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*具体化するために、他の人に協力してもらいたい記事を書き込んで見ましょう。
{{Pathnav|もしあの鉄道路線が別の年に開業していたら|name=近畿}}
**例としては、まだ形になっていない記事、他と重複していそうな記事、テーマしか思いつかなかった記事などです。


==案内==
==JR==
*編集の練習がしたい方は、[[Chakuwiki:サンドボックス|サンドボックス]]へどうぞ。
===湖西線===
*Chakuwikiの編集方法やルールがよく分からない方は[[Chakuwiki:インフォメーション|インフォメーション]]、[[Chakuwiki:About|チャクウィキについて]]、[[Chakuwiki:注意事項|独自ルールについて]]、[[Chakuwiki:チャクウィキは何ではないか|チャクウィキは何ではないか]]、[[Chakuwiki:Help|ヘルプ]]などを参照してください。
;1930年代
**それでも分からないことがあれば[[Chakuwiki:相談所|相談所]]へどうぞ。
#江若鉄道は存在しなかったか、湖西線開通の時点で国に買収されていた。
*提案する事柄によっては[[Chakuwiki:借井戸|借井戸]]に投稿してみた方が良いかもしれません。
#現実よりも地上区間が多くなっている。
*ベタなキャラクターの法則については、[[ベタなキャラクターの法則/研究実験室]]をご利用ください。
#*踏切も存在していた。
#当初は非電化単線として開通し、1960年代の高度成長期に電化や複線化が行われている。
#*それと同時に大幅な線形改良も行われた。
#*それでも現実ほど高速運転はできない。
#開業当初は近江塩津ではなく木ノ本で北陸本線に接続していた。
#*当時は北陸本線が深坂トンネルではなく柳ヶ瀬ルートだったため。
#山科~大津京は浜大津経由だったかも。
#*もし当初から現在のルートで建設された場合、浜大津は早くに衰退していた。
#*山科ではなく大津分岐だった可能性もある。
#**その場合西大津駅が大津京駅に改称されることはなかっただろう(大津駅と紛らわしくなるため)。
#***そもそも湖西線の駅も「皇子山」を名乗っていたと思われる。
#急行「きたぐに」は湖西線経由で運行されていた。
#それでも若江線(琵琶湖若狭湾快速鉄道)が鉄道として開業できたかどうかは微妙。


==用法==
;1990年代
*書式は[[Chakuwiki:編集の仕方]]などを参照してください。
#智頭急行や北越急行と同じく、JRではなく第三セクター会社での建設となっていた。
**問題投稿には通常の項目と同様に対応します。
#*社名は「湖西急行」か?
#お題の新設
#*運賃も現実より高額となっている。
#*必ず、冒頭部分にどういう理由でここに投稿したのか書いてください。
#*681・683系や223系にこの三セク所有の車両が存在していた。
#**理由がない場合は協力を求めていないと見なし削除します。
#それでも大都市京都や大阪に近いことから、三セクとしては優等生ともいえる経営状況だったに違いない。
#**理由は「どこに投稿したらいいのか分からない」など簡単なもので構いません。
#三セクの会社には京阪や西武が出資していただろう。
#*内容があれば議論のみでのお題新設も可能です。
#各駅停車は全列車が京都止まりになっていた。
#*長くなったお題は、サブページ(バカの卵/○○○)に移されます。
#*流石に快速や新快速は京都以西に乗り入れている。
#議論の投稿
#永原-近江塩津間は北陸本線ともども開業時に直流電化になっていた。
#*議論では、最初に投稿理由を書く際も含めて署名を忘れないでください。
#江若鉄道の廃止は史実よりも遅く1970~1980年代だった。
#**半角チルダ4つ(<nowiki>~~~~</nowiki>)を書いておくと、編集終了したときの日付時間と、自分の名前(登録していないユーザーはIPアドレス)が表示されます。
#*土佐電安芸線のごとく廃止されたにもかかわらず後継路線の開業が大幅に遅れるという悲劇もあり得た。
#**詳しくは、[[Chakuwiki:署名]]もご覧下さい。
#貨物列車の走行に対応出来なかったかもしれない。
#下書きへの投稿
#*基本的に一般の項目と同様に投稿してください。
#*趣旨が違うと思った場合、お題の設置者は下書きを差し戻しても構いません。
#項目の新設・記事の移動
#*投稿しても問題ない記事や適切な投稿場所が分かる記事は移動・新設されます。
#**この際には下書き部分にどこへ移設したか署名とともに書き込んでください。また移設先にも、編集内容の要約にバカの卵より移動した旨を書き込んでください。


<!--==例文==
===大阪環状線===
#「例文」という項目が作りたいのですがどうでしょう?。--いろは2009年11月13日 (金) 21:48 (JST)  
;明治~大正期
#*下書きを見るかぎり、主観や噂が入り込む余地がありません。--CDE2009年11月14日 (土) 6:14 (JST)
#東京の山手線の場合と同じく、私鉄は大阪環状線の駅をターミナルとして郊外に延びるようになっていた。
#*大阪環状線の内側は大阪市交通局の市電・地下鉄の独占状態となっていた。
#**戦後に開業した地下鉄路線は私鉄との直通を前提に建設されていた。その結果多くの路線が架線集電式となっていた。
#***[[大阪市高速電気軌道千日前線|地下鉄千日前線]]は阪神と近鉄が乗り入れる路線として建設され、その結果[[阪神なんば線]]は存在しなかった。
#***[[大阪市高速電気軌道四つ橋線|四つ橋線]]も南海が直通していたことから、なにわ筋線はJRだけが乗り入れる路線となっていた。
#****戦前に建設が始まった大国町-玉出間は四つ橋線とはならず、御堂筋線の支線扱いになっていたが、平成になってからやっと「西成線」という線名が名付けられる。
#*[[京橋 (大阪)|京橋]]や[[鶴橋]]・新今宮が東京における[[渋谷]]・[[新宿]]・[[池袋]]のようなターミナル繁華街として発展していた。
#**[[心斎橋]]~[[難波]]は東京で言う[[銀座]]みたいな感じになっている。
#*経営者の性質からしてそこまで変わったような気がしない。
#現実より高架区間が短く地平区間が長かった。
#*戦後復興期もしくは昭和30年代に連続立体交差化され、史実とほぼ同じようになる。
#史実の戦後開業区間では舟運にかなり悪影響があった。
#大阪市の市域拡張も史実より早く、明治末期もしくは大正初期の頃には東成郡・西成郡の全域が大阪市に編入されていた。


===下書き===
;昭和初期
#例1
#開業時は「「大大阪」にふさわしく環状線もできた」と大騒ぎだった。
#ex.2
#*当時の観光ポスターなどにも環状線がデザインされたものが多い。
#*e.g.3
#*大大阪地下鉄行進曲のように、「大大阪環状線行進曲」といった開業記念の歌が制作されていたかもしれない。
-->
#大正あたりからも貨物線が延びている。
==アーカイブ==
#船舶への配慮として安治川をまたぐ部分が地下だったかもしれない。
*[[Chakuwiki:バカの卵/2009-2010|/2009-2010]]
#芦原町駅を通っていた可能性もある。
#大阪市西部が空襲に遭った際この路線の高架などのおかげで助かった人がいた。
#戦後の高度成長期までに複々線化される。
#*[[関西本線]]の気動車が大阪駅に乗り入れていた。
#**関西本線の奈良以西電化も史実より早かったかもしれない。
#関西本線とは今宮駅で分岐していた。
#*新今宮駅は国鉄と南海の接続駅として史実(1964年)より早く同時に開業していた。
#*つまり当初から環状線の今宮駅ホームが存在していた。(史実では1997年に開業。)
#**戸籍上の大阪環状線は天王寺~大阪~今宮となっていた。
#旧西成線の西九条-桜島も環状線開業と同時に電化されていた。
#*1940年の安治川口駅構内での車両火災はなかったかもしれない。
#[[大阪市高速電気軌道御堂筋線|地下鉄御堂筋線]]の動物園前駅は新今宮駅に隣接する形に設置され、駅名も「新今宮」になっていた。
#*国鉄(JR)新今宮駅ホームには地下鉄駅と連絡・直結する「中央口」が設置されていた。
#新今宮-弁天町のルートは史実より南側を通っていた可能性もある。
#*史実の国道43号線のルートに並行して建設され、大正駅は泉尾交差点付近に建設されていた。史実の芦原橋に相当する駅は中開交差点付近に建設され、駅名も「中開」となっていた。
#**その場合大正駅は大阪ドーム(京セラドーム大阪)へのアクセス駅にはならず、現在に至るまで快速は通過していた。
#***現実の大正駅と同じ位置には地下鉄長堀鶴見緑地線の「三軒家」駅が設置されている。
#***大阪ドームへのアクセスとして阪神なんば線の建設が前倒しされ、1997年3月のドーム完成と同時に開業していた。
#**その場合大正区は現実よりも発展していた。
#*南海高野線(汐見橋線)木津川駅は環状線との乗換駅となっていた。
#**阪神なんば線西九条~大阪難波間の整備目的は「[[Wikipedia:ja:第52回国民体育大会|なみはや国体]]の交通整備」とされた。
#弁天町駅は市岡駅を名乗っていた(芸備線の市岡駅は戦後に開業したため)。
#*芸備線の市岡駅は「備中市岡」を名乗っていた。


----
;1970年
__TOC__
#同年に開催された大阪万博を機に整備されたことになっていた。
#[[大阪駅]]の環状線ホームは環状運転開始と同時に現在の形になっていた。
#[[ダイエー]]京橋店(現[[イオン]]京橋店)の開店が1年ほど早まっていた。
#*大阪環状線の全通を見越しての開店となっていた。
#弁天町駅は[[大阪市高速電気軌道中央線|地下鉄中央線]]の駅の方が先に開業していた。
#*その場合、現実とは逆に大阪環状線の方が中央線をオーバークロスする形になっていた。
#関西本線奈良-湊町間の電化も大阪環状線の全線開業と同時に実施されていた。


==ベタな郷土資料館の法則==
;1990年代
*またマニアックです。博物館とか美術館とかでひとまとめの頁を作って、郷土資料館をそのうちの一節にできれば幅が広がる、でしょうか?--[[利用者:むらまさ|むらまさ]] 2009年11月13日 (金) 12:49 (JST)
#大阪環状線という名前ではなかった。
*むしろ、公民館などローカルな施設でまとめた方が面白そうな気もします。--[[利用者:Yddit|Yddit]] 2010年7月20日 (火) 21:22 (JST)
#*桜島ー大阪がゆめ咲線、大阪ー京橋ー天王寺が城東線、天王寺ー今宮が大和路線。今宮ー西九条間が新線。
*博物館・美術館は、個人的に書きたくてうずうずしてるので是非作って欲しいです・・・。ローカル施設でまとめるのもありだと思いますが。--[[利用者:Foldingfan|Foldingfan]] 2010年7月23日 (金) 22:42 (JST)
#**環状運転時にJRが「大阪環状線」という路線愛称を付けていただろう。
**えぇ!書きたかったなら項目をつけていただければよかったのに。と、言うことで項目作りました。形を整えるために無理矢理記事を書いたのでベタでなければ削除してください。この場合はページ名は「ベタな公共施設の法則」でしょうか。個人的にはもっと「資料館」色の濃い名前が良いのですが、良案ありますかね? --[[利用者:むらまさ|むらまさ]] 2010年7月26日 (月) 23:06 (JST)
#***おおさか東線同様、「おおさか環状線」になっていたかもしれない。
*博物館・美術館を入れるなら公民館は外した方が良いです。郷土資料館・博物館・美術館だと文化的展示施設、郷土資料館・公民館だとこじんまりした地元の公共施設といった感じで、それぞれにはあまり共通項がないので。それから博物館・美術館でも小規模なところと、ルーヴルやエルミタージュのような有名どころで全然違う法則がありそうだと思うんですけど、どうしましょう。--[[利用者:Yddit|Yddit]] 2010年7月27日 (火) 05:12 (JST)
#開業時に207系が導入されていた。
**個人的には公民館よりは博物館・美術館の方が記事が伸びる気がします。まだ誰も書き足してくれていないのでなんとも言えませんが。残念ながら大規模な博物館・美術館へ行ったことがないもので、後者の判断はお任せいたします。--[[利用者:むらまさ|むらまさ]] 2010年8月12日 (木) 00:26 (JST)
#*201系の導入も早まっていた。
*すでに記事がまとまっているので、新規のページに移動してもよさそうな気がします。--[[利用者:Kiha28kei|Kiha28kei]] 2010年12月2日 (木) 22:47 (JST)
#阪神なんば線の開業が早まっていたか。
#*その場合地下鉄千日前線は桜川から大正区内に延伸されていた。
#*おそらく1970年の大阪万博の頃には開業していたと思われる。
#鉄道施設などは大阪府・市出資の会社が保有している。
#大阪花博までに開業させることが目標になっていた。
#*花博で盛り上がる大阪の象徴になった。
#大和路線直通の快速は当初から221系で運転されていた。


===下書き===
===JR東西線===
;郷土資料館
;1970年
#主な展示物:石器、土器、明治期くらいの農機具(千歯こき、唐箕など)、以上。
#大阪万博に合わせての開業となっていた。
#*はにわ、昔の釣り具、骨、昭和期戦後くらいのお金や遊び道具、以上。
#開業当初の車両は103系1000番台だった。
#*城下町だったところなら甲冑や刀剣を寄付してくれる市民がいて多少充実するけれど。
#路線名は「東西線」ではなかった。
#年表は地元の出来事だけではスカスカになるので日本史の全体の流れやその県の出来事も混ぜて書く。
#*恐らく「片福線」という名前が使われていたかあるいは片町線の延伸区間になっていた。
#*上段に地元の事件、中段が日本、下段が世界の構成になっている。
#**片町線のラインカラーは「水の都大阪」の中心地を通る理由で青22号に変更か。代わりに阪和線のカラーが赤1号辺りになる。
#**当然世界の事件は地元と何の関係も無い。
#***開業当初の保安装置はATC-4であった。2000年頃にATS-P(全線形)に更新される。
#湿度計の記録用紙を取り替えていないので赤いグラフの線が筒を何十周もまわり、何が何だか。
#****207系・321系の集電装置は1両辺り1基のみ(103系1000代に合わせ)。
#*コップの中の水も干からびてるよ、、
#一部の駅名が違っていた。
#入館料は100円、200円。無料の所も少なくない。
#*大阪城北詰→片町、大阪天満宮→南森町、北新地→桜橋あるいは南梅田、御幣島→歌島橋。
#*採算性?知らんね。郷土・文化の振興のためには出費はやむを得ない。
#**史実の北新地駅は「片福線大阪駅」になっていたかもしれない。京葉線東京駅みたいに。
#*バブルの時に金が余っているので建てました、予算を消費するために箱を作っとけ的な発想で出来た所が多い。
#***大阪駅と片福線大阪駅を改札内で直結する地下連絡通路も建設されていた。
#**そのため、現在は半ば不良債権と化してる所がある。
#****自動改札機が国鉄で最初に設置されたかも。
#入館料の徴収なんかは地元のおじいちゃん。高齢者雇用かつ天職と思われる。
#地下区間は現実よりも浅い場所に建設されていた。
#*たまに興味深く展示を見る人がいると嬉しいのか、話しかけてくれる。
#片町線と福知山線は早くに近代化されていた。
#*「5分くらい説明さしてもうてえぇかな?」が一時間近く熱弁を。
#*1970年の時点では福知山線の尼崎~宝塚間の複線電化、片町線の四条畷~長尾間の電化が完成していた。福知山線宝塚以北に関しては現実通り、あるいは現実より少し早い時期に複線化や電化が完成し片町線の長尾以東は国鉄時代のうちに電化されていた。
#こんな所に滅多に人は来てへんやろう、と思って記名帳をみると休日は一日に5人、10人も来てたりしてびっくり。
#当時は淀川を地下トンネルで潜る技術が確立されていなかったため、海老江以北は地上区間になっていた可能性もある。
#*郷土とは全く関係のない催しをして、ソレ狙いのこどもたちも。
#阪神国道線の代替路線としても位置づけられていたため、阪神国道線・甲子園線は史実より5年早く廃止されていた。
#**たまにやる講演会では、歴史好きのおじいさん達が大挙して来てたりする。
#**最近では歴女らしい若い女性が来てたりする。
#図書館と同じ建物の中にある。
#*市役所と同じ建物の中にある。
#城下町だったところなら城跡に天守閣を模した建物の中が資料館になっている。
#*元来その城には天守閣はなかったとか気にしない。
#*武家屋敷風だったり、土蔵風の作りな所もある。
#*今風の建物だと少し興ざめする。
#*建物は天守閣風でも自動ドアで冷房・エレベータ完備だったりする。
#最後の方は特産品の紹介や地元の祭りの紹介。
#*町の中心駅に飾ってあるパネルの充実版。
#入り口近くのロビーが入場料不要部分だと夏休みなんかに子供が涼みに来てたりする。
#(郷土資料館クラスではないが)県立歴史館なんかでレストラン併設だと、メニューに古代米を使った料理がある。
#*値段も案外良心的。
;博物館
#化石か標本を展示しているところだと、マンモスや恐竜、鯨といった大型生物を展示するための吹き抜けになっている部分がある。
#昆虫の展示は大量に標本が並んでいると気持ち悪い。
#*微妙に種類が違うものが並んでいる場合もあるが、素人目には何が違うのか分からない。
#最近では子供向けクイズ・ゲームも充実しつつある。
;美術館
#薄暗い。勿論作品の保護のため。
;公民館
#市民ホールなどの舞台の緞帳(どんちょう)には寄贈した企業の名前が下に書いてある。
;図書館
#図書検索システムは子供が占領している。
#学生が自習していることも多い。


==ご当地ごみ収集車BGM==
;1990年
*ごみ収集車が鳴らすBGMは各地で違うそうです。そこで、[[ご当地の噂]]の1つとして各地のごみ収集車のBGMを列挙したページというものを思いついたのですがどうでしょうか?
#国際花と緑の博覧会の開催を機に、開業していた。
**タイトルは仮なので、他に案があれば受け付けたいと思います。--[[利用者:中太郎|中太郎]] 2009年12月5日 (土) 14:38 (JST)
#*国際花と緑の博覧会へのアクセス路線として、賑わっていた。また、JR神戸線・JR宝塚線から片町線に向かう臨時列車も運行されていた。
*どうでもいいですが全国「赤とんぼ」一本だと思ってました(汗)--[[利用者:Summer lover.gaku|Summer lover.gaku]] 2009年12月22日 (火) 14:13 (JST)
#福知山線の新三田~篠山口間の複線化も1990年頃に完成した。
*[[ご当地チャイム]]の一項目ではいかがでしょうか?なんならページタイトルを変えても良いと思います。--[[利用者:むらまさ|むらまさ]] 2010年2月28日 (日) 10:16 (JST)
#207系電車の登場が史実より早まり、開業時に登場した。
*遅くなりましたが、それで良さそうですね。問題はどのように挿入するかです。現状ですと曲別なので・・・。--[[利用者:中太郎|中太郎]] 2010年5月30日 (日) 19:21 (JST)
#*それ以前に205系1000番代(207系900番代を基本に、車内外A-A対応、先頭車を207系900番代同様にした車両)が淀川電車区・高槻電車区・明石電車区に配置される。当初は黄5号の帯を貼付。その代わり205系0番代は近畿圏に配置されない。また、史実の205系1000番代にあたる車両は製作されない。
**地域別で良いと思います。[[ノート:ご当地チャイム|ノート]]を見たらば夕焼け小焼けは多数なので特例とのことだそうですので。ところでページ名を変えるならば「ご当地メロディー」?「ご当地BGM」?--[[利用者:むらまさ|むらまさ]] 2010年5月31日 (月) 22:19 (JST)
#駅名は史実通り。また、地下路線として、開業していたのも史実通り。
#堂島・北新地・南森町付近の再開発が史実より早く進んでいた。
#同年に開業した京葉線とともに注目された。
#おおさか東線の開通が史実より早まっていた。
#*1997年3月に放出~久宝寺間が開通し、2008年3月に新大阪~放出間が開通した。
#*衣摺加美北駅の開業も早まっていた。
#京葉線と同様に日本鉄道建設公団の手によって、建設された。
#場合によっては、1989年3月に開業していた可能性もある。


==もしあの人がパチンコ化されたら==
;1990年代(1991年以降)
*理由:電車移動中に突然思いついたフレーズが「CR釘宮理恵」だったから(ぇー[[利用者:Drhirame|どくとるひらめ]] 2010年1月13日 (水) 13:23 (JST)
#国鉄(JR西日本)の手によって、工事が行われた。
===下書き===
#*関西高速鉄道は設立されなかったかもしれない。
;CR釘宮理恵
#*いや、京葉線と同様に日本鉄道建設公団によって、建設された。
#勝利の鍵は、ズバリ「釘を読む」こと。
#早くても、1993年3月に、遅くても、1996年3月に開業していた。
#店内に釘宮ボイス炸裂。
#*1995年開業の場合、阪神大震災の復旧を優先したことから3月ではなく10月頃の開業となっていた。
#*釘宮病患者が熱にうなされたように打ちまくる。
#おおさか東線の開通が史実より早まっていた。
#*「べっ、別にあんたの為に大当たりにした訳じゃないんだからね!!」
#*1997年3月に放出~久宝寺間が開通し、2008年3月に新大阪~放出間が開通した。
;CR福田康夫
#207系電車が1990年に登場し、開業までに103系電車が片町線での運用から撤退していた。
#大当たりが終わるときは「あなたとは違うんです」
#*福知山線での運用も史実よりも早く撤退していた。
;CR金田朋子
#1994年までに開業していたら、1995年の阪神・淡路大震災の影響で一時的に不通になっていた。
#大当たり開始のときに超音波が発せられる。当然人間の耳には聞こえない。
#大当たり中は金朋地獄炸裂。
;CR蓮舫
#大当たり中に突然「仕分け」されることがある。
#一部の不穏な開発者が、裏モードとしてタレント時代の映像を仕込んでいる。
;CR能登麻美子
#大当たり開始のときに「能登かわいいよ能登」。
#大当たり終了のときに「イッペン、死ンデミル?」。
#*または本人歌唱の「かごめかごめ」が流れる。


==合格電報==
===おおさか東線===
かつて大学受験が遠方で行われた場合、合否の結果を電報でお知らせしたそうです。サクラサクだけではなく、その電報の文面に地域性を織り込んでいました。で、ご当地ネタとして実際の電報の文面を集めるとともに、勝手に電報文をねつ造してしまいましょう。単に「(地名)ニ桜咲く」「(地名)ノ雪深シ」みたいな感じで構いません。
久宝寺~放出間は、2008年3月15日に開業し、新大阪~放出間は、2019年3月16日に開業しました。
*検討事項
;国鉄時代
#本来電報はカタカナ書きですが、読みやすさを考慮して漢字カタカナでよいでしょうか。
#同時に阪和貨物線の旅客化も実現していた。
#実際の電報文は冒頭に"★"をつけて区別するか、「実際」と「勝手」は節分けするかどっちがよいでしょうか?
#*その場合加美~久宝寺で関西本線と十字形に立体交差していた。
#合格、不合格の分けの書式の区別も要検討。
#*当時は竜華操車場が現役だったことから、久宝寺駅には乗り入れなかったかも。
#タイトル未定ですが、勝手ネタが主体になるようなら「勝手に合格電報」で良いと思います。意見募集。
#*車両も関西本線ではなく阪和線と共通運用になっていた。2019年現在は225系5100番台の6両が運用されている。
*検討事項は暫定で書いてますので良い案があれば意見とともに下書きの書式等勝手に書き換えてくださいませ。--[[利用者:むらまさ|むらまさ]] 2010年2月27日 (土) 10:32 (JST)
#*[[大阪市高速電気軌道谷町線|谷町線]]の平野以南は建設されなかったかもしれない。
===下書き===
#**むしろ谷町線は阿倍野からそのまま南進して遠里小野方面に伸びていた可能性も。その場合は平野線は阪堺電気軌道に譲渡されて存続している。
*投稿は都道府県順でお願いします。ネタが溜まれば都道府県分けしましょう(複数の県に分散する大学は本拠地で統一)。
#天王寺駅の大和路線⇔阪和線の連絡線がまだ完成していなかったことから、一部の「くろしお」が新大阪発着~おおさか東線経由で運転されていた。
#北海道大学
#*JR東西線も開業していないので、放出駅で片町線からおおさか東線に乗り換える客も多かった。
#*不合格:大志抱ケズ
#もちろん「JR」付きの駅名は存在しない。
#**ポプラ並木倒壊
#*「城北公園通」駅も「赤川」駅になっていた。
#東京農業大学
#*「JR長瀬」駅は「柏田」駅を名乗っていた。
#*合格:ダイコン豊作
#*「JR淡路」「JR野江」駅は「東淡路」「西野江」だったかも。
#早稲田大学
#**私鉄にかまわず「淡路」「野江」を名乗るという可能性もあった。
#*合格:ワセダ ワセダ ワセダ
#ルート的に被る[[大阪市高速電気軌道今里筋線]]は計画されなかったかも。
#*不合格:バカダ バカダ バカダ
#*むしろ[[大阪市高速電気軌道千日前線|千日前線]]の新深江-南巽が建設されなかった可能性もあった。
#諏訪東京理科大学
#*今里筋線は蒲生四丁目-湯里六丁目の路線となっていたかも。蒲生四丁目以南の区間はルート的に被っていない。
#*不合格:御神渡リ 見ラレズ
#1985年以前に開業していた場合、現実の高井田中央駅が「高井田」駅を名乗っていた。
#長岡技術科学大学
#*現実の高井田駅は「東高井田」駅になっていたかも(日豊本線に北永野田駅という類似例があることから)。
#*合格:大花火 打チ上ガル
#**もしくは「河内高井田」駅だったかもしれない。
#名古屋大学
#**もし現実の高井田駅の開業がJR化後だったら駅名は「JR国分」になっていた可能性も。
#*合格:シャチホコ輝ク
#1970年に開業していた場合、大阪万博開催に伴う鉄道整備の一環として行われたことになっていた。
#奈良大学
#*当初は72系などの旧型国電が運用されていた。
#*不合格:<!--実在-->★大仏ノ目ニ涙
#*1980年代にはウグイス色に黄帯の101系も使われており、101系が新大阪駅に姿を見せていた。
#和歌山大学
#**阪和線杉本町-鳳の複々線化が実現した可能性が。1971年の和歌山国体に合わせ和歌山-紀伊田辺間の複線電化が実現した。新快速はそれと同時に登場。新大阪-紀伊田辺間・天王寺-紀伊田辺間で合わせて2本/h運行される。
#*合格:テマリハズム
#直通快速には春日色の113系が運用されていた。
#*不合格:ウメボシスッパシ
#*1973年から1988年頃までは快速 新大阪という表記であった。
#鳥取大学
#1964年以前に開業していた場合、起点は新大阪駅ではなく吹田駅だった。
#*合格:砂丘、走破。
#1964年に開業した場合、東海道新幹線開業に合わせる形となっていた。
#*不合格:バンザイ、[[果物#梨|ナシ]]ヨ
#新大阪駅に新快速が停車するのが早まっていたかも。
#高知大学
#路線名は大阪外環状線になっていた。
#*合格:カツオツレタ、イワイ酒ノメ<!--お酒は20歳以上-->
#*加美~杉本町間も開業していたら、路線名が「おおさか東線」になることはなかった。
#*不合格:カツオツレズ、ヤケ酒ノメ


==もし漫画や小説の実写化が禁止されたら==
;1990年代に開業した場合
個人的にやってみたいのですが、書くことあまり思いつかなかったのと、流れによっては投稿規制になりかねないネタが集中しかねないと思った為、様子見を兼ねて--[[利用者:花室川|花室川]] 2010年5月28日 (金) 09:23 (JST)
#大和路快速の発足と同時に、姫路~放出~久宝寺~奈良間の直通列車が運行されていた。
#1990年に鶴見緑地で開催された花博に合わせて開業したことになっていた。
#*花博の開催期間中は放出駅から会場に向かうシャトルバスも運行され、特に奈良方面からの来場客に重宝されていた。
#223系電車よりも207系電車が先に運用されていたかもしれない。
#JR東西線の時と同じく、工事は関西高速鉄道が受け持っていたかもしれない。
#*日本鉄道建設公団の手によって建設された可能性もあった。
#奈良方面からJR東西線に乗り入れる有料の通勤ライナーが設定されていたかもしれない。
#1996年までに開業した場合、放出~久宝寺間or放出~新大阪間のどちらかが先行開業し、その区間における折り返し普通列車が運行されていた。
#*2008年3月には全線開業し、衣摺加美北駅も開業していた。
#*1997年にJR東西線が開業した時に、直通快速が運行されていた。
#久宝寺駅の橋上駅舎化と大和路快速の久宝寺への停車が史実よりも早まっていた。


===下書き===
;2008年に新大阪~放出間が開業した場合
漫画や小説を実写化すると、漫画や挿絵のイメージぶち壊しなキャスティングをされたり、ひどい場合にはそのタレントの為にオリジナルストーリーにされたりして「原作レイ○」と批判されることも多々あります。これを抑止するべく、漫画や小説の実写化が禁止されてしまったら・・・
#放出~久宝寺間の開業が2001年~2007年あたりに早まった。
#*JR東西線の開業が早まっていたら、1997年3月に開業していた。
#*その場合、直通快速は207系電車で運用され、新大阪延伸後も207系電車・321系電車で運用されていたかもしれない。
#直通快速が奈良~尼崎間と奈良~新大阪間の2つが設定されていた。
#*学研都市線方面から新大阪に直通する系統も設定されたかも。
#衣摺加美北駅の開業が史実より早まったか、延伸時に開業していた可能性もあった。
#*放出~久宝寺間の開業時に開業していた可能性もある。その時は「衣摺駅」になっていたかもしれない。
#2010年の平城遷都1300年祭の際に、新大阪~奈良間の臨時特急が運行されていた。
#東淀川駅の橋上駅舎化や駅前後の踏切の廃止、赤川橋梁の歩道撤去が10年早まっていた。
#ウグイス色の103系が新大阪駅に乗り入れていた。
#*223系電車が史実より多く増備されて、直通快速は223系電車で運用されていたかもしれない。(207系電車や321系電車に置き換わることはなかったかもしれない。)
#**223系が放出以北の北区間にも入線していた。
#*直通快速の本数も史実より多くなっていた。(2010年代のダイヤ改正で実現していた。)
#**新大阪発着と尼崎発着がともに設定されていた。
#***場合によっては学研都市線方面からの新大阪行きも設定されていた。
#阪急新大阪線(十三~新大阪~淡路間)が先に開業していたら、早まっていた。
#北梅田駅への乗り入れに考慮されているどうかは怪しい。
#*当初の予定通り新大阪駅のホームは1番東側に建設されていた。
#[[もし2008年のオリンピック開催地が北京でなく大阪だったら|2008年のオリンピックが大阪で実現していたら]]そうなっていたかもしれない。
#*当時の状況を踏まえるとそこまで手が回ったかどうか微妙。
#放出~久宝寺間の開業が1999年3月頃に早まっていた。
#*その場合、久宝寺駅の橋上駅舎の完全が史実より早まっていた。(史実では、1997年7月に完成した。)
#*開業時に、久宝寺駅は大和路快速の停車駅になっていた。
#*竜華操車場跡地の再開発が史実より早く進んでいた。
#*その場合、直通快速は207系電車・321系電車で運用されていた。
#*207系電車が史実より多く投入され、福知山線での103系電車の撤退が史実より早まっていた。


#変なキャスティングはなくなるので、ファンは一安心。
;2008年に新大阪~放出~久宝寺間が開業した場合
#それでも大手事務所は声優としてタレントをねじ込んでくる。
#前述と同じ。
#*結局、「声がおかしい!原作レイ○だ!」と言われてしまう。
#奈良駅発着の直通快速は当初から新大阪駅へ向かうようになっていた。
#*その場合223系→207・321系ではなく221系が運用されていたかもしれない。
#直通快速の本数が史実より多くなっていた。
#*平城遷都1300年祭が開催された2010年3月のダイヤ改正と外国人観光客の増加に伴う2016年3月以降のダイヤ改正を機に本数が増加していた。
#*新大阪を発着する天理臨が運行されていた。


==ベタなバカの法則==
==大手私鉄==
ありがちな負の法則を集めてみる。・・・というテーマですがどうでしょう?--[[利用者:中太郎|中太郎]] 2010年5月30日 () 19:21 (JST)
===阪急千里線(千里山~北千里間)===
*いっその事、「ベタなマーフィーの法則」でもいいかもしれませんね。ただ、[[嘉門達夫ファン|彼]]の歌とのネタかぶりに注意する必要はあるかと思いますが。--[[利用者:御蒲田弓之助|御蒲田弓之助]] 2010年6月1日 (火) 08:36 (JST)
;1930年代
**その場合、バカの法則からのリンク及びカテゴリはどう致しましょうか。--[[利用者:中太郎|中太郎]] 2010年6月8日 (火) 06:40 (JST)
実際に、前身の新京阪鉄道が免許(千里山~山田間)を取得していました。もし、これが実現していたら…
**カテゴリ及びリンクについては「バカ」「ベタ」併設ということでOKではないでしょうか。あと、内容はあくまでも「日常」でありがちな事象のみに限定するということでいいでしょう。--[[利用者:御蒲田弓之助|御蒲田弓之助]] 2010年6月15日 (火) 17:07 (JST)
#千里山~南千里or山田間で開業していた。戦後、史実より早く北千里までの延伸を実現していた。
#*北千里以北への延伸の実現も否定できない。
#史実より千里ニュータウンが発展していた。
#大阪外国語大学が山田駅or南千里駅or千里山駅付近に移転してきた可能性がある。
#*これが実現した場合、戦後、近畿日本鉄道は大阪外国語大学のグラウンドを買収し、近鉄花園野球場を整備し、近鉄バファローズの本拠地にした。
#新京阪鉄道の路線が阪急の手に渡ったのは史実通り。
#阪急新大阪線(十三~新大阪~淡路間)が実現していた可能性が高い。


===下書き===
;1964~1966年頃
#急いでいるときに限って何かと信号が赤になる。
*史実では、1967年に開業。
#*急いでいるときの左折に限って横断歩道をゆっくり歩く歩行者。
#1963年8月に千里山~南千里間の開業は史実通り。
#高速道路上、突然トイレに行きたくなった時に限って周りは大渋滞。
#自動改札機の導入も早まっていた。
#トーストにバター or マーガリンを塗っている最中に誤って床に落とすと、必ず塗った面が下になる。
#*そこは開発する立石電機(現オムロン)の問題になるので別の路線が初導入になっていただけでは。
#空き缶を蹴ったら怖そうな人に当たるorz
#**東京モノレールの整備場駅あたりが有力候補か。
#*ギャグマンガなら大型犬。
#早まった分、新大阪線(十三・神崎川~新大阪~淡路間)は1967年頃に開業していた。
#*石を蹴って車に当たって…
#*その際、新大阪駅にも、自動改札機が導入されていた。
#大事な会議がある日に体調を崩す。
#大阪万博が1964年に開催していたら、1964年3月に開業していた。
#一つの問題が解決すると、それが原因で新たな問題が発生する。
#好きなマイナー漫画が実写化すると大概、ストーリー大型改変で原作レ○プ。
#ご飯を食べたい時に限ってご飯屋は反対車線にしかない。
#机に向かっている際、ケータイのメールを確認しようと手を伸ばしたら誤ってCDケースを落として割る。そしてメールは迷惑メール。


==新しい「混ぜるな危険」(仮称)==
===京阪鴨東線===
個人的には前々から浮かんでいたテーマでしたが、[[新しい「買ってはいけない」]]同様、投稿規制を発動しなければいけないようなネタが集中しかねないという懸念もあるので様子目で。--[[利用者:御蒲田弓之助|御蒲田弓之助]] 2010年6月23日 (水) 09:29 (JST)
;1930年代
*梅とウナギとか鯉に胡椒とかカニに氷とかは違うんですね? --[[利用者:むらまさ|むらまさ]] 2010年8月12日 (木) 00:26 (JST)
#最初から京阪が建設していたら本当に1930年代に開業できていたかもしれない。
#*史実では「地方鉄道」だった京都電燈叡山鉄道部が作ろうとしていたため「軌道」だった京都市電との交差をどうするかに時間を取られ過ぎ建設できなかった。
#京阪本線の延長線として建設されている。
#*三条-出町柳間固有の路線名は存在しない。
#現実の出町柳駅が「今出川」駅になっていたかもしれない。
#*この場合2008年に「下鴨今出川」あたりに改名されている。
#叡山線車両の京阪線乗り入れが実現していた。
#いずれ叡山線は京阪に編入されていた。
#*場合によっては京福電鉄ごと京阪→阪急に食われていた。
#**この場合嵐電相当の区間は阪急のものになっている。
#**福井地区は戦後に別会社(おそらく阪急グループ)として独立。
#加算運賃は最初から存在しない。


===下書き===
;1950年代~1960年代
塩素系と酸素系の洗剤を混ぜると塩素ガスが発生して非常に危険なように、2つ、またはそれ以上のものを組み合わせると負の相乗効果、または恐ろしい結果が待ち受けているという事例を挙げる。
#鴨東線は地上線として開業していた可能性が高い。
#*1500Vへの昇圧と淀車庫の開設と京阪特急8両編成での運行の開始が史実よりも早まっていたかもしれない。
#*1987年5月に京阪本線の東福寺~三条間と共に鴨東線も地下化された。
#**同時期に8000系電車と7000系電車が投入されていた。
#*三条駅の京阪線ホームは2面2線のホームとなり、出町柳駅のホームは2面3線のホームになっていた。また、京福電鉄との連絡線も設けられていたかもしれない。
#*鴨川沿いに沿って、建設され、跡地は川端通の建設に活用された。
#*1960年代後半の場合、京阪本線の東福寺~三条間の地下化が史実よりも早まっていたかもしれない。
#3000系電車は全て7両編成化されていた。
#*京橋駅の移設及び複々線化と同時に8両編成化された可能性が。
#1963年7月に開通した阪急京都本線の河原町延伸開業と比較されていた。
#遅くても、1969年までに開業していた。
#1968年までに開業していた場合、近鉄電車が出町柳に乗り入れていた。
#*但し京阪側の昇圧が近鉄よりも早かった場合、近鉄の京阪乗り入れはその時点で廃止されていた。
#*むしろ、近鉄との直通運転が史実よりも早く取りやめていた可能性もあった。
#京福電鉄との相互直通運転が1980年代までに行われていた可能性もあった。
#*計画通りに京福電鉄の車両は中書島までに乗り入れ、京阪電鉄の車両は岩倉か八瀬遊園までに乗り入れていた(ただし、京阪は4両編成で乗り入れていた)。
#*京阪特急が八瀬遊園までに乗り入れていたかもしれない。
#**その場合、3000系電車は4+3両編成で登場し、出町柳で切り離しを実施し、出町柳以北は4両で運行されていた。
#**乗り入れに対応していた京福電鉄のデオ300形電車が史実よりも多く製造されていた。
#***2両編成で製造されていたかもしれない。
#*京阪線が1500Vに昇圧された時に打ち切られたか。
#鴨川電気鉄道が設立されることはなかった。
#1900系電車が特急として当路線に乗り入れていた。
#*3000系電車の登場が史実よりも早まっていたかもしれない。
#森のゆうえんちの閉園が史実よりも遅くなっていた。
#観光地としての鞍馬、貴船、八瀬の知名度が史実よりも高くなっていた。
#*行楽シーズンになると、鞍馬、貴船、八瀬と書かれた運行標示板が掲げられた京阪特急が運行されていた。また、京阪は「鞍馬、貴船、八瀬へは京阪特急で」という宣伝を行っていた。
#叡山電鉄の京都精華大前駅の開業が1970年代までに実現していた。
#地上線での開業の場合、京都市電丸太町線と交差するので、ダイヤ上のネックになっていた。
#叡山電鉄鞍馬線の岩倉~市原間の複線化が1970年代までには実現していた。


#滑り台とおろし金。
;1970年代
#江●徹と中●彬。
#本線の東福寺~三条の地下化も同時期に実現していた。
#[[タイの政治#タクシン派 vs. 反タクシン派の噂|赤シャツと黄シャツ]]。
#*1500V昇圧や8両編成化も現実よりも早く行われていた。
#藤崎詩織と般若の面。
#叡山線が京福電鉄から分社化されることはなかった。
#*[[ときめきメモリアルシリーズファン|ファン]]の間で永遠に語り継がれるトラウマ。
#*史実では京都市電の廃止後連絡する鉄道が皆無になり赤字が増大して分社化されたため。
#*京阪と叡電の直通も実現していたかも。
#**その場合、叡山線は京福から京阪に移管されていた。
#**1971年に登場した京阪3000系は鞍馬乗り入れを考慮して勾配対応仕様となっていた。
#1970年開業だった場合、大阪万博が路線開業のきっかけになっていた。
#*3000系も史実よりも1年早く登場していた。
#**京阪線の15分サイクルダイヤ実施も。
#*新門真(現門真市)駅も同時に開業している。
#**開業と同時に京阪本線の1500V化された場合,5000系は製造されなかった。8両運転も同時に開始される。
#***3000系が6000系を名乗るかも(京阪開業60周年を記念する意味合いも込め)
#*3000系は4+4両編成で登場していた。
#*1970年に開業した場合は、地上線として開業していた可能性もあった。その場合、むしろ1960年代の項目と同じであった。
#加算運賃は2010年代に入って撤廃されていた。
#*タイミングとしては2014年か2019年の増税のタイミングだったと思われる。
#8000系は1990年代前半に登場していた。
#*その場合、最初から8両編成で登場し、2階建て車両も最初から連結されていた。
#*もしくは登場が1980年代後半に前倒しされていた可能性もあった。
#1989年までに運行されていた宇治線直通急行が当路線に乗り入れていた。


==バカ翻訳辞典==
;1983年
*ちまたに溢れるヨコモジをにはわかりにくいものも少なくありません。勝手にわかりやすく日本語化しましょう。
#6000系は鴨東線開業に合わせてデビューしていた。
**真面目にすでに日本語訳されているものが含まれても可。一般的な訳には★印をつけておいてください。
#*同時に新型特急車両もデビューするが、8000系ではなく7000系となっていた。
**並び順は単純にあいうえお順がよいか、分野別にわけるか、どっちがよいでしょ?
#**この新型特急車が好評で旧3000系を置き換えるのは史実通りだが、置き換え時期が史実よりも早く車齢も若かったので2→3扉化をはじめとする通勤車化改造が行われていた。
**[[略称の研究]]/[[バカ日本語辞典/ひらがな同音異義語]]みたいな言葉遊びのみ(特に意味の通らないもの)はご勘弁。--[[利用者:むらまさ|むらまさ]] 2010年6月27日 (日) 11:34 (JST)
#***その場合、1900系の冷房改造は行われなかった可能性が高い。
#本線の東福寺~三条の地下化や架線電圧600→1500V昇圧も同時に行われていた。


===下書き===
;1987年
#イメージ
#京阪本線の東福寺~三条間の地下化と同時に開通していた。
#*妄想像
#7000・8000系の登場も2年程早まっていた。
#インデント
#3000系は8両編成化されていた。
#*項等番号
#*8000系は平屋の8両編成で登場、増備されていた。
#*項番
#**いや、当初から2階建て車両が連結されていた。
#エスカレーター
#*斜め版動く歩道
#カーナビ
#*車用移動地図
#カテゴリ
#*分類項
#コンスタント
#*恒常的
#コンビニ
#*便利小売店
#ソフトドリンク
#*軟弱飲料
#*非酒飲料
#デトックス
#*出毒
#ペデストリアンデッキ
<!--募集中-->
#マイルストーン
#*一里塚
#スペースシャトル
#*再利用型静止軌道送迎船
#ユニバーサルデザイン
#*思いやり設計


==バカ音借館(仮)==
;1988年
*音楽は小学校や中学校で誰もが通る道ではありますが、[[偽楽器の特徴]]や[[偽楽譜の特徴]]と偽モノしかなく噂に関することが全くと言っていいほどありません。Chakupediaでそれらに関する項目を製作したいなと思います。
#この年に開催された京都国体に合わせて、4月上旬ごろまでに開業していた。
**あと、ページ名の方もこのままで良いのかなと思うので募集します。--[[利用者:Amberangel|<font color="#9400d3">Amberangel</font>]] 2010年7月3日 (土) 10:25 (JST)
#7000・8000系の登場が史実よりも早まっていた以外で1989年に開業していた頃と変わらなかったか。
*纏め方を考えなければいけませんが、「楽器」だけ先行して正式な項目に出来そうですよ?--[[利用者:I.T.Revolution|<span style="color:DarkTurquoise">'''I.T.Revolution'''</span>]] 2010年7月15日 (木) 16:03 (JST)
#*その代わりに、8000系の2階建て車両の投入が史実よりも早まっていた。
**[[文房具]]みたいに「楽器」で独立させますかね。今になって無理に「バカ」を付けなくても良いかなと思いました。まとめ方ですが、[[偽楽器の特徴]]と同じような分類の仕方で良いのではないでしょうか。--[[利用者:Amberangel|<font color="#9400d3">Amberangel</font>]] 2010年7月15日 (木) 18:47 (JST)
#*8000系の登場時に2階建て車両が投入された(同時に8両化)かも。
*「[[楽器]]」を正式項目化させて頂きました。続いてここに残った節等を包括する「音楽」の纏めページを作る必要があるのかな?と思いますが、それはまた何れという事で(?)。--[[利用者:I.T.Revolution|<span style="color:DarkTurquoise">'''I.T.Revolution'''</span>]] 2010年7月16日 (金) 17:11 (JST)
#**3000系は同時に8両化されたかも。
*考えたのですが、ここに残っている「楽譜」に「クラシック」(人物や曲に関する噂)を足して「音楽」とするのはどうかなと思いました(「バカ人物志」としての側面も持たせる)。--[[利用者:Amberangel|<font color="#9400d3">Amberangel</font>]] 2010年8月12日 (木) 13:06 (JST)
#叡山電鉄の京都精華大前駅の開業も史実よりも早まっていた。(当路線の開業に合わせて実施されため)


===下書き===
===近鉄難波線===
====楽譜====
;1914年
;八分音符
#大阪電気軌道の手で開業し、現在は大阪線の一部。
#
#*1912年の「ミナミの大火」の焼け跡を駅用地・線路用地に転用できたため、比較的容易に難波乗り入れができた。
#*これだけは表現できる。
#難波における南海との開発競争が激しくなる。
#*一方上本町は繁華街にならず「上六」という通称もない。
#**せいぜい某スポーツ強豪校の最寄り駅や地下鉄谷町線との乗換駅程度の認識。
#**[[近鉄百貨店]]は上本町ではなく難波にできていた。勿論来店客数も現実の上本町店よりも多い。
#***阿倍野店と並ぶ存在となっていた。
#***南海の駅ビルの[[高島屋]]との競合で難波を盛り上げていたかも。
#*難波-上本町間には日本橋駅の他、松屋町筋との交点に下寺町駅が設置されていた。
#加算運賃はなかった。
#1956年に複々線化され、[[もし近畿日本鉄道が○○だったら#難波線|これ]]の大半が実現していた。
#阪神なんば線開通に合わせて奈良線と大阪線のいずれかが地下化されていた。
#*難波駅は現実の大阪上本町駅と同じく地下と地上の2階建て構造となっていた。
#*阪神なんば線も史実とは違って1970年に開通していた。千日前通の拡幅と阪神高速道路の建設、なんばウォークの建設は史実通り。


;四分休符
;1960年代
#'''うん'''
#早くても、1963年頃までに、遅くても、1968年頃までに開業していた。
#*'''[[けいおん!#平沢唯|たん]]'''
#これを機に、1959年頃に、花園ラグビー場周辺に近鉄花園野球場を整備し、そこを近鉄バファローズの本拠地にしていた。
#**「たん」は多分四分音符。あれは裏打ちだったのだ!
#1970年3月には、阪急新大阪線(十三~新大阪~淡路)が開業していた可能性もある。
#楽譜上で書き辛い記号の一。
#*幼児科などで習った時は「どうしてこんな書きにくいのか」と思ってしまう。
#**しまいに{{あきまへん|ウンコ}}みたいな形になってしまう。


;ト音記号
===阪神なんば線===
#何でこんな書き辛い形なのかと一度は思った。
→[[もし阪神なんば線が別の時代に全通していたら]]
#*でも慣れるとヘ音記号より書きやすい。一画だから。
#普段書いてない人に五線譜上で書かせると、だいたい変な場所から書き始める。
#*ソの線から書き始めるのが正式。
#**だから'''ト音'''記号。
#この形をしたストローがあった。


;ヘ音記号
===近鉄けいはんな線===
#ト音記号にくらべ、何でこんなに書きやすいのかと、最初に見たときは思った。
;1970年
#これも普段書いてない人に五線譜上で書かせると、だいたい変な場所から書き始める。
#大阪万博が開業のきっかけだった。
#*ファの線から書き始めるのが正式。
#開業当初は4両編成で運転されるものの、相互直通する地下鉄中央線共々史実よりも早く6両編成化されていた。
#**だから'''ヘ音'''記号。
#*けいはんな線開業前に大阪港-本町で使用されていた800形(旧6000形)・900形(旧6100形)は四つ橋線に転用されていた(その後1970年代末に四つ橋線から谷町線に転属し、史実通りT車化のうえ50系に組み込まれた)。
#小学生からは確実に「屁音記号」呼ばわりされる。
#近鉄7000系は北大阪急行2000形と同じく大阪市30系をベースとした車両になっていた。
#*非冷房なので1990年前後には新車に置き換えられていた。
#**廃車にはせず台車交換(10400系・11400系の廃車発生品に)・パンタグラフ集電への変更・冷房改造(ラインデリア車向けの2コブキセ使用)のうえ、三重県内の路線に転用されていた。一部の車両は先頭車化改造も行われた。
#*7000系の換気装置には当時製造された近鉄車両と同様のラインデリアが採用され、三角形の蛍光灯カバーも付き、化粧板は当時の近鉄車両と同じベージュのコルク模様で、車体帯も近鉄マルーン色になっていた。
#*近鉄奈良線8000系のアルミ車8069Fは東大阪線用7000系でアルミ車体を採用するための試作車として開発された。
#阪神高速道路東大阪線とは一体構造にはならなかった。
#生駒~学研奈良登美ケ丘延伸も1980年代に実現。
#*但し生駒以東の駅名は現実と違っていた。
#*高の原あるいは学研都市方面への延伸も既に実現。
#加算運賃は設定されるものの、現実よりは安く設定される。
#*当初の目標であった近鉄奈良線の混雑緩和に役立っていた。


;加線
;生駒~学研奈良登美ヶ丘間が別の時期に開業していたら
#加線がたくさんあるのに、どんな音かがすぐわかる人は達人。
史実では、2006年3月に開業。
;1990年代
#7020系電車の登場は史実通りだが、「シリーズ21」に準拠したタイプになっていなかった。
#奈良生駒高速鉄道は設立されずに、東大阪生駒電鉄が設立された。


;ダブルフラット
;2000年前半
#なぜシャープの方はxに似た記号で済むのに、これには特別な記号が付かなかったのかが不思議だ。
#7020系電車は史実よりも早く登場していた。
#2004年までに開業していたら、近鉄バファローズを応援するラッピング列車が運行されていた。
#*近鉄バファローズがパ・リーグを優勝した2001年に開業した場合、近鉄グループにとって、喜ばしい年になっていた。
#*2005年に開催された愛知万博をPRするために、ラッピング列車が運行されていたかもしれない。
#国立国会図書館関西館や私のしごと館の開館と時期が重なっていた。


;クレッシェンド
#逆方向<!--デクレッシェンド-->とともに、見た目にわかりやすい記号。
#覚え方は、ひらがなの「く」
#*<


;D.C.
;1980年代
#初音島を思い出してしまう記号。
#東大阪線が1970年代に開業していたら、あり得た。
#*実際読みも「ダ・カーポ」だしね。
#[[Wikipedia:ja:関西文化学術研究都市|学研都市]]は大阪のベッドタウンとして現実より発展していた。
#類似品に「D.S.」がある。
#*1990年頃に沿線の開発が大幅に進んでいた。
#*特に白庭台地区と登美ヶ丘地区では大幅に進んでいた。
#東大阪奈良電鉄か京阪奈急行電鉄として設立されて、建設されていた。
#*その場合、1986年10月に長田~学研奈良登美ヶ丘間として開業していたか、1988年か1989年に生駒~学研奈良登美ヶ丘間として開業していた可能性もあった。
#7020系電車は登場しなかったか、登場したとしても、7000系電車と同じタイプになっていた。


;拍子
===京阪中之島線===
#算数で分数を習った後だと、何で4/4や6/8を約分してはいけないのかと一度は思ってしまう。
;1970年
#練習用の楽譜集などでは、4分の4拍子は「C」としか書かれず不憫(ふびん)だ。
#同年開催された大阪万博に合わせての開業だった。
#*蒲生信号場~天満橋間の複々線化も早まっていた。
#中之島西部エリアの開発も現実と違った形になっていた。
#*[[大阪大学]]が中之島から撤退することはなかったかも。
#ドーチカが渡辺橋駅まで繋がっていた。
#*場合によってはなにわ橋-北浜、大江橋-淀屋橋の地下通路もできていた。
#バブル期前後に西九条あたりまで延伸し、阪神との乗り入れも実現していた。
#*この場合近鉄との乗り入れはどうなっていたか…。
#旧3000系の登場が1年ちょっと早まり、中之島線開業に合わせる形となっていた。
#加算運賃は21世紀に入って撤廃されていた。


==○都==
;1980年
一旦こちらで案を練らせていただきます。ご了承ください。--[[利用者:御蒲田弓之助|御蒲田弓之助]] 2010年7月20日 (火) 08:49 (JST)
#守口市~寝屋川信号所間の複々線化とセットで開業していた。
*ご迷惑をかけます。--[[利用者:米神|<span style="color:#00FFFF">米神</span>]][[Special:Contributions/米神|<span style="color:#FF4500">歴</span>]] 2010年7月20日 (火) 21:09 (JST)
#当時はまだ京阪の輸送量が伸びていたので天満橋以西が実質複々線化されることにより本線の淀屋橋~天満橋間の混雑緩和に役立っていた。
*現行の仕組み(「古都」[[京都市|京都]][[奈良市|奈良]][[鎌倉市|鎌倉]]など多数)より、
#1990年代に入ると中之島駅以西の延伸計画が具体化し、21世紀に入って西九条方面への延伸が実現していた。
*「古都」
#*延伸開業が阪神の難波延伸より先だった場合、阪神との直通も実現していた。
**[[京都市|京都]][[奈良市|奈良]][[鎌倉市|鎌倉]]など多数
#**この場合、阪神は阪急ではなく京阪と経営統合していた。
**という書き方の方が見やすいと思うのですが、どうでしょうか。--[[利用者:Summer.gaku|Summer.gaku]] 2010年7月20日 (火) 12:13 (JST)
#中之島駅周辺の再開発も早まった。
***ということで改訂させていただきました。--[[利用者:米神|<span style="color:#00FFFF">米神</span>]][[Special:Contributions/米神|<span style="color:#FF4500">歴</span>]] 2010年8月21日 (土) 22:07 (JST)
#*朝日放送の社屋も昭和時代のうちに移転していた。
===下書き===
#**築20年かそこらで移転するのはさすがに想像しにくい。
「古都」「水都」などの○都の噂を集める項目。
#**むしろ88年移転の読売テレビあたりが来る方が自然。
#「古都」
#***90年移転の毎日放送だったかも。
#*[[京都市|京都]][[奈良市|奈良]][[鎌倉市|鎌倉]]など多数
#*別に首都(天皇のいた所)でもないのに名乗っていることも
#「湖都」
#*[[大津市|大津]]
#「鉱都」
#*[[日光市#足尾の噂|足尾]]
#*土肥とかも。
#「小京都」
#*出石など京都っぽい景色の場所
#**全国小京都会議なるものがあるらしい。
#「岳都」
#*[[松本市|松本]]
#*間違えても[[wikipedia:ja:GACKT|ガクト]]ではない。
#「[[東京|東京都]]」
#*[[大津市|東京都]](ひがしきょうと)
#「趣都」
#*[[秋葉原]]
#「雷都」
#*[[宇都宮市|宇都宮]]
#*北関東は雷のメッカらしい。
#「水都」
#*[[大阪市|大阪]]
#*[[上海]]
#*[[ヴェネツィア|ベネチア]]
#「柳都」
#*[[新潟市|新潟]]
#「[[もし「大阪都」が誕生していたら|大阪都]]」


==住んでいる家が幽霊屋敷だったら==
;1989年
*タイトルそのまま、ということで。[[利用者:Drhirame|どくとるひらめ]] 2010年7月23日 (金) 21:36 (JST)
#翌年に開催される国際花と緑の博覧会に見据えての開業であった。
**世界各国の人々の反応では、[[もしwiki]]と区別するために「もしも」は付けませんので、タイトルから「もしも」を消させていただきました。--[[利用者:Summer.gaku|Summer.gaku]] 2010年8月5日 (木) 08:57 (JST)
#大阪大学医学部附属病院の吹田市への移転が史実よりも早まり、ほたるまちの開業が史実よりも早まっていた。
===下書き===
#*「こども本の森 中之島」の開業も史実よりも早まっていた。
#日本人は捨て金になってでもただちに逃げ出す。
#時期的に鴨東線の開業と重なっていた。
#*むしろ心霊番組のクルーを呼びつける。
#*むしろ鴨東線の開業が1950年代~1960年代に早まっていた可能性もあった。
#アメリカ人は速攻で裁判を起こして賠償金をもらう。
#*遅くても1988年までに開業していた。
#イギリス人はどうにかして幽霊とコンタクトを取る。
#7000系電車と7200系電車が史実よりも多く増産されていた。
#*幽霊が出る家に住むのは、イギリス人にとってある種のステイタスらしい。
#*中之島~出町柳間を結ぶ急行列車が運行されていた。
#**むしろ同時に快速急行が設定されていたかも。
#2代目3000系電車は登場しなかったか史実よりも遅れて登場していた。
#大阪市立科学館の開館と同時に開業していた。


==作品の噂(仮)==
;1990年
*[[Chakuwiki:借井戸#ファンのページにおけるそのものの噂の扱いについて|こちら]]関連について、「作品そのものの噂」をリストアップするページ。[[利用者:北原あやめ|北原あやめ]] 2010年7月31日 (土) 01:55 (JST)
#同年開催された国際花と緑の博覧会に合わせて開業したことになっていた。
*タイトル名を変更したほうがいいと思います。ただ単に「作品」とするとか、「漫画」・「アニメ」・「ゲーム」などと、作品の中でも細かく分けるとか。--[[利用者:Kiha28kei|Kiha28kei]] 2010年12月3日 (金) 14:23 (JST)
#駅の内装は1987年完成の東福寺~三条の地下線や前年に開業した鴨東線と同じような感じになっていた。
#中之島線各駅のホームは10両編成対応となっていた。
#[[京阪の車両/形式別#7000系|7000系]]が現実以上に増備されていた。
#*少数派系列に終わることはなかった。


===漫画===
;1994年
*[[けいおん!]]
#[[関西国際空港]]開港に合わせて開業していた。
*[[サザエさん]]
#[[大阪の鉄道#なにわ筋線(仮)|なにわ筋線]]も同時に開業していた。
*[[ドラえもん]]
#[[京阪の車両/形式別#7200系|7200系]]は中之島線開業に合わせて登場していた。
===アニメ===
#特急の一部が中之島発着になっていたかも。
*[[プリキュアシリーズ]]
#*その場合、ダブルデッカーの連結は中之島線開通と同時に行われていた。
**[[Yes! プリキュア5]]
**[[フレッシュプリキュア!]]
**[[ハートキャッチプリキュア!]]
***[[ハートキャッチプリキュア!の登場人物]]
===ゲーム===
*[[THE IDOLM@STER]]
*[[エースコンバットシリーズ]]
*[[クイズマジックアカデミー]]
*[[スーパーロボット大戦シリーズ]]
*[[東方Project]]
*[[ドラゴンクエストシリーズ]]
**[[ドラゴンクエストII]]
**[[ドラゴンクエストIII]]
**[[ドラゴンクエストV]]
*[[ファイナルファンタジーシリーズ]]
**[[ファイナルファンタジーIV]]
**[[ファイナルファンタジーV]]
**[[ファイナルファンタジーVI]]
*[[ポケットモンスターシリーズ]]
**[[ポケットモンスター金・銀]]
**[[ポケットモンスターダイヤモンド・パール]]
===特撮===
*[[スーパー戦隊シリーズ]]
*[[仮面ライダー]]
**[[仮面ライダー/平成ライダー]]
*[[ウルトラシリーズ]]
===その他===
*[[スタートレック]]
*[[バーバパパ]]


==駆け出しのファン(仮)==
;1997年
*現在ファンの噂には「真のファン」と「にわかファン」の二つのページがありますが、この二つのページの中間を埋める内容のページがあっても良いと感じました。そこで一般人から一端のファンへと駆け上っていく際のきっかけや突き当たる壁、思わぬ落とし穴などを集めることを目的としてこのページの設立を提案します。
#奇しくも北側を並行する[[JR東西線]]とほぼ同時期に開業していた。
**既存の記事との整合性や方向性のつけ方等、難しい点がいくつかあります。皆様の意見や提案等お待ちしております。[[利用者:Kitahama|Kitahama]] 2010年8月11日 (水) 00:03 (JST)
#*同年開催されたなみはや国体に伴う交通整備と位置づけられていた。
**「にわか鉄道ファン」「にわかアニメファン」の項目がないように、各駆け出しのファンの項目は必要ないと思われます。
#9000系及び8000系ダブルデッカーは中之島線開業と同時にデビューしていた。
**そうですね。既存のファンの噂のページに書き込めばこと足りますので。ということで全体のみ残して各項目は一旦取り消します。[[利用者:Kitahama|Kitahama]] 2010年8月11日 (水) 20:35 (JST)
#*快速急行も同時に設定され、これに9000系が運用されていた。
#同時期に京阪のCMキャラクターを務めていた渡辺満里奈が開業式に呼ばれていた。
#*「渡辺」繋がりで渡辺橋駅の1日駅長も務めていた。


===下書き===
;2001年
;全体の噂
#USJの開業に合わせて、開業した。
#覚えなければいけないことの多さに驚く。
#*新桜島駅まで開業していた。
#*一つ一つの知識の横のつながりを覚えることが最初の山。
#*2000年に開業していた可能性もある。
#*でも気がついたらいっぱい覚えている。
#中之島周辺の再開発が史実よりも進んでいた。
#見分け方を覚えるのに苦労する。
#京阪電車おでかけ情報誌「K PRESS」が阪神の駅でも配布されていた。
#*そして覚えた瞬間、何故分からなかったのかが分からなくなる。
#*阪神は阪急ではなく京阪と経営統合していたかも。
#インターネットの普及で情報収集に関しては昔ほどの苦労はなくなった。
#**その場合、西九条から[[阪神なんば線]]に繋がる連絡線が建設され、阪神と京阪が乗り入れていた。
#どこまで知っておく必要があるのかはその人次第。
#*逆に阪神の広報誌も京阪の駅で配布されていた。
#*「好きならそれでいい」という意見も。
#特急の一部が新桜島発着になっていた。
#きっかけは人それぞれ。
#2025年の万博開催に合わせ夢洲への延伸工事が行われるようになっていた。
#*鉄道ファンから旅行ファンへと変わる。逆もまた然り。
#*「ラジオで聞いた」「友人に勧められた」etc...
#*これが好きだというとにわか扱いされるような曲でハマってコアな道に進むパターンが多いと思われる。
#日常生活中に条件反射で趣味の対象に反応し、少し感慨深くなる。
#でかいイベントに参加しようとするが、勝手が分からず右往左往する。
#アニメファンの場合、始めはメジャーな作品を好むが、特定のジャンルに特化していくとやがてマイナー作品ばかり好むようになったりもする。
#[[にわかファン]]とよく混同される。
#*降り出しだけでにわか雨とは断定できない。何時間も降ったらそれはにわか雨ではない。
#*にわかファンだと思われないように必死に知識を吸収しようとする様は滑稽であり微笑ましくもある。それは以前からのファンもかつて通った道である。


==舞-HiMEプロジェクト作品ファン==
;2003年
*以前と言うか数10分前に出させてもらったのですが、消滅しそうですので、改めて此処に投稿させていただきます。--[[利用者:四六時中慎重人|四六時中慎重人]] 2010年9月4日 ()
#3000系電車 (2代)の登場が史実よりも早まっていた。
#中之島地区における再開発が史実よりも早まり、2010年代までには全体工事が完成していた。
#*国立国際美術館の開館と同時期に開業していた。
#2003年のダイヤ改正は史実よりもより大がかりなものになっていた。


===下書き===
===京阪本線(淀屋橋~天満橋間)===
*↑付けてなかったので、今更ながら付けておきます。--[[利用者:四六時中慎重人|四六時中慎重人]]
;1930年代
#阪神梅田駅や神戸市内の地下線や新京阪線の京都市内と同様、戦前に完成した地下線となっていた。
#天満橋駅は現実と異なり複線分しか確保されていなかった。
#*そのため、京橋駅の移設及び高架複々線化と同時に梅田方面への分岐線が建設されていた。
#**あるいは中之島線がこの時に建設されていた。
#1960年代に鴨東線が開業していた。
#大津線以外の600V→1500V化が京橋駅の移設及び高架複々線化までに実現。
#開業時期次第では御堂筋線の淀屋橋駅と一体で建設されていた。
;1970年
#大阪万博開催に合わせて開業したことになっていた。
#京橋駅の移設及び高架複々線化と同時施工されていた。
#淀屋橋駅は現実とは異なり、御堂筋線の下をくぐって地下3階に設置されていた。
#*位置も御堂筋の西側になり、御堂筋線淀屋橋駅とともに四つ橋線肥後橋駅とも接続していた。
#*中之島線は淀屋橋から延伸される形になっていた。
#地下線が複線なのは現実通りだろう。
#*そのため、中之島線開通後も天満橋行きが残っていた。
#1960年代に京阪線の直流1500への昇圧が実現していたかもしれない。
#*京都側の市電(600V)との平面交差をどうにかできなければ無理。


;全般
==地下鉄==
#何故か某出版社より刊行されているコミックス版は、毎度毎度舞衣と命の扱いが悪い。
===神戸高速鉄道===
#*そして更に別の出版社から刊行されたものでは舞衣の扱いは良くなったが、'''逆に他のHiME達の扱いが悪い。'''
;1930年代
#神戸市の第三セクター会社ではなく、阪急・阪神の延長線として開業していた。
#*阪急・阪神と山陽は新開地を境に会社が分かれる形となっていた。
#*阪急・阪神~山陽・神鉄に乗る場合、3社から2社に減ることから運賃が安くなっていた。
#山陽電鉄の電鉄兵庫駅は戦前に廃止されていたか、三宮方面の線路がここから延長する形で建設されていた。
#阪神大震災で地下トンネルが崩壊することはなかったかも。
#*実史では戦前に建設された高架橋や地下トンネルは大きな被害を受けなかったため。
#梅田~姫路の直通特急も早期に実現していた。
#*阪急も直通特急の運行に参加していた。
#**「省線への対抗」で開業から運行したかもしれない。大阪万博までにカルダン駆動車での運行に統一。
#阪神大水害で浸水し大きな被害を受けていた恐れあり。


;第一作目(舞-HiME)
;1966年
#公式発表されたもので、舞衣となつきのデザインを最初に見た時、[[プリキュアシリーズ|あのシリーズの初代2人]]に見えた。
#同年開催された姫路博覧会に合わせての開業だった。
#*大阪方面から山陽で姫路博覧会に行く人などで博覧会の入場者が現実よりも増えていた。
#**それでも姫路モノレールの運命は一切好転しなかった。
#*阪神・阪急も姫路博覧会のPRを行っていた。
#*阪急梅田・阪神梅田~山陽姫路間を結ぶ臨時特急が運行されていた。
#**その後も阪急・阪神梅田-山陽姫路を結ぶ特急が運行される。国鉄時代は梅田-姫路間の通し利用者が多かった。
#阪神本線と阪急神戸線の昇圧は1965年頃に行われていた。
#阪急3000系電車、5000系電車の登場が史実よりも早まっていた。
#*3000系電車は宝塚線をメインにして投入されていたかもしれない。


;第二作目(舞-乙HiME)
;1967年
#舞衣はいつ登場するんだといつもヤキモキしていた。
#この年は、阪急千里線の北千里までの延伸開業と阪急ブレーブスのパ・リーグ初優勝という阪急にとっては、輝かしい年であった。
#阪神本線や阪急神戸線の1500Vへの昇圧が史実よりも早まっていた。
#*阪急5000系電車の登場も史実よりも早まっていた。
#昭和42年7月豪雨による被害を受けて、一時不通になっていたかもしれない。


==もしあの作品をあの脚本家が手掛けたら==
;1990年代
*上と同じ理由で、これも消滅しそうですので、改めて此処に投稿させていただきます。--[[利用者:四六時中慎重人|四六時中慎重人]] 2010年9月4日 (土)
#建設理由は阪神大震災の復興。
**テーマが漠然とし過ぎています。せめて作品別にでも分けてもらえませんでしょうか。--[[利用者:御蒲田弓之助|御蒲田弓之助]] 2010年9月4日 (土) 08:45 (JST)
#*阪急・阪神・山陽・神鉄の地上側ターミナルは撤去。
**まずは作品別はページ内の項目でよいと思いますが、具体例がないとなんとも。--[[利用者:むらまさ|むらまさ]] 2010年9月4日 (土) 10:50 (JST)
#神戸電鉄は三宮駅に乗り入れていた。
**先輩方ご指摘ありがとうございます。只今よりテーマ名変更いたします。--[[利用者:四六時中慎重人|四六時中慎重人]]
#直通特急のスピードアップのため、途中に追い越し線が設置されていた。
**理由は言わずもがなです。何度もすみません。--[[利用者:四六時中慎重人|四六時中慎重人]]
#地下トンネル及び駅ホームは近鉄車両の入線が可能な設計になっていた。
*下書きの体を成しておりません。具体的な内容をお書きください。--[[利用者:無いです|無いです]] 2010年9月7日 (火) 09:47 (JST)
#*近鉄車も新開地までは殆どが直通していた。場合によっては奈良-姫路間の直通列車も運行されていた。
#阪急神戸線と神戸市営地下鉄の直通構想は浮上しなかったかもしれない。


===下書き===
===神戸市営地下鉄海岸線===
もし、あのアニメや特撮のシリーズ構成、メインライターが別の人だったら・・・というような事を考案するページです。
;1980年代
*極力、特撮・アニメ経験済のライターの方(例:小林靖子氏、井上敏樹氏、他)のみでお願いします。
{{駅名標/神戸市営|name=栄町|roma=Sakaemachi|back=元町|back2=Motomachi|next=神戸|next2=K&#333;be|color=#03c}}
*作品の追加は五十音順でお願いします。
#リニア地下鉄ではなく西神・山手線と同一規格の路線となっていた。
;舞-HiME
#*線路も当然つながっていて直通運転が行われていたかも。
#シリーズ構成及びメインライターが小林靖子氏の場合、少なくともコメディーシーンが「電王」張りになるか、HiMEバトルの描写が「龍騎」張りになり、井上敏樹氏の場合、奈緒や静留、シアーズ関係者の描写が濃くなったり、HiMEバトルの描写が吉野氏より濃くなり、'''舞衣たち各キャラクターの描写に大きく関わる'''。それ以外はどちらにしろ吉野氏(実際のシリーズ構成)の時とあまり変わらない。
#*あるいは史実で構想があった高架式新交通システムだった。
#一部の駅の駅名が現実と異なっていた。
#*「ハーバーランド」は「神戸」、「みなと元町」は「栄町」、「旧居留地・大丸前」は「元町」になっていた。
#JR和田岬線は廃止されていたかもしれない。
#*キハ35系300番台は登場しなかった。


==もし、あの作品が海外でリメイクされたら==
;1990年代
[[仮面ライダー|リメイク版龍騎]]等の事を考えてたら浮かんできました。--[[利用者:四六時中慎重人|四六時中慎重人]]
当初は1999年に完成する予定でした。
*下書きの体を成しておりません。具体的な内容をお書きください。--[[利用者:無いです|無いです]] 2010年9月7日 (火) 09:47 (JST)
#史実よりも利用客が若干多くなっていた。


===下書き===
===京都市営地下鉄烏丸線===
もし、あのアニメや特撮がアメリカなどでリメイクされたら・・・な事を考案するページです。
;1930年代
*子供向けか大人向けか、劇場公開作品かTVシリーズか、実写かアニメか等は特定しません。と言うかすれば大変なことになるのでできません。
#(大阪市営地下鉄→大阪メトロ御堂筋線と同じく)世界恐慌の失業者対策で建設された。奈良電(→近鉄)との直通は考慮されない。
;分割項目
#*南の終点が竹田ではなく中書島あたりだった。
既に項目が作られているものは下記のページに飛んでください。
#**南部延伸が完了した時点で(おそらく昭和30年代)市電伏見線は消えていた。
*[[もしあのスーパー戦隊シリーズがパワーレンジャー化されたら]]
#駅構内は豪華な造り。↑の御堂筋線梅田-なんば間に近い雰囲気。
;舞-HiME
#「京都人の先進性」を語るエピソードの一つとしてよく使われる。
#どのような形でも子どもが見れるような内容になった場合、[[wikipedia:ja:KAMEN RIDER DRAGON KNIGHT|あんな感じになる]]。
#皇紀二千六百年までに京都-北大路間は開業済み。
;学園アリス
#京都市の人口は現実より1-2割多い。
#[[wikipedia:ja:X-メン|あれ]]っぽくなる。
#*戦後の景観条例もあるのでそこまで劇的に影響があったかどうかは分からない。
#丸太町と四条の間では御池ではなく三条に駅が置かれていた。
#戦後の阪急京都線延伸工事がさらに難しくなっていた。
#*烏丸駅が史実より深い位置にできていたかもしれない。
#史実でも検討されたように堀川通経由だった可能性も。
#戦前のことなので御所付近の区間では宮内省ともめていた恐れもある。
#御池線(東西線)の建設開始も早まっていた。
#*昭和のうちに一部区間ができていたかもしれない。


==読書のペースが落ちる法則==
;1975年
#[[小説ファン]]や[[ライトノベルファン]]など、日ごろから本を読む習慣のある人の読書のペースが落ちる、バカの法則のネタを集めたいと思います。--[[利用者:マイン乾布|マイン乾布]] 2010年10月13日 (水) 01:10 (JST)
*当初の開業目標年。
===下書き===
#あまりバリアフリーには配慮されなかった。
#携帯ゲーム機を購入する。
#市電の烏丸車庫が史実より早く廃止される代わりに九条車庫が全廃まで残る。
#*iP○dを購入する。
#もちろん市電と地下鉄の乗り継ぎ割引もあった。
#普段読む本の平均よりもページ数の多い本を買う。
#市電廃止前の工事なので一部区間では難しい工程が必要だった。
#自分の好きなものとは違うジャンルの本に手を出す。
#車両のデザインはもう少し古臭い感じ。
#電車通勤・通学の時間を読書に当てていたが、[[鉄道ファン|こっち]]の趣味に目覚める。
#*開業当初の車両は非冷房、抵抗制御で登場していた。
#*単に休暇に入っただけでもガタ落ちする。
#一部駅では市電との連絡の関係で現在はあまり役に立たない出口があった。
#本屋で見かけた本をすぐジャケ買いする。
#近鉄3000系は登場時から烏丸線に乗り入れていた。
#*量産化されていたかも。
#*初期車は冷房準備車(ラインデリア装備)として登場していた。


==もしあの事件が起こらなかったら==
===京都市営地下鉄東西線===
現実にあったあの事件がもし(未遂などを含めて)起こらなかったら・・・な所です。--[[利用者:四六時中慎重人|四六時中慎重人]]
;1970年代
*なんか、記事が荒れそうな事件ばかり選んでませんか?--[[利用者:無いです|無いです]] 2010年10月23日 (土) 19:20 (JST)
#京阪乗り入れがなかった。
===下書き===
#*どのみち京津三条~御陵or山科間は廃止されていた。直通が無かった場合は分社化が断行されていたかもしれない。
*年代順に項目を追加してください。
#車両サイズが路面電車並みに小さかった?
;東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(1988年~1989年)
#*その上で高架だったかも。ただし景観論争勃発。
#オタクは史実ほど差別を受けておらず、今頃完璧な市民権を得ていた。
#嵐山まで延伸していたか。
#*計画通り洛西ニュータウンまで延伸していただろう。但し開業は早くても1990年代末。
#*嵐山方面は嵐電に乗り入れていたかも。
#ホームドアは現在も設置されていない。
#烏丸御池駅は最初からこの駅名だった。


;京田辺警察官殺害事件(2007年)
;1994年
#少なくとも、ひぐらし解が一部地域で打ち切られたり放送延期になることは無かった。
*当初の開業目標年
#*[[テレビ埼玉|テレ玉]]はチキン呼ばわりされず、今でもアニヲタからtvkやMXと同様に信頼を置かれていた。
#平安遷都1200年を記念して開業していた。
#*礼はOVAではなくUHFで展開されていた。
#京阪700形は現実よりも早く登場していた。
#スクールデイズ最終回もそのまま休止せずに放送された。
#*80形は冷房改造されずに廃車されていた。
#*Nice Boat.は無かった。
#六地蔵や太秦天神川への延伸も現実よりも早かった。


;秋葉原通り魔事件(2008年)
===大阪市高速電気軌道今里筋線===
#今でもホコ天はある。
;1970年代
#*今頃[[けいおん!|これ]]のコスプレをした人が闊歩している。
#リニア式ではなく第三軌条方式になっていた。
#なので秋葉原が衰退する事は無かった。
#谷町線と直通していた。
#*相対的に繁栄しつつある池袋や中野などのオタク街はそれ程活気づいてない。
#*太子橋今市~関目高殿(関目成育)間は新森古市経由ではなく千林大宮経由になり、谷町線と2階建ての構造になっていた。
#ゴーオンジャーのロケットダガーも、ロケットブースターとして発売されることも無かった。
#*大日~今里間や井高野(または上新庄)~文の里・八尾南間の系統も運転されていた。
#井高野ではなく上新庄が起点だったかも。
#1990年代以降に今里~湯里六丁目間が延伸されていた。
#*谷町線駒川中野駅は今里筋線との交差部分に近い場所に設置され、相互乗り換えも可能となっていた。
#*JR大和路線との接続駅の名称は「杭全東部市場前」となっていた。
#表向きはトロリーバスの代替路線ということになっていた。トロリーバス廃止の翌日に開業していた。


==存在しないモノ==
===大阪市高速電気軌道長堀鶴見緑地線===
*存在しないのに存在していると思われているモノについての噂です。自分でもどういう形になるか掴めていないのと、重複していそうなのでひとまずここで提案します。--[[利用者:Yddit|Yddit]] 2010年10月31日 (日) 22:26 (JST)
;1970年代
#他の地下鉄路線と同じ第三軌条方式となっていた。
#*日本初のリニア地下鉄は都営地下鉄大江戸線となっていた。
#路線名は「長堀線」となっている。
#東側の鶴見緑地側ではなく都心側から開業していた。
#恐らく千日前線と同様4両編成での運転となっている。
#当時はOBPがまだなかったので、京橋~谷町六丁目は森ノ宮経由ではなく上町筋経由になっていたかも。
#1980~90年代に大正以南鶴町方面への延伸が実現している。
#当時は大阪ドームがまだなかったので「大阪ドーム前千代崎」→「ドーム前千代崎」は「千代崎」として開業していた。
#*そしてドームの開業後に改名していた。
#「四ツ橋」駅は長堀線開通と同時に「心斎橋」駅に改称されていた。


===下書き===
===大阪市高速電気軌道千日前線===
;
;1990年代
#アフリカ
#長堀鶴見緑地線と同じくリニア地下鉄となっていた。
#*アフリカ大陸十把一絡げ。
#*長堀鶴見緑地線及び今里筋線との連絡線が設置されていた。
#*アフリカ合衆国だと思われている場合も。
;都道府県
#姫路県
#*姫路市が県庁所在地だと思われている。
#名古屋県
#*実在するのは愛知県。
#**更に愛知県は四国だと勘違いされると、説明しようにもごちゃごちゃになる。
#仙台県
#*実在するのは宮城県。
#金沢県
#*実在するのは石川県。
#取鳥県
#*実在するのは鳥取県。


==ベタな運転免許試験場の法則==
===神戸市営地下鉄西神・山手線===
*[[ベタな自動車教習所の法則]]と対をなすものです。まだ内容がよく纏まらないので、一旦ここで提案させていただきます。--[[利用者:御蒲田弓之助|御蒲田弓之助]] 2010年11月1日 (月) 09:21 (JST)
;1972年
#新神戸駅の利用客が早いペースで増加していた。
#当初の予定通り青谷・王子動物園方面に延伸されたかもしれない。
#*[[阪急神戸線]]との乗り入れも早期に実現していたかも。
#1000形は非冷房で登場した。
#表向きは前年に全廃された市電の代替を兼ねた。上記の新神戸駅は当線開業時から存在した。「のぞみ」の全列車停車は2000年頃か。
;1981年
#ポートピア博覧会に合わせて開業したことになっていた。
#同じ年に開業した京都市・福岡市の地下鉄と何かと比較されていた。


===下書き===
===大阪市高速電気軌道御堂筋線(我孫子~中百舌鳥間)===
#免許更新と学科試験は別のフロアで行われる。
;1971年
#やたらと教室が広い。
#[[泉北高速鉄道]]と同時に開業していた。
#*更新待ちの場合、事故の恐怖を描いた映画が放映されている。
#*場合によっては泉北高速鉄道は南海ではなく御堂筋線と直通運転していた。
#**が、まともに見ている人はいない。
#中百舌鳥駅は南海・泉北高速鉄道と御堂筋線が一体構造になっていた。
#最近は「○○県運転免許センター」と、「試験場」という表記がされないケースが多い。
#*乗り換えが現実よりも便利になっていた。
#教習所とは比べ物にならない、だだっ広いコースを有する。
#*中百舌鳥駅に南海の優等列車が停車していたかもしれない。
#*実技試験のない時は白バイやパトカーが訓練をしている。
#この時点で車庫も我孫子から中百舌鳥に移転していた。
#*10両編成化も現実よりも早かったかもしれない。
#我孫子以南は高架線になっていたかもしれない。


==もしもあの仮面ライダーが海外でリメイクされたら==
==その他==
*MASKED RIDER(BRACK RX)とDRAGON KNIGHT(海外版龍騎)の様に他の仮面ライダーが海外でリメイクされたらどうなるかというものを考案するものです。--[[利用者:四六時中慎重人|四六時中慎重人]] 2010年11月4日 (木)
===大阪モノレール===
**『もし、あの作品が海外でリメイクされたら』の節で充分ですよね?<small>ご自分で立てた節くらいは覚えておいて下さいよ</small>--[[利用者:むらまさ|むらまさ]] 2010年11月4日 (木) 22:30 (JST)
;1970年
***それならば、『もし、あの作品が海外でリメイクされたら』の節項目を一部修正してもいいですか?--[[利用者:四六時中慎重人|四六時中慎重人]] 2010年11月5日 (金)
#中国道・近畿道と一体で建設された。
#少なくとも大阪空港-万博会場が最初から開業している。
#*東側の終点は国鉄茨木駅。
#**門真市への延伸はやや後年にずれ込んだ。
#***国鉄茨木駅は中央環状線からは北にずれているので、門真市への延伸はスイッチバックで行われていた可能性もある。
#***1970~80年代前半までに門真市延伸を果たしていた場合、大阪府運転免許試験場へのバスは門真市発着のままだった。
#****地下鉄谷町線も1977年の時点で大日まで延伸していた。
#***京阪門真市駅が島式2面4線ホームとなり、準急が停車していた可能性もある。
#**宇野辺駅は当初からこの駅名で開業していた。
#日本跨座式の初お目見えとなった。
#大阪万博を象徴する場面として「会場をバックに走るモノレール」というシーンがよく使われている。
#*大阪万博の思い出として「モノレール」を挙げる人が少なくない。
#*そもそも史実の大阪万博でもモノレール(大阪モノレールとは別)は走っていたんだが…。
#**万博会場のモノレール車両が万博閉幕後大阪モノレールに譲渡されていた可能性もある(方式がともに同じ日本跨座式だったため)。
#**記念公園駅が中国道の北側に建てられ、万博会場内モノレールの1/2-1/4は彩都線に転用されるほか、車両基地も万博時のものを拡張し会場内モノレールの北側は出入庫線として転用されている。東急電鉄が大阪モノレールの大株主になっている。
#現在は門真市以南へ延伸している。
#*延伸の時期にもよるが、近鉄けいはんな線の荒本駅が現実とは異なり中央環状線の交点に建設されていたかも。
#*門真市以南への延伸が1990年までに実現した場合、鶴見緑地で開催された花博へのアクセスとしても活躍していた。
#**地下鉄長堀鶴見緑地線もモノレール開通と同時に門真南まで開通していた。
#イベントなどで万博当時の塗装を復元した車両が走る。
#千里中央駅は北大阪急行の駅と一体で建設されていた。
#大阪府と在阪私鉄出資の第三セクターではなく、[[東急電鉄|東急]](もしくはその子会社)が運行していたかもしれない(因みに万博モノレールの運行は東急が行っていた)。
#*東急グループの関西進出の一環とされた。系列であった日本国内航空は特別塗装機を飛ばした。後にこの塗装を復元した機体を飛ばす。東急系のホテルが1970年頃から関西に多く建設される。
#開業時の車両が1990年代半ばまで走った。1両程度は車庫に保存される。冷房付きの車両は1980年代から導入。
#*開業時の車両は「100形」だったと思われる。
#**その次に登場する車両が「1000形」を名乗った(号車付番方法は100形と同じ)と思われる。
#*1000形以降もATOに対応していると思われる。
#**ホームゲートはいつ頃設置されただろうか。
#現実より運賃が安くなっていた。
#*そのため利用者数が史実より多くなっている。


===下書き===
;1980年代
*製作順に項目を作ってください。
*ちなみに当初の計画では、南茨木~千里中央間は1988年春に開業する予定でした。
;仮面ライダークウガ
#最低でも、1989年までに南茨木~千里中央間が開業していた。
#少なくとも、グロンギの設定が大幅に変更になり、特にゲゲルの設定に至っては間違いなく削除、ないしは変更される。
#*その場合、翌年に開催された国際花と緑の博覧会の開催に間に合い、それに伴って、ラッピング列車が運行されていた。
#それ以外の面で、史実とあまり変わらなかったか。


;仮面ライダー響鬼
;門真市~瓜生堂間が平成期に開業していたら
#最低でも、変身を解いても全裸にならない(顔だけ変身解除の設定が無くなる)。
史実では、2029年度に開業予定。
#早くても、1999年頃に、遅くても、2019年3月頃に開業していた。
#*それよりも、南茨木~門真市間の開業も史実よりも早まり、なみはや国体が開催された1997年に開業していた。
#近鉄奈良線に「瓜生堂」駅が開業していた。
#東大阪市役所の荒本地区への移転が史実よりも早まっていたかもしれない。
#近鉄のラッピング広告列車が運行されていた。
#2010年代に開業していた場合、3000系電車の登場が史実よりも早まっていたかもしれない。
#2010年までに開業していたら、近鉄ハーツはリニューアル化されて、存続していた。
#1997年のなみはや国体の開催に合わせて、門真南までの先行開業が実現していたかもしれない。


==太鼓の達人==
;彩都線(阪大病院前~彩都西間)が2004年に開業していたら
*[[太鼓の達人ファン]]の項目の中に、明らかにファンではなく、そのものに対する投稿があることや、太鼓の達人自体の噂などを立てたほうがよいと考えたので考案してみました。もし実際に記事を立てることになったときは、太鼓の達人ファンから一部の投稿を移植するといいと思います。(2.の部分など)--[[利用者:Kiha28kei|Kiha28kei]] 2010年11月25日 (木) 00:06 (JST)
*史実では、2007年3月に阪大病院前~彩都西間が開業しました。本来は彩都の街開きが行われる2004年に開業する予定でした。
#大阪外国語大学へのアクセスが史実よりも良くなっていた。
#国際文化公園都市の整備が史実よりも進んでいた。
#*2007年3月に彩都東(計画では東センター)までに延伸していたかもしれない。
#*もしくは、2007年3月に東大阪市への延伸が実現していたかもしれない。
#それでも大阪モノレールの経営状態が良くなっていたかどうかは分からない。
#街開きの時に阪急バスが千里中央~彩都間の路線バスを開設することはなかった。
#*JR茨木・阪急茨木市~彩都間の路線バスが開設されるのが史実よりも早まっていた。


===下書き===
===愛宕山鉄道===
#最近収録曲のテンポが早くなってきた。
;1950年代
#店舗によって値段の差が大きい。
#京福と阪急の合弁企業が運行。
#*50円3曲のところもあれば、200円2曲のところもある。
#平坦線の車両は京福嵐山本線との共通運用。
#DS版は、叩きずらい。
#愛宕駅-愛宕神社のロープウエーも開業していた。
#地味にナムコオリジナル曲は神曲が多い。
#建設時期によっては朝鮮戦争による鋼材高騰に苦しめられた。
#*徐々にレベルが上がりつつある。
#遊園地やスキー場開発も史実通りやっている。
<!--#*こいつ「神曲」なんて言葉使ってる。頭大丈夫?-->
#*八瀬遊園はなかったかもしれない。
#*「さいたま2000」が頭から離れないのはなぜだろう。
#*なお現在はほとんど閉鎖もしくは売却されている。
#曲は本人の歌唱ではない。
#鳥居本駅は後に門前町の景観に調和した駅舎に建て替えられた。
#*歌い手によって歌唱力に差が出ている。
#幅広い年齢層に支持されている。
#「夏祭り」は初代からあるのにいまだに根強い人気がある定番中の定番曲。
#*「アンパンマンのマーチ」も。


==カラー辞典(仮)==
===姫路モノレール===
*色にはその色特有のイメージすることがあると思って考えてはみたものの、まだ内容が薄い感じがするので。--[[利用者:Amberangel|<font color="#9400d3">Amberangel</font>]] 2010年12月3日 (金) 10:31 (JST)
;1980年代
*<nowiki>*より#の方がいいと思うのですが、どうでしょうか。</nowiki>--[[利用者:Summer.gaku|Summer.gaku]] 2010年12月12日 (日) 12:26 (JST)
#日本跨座式が採用されている。
**すみません、考案した当初は*だったものでして…#の方が良さそうですね。修正しました。--[[利用者:Amberangel|<font color="#9400d3">Amberangel</font>]] 2010年12月12日 (日) 13:40 (JST)
#まずは姫路駅-姫路城の間ができる。
*色の見出しを[[利用者:Notain/sandbox#Chakuwiki:バカの卵#カラー辞典(仮)用|こんなふう]]にしてみたらどうかな、って思いました。しつこいかも知れないと思ったのですが、本文と合わせると意外とそうでもなく、カラフルでいい感じです。--[[利用者:Notain|Notain]]<small>@[[横浜市]]</small> 2010年12月12日 (日) 14:08 (JST)
#*のちに書写山まで延伸されるが山陽本線以南へは延びない。
**最終的に各々の色を節にしようと思っているのですが、節でもその書式はできますかね?--[[利用者:Amberangel|<font color="#9400d3">Amberangel</font>]] 2010年12月12日 (日) 15:19 (JST)
#*姫路駅は地下に設置されていたかもしれない。
**試してみたところできましたが、紫色や青色で[編集]リンクが見にくくなる懸念があります。pではなく、spanで文字の部分だけその書式でもいいのかなと思います。--[[利用者:Amberangel|<font color="#9400d3">Amberangel</font>]] 2010年12月18日 (土) 14:03 (JST)
#一部区間では同時に道路整備も行われる。
#姫路城駅の位置によっては世界遺産登録の際に何か問題になっていた。
#姫路市の直営ではなく兵庫県や姫路市、山陽電鉄、神姫バス、地元企業などが出資した第三セクターとして開業していた。
#今頃は、ワンマン運転を行っている。


===下書き===
===泉北高速鉄道===
*その色からイメージすることを書いてみよう。
;1970年代後半
;<span style="background-color:#FF0000; color:#ffffff;">赤</span>
#同時期に開通した[[京王相模原線]]と同様、鉄建公団の「P線方式」を適用して南海の路線として開業していた。
#熱血漢に似合う。
#*運賃も安くなっていた。
#太陽の色で最初にイメージする色。
#*1990年代のバブル期に通勤用の有料特急が運転されていたかも。
#*ただ、絵で書く際はオレンジにしがち。
#**「泉北ライナー」のデビューが早まったかも。
#見ていると熱くなる色。
#**11000系はあと2編成ぐらい製造されていた。
#スーパー戦隊では大概リーダー。
#*路線名は「南海泉北線」になっていた。
#闘牛士が持つ布の色。
#*深井地区は泉北ニュータウンから外れるので、多摩境駅のように駅開業が遅れていた(助成されるのがニュータウンから外れる1駅目までという要項があるので)。
#夕方の空。
#場合によっては中百舌鳥~光明池間が一気に開業していたかも(史実では中百舌鳥~泉ヶ丘が1971年開業で光明池までは1977年に開業)。
;<span style="background-color:#0000FF; color:#ffffff;">青</span>
#*和泉中央への延伸は史実通り。
#寒い。
#大阪府都市開発が鉄道事業に乗り出すことはなく、トラックターミナルを運営するのが主体の会社となっていた。
#*見ているだけで寒くなってくる。
#*南海の子会社になることもなく、現在でも大阪府の第三セクター。
#男子がステレオタイプに好きな色。
#海、空と自然に深く関わっている。
#食欲がなくなる。
;<span style="background-color:#FFFF00; color:#000000;">黄色</span>
#ビタミンカラー。
#注意のイメージがある。
#*黒とセットになれば工事現場の『立ち入り禁止』{{極小|と阪神タイガース}}を思い出す。
#電気や光。
;<span style="background-color:#008000; color:#ffffff;">緑色</span>
#どこか春っぽい。
#*いや、夏だろう。
#目が疲れた時にこの色を観ると落ち着く色。
#ルイージカラー。
#毒によく使われる色でもある。
#熟していない果物。
#爬虫類の肌。
;<span style="background-color:#800080; color:#ffffff;">紫</span><span style="background-color:#8A2BE2; color:#ffffff;">色</span>
#高貴っぽい感じ。
#*紫式部や怖美しい人の口紅の色(のイメージ)などでその影響が強まっているのかも。
;<span style="background-color:#FF8C00; color:#ffffff;">橙色(オレンジ)</span>
#何か秋っぽい。
#赤とは違うが、見ていると温かくなる色。
#全国的には読売巨人軍の色というイメージが強いか?
;<span style="background-color:#FF69B4; color:#ffffff;">桃色(ピンク)</span>
#この色ってだけで、どこか妖艶。
#*果物の桃も卑猥に例えられるし、名前に「桃」がつくグラドルや[[AV女優]]も多い。
#男がこの色のものを持っていると変な目で見られる。
#*女の子がステレオタイプに好きな色。
#花から発せられる甘い香り。
;<span style="background-color:#ffffff; color:#000000; border:solid #000000 1px;">白</span>
#雪など冬のイメージ。
#*そのクセ、雪原は「銀世界」と例えられている。
#天使。
;<span style="background-color:#000000; color:#ffffff;">黒</span>
#夜っぽい。
#*怖い。歌舞伎町のイメージ。
#悪。
#*堕天使。
#*悪魔。
#“黒幕”とか“闇”とか、触れてはいけない事実に例えられること多い。
#大人っぽい。
;<span style="background-color:#888888; color:#ffffff;">灰色</span>
#日本海側の冬の空。
#*くもり空。
#なんだか不安にさせる色。
#[[GLAYファン|GLAY]]。
;<span style="background-color:#AFEEEE; color:#000000;">水色</span>
#涼やか。
#水の色ではない。
#*[[アクアマリン|水の名前の付いた宝石]]の色ではある。
#氷。
#古い個人サイトの背景色として良くある。
;<span style="background-color:#8B4513; color:#ffffff;">茶色</span>
#土。
#秋よりも少し季節の進んだ晩秋から冬という感じがする。
#茶は茶でも、緑茶や麦茶ではなくほうじ茶色。


==関連項目==
===北大阪急行電鉄===
*[[俺の借日記]]
;1964年
*[[未整理コメント]]
#御堂筋線の梅田~新大阪延伸と同時開業していた。
*[[未整理コメント/2]]
#*もちろん新大阪~江坂も同時開業している。
#千里ニュータウンの街開きからすぐに開業していた。
#*千里ニュータウンの発展も現実よりも早かったかもしれない。
#車両は大阪市50系に似たような仕様になっていた。
#*車内外は阪急3000系の仕様を取り入れる。登場時は「御堂筋線に乗り入れる阪急電車」として注目された。後の大阪市30系の車内はもう少し良質だったかも。
#千里中央駅が現在地に開業していた場合、万博アクセスとして活用されていたのだろうか?
#*大阪モノレールが20年早く開業,大阪空港-万博会場が最初から存在したかもしれない。大株主は東京モノレール(日立)と東急辺り。阪急は千里線と京都線梅田-淡路を8両運転対応にする。梅田駅の移転は大阪万博までに完了。同時に北千里まで8両運転を行う。
#千里中央~箕面萱野の延伸も1980~90年代に実現していた。
#阪急千里線が南千里~上新田~桜井間のルートが初めから構想されることはなく、南千里~上新田~桜井間のルートで構想されていた。
#*場合によっては、南千里~北千里間の開業が史実よりも早まっていたかもしれない


[[Category:Chakuwiki|はかのたまこ]]
;1971年以降の場合
#阪急新大阪線(十三~新大阪~淡路)が開通し、阪急千里線が万博会場に乗り入れ、会場輸送のメインルートになっていた。
#*その場合、大阪市営地下鉄御堂筋線は江坂駅まで開業し、江坂駅から会場へはバスで輸送していた。
#早くても、1974年に開業していた。
#緑地公園駅も開通時に開業していた。
#沿線にある駿台予備学校大阪校(1981年開校)及び代々木ゼミナール大阪校(1987年開校、2015年閉鎖)の開校が史実より早まっていた。
#*中津にある河合塾大阪校(1984年開校)も史実より早く開校していた。
#1980年前後に開業した場合、自社の車両は現実の大阪市10系に酷似した冷房付き電機子チョッパ車となっていた。
#*但し内装は阪急タイプとなっていた。
#*現実の10系は試作車と同じく20系を名乗っていたかも(北急2000形と車番が被るころが改番の理由だったので)。その場合北急の車両が1000形を名乗っていた。
#*初代ポールスターこと8000形は登場せず、2010年代に入って9000形に置き換えられていた。
#千里ニュータウンの発展が現実よりも遅れた。
#もし大阪万博の開催がなかったか、あるいは史実(1970年)よりも遅れていたらこうなっていたかもしれない。
#*もし前者だったら運賃は現実よりも高くなっていた。
 
;千里中央~箕面萱野が1990年代に開業していたら
#8000形ポールスターがさらに増備されいてた。
#*御堂筋線で見かける機会も多くなり、現実ほどレアな存在ではなくなっていた。
#*9000系電車の登場は史実通りだが、登場は史実よりも遅れていた。
#箕面市東部地域や彩都の開発が現実よりも進んでいた。
#*彩都の開発はあまり関係がないと思うが…
#阪大箕面キャンパスの箕面船場地区移転が現実よりも早まっていた。
#*統合前の大阪外国語大学時代に移転していたかもしれない。
#*1979年にできた校舎であるので、そう早く移転することはなかったと思う。
#みのおキューズモール(旧ヴィソラ)の来客数が現実よりも多くなっている。
#*逆に千里中央地区が相対的に地盤沈下し、対抗のためセルシーは2018年の大阪北部地震以前に建て替えられていた。
#*みのおキューズモールの開業と109シネマズの開館が史実よりも早まっていたかもしれない。
#**その際には、ダイエーが出店していたかもしれない。
#場合によっては、御堂筋線の10両化が史実よりも早まっていたかもしれない。
#阪急は、客離れを防ぐために、箕面線直通列車は今でも運行されていた可能性があった。
#当初の予定通りに、「箕面船場駅」になっていた。
#*2010年代になって、「箕面船場阪大前駅」に改称されていた。
#箕面市の人口が史実よりも増えていた。
#当社の情報誌である「ザ・ポールスター」がA4サイズに拡大していた。
#1996年に開業した場合、スルッとKANSAIの導入と同時期であった。
 
;千里中央~箕面萱野が1980年代に開業していたら
#8000形電車は史実よりも多く増備されていた。
#*開業時に登場していた場合もあり得る。
#御堂筋線の10両編成化が史実よりも進んでいた。
#*国際花と緑の博覧会が開催されていた1990年までに実現していた。
#大阪外国語大学は開業を見据えて、箕面市粟生間谷ではなく、箕面船場地区に移転していたか移転する時期が史実よりも早まっていた。
#*開業時は「箕面船場駅」だが、2010年代になって、「箕面船場阪大前駅」に改称されていた。
#阪急グループの主導によって、箕面萱野地区や箕面船場地区において、宅地開発が行われていた。
#*彩都も現実よりも早く開発されていた。
#阪急箕面線の梅田直通は早期に廃止されていた。
#*いや、阪急箕面線は箕面市の中心部を通っており、また、創業以来の路線でもあるから、梅田直通の列車はある程度維持されていたのではないかと。
#勝尾寺へ訪れる人が史実よりも多くなっていた。
#箕面市の人口が史実よりも増加し、2010年代か2020年代に中核市に移行していた。
 
;千里中央~箕面萱野が2015年に開業していたら
#9000形電車は増備用として登場していた。
#*8000形電車の廃車は史実よりも遅れていた。
#みのおキューズモールも開業に合わせて、リニューアル化されていた。
 
;千里中央~箕面萱野が2000年代に開業していたら
#延伸開業に合わせて、みのおキューズモールが開業していた。
#増備車として、8020形電車か8050形電車が登場していた。
#9000形電車の登場は史実よりも4年程度遅れていた。
#箕面市北部にある水と緑の健康都市が延伸開業を見据えて、開発が進められていた。
#*箕面萱野と結ぶ路線バスが運行されていた。
 
===北神急行電鉄===
;1985年
#神戸市営地下鉄西神・山手線が大倉山~新神戸間が開業したのと同時に開業した。
#*同年開催されたユニバーシアード神戸大会に合わせる形にもなっていた。
#ひょっとしたら、1986年4月にずれ込んで、開業していたかもしれない。
#7000系電車の登場は史実通り。
#*但しVVVFインバータ制御車ではなく、神戸市1000形と同じチョッパ制御車となっていた。
#*神戸市交通局1000形電車、2000形電車とともに、6両化されるのが史実よりも早まっていた。(史実では、1989年11月に実施された。)
 
;1987年
当初の開業予定
#神戸市営地下鉄西神・山手線が名谷~西神中央間が開業したのと同時に開業していた。
#6000形電車は最初から6両編成で登場していた。
 
{{DEFAULTSORT:へつのとしにかいきようきんき}}
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 鉄道路線史]]
[[カテゴリ:もしも借箱/鉄道路線]]
[[カテゴリ:近畿地方|もしあのてつとうろせんかへつのとしにかいきようしていたら]]

2021年3月1日 (月) 12:23時点における版

JR

湖西線

1930年代
  1. 江若鉄道は存在しなかったか、湖西線開通の時点で国に買収されていた。
  2. 現実よりも地上区間が多くなっている。
    • 踏切も存在していた。
  3. 当初は非電化単線として開通し、1960年代の高度成長期に電化や複線化が行われている。
    • それと同時に大幅な線形改良も行われた。
    • それでも現実ほど高速運転はできない。
  4. 開業当初は近江塩津ではなく木ノ本で北陸本線に接続していた。
    • 当時は北陸本線が深坂トンネルではなく柳ヶ瀬ルートだったため。
  5. 山科~大津京は浜大津経由だったかも。
    • もし当初から現在のルートで建設された場合、浜大津は早くに衰退していた。
    • 山科ではなく大津分岐だった可能性もある。
      • その場合西大津駅が大津京駅に改称されることはなかっただろう(大津駅と紛らわしくなるため)。
        • そもそも湖西線の駅も「皇子山」を名乗っていたと思われる。
  6. 急行「きたぐに」は湖西線経由で運行されていた。
  7. それでも若江線(琵琶湖若狭湾快速鉄道)が鉄道として開業できたかどうかは微妙。
1990年代
  1. 智頭急行や北越急行と同じく、JRではなく第三セクター会社での建設となっていた。
    • 社名は「湖西急行」か?
    • 運賃も現実より高額となっている。
    • 681・683系や223系にこの三セク所有の車両が存在していた。
  2. それでも大都市京都や大阪に近いことから、三セクとしては優等生ともいえる経営状況だったに違いない。
  3. 三セクの会社には京阪や西武が出資していただろう。
  4. 各駅停車は全列車が京都止まりになっていた。
    • 流石に快速や新快速は京都以西に乗り入れている。
  5. 永原-近江塩津間は北陸本線ともども開業時に直流電化になっていた。
  6. 江若鉄道の廃止は史実よりも遅く1970~1980年代だった。
    • 土佐電安芸線のごとく廃止されたにもかかわらず後継路線の開業が大幅に遅れるという悲劇もあり得た。
  7. 貨物列車の走行に対応出来なかったかもしれない。

大阪環状線

明治~大正期
  1. 東京の山手線の場合と同じく、私鉄は大阪環状線の駅をターミナルとして郊外に延びるようになっていた。
    • 大阪環状線の内側は大阪市交通局の市電・地下鉄の独占状態となっていた。
      • 戦後に開業した地下鉄路線は私鉄との直通を前提に建設されていた。その結果多くの路線が架線集電式となっていた。
        • 地下鉄千日前線は阪神と近鉄が乗り入れる路線として建設され、その結果阪神なんば線は存在しなかった。
        • 四つ橋線も南海が直通していたことから、なにわ筋線はJRだけが乗り入れる路線となっていた。
          • 戦前に建設が始まった大国町-玉出間は四つ橋線とはならず、御堂筋線の支線扱いになっていたが、平成になってからやっと「西成線」という線名が名付けられる。
    • 京橋鶴橋・新今宮が東京における渋谷新宿池袋のようなターミナル繁華街として発展していた。
    • 経営者の性質からしてそこまで変わったような気がしない。
  2. 現実より高架区間が短く地平区間が長かった。
    • 戦後復興期もしくは昭和30年代に連続立体交差化され、史実とほぼ同じようになる。
  3. 史実の戦後開業区間では舟運にかなり悪影響があった。
  4. 大阪市の市域拡張も史実より早く、明治末期もしくは大正初期の頃には東成郡・西成郡の全域が大阪市に編入されていた。
昭和初期
  1. 開業時は「「大大阪」にふさわしく環状線もできた」と大騒ぎだった。
    • 当時の観光ポスターなどにも環状線がデザインされたものが多い。
    • 大大阪地下鉄行進曲のように、「大大阪環状線行進曲」といった開業記念の歌が制作されていたかもしれない。
  2. 大正あたりからも貨物線が延びている。
  3. 船舶への配慮として安治川をまたぐ部分が地下だったかもしれない。
  4. 芦原町駅を通っていた可能性もある。
  5. 大阪市西部が空襲に遭った際この路線の高架などのおかげで助かった人がいた。
  6. 戦後の高度成長期までに複々線化される。
    • 関西本線の気動車が大阪駅に乗り入れていた。
      • 関西本線の奈良以西電化も史実より早かったかもしれない。
  7. 関西本線とは今宮駅で分岐していた。
    • 新今宮駅は国鉄と南海の接続駅として史実(1964年)より早く同時に開業していた。
    • つまり当初から環状線の今宮駅ホームが存在していた。(史実では1997年に開業。)
      • 戸籍上の大阪環状線は天王寺~大阪~今宮となっていた。
  8. 旧西成線の西九条-桜島も環状線開業と同時に電化されていた。
    • 1940年の安治川口駅構内での車両火災はなかったかもしれない。
  9. 地下鉄御堂筋線の動物園前駅は新今宮駅に隣接する形に設置され、駅名も「新今宮」になっていた。
    • 国鉄(JR)新今宮駅ホームには地下鉄駅と連絡・直結する「中央口」が設置されていた。
  10. 新今宮-弁天町のルートは史実より南側を通っていた可能性もある。
    • 史実の国道43号線のルートに並行して建設され、大正駅は泉尾交差点付近に建設されていた。史実の芦原橋に相当する駅は中開交差点付近に建設され、駅名も「中開」となっていた。
      • その場合大正駅は大阪ドーム(京セラドーム大阪)へのアクセス駅にはならず、現在に至るまで快速は通過していた。
        • 現実の大正駅と同じ位置には地下鉄長堀鶴見緑地線の「三軒家」駅が設置されている。
        • 大阪ドームへのアクセスとして阪神なんば線の建設が前倒しされ、1997年3月のドーム完成と同時に開業していた。
      • その場合大正区は現実よりも発展していた。
    • 南海高野線(汐見橋線)木津川駅は環状線との乗換駅となっていた。
      • 阪神なんば線西九条~大阪難波間の整備目的は「なみはや国体の交通整備」とされた。
  11. 弁天町駅は市岡駅を名乗っていた(芸備線の市岡駅は戦後に開業したため)。
    • 芸備線の市岡駅は「備中市岡」を名乗っていた。
1970年
  1. 同年に開催された大阪万博を機に整備されたことになっていた。
  2. 大阪駅の環状線ホームは環状運転開始と同時に現在の形になっていた。
  3. ダイエー京橋店(現イオン京橋店)の開店が1年ほど早まっていた。
    • 大阪環状線の全通を見越しての開店となっていた。
  4. 弁天町駅は地下鉄中央線の駅の方が先に開業していた。
    • その場合、現実とは逆に大阪環状線の方が中央線をオーバークロスする形になっていた。
  5. 関西本線奈良-湊町間の電化も大阪環状線の全線開業と同時に実施されていた。
1990年代
  1. 大阪環状線という名前ではなかった。
    • 桜島ー大阪がゆめ咲線、大阪ー京橋ー天王寺が城東線、天王寺ー今宮が大和路線。今宮ー西九条間が新線。
      • 環状運転時にJRが「大阪環状線」という路線愛称を付けていただろう。
        • おおさか東線同様、「おおさか環状線」になっていたかもしれない。
  2. 開業時に207系が導入されていた。
    • 201系の導入も早まっていた。
  3. 阪神なんば線の開業が早まっていたか。
    • その場合地下鉄千日前線は桜川から大正区内に延伸されていた。
    • おそらく1970年の大阪万博の頃には開業していたと思われる。
  4. 鉄道施設などは大阪府・市出資の会社が保有している。
  5. 大阪花博までに開業させることが目標になっていた。
    • 花博で盛り上がる大阪の象徴になった。
  6. 大和路線直通の快速は当初から221系で運転されていた。

JR東西線

1970年
  1. 大阪万博に合わせての開業となっていた。
  2. 開業当初の車両は103系1000番台だった。
  3. 路線名は「東西線」ではなかった。
    • 恐らく「片福線」という名前が使われていたかあるいは片町線の延伸区間になっていた。
      • 片町線のラインカラーは「水の都大阪」の中心地を通る理由で青22号に変更か。代わりに阪和線のカラーが赤1号辺りになる。
        • 開業当初の保安装置はATC-4であった。2000年頃にATS-P(全線形)に更新される。
          • 207系・321系の集電装置は1両辺り1基のみ(103系1000代に合わせ)。
  4. 一部の駅名が違っていた。
    • 大阪城北詰→片町、大阪天満宮→南森町、北新地→桜橋あるいは南梅田、御幣島→歌島橋。
      • 史実の北新地駅は「片福線大阪駅」になっていたかもしれない。京葉線東京駅みたいに。
        • 大阪駅と片福線大阪駅を改札内で直結する地下連絡通路も建設されていた。
          • 自動改札機が国鉄で最初に設置されたかも。
  5. 地下区間は現実よりも浅い場所に建設されていた。
  6. 片町線と福知山線は早くに近代化されていた。
    • 1970年の時点では福知山線の尼崎~宝塚間の複線電化、片町線の四条畷~長尾間の電化が完成していた。福知山線宝塚以北に関しては現実通り、あるいは現実より少し早い時期に複線化や電化が完成し片町線の長尾以東は国鉄時代のうちに電化されていた。
  7. 当時は淀川を地下トンネルで潜る技術が確立されていなかったため、海老江以北は地上区間になっていた可能性もある。
  8. 阪神国道線の代替路線としても位置づけられていたため、阪神国道線・甲子園線は史実より5年早く廃止されていた。
1990年
  1. 国際花と緑の博覧会の開催を機に、開業していた。
    • 国際花と緑の博覧会へのアクセス路線として、賑わっていた。また、JR神戸線・JR宝塚線から片町線に向かう臨時列車も運行されていた。
  2. 福知山線の新三田~篠山口間の複線化も1990年頃に完成した。
  3. 207系電車の登場が史実より早まり、開業時に登場した。
    • それ以前に205系1000番代(207系900番代を基本に、車内外A-A対応、先頭車を207系900番代同様にした車両)が淀川電車区・高槻電車区・明石電車区に配置される。当初は黄5号の帯を貼付。その代わり205系0番代は近畿圏に配置されない。また、史実の205系1000番代にあたる車両は製作されない。
  4. 駅名は史実通り。また、地下路線として、開業していたのも史実通り。
  5. 堂島・北新地・南森町付近の再開発が史実より早く進んでいた。
  6. 同年に開業した京葉線とともに注目された。
  7. おおさか東線の開通が史実より早まっていた。
    • 1997年3月に放出~久宝寺間が開通し、2008年3月に新大阪~放出間が開通した。
    • 衣摺加美北駅の開業も早まっていた。
  8. 京葉線と同様に日本鉄道建設公団の手によって、建設された。
  9. 場合によっては、1989年3月に開業していた可能性もある。
1990年代(1991年以降)
  1. 国鉄(JR西日本)の手によって、工事が行われた。
    • 関西高速鉄道は設立されなかったかもしれない。
    • いや、京葉線と同様に日本鉄道建設公団によって、建設された。
  2. 早くても、1993年3月に、遅くても、1996年3月に開業していた。
    • 1995年開業の場合、阪神大震災の復旧を優先したことから3月ではなく10月頃の開業となっていた。
  3. おおさか東線の開通が史実より早まっていた。
    • 1997年3月に放出~久宝寺間が開通し、2008年3月に新大阪~放出間が開通した。
  4. 207系電車が1990年に登場し、開業までに103系電車が片町線での運用から撤退していた。
    • 福知山線での運用も史実よりも早く撤退していた。
  5. 1994年までに開業していたら、1995年の阪神・淡路大震災の影響で一時的に不通になっていた。

おおさか東線

久宝寺~放出間は、2008年3月15日に開業し、新大阪~放出間は、2019年3月16日に開業しました。

国鉄時代
  1. 同時に阪和貨物線の旅客化も実現していた。
    • その場合加美~久宝寺で関西本線と十字形に立体交差していた。
    • 当時は竜華操車場が現役だったことから、久宝寺駅には乗り入れなかったかも。
    • 車両も関西本線ではなく阪和線と共通運用になっていた。2019年現在は225系5100番台の6両が運用されている。
    • 谷町線の平野以南は建設されなかったかもしれない。
      • むしろ谷町線は阿倍野からそのまま南進して遠里小野方面に伸びていた可能性も。その場合は平野線は阪堺電気軌道に譲渡されて存続している。
  2. 天王寺駅の大和路線⇔阪和線の連絡線がまだ完成していなかったことから、一部の「くろしお」が新大阪発着~おおさか東線経由で運転されていた。
    • JR東西線も開業していないので、放出駅で片町線からおおさか東線に乗り換える客も多かった。
  3. もちろん「JR」付きの駅名は存在しない。
    • 「城北公園通」駅も「赤川」駅になっていた。
    • 「JR長瀬」駅は「柏田」駅を名乗っていた。
    • 「JR淡路」「JR野江」駅は「東淡路」「西野江」だったかも。
      • 私鉄にかまわず「淡路」「野江」を名乗るという可能性もあった。
  4. ルート的に被る大阪市高速電気軌道今里筋線は計画されなかったかも。
    • むしろ千日前線の新深江-南巽が建設されなかった可能性もあった。
    • 今里筋線は蒲生四丁目-湯里六丁目の路線となっていたかも。蒲生四丁目以南の区間はルート的に被っていない。
  5. 1985年以前に開業していた場合、現実の高井田中央駅が「高井田」駅を名乗っていた。
    • 現実の高井田駅は「東高井田」駅になっていたかも(日豊本線に北永野田駅という類似例があることから)。
      • もしくは「河内高井田」駅だったかもしれない。
      • もし現実の高井田駅の開業がJR化後だったら駅名は「JR国分」になっていた可能性も。
  6. 1970年に開業していた場合、大阪万博開催に伴う鉄道整備の一環として行われたことになっていた。
    • 当初は72系などの旧型国電が運用されていた。
    • 1980年代にはウグイス色に黄帯の101系も使われており、101系が新大阪駅に姿を見せていた。
      • 阪和線杉本町-鳳の複々線化が実現した可能性が。1971年の和歌山国体に合わせ和歌山-紀伊田辺間の複線電化が実現した。新快速はそれと同時に登場。新大阪-紀伊田辺間・天王寺-紀伊田辺間で合わせて2本/h運行される。
  7. 直通快速には春日色の113系が運用されていた。
    • 1973年から1988年頃までは快速 新大阪という表記であった。
  8. 1964年以前に開業していた場合、起点は新大阪駅ではなく吹田駅だった。
  9. 1964年に開業した場合、東海道新幹線開業に合わせる形となっていた。
  10. 新大阪駅に新快速が停車するのが早まっていたかも。
  11. 路線名は大阪外環状線になっていた。
    • 加美~杉本町間も開業していたら、路線名が「おおさか東線」になることはなかった。
1990年代に開業した場合
  1. 大和路快速の発足と同時に、姫路~放出~久宝寺~奈良間の直通列車が運行されていた。
  2. 1990年に鶴見緑地で開催された花博に合わせて開業したことになっていた。
    • 花博の開催期間中は放出駅から会場に向かうシャトルバスも運行され、特に奈良方面からの来場客に重宝されていた。
  3. 223系電車よりも207系電車が先に運用されていたかもしれない。
  4. JR東西線の時と同じく、工事は関西高速鉄道が受け持っていたかもしれない。
    • 日本鉄道建設公団の手によって建設された可能性もあった。
  5. 奈良方面からJR東西線に乗り入れる有料の通勤ライナーが設定されていたかもしれない。
  6. 1996年までに開業した場合、放出~久宝寺間or放出~新大阪間のどちらかが先行開業し、その区間における折り返し普通列車が運行されていた。
    • 2008年3月には全線開業し、衣摺加美北駅も開業していた。
    • 1997年にJR東西線が開業した時に、直通快速が運行されていた。
  7. 久宝寺駅の橋上駅舎化と大和路快速の久宝寺への停車が史実よりも早まっていた。
2008年に新大阪~放出間が開業した場合
  1. 放出~久宝寺間の開業が2001年~2007年あたりに早まった。
    • JR東西線の開業が早まっていたら、1997年3月に開業していた。
    • その場合、直通快速は207系電車で運用され、新大阪延伸後も207系電車・321系電車で運用されていたかもしれない。
  2. 直通快速が奈良~尼崎間と奈良~新大阪間の2つが設定されていた。
    • 学研都市線方面から新大阪に直通する系統も設定されたかも。
  3. 衣摺加美北駅の開業が史実より早まったか、延伸時に開業していた可能性もあった。
    • 放出~久宝寺間の開業時に開業していた可能性もある。その時は「衣摺駅」になっていたかもしれない。
  4. 2010年の平城遷都1300年祭の際に、新大阪~奈良間の臨時特急が運行されていた。
  5. 東淀川駅の橋上駅舎化や駅前後の踏切の廃止、赤川橋梁の歩道撤去が10年早まっていた。
  6. ウグイス色の103系が新大阪駅に乗り入れていた。
    • 223系電車が史実より多く増備されて、直通快速は223系電車で運用されていたかもしれない。(207系電車や321系電車に置き換わることはなかったかもしれない。)
      • 223系が放出以北の北区間にも入線していた。
    • 直通快速の本数も史実より多くなっていた。(2010年代のダイヤ改正で実現していた。)
      • 新大阪発着と尼崎発着がともに設定されていた。
        • 場合によっては学研都市線方面からの新大阪行きも設定されていた。
  7. 阪急新大阪線(十三~新大阪~淡路間)が先に開業していたら、早まっていた。
  8. 北梅田駅への乗り入れに考慮されているどうかは怪しい。
    • 当初の予定通り新大阪駅のホームは1番東側に建設されていた。
  9. 2008年のオリンピックが大阪で実現していたらそうなっていたかもしれない。
    • 当時の状況を踏まえるとそこまで手が回ったかどうか微妙。
  10. 放出~久宝寺間の開業が1999年3月頃に早まっていた。
    • その場合、久宝寺駅の橋上駅舎の完全が史実より早まっていた。(史実では、1997年7月に完成した。)
    • 開業時に、久宝寺駅は大和路快速の停車駅になっていた。
    • 竜華操車場跡地の再開発が史実より早く進んでいた。
    • その場合、直通快速は207系電車・321系電車で運用されていた。
    • 207系電車が史実より多く投入され、福知山線での103系電車の撤退が史実より早まっていた。
2008年に新大阪~放出~久宝寺間が開業した場合
  1. 前述と同じ。
  2. 奈良駅発着の直通快速は当初から新大阪駅へ向かうようになっていた。
    • その場合223系→207・321系ではなく221系が運用されていたかもしれない。
  3. 直通快速の本数が史実より多くなっていた。
    • 平城遷都1300年祭が開催された2010年3月のダイヤ改正と外国人観光客の増加に伴う2016年3月以降のダイヤ改正を機に本数が増加していた。
    • 新大阪を発着する天理臨が運行されていた。

大手私鉄

阪急千里線(千里山~北千里間)

1930年代

実際に、前身の新京阪鉄道が免許(千里山~山田間)を取得していました。もし、これが実現していたら…

  1. 千里山~南千里or山田間で開業していた。戦後、史実より早く北千里までの延伸を実現していた。
    • 北千里以北への延伸の実現も否定できない。
  2. 史実より千里ニュータウンが発展していた。
  3. 大阪外国語大学が山田駅or南千里駅or千里山駅付近に移転してきた可能性がある。
    • これが実現した場合、戦後、近畿日本鉄道は大阪外国語大学のグラウンドを買収し、近鉄花園野球場を整備し、近鉄バファローズの本拠地にした。
  4. 新京阪鉄道の路線が阪急の手に渡ったのは史実通り。
  5. 阪急新大阪線(十三~新大阪~淡路間)が実現していた可能性が高い。
1964~1966年頃
  • 史実では、1967年に開業。
  1. 1963年8月に千里山~南千里間の開業は史実通り。
  2. 自動改札機の導入も早まっていた。
    • そこは開発する立石電機(現オムロン)の問題になるので別の路線が初導入になっていただけでは。
      • 東京モノレールの整備場駅あたりが有力候補か。
  3. 早まった分、新大阪線(十三・神崎川~新大阪~淡路間)は1967年頃に開業していた。
    • その際、新大阪駅にも、自動改札機が導入されていた。
  4. 大阪万博が1964年に開催していたら、1964年3月に開業していた。

京阪鴨東線

1930年代
  1. 最初から京阪が建設していたら本当に1930年代に開業できていたかもしれない。
    • 史実では「地方鉄道」だった京都電燈叡山鉄道部が作ろうとしていたため「軌道」だった京都市電との交差をどうするかに時間を取られ過ぎ建設できなかった。
  2. 京阪本線の延長線として建設されている。
    • 三条-出町柳間固有の路線名は存在しない。
  3. 現実の出町柳駅が「今出川」駅になっていたかもしれない。
    • この場合2008年に「下鴨今出川」あたりに改名されている。
  4. 叡山線車両の京阪線乗り入れが実現していた。
  5. いずれ叡山線は京阪に編入されていた。
    • 場合によっては京福電鉄ごと京阪→阪急に食われていた。
      • この場合嵐電相当の区間は阪急のものになっている。
      • 福井地区は戦後に別会社(おそらく阪急グループ)として独立。
  6. 加算運賃は最初から存在しない。
1950年代~1960年代
  1. 鴨東線は地上線として開業していた可能性が高い。
    • 1500Vへの昇圧と淀車庫の開設と京阪特急8両編成での運行の開始が史実よりも早まっていたかもしれない。
    • 1987年5月に京阪本線の東福寺~三条間と共に鴨東線も地下化された。
      • 同時期に8000系電車と7000系電車が投入されていた。
    • 三条駅の京阪線ホームは2面2線のホームとなり、出町柳駅のホームは2面3線のホームになっていた。また、京福電鉄との連絡線も設けられていたかもしれない。
    • 鴨川沿いに沿って、建設され、跡地は川端通の建設に活用された。
    • 1960年代後半の場合、京阪本線の東福寺~三条間の地下化が史実よりも早まっていたかもしれない。
  2. 3000系電車は全て7両編成化されていた。
    • 京橋駅の移設及び複々線化と同時に8両編成化された可能性が。
  3. 1963年7月に開通した阪急京都本線の河原町延伸開業と比較されていた。
  4. 遅くても、1969年までに開業していた。
  5. 1968年までに開業していた場合、近鉄電車が出町柳に乗り入れていた。
    • 但し京阪側の昇圧が近鉄よりも早かった場合、近鉄の京阪乗り入れはその時点で廃止されていた。
    • むしろ、近鉄との直通運転が史実よりも早く取りやめていた可能性もあった。
  6. 京福電鉄との相互直通運転が1980年代までに行われていた可能性もあった。
    • 計画通りに京福電鉄の車両は中書島までに乗り入れ、京阪電鉄の車両は岩倉か八瀬遊園までに乗り入れていた(ただし、京阪は4両編成で乗り入れていた)。
    • 京阪特急が八瀬遊園までに乗り入れていたかもしれない。
      • その場合、3000系電車は4+3両編成で登場し、出町柳で切り離しを実施し、出町柳以北は4両で運行されていた。
      • 乗り入れに対応していた京福電鉄のデオ300形電車が史実よりも多く製造されていた。
        • 2両編成で製造されていたかもしれない。
    • 京阪線が1500Vに昇圧された時に打ち切られたか。
  7. 鴨川電気鉄道が設立されることはなかった。
  8. 1900系電車が特急として当路線に乗り入れていた。
    • 3000系電車の登場が史実よりも早まっていたかもしれない。
  9. 森のゆうえんちの閉園が史実よりも遅くなっていた。
  10. 観光地としての鞍馬、貴船、八瀬の知名度が史実よりも高くなっていた。
    • 行楽シーズンになると、鞍馬、貴船、八瀬と書かれた運行標示板が掲げられた京阪特急が運行されていた。また、京阪は「鞍馬、貴船、八瀬へは京阪特急で」という宣伝を行っていた。
  11. 叡山電鉄の京都精華大前駅の開業が1970年代までに実現していた。
  12. 地上線での開業の場合、京都市電丸太町線と交差するので、ダイヤ上のネックになっていた。
  13. 叡山電鉄鞍馬線の岩倉~市原間の複線化が1970年代までには実現していた。
1970年代
  1. 本線の東福寺~三条の地下化も同時期に実現していた。
    • 1500V昇圧や8両編成化も現実よりも早く行われていた。
  2. 叡山線が京福電鉄から分社化されることはなかった。
    • 史実では京都市電の廃止後連絡する鉄道が皆無になり赤字が増大して分社化されたため。
    • 京阪と叡電の直通も実現していたかも。
      • その場合、叡山線は京福から京阪に移管されていた。
      • 1971年に登場した京阪3000系は鞍馬乗り入れを考慮して勾配対応仕様となっていた。
  3. 1970年開業だった場合、大阪万博が路線開業のきっかけになっていた。
    • 3000系も史実よりも1年早く登場していた。
      • 京阪線の15分サイクルダイヤ実施も。
    • 新門真(現門真市)駅も同時に開業している。
      • 開業と同時に京阪本線の1500V化された場合,5000系は製造されなかった。8両運転も同時に開始される。
        • 3000系が6000系を名乗るかも(京阪開業60周年を記念する意味合いも込め)
    • 3000系は4+4両編成で登場していた。
    • 1970年に開業した場合は、地上線として開業していた可能性もあった。その場合、むしろ1960年代の項目と同じであった。
  4. 加算運賃は2010年代に入って撤廃されていた。
    • タイミングとしては2014年か2019年の増税のタイミングだったと思われる。
  5. 8000系は1990年代前半に登場していた。
    • その場合、最初から8両編成で登場し、2階建て車両も最初から連結されていた。
    • もしくは登場が1980年代後半に前倒しされていた可能性もあった。
  6. 1989年までに運行されていた宇治線直通急行が当路線に乗り入れていた。
1983年
  1. 6000系は鴨東線開業に合わせてデビューしていた。
    • 同時に新型特急車両もデビューするが、8000系ではなく7000系となっていた。
      • この新型特急車が好評で旧3000系を置き換えるのは史実通りだが、置き換え時期が史実よりも早く車齢も若かったので2→3扉化をはじめとする通勤車化改造が行われていた。
        • その場合、1900系の冷房改造は行われなかった可能性が高い。
  2. 本線の東福寺~三条の地下化や架線電圧600→1500V昇圧も同時に行われていた。
1987年
  1. 京阪本線の東福寺~三条間の地下化と同時に開通していた。
  2. 7000・8000系の登場も2年程早まっていた。
  3. 3000系は8両編成化されていた。
    • 8000系は平屋の8両編成で登場、増備されていた。
      • いや、当初から2階建て車両が連結されていた。
1988年
  1. この年に開催された京都国体に合わせて、4月上旬ごろまでに開業していた。
  2. 7000・8000系の登場が史実よりも早まっていた以外で1989年に開業していた頃と変わらなかったか。
    • その代わりに、8000系の2階建て車両の投入が史実よりも早まっていた。
    • 8000系の登場時に2階建て車両が投入された(同時に8両化)かも。
      • 3000系は同時に8両化されたかも。
  3. 叡山電鉄の京都精華大前駅の開業も史実よりも早まっていた。(当路線の開業に合わせて実施されため)

近鉄難波線

1914年
  1. 大阪電気軌道の手で開業し、現在は大阪線の一部。
    • 1912年の「ミナミの大火」の焼け跡を駅用地・線路用地に転用できたため、比較的容易に難波乗り入れができた。
  2. 難波における南海との開発競争が激しくなる。
    • 一方上本町は繁華街にならず「上六」という通称もない。
      • せいぜい某スポーツ強豪校の最寄り駅や地下鉄谷町線との乗換駅程度の認識。
      • 近鉄百貨店は上本町ではなく難波にできていた。勿論来店客数も現実の上本町店よりも多い。
        • 阿倍野店と並ぶ存在となっていた。
        • 南海の駅ビルの高島屋との競合で難波を盛り上げていたかも。
    • 難波-上本町間には日本橋駅の他、松屋町筋との交点に下寺町駅が設置されていた。
  3. 加算運賃はなかった。
  4. 1956年に複々線化され、これの大半が実現していた。
  5. 阪神なんば線開通に合わせて奈良線と大阪線のいずれかが地下化されていた。
    • 難波駅は現実の大阪上本町駅と同じく地下と地上の2階建て構造となっていた。
    • 阪神なんば線も史実とは違って1970年に開通していた。千日前通の拡幅と阪神高速道路の建設、なんばウォークの建設は史実通り。
1960年代
  1. 早くても、1963年頃までに、遅くても、1968年頃までに開業していた。
  2. これを機に、1959年頃に、花園ラグビー場周辺に近鉄花園野球場を整備し、そこを近鉄バファローズの本拠地にしていた。
  3. 1970年3月には、阪急新大阪線(十三~新大阪~淡路)が開業していた可能性もある。

阪神なんば線

もし阪神なんば線が別の時代に全通していたら

近鉄けいはんな線

1970年
  1. 大阪万博が開業のきっかけだった。
  2. 開業当初は4両編成で運転されるものの、相互直通する地下鉄中央線共々史実よりも早く6両編成化されていた。
    • けいはんな線開業前に大阪港-本町で使用されていた800形(旧6000形)・900形(旧6100形)は四つ橋線に転用されていた(その後1970年代末に四つ橋線から谷町線に転属し、史実通りT車化のうえ50系に組み込まれた)。
  3. 近鉄7000系は北大阪急行2000形と同じく大阪市30系をベースとした車両になっていた。
    • 非冷房なので1990年前後には新車に置き換えられていた。
      • 廃車にはせず台車交換(10400系・11400系の廃車発生品に)・パンタグラフ集電への変更・冷房改造(ラインデリア車向けの2コブキセ使用)のうえ、三重県内の路線に転用されていた。一部の車両は先頭車化改造も行われた。
    • 7000系の換気装置には当時製造された近鉄車両と同様のラインデリアが採用され、三角形の蛍光灯カバーも付き、化粧板は当時の近鉄車両と同じベージュのコルク模様で、車体帯も近鉄マルーン色になっていた。
    • 近鉄奈良線8000系のアルミ車8069Fは東大阪線用7000系でアルミ車体を採用するための試作車として開発された。
  4. 阪神高速道路東大阪線とは一体構造にはならなかった。
  5. 生駒~学研奈良登美ケ丘延伸も1980年代に実現。
    • 但し生駒以東の駅名は現実と違っていた。
    • 高の原あるいは学研都市方面への延伸も既に実現。
  6. 加算運賃は設定されるものの、現実よりは安く設定される。
    • 当初の目標であった近鉄奈良線の混雑緩和に役立っていた。
生駒~学研奈良登美ヶ丘間が別の時期に開業していたら

史実では、2006年3月に開業。

1990年代
  1. 7020系電車の登場は史実通りだが、「シリーズ21」に準拠したタイプになっていなかった。
  2. 奈良生駒高速鉄道は設立されずに、東大阪生駒電鉄が設立された。
2000年前半
  1. 7020系電車は史実よりも早く登場していた。
  2. 2004年までに開業していたら、近鉄バファローズを応援するラッピング列車が運行されていた。
    • 近鉄バファローズがパ・リーグを優勝した2001年に開業した場合、近鉄グループにとって、喜ばしい年になっていた。
    • 2005年に開催された愛知万博をPRするために、ラッピング列車が運行されていたかもしれない。
  3. 国立国会図書館関西館や私のしごと館の開館と時期が重なっていた。


1980年代
  1. 東大阪線が1970年代に開業していたら、あり得た。
  2. 学研都市は大阪のベッドタウンとして現実より発展していた。
    • 1990年頃に沿線の開発が大幅に進んでいた。
    • 特に白庭台地区と登美ヶ丘地区では大幅に進んでいた。
  3. 東大阪奈良電鉄か京阪奈急行電鉄として設立されて、建設されていた。
    • その場合、1986年10月に長田~学研奈良登美ヶ丘間として開業していたか、1988年か1989年に生駒~学研奈良登美ヶ丘間として開業していた可能性もあった。
  4. 7020系電車は登場しなかったか、登場したとしても、7000系電車と同じタイプになっていた。

京阪中之島線

1970年
  1. 同年開催された大阪万博に合わせての開業だった。
    • 蒲生信号場~天満橋間の複々線化も早まっていた。
  2. 中之島西部エリアの開発も現実と違った形になっていた。
    • 大阪大学が中之島から撤退することはなかったかも。
  3. ドーチカが渡辺橋駅まで繋がっていた。
    • 場合によってはなにわ橋-北浜、大江橋-淀屋橋の地下通路もできていた。
  4. バブル期前後に西九条あたりまで延伸し、阪神との乗り入れも実現していた。
    • この場合近鉄との乗り入れはどうなっていたか…。
  5. 旧3000系の登場が1年ちょっと早まり、中之島線開業に合わせる形となっていた。
  6. 加算運賃は21世紀に入って撤廃されていた。
1980年
  1. 守口市~寝屋川信号所間の複々線化とセットで開業していた。
  2. 当時はまだ京阪の輸送量が伸びていたので天満橋以西が実質複々線化されることにより本線の淀屋橋~天満橋間の混雑緩和に役立っていた。
  3. 1990年代に入ると中之島駅以西の延伸計画が具体化し、21世紀に入って西九条方面への延伸が実現していた。
    • 延伸開業が阪神の難波延伸より先だった場合、阪神との直通も実現していた。
      • この場合、阪神は阪急ではなく京阪と経営統合していた。
  4. 中之島駅周辺の再開発も早まった。
    • 朝日放送の社屋も昭和時代のうちに移転していた。
      • 築20年かそこらで移転するのはさすがに想像しにくい。
      • むしろ88年移転の読売テレビあたりが来る方が自然。
        • 90年移転の毎日放送だったかも。
1989年
  1. 翌年に開催される国際花と緑の博覧会に見据えての開業であった。
  2. 大阪大学医学部附属病院の吹田市への移転が史実よりも早まり、ほたるまちの開業が史実よりも早まっていた。
    • 「こども本の森 中之島」の開業も史実よりも早まっていた。
  3. 時期的に鴨東線の開業と重なっていた。
    • むしろ鴨東線の開業が1950年代~1960年代に早まっていた可能性もあった。
    • 遅くても1988年までに開業していた。
  4. 7000系電車と7200系電車が史実よりも多く増産されていた。
    • 中之島~出町柳間を結ぶ急行列車が運行されていた。
      • むしろ同時に快速急行が設定されていたかも。
  5. 2代目3000系電車は登場しなかったか史実よりも遅れて登場していた。
  6. 大阪市立科学館の開館と同時に開業していた。
1990年
  1. 同年開催された国際花と緑の博覧会に合わせて開業したことになっていた。
  2. 駅の内装は1987年完成の東福寺~三条の地下線や前年に開業した鴨東線と同じような感じになっていた。
  3. 中之島線各駅のホームは10両編成対応となっていた。
  4. 7000系が現実以上に増備されていた。
    • 少数派系列に終わることはなかった。
1994年
  1. 関西国際空港開港に合わせて開業していた。
  2. なにわ筋線も同時に開業していた。
  3. 7200系は中之島線開業に合わせて登場していた。
  4. 特急の一部が中之島発着になっていたかも。
    • その場合、ダブルデッカーの連結は中之島線開通と同時に行われていた。
1997年
  1. 奇しくも北側を並行するJR東西線とほぼ同時期に開業していた。
    • 同年開催されたなみはや国体に伴う交通整備と位置づけられていた。
  2. 9000系及び8000系ダブルデッカーは中之島線開業と同時にデビューしていた。
    • 快速急行も同時に設定され、これに9000系が運用されていた。
  3. 同時期に京阪のCMキャラクターを務めていた渡辺満里奈が開業式に呼ばれていた。
    • 「渡辺」繋がりで渡辺橋駅の1日駅長も務めていた。
2001年
  1. USJの開業に合わせて、開業した。
    • 新桜島駅まで開業していた。
    • 2000年に開業していた可能性もある。
  2. 中之島周辺の再開発が史実よりも進んでいた。
  3. 京阪電車おでかけ情報誌「K PRESS」が阪神の駅でも配布されていた。
    • 阪神は阪急ではなく京阪と経営統合していたかも。
      • その場合、西九条から阪神なんば線に繋がる連絡線が建設され、阪神と京阪が乗り入れていた。
    • 逆に阪神の広報誌も京阪の駅で配布されていた。
  4. 特急の一部が新桜島発着になっていた。
  5. 2025年の万博開催に合わせ夢洲への延伸工事が行われるようになっていた。
2003年
  1. 3000系電車 (2代)の登場が史実よりも早まっていた。
  2. 中之島地区における再開発が史実よりも早まり、2010年代までには全体工事が完成していた。
    • 国立国際美術館の開館と同時期に開業していた。
  3. 2003年のダイヤ改正は史実よりもより大がかりなものになっていた。

京阪本線(淀屋橋~天満橋間)

1930年代
  1. 阪神梅田駅や神戸市内の地下線や新京阪線の京都市内と同様、戦前に完成した地下線となっていた。
  2. 天満橋駅は現実と異なり複線分しか確保されていなかった。
    • そのため、京橋駅の移設及び高架複々線化と同時に梅田方面への分岐線が建設されていた。
      • あるいは中之島線がこの時に建設されていた。
  3. 1960年代に鴨東線が開業していた。
  4. 大津線以外の600V→1500V化が京橋駅の移設及び高架複々線化までに実現。
  5. 開業時期次第では御堂筋線の淀屋橋駅と一体で建設されていた。
1970年
  1. 大阪万博開催に合わせて開業したことになっていた。
  2. 京橋駅の移設及び高架複々線化と同時施工されていた。
  3. 淀屋橋駅は現実とは異なり、御堂筋線の下をくぐって地下3階に設置されていた。
    • 位置も御堂筋の西側になり、御堂筋線淀屋橋駅とともに四つ橋線肥後橋駅とも接続していた。
    • 中之島線は淀屋橋から延伸される形になっていた。
  4. 地下線が複線なのは現実通りだろう。
    • そのため、中之島線開通後も天満橋行きが残っていた。
  5. 1960年代に京阪線の直流1500への昇圧が実現していたかもしれない。
    • 京都側の市電(600V)との平面交差をどうにかできなければ無理。

地下鉄

神戸高速鉄道

1930年代
  1. 神戸市の第三セクター会社ではなく、阪急・阪神の延長線として開業していた。
    • 阪急・阪神と山陽は新開地を境に会社が分かれる形となっていた。
    • 阪急・阪神~山陽・神鉄に乗る場合、3社から2社に減ることから運賃が安くなっていた。
  2. 山陽電鉄の電鉄兵庫駅は戦前に廃止されていたか、三宮方面の線路がここから延長する形で建設されていた。
  3. 阪神大震災で地下トンネルが崩壊することはなかったかも。
    • 実史では戦前に建設された高架橋や地下トンネルは大きな被害を受けなかったため。
  4. 梅田~姫路の直通特急も早期に実現していた。
    • 阪急も直通特急の運行に参加していた。
      • 「省線への対抗」で開業から運行したかもしれない。大阪万博までにカルダン駆動車での運行に統一。
  5. 阪神大水害で浸水し大きな被害を受けていた恐れあり。
1966年
  1. 同年開催された姫路博覧会に合わせての開業だった。
    • 大阪方面から山陽で姫路博覧会に行く人などで博覧会の入場者が現実よりも増えていた。
      • それでも姫路モノレールの運命は一切好転しなかった。
    • 阪神・阪急も姫路博覧会のPRを行っていた。
    • 阪急梅田・阪神梅田~山陽姫路間を結ぶ臨時特急が運行されていた。
      • その後も阪急・阪神梅田-山陽姫路を結ぶ特急が運行される。国鉄時代は梅田-姫路間の通し利用者が多かった。
  2. 阪神本線と阪急神戸線の昇圧は1965年頃に行われていた。
  3. 阪急3000系電車、5000系電車の登場が史実よりも早まっていた。
    • 3000系電車は宝塚線をメインにして投入されていたかもしれない。
1967年
  1. この年は、阪急千里線の北千里までの延伸開業と阪急ブレーブスのパ・リーグ初優勝という阪急にとっては、輝かしい年であった。
  2. 阪神本線や阪急神戸線の1500Vへの昇圧が史実よりも早まっていた。
    • 阪急5000系電車の登場も史実よりも早まっていた。
  3. 昭和42年7月豪雨による被害を受けて、一時不通になっていたかもしれない。
1990年代
  1. 建設理由は阪神大震災の復興。
    • 阪急・阪神・山陽・神鉄の地上側ターミナルは撤去。
  2. 神戸電鉄は三宮駅に乗り入れていた。
  3. 直通特急のスピードアップのため、途中に追い越し線が設置されていた。
  4. 地下トンネル及び駅ホームは近鉄車両の入線が可能な設計になっていた。
    • 近鉄車も新開地までは殆どが直通していた。場合によっては奈良-姫路間の直通列車も運行されていた。
  5. 阪急神戸線と神戸市営地下鉄の直通構想は浮上しなかったかもしれない。

神戸市営地下鉄海岸線

1980年代
元町
Motomachi
栄町
Sakaemachi
神戸
Kōbe
  1. リニア地下鉄ではなく西神・山手線と同一規格の路線となっていた。
    • 線路も当然つながっていて直通運転が行われていたかも。
    • あるいは史実で構想があった高架式新交通システムだった。
  2. 一部の駅の駅名が現実と異なっていた。
    • 「ハーバーランド」は「神戸」、「みなと元町」は「栄町」、「旧居留地・大丸前」は「元町」になっていた。
  3. JR和田岬線は廃止されていたかもしれない。
    • キハ35系300番台は登場しなかった。
1990年代

当初は1999年に完成する予定でした。

  1. 史実よりも利用客が若干多くなっていた。

京都市営地下鉄烏丸線

1930年代
  1. (大阪市営地下鉄→大阪メトロ御堂筋線と同じく)世界恐慌の失業者対策で建設された。奈良電(→近鉄)との直通は考慮されない。
    • 南の終点が竹田ではなく中書島あたりだった。
      • 南部延伸が完了した時点で(おそらく昭和30年代)市電伏見線は消えていた。
  2. 駅構内は豪華な造り。↑の御堂筋線梅田-なんば間に近い雰囲気。
  3. 「京都人の先進性」を語るエピソードの一つとしてよく使われる。
  4. 皇紀二千六百年までに京都-北大路間は開業済み。
  5. 京都市の人口は現実より1-2割多い。
    • 戦後の景観条例もあるのでそこまで劇的に影響があったかどうかは分からない。
  6. 丸太町と四条の間では御池ではなく三条に駅が置かれていた。
  7. 戦後の阪急京都線延伸工事がさらに難しくなっていた。
    • 烏丸駅が史実より深い位置にできていたかもしれない。
  8. 史実でも検討されたように堀川通経由だった可能性も。
  9. 戦前のことなので御所付近の区間では宮内省ともめていた恐れもある。
  10. 御池線(東西線)の建設開始も早まっていた。
    • 昭和のうちに一部区間ができていたかもしれない。
1975年
  • 当初の開業目標年。
  1. あまりバリアフリーには配慮されなかった。
  2. 市電の烏丸車庫が史実より早く廃止される代わりに九条車庫が全廃まで残る。
  3. もちろん市電と地下鉄の乗り継ぎ割引もあった。
  4. 市電廃止前の工事なので一部区間では難しい工程が必要だった。
  5. 車両のデザインはもう少し古臭い感じ。
    • 開業当初の車両は非冷房、抵抗制御で登場していた。
  6. 一部駅では市電との連絡の関係で現在はあまり役に立たない出口があった。
  7. 近鉄3000系は登場時から烏丸線に乗り入れていた。
    • 量産化されていたかも。
    • 初期車は冷房準備車(ラインデリア装備)として登場していた。

京都市営地下鉄東西線

1970年代
  1. 京阪乗り入れがなかった。
    • どのみち京津三条~御陵or山科間は廃止されていた。直通が無かった場合は分社化が断行されていたかもしれない。
  2. 車両サイズが路面電車並みに小さかった?
    • その上で高架だったかも。ただし景観論争勃発。
  3. 嵐山まで延伸していたか。
    • 計画通り洛西ニュータウンまで延伸していただろう。但し開業は早くても1990年代末。
    • 嵐山方面は嵐電に乗り入れていたかも。
  4. ホームドアは現在も設置されていない。
  5. 烏丸御池駅は最初からこの駅名だった。
1994年
  • 当初の開業目標年
  1. 平安遷都1200年を記念して開業していた。
  2. 京阪700形は現実よりも早く登場していた。
    • 80形は冷房改造されずに廃車されていた。
  3. 六地蔵や太秦天神川への延伸も現実よりも早かった。

大阪市高速電気軌道今里筋線

1970年代
  1. リニア式ではなく第三軌条方式になっていた。
  2. 谷町線と直通していた。
    • 太子橋今市~関目高殿(関目成育)間は新森古市経由ではなく千林大宮経由になり、谷町線と2階建ての構造になっていた。
    • 大日~今里間や井高野(または上新庄)~文の里・八尾南間の系統も運転されていた。
  3. 井高野ではなく上新庄が起点だったかも。
  4. 1990年代以降に今里~湯里六丁目間が延伸されていた。
    • 谷町線駒川中野駅は今里筋線との交差部分に近い場所に設置され、相互乗り換えも可能となっていた。
    • JR大和路線との接続駅の名称は「杭全東部市場前」となっていた。
  5. 表向きはトロリーバスの代替路線ということになっていた。トロリーバス廃止の翌日に開業していた。

大阪市高速電気軌道長堀鶴見緑地線

1970年代
  1. 他の地下鉄路線と同じ第三軌条方式となっていた。
    • 日本初のリニア地下鉄は都営地下鉄大江戸線となっていた。
  2. 路線名は「長堀線」となっている。
  3. 東側の鶴見緑地側ではなく都心側から開業していた。
  4. 恐らく千日前線と同様4両編成での運転となっている。
  5. 当時はOBPがまだなかったので、京橋~谷町六丁目は森ノ宮経由ではなく上町筋経由になっていたかも。
  6. 1980~90年代に大正以南鶴町方面への延伸が実現している。
  7. 当時は大阪ドームがまだなかったので「大阪ドーム前千代崎」→「ドーム前千代崎」は「千代崎」として開業していた。
    • そしてドームの開業後に改名していた。
  8. 「四ツ橋」駅は長堀線開通と同時に「心斎橋」駅に改称されていた。

大阪市高速電気軌道千日前線

1990年代
  1. 長堀鶴見緑地線と同じくリニア地下鉄となっていた。
    • 長堀鶴見緑地線及び今里筋線との連絡線が設置されていた。

神戸市営地下鉄西神・山手線

1972年
  1. 新神戸駅の利用客が早いペースで増加していた。
  2. 当初の予定通り青谷・王子動物園方面に延伸されたかもしれない。
  3. 1000形は非冷房で登場した。
  4. 表向きは前年に全廃された市電の代替を兼ねた。上記の新神戸駅は当線開業時から存在した。「のぞみ」の全列車停車は2000年頃か。
1981年
  1. ポートピア博覧会に合わせて開業したことになっていた。
  2. 同じ年に開業した京都市・福岡市の地下鉄と何かと比較されていた。

大阪市高速電気軌道御堂筋線(我孫子~中百舌鳥間)

1971年
  1. 泉北高速鉄道と同時に開業していた。
    • 場合によっては泉北高速鉄道は南海ではなく御堂筋線と直通運転していた。
  2. 中百舌鳥駅は南海・泉北高速鉄道と御堂筋線が一体構造になっていた。
    • 乗り換えが現実よりも便利になっていた。
    • 中百舌鳥駅に南海の優等列車が停車していたかもしれない。
  3. この時点で車庫も我孫子から中百舌鳥に移転していた。
    • 10両編成化も現実よりも早かったかもしれない。
  4. 我孫子以南は高架線になっていたかもしれない。

その他

大阪モノレール

1970年
  1. 中国道・近畿道と一体で建設された。
  2. 少なくとも大阪空港-万博会場が最初から開業している。
    • 東側の終点は国鉄茨木駅。
      • 門真市への延伸はやや後年にずれ込んだ。
        • 国鉄茨木駅は中央環状線からは北にずれているので、門真市への延伸はスイッチバックで行われていた可能性もある。
        • 1970~80年代前半までに門真市延伸を果たしていた場合、大阪府運転免許試験場へのバスは門真市発着のままだった。
          • 地下鉄谷町線も1977年の時点で大日まで延伸していた。
        • 京阪門真市駅が島式2面4線ホームとなり、準急が停車していた可能性もある。
      • 宇野辺駅は当初からこの駅名で開業していた。
  3. 日本跨座式の初お目見えとなった。
  4. 大阪万博を象徴する場面として「会場をバックに走るモノレール」というシーンがよく使われている。
    • 大阪万博の思い出として「モノレール」を挙げる人が少なくない。
    • そもそも史実の大阪万博でもモノレール(大阪モノレールとは別)は走っていたんだが…。
      • 万博会場のモノレール車両が万博閉幕後大阪モノレールに譲渡されていた可能性もある(方式がともに同じ日本跨座式だったため)。
      • 記念公園駅が中国道の北側に建てられ、万博会場内モノレールの1/2-1/4は彩都線に転用されるほか、車両基地も万博時のものを拡張し会場内モノレールの北側は出入庫線として転用されている。東急電鉄が大阪モノレールの大株主になっている。
  5. 現在は門真市以南へ延伸している。
    • 延伸の時期にもよるが、近鉄けいはんな線の荒本駅が現実とは異なり中央環状線の交点に建設されていたかも。
    • 門真市以南への延伸が1990年までに実現した場合、鶴見緑地で開催された花博へのアクセスとしても活躍していた。
      • 地下鉄長堀鶴見緑地線もモノレール開通と同時に門真南まで開通していた。
  6. イベントなどで万博当時の塗装を復元した車両が走る。
  7. 千里中央駅は北大阪急行の駅と一体で建設されていた。
  8. 大阪府と在阪私鉄出資の第三セクターではなく、東急(もしくはその子会社)が運行していたかもしれない(因みに万博モノレールの運行は東急が行っていた)。
    • 東急グループの関西進出の一環とされた。系列であった日本国内航空は特別塗装機を飛ばした。後にこの塗装を復元した機体を飛ばす。東急系のホテルが1970年頃から関西に多く建設される。
  9. 開業時の車両が1990年代半ばまで走った。1両程度は車庫に保存される。冷房付きの車両は1980年代から導入。
    • 開業時の車両は「100形」だったと思われる。
      • その次に登場する車両が「1000形」を名乗った(号車付番方法は100形と同じ)と思われる。
    • 1000形以降もATOに対応していると思われる。
      • ホームゲートはいつ頃設置されただろうか。
  10. 現実より運賃が安くなっていた。
    • そのため利用者数が史実より多くなっている。
1980年代
  • ちなみに当初の計画では、南茨木~千里中央間は1988年春に開業する予定でした。
  1. 最低でも、1989年までに南茨木~千里中央間が開業していた。
    • その場合、翌年に開催された国際花と緑の博覧会の開催に間に合い、それに伴って、ラッピング列車が運行されていた。
  2. それ以外の面で、史実とあまり変わらなかったか。
門真市~瓜生堂間が平成期に開業していたら

史実では、2029年度に開業予定。

  1. 早くても、1999年頃に、遅くても、2019年3月頃に開業していた。
    • それよりも、南茨木~門真市間の開業も史実よりも早まり、なみはや国体が開催された1997年に開業していた。
  2. 近鉄奈良線に「瓜生堂」駅が開業していた。
  3. 東大阪市役所の荒本地区への移転が史実よりも早まっていたかもしれない。
  4. 近鉄のラッピング広告列車が運行されていた。
  5. 2010年代に開業していた場合、3000系電車の登場が史実よりも早まっていたかもしれない。
  6. 2010年までに開業していたら、近鉄ハーツはリニューアル化されて、存続していた。
  7. 1997年のなみはや国体の開催に合わせて、門真南までの先行開業が実現していたかもしれない。
彩都線(阪大病院前~彩都西間)が2004年に開業していたら
  • 史実では、2007年3月に阪大病院前~彩都西間が開業しました。本来は彩都の街開きが行われる2004年に開業する予定でした。
  1. 大阪外国語大学へのアクセスが史実よりも良くなっていた。
  2. 国際文化公園都市の整備が史実よりも進んでいた。
    • 2007年3月に彩都東(計画では東センター)までに延伸していたかもしれない。
    • もしくは、2007年3月に東大阪市への延伸が実現していたかもしれない。
  3. それでも大阪モノレールの経営状態が良くなっていたかどうかは分からない。
  4. 街開きの時に阪急バスが千里中央~彩都間の路線バスを開設することはなかった。
    • JR茨木・阪急茨木市~彩都間の路線バスが開設されるのが史実よりも早まっていた。

愛宕山鉄道

1950年代
  1. 京福と阪急の合弁企業が運行。
  2. 平坦線の車両は京福嵐山本線との共通運用。
  3. 愛宕駅-愛宕神社のロープウエーも開業していた。
  4. 建設時期によっては朝鮮戦争による鋼材高騰に苦しめられた。
  5. 遊園地やスキー場開発も史実通りやっている。
    • 八瀬遊園はなかったかもしれない。
    • なお現在はほとんど閉鎖もしくは売却されている。
  6. 鳥居本駅は後に門前町の景観に調和した駅舎に建て替えられた。

姫路モノレール

1980年代
  1. 日本跨座式が採用されている。
  2. まずは姫路駅-姫路城の間ができる。
    • のちに書写山まで延伸されるが山陽本線以南へは延びない。
    • 姫路駅は地下に設置されていたかもしれない。
  3. 一部区間では同時に道路整備も行われる。
  4. 姫路城駅の位置によっては世界遺産登録の際に何か問題になっていた。
  5. 姫路市の直営ではなく兵庫県や姫路市、山陽電鉄、神姫バス、地元企業などが出資した第三セクターとして開業していた。
  6. 今頃は、ワンマン運転を行っている。

泉北高速鉄道

1970年代後半
  1. 同時期に開通した京王相模原線と同様、鉄建公団の「P線方式」を適用して南海の路線として開業していた。
    • 運賃も安くなっていた。
    • 1990年代のバブル期に通勤用の有料特急が運転されていたかも。
      • 「泉北ライナー」のデビューが早まったかも。
      • 11000系はあと2編成ぐらい製造されていた。
    • 路線名は「南海泉北線」になっていた。
    • 深井地区は泉北ニュータウンから外れるので、多摩境駅のように駅開業が遅れていた(助成されるのがニュータウンから外れる1駅目までという要項があるので)。
  2. 場合によっては中百舌鳥~光明池間が一気に開業していたかも(史実では中百舌鳥~泉ヶ丘が1971年開業で光明池までは1977年に開業)。
    • 和泉中央への延伸は史実通り。
  3. 大阪府都市開発が鉄道事業に乗り出すことはなく、トラックターミナルを運営するのが主体の会社となっていた。
    • 南海の子会社になることもなく、現在でも大阪府の第三セクター。

北大阪急行電鉄

1964年
  1. 御堂筋線の梅田~新大阪延伸と同時開業していた。
    • もちろん新大阪~江坂も同時開業している。
  2. 千里ニュータウンの街開きからすぐに開業していた。
    • 千里ニュータウンの発展も現実よりも早かったかもしれない。
  3. 車両は大阪市50系に似たような仕様になっていた。
    • 車内外は阪急3000系の仕様を取り入れる。登場時は「御堂筋線に乗り入れる阪急電車」として注目された。後の大阪市30系の車内はもう少し良質だったかも。
  4. 千里中央駅が現在地に開業していた場合、万博アクセスとして活用されていたのだろうか?
    • 大阪モノレールが20年早く開業,大阪空港-万博会場が最初から存在したかもしれない。大株主は東京モノレール(日立)と東急辺り。阪急は千里線と京都線梅田-淡路を8両運転対応にする。梅田駅の移転は大阪万博までに完了。同時に北千里まで8両運転を行う。
  5. 千里中央~箕面萱野の延伸も1980~90年代に実現していた。
  6. 阪急千里線が南千里~上新田~桜井間のルートが初めから構想されることはなく、南千里~上新田~桜井間のルートで構想されていた。
    • 場合によっては、南千里~北千里間の開業が史実よりも早まっていたかもしれない
1971年以降の場合
  1. 阪急新大阪線(十三~新大阪~淡路)が開通し、阪急千里線が万博会場に乗り入れ、会場輸送のメインルートになっていた。
    • その場合、大阪市営地下鉄御堂筋線は江坂駅まで開業し、江坂駅から会場へはバスで輸送していた。
  2. 早くても、1974年に開業していた。
  3. 緑地公園駅も開通時に開業していた。
  4. 沿線にある駿台予備学校大阪校(1981年開校)及び代々木ゼミナール大阪校(1987年開校、2015年閉鎖)の開校が史実より早まっていた。
    • 中津にある河合塾大阪校(1984年開校)も史実より早く開校していた。
  5. 1980年前後に開業した場合、自社の車両は現実の大阪市10系に酷似した冷房付き電機子チョッパ車となっていた。
    • 但し内装は阪急タイプとなっていた。
    • 現実の10系は試作車と同じく20系を名乗っていたかも(北急2000形と車番が被るころが改番の理由だったので)。その場合北急の車両が1000形を名乗っていた。
    • 初代ポールスターこと8000形は登場せず、2010年代に入って9000形に置き換えられていた。
  6. 千里ニュータウンの発展が現実よりも遅れた。
  7. もし大阪万博の開催がなかったか、あるいは史実(1970年)よりも遅れていたらこうなっていたかもしれない。
    • もし前者だったら運賃は現実よりも高くなっていた。
千里中央~箕面萱野が1990年代に開業していたら
  1. 8000形ポールスターがさらに増備されいてた。
    • 御堂筋線で見かける機会も多くなり、現実ほどレアな存在ではなくなっていた。
    • 9000系電車の登場は史実通りだが、登場は史実よりも遅れていた。
  2. 箕面市東部地域や彩都の開発が現実よりも進んでいた。
    • 彩都の開発はあまり関係がないと思うが…
  3. 阪大箕面キャンパスの箕面船場地区移転が現実よりも早まっていた。
    • 統合前の大阪外国語大学時代に移転していたかもしれない。
    • 1979年にできた校舎であるので、そう早く移転することはなかったと思う。
  4. みのおキューズモール(旧ヴィソラ)の来客数が現実よりも多くなっている。
    • 逆に千里中央地区が相対的に地盤沈下し、対抗のためセルシーは2018年の大阪北部地震以前に建て替えられていた。
    • みのおキューズモールの開業と109シネマズの開館が史実よりも早まっていたかもしれない。
      • その際には、ダイエーが出店していたかもしれない。
  5. 場合によっては、御堂筋線の10両化が史実よりも早まっていたかもしれない。
  6. 阪急は、客離れを防ぐために、箕面線直通列車は今でも運行されていた可能性があった。
  7. 当初の予定通りに、「箕面船場駅」になっていた。
    • 2010年代になって、「箕面船場阪大前駅」に改称されていた。
  8. 箕面市の人口が史実よりも増えていた。
  9. 当社の情報誌である「ザ・ポールスター」がA4サイズに拡大していた。
  10. 1996年に開業した場合、スルッとKANSAIの導入と同時期であった。
千里中央~箕面萱野が1980年代に開業していたら
  1. 8000形電車は史実よりも多く増備されていた。
    • 開業時に登場していた場合もあり得る。
  2. 御堂筋線の10両編成化が史実よりも進んでいた。
    • 国際花と緑の博覧会が開催されていた1990年までに実現していた。
  3. 大阪外国語大学は開業を見据えて、箕面市粟生間谷ではなく、箕面船場地区に移転していたか移転する時期が史実よりも早まっていた。
    • 開業時は「箕面船場駅」だが、2010年代になって、「箕面船場阪大前駅」に改称されていた。
  4. 阪急グループの主導によって、箕面萱野地区や箕面船場地区において、宅地開発が行われていた。
    • 彩都も現実よりも早く開発されていた。
  5. 阪急箕面線の梅田直通は早期に廃止されていた。
    • いや、阪急箕面線は箕面市の中心部を通っており、また、創業以来の路線でもあるから、梅田直通の列車はある程度維持されていたのではないかと。
  6. 勝尾寺へ訪れる人が史実よりも多くなっていた。
  7. 箕面市の人口が史実よりも増加し、2010年代か2020年代に中核市に移行していた。
千里中央~箕面萱野が2015年に開業していたら
  1. 9000形電車は増備用として登場していた。
    • 8000形電車の廃車は史実よりも遅れていた。
  2. みのおキューズモールも開業に合わせて、リニューアル化されていた。
千里中央~箕面萱野が2000年代に開業していたら
  1. 延伸開業に合わせて、みのおキューズモールが開業していた。
  2. 増備車として、8020形電車か8050形電車が登場していた。
  3. 9000形電車の登場は史実よりも4年程度遅れていた。
  4. 箕面市北部にある水と緑の健康都市が延伸開業を見据えて、開発が進められていた。
    • 箕面萱野と結ぶ路線バスが運行されていた。

北神急行電鉄

1985年
  1. 神戸市営地下鉄西神・山手線が大倉山~新神戸間が開業したのと同時に開業した。
    • 同年開催されたユニバーシアード神戸大会に合わせる形にもなっていた。
  2. ひょっとしたら、1986年4月にずれ込んで、開業していたかもしれない。
  3. 7000系電車の登場は史実通り。
    • 但しVVVFインバータ制御車ではなく、神戸市1000形と同じチョッパ制御車となっていた。
    • 神戸市交通局1000形電車、2000形電車とともに、6両化されるのが史実よりも早まっていた。(史実では、1989年11月に実施された。)
1987年

当初の開業予定

  1. 神戸市営地下鉄西神・山手線が名谷~西神中央間が開業したのと同時に開業していた。
  2. 6000形電車は最初から6両編成で登場していた。