もしあの路線の直通運転が行われていなかったら

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川越線・埼京線

  1. 川越線は非電化のまま。…と思いきや、209系が投入されていた。
    • 変わりに川越線は八高線と直通していたかも…。
  2. 大宮~高麗川は今でも運行している。
    • 大宮〜高麗川〜八王子がデフォ。朝夕に川越・高麗川発着があるのみ。
    • 埼京線は伊奈方面(史実のニューシャトルのルート)に延伸していた。
  3. 川越線大宮駅は今でも地上のまま。一方埼京線は、史実通り地下で建設され、ニューシャトルに沿うように伊奈方面に延伸していた。
  4. 埼京線は予定通り高崎線に乗り入れた。
    • 湘南新宿ラインは埼京線経由で開業していた。
      • 宇都宮線にも乗り入れられるようになっていた。
  5. =埼京線の車両基地が浦和市内にできていたらである。

常磐線・成田線

  1. 上野口のSL撤退が早まった。
  2. 我孫子支線で103・E231系は運用されなかった。
    • 普通列車は全て幕張車両センターの電車が使用される。
  3. 逆に臨時列車が乗り入れた際の注目度は現実より大きかった。

総武快速線・横須賀線

  1. 総武快速線は東京もしくは品川発着になっていた。
    • 総武快速線の東京乗り入れが実現していなければ、両国発着になっていた。
    • あるいは新宿へ行くとか。
      • その場合、御茶ノ水~代々木間は3線並走となる。
    • いっそオレンジ線直通で…
    • ひょっとしたら「浅草橋~神田~東京」案が採用されていたかも(実際にはコストが高くて地下化案を採用)。
      • 神田駅が乗り換えでとんでもないことになる。
  2. 総武快速線にグリーン車が導入されることはなかった。もしくは2004年ごろに導入。
  3. 横須賀線の一部は新宿発着になった。
    • 湘南新宿ラインも東海道線直通はなかった。
  4. 車両の色が違っていたかもしれない。
    • 中央快速線直通だったら結局スカ色になっていたと思われ。
  5. 総武快速線と中央線快速が直通運転。千葉〜大月。どちらも東京駅乗り入れはなく、秋葉原駅は地獄と化す。
    • その代わり、緩行線が史実の快速線のルートで東京駅に乗り入れる。
    • 113系ではなく115系が投入されていた。
    • 「アルプス」などの急行や夜行普通列車にも千葉発着が存在した。
  6. 東北縦貫線のダイヤがますますややこしい事になる。
    • 史実では品川止まりになっている常磐線列車が横須賀線に乗り入れた。
      • スカ色のE531。あんまり違和感ないかも。
  7. 横須賀線は横浜から東海道線に乗り入れる形式を維持していた。
    • 品鶴貨物線は湘南新宿ライン開業or上記の新宿乗り入れ決定まで旅客化しなかった。
    • 埼京線の横浜乗り入れというシナリオも。
      • 上にあるように川越線と埼京線も直通していなかったら、横須賀線~埼京線~高崎線……あれ、こりゃ時代の先を行く湘南新宿ラインじゃん。
  8. 東京~錦糸町間が地下化されていない場合183系の開発に影響があった可能性が高い。
    • 房総特急の格上げは下手すりゃ「踊り子」誕生と同時期まで遅れていた。

京浜東北線・根岸線

  1. 言うまでもなく京浜東北線は横浜止まりになっていた。
    • みなとみらい線と直通を東急と争った。
  2. 根岸線に209系が導入されることは無く、6両編成程度の205系が投入されていた。
  3. 横浜線の車両が根岸線に乗り入れることもなかった。
    • もしくは横浜線と根岸線が全便直通運転を行っていた。
      • 東神奈川-横浜間は京浜東北線とは別の線路が用意されている。
        • いやいや、京浜東北線が東神奈川止まりだ。
  4. 根岸線のラインカラーは京浜東北線と異なるものだった。
    • おそらく独自のラインカラーが用意されている。
    • おそらく横浜線カラーである。
  5. 京浜東北線が保土ヶ谷・東戸塚方面に伸びていた。
    • 結局京浜東北線南行は「大船行き」に。
    • 場合によっては横須賀線も保土ヶ谷・東戸塚を通過していた。

東武伊勢崎線・東京メトロ半蔵門線

  1. 半蔵門線は押上を経由して松戸までの延伸計画が進行中だった。
    • しかし副都心線の建設が優先され、半蔵門線は現在でも水天宮前までしか開業してなかった。
    • スカイツリーの影響でとりあえず押上まで開業するが、結局そこから先の延伸計画は立ち消えになっていた。
  2. 東武線内に東急車両が走ったり、東急田園都市線内に東武車両が走ったりすえることはなかった。
  3. こなたが中央林間まで乗り過ごすネタもなかった。
  4. 田園都市線に東武非乗り入れ運用はなく、東急2000系は現在でも平日・休日とも終日運用していた。
  5. 女性専用車両のステッカーが2両に貼られることはなかった。
  6. 2006年の東武白紙ダイヤ改正はなく、未だに浅草駅では準急伊勢崎や快速会津田島などが見られた。

東武東上線・東京メトロ副都心線&有楽町線

  1. どっちみち車両基地は和光市内に置かれるはずだから、市内に東京メトロの直営駅が設置されていた。
    • 埼玉スタジアム線は埼玉初の地下鉄と名乗れない。
  2. 当然ながら東上線志木~和光市間は複々線化されない。
    • 代わりに有楽町線を新座まで伸ばす計画が出るも一向に進まず。
  3. 東上線は中古車だらけの墓場と揶揄された。
  4. 東武東上線は予定通り都営三田線と直通していた。

東急東横線・西武池袋線

両社は箱根・伊豆・軽井沢などで幾度も対立し、死ぬ程仲が悪かった。

  1. 東横線の運行本数が減るため、日比谷線との直通運転は廃止されなかったかもしれない。
  2. そのうち有楽町線は池袋線と、副都心線は東上線と東横線との乗り入れとなっていたかもしれない。
    • 当初はそのはずだった。計画されたのがその時代だったからだろうか。
      • その名残が(立体交差化前の)小竹向原の配線。
      • 副都心線の遅延が問題になったので実際その体制に戻す案はあったのだが、小竹向原駅が混雑することを理由に立体交差化が決まった。
      • というわけで、小竹向原の立体交差化は無かった。
    • もちろんS-TRAINは土休日も有楽町線直通。ただしお台場・TDR・幕張などへの行楽アクセスとして新木場発着。
  3. 東横線内を走る東武車両の数が増えていた(平日朝夕と休日に数本程度)。
  4. 「かつての対立が現在も水面下で続いているから直通が実現しなかった」と噂される。

京王線・都営新宿線

  1. 初台・幡ヶ谷駅は京王線側に残っていた。
    • 京王新線が作られないため、複々線化の計画は立たなかった。
      • もしくは史実とは異なる形で複々線化が行われていた。
  2. 馬車軌を採用する必要がないため、都営新宿線は標準軌になっていた。
    • 大規模検査の際は馬込まで自走していた。
    • 東中山駅で京成線と繋がっており、成田空港まで相互乗り入れ運行を行っていた。橋本~成田空港間の特急運行があった。
      • 京王と新宿線の乗り入れが無いなら新宿止まりじゃないの?いずれにせよ便利ではあるけど。
  3. それでも新宿線での急行運転は史実通り行われている。
    • 京王が乗り入れないので、急行も未だに8両編成のままだったかもしれない。
    • 「急行」じゃなくて「快速」あたりになっていたのだろうか。全列車各停になったような気もするけど。
  4. 新宿以西への延伸計画が存在していた。
    • 大江戸線放射部(新宿以西)がこの路線の一部になっていたかもしれない。

東急東横線・東京メトロ日比谷線

  1. 日比谷線は20m規格で建設されていた。
    • 18mになったのは東急が原因。
  2. 代わりに京王井の頭線に直通していたか?
    • 広尾から南に進んで白金台-高輪台-品川というルートもあり得そう。
      • エアポート快特が北千住まで乗り入れていたか。
  3. 東横線のホームドア設置が史実より早く行われた。
    • 東急9000系の撤退も。
  4. 東横線の特急は中目黒を通過していた。

東急東横線・東京メトロ副都心線

  1. 副都心線は渋谷から品川を経由して羽田空港まで延伸していた。
    • ところがJR東日本の新宿~大井町~羽田空港の新線計画浮上によりこちらの計画も立ち消え。副都心線は渋谷止まりになっていた。
    • あるいはJR東日本の新宿~羽田空港の新線計画がなかったか。
    • あるいは新玉川線区間を複々線化して田園都市線と直通。
    • あるいは白金高輪経由で品川まで延伸されていた。
  2. 東横線は現在でも日比谷線と直通運転していた。
  3. 東横線渋谷駅は現在でも地上にあった。
    • つまりJRの埼京線・湘南新宿ラインのホームの移設計画はなかった。
      • 銀座線ホームの移設も無かったかもしれない。
  4. 東横線は現在でも8両編成のままだった。
    • 東急9000系の撤退が少し遅れた。
      • あるいは撤退しなかった。
  5. 副都心線は全列車が10両編成で統一されていた。
  6. 蒲蒲線計画もなかった。
    • 単純に蒲田と京急蒲田をつなぐだけの計画ならあっただろう。
  7. 東急側は池上線に大森支線と羽田延伸線をつくり、これらと現実のりんかい線を活用して羽田空港(空港6両)/蘇我(京葉線4両)~池上(6両と4両を増結)~渋谷~副都心線と直通してた。
  8. 現実よりもダイヤの乱れが少なかった。
  9. 現実よりも再開発計画が小規模なので、渋谷駅ハチ公前広場の青ガエル(東急旧5000系デハ5001)は撤去されなかった。

相模線・横浜線

  1. 相模線のローカル化がさらに進んでいた。
  2. =205系500番台が最初から国府津車両センターに配置されていたらである。

阪神なんば線・近鉄難波線

  1. 近鉄難波駅が大阪難波駅に改称することは無かった。
    • 当然ながら桜川駅での乗務員交代も行われない。
  2. 阪神難波駅は湊町寄りにできていた。
    • 西大阪線からなんば線に改称するのは史実通りだろうが、史実よりはやや地味な路線になっている。
  3. 阪神1000系のコンセプトは全く異なるものになっていた。
  4. 阪神9000系の塗装変更は無かった。
  5. 山陽電鉄の車両が難波に来ていたかもしれない。

関連項目