もしあの鉄道施策が成功していたら
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あ行[編集 | ソースを編集]
あおば(特急時代)[編集 | ソースを編集]
- 急行「きたかみ」に格下げされることはなかった。
- むしろ「きたかみ」を統合していた。
- 新幹線「あおば」は別の愛称になっていた。
- いきなり「なすの」を名乗る。福島・宮城県民激怒。
- いやいやそれこそ「ひばり」を名乗るのでは?
- むしろ東北新幹線開業で仙台-秋田の列車は廃止されていただろうから史実通り。
- いきなり「なすの」を名乗る。福島・宮城県民激怒。
- 1982年頃まで運行していた。
- その気になれば秋田新幹線開通まで存続していたかもしれない。
- その場合、JR東日本も特急形気動車を保有していた。
- JR東日本は非電化線区の特急設定にもっと意欲的になっていた。
- 「陸中」は快速「はまゆり」の格下げではなく特急に格上げされていた。
- 「あがの」「べにばな」「よねしろ」「もがみ」なども同様。
- 「陸中」は快速「はまゆり」の格下げではなく特急に格上げされていた。
- 「秋田リレー」はなかった。
- 「秋田リレー」そのものが「あおば」になっていた。
- 「リゾートしらかみ」をはじめとする多くの観光快速列車も特急だった。
- JR東日本はJR九州のような体質になっていた。
- 「JR東日本は気動車特急不毛の地(気動車特急が育たない)」と言われることもなかった。
- JR東日本は非電化線区の特急設定にもっと意欲的になっていた。
- その場合、JR東日本も特急形気動車を保有していた。
- 東北新幹線開業を機に新幹線連絡列車として北上 − 秋田間に短縮されていたかも。
- 新幹線連絡の使命は史実通り田沢湖線経由に譲り、北上線は史実通り線内快速のみに再編されていた。
- 1975年11月25日以降は向日町から秋田に転属してきたキハ80系(但し食堂車は無し)に置き換えられ、東北新幹線開業まで活躍していた。
- その気になれば秋田新幹線開通まで存続していたかもしれない。
赤字83線[編集 | ソースを編集]
- =田中角栄が首相に就任していなかったら、といえる。
- もし赤字83線の段階でローカル線を全廃していたらに書かれていることは現実のものとなっていた。
- 第三セクターなどの動きもなかったか、あるいはこれ以降の廃線で注目されることとなっていた。
- 特定地方交通線の取り組みはなかった。
- 鉄道公団による新線建設が強行されることはなかった。
- イギリスの鉄道路線廃止計画であるビーチング・アックスといい意味で比べられていた。
秋田地区の快速列車[編集 | ソースを編集]
- 701系がロングシートでなかったらこうなっていた。
- 廃止もしくは各駅停車に格下げされることは当然なかった。
いわき(磐越東線)[編集 | ソースを編集]
- 1982年以降は郡山 - いわき(平)間の快速に格下げされていた。
- 浜通り - 中通り間の都市間輸送において不利な条件に置かれなかった。
- そもそも磐越東線は単なるローカル線に成り下がることはなかった。
- 高速バスに対抗するため、本数も仙山線ほどではないが更に増発されていた。
- 2000年代には列車愛称なし快速として運行していた。
ウィングあずさ[編集 | ソースを編集]
- 千葉発着の延長ではなく独自の定期列車が運行されていた。
- 成田エクスプレスと同様、千葉や佐倉を通過する列車も存在していたかもしれない。
- 高尾・河口湖発着の成田エクスプレスは存在しなかった可能性あり。
ウエスト関空[編集 | ソースを編集]
- 神戸方面から関空への直通列車として定着し、定期化も行われていた。
- 既存の関空快速とは別の独立した列車となっている。
- 運転本数は朝の姫路・三ノ宮発、夕方の関空発が1本ずつ程度か?
- 定期の旅客列車として北方貨物線を通ることが可能になっていた。
- むしろ所要時間短縮と大阪駅乗り入れのため関空発も新大阪でスイッチバックするようにしていた。
- うめきたホームが開業したのでその問題は解決。
- むしろ所要時間短縮と大阪駅乗り入れのため関空発も新大阪でスイッチバックするようにしていた。
- 「はるか」に姫路発着が設定されていたかも。
- なにわ筋線は神戸方面へも直通可能な路線として設計されていた。
- ウイングが史実通り廃止された場合、同列車廃止時に指定席が廃止されていた。
- 同時に環状線、阪和線内の停車駅も関空快速と同じになる。
- 2018年改正以降も存続していたら梅田貨物線を通る唯一の快速列車として注目される。
- 神戸空港が史実以上に低迷していた?
エアポート常磐[編集 | ソースを編集]
- 「ホリデー快速むさしの」の如く定期化と同時に車両がE531系になっていた。
- 全区間直流だからE231系では。
- 上野東京ライン開業後は品川発着で運行されている。
- 成田線の複線化が真剣に検討されていたかもしれない。
- 成田とまでは言わないまでも、木下あたりまではベッドタウンになっていた。
Aシート[編集 | ソースを編集]
- 現在も行われているが、仮に全ての新快速に導入されるくらい好評だったら?
- 4両編成の全223系に導入される他、4両編成の225系にも導入される。
- 阪和線用のAシートは特大荷物スペースが増やされるなど空港輸送に特化した作りになっていた。
- 「関空特快ウィングの指定席はこれを先取りしたものだ」と評されていた。
- 調子にのって岡山地区の227系にも導入し、シティライナーに充当させる。
- 魔改造に定評があるJR西日本なら117系にAシート車を連結してサンライナーに充当しかねない。
- 広島地区にも同様の列車が運行されていた。
- 他の鉄道会社にも影響を与えていた。
- あいの風ライナーにも似たような車両が導入されていた。
- 恐らくE721系みたいな半室構造になっている。
- この場合他の席は自由席となる。
- 恐らくE721系みたいな半室構造になっている。
- 「313系に導入すればセントラルライナーは廃止されなかったのではないか」と言う人がいたかもしれない。
- 「快速みえにも導入するべき」という意見も出そう。
- JR東日本では快速あいづの座席指定サービスを他の東北地方の快速列車(仙台シティラビットなど)に導入させる。
- 首都圏の普通グリーン車も座席指定に...なるかなぁ?
- =18きっぷでグリーン車には乗れなくなってた。
- 首都圏の普通グリーン車も座席指定に...なるかなぁ?
- 京急では2100系に似たような車両が連結されていた。
- 阪急も有料座席指定車両の導入に踏み切っていたかも。
- あいの風ライナーにも似たような車両が導入されていた。
- QシートやUシートと史実以上に混同されていた。
- 一般席のことを「Bシート」と呼ぶ人も出ていた。
- JR神戸線・JR京都線・琵琶湖線の指定区間では全ての新快速にAシートが連結されていることになる。
- 「JR西日本独自の座席指定サービス」として受け入れられていた。
- 一部の座席が指定席になることはなかったっかもしれない。
- むしろ全席指定席になっていただろう。料金は据え置きで。
- 大和路快速にも導入されたかもしれない。
- 紀州路快速にも導入されそう。というかJR西日本の大半の快速列車に導入されそう。
- Aシート連結車両の停車駅にはAシートの指定券券売機が設置されていた。
- 指定料金は500~600円とリーズナブルなものになっていた。
駅メロ広告[編集 | ソースを編集]
発車メロディー・接近メロディーをCMソングにする試みがありました(例・江ノ電長谷駅→コカ・コーラの爽健美茶、原宿駅→NTTドコモの春になったら)
- 広告放送の代わりに導入される駅が多かった。
- 大阪市地下鉄のように訴訟が起きていたかも。
- 勝手にご当地メロディ導入に書かれている記述が実現した。
- JR東日本の常磐緩行線発車メロディー廃止はなかった。
- 例えば吹田駅→アサヒビール・摂津富田駅→明治製菓など。
F-Train[編集 | ソースを編集]
- =東京都の屋外広告物条例に引っ掛からなかった場合。
- 好評だった場合、運行期間は延長されていた。
- 場合によっては京王のサンリオピューロランドラッピングの9000系みたいに現在でも走っていた可能性がある。
- プラレールも発売されていただろう。
- これを皮切りに4000形や新5000形のプラレールも発売。
- 1000形も金型をリニューアルして再版。
- これを皮切りに4000形や新5000形のプラレールも発売。
- 西武鉄道のS-TRAINと混同する人がいたかもしれない。
- 小田急は車両のラッピングに積極的になっていた...?
おおよど[編集 | ソースを編集]
- 福岡~宮崎で現実ほど鉄道が不利な条件に置かれなかった。
- 肥薩線が改良され、スピードアップも実現していた。
- 2020年豪雨での被害も現実よりは少なく、早期に復旧されていた。
- むしろ160km対応の新線が建設されていた。
- 1990年代になって水戸岡デザインの特急型気動車が投入されていた。
- 「にちりん」は大分あるいは延岡で系統分離されていた。
か行[編集 | ソースを編集]
カートレイン[編集 | ソースを編集]
- 3ナンバー対応の車載車が開発されていた。
- 史実のワキ10000形では5ナンバー車程度しか対応できなかったため。
- レンタカーの存在が薄れていた。
- 青函トンネルではこれがメインとなっていた。
関空特快ウイング[編集 | ソースを編集]
- 新快速にも指定席がついていたかもしれない。
- 関空快速の指定席連結も継続されていた。
- 2019年3月よりAシート(Rシート?)になっていた。
- 京阪プレミアムカーも現実よりも早く導入されていた。
- 現実とは異なり一般車と同じ転換クロスシートで料金も安めに設定されていたかもしれない。
- 関空快速の車両は5両(指定席車1両+自由席車4両)、紀州路快速は3両になっていた。
- 京阪神快速のグリーン車の二の舞になることもなかった。
神繍皇女[編集 | ソースを編集]
- みなとみらい線の公式キャラクターとして多くのメディアに掲載されていた。
- 五直開始の式典やS-TRAIN出発式には横高の社員がコスプレして参加していた。
- 無論忘れ物防止啓発活動のポスターにも姫宮なな・スマイルちゃん・駅乃みちか・のるるんと共に姿を見せていた。
- 漫画やライトノベルの制作が何度か検討されていたかもしれない。
- 京都市交通局の「地下鉄に乗るっ」とよく比較されていた、
急行列車のビュフェ[編集 | ソースを編集]
- 気動車にもビュフェ車両が導入されていた。
- 駅そばの存在が薄れていた。
- 持ち込み容器の存在の意義も薄れていた。
- 食堂車そのものの衰退に拍車をかけることも無かった。
- 国鉄末期までは営業していた。
京成シティライナー[編集 | ソースを編集]
- AE100形電車が早期廃車に追い込まれることはなかった。
- イブニングライナー・モーニングライナーと列車名・停車駅を統一していたかも。
- 無料の特急が廃止されたかも。
京阪神快速のグリーン車[編集 | ソースを編集]
- 新快速にも連結されていた。
- 関空特快ウイングは指定席ではなくグリーン車が連結されていた。
- 京阪プレミアムカーも史実より早く導入していた。
- 転換クロスシート車との差別化のため、リクライニングシートを採用していた。
- サロ113は転出せず、京阪神快速撤退まで残留し続けていた。
- 特急形格下げグリーン車は京阪神快速に投入されていた。
- ただ乗りを防ぐために専任のアテンダントを乗務させるようになっていた。
- 関西人はケチだから優等車は人気が出ないとみなされることはなかった。
- Suicaグリーン券のようなICOCAグリーン券が導入されていた。
- その副次効果として、Suicaグリーン券がICOCAでも利用可能になった(現実では何故かSuica・PASMO・Kitaca・TOICAでしか利用できない)。
京阪中之島線[編集 | ソースを編集]
- 勿論快速急行は中之島発着のまま。
- こちらにもプレミアムカーが組み込まれていた。
- 3000系に液晶ディスプレイがはめ込まれることはなかった。
- 中之島以西、西九条方面への延伸計画も具体化していた。場合によっては阪神乗り入れも計画されていた。
- あるいは2025年大阪・関西万博までに九条まで延伸して大阪メトロ中央線に接続し、万博会場への利便性を上げることも検討されていた。
- 2020年以降駅の無人化拡大やゴミ箱、回数券の廃止はなかった。
- 2021年における休日減便ダイヤや2021年9月ダイヤ改正における大減便はなかったか減便されたとしても小幅だった。
- イベント列車の参加費用についても自社系列のクレカ限定になることはなく銀行振込なども可能だった。
甲信エクスプレス[編集 | ソースを編集]
- 更なる需要確保のため快速への格下げや(東海の協力が前提だが)身延線への乗り入れなどが検討されていた。
- 身延線乗り入れの場合静岡〜富士〜甲府〜松本〜長野の「駿甲信エクスプレス」となっていたか。
- 特急のままの場合どこかのタイミングで車両がE257系に置き換わっていた。
高速伊勢志摩号(近鉄)[編集 | ソースを編集]
- 夏休み・年末年始・GWなどの繁忙期に定番の臨時列車となっていた。
- 停車駅は阪伊乙特急並みだが、大和高田や榛原が追加されていたかも。
- 伊勢神宮の式年遷宮の時にも運行されていた。
- 名古屋線系統への設定も行われていた。
- 1989年以降は5200系も運用されるようになっている。
- 場合によっては「楽」や「あおぞらⅡ」が使用されていた。
- 2005年の愛知万博開催の時には大阪上本町~近鉄名古屋に直通の高速が運転されていた。
- 但し中川短絡線は経由せず、伊勢中川駅でスイッチバックしていた。
- 名鉄が高速の種別を廃止した後は全国で唯一「高速」という種別を名乗る列車となっていた。
581系・583系[編集 | ソースを編集]
- 当然、419系と715系は存在しない。
- 寝台列車の電車化が更に増えて、昭和時代にブルートレインの数が減っていた。
- 「日本海」や「あけぼの」も583系で定期化されていた。
- 「きたぐに」は特急に格上げされていたかもしれない。
- 「きたぐに」以外にも583系の塗装変更があったのかもしれない。
- それでも秋田所属車の編成は国鉄色のままだった。
- 「きたぐに」以外にも583系の塗装変更があったのかもしれない。
- 583系の直流化改造された車両が登場し、171系辺りを名乗っていたか。
- 急行「銀河」の電車化が実現していた。
- JR東日本ではジョイフルトレインに改造された車両も登場していそう。
- 史実のJR西日本所属の183系は173系を名乗っていた。
- 285系の製造にも影響が出ていた。
さ行[編集 | ソースを編集]
三江線増便実験[編集 | ソースを編集]
- バスにより運行本数を倍に増やす実験が行われた。
- 後に増便分が列車に転換していた。
- 交換設備の復活も行われた。
- 三江線にいい未来が待っていた…といいなあ。
- バスで充分の人数で間に合うならバス転換でいいじゃんというという声も聞かれた。
- 結局バスの方が便利ということでバスに転換されそう。
- 廃線跡をバス専用道路にして、BRTとして運行していたとか(気仙沼線とかみたいに)。
- 乗客が増えたのに廃止とは何事かといわれるのは確実。
- 毎回少しずつ乗客が増えていっていたのあれば、バスではなく列車の増発も考えられた。
JR西日本車両の単色塗装化[編集 | ソースを編集]
- キハ120形以外のJR以降に製造された鋼製車体も順次単色塗装化された。
- 湘南色消滅に伴いさよならイベントが行われた。
- 岡山の115系の一部が湘南色を堅持し続けることもなかった。
- 他のJRや私鉄でもイメージ統一と称して追随したかも。
- 京阪の場合10000系で採用されたターコイズ1色塗装が他の系列にも波及していた。
- 流石に運転系統が複雑化しても大阪地区は単色塗装の対象外だった。
- 227系が黄帯に…なったのか?
四季彩[編集 | ソースを編集]
- JR東日本が所有する最後の201系として話題になっていた。
- それでも2010年代には引退していた。
- 現在はE233系をベースとした新型車両に置き換えられている。
- 主にホリデー快速に使用されていた。
常磐線緩行・東京メトロ千代田線の相互乗り入れ[編集 | ソースを編集]
現在でも行われていますが、史実以上に好評だったら?
- 綾瀬 - 北千住間の扱いが複雑になることはなかった。
- 迷惑乗り入れと呼ばれることはなかった。
- ということは、北千住~綾瀬及び北綾瀬支線が国鉄の管轄になっていたということか(北綾瀬支線は回送線だったかもしれないが)。
- 国鉄の思惑通り、そのまま乗り換えずに大手町方面に行く乗客が多かったということになる。
- 天王台駅は快速通過駅となっており、日中も取手まで運行していた。
- それでも柿岡の関係で取手以北の延伸は叶わず。
- ただ、取手が史実以上に交通の要衝となることから、取手始発の茨城方面行きが存在したかもしれない。
- 箱根湯本、唐木田、藤沢行きが存在した。
- それでも柿岡の関係で取手以北の延伸は叶わず。
- つくばエクスプレスが企画されることはなかった。
- つくばエクスプレスは常磐線の混雑緩和のための路線なので、作られないことはなかったと思う。
- 常磐線内快速の列車があったかもしれない。
- 但し、総武・中央線と東京メトロ東西線の相互乗り入れでも、総武・中央線内は各駅停車でしか運転していないため、実現は難しそう。
- 小田急のメトロライナーを取手ないしは成田まで直通させる案もあったかもしれない。
- 常磐線~千代田線系統が増発された結果、北綾瀬支線は史実以上に肩身が狭くなってた。
- むしろ北綾瀬支線が延伸されていた可能性もある。
常磐ホームトレイン[編集 | ソースを編集]
- それでも車両のやりくりがつかなかった2011年以降は普通の快速に格下げされた。
- 「あいづライナー」用の485系を使用しても2015年が限界だった。
- 仙台地区の他路線にもホームライナーが検討される。
- 朝の仙台方面にも設定された。
- 現在は仙台~原ノ町間の特急に吸収された。
新快速(阪和線)[編集 | ソースを編集]
1970年代に存在。
- 関西空港開港と同時に日根野駅が、その後三国ヶ丘駅が停車駅に追加されていた。
- その結果全盛期の45分よりは遅くなっているものの、南海の特急「サザン」と同等か少し早い程度の所要時間で阪和間を結んでいる。
- 和歌山市は現実ほど衰退しなかった。
- 和泉府中駅も追加されていた。
- 三国ヶ丘ではなく堺市では。
- その結果全盛期の45分よりは遅くなっているものの、南海の特急「サザン」と同等か少し早い程度の所要時間で阪和間を結んでいる。
- 現在は223・225系に置き換えられている。
- 料金不要で転換クロスシートに座れるので、南海よりも競争が有利になっていた。
- 「サザン」の自由席車が転換クロスシート車になっていたかも。
- 料金不要で転換クロスシートに座れるので、南海よりも競争が有利になっていた。
- 天王寺から大阪環状線に乗り入れて大阪駅方面に乗り入れていたかもしれない。
- 関空特快ウイングはなく、新快速の関西空港発着になっていた。
- 和歌山以南に向かう列車もあったかも。
- 箕島か御坊あたりまではあったかもしれない。
- 日根野以南が現実の紀州路快速の停車駅になる一方、紀州路快速が全て日根野以南各駅になっていたかも。
- Aシートがここにも導入されていた。
スナックコーナー[編集 | ソースを編集]
- それでも新幹線に奪われた客の多くを取り戻すには至らなかっただろう。
- 12200系が途中でスナックコーナー無しになることはなかった。
- 既存編成のスナックコーナー撤去もなかった。
- 場合によっては12400系以降にも付いていた可能性もある。
- 間違いなく30000系ビスタカーはスナックコーナー付きで登場していた。
- アーバンライナーにも付いていたかもしれない。
- 伊勢志摩ライナーのシーサイドカフェも存続していたかも。
- 伊勢志摩方面の特急には伊勢うどんがメニューに加えられていたかもしれない。
- そもそも近鉄は特急の速達性を重視しなかった。
- 「スナックカー」という名称は近鉄によって商標登録されていた。
た行[編集 | ソースを編集]
直通快速(尼崎~奈良)[編集 | ソースを編集]
- おおさか東線全通後も新大阪~奈良系統と両立する形で残されていた。
- 尼崎系統はJR東西線直通の関係で207・321系で運用されるものの新大阪系統は221・223系が運用されていたかもしれない。
- 現実になった。
- 平日は大和路線沿線から大阪天満宮・北新地エリアへの通勤に重宝されていただろう。
- 場合によっては学研都市線方面から新大阪への直通快速も設定されていた。
- 神戸・西明石・加古川・姫路方面への延伸もあったかもしれない。
- 尼崎系統はJR東西線直通の関係で207・321系で運用されるものの新大阪系統は221・223系が運用されていたかもしれない。
2wayシート[編集 | ソースを編集]
JR東日本のデュアルシート車両。仙石線だけに留まることがなかったら?
- 転換クロスシートを頑なに採用しないJR東日本独自のシートとして受け入れられていた。
- E721系にも採用していた。
- 検討されている磐越西線における指定席着席サービスの座席もこれになっていた。
- 首都圏では2wayシートによるライナー列車が運行されていた。
- 関西圏や中京圏の快速列車にも採用すべきだという意見が一部で出ていた。
- 「JR東日本はなぜ転換クロスを頑なに採用しないのに、さらに複雑でコストと手間のかかる2Wayシートに躍起になるのか?」と鉄道ファンから不思議がられているかも知れない。
つやま[編集 | ソースを編集]
- グリーン車は廃止されなかった。
- 「ことぶき」の指定席も廃止されなかった。
- 「ことぶき」の存在が薄れていた。
- キハ40系に置き換えられることなく、形の上で存在した急行形に置き換えられていた。
- もしかしたらキハ120を改造していた。
- 名鉄からキハ8500系の購入を打診していたかも。
- 場合によっては2009年に特急に格上げされていた。
ドルフィン号[編集 | ソースを編集]
- 阪急車の定期列車での山陽乗り入れ廃止後に運転された海水浴臨時列車ですが、結局1998年の1年のみの運行に終わりました。
- それでも海水浴客の減少により、運行中止が検討されるようになっていた可能性がある。
- 須磨浦公園が桜の名所であることから、同様の列車が桜の季節にも運行されていた。
- 愛称は「さくら号」とかになっていたかも。
- 阪急7000系の6連の嵐山直通編成が山陽乗り入れ仕様も兼ねていた。
- 神戸線からの嵐山直通特急が山陽電鉄線内始発になっていたかも。
- 京とれいん雅洛の直通運転構想も浮上していたはず。
- 後に乗務員は高速神戸駅で阪急と山陽が交代するようになっていた。
- 阪急車の須磨浦公園以西への乗り入れが実現していた可能性もある。
な行[編集 | ソースを編集]
701系・E127系[編集 | ソースを編集]
現在でも運用されていますが、鉄道ファンはもとより、利用者の評判が良かったら?
- 地方でのロングシート化が行き過ぎたとみなされることはなかった。
- そもそもJR東日本は地方での行き過ぎたロングシート化を見直すことはなかった。
- 鉄道ファンから疎まれる存在になることもなかった。
- 地方でのクロスシートの復権が唱えられることもなかった。
- 後継車であるE721系・E129系もロングシートで登場していたかも。
- 205系2wayシート車は登場しなかった。
- 209系も房総地区への転出に際してセミクロスシートに改造されることはなかった。
- 815系も817系に移行することなく、更に増備されていた。
- ネタ殺しになるけど最初からセミクロスシートだったらこうなっていたかも。
- その場合JR東海も静岡地区にロングシート車を導入しなかった。
- 701系運行開始とともに設定された秋田地区の快速列車が廃止・削減されることはなかった。
鳴門きんときライナー[編集 | ソースを編集]
- 鳴門線における1500形運用開始が早まっていた。(現実では2011年から)
- 途中駅のホーム嵩上げもはやく行われていただろう。
- 特急化され「ホームエクスプレス鳴門」になるうわさが出る。
- JR四国でもホームライナー形式の列車が多数走っていた。
西大阪特急[編集 | ソースを編集]
- 神戸から西九条乗り換え天王寺方面への足として重宝されていた。
- さらにUSJ開園後神戸方面からの来園客の足としても機能していた。
- 1990年代以後停車駅は増加していただろう。
- 難波延伸後はこれがそのまま近鉄線まで延伸されていた。
- 3000系は主にこの運用に使われていた。
- 2000系や3801系も6両固定編成化は行われなかった。
日光(急行時代)[編集 | ソースを編集]
- 165系に置き換えられることなく、車両の質を下げることはなかった。
- そもそも国鉄は東京-日光間の優等列車に意欲をなくすこともなかった。
- 183系登場と共に特急に格上げされていた。
- 185系登場後は新特急の一員となる。
- 現在でも東武と関係を持つこともなく、むしろ張り合っていた。
- 当然JR-東武直通特急はない
- 快速の区間快速格下げや日光線の南栗橋分断もなかった。
- 東武は日比谷線~東横線経由の特急設定に軸足を移していたかも。
- 東武側はさらなる需要確保のため日比谷線/半蔵門線直通特急を検討していた。
- 当然JR-東武直通特急はない
- 湘南新宿ラインや上野東京ライン開業後は新宿・東京・品川発着も設定されていた。
は行[編集 | ソースを編集]
箱根駅伝応援号[編集 | ソースを編集]
- 2009年度以降は60000形を利用した特急となっていた。
- 藤沢行きの運行も暫くの間は続投していた。
- ニューイヤーエクスプレスと並ぶ小田急正月列車の目玉となっていた。
ピギーバック輸送[編集 | ソースを編集]
ここでは日本におけるピギーバック輸送のことを指す。
- トラックドライバーに必要以上の負担をかけることはなかった。
- 史実で入籍しなかったクサ1000形も実用化することができていた。
- コンテナ輸送は主流になっていなかった。
PiTaPa[編集 | ソースを編集]
- 関西私鉄でICOCAが発売されることはない。
- その代わりJR西日本もポストペイ式にしていたかも(史実のSMART ICOCAに相当)。
- ICカードはポストペイ方式が主流になっていた。
- プリペイド式カードも発売されるが、クレジットカードが作れない子供用になる。大人が持ってたら信用度の低い人間扱いされるかも。
- スルッとKANSAIも早期に発売終了。
- 関東でもポストペイ方式の交通系ICが発売される。
- 暗号通貨とも連携していた
ビバあいづ[編集 | ソースを編集]
- 月1の運休を解消するため、第2編成の登場が実現していた。
- 快速への格下げはなかった。
- JR東日本は短距離特急列車の設定に意欲的になっていた。
- 「よねしろ」は快速格下げではなく特急に格上げされていた。
- 観光特急として名を馳せていた。
- フルーティアふくしまも快速ではなく特急だった。
- 車両も719系ではなく651系を改造していた。
- 651系が種車だったので直流電化線区へも進出していた。
- 車両も719系ではなく651系を改造していた。
- 特急料金が一律になることはなかった。
フライング東上[編集 | ソースを編集]
有料特急として成功していたら?
- 1700系に置き換えられていた。
- 1700系は1720系と同種の構造に改造されることなく、こちらに回されていた。
- その後は1800系に置き換えられていた。
- 料金不要の通勤形特急に格下げされることはなかった。
- 当然川越特急も存在せず。
- 西武のレッドアローと張り合っていた。
- 観光特急として名を馳せていた。
- 現在はTJライナーと共通の特急型車両で運用されている。
- そもそも50090系ではなく本格的な特急型車両だった。
- 信楽高原鉄道事故の影響もあるので秩父鉄道への乗り入れは現在に至るまで続いていたかは微妙なところ。
- 西武が今でもやってるのだから、普通に乗務員交代をして頑張ってた可能性もある。
- 現在に至るまで運行していた場合、キンタロー。が出演するCMが制作されていた。
- それ以前にAKB48は?
- 「フライングゲット」の替え歌がCMソングとして使われていた。
ベイリゾート[編集 | ソースを編集]
- 有楽町線のホームドア設置に影響が出ていた。
- 一般的なやつじゃなくて東西線や八高線に導入されているような許容性のあるものが設置されてた。
- S-TRAINは本格的な特急車両を使用していた。
- 新木場までの運行になっていたかも。
- 土日祝日にも有楽町線方面の運転がされていた。
- 新木場までの運行になっていたかも。
- 毎日運転になっていた。
- 京葉線への乗り入れが検討されていた。
ホリデー快速おおみや・とりで[編集 | ソースを編集]
- 速達性や松戸・浦和地区の需要を掘り起こせていれば残っていられたかもしれない。
- 常磐線沿線から鉄道博物館へはこちらが便利ですなどいくらでも需要喚起策はあったかもしれない。
- 2006年以降は使用車両がE231系となっていた。
- ホリデー快速むさしのと同時期に定期列車になっていた。
- 同時に使用車両が武蔵野線用205系・209系500番台となっていた。
- 列車名は「とうかつ」あたり?
ホリデー特急[編集 | ソースを編集]
- どちらにしろはまかいじ運行開始後は横浜線経由の快速になる。
- 車両も横浜線205系→E233系6000番台辺りにされていたかもしれない。
- 都心部の需要次第では中央快速線の湘南新宿ライン直通が真剣に検討されていたかもしれない。
- ホリデー快速の特急化が検討される。
- だが特急誘導だと叩かれる。
- JR東日本の近距離特急は成功しないというジンクスは生まれなかった。
- 地方交通線を主体とする急行も特急格上げに力を入れていた。
ま~行[編集 | ソースを編集]
みなとみらい号[編集 | ソースを編集]
- 長期休みの際の設定も暫くの間続いていた。
- 場合によっては定期化もあり得ていたかもしれない。
- ただし列車の性質上運転は土休日に限られる。
- どちらにしろ副都心線直通に伴い北千住発着は廃止される。
- 13000系に変更して継続では。
- 日比谷線直通は東武伊勢崎線発着になっていた。
- 東武東上線・西武池袋線発着はfライナーになっていただろうか。
みのり[編集 | ソースを編集]
- 快速「くびき野」はなかった。
- 現在は新井 - 新潟間の特急として運行されていた。よって、「しらゆき」はなかった。
- リゾートみのりは違う名前だった。
もしもし券売機Kaeruくん[編集 | ソースを編集]
- 指定席券売機に置き換えられることはなく、更なるサービス低下を招くことはなかった。
- Kaenuくんなどと揶揄されることはなかった。
- 史実では導入されなかった盛岡、仙台、長野、新潟支社管内の線区にも導入されていた。
- JR西日本のみどりの券売機プラスと比較されることもなかった。
- これを導入した上で無人化された駅があったかも。
- 後に指定席券売機同様特急券・乗車券や予約の受け取りなどを顧客の操作で購入できるタイプも導入していた。
- 史実ではこの操作もオペレーター頼みだったため不評を買った。
- JR東日本のみどりの窓口がさらに減らされた。
- JR北海道では話せる券売機ではなくKaeruくんを導入していた。
ロマンス急行[編集 | ソースを編集]
大井川鐡道で運行していた元小田急3000形の有料急行列車
- SL急行の陰に隠れることはなかった。
- 小田急3000系(初代)引退時に増備車として譲受を打診していた。
ワイドドア車[編集 | ソースを編集]
- その後の小田急、営団→東京メトロ東西線の標準となっていた。
- 東西線において15000系まで採用が途切れることはなかった。
- 直通先からの車両は流石に採用しないか?
- 東京メトロ資本の東葉高速鉄道は導入しても不思議ではない。
- 小田急1000形で開口部を縮小することはなかった。
- 他社の混雑路線にも投入が検討されたかもしれない。
- 代わりに多扉車の導入例が少なくなっていたかも。
和風車だんらん[編集 | ソースを編集]
- 定期列車でもお座敷車は市民権を得ていた。
- スーパー雷鳥のラウンジ付きグリーン車に改造されることはなかった。
- ビュフェの機能が活かされていた(史実では売店として使用されていた)。
- 私鉄にも類似の車両が登場していた。