「もしドイツが東西分断されなかったら」の版間の差分

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#**チェコ側が冷戦終結後スロバキアの領有主張を放棄し正式に「チェコ共和国」になっていたかもしれない。
 
#**チェコ側が冷戦終結後スロバキアの領有主張を放棄し正式に「チェコ共和国」になっていたかもしれない。
 
#**ただ旧共産圏スロバキアは貧しいだろうから、資本主義国チェコが同系民族のよしみで多大な援助をしていただろう。
 
#**ただ旧共産圏スロバキアは貧しいだろうから、資本主義国チェコが同系民族のよしみで多大な援助をしていただろう。
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#*共産圏向けの放送局「ラジオ・フリー・ヨーロッパ」は当初からプラハに本部を置いていた。
  
 
==東側主導の場合==
 
==東側主導の場合==

2019年4月7日 (日) 14:50時点における最新版

ドイツは米・英・仏・ソの4カ国で分割統治され、その後のソ連と米・英・仏の対立から東西分断となりますが
仮にドイツが分断されず単一の国家として戦後世界でも存在していた場合どうなっていたでしょうか

全般[編集]

  1. 東西どちらかの主導でも確実に言える事は現行のドイツ(西ドイツ)は史実ほど各都市分散型にならなかった
    • 戦後のドイツ(西ドイツ)が首都一極集中型の国にならず分散型の国家になったのは本来の首都であるベルリン(西ベルリン)が飛び地になり臨時首都であるボンを含めてフランクフルトやカールスルーエ等に首都機能を分散させたため

西側主導の場合[編集]

  1. 領土は降伏した時期にもよるが最大でモーゲンソープランで提示されたドイツの領域となっていた
    • ポンメルン州がメクレンブルク州と合併する事も無く、シレジア州も残存部分がザクセン州へ統合されず州庁がゲルリッツに移転して存続している
      • 当然ゲルリッツの人口も州庁所在地と言うことを踏まえると30万人ほどはあった
      • 戦後以後、ナチス政権までのブレスラウに州庁を置くシレジア州を大シレジア州と呼ぶ事が一般的に成る
        • (日本で言う富山県、福井県分裂までの石川県を大石川県と呼んだり、鳥取県分離前の島根県を大島根県と言うような感じ)
    • この場合史実ではシレジア地方はドイツ降伏までナチスドイツの勢力圏だったので既に制圧済みのポンメルン州と占領地区を交換する形となっていた
    • 場合によってはリヴォフがポーランド領のままだった
      • 史実ではリヴォフはポーランド領のままにする事も検討されていたが戦後にソ連領になっている、ちなみにポーランド領じゃなくなったヴィリニュスとリヴォフの代価としてシュテッティンとブレスラウがポーランド領として編入される事がソ連が認めてる
        • この場合2012年に開催されたEUROの開催都市はオデッサとなっていた
      • ソ連領とならなかったのでリヴォフの名称は有名にならずポーランド読みのルヴフの方が有名になっていた
  2. 史実の西ドイツと同じ時期に経済発展していた
    • その場合、2015年までには人口・GDP共日本を抜いていたと思われる
  3. ベルリン中央駅はナチス政権の時とほぼ同じプランで建設されていた
    • ナチス政権のプランが通らなかった場合、戦後直ぐに再建されていたレールテ駅(現在のベルリン中央駅)を大幅拡張する形で対応し、史実のベルリン中央駅のようなポジションを担っていた
    • ベルリン東駅の名称はシュレージエン駅のままでアンハルト駅は戦後再建されも現在も現存、シュテティーン駅もゲルリッツ駅も地下鉄だけでなく通常路線も運行されている
    • 戦後のベルリンの分断が無いので動物園駅周辺は発展せず、戦後から現在までポツダム広場がそのまま繁華街として発展していた
  4. 戦後の東西分断が無いのでベルリンの人口は最低でも2014年現在600万人程と成っていたはず
    • ソニーヨーロッパも最初からベルリンに本社を置いていた
    • ドイツ最大の空港もやはりベルリン近辺に建設されていた。
  5. アウトウニオンの本社はバイエルン州のインゴルシュタットへ移転せず、現在もケムニッツに置かれてる
    • よってアウディがバイエルンミュンヘンのスポンサーになることは無く、その代わりBMWがバイエルンのスポンサーになっていた
    • ひょっとして社名が「アウトウニオン」のままだった?
  6. ポーランドとドイツの国境地帯の都市は発展せず、本格的な発展は東西冷戦終結後を待つことになった
  7. フランクフルトは史実ほど発展せず、ドイツの中堅都市として留まっていた
    • 人口はニュルンベルクよりも少し多い程度になっている
    • フランクフルト国際空港も滑走路は3000m程で2本位しかなかった
      • 戦前からドイツの主要空港と位置付けられていたので史実のミュンヘン位にはなっている。
  8. ベルリン・テンペルホーフ国際空港は拡張され3000m級の滑走路が2本、ベルリン・シェーネフェルト国際空港はテンペルホーフ空港のサブ空港のような形で開港し当初から4000m級の滑走路が2本あった
    • ベルリン・テーゲル国際空港は建設すらされなかった
    • テンペルホーフは市街地に近いので拡張は難しい。よってシェーネフェルトが現在ベルリンを代表する国際空港となっている。
  9. ボンの人口が半減している
    • 多分ベートーベンが生まれた都市くらいの認知度しかない
      • 未だにベートーベンはオーストリア出身だと勘違いされている
    • ボン大学もあまり有名にならない
  10. 社会主義統一党は誕生せず、現在のドイツ共産党がそれなりの規模で存続している
    • 史実の社会主義統一党の人材と政治家は社会民主党と共産党に分かれて所属している
    • ドイツ共産党は冷戦後に民主社会党→左翼党に改名。
  11. シュテッティンもベルリンの外港として発展し人口は70万人ほどとなっていた
    • 史実で東ドイツ時代にベルリンの外港であったロストックは地味な存在に・・・
    • チャーチルの「鉄のカーテン演説」の内容も変わっていた。
      • 場合によっては冷戦に大きな影響を与えていたかもしれない。
      • チャーチルがこの演説で評価されて再び首相へ返り咲くことはなかった。
  12. チェコは史実でもベルリン陥落以後もナチス政権の統治下だったのでドイツの変わりにチェコスロバキアが分断されていた
    • チェコがアメリカ統治、スロバキアがソ連統治となっていた
    • 後に米ソの対立からソ連がスロバキアの住民投票を強行し分離独立と言う形でスロバキアを独立させる
    • アメリカ統治のチェコでは戦後のチェコスロバキア政府が帰還し、スロバキア独立後もスロバキアの独立を認めずチェコスロバキア共和国を名乗り続ける
    • この場合、統一したかどうかは不透明。
      • チェコ側が冷戦終結後スロバキアの領有主張を放棄し正式に「チェコ共和国」になっていたかもしれない。
      • ただ旧共産圏スロバキアは貧しいだろうから、資本主義国チェコが同系民族のよしみで多大な援助をしていただろう。
    • 共産圏向けの放送局「ラジオ・フリー・ヨーロッパ」は当初からプラハに本部を置いていた。

東側主導の場合[編集]

  1. 領域は現実世界のドイツと変わらない
    • 史実でもあった旧東ドイツで行われた工場の略奪がドイツ全国で行われる
      • 秘密警察シュタージによる監視社会がより徹底される。
        • 西ドイツが存在しないためギヨーム事件が発生しないが、代わりにフランス、イギリスなどに矛先が向かいスパイ天国のような状態になる。
          • 結果、冷戦時代の最中より事実上「ナチズムの復活」と見なされ、周辺諸国から大ドイツ脅威論が高まることになる。
  2. ザールラント州の返還は絶対に無かった
    • フランス統治を経て、住民投票により「ザール共和国」として独立。「ベネルクスBeNeLux)」ならぬ「ベネルクサール(BeNeLuxSaar)」になっていた。
      • 民主化後ドイツ側ではザールラントの領有を主張する意見も出るが、ザールの住民はおそらく反対して独立国のまま。
  3. ライン川の先端が西側諸国のオランダになるので首都のベルリンから遠い事を考えるとライン川周辺の都市は発展せず衰退する
    • ボルシアドルトムントやシャルケもヨーロッパはおろか国内リーグで台頭する事も無い
    • その代わり北ドイツの沿岸部周辺の工業地帯が発展していた
      • ただ西側の工場に比べて低品質である事は予想がつくが・・・
  4. ベルリン東駅は中央駅に改称されず戦後に再建されたレールテ駅がベルリン中央駅に改称させられた
  5. オーストリアが共産化されなかった場合、ドイツ側からの亡命者が多く発生した。
    • その他オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、ザールラント、フランス(特にアルザス=ロレーヌ)、スイス等に亡命者が多く発生。
  6. 共産ドイツでは「カール・マルクスの出身国」というのが強調されていた。
    • マルクスに対する個人崇拝が盛んに行われていた。
    • ケムニッツではなくマルクスの出身地であるトリーアが「カール・マルクス・シュタット」と呼ばれていた。ついでにヴッパータールも「フリードリヒ・エンゲルス・シュタット」と呼ばれていた。
  7. 国旗は史実の東ドイツのものではなく、実際のドイツ国旗がそのまま使われていた。
    • というのも建国当初東西ドイツの国旗は全く同じだった。東側が区別するために国章を置いたが、全ドイツが社会主義ならその必要はない。
  8. 史実の東ドイツより国力があっただろうから、もしかするとユーゴスラビア中国のようにソ連からの自立を志向したかもしれない。

自動車業界編[編集]

ここではドイツ全体が社会主義陣営に入った場合、世界の自動車業界はどうなるか推測します。

  1. 世界市場におけるドイツ車の台頭は絶対に無かった
    • 日本人がイメージする外車と言えば今でもアメ車
    • 日本で一番売れる海外自動車メーカーと言えばフォードモーターかシボレーになっていた
      • キャディラックやリンカーンの日本での独自ブランドでの展開もあり得た
      • GMの保持するビュイックも日本で撤退せずシボレーと併用ながら現在も販売が行われてる
  2. ドイツ車の台頭が無いのでGMの倒産やデトロイト衰退及びの破綻も数年遅れていた
    • 世界中の王公族や首脳陣が使う車はロールスロイス、キャディラック、リンカーンの何れかだった
    • ロールスロイスもベントレーと分割、売却なんて無く、ロールス・ロイス・ホールディングスが現在も商標権を保持している
  3. アウディやベンツが低品質になるのでレクサスブランドの台頭が史実より早まっていた
    • 当然レクサスブランドが日本展開されるのも数年早まっていた
    • 日産が保持するインフィニティブランドも史実より早い時期に台頭、場合によっては日本でもインフィニティブランドが展開されていた
  4. 下手すると東西冷戦終結後に史実とは逆にダイムラーベンツがクライスラーに吸収合併され本社もオーバーンヒルズになっていた
  5. 日本でのドイツ車=高品質なイメージをもたれる事は無く、現実世界のトラバントのような低品質な製品ばかりのイメージになっていた
    • 「戦前は高品質だったのに落ちぶれた」というイメージになっていた。
  6. 史実のビートルの愛称で知られるフォルクスワーゲンタイプ1の設計者であるフェルナンド・ポルシェの名前を知ってる人は誰も居ない
    • その代わりMiniの開発者であるアレックス・イシゴニスの知名度は更に高くなっていた



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