もし二・二六事件が○○だったら
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成功していたら
- 日本は史実以上に「天皇陛下バンザイ」な国になる。
- ただし、天皇陛下の意志は完全に無視される。
- 昭和天皇の戦争責任がより厳しく追及されることになる。よくて退位。最悪の場合天皇制廃止で日本共和国に。
- と言うか「二・二六の成功=昭和天皇が皇道派のクーデターを支持した」(史実だと最初から鎮圧する気だった)だろうから、とてもじゃないが廃位で済んだとは思えない。
- 日本史の教科書でも「日本を戦争へと導いた大罪人」などとこき下ろされていた。
- 太平洋戦争が起きないので昭和天皇の戦争責任など追求されようもない。
- 太平洋戦争の開戦が1年早くなっている。
- 皇道派の領袖である荒木貞夫や真崎甚三郎は対ソ強硬派ではあっても英米とは事を構えたがらなかたので太平洋戦争は起きないと思う。
- 太平洋戦争が起こらず日ソ戦争(北洋戦争?)が起きたら、こうなっていた。
- 皇道派の領袖である荒木貞夫や真崎甚三郎は対ソ強硬派ではあっても英米とは事を構えたがらなかたので太平洋戦争は起きないと思う。
- 統制派の将官は追放されることになる。
- 間違っても東条英機が首相になる事など無い。下手すると東京裁判の面々が大幅に変わっていた。
- 太平洋戦争自体がなければ東京裁判も無くなるのでは。
- 北一輝の「日本改造法案大綱」が取り入れられることとなる。
- また、日独防共協定の締結や軍部大臣現役武官制の復活もなかった。
- 昭和天皇が皇道派の青年将校から農村の窮困していることを知り、北一輝の「日本改造法案大綱」をもとに国内改革を遂行する。
- 226事件後の岡田啓介内閣総辞職後は近衛文麿が首相となる。陸軍大臣には真崎甚三郎か荒木貞夫。
- 近衛内閣のもとで財閥解体や農地開放、基本的人権の尊重、普通選挙における女性の参政権の確保、労働者の権利の確保、言論、思想の自由に伴う、治安維持法の廃止と治安維持法違反の共産主義者、社会主義者の全面的恩赦が行われる。
- これにより、日中戦争も太平洋戦争も日本中が焼け野原になることなく、GHQによってなされた戦後日本の状態を日本自らが創る事となる。
- また、大日本帝国憲法は廃止になり、現在の日本国憲法と同様の憲法が制定される。
- 間違っても東条英機が首相になる事など無い。下手すると東京裁判の面々が大幅に変わっていた。
起こらなかったら
- 当然、軍部の暴走はなかった。
- 後になって、もっと深刻な形で暴走が起きていた可能性もある。
- 軍部大臣現役武官制も復活しなかった。
- 宇垣一茂が総理大臣に就任し、陸軍大臣も兼務できた。
- 太平洋戦争もなかった。
- 台湾で起きた事件と混同される事も無かった。
- 北一輝も処刑されなかった。
- 高橋是清が再び大蔵大臣になっていた。
- 荒木貞夫や真崎甚三郎ら多くの陸軍大将が予備役にされることはなかった。
- 岡田内閣は史実より長く続いた。
- 広田弘毅が総理大臣にならなければ東京裁判で死刑になることはなかった。
あの人物が暗殺されていたら
岡田啓介
- 実際には難を逃れているが、実際に当時の新聞が「岡田首相が暗殺された」と誤報してしまった。
- 史実では義弟の松尾伝蔵が影武者となった事で難を逃れたが、こうならないとしたら二人とも暗殺されていただろう。
- 犬養共々昭和史では「悲劇の首相」として名が知られていた。
- ただ、犬養が政党政治であるのに対して岡田は海軍大将なので、比較と言う意味ではやはり犬養の方がクローズアップされていたかも。
- 少なくとも出身地である福井においては道徳教育などで言及があるものだと思われる。
鈴木貫太郎
- 事件当時多数の銃弾を撃ち込まれ止めを刺されそうになったが、夫人の必死の懇願により命拾いした。
- 終戦時の首相が別な人物になっていた。
- 最悪の場合ポツダム宣言を拒否し、本土決戦になっていて米軍を始めとする連合軍により国土が蹂躙されたかもしれない。
西園寺公望
- 当時静岡県興津におり襲撃計画も存在したが、兵士の利用問題から中止に終わった。
- 元老制がここで崩壊するので、広田内閣以降の流れが大幅に変わる。
- 但し木戸幸一の影響力が強まるのは史実通り。
- 近衛が首相になるのが史実より少し早くなっていたかもしれない。
牧野伸顕
- 実際に二・二六事件と連動して暗殺計画が実行されているが失敗に終わっている。
- なおこれ以外にも内大臣時代に五・一五事件で官邸が襲撃され、血盟団事件では暗殺対象に入っていた。
- 戦後の皇室と天皇の扱いが悪くなっていた。
- 天皇に信頼されていた人物なので二・二六事件首謀者の処罰がさらに厳しくなっていた。
後藤文夫
- 日本での原子力発電導入は進まなかった。
- 岡田首相の臨時代理は別の人になっていた。
一木喜徳郎
- 内大臣臨時代理が別の人になる。
- 事件終息が長引いていたかもしれない。(現実では事件中は昭和天皇の相談相手を務めていて事件終息に貢献した。)
伊沢多喜男
- 後藤文夫より地位が高かったらあり得た。(後藤文夫を批判していて守旧派と見られていた)
- 最後の枢密顧問官は別の人になっていた。