「室町時代」の版間の差分
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#いつの時代も二代目の将軍って影薄いよな | |||
===足利義満=== | ===足利義満=== | ||
#金閣寺を建てた。 | #金閣寺を建てた。 |
2007年5月10日 (木) 02:38時点における版
室町時代の噂
- 海驢(あしか)が天下を取った。
- 明に対する貿易黒字でバブル到来。
- 儲けたついでにバブル資金で南朝と北朝を買収・合併。
- 金閣寺と銀閣寺ができる。(銅閣寺は構造計算書の偽造がばれて、建設中止)
- 税金の無駄遣いという世論を受けて、銅閣寺の建設計画は取り消される。
- それ以前に銀閣寺に銀が貼れなかった。
- いや、このネタの場合は建設中止だから貼れないんだろ
- 「銀閣寺建設は内外装の完成を待たずに中断、以後放置」ってとこですかね。
- ×金閣寺、銀閣寺 ○(鹿苑寺)金閣、(慈照寺)銀閣
- 浦島太郎が竜宮城へ行く。
- 丹後あたりで行方不明になったのに木曽で目覚める。
- 時の政治家が政治そっちのけで茶道にのめりこみ、戦国時代に突入。
- お坊さんが無駄に強い。
- ファンタジーRPGでもプリースト職は何気に強く、定番の人気職業。
- 一休さん活躍。
- お墓は宮内庁の管轄(本当)
- 新衛門さんの顎が割れる。当時としては珍しかった。
- 桔梗屋さんは実在した。
- 弥生さんももちろん実在した。
- さよちゃんも当然のごとく実在した。
- 母上様は若いころ峰不二子と名乗り、世の男性をメロメロにしていた。
- バカボンのママでもあった。
- キューティハニーでもあった。
- 成長したのち、美人三姉妹怪盗団の長女として活躍…
- 現在の由美かおるである。
- 当時苦しい生活を強いられた農民たちが始めた遊びがセクシーコマンドーの原形。
- ↑が従来の説だが、近年、「せくし~斎」なる人物が創り上げたという記述のある文献が出てきた。
- 京の都に多いもの、それは金貸し屋。
- 寺院が金貸しをしていたから。
- 興福寺とかが有名。
- 酒屋、油屋、米屋など、比較的裕福な商人はみんな金貸しをしてた。
- 御台所も金貸しをして、甲斐性無しの夫のために銀閣寺建設費用をひねり出す。
- 平成時代になっても全国的に金貸しが大量発生し、首をくくる者が後を絶たない。
- 徳政令を求めて暴動が起きるかもね。
- 寺院が金貸しをしていたから。
- 室町が京都のどこにあるかは21世紀では誰も知らない。
- くじ引きで決まった将軍、足利よしのりがごーまんかましすぎて家臣に殺される。
- あれ、あれってよしのりって読むっけ?
- 義満が本気で天皇になろうとした。
- 息子はそんなオヤジが大嫌いだった。
- なぜならオヤジの血を引いてたれ目だったから。
- たぶん室町時代が衰退した原因。
- 将軍なのに、寺の小坊主には頭が上がらなかった。
- 一休さんの時代の将軍様は確か義政だろう。
- 一休さんはかなり長命だったので。生年の応永元年は義満時代、没年の文明13年は義尚時代ですな。
- 一休さんの時代の将軍様は確か義政だろう。
- 息子はそんなオヤジが大嫌いだった。
- 将軍になる条件は「たれ目」。
- そして「色白」。そして「小太り」。
- ところで山名と細川以外で有名な大名知ってるか?
- 富樫を忘れないで。百姓如きに倒された情けない守護大名だ!
- え、あの載るほうが稀な漫画家?
- いつの間にか消え去った弟の方じゃなくて?
- え、あの載るほうが稀な漫画家?
- 京の山は赤松一色だ!
- 斯波っていたような。
- 一色を忘れてもらっては困る。
- 大内と大友はこの時代から有力大名だ。
- 甲斐の武田氏や遠江駿河の今川氏も有力な守護大名だった。
- 関東管領の上杉氏もかつては有力だった。末期の落ち目っぷりは涙を誘うが。
- 薩摩の島津もいてはりましたよ。
- 滋賀には京極と六角もおりましたがな。
- 富樫を忘れないで。百姓如きに倒された情けない守護大名だ!
- 茶道が大成されたのはこの時代の末期。決して韓国から伝わったのではない。
- シシ神殺害。
室町幕府の将軍
足利尊氏
- 気前の良さで天下をとったが、気前が良すぎて自分の領地が減ってしまい、後難を招いた。
- けっこう情緒不安定かつ優柔不断な人。
- よく見るザンバラ髪の肖像は、後醍醐天皇に朝敵扱いされてショックを受け、自暴自棄になって、出家すると言い張って寺で髪を切って貰った時の姿。
- あの肖像画は、実は尊氏を描いたモノではない。どうやら、高師直か、その一族の肖像画らしい。一方。神護寺三像は、源頼朝・平重盛・藤原光能を描いたといわれていたが、実は、源頼朝→足利直義、平重盛→足利尊氏、藤原光能→足利義詮だったのが有力となっている。
- よく見るザンバラ髪の肖像は、後醍醐天皇に朝敵扱いされてショックを受け、自暴自棄になって、出家すると言い張って寺で髪を切って貰った時の姿。
足利義詮
- 異母兄・直冬との争いで生涯を費やしてしまった。
- いつの時代も二代目の将軍って影薄いよな
足利義満
- 金閣寺を建てた。
- 明から日本国王に封じられた。
- 天皇はその上なのだから構わないと思ったか、そんなところまでは考えていなかったか微妙。
- 皇室を乗っ取ろうとしたらしい。
- 厳密に言うと、長男の義持を征夷大将軍・源氏の長者とし、次男の義嗣を天皇の養子に押し込み、武家・公家の頂点に立とうとした。
- 「一休さん」にたびたび登場したが、史実ではたぶん一休さんとは会ってない。
- 昭和時代に一般家庭に知れ渡った「一休さん」のお陰で、頭脳はかなりアレだと思われている。
- 世阿弥を寵愛。能楽の恩人と言うべき。
- だが、義満は世阿弥に殺されたという説も有り。
- ↑皇統の断絶を恐れた朝廷が差し向けた刺客だったという話だと思うけど、どうですかねえ……
- だが、義満は世阿弥に殺されたという説も有り。
足利義持
- 弟・義嗣と仲が悪く、親父が死んだのを幸い、義嗣を天皇の養子にする話を白紙に戻す。
- ついでに「日本国王」も返上。とにかく親父の策をことごとく潰そうとした。
- 息子の義量に早いうちに将軍位を譲り、大御所として後見しようとしたが、病弱な息子が先に死んでしまう。そのあと義持は復職しなかったので、3年ほど将軍が不在の時期があった。
足利義量
- 16歳の時に将軍位を譲られたが、2年後に病死。子供の頃から大酒飲みだったらしい。
足利義教
- くじ引き将軍。
- 義持が義量の死後、後継者を決めないで死んでしまったので、本当にくじ引きがおこなわれた。他の候補者は、梶井義承・大覚寺義昭・虎山永隆。みんな兄弟。
- もともとは僧として比叡山に登り、天台座主になっていた。
- 天台宗始まって以来の逸材とまで呼ばれていたという。
- 高僧上がりにしては、やたらと武断的だったりえこひいきをしたりと、仏門にあった者とは思えない行動が多い。
- なぜか彼の代に「盟神探湯」(古代の神明裁判)が復活している。
- 九州を平らげ関東を蹴散らし、幕府の全国支配を完成させるが、その戦勝祝賀の席で赤松満祐に討たれる。全国支配はたちまち瓦解。
- 後花園天皇の父にあたる伏見宮貞成親王は「将軍が犬死するなんて聞いたこともない」と半ば馬鹿にする口調で日記に記している。これほどまでに皆に憎まれていた将軍も珍しい。
- 何せ、赤松満祐は将軍を討った後、逮捕どころか妨害もされず悠々と領地に戻っている。追討の軍が発せられたのはかなり後のこと。
足利義勝
- 9歳で将軍になったが、8ヶ月で死去。死因は諸説あって謎に包まれている。
足利義政
- 義勝の弟。
- 8歳で将軍になったが、20歳くらいになるともう飽きて、やたらと引退したがる。
- 弟の義視に将軍位を譲ろうとした。もちろん奥さんの富子さんは猛反対。応仁の乱の遠因となる。
- 奥さんと顔を合わせたくないばかりに家出。小川邸に移り趣味三昧の生活を送る。
- 自分の息子(義尚)が成長したのでこれ幸いと譲位。
- しかし父子で女を取り合って大喧嘩したりしている。
- 要するに政治的には零点な人だが、文化史上では東山文化を創始した偉大な存在。
- 経済観念もゼロ。奥さんに無理やり算段させた資金で庭造りを堪能。文化史上では奥さんの功績も認めてやりたい。
足利義尚
- 足利将軍きってのイケメン。緑髪将軍と称された。
- 将軍家の所領を奪った六角氏征伐のためみずから出陣したが、戦が長引いている間に病死。
足利義稙
- 義政の弟・義視の息子。
- 日野富子が彼に将軍位をやりたくなかったのが原因で応仁の乱が始まったのに、義尚が死んでみると彼しか適格者が居なかったという皮肉。
- 管領の細川一族と反目して、京都を追われては、あちこちの大名の力を借りて復帰、また反目して追われ……という忙しいというか懲りない人生を送った。
- 最後は阿波で死去。
足利義澄
- 義政・義視の弟、伊豆堀越公方・足利政知の息子。
- 父の死後、異母兄の茶々丸がご乱心して、家族を斬殺。義澄だけ命からがら逃れて京都へ走る。
- ちなみにそのあと北条早雲が茶々丸を追って伊豆を乗っ取ってしまい、堀越公方は消滅。
- 義稙と反目した細川政元に擁立されて将軍位に。
- しかし、大内義興の支援を受けた義稙に追われて都落ち。
- 六角高頼の支援を受けて逆襲しようと準備していた時に病死。
足利義晴
- 父・義澄が都落ちしていた時に生まれ、赤松義村のもとで養育される。
- 返り咲いていた義稙が、またも細川高国と反目して逃げ出したのち、高国に擁立されて将軍位に。
- 義晴も、細川晴元と反目したり仲直りしたり、忙しい人生を送った。
- ちなみに戦国武将の細川幽斎(藤孝)は管領細川氏直系ではなく、義晴の落胤らしい。
足利義輝
- 剣豪将軍。
- 塚原卜伝から免許皆伝を受けた。おそらく鎌倉・室町・江戸期の全将軍のうち、個人的戦闘力では最強の人。
- あちこちの大名に偏諱を授けて謝礼金をねだった。
- 伊達輝宗、毛利輝元、上杉輝虎(=謙信の本名)……
- 毛利輝元の場合は、「義元」と名乗っても良かったのだが、それだと桶狭間で討死にした駿河の某大名と同じ名前になるからいやだとゴネてこの名前になった、とどっかで聞いたことがある。
- 大河ドラマ「毛利元就」でそういうシーンがあったけど、ほんとかなあ……
- 義輝の前は義藤と名乗っていた。細川藤孝(幽斎)がこの偏諱を受けた人物として有名。
- 最後は松永久秀に攻められ、みずから十数本の刀をふるって戦ったが、力及ばず戦死。
足利義栄
- 義晴と反目していた弟・義維の息子。
- 朝廷への献上金が足りなくて、一時は将軍宣下を断られた貧乏な人。
- 義昭を担いだ織田信長に追われて都落ち。再起を図っている途中で病死。
足利義昭
- 義輝の弟。
- 織田信長に頼って京都入りし、この世の春かと思っていたら、実権を全部信長に奪われているのに気づき、キレる。
- 何度も信長を陥れようとするが失敗し、毛利家に預かりとなる。
- 毛利家の庇護下では鞆の浦にいた。ここでいろいろと反信長の活動を行っていた。
- だから、鞆時代とか鞆幕府と言っても良いような気がしなくもない。
- 明智光秀を焚きつけたのは彼だったという噂も。
- 数奇な運命ではあったが、ちゃんと天寿を全うしている。
- 玉置浩二の当たり役。
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