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もしあの選手が日本プロ野球入りしていたら

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プロ野球からも熱い視線を受けていたが、現実にはプロ入りしなかった選手が、もしプロ野球選手になっていたら?

  • 新規追加は五十音順で。
  • プロからの視線の有無を問わず、プロ野球入りする意思を持っていた可能性があると思われる方も書いてもかまいません。

あ行

石井藤吉郎

  1. プロ野球ブームは早くから起こっていた。
  2. 巨人に入団していたら、その後に入団する長嶋茂雄と共にIN砲で名を馳せていた。
    • 王貞治は打者に転向しなかった。
  3. 早稲田大学の監督に就任することはなかったので、早稲田大学が一時的に低迷していたかも。

石井章夫

  1. 弟の石井貴とともに、兄弟でプロ野球入りしていたことになっていた。
    • 1998年まで現役を続けていたら日本シリーズで対戦していたかもしれない。
  2. 同じ慶大に通っていた山下大輔氏から可愛がられていた。
  3. 若菜嘉晴氏に代わって、大洋の正捕手として、活躍していた。
    • その代わりに、市川和正氏はあまり活躍できなかったかもしれない。
    • その後、谷繁元信氏や秋元宏作氏の台頭により、控え捕手になっていたか、トレードに出されていた。
  4. 引退後、山下大輔氏が監督に就任した2004年には、バッテリーコーチに就任していた可能性が高い。
    • スコアラーやスカウトとして、横浜ベイスターズに残っていた。
    • その場合、村上忠則氏が招聘されることはなかったかもしれない。

井上明

  1. プロ入り初年のファン投票1位を獲得してオールスターゲームへの出場を果たしていた。
    • セ・リーグに入団していたら太田幸司との対戦が観れていた。

今井正人

今井正人といえば、箱根駅伝で「(元祖)山の神」と称される存在でしたが、小中学校時代は野球もやっていました。もし、彼がプロ野球選手になっていたら…

  1. 箱根駅伝での「山の神」は柏原竜二まで待つことになる。
    • 彼が在学していた期間(2003年度~2006年度)、各種長距離走大会で順天堂の成績が史実より落ちていた。
    • 連続出場記録が史実よりも早く途切れていたかも。
  2. 大学に進学した場合、福島県出身ということで、同じ東北の楽天を希望していたかもしれない。
    • 高校時のドラフトは楽天発足前(2002年度)なので、福島に近い巨人・ヤクルト・西武・日本ハムあたりを希望していたかもしれない。
  3. ポジションは、陸上転向前から陸上をやっていたことで、足を生かせる外野手として起用された可能性がある。

岩本紘一

1966年ドラフト会議(第2次)で阪急から2位指名されましたが、拒否しました。

  1. 一塁手として、1967年の阪急の初のリーグ優勝に貢献した。
  2. 加藤秀司氏の台頭により、トレードで東映か広島に移籍したか、住友平氏と同様に10年で引退していた。
    • 東映の場合、岡村浩二氏or佐々木誠吾氏の代わりに、広島の場合、渡辺弘基氏の代わりに、トレードされていた。
  3. 同じ亜大に通っていた大橋譲氏とプレーしていたかもしれない。

宇梶剛士

  1. プロに入ってもあだ名は「ヘッド」。
  2. 清原和博の存在が薄かった。
  3. 退場数も多く、乱闘要員だった。

遠藤章造

高校時代、中日や広島からスカウトが来た。

  1. 当然ココリコはなかった。
    • 田中直樹が有名になることもなかった。
      • ダウンタウンや山崎邦正と共演することもなかった
      • ダイエーにいた田中直樹選手もネタにならなかった。
    • 千秋とも結婚していなかった。
  2. 中日、もしくは広島で代打として活躍していた

尾崎健夫

実際にドラフト会議でヤクルトに指名されたことがあります。

  1. 兄の尾崎将司が史実以上に野球界で活躍できていたらありえたかも。
    • 弟の直道はおそらく将司や健夫を支える役割についており、プロゴルファーにはならなかった。
      • 直道も入団していた場合、「三兄弟選手」として注目を浴びていた。
  2. それでも坂口良子との結婚は史実通り。
  3. 剛速球投手として活躍していた。

か行

金光興二

  1. 近鉄の1979年、1980年の二連覇に貢献していた。
  2. 三菱重工広島は都市対抗で優勝していない。

上地雄輔

  • 横浜高校時代は捕手で背番号2で、1年後輩の松坂大輔とバッテリーを組んでいた。
  1. 怪我してなければ指名されていたかも。
  2. 指名していたとすれば横浜か?
  3. 多分中村武志が退団したころにトレードで入団(そこまでやってれば)
  4. 現役引退後、結局はおバカタレントか?
    • ただ、少なくとも羞恥心には入らず、元木のようなポジションにいた。

鍛治舎巧

1975年のドラフト会議で阪神タイガースから2位指名を受けましたが、拒否しました。

  1. パナソニックの専務役員になることはなかった。
  2. 秀岳館高校の監督になることもなかった。
  3. NHKで高校野球解説者をやることもなかった。
  4. 阪神打線が史実より拡充していた。
    • 3番打者になっていたの可能性が高い。
  5. 10年近くプレーしていた。
  6. 1985年の阪神タイガースの日本一に貢献していたかもしれない。
  7. ラインバック氏らの外国人の外野手が入団することはなかった。
  8. 引退後は、球団職員として、球団をバックアップしていた。

上重聡

  1. TDNを自由枠で獲得しようとした球団がこぞって指名する。
  2. 横浜が指名した場合、村田の横浜入りはなかったかもしれない。
    • そんなに横浜に万年最下位になってほしいのか?え?(無論ジョーク)
      • 寧ろいない方がよかったと思う。
    • 2003年の監督が大ちゃんという時点で既に最か(ry
  3. 巨人に入った場合、酷使されて故障して投手生活は短命に終わりそう。
    • で、日テレ入り…史実と変わらず。
  4. くだらない駄洒落は言わなかった…と思う。
  5. 靴屋からの利益供与疑惑も無かった。

亀梨和也

小学生の時はリトルリーグに所属し、国際大会にも出場していました。もし、ジャニーズに入所せず、その後も野球を続けてプロ入りしていたら・・・

  1. KAT-TUNは「ATTUN」になっていたか。あるいは全く別の名前のグループか
    • そして、史実通りのメンバー脱退をしたら・・・
      • UN。
      • 史実より早く「充電」期間になっていたかもしれない。
  2. 「修二と彰」は山下智久と別のジャニーズで結成していた。あるいは、ドラマ「野ブタをプロデュース」自体がなく、結成されなかった。
    • 堀北真希のブレイクも遅れていた。
  3. 「イケメン選手」として女性ファンからの人気が高かった。グッズも売れていただろう。
  4. 「GOING」のスポーツキャスターは中居正広だった。ジャニーズで「野球ファン」と言ったら中居だった。

川島勝司

1968年のドラフト会議で近鉄バファローズから2位指名を受けました。しかし、入団に至りませんでした。

  1. 三塁手として、活躍したものの、羽田耕一氏の台頭により、トレードに出されていた。
  2. アトランタオリンピックの日本代表監督になることはなかった。

川淵三郎

Jリーグをはじめとする日本サッカーの雄といっても過言ではない川淵三郎も、中学時代は野球部に所属しており、今でも野球ファンでもあるそうです。もしプロ野球入りしていたら?

  1. 日本サッカーの発展が大きく遅れていた。
    • 不遇の時代が史実より長く続き、プロ化も大幅に遅れた。
    • プロ化後しても、Jリーグの発展も史実より長い時間を要した可能性もある。
  2. 早稲田大学へ進学せず、高校卒業とともにプロデビューをしていた可能性もある。
    • 史実通り早稲田大学へ進学した場合、当然野球部入りしていた。
    • 堺市出身、ということで南海、もしくは在阪球団入りが有力だったか?
  3. 逆に野球の国際化が早まっていた可能性がある。
    • もしかしたらこうなっていた可能性もあったかも知れない。
      • ただ歴代のコミッショナーを見る限り実際そういった要職についていたとしてもサッカー界で発揮したような手腕を見せることが出来たかどうかは...
        • 少なくともバスケットボール界の改革に関わることはなかったはず。
  4. メキシコ五輪サッカー日本代表は…どうだろ。
  5. 当然、社会人経験を経てプロ野球界入りするにしても、古河電工には入社していなかった。

オレステス・キンデラン

  1. キューバとして初のプロ野球選手で話題となった。
  2. 三冠王になっていた。

グエン・トラン・フォク・アン

  1. ベトナム国籍であることが話題となった。
  2. ベトナムの野球普及に努めた可能性も。

黒須陽一郎

1989年のドラフト会議でヤクルトスワローズから3位指名を受けましたが、入団しませんでした。

  1. 同じ立大の長嶋一茂氏とともにプレーすることになっていた。
  2. スカウト部長の片岡宏雄が立大のOB会と縁を切ることはなかった。

桑田泉

桑田真澄氏の弟で、PL学園→青山学院大学と野球をしていましたが、大学時代に故障で断念し、プロゴルファーになりました。もし、故障がなくプロ野球に入っていたら・・・

  1. 巨人に入っていたら兄弟選手として有名になっていた。
  2. 野手だったので、セ・リーグの他球団に入っていたら兄弟対決が見られていた。
  3. 「キヨハラくん」等の河合じゅんじの漫画では「クワタの影武者」等で出番が多かった。
  4. 現役引退してコーチになったら「毒舌コーチ」となっていた。

小西正則

  1. 西武を除くパリーグの球団に入団していたら、松坂との投げ合いが1年目から見られたかもしれない。
  2. WBC日本代表に選出されていた可能性もある。
  3. 川端慎吾よりも先に兄妹選手になっていた。

さ行

坂本佳一

  • 東邦の1年生エースとして77年夏に準優勝したがイップスがなくプロ野球に入っていたら・・・
  1. NPBドラフト会議では5球団以上から1位指名を受けた。
    • 地元愛知ということもあり中日ドラゴンズへ入団していた。
  2. 荒木大輔は「バンビ2世」と呼ばれることになっていた。

嶋清一

  • 1941年に南海への入団交渉を進めていたが周囲の説得により取りやめた。
  1. 41年にそのまま南海入りしていたら史実より早く徴兵されていた。
    • 史実通り戦死していたら沢村栄治や景浦将と並んで戦没したプロ野球選手の代表格となっていた。
  2. 戦争から無事復員できていたら復員の翌年くらいにプロ入りしていた。
    • ただしこの場合年齢が25歳を過ぎているためあまり長く活躍できなかったと思われる。
    • 大下や川上と後世まで語り継がれるような名勝負を繰り広げ「記録より記憶に残る選手」の代表格となっていた。
  3. 戦後に南海でプレーしていた場合はいわゆる「別所引き抜き問題」の展開に影響があったかもしれない。
    • 別所ではなく嶋が引き抜かれていたかもしれない。嶋がエースで別所が2番手だった場合、その後の別所にも影響を与えていた。
  4. 球界有数の愛妻家として知られていた。
  5. アニメ「巨人の星」には現実と全く違う形で登場していた。
    • それでも性格を考慮するとあまり悪のイメージが強そうな役柄ではなかった気がする。
  6. 甲子園で成し遂げた準決勝・決勝2試合連続ノーヒットノーランの偉業は現実より広く知られている。
    • 野球殿堂入りも早くなっていたはず。

志村亮

  1. 島田紳助ややくみつるから揶揄されることはなかった。(巨人入りの場合を除く)
  2. 巨人なら当時の監督が慶應の大先輩・藤田元司だったため彼に重宝がられた。
    • 同じ左腕の宮本和知は二軍でくすぶったままとなっていた。
  3. 中日なら山本昌と「神奈川産Wサウスポー」で売り出していた。
    • 杉本正は他球団に放出されていた。
    • 今中慎二は中日入りしていない。
    • なお、志村と山本昌は、83年夏の神奈川大会5回戦の桐蔭学園対日大藤沢の試合で、おなじマウンドを踏んでいる(日藤の山本昌が完投勝利で、桐蔭の志村が最後のリリーフ)。
  4. 大洋ならやくみつるに4コマで絶賛されていた。
    • むしろタコ助呼ばわりされた佐々木や隔年エース呼ばわりされた野村のようにやくみつるに悪いあだ名を付けられたかも知れない。
  5. 引退後はGMになっていたかも。

杉浦正則

1995年にダイエーに入団していた場合
  1. アトランタのマウンドに立つ事はないが、シドニーではプロの一人として投げていた。
    • それだと松な(ry
  2. 1999年のダイエー初優勝時には胴上げ投手になっていたかもしれない。
  3. 2004年のアテネ五輪まで現役を続けていただろう。
  4. 引退後は指導者として社会人に戻っている。

たな行

大坊聡

  • 立教大学時代に多田野と共に某有名ゲイビデオに出演したことで有名だが、彼自身も高校時代にはドラフト候補にも挙がっていた。
  1. 多田野のスキャンダルはなかった。
  2. 出演しなかっただけで性癖が同じならば同じチームの若手選手の数人は被害にあう可能性がある。
  3. 風評被害の一部(日本ペイントなど)はなかった。
    • KYN、POPO、AKNMが発掘される事はあってもKYNの本名が割れる事はなかっただろう。KYNが役名のHRDと呼ばれていた

高見泰範

1985年のドラフト会議で阪急ブレーブスから5位指名を受けましたが、入団に至りませんでした。

  1. 藤田浩雅氏と正捕手争いを繰り広げていた。
    • その後、中嶋聡氏の台頭により、早期に引退していたか、トレードに出されていた。
  2. 日本ハムの西崎幸広氏と対決する場面があった。
  3. 19992年のバルセロナオリンピックに出場することはなかった。
  4. 引退後、ブルペン捕手、スコアラー、コーチになっていた。

田中大貴

  1. 2002年のドラフト自由獲得枠で幼少時からのファンであったオリックスに入団していた。
  2. 同い年でありながら東京六大学時代対戦経験のない上重聡がプロ入りしていた場合、対戦が公式戦あるいは交流戦で実現していた。
  3. 史実で出演している「とくダネ」のレギュラーは田淵裕章あたりが担当していた。

徳永昭広 (島田洋七)

名門・広陵高校の野球部に入部するも、高校でのアクシデントにより野球を諦めた。

  1. 高校およびプロで活躍していればがばいばあちゃんの逸話は有名になるだろう。
  2. 当然、「B&B」は結成されず。
    • 仮にプロ引退後にお笑い芸人になっていれば「元野球選手のタレント」という扱いになり、お笑い芸人にはならなかったかも。なったとしても板東英二のようなタレントか。
    • 島田洋八の境遇はいかに…

仲井真重次

仲井真重次と言えば、かの具志堅用高をボクシングに誘い、世界王者に導き、その後地元でジムを設立して平仲明信を育てた人物として知られています。しかし、彼は元々プロ野球選手を志望し、プロテストも受験していました。もし、彼がプロ野球選手になっていたら・・・

  1. 具志堅も野球選手を目指していただろう。
    • すなわち、世界王座13連続防衛もない。
      • 世界王座防衛記録はしばらく小林弘と輪島功一の「6」のままで、徳山昌守によって破られる。
    • 史実でも具志堅は高校入学直後は野球部に入るつもりだった。
  2. 日本ボクシング界は現実より様変わりしていた。
    • 具志堅を目標としていたボクサーも多かったため。
  3. 協栄ジムはいわゆる「古豪」になっていた。
    • 「毒入りオレンジ事件」も起こらなかった可能性が高い。
  4. 沖縄が「ボクシング王国」と呼ばれる事もなかった。
  5. 白井・具志堅ジムももちろんない。
    • なので、内藤大助のボクサー人生も大幅に変わっていただろう。
      • 亀田一族とはどういう関係が?(この男のボクシング人生を語るうえで亀田一族は避けて通れないはず)
  6. 入団するだけでなく選手として成功していたら…
    • 中学卒選手の養成に本格的に取り組む球団が出てくる(仲井真の入団テスト受験は中卒時)。
      • それで成功する選手が続々と出てきたら、高校野球の状況が史実と相当違ったものになっている。
      • 場合によってはハンカチ世代が「辻本(賢人)世代」になっていた可能性も。

野久保直樹

興誠高校時代、中日の指名候補になっていた

  1. とりあえず二軍選手を追っかけるギャルには人気が出たかも。
  2. おバカであることがばれる事はなかったはず。
    • 芽が出ず早々と引退し、俳優に転身していたらあるいは・・・。
      • 「平成の板東英二」と呼ばれていただろう。
      • あるいはモデルになって「第2の山崎賢太」と呼ばれる可能性も。
      • 結局、史実通りつるの剛士、上地雄輔と「羞恥心」を結成する。
        • そこそこ活躍していた場合は、つるのではなく元木と野球に関するグループを結成していたかもしれない。
    • 史実のM木D介を見る限り、引退して芸能界入りしたら結局は…。

は行

萩野友康

  1. 大学卒業後に入団した場合、広島の投手陣の一角として、活躍していた。
  2. 1974年のドラフト会議で指名されていた場合、どこの球団が指名していたのだろうか?
    • 太平洋が指名していた可能性もある。

萩原寛(稀勢の里寛)

  • 中学生時代までは野球をやっており、常総学院からのスカウトを受けたこともあるそうです。
  1. 投手・捕手をしていたが、おそらく体格の大きさからして捕手になっていただろう。
  2. 相撲界に大きく影響していた。
    • 白鵬の連勝記録はもう少し伸びていた。

藤川順一

  • 藤川球児の兄で高知商時代には兄弟バッテリーで有名に。しかしながら後にアクシデントで選手生命を絶たれた為プロ入りはできずに終わった。
  1. 指名・移籍等が上手くいけば、新井兄弟よりも先に阪神での兄弟出場が実現していたかもしれない。
    • ポジションが被らないので理論上は藤川・新井兄弟を全員スタメンに並べる事も出来るが、余程の事が無い限りパワプロ等の野球ゲームでしか採用されない。
    • 「JFK」がキャッチャーの順一込みで「JF2K」と呼ばれるようになっていた。
    • 阪神での兄弟バッテリーということで嶋田宗彦・嶋田章弘兄弟を思い出すファンも多かっただろう。
  2. 彼の所属暦が無いので球児がアイランドリーグに行く事は無かった可能性が高い。
    • 万が一あったとしても高知であったかどうかは怪しい。
  3. なんJでは「弟の失策の巻き添えを食らってネタにされる兄」のポジションが板につく。

藤田憲右

  • 高校時代は野球部のエースで、甲子園予選地方大会にて2試合連続1安打完封勝利を記録しています。
  1. トータルテンボスは結成されていなかった。
  2. アフロヘアにはならなかった。

藤高俊彦

1981年のドラフト会議で西武ライオンズから5位指名を受けました。しかし、入団に至りませんでした。(指名では、阪急ブレーブスと競合)

  1. 当時の西武ライオンズの投手陣は厚かったので、なかなか活躍できなかった。
  2. 阪急ブレーブスから指名を受けた場合、確実に活躍していた。
    • 岩本好広氏は6位指名を受けていた。
    • もしかしたら、岩本好広氏は中日から指名を受けていたかもしれない。

本間篤史

  • 駒大苫小牧高校卒業後、亜大、JR北海道でプレーを続けていたが、もしプロ入りしていたら
  1. 独特の打撃フォームで人気を得ていた。
  2. 田中将大との対戦が観れていた。
    • もしくは東北楽天ゴールデンイーグルスに入団していた。

ま~わ行

室伏広治

  • 始球式に参加した際、無茶苦茶なフォームながら球速131km/hを記録したというエピソードがある彼ですが、もし仮に陸上競技ではなく野球の方面に進んでいたら。
  1. ドーピング問題は史実ほど日本で注目されていなかった。
  2. 同じハーフである王貞治や衣笠祥雄、ダルビッシュ有あたりと交流を深めていた。
  3. 野手でも投手でもパワー中心の選手になっていた。

安村昇剛

  1. とにかく明るい安村として活動していない。
    • アームストロングも結成してない。
      • 2015年に「安心してください、穿いてますよ」は存在していなかった。
  2. 左投げということもあり、主にリリーフとして活躍していた。

山本大貴

  • 高校通算107本の日本記録(2017年現在)を保持しているが、社会人入団後は伸び悩み現在では引退している。
  1. 上記の経歴を考えるとプロで活躍できたかどうか…
    • どのみち記録もあってマスコミやファンから過度に期待されるのは確実。
  2. 神港学園の知名度は史実よりも高かった。
    • それでも一部では「参考記録」呼ばわりされるのは仕方ないのかもしれない。



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