元の民族差別がなかったら編集
- 元はもっと長く存続していた。
- それでも紅巾の乱が起きて史実通り明が成立していた。
今でも存在していたら編集
- チンギスハーンが即位した年を紀元元年とする年号を採用していた。
- ちなみに史実で一時期使われていた「ジンギスカン暦」はチンギス・カンの生まれた年を元年としていた。
- ジンギスカン紀元の1年はチンギス・カンが大ハーン(皇帝)に即位した年(1206年)です。
- 日本も実史に加え、幾度か襲撃を受けている。ヨーロッパも同様。
- そして日清・日中の両戦争などで逆襲。
- 第二次世界大戦では西からドイツが、東から日本が挟み撃ちしていた。
- そして欧州の親日度が更に高まる。
- 一度勢力が衰退したら再び領土拡大を目指すのは困難だと思うが…。
- 清はハーンを名乗らなかった。
- ぶっちゃけ豊田有恒のSF小説「モンゴルの残光」を読めばだいたい分かる。
最盛期の版図を維持編集
- フビライの時分裂しなかったか、後に再統一された場合。
- オスマン帝国が出現せず、いまだに東ローマ帝国があったかもしれない。
- よって今のバルカン紛争も起こらない。列強が介入してくれば話は別だが。
- むしろ東ローマ帝国もモンゴル帝国によって滅ぼされていた。
- シベリアもなし崩し的にモンゴル領。
- よってロシアは帝国にもなれず(東ローマの後継を自称)、王国が続いて永遠とヨーロッパの辺境国扱い。社会主義革命もなかった。
- ロシアは全域モンゴル帝国に併合。
- ロシア語は国連の公用語になっていなかった。
- モンゴル語が公用語になっていた。
- 米英仏モンゴル帝国の4カ国が常任理事国。
- 世界大戦後はモンゴル帝国とアメリカ合衆国の間で冷戦。
- 君主制vs共和制ということになるので、日本はモンゴル側についていたか、あるいはアメリカの圧力で天皇制が廃止されていた。
- 20世紀になってからの世界では立憲君主制の定着や共和制の多様化などが進んでいるのでそのような観点は対立の基軸になりえない。
- 例えば、第1次世界大戦では君主制のイギリス・日本・ロシア・イタリアと共和制のアメリカ・フランスが同じ陣営に属していた。
- 第2次世界大戦でソ連とアメリカが同じ陣営に属していた事を考えると政治体制の違いから対立してくるので有り得るかも。
- 史実の米ソ冷戦では君主制(立憲君主制)のイギリス・日本と共和制のアメリカ・フランス・西ドイツ・イタリア・韓国が同じ資本主義国として西側諸国に属していたので、それはない。
- そもそも日本自体モンゴル帝国に併合(江戸時代あたりに元寇があった場合)。
- モンゴル帝国で社会主義革命が起き、ここがソ連となっていた可能性も。
- その場合、第二次世界大戦後にアメリカとソ連(モンゴル帝国の最大版図を維持)の間で冷戦が起きていた。
元のみが存続編集
- 史実での後の清にあたる領域を支配していた。
- 漢民族(特に華北人)とモンゴル人と満州人の同化が進む。
- 日本で一般にイメージされる「中国の風俗」にモンゴル的な要素がより多く入っていた。
- 今でもパスパ文字が使われている。
- その後、19世紀後半には近代化に成功し、列強となった。
- イギリスのように立憲君主制に移行し、支配民族であるモンゴル人の漢民族との同化が進むので、国名を「中華帝国」(英語名:Empire of China)に変更する。
- もし中国国民党が中国共産党に勝っていたらに書かれているいくつかのことが実現している。
モンゴル高原のみ編集
- フビライの時に分裂したので、現在では実際のモンゴルに当たるところだけが領土になっている。
- その場合、ソ連の支援は得られないため鉄道は敷設されていないかも。
- それでも、内モンゴルは含んでいそう。
- 近現代では中華民国とソ連の緩衝国家としてそれなりの役割を果たす。
- 北元が現在でも残っていたらありえた。
- 清はモンゴルを領有していなかった。
- 中華民国がモンゴルの領有権を主張することはなかった。
- 現在では国名を「大元」から「モンゴル国」に変更し、立憲君主制国家となっている。
- この国がモンゴル人民共和国になっていた。