国鉄の電車
2019年4月25日 (木) 21:14時点における>てつはうによる版 (→301系)
独立済み
主な車両
旧型
42系
- 1933年製なのに、21世紀まで70年近く定期営業運転で残っていた。
- 初めは京阪神の急行(優等列車ではなく、現在の快速・新快速に相当)用に投入された。紆余曲折の末、晩年は小野田線の本山支線で運用。
52系
- 戦前に登場した流線型電車。
- 末期は飯田線で活躍していた。
- 青15号に黄かん色というスカ色の外側の色と湘南色の帯色の塗装が存在していた。
70系
- 横須賀線を中心に投入された湘南顔電車。
- 末期は赤と黄色のツートンで新潟で活躍したり黄緑とクリーム色のツートンで阪和線で活躍したりしていた。
- 茶色一色の編成もあった。
- 茶坊主のアダ名があった。
- 茶色一色の編成もあった。
- 保存車が1両もない。
- 1952~57年に製造されたが81年に全廃。
- 京阪神緩行線では103系投入まで主力形式だった。
63系・72系
- 国鉄のみならず、通勤電車の礎を築いた車両。
- 下駄履きで気軽に乗れる電車の意味で「ゲタ電」と呼ばれた。
- 国鉄以外にも多くの私鉄に割り当てられた(小田急1800系・東武7300系など)。その多くは車体更新を受けて1980年代まで活躍していた。
- 中には標準軌に改造された車両もある。
- 当時南海以外は駅設備を大改造しなければならないほど巨大だったため、早々に手放す(名鉄)入線を断念(近鉄名古屋線)したケースも。
- 導入に当たって中小型車両を手放すという条件がつけられたのだが、車両状態は東急はきれい東武はごみ同然だったりした模様。
- 阪急は他線転用が不可能、西武は供出自体を嫌がったため63系は入線していない。(西武は後に払い下げを受ける)
- 導入に当たって中小型車両を手放すという条件がつけられたのだが、車両状態は東急はきれい東武はごみ同然だったりした模様。
- 改造車も含めて、民営化後も定期営業運転があった。
- 中には荷物車に改造されていたのに、民営化後に改めて旅客車に改造して定期営業運転に使われた車両もあった。
- 事業用車に改造されていたモハ63638が原形に復元され、名古屋のリニア・鉄道館にて展示されている。
- そのため国電区間があった東京でも大阪でもなく名古屋に展示されているという。
- 初期車は戦争末期に作られたもので天井板や座席の背摺りがない。酷いものでは12人分の座席しかない車両もあった。
- 国鉄時代に103系と同様の車体に載せ替えた車両が仙石線を走っていた。
- 実は戦前型国電(2ドア、3ドア車)からの編入車が存在した。
- 3ドア車からの編入は無かった筈。
- 1両だけデュアルシートに改造された車両がある。
- 便所を設置した車両もあった。
- 戦時中に製造が開始されたが、終戦時時点で実際に走っていたのは電装品すらなかったタイプ含めて20両足らず。
- 63系は桜木町駅で燃えた。
80系
- 元祖湘南電車。
- 初期製造分は湘南顔ではなく窓が三つの前面だった。
- 後期に製造された分は窓が大きくなった。
- 側面もノーシル・ノーヘッダーとなった。
- 湘南顔の初期車の中にはブドウ色とクリーム色のツートンカラー(関西急電色)をまとっていた。
- 最後は飯田線で活躍した。
- その残党が大井川鉄道にいる。
- 2次車以降の流線型で前面2枚窓というスタイルは「湘南型」と呼ばれ1950~60年代に登場した私鉄の車両に大きな影響を与えた。
- 現在は3枚窓のクハ86001が京都鉄道博物館で保存されている一方、湘南型と言われる流線型前面2枚窓の車両は1両も保存されていない…。80系と言えば後者なのに。
- 先頭車が流線型2枚窓は全金属製の新製車両。これを模した売店が藤沢駅にある。
- 現在は3枚窓のクハ86001が京都鉄道博物館で保存されている一方、湘南型と言われる流線型前面2枚窓の車両は1両も保存されていない…。80系と言えば後者なのに。
- 窓周りオレンジでその上下が緑という「湘南色」をまとっていたがオレンジの色味は後続の113系等と比べると赤みが濃かった。
- あれは静岡のお茶とみかんをイメージしたらしい。
- 実際はアメリカの鉄道の車両写真を見た国鉄の担当者の気に入ったから。
- 初期案ではオレンジ部分は柿色で、サビ止め塗料と揶揄された。
- あれは静岡のお茶とみかんをイメージしたらしい。
通勤形
101系
- 国鉄初の新性能電車というが、抵抗制御なので今では「新」とは言えない。
- 電装品を分散搭載した(MM'構成をとった)ことから来る名称なので、最近の車両もその概念を踏襲しているといえなくもない。
- ちなみに、最初は全M(全ての車両がモーター付)で中央線を爆走する予定で「高性能電車」と謳うことになっていたが、新宿の変電所の能力が足りないことが分かったので、付随車を追加して性能を落とし、「新性能電車」と名乗ることにしたという話。
- これについては異説あり。Wikipediaの項目を参照のこと。
- 初期型クハ・サハの電動台車やパンタ台が夢の跡を物語る。
- 出力の関係上MT比1:1での走行が不可能らしい。だがグリーンマックスの4両編成キットは2M2Tになっている。
- 所詮鉄道模型なんで見逃してやってくだせぇ。
- 意外に関西では早々と廃車になり、JRで最後に活躍したのは南武支線。
- 上記の理由から失敗作扱いされているが、実は国鉄で4番目に多く作られた車両である。
- ノーシルノーヘッダーのすっきりした車体が特徴。
- ついでに雨樋まで取り除かれている。
- 実は103系が登場した後も増備が続いていた。最終新造は1968年製。
- 1980年代にはガンガン廃車が進んでいったが、一応新性能車なので事業用車新性能化のための改造種車になったり、部品が他の新造車両に流用されたりした。
- 車両不足を補うためにクハやサハが103系に編入されたものがいた。
- 製造当初は運転室の後ろに大きな窓があったが、後に窓の大きさが縮小されてしまった。
105系
- 広島地区のつりかけ式電車置き換えのために製造された。
- 最初に投入されたのは福塩線と宇部・小野田線だが両者では塗装が異なっていた(福塩線が黄色に青帯・宇部・小野田線がオレンジ一色)。
- 千代田線から追い出された編成がある。
- 何気に常磐線の快速に転用された車よりも長生きしている。
- それどころか203系よりも長生きだぜ!
- こいつのN40車も存在する。
- N40じゃなくて体質改善30N車。ちなみに新製車両のみ施行されていて、103系1000番台からの改造車は対象外。
- 103系改造のものはN40延命工事施工車(っぽい)のがいるぞ。
- N40じゃなくて体質改善30N車。ちなみに新製車両のみ施行されていて、103系1000番台からの改造車は対象外。
- 何気に常磐線の快速に転用された車よりも長生きしている。
- ノーマルな103系から改造されたクハがいる。
- 103系顔の車両は消滅したが、ノーマル103系からの改造車は残存している。
- 事故廃車の補充としてノーマル103系の中間車に1000番台顔をつけて105系にしたものがいる。[1]
- クハ104-551がそれ。運転台は事故廃車になった車両のものを再利用した。
- 仙石線にも仲間がいたが(600番代車)、広島や奈良の105系より早くに廃車された。
- 改造種車が103系初期型であったことと103系と編成が異なるため、運用が制限されてしまうかららしい。それと元々は石巻 - 矢本間の普通列車用として登場したが快速に内包されたため、持て余したらしい。
- 昔は久里浜駅と新秋津駅には105系の訓練車があった。
- 久里浜には脇に「YOKOHAMA」とか書いてある209系みたいなのが止まってる。多分アレが今の訓練車。
- もともと近畿地区の105系は全て103系の改造車だったが、現在紀勢本線の紀伊田辺~新宮間で運用されているのは当初から105系として新製された車両。もともと広島・山口地区で運用されていた車両をリニューアルの上転用した。
- 発車時は、「ズガン!!」・・・衝撃が凄まじい。
- 後述の119系もそうだが、もともと8個直列起動が前提(端子電圧375V)の主電動機を4個直列で使うところに無理があるんである(私鉄ではフツー、巻き線の巻きなおしで端子電圧を変えるのだが、それをやらないのが国鉄クォリティ)。
- 和歌山線や桜井線で活躍する4ドア編成はトイレがついているのだが、何せオールロングシートに後付けされたのでもれなくトイレに入った人と「ごた~いめ~ん」してしまうトラップあり。そしてトイレじゃない方にも冷房が同じ感じに載っかってるので間違えてそっち行って「トイレないじゃん!」と慌てるトラップもあり。
- それを防ぐためにキハ35ではトイレの前だけボックスシートになっていた。
- トイレの前にロングシートと言えば近鉄でも存在する。
- 東武にも存在していた(6000系)。
- 0番台が登場した当初は中間車を組み込んだ4両固定編成が存在したが、中間車はすぐに先頭車化された。
- JR西日本の103系は全て戸袋窓が埋められているが、なぜか105系は103系改造車も戸袋窓が存置されている車両の方が多い。
- 桜井・和歌山線の105系は103系1000番台として生まれて以来50年近く生き続けていたが、ついに227系に置き換え決定。
- 一方、國鐵廣島では103系からの改造車は言うまでも無く、比較的状態の良い新製車にまで退場が宣告された。
207系
- 常磐線(各駅停車)用に1本だけ導入された。
- ちなみに、福知山線やJR東西線などを走っている車両とはまったくの別物である。
- あんな×××××な車両と一緒にするな…
- 鉄道ファン誌の一部記事ではJR東日本・JR西日本の207系は同一系列として取り扱っている。
このためJR西日本の207系も国鉄型車両の一部として取り扱われ、毎年残存率が5000%近くで計上される。- いつも思ってたんだが、国鉄207系とJR207系に形式番号以外のなんのつながりがある?
- 私鉄だと、外観はともかく中身が207系の各々より違っても、同一形式を名乗ってる例はいくらでもある。それらをひとくくりに計算するのと同じ事。
- 国鉄(JR東日本)とJR西日本の207系の共通点…軽量ステンレス・20m級4ドア車体、VVVFインバータ制御。まあ分割民営化後は車両の遠距離転配が殆どなくなって、更に東日本の207系は900番台だったから、同じ形式番号にしても問題はない、と見たんだろう。
- 台車構造やギア比も同じである。
- いつも思ってたんだが、国鉄207系とJR207系に形式番号以外のなんのつながりがある?
- 鉄道ファン誌の一部記事ではJR東日本・JR西日本の207系は同一系列として取り扱っている。
- あんな×××××な車両と一緒にするな…
- これにあたると結構運がよいらしい。
- 結構というか相当です。
- 営団06系とは1編成しかいない仲間。
- ちなみに、福知山線やJR東西線などを走っている車両とはまったくの別物である。
- 音が大阪の地下鉄にそっくり。
- VVVF車だがE233系導入で廃車になるらしい。
- しかも203系よりも先に、と言う噂・・・。
- 205系(5000番台)と同じVVVF装置に更新する話があったものの、ボツになった模様。
- 余ってる界磁添加励磁装置に載せ変えて、他線の増発用に使えばいいのに…
- どうも簡単に機器乗せ換えでおk、というわけにはいかないらしい。できたらすでに203系と同じモーターに乗せ換え、制御装置も界磁添加励磁制御に改造していたはず。
- 203系のMT60は電機子チョッパ制御用で電流量制御に特化している為、電圧制御の界磁添加励磁制御には向かない。
- 何か南海旧8000系みたいだな…。(向こうも1編成のみの試作車だった)
- どうも簡単に機器乗せ換えでおk、というわけにはいかないらしい。できたらすでに203系と同じモーターに乗せ換え、制御装置も界磁添加励磁制御に改造していたはず。
- 余ってる界磁添加励磁装置に載せ変えて、他線の増発用に使えばいいのに…
- ついに、長野総合車両センターに廃車回送されてしまったらしい。まさか201・203系よりも先に廃車されるとは、本人も思っていなかっただろう。
- 試作車の場合、量産されなかった部品が使われていて、修理部品が確保できないために早期廃車するというのはよくある話。
- 民営化直前の鉄道ファンでは地下鉄東西線乗り入れ用に増備(量産化)されるかも、と予測されていたが、別の東西線の乗り入れ用に量産化された。
- 目立たないが、前面に貫通扉がある。
- まぁ、貫通扉がないと地下鉄に乗り入れできないからねぇ。
301系
- 国鉄初のアルミ車両だが、高くて量産されなかった。
- その後の増備や他線への投入は、103系(普通鋼車体・コイルバネ台車)の地下鉄乗り入れ仕様車で、お茶を濁した。
- 国鉄通勤車初のユニット窓車だったりする。
- アルミの加工が難しくて、車体外板を窓枠兼用(非ユニット窓)に作れなかった。
- 当時、アルミ車の製造技術を持つメーカーが、川崎車輌と日本車輌の2社しかなくて、量産効果を上げられなかったことも、コスト高の原因のひとつ。
- この経験からか、晩年の国鉄は、205系をはじめとしたステンレス製の新型車両の調達コストを少しでも下げるため、国内ステンレス車製造をほぼ独占していた東急車両に製造技術を開示させるという、強引な手を使った。
- 一部の編成は屋根が白かった。
- 登場時はアルミ地肌に腐食防止に分厚くクリア塗料塗ってたが、灰色塗料塗った。
- 屋根を白くしていたのはK3編成のことで、AU712形冷房装置のマイコンを夏場の熱でやられるのを防ぐため、スペースシャトル用にNASAが開発した耐熱塗料を塗っていたが、塗料代が高かったので他編成に波及しなかった。
- この編成の方向幕一覧に「パナウェーブ」・「スカラー波」と落書きされていたそうで、某掲示板では「パナウェーブ編成」と不名誉なニックネームを付けられていた。
- ソウルの地下鉄の古い電車は恐らくこれのデッドコピーらしい。
- 普通鋼製でコイルバネ台車なのでどっちかというと103系に近いかも。
- 引退の時さよなら運転で高尾まで行った。
- 日立名物「A-train」のルーツがこれ。
- 日立は301系作っていない。
- 登場から引退までずっと東西線直通に生きる人生だった。
- 非冷房の時代が長く、冷房改造受けたのは晩年になってから。
- 冷房装置は、アルミ車体の改造が難しいのと、コスト削減のために、分散式のAU712形を各車に2基搭載。
- ただ夏場になると、外側に設置されてるマイコンが高温でやられて、不調になることが多かった。
- 冷房装置は、アルミ車体の改造が難しいのと、コスト削減のために、分散式のAU712形を各車に2基搭載。
- 非冷房の時代が長く、冷房改造受けたのは晩年になってから。
- 同じ形式の車両が西武鉄道にいたりする。
- 大宮に1両だけ残ってる。
- 2017年に解体。これで現存車はゼロに。
- 空気バネ台車装備だった。
- 103系1200番台と混結した10連(5+5編成)は性能差と乗り心地の差で営団乗務員から不評だったそうな。
- 営団5000形アルミ車とは、構体構造と使用形材が同じだったりする。
- 洗車しやすいように、雨樋が高い位置に設置されていた。
- のちに登場した201系は、301系と同じ高さで雨樋を設置している。
- 前面右上にある表示器の役割が、コーポレートマークを表示するだけというのは解せない。
- 国鉄時代にはJNRマークを提出していたが、表示器の寸法の都合で、左右がどん詰まりなったデザインだった。
- その後増備された103系1000・1200番台では、従来の103系と同じレイアウトに戻され、JNRマークは左上へ塗料で直接書かれた。
- 国鉄時代にはJNRマークを提出していたが、表示器の寸法の都合で、左右がどん詰まりなったデザインだった。
近郊形
119系
- 簡単に言えば105系のセミクロスシート版で飯田線の主。
- 飯田線の約8割はこれを使う。残りは313系or東から出張してくる115系。
- 「するがシャトル」として東海道線でも走っていたが、119系にとって駅間が長い東海道線の運用はかなり酷だったらしい。
- 東海道線には冷房改造施して投入された。しかし119系は、もともとの設計が駅間距離短くて高速で走らない飯田線専用。駅間距離が長く、高速運転強いられる東海道線では、駅に着いたと思ったら発車!みたいなことが当たり前だった。
- ロングランがやたらと多い。
- 2~3時間のロングランは当たり前、6~7時間かかる列車に使用されることも。
- 大まかに分けるとワンマン非対応車・ワンマン対応車・1両編成車の3種類に分けられる。
- このうち、1両編成車はトイレなし。豊橋口の区間運用が中心だが、たまに中部区間にも入ってくる。
- 鉄子の旅ご一行も運悪く中部区間で1両編成に遭遇。
- 1両編成車はワンマン非対応。1両こそワンマン対応すべきだったはずだと思う…。
- 鉄子の旅ご一行も運悪く中部区間で1両編成に遭遇。
- 両運転台車は全て片運転台車の連結面側に運転台を増設する改造を行った車両。
- このうち、1両編成車はトイレなし。豊橋口の区間運用が中心だが、たまに中部区間にも入ってくる。
- 313系大量導入で数年以内に絶滅するらしい。
- 最近、名古屋地区の東海道線にも回送電車としてたまに登場する。
- 所属は飯田線からずっと離れた大垣。
- それも引退する前から213系に代わっていた。
- 他社譲渡の噂があるみたい。
- 譲渡先はえちぜん鉄道と判明。もはや別物と言っていいほど徹底的に改造されている。
- 改造は尼崎にある阪神車両エンジニアリングで行われたとか。阪神の尼崎車庫でこいつが目撃されたことがある。
- 譲渡先はえちぜん鉄道と判明。もはや別物と言っていいほど徹底的に改造されている。
- この車両の幕に入っていた行き先は、213系や313系3000番台のみならず、311系や313系0番台などにも引き継がれた。
- 実はこいつも廃品使用車両。
- クハ118の台車は101系の廃車発生品であるDT21Tだった。
- 民営化前は辰野線の辰野~塩尻間でも活躍をしていた。
- 登場時の塗装が筑肥線の103系と瓜二つ。
- 帯色が違う。119系は灰色で筑肥線の103系はクリーム色だ。
- ついでに言うと前面窓の周りの色も違っていた(119系が黒で103系1500番代はクリーム色)。筑肥線の方も後に塗装変更で黒になったが。
- 帯色が違う。119系は灰色で筑肥線の103系はクリーム色だ。
- 全車日本車両製。地元豊川で生まれ飯田線で一生を終えた生粋の地元っ子。
- 旧国を駆逐する存在だったので登場時は鉄オタから嫌われていた。
- 帯が剥がされるなどのいたずらを受けていた。
121系
- JR四国予讃線高松口の主力車両。
- 見た目は205系と似ている。
- 登場時は、京葉線と同じ色の赤帯だったが、JR化後に青帯に変わった。
- もともとその赤帯は121系しか使われず、京葉線で採用されたのは1990年から。
- 登場時は、京葉線と同じ色の赤帯だったが、JR化後に青帯に変わった。
- 国鉄末期の車両で、性能や乗り心地はお世辞にも良いとはいえない。
- 鉄道ファンからの評価は非常に低い。
- 113系検査時の代走運用で当たったりしたら・・・。
- せめて転換クロスシートに改造してくんねーかな・・・・・・。
- 113系検査時の代走運用で当たったりしたら・・・。
- そりゃ105系4ドア車のような下回りだからな。なんせクハの台車は101系のものだったし
- しかもトイレがない。
- その上、ワンマン改造されようと
魔改造VVVF化されて形式が変わろうとトイレ問題だけは放置のまま
- その上、ワンマン改造されようと
- 当時流行りだった界磁添加励磁制御ではなく、ただの抵抗制御。
- 普通に213系か、211系の車体を乗せた車両でよかったのに、なんでこんな中途半端な車両造ったんだか…。
- 当時、山手線の新車計画すら許可が下りない時代に「民営化後の四国の国鉄にボロを押し付けない」という大義名分のもとに製造されたという面もある。キハ185、キハ32も同様の理由。
- 鉄道ファンからの評価は非常に低い。
- 2010年の時点でいまだにワンマン運転に対応していない。
- 予讃線高松-多度津間でワンマン運転開始が遅かったのはこれが原因かもしれない。
- 最近になって改造車が登場。色が登場時の塗装に戻されワンマン対応になったらしい。
- 側窓が一枚上昇式だった関係で登場当初側面に幕がなかった。正面幕も手回し。最近になってLED行先表示がついた。
- 207系900番台+211系+103系/3=121系
- 2016年2月にリフレッシュ工事が終わった第三編成は、VVVF制御に改造され、台車も川崎重工が開発したefWINGに交換。
- さらに形式も7200系となった。
123系
- 国鉄の財政状況の厳しい中で、地方路線の旧型車を置き換えるために単行可能な荷物車などから改造された。
- 101系から事業用者に改造された後、もう一度旅客化改造を受けた車両もいる。
- 民営化後に改造された車両もいる。
- あまりにも改造経験が多く、銘板が何個も付いている車両多数。
- 同じ形式でも、改造したところによって形態はばらばら。やっつけ仕事レベルのところも。
- クモハ123-4や123-45など珍しい番号の車両がある。
- 前者は偶然であるが、後者は遊び心で番台区分されたものだが、冷房改造&貫通路設置で5145に改番されていたな。
- 東日本にも1両だけ在籍中。
- 別名「ミニエコー」。辰野と塩尻を行ったり来たり。
- そして意外にもこいつが123系のトップナンバーだったりする。
- 2013春の改正で引退することになってしまった。
- のんのんびよりのエンドカードにもなった。
- 仕切りの無いロングシートがドアからドアまで一直線になっている。落ち着かない。
- これこそ本当の「ロングシート」である。
- 吊り掛けver.もあった。
- クモハ84のこと?そういえばあれも荷物電車改造だったな。
- 主に地方で使われているが、一時期阪和線(羽衣線)で使われていたこともある。そのため大阪近郊でも見ることができた。
- ただ混雑するからか、ほどなく103系3連に戻された。
- ラッシュ時は積み残しを防ぐためか、なんと103系の先頭車(非冷房)を連結していた。
- 実際は前述のクモハ84を置き換えるために捻出するため。
- 宇野線に転属してクモハ84を置き換えた後、廣嶋に転属して、今度はクモハ42を置き換えた。これにより旧型国電の定期営業運転は遂に終了。
- ドア配置が元のままでかなりのやっつけ仕事。廣嶋に転属したときにドア配置を改造したがやっぱり変。
213系
- 211系のクロスシートバージョン。
- 211にもセミクロスあるけどね。
- マジレスすると1M仕様。
- と思ったら211系にも1M車は存在している。区別がよくわからん…
- ドアの数が一番の違い、211は3ドア、213は2ドア。ここに例外がいたけど。
- 実は総武快速・横須賀線にも電動車だけ213系を導入する予定だった。211系に組み込む関係で3ドアで計画されていたが、実現しなかった。
- と思ったら211系にも1M車は存在している。区別がよくわからん…
- 313系と連結されるとだれも213系側に乗りたがらない。
- 東海のやつはトイレがない。
- 以前関西本線の亀山→名古屋で乗ったことがあるが、転換クロスシートがついているのに肝心のトイレがないという奇妙な車両だったのを覚えている。しかも運転本数が少ないのでトイレのために降りると30分以上待つ羽目になる。
- おそらく東海で一番の足手まとい。どうして作ったのだろう・・・
- 青帯のそれを浜松で初めて見たときは「おおっ、未来の電車!」と乗っている乗客がうらやましかったのだが。(113系の窓から)
- それは211系では?
- 東海のやつはトイレがない。
- 西日本のは快速<マリンライナー>充当で瀬戸大橋渡ってた。クロ212は45度ずつ座席を回転させられる機構がついてる。
- <スーパーサルーンゆめじ>という全車グリーン車もいる。
- 形式上は211系ですよ。
- クロ213は潮風で錆びて一足先にお役御免になってしまった。
- 廃車になりました。合掌。
- 一両だけが生き延びて、223系と併結して試験車「U@tech」になった。
- 短命で消えた車両だが、前面のデザインはアーバンネットワークで一世を風靡した221系に引き継がれた。
- <スーパーサルーンゆめじ>という全車グリーン車もいる。
- この車両のルーツは横須賀・総武線仕様の211系の開発
- そのコンセプトは関西の221系や211系6000番台で実現した。
- この車両が国鉄最後の形式となった。
- 東海車は飯田線に送ることになったらしい。
- で、さすがにトイレ無しのまま送るのはまずいと判断されたのか、最近になってトイレを設置した編成が登場。
- でも、トイレの設置位置が他の車両とは何故か逆。
- で、さすがにトイレ無しのまま送るのはまずいと判断されたのか、最近になってトイレを設置した編成が登場。
- JR東海静岡支社所属の211系6000番台は213系になる予定だった。
- 西日本の213系は瀬戸大橋線運用から撤退後、赤穂・伯備線運用になり兵庫県に進出。だが、伯備線方面は鳥取県には入らず手前の新見まで。
- 2016年に1編成が岡山地区の観光列車「ラ・マル・ド・ボァ」に改造された。
- 改造後はグリーン車扱いになったので、213系のグリーン車が復活することに。
413系
- 急行型のうち古くなっていた471・473・475系の車体を、417系などと同じ近郊型の車体に載せ替えた車両。
- 兄弟は717系。
- 107系も同じような経緯の車両。
- 475系から改造する計画もあったが、車体を載せ替えずに延命する方針にしたため、実現しなかった。
- 改造コストが思った以上にかかったためらしい。
- そのためか、2本はクハ455を連結している。
- しかも両方ともサハ455の先頭車化改造車。
- 国鉄末期の本当に短い期間だけ、塗装がワインレッドに白帯だったことがあった。
- 419系なども同じ色だったが、この車両が一番その塗装だった期間が短い。
- 実は417系より後に登場している。
- 403系が413系に形式変更する計画があったが、実現しなかったため、空き形式となっていた413系に割り当てられた。
- 401・421系も411系に形式変更する計画だったが、こちらも実現せず、こちらは現在に至るまで空き形式となっている。415系のクハ・サハが「411」を名乗っているのはその名残り。
- 403系が413系に形式変更する計画があったが、実現しなかったため、空き形式となっていた413系に割り当てられた。
- JRになってからも製造(というか改造)が続き、さらに一両も廃車になっていないため、毎年恒例の鉄道ファンに掲載される国鉄型車両の残存率が100パーセントを超えている。
- 北陸新幹線開業後も三セクに譲渡されて生き残るのではないかと噂されている。
- 生き残るどころかラッシュの救世主になってしまった。
- 「とやま絵巻」なるプチ観光列車も登場。さらにもう1編成観光列車にするらしい。
- しかしこの2編成以外は廃車になるようだ。
- JRに残った編成は七尾線で活躍中。色は勿論あk(ry
- 生き残るどころかラッシュの救世主になってしまった。
417系
- 415系を寒冷地で使えるようにしたもの。
- コストがかさんで結局レアものに。
- 秋田や金沢にも配置される予定だったが、実現しなかった。
- 阿武隈急行で第2の人生を送ることになった。
- 2008年に走り出して2016年に引退しますた。
- が、2018年2月時点ではまだ解体されてないらしい。
- 2008年に走り出して2016年に引退しますた。
- 登場時は非冷房だったが、冷房準備工事がされていたため、冷房改造は容易に行えた。
- 晩年は半自動ドアスイッチが取り付けられた。
- 結局直流区間には一度も入らずに阿武隈急行行きに。
- 一応試運転では直流区間を自走したことがあるらしい。
- 国鉄時代から黒磯駅の交直切り替えが地上方式じゃなかったら本来の性能を発揮していたのだろう。
- 直流対応だったため、以前は幕に宇都宮線区間の行き先も入っていたようだ。
- 準特急車時代の小田急2320形とどことなく似ている気がする。
- 富士急行5000系も。
- キハ40系の電車版とも言える車両。
- 1編成が訓練車として岩切に残っている。
713系
- 交流版417系。
- こちらはさらに悲しいことに試作の900番台のみで終わってしまった。
- 一応この車両で採用された設計はJR化後の車両で生かされている。
- 実は鹿児島本線用に量産化される計画があったらしい。量産車はフルモデルチェンジしたものが投入される予定だったが、583系と急行型の格下げでなかったことに。
- 量産車はステンレス車体を採用する予定だった。台車もボルスタレスのDT50・TR235になったのでは。
- 実現していたら719系みたいなのができていたのだろうか。
- 量産車はステンレス車体を採用する予定だった。台車もボルスタレスのDT50・TR235になったのでは。
- しかし、まさかの0番台化。
- 全車0番台化されました。
- こちらはさらに悲しいことに試作の900番台のみで終わってしまった。
- 元は国鉄標準のクリームと緑の塗装だったが、赤が大好きなJR九州によって例に漏れず真っ赤な塗装に…
- ついでに車内も超カラフルな塗装になった。
- しかも、座席はリクライニングシートという普通電車用車両としては超破格。
- 元々はセミクロスシートだったが、宮崎空港線開業時に485系のシートが取り付けられた。
- ついでに車内も超カラフルな塗装になった。
- この車両で初採用されたMT61というモータは205系や211系などにも採用され、民営化後も各社で幅広く採用されている。
- 民営化の前後に登場した界磁添加励磁制御車のほとんどがこの機種を採用している。
- 更に、713の歯車比は205系と同じ6.07である。なので音が205系そのまんま。
- 実はステンレス車体、空気ばねで計画されていた。
- ほぼ宮崎県限定。
- 2ドアで嫌われたため宮崎送りに。
717系
- 交流版415系。
- 他の国鉄型普通電車とともに東北地区からいなくなった。
- どちらかと言うと交流版413系のような気もするが。
- 900番代車と200番代車は九州にいる。457系・475系からの改造だが。
- 900番台は457系そのままの車体だが、3ドア化した魔改造だった。
- 交流専用なのに、機器は直交流電車と同じように走る変電所である。
- 車体経年は浅いが、機器が古いため、廃車が早かった。
- 仙台地区では既に全滅。九州地区でも713系より若いながらも廃車になった車両も現れている。
- 九州の方もまもなく絶滅…。
- 絶滅いたしました。
- 九州の方もまもなく絶滅…。
- 仙台地区では既に全滅。九州地区でも713系より若いながらも廃車になった車両も現れている。
- 仙台地区用は417系とは異なり、最後まで手で開けていた車両だった(半自動ドアスイッチは取り付けられなかった)。
- 仙台地区用は種車に抑速ブレーキがなかったため、常磐線でしか使われなかった。
事業用
141系・143系・145系・147系
- 車両基地にいるあいつ。
- 新幹線(東北新幹線)を自走できるように改造された編成がいる。
- クモヤ793のことですね。わかります。
- 実際は本来の目的に使用されることはなかった。新幹線特有の制約が多くて扱いづらい存在だった。
- 719系5000番代の検査も所属している車両基地で行うことになったから。元々は新幹線総合車両センターで行う予定だった。
- クモヤ793のことですね。わかります。
- 工場から車両基地へ車両部品(クーラーとかホロ)輸送を手がける車両もいたんだがトラック輸送に取って代わられて廃車。
- 101系からの改造車が多い。
- 141系と143系は完全新造。
193系
- 直流電化線区用の電気検測車。
- オリジナル車と495系からの編入車があった。
- 後者は改造後しばらくは交直流色のままだったが、後に直流色に変更された。
- オリジナル車はTOMIXで製品化されている。
- 元々はレールクリーニング車だった。
- 車輪はヤスリ状になっていてレールを磨いていた。
- 後継製品である独自のレールクリーニングカーが発売されたことを受けて絶版になりかけたが、一転してレールクリーニング機能をなくした上で存続した。
- レールクリーニング車塗装じゃない2種発売→レールクリーニング車を絶版にしてレールクリーニング機構の無い製品をリニューアルして再発売じゃなかったっけ?
- 元々はレールクリーニング車だった。
443系
- 交直流対応の電気検測車。
- JR東日本とJR西日本に継承された。
- JR東日本のものはEast-iに置き換えられたが、JR西日本のものは今なお現役。
- キヤ141系では対応できないから辛うじて生き残っている。
- 2016年には機器更新された。
- JR東日本のものはEast-iに置き換えられたが、JR西日本のものは今なお現役。
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