もしあの駅が別の年に開業していたら/近畿
- 特定の路線のみの場合はそれを明記すること。
滋賀編集
栗東駅編集
- 1889年
- 駅名は所在地の村名をとって「大宝」駅になっていた。
- 後に開業した関東鉄道の駅は「常陸大宝」に。
- この場合「栗東」という自治体名は誕生しなかったかもしれない。
- 人口希薄な場所だったため当初は貨物のみの取り扱い。
- 1950年代後半
- おそらく栗東町誕生と同じ頃の設置。
- 貨物を取り扱ったことはない。
- 90年頃に橋上駅化される。
- 市制施行がやや早まった可能性あり。
南草津駅編集
- 1889年
- 駅名は周辺の地名に合わせて「野路」あたりになっていた。
- 開業以来長い間利用客は少なかったが、1990年代に立命館大学が進出して以降周辺の開発が進み利用客が急増していった。
- いずれは近隣にある野洲駅と紛らわしいということで現駅名に改称されていただろう。
- 瀬田駅の開業が1969年なので、同駅よりも早く開業したことになっていた。
- それどころか石山駅(1903年開業)よりも早かった。
瀬田駅編集
- 1889年
- 熊本県にある豊肥本線の瀬田駅はこの駅との混同を防ぐために「肥後瀬田」駅になっていたかもしれない。
- 逆に石山駅の開業が戦後になっていたかも。
- その場合、京阪石山坂本線のルートも変わっていた可能性がある。
- 京阪石山寺駅の方が「石山」駅を名乗っていた。
- その場合、京阪石山坂本線のルートも変わっていた可能性がある。
小野駅編集
- 1974年
- 「真野浜」か「近江小野」になっていた。
- 周辺は京阪ではなく別の業者が開発していたかも。
- 新快速は1980年代前半まで夏のみ停車していた。
守山駅編集
- 1965年
- 中央線との混同防止で「近江守山」になっていた。
京都編集
JR小倉駅編集
- 国鉄時代
太秦駅編集
- 1930年代
- 嵐電にも「太秦駅前」という電停ができていた。
- 現実の「帷子ノ辻」がそれを名乗っていた。
- 「太秦」電停の改称は現実よりも早かった。
- 恐らく「嵯峨野→有栖川」と同時期に行われていた。
- 駅の雰囲気によっては複数の東映映画の撮影で使用されていた。
- 少なくとも映画関係者の利用は多かったはず。
- 周辺の開発による用地不足のせいで駐輪場が史実より貧弱だったかもしれない。
- 国鉄の駅だったので、難読駅名としての知名度は現実よりも高く、かつ早くから知られていた。
円町駅編集
- 昭和10年代
- 西大路通開通か市電西大路線全通と同時に開業。
- 市電の停留所は「円町駅前」と名乗っていた。
- だが方向幕の表示は史実通り「円町」。
- 円町折り返しの系統はもっと多かった。
- 駅の位置はもう少し東寄りの西大路通から見えるところ。
- 一部の急行が停車していた。
- 昭和40年代
この時期から駅設置を求める請願が実際にあった。
- 新丸太町通の整備を考慮に入れて建設された。
- 立命館大学の広小路キャンパス撤退がやや早まっていたかもしれない。
- 中京区の人口減少が抑えられた。
- それでも京都市電の全線廃止は避けられなかった。
- 昭和53年
- 同年の紀勢線和歌山-新宮間電化と同時に開業。前日に廃止された市電円町電停の代替を兼ねる。
- 中京区の人口減少は少し抑えられた。
- 高架化・複線化されるまで1面1線しかない。
- 当初から快速停車駅である(中京区民からの要望,市電全廃の代替が主な理由)。
六地蔵駅(JR)編集
- 1960年代
- 山科川を挟んだ京都市側、イズミヤのあたりの築堤上に単式ホームで新設、電化時期にホームが増設。つまりイズミヤが存在しない。御蔵山商店街の位置が、現京阪六地蔵駅との間になる。
- イズミヤがMOMOの場所に出店していたかも。
- イズミヤが出店しなかった場合、イトーヨーカドーは閉店しなかった。
- 長距離切符においては京都市内駅に含まれている。
- 繁華街の位置が違うため、京都アニメーション周囲は人通りが多く、あの惨事が起きていない。外環状はおそらく木幡寄りを抜ける。
- 京都市営地下鉄東西線の駅は京阪とJRの間に作られ、京阪との乗り換えも便利になっていた。
- 京都市営地下鉄が宇治市内に路線を持つこともなかった。
- 1994年以降
- 駅名は「JR六地蔵」となっていた。
- Wikipediaでの項目も京阪六地蔵駅とは別になっていた。
- 2004年に京都市営地下鉄東西線が乗り入れてくるものの、そちらは単に「六地蔵」駅となっていた。
- そのため京阪を含めた駅名の関係がややこしくなっていた。
洛西口駅編集
- 1980年代
- 早くても、1979年に開業していた。
- 洛西ニュータウンの整備に合わせて建設された。
- 阪急資本の進出が史実より進んでいたかもしれない。
- それでもラクセーヌのメインテナントが阪急百貨店になるようなことはあるまい。
- 阪急資本の進出が史実より進んでいたかもしれない。
- 駅周辺の開発が史実より進んでいた。
- 西口にちょっとしたバスターミナルのようなものが建設された。
- 高槻市より東(北)が各駅停車となる優等列車の本数が開業の頃から若干増えた。
- 2001年
- 駅周辺の開発が史実より進んでいた。
- その分、西山天王山駅か摂津市駅の開業が2003年に早まっていたかもしれない。
- 6300系電車のラッピング列車が当駅の開業を機に運行され、6000系電車と7000系電車よりも早く実現していたことになっていた。
西山天王山駅編集
- 1985年頃から要望があったそうです。
- 1970年代
- 早くても、1972年に開業していた。
- 駅名は「円明寺」駅あたりになっていた。
- 2013年or2014年あたりに「西山天王山」駅に改称されていた。
- 阪急のことなので「円明寺天王山」のほうがありそう。
- 2013年or2014年あたりに「西山天王山」駅に改称されていた。
- 当駅近くにある円明寺団地の規模が史実よりも大きくなっていた。
- 京都縦貫自動車道にバス停ができたのは、史実通り。
- 2013年春以前
- 2012年に開業した場合、神戸線のダイヤ改正とともに、京都線のダイヤ改正も行われた。
- 京都縦貫自動車道は2011年頃に開業していたら、あり得た。
- もしくは、駅開業が先行して、その後に高速長岡京バスストップが整備された。
梅小路京都西駅編集
- 1972年
- 梅小路蒸気機関車館の開館に合わせて開業していた。
- 駅名は単に「梅小路」になっていた。
- 当時は山陰本線の本数が少なかったため駅があっても不便だった。
- 緑化フェア梅小路駅はなかった。
- 1976年
- 同年の山陰本線京都口の高架化に合わせて開業していた。
- この場合も駅名は「梅小路」になっている。
- 場合によっては丹波口駅は高架化に合わせて廃止されていたかも。
- ホームドアが設置されなかったため、インバウンドで嵯峨野線が混雑するようになると201系や205系と言った4扉ロングシート車が入線していた。
- 2016年
- 京都鉄道博物館の開館と同じ時期に開業していた。
- そのために、京都鉄道博物館へ訪れる観客が史実より多くなっていた。
- 京都水族館も。
- この頃になったらホームドアが設置されたかも。
千代川駅編集
- 1970年代
- 荷物扱いは一度もなかった。
橋本駅編集
- 1920年代
- 駅名が「京阪橋本」になっていたかも。
大阪編集
大阪城公園駅編集
- 1930年代
- 大阪城公園ではなく周辺の軍事工場の最寄駅として開業していた。
- 多分開業時の駅名は「大阪城公園」ではなかった。
- 1980年代に現駅名に改称。
- 当初は「工廠」という言葉が入った駅名だったが日中戦争期に防諜のため「青屋門」あたりに改名される。
- 『日本アパッチ族』(小松左京)の中にも何らかの形で登場していた。
新今宮駅編集
- 1880年代
- 恐らく駅名は「霞町」になっていたか?
- 村名から取って「木津」だったのでは。
- この場合1896年開業の京都府の駅が「山城木津」だった。
- 村名から取って「木津」だったのでは。
- 南海天王寺線の廃止が早まっていた。
- そもそも建設されなかった可能性もある。
- 地下鉄の動物園前駅もこの駅に接続するように建設されていた。
樟葉駅編集
- 1970年代
- くずはローズタウンの開発に伴って開業した駅となっていた。
東部市場前駅編集
- 国鉄時代
- 駅名は地名に合わせて「杭全(くまた)」になっていた。
- 難読駅名として知られていた。
- すぐ近くにある百済貨物駅と一体的に整備されていたかも。
- その場合、駅は今里筋を挟んだ東側に設けられていた。
北梅田駅編集
- 1990年代
- 「くろしお」の新大阪・京都発の設定or「はるか」の登場と共に旅客用ホームが設置されていた。
- 特急しか来ないので駅名もすんなり「大阪」で確定していたかもしれない。
- JR難波と違い、なにわ筋線用の準備構造は設置できなかったと思われる。
- 梅田貨物駅が現役なので、旅客用ホームは大淀寄りに設置されていた。
- その為大阪駅と無理やり地下通路で連絡運輸を図っていた。これが原因で「はるか」の対関空シェアも史実とあまり変わらない。
- 東京駅の京葉線ホーム、渋谷駅の埼京線ホームと共に「乗り換えに不便な主要駅のホーム」として名を馳せてしまう。
- ホームの規模もつい最近まで1面2線程度だったが、再開発を機に史実の建設地点に近い場所への移転を含めた抜本的改修が成される。
- その為大阪駅と無理やり地下通路で連絡運輸を図っていた。これが原因で「はるか」の対関空シェアも史実とあまり変わらない。
高井田駅(JR)編集
- 2008年以降
- JRにおける「高井田」という駅名は現実のおおさか東線高井田中央駅が名乗っていた。
- JR河内永和やJR俊徳道と同様「JR高井田」だったかも。
- こちらは「東柏原」か「JR河内国分」を名乗っていた。
- どうしても「高井田」を入れる必要があるのなら「柏原高井田」とかになっていた。
- 「高井田」というと東大阪市の方を思い浮かべる人が大半だった。
衣摺加美北駅編集
- 2008年
- おおさか東線の開業と同時に開業していた。
- 放出~新大阪間の開業が史実より早まっていたらあり得た。
- ホームは2008年に開業した他の駅と同じ島式ホームになっていたかも。
- 場合によっては、放出~久宝寺間の開業が史実より早まって、その時に開業した可能性もある。
摂津市駅編集
- 史実では、2010年3月に開業しましたが、摂津市が市制化される1966年以前から構想があったそうです。
- 1928年
- 駅周辺にダイヘンの事業所が開設されることはなかったかもしれない。
- 仮に、開設されたとしても、史実と異なるものになっていた。
- 摂津市が史実よりも大きく発展していた。
- 1950年代~1960年代
- 1966年以前に開業した場合、「三島」駅となり、市制化されてから「摂津市」駅に改称されていた。
- 1967年以降に開業した場合、史実通り「摂津市」駅として開業していた。
- 1970年代
- 近くに、ダイヘンがあったので、通勤専用出口が設けられていた。
- 駅近辺に大阪府立摂津高等学校、星翔高等学校があるので、通学専用出口も設けられていた。
- 日本初の「カーボン・ニュートラル・ステーション」は洛西口駅か西山天王山駅になっていた。
- 1973年11月に山田駅とともに開業していた。
- 2000年代
- ダイヘンの六甲事業所の新設が史実よりも早まっていた。。
- 2007年か2001年に開業した場合、京都線のダイヤ改正の実施と同時に開業していた。
- 場合によっては、ダイヤ改正が数年ずれ込んでいた可能性もあった。
- 開業を機にラッピング装飾と特製ヘッドマークが掲出されたのは9300系電車ではなく、8300系電車になっていた可能性が高い。
- 2007年か2008年に開業した場合、新駅設置を行っていたJR西日本に対抗するために設置された駅として注目されていた。
- 2007年に開業した場合、阪急電鉄が創立100周年を迎える年でもあったので、駅開業と重なっていた。
- 南千里丘まちづくりの街開きも史実よりも早まっていた。
吹田貨物ターミナル駅編集
- 1980年代
- 早くても、1982年11月に、遅くても、1986年11月に開業していた。
- 大阪貨物ターミナルの開業が1975年3月or1978年11月or1980年10月に早まっていたかもしれない。
- オオサカガーデンシティにおける再開発事業も史実早く完成していた。
- サウスゲートビルディングの開業も史実よりも早まっていた。
- 大丸梅田店の開業も早まっていた。
- 梅田貨物駅が1986年11月に廃止されていた。
- 吹田貨物ターミナル駅の規模は史実よりも大きくなっていた。
- 本来の計画では、梅田駅の貨物取扱施設を吹田貨物ターミナル駅に全面移転させる予定であった。
- 百済貨物ターミナル駅の規模が史実ほど大きくならなかったかもしれない。
- 国立循環器病研究センターが岸辺に移転することはなかったかもしれない。
- むしろこれもうめきたに移転してきたりして。
- 大阪駅北地区における再開発事業が史実よりも早く進み、史実と異なるものになっていた。
- 遅くても、街開きが2000年代初頭に早まっていた。また、全体の開発工事が2010年代に完了していた。
- バブル崩壊やリーマンショックのせいでどうせ遅れていたのでは。
- ノースゲートビルディングの開業も史実よりも早く開業していた。
- 無論、三越が予定通り梅田に開業していた。
- 伊勢丹も三越とは別に開業していたかもしれない。また、梅田近辺における百貨店の競争がさらに激しいものになっていた。
- 阪急・阪神両百貨店の建て替えも現実よりも早く行われ、阪急は2000年代前半に、阪神は2000年代後半に建て替えが完了していた。
- 伊勢丹も三越とは別に開業していたかもしれない。また、梅田近辺における百貨店の競争がさらに激しいものになっていた。
- ヨドバシ梅田の開業は史実通りだが、史実よりも遅れて開業していた可能性が高い。
- サーカス会場などで利用された後に開業していた可能性が高い。
- グランフロント大阪の開業も2000年代初頭に早まっていた。
- 朝日放送の社屋が中之島ではなく、梅田駅北地区に移転していたかもしれない。
- 関西テレビ放送が1998年10月頃に梅田駅北地区に移転していた可能性もあり得る。
- 大阪府庁も大阪駅北地区に移転していたかもしれない。
- 高層ビルが乱立していた可能性が高い。
- 遅くても、街開きが2000年代初頭に早まっていた。また、全体の開発工事が2010年代に完了していた。
- 大阪駅のホームが5面10線にまで縮小されることはなかったかもしれない。
- 北梅田駅は1994年の関西国際空港開港に合わせて開業していた。
- 場合によっては新幹線の大阪駅乗り入れが検討されていた。
- 建設費やダイヤ調整を考慮すると相当な難易度になるので不可能では。
南茨木駅編集
- 1928年
- 駅名は「南茨木」ではなかったかも。
- 「沢良宜」か「奈良」になっていた。
- 前者だったら大阪モノレールの沢良宜駅も駅名が変わっていた。後者だったら奈良県にあると勘違いされていた。
- 後者の場合紛らわしいのでいずれは改称されていた可能性が高い。
- 前者だったら大阪モノレールの沢良宜駅も駅名が変わっていた。後者だったら奈良県にあると勘違いされていた。
- 「沢良宜」か「奈良」になっていた。
- 1970年の大阪万博開催に合わせて駅舎が整備され、現在の形になっていた。
- 1990年
- 大阪モノレール開通に合わせて開業していた。
島本駅編集
- 国鉄時代から地元住民から設置して欲しいという要望がありました。
- 国鉄時代
- さすがに、「桜井ノ駅駅」になることはなかった。
- 開業に合わせ,日中の快速が高槻以東各駅停車になったかもしれない。
- 駅周辺の開発速度は1990年頃に早くなる。上手く進めば,島本町は単独で市制施行する。
- 1990年代
- 駅周辺の開発が史実よりも進んでいた。
- 当駅と阪急水無瀬駅を結ぶ道路が史実よりも早く整備されていた。
- 島本町立歴史文化資料館の開業が史実よりも早まっていた。
- 201系電車と205系電車と113系電車が当駅に停車する光景を見ることができた。
- 1997年に発売したテレビゲームの「電車でGO!」で登場していたかもしれない。
- 場合によっては、大阪府立青年の家の閉鎖が史実よりも早まっていたかもしれない。
- 2001年
- 3を除く1990年代における項目が全て実現していた。
- この年に実施されていた阪急京都線のダイヤ改正は当駅の開業に伴って、実施されたものになっていた。
門真市駅編集
- 1970年
- 同年開催された大阪万博に合わせての開業だった。
- 京阪沿線から万博会場へのシャトルバスはここから出ていた(現実では守口市駅)。
- そのため、万博期間中は優等列車が臨時停車していた。
- 開業時はやはり新門真駅だった。
- 門真市への駅名改称も史実通り。
- 1997年
- 大阪モノレールの延伸と同時に開業していた。
- 旧門真駅は元の位置のまま高架複々線となり、それと同時にこちらが「門真市」に改称されていた。
- 現実の門真市駅は「東門真」駅あたりになっていた。
- 開業当初から橋上駅舎だった。
- 駅前のイズミヤはなかったかも。
白鷺駅編集
- 1971年
- 泉北高速線開通と同時期だった。
羽倉崎駅編集
- 1955年
- 検車区と同時に開設された。
加美駅編集
- 1970年
- 阪和貨物線の旅客化考慮で青少年広場の北側に開業していた。
- 島式2面4線対応の構造だった。
緑地公園駅編集
- 1970年
- 隣の桃山台と似た構造だった。
三日市町駅編集
- 1960年代
- 「町」は駅名になかったかも。
相川駅編集
- 1937年
- 旧制日大中学(のち大阪高校)移転と重なった。
- そのため「日大中学前」で開業していたかも。
志紀駅編集
- 1940年
- 同時期に大正飛行場(のち八尾空港)への引き込み線も建設されていた。
山田駅編集
- 1970年
- 「万国博西口」から「万博公園西口」を経て現在の駅名に落ち着いた。
中百舌鳥駅編集
- 1974年
瓢箪山駅編集
- 1964年
兵庫編集
西明石駅編集
- 1930年
- 明石操車場と同時に駅も設置された。
- 川崎航空機の工場ができるまで利用客は少なかった。
- あるいは他の会社の工場がもっと早い時期にできていた。
- 駅名は史実通り。
- 1972年
- 駅名は「新明石」になっていた。
- 電車区の用地が駅の敷地に一部転用された。
- 在来線と新幹線のホームはやや離れている。
摩耶駅編集
- 1994年以前
- 阪神・淡路大震災で六甲道駅の高架が崩壊した際、全線復旧までこの駅折り返しの電車が設定された。
- 国鉄時代に開業した場合、駅名が「東灘」駅になっていたかもしれない。
- 国鉄時代に開業した場合、神戸港駅方面に向かう貨物列車のことを考慮して、待避線が設けられていた。
- 2008年
- 須磨海浜公園駅と島本駅と同時に開業していた。
- 摩耶駅か須磨海浜公園駅か島本駅のいずれかが2007年までに開業していた可能性もあり得る。
- 場合によっては、神戸貨物ターミナル駅の開業と神戸港駅の廃止が史実よりも早まっていたかもしれない。
- 2012年
- この年に開催されていた「KOBE de 清盛 2012」と関わったイベントが行われていたかもしれない。
- 東姫路駅の開業もこの年に開業していた。(史実では、摩耶駅と同時に開業していた。)
はりま勝原駅編集
- 1920年代
- 「勝原」を名乗っていた。
- 越美線の方は「越前勝原」だった。
- 1960年代
- 「播磨勝原」を名乗っていた。
立花駅編集
- 1990年代
- 尼崎市の請願駅だった。
ひめじ別所駅編集
- 1900年
- 「別所」駅だった。
- 1968年
- 貨物想定用地も同時に確保された。
舞子駅編集
- 1934年
- 電化と同時開設だった。
- 1998年
- 明石海峡大橋と同時整備された。
- 山陽電車が「舞子」を名乗り続けこちらが「JR舞子」の可能性あり。
三田本町駅編集
- 1991年
- 横山~三田間複線化と同時開設だった。
神野駅編集
- 1950年代
- 当初から棒線駅で駅員配置はなかったかも。
押部谷駅編集
- 1980年
- 駅名が「美穂が丘」になっていたかも。
須磨海浜公園駅編集
- 1934年
- 電化と同時に開設された。
- 駅名は「松風」だった。
奈良編集
JR五位堂駅編集
- 史実では、2004年3月に信号場から旅客駅に昇格しました。しかし、1960年代後半から、地元住民からの要望がありました。
- 国鉄時代
- 駅名は「五位堂駅」になっていた。
- 駅前にバスターミナルが整備されていた。
- 上手く進めば,1980年の和歌山線王寺-五条間電化と同時に実現した。
- 1990年代
- 駅周辺には、住宅が多くなっていった。
- 畑が少なくなっていた。
- 同時に、「下田駅」が「香芝駅」に改称されるのが史実よりも早まっていた。
- 利用客が史実よりも多くなっていた。
和歌山編集
和歌山大学前駅編集
1984年頃から構想がありました。
- 1980年代
- 和歌山大学栄谷キャンパスが開設された1985年に開業した。
- 特急「サザン」の停車は1994年9月のダイヤ改正で実現していた。
- ふじと台は南海グループの主導によって、整備されていた。
- 1990年頃に駅周辺の人口が増える。孝子以北から栄谷キャンパスに通学する学生も多くなる。
- 1990年代
- 早くても、1993年頃に開業していた。
- ふじと台の整備も史実より進んでいた。
- イオンモールではなく、ダイエーもしくはオークワが出店していた。
- 特急「サザン」の停車は1996年10月のダイヤ改正で実現していた。
- 2000年代
- 早くても、2001年頃に開業していた。
- ふじと台の整備も史実よりも進んでいた。
- イオンモール和歌山の開業も史実より早まっていたかもしれない。
- オークワが主体としているガーデンパーク和歌山がふじと台に開業していた可能性もあり得る。
- そうなると、イオンモールは別の場所にできていた可能性が高い。
- イオンモール和歌山の開業も史実より早まっていたかもしれない。
- 特急「サザン」の停車は2005年11月のダイヤ改正で実現していた。
- 2001年3月のダイヤ改正で実現していた可能性もある。
- 2010年
- 2009年10月に実施された南海線のダイヤ改正が2010年3月に当駅の開業と同時に実施された。
- 特急「サザン」の停車が2012年4月のダイヤ改正で実現していた。
- その代わりに、2014年3月にイオンモール和歌山が開業したことに伴う区間急行の延長運転はなかった。