動することもなかった。
  3. たけしに誘われてオフィス北野入りすることもなかったかもしれない。

山本高広[編集]

織田裕二の物まねで一時的に人気を博したが、織田裕二からの抗議でそれができなくなり、その後の人気は伸び悩んだ。現在でも活動しているが、現在に至るまで人気があったら?

  1. 織田裕二の物まねに留まることなく、他の芸能人のものまねでも名を馳せていた。
  2. 山本高広のモノマネに抗議した織田裕二は更に叩かれていた。
    • 織田はこの一件でフェードアウトされていた。
    • 山本の物まねを認めていたら安定した人気を堅持しており、物まねされる側の立場として良好な関係を築いていた。
      • 織田は山本の物まねの恩恵を受けていた。
      • そもそも両者の関係が悪化することもなかった。
    • 松浦亜弥や前田敦子と比べられることもなかった。
      • 角野卓三も。
    • 市原隼人や藤原竜也も同類とみなされることはなかった。
      • 市原のあの発言が史実通りなら比べられていたかも。
    • 織田裕二のプライドの高さを晒すことはなかった。

コンビ・グループ[編集]

アームストロング[編集]

とにかく明るい安村がかつて組んでいたお笑いコンビ。もし、コンビ時代にブレイクしていたら?

  1. 安村は「とにかく明るい安村」として活動していなかった。
    • ネタの決め台詞「安心してください、穿いてますよ」は存在していない。
  2. ピースやパンサーの仕事をいくつも奪っていた。

アリtoキリギリス[編集]

そこそこの人気があったものの大ブレイクには至らなかった。もし、コンビとして史実以上に大ブレイクしていたら?

  1. コンビ活動は現在に至るまで活発的になっていた。
  2. ナインティナイン、さまぁ〜ず、爆笑問題、ダウンタウンの仕事を奪っていた。
    • バナナマンにも何らかの影響があった。
    • 特に爆笑問題はキャラが被るので十分あり得た。
  3. 石井正則は俳優業に力を入れることはなかった。
    • そもそも、三谷幸喜は石井を見出していなかった。
    • 小柄な男優として伊藤淳史と並び称される存在にはなっていなかった。
      • むしろ岡村隆史、田中裕二をライバル視していた。
  4. 石塚がいるコンビは人気が出ないというジンクスは生まれなかった。
    • ホンジャマカの二の舞になることはなかった。
    • 石塚義之の存在が薄れることもなかった。
  5. 名前の縁でノースリーブス『キリギリス人』のPVにも登場していた。
  6. 2016年に解散することはなかった。
    • 石塚がフリーになることもなかった。

アルカリ三世[編集]

坂本ちゃんがかつて組んでいたお笑いコンビ。もし、坂本ちゃんの一時的な人気に留まることなく、コンビとしてもブレイクしていたら?

  1. 添野豪は俳優に転身することはなかった。
  2. 坂本ちゃんが多忙な身になってすれ違うことはなかった。
    • 解散に追い込まれることもなかった。
    • 坂本ちゃんと添野豪との格差も起きなかった。
  3. 坂本ちゃんが家族との金銭トラブルが起こることもなかっただろう。

インパクト[編集]

  1. 増本と石原は構成作家に転身することはなかった。
  2. トリオということもあり、ネプチューンの仕事をいくつも奪っていた。

ABブラザーズ[編集]

中山秀征と松野大介によるお笑いコンビ。初期の頃はそれなりの人気があったが、「いただきます」終了後は次第に人気が低下した。もし、それ以後も安定した人気を堅持していたら?

  1. 松野大介は作家に転身することはなかった。
    • 『芸人失格』を執筆することもなかった。
    • 渡辺プロを退社することもなかった。
  2. 中山秀征は司会業に力を入れることはなかった。
    • 白城あやかと結婚することもなかった。

キングコング[編集]

結成当初は人気があり冠番組も持っていたが、徐々に低迷していった。コンビ自体は現在も存続しているが、現在も人気を維持出来ていたら?

  1. もし梶原の母が生活保護を不正受給していなかったら、である。
  2. 現在もレギュラー番組や冠番組を多数持っていた。
    • 『はねるのトびら』は現在も続いていた。その場合、『ピカルの定理』はゴールデン進出していなかったか別の時間帯に放送されていた。
  3. ナインティナインの後継として視聴者に認められていた。
    • 「劣化版ナイナイ」または「ナイナイの二番煎じ」と呼ばれることはなかった。
    • ナイナイの仕事をいくつも奪っていた。
      • 特に矢部浩之の結婚後なら尚更だった。岡村隆史が史実ほど酷使されてしまうことはなかったかもしれない。
  4. 西野の芸人引退宣言はなく、絵本作家になったりクラウドファンディングに手を出すことはなかった。
    • 梶原もYoutuberにならなかった。
      • 梶原は岡村隆史のライバルとして張り合っていた。
  5. ナイナイに続く、吉本のゴリ押しの成功例とされていた。
    • その後、オリエンタルラジオやはんにゃのゴリ押し→失速もなかったかも。
      • むしろこれに味を占めて史実よりも激しくゴリ押しされていたかも。
  6. 逆に、ロバートは史実ほどブレイク出来ていなかったかもしれない。
    • 『はねるのトびら』の出演者の中で一番大成したとみなされることはなかった。

グレートチキンパワーズ[編集]

活動初期はそれなりの人気はあったものの次第に伸び悩んだ。

  1. 北原雅樹は俳優に、渡辺慶は脚本家・小説家に転身することはなかった。
    • 北原は更に加古川へ移住することなく、ローカルタレントにもなっていなかった。
  2. アイドル性が強いため、Kinki Kidsのライバルとしても張り合っていた。
    • その後ジャニーズ事務所から疎まれ大阪圏のみでの活動しかできなかった可能性も。
    • Kinki Kidsの二番煎じ扱いされてフェードアウトされたとみなされることもなかった。

堺伸スケ・正スケ[編集]

戦後に秋田實門下の「天才少年漫才師」としてマスコミで一時話題になっていたが、ネタが受けず正スケの廃業で解散。伸スケはその後横山ノックに弟子入りし横山やすしに。

  1. やすしきよしは結成されず、日本のお笑い史もかなり違ったものになっていた。
    • 西川きよしは吉本新喜劇の役者のままか、最悪引退していた。
  2. 上方で「シンスケ」と言えば「堺伸スケ」を指していたので、島田紳助は違う芸名になっていた。

猿岩石[編集]

『電波少年』のユーラシア大陸横断ヒッチハイクで人気を博し、その後は歌手デビューまでもしたが、歌手としても『白い雲のように』以外はヒット曲に恵まれず、その後は番組の企画で手裏剣トリオに改名するも人気は伸び悩み、本格的にブレイクすることができなかった。もし、『電波少年』のユーラシア大陸横断ヒッチハイク終了後も本格的にブレイクしていたら?

  1. 芸のない芸人と揶揄されることはなかった。
    • 嫌いな芸人ランキングにランクインすることもなかった。
  2. ローカルタレントに成り下がることもなかった。
  3. 森脇和成が引退することはなかった。
  4. 有吉弘行は毒舌キャラになることはなかった。
    • 石橋貴明の存在が薄れることもなかった。
  5. 手裏剣トリオへの改名では成功例としてさまぁ~ずやくりぃむしちゅーと比べられることはなかった。
    • コンビの癖にネーミングがなぜトリオなのかという疑問も起きていた。
      • そもそも改名自体なかったのでは?
  6. この場合、ユーラシア大陸横断から帰国後、西武球場で行った凱旋ライブで「コントを始めたとたん客が帰る」という事態は起こらなかった、かもしれない。
  7. 同じく広島出身のコンビであるアンガールズの存在が薄れていた。
  8. 『マジカル頭脳パワー!!』の音楽シャウトで『白い雲のように』が出題された時に「DEEN」「スピッツ」「T-BOLAN」「GLAY」などと答えることはなかった。
  9. NHK紅白歌合戦への出場を果たしていた。
  10. 歌手としても史実以上に評価されていた。
    • その分、Kinki Kidsやタッキー&翼の存在が薄れていた。
      • CHEMISTRYも?
    • 歌手としての地位を確立した場合、ゆずやコブクロの仕事までも奪っていた。

ジャリズム[編集]

渡辺鍾(世界のナベアツ/桂三度)と山下しげのり(オモロー山下)によるお笑いコンビ。もし、世界のナベアツの一時的な人気に留まることなく、コンビとしてブレイクすることができていたら?

  1. 2度に亘る解散もなく、2人の活動も迷走することはなかった。
  2. 渡辺鍾は放送作家に転身したり世界のナベアツとして活動したり桂三度として落語家に転身することはなかった。
  3. 山下しげのりはオモロー山下として活動することなく、うどん屋を開店したり記者に転身することはなかった。
    • 三村マサカズ、上田晋也等と並ぶツッコミの名手と称されるようになっていた。
      • スベリキャラにはなっていなかった。
    • マネージャーへの転身を考えることもなかった。
    • 友野英俊とガリッパナを結成することもなかった。

スープレックス[編集]

劇団ひとり(川島省吾)がかつて組んでいたお笑いコンビ。

  1. 秋永和彦はツッコミの名手として名を馳せる事ができていた。
    • 活動停止することもなかった。
  2. 川島省吾は劇団ひとりに改名することはなかった。
    • 作家活動したり大沢あかねと結婚することもなかった。
  3. 有吉弘行の存在が薄れていた。
  4. さまぁ~ずやくりいむしちゅーの仕事をいくつも奪っていた。

テンション[編集]

  1. 田口浩正が俳優に本格転向することはなかった。
  2. 小浦一優も「芋洗坂係長」として活動していなかった。
  3. 同期のバカルディ(現さまぁ〜ず)と人気を二分していた。

パイレーツ[編集]

ギャグの1つである「だっちゅーの」は流行語になったものの、それ以外のギャグは流行らず、低迷し、解散していった。その後は相方を変えて再結成され、脱お笑い路線に転じたが、ブレイクには至らなかった。もし、安定した人気を堅持していたら?

  1. お笑いとグラビアの融合は成功していた。
    • パイレーツ以外にも二番煎じコンビの結成が乱立していた。
  2. 浅田好未は引退することはなかった。
  3. 西本はるかは女優に転向することはなかった。
  4. 2代目相方である宇恵さやかもブレイクしていた。
  5. 流行語芸人は一発屋に終わるジンクスが出なかった。
    • そもそもツービートの二の舞になることはなかった。

ピテカンバブー[編集]

  1. 西田征史の脚本家転向はなかった。
    • 日本を代表する脚本家といえば未だクドカンのままだった。
      • 「TIGER & BUNNY」や「とと姉ちゃん」はなかった。

B&B[編集]

現在に至るまで人気芸人だったら
  1. 島田洋七は現在ではバラエティ番組の司会業が多くなっていた。
    • 島田紳助の仕事の多くを奪っていた。
  2. 「オレたちひょうきん族」の降板は無かった。
  3. 史実のBIG3(ビートたけし・明石屋さんま・タモリ)に洋七と志村けんを加えた「BIG5」扱いされていた。
  4. それでもやはり、洋八は漫才の時以外はテレビに呼ばれないでいた。
  5. たけし軍団や欽ちゃんファミリーに対抗して「島田組」を作っていた。
  6. 「佐賀のがばいばあちゃん」は執筆されなかったかもしれない。
  7. 選挙に当選していたかもしれない

130R[編集]

コンビ自体存続していますが、もし、コンビ活動が活発的になるほどブレイクしていたら?

  1. =板尾創路のわいせつがなかったら、といえる。
    • 板尾は俳優業への進出もなかった。
  2. 175Rは別のネーミングで活動していた。

プラスドライバー[編集]

  1. 東京03は結成されなかった。
  2. ダチョウ倶楽部の仕事を奪っていた。
  3. ネプチューンのライバルにもなっていた。

ホンジャマカ[編集]

コンビ自体存続していますが、ここではホンジャマカとしてブレイクしていたらとします。

  1. ホンジャマカの知名度は『東京フレンドパーク2』にとどまることはなかった。
    • 『東京フレンドパーク2』以外にもコンビとしての仕事が増えていた。
  2. 恵俊彰はキャスターに、石塚英彦はグルメリポーターに転向することはなかった。
  3. 『TVスター名鑑』は別々に掲載されることはなかった。
  4. 「大石恵三」が成功していたら、バカルディがさまぁ~ずに改名することもなかった。
    • 「ウンナンの気分は上々」の改名企画そのものがないので、海砂利水魚がくりぃむしちゅーに改名することもなかった。
  5. 初期の11人体制を保ったままブレイクしていた場合、全員で冠番組を持っていた可能性が非常に高い。
    • メンバーの脱退や新規加入も頻繁に行われていた。

マックボンボン[編集]

志村けんはザ・ドリフターズに加入する前、付き人同士でマックボンボンというコンビを組んでおり、レギュラー番組も持っていました。しかしその番組は視聴率的に惨敗し、相方を変えても売れることなく解散し、志村はドリフに加入し現在に至ります。

もし、番組が大当たりして、あるいは番組出演はなく長い下積みを経てブレイクしていたら・・・

  1. 「ドリフの弟分」として人気を得て、漫才ブーム終焉まで続いていただろう。
  2. 解散後、志村はドリフに加入せずピン芸人として活躍。
    • 「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」も「志村けんのバカ殿様」もなかった。
    • グリーンラベルのCMに志村は出てこなかった。
    • 売れ方次第では司会者としてブレイクし、史実の人気司会者たちから仕事を奪っていた。
  3. 荒井注の後釜はすわ親治になっていた。
  4. いまも「志村健」のまま。
    • それか、本名(志村康徳)に戻してたかも。
  5. ドリフはバンド色を残したままだった。
  6. ある程度売れたところで独立し、「オレたちひょうきん族」に出演していたかもしれない。
  7. 日本放送演芸大賞の何らかの賞を取っていたかもしれない。
  8. 「8時だョ!全員集合」も史実より早く終わっていたかもしれない。
    • 「ドリフ大爆笑」もなかったかもしれない。
  9. いかりや長介との仲は非常に険悪になっていた(史実では、いかりやはマックボンボンのテレビ出演に猛反対していた)。
    • ドリフのメンバーと共演することは一切無かったかも。
      • ドリフ以上の人気を得ていた場合、いかりや長介は「器の小さい奴」と叩かれていたかもしれない。
    • いかりやの意向通りに下積みを経てからブレイクした場合は、良い師弟関係を保っている。
      • マックボンボンの人気がドリフを上回っても、互いに認め合う関係になっていた。
  10. 都倉俊一(出演していた番組の司会を務めていた)作曲で歌を出し、歌手としても人気を博した。
    • 「東村山音頭」もマックボンボン名義でリリースしていた。

りあるキッズ[編集]

「未来のダウンタウン」として期待され、小学生でコンビを組みましたが、長田の素行問題などでブレイクできず解散しました。もし、テレビでレギュラー持つほどブレイクしていたら?

  1. 子供の時に、お笑いの道を歩む人が増えていた。
  2. 当時小学生だった兄弟コンビ「まえだまえだ」と何らかの形で共演していたかもしれない。

関連項目[編集]




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