もし入間県が埼玉県を吸収していたら
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群馬県と合併して熊谷県となった後人口も面積も小さい埼玉県に吸収されてしまった入間県。もしも逆に吸収していたらどうなっていたのかを妄想します。
- 県庁は川越か熊谷か?
- 間を取って東松山で。
- それぞれの街の雰囲気はどうなっているのか?
- 川越は政治・経済・文化の中心として発展する。
- 大宮は交通の中心。
- 浦和は特にない。
- 別に県庁がない浦和なんて東京のベットタウン。せいぜい越谷くらいのポジションでしょう。
- 春日部のポジションが大宮ですな。
- 別に県庁がない浦和なんて東京のベットタウン。せいぜい越谷くらいのポジションでしょう。
- ひらがな県庁所在地「いるま市」誕生。
- 「さいたま語」ならぬ「いるま語」です。
- もちろんさいたま市は誕生しない。
- せいぜい与野が浦和か大宮のどちらかに編入されていただけだった。
- 東北新幹線は川越駅経由で建設されていた。
- 上越新幹線との分岐点も川越駅。
- 見返りの通勤路線が入京線という通称で開業する。
- 高崎線と東武東上線のルートが逆になっていた。
- 高崎線の起点が池袋駅になっていたため、池袋は現実以上に発展している。
- この場合、池袋〜田端は高崎線になっていた。その後、五方向作戦により赤羽〜戸田〜志木間に新線ができ、志木以南が志木線として分割される。
- 旧埼玉県の領域にJリーグチームはできなかった。
- 入間県の県庁所在地だった川越は政令指定都市に。
- 東京の多摩地方の一部(武蔵野市や西東京市)も入間県だったから、吉祥寺が入間県の繁華街になってる。
- 「ダサイ」ということばが生まれなかった。
- ダサイは田舎を音読みした言葉なので関係ない。
- じゃあ「ダサ入間」って呼ばれてたのかな・・・
- はたして明治期全府県の県庁で最も人口が少なく1995年まで川口より人口の少なかった浦和が県庁だった史実より、県下最大の都市であった川越が県庁の入間県がダサかったかどうかは甚だ疑問ではあるが。
- じゃあ「ダサ入間」って呼ばれてたのかな・・・
- ダサイは田舎を音読みした言葉なので関係ない。
- 東上線と埼京線(入京線)が入れ替わる。
- 入京線は東上線ルートで川越まで来た後大宮まで曲がり、春日部まで大宮線。
- 東北線は成増から和光南部・清瀬北部・三芳を経由し川越まで来た後、東松山から江南を経て熊谷。そこから佐野・栃木を経て宇都宮になっていた。
- 高崎線は東松山から小川から寄居・児玉を経て高崎。
- 川越市民は荒川より東側を別の県だと思うようになる。
- そして所沢との対立が激しくなる。