もしあの芸能人が○○だったら
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独立項目
俳優
男優
哀川翔
- 体育教師になっていたら
哀川翔は高校生の時、日本体育大学に行って、体育教師になるために体操部と陸上部を真面目にやり、推薦に有利な運動能力テストでいつも、Aを取っていましたが、「推薦入試の手続きは先生が全部やってくれる。」と思ってしまった哀川が日本体育大学に願書を出さなかったので体育教師になることができませんでした。もし、哀川が日本体育大学に行って、体育教師になることができたら?
- 一世風靡セピアに入ることはなかった。
- 福地桃子も世に出ることはなかった。
- 有吉弘行や花香よしあきがモノマネのネタにすることはなかった。
上地雄輔
- 大学に進学していたら
横浜高校卒業前に複数の大学から推薦入学の誘いを受けたが、肘のケガのために断念しました。もし上地が大学に入学していたらどうなっていたかを考える。
- 芸能界入りはなかった。
- クイズヘキサゴンの男性バカキャラの3人組は、つるの剛士と野久保直樹と、あと1人はたいぞう?
- グループ名は羞恥心ではなく違う名前になっていた(羞恥心の由来は上地が羞恥心を「さじしん」と読んだため)。
- 木村了か山本耕史あたり?
- スザンヌと同い年の山田親太朗だろう。
- 意表を突いて、NHK Eテレ「将棋フォーカス」MC?(史実上では、伊藤かりんの前につるの剛士がMCを担当していた。)
- クイズヘキサゴンの男性バカキャラの3人組は、つるの剛士と野久保直樹と、あと1人はたいぞう?
- とりあえず大学は野球やってりゃ卒業できたが、就職がうまくいかず結局役者になる。
- 父親の選挙事務所の手伝いを細々と続けている。
- うまくいけば父親の地盤を継いでいたかも。
- もしかしたら、地元の市議会議員選挙に出馬したかもしれない。
- プロボクサーになった可能性もある。特技のひとつに「ボクシング」と書いてあるため。
- その場合、高校の先輩である大橋秀行のジムからデビューする。
- 父親の選挙事務所の手伝いを細々と続けている。
- そのまま野球を続けた場合
- 大学野球で大活躍し、4年生の秋に行われるドラフト会議で松坂大輔がいた西武ライオンズを逆指名して入団。
- 史実で自由獲得枠で西武入りした細川亨より上の評価を得られただろうか?
- 阪神か横浜を逆指名していた可能性もある。
- 横浜に入団した場合、この漫画で平仮名でしゃべっている。
- 阪神か横浜を逆指名していた可能性もある。
- 史実で自由獲得枠で西武入りした細川亨より上の評価を得られただろうか?
- そこそこの活躍した場合、ドラフト会議でどこかの球団が指名し、プロ野球選手となる。プロに行かない場合、会社に就職し社会人野球で野球をつづける。
- 都市対抗野球で注目され、社会人からプロ野球入りもあり得る。
- あまり活躍しない場合、ただの会社員になるか、現実の芸能界入りする。ひょっとして、TBS系の「スポーツマン№1決定戦」に出演していたかも。現実として、「スポーツマン…」に野久保直樹が出演している。
- 卒業後はプロ野球選手になっていたではないかと思う。
- もしくは中学校か高校の体育の先生だった。
窪田正孝
- もし自動車整備士になったら
- 元々芸能界に興味が無く、自動車整備士志望だった。
- 当然、水川あさみとは結婚していない。
- 連続テレビ小説の主演=ヒロインのイメージがほとんどになる。
- エールは二階堂ふみが主演となる。
斉藤洋介
- 人間性が「人間・失格」の宮崎信一と同じだったら
- 斉藤洋介=悪役のイメージはずっと続いていた。
- 暴力男と評され、マスコミからバッシング。
- バラエティに進出することもなかった。
- 息子の斉藤悠は父親のイメージの悪さから芸能界入りすることもなかった。
佐野史郎
- 人間性が「ずっとあなたが好きだった」の冬彦さんと同じだったら
- 変人、マザコンと評され、マスコミからバッシング。
高橋英樹
- 夫人が流産を一回も起こさず無事に出産していたら
- 高橋真麻は存在しなかったかもしれない。
- もし高橋真麻が存在しても大切に扱われなかった可能性が高い
- いや、上3人がすべて男の子だったら大切に扱われてたかも?(流産を3度経験してるので)
- 真麻の兄or姉として兄妹(姉妹)共演も見られたりして。
- スマップと高橋英樹の共演もなかった。
- もちろんバラエティ番組にも出なかった。
- 男の子だったら二世俳優になってたであろう。
- そして二世ブームで人気に。
- 名前は「高橋桃太郎」?
長江健次
- オリンピック代表権を獲得していたら
長江健次はスノーボード選手として長野オリンピックの選考会にも出場しましたが、代表権を獲得するには至りませんでした(その後、史実ではトリノオリンピックにコーチとして参加)。もし代表権を獲得していたら?
- オリコン1位を達成したオリンピック選手として話題になっていた。
- ましてや金メダル獲得ということにでもなれば「オリコンでも金(1位)、オリンピックでも金」として大変な話題になったに違いない。
- カール・ルイスと並んで『ザ・ベストテン』に歌手としてかつオリンピックに選手として出場した人物になっていた。
- 「元オリンピック選手」としてどこかのテレビ局のオリンピックキャスターを務めたかもしれない。
- 冬季オリンピック期間には、間違いなく、「ひるおび!」や「情報ライブ ミヤネ屋」等に出演していただろう。
- オリンピックに出場した芸能人として後にマラソンの猫ひろし(カンボジア代表だが)とも比較されていた。
女優
伊東美咲
- 2001年以後もCanCamに在籍していたら
女優の伊東美咲は1999~2001年の間CanCamの専属モデルを務めていましたが(2001年卒業)、もし2001年以後もCanCamに在籍していたら・・・
- 2002年以後、蛯原友里と伊東美咲がCanCamに同時に在籍していた。
- おそらく蛯原友里や押切もえと並ぶ看板モデルとなっていた。
- 「エビちゃんOL」「優OL」とともに「美咲OL」という言葉も生まれていた。
- 2007年に「AneCan」が創刊されるとそちらに移籍。
- 幼稚園の先生になっていたら
伊東美咲は短大時代に幼稚園教諭2種免許を取得していますが、もし、芸能界入りすることなく幼稚園の先生になっていたら?
- 美しすぎる幼稚園の先生になっていた。
- 『電車男』(ドラマ版)のエルメスは誰になっていたのだろうか。
- ルックスが被る中山美穂の存在が薄れることはなかった。
- パチンコメーカーの社長と結婚することはなかった。
- 「美咲」と名付ける女の子供は史実より少なかった。
- 「美咲ナンバーワン」というドラマ(原作となる漫画も)はなかった。
- 岡山県美咲町も別の町名になっていたかも。
国分佐智子
- モデルのままだったら
TBSの人気深夜番組「ワンダフル」の初代ワンギャルだった彼女。もし彼女がモデルのままだったら?
- 「ナースのお仕事」の上原真弓は別の女優がやっていた。
- 「大島取り巻きトリオ」の注目度は史実より低かった。
- 林家三平と結婚すること(それで騒がれること)はなかった。
篠原涼子
- 人間性が「ハケンの品格」の大前春子と同じだったら
- 周囲に誤解されまくりで、浮いた存在になるかも?
- 「残念ながら…、約束の時間が来たので」と雑誌のインタビューも途中で切り上げる。
- それでも仕事の実力(つまり演技力)は超一流、無関心を装いながらも他のタレントのフォローもするので、頼られる。
歌手
全般
90年代にBeing系アーティストがテレビに多く出ていたら
ZARDを筆頭に、90年代テレビ出演を全く、もしくは殆どしてこなかったBeing系アーティストですが、もしテレビ出演を多くしていたら・・・。
- そもそもBeingブームなんて無いかもしれない。
- テレビ出演しなかったことが、むしろ売り上げを伸ばした要因だから。
- その代わり、露出しないと売れない今でもそれなりに活躍している可能性がある。
- 「坂井泉水、大黒摩季にはモデルが何人かいる」みたいな噂は当然ながら出ない。
- ともに紅白歌合戦への出場も果たしていた。
- Being系アーティストの大衆の人物像が、かなり変わっていた。
- 過去に別グループ/別名で活動していた人の過去作品が便乗で売れることに。
- たとえばこの人たちとか
- REV=出口雅之(グラス・バレー)
- 麻倉晶=斉藤さおり(アイドル)
- たとえばこの人たちとか
- 倉木麻衣も歌番組に積極的だった。
- 紅白初出場ももっと早かった。
- 紅白歌合戦に初出場した時には大学在学を理由に京都東寺から中継させるという特別扱いをさせることもなかった。
- spAed、ZYYGでもミュージックステーションに出演していた。
- やしきたかじんの番組で、LOUDNESS、TWINZERとたかじんの絡みがあっただろう。
- むしろ、今のエイベックスみたいな大レコード会社になっている。
- そのせいで、エイベックスは今のような大会社にはなれず。せいぜいトイズファクトリー程度。
- 利益主義に走ることもなく、「制作上の都合」を理由にファンを軽視した突発的な発売延期を行うこともなかった。
- 90年代前半の「歌番組冬の時代」はなかっただろう。
- 「ザ・ベストテン」や「歌のトップテン」が現在まで続く長寿番組になっていたかもしれない。
- B'zはほぼ史実通り?
- TUBEは?
- 大黒摩季は円満な形で独立していた。
- ベストアルバム発売に際して「作詞:ビーイングスタッフ」を追記する強引な当てつけもなかった。
- WANDSの路線変更は成功していた。
- 音楽性の違いで上杉昇と柴崎浩が脱退、独立することもなく、ai.ni.coも結成されなかった。
- 特に上杉昇はビーイングとこじれることもなく、2019年の再結成では上杉も復帰することができていた。
- 上原大史の立場がなくなっていた。
- 特に上杉昇はビーイングとこじれることもなく、2019年の再結成では上杉も復帰することができていた。
- 音楽性の違いで上杉昇と柴崎浩が脱退、独立することもなく、ai.ni.coも結成されなかった。
- 織田哲郎をはじめとする創成期からのプロデューサーがビーイングから離れることもなかった。
バンドブームがなかったら
1980年代後半の「バンドブーム」ですが、もしこの時期にバンドブームが発生しなかったら?
- 大半のバンドはデビュー出来なかったorデビューが現実より遅くなっていた。
- 「イカ天」はなかった。
- ブランキーが三宅裕司にいじられる事はなかった。
- 相原勇の仕事が1つ減っていた。
- 曙と交際しなかったかも。
- 個人後援会が解散せず無事年寄名跡を取得、高見山から東関部屋を引き継ぐ。
- 曙と交際しなかったかも。
- 相原勇の仕事が1つ減っていた。
- マサ子さんは知る人ぞ知るバンドのままだった。
- イカ天と言えば普通に「イカの天ぷら」だった。
- ブランキーが三宅裕司にいじられる事はなかった。
- たまは知る人ぞ知るバンドのままだった。
- 「さよなら人類」が知られる事もなかった。
- 男闘呼組がバンドの形態でデビューしてはいなかった。
- TOKIOも多分バンドではなかった。
- THE GOOD-BYEも早々と解散したかも。
- アイドル冬の時代は来なかった。
- おニャン子クラブ解散後もいくつかクラブが存在していた、いやおニャン子クラブの解散がなかったかも。
- ブームが無いので解散・再結成が繰り返される事がなかった。
- YOSHIKIは普通にピアニストになってたか起業してた。
- 斉須と揉めることもなかった。
- hideは急死せずに済んだかも。
- TAIJIも急死せずに済んだかも。
- 2000年代に起こった青春パンクブームもなかった。
- ブルーハーツの楽曲がCMで多用されることはなかった。
- 「けいおん!」も存在しなかったかもしれない。
- 「夜のヒットスタジオ」などの音楽番組でオーケストラ演奏が少なくならなかった。
- バックバンドを引き連れる歌手も多くならなかった。
個人
安室奈美恵
- 女優になっていたら
2018年に歌手生活から引退する安室奈美恵、2017年11月3日の「Hulu」とのインタビューで、『最初は女優になりたかった』と語ってました。もし、歌手ではなく、希望通り「女優」になっていたら?
- 安室が所属していた「沖縄アクターズスクール」は、文字通り「俳優養成学校」になっていたかも。
- 後の同スクール出身者(SPEEDなど)のその後にも、何らかの影響があった。
- 元SPEEDの今井絵理子は、国会議員にならなかったか、史実と異なる展開になっていた。
- 「小室ファミリー」も、当然メンバー構成が変わっていた。
- 女子高生の文化も史実と違っていた。
- 色黒ブームも起きなかった。
- 華原朋美が女子高生のカリスマになっていた。ただ、浜崎あゆみが歌手として世に出るとともに次第にそちらへ移るだろう。
- 篠原ともえの影響力ももう少しだけあった。
- SAMとは結婚していなかった。
- 2016年リオデジャネイロオリンピックのNHKイメージソングは誰の曲が採用されたかな?(実史では安室の「Hero」。)
- 女優としてブレイクした場合、その余技で歌手デビューしていた。
泉谷しげる
- 自宅が火事にならなかったら
泉谷しげるは2018年3月23日の日テレ『スッキリ』で、過去に自宅が2度火災に遭い、そのうち最初の火災では、自宅にあったエレキギターも焼失して、エレキギターをやる事を諦め、フォークシンガーの道に進む事を決めたと告白しました。もし、自宅が火災に遭わなかった、また火事に遭ってもエレキギターの持ち出しが無事できて、エレキギターの道を進んでいたら?
- 1970年代のブームに乗っていたかもしれない。
- 情報番組にコメンテーターとしてテレビに出る事が無かったか、回数が史実より少なくなっていた。
岩田剛典
- 日本テレビアナウンサーになっていたら
三代目J soul Brothers兼EXILEの岩田剛典は大学4年で就職活動中にNAOKIの誘いでパフォーマーオーディションを受け、三代目のメンバーなりましたが、就活では日本テレビのアナウンサー試験も受けていました。もし、パフォーマーにならず日本テレビアナウンサーになっていたら?
- 三代目は6人組としてデビューしたか、別の人が代わりに入っていた。
- 慶應の先輩に当たる櫻井翔の推薦で『NEWS ZERO』のキャスターに就任していた。
- 以外に『スッキリ』のキャスター(実史は森圭介)かな?
- 「ガンちゃん」の愛称は付かなかったか?
大友康平
- お笑い路線に進んでいたら
ハウンドドッグのボーカルとして有名になった大友康平であるが、大学時代に「コント爆弾」というお笑いグループを結成し、宮城ローカル番組に出演したが、結局笑いを取れず、お笑い路線を諦め、音楽の道に進みました。もし、この時に、笑いを取り、お笑い路線に進んでいたら?
- 「ハウンドドッグ」は結成されなかったか、ボーカルは、別の人がやっていた。
- 1990年代に放映された某ビールのCMソングも担当しなかったか?
- 当然、ぐっさんこと山口智充が大友のものまねをする事が無かった。
- 但し、同じ芸人として、共演した可能性はあった。
- 時代的に「お笑いブーム」に乗って、全国区の芸人になっていたかもしれない。
華原朋美
- 小室哲哉と破局していなかったら
- 華原朋美は小室ファミリーから離脱することはなかった。
- 小室ブームがもう少し長続きしていた。
- その分、鈴木亜美に力を入れることはなかった。
- ガス中毒事故を起こすことはなかった。
- その後の体調不良もなかった。
- 桃の天然水のCMを降板することもなかった。
- その分、浜崎あゆみの仕事が増えることもなかった。
- 桃の天然水のCMを降板することもなかった。
- その後の体調不良もなかった。
- 史実ほど仕事の幅を広げることもなく、「電波少年」に出演するなどバラエティに進出することはなかった。
- 小室哲哉は破局した当てつけ(?)としてTRUE KiSS DESTiNATiONを結成することはなかった。
- 相方である吉田麻美と結婚、離婚することはなかった。
- 奇行を度々起こすことなく、事務所を契約解除されることもなかった。
- そのまま結婚していて小室哲哉はKEIKOとは結婚していなかった。
本田美奈子
- 演歌歌手になっていたら
当初は演歌歌手を志望していたようですが、当時所属していた事務所が演歌歌手を育成した経験がなかったためアイドル歌手としてデビューしました。また、一時期人気が低迷していたころに演歌歌手の転身を考えていたこともあったようです。
- 「へそ出しルック」の歌手といえば山本リンダ。
- 史実通りアイドルとしてデビューし、そこから演歌歌手に転向した場合は森昌子を引き合いに出されていた。
- 同じくアイドル→演歌へ、の経歴の長山洋子や城之内早苗と比較されライバル的な存在にもなっていたはず。
- おそらくミュージカル出演はしていない。
マイケル・ジャクソン
- 大火傷をしていなったら
おことわり:2010年6月26日までこの項目で、それ以降は生きていたらでお願いします。
- まず2009年6月に亡くなるなんてことは考えられなかった。
- 2009年7月のロンドン公演に非常に元気な姿を見せた。
- そしていつぞやの環境問題をテーマにした2042年の架空ニュースのころに(いや、それ以上生きたに違いない)
- 整形手術を繰り返さなかったので今でも肌は浅黒いまま。
- 薬物中毒にもならなかった。
- 子どもへの性的虐待疑惑も浮上しない。
- ひょっとしたら(史実の死亡日に)日本で児童ポルノの改正審議に入らなかった可能性がある。
- 子どもへの性的虐待疑惑も浮上しない。
- もっとたくさんのヒット曲を出していた。
- スリラー以上の人を出していた。
- 慈善活動にも力を入れていた。
マルシア
- 建築士になっていたら
歌手として日本で活躍したマルシアであるが、最初は祖国ブラジルで建築士を目指すも、とあるのど自慢大会に出演したことがきっかけで歌手になりました。もし、日本で歌手にならず、そのまま祖国ブラジルで建築士になっていたら?
- もしかしたら、2016年に祖国ブラジルで開催されたリオデジャネイロオリンピックの会場建設に関わっていたかもしれない。
- 当然、日本人と結婚する事が無く、「西家一枝」となる事も無かった。
- 2015年1月3日放送のテレビ東京「ローカル路線バス乗り継ぎの旅 第19弾」にマドンナとして出る事も無く、別の人が出演していた。
三谷たくみ
- おかあさんといっしょ卒業後、芸能活動を休止しなかったら
引退宣言はしていないので、ここに記載させていただきます。
- ホリプロに所属したかもしれない。
- ソロ歌手になっていた。
- NHK以外の番組にも多数出演していた。
- おかあさんといっしょの60周年コンサートや「ぼよよん行進曲」のリモート合唱にも出演していた。
- 生田斗真との共演が実現した。
- リメンバー・ミーでミゲルの母親の声を担当していたかもしれない。
- はいだしょうこの仕事を奪ってたかもしれない。
- ≒もし卒業直前に週刊誌に載らなかったら、かもしれない。
- 甘やかされていなかったら
- 学歴ももう少し良くなってた。
- 横山だいすけに対する扱いはそんなにひどくなっていなかった。
- おかあさんといっしょに女装ネタは出てこなかった。
- おかあさんといっしょ卒業後は音楽の先生になってたかもしれない。
- アイドル風のうたのおねえさんは出てこなかった。
- 横山だいすけと同時に卒業出来ていたかも。
- 小野あつこは花田ゆういちろうと同時に番組デビューしていた。
グループ
ゴールデンボンバー
- エアバンドをやらなかったら
実はメンバー全員、楽器が弾けるゴールデンボンバー。もし、エアバンドをやらなかったら?
- ギターが弾ける樽美酒研二がドラムをやることはなかった。
- 「女々しくて」に振り付けが存在しなかった。
ヒロシ&キーボー
- キーボーの相方が黒沢年雄だったら
ヒロシ&キーボーの『3年目の浮気』は当初、キーボーの相方は黒沢年雄の予定でしたが、黒沢年雄は「ニヒルな二枚目キャラを傷つける」と断り、弟のくろさわ博に回したそうです。もし、黒沢年雄が断ることなく、受け入れていたら?
- そもそも、ユニット名は「ヒロシ&キーボー」ではなかった。
- 「トシオ&キーボー」になっていたかも。
- 知名度的に「黒沢年雄&キーボー」じゃない?
- ヒロシ&キーボーとは違い、もう少し長く活躍することが出来ていた。
- 「トシオ&キーボー」になっていたかも。
- 黒沢年雄はソフトバンクモバイルのCMでトリンドル玲奈と歌っていた。
- 「男と女のラブゲーム」も歌っていた。
- それでもタケダ胃腸薬のCMでこの曲を歌っていたのは武田鉄矢と芦川よしみだった。
- くろさわ博の影が薄くなっていた。
- くろさわ博は寺内タケシとバニーズのボーカル/ギタリスト程度の認識で終わっていた。
レイジー
- アイドル路線を継続していたら
今でこそ、ロックバンドとしてのイメージが強いレイジーですが、結成当初はアイドル路線の強いバンドでした。仮に、結成当初のアイドル路線を継続していたら・・・。
- 1981年の一時解散はなかった。
- Michell(景山浩宣)のソロでの芸名が「ミッシェル景山」になってたかも。
- 彼のアニソンも、アイドル系の曲になっていた。
- Pocky(井上俊次)がランティスを立ち上げることもなかった。
- その場合、「涼宮ハルヒの憂鬱」関連のCDはスターチャイルドレーベルでの発売になってたかも。
- 紅白歌合戦に最低1回は出場していただろう。
- 無論「Loudness」も結成されていない。
- 日本のメタルの歴史が大きく変わっていた。
- 後のX JAPANや聖飢魔IIもブレイクしなかった・ブレイク時期が遅れた・路線転換していたなどの影響があった。
- 日本のメタルの歴史が大きく変わっていた。
- チェッカーズをライバル視していた。
- A.R.B.もアイドル路線になっていた。
- ネバーランドは結成されなかった。
REV
- 栗林誠一郎との2人組ユニットだったら
REVは当初、出口雅之と栗林誠一郎による2人組ユニットを予定していたが、音楽性の違いから栗林はZYYGを結成し、REVはソロユニットとなった。
- ZYYGは栗林のポジションには後藤康二がついていた。
- よって、史実と違った路線でデビューしていた。
- それでも音楽性の違いで解散していた。
- やはり史実通りだろう。
アイドル
全般
- アイドル氷河期がなかったら
おニャン子クラブ解散後からモーニング娘。がブレイクするまでは女性アイドルが伸び悩んでいた時期であり、アイドル氷河期と呼ばれましたが、もし、それがなかったら?
- これらに書かれているいくつかのアイドルはブレイクしていた。
- アナウンサーや声優がアイドル化することはなかった。
- 20代以降も女優と歌手を両立して活動し続けることもなかった。
- 中山美穂が20代以降も女優と並行して歌手活動をし続けることもなかった。
- WANDSとのコラボも微妙だったのでWANDSがブレイクすることができたかは怪しい。
- ビーイングブームも起きなかった。
- WANDSとのコラボも微妙だったのでWANDSがブレイクすることができたかは怪しい。
- 酒井法子も同様だった。
- グラビアアイドルやバラドルのジャンル化もなかった。
- 中山美穂が20代以降も女優と並行して歌手活動をし続けることもなかった。
- 女性アイドルは現在でもソロで通用する時代が続いていた。
- よって、女性アイドルはグループで活動するものという認識が強くなることもなかった。
- =「バンドブームがなかったら」である。
- Winkの一人勝ちで終わることもなかった。
個人
壇蜜
- クイズ番組の出演に積極的だったら
教員免許持ちでありながらクイズ番組の出演に消極的な壇蜜ですが、もし、クイズ番組の出演に積極的だったら?
- 『ネプリーグ』『Qさま』『ミラクル9』あたりに出演していた。
- TBSテレビ『東大王』にも出演してたかも。
- 英語教員資格持ちなので英語の分野を得意としていた。
- 間違いなくインテリタレントの地位を確立していた。
- エロ賢いを売りにしており、優木まおみをライバル視していた。
- 橋本マナミとはキャラの違いが明確になっており、棲み分けされていた。
- 2015年度の「テレビで中国語」よりも前から教育番組の出演に積極的だった。
眞鍋かをり
- ブログを書いていなかったら
- 一般人のネット上での簡易な自己表現手段はmixi日記のみだった。
- 今でも一般人でサイトを立ち上げる人が多数いる。
- ただ国立大学出身というウリしかない二流アイドルで終わっていた。
- そういえばこの人の先輩に黒木香というのがいたなあ
- ふつうに中川翔子が元祖ブログ女王といわれていた。
- 古田敦也の目標も「打倒中川翔子」になっていた。
- 何故か水樹奈々がブログの女王に。
グループ
X21
- 選抜メンバー制がなかったら
X21はアーティスト活動の際に選抜メンバー制が採られ、メンバーでも楽曲への参加ができないメンバーもいましたが、その制度が無く全員楽曲参加ができていたら?
- 10thシングルまでに、吉本美憂以外のメンバーがセンターになることが何回かあった。
- 吉本美憂が卒業することもなかった。
- 欅坂46といい意味で比べられていた。
- 吉本美憂と他メンバーとの格差も当然起きなかった。
- もちろん、Rev.from DVLの二の舞になることもなかったか?
タッキー&翼
- それぞれのソロでデビューしていたら
タッキー&翼は当初それぞれのソロとしてデビューする予定だったが、タッキーこと滝沢秀明が今井翼とのデュオを希望したためこのような形でデビューしました。もし、予定通りソロでデビューしていたら?
- CDデビューはスノストのような抱き合わせか、時期をずらしていただろう。
- どっちかがエイベックス以外のレーベルになっていたかもしれない。
- 2人の格差は史実以上に広がっていただろう。
- タッキーはオリコン1位の常連となる一方、翼は1位獲るまで相当苦労したかも。
- 翼の退所も史実より早かったかも。
- それでも嵐には勝てなかっただろう。
- 山下智久もNEWSではなくソロとしてデビューしたかも。
NEWS
- 無期限活動休止になっていたら
NEWSはメンバー2人の未成年飲酒により2006年に「年内」活動休止の措置を採っていましたが、これがもし「無期限」だったら・・・
- 錦戸亮は関ジャニ∞に専念。
- 山下智久はソロ活動を続けていた。
- KAT-TUN亀梨和也と組んだ時限ユニット「修二と彰」が別の名前で正式ユニットとなった。
- 脱退した赤西仁のピンチヒッターでKAT-TUNに加入?
- 「テゴマス」の活動ももっと本格化していた。
- 手越のイッテQレギュラーはなかった
- 残った2人(小山と加藤)は舞台活動が中心。
- 小山がnews every.の曜日キャスターになる事も無かったかも。
- 2018年6月に発覚した例の事案が決定打となり、無期限活動停止からグループ解散にされたかも。
- 小山がnews every.の曜日キャスターになる事も無かったかも。
- 謹慎になった2人はジャニーズ、最悪芸能界からも追放。
- 良くても未成年喫煙の某ハロ●ロメンバーみたいに数年経たないと復帰できない事態に・・・
- 「NEWSへ、そして全てのジャニーズタレントへ」出版
- その分KAT-TUNの活動にも影響していたはず。
- 以降、ジャニーズはフジテレビのバレーボール中継サポーターから撤退。
- 最悪の場合、日本テレビの24時間テレビのメインパーソナリティも撤退。
- K間アナも復帰できなかった。
- それどころか、かなり早いうちにアナウンサーの表舞台から去っていた。
- デビュー前に脱退した森進一の息子の存在も完全に忘れられていた
- 史実通りONE OK ROCKを結成していたかと。
V6
- 大野智がメンバーになっていたら
メンバー候補には岡田の他に現・嵐の大野智もいました。もし岡田でなく大野になっていたら・・・
- 嵐が結成されたかどうか微妙。
- いや、嵐には大野の代わりに、生田斗真あたりが入ってたよ。
- 2020年までに解散していた。
BaBe
- Winkと結成時期が逆だったら
もしBaBeが1988年、Winkが1987年結成だったら?
- BaBeがWinkのバッタモン/二番煎じ扱いされることはなかった。
- 逆にWinKの存在が強すぎで目立たなかったかも。
- BaBeは最初からアーティスト性の強い路線で世に出ており、Winkと確実に住み分けがされていた。
- 史実ほどいじられキャラにはなっていなかった。
- 「パオパオチャンネル」は最初からウッチャンナンチャンが金曜レギュラーとなっていた。
- BaBeが活動初期に歌っている曲のいくつかはWinkが歌っていた。
- 二階堂ゆかりのできちゃった結婚は史実通りか?
タレント
大橋巨泉
- セミリタイアが無かったら
- 司会業を続けていたら
- 「世界まるごとHOWマッチ」はもちろん「クイズダービー」もいまなお続く長寿番組になっている。
- みのもんたや島田紳助ら多くの人気司会者の仕事をいくつか奪っていた。
- 中居正広も追加。
- OKギフトショップはなかった。
- OKはセミリタイアするかなり前からやってるよ
- OKがうまくいかず店をたたんで司会を続けた可能性はあった
- OKはセミリタイアするかなり前からやってるよ
- 選挙には出馬すらしなかった。
- 1回は紅白歌合戦の司会もしていたと思う。(BSのジャズ番組で司会経験あり)
- 完全引退していたら
徳光和夫
- ブログを書いていたら
- 巨人戦の話ばかり
- かつて「ズームイン!巨人軍」という本を書いたことがあるだけに、細かいネタはやたら詳しそう。
- たまに競艇ネタ。
- 年明け直後は箱根駅伝ネタも。
- 土日は当然競馬予想。
- ジャイアント馬場の思い出ネタアップしたら下記のようにブログ内で泣いている。
- ブログが炎上した回数は数え切れん・・・
- 例1:「藤井が死んで巨人の日本一が近づいた」
- 例2:「カープの選手が乗った飛行機が落ちるかも知れないでしょ」
- 例3:「黒人なんかに王さんの記録を抜いて欲しくない」
- スワローズ・バレンティンが57本目のホームランを打った時には、「外人の(ホームラン)記録は認めない」とか書いて、大炎上する。
- 更に、(実史上で)2017年6月にフジテレビ『めちゃめちゃイケてるッ』で放送された「第1回CKK遅刻選抜総選挙」で上位ランクインした自らの息子について、何らかの事を書いて、ブログが炎上する。
- 失言の多さから徳光への嫌がらせメールが頻発する
- 年金問題で役所に殺された話をこれでもかと誇張して書く。
- やはりブログ内でも「(涙)」が多い。
- 甥のミッツ・マングローブも登場する。
- 毎年1月3日午後には、「箱根駅伝応援記」を書くとか…。
- 競馬で超高額配当を的中させ嬉しさのあまり馬券画像アップしたら即、ネットニュース記事になるのが恒例に。
古舘伊知郎
- あのスポーツ中継の実況を担当していたら
皆様もご存知の通り、古館伊知郎はワールドプロレスリング(プロレス中継)やF1中継、競輪に世界水泳を「過激な実況」で担当していた事で有名ですがもし他のスポーツ中継を実況・担当していたら一体どうなっていたのでしょうか?
- プロ野球
- 主に実況・担当していたのは巨人戦やオールスターに日本シリーズが中心だった。
- もし、好評だったらWBCも実況していた。
- ワールドプロレスリングでおなじみの「おーーーーーっと!」がホームラン性の大飛球の時に聞けた(笑)。
- サッカー
- オリンピックの実況を担当し、船越以上の非難を浴びた。
- 盛り上げるところ以外は淡々とした語り口調になるはずなので、いつも絶叫の船越以上の実況はできる気がする。
- プロボクシング
- 世界タイトルマッチを担当。選手に奇抜なニックネームを与えていた。
- 大相撲ダイジェスト
- 解説の親方衆がリアクションに困りそう。
- 貴乃花が「各界のクリスチャン・フィッティパルディ」と呼ばれてたかも
- 中央競馬
- 競走馬もしくは騎手に奇抜なあだ名をつける。
- 関西テレビの杉本清アナに敬意を評してもっぱら関東のレースの実況を担当。
モデル
新川優愛
- グラビアアイドルのままだったら
新川優愛は初期の頃はグラビアアイドルとしても活動していましたが、ミスセブンティーン2011に選ばれたことをきっかけにモデルに転向し、現在に至っています。もし、グラビアアイドルのまま活動をし続けていたら?
- AKB48にグラビアの仕事を奪われていなかったらこうなっていただろう。
- 『王様のブランチ』のMCに起用されることはなかった。
- 女性向け商品のCMキャラクターに起用されることもなく、ビューティラボやソフィのCMに出演することもなかった。
- 小島瑠璃子の存在が薄れていた。
- 果たしてロケバス運転手との結婚はあったのか?
- 活動初期からモデルとして活動していたら
上記とは逆に活動初期からモデルとして活動していたら?
- ピチレモンかニコラの専属モデルになっていたと思われる。
- セブンティーン、non-noへの移籍は史実通り。
- 桐谷美玲、小嶋陽菜、篠田麻里子などの仕事を奪っていた。
- AKB48はモデル活動からの撤退に追い込まれていた。
- 小嶋陽菜の卒業も史実より早かった。
- それでも乃木坂46メンバーのモデル進出は史実通り。
- AKB48はモデル活動からの撤退に追い込まれていた。
落語家
桂米朝
- 四代目桂三木助を襲名していたら
1970年代に桂米朝が四代目桂三木助を襲名するという話がありましたが、襲名興行に関わる諸事情から米朝が難色を示し実現することはありませんでした。 もしそうした事情が解決し、桂米朝が四代目桂三木助を襲名していれば、どのようになっていたでしょうか。
- 桂米朝の息子(史実では五代目米團次)は入門当初から桂米朝を名乗っていた。
- そして2008年に「四代目米之助」を襲名。(本来なら名跡の格は「米之助」より「米朝」が上だが、「米之助」も三代目で大きくなっているところがあるので)
- 「米團治」は早い段階で吉朝が継承していた。史実と同じ時期に亡くなっても、2010年くらいに吉弥辺りが「6代目」を継承していただろう。
- 後述の理由で二代目小米朝(月亭可朝)が米朝を襲名した場合、三木助の前名である三代目桂南光か、若しくは二代目桂三木男をこの人が名乗っていたかもしれない。
- 三代目桂三木助の息子(史実では四代目桂三木助)や孫(史実では桂三木男)は落語界にいただろうか。
- 前者は、普通にタレントとして活躍していたと思う。
- 前者は五代目柳家小さんの弟子として柳派の噺家になっているのではないか。
- 史実では三代目が小さんと肝胆相照らす仲であり、その縁から四代目は本名を小さんと同じ「小林盛夫」とつけられている。
- 前者は継ぐ名が無い故にプレッシャーはかからず、自殺することも無かっただろう。柳家の適当な名跡をあてがわれていると思われる。
- 引き続き「柳家小きん」を名乗っていた。
- 「俺の息子よりは出来る」として、まさかの六代目小さんにされていた(小三治から押し付けられた)かもしれない。その場合はやっぱり自殺コースになりそうだが…。
- 元弟子の司が「司馬龍生」の名を預かっているとの経緯(おそらく三木助の叔父が9代目龍生の師匠・4代目春風亭柳枝だった縁?)から、10代目龍生を襲名していたかもしれない。
- 千土地興行(日本ドリーム観光)は史実より早く芸能興行から撤退していた。
- 三木助襲名と同じくして松竹芸能移籍という話があったため。
- 米朝事務所は設立されていなかった。
- 角座閉鎖前後からの松竹および松竹芸能のgdgdぶりに呆れ、一門ごと離れて「桂三木助事務所」を作っていた。
- 移籍話は1970年代ではなく1960年代半ばだね。
- 収益源の集中化により千日デパートの改善を敢行。例の大火災も無かったかもしれない。
- 古いビルの建て替えによりニチイと専門店街へ。後にプランタンを誘致して二核1モール型に。後にニチイ→マイカルもプランタン→カテプリも不調にはなるも、最終的には親会社が双方買収されイオンなんば千日前となる。
- ビックカメラは同地に出店出来ずになんば出店が大幅に遅れる。でんでんタウンとの力関係は変化し、史実のエディオンなんばがビックカメラなんばに、ニノミヤの元店舗が全てエディオンなんば(日本橋)となる。
- (史実では桂米朝)没後、誰が三木助を襲名していただろうか?
- 二代目三木助が二代目南光の弟子だった経緯から、当代の南光かなあ。或いは枝雀が生きていたら・・・
- 史実での米團治・可朝がそれぞれ南光・米朝であった場合、史実の南光はべかこのままか四代目米之助を襲名、史実の米團治→三代目桂南光が五代目三木助を襲名していたかもしれない。
- 或いは文化勲章に叙された2009年以降、(史実米朝)三木助が二代目文枝の縁から「二代目桂文左衛門」を襲名し、より早い段階で五代目三木助は決まっていたかも。
- 二代目三木助が二代目南光の弟子だった経緯から、当代の南光かなあ。或いは枝雀が生きていたら・・・
- 月亭可朝はこの名を名乗らず、四代目米朝を襲名していた。
- 一番最初にこの話が出たのはABCのプロデューサーによると1965年、可朝改名は1968年のため。
- 吉本所属の可朝(この場合は四代目米朝)の門下から五代目三木助は出ないだろう。
- 弟子の名前に八を付ける由来は吉本の社長から来ているので、弟子の名前は大きくは変わらない。ただし、(三代目)米朝門下だった桂米八の名は、史実の月亭八方が名乗っているかも。