もしあの鉄道路線が開業していなかったら
- 新規追加はJR→私鉄(会社別・大手→その他)→地下鉄になるようにしてください。
新幹線編集
北海道・東北編集
石勝線編集
- 追分〜夕張、紅葉山(新夕張に改称せず)〜登川だけで「夕張線」のまま。
- 美祢線同様、かつて貨物輸送が盛んだったことから辛うじて幹線に指定される。
- むしろ沿線の炭鉱の閉山が史実以上に早まり貨物輸送が激減→夕張線が特定地方交通線の対象となり石勝線の工事が放棄という可能性も。
- しかし2004年に登川支線が廃止される(史実の楓駅廃止年)。
- 廃止直前は1日1往復で「日本一本数の少ない鉄道路線」だった。
- そして夕張線自体も、2010年代に入って廃止が議論されるようになる。
- 安平町、由仁町、栗山町の合意も得ないといけないので、史実の夕張支線より廃線は遅れていたかも。
- 路線丸ごとなくなるので夕張市長側が廃止提案する可能性は低くなる。
- 駅ナンバリングはおそらく設定されなかった。
- 帯広・釧路方面への列車は相変わらず滝川経由だが、高速道路との競争面でネックになる。
- 特に札幌/新千歳〜帯広はバスがほとんどになる。
- また、新千歳〜帯広間の航空便も存在している。
- 「なぜ石勝線を凍結してしまったのか」と当時の国鉄を批判する文脈で言及される。
- 札幌へのストロー現象も発生しないので、道東地域の衰退も史実ほどにはならなかった。
- 特に札幌/新千歳〜帯広はバスがほとんどになる。
- 根室本線の滝川〜新得間の廃止が検討されることは無い。
- 富良野線が廃線議論になっていたかもしれない。
- 南千歳駅(旧千歳空港駅)は開業せず、鉄道による空港連絡輸送は1994年の新千歳空港開港を待たねばならなかった。
- 空港支線は史実とは異なり千歳駅から分岐し、「千歳高速鉄道」という名の第三セクター路線として開業していた。
- 新千歳空港開港まで北海道の鉄道における函館の地位は高く、JR北海道も発足当時は札幌と函館の2本社制にしていた。
- JR化後も「おおぞら」・「おおとり」・「宗谷」は新千歳空港開港まで函館発着で残り、山線経由の「北海」も新千歳空港開港まで函館-旭川間で運行されていた。
- 根室本線滝川~新得間の路線記号は「K」になっていた。
- 赤岩ダム完成で占冠が水没したからだといわれた。
千歳線編集
白石-北広島編集
- 当然苗穂-北広島間の旧線が健在。
- やや線形が悪いため、道内特急の所要時間が若干延びていた。
- それでも複線化はされていると思われる。
- 現在近いルートを走っている札幌市営地下鉄東西線にも当然影響する。
- 終点が新さっぽろ駅でなかった可能性が高い。
- 東札幌駅は東さっぽろ駅を名乗り、そこが終点となっていた。
- 終点が新さっぽろ駅でなかった可能性が高い。
- 北海道新幹線の駅が札幌駅併設とならなかった場合は、札幌市内に設置される北海道新幹線の駅名は「新札幌」となっていた。
空港支線編集
- 千歳空港駅からターミナルまで新交通システムか何かができていた。
- 運賃がかなり高額になっていた気がしてならない。
- 逆に、運賃を無料にする措置が取られていた可能性もある。
- 運賃がかなり高額になっていた気がしてならない。
- 利用者や専門家から「ターミナルまでJRの支線を作ればよかったのに」という声が上がる。
- =千歳空港のターミナルビル移転がなかったらである。
- 南千歳駅が千歳空港駅を名乗っていた。
津軽海峡線編集
田沢湖線編集
- 盛岡-秋田間の移動がかなり不便になっていた。
- 北上線が早期から電化されるも、高速道路がほぼ同一のルートを通るので激しい競合に晒される。
- 少なくとも特急の列車名は「たざわ」にはなっていない。
- 北上線が秋田新幹線に相当する路線として改軌されたとしても、時間短縮を口実に仙台で増解結が行われていた可能性大。
- 一方で大曲でスイッチバックする必要は無くなっていた。
- 角館-大曲間は秋田内陸縦貫鉄道として経営分離されていた。
- 国鉄時代の名称は「角館線」。
- 史実より利用者数が多くなり早く全通していたかも。
- 国鉄時代の名称は「角館線」。
仙石線編集
- 「日本最初の地下鉄」は名実ともに銀座線になっていた。
- 東北本線と石巻線の直通運転が史実よりも早く行われていた。
- 震災以降は「石巻東北ライン」として増発が実施される。
- 女川行きの本数も史実より多かったかもしれない。
- 山手線を追われた205系は両毛線辺りに転属していた。
- 当初の予定通り房総地区じゃない?
- 東北地方にJRの直流電化路線が存在しないことに。
関東編集
東海編集
東海道本線(熱海-沼津)編集
御殿場線編集
- 最初から丹那トンネル経由
- 明治時代の技術では考えられないが、東海道本線より先に中山道本線が開通していた場合はありうる。
- その場合、名古屋〜京都間も本来の東海道に沿っていた可能性が高い。
- 御殿場線は建設されないが、ほぼ同じルートに私鉄が作られる。
- 西側は駿豆線の延伸、東側は小田急の支線か?
- 小田急との分岐駅は、駅名が「新」の付かない「松田」になっていた。
- 「あさぎり」の本数がもう少し増えていた。
- 松田〜国府津間はおそらく存在しない。
- 大雄山線の延長だろう。
- 箱根山戦争に巻き込まれた可能性が高い。
- あるいは沼津〜御殿場間だけが国鉄によって建設され「御殿場線」となっていた。
- その場合沼津方面が上り。
- 御殿場から山北~大雄山~小田原というルートだったかも。
- 「国鉄線は通っているものの、東京直結の私鉄の方が利用者の多い都市」になる。
- 富士急行線が富士吉田〜御殿場〜沼津まで延伸ってのはどうだろう。
- そして大月〜富士吉田間もろとも国有化。この路線が「御殿場線」だったかも。
- そうなったら、富士吉田~河口湖間は国鉄河口線にでもなっていた。
- 西側は駿豆線の延伸、東側は小田急の支線か?
- 国府津駅は乗換駅ではないため、寂しい途中駅になっていた。
- 快速アクティーは通過していた。
紀勢本線(尾鷲-熊野市)編集
紀勢本線の熊野市~尾鷲間は険しい地形の関係で同線では最後に開通した区間ですが、もし同区間が建設されなかったら…。
- 新宮~熊野市間はJR西日本に帰属している。
- 1978年の和歌山~新宮間と同時に電化されている。
- 三重県の熊野市以南は名古屋よりも大阪志向が強まっていた。
- 熊野市以南の地域では和歌山県への編入運動が起こっていた。
- 名古屋発着の特急「南紀」はなかったかもしれない。
- かわりに「くろしお」が熊野市発着となっている。
- 天王寺発着の夜行普通列車が「はやたま」に改称されず「南紀」のままだった。
- 「紀伊」の特急格上げもなかったか、和歌山線経由で和歌山に発着していた。
- JR化後は快速「みえ」に尾鷲編成が併結されていて、多気駅で分割併合が行われていた。
- 路線名は亀山~尾鷲が「紀勢東線」、熊野市~和歌山市間が「紀勢西線」となっている。
- あるいは亀山~多気〜鳥羽が「参宮線」、多気〜尾鷲が「尾鷲線」、熊野市~和歌山市が「紀勢線」。
- 天王寺〜和歌山〜熊野市が「阪和線」という可能性も。熊野市まで「阪和」ってのも変だけど。
- あるいは亀山~多気〜鳥羽が「参宮線」、多気〜尾鷲が「尾鷲線」、熊野市~和歌山市が「紀勢線」。
- 未だにJRバスが矢ノ川峠を登り降りしている。
伊勢鉄道編集
- 快速「みえ」は設定されていない。
- 名古屋〜伊勢間の輸送はほぼ近鉄が独占していた。
- 特急「南紀」は亀山でスイッチバックしていた。
- 「一度開業できたけど第三セクターにすらならず廃止された」という可能性も。
- 鍛冶屋線の廃止同様、学者や評論家などからかなり批判されていた。
愛知環状鉄道編集
- 名鉄が岡崎市~豊田市~瀬戸市~高蔵寺or多治見市を結ぶ路線が開業していた。
- 旧名鉄挙母線が生き残っていた。
- かつて明覚駅や京都駅で使われていた接近メロディーは聞けなくなっていた。
- えちぜん鉄道の車両はどうなっていたのやら。
甲信越・北陸編集
中央本線(岡谷-みどり湖-塩尻)編集
- 現在も全列車が辰野経由になっている。
- 一部の「あずさ」が辰野に停車していた。
- 飯田線の多くも辰野止まり。
- 東塩尻仮乗降場が民営化時に駅に昇格し「東塩尻駅」が誕生していた。
上越線編集
北越急行編集
- 上越新幹線→北陸方面への乗り換えはずっと長岡で行われていた。
- 「きらめき」はともかく「かがやき」は北陸新幹線開業まで存続。
- 米原乗り換えのシェアを大幅に奪えるのはおそらく「のぞみ」の大量増発後。
- 681・683系の編成数が若干少なくなっていた。
- 但し「かがやき」や「北越」に683系の投入が検討されていたかもしれない。
- その場合、北陸新幹線開業後史実とほぼ同じ経緯を辿っていた。
- かがやき・北越に683系が導入されない場合、289系は誕生しなかった。
- 但し「かがやき」や「北越」に683系の投入が検討されていたかもしれない。
- 北陸新幹線開業まで首都圏から北陸への観光客は少ないままだった。
- 京成スカイライナーの時速160km/h運転が現実以上に取り上げられていた。
- 鍋立山トンネルの大工事もなかっただろう。あそこまでしたのになんか無駄になった気がする…
- しかしこれによる技術向上が無かったため、別のトンネルで苦戦しそこが有名になっていた。
- 超快速は世に出なかった。
- もし北越急行の会社設立に失敗していたら・・・である。トンネルは貫通しないままワイン貯蔵やキノコ栽培のための施設に転用されていた。
- 新潟県に蒲原鉄道線廃止以降、JR以外の鉄道がない状態がえちごトキめき鉄道開業まで続いていた。
白新線編集
- 特急いなほは新津発着だった。
- きらきらうえつも同じく。
- 発着自体は新潟のままかと。但し新津でスイッチバックする形にはなる。
- 新潟市北区は南区と同じく駅がない区になっていた。
- そのため旧豊栄市も鉄道が通っていない。
- 新潟市への編入合併も市政施行もなく、現在でも「豊栄町」のままだったかも。
- そのため旧豊栄市も鉄道が通っていない。
大糸線編集
中土-小滝編集
- 大糸南線は大町線、大糸北線は小滝線になっていた。
- おそらく中土までは電化されているはず。
- しかし、吾妻線大前駅のように「1駅だけ本数の少ない終着駅」になっていたかもしれない。
- 中土までJR東日本の路線になっていた。
- 南小谷駅は小谷駅に改称されていた。
- 小滝線の廃止が早まり、えちごトキめき鉄道移管後はJR西日本は新潟県から撤退していた。
- 特定地方交通線に指定され、JRに引き継がれる前に廃止されたかもしれない。
信濃大町-中土編集
- 信濃鉄道は国有化されなかった。
- よって松本電鉄に編入されていた。
- そのため第三セクターのしなの鉄道の名称はそのままになる。
- 路線名は「アルピコ交通大町線」になっていた。
- よって松本電鉄に編入されていた。
- 大糸北線が建設されていた場合、あの路線は「小滝線」になっていた。
- 特急「あずさ」が乗り入れする訳がない。
- その代わり松本電鉄にも長野電鉄のように特急が導入されていたかもしれない。
- 当然、波田町の編入合併もなかった。
- その代わり松本電鉄にも長野電鉄のように特急が導入されていたかもしれない。
- 通称「オリンピック道路」は昭和のうちに建設され開業していた。
- 白馬に鉄道が通らないので、もしかしたら信越西線の全通が実現するかもしれない。
- そこから史実の大糸線である白馬~糸魚川間も信越西線の一部になり糸魚川までの乗り入れが可能になる。
- こうしたら南小谷~糸魚川間も電化されていた。
- スーパー雷鳥信越やサンダーバード信越もこの路線を通っていた。
- もしかしたら糸魚川~長野間の特急が登場していたかもしれない、おそらく列車名は「ひすい」になっていた。
- 国鉄時代では485系と189系の運行で、2010年代からはE351系に置き換えられていた。
- こうしたら南小谷~糸魚川間も電化されていた。
- そこから史実の大糸線である白馬~糸魚川間も信越西線の一部になり糸魚川までの乗り入れが可能になる。
富山地方鉄道編集
本線(滑川-電鉄黒部)編集
史実では私鉄と国鉄は輸送の目的が違うと主張し並走区間の敷設を押し通しましたが、もし認められていなかったら
- 大都市を持たない電鉄黒部-宇奈月温泉間の経営が苦しくなっていた。
- 孤立路線ゆえに70年代あたりで廃線になっていた。
- 開業当初は国鉄黒部駅に乗り入れていたそうだから、その状態が続いていたかと。
- それでも南部縦貫鉄道のように新幹線接続を待たずに廃線、という事態もありえた。
- おそらくだが黒部川開発の産業鉄道という理由で富山地方鉄道の路線にならず(例として北陸鉄道にならなかった尾小屋鉄道)、現在は関西電力の関連会社が運営しているかもしれない。
- 電鉄富山-滑川間は立山線より短いので本線を名乗っていたか微妙なところ。
- 富山~上市(~大岩不動)が大岩線、(あいの風)滑川~上市で滑川線になっていた。
- 地鉄特急「うなづき」は無く、北陸新幹線開業までJR直通特急が運行されていた。
越美北線編集
- 京福電鉄越前本線(現在のえちぜん鉄道勝山永平寺線)の末端区間(勝山~京福大野)が廃止になることはなく、えちぜん鉄道転換後の路線名が「大野永平寺線」になっていた。
- この場合、京福大野駅はえちぜん鉄道転換時に「えちぜん大野駅」に改称されていた。
- (旧)京都電燈福井~(旧)大野三番の買収に成功していたら現実だったかも。
- 越美南線はどうなっていたのだろうか?
近畿編集
中国・四国編集
可部線編集
全線編集
- 可部町・安佐町は広島市への編入が遅れていた。
- 芸備鉄道(現芸備線)が可部経由のルートになっていたら可部町についてはあまり変わらない。
- アストラムラインのルートが現実と大きく変わっていた。
可部-三段峡編集
- 赤字83線にはならなかった。
- 桃鉄に三段峡駅(?駅)は存在しなかった。
- 三段峡の観光客数はずっと低調。
- 国道191号に沿った小規模な延伸が提案されていた。
- 「加計」の固有名詞が全国区になるのが10数年遅れる。
三江線(浜原-口羽)編集
- 江津-浜原間が「三江北線」、三次-口羽間が「三江南線」のまま。
- しかし三江北線、三江南線ともに特定地方交通線に認定され、現在では廃止されている。
- 三江北線は比較的古くからあるので、第三セクター「江の川鉄道」に転換されたかもしれない。
- 興浜線同様「全通せずに廃止された悲運の鉄道路線」として語り継がれている。
瀬戸大橋線編集
岩徳線編集
- それでもあまり歴史に大差はなかった。
- 山陽新幹線の新岩国〜徳山間の運賃が若干高くなっていた。
- 岩国〜川西間は錦川鉄道として経営分離されていた。
智頭急行編集
- もちろん「スーパーはくと」は存在せず。
- 岡山発着の「スーパーいなば」も存在しないので、急行「砂丘」が現存していた。
- 特急化されていた可能性もある。
- 特急「あさしお」も。
- 岡山発着の「スーパーいなば」も存在しないので、急行「砂丘」が現存していた。
- 特急「はまかぜ」は全列車鳥取発着となっていた。
- 大阪-鳥取間は現在でも3時間以上を要していた。
- 鳥取県が関西広域連合に加入することはなかった。
- 日本交通の高速バスは現在でも京阪神-鳥取間の輸送の主役。
- 鳥取自動車道が15年早く開通していた。
- 関空が神戸沖か播磨灘で開港していた。
- その場合、鳥取空港が廃港の危機に遭い、最悪なら廃港という事態に陥っていた。
- 余部鉄橋は1990年代のうちに架け替えられていた。
- あるいはトンネルの新線に切り替えられていた。
- 寝台特急「出雲」は2011年まで運行され、最後の東京発着ブルートレインになっていた。
- 全日空の大阪-鳥取便は2009年頃まで運航され、その後も大阪-但馬便を運航するコミューター航空会社に引き継がれて運航されていた。
- 山陰本線の城崎温泉〜鳥取が電化されていた可能性もある。
- 播但線の寺前以北も。
- この場合上記の特急「あさしお」「はまかぜ」は電車化された。
- 山陰本線の京都~鳥取間が複線化・高速化されたかも。
- 山陰本線京都~福知山間の電化が史実より早かったかも。
- 播但線の寺前以北も。
- 因美線智頭以南の扱いがもう少しマシだった。
- 津山線と同時期に全線高速化された。
- 上記の急行「砂丘」が特急化された場合キハ181系が2000年頃キハ187系に置き換わるまで使用された。
- この場合急行「つやま」は存在しなかった。
- 1980年に建設工事が中止された後に、第3セクター会社(史実の智頭急行)の設立にも失敗していた場合は、盛土路盤は拡幅して道路に、トンネルはワイン貯蔵庫やキノコ栽培施設などに転用されていた。
九州編集
山陽本線(下関-門司)編集
→もしあの鉄道路線が○○だったら/JR九州#建設されなかったら
福岡市営地下鉄編集
福岡市は地盤が軟弱で何度も陥没事故が起きています。もし福岡市の地下鉄計画が断念されていたら。
- 筑肥線の博多口は廃止にならず立体交差化されていた。
- 博多~西唐津は現実と異なり交流電化されていた。
- 神戸以西の西日本に地下鉄が存在しないことになる。
- 同じ軟弱地盤をかかえる大阪市や名古屋市や仙台市の地下鉄計画に影響があったかもしれない。
- 神戸市営地下鉄も海岸線はなかった。
- アイランドシティ~博多~百道浜にモノレールが開業していた。
- 西鉄貝塚線は史実と変わらない。
- 福岡空港まで軌道系交通機関がないという事態になる。
- 滑走路を地下で横断しないといけないのがネックになりそうなので。
- 史実ほど便利さが認識されず、移転(もしくは佐賀空港などへの機能移管)が実現していたかも。
- 東京はともかく、名古屋・大阪~福岡は新幹線のシェアが現実よりも高くなっていたかも。
- それでも交通量を考えると西鉄福岡市内線の存続は難しかったと思われる。
- 福岡市は現実以上に西鉄バスに依存していた。
- 京都市以上にバスの町と言われるようになっていた。
- 福岡市は現実以上に西鉄バスに依存していた。
- 福岡市は現実ほど発展していなかった。
- 京都市や神戸市の人口を抜くことはなく、今頃は川崎市に人口が抜かれていた。
日豊本線(隼人-都城)編集
- 吉都線と肥薩線の吉松-隼人間が日豊本線に編入されていた。
- 電化、複線化なども行われていた。
- スイッチバックも廃止された。
- 電化、複線化なども行われていた。
- 隼人駅が「国分駅」のままだった可能性が高い。
- 代わりに大隅線が生き残っていたかもしれない。
- 在りし日の寝台特急「富士」は下手すりゃ26時間近い所要時間で運行されていた。
沖縄都市モノレール編集
- 開業できない理由があるとすればおそらく「行政側が普通鉄道での建設にこだわっているから」。
- もしくは「マイカー社会の沖縄で鉄道なんか作っても大赤字になる」と言う反対意見が強いから。
- モノレールの代わりにBRT導入が検討されていたかもしれない。
- 宮古島のリフトが「沖縄唯一の正式な鉄道路線」としてもっと取り上げられていた。
筑豊本線編集
桂川-原田編集
- 1920年代までに篠栗線が全通していた。
- そちらが筑豊本線だった。